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インドってどんな国?

インドは南アジアに位置し、インド亜大陸の大部分を占める連邦共和国である。パキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアと国境を接する。
10億人を超える国民は、多様な人種、民族、言語、宗教によって構成されている。ヒンドゥー教徒が最も多く、ヒンドゥー教にまつわる身分差別であるカースト制度の影響は今でも残っており、クラス(階層)や貧富の差が非常に大きい。このように多様な人々が存在するためインド人をひとまとめにして理解するのは難しく、貧富の差については「インドは貧しい国ではなく、貧しい人が多く住む国である」などともいわれる。

インドの地図

インドのブログ旅行記

04) サレルノ → アマルフィ → ソレント - いつもこころにヨーロッパ

2006年8月4日 ... インドはすごい所みたいで,行くには相当な勇気と決意が必要だと思いました. なので やはりヨーロッパを攻めたいと思っております. 来年行けるかどうかまだ分かりませんが , このHPを見て気持ちを奮い立たせています. また更新を楽しみにし ...

チェゴヤ @ 中目黒 GO AROUND THE WORLD/ウェブリブログ

2008年2月11日 ... 2008/02/14 18:01. >mina わたしもわたしもー。 でもまだカレーは甘口がいいかな。 インド系のさらさらのなら少し辛くても食べられるようになった~。 でもカレーうどんは 好きだけど辛すぎて途中で食べられなくなるー。 sawa 2008/02/14 23:41 ...

インド風味の春菊サラダ|石神井公園でヨガ 朝ヨガで心も身体もスッキリ!

2013年11月3日 ... 石神井公園でヨガ◇ 朝ヨガで心も身体もスッキリ!-Ameba Nahoko ♪ 石神井公園で 朝ヨガ!さんのブログです。石神井公園駅 徒歩2分! 癒しの空間 『ガネーシャ』にて、 早朝ヨガ・体質改善ヨガを担当しています。 皆さんが、絶対に!

インドのレトルトカレー: shukran@world

2009年3月28日 ... リヤドのスーパーマーケットでインド製のレトルトカレーが並んでいたので、珍しくて衝動 買いしてしまいました。豆のカレーにほうれん草とカッテージチーズのカレー。ともに7.5 リヤル (200円)。でもマラズレストランでベジタブルカレーのセット ...

インド土産| 世界一周御披露目帳 - アメーバブログ

2008年12月20日 ... こんなマグでミルクコーヒー飲みたい。 オランダ切手たち! 赤ずきんちゃんもいます。 どれもかわいい・・・. 糸ボタンってのもあるらしい。 素朴な感じがいいデス! 人気ブログ ランキングへ♪ a 応援ヨロシクお願いします. a お世話になっている ...

最強インド。|世界を散歩する - アメーバブログ

2009年1月11日 ... 最強インド。-只今移動中。 祝!!インド!! 中南米を旅する時から、最強最強と噂に は聞いていたインドについにきた。 大好きな人と大嫌いな人、はっきり別れるインド。 誰 もが『私.

テーマ「日々の生活」のブログ記事一覧 GO AROUND THE WORLD ...

贋作インドカリー マシバシイネツルカモ』 通りにはカレーの香りがほのかに漂う。 ガラス の引き戸を開けて中に入ると、 なぜかほっとする感じがした。 毎週火曜日に変わるという カレーは今日はひき肉とかぼちゃのカレーだった。 ゆっくりした時間が流れるその場所 ...

#巧妙な手口? GO AROUND THE WORLD/ウェブリブログ

2006年5月14日 ... ホテルで1度インド人のお婆さんに、エレベータはどこかと尋ねられました。 インド人街で 中国のおばさんに、○○はどこ?と中国語で尋ねられました。 中国語なんて学生以来で 大して身にもついてなくて、忘れてて、英語で聞き返したら、○○が ...

増上寺の東京タワー GO AROUND THE WORLD/ウェブリブログ

2006年10月8日 ... 土曜日はいつもと全く違う仕事だったから楽しかったー。 >take2-san 休日は旅に出て しまいました。 ほんとーにほんとーに久しぶりにおうちに帰ってきた感じです。 >mina 巻 いたのはスカーフ。インドの。 一日限定の家事手伝いしてたのよ^。^.

インドの青空美術館・シェカワティ地方の田舎町 - 地球浪漫紀行世界紀行 ...

2010年1月14日 ... 2009年は、台湾、パタゴニア、イラン、承徳、ポーランド、ハンガリー、九寨溝・黄龍、 東 カナダ、ヒマラヤ・トレッキング、クイーン・ヴィクトリア号クルーズ、 そしてインドと、11本 の添乗を務めさせていただきました。 ツアーでご一緒させていただき ...

世界一周旅物語(せかたび)- インド(India) アーカイブ

日本の10倍近くの面積があるインドの移動は、体力勝負! そして、インド人との値段 交渉やお布施に根気と気合いも必要。また、アジアの中でも、特にひどい衛生環境、、、 辛いものが苦手な私にとっては、インド料理も苦痛ー 精神的にも、ヘトヘトって感じで ...

世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後、社会復帰がんばるブログ

2007年12月12日 ... 先週、突然結婚式の招待状が届いた。 それもインドから。 今回の旅でのアメリカ留学中 同じ寮仲間だった. インド人からだった。 バックパッカーの聖地、インド。 にもかかわらず 、2年間旅したのに. インドには行かなかった。 行きたくなかった訳で ...

お気に入りCD:インド映画: shukran@world

2008年6月7日 ... その年にヒットしたインド映画のテーマ曲を集めたテープ、CDは毎年発売されますが、 今でも時々聴いているのが1989年の映画「マイネ・ピャール・キャ (Maine Pyaar Kiya)」 のテーマ曲「Aaya Mausam Dosti Ka」。「Hits of '89」というCD ...

『大人のSingapore』 No-07 コロニアルな風を感じて・・続き: 海外の情景 ...

2010年4月4日 ... 中国系、欧州系、マレー系、インド系、アラブ系の民族が織りなすまさに他民族国家です 。 さて今日の一枚はそんなコロニアルな雰囲気の場所です。 シンガポール川の河口に 建つ<フラトンホテル>のリバーサイドカフェです。 1829年建設され ...

極上の旅、バリ島へ行ってきました - 楽園HAWAII - ライブドアブログ

2014年2月24日 ... 中国映画も多かったし、シンガポールはインドと中国の移民の方が多いからでしょうかね ?? 朝便だったので、あまり寝ずに機内の時間を満喫しているうちにシンガポールが 見えてきました! 見て!この船の数!( ゚д゚) 貿易港だけに海には ...

楽園HAWAII:2010年03月31日 - ライブドアブログ - Livedoor

2010年3月31日 ... インド』へ!( ゚д゚) 現在インドの気温は39度だそう。姉ちゃんもさぞかし心配してるかと 思いきや・・・ 案外心配してなかった(笑) インド出発の日、姉ちゃんが送りに行ったん ですが、預け荷物(スーツケース)の重量オーバーで、40,000円超過金を ...

2007.07 マレーシア: Shoの旅行記~気の向くままに歩いて行こう~

2007年7月11日 ... かぶり物をしたイスラム系の女性、どうみてもインド系にしか見えない人。 意外に思った のが日本人っぽい容貌の人もかなりいる事だ。 たぶん韓国人よりもマレーシア人の方が 日本人に似ているのではないか? そういえば今まで行った中では ...

インド - トラベログ

インド/旅行情報の発信サイトのトラベローグ、トラベログ、TRAVELOG 。国内、海外の 旅行記、旅行日記、旅行体験記、トラベル日記、旅行写真集、旅行フォトアルバムを、 無料で作れる旅行専門のブログ、サイト.

凱旋門賞に行こう!(5) salut!~パリを楽しもう~/ウェブリブログ

2006年8月16日 ... 北 日本海に短距離ミサイル発射. 不明機 インド洋上で墜落か. 山本太郎氏が候補者の 公募表明. ウソで有休取得 法的に問題は? ニュースをもっと見る !!アニメエンジン(β)に 新機能!「画像マーク」で好きなアニメの画像を集めて楽しもう!!

ハワイでインド料理「Bombay」|リサのLOVEハワイ - アメーバブログ

2009年6月29日 ... ハワイ滞在中に・・・ ヤシの木. 「そうだ ビックリマーク カレーを食べよぉう カレーライス 」. ・・・と、いうことになり ニコちゃん8 行って参りましたのが、コチラのお店 キラキラ矢印. ~ インド Bombay(ボンベイ) インド ~. 今回初めて行きました ...

マウント・ホイットニー登頂記 5 | MSAT 幻のガイドからのメッセージ

2006年8月5日 ... さっき追い越したインド系男性のことが頭をよぎる。あの歩き方では、足をくじいたか 水ぶくれでもできているに違いない。しかし追い越したのは30分以上前で、彼を待って いると1時間以上かかることは間違いない。かといってヘッドランプを持って ...

インド人の町は交渉次第で90%OFFの巻 (ユキノヒノシマウマ)

2005年7月19日 ... そんな中でもこのディバーン近辺は、インド・パキスタン人が固まって住む地域として知 られ、町の中心部ではほぼ100%インド人とインド文化である。 それだけに町のイベント 掲示板などでも、インド人にしかまったくわからない、おそらくその世界 ...

インド一人旅、夜行列車で熟睡しても荷物は大丈夫? 海外旅行Q&A ...

私、11月に12日間インド(デリー・アグラ・バラナシ・ブッダガヤ・コルカタ宿泊予定)へ 一人旅を計画している51歳の者です。 今までの経験は、フランス・イタリア・ハワイに 航空券・ホテルのみ予約で食事・観光は自分でまた、韓国は一人旅でした。英語は高校 時代 ...

思い立ったら飛び立とう - 時の流れがゆっくりな国~インド~

インドへの旅・・。あのときのことを思い出すと、少し前までは絶対にインドに行かない!と 思っていた。ものすごく体調を壊してしまったからだ(~~)8日間の旅の間、私はお腹を ずっと壊していたのだ・・。 慣れない、アラビア式のトイレ。あまり好きではないカレーの ...

楽園HAWAII:2011年01月 - ライブドアブログ - Livedoor

2011年1月21日 ... 結婚して20数年経つトレ姉は、2ヶ月インドへ行ったダンナ(トレ義兄)を成田に見送った 帰りは「自由時間が増えるとウキウキして帰った♪」だそうで(可愛そうなトレ義兄・・・)(;´ ∀`) 結婚して20年も経つとそんなもんかねー(笑) では、久々の ...

情報満載!元ツアコンの海外旅行れぽーと canada - FC2

... ます 建国後の移民で一番多いのはイタリア人、続いて中国人、ユダヤ人、ポルトガル 人・・それぞれの人種がそれぞれの街を作っていて、中華街、ギリシャ人街、イタリア人 街、インド人街などなど ダウンタウンの人口の約半分はこれら移民で占められています

アスワン市内観光 | 世界一周オンナ一人旅 & その後の日々

2006年5月16日 ... 電車の中はしっかり座席番号が決まっていて、私の席はインド人家族4人と中国人の 男の子と一緒の部屋でした。結構部屋は広くて(6畳の部屋くらい?)、座席は 向かい合って3つずつ並んでます。座席の間には簡単なテーブルみたいのもある ...

踊れないスチュワーデス物語 - ライブドアブログ - Livedoor

その日はあるインド人のご夫婦がヒンズーミールをオーダーされていた。 ヒンズーミール は大抵ベジタリアン用のカレーになっている。 実は私達CAも機内で食べるスペシャル ミールをオーダー出来るのだけど、ヒンズーミールは一番人気。 とっても美味しいので 健康 ...

2008年05月のブログ|食べて歩いて遊んでスペイン! - Ameba

2008年5月23日 ... あの人達はインド系の男だから しつこくてニオうのよ。」 と・・・(そうなの?)。 アラブ諸国 出身のインド系なんだ?? アラブ系の男性達だとばっかり思っていたウルコ、 まだまだ 人を見る目は素人のようです(要学習)。 今のところ、出来るだけ ...

春のお散歩 - 楽園HAWAII - ライブドアブログ - Livedoor

2010年3月31日 ... インド』へ!( ゚д゚) 現在インドの気温は39度だそう。姉ちゃんもさぞかし心配してるかと 思いきや・・・ 案外心配してなかった(笑) インド出発の日、姉ちゃんが送りに行ったん ですが、預け荷物(スーツケース)の重量オーバーで、40,000円超過金を ...

ランチはインドカレー@タージ・オキナワ - 奥様は海外添乗員 - Gooブログ

2014年4月10日 ... いよいよ残り少なくなってきた休日。今回はアレしてコレして…と、比較的有意義に 過ごせたかな?とはいえ、ピーカンの空を眺めていたら我慢できず青い海を目指して ドライブへ~♪でもその前に立ち寄ったのはインドカレーの店、タージです。

ご馳走カレー: shukran@world

2009年1月24日 ... サウジアラビアで食べるカレーは、インド人がインド人のために作る本場のカレーです。 普段はオレイヤロード沿いにあるマラズレストランという大衆食堂でばかり食べていて、1 人で行く時はもっぱら7リヤル (180円) の定食 (ご飯にミートカレー1 ...

インドの写真・旅行記

インドに行く上で守りたいのが服装のマナー。 女性の場合、一番悩むところですよね。 まず現地の人はどんな格好をしているのかを知ることは大切だと思います。 インド人の女性はサリーかパンジャービードレスを着ています。それはそれは色彩豊かで華やかです。 逆にいわゆる普通の洋服を着ている人はほっとんどいませんでした。若い女性はサリーよりもバンジャービードレスがお好みの様ですが、例えばジーンズ、ワンピースを着ている人は皆無。 るるぶ様の写真にはサリーを着ている女性が沢山写っていますが、盛っていたわけではないのですね。失礼しました。 話がそれましたが、そう考えると出しては奇異な目で見られるのは足でしょう。サリーからは肩や二の腕、お腹が見えますので。 奇異な目というのは言い過ぎかもしれませんが、行く前に色々と情報収集した際に、本当にあの子大丈夫かしら?という目で見られるとのアドバイスがありました。 その方はダメージデニムから覗いてたお膝が問題だったようです笑 では、何が良いのか。 私はマキシワンピをお勧めします。 またマキシワンピの下にはレギンスを履くと良いですよ。足に汗をかいた時の不快感が薄れます。 デニムは持っていきましたが暑くて履きませんでした。サルエルパンツとかだと涼しくて良いかもです! それでは本日二つ目の観光です。

次の目的地はフマユーン廟。 同じくサウスデリーにありますが、サウスデリーは広く、けっこう離れています。 デリーは下からサウスデリー、ニューデリー、オールドデリーと分かれています。 サウスデリーは閑静な雰囲気の住宅地も多く、緑も多く一味違ったインドの雰囲気があります。

この街並みは、間違いなくインドにおいては驚く程綺麗な方です。

アパートメントでしょうか? 職業柄、どうしても興味が出ちゃう!

自家用車も目立ちます。 日本の車も人気のよう! ただ、自家用車は庶民には手が届かないようです。

こちらはどんな家にもセキュリティがしっかりとついています。

フマユーン廟に着きました。 こちらは入口までのアプローチですが、至る所で犬が寝ています。 その穴、まさか自分で掘ったの?という穴にみんな入って可愛いですね。

こちらもぐっすりお休み中。

かすかな日陰を求めているのは犬も同じ。 でも、お尻出てますよー笑

フマユーン廟はかのタージマハルのモデルとなった廟です。 入り口からフマユーン廟までは10分程歩きます。 敷地自体は本当に大きいです。こちらはまだ入り口の周辺。 廟は全く見えません。

アプローチまで来ました。 正面が廟に通じる西門です。

近くまで来ると西門の大きさに圧倒されます。 赤砂岩と大理石がこの色味を出しているそうです。 1565年にできたもの。 やはり石や岩で出来たものは保存状態が良いですね。ヨーロッパなんかでもいつも思います。

西門を抜けると、やっとフマユーン廟が見えてきました。 写真よりかなり大きいです。 私の中でこういった建物は白いタージマハルとインプットされていたのか、この色味の素晴らしさに引き込まれてしまいました。 廟と回りの緑のコントラストがとても素敵です。

歩きながらどんどん近づいてきます。 午前中だから人が少ないのも素敵な条件。 ただ、遮るものは何もないので本当に暑いです笑 ガイドさんは西門を抜けて写真を撮影し存分に説明し、僕はここで待っていますと言いました。 私がガイドでもそうしたと思います。

ムガール建築の特徴のひとつとして四分庭園があります。 つまり、廟を中心に田の字型の庭園が周囲を囲っており、どこから見ても同じような形に見えるということ。 今回は人が少なく、ど真ん中ゲットですが、少しずれるとなんかチクチクする写真になってしまうのが難しいところです笑

炎天下を歩き、やっとフマユーン廟です。階段を登るのですが、思いの外急です。 サリーの女性が偶然にも映り込み、写した相方は、見て、ばっちりインド!と自信満々でした。

目の前までやってきましたが、本当に大きいです。 ムガール帝国の栄冠が偲ばれます。

周囲は庭園と言う名の、若干ジャングル風なところも! しかし敷地が大きいです、スケールが違います。

では失礼して霊廟に入ります。 そこは本当にひんやりとしています。 ガイドさん曰く、天然のクーラーが当時はあったようです。ここに使われているかはわかりませんが、その構造は驚嘆すべきもので、アグラ城では使われていたと思います。 多分ここがひんやりしていたのは、石の影響と思われます。 メッカの方角の西の窓は大き目に作られており、光がさすようになっています。

総大理石のドーム。 このドームがあることもムガール帝国建築の特徴のひとつです。 総大理石か。ムガール帝国の栄冠が偲ばれます。

中の装飾。

中の装飾。 ここから良い具合に風が入ってきます。

中から覗いた西門。 ムガール建築はイスラム様式とペルシア様式が融合した、つまりインドとペルシアが融合した建築様式です。 代表的なものはタージマハルですが、このフマユーン廟がムガール建築の発祥です。 タージマハルと比較すれば認知度は今ひとつですが、タージマハルに匹敵する美しさを持っていると私は思います。 相方とも、インドの世界遺産はレベルが高い!タージマハル目当てで来てしまって歴代の王様に申し訳ないと話していました笑 本日の観光はこれでおしまい!午前中目一杯使って観光したので、けっこうやり切った感はあります。

リクシャー体験はオールドデリーです。デリーでも昔のインドが味わえる下町のようなエリア。 今いるサウスデリーから北上して、リクシャーのリクシャーストップというのでしょうか?沢山客待ちしている通りへ。 車内から何気無く撮影していたら、こちらはやはり公衆トイレ。 本当に公衆。

決まっているのかその場で交渉なのかは定かではありませんが、ガイドさんからこちらに乗るように指示が入ります。 ドキドキしながらリクシャーに乗車! インド人って、みんな細いんです。このドライバーさんも細くて細くて、私達とガイドさん(大柄)乗せて走るなんて、大丈夫かと思ってしまいました。

乗っているところから見えたドライバーさんのお背中。 インド人の男性はみなさんかっちりとシャツを着ています。シャツはカラフルだったりするんですが、髪の毛もかっちり固めていて、とても真面目な印象でした。 そして、とっても清潔。

こちらはバス停? 手前のエメラルドグリーンのドレス、こちらがパンジャービードレスです。チュニックにレギンスで、インド北部のパンジャーブ地方の伝統的な洋服です。 若い方はサリーより断然こちら! サリーより動きやすそうです。

私達が走っているところは車道です。 ただ、インドって必ず歩道があるとは限らないのです。 ここなんて、まさにそうですね。一番端の車道はもはや歩道の役割ですね。 ほうら、インドの街歩きというのはとても大変だと思いませんか?笑 道がガタガタとか、運転が荒いとか、動物がいるとかではなく、よく歩道がなくなります。るるぶ様が通常の別冊の地図を付けなかったという理由にも頷けます。

今まさに大きな発展の渦中にあるインド。 デリーでは至る所で工事が行われ、この様な工事従業者の姿も多く見ました。

リクシャーのドライバーさんは体力的にも比較的若い人が多い印象でした。 ばっちりと目が合いましたね。

オールドデリー。

オールドデリー。 絶対にインドでは運転出来ない。どうして車道で車が孤立するの?笑

15分ほどでリクシャー体験も終わり。 車に戻りランチへ。 途中、外観観光のみの世界遺産ラールキラーへ。お城なんですがアグラ城に行くからと入場観光にはなっていませんでした。 とにかく、大きい。

さぁさぁお待ちかねのランチです。 ランチはチョールビザールというオールドデリーのロードウェイホテル1階にあるレストランです! 泥棒の市場という意味の店名なだけあって、店内は上品な中にもバザールの様な遊び心溢れる店内。 同じテーブルや椅子はひとつとしてないよう! お料理はタンドールなどの北インド料理をいただきました。 ツアーに含まれ、予めメニューは決まっています。

ささ、まずはビールで乾杯でしょう! アルコールを嗜まないイスラム、そこまで嗜まないヒンドゥーのインド。 恐る恐るビールありますか?と聞こうと思っていたら、ガイドさんから、飲み物は?ビール?とのこと! がってん! ガイドさんも飲まれますか?笑 運ばれて来たのはインドビール、キングフィッシャー。ラガーですが、うーん、甘い! 相方が速攻バドワイザーを頼んでしまったため、キングフィッシャーは私の担当に。 最初で最後のキングフィッシャー。

すぐに料理がやってきました。 こちらが北インドのターリー料理。特徴は肉料理があること!タンドリーチキンもその一つ。 カレーは三種類。ここで何のカレーがやってきたか覚えていないのが悲しいところ。うろ覚えですが、まろやかな定番バターチキンは美味。 パラクパニールというほうれん草カレーはあまり辛くなくマイルド。美味しいです。 唯一厳しかったのはラールマースという羊肉のカレー。辛いのと羊肉が苦手ということもあって食べれず。 そこにライス、ナンやタンドリーチキンがきます。

タンドリーチキンが美味しいとガイドさんゴリ押しだけあって、タンドリーチキンは美味しかったです。 脂が抜けてパッサパサなんですが、噛めば噛むほど旨味が出てきて、日本にはない美味しさでした。

お手洗いも清潔で可愛い! 海外行くと塗り壁に憧れますよね?日本はクロス壁。 カラフルな塗り壁がお洒落! お腹もいっぱいになったところで、ジャイプールへ向かいます。 出発は午後2時頃と記憶しています。

アルーの村の風景。これぞカシミール、桃源郷ですねー。

ほのぼのします。馬も幸せそう。

これがアルーの村。15キロくらい手前のパハルガムは軽井沢銀座みたいなにぎわいでホテルが林立してますが、アルーまで来ると静かな村にのんびり滞在できます。標高2500メートルくらい。

アルーの村の子供たち。

青い空と雪山と松の木と草原と。

これもアルー郊外。

アルーのミルキーウェイ・ゲストハウス。ホスピタリティーに溢れた居心地のいいお宿でした。ご飯も美味しい。

翌日、ワンディートレッキングに出発。Lidder Watというところを目指します。

松の木がいっぱい。

本当にきれいなところです。ここまで来ると旅行者はほとんどいなくて、家畜と村人だけの世界です。

馬もお昼寝。

牛も、そして人もお昼寝。

家畜の世話をしている子供たち。

馬が絵になります。

まだ雪がところどころ残ってました。

Lidder川沿いに歩いていきます。水の色が青いです。

恐ろしげな橋がかかってます。

ここがワンディートレッキングの終点のLidder Wat。ここまで4時間くらい。往復で8時間くらいのトレッキングコースです。この先も続いていて、湖や氷河がみられる4-5日のトレッキングになるそうです。次回は是非トライしたいところ。

空も山も川も森もきれい。

羊たち。

村人と一緒に休息。

馬たち。

アルーの村の小学校。絶景小学校ですね。

最後に、アルー村からの風景。

1月2日(水) 12時30分、マハバリプラムでの最初の観光スポット、5つの石彫り寺院(ファイブ・ラタ)を見学した後は、そこから北へ車ですぐ(徒歩だと15分ほど)のところにある、小高い岩山がそびえる一角へ。

早速着いた一角は、大きな岩山が長方形にくり抜かれていて、何やら神聖な場所といった雰囲気。 そのすぐ脇には、岩壁に彫られた巨大なレリーフも見えます。

この岩山がくり抜かれた場所は“マンダパ”(Mandap)と言われ、通常内部にはヒンドゥーの神々の姿を描いたレリーフが彫られ、礼拝堂としての役割を果たしてきました。 現在では先に見た“ファイブ・ラタ”などとともに“マハバリプラムの建造物群”として世界遺産に登録され、インド国内はもとより外国人旅行者も多数訪れる、南インド有数の観光スポットとなっています。 ちなみにこのマンダパは“パンチャパーンダパ・マンダパ”という名前で、ファイブ・ラタと同じく7世紀のパッラヴァ朝時代のもの。 ファサードの獅子の柱が先ほど見た“ファイブ・ラタ”のひとつ、ビーマ・ラタの石柱を彷彿とさせますが、内部の祠堂はこれまた未完成で、レリーフも何も施されていない状態。 やはり何か政変が起こって作業が中止されてしまったのでしょうかね・・・。 【南インド・タミル紀行(7) ビーマ・ラタの獅子の石柱】 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31873574

パンチャパーンダパ・マンダパ(舌を噛みそう・・・)の隣にある岩壁に彫られた巨大なレリーフは、ガイドブックには必ず載っているかの有名な“アルジュナの苦行”(Arjuna's penance)。 幅29m、高さ13mの花崗岩でできた岩壁一面に彫られた、世界最大とも言われるレリーフです。

・・・そんな二通りの解釈があることは、帰国してこの旅行記を作成している時点で初めて知りましたが(笑)、そんなことを知らなくても、躍動感あふれる神々や写実的な象の姿など、岩壁一面に彫られた芸術的なレリーフを見て十分楽しめるスポットだと思います。 そんなこんなで“アルジュナの苦行”または“ガンガーの降下”と呼ばれる世界最大規模のレリーフを後にし、次に向かったのは・・・。

このレリーフの解釈にはふたつあり、ひとつはインドの古代叙事詩“マハーバーラタ”の一場面を描写しているという説。 すなわち、マハーバーラタに登場するパーンダヴァ家の英雄アルジュナが、インドラ神から“シヴァ神に会えば望みの武器を手に入れることができるだろう”と告げられたことにより、シヴァ神に会うための苦行をしているというもの。 レリーフ中央の溝になっている部分の左側上方に、“片足立ちになって腕を頭の上に回し、修行に励むアルジュナの姿”が彫られているのが分かると思います(そのさらに左側に、強力な武器となる矢を持ってすらっとした姿で立っているのがシヴァ神)。 もうひとつの解釈は、このレリーフが別名“ガンガーの降下”(Descent of the Ganga)と言われるように、ガンジス川(女神ガンガー)が地上に降りてくるときの物語が刻まれているという説。 すなわち、インド神話の王バギーラタが、先祖の魂を救うため、天上の川であったガンジス川(女神ガンガー)を地上に招来しようと、厳しい修行をしているというもの。 どちらも修行をしている人物がいるという点では同じですが、中央の溝になっている部分がガンジス川が降りてきた跡であると考えれば、後者の説の方が説得力があるような気がしますね。

インド好きのみなさんにはお馴染みの、転げ落ちそうでいて転ばない不思議な岩“クリシュナのバターボール”。 先ほど見た“アルジュナの苦行”から、歩いてすぐのところにあります。 しかしこうして眺めてみると、丸っこいボールのようなかたちをしているのに、坂道の端でピタリと止まっていて、どういう仕掛けなのやら本当にスゴイ・・・。

クリシュナのバターボールを斜め下からパチリ。 左下に立っている男性と比較してみると分かると思いますが、ツルツルしていそうな斜面にバランスの悪い体勢でいるのに、いつまでも転がり落ちないのが不思議なくらい巨大なバターボールです。

坂道を登ったところで斜め後ろからパチリ。 岩の後部はスパっとナイフで切られたようになっていて、まさに名前のとおりのバターボール。 ちなみに“クリシュナ”というのは、インド好きのみなさんならご存知のとおり、ムスリムのガイド氏も大好きだと語るインドで最も人気のある神様。 世界の維持神ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)のひとりで、黒い顔をしていながら、美男子で怪力の持ち主。その上、笛の名手であったことから、女性にもモテモテの神様です。 そのクリシュナ、物語の中でミルクなどの乳製品が大好きな様子が描かれていることから、バターボールのかたちをしたこの岩をクリシュナがその怪力でスパっと割ったということで、“クリシュナのバターボール”という名前がつけられたのだそうです。 しかし、ヒンドゥー教の神様が、アラー以外は神と認めない一神教を奉ずるムスリムにも大人気なんて、ヒンドゥー教は日本の神道のように、宗教というよりはもはや生活習俗のレベルなのでしょうね。 【天竺奇譚~美貌のプレイボーイ クリシュナ】 http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/krsna.html

後ろからちょっぴり押しただけで滑って落ちていってしまいそうな奇妙な岩ですね。 ちなみに陰になっていて見えづらいですが、バターボールの下は地元の人や観光客が落としていったと思われる、食べ物の包装紙や空き瓶などゴミの溜まり場になっています。 インドの街らしいと言ってしまえばそれまでですが、世界的に有名な観光地なのにちょっと残念な風景・・・。

こちらの角度から見ても、下の岩山に接している部分はほんのわずか。 ものすごいバランスです(笑)。

屈強な欧米人が4人がかりで押しても、バターボールはピクリともしません(笑)。 ・・・こんなふうに、クリシュナのバターボールは内外の観光客たちが童心に返って写真を撮りまくる、マハバリプラムで最も人気のある観光スポットとなっています。 ご多分にもれず、わたしも下からバターボールを支えている(ように見える)写真をガイド氏に撮ってもらいました(笑)。

さて、写真もたくさん撮ったし、そろそろクリシュナのバターボールを後にして先に進みます。 ・・・次に向かうのは、バターボールの立つ巨大な岩の丘の上の北側の部分。 バターボールが二つあわさったようなこの奇岩の間の道を通っていくと・・・。

ひとつの岩をくりぬいてつくったマンダパ(礼拝堂)が目の前に。 “ティルムティー・マンダパ”です。 “地球の歩き方”には名前しか掲載されていませんが、インドでは有名なマンダパらしく、一緒に記念撮影をするインド人の観光客も多数・・・。

向かって右側の窟から見て回ります。 このマンダパはこの近くにあるほかのマンダパと同じように、パッラヴァ朝時代の7世紀頃のものと思われますが、日陰の部分が多いからか、その精巧なレリーフの保存状態は非常に良好。 ヒンドゥー教の神々の一柱と推測される、外壁の向かって右側のレリーフの美男子は、日本の神話時代の角髪(みずら)のような髪型をしています。 こういうのを見ると、昔流行った大野晋氏の“日本人ドラヴィダ起源説”を思い出してしまいますね(笑)。

続いて左側の窟。 こちらの外壁のレリーフには、ひげを生やした長老といった感じの男性が彫られています。 こちらも劣化の少ない、美的センスの感じられるレリーフですね。

最後に中央の窟。 中に入ると、中央にシヴァ神(南インドではスンダレーシュヴァラ神)を象徴するリンガが据えられていることから、後ろのレリーフはシヴァ神を描いたものなのでしょう。 それにしてもリンガは即物的というかなんというか・・・(笑)。

ティルムティー・マンダパを見終わり、次は岩の丘の南の部分へ。 再び巨大な岩の間の道を通って、元来た道を戻ります。

丘の上の道はこんな感じ。 なんだか恐竜の背中の上を歩いているような気分でもあります(笑)。 周りにはバターボールの小さいものがたくさん散らばっていますが、この辺りでは珍しいものではないのか、特に収集する人もいないようです。

13時30分、丘の上の道を少し歩くと、目の前に新たなマンダパが姿を現しました。 4本の繊細な獅子の柱を正面に配した“ヴァラーハ・マンダパ”で、先ほどの“ティルムティー・マンダパ”がシヴァ神を祀っているのに対し、こちらはヴィシュヌ神を祀ったもの。 こちらも日陰になっているからか保存状態が良好で、数あるマンダパの中でもレリーフの精巧度が高く、美術的価値が高いマンダパとされています。

右側の壁には、このマンダパの主神であるヴィシュヌ神を中心とするレリーフ。 世界を三歩で踏破したという神話をもとに描かれたレリーフの姿からは、ほかの何者をも寄せ付けない圧倒的な力を感じます。

左側の壁には、このマンダパの名前にもなっている“ヴァラーハ”(野猪)の物語のレリーフ。 “ヴァラーハ”とは、クリシュナと同様、ヴィシュヌ神の化身(アヴァターラ)のひとり。 描かれているのは、魔神ヒラニヤークシャに捕らえられて水中に沈んでいた大地(大地の女神プリティヴィーに擬人化)を、ヴァラーハ(野猪)に化身したヴィシュヌ神が1000年にも及ぶ戦いの末、見事勝利を収めて救い出す場面。 ストーリー性が感じられるだけでなく、レリーフに閉じ込められた神々や人物たちが今にも石の壁を蹴破って出てきそうなほど躍動感にあふれていて、とても1300年以上前のものとは思えない、ロマンと技術に満ちた素晴らしい芸術作品ですね。

天井には色褪せた円や菱形の幾何学模様が。 色は着いていませんが、マドゥライで見たミナクシ寺院の通路の天井の図柄にそっくりです。 このあたりもマハバリプラムの寺院群が後世のヒンドゥー寺院の原型と呼ばれる由縁なのでしょうね。 【南インド・タミル紀行(3) マドゥライのミナクシ寺院の通路の天井】 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31375676

獅子の柱の間を通って中に入ると、そこにはため息が出るほど精巧なレリーフが。 このレリーフ、女性の体つきもリアルで素晴らしいですが、バックの象もまた、生き生きとした写実的な図法で思わず見入ってしまいます。 ちなみに、中央の女性は世界の維持神ヴィシュヌ神の妻で、美と豊穣と幸運を司る女神ラクシュミー。 象に左右から水をかけさせてもらっているこの構図は“ガジャーラクシュミー”と呼ばれ、インドでは吉祥を表すお決まりの図柄なのだそうです。 【天竺奇譚~美と富の女神 ラクシュミー】 http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/lakshmi.html

13時50分、さらに南へ向かって歩いて、丘の上のこんな高いところまで来てしまいました。 これまで通ってきた道を振り返ると・・・見晴らしがきくかと思ったら、木がたくさん生い茂っていて、それほどの景色は拝めませんでした(笑)。

ヴァラーハ・マンダパを後にし、先へ進みます。 丘の南側の部分はほかよりも高くなっていて、ごつごつした坂道を登りながらさらに南に向かって歩いていくと、高台にこんな砦だか神殿のような建物が。 この建物、中はがらんどうで、これまで見てきたマンダパに比べれば大したレリーフもなく、特に見るべきところはありませんでした。

それでも、西側を向くと遥か遠くに大きな川が見え、野鳥の群れも飛んでいて、なんだかインドらしいのんびりとした熱帯の風景。

さて、さらに南を向くと、灯台の向こうの丘に何やら建物らしきものが見えます。 この丘の上の散策でかなりの時間を費やしてしまっているところですが、気になるので行ってみることにします!

アップダウンの道を進み、14時、気になっていた丘の上の建物の目の前にやってきました。 辺りには巡礼者と思われる赤い色の服を着た一団の女性たちの姿が。 7世紀頃の建築と思われるこんな古い建物でも、単に観光客にとっての歴史的遺産としての価値だけではなく、巡礼者にとっての信仰の地としての価値もあるのですね。

丘の上の建物をズームアップ。 外壁の四方には躍動感あふれる神々のレリーフが彫られ、やはりこの建物はたくさんの巡礼者たちも参拝していることから寺院である様子。 わたしも彼女らに続いて階段を昇り、内部はどうなっているのだろうと興味津津でしたが、寺院の中への入口は閉ざされていて、内部の様子は分からずじまいでした・・・。

丘の上から東の方向を見やると、何もない土色の風景の向こうにベンガル湾の青い海。 マハバリプラムはタミル・ナードゥ州の州都チェンナイの近郊だというのにそれほど開発が進んでいないのか、こんな南インドの原風景も楽しむことができます。

ちょっとがっかりして休憩していると、向こうの丘の上に猿の姿が。 マハバリプラム、野生の猿も見られる本当にのんびりしたところでいいですね(笑)。

帰り道、丘の上の建物から下に降りたところにまたまた新たなマンダパが。 “マヒシャマルディニー・マンダパ”です。 ひとつの大きな岩が見事にくり抜かれているのがよく分かりますね。

奥に向かって右側の壁には、このマンダパの名前の由来となった“マヒシャマルディニー”のレリーフが。 マヒシャマルディニーとは、シヴァ神の妻パールヴァティーの化身で8本または10本の腕をもった戦いの女神“ドゥルガー”が、獅子の背に乗って、水牛の姿をした悪魔“マヒシャ”にとどめを刺す場面を描いた図のこと。 多くの人物が登場し、躍動感にあふれる生き生きとしたレリーフで、こんな貴重な芸術作品が、大した保存措置もとられず誰でも触れられるような体勢でとどめ置かれていることに驚き。 それこそが、単なる文化財ではなく、“生きた宗教”なのかもしれませんが・・・。 【天竺奇譚~戦いの女神 ドゥルガー】 http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/durga.html ちなみにこのドゥルガー女神、美人の上に超強いということで、インドでは絶大な人気を誇る神様のひとり。 毎年10月ごろには、インド各地、特にコルカタなどのベンガル地方で、彼女の勝利を祝うお祭り、“ドゥルガー・プージャー”が開催されています。

向かって左側の壁には、退治したナーガ(蛇)の上で、余裕の姿で安眠をむさぼるクリシュナ神の姿が。 クリシュナの少年時代のエピソードがもとになっているレリーフです。

このマヒシャマルディニー・マンダパは他のマンダパと同じくパッラヴァ朝時代の7世紀に造られたもの。 獅子を刻んだ石柱や神々の姿を描いた壁のレリーフは非常に繊細で驚くほどですが、天井だけはなぜか荒削りで、ノミの跡が生々しく残っています。

さて、再び海岸寺院への道を進みます。 海岸へと向かう土産物屋街の前を通っていると、マハバリプラムで初めての野良牛登場。 インドの経済発展に伴い、最近は野良牛も少なくなったのでしょうかね(笑)。

その後は元来た道を戻り、14時30分、クリシュナのバターボールの丘まで戻ってきました。 相変わらず奇妙な風景ですね(笑)。

そんな奇岩の姿を最後にパチリと収めてマハバリプラムでの最後の観光ポイント、海岸寺院への道を歩みます。

海岸寺院への道すがら、道路脇にまたまた新たなマンダパを発見。 獅子の列柱が並び、かたちもきれいなマンダパ、“クリシュナ・マンダパ”です。

中に入ると、獅子の柱が前後左右に均等に並んでいて、完成度の高さに驚きます。 奥のレリーフも何やら素晴らしそうな予感・・・。

正面奥にあったのが、こちらの“牛の乳を搾る農夫”のレリーフ。 これまでに見てきた神々のレリーフと違って、当時の庶民の日常の風景が感じられ、平和な気持ちにさせてくれます。 その上では、笛の名手であるクリシュナが横笛を吹き、その音色に牛たちがうっとりしている様子が描かれていて、まさに平和を象徴するレリーフということなのでしょう。

その脇では、今度は大きなクリシュナの立像が。 やはり人気のある神様らしく、インド人の旅行者もクリシュナ様の手を握って記念撮影(笑)。

・・・とその前に、ロードサイドのこぎれいなお店で遅めの昼食。 やはりこの時間帯はほかに客がなく、出されたメニューも“スナックのみ”ということでしたが、それでも、お腹を満たしてくれそうな“マサラ・ドーサ”と“サモサ・チャンナ”を注文。 マサラ・ドーサはジャガイモのスパイス炒めを米でつくったクレープ状の生地で包んだ南インドの軽食。 サモサ・チャンナは豆のカレーとジャガイモの具を小麦粉でつくった皮でギョウザのように包んだインド全域で食べられている軽食。 いずれもピリっとしたスパイスが効いていて、美味しくいただくことができました。

16時30分、遅めの昼食を終え、チェンナイへの最後のドライブ。 ・・・マハバリプラム付近の車窓から見える風景は、こんなふうに野良牛が草を食むのどかな印象。

この辺りはインド人の観光客も多く、賑わっている感じ。 またディープな雰囲気が漂ってきました(笑)。

チケットセンターの向こう(チケットは最初に見たファイブ・ラタと共通)、ゲートを越えて中に入ると、広々とした西洋風の公園のようなところに。 芝生の上では、座っておしゃべりを楽しんでいる家族の姿も。 こののんびりとした風景の中を進んでいくと・・・。

ピラミッド状の2つの建物を中心とする朽ちた寺院が見えてきました。 世界遺産にも登録されている7世紀初頭に建造された寺院、“海岸寺院”(SHORE TEMPLE)です。 パッラヴァ朝の王、ナラスィンハヴァルマン2世(NARASIMHAVARMAN Ⅱ、在位700-728年)が建造させたヒンドゥー寺院で、大きな方の建物はシヴァ神、小さな方の建物はヴィシュヌ神に捧げられたものとなっています。

シヴァ神に捧げられた大きな方の寺院をパチリ。 二等辺三角形のきれいなシルエットで、同じく8世紀初頭に建てられたカーンチプラムのカイラーサナータ寺院と同様、シヴァ神の住まいであるヒマラヤのカイラス山(カイラーサ山)を表しているのでしょう。 【南インド・タミル紀行(1) カーンチプラムのカイラーサナータ寺院】 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31135126 それにしても、“海岸寺院”という名前のとおり、海に近い立地のため(古代は海岸線がもっと近かった)、建造以来1300年もの間、海からの強い風や波にさらされており、建物はかなり浸食が進んでいます・・・。

建物の周りを守護獣のように取り囲んでいるシヴァ神の乗り物ナンディーも、かなりの浸食・・・。

大きい方のシヴァ神に捧げられた建物に入ってみますが、内壁のシヴァ神のレリーフもこのとおり、浸食が進んでお顔が判然としない状態・・・。

それでも、内部にあるリンガは、いまだ信仰の対象になっているかのように黒々とした塔身からは怪しい光が放たれ、雄々しい姿で屹立していました(笑)。

手前にある小さな方の建物の入口上方にはナンディーが。 浸食が進んでいるとはいえ、建物を彩る細かな彫刻が素晴らしいですね。

今回の旅の最後の観光スポット、海岸寺院を立ち去り際に正面からパチリ。 かつては海岸沿いに7つあったという寺院も今ではひとつになり、残った寺院も前殿も基礎だけになってしまって寂しい限りの姿・・・それでも、遥か古代の1300年前に造られた建物が、当時の信仰が伝わってくる様子で残されているのは、インドの石造りの文化ならではでしょう。

気がつくともう15時30分。 いつの間にか夕方に近い時間になっていました。 ベンガル湾に臨む砂浜を横目に眺めながら海岸寺院を後にし、待っていた車に戻って帰国の途につくべくチェンナイへ。

車を走らせること1時間、チェンナイに近づき、人が増えて辺りは賑やかになってきました。

女性を中心にカラフルな衣装を着た沿道の人々。 日本ではなかなか見られない色彩感覚ですね。 こういう風景もインドの魅力のひとつです。

18時過ぎ、すっかり暗くなったチェンナイ中心部に到着。 ここでガイド氏に商店街を教えてもらって、おみやげ探し。 それほど物欲もないので、大したものは買いませんでしたが(笑)。 そして20時、チェンナイ国際空港へ。 まずは一日お世話になったドライバーにチップを渡し、感謝を告げてお別れ。 そして5日間一緒だったガイド氏とは、空港の入口まで一緒に行き、将来の夢などいろいろと話をしてからお別れ。 今も学校で習っている途中のようなたどたどしい日本語で、本当に大丈夫か?と思うようなところもありましたが、列車での移動中、インドで流行っている動画を見せてくれたりなどいろいろと気を遣ってくれ、カーニャクマリでは海から昇る初日の出に一緒に感動したりと、人柄が伝わってくるガイド氏でした。 最後はがっしりと握手し、彼の将来の飛躍を祈って空港の中へ。

とカッコよく別れたものの(笑)、チェンナイからの帰りの便の出発時間は真夜中の3時15分。 なんだか疲れて歩きまわる気力もなかったため、空港の中で椅子に座って、本を読んだりぼけーっとしながら時間を過ごします。 ・・・ そして日付が変わって1月3日(水)、出国審査を終え、搭乗口近くの売店で最後の甘~いチャイを飲んでからキャセイパシフィック航空CX632便に乗り込み、3時15分、同機は定刻通り香港へ向かって離陸。

11時、CX632便は香港国際空港に到着。 成田への乗継時間は4時間20分で、がんばれば市内に行けないこともない時間でしたが、今回はそこまでの気力がなかったので、入国手続きはしたものの(実は香港初入国!)、隣のターミナル2のビルで飲茶をするにとどめておきました。 小籠包やマンゴープリンなどいろいろと食べてはみたものの、特にこれといった感動はなく・・・やっぱり自分には香港よりも台湾の味の方が合ってるかなあ。

ちょっと退屈なトランジット時間が終わり、15時20分、成田空港行きCX500便は香港国際空港を離陸。 そして20時20分、成田に到着し、今回の旅が終わりました。 ・・・旅行記としてアップするのが1年も遅れてしまいましたが、今回は、人柄は除くとして、ガイドがイマイチだったこともあり、旅行直後はそれほど満足感が得られなかった旅でもありました。 しかし、こうして時を置いて、いろいろと調べながら当時の旅をなぞっていくと、インドの文化について新たな発見があったり、インド料理の美味しさを再認識したりと、また違った気持ちで旅を楽しむことができました。 旅行直後は、“悪徳旅行会社のいるインドなんてもう行くものか!”と思ったりもしたものですが、あのスパイスの効いた料理や甘~いチャイの味を思い出し、また行ってみたい気持ちが増してきました(笑)。 さて、次にインドに行くとしたら、荒涼とした景色が魅力のあの地方ですかね・・・。 (南インド・タミル紀行-終わり-)

(おまけ) 最後に南インドで買ったお土産の一部をご紹介。 右のチャイはチェンナイのスーパーで買ったド定番のチャイ。 スパイスの効いたチャイは寒いときに飲むと芯から体が温まるようでお薦めです。 真ん中の“DAIRY MILK”のチョコレートは前回のインド旅行でも買ったお気に入りで、インドらしい濃厚な味が魅力。 左のパッケージに包まれたケーキのようなお菓子は、寺院都市マドゥライで買ったもので、写真では美味しそうに見えますが、中身はパサパサした粉の塊で、写真とは全く別の食べ物・・・。 帰国してからもインドクオリティにやられました(笑)。

1月2日(水) 前日18時にナガルコイルの駅を出発した列車は、およそ700km離れたタミル・ナードゥ州の州都チェンナイを目指して、北へ、北へと走り続けます。 7時30分、目が覚めて窓の外を眺めると、こんな田園風景が。

どこまでも続く広大な田園。 チェンナイはまだまだ先でしょうか。

列車の前方に目を向けると、建設中の道路らしきものも見えてきました。 広大な南インド、まだまだ開発し甲斐がありそうですね。

モーニングセットを注文すると、出てきたのはやたら水っぽいカレー(笑)。 こんな見た目でもインドカレー好きには十分美味しかったです(笑)。

そんなこんなで9時30分、インド亜大陸の最南端から15時間半かかって、ようやくチェンナイ・エグモア駅に到着。 ガイド氏ともどもおつかれさまでした! これまでの人生で最長の列車の旅でした(笑)。 とにかくお腹が空いたので(車内で売っている食べ物は美味しくないし、チャイもティーバッグ式でイマイチ)、この時間帯でも開いている駅の食堂へ。

8時、外の景色を眺めていたら、太陽に雲が覆いかぶさって何やら幻想的な風景に。

田んぼの形がどこか日本の農村のような風景です。 水を張った田んぼにおぼろになった太陽が映って趣を感じるのも日本的。

こんなふわっとした景色がしばらく続き・・・。

9時を回っていよいよ街が見えてきました。 よく見ると、線路を歩いている人が多数・・・。 みんな“スタンド・バイ・ミー”の真似事か(笑)。

線路を歩いて行く人の先を見たら、そこはすぐ駅。 みなさん線路の上が通勤経路なのね(笑)。

その駅のホームには、おなじみワイシャツ姿のインドの男性陣が。 Tシャツだとインドでは失礼にあたってしまうのでしょうか??

朝食をとり終え、10時、ガイド氏が車を手配している間に、白と赤を基調とした外観が美しいチェンナイ・エグモア駅をパチリ。 玉葱型のドームやアーチ構造のほか、中央のドームの四隅には四阿(あずまや)風のチャトリも見え、インド・イスラム様式の色が強く出ている建築物となっています。 ・・・ここタミル・ナードゥ州はインドの中でもヒンドゥー色の強い州ですが、マドゥライのティルマライ・ナーヤカ宮殿でも見たように、街の要所要所の建築物にインド・イスラム様式が取り入れられているのですね。 それだけインド・イスラム様式に宗教を超えた美しさがあるということなのでしょう。 【南インド・タミル紀行(4) マドゥライのティルマライ・ナーヤカ宮殿】 http://4travel.jp/travelogue/10834282

駅構内の通路にもインド・イスラム様式風のアーチ構造が。 思わず反応して写真を撮ってしまいます(笑)。

10時10分、ガイド氏が見つけた車に乗り込み、次の目的地、チェンナイから海に沿って南に60km行ったところにある世界遺産の街マハバリプラムに向けて出発。 車窓から見えるチェンナイの街なかは、最近のインドの経済成長を反映していい車も多いですが、庶民の足としての黄色のオートリクシャーもいまだ健在です。

こんな年季の入った味のあるバスも走っています。

新しいもの、古いものが入り混じったチェンナイの街なかを抜けて・・・。

左手にビーチの見える真っ直ぐな道を突っ走って、一路マハバリプラムまで。

道路を飛ばしに飛ばして11時40分、マハバリプラムの世界遺産、“5つの石彫り寺院”(ファイブ・ラタ、Five Rhatas)の入口に到着。 ここは世界遺産都市だけあって、これまでのカーンチプラムやマドゥライ、カーニャクマリではほとんど見かけなかった欧米系の旅行者があちらこちらに。 外国人向けのヒンドゥーの神々の像などの民芸品を売る店も多いです。 やはり“世界遺産”のネームバリューというのは大きいのですね。 外国人観光客が多い分、こちらもインド特有のディープさから解放されて、少し息がしやすくなった思いです(笑)。

チケットを買って、早速ファイブ・ラタへ。 柵で囲まれた赤い砂地の上に建つ世界遺産に、ゲートを通って近づいて行きます。

5つの寺院群のうち、いちばん北(入口側)にある寺院は、“ドラウパディー・ラタ”といい、三角屋根の素朴な印象。 茅葺き・寄棟屋根の民家をもとにしたものと言われ、部屋は正方形で、一層の単純なかたちをしています。 外壁には、南インドの強烈な日射しや風雨にも耐え、1300年後の現代にも引き継がれた艶っぽい女神の像が彫られていますが、さらに内部をのぞいてみると・・・。

内部だけに、より原型を留めたかたちで残った、女神を中心とする神々の像が。 中央の女神は、南インドの土着神で、北方からやってきたシヴァ神の妻パールヴァティーと同一視されるに至ったミナクシ女神なのでしょうか。 それとも、この寺院の名前のとおり、インドの古代叙事詩“マハーバーラタ”に登場する絶世の美女で、主役級のパーンダヴァ5兄弟の共通の妻となったドラウパディーのことなのか。

続いてアルジュナ・ラタの南隣に建つ3番目の寺院は、“ビーマ・ラタ”。 横に長い長方形のかたちをした寺院で、切妻式の屋根は、最初に見たドラウパディー・ラタと同じく民家に由来するものであると言われています。 このビーマ・ラタは、カーンチプラムやマドゥライなどで見たゴープラム(塔門)の原初形と言われ、現在2層しかないこの構造を多層化することで、あの天高くそびえるゴープラムの形状に発展していったと考えられています。 【南インド・タミル紀行(3) マドゥライのミナクシ寺院のゴープラム】 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31383368 なお、この寺院の名前となっている“ビーマ”とは、マハーバーラタに登場するアルジュナの兄で、超人的な怪力の持ち主でもある英雄のこと。 この寺院の横に長い重厚感からこの名前がつけられたものと思われます。

続いては、南北に並んでいるこれらの寺院群の裏(東)側にある小高い丘に登って、反対側からパチリ。 この時間帯はこちらの方が順光になっており、写真を撮りやすいです。

北(入口側)から2番目の位置にある寺院、“アルジュナ・ラタ”を裏側からパチリ。 最初に見た、素朴な印象だった一層構造のドラウパディー・ラタと違い、こちらは階段状の屋根を持つ三層構造で、装飾的なかたちをしています。 これは初期ドラヴィダ建築の典型的なかたちとされ、その後の8世紀初頭に建造されたカーンチプラムのカイラーサナータ寺院の小祠堂にも取り入れられています。 【南インド・タミル紀行(1) カーンチプラムのカイラーサナータ寺院の小祠堂】 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31135590 あわせてこのアルジュナ・ラタは、ミトゥナ像(抱擁する男女の像)などの壁面のレリーフも見事です。 ちなみに、この寺院の名前ともなっている“アルジュナ”とは、インドの古代叙事詩“マハーバーラタ”に登場するパーンダヴァ家の英雄で、他の4兄弟とともに、先に見た寺院の名前の由来ともなった絶世の美女“ドラウパディー”の共通の夫ともなっています。

そしてビーマ・ラタの隣り、いちばん南側に建つ4番目の寺院は、“ダルマラージャ・ラタ”。 ピラミッドのような階段状の屋根を持つ四層構造となっており、ここにある5つの寺院の中でいちばんの高さを誇っています。 このピラミッド状の屋根、2番目に見たアルジュナ・ラタと同様に、ドラヴィダ様式の祠堂建築の典型として、その後の南インド一帯に広まっていくことになります。 そういう意味でも、この5つの石彫り寺院は世界遺産に登録されている意義があるというものです。 ちなみにこのダルマラージャ・ラタ、直訳すれば“法の王”という意味ですが、これは、マハーバーラタに登場するパーンダヴァ5兄弟の長兄“ユディシュティラ”の別名なのだそうです。

第4の寺院、ダルマラージャ・ラタに近づいてパチリ。 こちらも1300年後の現代まで残っている神々のレリーフが見事です。

その横にある獅子の列柱も、その後の南インドの寺院建築には欠かせない要素となっています。 【南インド・タミル紀行(2) カーンチプラムのヴァイクンタ・ペルマール寺院(8世紀)の獅子の列柱】 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31239336 ちなみに、こんなに外側のレリーフは素晴らしいのに、なぜか内部のレリーフは未完成。 建設途中で政変でも起こって工事が中止されてしまったのでしょうかね。

3番目の寺院のビーマ・ラタも南側の外面は工事が粗く、未完成の様相。 まさかこちら側だけ後世の浸食が激しかったというのも、意匠を凝らした屋根を見れば、それは違うということが分かると思います。 やはり建設途中で建設を命じた王の身に何かあったのでしょう。 古代のミステリーですね(笑)。

5番目の寺院に行く前に、3番目のビーマ・ラタの西側の列柱群をパチリ。 こちらも4番目のダルマラージャ・ラタと同様、柱に獅子の姿が刻まれていますね。 ちなみに内部のレリーフはやはり未完成です。

いちばん南側のダルマラージャ・ラタから北側を見ると・・・もうひとつ、並んでいる4つの寺院から体ひとつ西に突き出たところに、最後の5番目の寺院がありました。

アルジュナ・ラタの裏側にはシヴァ神の乗り物、聖なる牛のナンディーが。 このナンディー、時代が下っても立ちあがったりせず、ずっと同じ座った姿のままですね(笑)。 【南インド紀行(1) カーンチプラムのカイラーサナータ寺院(8世紀)のナンディー】 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31135258 【南インド紀行(3) マドゥライのミナクシ寺院(17世紀)のナンディー】 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31388873

そしてようやく最後の5番目の寺院までたどり着きました。 “ナクラ・サハデーヴァ・ラタ”です。 この寺院の名前も、マハーバーラタに登場するパーンダヴァ家の5兄弟の名前から採られていて、双子であり絶世の美男子とされる“ナクラ”と“サハデーヴァ”の名前を組み合わせたものとなっています。 ・・・12時をまわり、国内外からの観光客も増えてきました。 このナクラ・サハデーヴァ・ラタ、三層構造をしていて装飾的な屋根を持つことでは2番目に見たアルジュナ・ラタと同じですが、決定的に異なるところがひとつ・・・。

砂地を踏みしめながら進み、見えてきたのは、“ファイブ・ラタ”という名のとおり、5つの寺院建築を中心とし、それを守護するように獅子や牛、象の彫刻が立ち並ぶ石彫りの遺跡群。 実はこれらの遺跡群、ひとつの巨大な花崗岩をくり抜いて作られたもの。 7世紀半ばのパッラヴァ朝(3世紀後半~893年)の時代、このマハバリプラム(マーマッラプラム)の街の名の由来である“マーマッラ”(Mamalla、偉大なる戦士)と呼ばれた王、ナラスィンハヴァルマン1世(Narasimhavarman Ⅰ、在位:630-668年)が建造させた寺院群で、“ドラヴィダ様式”といわれる南インドのヒンドゥー寺院建築の原型となる貴重なものとして、世界遺産にも登録されているものです。

そしてナクラ・サハデーヴァ・ラタの隣にはこれまた写実的な象。 立つ場所からして、これら5つの寺院の守護獣のようです。

最後に、5つの寺院すべてが見えるスポット(と言ってもやや木が邪魔・・・)で全景をパチリ。 ここで欧米系の団体旅行客に出会い、5つの寺院をバックに自分の写真を撮ってもらいましたが、どこから来たのか尋ねるとギリシャからとのこと。 お互い借金の多い国だけどがんばろう! さて、時計を見ると12時20分。 こんな小さな観光スポットですが、古い遺跡はなんだかんだで見どころが多く、40分も時間を費やしてしまいました。 まだまだマハバリプラムには見るべき場所が多いので、お昼は後回しにして、次の観光スポットへと足を運びます! (引き続きマハバリプラム観光=最終回へ続く。)

それは、寺院の後方の部分が円形をしているところ。 しかも、5つの寺院で唯一、入口が南側を向いています(ほかの4つの寺院はすべて西向き)。 このひとつだけ違う方角を向いている寺院も南インド古代史のミステリーですかね(笑)。 ちなみに、この寺院の後方が円形をなしているのは、仏教の礼拝堂のかたちを受け継いでいるからとも言われます。 実際、イメージが湧きませんが・・・。

ドラウパディー・ラタとアルジュナ・ラタのすき間からはナンディーが顔をのぞかせています。 まるで生きている牛のように写実的ですね。

2013年1月1日(火) 7時10分、インド亜大陸最南端、アラビア海とインド洋、そしてベンガル湾の3つの海が合わさる岬で2013年の初日の出を観賞した後は、朝食をとりにいったんホテルへ。 ・・・それにしても、これまで観賞した中でもいちばん印象に残った、最高の初日の出でした。

海岸沿いの道からは、こんなふうに海に飛び込んで沐浴をしている男たちの光景も。

宗教上の儀式とは思えないほど、みんな楽しそうな表情です。 厳粛なヒンドゥー教の儀式というイメージがあるガンジス川の沐浴とはまた違った印象ですね。 きっと、北とは違う南インドの人々の穏やかさが、カーニャクマリでの沐浴をこのような楽しそうなものにしているのでしょう。

しかし、熱帯とはいえ、気温のそう高くない明け方の海に入るなんて、やはりそれなりの信仰心がなければできるものではありませんね。 ・・・などといったら、阪神タイガースのファンが優勝時に秋の夜の道頓堀に飛び込むのも一緒??

さて、海岸近くの広場では、朝早くから衣服や雑貨など土産物を売る市が立ち並び、初日の出を見に来た人々で通路は大混雑。 さすがはヒンドゥー教の聖地、日本の神社における初詣の賑わいと一緒ですね。

まだ7時を少し回ったばかりだというのにこの混みよう・・・元旦でなくともこんな感じなのでしょうか。

こんなふうに海岸へと伸びる通路は、初詣でごった返す日本の神社の参道のごとく大混雑ですね。

7時30分、その混雑した海岸近くの通路を抜け、ホテル(シンガ)まで通じる大通りへ。 ここまで来ると、歩いている人もぐっと少なくなり、平穏な朝の風景に。

7時45分、ホテルへ戻り、レストランでカレーの朝食。 南インドらしく、ここでも炭水化物は米粉製のイドリー(写真左下の白い蒸しパンのようなもの)が中心ですが、小麦粉でつくったパーラータ(ナンとチャパティの中間の厚さのもの)もあります。 スパイスの効いたカレーも美味しかったですが、ここでいちばん印象に残っているのは、温かくて飲みやすい、ほっとする味の甘~いチャイ(写真右上)。 “ホテルのチャイは美味しい”とはよく言ったもので、まさに疲れた体が癒されていくような味で、一人レストランに残って何杯もおかわりしてしまいました(笑)。

朝食後の8時20分、ホテルの屋上に昇って、カーニャクマリの朝の景色を観賞。 夜に見たのとは違い、陽光に照らされた明るい色の街並みがクリアに。 インド洋に浮かぶヴィーヴェカナンダ岩やティルヴァッルヴァル像もはっきり見渡せます。

ゴシック教会の向こう、ヴィーヴェカナンダ岩とティルヴァッルヴァル像をズームアップ。 つい1時間前、たくさんのインド人の方々と一緒に岬から眺めたときは、後光が差してもっと神々しい印象だったのですが、こうして遠くから眺めてみると、神聖な雰囲気は残しているものの、どこか落ち着いた静かな印象ですね。

ちなみに左手の方向を見るとこんな眺めが。 カーニャクマリは、ヒンドゥー教の聖地である3つの海が合わさる南端部分の開発はなされているものの、それ以外はまだ草深い熱帯雨林が残っているといった様相です。

8時30分、ホテルをチェックアウトし、ガイド氏とともに再びカーニャクマリ南端の岬へ。 今回は車に乗ってすぐ到着。 岬周辺の土産物屋街は相変わらずすごい人出です。

時間とともに気温も上がってきて、上半身裸となっている男性も多いです。 インドとは言え、ヒンドゥー教の聖地だからこそこんな恰好も許されるのでしょうかね。

初日の出を観賞した、ヴィーヴェカナンダ岩とティルヴァッルヴァル像の見えるポイントへ。 空高く昇った太陽の光が反射して、海がまぶしいです。

沐浴の儀式が一段落したせいか、早朝に比べて人が少なくなってきた感じですね。

岬近くの広場の市は、早朝よりもさらにすごい人出。 品定めをしている男性陣が身につけているルンギー(Lungi、南インドの腰巻風の民族衣装)がカラフルで、思わず目を奪われますね(笑)。 さて、向こうに見えるピンク色のヒンドゥー寺院風の高い建物はガンディー記念堂。 市を見ていても大して欲しいものもないし、ちょっと行ってみることにします!

トタン作りの軽易な土産物屋街は老若男女で大混雑。 ここを抜けると・・・。

9時、ガンディー記念堂(Gandhi Museum)に到着です。 この記念堂は、1947年のインドとパキスタンの分離独立後、ムスリムに譲歩しすぎるとして狂信的なヒンドゥー教徒に暗殺されたマハトマ・ガンディー(1869~1948年)を記念する施設。 彼の遺灰はガンジス川やヤムナー川などインド各地、そして若いころ弁護士として活動した南アフリカに撒かれることとなりましたが、ここカーニャクマリからも海に撒かれたため、この場所に建てられることとなりました。 この記念堂はヒンドゥー寺院と同じく土足厳禁。 建物の中へ入るには、受付で靴を預ける必要があります(係員から預かり料として数ルピーを要求されます。)。 そして建物の入口には、彼の人生の軌跡を示す年表が掲げられていました。

建物の中は、中央が吹き抜けのホールのようになっていて、その周りの通路の壁にガンディーの在りし日の写真が掲げられていました。 中央の広いホールの奥にポツンと見える台座のようなものは、1948年2月12日にガンディーの遺灰が置かれた場所を表しているのだそうです。

周りの通路の壁には、こんな若き日のガンディーの写真も。 イギリス領南アフリカ連邦で弁護士をしていた頃のものでしょうか。 なかなかハンサムなお顔ですね(笑)。

こちらはターバンを巻き、白い民族衣装のクルター(Kurta)を身にまとったガンディーさん。 太い眉と口ひげがかなりセクシーです(笑)。 ・・・ガンディーはインド国内のヒンドゥー教徒、ムスリムを問わず人気があるらしく、ムスリムのガイド氏も嬉々としてガンディーの若い頃の写真を撮りまくっていました。

こちらはおなじみの、頭を剃った晩年の頃のガンディーさん。 ・・・考えてみたら、“インド独立の父、マハトマ・ガンディー”という名前自体は学校で習ったのに、彼の人生については意外と知らないことが多く、改めてガンディーの伝記でも読んでみようかなという気持ちになりました。

9時30分、ガンディー記念堂の見学を終え、今度は沖に浮かぶヴィーヴェカナンダ岩に渡るべく、船に乗ることに。 早速岬の船着き場を目指しますが・・・通りには船着き場から延々と続いているものと思われるものすごい行列! 初日の出を見に来た人々を中心に、数百人は並んでいそうです・・・。 時間もあるし、仕方ないので、最後尾に並んで列が進むのをのんびり待つことにしました。

ガンディー記念堂は上の階にも登れるようになっていて、屋上からはこんな眺めが。 岬周辺の市が立っているあたりはトタン屋根のおんぼろ家屋が多く、たいした眺めでもありません・・・。 しかしカーニャクマリ南端のこのあたりは海風が強く、また日射しも強いため、屋上に上がって景色を眺めるのも一苦労です。

10時30分、1時間ほど並んだものの、まだ半分くらいしか列が進みません・・・。 しかも、陽がさらに昇って日射しが強くなり、汗がだらだらと流れて体力が消耗していきます。 ・・・ここで、ガイド氏が優先乗船者用の入口を調べて見つけてきてくれたようで、列を離れてそちらに進むことに。 どのくらいチケット料金の差があるのかは分かりませんが、すいすいとゲートを通り抜け、11時、一気に船着き場まで進むことができました。 この場合、ガイド氏に感謝すべきなのか、逆に怒るべきなのか・・・。

たくさんのインド人とともに船着き場で待っているうちに、年季の入った1艘の船が入港してきました。 この船に乗ってヴィーヴェカナンダ岩に渡ることになります。 しかし、こうしてみるとカーニャクマリの海の色は緑がかった独特の色合い・・・。 この色がインド洋の楽園モルディヴに通じていると考えると、ああそうなのかなと思ってしまいます。

船が接舷すると一気に列が進み、船員からオレンジ色のライフジャケットを手渡され、これを付けて船の中へ。

11時10分、満員になったところで船は出発 船はかなり揺れるので、みんなお行儀よく腰かけて、ヴィーヴェカナンダ岩への到着を待ちます。

チケット売り場は鮮やかなサリーを身にまとった女性など、インド人の観光客でいっぱい。 さすがはヒンドゥー教の聖地。 外国人はわたしぐらいでしょうかね・・・。

11時15分、乗船してからわずか5分で到着。 9時30分から1時間半くらい待ったというのに、乗船時間はあっという間(笑)。 乗客はみなライフジャケットを脱ぎ捨てて、船着き場近くにあるチケット売り場へ。

飾り物の象と一緒に記念撮影する旅行者も。 明るい陽光とのんびりした空気のためか、“聖地”といえども、インド人の旅行者もバカンス気分です(笑)。 (もしかしたら彼女らは外国人旅行者かもしれませんが。)

さて、そんなバカンス気分になるような陽気でも、やはりここはヒンドゥー教の聖地。 チケット売り場の先にある丘状の靴置き場(といっても棚はなく、脱いだらそのまま放置しておくだけ)で、靴を脱いで裸足になって先へ進みます。 ・・・靴置き場から見える屋根のある海沿いの通路は、帰りの船便を待つ旅行者たちで大混雑です。

少し歩いて目の前に姿を現したのはヴィーヴェカナンダ記念堂。 べっとりと塗り固められた岩の上に建つコロニアル建築風の建物ですが、これはそもそも、カーニャクマリの沖に浮かぶこの岩の上で3日間の瞑想修業をしたというヒンドゥー教の改革者、ヴィーヴェカナンダ(1863-1902年)を記念するもの。

ヴィーヴェカナンダ記念堂の上階から見たカーニャクマリ方面の眺め。 左に見える観音様のような像は、5~6世紀に活躍した伝説的なタミルの詩人、ティルヴァッルヴァルの像。 カーニャクマリの街を優しくご覧になっています。

そして正面にあるのは平屋建てのヒンドゥー寺院。 内部にはシヴァ神などヒンドゥーの神々の像があったと思われるのですが、撮影禁止だったため、イマイチ思い出せず・・・。 まあ、これまでの旅でヒンドゥーの神々の像は散々見てきているので、ここではそれほど印象に残らなかったのかもしれませんね。

ヴィーヴェカナンダ記念堂とヒンドゥー寺院の見学を終え、島の周囲をぶらぶらと歩いていると、こんな日時計のようなものを発見。 季節ごとに太陽の昇る位置を示したもので、日の出のメッカならではの仕掛けですね。 ・・・といっても、カーニャクマリの岬からではなく、ここヴィーヴェカナンダ岩からも日の出を拝むことができるのでしょうか??

食事後の14時、三たびヴィーヴェカナンダ岩の見える海岸へ。 人数は少なくなりましたが、午後のこの時間帯も海に入って沐浴(?)する人がちらほら。

緑がかった海の向こうには、風力発電用と思われる幾つもの風車が。 確かにこの海から吹きつける強い風を利用しない手はないですね。

ヴィーヴェカナンダ記念堂を横から見てみると・・・聖なる岩全面に塗られた塗料のべっとり感が漂ってきて、ちょっと気持ち悪い感じ。 日本人だったら、記念の岩はできるだけ自然のままの姿で残すのでしょうが、インド人の考え方はそうでなく、人間の手で加工すべきものと思われているのかも・・・。

そんなヴィーヴェカナンダ記念堂の入口はインド人の旅行者で大混雑。 わたしも彼らの後に続き、内部に祀られているヴィーヴェカナンダ像などを見て回りましたが(内部撮影禁止のため写真なし)、異教徒のわたしには特段ありがたいものは感じられませんでした。 ちなみに、この記念堂の地階部分には瞑想室があり、ヴィーヴェカナンダがこの場所でしたのと同様、瞑想にふけることができるようです。 こちらは上階よりも混雑していて長い行列ができており、わたしは入口にも近づけませんでした。 ヴィーヴェカナンダの魅力、恐るべし。

さて、時計を見るといつの間にか12時。 ヴィーヴェカナンダ岩は小さな島で、記念堂とヒンドゥー寺院を見たらほかにはもう見るべきところもないので、そろそろカーニャクマリの岬へ戻ります。

帰りの船着き場への道は、行きと同様長い列ができており、40分ほど待って12時40分、ようやく乗船の順番が回ってきました。 帰りはトタン屋根の行き以上にオンボロの船です(笑)。

行きと同様、ライフジャケットを身に着けてオンボロ船に乗り込み、12時50分、満員になったところでヴィーヴェカナンダ岩を出発。 ティルヴァッルヴァル像に寄るルートもあるようですが、わたしの乗った船はそのままカーニャクマリの船着き場へ。 乗船してから5分ほどで到着です。

岬に戻った後は、お腹も空いていたのでそのまま昼食をとりにレストランへ。 ビルヤーニやチェティナドゥなど、スパイスの効いた南インド料理を堪能です。 本当にインドの料理は美味しい! インド旅行をする際、食事を心配される方もかなりいらっしゃるようですが、健康な方がちゃんとしたレストランで火の通った料理を食べるなら、ほとんど問題はないといってもいいくらいです。 火の通っていない乳製品のラッシーや冷たい飲み物に入れられている氷、衛生面で問題のある屋台料理などにはご用心ですが。

中央のヴィーヴェカナンダ岩とティルヴァッルヴァル像をズームアップ。 午前中は逆光だったのでよくわかりませんでしたが、ティルヴァッルヴァルさん、イメージから観音様みたいなお顔かと思っていたら、案外ヒゲ面のゴツいお顔をされているんですね(笑)。

鮮やかなサリー姿のまま水を浴びる女性も。 ・・・もう何百年と受け継がれてきた沐浴の儀式なのでしょうか。

男性陣は上半身裸になって海水浴のような格好をしている人もちらほらいますが、服を着けたままの姿の人も多いです。

ヴィーヴェカナンダ岩とティルヴァッルヴァル像の見える場所でみんな仲良く沐浴・・・平穏なカーニャクマリの午後の光景です。

海の先を見つめながらみんな何を想うのでしょうか・・・。

ヴィーヴェカナンダ岩が正面に見えるスポットからは少し離れたこちらの浜では、もう沐浴とは言えないような、海水浴を楽しむ人々が。 気温も高くなってみんな海の水を浴びるのが楽しそうです。

さて、いつの間にやら15時になり、この後は、ツアーにセットになっていたアーユルヴェーダの体験へ。 ちょっと寂れたふうのお店に案内され、男性2人によるマッサージが始まります。 初めて体験するアーユルヴェーダは・・・何やら熱い液体をかけられたり、髪の毛を引っ張られたり、蒸し風呂のようなものに入れられたりと、なんだかな~という感じ。 気持ちいいというよりは、あちこち体をいじられてそれに対応するのに精一杯という具合に終わってしまいました(笑)。

穏やかな南インドの空の下の平和な光景・・・なんだかずっと眺めていたい気分に駆られましたが、そろそろこの場所を後にしたいと思います。

駅舎の中はインド人ばかり・・・外国人があまり訪れないディープな印象ですね。 南インドはどこもそうですけど(笑)。

16時30分、ナガルコイルの駅に到着。 行きは真っ暗だったので気付きませんでしたが、何だかやたら宝石の広告の多い駅です(笑)。

ナガルコイルの駅までの道中は、草深い田舎道といった印象。 途中、白亜の立派なヒンドゥー寺院も見えましたが、それ以外は素朴な家が多い感じ。

奇妙な(笑)アーユルヴェーダ体験を終え、カーニャクマリでの全旅程を終了し、16時、チェンナイに戻るべく車でナガルコイルの駅に向かいます。

そんなインドの人々に混ざりながら、ガイド氏とともに駅のホームでチェンナイ行きの夜行列車が来るのをしばらく待ちます。

到着が遅れているのか、1時間ほど椅子に座ってぼけーっとしながら過ごし、17時40分、ようやくチェンナイ行きの列車がホームに入ってきました。

みんな待ち焦がれたようにいそいそと乗り込み、18時、列車はナガルコイルの駅を出発。 カーニャクマリ、南インドの中でものんびりした空気が流れるところでした。 そんな中、3つの海が合わさる岬から見た2013年の初日の出は、一生忘れられない思い出になることと思います。 ・・・さて、この日はこのまま車内で一夜を過ごし、翌日は南インド旅行の実質最終日。 チェンナイから南へ60kmほど下ったところにある古い遺跡が残る町、マハバリプラムの観光名所を巡ります! (マハバリプラム観光に続く。)

2013年1月1日(火) 前夜のホテルでの年越しショーを見た後、ひと眠りして元日の朝を迎えました。 時刻は5時30分、空はまだ真っ暗。 ホテルの屋上からはライトアップされたカーニャクマリの街の景色が。 ゴシック様式の教会の向こう、インド洋に浮かぶヴィーヴェカナンダ岩の記念堂も、この朝は光に包まれています。

早速ホテルのロビーでガイド氏と待ち合わせて、初日の出を見るべく岬へ。 皆同じことを考えているのでしょう、まだ早朝の5時台というのに、歩道は岬へ向かう人でいっぱいです。

5時50分、ホテルから15分ほどてくてくと歩き、道路の終点へ。 この先がインド亜大陸最南端の海岸。 周りは初日の出を見ようとする人々でいよいよ混雑してきました。 ちなみに目の前に見えるピンク色のヒンドゥー寺院風の建物はガンディー記念堂(Gandhi Museum)。 1948年に狂信的なヒンドゥー教徒によって暗殺された後、彼の遺灰はガンジス川やヤムナー川などインド各地に撒かれることになりましたが、ヒンドゥー教の聖地でもあるここカーニャクマリからも海に撒かれたことから、この記念堂が建てられたのだそうです。

6時、ヴィーヴェカナンダ紀念堂のライトアップが終わり、沖合の島はシルエットを残すのみに。 その背後では暗かった空がうっすらと赤く染まり始め、日の出の時刻が近づいてきました。

海岸の防波堤沿いはすでに初日の出を見ようとする人々でいっぱいでしたが、なんとか人が少ないところを見つけて防波堤にとりつきます。 そして海の方を見遣ると・・・まだ暗い空の下、ライトアップされ光を放つ建物と、うっすらとシルエットを浮かべる巨大な観音像のようなものが。 インド洋に浮かぶこの建物は、19世紀末のヒンドゥー教の改革者、ヴィーヴェカナンダ(Vivekananda)がこの岩の上で瞑想にふけったことを記念して建てられた記念堂。 そしてもうひとつの観音像のようなものは、5~6世紀頃のタミルの詩人、ティルヴァッルヴァル(Thiruvalluvar)の像。 いずれも、現在でもたくさんの人々が船で訪れる、カーニャクマリの観光スポットとなっています。

その後は海を眺めながらしばらくぼーっとして過ごし、気付くと6時30分、ヴィーヴェカナンダ岩とティルヴァッルヴァル像のシルエットがはっきり分かるほど空が明るくなってきました。 初日の出を待ちきれないのか、下の岩浜では、早くも波を浴びに海に入る人々も。

そして6時35分、ティルヴァッルヴァル像の向こう、インド洋の遥か遠くから、2013年最初の太陽が昇ってきました。 初日の出とともに湧きあがる歓声・・・周囲は皆、感動に包まれていきます。

周囲を紅く染め、昇りゆく黄色い太陽・・・。 こんなふうに日の出をまじまじと眺めることなんて、本当に1年に一度、あるかないか。 そういう意味でも、初日の出を拝む習慣というのは、自然の偉大さを知るという点で大切なものなのですね。

6時45分、陽はだんだんと上に昇っていき、浜に出ていた人々も、声を上げながら波を浴びに海の中へ入っていきます。 ・・・歓喜に満ちた光景です。

ここで太陽から目を移して右手を見ると・・・いつの間にやら、波打ち際から防波堤にかけてこんなにたくさんの人々が。 皆、昇りゆく太陽を一心に見つめています。

左手にも、老若男女問わず、こんなにたくさんの人々。 ・・・もともとカーニャクマリは、北インドのヴァラナスィと同様、敬虔なヒンドゥー教徒にとって、日の出と日の入りの時刻に太陽の光を浴びながら聖なる海水で沐浴を行うものとされるヒンドゥー教の聖地。 それに加えこの時は、年の初めの日の出ということも相まって、普段よりもたくさんの人々がこの浜辺に詰めかけていたようでした。

・・・ Like a long lonely stream I keep runnin' towards a dream Movin' on , movin' on

長く孤独なせせらぎのように 僕は夢に向かって走り続ける 進む 進むよ

6時50分、さらに太陽は高く昇り、浜辺一体が黄色い光に満たされます。 いっそう高まる人々の歓喜の声。 ここでふと心の中に鳴り響いたのは、かつてスティーヴィー・ワンダーが歌い、近年では河口恭吾もカヴァーしたR&Bの名曲、“A PLACE IN THE SUN”(太陽のあたる場所)・・・。

Like a branch on a tree I keep reachin' to be free Movin' on , movin' on

There's a place in the sun Where there's hope for ev'ryone Where my poor restless heart's gotta run

木が枝を広げるように 僕は自由へと手を伸ばし続ける 進む 進むよ

だって 太陽のあたる場所があるんだ そこには 全ての人に希望がある そこに 僕の貧しく落ち着かない心を駆け込ませなきゃ

There's a place in the sun And before my life is done Got to find me a place in the sun

太陽のあたる場所があるんだ そして 僕の人生が終わる前には 見つけなきゃ 太陽のあたる場所を ・・・

そんな素晴らしい初日の出を前に、うっとりする恋人たち。

時を経るごとに、浜に集まる人々がますます増えてきた感じです。

・・・

聖なる海水に浸かり、談笑する女性たち。

波しぶきを浴び、身を清める人々。

海から昇ったばかりの太陽が、身をいっそう清めてくれそうです。

ほかの巡礼者たちが家族や恋人、友人同士で和気あいあいと沐浴をしている中、独り黙々と太陽を浴び続ける老婆。 なんだか惹きつけられるものを感じて、しばらく彼女から目が話せませんでした。

このまま元旦の歓喜の風景を見続けていたい気もしましたが、最後にもう一度、インド洋に昇りゆく朝日とその光を浴びて歓喜に包まれる人々の姿を目に焼き付け、この場を去ることにします。 ・・・ちなみに、デリーに住むガイド氏もカーニャクマリで日の出を見たのは初めてとのことで、ムスリムながら人々と自然が一体になったようなこの光景にひどく感動していました。 素晴らしい光景というのは民族や宗教の違いを超えて存在するものなのですね。

さて、時計を見ると7時10分。 もう随分と時間が経ったような気がしましたが、太陽が昇り始めてからまだ30分ほどしか経過していなかったのですね・・・。 そのくらい、見どころが盛りだくさんの初日の出の光景でした。 ・・・この後はいったんホテルへ戻って朝食をとり、腹ごしらえをしてから再びカーニャクマリの観光に繰り出します! (引き続きカーニャクマリ観光に続く。)

12月31日(月) 10時、早朝のミナクシ寺院の観光を終え、次は南東に1kmほど離れたところにあるマドゥライ第二の観光スポット、ティルマライ・ナーヤカ宮殿(Thirumalai Nayakakar Palace)へ向かいます。 マドゥライ市内は車よりもオートバイの通行量が多く、10時を過ぎて道路が一段と混雑してきました。

10時15分、ティルマライ・ナーヤカ宮殿に到着。 ミナクシ寺院に比べればずっと少ないですが、それなりに観光客が訪れているようです。

宮殿の外には、ささやかですがこんな緑の庭もありました。 インドの街はヨーロッパの街に比べ、こういう緑地帯が少ないイメージですね。 我が国の街も、ひとのことを言えたものではありませんが・・・。

とここで、チケットを買いに行ってもらっていたガイド氏が、小銭がないので銀行に行くとのこと・・・。 うーむ、今回のガイドはやっぱりイマイチ・・・人柄はいいんですけどね。 そんなこんなで、宮殿の入口からしばらく通りを眺める破目に。 ・・・こうしてまじまじと眺めると、マドゥライの通りはゴミもそれほど落ちていない様子で、整然としている感じ。

北インドの街よりもずっときれいな印象ですね。 【北インド紀行(2) ラージャスタン州ジャイプールの街並み】 http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/21571913/ と思っていたら、この後の移動で、写真に撮るのもはばかられるゴミだらけの枯れた川を見ることに・・・。 人口の多いインド、経済成長著しい昨今の状況ですが、商品経済から生み出されるゴミの処理については、大きな社会問題になっているようです。

さて、ようやくチケットを買い終えたガイド氏とともに、ティルマライ・ナーヤカ宮殿に入場。 門から入って最初に現れたのは、欧米建築風の列柱群に囲まれたバシリカ式ホール。 中央にはたくさんの長椅子が並べられ、何やらコンサート会場のようです。

三方の建物の上部を飾る多弁型アーチは、インド・イスラム様式の特徴。 このティルマライ・ナーヤカ宮殿は、1636年にマドゥライ・ナーヤカ朝の王、ティルマライ・ナーヤカが、ティルチラパッリからこの地に遷都した際に建てられた宮殿。 1636年と言えば、当時北インドを中心に、インド全土に影響力を拡大しつつあったイスラム王朝、ムガール帝国の最盛期。 アグラでは第5代皇帝シャー・ジャハーンの命によりタージ・マハルの建設が進められていた時期で、まさにインド・イスラム文化が花開いていた時期でした。 この地のマドゥライ・ナーヤカ朝はヒンドゥー王朝とはいえ、そんなムガール帝国のインド・イスラム文化の影響を強く受けていたのでしょう。 【北インド紀行(4) シャー・ジャハーンの愛の結晶タージ・マハル】 http://4travel.jp/travelogue/10557157

宮殿の天井には、ミナクシ寺院の回廊の天井にも描かれていた、鮮やかな蓮の花の模様が。 こうした模様もヒンドゥー建築独特のものではなく、偶像崇拝が禁じられていたために植物の図柄を好んで用いたイスラム教の建築様式に由来するものかもしれませんね。

宮殿の一角には壊れたままの状態で放置された騎馬像が。 このティルマライ・ナーヤカ宮殿、本殿部分にはこんな像が数体あるだけで、後はがらんどうになっていてちょっと寂しい状態。 インド人の観光客たちも皆、大した反応をしておらず、ちょっとがっかり系の観光スポットかも・・・。

ホールを正面に見渡せる宮殿中央には、一脚の玉座が寂しくポツンと置かれていました。 う~ん、もうちょっと展示に工夫があってもいいのに・・・。

ムガール帝国のアグラ城を思わせる多弁型アーチの回廊も、形は素晴らしいのですが、白大理石造りの本家に比べればちょっとチープな印象かな・・・。 いや、逆に、インド中はおろか、オスマン帝国の小アジアやアラビアなど遠く離れた国からも、超一級の建築資材や人材を取り寄せたというムガール帝国の財力が驚異的だったというべきでしょうかね。 【北インド紀行(5) ムガール帝国のアグラ城】 http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/21930343/

ホールのある本殿の隣には、これまた多弁型アーチに装飾されたサンライトイエローの天井が印象的な大広間が。 ここもちょっとがらんとした空間でしたが、広間の端には・・・。

博物館となっている大広間はこのひとつだけで、先ほどのホールのある本殿とあわせ、宮殿の建築様式の見学はこれで終了。 当然かつてはもっと広大な建物があったのですが、その大部分が破壊されてしまい、現在残っているのはここまでのようです。 う~ん、やっぱりがっかり系の観光スポットだったかも。 帰国してから建築様式などいろいろ調べて勉強にはなりましたが・・・。

壁や柱に近づいて装飾をよく眺めると、多弁型アーチなどインド・イスラム様式の特徴の中にヨーロッパの宮殿を思わせるような部分も。 このティルマライ・ナーヤカ宮殿が建てられた17世紀前半は、ヨーロッパで言えばバロック様式が芽生えつつあった頃。 マドゥライには16世紀末にはすでにカトリック布教のためのイエズス会の拠点もあったことから、彼らを通じてヨーロッパの建築様式も反映していたのでしょうね。

こんなかわいらしい神様の像が横一列に並んで展示されていました。 どうやらこの大広間は、現在は博物館として使われているようです。 説明書きを見ると、これらは10~12世紀(チョーラ朝時代?)の神像とのこと。 我が国のお地蔵様のように、どことなく素朴な感じがします。

その神様の像の一部をご紹介。 こちらは創造の神ブラフマーや破壊の神シヴァと並ぶヒンドゥー教の最高神、維持の神ヴィシュヌ(VISHNU)。 頭に大きな冠をかぶった姿で表現されているのが特徴です。 ぱっと見た感じ、我が国にもある仏像に似ているような・・・調べてみると、ヴィシュヌ神はたくさんの化身(アヴァターラ)を持っていて、そのひとつには仏陀も含まれているんだとか。 仏陀がヴィシュヌ神のたくさんある化身のひとつにすぎないなんて、仏教徒からすれば愕然となるヒンドゥー教の真実ですが、ヴィシュヌ神の像と仏像が似ているのはそういうところから来ているのか・・・。 【天竺奇譚~世界の維持神ヴィシュヌ】 http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/visnu.html

そしてこちらはヴィシュヌ神の化身のひとつ、ナラシンハ(NARASHIMHA)の像。 NARAは人、SHINHAは獅子(ライオン)を意味する、頭が獅子で体が人間の神様です。 半人半獣の神様というのは、古代エジプトや古代ギリシャなど世界のあちこちの多神教にいるものですね。

最後の部屋は近年になってから増築されたようなこじんまりとしたところで、南インドの文化についての展示がなされていました。 ちなみにこちらはタミル文字の年代別の変遷を表すボード。 北インドのヒンディー語で用いられるデーヴァナーガリ文字とはかなり異なっているらしく(日本人からすると違いがよく分かりませんが・・・。)、デリーに住んでいるガイド氏も読めないと言っていました。 (そんな彼が南インド旅行のガイドを務めてしまうのがインドの旅行会社のいい加減なところ・・・。)

こちらはなんだかアニメチックなシヴァ(SIVA)とパールヴァティー(PARVATHI)の夫婦神の像。 同じく10世紀の作品です。

こちらは9世紀の作品で、“MAHESWARI”という女神の像。 日本の平安美人のような、ふくよかなお顔の女神様ですね(笑)。 女性らしさを強調した肉感的な体型も魅力的で、ヒンドゥー美術の特徴ともなっているところです。

最後の部屋を出ると、次はたくさんの神像が展示された彫刻の庭。 手前にあるのは10世紀のシンハ(SIMHA=獅子)の像。 日本の神社にある狛犬のもととなった像ですね。

最後は“VINAYAKAR”という南インド名で展示されている、シヴァとパールヴァティーの息子のガネーシャの像。 13世紀の作品です。 10時50分、これにてティルマライ・ナーヤカ宮殿の見学は終了。 展示内容的には、1時間あれば十分すぎるほどの観光スポットでした。

チェックインの手続きをしてくれた後、ガイド氏とは翌日元旦の予定を打ち合わせてお別れ。 おつかれさまでした! このカーニャクマリのホテル・シンガ、チェンナイから入ってこれまでの旅程では全く見かけなかった日本人の方も何人か宿泊しているようでした。 やはりこの地にあるコモリン岬は初日の出のメッカなのか??

11時、そろそろランチをとるべく、マドゥライの街に繰り出します。 やはりこの街は、自動車よりもオートバイが多い感じ。 ・・・通りはごちゃごちゃしているけれどもゴミが少なくきれいな印象です。

オートバイはもちろんノーヘルが基本。 日本も昔はこうだったのかな・・・。

車を停めて、通りに面した“アマメス”(AMMA MESS)というお店に入ります。 当然ながら南インド料理のお店。 日本人が滅多に来ないディープなところだけに、すごく楽しみですね。

その後は街なかの売店でお土産を買ったりしながらのんびり時を過ごし、14時30分、次の目的地、インド亜大陸最南端の街カーニャクマリに行くべく、マドゥライ・ジャンクション駅へ。 さすがは大晦日というべきか、駅のホームは電車を待つたくさんの乗客で大混雑。 ツアーじゃなくて、当日窓口で切符を買おうとしたらダメだかったかも・・・。 出発までの間、ホームの椅子に腰かけてガイド氏とおしゃべりしながら過ごし、15時30分、ようやくやってきた電車に乗りこみます。

2階に上がって店に入り、テーブル席へ。 例によって巨大なバナナの葉を皿代わりに敷いてもらいます。 周りを見ると、この時間帯はまだ数組しかお客がなく、空いている感じ。 早速ガイド氏に注文してもらい、出てきたのは“フィッシュ・ビルヤーニ”(Fish Biryani)と“チキン・チェティナドゥ”(Chicken Chettinad)。 ビルヤーニ(スパイスの効いた炊き込みご飯)とセットになっている右下の魚の揚げ物については皿もなく、ボトリとバナナの葉の上に置いていかれます(笑)。 しかし、色遣いなど見ているだけでスパイシーな感じ(笑)。 特にスプーンも出されなかったので、わたしも南インドの方々にならって、右手を使ってビルヤーニをバナナの葉の上に広げ、触感を楽しみながら食べていきます。 (衛生的には、店の一角に石鹸を備えた洗い場があるので大丈夫。現地の方々も食べる前に皆、丁寧に手を洗っていました。) 左上のチキン・チェティナドゥは火を吹くかと思うほどスパイシーで、ややさっぱり感のあるビルヤーニとあわせて美味しくいただけました。

大きな木の生い茂る庶民的な通りにやってきました。 立ち止まっておしゃべりを楽しんでいる人々も多く、なんだか賑やかな印象です。

しかしこうして通りを行き交う車を見ていると、けっこういい車が多い印象。 近年のインドの経済成長で、ここマドゥライでも豊かな人が増えている感じですね。

食事を終え、通りに出て、しばらくぼーっとしながら迎えの車を待ちます。 平和で穏やかな南インドの昼下がりの一風景・・・。 ひっきりなしに聞こえる車のクラクションの音はけたたましいですが(笑)。

席は寝台車両になっていてこんな感じ。 この日はこのまま横になって日頃の疲れを癒し、カーニャクマリまでの道を揺られていきます。

マドゥライを出発して6時間後の21時30分、電車はナガルコイル駅(Nagercoil)に到着。 サバンナの中にポツンとあるような寂しい駅で、外に出るとあたりは真っ暗。 ここからタクシーに乗り換え、暗い夜の田舎道を通って22時、インド最南端の街カーニャクマリの宿、ホテル・シンガ(SINGAAR)に到着です。

23時30分、カウントダウンが近づくにつれ、子どもたちも加わってダンスはヒートアップ。 周りの大人も写真を撮ったりしながら楽しそうに過ごしています。

ここで、日本では全く流行らなかった“江南(カンナム)スタイル”のダンスが。 全世界的には2012年を代表する一曲と言えそうですが、李明博大統領の島根県竹島への上陸や、オリンピック男子サッカーチームのプラカード事件などにより嫌韓が広まった我が国では、全く話題にも上らなかった曲。 紅白歌合戦からも韓流が締め出されてしまったというのに、日本から、そして韓国からも遠く離れたこんなところでその曲を聴くことになろうとは・・・。 最後の最後で複雑な気分になりながら、0時、時とともに何発もの花火が打ち上げられ、2013年の新年を迎えることとなりました・・・。

さて、この日は大晦日ということもあってホテルではガラディナーが用意されていて、隣にある広々とした庭園でステージイベントが催されていました。 わたしも他のインド人に混ざって、ビュッフェ形式の料理をつまみながらステージを見物・・・。

中央に見えるゴシック教会をズームアップ。 マドゥライもそうでしたが、ヒンドゥー教の聖地であるにもかからわず、ひときわ目立つ高さのキリスト教会があるのがおもしろいですね。 これもきっと、多神教のヒンドゥー教徒が大部分を占める南インドの人々の寛容さを表すものなのでしょう。 さて、この後は部屋に戻って少し眠り、朝いちばんで初日の出を拝みにコモリン岬へと繰り出します! (元旦のコモリン岬観光に続く。)

その後は、展望台になっているホテルの屋上へ行き、熱帯の夜の生暖かい風に浸りながら、年が明けたばかりの街の景色を観賞。 灯の少ない岬の街カーニャクマリにあって、街いちばんの高さを誇るゴシック様式のキリスト教会(The Church of Our Lady of Ransom)がひときわ明るく異彩を放っています。 ちなみに、教会の向こう側は海になっていて、きらきらと輝いている光の帯は、インド洋に浮かぶヒンドゥー教の聖地、ヴィーヴェカナンダ岩の灯です。

大通りを走っていくと、目の前に巨大なゴシック様式の大聖堂が。 高さ42mの鐘楼が印象的な20世紀の大聖堂、聖メアリー大聖堂(St. Mary Cathedral)です。 ここマドゥライは、16世紀のナーヤカ朝の時代、我が国と同様に大航海時代の波に乗ってイエズス会が進出し、王の許可を得てカトリック布教の拠点となった街でもありました。 その時以来の伝統か、ヒンドゥー教の名刹であるミナクシ寺院だけでなく、キリスト教の大聖堂も立派なものがそびえています。 位置的にはやはりヒンドゥー寺院が優先で、こちらは旧市街の外れというところにはなりますが。

12月31日(月) 2012年の大晦日の朝です。 6時30分、マドゥライ・ジャンクション駅近くのホテル、マドゥライ・レジデンシーにて起床。 この日はマドゥライ市内のヒンドゥー寺院、ミナクシ寺院とティルマライ・ナーヤカ宮殿を見て回り、昼食後に電車でインド亜大陸最南端のカーニャクマリへと移動する旅程。 今回の旅はツアーのため拘束時間の長い日程となりますが、朝食前の貴重な自由時間、ホテル周辺をぶらぶら散歩しに出かけます。

道端には、朝早くからヴィヴィッドな花飾りを売るお店があちらこちらに。 売っているおじさんは売り物に似つかわしくなくちょっとコワい感じですが(笑)。 マドゥライはその中心、ミナクシ寺院への巡礼者が1日1万人を超えるという大寺院都市。 このお花もきっと巡礼者たちが寺院の神々に捧げるために用意されているものなのでしょう。

マドゥライ・ジャンクション駅周辺は早朝からたくさんの人々が歩いています。 よく見ると男の人ばかり・・・大晦日だというのに、仕事でしょうか。 インドでは現在でも太陰暦による祭りがメインだそうで、12月31日といっても、大多数のインド人にとっては普通に平日なのかもしれませんね。

8時、チェックアウト後、ロビーでガイドと待ち合わせ。 壁にはインドらしい踊りをテーマとした作品が掲げられています。

早朝の散歩を終え、7時、ホテルのレストランで朝食です。 この日の朝食も南インドらしく、ナンやチャパティではなく、蒸しパンのような米粉製のイドリーとスパイスの効いたカレーのセット。 う~ん、インドカレー好きにはたまらない朝食(笑)。

ホテルに迎えに来てくれたガイドとともにチャーターした車に乗り込み、8時15分、ホテルからそれほど遠くないところに位置するマドゥライ最大の観光スポット、ミナクシ寺院(Sri Meenakshi Temple)へ。 駐車場に車を停め、朝からたくさんの巡礼者でにぎわう参道を歩いて行きます。 家々の軒先に描かれた幾何学的なコーラム(色とりどりのチョークで地面に描かれた吉祥を願う砂絵)を観賞しながらゆっくり歩いて行くと・・・寺院を囲む生い茂った木々の向こうに、巨大なゴープラム(塔門)が見えてきました。

神像の柱を抜けると、天井にはいくつもの蓮の花が連なる極彩色の空間が。 ちょっとどぎつい感じもしますが、上の写真の石がむき出しのままの天井と比べると、南インドの風土を反映しているのか、明るく陽気で、どことなくパワーが与えられるイメージです。

う~ん、なかなかの幾何学模様。

極彩色の天井を支える巨大な列柱群も、回廊の向こうまでどっしりと立ち並び、見ていて存在感があります。 ・・・このマドゥライ、古くはパーンディヤ朝(紀元前後~10世紀、12~14世紀)の首都として栄えた街で、ミナクシ寺院の創建は、その後のマドゥライ・ナーヤカ朝(16世紀~1736年)時代のティルマライ・ナーヤカ王(Tirumalai Nayaka、在位:1623~1659年)の治世になされました。 巨大なゴープラムや石造りの回廊など、その様式は、インドの中でもこのタミル・ナードゥ州に数多く残る“ドラヴィダ様式”の典型として、現在もたくさんの巡礼者たちを惹きつけ続けています。

回廊を少し歩くと、右側に“TEMPLE ART MUSEUM-THOUSAND PILLARS MANDAPAM”(千柱堂)と掲げられた部屋への入口が。 階段を昇って中に入ってみると・・・。

“千柱堂”と言われるとおり、神々の像を刻んだ、千にも及ぶ(実際は985本とのこと)見事な柱が立ち並ぶ壮麗な空間が。 床もつるつるして光沢感があり、部屋の外の、石造りの印象が強いごつごつした感じの回廊とはまた違った雰囲気です。

そして神々の姿を刻んだ石柱群を通り抜けたところにあるいちばん奥のスペースには、“ナタラージャ”(NATA RAJAR)と呼ばれる“踊るシヴァ神”と、その妻パールヴァティー(別名ミナクシ)の像が、かわいらしい黄色の花飾りとともに祀られていました。 ちなみに、この寺院の名前にもなっている“ミナクシ”とは、もともとインド古来のドラヴィダ人が多く住むこの地方で信仰されていた“魚の目をもつ女神”のこと。 それがいつしか、北方のアーリア人がもたらしたヒンドゥー教の浸透とともに、ヒンドゥー教で最も人気のある神のシヴァ(この地での名はスンダレーシュヴァラ)と結婚させられ、その妻である女神パールヴァティーと同一視されるようになっていったのだそうです。 【天竺奇譚~南インドの地方女神ミーナークシー】 http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/minaksi.html

この千柱堂は博物館にもなっていて、一角には神の像を刻んだ美術品やら、ミナクシ寺院をミニチュアにしたこんな模型やらが陳列されています。 ・・・現実のミナクシ寺院そのものは巨大すぎて全体像が見えにくいですが、こうしてミニチュアを作って見せてくれると、ニョキニョキと林立するゴープラムとか、その表面に刻まれた細かい彫刻とか、なかなか壮麗な姿ではあります。

この柱はシヴァとパールヴァティーの息子のガネーシャでしょうか、象の顔をもった異形の神が刻まれています。

こちらは“ナタラージャ”こと“踊るシヴァ神”像。 表情や体つきなど、我が国の仏像にも非常によく似ています。 こうしたブロンズ製のシヴァ神の像は、パーンディヤ朝時代の南インドで盛んにつくられたのだそうです。

千柱堂を出て再び回廊を奥に向かって歩いて行くと、左側には、シヴァ神を象徴する“リンガ”を祀った部屋が。 シヴァ神を祀る寺院にはリンガは欠かせませんね(笑)。 手前の柵に描かれたリンガの尖端に刻まれた三本の白い線も、シヴァ神の額に描かれているものであり、同様にシヴァ神を象徴するもの。 ヒンドゥー教のシヴァ派の信者は、寺院を訪れる際、額にこの三本の白い線を入れるのが習わしだそうです。 【天竺奇譚~破壊と再生の神シヴァ】 http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/siva.html

最初の回廊を抜けて、建物の間のぽっかりとした空間に出てきました。 次の建物の入口を見上げると、色鮮やかなゴープラム。 他のヒンドゥー寺院にも共通することですが、下の方の柱は石の色そのままなのに、上の方にある天井やゴープラムはきちんと着色されているのですね。

そして脇にはより巨大なゴープラムが。 17世紀創建の古い寺院なのに色褪せた様子を感じないのは、毎年信者たちによって適度な修復・保存作業が施されているためでしょう。

さて、次なる建物に入っていきます。 ・・・最初の部屋は薄暗く、柱には幾つもの火がともされていて、なにやら怪しい雰囲気。

このおどろおどろしい雰囲気は、子どもの頃に見た映画、“インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説”を思い出すシチュエーション(笑)。

柱に刻まれたこの女神(ミナクシ女神?)の頭の上にはリンガが。

もう雰囲気たっぷりのヒンドゥーのディープな空間です。

最後に東門から出るところで、一組の家族に呼び止められて写真をお願いされたので、仲良く澄ましたところをパチリ。 敬虔なシヴァ派らしく、みなさん額に三本の白い横線を入れています。 ・・・と思ったら、左端のお嬢ちゃんは額に何も入れていないきれいなお顔。 お年頃なので、リンガの象徴を顔につけるのを嫌がったのでしょうかね(笑)。 と、バカな話はこれくらいにして(笑)、時計を見ると9時45分。 まだまだ午前中たっぷり時間はあるので、次はこのミナクシ寺院を創建した17世紀のマドゥライ・ナーヤカ朝の王、ティルマライ・ナーヤカ王の宮殿を見に行きます! (引き続きマドゥライ観光に続く。)

行きは気がつかなかったナンディーがこんなところに。 チョークで着色され、行き交う人々にかわいがられているようです(笑)。

こちらのガネーシャ像は邪教の雰囲気たっぷり。 1984年に製作されたスティーヴン・スピルバーグ監督の映画“インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説”は、インドの邪教集団との秘石を巡るアドベンチャー作品ですが、そこに出てくる邪教集団の宮殿はまさにこんな雰囲気。 映画の製作にあたっては、ヒンドゥー教へのこうした邪教的な見方がインド政府に否定され、当初予定していたジャイプールのアンベール城など北インドでの撮影を断られてしまい、結局スリランカで撮影する破目になったとか・・・。 一神教のキリスト教的視点で見ると、こうした異形の神々を祀る宗教は邪教に見えてしまうのでしょうかね。 キリスト教の側だって、大聖堂の屋根や雨樋にガーゴイルの彫刻を用いるなど、異形の怪物を奉ったりしていますが・・・。

暗く怪しい雰囲気の通路を抜けた先には、天高くゴープラムがそびえる、明るく開放的な空間が待ち受けていました。 目の前にあるのは、柱廊に囲まれた“黄金の蓮のタンク”と呼ばれる沐浴池。 ただし、この時は、時期のせいなのか、それとも衛生上の観点なのか、巡礼者たちはただ周りで眺めているだけで、沐浴をしている人はひとりもいませんでした・・・。

天高くそびえるゴープラムをズームアップ。 塔一面に細かな神々の彫刻がいっぱい。 南インドに数多くあるゴープラムのなかでも、傑作と言われるほどのゴープラムです。

周囲を巡る回廊には、これまた鮮やかなこんな壁画が。 シヴァ神の物語を描いたものでしょうか。 人々が横にずらりと並ぶ構図は古代エジプトの神殿などに描かれたレリーフのようでもありますね。 【エジプト紀行(3) ルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿のレリーフ】 http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/20826551/

神々の姿が彫り込まれた列柱群が支えるのは、これまた鮮やかな神々の姿が描かれた極彩色の天井。 ヒンドゥーの世界にどっぷりと浸っていきます。

ぐるりと黄金の蓮のタンクを回って、次の建物へと足を進めます。

神殿でしょうか、次はまた一段とディープな雰囲気の建物。 暗い通路につながる入口の部分には“踊るシヴァ神”の彫刻が。 ざらっとしたツヤ感があって、鍾乳石のような感じです。

そしてその一角には、“MUKKURUNI VINAYAGAR”という名で祀られているガネーシャの像が。 ガネーシャはシヴァ(スンダレーシュヴァラ)とパールヴァティー(ミナクシ)の息子とされていることから、両親を祀っているこの寺院においては、ガネーシャも欠かせない神様なのでしょう。 しかし、ヒンドゥー教の神様は、何通りもの名前があってややこしい・・・。 そういう我が国でも、国造りの神である“オオクニヌシ”(大国主)は“オオナムジ”(大穴牟遅神、大己貴命)とも“ヤチホコ”(八千矛神)とも呼ばれているし、皇室の祖神である“アマテラス”(天照大神)でさえも、神社によっては“オオヒルメ”(大日霊神、大日女尊)などと呼ばれることがあったり。 一柱の神が複数の名前を持つことは、いくつもの民間伝承が結びついてできた多神教に共通することなのかもしれませんね。

天井には相変わらず鮮やかな蓮の花が描かれていますが、これまでよりも薄暗さを増した通路。

その中心にある祭壇には、シヴァ神の乗り物である聖牛ナンディーの像。 そしてその前にあるのは、ヴィシュヌ神を象徴する(と思われる)黄金の柱。 このミナクシ寺院は、シヴァやパールヴァティーだけでなく、派閥が異なると言われるヴィシュヌ神も祀ってしまう太っ腹の寺院なのでしょうかね。

ナンディーと黄金の柱の前では、ロウソクを灯し、祈りを捧げる巡礼者の姿が。

この2神は“SRI VIRABHATHIRAR”、“SRI PITCHANDAVAR”と案内がありますが、複数の名を持つヒンドゥー教の神々のこと、おそらくシヴァとパールヴァティーの夫婦神でしょうかね。 これからデートに出かけるところのような楽しそうな表情の神様に、見ているこちらもなんだか楽しい気持ちになってきます(笑)。

こちらの柱にも重厚な神々の像が。

何かの修行でしょうか、床に体を投げ出し、両手を合わせて祈りにも似た仕草をとっている男性も。 ほかの誰も気に留めていないようですが、巡礼者にもいろいろな人々がいるものです。

暗い通路を抜けると、なんだか巡礼者たちで騒がしい、少し開けた空間にやってきました。

こちらは、柱の間の何もないように見える空間の周りを、時計回りにぐるぐると回る巡礼者たち。 よく見えませんでしたが、何か神聖なものでもあったのでしょうか。 こうしたことも、エジプトのスカラベ(フンコロガシ)の周りを回る観光客たちのまじないにも似て、巡礼者たちの間で広まっていった一種のまじないなのかもしれませんね。 【エジプト紀行(3) ルクソールのカルナック神殿のスカラベ】 http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/20823908/

さて、そろそろ巡礼者たちでいっぱいのこの神殿を後にします。 帰り際、ナンディーを側面からパチリ。 頭には花飾りが、背中には白い布がかけられていて、本当の生き物のように大事にされている様子がよく分かります。

ナンディーと黄金の柱を後にし、神殿の外へと足を運びます。 ・・・ミナクシ寺院のハイライトとも言える、神々の集う神殿、なかなか見応えがありました。

そしてガネーシャの祭壇のある壁の反対側、自分のシッポを食べているような奇妙な姿をした怪物が彫られている柱の向こう側には・・・。

鍾乳石を削ったような、濡れたザラっとした質感のある神々の像が祀られていました。 インドはとことん石造りの文化ですね。

神殿の後は、中庭を通って入口の東門へと戻ります。 この中庭からは、ミナクシ寺院の象徴である巨大なゴープラムを拝むことができます。

ゴープラムの頂上を遠くからズームアップ。 ひとつひとつ、本当に凝った神様の像ですね。

すぐ下から見上げると、高すぎてとても上の方が見渡せません。

中庭を抜け、最初に通った東門から続く回廊に戻ってきました。 10時近くなり、巡礼者の数がますます増えてきた感じです。

至近距離では巨大すぎてとてもカメラに収まりきれないゴープラムの観賞は後回しにして、まずは寺院内部の観光。 東の門にあたるゴープラム近くの入口で靴を預け、裸足になって順路を進んでいきます。 門を抜けたところにも、花飾りなどを売るお土産屋がたくさん。 この左右に並ぶ神像の柱を抜けたところからが、いよいよ本格的な寺院の内部となります。

中庭にある四阿(あずまや)で休憩する巡礼者たち。 やはり外国人が珍しいのか、こちらに向けられている人々の視線が熱いです(笑)。

12月30日(日) 早朝にチェンナイの街を出発してのカーンチプラムでの寺院巡り。シヴァ神を祀る2寺院を訪問した後も、巡礼を続行です。 降り始めた雨が強まりつつある中、再び車に乗り、9時30分、3つめの寺院、ワラダラージャ寺院(Sri Varadaraja Temple)へやってきました。 これから観光!と車を降りた途端、待ち受けていたのは滝のような雨。 チェンナイを含む南インドの東岸地域は1月からが乾季ですが、12月末でもまだこんな雨が降るのか・・・熱帯によくあるスコールってやつですね。 少し歩くのにも雨が強すぎるので、寺院の白いゴープラム(塔門)の見えるあずまやに入って、しばらく雨宿りです。

雨はなかなか弱まりそうになく、そのままあずまやからゴープラムをしげしげと眺めます。 原色系の色遣いか、あるいはやや暗めの石の色をしていることが多いヒンドゥー寺院の中にあって、このワラダラージャ寺院のゴープラムはその白さが際立ちますね。 16世紀のヴィジャヤナガル朝時代に建てられたヴィシュヌ神を祀る寺院とのことですが、ゴープラムの色が白いのは、信者によってきちんと寺院の手入れがなされていて、現在でも信仰が息づいていることの証なのでしょうね。

さて、雨は当分止みそうにないので、少し弱まったところで観光を再開したいと思います。 ゴープラムの手前まで行き、そこで靴を脱いで寺院の中へ。 寺院を訪れるたびに裸足になる必要のある南インドの旅は、ミャンマーなどと同様、簡単に脱ぎ履きができるビーチサンダルがよさそうですね。 門の中から寺院の中庭を見ると・・・傘も差さずに急ぎ足で駆けてくるインド人の巡礼者の方々が。 こんな突然のスコールは彼らにとって日常の出来事なのでしょうね。

門の内壁にはこんな丸っこい感じのタミル文字が刻まれていました。 北部出身のガイドに読めるかと聞いたところ、全然分からないとのこと・・・。 ヒンディー語の文字であるデーヴァナーガリ文字とは大きく異なっている文字で、同じインド人でも北部と南部の人は、英語を介してしか会話ができないそうです。

そしてホールの中央、いちばん光の差し込まない部分には、躍動する騎馬像に囲まれた祭壇のようなものが。 おそらくここで火を使った儀式が行われたのでしょうね。

柵のすき間からホールに入ってみると、内部は屋根を支えるたくさんの石柱で埋め尽くされており、そのひとつひとつには四面とも神々の姿を刻んだレリーフが。 う~む、なんともヒンドゥーな空間・・・。

ホールから出てきて時計を見ると10時。 雨は相変わらず降り続いていますが、巡礼者たちは慣れ切ってしまったのか、傘も差さず当たり前のように寺院内を行き来しています。

さて、雨で水浸しになった寺院の中に裸足になって入ったものの、ヴィシュヌ神を祀る本堂へはヒンドゥー教徒でないと入れないとのこと・・・。 代わりに、ゴープラムから入って左側にある、何やら柵で囲まれ厳めしい感じのホールを見学することにしました。

静かに水を湛える沐浴池がありました。 池の水は濁っていて、お世辞にもきれいとはいえない状態ですが、端の方に服を脱いで沐浴をしている老人がひとり。 信者にとって、この池の水はきっと、遥か昔から延々と引き継がれてきた神聖な水なのでしょう。

馬の手綱を引く小人のような付き人。 目がパッチリして鼻筋が通っていて西洋人風の顔つきですね。 インド土着のドラヴィダ人がモンゴロイドと言われるのに対し、紀元前1500年頃カイバル峠を越えて北インドに侵入してきたアーリア人はコーカソイド。 南インドには現在もドラヴィダ系の特徴を残す人々が多く住んでいると言いますが、このワラダラージャ寺院が建てられた16世紀には、こんなアーリア人の容貌をした人物が神々の像の中に描かれるほど人種の融合が進んでいたのでしょうね。 そしてその彼が見つめる視線の先には・・・。

祭壇の周りを守るようにして取り囲む、躍動する騎馬像のレリーフ。 少々馬の顔がお茶目ですが(笑)、飛び跳ねようとするその姿からは力強いエネルギーを感じ、自然と惹きつけられます。 馬の前で綱を握る小人のようなかわいらしい付き人(?)とのギャップもまたいいですね(笑)。

こちらもアンコール遺跡のデヴァター(女神)を連想させる豊満な体型の女神像。 こうしてみると、カンボジアのアンコール遺跡は南インドのヒンドゥー文化の影響を相当受けたということなのでしょうね。 建築された時期からすると、もしかしたら南インドの方が逆輸入なのかもしれませんが・・・。

ホールの端の方に目を向けると、視界に入ってくるのはひとつひとつ細かく神々の姿を刻んだたくさんの石柱群。

反対側にもまた、腰をくねらせたり踊ったりしているような、躍動感ある神々の姿を刻んだ石柱群が。 ・・・この石柱群、ホール内に全部で96本あるといい、ひとつとして同じものはなく、表情や体の動きをひとつひとつ変えて作っているのがまたすごいところです。

こちらの横笛を吹く神様はクリシュナでしょうか。 それにしては腕がたくさんあるのが気になるところですが・・・。 このクリシュナも、たくさんの腕を持つヴィシュヌ神の化身であることから、このような姿もありということなのでしょうか。 インドの神話は日本神話のように化身がいっぱい出てきて体系的に整理するのが難しいですね。 それだけ、各地方で説話がたくさん生み出されるほど、民衆と結びついて多方向の発展を遂げた地方分権的な宗教なのでしょう。 こういうところが一神教のキリスト教やイスラム教と違って分かりづらく、ときには一段下に見られてしまうところでもあり、一方で、他者に寛容で、国際協調のこれからの時代に注目されるべき緩やかな宗教なのでしょうね。

こちらは猿の神ハヌマーンが何かを食べさせてもらっている場面でしょうか。 彼が活躍する古代インドの叙事詩“ラーマーヤナ”を知っていればこの意味するところが分かるのでしょうが・・・。 (ムスリムのガイド氏は何も教えてくれませんでした・・・。)

こちらの石柱はナーガ(蛇神)を背に負った女神のレリーフ。 ナーガというとカンボジアのアンコール遺跡がその数の多さで有名ですね。

こちらは合唱する神様のレリーフ。 仏教っぽいイメージでもあります。

・・・と様々な姿の神々のレリーフに興味は尽きないですが、そろそろ次の寺院へと足を進ませたいと思います。 カーンチプラムのワラダラージャ寺院、レリーフ姿の神々が集うそのホールは一見の価値ありです!

雨でびしょびしょになってしまった靴を履き、再び車に乗って最後の4つめの寺院へ。 雨の中、車窓からカーンチプラムの街を見ていると、あちらこちらに“Silk”の文字の看板が。 このカーンチプラムはヒンドゥー教の聖地としてのほか、絹織物の産地としても有名で、個人旅行者がタクシーやオートリクシャーに道案内を頼むと、必ずシルクのお店に連れて行かれるとか・・・。

10時20分、少し小降りになったところで車が停まったのは、ほかの国のインド人街で見るような、やや小さめのゴープラムが目印のこの寺院の前。 なんだかあまりオーラを感じないなと思って中に入ってみたら・・・ガイドの案内違いだったようです(笑)。

それでも、寺院内の一角には、雨の中、傘もささずに祈りを捧げる赤い服を着た巡礼の女性たちの姿が。 外国人観光客からみると、これまでの大寺院に比べて歴史性や芸術性が劣る名もなき寺院ですが、彼女たちにとっては一心不乱に祈りを捧げなければならない大事な信仰の場なのですね。

10時40分、今度は本当に、カーンチプラム最後となる第四の寺院、ヴァイクンタ・ペルマール寺院(Sri Vaikuntha Perumal Temple)へ。 雨もだいぶ弱まり、観光しやすくなってきました。 ・・・このヴァイクンタ・ペルマール寺院は、先ほどのワラダラージャ寺院と同じくヴィシュヌ神を祀る寺院ですが、建てられたのは古く、パッラヴァ朝(3世紀後半~9世紀)時代の8世紀。 様式としては2番目に見たカイラーサナータ寺院(前回旅行記参照)に似ており、入口の門はゴープラム(塔門)ではなく、低い楼門となっています。

楼門をくぐると、中に待ち受けていたのは天に向かってそびえる黄金の柱。 シヴァ神を象徴する黒いリンガのように、この金の柱もヴィシュヌ神を象徴するものなのでしょうか。

さらに奥の建物に入ると、その先にはこんな空間が。 中央の巨大な本殿の周りを所狭しと回廊が取り囲み、全体像が写せません・・・。

本殿の外壁にはこのように神々のレリーフが。 この寺院の祭神であるヴィシュヌ神のものなのでしょう。

こちらはオリジナルのものなのか、それとも後世に複製されたものなのか、繊細なたてがみなど、細かな部分が非常にいい状態で保存されています。

この寺院が建てられた8世紀当時のオリジナルのままなのか、レリーフはだいぶ劣化しています。 それでも、貴重な文化遺産であり、かつ、現在でも人々の信仰の対象になっていることは間違いありません。

そして本殿を囲むのは獅子の列柱を備えた回廊。

小さな寺院だからか、これまで見てきたところと比べると、巡礼者が少なく、時が止まったままのような静かな回廊。

回廊の壁には、やはり劣化してしまっていますが、ヒンドゥー教の神話を描いたレリーフが。 このなんとも言えない寂しげな雰囲気、ミャンマーのバガンで訪れた、アナー・ペッレイ・パヤーを思い出しますね。 【ミャンマー紀行(6) アナー・ペッレイ・パヤーの回廊のレリーフ】 http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/24153103/

寂しげな回廊を一周したところで11時。 これにてカーンチプラムでのヒンドゥー寺院巡りは終了・・・。

さて、まだ午前中ですが、この日の観光はこれで終わり、車でチェンナイに戻って、今度は電車で次の目的地、マドゥライを目指します。 今回のインドの旅はタミル・ナードゥ州のみといっても、チェンナイからマドゥライまでは500km近く、日本で言えば東京から京都までに匹敵するくらいの距離。 新幹線のないインドでは優に5時間はかかる道のりです・・・。

こちらの路上の市場では、並べられた品々に群がる女性たちの姿が。 活気あふれるインドの日常が感じられる風景ですね。

チェンナイに向かっている間に雨はすっかり止み、車窓からの景色も楽しめるようになってきました。 ・・・といってもインドの通りはどこもほこりっぽい感じですが。 そんなくすんだ街並みにあって、鮮やかなサリーをまとった女性の姿はやはり映えますね。

出てきたカレーはこんな感じ。 う~ん、ほかの人に何と言われようと、インドのカレーはスパイスが効いてピリっとした感じが最高です(笑)。

12時30分、カーンチプラムから1時間半かかって、チェンナイ、エグモア駅近くのホテルに到着。 荷物をピックアップし、駅正面にある地元の人々で賑わう食堂で昼食です。 注文したのはもちろんカレー(笑)。 北インドと違ってナンやチャパティではなくライスのカレーで、バナナの葉を敷いて、右手を使って混ぜ合わせて食べる食事は“ミールス”(Meals)と呼ばれています。 わたしには外国人だからか、スプーンを出してくれましたが(笑)。

13時、大満足の昼食を終え、そのままエグモア駅へ。 ホームの向こうでは、寝そべっている人も多数(どちらかというとお年寄りが多いですが)・・・さすがインド。

席を手配してくれたガイドとともに車内へ。 今回の旅は、現地スルーガイドではなく、通しでのガイドとなります。 デリーからはるばるやってきたのだから当然か・・・。 日本語能力には問題がありますが、家族の話をしてくれたり、インドで流行っている動画を見せてくれたりと、人柄はいい青年なので、観光していないときは楽しく過ごすことができました(笑)。

途中の駅ではこんなロンドンの地下鉄を思い起こさせる標識が。 英国の植民地だった証ですかね。 どこかの隣国だったらこんな屈辱の過去を思い起こさせるものは取り払われそうな・・・以下略。

13時20分、電車は動き出し、チェンナイ・エグモア駅を出発。 ガイドと一緒ではありますが、インドで初めての電車の旅です。 道中、前の席に座っていた小さな兄妹が、何度もわたしの顔を見ようとして顔をのぞかせてきたのが印象的でした。 やはりインド人は外国人に対して好奇心が強いんですね(笑)。

車窓からはしばらくこんな田園風景が続いていきます。 山などもなく、変化が少ないため、ちょっと退屈な眺めかも・・・。

18時、上記の景色そのままに、日が傾いて空が赤く染まってきました。 ・・・チェンナイを出発してから5時間近く経ちますが、まだまだマドゥライには着きそうもありません。 それに電車の中は冷房が効きまくり。 当然ながら旅行会社がエアコン付きの車両を選んでくれたのですが、上着を着るなりしてちゃんと防寒対策をしないと風邪をひいてしまいそうです。

さらに3時間かかって21時、ようやくマドゥライへ到着。 チェンナイから7時間半の長~い電車の旅でした・・・。 終点のため、何百人もの乗客が一斉に降りるのですが、駅の中はほとんど明かりがなく、暗い中をみな手探り状態・・・。 迎えに来てくれたドライバーを見つけて車に乗り込み、21時30分、この日のホテル、マドゥライ・レジデンシー(Madurai Residency)へ。 ここで簡単にガイドと明日の予定を打ち合わせて解散。 部屋に入ってようやく落ち着けます。

最高の夕食を終えるともう23時になっていましたが、ずっと電車の中で硬直していて体を動かしたい気分だったので、夜のお散歩へ。 このホテル、マドゥライ・レジデンシーは街の中心部に位置しており、周囲には夜中まで開いているお店も多く、それほど危ない雰囲気ではありません。 さすがにこの時間は出歩いている女性はいませんが・・・。

近くには2つのミナール(尖塔)を持ったイスラム教のモスクも。 南インドはヒンドゥー教徒が多いといっても、ちゃんとムスリムのためのモスクもあるんですね。

横道に少し入ったところにあるこの食堂は夜中でもそこそこの客が集まり、賑わっているようです。 ちょっと入ってみたい気もしましたが、満腹だったのでパス。

こちらの店の前には今回のインド旅行で初めて見る野良牛。 みんなから温かい目で見守られています(笑)。 ビニール袋を飲み込んで、喉に詰まらせたりしないように・・・。

夜道をぶらぶらと歩き回って23時30分、車と電車の移動でなまっていた体も動かすことができたし(笑)、そろそろ部屋へ戻って前夜の睡眠不足を解消したいと思います。 ・・・さて、翌日はカーンチプラムに続く寺院都市、マドゥライの観光。 日本人にはあまり馴染みのない、さらにディープなヒンドゥーの世界に浸っていきます・・・。 (マドゥライ観光に続く。)

そして大通りの脇にはキリスト教の教会。 インド北部では、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が深刻な状況になっている街もありますが、このマドゥライは、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教と、それぞれの宗教が平和に共存しているいい街ですね。

22時、ホテルのレストランで少し遅めのディナー。 といっても、昼食後は体を動かさず、ずっと電車に乗り続けていたわけだから、このくらいの時間がちょうどいいのかも。 まずは温かいチャイを一杯(40ルピー(1ルピー=1.6円として65円))。 う~ん、いいホテルで飲むチャイは、街なかのお店で飲むものとは違って、また格別の美味しさ。

そしてメインに頼んだのはガーリックナン(40ルピー=65円)とバターチキンマサラ(150ルピー=240円)。 レストランが暗くて色がうまく写っていませんが、このバターチキンマサラはトマトベースにバターを使った風味が絶妙で、骨なしのタンドリーチキンとあわせて、これまでインドで食べた料理の中で最高とも言えるほどの味でした。 こんな値段でこんな美味しいものが食べられるなんて・・・ここに沈没して毎日このメニューの料理を食べていたいものですね(笑)。

インドの文化・風俗・注意点

 インドでは、女性はあまり肌を見せない習慣があり、タンクトップ、ミニスカートや派手な色彩の服装は避けることをおすすめします。男性でも、ショートパンツは好ましくありません。

 また、女性の一人旅は大変危険なので避けてください。深夜に1人でデリーの空港に着き、それからホテルを探そうとしているところを、見知らぬ男性の甘言に乗せられ、付いていって暴行を受けたり、タクシードライバーによる強盗殺人被害に遭ったりしています。

 その他、インドでは左手を不浄視する習慣がありますので、例えば物の授受は左手を使わない等注意する必要があります。

 多民族・多宗教が混在しているインドでは、それぞれの所属に対する帰属意識が非常に強いので、特定の民族や宗教に対する言動は慎重にしてください。

 熱帯諸国で認められる風土病はほぼすべて存在します。マラリア、コレラ、急性肝炎、流行性髄膜炎、日本脳炎、デング熱、腸チフス、パラチフス、細菌性赤痢、狂犬病、住血吸虫、アメーバ赤痢、結核、破傷風等が発生しています。しかしながら、十分に注意していれば、これらの疾患は大部分予防することが可能です。

 まず、汚染された水や食べ物に起因する疾患(経口感染症)が多いので、生水は飲用せず、煮沸した水かミネラル・ウォーターを飲み、食べ物については十分に加熱したものを食べ、手洗いを励行することが重要です。マラリアやデング熱、日本脳炎等、蚊が媒介する病気は、モンスーンシーズン(6〜9月)から11月頃に流行します。殺虫スプレー、蚊取り線香のほか、外出時には長袖、長ズボン、虫除けスプレー等を使用し、蚊に刺されないようにすることが肝心です。

 いずれにせよ、体力の低下が各種の疾病を招きますので、余裕を持った旅行日程を組むことをおすすめします。

 また、発汗と埃による皮膚のダメージのために皮膚科的疾患になりやすいので、日頃から皮膚を清潔に保つよう留意が必要です。野良犬・猫が多く、中には狂犬病に罹患した野犬のいる可能性があるので、近づかないよう注意が必要です。

 特にコルカタをはじめとする西ベンガル州、ビハール州ではマラリアが、ウッタルプラデシュ州では日本脳炎が流行しております。その他の地域でもマラリアやデング熱は毎年発生しています。

 熱帯性マラリアに限らず他のマラリア(三日熱・四日熱・卵型マラリア)でも治療のタイミングが悪ければ死に至る可能性もあるため、公衆衛生当局では高熱を伴う症状の場合にはただちに検査を受けるよう呼びかけています。

 マラリアは、マラリア原虫を保有しているハマダラ蚊に刺されることによって感染するため、蚊に刺されないよう(1)虫よけスプレーを使用する、(2)蚊が活動する夜間には長袖シャツや長ズボンを着用するなどの対策が必要です。

 同時に抗マラリア予防薬の服用を検討することも重要です。ただし、予防薬の服用にあたっては、薬品耐性のあるマラリアも発生しているほか、体質等にも個人差があるため、医師、現地医療機関等に十分相談することが必要です。

 インドは南アジアにおいて、比較的医療水準の高い国のひとつであり、大学病院、国公立病院、私立の病院・診療所等各種の医療機関があります。しかしながら、一般に国公立の病院は院内が極めて不衛生で、日本人の利用には適しません。私立の病院には清潔で設備の整ったものもありますが、医療費が高く、また万一医療先進国への緊急移送等が必要となる場合に備えて、日本出発前に必ず任意で海外旅行傷害保険に加入される事を強くおすすめします。

 なお、救急医療体制が十分に整備されていないことにも留意が必要です。