インドってどんな国?

インドは南アジアに位置し、インド亜大陸の大部分を占める連邦共和国である。パキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアと国境を接する。
10億人を超える国民は、多様な人種、民族、言語、宗教によって構成されている。ヒンドゥー教徒が最も多く、ヒンドゥー教にまつわる身分差別であるカースト制度の影響は今でも残っており、クラス(階層)や貧富の差が非常に大きい。このように多様な人々が存在するためインド人をひとまとめにして理解するのは難しく、貧富の差については「インドは貧しい国ではなく、貧しい人が多く住む国である」などともいわれる。

インドの地図

インドのブログ旅行記

日本料理屋風インド料理店の巻 (ユキノヒノシマウマ)

2006年5月10日 ... とんでもない広さを持ち、各オフィスを訪れるだけでも一苦労のマーチャンダイスマート のすぐ裏辺りにあるこのクレイ・オーブンは、ランチ時のバフェが近くで働くオフィス ワーカーに大人気のインド料理店。 ...

パースと歌舞伎とラテン音楽と: 海外の情景 今日の一枚

インド洋に沈む夕日もすばらしく、オーストラリア東海岸のケアンズやゴールドコースと は違った、落ち着いたオーストラリアを楽しめるエリアです 是非皆さんお出かけ ください(オーストラリア政府観光局に成り代わりまして宣伝です:笑) ...

2006年08月のブログ|食べて歩いて遊んでスペイン!

こちらはインドの建物らしい。 fiesta sants-14 年齢層がややお高めの皆様が下を向い て何やら必死・・・。 ビンゴゲームコーナーでした。 サンツのお祭りは グラシア祭 ほど混雑しない、 臭くない、小ぎれいなので、 お子ちゃま連れやニオイ(トイレの)に ...

ブログテーマ[インド土産]| 世界一周御披露目帳

世界一周御披露目帳 ★のインド土産について書かれた記事です。

ザビエル城、再び|食べて歩いて遊んでスペイン!

インドなどを回った後、 日本へ着いたのは 1549年 (以後よく来る宣教師・・って覚え ましたbyウルコ) .... そうそう、来日の前にインドのゴアに行ったみたいです。 なので、インドでも歴史の教科書に名前を刻むほど有名人なのでしょう。 ...

藤原紀香の写真! | 世界一周オンナ一人旅 & その後の日々

ちなみに、私がルクソールで観光した時に一緒だったインド人の夫婦は多分その場で ツアーに申し込んだ人たちだと思います。 ... 突然ですが、インドには行かれないの ですか?あなたの経験をもってすれば、十分やっていけると思いますよ。北インドだけで ...

メルセ祭に食べた。。。|食べて歩いて遊んでスペイン!

2006年9月26日 ... スパイス使いといい、アラブ系とインド系は繋がりがありますよね。 ウルコ 2006-09-26 00:19:05 >>このコメントに返信. 15 ■うりぼうさんへ. うりぼうさんと私って食の好み 、似てますよね~~。 コンビになったら食い倒れしそうです ...

還暦からの青春旅行記(2) - マダカスカル紀行

インド大陸が、アフリカ大陸から分かれて東進し、ユーラシア大陸にぶつかって、 エベレスト山脈を作った頃、マダカスカルは、 ... その頃の島の住人である原猿類( キツネザルなど)は、インド大陸と一緒に、インド南部に移動したものもあったが、大 多数 ...

朝食に、もっとミルクを|食べて歩いて遊んでスペイン!

インド、バラナシで食べたやつがまさにそれです。ずっとヨーグルトでもないしなんだか なと思っていたのですが、ぶ厚い牛乳膜です。 .... でも、コメントではインドで食べる って情報もありますし、実は隠れたスタンダード・朝ごはんかもしれませんね。 ...

チェゴヤ @ 中目黒 GO TO THE WORLD/ウェブリブログ

昔よりは食べられるよ、辛いもの。(たくさんは無理) キムチはわりと好きなのさ~。 mina 2008/02/14 18:01. >mina わたしもわたしもー。 でもまだカレーは甘口がいいかな 。 インド系のさらさらのなら少し辛くても食べられるようになった~。 ...

ブログテーマ[インド]|諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

2007年1月11日 ... 諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』のインドについて書かれた記事です。

およよな生活 - カナダ旅行記 -

数ある中で選んだのは、Original flavor of INDIA(インドの独特な味)。バンクーバー まで来て、なぜキングフィッシャー(インドのビール)を飲みながらカレーなんだ?。 道路にはみ出したオープンテラスに座っていると、時々日本人観光客が怪訝な顔で ...

04) サレルノ → アマルフィ → ソレント - アマルフィのデリツィア ...

1人旅というとインドを思いついたりもしましたが, インド1人旅についてネットで検索 したりすると, インドはすごい所みたいで,行くには相当な勇気と決意が必要だと思い ました. なのでやはりヨーロッパを攻めたいと思っております. ...

南インドの旅③ ナガールジュナコンダの遺跡 - 地球浪漫紀行世界紀行 ...

南インドの旅③ ナガールジュナコンダの遺跡 · 2008年02月15日 10時41分46秒 | 南 アジア. こんにちは、田中です。 こちらはハイデラバードの東方、ナーガルジュナ・ サーガルから出掛けたアーヌプルの仏教遺跡です。 クリシュナ河のダムに沈む遺跡を 移築 ...

1ヶ月で中国とインドを一人旅 旅のQ&A(アジア)

はじめまして。 私は今度2月初旬から3月初旬にかけて約1ヶ月間アジアで一人旅をし. ..

Creil の 「5感+α」 Ver.旅 > 海外旅行レポート一覧 > レポート

というわけで最後のインド見納めです。 ジャイプールからデリーに向けて発ちます。 途中で見かけた綺麗な丘と町並み。 ... 最後の日にぴったりな絵ですよね^^ 思えば15 日インドに来てから早くも23日とあっという間の8日間。 ...

南インドの旅⑤ ミナクシー寺院とコモリン岬 - 地球浪漫紀行世界紀行 ...

2008年2月27日 ... 1月に行ってきました、南インドの写真の続きです マドゥライのミナクシー寺院は、 インド国内でも有数の美しいヒンドゥー教寺院です ... 南インドは、北インドとはまた 違う雰囲気がありますよね。10年くらいの差があるように思います。 ...

世界一周旅物語(せかたび)- インド(India) アーカイブ

日本の10倍近くの面積があるインドの移動は、体力勝負! そして、インド人との値段 交渉やお布施に根気と気合いも必要。また、アジアの中でも、特にひどい衛生環境、、、 辛いものが苦手な私にとっては、インド料理も苦痛ー 精神的にも、ヘトヘトって感じ ...

ブログテーマ[社会復帰への道]|世界一周ブログ(略してセカブロ)が ...

ヒンズー式の結婚式をインドで、しかも3日間1200人. という藤原紀香もびっくりの マハラジャ系?結婚式に. 参列できるチャンスは滅多にあるもんじゃない。 是非とも 行きたい!! で、でも1月から社会復帰する予定だし、. 入社していきなり1週間休めん よね ...

インドのおじさん。 - 奥様は海外添乗員

2009年4月25日 ... このインドのおじさんはエア・インディアのマスコットでエア・インディアからもらっ たんです。 1年で来客数が一桁の我が家ですが、遊びに来たらインドのおじさんが迎え てくれますよ。 みなさんからのコメントはいつも楽しく読ませて ...

世界一周旅物語(せかたび)- インド訪問、第一印象。 アーカイブ

2006年10月21日 ... そんな耳障りのクラクションにインドを感じる一方、排気ガスなどの空気は、ウワサ どおり汚れています、、、どんよりと、雨雲に覆われたような暗さは、怖いイメージさえ も感じてしまいました。窓を閉めれば多少マシかもしれませんが、 ...

世界の人種・民族別血液型割合

Indians (India - General) インド. 37. 22. 33. 7. Indians (USA - General) 米国 インド系. 79. 16. 4. 1. Irish. アイルランド. 52. 35. 10. 3. Italians (Milan). イタリア (ミラノ). 46. 41. 11. 3. Japanese. 日本. 30. 38. 22. 10. Jews (Germany) ...

悠久の大地・インド - 地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

インドの見どころを厳選したツアーを募集中です。 11月5日発「悠久の大地・インド紀行 聖地ベナレスとエローラ・アジャンタの旅」 ... マハラジャの都ジャイプール、 ヒンドゥー教の聖地ベナレスなどインドのハイライトに加え、幻の都・世界遺産の ...

インドの青空美術館・シェカワティ地方の田舎町 - 地球浪漫紀行世界 ...

2010年1月14日 ... インド北西部ラジャスタン州にある、デリー、ジャイプール、ビカネールを結ぶ小さな 三角形の地域です。 .... インドの大都市では失われてしまった、かつてあったインドの 姿がここシェカワティに感じ見ることができるかもしれません。 ...

インドの写真・旅行記

高原なので涼しいです。 南インドは常夏でベッドには上にかける毛布なんぞはありません。 あってもシーツくらいです。 それくらい暑いのです。 でもここでは上掛け布団がありました。 夜中はそこそこ冷え込みます。 ワレワレはシュラーフ持参なので助かります。 2,200メートルの高原は、さすがに空気はすがすがしいものです。 今日も天気が良いので街の探索に出かけます。 ワタクシたちの活動時間は午前中限定です。 電車で老人割引が出るくらいですから、半日活動、半日お休み、っというパターンでないとアンビリバボー・インディアでは体が持ちませんのです。 昨日、チラッと「第一の見所:ウーティ湖」を見たのですが、臭くて、キチャナイものだった。 本物のスイスのように、スカッとした素晴らしい街並みを期待するほうが悪いと思えます。 For emergency pages; http://www.geocities.jp/ariyan9910/eurasia4_165.html

ワレワレの部屋は3階で窓からウーティ湖、その上に教会と山々が見渡せます。 中々絵になる風景じゃあ、ありませんか。

階下にはフランス人家族4人、インド人家族3人が住んでいます。 子供たちが芝生で遊んでいます。 宿のマダムが明日から階下のちょっと広い部屋に移るよう薦めてくれたので、明日からは、部屋の前は芝生の庭、ベンチがあるステキな環境となる予定です。 親切なスタッフです。

リフレクションズ・ゲストハウス(GH)を出て鉄道駅方面、湖沿いに歩いていきますと、乗馬隊が居てしきりに「馬に乗らないか?」っと薦めてきます。

ミニ・トレインの線路下をくぐって街にでます。 残念ながらトレインはまだ走っていないので、代わりに人間が線路上を歩いていたりします。 (このガード下、キチャナくて、臭くて、デコボコです)

昨日着いたバスターミナル。 ここからマイソール、バンガロールに長距離バスが出ています。 近郊へのバスもここからです。 降りる時に乗る人が殺到して降りるに降りられない状態は、外人の皆さん同じ経験をしていて、みんな自国語で大声を出して、乗り込んでくるインド人を蹴散らして降りる、とのことでした。

一番広いメイン・ストリート。 小さな川沿いにあるのですが、その川がクサくて、キチャナイ。 まあ通りも凸凹でキチャナイですが、他の町よりはちょっとだけマシか?

ヒンズーのお寺が見えます。

朝食どきなのでパロータとドーサを焼いています。 あまりにキチャナイのでパートナー曰く「ここで食べるのは絶対にイヤッ!」

お寺は相変わらず、ゴテゴテのチープな装飾一杯 。

お寺の向こう側の通りは、オールド・バザール通り。 銀細工装飾品のお店が並んでいる落ち着いた雰囲気の通りです。 (でもインドですからシックな雰囲気、と云っても、あくまでインドであることをお忘れなく)

牛さんも朝メシを求めてオールド・バザール・ロードを歩きます。 ここの牛は他と違い乳牛種のホルシュタインです。 牛だけはスイス並みです!?

行き付けの店があるのか、決まった店の前でじっとしていたりしています。

魚屋さんもあります。 こんな山ん中の海の幸? いつの魚カナ? 今日の探索は小さくクルッと廻ってお終いです。

今日の探索=黄色い点線。

今日は朝6時のバスに乗ります。 コインバトル→ウーティ直行バス、一人Rs40(約80円;3時間位乗ってしかも山に上るにしては非常に安い!)。

辺りはまだ暗いうちにボロいバスは出発します。

平地を30分くらい走り、徐々に上りになっていきます。

乗ったボロいバスは、荷物を入れる場所が無く、ワレワレは一番前の運転席の横に荷物を置かざるを得ません。 よって席も自ずと一番前かその近くになります。

バスは本格的に坂を上って行きます。 かなりボロいバスなので、喘ぎながらゆっくり上っていきます。

高度は徐々に上がっていきます。 500メートルから2200メートルまで、約3時間をかけて上るのです。

道路は途中、土砂崩れで寸断されているそうで、本来の道路が使えず、迂回運転するらしい。 従来の時間より余分にかかりそうです。 高原鉄道が止まったのは約3ヶ月前、というから8月ころに土砂崩れがあったものと考えられる。

9月、10月、11月は雨が良く降るようだ。 バスはかなり高度を上げて、山々には広大なお茶畑が広がって見えるようになってきた。 その畑の数はおびただしい。 マレーシアのキャメロ ン・ハイランドの茶畑は限定的に広がっているが、ここはどこもかしこもお茶畑、というくらいに山々が茶畑になっています。 大規模なお茶畑です

ここらで降りる人も出始めました。 新たに乗り込んで来る人もいます。

人の住むところはこのようにゴミ溜めとなり、キチャナイ・インディアがあります。 途中の自然はすばらしいけど、インド人あるところゴミあり、で興ざめです。

お茶プランテーションの労働者の家々。

村々にはお寺があります。 キリスト教の教会、イスラム教のモスクもあります。

汽車から見るインドの自然、バスから見るインドの自然、どれも目を見張るほど素晴らしいものがあります。

2000メートルほどまで上って来て、ウーティの手前の村です。 ここでワタクシの電子手帳が狂いました。 気温の変化、気圧の変化が狂わせるのか? 不思議です。 パソコンが狂ってないか、心配です。

ここでトイレ休憩。 パートナーがトイレに行ったのですが、ナント!トイレが無いのです。 物陰でやるしかないのです。 見れば乗客の女性がそろって物陰に行っています。 パ ートナーもやむなくそうしました。 トイレという言葉を発すると、皆一様に「???」でキョトンとしているほど、「トイレ」という概念が無い様子です。 恐るべしアンビリバボー・インディア!!!

とうとうウーティに着きました。 荷物を担いでバスを降りようとすると、降りられないのです。 ナント!大勢のインディアンが乗り込もうとするのです。 押すな押すなと乗り込んでくるので降りられないのです。 パートナーが「オロシテーッ!」っと悲鳴を上げていますが、構わず連中は一つしかない昇降口に殺到してくるのです。 「オラ、オラ、オラーッ!アウト・ファースト、イン・セカンド!オラーッ、降りるぞー!荷物がアルゾー!」

イヤー、久しぶりに吼えました。 日本語で吼えまくりながらやっとの思いで降りまし た。 疲れました。 ツクツクを拾って、行こうと決めていたReflections Guest Houseに行きました。 GH前のウーティ湖。 ウーティで第一の見所、と紹介されています。 それにしても、ありゃあナンダ? インド人はマナーがナットラン!と腹の虫はまだ収まりません。

第一の見所のウーティ湖だが、そりゃあ美しい湖ですよ、っと言いたいところだが、そりゃあ、キチャナイ湖でした。 ガックリ。

写真奥の建物がレフレクションズ・ゲストハウス。 一泊Rs600(約1200円)ダブル、バスルーム付き、お湯は時間限定である。

宿の前をホースライディングが通ります。

バス・ターミナルで叫んだので,お腹が空きました。 近所に何も無いので,仕方なくGHで夕食。 不味い食事でした。

夜になると丘の上の街の灯りが見えてロマンティックです。 (キチャナイ部分が見えないので、、、)

今回は、キャセイパシフィック航空利用♪ 香港経由のため、乗り継ぎ時間で香港の街に出てみました。 デサードな有名なお店・・・糖朝?だったかな。

深夜、デリーの空港着いて、スーツケースを待てど待てど一向に出てこない。。。 もしや違う飛行機に?! なんて不安になったけど、1時間後無事出会えました。

実は写真を撮るのが苦手です。 観るので精一杯で(笑) しかも途中からカメラの様子がおかしい!

インド人が毎日カレーを食べるのは本当らしい。 でも、みんなが辛いカレー好きなワケではないんだって。 私的には、豆のカレーがお気に入り♪ インドカレーは、日本人の口に合うと思います。

今回の目玉!! タージマハルです!!! このために来たと言っても過言ではない。 真っ白で、すごくきれいでした。 来てよかった♪

ニルギル高原鉄道は、ダージリンの高原鉄道とともに世界遺産に指定されています。 その高原はタミール・ナドゥ州にあります。 コーチンはケララ州です。

朝の8時ころにフェリーでエルナークラムに渡り、エルナークラム・ジャンクション駅にやって来ました。 4番プラット・ホームにて列車を待ちます。 ワレワレのワゴンS5がどの辺りに停まるか? どうしても分かりません。 誰に聞いても皆、適当なことばかり言うだけです。 イイカゲン・インディアンです。

鉄道技術員に聞いた場所は見事に間違っていて、自分のワゴンを探すのに予想通り、走り回りました。 やっとのことで探し出し、自分たちの指定席に行くと、予想通り、他人が座っていました。 まあ南インドの人たちはおとなしいのでハッキリと「そこはワタクシたちの席だ!」と言えば、おとなしく席を譲ってくれます。

しばらく北方に走ります。 コーチン周辺がいかに水郷地帯か、その景色から伺えます。

途中、方向が東になり、少しづつ上りになっていきます。

平野部ではもう稲が穂を垂れています。

もう少し上に行くと、稲刈りの季節です 。

もう稲刈りの済んだ田んぼも見え始めました。

電車の中では色んな売り子がやってきますが、これは「ベストセラー本売り」。 意外と人気があって、若い人たちに人気が有りました。

遠くに山が見えてきました。

山が近づくにつれ、さっきまで稲刈りを見ていたのが、田植えをやっている場面になってきました。 恐らく南インドでは一年に何回も米が取れるのでは? また、高度によって稲作の時期がちがうのだろう

山がドンドン近づいてきます。 ニルギル・ヒルが近づいてきているのが感じられます。

外の風も心なしか、高原の風味を運んできています。

約4時間の列車の旅、でした。

コインバトルは、駅前に街が広がっており、狭苦しい駅前の街でした。 ここも他に違わずキチャナイ・インディアでした。

もう昼過ぎなのでここで一泊するしか有りません。 駅前のキチャナイ横丁に入るとホテルがたくさんありました。 しかしその殆どがフルブッキングで部屋が中々ありません。 奥まったところのホテル(SREE RAAMU)に部屋を見つけた。 一泊Rs770と部屋の割には高いものでした。 でも一泊だけだからまあイイカ。

バス・ルームはお湯が出ません。 それにトイレはスクワット方式です。 高くても、もっとイイ所にしたいのですが、一杯でチョイス出来ません。 仕方ない。

ランチ。 田舎には珍しくファスト・フード風の店があった。

ローカル飯は、食べると、パートナーのお腹が壊れるので、簡単なパイとかミニ・ピザとコーヒーにした。

まあ、それにしてもこの駅前横丁はキチャナイ、ガサガサしたところです。 500メートルの高原に来ても、まだスイスは出てきません。 2000メートル以上のウーティまで行けば、綺麗な高原都市があるのだろうか? 不安に駆られます。 宿のレセプショニストのお姉ちゃん曰く 「メッツパラヤムからのミニ・トレインは土砂崩れで今は動いていないよ~」 ガックリです。 帰国前に「インドのスイスで気持ちよく過ごして、そして世界遺産のミニ・蒸気機関車に乗って素晴らしい高原ライフをエンジョイしよう!」っと目論んでいたのに。 駅のインフォメーションに聞けば「動いてるよー」だったので、喜んで列に並んで切符を買いに行った。 ところが、切符売りのオジサンはやっぱり土砂崩れで不通だという。 ホント、インド人はみんな言う事がイイカゲンなのだから!

切符売りが言うのだから、高原鉄道は不通なんだろう。 かと言って今更コーチンに帰るわけにもいかず、ウーティまでバスで行くことにした。 翌日、バス乗場を見学。 長距離バス乗場は市中心からツクツクで約20分、Rs50.- 結構遠いところにあります。

ウーティには15分ごとに一本のバスがあるそうです。 朝の3時半からあるとのこと。 電車が不通のために、バスが大増発されているのか?

このバス・ターミナルから色んな方面にバスが出ています。 マイソールとかバンガロールにもバスがありました。

長距離バス・ターミナルの対面にはタミール・ナドゥ州政府経営のホテルがあります。 近くには市内バスターミナルもあって、郊外だが、かなり賑やか所です。

帰りは市内バスに乗って鉄道駅周辺に帰ります。

市内バスは一人Rs2.-(約4円).

ここもまさに、キチャナイ・ヤカマシイ・空気ワルイ・アンビリバボー・インディアでした。

今朝は行き付けの雑貨屋へ行って 「何か食べられるもの」 を探して買って帰ろう。 そして王宮裏のネット屋でネットをしてからツクツクで帰ってゆっくりしよう、っという計画で出かけた。 行き付けの雑貨屋の前で。

雑貨屋のオヤジ。 中々良いおじさんで、色んなことを教えてくれます。 日本に興味を持っていて、いろんなことも聞いてきます。 でも 日本がどこにあるか、知りません。 現金を扱えるのは、この店でこのオヤジだけです。

この雑貨屋はバザール通りにあり、名前は「NATIONAL STORE」

バザール通りは米やスパイスや玉ネギや穀物の問屋が一杯あるので、朝は斯様なトラックがひしめき合っています。

雑貨屋からバザール通りをもう少し行くと、王宮があります。 王宮の中を通って裏側に行きます。

裏側のネット屋に行くと、なんと!お休みでした。 がっかりして思案。 そうだ、サンタクルーズ教会の近くにネットも電話もある店が有ったので、そこに行こう! ツクツクを飛ばしてRs20で行きます。

ツクツクの兄ちゃん、お釣りが無い、と言ってRs50に吊り上げようとします。 兄ちゃん、相手が悪かった!? ポケットにRs10札を結構持っていたのを見て知っていたので、先ず、釣りRs80を先に出させた。 嫌がるのを彼の手から札をとりあげて、こちらで勘定してRs80を取った。 それからRs100札を渡して、オーケー! 運ちゃん、 ア然としていました。 コレくらいやらないと、観光客ズレしたツクツクは通常価格で乗せてくれません。

サンタ・クルーズ教会の隣の修道院。

聖マリア・修道院 コーチン。

もうお昼近くなっているのでお腹が空きました。 パートナーがパロータのパンが食べたい、パンとちょっとしたものならば大丈夫だろう。 っと言うことで近所の観光客用のレストランに入るも、パロータのパンは無い。 ここいらでパートナーの食い物へのイライラとワタクシのイライラがぶつかって大喧嘩になりました。

パンが有る、無いはワタクシのせいじゃ、っと仰るのです。 「もう勝手に帰れ!」っとタブーの文言を吐いたのをきっかけに 「チルチラッパリの 空港から街にでた時の初めっから、ワタシは、帰りタイッ! っと叫びたかった。そ れをずっと我慢してきたけど、こんなトコもうイヤッ! 体がモタン!! コーチンに は空港があるからここからは引き返せるヤロ!」 ワタクシも感じてはいました。 もうソロソロ限界カモ。 っと。

11月24日から今日まで約1ヶ月強。 人間のやさしい南インドだけれど、まあ、想像を絶するキチャナイ・アンビリバボー・インディアで、良くもったモンダ。 今回は一旦、帰るとするか、っと言うことで合意。 仲直り。 宿の近くの外人専用レストランでパロータのパンを頼んで、ご満悦のパートナーです。 比較的辛くないコルマをパロータ・パンにちょっとだけ付けて、トマト・スープで食事。 ホットひといき。

さて、いきなり帰る、っと言っても陸路では遠すぎて、帰れません。 ここコーチンからはエア・アジアがKLに飛んでいます。 スグに宿でネットと格闘し、予約便検索しました。

世界中どこからでもネットで予約、チケット購入ができる、ところにLCC(Low Cost Carrier)の良さ、便利さがある。 しかも安い、ときている。

まあ、次に予定していたニルギル高原は世界遺産の蒸気機関車のミニ・トレインもあるし、「南インドのスイス」と言われているらしいから、パートナーの口に合う食事もあるのでは? との期待から、正月は海抜2200mにある涼しいウーティで過ごして、ゆ っくり休養をとる。 再度コーチンに戻ってきて、それからエア・アジアに乗って帰ろう、という事になった。

1月13日にコーチン発→KLに深夜着、翌日の朝の 便でKL→杭州の便を予約した。 片道約37,000円/2人。 インドにやって来た時より安くなっていた(往路約42,000円)。 上海からの新鑑真号は1月16日にしかない。 また紹興に行くのも芸がない。 今回は「水郷の郷:蘇州」を訪れることにした。 蘇州にたどり着くのが夕方になりそうなので、hostelz.comで宿の予約しておいた。

これで夫婦円満と相成りまして、メデタシ メデタシ! これで今回の壮大な旅行計画は破綻してしまったわけです。 最後にワタクシが一番行きたかった、シルクロードを置いていたのだが、インドのキチャナさ、食べ物の無さ、に負けました。 シルクロードは、またの機会にしましょう。

今回の帰国ルートは図のようになります。 それにしても、エライ便利な世の中になったものです。 急にフライトを予約せねばナラン、と言う時、飛行機にネットひとつで乗れる訳ですから。

ここで少しコーチンの地理的位置と、本日の小旅行のルートを説明しときます。 コーチンは最近の地名変更で、正式にはコチと言います。 コーチンは英国人が付けた名前。 トリバンドラムの北側、カリカット(ヴァスコ・ダ・ガマが上陸した場所)の南、両都市の中間の西海岸沿いに位置します。 コーチン市は、近代的で人口集中地エルナークラム、人工島:ウェ リンドン島、古い城砦だったフォート・コーチンとスパイス交易の中心地でユダヤ人街と王宮のあるマッタンチェリーからなる、3つの地域からなっています。 今日のルートは、バスで(青い実線)と歩き(黄色い点線)とフェリー(青い点線)。

エルナークラムまで一人Rs13,二人でRs26のところを、小銭が足りずにRs20にしてもらった。 (セコッ!)。 南インドの人たちは優しいのです。

フォートコーチンのはずれにあったキリスト教徒の墓地。

フォートコーチン+マッタンチェリーは、エルナークラムの本土と繋がっており、半島になっています。 入り江が深いので途中、橋で本土と繋がっているのです。

フォートコーチンとマッタンチェリーを後ろに見ます。

港湾の浚渫で出た土砂で造った、人工島のウィリンドン島。 工業施設と港湾施設が集まっているようです。

おびただしい数のコンテナ・トレーラーが待機しています。 (ウィリンドン島上)

ウィリンドンを越して、エルナークラムの港湾施設が見えます。

コンテナ・ヤードです。

通常は一人Rs13ですが小銭が足らん、と言ってRs10になったので、車掌は困って無理やりにRs10の切符をくれました。 エルナークラム駅近くに来ると、車掌が教えてくれて降ろしてくれました。 駅への行き方も親切に教えてくれました。

エルナークラムに着いた時点で、まだ朝の9時だったので、閑静な住宅街にあった上品なミニ・ホテルで朝食をすることにした。

パートナーはマサラ・ドーサ、ワタクシはパニエ・ドーサ。 ともに斯様なココナツミルクと、こってりしたカレーも付きます。 マサラとはジャガイモのカレー煮込み(あまり辛くな い)、パニエとはココナツ仕様のチーズ。

中々上品なお店で、朝食を摂っている客層も上品なインド人が多かった。 南インドにしては、肌の色の白いめの人たちが多いようでした。 皆さん、手でたべますが、、、

これがドーサ。

中にパニエ(ココナツ風チーズ?)。

ドーサの中のマサラ。

こんな感じのお客さん。

朝食後、歩いてフェリー乗場方面に。

表通りは喧しいが、ひとつ裏通りに廻れば比較的落ち着いた通りがある。

海岸通りにはこうしたココナツ売りが数多く店開きをしています。 でも氷なしの営業で、ココナツ・ジュースは生ぬるいものでしょう。

海岸沿いの公園。 ここらでパートナーがお腹の不調を訴えてきた。 インドではあんな上品なレストランで、しかも極力辛くない食べ物を、遠慮がちに食しただけなのに、どうもこりゃあ、インドの空気そのものに対して拒否反応を起こしてきたか?

ボート・ジェッティ。 フェリー乗場のことですが、ボートの桟橋という意味のボート・ジェッティがぴったりの船着場です。 なんせ、ボロい小型船が着くところですから。

桟橋の向かい側にはこうした高層ビルが立っています

新しいターミナルを建設中です。 ですから桟橋の周辺にはツクツクが出入りできないので、ターミナルに続く入り口付近にしかツクツクは止まりせん。 初めてツクツクで ここに来た時、どこに桟橋があるのか分からず困ったものです。

今日はクリスマス。 非常に多くの人たちがフェリーを利用しています。 さすがモト宗主国の宗教が影響しているのか、キリスト教徒が多いのだろう。

まだ午前中だから早く宿に帰って一休みしよう。 パートナーのお腹の具合はゲーリー・クーパーにはならないが、お腹がただ痛い、という。 もう精神的に限界が近いのか? 旅の中断も考えねばならないのか?

ワタクシもどこに行ってもキチャナイ・クサイ・アンビリバボー・インディアに少し嫌や気がさしてきてはいるが、すばらしい遺跡群の魅力もあるし、その先にはシルクロードもあるし、中国に入ればパートナーの好きなラーメンもあるし、、、 色んな思案が頭の中を駆け巡るのであった 。

フォート・コーチンの海は入り江になっているので静かだ。

青い点と線が本日のコース。

バス停で若者にエルナークラムに行くか? っと聞いたら、行く、と言うので乗った。 でも暫くしてから車掌に聞くと、行かない、っと言う。 それで途中で降ろされてしまった。

そこは住宅街でしかもお金持ち地域のようだった。 こうした立派な家が並んでいた。

とんだハプニングだったが、大体の位置が分かっていた。 お天道様の方角に進めば、マッタンチェリーに行き当たるハズ、っと住宅街を歩いた。

キチャナイところも多かったが、マシなところも時々はあった。

一時間ほど歩いて、勝手知ったるパレス・ロードにでて、ダッチ・パレスの裏側に出た。

今日はクリスマス・イブでもあるので、ダッチ・パレスの裏側でも、西洋人観光客が多く見られた。

ここがワタクシたち行き付けのネット屋さん。 街のネット屋より少し安いし、しかも日本語環境があるのだ。 近くには電話局もあるので、今日もムスメとお嫁チャンと国際電話を楽しんだ。 街の電話屋の半額なのだ。

16世紀にユダヤ人によって建造され、信仰の支えと なったであろう、シナゴーグ。 こんな、と言っては失礼だろうが、暑くてキチャナくて、わけの分からない宗教のある南インドの果てにですよ、ユダヤ人たちは、その生活の根を張って生活を続けた。 もうアンビリバボーな世界です。

やっと中に入りました。 靴を脱いで中に入ると、ユダヤ人 とおぼしきご婦人がテキパキと入場券をさばいていました。 たったのRs5.-(10円)です 。 クリスマス・イブだけに今日は訪問者がすごいのです。 でもさすがユダヤ人です。 計算も早いし、お釣りを出すのも早い! いままでインド人のチンタラぶりばかり見てきた当方には 「さすが先進国の人間だなあ !」っと感心してしまいました。

シナゴーグの中は一杯の人。 写真はダメだったけど、フラッシュを焚かないようにちょこっと写させてもらいました。 手のひらに隠せるほど小さなカメラなので誰も気が付かなかったようです。 ゴメンなさい。

中国製のタイル。 16世紀だから明の時代のもののようです。 (ワタクシの推測)

幕を張っているところが祭壇でしょう。

天井からは、恐らくかつて住んでいたユダヤ人家庭からも集めてきたのでしょう、おびただしい数のシャンデリアがぶら下がっていました。 よく分かりませんが、ベルサイユ宮殿の鏡の間にぶら下がっていた紫水晶製のシャンデリア、もあるように見えました。

いやあ、厳かな気分に浸ったあと、ユダヤ人街をウィンドー・ショッピングしながら、ダッチ・パレスのほうに向かいます

こんなに一杯の西洋人観光客を見たのは、今日が初めてです。 南インドではチラホラ見るだけでした。 さすがここでは皆さん元気が良いです。 南インドに来て、初めての観光地だ、と言う雰囲気です。

王宮博物館。

入るのに行列です。 西洋人ばかりか、インドでも北の方からやってきたインド人観光客も団体で、結構いました。

立派な入場券。 たったのRs5.-

中は暗くて狭く、順番を待って各部屋に入っていきます。 撮影不可です。 暗くてフラッシュなしでは撮影不可能です。 よってワタ クシの盗撮も不可能。 各ラージャ(マハラジャ)の紹介や昔の生活用品、着物、武器などの展示が主だった。 BC1000年にやってきたと言われるユダヤ王国のキングソロモンの遣いの絵や宗教画があった。 あとでロンプラで読んだが「クリシュナ神が6本の手と2本の足で8人のミルクメイドを愛撫する図」というのが有ったそうだ。 ワタクシ、それを見落としてしまいました。 なんせ、押すな押すなの状態だったのでゆっくり見られなかったのが残念だ。 (いつまでも解脱できないワタクシをお許し下さい)

帰りはツクツク(普通はRs50と吹っかけてくる)Rs20で宿の近くのHotel SEAGULまで帰ってきました。 ここのレストランには西洋人がよく出入りしていたので、パートナーのお口に合う料理がある? カモ。

まずはビールで乾杯。 南インドで初めてのビールでした。

西洋人はここで魚料理をよく頼んでいました。 でも煮るか、揚げるか、カレーにまぶすか、しか料理方法がない。 焼く、という観念がないのか? まあ日本人には(ワレワレだけかも知れませんが)どうもあきません。 煮る=カレーにまぶす。 揚げる=油が悪い 結局、焼き飯と焼きそばを食べました。 他のローカル・レストランとあまり変わりなかった。 値段だけ一流でした。 でも落ち着いて、リラックスできる雰囲気でした。

今日の散策コース。 (黄色い点々)

途中で見かけたキリスト教の学校。

フェリー乗場から歩くこと約1.5km. ダッチ・パレスの塀が見えてきます。 米やスパイスの問屋街を通ってかなり歩きます。 狭くてキチャナイ問屋街が続くので結構つかれます。 パレス付近の一角 だけ比較的きれいになっているので驚きです。 小さな入り口がかわいらしい。

王宮の入り口の対面は海岸につながっている。 海岸までみやげ物屋台がひしめいています。 いろいろと声がかかります。

みやげ物屋を抜けると王宮のフェリー乗場にでます。 ここからもエルナークラムに渡し舟が出ています

今日は外からの見学だけですから王宮には入りません。 王宮から更に進むとユダヤ人街となります。 ユダヤ人街と言っても、今はみんなインド人が住んでおり、みやげ物屋や骨董品屋をやっています。

大きな骨董品屋が軒を連ねてあるので、かつてユダヤ人に愛されて使われたであろう、骨董の品々が所狭しと並んでいます。 こうした店を看て歩くのは非常に興味津々です。

もって帰りたいものが一杯ありますが、大きくて、重くて、とても無理です。

シバ神と思われます。 インド人が愛した骨董品もあるようです。

商売の神様、ガネーシャ神。

コツコツ槌で叩いた跡のあるコパー製の大きな壺。 このしぶ~い色合い、なんとも言えませんねえ。 良いですネエ。 我が家には大きなアラビアの壺がありますが、このようなまあるい壺も欲しい、、、 でも大きい、重いで持ち帰るにはトテモ無理。

木製の戦車まであります。

インドに来て一番面白いところでした。 興味津々です。

ユダヤ人街の一角だけ、意外に綺麗に掃除が行き届いています。 外人観光客には、キチャナイままでは物が売れない、ということが分かったのだろう。 みんな自分の店の前はいつも綺麗に掃除していました。

インド人もヤル気になれば出来るんだ! このようにみんなが気を付ければ、キチャナイ+クサイ+ヤカマシイ、アンビリバボー・インディアでなくなるのですが、、、

ちょっと油断すると、この写真のようにゴミだらけ。 これが普通の通りの風景ですが。

シナゴーグに通じる横丁を入っていきます。 お土産屋のインド人が「見るだけえ~」 「安いよ~」「コンニチワ」と声をかけて来ます。 中にはしつこいヤカラもいるので気をつけましょう。

横丁の突き当たりに、かつてのユダヤ人のためのシナゴーグ(ユダヤ教寺院)が有ります。 16世紀の建造物です。

「ショート・パンツ、ミニ・スカート、ノースリーブ、タンク・トップでの入場禁止。 長ズボン、スカーフなど、無料貸し出しします」との注意書き。 その横にはヘブライ語での表記もあります。

ユダヤ世界遺産基金の活動内容と、このシナゴーグの由来が書かれた看板。 看板がかなりくたびれています。

今日は外からの見物のみで、みやげ物屋を冷やかしながら歩きます。

ユダヤ人墓地の表示板。

ダビデの星のマークの付いた家屋が今もチラホラ残っています。

シナゴーグから王宮の裏側へと廻っていきます。 裏側にもみやげ物屋が。

王宮の裏側に電話局があり、そこから日本に電話がかけられます。 非常に安く、1分 約30円です。 近くにネット屋もあって非常に便利です。 ネット屋も安く1時間Rs20. あ、そうそう、ワタクシたちはソフトバンク携帯を持っていますが、南インドではずーっと圏外になっており、電波が全く通じません。 回りのインド人は携帯を使っているのに、日本の携帯とは周波数が違うのか? いつも携帯は緊急連絡用に持って旅行にでるのですが、今回は全くの無用の長物です。 まあ、電波も届かない地の果てといえるのでしょう。(前回の旅行ではマレーシアのキャメロンハイランドでワタクシたちの携帯は使えました。)

これ、王宮の裏口です。 裏側から中に入っていきます。

王宮も今日は外から眺めるだけ。

博物館の入り口。 入場料はたったのRs5.-

さすが王宮の周りは緑豊かな庭園になっています。

つい最近まで、地方の領主が住んでいた館だったので、王宮と言っても小さなものです。 パレスというには少し無理があるような家です。

おそらく周りの庶民の家々は、とてもみすぼらしいものだったに違いありません。 だって王宮でさえ、ちょっとしたヤカタくらいのものですから。 きっと庶民はバラックみたいな掘立て小屋に住んでいたのだろう。 当時は自動車もないし、石油製品もなかったろうから、町はとても綺麗で、運河の水も澄んでいて、さぞかし静かで美しい町であったに違いない。 このような事を考えながら、家路につきました。 帰りに行き付けの雑貨屋で買い物をして、お昼までに宿に着きました。

今日は朝早くから起きだして、インドで一番古いと言われるキリスト教会;聖フランシス教会の見学です。

今日の移動経路:宿のフォート・インからチャイニーズ・フィッシング・ネットのある賑やかな屋台街を抜けて教会へ。 その後しばらく南に進み、進路を東にとって行き付けの雑貨屋へ行こうとしました。

ポルトガル時代はカトリック、オランダ時代はプロテスタント、イギリス時代は英国国教会、現在はインドのキリスト教会として使用されています。 その間、約500年間。

16世紀の初頭にポルトガル人がやって来て、この教会を始めたのだが、どんな宗教にしても、信仰の力は大したものだなあ、っと感心しながら 見て廻りました。 おそらくフランシスコ・ザビエルなどもこの教会で祈りを捧げたのかも。

アフリカの喜望峰経由のインド航路を発見した、あのヴァスコ・ダ・ガマのお墓がありました。 1524年に、ここコーチンで永眠したダ・ガマは14年間ここに眠り、その後、遺体はポルトガルに移送されたとのことです。

特に西洋人にとっては感慨深い歴史遺産でしょう。 ワタクシにとっても歴史上、有名な人の跡をこの目で確かめられたことは、意味あることでした。

もうすぐクリスマスとあって、クリスマス・ツリーに灯りがともっていました。

ラテン語? なにやらポルトガル時代の碑文が壁に残されていた。

観光客が集まるこの一帯には、多くのゲストハウスやホームステイのミニ・ホテルが数多くあります。 今の宿よりもっと快適で安い宿は無いか? とブラブラと捜し歩いてみました。

クリスマス直前なのでどのホテルも一杯か? と思いきや、空きのあるホテルが結構あった。 値段もRs400~1500までいろいろ。 どこも快適そうだが、似たり寄ったり。 しかしホームステイ類は一杯あるのには驚いた。

そのまま住宅街をドンドン奥に進んで行きました。 途中にあったミニ・キリスト教会。 ここコーチンではさすがにキリスト教徒が多いようだ。

途中で見た「マザー・テレサ横丁」の看板。 マザー・テレサはどこでも有名なようだ 。 それにしても彼女はエライ! だって、インドでも有数のキチャナイ・アンビリバボーなカルカッタの貧民の最後の面倒を看ていたのですから。 ワレワレなんぞはキチャナイ、キチャナイと言って、もうそのキチャナさから逃れたい、っと思っているのですから

コレ、さかな屋さん。

結構、奥のほうまでホームステイの宿はあります。

歩けど歩けど一向にマッタンチェリーが出て来ない。 疲れてきたのでツクツクに乗ることにしました。 パレス・ロードに野菜市場があることを知っていますので、まず、野菜市場に向かいました。

パレス・ロードの野菜市場。 コーチンに来た当初、めくらめっぽうに歩いていて偶然に見つけた野菜市場。 その後何度か探したが、結局分からずじまいだった。

通りの名前を以前、小学生に聞いていたので、今回ツクツクで来れた。 パレス・ロールと聞き覚えていたのだが、パレス・ロードだった。 つまりダッチ・パレスの近くだったのだ。

ここの市場で野菜を仕入れ、今までとは違った筋を通って宿に向かう。

途中、ジャイナ教のお寺を発見。 ジャイナ教はお釈迦様と同時代に生まれた宗教で、インド特有のもの。 その宗祖様は不殺生を貫くために裸でじっとしたままホトケになったという。 非常にユニークな宗教です。 でも、古いがあまり人気はなさそう。

バザール通りにたどり着きました。

観光地のフォート・コーチンで唯一の野菜市場に行くには、マッタンチェリーのバザール通りから、この横道を南にまっすぐ進むと、どんづまりにある。

この写真の店の横の道を行きます。

すぐ近くにワレワレご用達の雑貨屋があるのですが、こうしたミニ・教会もあります。

この辺りは昔、ユダヤ人がスパイスの交易をやっていた場所で、街並みにその雰囲気が少し残っています。 今でもスパイスや米の卸屋がひしめいています。 今はすべてインド人がやっています。

古い建物はボロボロになり、通りはキチャナイ・インディアと化していますが、、、

店先のスパイス。

今日は雑貨屋でニッシンのラーメンを発見。 インド風味となっているが、日本メーカーものだから、イギリスメーカーものよりずっと美味しいだろう、と期待して買って帰りました。 日本のものは麺が違うのです。 ツルツルと啜れて食感が良いのです。 マギーのラーメンなんぞは食べれたモノではありませんから。

昨日は完全休養日でした。 「良く寝て、良く食べる」が休みの原則ですが、「食べる」が問題です。

現地のパンの原料であるメリケン粉を練って、打って、’うどん’を創りました。 ホント、食べられるモノを確保するのは至難のワザです。

’うどん’を食べて元気になったワレワレは、再びキチャナイ・インディアを見て廻る気になりました。 写真のバッグは、地元のオバチャン連中がぶら下げて市場に買い物に行くエコ・バッグです。 このような買い物バッグに貴重品を入れて歩くのです。 誰もこんな買い物バッグに貴重品が入っているなんて、想像できないだろう、っと云うのが当方のネライなんです。

フォート・コーチンはキチャナイと云っても、他よりは比較的マシで静かです。 だから本当にキチャ ナイ他の町からやってくれば、ホッと一息つけるステキ?なところです。 今日は渡し舟に乗って本土のエルナークラムに行きます。 次の目的地のニルギル高原への拠点である、コインバトルへの列車の予約をしに行くのです。 クリスマス後、正月前までに高原に上がっておきたいのです。

コーチンは今ではインド有数の港湾都市で、その荷揚げ量はインド有数となっています。 古来からの交易港という特性から、海を浚渫してその 土砂で島を作りました。 ウィリンドン島はその中心地となり、大規模な港湾施設が集中しています。

商業施設はエルナークラムに集中しており、他に違わず、キチャナイ・ヤカマシイ・クサイ・アンビリバボー・ インディアとなっています。

エルナークラムに着いてまだ朝9時台です。 ローカル・レストランで朝食を食べました。 パートナーはパロータ・パンと比較的辛くないコルマ。 ワタクシはパロータ・セット(パロータパンとカレーソースのセット)を注文。 パートナーはコルマの殆どを残し、ワタクシが頑張って残りを食べました。 結果、さすが胃が重くなった。

ローカル・レストランは安い!  このメニューの値段を2倍にすれば日本円になります。 100円以下で食事が出来ます。

ジュース、アイスクリームもあります。 今までそれを飲む勇気がありませんでした。 冷たいものはゲーリー・クーパーになる危険性は大です。 あまりの暑さに思わず飲んでしまった、と言うヒトは多く、心配するほど危なくは無い、と言われていますが、年寄りは止めときましょう。

フェリー乗り場から駅まで歩ける距離なので歩きました。 極力裏通りを通って行きます。 表通りは歩道も無く危ない。 それにキチャナイ・臭い・空気悪い・喧しい。

エルナークラム・ジャンクション(ERNAKULAM JN.)駅。

Reservation Centreは駅の右斜め向かい側にあります。 ここで久しぶりに日本の若者発見! 彼は2日後にここからゴアまで一気に2等寝台で行くらしい。 コーチンにたった3日しか居ないとのこと。 やっぱり食べ物に困っている様子でガリガリだった。

その彼曰く:「食事はもっぱら中華料理ばっかしデス」 ワレワレ:「エッ!?中華料理? そんな良いものアルノ?中華って、ここには焼き飯とかヌードルしか無かったケド、どんな中華を食べてたの??」 彼:「そう、その焼き飯とヌードルばっかりデス」 ワレワレは、なにか美味しい中華料理でもあるカ! っと思い、期待したケド、ガッカリでした。

駅前通りをまっすぐ進むと、PIZZA HUTを発見! 本物か? チェック。 グローバル・スタンダードのピザ・ハットでした。

早速、中に入りピザとスパゲティを食べました。 ナントッ! スパイスが入っていない 食べ物でした。 正真正銘のピザ・ハットでした。 いままでマクドとか、KFCなどをどこでも見かけなかったので。 さすが コーチンだ!っと感心しきりです。 値段は日本の半分くらいでした。 それでもインドではベラボーに高いレストランです。 クーラーが入っていて、清潔にしていました。(当たり前だけど、、、)

ノン・スパイス フードで満足したあと、MONEY CHANGERで米ドルを両替。 「インドの地方都市では日本円が通じない」 と思われていますが、日本円は両替できます。 今回の旅行出発前にかなり調べたのですが 「日本円はインドの地方都市で両替できるかどうか不明。米ドルが一番」との結論しか得られなかった。 しかしチルチラッパリでもカニャクマリでもトリバンドラムでもマネーチェンジャーに行けば、 1万円=Rs5.0000に両替出来る、ことが判明しました。 南インドの地方都市でこうだから、インド全域でも両替可能だ、と思われます。

帰りも裏道を探索しながら、フェリー乗り場を目指しました。 ところが道に迷い、偶然 出会ったヨボヨボのシスター2人に道案内をして頂きました。 ワタクシたちにはまだ、神様の思し召しがあるようです。 でも最後、彼女たちが指差した方にはフェリー乗り場は無く、ウロウロさせられました。 結局、神様のご加護は無かったようです。

海岸沿いをウロウロしたが、災い転じて福となす、である。 土地勘が付いて良かった。 海岸沿いには公園があり、中にインドの偉人の銅像などがありました。

午後2時を過ぎてやっとフェリー乗り場発見。 今日は少しタイム・オーバーです。 疲れ果てました。

宿に帰って一休み。

夕方にジャガイモを煮て、ジャガバターにして食べました。 結構美味しかったです。 何せ、完全ノン・スパイスですから。

インドの文化・風俗・注意点

 インドでは、女性はあまり肌を見せない習慣があり、タンクトップ、ミニスカートや派手な色彩の服装は避けることをおすすめします。男性でも、ショートパンツは好ましくありません。

 また、女性の一人旅は大変危険なので避けてください。深夜に1人でデリーの空港に着き、それからホテルを探そうとしているところを、見知らぬ男性の甘言に乗せられ、付いていって暴行を受けたり、タクシードライバーによる強盗殺人被害に遭ったりしています。

 その他、インドでは左手を不浄視する習慣がありますので、例えば物の授受は左手を使わない等注意する必要があります。

 多民族・多宗教が混在しているインドでは、それぞれの所属に対する帰属意識が非常に強いので、特定の民族や宗教に対する言動は慎重にしてください。

 熱帯諸国で認められる風土病はほぼすべて存在します。マラリア、コレラ、急性肝炎、流行性髄膜炎、日本脳炎、デング熱、腸チフス、パラチフス、細菌性赤痢、狂犬病、住血吸虫、アメーバ赤痢、結核、破傷風等が発生しています。しかしながら、十分に注意していれば、これらの疾患は大部分予防することが可能です。

 まず、汚染された水や食べ物に起因する疾患(経口感染症)が多いので、生水は飲用せず、煮沸した水かミネラル・ウォーターを飲み、食べ物については十分に加熱したものを食べ、手洗いを励行することが重要です。マラリアやデング熱、日本脳炎等、蚊が媒介する病気は、モンスーンシーズン(6〜9月)から11月頃に流行します。殺虫スプレー、蚊取り線香のほか、外出時には長袖、長ズボン、虫除けスプレー等を使用し、蚊に刺されないようにすることが肝心です。

 いずれにせよ、体力の低下が各種の疾病を招きますので、余裕を持った旅行日程を組むことをおすすめします。

 また、発汗と埃による皮膚のダメージのために皮膚科的疾患になりやすいので、日頃から皮膚を清潔に保つよう留意が必要です。野良犬・猫が多く、中には狂犬病に罹患した野犬のいる可能性があるので、近づかないよう注意が必要です。

 特にコルカタをはじめとする西ベンガル州、ビハール州ではマラリアが、ウッタルプラデシュ州では日本脳炎が流行しております。その他の地域でもマラリアやデング熱は毎年発生しています。

 熱帯性マラリアに限らず他のマラリア(三日熱・四日熱・卵型マラリア)でも治療のタイミングが悪ければ死に至る可能性もあるため、公衆衛生当局では高熱を伴う症状の場合にはただちに検査を受けるよう呼びかけています。

 マラリアは、マラリア原虫を保有しているハマダラ蚊に刺されることによって感染するため、蚊に刺されないよう(1)虫よけスプレーを使用する、(2)蚊が活動する夜間には長袖シャツや長ズボンを着用するなどの対策が必要です。

 同時に抗マラリア予防薬の服用を検討することも重要です。ただし、予防薬の服用にあたっては、薬品耐性のあるマラリアも発生しているほか、体質等にも個人差があるため、医師、現地医療機関等に十分相談することが必要です。

 インドは南アジアにおいて、比較的医療水準の高い国のひとつであり、大学病院、国公立病院、私立の病院・診療所等各種の医療機関があります。しかしながら、一般に国公立の病院は院内が極めて不衛生で、日本人の利用には適しません。私立の病院には清潔で設備の整ったものもありますが、医療費が高く、また万一医療先進国への緊急移送等が必要となる場合に備えて、日本出発前に必ず任意で海外旅行傷害保険に加入される事を強くおすすめします。

 なお、救急医療体制が十分に整備されていないことにも留意が必要です。