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パキスタンってどんな国?

パキスタン・イスラム共和国(パキスタンイスラムきょうわこく)、通称パキスタンは、南アジアの国。東はインド、北東は中華人民共和国 中国、北西はアフガニスタン、西はイランと国境を接し、南はインド洋に面する。国土の中心部を流れるインダス川の流域に国民の80%以上が住む。

パキスタンの地図

パキスタンのブログ旅行記

日本料理屋風インド料理店の巻

2006年5月10日 ... そしてPari Gujralが経営するこのクレイ・オーブンの場合のそれは、アメリカでは最も 一般的なインド料理とされる北インド・パキスタン系のものを基調にしている。 またクレイ ・オーブンという店の名前にあるとおり、土釜のタンドールで焼き上げた ...

2011年03月15日のブログ|諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

2011年3月15日 ... 他にも、カンボジア、シンガポール、スリランカ、パキスタン、バングラデシュ、東 ティモール、ベトナム、マレーシア、モルディブ、モンゴル、ラオス、香港といった国と地域 が、支援を申し入れて下さっているそうです。ありがたいなと思います。

親方弁当、シンプルにして厄介な代物|食べて歩いて遊んでスペイン!

2014年10月1日 ... ウチの亭主は100%パキスタン人ですが、 ふだんは純日本愛妻弁当スタイルを貫い ています。 もうかなり昔になりますが、 気分を変えようと考えてサンドイッチを作った ところ、 「こんなの見たら、もう仕事する気なんてなくなった」 と言い出し、

還暦からの青春旅行記(2) - バングラデシュ紀行 - トラベーる

昔の東パキスタン、即ち、バングラデシュの、マングローブの森・シュンダルバンで行 われる、蜂蜜狩祭りを見に出かけました。ガンジス・デルタに浮かぶ、小さなクルーズ船 に宿泊して、手漕ぎボートで森に入る、4泊5日の旅です。これは、そんなマニアックな旅 の ...

切手博物館!| 世界一周御披露目帳 - アメーバブログ

2006年7月29日 ... 色々な国のものがあり、近くではマレーシア、オーストラリア、ブルネイ、インド、 パキスタンなどがあり、 遠くはイタリア、ポルトガル、アルゼンチンまで。 またよく分から ないものでは、 SUID AFRIKA、POLSKA、PERSEKUTUAN(←これは国名 ...

インド人の町は交渉次第で90%OFFの巻

2005年7月19日 ... ... 町が点在し、そこでは通りから聞こえてくる言語や、顔の色や造り、漂ってくる香りまで 、まったくの異国情緒満載な雰囲気が溢れていたりする。 そんな中でもこのディバーン 近辺は、インド・パキスタン人が固まって住む地域として知られ、町の中.

もう一度訪れたい場所~ケニア編 - 奥様は海外添乗員 - Gooブログ

2009年4月10日 ... ヨーロッパを経由する北回りであれインドやパキスタンを経由する南回りであれ、ケニア までの道のりはほぼ2日がかり。そんな国へはじめて旅をしたのは今からもう15年も前 のことになる。 この旅に求めていたのはケニアを目指す人誰しもが ...

どうするオレ?|世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後、社会復帰 ...

2007年7月5日 ... 僕はドミトリーのベットに横になりなり、. MY世界地図を見ながらがら考えていた。 この先どう進んでいこうかと。 こういう状況の中、急ぎ足でも予定どおりのルート(パキ・ インド陸路). でいくか、パキスタンの首都まで向かい、インドVISA申請の ...

サウジ国産ハンバーガー: shukran@world

2009年3月26日 ... ようやく注文を終え頼んだスーパーハルフィーを待っていた時、パキスタン人で使用人と おぼしき男性が、何やら怒りまくってレジに突進してきました。「おい、また品物間違え てるぞ、これで4度目だ、お前らはバカか!」 ブロークンアラビックで ...

タイとパキスタンのハーフ。|世界を散歩する - アメーバブログ

2010年7月23日 ... タイとパキスタンのハーフ。-只今、タイ・バンコク。 東南アジアの拠点となる大都市。 毎回この宿に泊まっているので、おばちゃんとは顔見知りです。 今回は、おばちゃんの娘 さんが、里帰りしていま.

2010年08月のブログ|世界を散歩する - アメーバブログ

只今、パキスタン・アストール。 人口約1000人の小さな村。 このクッキー全部で5 ルピー(5円)です。 世界を散歩する. 最高です。 パキスタンの物価は、だいたい日本円 のゼロ一個抜いた価格です。 この国では、1000円が10000円くらいの価値ってこと です。

インディアン・ガーデンの巻 | yukinohinoshimauma

2006年2月10日 ... そういうわけでこのインディアン・ガーデンの場合には、インディアンと店の名前にあって も、基本的にはインドの北方、もしくは現パキスタンの辺りの料理ということになるらしい。 値段の方はデボンのように、ここがアメリカとは思えないというほど ...

タルシンという村。|世界を散歩する - アメーバブログ

2010年9月4日 ... タルシンという村。-只今、パキスタン・タルシン。 ナンガパルバット山へのアクセスの村。 ランプで過ごす夜も素敵ですが、昼間のタルシンも捨てがたい。 太陽にピカピカ光る 雪山を、毎日毎.

インド観光ビザの2ヵ月ルールと再入国許可 海外旅行Q&A(アジア)

2012年3月2日 ... 今晩は。4月からバリ島、タイ、インド、ネパール、パキスタン(可能なら)、イラン(可能 なら)、中国を中心に6ヶ月のバックパック旅行をします。アジアは世界一周旅行(世界 一周航空券所持)の折りにタイ、ラオス、ヴェトナム、カンボジアを反時計 ...

シンガポール土産| 世界一周御披露目帳 - アメーバブログ

2007年1月17日 ... 色々な国のものがあり、近くではマレーシア、オーストラリア、ブルネイ、インド、 パキスタンなどがあり、 遠くはイタリア、ポルトガル、アルゼンチンまで。 またよく分から ないものでは、 SUID AFRIKA、POLSKA、PERSEKUTUAN(←これは国名 ...

パキスタン、トラベログ、トラベローグ、TRAVELOGはみんなの旅行情報の ...

パキスタン・旅行情報の発信サイトのトラベログ、トラベローグ、TRAVELOG 。国内、 海外の旅行記、旅行日記、旅行体験記、トラベル日記、旅行写真集、旅行フォト アルバムを、無料で作れる旅行専門のブログ、サイト.

世界一の美しさ!?|世界を散歩する - アメーバブログ

2010年10月7日 ... 世界一美しい峠だと語る人間多数。 カラコルムハイウェイも、ついにフンジャラープ峠に さしかかる。 冬は雪のため通行止めになる。 わざわざこの時期にパキスタンに来たのも 、この峠を通るため。 ついに、パキスタンクライマックスにして、一番 ...

激安パキスタン料理の巻 | yukinohinoshimauma - wanderphoto

2006年9月3日 ... シカゴダウンタウンの北方には、デボンと呼ばれるインド人やパキスタン人が固まって 住む地域がある。 以前にも紹介したことがあるが、この辺りのインドっぽさといったらもう たまらない。 値段も定価度外視の交渉しだい、さらには初めてこの ...

年越しはパキスタン - 地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

2007年1月23日 ... パキスタンではちょうど元旦からの3日間がイスラム教のお祭りと重なり、町はどこも 賑やかでした。子供たちはキラキラの可愛い洋服を着せてもらって、とっても嬉しそう。 笑顔が可愛くてたまりません。羊たちもまたカラフルにおしゃれを...

パキスタンの写真・旅行記

ANAマイルの期限が迫っていたので、ビジネスクラスでどこかに行くべく検討を始めたのが今年の春でした。マイル残高的に行けるのは南アジア辺りまで。 これまでに行ったことのない国という条件を加味すると、どうしても浮上してきてしまうのはインドでした。いずれは行くことになると思っていたのですが、いざ具体的に計画するとなると不安が多すぎてなかなか決断が出来ません。行くと必ず下痢になると聞きますし、石を投げれば詐欺師に当たるくらいのレベルで騙されるとも聞きます。私にとってある意味インドは唯一無二、世界は『インド』と『それ以外の国』の2つに分けられると思うくらいハードルの高い国でした。 インドじゃなくてインドネシアにしようという心の声をなんとか押さえて特典航空券を予約したのが6月下旬。 少ない日数ですがどうせインドまで行くのなら印パ国境を越えてみたい。自らハードルを上げつつそれから5か月、寝ても覚めてもインドとパキスタンのことを考え続けて旅程を組み上げ、現地の移動手段とビザを手配しました。 出発3週間前になって、国境のパキスタン側で自爆テロ事件発生という衝撃のニュースが飛び込んできました。死者50人超。私も行くつもりだった、国境のクロージングセレモニーを狙っての犯行だそうです。元々テロなど滅多にないラホール近郊、前代未聞の事件でした。 はたして影響は?国境は閉鎖されているのか、クロージングセレモニーは開催されているのか。一切の続報を得られないまま出発の日を迎えました。国境に行くかどうかは現地で情報収集して決めよう…。 さらに出発当日の日本で思わぬアクシデントに見舞われながらも、以下の日程で旅してきました。 11/21(金) 成田→デリー→アムリトサルへ 11/22(土) アムリトサル→(国境)→ラホール 11/23(日) ラホール→(国境)→アムリトサル 11/24(月) アムリトサル→バラナシ 11/25(火) バラナシ 11/26(水) バラナシ→アグラへ 11/27(木) アグラ 11/28(金) アグラ→デリー 11/29(土) デリー→成田へ 11/30(日) 成田着

まだ暗いうちにアムリトサル国際空港に到着しました。 時間が時間とはいえ人はそこそこ多かったので、タクシーの運転手に取り囲まれる覚悟をしながら外に出たら、全く誰も寄ってこない肩すかしの展開でした。こうなると逆にどうやって市街地まで行ったらいいのか分からないなあ。

とりあえず空港の外の車止め?(上の写真に写ってるやつ)に座ってぼんやりしていたら、タクシーの運転手ではなく女の子達が寄ってきて「一緒に写真を撮って」と頼んできました。なんと!いいよ! その後に女の子達の写真を撮らせてもらいました。 アムリトサルはよっぽど外国人旅行者が少なくて珍しいのかなと思いましたが、今回の旅は最初から最後までこんな感じでよく写真を頼まれました。デリーでさえもです。

街の方向はどっちだろうとキャリーを引いてうろうろしていたところ、ついにタクシー運転手(を紹介する客引き)に声をかけられました。 タクシーよりリクシャの方がかなり運賃が安いので出来ればリクシャで行きたかったんですが、いませんでした。 400Rs(約800円)で黄金寺院まで。 プリペイドタクシーで、支払いは駐車場手前にあるブースで行いました。

市街地までは思った以上に遠く、幹線道路は暗かったので歩いて行くのは絶対無理な感じでした。しかもかなり寒いのでリクシャがいなかった理由はそれだったのかもしれませんが、タクシーの後部からなぜか隙間風が…。 今回廻った町の中ではやはり最北のアムリトサルが一番寒かったです。特に明け方のこの時は上着必須の寒さでした。 夜も明けない時間帯ですが、シーク教の聖地アムリトサルの街は活動を始めていました。店は開店準備を始め、道路は既に渋滞しています。

この奥に黄金寺院があるらしい。ここから先はバンダナなどで髪を覆わなければいけません。バンダナ売りに声を掛けられましたが、私は自前のストールを出して頭に巻きました。

黄金寺院への順路を探してうろうろ。プールにありそうな黄色い庇があると思ったら、靴預かり所でした。この先が黄金寺院ですね。 黄金寺院は宗教問わず入場無料、24時間オープンの素晴らしい寺院で見学するにはいくつかのルールを守る必要があります。頭を布で覆うこと、裸足になること、そして革製品の持ち込みは禁止。 尤もそう厳格ではないようで、小さくてもバンダナさえ巻いていれば後頭部や前頭部、長い髪が露わになっていてもOKのようですし、私の合皮のバッグは何も指摘されず持ち込むことが出来ました。 写真左に靴預り所、中央に靴を着脱するためのベンチ、右に手を清めるための水道があります。

沢山字が書かれていてかっこいいトラック。

靴預り所は男女別になっていますが、時間帯によっては結構入り乱れていてあんまり関係なさそうでした。私もうっかりGENTS ONLYの方で預けてしまった。 この右手の方に大きな荷物を預かってくれる部屋があるんですが、なぜか私のキャリーバッグは預かれないと言われてしまいました。なんでだろう。通りを出てATMの近くに預けられる場所があるというので、裸足のまま道路をペタペタ歩いて探しました。この感覚小学生の時以来だな。

目印のATMが見つけられず色々な人に尋ねてたらい回しになり、最終的に辿り着いたのは黄金寺院内の外国人専用ドミトリー、グル・ラームダース・ニワースでした。歩き方でも紹介されている無料宿。ここは女性用の部屋だと思いますが今は誰もおらず、ジーンズが干してありましたが去る時には無くなっていました。 ベッドの奥にある戸棚にキャリーを入れさせてくれました。南京錠は自前のものをそれぞれ付けているようです。 普通の宿と同じように宿帳に情報を記入します。チェックアウトの時間を聞かれたので今日の昼頃と答えると、泊まらないの?と不思議そうにされました。私も不思議だ…荷物を預けたいだけなのにどうしてここにいるんだろう? ちなみに私はドミトリーを利用するのはこれが初めてです。上掛けも枕もない硬いベッドが3台くっつけて置いてあるけど、これはスタンダードなドミトリーじゃなさそうな気がする。

靴を預けるとこのような引換札を渡してくれます。

この奥にさっきのドミトリーがあります。

身軽になって黄金寺院に向かいます。 赤い部分が足を清める水濠。身を切る冷たさを覚悟して足を踏み入れましたが、ぬるま湯にしてありました。優しい!(涙)お湯がどんどんホースで流されています。アムリトサルの黄金寺院はそこかしこに優しさを感じる施設でした。

チラッと見えた!黄金寺院! ゴールデンテンプル、正式名称はハリマンディル・サーヒブ。

黄金寺院は人口の四角い池に囲まれています。この池が『アムリタ・サラス』で、アムリトサルの語源になっているそう。アムリタって乳海攪拌で出来る不死の妙薬ですよね。アンコールワットのレリーフで有名な。

四角い部分は女性用の沐浴スペース。周りから見えないようになっています。

空が明るくなってきました。

壁や床にいろいろ字が彫ってあります。何が書いてあるんだろう。

タイルが綺麗です。 濡れた床で滑らないようにか足が冷たくないようにか、通路の一部にゴザのようなものが敷かれています。

池の周囲の回廊には毛布を被って眠っている人達が沢山いました。お金がなくて巡礼宿に泊まれなくても安心な感じ。 ここに限らず、インドではこのように外で頭まですっぽり毛布を被って寝ている人をよく見かけました。

香りを付けた冷たい水を飲ませてくれるカウンター。2か所ありました。

黄金寺院は池の真ん中にあり、一本の橋を通って内部に入れます。

回廊を挟んで黄金寺院と対峙する位置に見事な建物がありました。

中に入ってみたかったですが、凄い行列だったのでこの時は諦めました。明日の夜にも来る予定なのでまだチャンスはあります。

熱心に祈るシーク教徒の方々。 寺院の敷地内に入る時にも跪いて大理石の床に触れている人が多くいました。 一方で外国人旅行者の姿は全く見かけませんでした。アムリトサル国際空港でのIN/OUTを含めても、アムリトサルで外国人の姿を見たのは1~2回だけでした。

私も壁にもたれて座ってみました。

箒で掃除する人々が通過していきました。

座って歩き方を読んでいたら、シーク教徒のニコニコしたおじさんが通りすがりに飴をくれました。おおっ?! 咄嗟にダンニャワード(ありがとう)!とお礼を言いましたが、私は一体何だと思われたんだろう?でも純粋な善意を感じました。嬉しかったです。

寺院内には音楽やお経が流れていて、時折シーク教徒の方々が揃って立ち止まって念仏に聞き入っていることがありました。長い念仏が終わると一斉にさっと跪きます。 熱心な信仰の姿に心を打たれました。

奥の人が持っているのは剣ですが、手前の人が持っているのは何だろう。剣ではないな。

結構ポップで可愛い柱のペイント。

朝日が昇ります。

アムリトサルは大気汚染がひどく空が真っ白でしたが、お陰で朝日が綺麗に見えました。

池の中には鯉が泳いでいました。

朝日を浴びて沐浴をする人々。

手を合わせる人々の目線の先には…

自分の生首を持った戦士の肖像が。

プールサイドをガシガシ掃除していました。

女性用沐浴スペースの入口。沐浴って英語でHOLY DIPっていうのか…。

黄金寺院を後にして、靴を返して貰いました。 無料の食事が頂ける場所を探していましたが、この時は見つけられませんでした。

グル・ラームダース・ニワースの入口。明るくなってから撮影したものです。 左手にはインド人用の宿泊エリアが広がっています。その辺りの写真は後ほど。

グル・ラームダース・ニワース(外国人専用ドミトリー)の奥にあるインド人用の宿泊施設がこちら。巨大なアパートのようです。 正面奥にトイレがあるので数回利用しました。 いつ行ってもかなりの混雑でワイワイしていました。インドにはフォーク並びという発想がないのか、皆奥にどんどん入っていって各々ここと決めた個室の前で待っています。入口に近い個室の前で待っていると後から来た人にどんどん抜かされるので、奥で待つ方が良さそう。 個室のドアには、背の高い人なら中が覗けそうな位置に15cm四方くらいの四角い穴(窓)が開いています。待ちきれなくなったおばちゃんがこの窓に手を掛けてドアをガタガタ揺すったりしていてカオス。自分の前のドアが開いた瞬間に横入りされそうになったりするので、遠慮しているといつまで経っても入れません。でも逆に譲ってくれるおばちゃんもいたりしました。 トイレは凄く綺麗という訳ではないけど別に汚くもない、でも前の人の物が流れず丸々残っていたりしましたが臭いは全くありませんでした。タイに行った時も思いましたが、ペーパーの代わりに水を使うと臭くならないのかもしれません。

一番右の穴が出入り口。外国人用ドミトリーは入ってすぐ右手にあります。

中庭の一角には家財道具?が積み上げられていました。

超イカすトラック発見!

黄金寺院の敷地内を出て、アムリトサルの街を散策しました。

明日の夜はアムリトサルの宿を予約しているので、今のうちに場所を見つけておきたい。明日は暗くなってから着くことになりそうですからね。

良い雰囲気の商店。 右の赤いターバンの男性に僕の写真を撮って~と声を掛けられました。

イケメンだな! シーク教徒は色白の人が多い気がする。

アムリトサルは交通渋滞がひどく、大気汚染が酷かったです。排気ガスと土埃。この時点で既に鼻の穴が真っ黒になりました。 今回私が行った街の中で渋滞と大気汚染はアムリトサル≒ラホール>バラナシ>アグラ>デリーの順に酷かったと思います。並べてみると単純に行った順になるので慣れただけの可能性もありますが…いやでもやっぱりアムリトサルとラホールの空気はヤバかった。まあ何れにしろ旅行中はずっと鼻の中が真っ黒でした。

古い建物はどことなく洋風です。植民地時代の建物なのかな。

右の店、銃火器を扱ってる?

黄金寺院の周囲にあった建物を発見。ここからも入場できます。

予約した宿がなかなか見つかりません。黄金寺院から凄く近いらしいんだけどなあ。

サイクルリクシャーに連れて行ってもらう事にしました。 ホテルの名前を言うと知ってる知ってると言うんですが、色々なところに立ち寄って私のバウチャーを持って聞きに行っていました。知らないんじゃん…。 サイクルリクシャーには初めて乗りました。庇があって視界が狭く、この角度しか見えません。庇がないタイプ(折り畳み式?)もあります。

20分程の捜索の末に漸く辿り着きました。よかったよかった。 事前に交渉していた運賃は20Rsでしたが、遠かったんだから30Rs(約60円)くれとごねられました。いやあんたが道知ってるって嘘ついたせいで遠かったんじゃんとつっこみましたが、まあ頑張ってくれたのは事実だし着いたのが嬉しかったので支払う代わりに写真を撮らせてもらいました。 運転手の右の階段が宿の入口です。

ホテルダーバービュー。Booking.comで予約しました。 どうもインド人はRをいちいち「ル」と発音するようで、ダーバーと言っても通じませんでした。ダルバルビューと言っていました。ジェットエアウェイズはジェットエルウェイズ、エアインディアはエルインディア。なかなか慣れず混乱しました。

この通りにあります。

黄金寺院の北の入口からすぐでした。

周囲を歩いて地理を把握し一安心。グル・ラームダース・ニワースに戻り、ドミトリーで2時間程仮眠をとりました。職員の男性がドミトリーに出入りしたり頻繁にドアが開けられたりする環境でしたが、疲れていたので何も気にならず。 12時頃にチェックアウト。相場が分かりませんが、準備していた寄付の10Rs(約20円)を差し出すと、ドアを出た所にあるドネイションボックスに案内されました。直に受け取って着服しない所が素晴らしい。私はインド人を誤解していますね。

通りに出たところに鼓笛パレード?のような子供達が並んでいました。間の道はかなりの人通りなんですが、その間隙をぬって女の子達が次々にやってきて握手を求められました。おお~??!ありがとうありがとう! この集団はもしかして国境のクロージングセレモニーに行くのかな。違うかな?

歩き方にも載っている、街中より安いから大人気のジュース屋さん。瓶コーラが6Rs(約12円)。 カメラ目線のおじさんの向こうにいる女性の飲みっぷり、コーラの看板の女性そっくり!

シーク教徒の子供達。前頭部のお団子に髪が纏められて入っているらしいです。

サイクルリクシャーでバススタンドへ。40Rs(約80円)。 物凄い渋滞で、歩行者を含めたあらゆる乗り物が入り乱れて進んでいきます。排気ガスやばい…。 サイクルリクシャーの運転手はバススタンドの場所知ってるって行ったくせにやっぱり知らないらしく、人に聞きながら進む。結果バススタンドの位置が分かったはずなのに、国境に行くならバスじゃなくてオートリクシャで行った方がいいとなぜか並走するオートリクシャに乗り移らされました。なんでだよ! もういいやリクシャで。バス時間かかりそうだしな…。国境まで400Rs(約800円)。

リクシャは市街地の渋滞を抜け、幹線道路へ。 ほらコーラの看板の女性、そっくりな飲みっぷり。

アムリトサルの街中では牛を見ませんでしたが、郊外の方にはチラホラいました。でも実のところ、野良牛より先に野良豚を見てしまいました。インドでこの先一度も豚を見ることはなかったのに、なぜか初回が豚。

リクシャで国境の施設の敷地内に入る際にパスポートのチェックなどがあります。宿帳のような大きな本に私の情報を書き入れていましたが、日付と過去の通過者の情報を見るに、昨日から数えても私で8人目…?意外に旅行者の通過が少ない国境のようです。 国境のクロージングセレモニーは明日インド側で見るつもりです。調べてみるとどうも帰りのアムリトサルへの足を確保するのが難しいようだったので、いっそアムリトサルに昼間のうちに帰ってから黄金寺院周辺で勧誘しているというツアーに参加しようかなと思っていたんですが、オートリクシャでの長距離移動が思った以上にハードで、何度も往復するのが億劫に感じてしまいました。空気が悪いし揺れるし。どうしようかな。まあ明日考えよう。

出国後、国境までは無料のシャトルバスで移動します。この時は大型バスに1/3くらいの乗客でした。

イミグレのある建物の前でリクシャを降りた時から、ポーターが寄ってきて色々世話を焼いてきていました。 もうインドの通貨は必要じゃないんだからいいだろうと、国境を越えるときにやたら高額な料金を請求されました。いや私は明日インドに戻ってくるんだよ。50Rs(約100円)も払ったんだから十分でしょう。 私の荷物を持って前を歩くポーター。

写真撮っても良いそうなので撮らせてもらいました。これがインドとパキスタンの国境!

国境線を跨いで撮影。

パキスタンからインド側を臨む。

パキスタン建国の父、ジンナーの肖像が掲げられています。 インド側はガンジー。

クロージングセレモニーの、パキスタン側の応援席。

ここを撮影したら注意されました。 土産物を販売するブースに見えましたが、よく見たらLOST&FOUND COUNTERって書いてありますね。

越境後、パキスタン側のイミグレの建物で手続き。 入国後に両替商の男に声を掛けられました。インドルピー:パキスタンルピーは1.5:1の比率のようです。 両替商の男が、宿の客引きのリクシャドライバーを紹介してきました。名刺を受取ってみると、奇遇にも私が予約しているラホールバックパッカーズ!1000Rsと言われた所を700Rs(約1050円)に値切って宿まで乗せていって貰います。 話しているうちにリーガルインターネットインの客引きもやってきました。おお知ってる、ラホールの有名宿。

テロがあったのはパキスタン側の駐車場だったそうですが、国境はのどかそのもので現場がどこなのかも分かりませんでした。インドでもパキスタンでも、テロについての話は全く聞きませんでした。 国境近くになぜか鹿っぽい動物を飼育しているスペースが。

通る時だけ開けてくれました。

ラホールバックパッカーズの客引き、ズベール19歳。リクシャを停めているのは1km先だという。 うわー遠いなあと思っていたら、途中にいたトラックをヒッチハイクして乗せて行ってくれました。

ズベールのリクシャと、リーガルインターネットインの客引きの親父。

リクシャに乗りこむなり後輪がパンク。ズベールは私に自分の身分証明書(IDカード?)を託し、修理してくるから15分待ってと行ってリクシャを押して去って行きました。私のバックパックを乗せたまま。

とりあえず日陰で待とうと路肩に寄ると、周囲にいたパキスタン人男性達がワッとやってきて一緒に写真を撮ってほしいと懇願されました。えええー何だこの状況!

入れ替わり立ち替わりツーショット写真を撮られます。初め中国人だと思われていたようですが日本人だと言ってもお構いなし、国籍関係なしに違う顔立ちの人間がよっぽど珍しいんだろうなあ。でも群がる男性たちの中に西洋人男性が混じっているような気がするのは気のせいか?左から3番目。 そして彫りの深いイケメン達に対する私がすっぴん眼鏡で丸一日以上風呂に入っていない状態なのがとても悲しい。

混乱は止まる所を知らず、最終的にはポリスが追い払っていました。満足げに帰る男達。というか特に何もない所なのになんでこんなに人がいるんだろう。どこから集まったんだ?

皆さんニコニコ嬉しそうに写真を撮っていたので悪い気はしませんが、やっぱり私は撮る側がいいな。ロバを撮影していたらズベールが呼びに来ました。近くでタイヤを修理しているようです。

修理屋の前に椅子を設置してくれました。 ここにもなぜかリーガルインターネットインの親父(右)が。「あなたの宿を知ってるよ、ほら」と歩き方パキスタン版(2007年発行だけど最新)のコピーを見せると嬉しそうに他の人に見せていました。

チャイまで振舞ってくれて至れり尽くせり。パキスタンのチャイはネパールのものに似ており、甘くてまろやかで美味しかったです。

修理が終わってラホールへ出発。 パキスタンはド派手なデコトラが有名ですが、国境周辺でちらほら見ました。この写真の左にもチラッと写っていますね。 ラホールまでの道は以外に遠く1時間くらいかかりました。ラホールはアムリトサルと同等かそれ以上の大気汚染で気持ち悪くなりました。マスクマスク…渋滞もひどいです。

宿のオーナーに明日の国境への送迎をお願いし、運賃700Rs(約1050円)を先払いしました。 ラホール市内ツアー(30ドル)を勧められましたが、排気ガスの酷いラホール市内をリクシャで走り回ることにうんざりしていたので、結局断ってしまいました。 それよりもとにかく一刻も早くシャワーを浴びたかったのでその旨をオーナーに訴えると、後にした方が…とお勧めしなさげでしたが、共同シャワールームに大きなポリバケツ一杯のお湯を用意して棚にヘッドランプを置いてくれました。ほぼ真っ暗な中での行水でしたがすっきり! この時点では停電について伝えられていなかったので、部屋に戻ってからドライヤーが使えないことに気が付いて一悶着。寒くなかったので扇子で煽いで髪を乾かしました。 テラスからの眺め。今回廻った街はどこもそうでしたが、クラクションが聞こえない瞬間が無い感じです。

Hostel.comで予約。Hostel.comで予約できるパキスタンの宿はここだけでしたし、Booking.com等はもっとずっと高いホテルしか扱ってませんでした。 風呂トイレ無しで1泊6US$(618Rs=約927円)…両替のレートが悪いせいかドルで払った方がかなり得な上に、ネット予約の時点で0.72US$のデポジットを取られているのにそれを無視した金額を請求されてないかこれ?今改めて気が付きましたが。こんなシステム嫌だ…Hostel.comは今後極力使わん。 部屋は広く、テレビやオーディオ、エアコンもありますが電気が通ってないので無意味。20時まで停電だそうですが、その後も結局通電せず非常用の明かりしか点きませんでした。 部屋の隅にデカいぬいぐるみがあるのに、ベッドに上掛けが一切ない。後でブランケットを貰いました。 ドアには閂があるのみで鍵が付いていなかったので、外出時は自前のダイヤル錠を付けましたが、夜はドアの前が真っ暗だったので解錠に苦労しました。 風呂トイレ無しの部屋に泊まるのはこれで確か3度目ですが、やっぱり手すら気軽に洗えないのは不便だ。 部屋に落ち着いた後でオーナーがやってきて、エクストラベッドを入れてオーストラリア人の女の子と相部屋になってくれないか、500Rsに宿泊費を下げるからと頼まれて渋々OKしましたが、後でやっぱり大丈夫だったから無しで!と取り消されました。まあ良かった。

大通り沿いかと思いきや、少し路地に入った所にあるラホールバックパッカーズ。4階です。 ラホールは街歩きをしていても宿というものを見かけることがありませんでした。この近くにあるらしいリーガルインターネットインすら発見できず。着いてから宿を歩いて探すということが不可能のように思います。国境到着の時点で宿の当てがないなら客引きについていくことをお勧めします。

周辺の散策に出掛けました。目指すはGPO(郵便局)。

宿の近くにケンタッキー発見。入口にガードマンがいます。 ラホールバックパッカーズのサイトの外観写真にはサンドイッチのサブウェイが写っていますが、サブウェイは周辺に見当たりませんでした。

結構遠いのでリクシャを利用。50Rs(約75円)。 鉄格子が閉まっていますが横の入口から入れました。今も歩き方の情報のままだとすると定休日は日曜、営業時間は8:00~21:00。今日は土曜なので今日中に行っておきたかったんです。 日本までハガキを送る切手代は50Rs(約75円)、2007年の歩き方の時点では30Rsだったようです。切手を買い、ポストカードは買えますかと尋ねると、ポストカードを販売している窓口はもう閉まっているとのこと。えーっ!なんとなく切手の方が先に閉まりそうなものなのに。嘆いていると、切手を売ってくれた男性職員が他の人にも聞いてくれ、引き出しからハガキを出してくれました。1Rs切手が印刷されている、パキスタン国内用のハガキのようです。2枚買いたいと言うとなんと無料でくれました。マジすか!ありがとうございます!

通りを歩いて宿に戻ります。 なんだろうこのポスター?横断幕?は。選挙かな?

とにかく物凄い量で、時々くぐりながら歩きます。

途中の屋台でピーナッツを買いました。一掴みくらいの量で20Rs(約30円)。フライパンで炒ってから袋に入れてくれます。

何やら声を掛けられたのでハイハイとスルーして通り過ぎようとし、ふと立ち止まりました。ん?今僕たちの写真を撮ってって言った?そういうことなら喜んで。

ご飯を食べられるところが見つけられなかったので、宿がある通りにあった屋台でシャワルマを買いました。70Rs(約105円)。隣の商店でミネラルウォーター(25Rs≒38円)も。

パキスタン唯一の夜の晩餐。 シャワルマの肉(チキン)が激辛!!色は真っ黄色。店の看板にRED HUTって書いてあったね…HOTじゃないから油断したのかな私…。肉だけ取り除いて野菜とパン部分を食べました。美味しい。でもやっぱりこの先が思いやられる。 炒りたてのピーナッツは温かく、甘くてとても美味しかったです。 脱ぎ散らかされた靴が写ってしまいましたが、私の疲労をよく表していると思ったので撮り直しませんでした。 8時過ぎには耳栓をして眠りに就きましたが、蚊に刺されまくって夜中に起きました。耳栓をしていると蚊の接近に気付けないんだな…。

今回のルート: 2013年 1/18 成田、上海→ /19 インド・デリー→ /20 アムリトサル、パキスタン・ラホール→ /26 ムルターン→ /29 ラホール→ /30 アムリトサル→ 2/1 デリー → 2/3 上海、成田 インドビザはビザセンターにて取得。 6カ月マルチビザ2,135円。 来館する場合でもHPではオンライン申請後、それを印刷して来館とあったのでそうしたところ、大使館で、来館するなら、館内にある備え付けの申請書に直接記入提出すると、わずか数日後に取得できると言われ、そっちにする。

入口で中国語は分からないけれど、またまた手にしてしまった環球時報。 ヤフージャパンニュースの国際アクセスランキングで常に上位、常に日本人の神経を逆なでしている新聞。 一面トップは安倍首相 東南アジア訪問。 対華包囲網うんぬんの文字(写真手前)。 ページをめくると、鳩山元首相の南京大虐殺記念館訪問のことが。 「日本保守派激烈指責“対華屈服”」の文字(写真後方)。 On the flight from Tokyo to Shanghai. Chinese newspaper is bad-mouthing Japan again...

離陸後約1時間後に昼食。 まずはビーフ。 メインはすき焼きだった。  美味しい。

お代わりのフィッシュ。 メインは白身魚の煮付け。  こちらも美味しく頂く。 今回もJALとの共同運航。 JAL共同運航になると、エコノミーといえどもひと手間かけた作り。 また日本製作らしく白飯に煮付けのたれが掛からないよう白い紙に包まれていたり等、あちこち細やかな気配り。

日本語を話すCAもいた。 今回も東京駅から京成シャトルバス。 900円。 第二ターミナルで降りて目の前がMUカウンターなのですごく楽だった。

パキスタンビザは大使館にて取得。 90日シングルビザ100円。 AM申請同日PM取得。 館内の自動販売機に紙幣を入れたが故障、困っていた館員に、自動販売機管理会社に電話、私が館員に返金されるお金を立て替えたことが縁で、待ち時間に別室のTVでリアルタイムで放送されているパキスタン、インドの衛星TVを見させてもらった。 今まさにこの時間のパキスタン、インドの息使いが伝わってきて感激。 確か5チャンネルずつ位見られた。 廊下には12月にパキスタン遠征をしたアントニオ猪木氏のリングでの雄姿のパネルがでかでかと飾られていた。 1月18日(金)中国東方航空MU272便 成田10:55 → 上海13:00。 (タイリクトラベルで成田・デリー往復を前月12月中旬に諸税込¥47,140にて購入) 写真は乗って来た便。上海浦東空港で撮影。

約3時間掛けて現地時間13:00に上海浦東空港着。 地下鉄乗り場へ。 浦東国際機場駅では地上駅なので2階へ上がる。 上海はトランジットなら経験あるが、外に出るのは初めて。 係員によると、宿のある南京東路駅へは2号線だが、浦東国際機場駅から途中の広蘭路駅までは折り返し運転のため、広蘭路駅で降りて反対側ホームから乗り換え必要とのことだった。 写真はタッチパネル式自動券売機。 南京東路駅まで7元(98円)。 使い回しできるカード式券が出て来た。 I arrived at Shanghai Pudong airport for transit. I stayed one night in Shanghai.

荷物セキュリティー検査後、改札内へ。 写真は空港を離れるところ。 Shanghai

しばらく地上線。

乗り換え時間含めて1時間10分で南京東路駅着。

これがカード式券。 改札出たところで、ちょうど二人組の警官がちょっと崩れた感じの若者に話しかけて身分証明書を提示させ、職務質問らしきことを行っていた。 

南京東路駅出口。 目の前はデパートが立ち並ぶ繁華街南京東路の一角。 この写真にはないが、あちこちに日本企業の看板が目に入る。

6人部屋一人50元(700円)。 最上階の507号室。 部屋はカード式キー。 一人一個ずつの鍵付きロッカーあり。 部屋、ベッド、共同トイレ・シャワーとも清潔で快適。 

部屋からの眺め。 同室には私と中国語を勉強しているアメリカ・ウィスコンシン州からの学生含めて3人。

宿の共同キッチンで夕飯と一緒に食べる。 

受付。 相部屋となるユースホステルは学生以来。 若い女性に誘われてぼったくりバーやディスコで被害に遭う外国人が多いらしく、注意を喚起する張り紙を見る。

内装は改装されていて明るい。 5階建て。 2階には広い共同キッチン、ビリヤード室あり。 

路地に入ると落ち着いた雰囲気になり、徒歩3、4分でネット予約しておいた南京路青年旅舎(ユースホステル)着。 Shanghai

もう16:30。 暗くなるまで1時間位ありそうなので、すぐ近くにあるというあの有名な外難地区へ行ってみる。 おお、ウイグル人がカバブを焼いている。 1個2.5元(35円)。 早速買ってみる。羊の脂身(向こうではこっちが良いとされているらしい)にスパイスを付け炭火焼。 久しぶりに懐かしい味。 「アッサラームアレイコム」と挨拶してみると、ちゃんと返事が返ってきた。 しばらく歩くとまた直ぐに別のウイグル人カバブ屋。 あちこちでやっているらしい。 Uyghur person in Shanghai.

繁華街をしばらく歩く。 

地下階段を下りると、人民公園に出てしまった。 外難地区とは逆の方向。 写真は振り返って見た上海市第一百貨店。 租界時代を感じる歴史のある建物。

人民解放軍

再度振り返ってみる。 

もう暗くなってきたので、外難地区は明日にする。 帰り道は繁華街を外れた庶民的な路地を通る。

覗くとタルト屋らしい。 皆10個単位で買っている。

3種類1個ずつ買ってみて、計5元(70円)。 

1月19日(土) 13:50発デリー行き便までの午前中は、昨日行けなかった外難地区へ。 南京東路をまっすぐ東へ。 

江南中路との交差点。  「外難まで500m」。 

こんなプレート付きの建物が軒を並べる。 

さっきの江南中路を越えてから急に租界時代の建物が増えてくる。 百年続いたこの上海租界は外国から訪れる人間にパスポートは不要であったという。このため、ロシア革命後には白系ロシア人が、ナチス時代には多くのユダヤ人も流入したとのこと。 

当時摩天楼と呼ばれたビル群の谷間を抜けると、

対してこっちは租界時代のクラシックな優美で風格ある石造りの建物がズラリと並ぶ。 ほとんど銀行になっているようだ。

北方面 

黄浦江へ。  突然視界が広がる。 微小粒子状物質PM2・5で曇っている。 Shanghai

大陸進出を狙う諸外国の租界地区。 上海バンスキングや李香蘭の時代。 様々な映画や小説の舞台となった、時々汽笛も聞こえる雰囲気あるこの川辺を歩きながら、当時に思いを馳せてしまった。 

・・・などと柄にもなく夢想している間に、もう11:00。 足早に宿へ。 すると横を独特の音色の鈴音が通り過ぎていく。 あ~! 去年NHK「世界ふれあい街歩き・上海編」で紹介されていた廃品回収だ。 追いかけて行って停まってもらう。 

番組によると、この鈴も廃品を元にした手作りとのこと。 おじさん、ありがとう。 

再び先程の南京東路へ。  あちこちに日本企業の看板と日本語。

こっちにも。  反日デモと称して行われた暴動、破壊、略奪、放火で、やはり被害にあったんだろうな。 

同室者に別れの挨拶し、11:50、地下鉄南京東路駅へ。 チェックアウト時に予想外に混んでいて焦る。 今乗り込むと13時に空港到着か。 国際便なのに出発1時間前到着なりそうで心配。 広蘭駅での乗り換え線では、盲目の年配男性がハーモニカを吹きながら歩いてくる。 その脇を女性が抱えながらコップを手に車内を歩く。 残った小銭を少し寄付。 何度も謝謝と言われる。夫婦だろうか、いたわり合いながら歩いていった。 最初は上海で一泊するとは接続悪いなあと思っていたが、観光が少しできて良かった。 

出国審査も直ぐ終わり、無事13:10にゲート到着。 中国東方航空MU1663便 上海13:50発デリー19:40着。 ターバン巻いたインド人も多数いて気分が盛り上がってくる。 欧米人と並んで歩いても見劣りしない体格が多い。 総じて色白で背も高い。 シーク教徒だろうか。 イギリス人が植民地時代、身近に置く使用人として自分たちに一番容姿が近いシーク教徒を選んだというのも分かるような気がした。 Shanghai

これから乗り込むところ。  この瞬間がタマラナイ。 定刻通り発。 A flight to Delhi in Shanghai .

いつも飲まないが気分が高揚してアルコールを選んでしまった。 4人掛けに一人で座っていると、隣の列から移って来たインド人からインド スナックの差し入れ。 スパイスが効いていて美味しい。 写真が趣味で世界中あちこち回っているらしい。

お待ちかねの食事。 まずはフィッシュ。 こちらは中国人向けっぽい味付け。 早くも今年の初スイカ♪

お代わりにベジタブル。 メインはスパイスの効いた野菜の炒め物に豆類。 フィッシュと違って米の粒が違った。  こちらはインド人向けっぽい。 両方美味しく頂いた。 あちこちのインド人もお代わりしている。 気が合いそう(笑)。

希望者へのサンドイッチ。 ベジタブルはトマトときゅうり。 ノンベジはツナとハム。 CAも親切。 インド人の中にはCAをこき使っている人も。 スゴイ。 使用人慣れしているんだな、きっと。

間もなくデリー着のよう。 その左上にはラホールの文字が♪ MUのHPでは日々の運航状況が見られるようになっていて、定刻19:40がいつも早く18:20とか18:30着が多かったが、今日は19:15着。

インディラ・ガンディー国際空港(デリー空港)着。 さすが2010年7月完成の新ターミナルとあって、どこもピカピカ。 「経済発展を背景とした自信の象徴」と評されただけはある。 飛行機降りてすぐの洗面所。 なかなかシャレている。 At Delhi airport.

内側にはその民族の地域の景色が。 シーク教徒だから明日行くインド北西のパンジャブ地方だろうか。 緑豊かな穀倉地帯。

こっちは何族だろう。 入国審査までの長い通路、このシリーズが続く。

ラクダと砂漠のある地域

記録的な寒さと聞いていたが、思ったほどではなさそう。

ブルーの目の民族

ポプラの木と湖。 北方地方かな。

こっちはどこの地域だろう。 他にも探したがシリーズは以上の4種類だけのようだった。

さすが日本の9倍の国土の国。 広大な国土と豊かで多様な文化を、国の表玄関で外国人に見せるいいアイデア。

エスカレーター降りて入国審査へ。 ここも印象的な造り。 手の所作にはどんな意味があるんだろう。 つい興奮して、素晴らしい空港だと言うと、インド式に首を傾けて笑顔でウェルカム トゥ インディアと言ってくれた。 At Delhi airport

アライバルビザの案内

インドに来たんだなあ。

荷物受け取り所にあった市内への行き方

暖房も良く効いているので空港で夜を明かしたい人はここでもいいかも。 明日は国内線06:40発のアムリトサル行に乗るので朝が早い。

入口に掲げてあった利用者リスト 相当の役職者のみらしい。 民間人、外国人は同伴がないとダメのよう。

空港ベンチで夜を過ごそうかと考えていたが、ご厚意でここで過ごせることに。

職員がうやうやしく案内してくるVIPらしき人が出たり入ったり。 女性も見事なサリーで着飾っている。 さすがにここでの撮影は手控えてしまった。 しばらくして隣のソファーで白い制服の海軍将校らしき人達が談笑。 キラキラ光り輝く勲章?を付けた制服があまりに格好いいので、彼らが帰る間際に思い切って拙い英語ながらも思いつく限り最上級丁寧な言い回しでお願いしてみるが、我々には撮影は許されていないのですと体良く断られてしまった。 う~む、残念。 それにしてもシーク教徒だろうか、白いターバンの正面にまで付けた勲章?姿はどこかの王侯貴族のようで見事だった。

1時過ぎには客足も無くなり、洗顔歯磨きをしソファーで横にならせてもらい5時頃まで仮眠。 写真は5:30にターミナル3を出たところ。 この時間に関わらず出迎えの人?多い。 珍しく日本企業の広告。 At Delhi airport

ターミナル1行き無料シャトルバス乗り場に行くと、今まさに出発するところ。 飛び乗る。 車掌が来て、受付でチケットを貰わないと無料にならないという。 25R(40円)払って下さいと言われるが、訳を話して大目に見てもらう。 写真はターミナル1にて。

ターミナル1入口。 A flight to Amritsar in Delhi.

スパイスジェットのカウンター。 SG2321便(デリー06:40発 アムリトサル08:05着)、事前にCleartrip予約で3,897R(6,235円)。

写真一番下のSG2321便 06:40発はやはり遅延。 08:05発になっている。 この時期のデリーの朝晩は、排気ガスと霧が合わさってひどく視界が悪くなり便にも影響しているらしい。 SGのHPでも日々の遅延状況が載っていて、最近は朝便が大幅に遅れていたようなので覚悟はできていたのだが。 空港職員は皆フレンドリー。 セキュリティーチェックでもどこから来たか聞かれ、ウェルカム トゥ インディアと言われる。

ゲートで詰め寄る人達

空港内。  2階はフードコート。

ゲートに行ってみても出発する気配なし。 更に10:00に変更になったとのこと(写真一番上)。

さっきのフードコートで搭乗券提示したら無料朝食を出してくれることに。 5、6店のうち、インド料理ファーストフード店を選ぶ。 航空会社との打ち合わせで、出されるものは決まっているとのこと。 出て来たのはマサラ・ドーサ(写真)というもの。 クレープ状の中にマサラ(香辛料)が効いた野菜の煮込み、野菜スープ等。 140R(224円)のものだった。 戻ってみるとまたまた遅延で10:45出発に。

ようやく11時に搭乗できることに。 写真は待合室で一緒になったカナダ国籍を取得した青年。 里帰りらしい。 「ハウル」や「もののけ姫("プリンセスもののけ"と言っていた)」など宮崎駿映画を良く知っていて、ネットで見たとのこと。 日本の刀はいくら位か聞かる。映画「ボディーガード」のあのシーンが印象的だったらしい。 日本に行くことがあったら、サムライをもっと知りたい、どこかいい博物館はあるか等聞かれてしまった。

ぜんぜん動かない。  しばらく待機らしい。 1時間後の12時にやっと離陸できた。 結局 6:45→8:05→10:00→10:45→11:00→12:00 となって5時間15分の遅延。 My flight departed for Amritsar after a delay of 5 hours, because of dense fog.

隣の女性は被りものをしてお祈りを始めた。 安全のお祈りですかと聞いてみると、笑って「違うわよ」とのこと。 説明してくれたが、私の英語力不足で良く分からなかった。 ヒンズー語とも違うようなカクカクした文字。

プロペラ機。 飲み物含め全て有料販売

1時間20分後、アムリトサル空港着。 ここもピカピカの空港。 空港内にATMはなく、隣の銀行に行ってみるも故障中。空港敷地出口のATMでやっとキャッシングできた。それも指定された桁数で登録電話番号入力が必要で、ちょっと勝手が違い戸惑う。 昨晩デリー空港内でやっておけば良かった。 空港内インフォは非常に親切でネットを駆使しながら色々調べてくれる。 インド全土のタクシーは1km20R(32円)、空港・ゴールデンテンプル間の無料バスは午前は10:30~11:00の間位、午後はあったりなかったりとのこと。 At Amritsar airport

係員によると、国境まで約35kmなので手数料82R(131円)入れても840~850R(1,360円)だろうとのこと。 レシート状のものを2枚くれて、電話でタクシーを呼び出してくれる。 もしトラブル発生したら、ここに電話してくれとのこと。 係員が携帯でタクシーと連絡取りながら空港出口へ誘導。 朝もちょっとしか食べてなく昼もまだで腹がペコペコ、どこかに売店はないか聞くと空港内売店に案内してくれた。 小さなハンバーガー100R(160円)。 高い。 係員もここは高いから買うなと目配せしてくれる。

もう14時。  パキスタンとの国境は16時に閉まる。 今日中にパキスタンに入っておきたかったので、背に腹は代えられない、路線バスではなくタクシーで行くことに。 空港内無線タクシー「MEGA CABS」社でお願いする。

タクシー到着。 運転手に、途中で売店に寄ってもらえるよう話をしてくれた。 係員はこまごまと親切にしてくれたので、チップ要求されるかなと思っていたが、では良い旅を言い残してスッと戻って行ってしまった。

ターバンのシーク教徒の運転手は英語不可だが、感じのいい人。 日本のタクシーのようにノートにちゃんと行き先から到着地、キロ、時間など毎回記録を書き残していた。 写真は空港敷地内の出入り口。 さっきのキャッシングはこの門の右手のATMで行った。

こちらのバイクはノーヘルが多い。 70~80キロで飛ばしているタクシーをあっという間に追い抜き、見えなくなってしまった。 頭に被っているのは、若年層が被るターバンの代わりのもの。 カメラを向けると気付いたのか、こちらを向いてニコっとしてくれる。 カメラを向けたのが悪いのだが、見ていてヒヤヒヤしてしまった。

時折菜の花畑も広がるのんびりした風景。 On the way from Amritsar airport to Border by taxi( 55 minutes, 795 Indian rupi).

路肩で水牛がのんびりしている光景も見かける。

会計のおじさん。 丁寧に左手を添えて渡してくれた。

右のガラスケースに入っているものを、その場で揚げてくれる。 ジュージューと美味しそうな音。

こんなにバタバタした移動でなければ、美味しそうなスイーツにも挑戦してみるのだが。 値段はkg単位で200(320円)~260R(416円)の間。 今は16時までに国境越えることが先決。

軽食屋発見。  サモサ1個6R(9.6円)。  5個買ったので計30R(48円)

助手席で頬張る。 ポテトや野菜がたっぷり包まれていて美味しい。 ドーナツのような微かな甘みのある油の匂い。 左にはビニールにタレまで入れてくれてある。  おじさん、ありがとう。 ボリュームがあって5個は少し食べ過ぎた。

有料道路に入る。 45R(72円)は私が負担。

料金所にて。  まだ子供の面影が残る顔立ち。

この辺りから大袈裟でなく何百台もの大型トラックがズラリと並び始めた。 運転手は乗っておらず、ただ停車している。 パキスタン行きだろうか。

国境入口へ

国境警備軍。  ここでパスポートを見せ記録される。 右は運転手。

警備上の配慮で造られたのであろう、くねくねした道を進み、あの国境管理事務所まで行ってもらう。 ここでタクシーとはお別れ。 空港で貰ったレシート状の2枚のうち、1枚を渡す。 事前に言われた値段より安く行けて795R(1,272円)。 ちゃんとメーターを動かしていて、それに予め言われていた手数料82Rを足した額で、それ以上は言ってこなかった。 ここのタクシー会社はお勧め。 Indian immigration 現在15:20。 軽食屋に寄った時間入れて55分間で到着。

2012年4月新築らしくピカピカ。 ガランとして他に客はおらず、奥の部屋から女性係員が出てきて応対してくれる。 「16時まで間もなくよ、急いで急いで」と言われ、表のバスに早く乗れと指示を受ける。

写真ダメだよ。

運転席隣には青いシャツのポーター。

すぐに到着。 バスはまた管理事務所に戻るため、バスは向きを反対に戻す。 その後で我々は下車。 フロントガラスの先にはバスでいつの間にかくぐっていた国境アーチ。 両脇は毎日16時から始まる国旗降納式会場。 早くも観客が集まっている。

おおおお~。 建国の父ガンジーの写真が掲げられた国境アーチだ。 ここから歩いてインド・パキスタン国境を示した白線を越えて、パキスタン側へ。

15:30、「I Love India(ハートマーク)」と横に書かれたバスに言われたまま乗り込む(無料)。 先客はインド人3人。 到着先で撮影。

16時からの国旗降納式で活躍するインド軍衛兵

色鮮やかな帽子。 まさしくトサカ。  儀式のために選ばれた兵士は、ロンドンのバッキンガム宮殿の衛兵交代のような務めを果たすとのこと。

これをやってみたかったんだ。 国境またぎ。  右がインド、左がパキスタン。 The borderline between Pakistan and India.

15:40、無事パキスタン側へ♪  時差30分なので、時計の針を15:10に戻す。 Fineally, I arrived in Pakistan !! I had wanted to visit Pakistan for a long time.

パキスタン側の国旗降納式会場を通り、国境アーチをくぐって国境管理事務所で入国手続き。 こちらも他に客はなし。 パキスタン側の国旗降納式を見に行きたかったが、荷物は預かってもらえないとのこと。 周囲に銀行もATMもないようなので、声を掛けられた両替屋にとりあえず1,000インド・ルピー(1,600円)を1750パキスタン・ルピー(1,750円)に両替。 うん? こっちが得している。確かにこの金額だったのだが・・・。 Pakistani immigration

再度、パキスタン側の国境アーチへ向かう。 パキスタン国旗の新月マーク入り門。

こちらはパキスタン側の国旗降納式の軍衛兵。 アーチの裏手で、出番待ち。  皆190cm近くありそうだ。 足を顔の高さまで上げて、足を打ち鳴らしながら早歩きする独特の行進を思い思いに練習中だったが、快く集まってくれた。

カメラに残っていた衛兵同士で撮り合っていたもの。

2階への階段

道を隔てた向こう側上部は女性席。 ここからも大歓声。

観客もどんどんヒートアップ。  「アッラー!! 」 「パーキスターン・ジンダバード(パキスタン万歳)!! 」の嵐。

左の応援団長が観客席に「もっと声を出せ~!!」と声を張り上げている。 この応援団長2名と太鼓係は、式中でも縦横無尽に行き来することが許されているようだ。

この後、門に向って前進。

いったん国旗の前で直立不動

少しずつ国旗が降ろされる。

「ここは皆拍手して~!」

後ろの国境アーチの、

テラスの衛兵も直立不動。 後ろはパキスタン建国の父ジンナー。

この後、無事終了。

終了後は観客が通りに出てきて記念撮影。 応援団長もすごい人気。

真ん中の応援団長はいつもこのポーズ

衛兵も引っ張りだこ

パキスタン国境門の隙間からインド側を見てみる。

向こう側でも衛兵はすごい人気

国境門には「パーキスターン・ジンダバード(パキスタン万歳)」の文字。 Pakistan Zindabard!

だいぶ観客が帰った後、再度アーチに上がってみる。 あの金文字には「自由の門」と書かれているらしい。

17時、テラスから。

ここでカラチから観光中のラジさん一家と記念撮影。 ラジさんは2003年に10日間、仕事で日本に来たことがあるとのこと。

そのまま一緒に国境アーチ隣の売店へ。  左がラジさん。  チャイとクッキーをご馳走になる。 小学1年生位の子が注文聞きに来て配膳してくれる。 ラジさんからは、この国でのアドバイスを貰う。 ①知らない人から食べ物飲み物を受け取らない(睡眠薬強盗多い)。 ②カメラは直ぐに仕舞う(盗難防止)。 ③むやみに人に撮ってくれとカメラを渡さない(この国では貴重品なのでそのまま持ち逃げされる)。 ④日本人でなく中国人と言うこと(日本人だと日本製カメラと思われ盗まれる恐れ。中国人だと言うと相手は中国製と思い、安いと判断し狙われない)、とのこと。

しばらくすると、さっきの衛兵(左)が通りかかり、同じテーブルを囲むことに。 ラジさんはこの式典には何度か来たことがあるらしく、ちょうど私服姿で帰宅途中の顔馴染みの衛兵に声を掛けたのだ。 身長を聞いたら6フィート3インチとのこと。 センチだとどれ位?と聞くと、一同??という感じだった。 この国では尺間は旧イギリス式なんだな。 Chai with a border guard (left).

しばらくすると、帰宅途中のあの応援団長も。  ハンドルには今月25日預言者ムハンマド生誕祭を祝う旗。 そんなに構えなくても。(^_^;)   パキスタン国旗の衣装の間は、隙がない。

もう18時。 すっかり日も暮れてラホールへ戻る(私は行く)ことに。 国境周辺には人家がない。 最寄りの国境の町ワガまでのオート三輪や、ラホールまでのバスも終わっている。 とりあえず、皆で徒歩。 頭上には「パキスタンへようこそ」。 泊まる予定のパークウェイホテル近くのラホール駅までは23kmの表示。

その10分後の18:30に今度はこのトラックが通りかかり、ラジさんが交渉してくれてラジさん、衛兵、私の3人は助手席に乗せてもらうことに。

助手席の様子

衛兵(右)とラジさんに挟まれギュウギュウ。 さすがに助手席に3人は狭い。 私は背中に大きなバックパック、腹にはデイバッグなので、助手席に上るだけで一苦労。

20分程でラホール到着。 18:50。  ちょうど下ろしてもらったところにあった、祭り用品等の露店。

結婚式で使ったのだろうか。 この辺りは賑やかな露店が並ぶ。 あちこち撮りたかったが、ラジさんにカメラは仕舞った方がいいとアドバイスされる。

10分程歩くと、さっき別れた3人が乗ったオート三輪が待っていた。 今度はこの一台借り上げ、前方に我々3人が乗り込み出発。 風が顔にモロに当たり少し冷たい。

5分程して衛兵が下車。 この路地の先に自宅があるようだ。 皆で握手して別れる。

途中で寄ったガソリンスタンド

19:45、オート三輪に乗って45分、国境からは1時間45分掛けて、ラホール駅近くのパークウェイ・ホテル前に到着。 ラジさん一家はこれから夕食を一緒にと言ってくれるが、昨晩ほとんど寝ていないことを話し、ここでお別れ。 Thanks to many kind Pakistani, I could arrive at hotel at night. Thank you very much!!

AC無しツインルーム。冬なのでAC無しで十分。 大通りに面した部屋で、騒音が聞こえてくるが気にならない程度。 ただし、窓に隙間があるので、カーテン閉めても排気ガスが入ってくることあり。 反対側だと大丈夫だと思うが、結局部屋は変えなかった。 窓に網戸はないが、廊下との扉には網戸があった。 夏は窓を開けっ放しにしていたら、蚊が入ってくるかもしれない。蚊帳はあるかどうか不明。蚊の季節には一応テープ持参で目張りした方がいいかもしれない。 ちなみに、AC有りダブルは1600R(1600円)、AC有りシングルは1300R(1300円)とのこと。 夏はラホールは猛暑なのでAC有りの方が賢明のようだ。 物価の値上がりが激しいらしいので、次に来た時には値段も変わっているかもしれない。 (ちなみに2003年10月に宿泊した方によると、$3≒325R≒¥360 )

湯は熱湯が出る。 時間はAMは4~10時、PMは17~22時まで。10分以上出し続けて出てくる。 滞在中、停電は頻繁にあるが自家発電があるので、直ぐに回復。 その為か、エレベーターとTVは点く時間が決まっている。 またこまめに節電しているようで、外出時はドア外の上にあるブレーカーを落とすよう言われる。忘れると落とされているので、デジカメ電池充電は夜に行った。

なんだか昔の映画に出てくるような懐かしい感じで温かい雰囲気

結局、前回のバングラデシュで馴染みのあったチキンビリヤーニ160R(160円)に。 バングラでは相場110円位だったので、こっちは少し高いのかなと思ったが、その分、ご飯も肉もボリュームあり。 ご飯は少し甘みがある。 美味しい。 ペット水1.5L 45R(45円)。

何にしようかな。 パキスタン初の食事。 1R≒1円。

ラジさんはホテルまで来てくれて、通訳、更に値引き交渉までしてくれ、1泊700R→600R(600円)にしてもらった。 最後まで非常に親切にして頂いた上、一家はしばらくラホール滞在するので何かあったらと携帯番号まで渡してくれる。 受付にも私に何かあったらと携帯番号を渡してくれていた。 ここまでやって頂いたのに、結局何もお礼できなかったことが心残り。

1階の様子。  この左奥には付属のレストラン。

1階附属のレストランへ。 Hotel Parkway restaurant

写真右の人から流暢な英語で、お困りのことがあったら声を掛けて下さいとのこと。  回りの人はオーナー、オーナーと呼んでいる。 彼は33歳で父が40年前にここを創業し、二代目を継いでいるとのこと。 いつもは自宅にいるが、夕方からはずっとこのレストランか隣の事務室にいるとのことだった。 設備は古いが、ホテルもレストランも居心地が良く、たくさんいる従業員も感じのいい人ばかりで、ラホールでの7泊はずっとここに泊まった。 明日はラホール城壁へ向かって街歩き

国境のアターリーの街まで、もう少し。

インド側衛兵と対峙。  向こうも負けじと威勢がいい。 背中で見えなかったが、この時、両者(両国)は一瞬握手をするらしい。

翌朝撮ったホテル。 I stayed at Hotel Parkway in Lahore for 7 days.

入口

この左側の次の奥の部屋。 鍵は外側からは大きな南京錠。 内側からは壁横にスライドさせるタイプの鍵2個。 地球の歩き方でも安心して泊まれると紹介されていた通り、この宿には7泊したが一度も不安は感じなかった。 各階には監視TVがあり、先程の受付で見られるようになっていた。 南京錠を掛けられる穴がもう一つあったので、外出の際は持参の鍵も一応掛けていく。

部屋は40号室。  エレベーターはあるが、この時間は停止中。 各階のこの踊り場の棚(写真左奥)にはいつも新しいシーツとタオル(かなり年季が入ったもの)が入っていて、勝手に替えていいよとのことなので、タオルは自分で必要な時に交換していた。

繁盛している店が。

畳んでいた旗をわざわざ再度広げてくれて、ポーズ。 さすがに声はガラガラになっていた。

「インド・パキスタン国境まで1km、ラホールまで23km」 ここを左に曲がって、

さあ、これから約8時間のフライト。 しばらくして飲み物タイム。 これまでMU便エコノミーでは見たことのないワインも。 青島ビールとワインを頂く。 On the flight from Shanghai to Delhi.

式が始まる少し前、応援団長が観客に応援指導。 「アッラー」の発声が微妙に違うらしい。 いよいよパキスタン時間15:30(インド時間16:00)に、ここの名物にもなっている国旗降納式開始! (03:48)  http://youtu.be/X1iWHpXBFNA

いよいよ9人で編成されたメインの第三陣が更に大きな大歓声の中で登場。

パキスタン国の威信が掛った行進。 この後、真ん中の衛兵とは縁あってラホールまで一緒に帰ることに。

応援団長 「もっともっと声を出せ~!!」

「アッラー!!」 「パーキスターン・ジンダバード(パキスタン万歳)!!」 Allah !!  Pakistan Zindabard !!

太鼓係も盛り上げようと、打ち鳴らしながらあっちに行ったりこっちに行ったり。

テラスからの眺め(望遠使う)。 向こうのインド側もだいぶ観客が集まっている。 こちら側では、国旗をあしらった緑色シャツに白ズボンの応援団長2名が縦横無尽に行き交って威勢良く国旗を振っている。

歩き出して20分位でワガ駅に。  駅前には店が数件あるのみ。 ちょうどオート三輪がいたが、後3人しか乗れない。 ラジさんは他の家族3人をオート三輪に乗せ、後でラホールで我々と落ち合うことに。

会場に入ると、一番前の席に案内された。 後ろを振り返ったところ。

大歓声の中、少人数の第一陣、第二陣が入って来た。

後ろは応援団長と太鼓係。

いよいよ国境の白線が見えてきた。 さっきのバスに同乗したポーターも、白線ギリギリまで運んでくれるようだ。

ワガー・ガーディアンズ(ワガー警備隊)の旗のようだ。 ラホール城に剣を重ねた紋章。 パキスタン・レンジャーズ、プンジャーブ州レンジャーズの文字も見える。 ワガーとは、先程のインド側国境の街アターリーに対して、ここパキスタン側国境の街。

朝9時のラホール駅前ロータリー付近。 今日も朝から凄い排気ガス。 朝の霧と複合して、なかなか晴れないようだ。 目と喉が痛くなる。 写真にはないが、目の前が駅なのに、ぼんやりシルエットしか見えない。 ちなみにこの後のデリー発帰国便も同じ原因で大幅遅延した。 今日は昨日の城壁内旧市街の街歩きの続き。 昨日の最終地点まで戻るため、急ぎ足。 In front of Lahore railway station.

ラホール市衛生局の職員がこのように石灰を撒いていた。 ロゴ入りシャツ。  左肩の上の方に、2つのタワーを持つラホール駅がうっすら見える。

駅前から真っすぐデリー門へ続く道。 右がNalakha Bazar通り、左がLanda Bazar通り。 一昨日は左のLanda Bazar通り、昨日は少し遠回りして線路沿いCircular通りで行ったので、今日は右のNalakha Bazar通りで行ってみることに。

Nalakha Bazar通り。  ライフル銃の警官が街を守っている。

ミルク屋だろうか。  朝9時台なので、ほとんどの商店はまだ開店準備中。

日本の会社名がそのまま入ったデコトラ。 日本の中古トラックも遠く異国で生まれ変わって活躍中。 (有)笹島管工設備、ネット検索すると福島県にあるようだ。 日本語も飾りの一つとして残しているのだろう。 それとも昨日の「かに料理に料理」のようなダミーか。 【追伸】 (有)笹島管工設備、他の方のパキスタン旅行記でも発見。 どうやらこれもひな形があるようで、日本製を誇示するためのダミーのよう。他に「大牟田スイミングスクール」等もあるようだ。

ナン2枚12R、豆スープ(鶏肉入り)200R、チャイ20R、計232R(232円)。 A breakfast on Nalakha Bazar street.

書いてくれた明細と会計。  どのお札にもパキスタン建国の父ジンナーの肖像入り。

この食堂で朝食にしよう。 左の大きな鍋の蓋を開けてもらうと、中には「豆スープ」が。 それと、一緒に煮込まれていた「鶏肉」を注文し、奥の部屋へ。

隣にも繁盛していた食堂。  ここは羊の頭や足など煮込んだスープがメインだった。

露店の正面下にはイスラムの魔よけ。  お守りのようなものか。 再びデリー門へ。

徐々に商店も開き出した。 名前が変わってNalakha Bazar通りがLanda Bazar通りに。  振り返ったところ。

小分けにしたナッツや菓子の露店

城壁内旧市街の東の入口デリー門が見えてきた。 いつの間にかもう10:50。 Delhi Gate

デリー門をくぐって、ここからは城壁内旧市街。 昨日の最終地点に戻るため、東西を貫くブラッス・バザー通りを西へ早歩き。 Inside of Walled City from this picture.

通り過ぎて行くバイクにも明日「預言者ムハンマド生誕祭」を祝う旗

ちぎったナンを豆スープに付けて遅い朝食。  食べて行くか?と声を掛けてくれた。

昨日、塔に上った「ワジルハーン・モスク」。 Wazir khan's Mosque

共用の水飲み場

好みの豆を炒って出してくれる露店

無数の細い路地が伸びている。

上の写真の男性がブラッス・バザー通りに出て来てくれて、正面の家を指差して古い家だよと教えてくれる。

ちょうどこのブラッス・バザー通りが二手に分かれる真ん中にゴールデン・モスク(Sunehri Masjid)の入口があった。 写真はその門前の露店。  コロッケのようなものに千切りの野菜を載せ、スープを掛けて出していた。

再び入口に戻たところ。  階段を上ってみる。  左にも同じものを出す露店。 Golden Mosque

作業中の男性が手を休めてやって来て、懐から鍵を取りだして開けてくれる。 あれ、奥にはすでに人が。どうやって入ったんだろう。 とにかくご両人、ありがとう。 Golden Mosque

中は誰もおらず静か。

中庭から見た東西道ブラッス・バザー通り。 Brass Bazar street

同上。 ゴールデン・テンプルを後にする。

ゴールデン・モスク(Sunehri Masjid) 白壁に3つの金色のドーム。 1753年、ラホールの代議員によって創建。 昔は金ずくしの建物だったが、シーク教徒が丸ごと持ち出し、アムリトサルのゴールデン・テンプルを建てるのに使われたとのこと。 靴を脱いで足袋に履き替える。 Golden Mosque

だが、鍵が掛っていて入れない。 せっかくここまで来たのにと思っていると、横に座っていた女性が改修作業中の男性(右)に声を掛けてくれた。 Golden Mosque

上の写真の手前の通り(ブラッス・バザー通り)を少し進んで、横からそのモスクを覗いてみる。

昨日の最終地点はこの辺り。 ここからは昨日の「完全攻略マニュアル」とグーグル地図を見ながらゆっくり街歩き。

この先、ブラッス・バザー通りから離れて寄り道する。 ゴールデン・テンプルの階段を下り、先程の二又に別れたところを左へ。 すると今度はまた二又に別れる(写真)ので、右に曲がりキッチン・ストリートへ進む。 左に曲がるとここパンジャビ地方の伝統的ベッドや椅子の工房がある。 そこへは夕方に行くことに。 The Kitchin street

ここからはキッチン・ストリート。 表まで大きな鍋等が積まれた同業店がずらりと並ぶ。 The Kitchin street http://www.walledcitylahore.gop.pk/index.php/tourist-sites/78-wcl-articles/139-kasera-bazaar

男性後ろの丸い巨大な鍋は結婚式等に使用するもので、レンタル可能とのこと。

草花の鉢を積んだ植木屋が。  主人が領収書を貰っている。

どうやらバラの鉢植えを買ったようだ。 主人と息子。  お父さんの額には礼拝ダコ。  敬虔なムスリムのようだ。 ここで撮っていると、

後ろから流暢な日本語で話しかけられる。 向かいの店で家業を営むイルファンバッド(左)さん。 13年間日本にいたそう。 先程から、こっちに日本人らしき男性が向かっているという話を通行人から聞いていたという。 凄いネットワーク。 やはりここには滅多に外国人は来ないとのことだ。

しばらく同業店が続く。 The Kitchin street

見たな。

さっきの店では息子が・・・。

店内に案内して頂いた。 チャイとコーラを出して頂く。  いつの間にか入口で新聞を広げていたお父さんが出入りのチャイ屋に注文してくれていたらしい。 兄の奥さんは日本人。 ラホールで一か月、ビリヤニの修行をして若くして東京で店を出した知り合いの日本人がいるから行ってみて、と紹介してくれた。 ビリヤニ専門店「ビリヤニマサラ」 http://shimokita.keizai.biz/headline/1522/ お二人に礼を言って後にする。 He spoke Japanese very well. He had experiences to come to Japan a long time ago. I sometimes met some people like him in Pakistan.

頭上にはあさって25日の「預言者ムハンマド生誕祭」を祝う飾り付け。 

キッチン通りを抜けると街を南北に貫くメインロードShah Alami通りに出るが、そのまま横断する。 ここからゴールド・バザール通り。 アクセサリーなど金製品の店が並ぶ。 The Gold street http://www.walledcitylahore.gop.pk/index.php/tourist-sites/78-wcl-articles/142-sarafa-bazaar

共用水飲み場に張られてあったポスター。 下に「詳しくはYou Tubeで」とあるので検索してみると、宗教音楽の歌手のようだ。 http://www.youtube.com/results?search_query=ASIF+YOUSAF+CHISHTI&sm=12

しばらくゴールド・バザール通りが続く。 

写真左(東)から出てくると四つ角交差点に出て来た。 ここでゴールド・バザール通りは終わり、そのまま右(西)へ直進すると通称レディー・バザール通りへ。 その前にここから写真奥(南)へ行ったところに、シルバー・バザール通りがあるという。  まずはそっちに行ってみる。 The Gold street

細工店のようだ。 The Silver street

もう銀製品店は無くなり、この辺りからはカーペット屋が並ぶよと教えてくれた右のカーペット屋の若主人。 

シルバー・バザール通り。  銀製品の店が並ぶ。 The Silver street http://www.walledcitylahore.gop.pk/index.php/tourist-sites/78-wcl-articles/143-wacho-wali-bazaar

その際、教えてくれた古そうな向かいの店の2階。 The Silver street

さっきの四つ角交差点に戻り、西に続くレディー・バザール通りへ。 The Lady Bazar street

パンジャビ・ドレス店。 

女性用品店がずっと続く。 

華やかな装身具店。 The Lady Bazar street

少し広い道に出て来た。  ここでレディー・バザール通りは終わり。 ここで写真右に折れると東西道ブラッス・バザー通りに戻るのだが、もう13:40。  まだ昼食を食べていない。 ちょうど写真左は食堂になっていた。

ここで昼食にしよう。  左は何やらイスラムの行事開催を伝えるポスターのようだ。

ナンと豆スープ。  ナンの下に敷いている紙は、なぜかニューヨークの電話帳ページ。 後日のムルターンではハングル文字の新聞だった。

会計しようとすると、要らない、あなたはこの国のゲストだから、と言ってくれる。  有難く頂くことに。  Lunch here.

店を出て右に曲がり、東西道ブラッス・バザー通りへ向かう。 赤ん坊をバイクに乗せて買い物に来ていた若いお父さん。

この店に食料品を買いに来たようだ。

撮ってくれとせがんで来たのに、いざ撮ろうとすると周囲の視線に気兼ねして、あまり気乗りしない表情を見せる学校帰りの女の子。

道を北上する。

行ってみるとセメント関連の店だった。

その1階にあった店。  なにやら動物のサイがデザインされた商品が並べてある。

けなげに働くロバ。 砂利運搬中。

しばらくすると左側に、古い豪邸の跡のような白い建物が。 有名なHaveli(屋敷跡)の一つらしい。 Kimla Building。1929年築。 http://www.walledcitylahore.gop.pk/index.php/demo-proj/78-wcl-articles/131-kimla-building 拡大してみると3階の表の壁に大きく"KIMAR & SON BANKERS LAHORE" と表示。 銀行家の屋敷だったのだろうか。

東西道ブラッス・バザー通りが見えてきた。 T字路になっている突き辺りはレンガ造りの昔の水道施設。 Lahore water works

ブラッス・バザー通りとの角(上の写真左奥)にあった美味しそうなヨーグルトフルーツ屋

会計しようとしたら、ここでもお代は要らないとのこと。  有難く頂くことに。

濃厚なヨーグルトの中にいろいろな種類の果物が入っていて、美味しい。 礼を言って後にする。

道中初めて食べるスイーツ(手前のお椀)。 極細の麺に、蜜とヨーグルトを掛けたもの。 パルダというものらしい。 40R(40円)。

少し変わったスイーツを扱っていた店。 前回の旅先バングラデシュにも多くのスイーツ屋があったが、ほとんど挑戦することはなく後で後悔したので、今旅では積極的に入ってみる。

ブラッス・バザー通りを西へ。 学校帰りの白いイスラム帽を被った男の子。  首から下げているのは弁当箱のようだ。 Brass Bazar street

こちらはスカーフを被った女の子

さっきの古いレンガ造りの水道施設の両脇は公園になっていて、ロータリーのように円状に道に囲まれている。 今度はそれを時計回りにぐるりと回ってブラッス・バザー通りに戻ってみる。 写真はロータリー沿いの鶏屋前で休憩していたお爺さん。  後ろの金網には鶏。

その近くにあった繁盛していた食堂。 自家製の釜で出来たアツアツのナンに、様々なカレーやスープ類を出すようだ。

後ろの客席。  奥では車座になって楽しそうに食べていた。

大きなロータリ状ーの道が終わりそうなその先(東)には、高い塔を持つモスクが。 右は先程の古い水道施設施設隣りの公園。

ここの頭上にもあさって「預言者ムハンマド生誕祭」を祝う飾り付け。 ロータリー状の道が終わり、東西道ブラッス・バザー通りに戻って来た。

馬車も走っている。  この辺りに馬車停留所があるらしい。

この辺りはありとあらゆる乗り物、自動車、バイク、オート三輪、馬車、牛車、ロバなどで渋滞

馬車停留所。 この後、買い物帰りの奥さん達が乗って行った。  特別な乗り物ではないらしい。 この停留所近くから北に伸びるモティ・バザール通り(Moti Bazzar)の先に、ラホールでオリジナルで現存するラホール最古のモスクがあるという。 そこに行くべく、東西道ブラッス・バザー通りから再び寄り道する。

通りにあったブレスレッド屋

ほぼ全店が靴屋。 この通りは特に密集し、全長500m程のモティ・バザール通りに靴屋だけで300軒以上並んでいるらしい。 一歩路地に入ると、分業制で作っている靴工場がたくさんあるらしいが、行き損ねてしまった。

いよいよモティ・バザール通りへ。 城壁内を歩いていて靴屋が多いとは思っていたが、実は城壁内は靴の製造、問屋、小売の集積する靴の一大供給拠点であるとのことだ。 Moti Bazzar street

ベグム・シャー・モスク (Begum Shah Mosque又は、Maryam Zamani Masjid 1614年)。 ラホールでオリジナルで現存するラホール最古のモスク。 http://www.orientalarchitecture.com/pakistan/lahore/maryam-zamani_mosque.php 入口は靴屋に囲まれひっそりと目立たない。  右はカートで靴を運ぶポーター。

足袋に履き替え中へ。  15:30、礼拝をする人も。

撮っていると、さっきまで外で礼拝していた人(上の写真の手前の人)が明かりを点けてくれた。 名前はセブさん。  彼も近くで靴屋をやっているという。

彼の店にお邪魔することに。 入って来た門とは別の、写真左端の門から出る。  あの大木には何か由縁があるらしい。

セブさんの店(左)。 門からわずか30秒のところ。 写真右の商店が途切れたところは、もうラホール・フォート(ラホール城壁)。 ここはちょうどそこの東側に当たるらしい。

1年半前にここを開店したとのこと。 店内のメッカの写真を指差し、あそこは僕の心のホームだと言う。 ラホール滞在中は是非、フードストリートに行ってみてくれと言ってくれる。 通りに食堂や食べ物の露店がズラリと並んで賑わっているらしい。 一人雇っている若い人にチャイを買いに行かせ、ご馳走してくれた。

2軒隣の同じく靴店の友人も遊びに来てくれた。 3本指を立てるのはボクシングWWFの贔屓のボクサーの真似らしい。

3人で記念撮影。 礼を言って後にする。

またモティ・バザール通りへ戻って、東西道ブラッス・バザー通りへ。 その前にモティ・バザール通りを北上し、モティ門と呼ばれるところに行ってみたが、実際の門は無くなっていた。

東西道ブラッス・バザー通りに戻る。

この辺りは女性用品店が並び華やか

店内。 一体どういう場面で使うのだろうと思うような不思議なものばかりだった。

祝い事に使う道具店。 店頭上にぶら下がっていた盆のようなものを下ろしてもらい、見せてもらう。 銀色の小皿が張り付けられているけれど、何に使うのだろう。

午前中は誰もいなかったが、この時間は礼拝している人も。 中央の池の周囲には、礼拝前の手足を清めるための大理石の椅子がぐるりと囲み、緑色のパイプを通して蛇口が並んでいる。 Golden Mosque

そこから東西道ブラッス・バザー通りを眺めたところ。 16:50、ぽつぽつ電気が点き始めた。

門の両脇では女性達が弁当を広げている。 一緒にどうぞと手招きしてくれた。  皆とても好意的に接してくれる。 Golden Mosque

すぐ近くの午前中にも行ったゴールデン・モスクへ。 午前中とは違い、階段に人がいっぱい。  門前の露店で買った軽食をここで座って食べている人も多い。 Golden Mosque

金色と銀色の縄を使って製作中の華やかな椅子。  どんな場面で用いるんだろう。

ここではちょうどベッドを編んでいた。 一回一回たわまないよう強く引っ張るため、結構力仕事。 おまけにずっとこの姿勢でいるので大変そうだ。

出来上がったベッドが並べてある。  横の材料は何だろう。 ちょうどこの裏手で複数の猫の声がしたので行ってみると、要らなくなって放置されたベッドの網で、二匹並んで爪とぎをしていた。

伝統的製法の椅子が並んだ店先

午前中はゴールデン・テンプル階段下の二又に別れる道を左に寄り道し、更に二又に別れる道を右にキッチンストリートへと進んだが、今度はここを左に進み、ここパンジャビ地方の伝統的ベッドや椅子の工房が集まる地域へ行ってみることに。

再び東西道ブラッス・バザー通りへ。 日が暮れないうちに、まだ見ていない西方面を見ておこうと急いで西へ。

途中、気になって入ってみた目立たずひっそりとあったモスク。 8畳程度のとても小さなモスクだった。  それでも何人かがお祈り中。 途中の古い水道施設隣りにて。

分解された銃の入った袋や、ペンキとハケを目の前にして座っている人々。 「警備員引き受けます」「ペンキ塗りに伺います」ということなのだろうか。 レンガ造りの古い水道施設前にて。

そのすぐ西にはまた別の大きなモスク。  やはり自分と相性のあったモスクに行くのだろうか。 左はハンバーガー屋。

更に西へ進むとハサミや包丁など刃物を扱う店が。 跡取り息子だろうか、こんな小さな子供が防目メガネを掛けて、入れ槌を振っている。 シーア派向けの刀を作る店もあるらしいが、この界隈かもしれない。

パキスタンにもあったか、この看板! 中国ウイグル自治区やバングラデシュにも同じ歯医者の看板があった。

DVD屋。 インド映画だろうか。 ヒンズー語とウルドゥー語は似ているらしい。 あともう少しで西の端、タクサリ門。

日が暮れた頃、腹痛と頭痛が起こって体がだるくなり、ホテルまでこの貸切オート三輪で(150R、150円)帰ることに。

15分程で18時に到着。 部屋で体温計を当てると38度。 腹は下していない。 珍しく食欲も無かったが、何か食べなければと、投宿先のパークウェイ・ホテル附属レストランでチキン野菜スープ(290R、290円)を食べる。 食べきれなかったので、蓋をして部屋に持ち帰り、翌朝も食べる。 今日の万歩計 7,100歩 明日は、少し残った西の端の城壁内旧市街を見終わった頃、腹痛頭痛が耐えられなくなりホテル紹介の病院へ。 経済的に病院に行けない人も行けるようにと作られた診察料無料の国立病院だった。

今回のルート: 2013年 1/18 成田、上海→ /19 インド・デリー→ /20 アムリトサル、パキスタン・ラホール→ /26 ムルターン→ /29 ラホール→ /30 アムリトサル→ 2/1 デリー → 2/3 上海、成田

右の空いている席へ

表の様子。  この男性がナン屋から出来立てを配達してくれていた。

大きな籠を持ったポーターが行ったり来たり。 この通りは問屋街の役割を果たしていて、地方からバイヤーが買い付けに来て、購入した商品はポーターが大通りまで運んでくれるとのこと。 カートを持たないポーターは、頭上の籠に靴を数十箱も載せて、混雑した道を器用に進んで行くという。

その前ではターバン男性が絞りたてのオレンジジュース

こんなところで魚の出張販売。 左のお客にさばいて出している。 今晩は魚カレーだろうか。

モティ・バザール通りへ行く途中で見えた、先程の高い塔のモスク

モティ・バザール通り入口の繁盛していたチャイ店。 店主は耳にペンを挟んで、帳簿を付けながらチャイを入れている。 左の男性はカメラを向けると、右手を左胸に置く丁寧なイスラム式挨拶をしてくれている。

ゴメンナサイ、うっかり撮ってしまいました。 ラホールは女性も多く街を歩いているが、カメラを向けるのはやはり難しい。

ところどころにはスイーツ店。 ムスリムの国では社交場。

何やら金属の処理をしているようだった。 The Gold street

今回のルート: 2013年 1/18 成田、上海→ /19 インド・デリー→ /20 アムリトサル、パキスタン・ラホール→ /26 ムルターン→ /29 ラホール→ /30 アムリトサル→ 2/1 デリー → 2/3 上海、成田

スパイスの効いた野菜オムレツ40R、バター味のロティ(生地を伸ばす畳むを繰り返して薄い層がいくつもあり、フライパンで焼いたもの。)15R2枚、計70R(70円)。 出来立てで美味い。 向こうのテーブルのターバン男性が、ロティをちぎってオムレツに挟んで食べるのが現地流だよと手振りで教えてくれる。 食べた後は手がベタベタなので、写真右奥の洗面所で洗う。 皆そうしているようだ。

ナプキンと一緒にきた爪楊枝。 どこかクラシックな感じがして撮ってしまった。

駅前大通りとの角にある店(上の写真の一番奥)。  いい匂いがしてくる。 ここで朝食にしよう。

妖艶なジャケットも並ぶ。

この駅前大通りをまっすぐ北(写真左)へ。  乗り合いオート三輪のチングチー。

露店の間を行ったり来たりしていた猫

今日こそは城壁内旧市街に入るべくデリー門を目指す。  宿を8:30出発、まずは駅方面に向かう。 In front of Lahore railway station.

この駅前大通りをまっすぐ。 この辺りはチングチーが集まって客寄せ

ここで食べても良かったなあ。 とてもいい香りを漂わせていたナンと野菜カレーの露店。

この辺りはタイヤ店が並んでいる。

少し路地に入ったところ

再び大通りへ。 チャイをご馳走になってしまった。

その前に停まっていたバン。 前方の「かに料理に料理」に対して、後方は「○○○介護センター」とある。 日本語で何んと書いてあるか教えてくれとのこと。 少しおかしな日本語がプリントしてある日本製中古車は、道中時々見かけた。

チャイも出す食料雑貨店。  さっきのはここで注文したのかな。

右上の看板もいい感じ。

この黒い干物のようなものは何だろうと思っていたら、

幹線道路なので、車客を当て込んだ店も並ぶ。  炒った豆の店。

ラホール駅に入って行く列車

キセルの先に詰めるタバコの葉だった。 隣の路地で吸ってみせてくれたおじさん

この通りは山羊マーケットにもなっていた。 ラホール滞在中、どこも排気ガスが凄かったが、この通りは特に凄い。 喉が痛くなる。 持参した喉スプレーを重宝した。

オート三輪用の天然ガスの燃料屋らしい。 店前には何台もオート三輪が停車中。  運転手がボンベを外して持ち込んでいた。 一部は天然ガスに移行したものも走っているとのこと。

ここにも山羊マーケット。  構えると前足を持ちあげてポーズを取ってくれた。

角を曲がってCircular通りに入ったところ。 写真左奥は子供用三輪車屋。

城壁に沿ったCircular通りを進む。  今度は服の露店が並び出した。 Circular street

賑やかな通りをのんびりしながら眺めているおじさん。 良く見る独特の帽子。  私も滞在中、この帽子買っておけばよかったなあ。

運び終わった後だろうか、こちらは米袋の上で休憩中。

なぜかキリンがデザインされているパキスタン製のコメ。 ZARAFAというブランドで少し高めのコメらしい。  この看板は街中でも時々見かけた。

歩道橋にはPMLのマークが入ったパキスタン・ムスリム連盟の政党ポスター。 上ってみる。

これから進む先。 遠くにデリー門前ロータリー内にあるモスクが見える。

今まで歩いて来た道。  橋を渡らずにまた元の道へ。

入口横ではポーズを取ってくれた。

CIAとある。 あのアメリカのそれと関係あるのだろうか。  看板の上には銃口。

昨日歩いて来たLanda Bazar通りとの角にあった軍か警察の施設。 入口上の窓からは大きな銃を構えて警戒中の姿が。

お、パキスタンの白バイ。 ホンダのバイク。  ワッペンには、"City Traffic Police Lahore"。

その内の一軒に、こちらの国民的衣装、男性用「サルワール・カミーズ 」の上下を発見。 シャツにあたるのが「カミーズ」、ズボンにあたるのが「サルワール」。 いろいろ見てみるが、どれもサイズが極端に大きすぎる。 サルワールはウエストが私の倍以上ある。(ワゴン横幅より少し小さい位)。 店主は腰紐でしばって調整できるし、上着を着ると隠れると手振りしてくれるが、結局諦める。 Wikiによると、『サルワールはウエストが1m以上あるのが一般的で、腰紐をきつく縛りあげて履きこなす。』とのこと。 う~む、元々そういうものだったのか。 【追記】 2013年9月にラホール訪問した「風」さんに、宿「バックパッカーズ」近くで500円程度の仕立て代で作ってくれる腕の良い店を教えて頂いた。 次回はそこで作ってもらおう。 風さんの旅行記 http://yaplog.jp/kazepart2/archive/206

Landa Bazar通り側にはたくさんの服の露店が。

懸命に探している女性達。  バイク後ろで呆然と待っているのは亭主だろうか。

Landa Bazar通りとCircular通りのロータリー内に建つモスク

ロータリーに渡って向こう側を見る。 馬一頭でこんなに運べるものなんだ。

遠くに目をやると、やっと見つけたデリー門。 あの先には城壁に囲まれた何百年と続く旧市街が広がっている。 Delhi Gate

向こう側に渡ろうとすると、土砂を運ぶ労働中のロバの一隊が。 追い掛けて撮らせてもらう。  結構速い。

少しCircular通りを戻ってしまった。 先程は渡らなかったこちら側には野菜と魚のマーケット

ナマズの仲間だろうか。

この辺りから魚屋が並ぶ。 ターバン姿の客。 海からも遠く、電力事情も余り良くないようだから、やはり川魚なんだろうな。

大きな魚が並んでいる。  こちらはコイの仲間のようだ。

こちらは鶏肉屋

豚足ならぬ山羊足屋のようだ。

こちらも山羊の足や頭。 捨てるところは無いまでちゃんと食べるんだな。 右の黒ビニール内には頭。  もう一つ処理して待っている客にちょうど渡すところ。

カマスの仲間だろうか。

右の看板の男性が父親で一代目、自分は二代目だそうだ。

右は山羊足を買いに来ていた親子。 構えると、幼い子供をきちんと立たせてスタンバイしてくれた。

もう12:45。 並べたナンもだいぶ売れたようだ。 右上には肘をついてこちらを見ている店主

デリー門に続くらしいこの路地に入ってみる。 実は左のバイクの男性には写真に収まるよう、後ろにわざわざ戻ってもらった。 ここでは皆さん、写真のためなら(?)と、大いに協力してくれる。(ただし男性に限る。女性は対照的に、カメラを構えると大抵嫌がられてしまう。)

チャイの茶葉屋。  夕方帰る時に再会し、チャイをご馳走になった。

くねくねした路地を抜けて大通りへ戻る。  正面はさっきのロータリー内のモスク。

ここでも青空散髪屋。 左の黒筒では炭で湯を沸かしている。 この後、手前のカップに入ったクリームを付けて、ちゃんと顔も剃っていた。

ざくろジュースかと思ったが、人参ジュース屋

路地向かいの布団屋の主人(右)は兄とのこと。 たまに写真左のような全身黒装束の女性も見かける。

食べ物の屋台。  千切りの野菜がうずたかく盛られていて見事。 食べてみたかったが、どの鍋にも生野菜が入っていて断念。

飲んでみたかったなあ。 この人はちゃんとヘルメットを持っている。  後ろでは刻んだ人参を食べている。

城壁内旧市街の東の入口デリー門。 Delhi Gate

ちょうど門に入っていく小鳥屋

ここから振り返って見たところ

脇にあった看板。  「かつてデリーからの旅人がこの街へ入るために使った門」とのこと。 何年建造かは書かれていなかった。

いよいよ城壁内の街へ。 はやる心を押さえ一歩一歩味わいながらこのデリー門をくぐる。 この狭い門を大勢の人や商品を担いだ商人、馬車、牛車、オート三輪、バイクなどさざまな通行人が行き交う。

猿の大道芸人

門脇にはタバコの葉の行商さん。 結構客が立ち止まって買っている。

中は広いドームになっていた。

中にはいくつかドームを持つ空間があり、ここが一番広く壮麗なドーム。 今は何にも使われていない様子だった。 ここでいったん出て通りを歩き出そうとしたら、門横の露店主が「上に上がったかい?」と手振りしてくるので、「いいや」とこちらも手振りする。 それを見ていた散歩中の人が、連れて行ってくれることに。

門を出て直ぐ左にあるかつての公衆浴場ワジルハン・シャヒ・ハマムの入口(写真右)。 看板には"Wazir Khan Shahi Hammam, The Royal Bath"とある。 早速入ってみる。

元ハマムを出た正面にあるタバコの葉屋。  頭上には沢山の道具が吊るされている。 わざわざ実演して見せてくれた。

とうとうやって来た。 ここからは世界攻略者さんの「完全攻略マニュアル」と、グーグル地図の拡大コピーをにらめっこしながら街歩き。 Brass Bazar street. Finally, Here is the inside of Walled City!

目立たないところにある螺旋階段を上り、屋上へ

城壁内旧市街を東西に貫くブラッス・バザール通り。 かつての往来はどんな感じだったのだろう。 Brass Bazar street.

連れて来てくれた親子。  ありがとう。

デリー門を振り返る。 城壁内旧市街を東西に貫くこのブラッス・バザール通りを、約3km先の西の端タクサリ門へ進む。 Dehli gate

同じ旧市街でも今までの城外のそれとは、どこか雰囲気が違う。

女性用「サルワール・カミーズ 」(パンジャビ・ドレス)屋。 男性用の上下単色に対して、色鮮やかで華やか

様々な野菜を刻んで袋詰めにしたもの。  スナックとして食べるのだろうか。

ターバンを巻いた珍しいシーク教徒の店。 右上にはシークの神様。 ここも女性用衣料品店のようだが、他のパンジャビ・ドレス店とはどこか違う。 シーク教徒用衣装だろうか。

やっぱりあの帽子いいなあ。  いかにもパキスタンという感じ。

女性用装身具店。  奥には華やかな腕輪がズラリ。

お供え用だろうか、バラの花輪と、スイーツの行商さん。 横を通るだけでバラのいい香りが漂ってくる。

人参ジュース屋では、プロレスラーのような人が一心に皮を剥いていた。 上には若かりし頃と思われる筋肉隆々の写真が誇らしげに掲げてある。 カメラを向けると、周囲を気兼ねしながら恥ずかしそうにポーズを取ってくれた。 パキスタン男性にしては珍しい。  気は優しくて力持ち。

パキスタンには伝統的格闘技ベヘルワーン(クシュティとも)というのがあるらしい。 きっとその大会に出た時のものなんだろうな。

ちょうどその隣の奥から出て来た多分、風船屋。 オレも撮ってくれとポーズを取られてしまった。 この路地奥にも25日「預言者ムハンマド生誕祭」を祝う飾り付けがされている。

ここにもパンジャビ・ドレス店

向かいにも同業店

ブラッス・バザール通り。 Brass Bazar street.

工事中の家。 「頭上注意」とでも書かれているのだろうか。

焼きトウモロコシ、炒った豆の店。  鍋の下には薪が見える。

白クリームを挟んだパイ状の菓子の行商さん

パンジャビ・ドレスの必需品「ドゥパッター」と呼ばれるストール店。 左の全身黒装束の女性でも、ストールは身に付けるんだ。 昨日の飾りの”重り”といい、結構黒装束にもオシャレアイテムは多いのかもしれない。

チッタ門( Chitta Gate )が見えてきた。あの門をくぐっていく。

ナツメやプルーンのような干し果物屋。 ここも自転車荷台を工夫。 手には量りの分銅。 奥はぬいぐるみ屋。

右にワジール・ハーン・モスク(1634年)が見えてきた。 Wazir khan's Mosque

ブラッス・バザール通りに別の道が交わった三叉路。  振り返って見たところ。

通りに掛かる門の手前に目立たない細い路地(写真左)が伸びる。 ここを通ってモスクへ。

上の写真の門の下にいた野菜のスナック屋。 人参、大根、カブなどをスティック状に刻んでスパイスを掛けて出すようだ。

その正面にあったナン屋。 周囲には香ばしい香りが立ち込める。  出来立てが次々売れていた。

ワジール・ハーン・モスク到着 『1634年、王族専属医であり後にパンジャーブを統治したワジール・ハーンにより建立。 最近までカリグラフィ(イスラム書道の修練場)として機能していた。 モスクを飾る色とりどりのタイルで造られた美しいモザイクは他に類を見ない。(地球の歩き方より)』 Wazir khan's Mosque

モスク前広場。 子供たちがクリケットをやっていたり、自転車を乗りまわしていたりと遊び場になっている。 写真は伝統楽器を吹く流しの男性。 翌日、別の場所でも見かけた。

隣接した別のモスク

先端のイスラムのシンボル「三日月」の上に、傘が。 これは仏教の影響ではないかとのこと。  後に行くムルターンでも良く見た。

さっき一緒に記念撮影をした学生グループ オレが打つところを撮ってくれよ、とのこと。 小学生達のクリケットに混ぜてもらい、つい本気になってしまっているようだった。 後ろの学生たちもその姿を見て笑っている。

この後、銃声らしき乾いたパーン、パーンという音が響き渡る。 一斉に鳩の大群があっちに行ったりこっちに行ったり、この広場の頭上は大変な騒ぎになっている。 聞くと「ハンティング」だろうとのこと。  こんな街中で、と思ってしまったが、周囲は一切動じず。 学生達はこの歴史あるモスクをバックに空を飛ぶ白い鳩の大群は絵になると興奮して、夢中にシャッターを切っている。

入口門の中。  写真左の下足番に靴を預け、持参の足袋を履く。 Wazir khan's Mosque

入って来た門を振り返る。 

ヒューロロ、ヒューロロと盛んに鳴き声がするので見上げると、大きな翼を広げたたくさんのトンビが飛んでいる。 トンビは滞在中あちこちで良く見かけた。

中庭に面した壁の見事なタイル絵 

塔の壁面

中には3人組がいて冗談で、ムスリムはテロリストだと思っているでしょう、と言ってくる。

渋い色合いのドーム。 

植物のタイル絵がたくさん描かれている。

右はアヤメだろうか。

16時、独特の節回しのアザーン(礼拝の呼びかけ)をマイクに唱え始めた男性。 右はミフラーブ

上の扉を開けると、マイクが設置されていた。 (0:57) http://youtu.be/Pyd-vGuL96o

自分も手足を洗って、

挨拶を交わした夫婦。 子供は1歳4カ月だそうだ。 ラホールだけでなく、パキスタン北部フンザ方面もオススメとのこと。 昨年一家で行きとても良かったらしい。 Wazir khan's Mosque

その20分後の16:20、信者が集まり礼拝が始まった。 Wazir khan's Mosque

礼拝堂から離れた一角では、女の子達がイスラムの勉強中

さっきのアザーンは、4方のタワー頂上にあるこのスピーカーから街中に流されていたようだ。

入口があるモスク東側建物。 16:40。 夕日が当たって、街全体が柔らかい色合いになり始めた。

風が吹くと少し揺れを感じる。 下はブラッス・バザール通り 出口に向かう途中、さっきの下足番が中庭にいて「じゃあな~」と言う感じで手を振ってくる。「あれ、100R、もう要らないのかな」と思い、モスクを出ようとすると、急に思い出したのか追い掛けてきた。 彼にとっても、元々あまり楽しみにしていた金額でもなかったようだ。

礼拝堂があるモスク西側建物

南側。  今、自分は念願のラホールにいるんだと改めて実感がこみ上がり、感極まってくる。

やっと頂上へ。  テラスからの眺め。 Wazir khan's Mosque

明かり窓より

暗い螺旋階段を上って行く。

手前のドームから出てきて、今度は後方の塔の入口へ移動。

さあ、帰るかと下足番に靴を返してもらおうとすると、「塔に上らないか、旧市街が見渡せていいよ」とのこと。 いくらかと聞くと、ご随意にという。始めに決めておきたいと言うと、しばらく考えて300Rと言ってくる。200Rに下がり、私が100R(100円)でだといいよ、と言うと、即OK。 写真は塔入口の階段。  帰る時はこの戸は開け放しでいいからと言い残し、去っていった。

女性用靴店

大きな電圧機が並んでいる。 左奥はこの国では良く見る店主の肖像画だろうか。

ブラッス・バザール通りを西へ。 先程上ったのが手前の塔。  もうだいぶ日も落ちてきた。

パンジャビ・ドレスやショールの店。  ぽつぽつ電気が点きはじめた。

高級店の作り。  花嫁衣装だろうか。

装身具店

本物の宝石店の前には銃を持った警備員が守っている。

繁盛している衣料品店。  17:40、すっかり暗くなった。

ズラリと並んだ女の子用ドレス。  こちらの人好みの独特のデザイン

上の写真の店の入り口

共用の飲料水タンク。 備え付けのコップで通行人が飲んで行く。

看板息子。  こんな小さな子もしっかり店番を務めている。

ブラッス・バザール通りを振り返ったところ。 この界隈は特にパンジャビ・ドレス店や装身具店が多く、カシミール・バザールと呼ばれいるとのこと。

地下店も多い。 一番奥に立っている人は口が不自由らしく、懸命に何か伝えようとしてくれるが解らないのでキョトンとしていると、この地下店に案内してくれた。 我々も撮ってくれということだったらしい。

一つ一つ広げて見せている。 昔の座敷だった三越などでも反物を広げて、こんな感じだったのかなあ。

夜市のような賑やかさ

ナッツや干しブドウ入り。  サイズ中で20R(20円)。

ここでスナックを買う。

太鼓の音とともに賑やかな集団が近づいて来た。 この国では少数派シーア派の行事で行進中で、この人たちは今日、祝福されているのだという。 何の祝いなのかは、お互い言葉が分からず分からなかった。

周囲にはライフル銃を持った10人くらいの警察官が護衛。 南部カラチなどでは良くシーア派を狙ったテロが起こっているためか。

先頭を練り歩いている人から、お祝いにと籠から一つ取り出し、私にも頂いた。 何だろうと開けてみると、噛みタバコだった。  赤い汁が垂れてくる。

ワシも一つもらったよ、と開けて見せてくれたここの店主 まだ一度も試したことがなく、やってみようかと思ったが、歯が真っ赤になるらしいので止めてしまった。 ここの店主に貰ってもらう。  今思えばせっかくだから試してみれば良かった。

日が落ちてもこんなに賑わっている。 さっきの祭りを追い掛けてみようと思ったが、噛みタバコを開けてみている間に見失ってしまった。

やっと食堂発見。 ウマソウな揚げ物の匂いが立ち込める。 デリー門入ってから食堂を見つけられず、とうとう昼は食べそこなってしまった。

奥の席に入ろうとすると、写真中央のスーツの男性が「昨日ラホール駅であなたを見たよ」とのこと。 やはり外国人は相当目立つのかもしれない。 奥さんも親切に、この揚げ物は何か一つ一つ教えてくれる。

揚げ物(白身魚 2分の1が60R、カレー味の野菜のかき揚げとスライスした芋)とナン(タンドールという特別な釜で発酵させた生地を焼いたもの。 対してチャパティは鉄板やフライパンで発酵させていない生地を焼いたもの。)3枚で、計230R(230円)。 白身魚が一番高かったのを覚えている。 右はタレのようだったが、生ものかと思い付けずに食べた。 もっと美味しく食べられたかもしれない。  ちょっと頼み過ぎたが、完食。

コーラをサービスしてくれた。 この人の胸にも25日「預言者ムハンマド生誕祭」を祝うワッペン。

20時頃、突然停電。 直ぐに自家発電であちこちの店の照明が点き始める。 この辺りはデリー門から、ブラッス・バザール通りの3分の1くらい進んだところ。 もうここからは明日にして、ホテルへ戻ることに。

自転車に駄菓子を鈴なりに付けた行商さんから、ちょうど蜜で固めたポン菓子を買っていた子供。

「生誕祭」に向けて、通行人に寄付を呼び掛けていた子供達

こちらは結構集まっている。 直接呼びかけられると3分の1くらいが財布を取り出し、寄付をしていた。

デリー門を出ると、午前中会ったチャイの茶葉屋の店主に再会。 ここに座って是非チャイを飲んで行ってくれと言ってくれ、ご馳走になってしまった。

茶葉屋の友人(写真中央)は、この辺りの露店のオーナーとのことで、いくつかの店頭から無造作にバナナやオレンジをつまんで土産に持たせてくれた。

午前中に寄ったデリー門前の電飾されたモスク。 これも「生誕祭」の祭りの一環らしい。

昨日探索したLanda Bazar通りを通り、ラホール駅方面へ

しばらくして表の通りに出て来る。 このイスラムの教えが書かれているのであろう布を広げると、通行人達が寄付を投げ入れていく。 寄付を募るのは、城壁内でもそうだったが、どうやら子供の役目のようだ。 昨日会ったナジールさんの子供たちもいる。 私に会うと大興奮して再会を喜んでくれた。

良く見ると右の赤い飾りの下には漢字で「福」と書かれてある。 ここでも中国製の春節の飾り。

Landa Bazar通りを更に進むと、ここでも頭上の飾り付け。

ラホール駅前にて。 ここでまた停電。 一斉に電飾が消えてしまった。 自家発電で点いている商店の明かりを頼りにホテルへ。 今日の万歩計 6,100歩  In front of Lahore train station. 明日は、城壁内旧市街の残りをモスク等に立ち寄りながら探索。

路地の奥から賑やかな音や人々の歓声が聞こえてくる。 昨日昼に食べた露店の角、ナジールさん宅へ通じる路地だ。 ちょっと入ってみると、広場では太鼓を打ち鳴らす二人組。 周囲には子供が多く、一緒に踊りだす子も。

小さな空き地があり、親子でクリケット。 日本でいう親子でキャッチボールのような感じかな。

右には私がさっき買うか迷った同じ色のシャルワール・カミーズを着た人が。

夫婦で買い物のようだ。 イメージと違い、イスラムの女性も強そう。

パンジャビ・ドレス店

構えると、わざわざ広げて見せてくれた。

細い路地が無数にのびている。

入口横のタイル画。 真ん中のタイル画はイスラム書道の一種のようだ。 文字と草花がまじわっていて、柔らかい印象になっている。 Wazir khan's Mosque

バイク等に張るシール屋。 HONDAやFERRARYのシールまでも。 ここの人は、こういうので自慢のバイクを飾り立てるんだなぁ。 左端には中国の春節の飾り。 これもチングチー等で飾られている。

礼拝堂へ。

こっちは少し違う山羊のようだ。

いろいろな雑穀や豆、スパイスの店

CDやDVD店。  この後、頭が全部入っていない、と撮り直しをさせられた。

ここにも自転車荷台に乗せたスイーツの行商さん。 これも試してみれば良かったなあ。  いつも後で後悔する。

携帯電話は非常に広く普及しているようだった。

馬具屋。  自慢の馬車や水牛車を飾り立てるカラフルなものも。

そのCIAの側にて。  ダイヤルとノートを手元に置いて、何やら複雑な電話回線の修繕のよう。

いろいろなナッツや干し果物を小分けした行商さん

荷ほどきが始まった。 ここからは人力で店内へ。 右端はいい感じのニワトリ屋。

ここにも。 宮殿の壁を飾る絵のように見えてきた。

歩道橋の階段下のわずかなスペースで営業中の青空散髪屋。 お客はお馴染みさんかな。

サトウキビの輪切り売りのようだ。  そのまま口に含むのだろうか。

呼び止められて撮った付け毛屋。 左のお客は代金を渡すところ。  奥さんに買っていくのだろうか。

向かい側で布団屋をしている兄は一足お先に店を閉じ、ちょうど帰るところだった。

その一段高いところにあった店内

自転車荷代に網の中いっぱいのニワトリ。  おじいさんが日向ぼっこを兼ねて商い中。

その直ぐ近くにあった、その装置を分解した部品(写真中央と右上)とタバコの葉を置いた店。

どういう仕組みになっているんだろう。 滞在中、この国では昨年隣国イランで見たような水タバコを見かけることはなかった。

両端の二人は眉毛が繋がっている! 中国新疆ウイグル民族同様、ここでも美男美女の条件なんだろうか。

様々な乗り物が通り過ぎて行く。

ここも山羊マーケットに。

カメラを構えると快くポーズを取ってくれた。

一瞬、ふっと空間ができた。

今回はカタール航空でドーハで14時間のトランジット。乗り継ぎホテルのサービス付だが、市内の見どころは多くない。ダウンタウンのスークにて。

カラチ市内の歯医者。歯が痛い感じは分かる。

カラチのデパートに居た、ちょっとシュールなねずみ。

パキスタン名物、満員の市バス。

花嫁の飾り。21時過ぎて、やっと式が始まる。 お酒は無いので、ひたすらカレーを食べ、スプライトを飲む。 式が終わるのは25時、ここから新郎の家に戻り、親戚同士お喋り。 これが毎日夜明けまで続く。

式は花火でもお祝い。

子供たちは日本人が珍しく、

吟遊詩人も登場する。

街道には過積載気味のトラックばかり。

この地域のチャイ屋はポットの形が少し特徴的。

モヘンジョダロ遺跡に案内してもらえることになった。 あくまでパキスタン人ペース、歓迎はしてもらっているが、こちらの意向は殆ど聞いて貰えず。。 街道沿いは見てるだけでも結構楽しい。

村のマドラサに通う子供 村には招待所があり、宿泊や食事を全て無料で接待してくれる。 イスラムの接待文化は「村」にあります。

地方ではのんびりしているが、誘拐事件も多発しているらしい。(カラチ~モヘンジョダロ道中)

観光客も居らず閑散としたモヘンジョダロ遺跡、お土産もこの程度。 因みにこの神官像の言い値は500円ほどでした。

カラチ市内のマーケットにも空港にも欲しくなるようなものはあまり無い。写真は空港のお土産屋。

テレビで懐かしい「トムとジェリー」を見ながら、ミカンと昨晩のビスケットで朝食。 9時にホテルを出発。 ホテル前ではもう姿を隠さず、堂々とM氏がオートバイに乗って待っていた。握手して挨拶。 昨晩は夜9:00~11:30まで外出していたね、と。交代要員から聞いたとのこと。 昨晩は交代要員はどこで私を監視しているんだろうと、目を凝らして周囲を探してみたが、結局見つけられなかった。やっぱり見ていたようだ。 写真は大通り沿いに出たところのガソリンスタンドにて。

3番ミニバスはHotel Firdos近く前→ガンタガル→スタジアム前のフセイン・アーガーヒー・バザール通り(現地ではフサナガイと発音)入口→デリー城門→パーク城門→ハラム城門→ボハリ城門(現地ではボーリー・ゲートと発音)の順に周遊するらしい。

ここでは日本語が上下逆さまに。 それっぽく見えればいいようだ。

今日はバザール巡りをするため、フセイン・アーガーヒー・バザール通り入口まで乗ることに。20R(20円)。 写真は下車場所から坂道を下りてきたところを振り返ったところ。スタジアムが見える。 持参のグーグル地図にはHussain Agahiの文字とともにバス停マーク。 頭上のSUZUKIの看板の店で、バザールへはここからどう行けば良いか聞いてみることに。

この道をこのまま下りて突き当たりを右へ行けばいいと、両隣の店主も集まって手振りで親切に教えてくれる。 バイク用品店だった。

この道を行ったところを右。 キョロキョロ周囲を見渡してみるが、M氏は見当たらず。 ちゃんと付いて来られているか、私が心配することではないが心配。 (後で聞くと、どこからかしっかり監視されていて、ここで私が何をしていてか詳細に聞かされた。 さすがプロ。)

DVD屋。 恋愛ものから宗教音楽までさまざま。

だんだん賑やかになってきた。 モデルはパキスタン人だろうか。

スイーツの箱詰め(後ろの白いレジ袋)以外にショートケーキを買い、この後その場でペロリと食べてしまった。

ラメやビーズ入りの重厚なドレス。 どんな場面で着るんだろう。

上の写真の階段頭上の看板。 婚礼衣装も取り扱い。

この辺りは衣料品店が並んでいる。 掃除機を掛けて、開店準備中。

何屋だろう。 奥には引き出しの沢山ついた箪笥、右棚には髪染剤らしき箱。 ヘナ屋だろうか。

女性用パンジャビ・ドレス店

帽子とセットで一着買っておけば良かったなあ。

こちらは男性用パンジャビ店

いろいろな野菜の酢漬け店。 後日食べる機会があったが、美味しかった。

歯科医というか歯を抜く専門のようだ。 カメラを構えたら、顔写真入りパキスタン政府公認証を立て掛けてくれた。

右下には数々の戦利品

祝い事に着て行くような華やかな女性用パンジャビ・ドレス店

はたきを掛けて開店準備中

絞りたてのジュースを出す店。 赤カブの上には大きな生姜が見える。

しばらくすると道沿いに高い塔のプルハタン・マスジット(モスク、1720年)。 来た道を振り返ったところ。 Phulhattan Mosque

上の写真のモスクを右に入り、チョーク・バザール通りへ。 更に道が狭くなり、両脇にびっしりと店が並ぶ。 右は女性用装身具店。 Chowk Bazaar

身分証明書等をラミネート加工(パウチ加工)してくれる店

この辺りはキッチン用品店街 Chowk Bazaar

シャンプーや石鹸も扱う化粧品店のようだ。  上の飾りは女性がショールの先につける"お重り"のような役目の物らしい。 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=28374036(写真右下)

ちょうど噛みタバコを口に入れるところだった。 既に歯が赤いので2つ目だろうか。

ここにもバングラデシュ、インド、パキスタン一帯で人気の伝統的なアイスクリーム「クルフィ」。 Pakisutan original Icecream"Kulfi"

この金物屋の店主から一つ頂いてしまった。 昨日も食べたが、さっぱりした味で美味しい。 Pakisutan original Icecream"Kulfi"

チョーク・バザール通りを進む。 頭上には生誕祭の緑色の飾り付け。 Chowk Bazaar

このパンジャビ・ドレス店の店頭にも募金箱。  奥ではちょうど店主がドレスを広げている。

男性用のさまざまな帽子がズラリ。

帽子の下にあるハート型のものは、祝われる本人が首から掛けるもの。 ラホールでもイスラムの祝いの練り歩きで、祝福される男性達がこれを首から掛けて先頭を歩いていた。

店の人があれもこれもと色々と試着させてくれる。 最後に首から掛けているギラギラの飾りを何度も上げる、日本へ持って帰れよと言ってくれたが、バッグにも入らないのでお返ししてしまった。 これを首に掛けて街歩きすれば良かったかな。 表では目立たないようM氏がオートバイに乗って控えている。

祝い事の道具店のようだ。 いろいろな飾りが吊るされている。

タバコ道具店

うん?、この路地の先にチャイ店が見える。 ちょっとここに入ってみます、と後ろのM氏に合図して入ってみる。

途中にあった生地屋

お茶受けの菓子が並ぶ。

チャイ店到着 ラホールで食べて美味しかったクルクレの袋菓子もある。 手前の鍋に入ったピンク色のは何だろう。

ここで1杯飲んで休憩。20R(20円)。 一緒にこの細い路地をオートバイで入って来たM氏にもと思い、2杯注文したら、私は要らないと頑として受け取らない。

スイーツの行商さん。 段に載せて良く落とさないなあ。 この先も少し行ってみたかったが、オートバイで細い道は大変だからか、この先は行かないほうがいいとM氏が手振り。

隣に座ったM氏がカステラのようなものを「お茶受けに」と、一つおごってくれた。(写真はM氏でなく、店員)。 ハンドメイドとのこと。

再びフセイン・アーガーヒー・バザール通りへ。

フセイン・アーガーヒー・バザール通り

ラッシーの量り売り

ちょうどいいところに食堂が。 もう13時なので昼食に入ってみる。 M氏に一緒にどうですか、と誘ってみるがここでも頑として入らない。

縦にして撮ってみる。

店頭のチキンビリヤーニ(写真店主に向かって左)と、春巻きの様なもの(写真手前左端)と、

それにレバーカレー(写真右)を少しもらう。

手前の色つきご飯は甘く味付けしたもの。

ヨーグルト(サービス)、春巻き、レバーカレーを少し掛けたチキンビリヤーニ、合計60R(60円)。

カーテンの向こうは女性客席。 相席の客(写真右)はサモサ3つに豆カレー(ダール)を掛けて食べていた。 左端はこれから揚げるサモサや春巻き。 美味しく食べて、後にする。

上の写真の八百屋が移動してきた。 大きなカリフラワーに、いんげん、ジャガイモ、人参。 それに量りが見える。 奥に見えるのは、祝い事に首から掛ける飾り店。

城外から見たところ。 M氏が、オレはここにいるから、回りを見るなら見てこいとのこと。 M氏はこちらを気にしつつ、商店主と話しだし時々手帳に何かを書き留めている。 商店主は神妙な顔で時々遠慮がちな笑顔で応対していた。 Haram Gate

ハラム城門前広場の様子(城外側)。 3階に独特のバルコニーがある木造建物。 Around Haram Gate

路地挟んで、こちらも古そうな建物。 正面に2個スピーカーが取り付けられてあるが、アザーン(礼拝の呼び掛け)の呼び掛け用だろう。 Around Haram Gate

入口が賑やかにデコレートされたミニバス。 呼び込み中の運転手と。 Around Haram Gate

同じバスを正面から。 屋根には買い物帰りの乗客のだろうか、荷物が積まれている。 滞在中、とうとうこのタイプのデコミニバスに乗る機会がなかった。

馬車の乗客。 はたき売りだろうか(右手には客呼び込み用の鐘が)、一緒に入ってもらった。 右後ろのパキスタン国旗の建物は警察署。

城門隣では会場が作られていた。

演台まで。 後ろのポスターの政党?の演説会だろうか。 上の写真手前の旗が、ポスターに描かれたものと同じだった。

祝い事に使う道具屋。 カメラを構えると右の人が素早く売り物を身に付けて、ポーズを取ってくれた。 回りの人は手を叩いて爆笑。

ここは何を扱っている店だろう。 真剣なやり取り。

この通りは、グーグル地図によるとアラン・ハラム・ゲート通り(Alang Haram Gate)というらしい。

宝くじだろうか。

ここにもお祝い用の大きな首飾。 この辺りは多いなあ。 M氏がによると「セラ」といって、結婚式で友人が新郎に渡すものとのこと。 自分も昔、首から掛けたことがあるとのことだ。

午前中に見た男性モデルに対して、こちらは女性モデル。

行者のようだ。  ムルターンは南アジアの最も古い街の一つで、古い墓廟やモスクがひしめいているという。 手には「バラの花びら」と「教えの絵」、なぜか手に持っていたレンガを頭に載せてポーズを取ってくれた。 寄付を募っていたようだった。 後ろはナン屋。

食堂にて。 14:20、昼食の客入りも一息ついて、片付けの時間だろうか。 中央のここの壁にも募金箱。

だんだん細い道になってきた。

タバコのバラ売り。 店主が右手の箱から3本渡している。

ミシン修理店。 ちょうど分解している最中。 横に掛けてあるのは部品のゴム製の輪。 棚には修理を終えたのであろうミシンが並ぶ。 ミシン修理店は時々見る。 大事に使っているんだなあ。

来た道を振り返ったところ。 右上にはここにも特大の首飾りが並ぶ。

ナン屋にて。 少年が手に持った生地をこれから正面の釜に張り付けるところ。 奥に積まれてあるのは燃料用の木材だろうか。

工事現場からの帰りかな。 絞ったズボンに、手には弁当箱。

揚げ物の店。 サモサにコロッケのようなもの、スナックのようなもの等など。 まだ14:30。これから夕飯時にかけて買い物客で賑わうのだろう。

女子学生の下校時間のようだ。 向こうからどんどんやって来る。 右はパパイヤ売り。 切り売りもしている。

ここにもミシン修理店。

自転車にも生誕祭を祝う緑の旗

英語教育を行う学校の看板のようだ。 この道をしばらく行った先にあった。 ロナルド・ダックにドラえもん、ミッキーマウス。

ドラえもんも良く描けている。

アラン・ハラム・ゲート通り

学校が近くにあるためか、子供向けカバン店

街並みの様子

ボハリ城門(地元ではボーリー・ゲートと発音)が左側に見えてきた。 再び通りも賑わい出す。 男の子が何か手伝いをしている。

上の写真の子とは兄弟のようだ。 中はミルクか何かだろうか。

その近くにあった祝い事道具店。 中に入れよと、作っているところを見せてくれた。

どういう意味があるものか分からないが、一つ一つに意味があるんだろうな。

ナンと豆カレーで食事中

余すところなく食べるようだ。 左端の壁は城門。 別の旅行者の同じ写真 http://www.drivingoz2uk2.com/page72.htm

城門から更に城壁に沿って出発。 この通りの雰囲気、タマラナイ。

ここにもムルターン名物ソウハーン・ハルワ。

「おじいちゃん、どうしよう。」

「あのカメラの方に顔を向けてご覧。」 ありがとう~!

右は何を扱っているんだろう。 たくさん引き出しがあるから、薬屋だろうか。 ここでM氏が、シャー・ユースフ・ガルディーのダルガー(墓廟)への路地は通り過ぎたぞ、と教えてくれる。 戻ることに。

戻る途中で、さっきの一家に再会。 お爺さんに可愛いサンダルを買ってもらったようだ。

この路地を入ったところらしい。 城門から城壁に沿って北に進み、直ぐに右に曲がり、また直ぐに右に曲がったところ。 少し分かりにくいところにあった。 全身すっぽり被った女性率はラホールより少し高い感じ。

シャー・ユースフ・ガルディーのダルガー(墓廟、1152年)入口に到着。 Shrine-Shah Yousaf Gardez

門をくぐって直ぐのところにあった標識 刀がシンボルの、ここはシーア派の墓廟。 スンニ派が大多数のパキスタンでは、南部カラチ等でよく標的にされている。 ライフル銃を持った警官が警備。 Shrine-Shah Yousaf Gardez

彼女も神に奉げる言葉を唱えながら、建物の回りを反時計回りに歩き続けていた。

シャー・ユースフ・ガルディジーのダルガー(墓廟) この墓廟にはドームが無く、他の墓廟とは違う印象を受ける。 墓廟の周囲にも「あやかりの墓」だろうか、たくさん墓が並んでいる。 手前の方は色あせて、原型をほとんど留めていない。 地球の歩き方より 『ユースフ・ガルディジーはシーア派の伝教師として、アフガニスタンからムルターンにやって来た最も初期のスーフィー指導者。 ムルターンで最も古い平屋根のダルガーで、濃い青色のタイルをあしらった四角形の立ち上がりが美しい。 この様式は、八角形や四角形の立ち上がりの上にドームをかける建築様式の始まる前のもので、1152年建築である。 外壁はペルシャンブルーと黄色の釉薬タイルで覆われ、細部の窓には透かし彫り「ジャーリー」の施された、亜大陸で最も古い精度の高い墓廟建築である。』 Shrine-Shah Yousaf Gardez

足袋に履き替え中へ入ると、壁一面は銀色でキラキラ光輝いている。 写真の彼は神に奉げる言葉を唱えながら、墓に何度も額を付け、接吻をしている。 M氏もいつの間にか私の横にやって来ていて、同様に何度も接吻していた。 M氏はシーア派とのことだ。

中には足型が鎮座。 約1500年前の聖者ハズラト・アリーのオリジナルの足型とのことだ。 くれぐれも、この墓廟の主シャー・ユースフ・ガルディジーのものではないと念押しされる。 最後にM氏は自分の指先に接吻し、その指先をこの足型にうやうやしくそっと触れ、扉を閉めた。

M氏が珍しく案内してくれるので付いて行くと、裏手に祠のようなものが現れた。 うやうやしく正面の小さな金網を開けてくれると、

聖者ハズラト・アリーの小さな祠を後ろから。 日も少し陰ってきて、優しい色になってきた。写真手前も全部墓。 知らずにそこを歩いたら、M氏に注意される。 ここも色あせ、積んだレンガでかろうじてそれと分かる。

ライフル銃を持った警官が見送ってくれた。

再びボハリ城門前広場(城外側)へ。 もう16時だ。 Around Bohar Gate

ここにもミニバス。 乗ってみたかったなあ。

正面から。 ミニバスは個人営業とのこと。 だから装飾にも愛情がこもっているのか。

5箱とも食器皿のようだ。 カメラを構えると、この大変な中にも関わらずわざわざ止まってくれた。 この後、オート三輪で待っていた客に渡し去って行った。

向こうから顔じゅう汗だらけになって、大荷物を運んでくる人が。 Around Bohar Gate

男女揃った看板

色とりどりの八百屋の右隣は何屋だろう。

さとうきびの皮を剥ぎ、輪切りにして並べているようだ。

口に含んでかじるのだろうか。

ここにも名物スイーツ「ソウハーン・ハルワ」 少し味見をさせてもらった。 キャラメルのような味。 左の箱詰めは1kg300R(300円)とのこと。

色どりが綺麗な料理。  生野菜がのっているので手が出せず。 左はカレー、真ん中はビニールに入ったナン。

ちょっと広場(写真奥)から路地に入ってしまった。 ボハリ城門へ帰ることに。 今度は東南にあるムサ・パック・シャヒードの墓廟へ。 M氏は、歩いて行くと日が暮れるのでオレの後ろに乗れと言い、近くまで乗せて行ってくれることに。 後から地図をみると、城壁内を城壁に沿ってハラム城門、パーク城門まで一気に行ったようだ。 パーク城門を通ったことに気づかず、撮り損ねてしまった。

パーク城門正面から伸びる通りを少し北上したところで下ろしてもらったようだ。 写真は装身具店。

酢の漬物屋

スイーツ屋。 手前はフルーツ・ヨーグルト、真ん中がラッシー、一番奥にはソウハーン・ハルワが見える。

大きな電圧機がある三叉路を左に入って、サラファ・バザール通り(Sarafa Bazar Rd.)へ。

装身具店の看板。 ボディー・ペインティング 「メヘンディ」を施した女性がこちらを見て微笑んでいる。

しばらく賑やかな通りが続く。

ムサ・パック・シャヒードの墓廟入口到着。 商店街の中にあり、中が伺えないので、ここが入口だとはM氏に教えてもらわないと分からなかった。 Musa Pak Shahid

門の中にあった軽食屋。 親子でやっているようだった。 Musa Pak Shahid

M氏は、オレはここで待っているから見ておいで、とのこと。 左の入口を入ってみる。 入口横(写真右)にも墓が並んでいる。 Musa Pak Shahid

奥に進んで、聖人ムサ・パック・シャヒードの墓

隣にあった、同じ聖人の名前を冠したムサ・パック・シャヒード・モスク。 右の入口から入ってみる。 Musa Pak Shahid

ホテルに戻ったのは22:40。 ところどころでM氏のオートバイに乗せてもらったこともあり、旧市街街歩きはいくらやっても楽しいがそれは別として、昨日今日でムルターンの見たい名所旧跡は一応全部訪れることができた。 今日の万歩計:7,400歩。 明後日インド側に戻るため、明日はラホールへバスで移動する。 Hotel Continental Inn

ここもペルシャン・ブルーというのだろうか、綺麗な青色タイルでびっしりと覆われている。 M氏は入口でいろいろな人と話をしている。  ムサ・パック・シャヒードの墓廟とモスクを後にする。 Musa Pak Shahid

この後はサラファ・バザール通りを北上し、午前中に表を通ったアリー・ムハンマド・ハーン・モスクへ。 もう17時、ぽつぽつ電気が点き始めた。 この界隈も装身具店が並ぶ。

後ろの男の子の胸には生誕祭を祝うバッジ。 手には真新しいクリケットのバットが。 買ってもらったのかな。

左右に伸びる細い路地の向こうから、ちょうどココナッツ売りがやって来た。

夕食は21:30に昨晩と同じ近くのプンジャーブ・グリルにて。 チキンビリヤーニ130、野菜カレー60、サービスチャージ10で合計200R(200円)。 後列のライタ(グリーンペッパーヨーグルト)とサラダはサービス。 実は最初、他に食堂はないかと表の大通りを歩いていると小さなホテル付属の食堂を発見。 英語はオーナーが話せるよと奥の中庭に案内されると、テーブルを出して一家でお茶の時間のよう。 長老級のお爺さんが、良く来た!と歓迎してくれる。 隣に座るよう手招きされ、中国人か、日本人かと聞かれ、日本人と答えると、喜んでくれたのか、「おお、そうかそうか」と握手した手をなかなか離してくれない。 他の家族に聞くと、ここはケバブとナンしかないとのこと。ご飯ものが食べたかったので、昨晩のところに戻るかと思っても、まだ手を離してくれず、手の甲にキスをしてくれる。周りの家族もニコニコしながら見守っている。私もハグして応えて、ようやく解放。お礼を言って後にしてしまった。 今から思えばあんなに歓迎してくれたのだから、あそこで食べてくれば良かったかなあ。

長持ち店

柵越しに覗いていると、警備員が入れ入れという感じで中に入れてくれる。

左から警備員、表の看板にも顔が出ていた俳優・作家も兼ねているという男性、ここで働いている人。 俳優・作家も兼ねている人はここのオーナーでもあり、市内に他に何軒か劇場を持っているという。

観客席。 上はボックス席かな。

夕食後、気になっていた隣の劇場へ。 入る前に、監視(護衛)の交代者を探して周囲に目を凝らして見るが、見つけることができなかった。

サラファ・バザール通りを更に北上

こちらも左右とも敷物や礼拝用絨毯を扱う店。 黄昏時。

商店主同士で景気の話しだろうか。 右の男性の額には礼拝コブができている。 イスラム圏では敬虔なムスリムの証らしい。

女性買い物客も意外と多かった。 目だけ出して、あとはばっちり隠している人も多いので、なかなか撮らせて下さいとは言いづらい。

正面の階段を上がり、中へ。 Ali Muhammad Khan Mosque

階段を上がると直ぐに手足を清める洗い場。

階段上から見た、午前中通って来たフセイン・アーガーヒー・バザール。 昼間見た景色とはまた違った印象。 左手には高い塔のプルハタン・モスクも見える。 Phulhattan Mosque

このモスク前の店でも丁々発止のやり取り。 もう17:30。 日が暮れて来たのでM氏の後ろに乗せてもらい、ホテルへ帰ることにする。

アリー・ムハンマド・ハーン・モスク(1757年)に到着。 モスクの左側から入って来た。 ちなみに午前中はここの右側に入り、チョーク・バザール通りを通ってハラム城門へ向かった。 Ali Muhammad Khan Mosque

この街で一番有名なアイス店 ムシャラフ元大統領もムルタン滞在中は、特別注文したという。 戒律で禁酒のムスリムにとって甘味処は社交の場。

先月ムルタンを訪れた新婚ご夫妻が、ムルタンに行ったら是非行ってみてと勧めてくれていたババ・アイスクリーム店(Baba Ice Cream)。 M氏の後ろに乗っていて偶然見つけ、停まってもらった。 先程も昨晩もここに行きたいと行ったら、遠い、3km先だと言っていたのに。 2007年版(最後の版)地球の歩き方の地図とは違う場所にあり、それによるとここから確かに遠い。 ここに新しく移転して来たのだろうか。 M氏は移転した場所を知らなかったのか、知ってて早く帰りたいからああ言ったのか。

メニュー表。 店の奥に広いテーブル席あり。

旧市街で頂いた(何だか頂いてばかり)棒状のクルフィや日本のアイスとも違い、粘りがあり、味はムルタン名物スイーツのソウハーン・ハルワに少し似ていた。 ナプキンに記された住所を見ると、ここの場所のChowk Nawan Shahr(歩き方の地図にはNawan Shahr Chowk)と、歩き方で紹介されているムルターン・キャントメント駅方面の2つの住所が載っている。 やはりこっちは2号店なのだろうか。 ホテルから歩いていける距離。 店主に確認し損なってしまった。

撮っていると、1つどうぞと頂いてしまった。 1956年創業。 カップを差し出してくれているのは3代目、その右の男性は息子で4代目。 後ろの写真の右のターバン男性が創業者、その左が2代目だそうだ。

日本と同じ光景。 別室では腹に何か装置を付けて寝ている人もいた。 乗りつけたオートバイが表に並んでいる。

18時にホテル前に到着。 これから夕食に行きたいと言うと、M氏は、オレはもう警察署に戻るから、次の交代者が来る20時までホテルにいろと言う。 私が今日訪れたところは全て手帳に記録していて、今から署に戻って報告書を作るとのこと。 写真はホテル前の路地にあったジム。

今回のルート: 2013年 1/18 成田、上海→ /19 インド・デリー→ /20 アムリトサル、パキスタン・ラホール→ /26 ムルターン→ /29 ラホール→ /30 アムリトサル→ 2/1 デリー → 2/3 上海、成田

ここにもムルターン名物ソウハーン・ハルワが並んでいる。

上の写真右端には、パンジャーブ・ドレスだろうか、女性がミシンを持った古い看板。

この用紙は1枚750R(750円)のものの賞金と当選番号のようだ。(上の写真の右端を拡大)。 1等1人150万R(150万円)・・・714654番、 2等3人 50万R(50万円)・・・ 3等1696人 9,300R(9,300円)・・・

証書にはStudent Welfare Prize Bonds(学生福祉賞債?)と書かれてあり、100、200、750、1,500R(1,500円)のものが見える。 掛け捨てなんだろうか。 M氏によると45歳のセキュリティーポリスは月給7万5千R(7万5千円)くらいと言っていたから、それを考えると物価としてはどうなんだろう。

きっとムスリムなら誰でも知っている有難い話の場面なのかもしれない。

さっきのお爺さんが私の腕を引くので一緒に行ってみると、ここで自分が祈るので撮ってくれとのことだ。 写真は、「これからここでワシが祈るから、撮るんじゃぞ」と目で合図しているところ(笑)。

この辺りからは敷物屋が多くなってきた。 帳簿を付けているようだ。

改装中のようだ。 部分的にタイルが綺麗に剥がされている。

13:40、チョーク・バザール通り終点のハラム城門に到着 (写真は影になって暗かったのでコントラスト処理しました。) Haram Gate

城壁内に戻り、再度パシャリ。 (写真は影になって暗かったのでコントラスト処理。) M氏に、もう済んだよと合図。 今度は北西にあるシャー・ユースフ・ガルディーのダルガー(墓廟)へ向かって城壁沿いの道を出発。 Haram Gate

壁が取り払われた建物で、敷物を敷いて寛いでいた。 後ろに立て掛けてあるのは反物のようだ。

ボハリ城門。 写真右は母の手を引く娘さんだろうか。 (写真は影になって暗かったのでコントラスト処理。) Bohar Gate

城門から城門外を見たところ。

カメラを構えると、イスラムの祈りを奉げる時の、お椀を持ったようなポーズを取ってくれた。 (写真は影になって暗かったのでコントラスト処理。) 右は蝋燭売り。 聖人に奉げたい人はここで買うようだ。

フセイン・アーガーヒー・バザール通りを進む。 Hussin Aghi Bazaar. Inside of the Walled City.

商店の間に小さな墓廟が。 どんな聖人だったのだろう。 手前には賽銭箱。

M氏は、お先にどうぞ、と促す。 私の後ろを付いて行くから、自由に行動してくれとのことだ。 城壁内旧市街行き3番ミニバスは、昨日と同じところで直ぐに見つかった。 後ろを振り向き、等間隔で付いてくるM氏に手を挙げ、このバスに乗るよと合図。 M氏は黙ってうなずく。 写真は意味不明の中国語が書かれたミニバス(日本車)。

洋装店の看板

右にフセイン・アーガーヒー・バザール通り入口が見えてきた。 その前に左のスイーツ屋に入ってみる。 Inside of the Walled City

さあ、フセイン・アーガーヒー・バザール通り探索開始。 いつの間にかもう10:30。 地球の歩き方には、 『旧市街の中心部、パキスタンでも有数の賑やかさを見せるバザール。幅3mも満たない細い道の両脇に衣料品、雑貨、食料品などを扱う店がひしめいてる。露店も多いので、自然と歩くスピードがのんびりとなってしまう。』とのこと。 Inside of the Walled City

左右に伸びる路地にもびっしり商店が連なっている。

まだ早い時間なのか、店開きしていない店も。

フセイン・アーガーヒー・バザール通り 天幕もいい感じだなあ。 夏は40度近くの日が続くらしい。

フセイン・アーガーヒー・バザール通りを進む。 Inside of the Walled City

左右に伸びる路地。 まだあちこちに25日「預言者ムハンマド生誕祭」の緑の飾り付けがされている。

正面にマスジット・アリワリ・ムハンマドハーン(モスク、1757年)が見えて来た。 Ali Muhammad Khan Mosque

モスク前にはシーツのようなものの露店。 この辺りも衣料品店が多い。 このモスクには夕方再訪し、中に入ってみる。 Ali Muhammad Khan Mosque

 ジープ道を歩いて西に向かいます。村を抜け、緩やかな登り坂を登っていくと、小屋とゲートが出てきます。ここで通行料を取るおじさんがいるとの話ですが、オフシーズンのためか無人。ゲートの後、少し歩くと、広い川原/湿地のエリアが目の前に出てきます(写真)。   車道は左に大きく迂回していますが、私は徒歩のため、そのまままっすぐ湿地エリアに入っていきます。このエリアの右端の方には、エメラルド・グリーンの小さな池があるそうです。

 湿地エリアの中の道を行くと、途中で3箇所ほど吊橋が出てきます。それを渡りながら、先に進みます。正面に見える山の左側には雪山と氷河。右側には、ババグンディへと続く道があります。ここで目指すのは後者のほうです。

 写真は、湿地エリアから見た雪山(南)の眺め。土砂を被ったYishkuku氷河の向こうに見えているのが、Pamiri Sar I (左、7016m)とKampire Dior (右、7168m)。ちゃんとあるじゃん絶景! 宿でかっこいい雪山はないか聞いた時、紹介されたのが、このMt.Pamiriでした。パミールみたいな名前ですが、この山があるのはパキスタン側です。  この氷河の右側の山を登っていくと、夏の牧草地やベースキャンプ、雪山のビューポイントなどがあります。そこへのトレッキングもズードホンで人気アクティビティですが、時期はずれということもあり、私は行きませんでした。

 この湿地帯では、馬や牛がくつろいでいるのをよく見かけます。景色がいいため、人がのんびりするのにも最適です。

 湿地エリアを渡りきると、小さな丘が出てきます。その丘を登りきった先で、湿地帯を迂回してきたジープ道と合流します。写真は丘の上から見た景色。この幅広の道はババ・グンディまで繋がっているようです。今日はここまでにしておいて、明日ババ・グンディまで行ってみることにします。

 ズードホンから30分ほど走り、まずはゲートのある小屋に到着です。ここまで乗ってみて、いくつか致命的な問題があるのに気がつきました。まずは、自転車のコンディション。この自転車、ブレーキが常時半分利いているため、漕ぐのに3倍のエネルギーを要します。試しにブレーキのワイヤーを調整してみると、今度はほとんど利かなくなりました。  次に、ギアが変えられないこと。こちらは、無理に変えても漕いでるうちに、低速ギアに戻ってしまいます。まったく、こんな状態の悪いバイク、よくもレンタルしやがって..。バイクを用意するのに1時間もかかった理由がよくわかりました(笑)。  それに加え、道路の状態にも問題があります。このジープ道、山から小川が流れ込んでいる場所が何ヶ所かあるため、そこを渡らなければなりません。さらに、日陰の場所では道が凍ってたりします。 写真: ゲート小屋と、その手前を流れる小川。

 本当なら今日はあきらめて戻ってもいい所ですが、一日無駄にしたくない私は、そのまま走り続けることにしました。慣れが問題を解決すると考えたからです。でも、思ったより簡単ではありませんでした。特に苦労したのが全く利かないブレーキ。下りで加速する度に足で止めます。ジグザグに走ってスピードを抑えても効果なし。本来、スイスイ走っているはずの下りで、20メートル毎にストップを繰り返しながら前に進んでいきます。 何というアホらしさ!  さらに困ったことに、道が大きく迂回しているため、いくら走っても昨日の丘までたどり着けません。距離的には倍くらい遠回りでしょうか。

 ゲート小屋から約50分、なんとか氷河手前の橋までやってきました。写真右上に見えている丘が、昨日到達した場所です。

 橋の直後、更なる困難が待っていました。幅5メートルほどの小川があって、それを渡らないことには先に進めないのです。川幅が狭くなる上流まで行ってみたのですが、逆に底が深くなっていて越えられない。ここでは、いろいろな作戦を考えてみました。自転車を向こうに放り投げて、自分はとび石の上を走るとか。自転車を担いで、さらに上流の巨石を登るとか...。1時間ほど奮闘しましたがすべて失敗に終わりました。努力が報われないことも、たまにはあります。

 途方にくれていると、丘のほうから車がやってきて、強引に川原を突破していくではありませんか。どういうこと? タクシーのような車がこの僻地を走っていること自体驚きですが、何の躊躇もなく川の中を走っているのに、さらにびっくりです。どうも、ババ・グンディを見に来たパキスタン人観光客を乗せているようです。

 車の走るコースを見て、やっと気がつきました。橋の手前辺りからワダチが見えていて、それが川原の中の砂利道に合流しているのです。つまり、これがスタンダードなルート。川幅が広い反面、水深も浅めです。橋の前まで戻り、私もこのコースを渡ります。

 靴を脱ぎ、氷のような水温に我慢しながら、一歩一歩自転車を引いていきます。時々休憩を挟み、5分以上かけて何とか対岸に渡ることができました。なぜ、このコースを最初から選択しなかったかというと、川の水が半端なく冷たいから。氷河から流れ出る水は、氷と変わらない冷たさ。濡れずに済む方法を懸命に模索しましたが、結局は川を歩くはめになりました。

 その後、川原を越えて、丘の上へ。川から20分後、やっと昨日と同じ場所に立つことができました。ここまで約3時間。直線コースを歩いてきたほうが全然早かったですね。でも、この先はわかりやすいジープ道が続くだけなので、なんとか挽回したいと思います。  気持ちを入れ替え走り出してみると、ゆるやかに見えたジープ道にも、多少アップダウンがあるのに気づきます。下りのほうは、だいぶコツがつかめてきましたが、時々出てくる登りの道で苦労します。何しろギアが軽いギアに固定されているため、全力で漕いでもなかなか先に進まないのです。カゴの中を懸命に走るハムスターにでもなった気分です。  しかも、ここは3500メートルを越える高地。少し「本気」を出すだけで、すぐに息が切れてしまいます。富士山9合目と同じ高さの山道を、低速ギアで走る汗だくの男...ほとんどジョークの世界です。登りは全力で立ち漕ぎ、下りは足ブレーキ。一体、俺はここで何やってるんだ..。そう感じるまで長い時間はかかりません。丘から80分ほど長いジープ道を走った後、やっとババ・グンディが見えてきました。  計4時間半もかかってしまいましたが、川越えを除けば約3時間。自転車の状態がよければ2時間ちょっとで来れたはずです。私の判断は間違っていなかった。でも、運がなかった。

 これがアフガニスタンに最も近い集落、ババ・グンディ。夏の牧草地という話ですが、晩秋の今、砂漠の町のような荒涼さを感じます。全部で小屋が10軒ほど。中央の白い建物が、聖人を祭った廟になります。  このババ・グンディが一番盛り上がるのは、やはり夏。放牧地には家畜が溢れ、キルギスからの遊牧民が峠を越えて商売にやってきます。さらには軍隊のキャンプも張られ、写真の閑散とした風景とは全く違った姿を見せるとのことです。

 早速、集落の中に入ってみます。ここババ・グンディのランドマークがイスラムの聖人を祭った廟(写真)。有名な巡礼地でもあり、ここまでジープ道が伸びているのは、この廟のためかもしれません。  この時は、門に鍵がかかっていて中に入れませんでした。先ほどの観光客がここを訪問したとすると、この集落の誰かが鍵をもっているのでしょう。でも、その人を探す気力はもう残っていません。

 小屋の人に場所を教えてもらい、やっとダリオ家の「ババグンディの家」を見つけました。場所は廟の裏側、集落から少し離れたところで、農地を囲う柵の内側にあるため、見逃していたのです。ここには、写真のような小屋がひとつ。少し後方に、窓のないキッチン小屋がひとつあります

 鍵を開けてそれぞれの小屋に入ってみます。ゲスト小屋のほうは、ズードホンのゲスト部屋と同じで殺風景な洋間。物置スペースで寝袋や布団を発見したので、なんとか一泊することはできそうです。今の私に日帰りする体力は残っていません。

 一方のキッチン小屋は、小さめの伝統家屋。ズードホンの母屋同様、部屋の中心にカマドがあり、回りが寝るスペースになっています。サイズが小さくなっただけで、構造は基本的に同じ。この小屋の場合、さらにシンプルになっていて、床は土間にゴザをひいただけ。天井もズードホンと比べ、かなり低めです。 夏のシーズン中、このキッチン小屋にはダリオの父親が住んでいるという話です。

 この小屋は、ダリオ父が住んでない時、宿泊者やガイドが勝手に使うこともあるようです。戸棚には、食器に加え、鍋やヤカン、圧力鍋などの調理器具も一通り揃っています。よく見ると、お茶の葉やヤク・バター、ジャガイモなどの食料が入った袋もあります。  おっと、大事なことを忘れていました。この集落には電気がないため、夜は部屋が真っ暗になっちゃいます。ヘッドライトは持っているものの、就寝までそれで過ごすのは勘弁願いたい。キッチン小屋でランタンを発見したので、これを活用することにします。

 先ほど訪ねた小屋に向かい、恥を覚悟で灯油を分けてもらいます。同時に、古くなった芯のロープも交換してくれました。この小屋に住むのは国境警察の老夫婦。他にも羊飼いがいるはずなので、オフシーズンのこの時期でも、二世帯ババグンディに住んでいることになります。  この小屋もキッチン小屋より少し大きい程度の伝統家屋。部屋の奥には、警備用ライフル(写真)が立ててあり、アフガンからの怪しい侵入者に備えます。  ところでこの小屋、カマドに火がついているため暖かくてとても快適です。一泊させてくれないかお願いしてみましたが、答えはNO。でも、夕食には誘ってくれました。もともと日帰りの予定だったため、私はほとんど食べ物を持参していません。

 この家で料理を作るのは男性の役目。ヤギの肉をぶった切り、たまねぎやジャガイモ、砂糖・スパイスと炒めます。おかずを作った後は、小麦粉をこねてカマドの上でチャパティを焼いていきます。いつも関心してしまうのが、パキスタン人の手際のよさ。原料の小麦粉からチャパティを焼き終えるまで5分もかかりません。このリードタイムの短さは、お米やパン、麺類には絶対まねできない芸当です。それだけ、チャパティが原始的な料理といえるかもしれませんね。  調理が終わると、暗い部屋の中でカマドを囲み、3人でこじんまりと食事をします。文字通り何もないこの土地で、おいしいものを食べられる喜び。カマドから伝わる火の暖かさ。そして、テレビも商店街ないこの静かな場所だからこそ、感じることのできる人の温かさ。すべて、おなか一杯いただきました。

 さて、腹を満たしたところで、次は寒さ対策です。ババグンディは標高約3600メートル。ズードホンより200メートルほど高いだけですが、その差以上に寒く感じます。  私にはひとつ妙案がありました。ゲスト小屋ではなく、キッチン小屋で火を起こして寝るのです。小屋の中には、低木の枝やヤク・牛の糞などの燃料、さらにマッチがあるのは確認済みで(写真)。  宿に戻り、これらの燃料をカマドの中に入れ、さっそく実験開始です。マッチで枝に火をつけるてみるのですが、なかなか燃え上がりません。さっきの小屋の男性はいとも簡単に点火してたのに、何かコツでもあるのでしょうか。結局、あきらめてゲスト小屋に戻ることにしました。

 とても底冷えする10月後半のババ・グンディ。物置からあるだけの布団と寝袋を取り出し、寝床を作ります。まだ寝るには早いため、キッチン小屋にあった情報ノートを寝そべって読んでみます。  フムフム。やはりこのババグンディは、夏来るのがよさそうです。辺りは緑の草原に変わり、乗馬の練習もできます。ダリオの父と語り合い、ガイドの作った料理に舌鼓を打つ。一方、今の私はひとりきり。寒さに震えながら寝付けぬ夜を過ごしています。

 私が気になっていたのは、西側の風景。さらに奥へと谷が伸びています。このまま進んだ先には何があるのか。午前中の時間を利用して、行けるところまで行ってみたいと思います。この先、ジープ道はないため基本的にヤギの道を歩きます。  鶴田真由さんの番組チームもこの谷を通って、ワハン回廊へ向かいました。その時は、カメラ3台に音声さん、修理エンジニアにディレクターなど、日本人が20人。さらに、荷物を運ぶ22頭の馬、55頭のヤク、それてそれらを世話する現地人など、合計100人を越える大キャラバンだったという話です。それが隊を成して一列に歩く姿は、さぞかし壮観だったでしょう。でも、それだけ人が多いと、いろいろ人間関係もあるわけで、本当の意味で秘境を楽しめたかは疑問が残ります。

 チャプルソン谷の北側の山を越えた先は、すでにパミールの地。数キロ先にはアフガニスタンとの国境があります。ただ、山が高く、5000メートル近い峠を越える必要があるため、国境越えのルートは限られます。  1時間ほど歩いて、対岸に赤茶色の山が見える場所に来ました。各種情報を見ると、この赤茶色の山の辺りから山を登っていけば、国境のイルシャット峠まで行けるように読み取れます。しかし、この時は適当な道が見つからず、そのまま谷の奥へと進んでいきました。

 河原まで降りると、再びいやな現実に直面させられます。ここにも幅広の川があり、簡単に飛び越せそうな場所はありません。仕方がないので靴を脱ぎ、凍えるような川の中を横断していきます。二度目だから、もう慣れっこです。本来は、ババグンディの後すぐに対岸に渡るべきだったのですが、直感で歩き出してしまったため、こうなってしまいました。ガイドを付けない旅行者への罰ゲームみたいなものです。

 川を渡り、その先に続く道を登ると、Kuzyaz氷河を見下ろせる場所に至ります。ババグンディからここまで約2時間半。チャプルソンを流れる川はこの氷河が源流。いうなれば、ここがチャプルソン谷の終点です。斜面沿いの山道はさらに遠くに続いており、このまま進めばアフガン国境まで行けるかもしれません。でも、今日は時間がないので、ここで引き返すことにします。  後で調べてみると、これは私の勘違い。この氷河沿いの道を進むとブアタールという場所まで行けます。この場所はアフガン国境から3キロと離れていませんが、そこから国境を越えていく道はありません。やはり国境への道は、あの赤茶色の山の辺りからスタートのようです。  道を間違えた訳ですが、全く後悔はありません。というのも、この荒々しい雪山に向かっていく山道が、私の中の「アフガンへと続く道」のイメージにぴったり一致したからです。いずれにせよ、国境のイルシャット峠までは2日かかるため、それなりの準備なしに到達することはできません。

 とりあえず納得したところで、ババグンディに戻ります。来る時は人ひとり会いませんでしたが、帰りは放牧中のヤギに遭遇しました。動物とはいえ、なぜか、ほっとさせられます。家畜がいるということは、人間もどこかにいるからです。  ババグンディに着くと、まずは国境警備の男性宅にお礼の挨拶に向かいます。お別れのチャイをいただいた後、気合を入れてズードホンに向かって出発です。ここまで自転車で来た以上、帰りももちろん自転車です。慣れも手伝ってか、行きよりはスムーズに運転できました。川も手際よく渡り、合計3時間ほどでズードホンに到着です。

 夕方宿に戻ると、ダリオが「ババ・グンディはどうだった?」と明るい顔で尋ねてきます。私が予定外の一泊をしたので、すっかり村が気に入ったと勘違いしたのでしょう。借りた自転車のせいで大変苦労したことを話すと、「ほーっ、それは楽しかっただろ(You must have enjoyed it!)」と他人事のようにニヤニヤしています。確かに、私はトラブルを楽しむタイプの人間だが、それはないだろ!いずれにせよ、チャプルソン谷で過ごした日々は、期待以上に有意義なものでした。 満足して村を後にできそうです。

 翌日、ズードホンを去ることにしました。早朝、一日1本しかないジープは、ホーンを鳴らしながら村にやってきます。通常5時半とのことですが、この日車がやってきたのはは7時半過ぎ。ひょっとして冬は遅いとか。  車体は年代物のトヨタ・ランドクルーザーで、後部座席は向き合うように座ります。休憩込みで2時間半ほど乗り、スストに到着です。私は中国に行く予定はないので、その日のうちにカリマバードに戻りました(2時間半)。

この3泊5日の旅で使った費用はこんな感じです。 宿泊料金: 宿代 200 x 3日 (ズードホン2泊、ババグンディ1泊)  食費: 夕食 80 x 2回、朝食35 x 1回 自転車レンタル: 300 x 2日 スストからのジープ 150 x 2 ==================== 合計1695ルピー(約1800円) 充実の5日間でした。

 そのまま歩き続けると、前方に大きな雪山と、その下に太い氷河が見えてきます。対岸の山の斜面(写真矢印)にトレイルが見えているため、まだまだ道は続きます。とりあえず、氷河が見下ろせる場所まで行ってみましょう。

 チョプルソン谷へは、スストから一日一便乗り合いジープが出ています。Four Brothers Hotel付近から2時ごろ出発。その日は、スストに買出しに来ていた商店の車(写真)もいたので、それに乗せてもらうことにしました。料金は同じで150ルピー(160円)。私と同じような乗客は他にもおり、ピックアップトラックの後部座席に4人、荷台に2人乗せて強引に出発です。

 車は、スストの端にあるイミグレ小屋をそのまま通過した後、すぐに左に曲がり川を渡ります。ここで別のチェックポイントがあり、外国人はノートに名前とパスポート番号を記入します。ここはすでに国境管理の外。この先アフガニスタン国境まで検問がないので、不法出入国を取り締まるのが目的でしょう。でも、もしそんなワイルドな旅行者がいたら、逆に誉めてあげたいくらいです。  記帳を終え少し走ると、あたりはグランドキャニオンのような渓谷に変わります。

 一般の旅行者なら、スストから東に向かい、クンジュラブ峠を越えて中国に向かうところです。それがバックパッカーの黄金ルート。私は今、それとは逆に北西の奥地へと入っていきます。窓から見えるのは不毛な地形ばかり。チョプルサンはどんな場所なのか、これから何が起こるのか。想像できない不安感と、新たな世界に入っていくワクワク感が同時にこみ上げて来ます。

 山沿いの道が終わると、岩山に挟まれた農作地帯が出てきます。これが、いわゆるチョプルサン谷の始まり。小さな集落を2,3過ぎた後、レシットの村(写真)に到着です。ここまで約2時間。この村とすぐ隣の集落に村のゲストハウスが一軒づつあります。

 運転手はここで荷物をすべて降ろし、さらに奥にあるズードホンに向かって出発します。他の乗客はすべて降りてしまったので、中にいるのは彼と私の二人だけです。 写真: 乗り合いトラクター。ススト行きジープを除いて公共交通機関がないため、近場の移動は、もっぱらヒッチハイクになります。

 レシットから20分。チョプルサン谷最後の集落ズードホン(3400m)が見えてきました。ズードホンとは「最初の家」の意。恐らくこれは、パミール側から見たネーミングでしょう。ここに住むのは、グルミットなどと同じワヒ族の人々。この先、ワハン回廊に繋がっているため、アフガニスタンやパミール(高原)とは、強い結びつきがあります。  チャプルソン谷を訪れるベストシーズンは草原や畑の緑が映える夏とのこと。3000メートルを超える高地のため、寒い冬はオフシーズンになります。私がやってきたのは、まさにそのオフシーズン。寒々しい景色が目の前に広がります。

 車は村の中に入るとすぐ、一軒の家の前で止りました。ここが、村唯一の宿、パミール・サライ・ゲストハウス(写真)。アラン・ジャン・ダリオ氏の自宅を改造した宿で、ほとんどの旅行者はここを目指してやってきます。  ドライバーの男性も一緒に中に入り、主人のダリオ氏と親しげに挨拶を交わします。後で知りますが、彼は先ほどのレシットの宿の主人。言ってみれば同業者です。二人は宿のリビングに座り、軽く世間話を始めます。話題は近々に迫った地方議会選挙。生活に直結することもあり、この時期北パキスタンではこの話でもちきりでした。  3人で話していると、ドライバーの男性は、おもむろにペットボトルを取り出し、透明な水をみんなに振舞います。これ、スプライトのボトルに入ってますが、中身はお酒。比較的戒律がゆるいこの地では、密造酒を囲んでの飲みニケーションはごくあたりまえのようです。

 10月後半ということもあり、ゲストは私ひとり。窓の外では、ひさびさの客を一目見ようと、三人の子供が好奇心一杯に中を覗きこんでいます。彼女らの写真を撮ろうと外に出ると、快く撮影に応じてくれました。ほとんど会話のないやりとりながら、素朴でシャイな性格が伝わってきます。  カリマバード以外では、警戒心のない子供と接する機会はほとんどありませんでした。こんな田舎で同じ体験ができるとは、ちょっと嬉しい驚きです。この村では、何かいいことありそうです。

 中に入るとまず、リビングのような部屋があります。ダリオ氏は音楽家でもあるので、客が多いときは、ここで伝統音楽を披露したりするのでしょう。部屋の端には、マンドリンのような弦楽器とドラムが置かれています。  部屋の本棚を見ると、情報ノートや宿帳、さらには鶴田真由さんのエッセイ本「インシャラ」も置かれています。彼女は2001年、テレビ朝日の「ネイチャリングスペシャル 地球最後の秘境ワハーン」という番組で、ここから馬で国境を越えてワハン回廊を巡る旅をしました。その時、ここからアフガニスタン側の村までアテンドしたのが、何を隠そうダリオ氏なのです。彼は、パミール・トレイルという旅行会社も経営しています。

 すぐ隣に10畳ほどの洋間があります。ゲスト用の部屋があると聞いていたのですが、それがこれです。実際には個室ではなく、宿泊者が雑魚寝するドミトリーのような部屋です。以前は、この部屋もリビングもなく、ダリオ家族と同じ母屋で寝泊りしていたのだから、「ゲスト用の部屋」には違いありません。一泊200ルピー(210円)。  新しく作られたせいもあり、この部屋はモダンな造りになっています。天井は板と丸太、床はカーペット、壁には石膏で大きな窓もあります。極めて普通の造りですが、土壁土間の伝統家屋に比べると、十分モダンです。

 この洋間から、トイレとキッチンのある廊下を通って裏のダリオ一家が住む家に繋がっています。家といっても伝統家屋なので、部屋割りはなし。大きな部屋の中心に煙突付きのカマドがあり、部屋の端に寝るスペースがあります。窓は天窓のみで、部屋の中はちょっと暗め。天井には、不揃いで曲がりまくった木が並び、煤で真っ黒になっています。  以前は、この部屋でゲストと寝食共にしていたんですよね。さすがに、ここでは、プライベートも何もあったものではありません。

 ゲストは基本的にゲスト用の部屋に滞在しますが、食事の時間になると母屋のほうに呼ばれて一緒に食事をします。カマドの横に2畳ほどのスペースがあるので、そこに座って食べます。  朝食はチャパティとチャイ。チャパティはすぐ隣で作るので、待っている間その一部始終を見学させてもらいました。まず小麦粉を水と捏ねた後、棒で伸ばします。ピザ状に丸く整えたら、カマドの鉄板の上に乗せて焼きあがるのを待ちます。クリケット棒のようなヘラへひっくり返して両面焼いたら出来上がり。 写真: 典型的なかまど。枯れ木やヤクの糞を燃やして、大きなコンロを暖めます。煙突との間に小さなコンロがあり、お湯を沸かしたり、保温などに使われます。コンロの上の鉄板は、穴のないチャパティ焼き用と、穴のある鍋用の2種類あります。

 一方、夕食はヤギや野鴨の肉を使ったジャガイモ料理が中心。もちろんここでもチャパティをご飯代わりに食べます。しかしながら、パキスタンの女性は、一生のうち何枚チャパティを焼くことになるのでしょう。一日20枚としても、一年で7000枚を越えます。これでは、チャパティを焼くために嫁いできたようなものです。  私が来た時、この家はダリオ夫婦と息子、おばあさん(写真左)の4人暮らしでした。ダリオ氏は、一見西洋人のような風貌で、背が高く貫禄があります。彼の写真はないので、ネットで検索(dario chapursan)してみてください。

 この村には一応電気が来ています。一応というのは、恐らく水力発電なので供給に季節的なむらがあるはずです。私がいた10月後半は、ほぼ問題なく電気がきてました。ゲスト用の部屋にもコンセントがあるので、パソコンや充電は問題なし。停電の場合は、ガスランプやランタンなどを使用するようです。  母屋のほうにはテレビもあり、衛星テレビが見られます。ダリオ家がよく見ているのはアフガニスタンのチャンネル。ということは、庭にある巨大なアンテナ(写真)は、Insat-3Aに向いていると思われます。 アフガニスタンでは、ペルシャ語系の言葉が使われます。語彙的には、彼らが話すワヒ語と類似性た高いので、見ていてだいたいわかるそうです。

 村の中では、牛、ロバ、ヒツジ、ヤギなどいろんな動物が自由に歩き回っています。村の土地も、そこに生える雑草もみんなのもの。細かいことは気にしません。まるで、村全体が牧場のようです。私がもし夏に訪れていたら、もっと緑豊かな村の様子を見ることができたでしょう。

 この村には売店が1つ。商品の値段はかなり割高です。ペットボトルの水も、カリマバードの倍以上します。私はそれを見越して、パスーでリンゴを買いだめしておきました。もちろん食堂などないので、食事は宿でとります。  村を散歩していると、屋外で布を縫っている女性を見つけました(写真)。ひょっとしてこれが村のテイラー? のどか過ぎて気が遠くなりそうです。

 ここの宗教は、イスラム教のイスマーイール派。ズードホンにもひとつ集会場があります。もちろんコーランなど流されることはないので、静かに落ち着いて過ごせます。  この村の人たちは、写真に対して全く抵抗なし。カメラを向けると、誰もが喜んででポーズを取ってくれます。住民の中には、フンザやゴジャール同様、白人色の強い人もいます。

 試合はすでに始まっていましたが、なんとか間に合いました。ポロの試合はたいてい1時間ほどで終わってしまうので、注意が必要です。ここでの試合は、休耕地のような場所で行われていました。農地の刈入れが終わったこの時期、週3回はチャプルソンのどこかで試合が行われるそうです。

 観客に混じって、私も石垣の後ろから試合を眺めます。 写真: ちょっかいを出す子供たち

 ポロはいつ見ても迫力があります。ここのフィールドは縦長で狭いせいもあり、すぐ目の前を馬が駆け抜けていきます。馬が観客席に突入することはありませんが、ボールは頻繁に飛んできます。まあそれはいいとして、ここでは選手のレベルに問題がある気がします。  試合は、わーっと攻めて守りをおろそかにするJリーグ初期のようなスタイル。空振りの連続、馬を直撃するボールやスティックなど。たまに隣の畑からヒツジが迷い込んできたりして、競技というよりは、草野球的なゆるさです。 参考: インド・ラダックでのポロ試合 http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10437919/

 よく見てみると、選手はいい年したオジサンが中心。どちらかといえば、ゴルフやゲートボールが似合う年代です。服装は、チョッキやセーターなどの普段着。ヘルメットなど被らず、帽子はいつものままです。年齢も道具も関係なし。まさに草ポロ。この地方の人たちにとって、ポロはスポーツであると同時に娯楽であり、文化なのでしょう。  この辺りの家では、馬を持っているのが当たり前のようです。ちなみにダリオの家では、ポロ用に1頭、トレッキング用に1頭、合計三頭も所有しています。

 ハーフタイムになると、石垣の外に待機していた子供らが一斉に中に入り、大人から馬を引き継ぎます。選手たちが休憩している間、馬を引いてクールダウンさせるのです。喜んでこの仕事をこなしているところを見ると、バイト代でももらえるのか、それとも自分の家の馬なのか..。

 1時間の試合はあっと言う間に終わり、みんな家に帰っていきます。レシットの住民は徒歩で、試合に参加した人は馬で、それ以外の人は応援団を連れてきたジープで村に戻ります。  そのジープがズードホン方面に行くのを確認して、私も乗せてもらいます。席は屋根の上。何度か振り落とされそうになりながら、ジープは快調に飛ばし、イスパンジ(Ispanj)の集落で止まりました。今日の試合はどうも、レシット村vsイスパンジ村だったようです。

 ここからズードホンまでは、まだ3キロもあります。20分ほど歩くと、遠くにズードホンが見えてきました。ここまでで私がやったことといえば、村の散歩と牧歌的なポロの見学だけ。観光らしきことは一切していません。紅葉した林の横を歩きながら、改めて思うのでした。チャプルソンな本当に何もないところだと。

 ダリオ家の夕食は、内容にかかわらず80ルピー(85円)。カリマバードだとマトン・カレーがなんとか食べられる程度です。ここでは、同じ料金でマトン肉がたっぷり食えるのだから、断然お得です。しかも、自分ちで育てた「自家製」の家畜。もちろん、ジャガイモやチャパティの原料小麦もこの村で獲れたものです。  今日は、いつにも増して肉が沢山出てきました。 毎日同じような食事をしているとはいえ、財布を気にせず肉を腹いっぱい食べられるとは羨ましい限りです。もちろん、毎朝放牧に出かけてるおばあさんの苦労も忘れてはいけません。

後で調べてみると、ズードホンからレシットまで7.5キロ。そりゃ、45分じゃ着かないはずだ。ダリオのバカ!

 こういう民家に入るチャンスはなかなかないので、貴重な体験です。家の中は部屋割りのない大広間で、土間を中心として、三畳ほどの床がまわりを囲います。この周辺スペースには絨毯が敷かれ、昼は居間として、夜は寝床として使われます。土間の一辺は、囲炉裏になっており、その奥に物置と台所があります。  家の柱と天井は木造ですが、壁は土壁で石と泥を固めて作られています。恐らくゴジャールの人達は、何十年以上も前から、このような家に住んできたのでしょう。後付けされたコンセントと蛍光灯があるので、まあ住むには問題ありません。部屋の隅には、なぜかCDコンポが置かれていました。

 一時間ほど経った後、正装した新郎と家族が入場してきました(写真奥)。彼らは裏のコンクリート製の家で生活しているらしく、そこで準備をしてたようです。  いつの間にかカメラマンや笛太鼓の楽団も加わり、一気に人が増えました。新郎家族は一列に並んで軽く挨拶した後、すぐに家の外に出て行きます。私もみんなに続いて、外に出ることにしましょう。  玄関を出たところで、チーズの切れ端が渡され、肩に小麦粉のようなものをかけられました。伝統結婚式にはいろいろ細かいしきたりがあるようです。

 家の外には村の女性数十人が一列に並んで待っていました。人の数が少ないと思ったら、みんな外にいたのですね。というか、最も部外者である私は、家の中にいてよかったのだろうか。  新郎は、集まった女性、ひとりひとりと握手していきます。今日はビデオカメラマン(写真右)が同行しており、この日の様子は一日中撮影されるようです。

 正直、この車に乗らなかったことを少し後悔しました。ほとんどの男性が行ってしまったため、家の前は見送りを終えた女性しか残っていません。彼女らは、自分の家に戻るのかと思えば、なぜか新郎の家の中にぞろぞろ入っていきます。もしかして、こちら側でも何か行事があるのかな。

 家の中に入ると、部屋は50人を超える女性で埋まっていました。それぞれグループを作って絨毯の上に座ります。私や数少ない男性は、電話やミニコンポのある部屋の隅に場所を見つけるのが精一杯でした。

 再びお茶と茶菓子が振舞われ、女性たちは世間話に花を咲かせます。家の中には、男性は若者が3人いるだけで、残りはすべて女性。そんな居心地の悪い中、何が始まるか期待してじっと待ちます。

 コンポから流れるのは、ワヒー語の伝統音楽。そんなCDがあるのです。最初は年配の女性数人でグループで踊っていましたが、ひと段落すると、若い女性に代わり、2,3人ずつのダイナミックな踊りに変わりました。動きの速い派手な踊りで、華があります。

 女性らがいなくなると、部屋に大鍋が持ち込まれました。今日、参加者に振舞う食事を用意するようです。

 新郎が戻ってくるのは2時以降とのこと。私も一旦宿に帰ります。

 新婦を連れて帰ってきた新郎も、村の女性に丁寧に握手していきます。こういうのを見ていると、普段からの近所づきあいが、いかに大切かわかります。

 主役である新郎新婦は、まるで王様が祭り見物でもするように、これから広場で行われる催しを眺めます。

 広場の左右と奥に男性が陣取り、正面中央に新郎新婦とその関係者、その後ろに村の女性が座ります。やはりモスリム、男女の役割と立ち位置ははっきりと決まっています。

 笛や太鼓の演奏の中、しだいに若者も加わり盛り上がっていきます。ここで踊るのは男性のみで、女性らは新郎新婦の後ろ側で、見学するのみ。朝、すでに踊ってますからね。  踊り方はある程度決まっているようで、両腕または片腕を伸ばしてリズムを取りながらゆっくり前進する、そんなスタイルです。一列になって進み、円を描くように広場を回ります。

 台所横の貯蔵スペースには、数十枚の固焼きパンが積み上げられていました。これは、村の各家で焼いたものを、みんなで持ち寄ったものです。日本も、昔はこんなことしてましたよね。  結婚式が秋に行われるのは、涼しい季節のほうが食べ物が保存しやすいという理由もあります。食べ物の準備は、最終日に向けて五日前から始まります。

 今日仲良くなったカリムさんも陽気に踊っています。彼は親分肌で村の若者のリーダー的存在でもあります。 「鶴田真由さん元気ですかー」

 完全に出遅れた私は、他のグループを探して家の外に出ます。暗闇の中、目を凝らすと、すぐ近くにモゾモゾ動く人影が..。あらあら、会場が足りないため、カリムを含めた若手男性グループが、家の庭で食事していたのです。私もまぜてもらいましたが、時すでに遅し。その時には、すでに小さな骨肉一本しか残っていませんでした。巨大な肉塊にかぶりつく夢は泡と消えましたが、食事にありつけただけでもラッキーです。  わずかなヤギ肉を骨までしゃぶり終えると、すでに時間は夜7時。はっきりした終わりもないまま、私も宿に戻りました。

 数人で一皿なら、一人分の肉はそれほど多くありません。出された料理は、あっという間に消えていきます。周りを見渡すと、家の中にいるのは、長老のような方々ばかり。「老人最優先」の原則で、本来私はここにいるべきではないのでした。  では、その他大勢の人たちは、どこに消えたのでしょう。どうも、裏の新しいほうの家や、近所の民家に分散して食事をしているようです。

 この広場は、新郎の家のすぐそばにあります。入場してきた村の男性らはすでに、広場を囲むように座っています。

 集まった人たちは新郎の準備ができるまで、ここでくつろぎます。その間、家族の人からお茶と伝統菓子が振舞われました。  たまに村人がやってくると、必ず中の人全員と握手をして回ります。慣習的なものなのか、中には私に握手してくる人も。平日ということもあり、ここにいる人のほとんどが年配の男性で、子供や若者は見かけません。女性も2,3人いるだけです。おじさん達は囲炉裏を囲み、ワヒー語で何か世間話をしています。

 そんな時、私を救ってくれたのが、たまたま村に里帰りしていたカリム氏でした。彼は日本でもよく知られている「シルクロード キャラバン」で働いており、パキスタンやアフガニスタンのテレビ取材アレンジなどを行っています。数年前のテレ朝のドキュメンタリーでは、鶴田真由さんのパスー滞在をコーディネートしました。もちろんお互いのことは知らないので、今回初対面です。  会話は英語ですが、彼はとにかく話すのがうまい。「この村では、老人を敬う伝統があるんです。子供のころから教えられます。」と村の文化をわかりやすく紹介したかと思えば、「鶴田真由さんって、ちっちゃくてかわいいよねー」と軽い話題もこなせるなかなかの切れ者です。彼が話に付き合ってくれたおかげで、何とか時間をつぶすことができました。 **写真左の赤い服がカリム氏。

 5時前、やっと新郎新婦とその一団が帰ってきました。家財道具を載せた車もあります。

 一緒にやってきた男性達も1人ずつ女性と握手してから広場に進みます。彼らの何人かは新婦側の村の人たちかもしれません。

 ここで私の目を引いたのは、棚に並べられた晩餐セット。パンの上に巨大な骨付きヤギ肉がのっています。ひょっとして、後でこのギャートルズのような肉片が振る舞われるのでしょうか。そう思うと、夕食の時間が待ちきれません。

 カリムと一緒に来ていたトムクルーズ似のいとこ(左)もノリノリに踊ります。

 すると、突然音楽がかかり、女性が土間スペースに集まり踊り始めました。実はここにいる若者は、CDコンポを操作するためだけに残っていたのです。

 まわりの踊らない女性は手拍子で応援。女性だけでこっそり行われるダンスセッション。実に興味深いですね。というか、最も部外者の私は、こんなところにいてよかったのでしょうか。  そんな踊り大会が一時間ほど続いた後、みんな何事もなかったかのように、家に帰っていきました。

 遠慮がちに子供らも参入。まだ踊りの要領がわかっていないのか、大人のようなキレがありません。

 ダンスの様子を外から撮影していると、俺の写真も撮れと子供らにせがまれます。彼らは、「参加」はしていますが、正式な席が与えられているわけではありません。大人の仲間に入るのは、まだまだ先の話です。  ダンス自体は盛り上がっていますが、すでに日が傾いているため、かなり肌寒くなってきました。今日は風が強く、広場には土埃が舞っています。伝統とはいえ、これを見物しなければならない新郎新婦も大変です。

 これは新婦。まだよそよそいい感じ。これから、よろしくお願いします。

 この地方では、乗り合いワゴンの本数が少ないこともあり、ヒッチハイクが日常的に行われています。KKHは一本道のため、ヒッチしやすいという事情もあります。私もフサニからパスーまで二度、トラックで移動しました。この時は既に日が暮れていたため、必要に迫られてのヒッチハイクです。その時の経験では、普通の乗用車が無視して通り過ぎていくのに対し、デコトラだけはちゃんと止まってくれました。もともとゆっくり走っているというのもありますが、気のいい運転手が多いように感じます。

 カラコルムハイウェイの裏方といえるのが、道路の修復・改善作業に従事する労働者たち。完成から30年経った今でも、あちこちで土砂崩れの除去、道幅の拡張など一年中工事が行われています。現場で働いている人の多くは中国から来た労働者で、作業用トラックに乗って移動する姿をよく見かけます。特にグルミット以北では、子供からニーハオと挨拶されるほど、この地方での中国人の姿は一般化しています。

 デコトラには2種類あり、普通の日本でも見かけるようなトラックを装飾したものと、ローカルトラックを改造したものがあります。前者をモダン・デコトラ(一枚目の写真)、後者をローカル・デコトラ(写真)と呼ぶことにしましょう。  ローカル・デコトラの最大の特徴は、屋根の上のひさしのような出っ張りが運転席と合体していることです。この帽子のような突き出しと運転席の両側ドアは木製で、屋根のない運転席の上に被せるように一体化しています。このようなデザインのため、よく見ると、車幅よりフロントガラスが一回り狭いのに気づきます。(写真)

 同乗者の人は、私の足元にあった鍋やガスボンベを車内から取り出し、なにやら道端で調理のようなことを始めます。鍋に水を入れてお湯を沸かし、お茶の葉やミルクを投入。唐突ですが、ここで小休憩にするようです。パスーの売店に寄ったのも、必要なミルクを買うためだったのでしょう。  確かに、グルミットより北は食堂らしい食堂はありません。5人もいれば、自分たちで作ったほうが便利なのです。

 そうこうしているうちに、チャイの準備ができました。さあ飲め飲めと「ゲスト」である私にお茶を勧めるフレンドリーな男たち。実は私が加わったため、コップが一つ足りないのですが、私の遠慮を受け入れてくれる彼らではありません。甘い手作りチャイを美味しくいただき、再び出発です。

 彼らがお茶を作っている時間を利用して、車内を見学させてもらいます。木製のドアや天井は花柄模様で埋められ、中も派手な内装になっています。上を見ると、換気扇のような扇風機やスピーカー、それに車の電飾をコントロールするスイッチボートのようなものがぶら下がっています。実に手作り感あふれる運転席ですね。一方、ダッシュボードなど、運転の関わるものはいたって普通です。

 ここまで2キロ乗っただけですが、いくつか気になることがありました。まず、運転席の場所がおかしい。アンバサダーばりに運転席とハンドルの位置がずれています。また座席、特に助手席の位置が高いので、普通に座ると正面の景色が見えません。これは、このトラック固有の問題なのか、ローカル・デコトラ共通のデザインなのか、よくわかりません。

 少し走ると、バトゥーラ氷河が道路左手に見えてきました(画面中央)。土砂をかぶっているのでピンときませんが、56kmに渡る大氷河です。  この後どんな景色が出てくるんだろう、期待しちゃいますね。実は、先ほど説明した制限などもあり、景色をちゃんと見るには、腰を前方にずらして視線を低くしなくてはなりません。座り寝みたいな感じで。逆に空を見上げる時は、体を前に乗り出してフロントガラスに顔を近づけます。正直不便です。だけど面白い。

 スストへの道は、フンザ川に沿った一本道。国境まで荷物を運んだトラックとよくすれ違います。このあたりは完全にデコトラ街道です。  先ほどの話と矛盾しますが、トラックのいいところは確実に景色を楽しめるところ。フロントシートしかないのだから。乗り合いワゴンなどでは、助手席は女性の指定席のようなもので、男性はまず座れません。

 パスーとスストの間には、小村がいくつかあるだけで、大きな町はありません。集落が近づくと、自然と道端の緑も増えてきます。紅葉並木の中、晩秋のゴジャールを駆け抜けます。

 工事現場が見えてきました。20人ほどの作業員が、土砂崩れ防止の壁を建築しています。赤い揃いのジャンパーを着ているのは、中国路橋集団の労働者たち。この会社はカラコルムハイウェイの工事をたくさん請け負っているようです。トラックは視点が高くゆっくり走るので、道路脇の作業の様子がよくわかります。

 カラコルムハイウェイの道沿いに、 「FWO - Builder of KKH」  と書かれた看板をよく見かけます。FWOとはパキスタン軍の一部門で、僻地の道路工事などを受け持ってきました。KKHのパキスタン側を担当したのもこの組織です。確かにKKHはFWOが造ったのですが、当時から大量の中国人が建設に関わっていました。今も昔も中国人はカラコルムハイウェイの裏側の主役であり、カラコルム劇場に欠かせない登場人物なのです。

 私は二人に挟まれて、運転席の隣に座っています。運転手とその相棒は、何か楽しげに現地語で会話しています。比較的英語通用度の高いパキスタン北部ですが、彼らは南部出身。しかも労働者階級なので、ちゃんとした英語教育を受けている訳ではありません。  お互いの言葉はわかりませんが、時折シンプルな英語とジェスチャーでやりとりします。言葉が通じないのが、逆に心地よかったりします。

 ここはデコトラ街道の終着点。ガソリンスタンドの周りには、新旧多数のデコトラが駐車されています。

 2台のモダン・デコトラを見つけました。車体は日野自動車製。これらの一般的なトラックも、荷台とフロントバンパーを装飾することにより、デコトラらしく改造されています。さすがに、車体そのものには手を加えてません。

 運転手に中を見せてもらいました。普通に現代的で小奇麗ですが、シートカバーなどにこだわりを感じます。ローカル・デコトラと違い、前方の視界は広くクリアーです。

 彼らが乗るのは、典型的なパキスタン風デコトラ。丸みを帯びたボンネットと上に突き出した屋根。動物や植物をモチーフにした彫刻やデザイン。様々な形の反射板やコーナーポールなどの装飾品など。いわゆる、「全部入り」です。  車体の色と荷台のペイントは同系統の色が使われ、それなりにアートセンスを感じます。屋根に吊るされたしっぽの毛は、いまだに何の意味があるのかわかりません。

 ガソリンを補給した後、少し走ってスストのメイン通りに到着しました。スストは道の両側に商店が並ぶだけの殺風景な町。このまま進むと、町の端にイミグレがあります。ここには中国人労働者も多く滞在しており、主にホテルの部屋を貸しきって暮らしています。彼らはあくまで出稼ぎなので、町の商店などを経営しているのは、基本的にパキスタン人です。

パキスタンの文化・風俗・注意点

 パキスタンは政府がイスラム化を積極的に進めていますので、公共の場では次のような事項に十分留意することが必要です。
 各地にあるモスク(イスラム教寺院)内を参観する際には、靴を脱ぐとともに神聖さを汚さないよう行動に気をつけましょう。  女性の単独行動はなるべく避け、また、外出する際にはなるべく肌を露出させない服装を心掛けましょう。  飲酒は禁じられており、酒類は一般の商店では販売されていません。また、酒類の国内持ち込みも禁止されています。

 全国的に上下水道が未整備で、また補修も行き届いておらず、水道および井戸水の中にウィルス、細菌、アメーバ、その他の原虫類、寄生虫卵等が混入していることがあるため、そのまま飲用することは避け、ミネラル・ウォーターを利用するようお勧めします。ミネラル・ウォーターは、都市部のマーケットで販売されています。またホテルやレストランで出される水も十分煮沸されていない場合が多いので、ミネラル・ウォーターを注文するようお勧めします。
 経口伝染病として、コレラ、赤痢、腸チフス、その他の細菌性食中毒、ウイルス性肝炎(A型、E型)、ウイルス性胃腸炎等があります。また破傷風、狂犬病等の接触感染の病気やさらに蚊が媒介するマラリアもあります。予防手段があるものについては、可能な限り渡航前に接種等の処置を行っておくことが必要です。
 毎年5月および6月には、内陸部で日中の気温が摂氏50度を超える場合もあり、旅行者は行程に無理がないよう注意する必要があります。