ラオスってどんな国?
ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく)、通称ラオスは、東南アジアの内陸国。北西のミャンマーと中華人民共和国、東のベトナム、南のカンボジア、西のタイ王国 タイの5カ国と国境を接する。
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ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく)、通称ラオスは、東南アジアの内陸国。北西のミャンマーと中華人民共和国、東のベトナム、南のカンボジア、西のタイ王国 タイの5カ国と国境を接する。
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医学部で講師やったり、ラオスの山中を山岳民族と渡り歩いたりと、 大志無くただ赴くままに生きてる人。 *取材・撮影・記事掲載等のご質問は、 メールのタイトルを「藤河さんへ」と書いて「wanderphoto”あっと”live.com」 までお気軽にお問い合わせください ...
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タイやベトナムと聞くと誰しもがピンとくると思う。でもラオスと聞いたら、それ国なの?という質問が返ってくるくらい日本人にとって地味な国。でもそうゆう人が目に付けてないようなとこに何かが眠っているものだ。ラオス出身の友人ケアーは以前俺に言った、「発展してなくて、貧しい国。おしゃれな店も遊ぶ場所もない。もしラオスの人が海外に一度出ちゃうとたいていの人達は二度と祖国に帰りたくないと言うわね。でも私は違う、この国に何か特別なものを感じるの。」彼女がいうラオスの魅力、その何か特別な物をこの目で確かめ、体で感じたい。いろいろな人に会い、新しい発見がある、もしかしたらそれが結果的に自分を成長させる糧になるかもしれない。そう思うとワクワクしてきて行くしかないなって!!
− Worldly −
ケアーのお母さんと初対面した時、すでに店の従業員のみなさんは店を閉める準備に取り掛かってた。
従業員のみなさんはすごく人なつっこい人たちばかりで、
外国人の俺ををよそ者扱いせず、
俺と目が合うと、
「サバイディー(こんにちは)」と笑顔で声をかけてきてくれる。
ほかの言葉は何を言ってるのかさっぱり分からなかったが、
俺に向けられるまなざしが暖かいことがうれしかった。
日本は島国でみんな結構外国人と接するということになれてないけど、
ラオスは五つもの国と国境を接してるから外国人と接するというのは極々日常なんだろうな。
日本人よりもよっぽどオープンで外国人に対してフレンドリーだ、
俺も彼らを見習わないと。
−Downtown in Pakse−
今回の滞在ホテルはケアーの家のすぐ近所。
サンアルンというホテルでで彼女のおじさんが経営しているらしく、
あらかじめ予約しておいてもらったのですんなり宿にありつく。
チェックインをすませケアーの家へ向かう途中ふと思う、
そういえばここがメインストリートなはずなのに俺がイメージする繁華街のイメージからかけはなれているなって。
高いビルはないし人もちらほら、交通量も少ない。
派手なネオンなんてもってのほかで、
これでラオスで二番目?というのどかさだ、
正直日本じゃ市じゃなく郡だろうこの町は!?っていう規模!!!!だね。
−Anny’s Friends−
ケアーの家でゆっくりする間もなく
アニーの友達が焼肉屋に行くために迎えに来た。
しかもトヨタの最新型ピックアップトラックで!!
後から知ったことだけど彼は若くしてコンピュータービジネスで成功をおさめているらしく、
町の中でも知る人ぞ知る金持らしい。
どうりでこんないい車ころがせるわけだ。
ラオスみたいな発展途上国でもコンピューターの仕事ってのは儲かるんだね〜。
アニーの友達が「ハロー」と声をかけてきてすかさず握手。
おっ、英語が喋れるんだろうか?
「ハロー、俺はKAZ、よろしくね。あなたの名前は 何ですか?」
「僕の名前はイェン、よろしく。今日は楽しもう!」
彼の英語は流暢そのものだったから内心よっしゃ!とガッツポーズ。やっぱ言葉が通じることに越したことはないわ。
続いてもう二人、
アニーの友達がイェンと違う車でアニーの家に到着。
ユアンともう一人の名前は忘れた。
彼の名を聞いて10分後にはすっかり忘れてしまっていた......どうもラオスの人の名前は覚えにくいんだよな〜!!
三人全員流暢な英語を話すもんだからどこで習ったのか聞いてみると中学と高校で学んだとのこと。
たいしたもんだ、
日本でも高校まで英語みんな勉強するけどあんま喋れないのが普通だもんね。
今、日本の学校教育でも実践的な英語、
つまり英会話に力をいれようっていわれてるけど
まだまだラオス人を見てたら物足りないなって思う。
− トラックの荷台に乗るのは合法? −
ハワイと一緒でトラックの荷台に乗り込むのは合法らしく、
ケアーと俺は荷台へ、
他のメンバーは車の中に乗り込み、
焼肉屋に向けていざ出発!
夜のパクセーをひた走る。
街灯が少なく、
あるのは小さな店と民家のかすかな明かりのみ。
街中だというのに、
すれ違うのはわずかな車とバイクだけで
信号がないもんだから
ノンストップ状態!!
そんなトラックの荷台で心地よい風にふかれながら
ケアーとハワイについておしゃべり。
15年以上前、まだ保育所に通ってたころの事、
ハワイのカウアイ島に親戚を尋ねた時おばさんのトラックの荷台でいとこ達と過ごしたあの日々、懐かしい過去を思い出しながら。
パクセーに着いてまだ3時間弱、
何かを思い出し懐かしんでばかりだな。
一体全体どうしっちゃったんだろう俺、
すでにラオスマジックにかかってしまったのか?
それとも長く海外で生活してて色々な物を吸収してきたけど、
その分いろいろな物を失ってきたからなのか?
自分自身でもそれはわからない。
− シャイガール −
焼肉屋に行く途中ケアーの親友を拾う。
あら、どこかであったような.....
そうだ!ケアーのお母さんの店で働いてた子だ。
さっそく話しかけてみる。
「サバイディー、名前は?」
「ヨーヨー.....」
この後気付いたら俺が質問攻めでそれに質問の答えがたどたどしい英語で一言返ってくるという図式ができあがっていた。
英語をちょっとしかしゃべれないというのもあるんだろうが
やたらモジモジしている。
そんな俺達のやり取りを見て、
ケアーがここで俺にささやく。
「彼女はシャイだから。Kaz質問しすぎ〜、緊張してるじゃない!!」
そうかい、そりゃこまった。俺は人の緊張をほぐすの得意じゃねえしな〜!
そういや前ケアーが話してたな、
ラオスの女の子は恋愛に関して相当奥手であると。
ということはシャイな子が多いのかな?
あ〜なんて初初しいんだ、
俺も高校の時初めて留学した時とか
全然英語なんてしゃべれなくてかわいい女の子に話しかけられたらすごい緊張してたけど
その時のおれもこんな感じだったんだろうな〜。
環境が人を変えるってのはあながちウソじゃないかもね。
だからね、
もっともっと今まで自分が知らなかった世界に触れたいんだ!
− 酒とラオス人 −
着いたのは、
看板だけやたらはでな
古めかしい
シンプルな造りの店。
夕食時ということもあってかなり繁盛している。
主たる客層は若者か、
年配層のグループといったところ。
家族連れを見ないところからして飲みが目的で来るとこなんだろうか焼肉屋は?
ラオスじゃあんまり外食しないみたいだし、
なによりもケアーが
「飲むことしか夜の娯楽がないんだよ、ラオスじゃ。 だからまだ未成年のうちから酒を飲み始めて成人に なるころには酒豪になってるよね」
と言ってたからな。(あんまり飲めないラオス人も中にはいるけどね)
たしかにここの店の客でも未成年だろう?
という子達がビールをがぶがぶ飲んでいる。
ビールをオーダーするときアメリカみたいにIDの提出なんてしないみたいでごくごく日常の光景らしい。
本当かいな?
まあ、特に社会問題にもなってないみたいだし、
高校生ぐらい(もっと若い子も運転していたかも)の子がカブを運転してるからな〜、
公道で.....
ほんとこの国は適当〜な空気が蔓延しているな、
あまりにやる気のなさにトホホ笑いがとまらいよ。
− ラオス風焼肉、シンダーッ −
以前ハワイで行った韓国料理屋でもこのタイプの鍋を使った焼肉を食べたことがあるけど、関連性はあるのかないのか不明。
真ん中の山になってる部分で肉を焼いて周りのへこんだ部分で野菜やヌードルを煮る。ぶっちゃけタレもヌードルスープも韓国の物とは別物。辛くないしスープはあっさりしてて食べやすい。
− ラオス流ビールの飲み方 −
着いてしばらくすると、ビンビールと山盛りの氷が入いったカンカンが運ばれてきた。
イェンが氷をコップにガンガン入れ始める。
「えっ、ビールに氷を入れて飲むの?」
「そうだけど、日本じゃ入れないの?」
「入れないね、日本だけじゃなくアメリカでもいれな いよ」
「そうなのか!? ラオスじゃビールをアイスでガン ガン冷やすのが普通なんだけどな」
今までどこにいってもビールに氷を入れて飲むなんて経験したこともなかった。
それだから冷やされた状態でビールが出てくるのが当たり前という認識が自分の中であった。
でもすんなりとラオス流を受け入れられた、
何かこういうちょっとした日本との違いを経験できるのが楽しくてたまらないから。
たかがビールされどビール、その土地ごとにスタイルがあっておもしろいな〜。
どうやらラオスじゃビールを冷やす冷蔵庫がない店が多いらしく、
ビールは氷を入れて冷やすというスタイルがごくごく普通らしい。
− ビアーラオ −
みなが片手にビールをもってスタンバイ、
「日本じゃ飲むって何ていうの?」とイェン、
「乾杯!」と教える。
すると全員がまねして「イェー乾杯!!」
席の真ん中で7人のグラスが交わされる。
外国に出てうれしい時....やっぱりこういうふうにちょっとでも日本に興味を持ってくれるときかな。
あらためて言葉は違がえど酒は人と人をつなげるなぁと実感。
なんでかしらないけどラオ語じゃなく日本語で乾杯することになったんで、
今度は俺が「ラオス語で乾杯は何というの?」
と聞いてみる。
アニーが「ニョだよ!」って教えてくれて
俺も真似てみる、「ニョ〜!!」
もう一度みんなで乾杯、
あおられた俺は勢いでごくごく一気飲み。
見る見るうちに俺の顔は真っ赤になっていった。
このビール(ビアーラオ)すきっりしたのどごしで飲みやすい!!
ラオスの蒸し暑い気候にぴったり、やみつきになりそう、マジ!!
- Whatever wanna learn something from U-
やわらかくてシコシコした肉とタレが絶妙な焼肉、
あっさりとしたスープが病みつきになりそうなヌードル、
ダシもしっかり利いてて新鮮な野菜いっぱいの鍋、
どれもおいしく大満足!!
おいしい地ビールと食べ物にかこまれ同年代のラオスの若者とわいわいおしゃべり、
なんて幸せな事なんだろう、本当にありがとう。
時間がたつのなんてすっかり忘れちゃってね。
彼らと話すことでラオスの同年代の人が
どんなことに興味や関心があって、
どのようなことを考えているのかということに、
ふれることができた、知れたというのは自分の中ですごく大きい。
何を得たのって?
話し始めたら長くなるからここじゃ触れないけど
何より実際現地に行かなきゃ学べないことも多かったかな。
何時ごろだったんだろうか、
お開きになってお金を出そうとするとケアーが
「いいよ、いいよKazは払わなくて」の一点張り。
みんなも、
「Kazはお客さんなんだからいいんだよ」
ってひきとってくれない。
なんて気のいい連中なんだ。
この恩はいつか返さないと! 本当に彼らに感謝!!
− Take Away the Pain -
そういえば今夜みたいに、いついつまでに何々しなきゃいけんとか考えず、心おきなくのんだり笑ったりしたのっていつ以来?
旅立つ前の息抜きをする暇もないほどの過密スケジュールの日々がウソのようだ。 (自分で選んだライフスタイルだから自分が悪い)
ハワイ大学で授業をフルで受け、
大量の宿題をこなし、
旅行の資金を作るために週5日働く。
正直飲みに出たとしてもいつも心の片隅にあったのは明日への不安。
しかも日々の生活の中で常に結果を求め続け、
そのつど一喜一憂していたから心にゆとりはなかったしつねに何かに追い立てられていた。
ぶっちゃけ自分を支えてたのは負けたくない、現実から逃げたくないという意地。
自分の未来への投資と思い突っ走ってきた、
でも、ゆとりのなくなったこの半年は幸せじゃなかった。
あのまま旅に出ず自分を追い込み続けてたらきっといつかつぶれてたんじゃっないかな〜。
夢に向かって努力するのは大切だけどゆとりが生活からなくなるのはまずい、
だから息抜きって大事、
ここの人たちの自分とは正反対のあくせくした感じがないゆるいライフスタイルを見て強く思った。
− 明日への希望 −
もうここにいる間はむずかしいことを考えるのはやめよう、今を、この一瞬を楽しみたいんだ!!
結構物事ってのは何でもシンプルなのかもしれない、結局なるようにしかならないんだから。
こんなふうに思えたことここ数年なかったかも、自分の中で何かが急激にかわりはじめている。どうやら本当にラオスマジックにかかっちゃったみたいだね、俺。
− 写真 −
左からイェン、アニー、ヨーヨー、Kaz、ケアー、ユアン
− 「サバイディー」 −
ラオス語でこんにちはというこの言葉とともにラオス第二の都市パクセーの旅は始まった。
パクセーに着いて最初に行ったのは
ケアーのお母さんの経営する店だった。
さっそくケアーのお母さんと対面。
えっ、
すごく若くみえる方で、
日本じゃ、「お若いですね〜」と声をかけるシチュエーションだが、
なんとラオ語で言っていいのかわからん、
ということでケアーにそれを伝えたら、
そう言うと思ってただってよ。
てことはラオス人もお世辞を日本人みたく言うのか?
まあケアーのお母さんほんまにきれいだけどね!!!
しょっぱなから目が飛び出るような光景を目にしてうろたえてしまう俺。
というのも、ケアーのお母さんの店の大きさが半端なく大きいからだ。
Tang Chareon Co.,Ltd
という店でスーパーマーケット、家具、ホームセンターと三件連なっている。
しかも品揃えも店の規模も日本の大手チェーン店と比べても遜色ない。
てっきり商店街にあるような小さな店を営んでるのかなと思ってたけどとんでもない、
ケアーの母おそるべし!
P.S.
パクセー滞在中に物資の調達をと考えてるならばこの店はおすすめ、たいていのものどころか旅中に必要な物はすべて手に入るんじゃないかな。
− ノスタルジック −
ケアーの母親の店を閉めた後、俺はケアーの弟を迎えに中学校に行くことに。
メコン河沿いの道を通っていくが車はほとんど走っていなくて、
たいがいすれ違うのはカブ。
そして人気は少なく、
数件ある飲み屋や屋台を除いてたいした明かりもなく、
メコン河の反対の岸に目をやると辺り一面真っ暗だ。
どっからどうみてもパクセーの第一印象は田舎そのものでしかなく、ケアーに
「ラオスは日本の100年前の姿だな。」
って思わず言ってしまう。
「ははは、じゃあ私達が生きてる間には日本みたいに 発展したラオスみれないね。」
とすかずケアー。
正直ラオスでも携帯電話が普及しているくらいだから100年というのは大げさに言い過ぎだけど、
昔まだ日本が発展していなかった時代、時間の流れが今みたいに早くなかったころの懐かしさが
自分の心に満ち溢れていた。
すでに経済的に発展して世界一の経済大国になるんじゃないかというくらい日本に勢いのあった時代に生まれた俺は正直、
発展する前の暮らしぶりを経験しているわけではない。
でもね、
なぜか心の中ではそれを昔から知っていたんじゃないかというぐらい
ラオスの町並み、そこでの人々の生活ぶり、そしてゆるやかに流れる時間にノスタルジーを感じずにはいられなかった。
何かタイムスリップしてほかの時代に来たみたい。
だからケーアは心配してたんだね、あまりの未開ぶりにもしそうゆうのを見て俺がラオスに失望するんじゃないかって、
大丈夫その心配はなさそうだ。
−Dinnar at Kers’ House−
ケアーの家は三階建ての大きな家だった。
入ってすぐにケアーのおじさんの貿易会社のオフィスがある。
そして奥に台所と食事用のテーブルがあり
そこで夕食をごちそうになることに。
ケアーのおばあちゃん、おかあさん、アニー、ケアー、弟、そして女中の方二人(それぞれ料理担当と家事担当でケアーの家に住み込んでいる)でテーブルを囲む。
ありゃ親父さんは?
アニーいわく今日は仕事関係の人と飲みにでてるとのこと。
ラオスでも日本のビジネスマン見たく仕事後飲みにくりだすのか?真相はいまだなぞである。
ケアーのお母さんが「遠慮しないでどんどん食べて!」 といってくれるもんだから本当に腹いっぱいになるまで遠慮なく食べようとする.........
とそこで間一髪アニー、
「この後なんだけど私の友達呼んで焼肉にいくことにしてるから。」
っておーいすでに腹がふくらんできちゃったじゃん、もうちょっと早く教えてよ〜!(汗)
− タバコ −
ラオスにもタバコ屋はあるけど箱に入っている日本でもおなじみの紙巻タバコじゃなくてここでは葉タバコが売られている。
パイプ(煙管様の喫煙具)もたしかこのマーケット内のアクセサリーショップで売られていた。あんまりセンスのいいデザインじゃないけどね(笑)。
− 民族衣装シン −
ラオスの民族衣装のシン(ロングの巻きスカート)が売られている服屋も数件入ってみた。
さまざまな柄の商品があり見ていて飽きないし、もしよい物があればお土産に最適じゃないかなと思いじっくりと品探し。
そして.....
ひと通り見た後、
とても気に入った物があったのでお土産として購入を決意!!
− −
-Not everyone can have a life he or she wants-
どっからどうみても田舎なのに、ラオスじゃあ二番目に栄えているらしい町、パクセー。
その町最大級のマーケットを歩いてみると、たしかに色々な専門店があって眺めているだけでも楽しい。
でも一方で、ヘビーな現実というものをいやになるほど見せつけられる。
それは
家の家系を助けるために働いてると思われる物売りの子供達や湾曲した足や手で地べたを這うも物乞い達の姿。
本当に何度もその光景がこの目に入ってきた。
マーケット内の食堂で昼食をとっている時のこと、
背後からから人が何か声をかけてきているのが聞えてくる。
ラオス語なので全然聞き取れなかったけど何を言わんとしてるのかはすぐに分かった。
後ろを振り返ると手足の指が何本かない物乞いがモゾモゾ這いながら俺やアニーに「お金か食べ物を恵んでくれ」と.....手をこちらに伸ばしている。
その瞬間、俺はなんとも言えない気持ちに襲われた。
まずアニーに手をだそうものなら俺がこいつを追い払うしかないという思いがわいてきたのはもちろんだけど、
どうして彼は物乞いになったのだろうかと。
いやなったのではなく、ならざるをえなかったのかもしれない。
誰かが彼の手足の指を切ったらしいがそれは社会的制裁を受けたからなのか?それとも同情を買いやすくするために親に切られたのか?
アニーが
「何もあげちゃだめだよ、私達が警察に捕まっちゃうから」と教えてくれる。
そうだ
ここでかわいそうと思い俺が何かを与えたところで彼の生活が明日から変わるわけじゃないし
こんなところでお金を与えようものなら、彼以外の物乞いも集まってくるのがオチだろう。
俺は彼から目を背けた、そして気づいたら彼の姿はなかった。でも彼のことがこれから先ずっと頭から離れないだろう。
いずれにしろ、こんな場面に出くわしても俺は何も変える力なんて持ち合わせてない。自分の無力さに腹が立ってくる。
俺は日本に生まれて、幸運な事に自分で自分の道を選ぶことのできる環境にいて、この物乞いのようにラオスには多くの人々が何も選ぶことなんてできなくて一生を終えていく。
今の自分にできること、
それは彼らをかわいそうとか思って同情することではなく、今自分に与えられたこの環境をいかに活用して今の自分を高めていくかだと思う。
恵まれた環境にいながらそれを活用しないなんて、彼らに失礼だ!
ケアーのお母さんの店のTang ang Chareon Co.,Ltd からマーケットまでは徒歩5分。
しかしパクセーの昼は暑い......
バンコクの昼間のような淀むような息苦しさに頭がやられそうだ。
たった数分外を歩いただけで汗がダラダラ流れ落ちてきて目に入ってくる、どうにかなんないのかなぁ〜この暑さ!!
マーケットに入って最初に歩いたブロックには野菜を売っている店が集結している。
農業が主要産業のラオス、家の農家で育てた野菜をここに持ってきたうっているんだろうか?
− 健康的な暮らしがしたいなら都会より田舎?−
翌朝、カブの「ブーッ、ブーッ」というクラクションがうるさくて目が覚める。
時計で時間を確認するとまだ6時すぎといったところ。
そして、ホテルの部屋から外を見てみる。
かなりの数のカブとそれに比べるとかなり少数の車(車は裕福層の象徴)が行きかってて
昨日の夜に比べてかなりの交通量で、かなりの人の姿が。(といってもたいした数じゃないが)
こんなに朝早いのにえらいにぎやかだな。
さすがメインストリート沿い!!
そういえばケアーが昨日ラオスじゃみんな朝早く起きて夜早く寝るって言ってたな。
理由はやっぱりというか夜遊び(酒をメインにしている店が数えるほどしかない、ほかの娯楽は皆無)する場所があまりないため。
もしくは仕事が始まるのが朝早いから。
以前にもふれたけどほんとラオスじゃおしゃれな店も遊ぶ場所もない。
こうもいろいろとないないずくしだから人々の暮らしはシンプルで、
早寝早起きで
なおかつ健康的ライフスタイルなんだろう。
同じハワイ州内のオアフ島とマウイ島でも田舎のマウイ島に住んでる人々のほうが早く寝る傾向にあるし、ここはそのマウイより田舎だし。
− サン・アルン ホテル −
今回の滞在ホテルはケアーの親戚のおじさんが経営している、サン・アルンをあらかじめ予約しておいてもらった。
パクセで一番にぎやかなストリート沿いにあり、(13号線)
近くに旅行会社、インターネットカフェ、銀行、そしてレストランなどもあり立地は最高。
なによりもよかったのは部屋が真新しくてきれいなことだね。
といっても一度でもこのストリートをみれば日本人ならほとんどのひとが
「ド田舎じゃん」
と言いそう(汗)。
なんたって道の真ん中にセンターラインが引かれてないし....
信号にいたってはこの道沿いに二箇所しか設置されていなかったから、本当に!!!
− 面白いエピソード −
早朝や夜遅くにフロント係のにーちゃんがフロントデスクで仮眠をとっている。
こっちが呼ぶまで全然客が来ることとおかまいなしに寝っちゃってて、
ケアーが俺を呼びに来た時、ケアー本気であきれてた(笑)。
あまりのヤル気のなさに馬鹿ウケ、
こんなこと日本のホテルじゃ間違いなくありえないよ。
でもね、このあくせくした感じがしないとこ嫌いじゃないかな。
この国じゃ、みんな日本よりも何倍もメローなリズムで暮らしているわけだし
これでいいんだよ、きっと。
P.S. ケアーの親父さんのホテルも今現在、建設中です。今年中にはオープンするとのことだからその時はまた紹介します。
− 調味料のいれすぎに注意!! −
昨日ホテルに帰ってきたのは12時半くらいで寝たのは2時くらいだったかな。
五時間しか寝てない、
しかもタイに滞在した数日も連日五時間以下しか睡眠をとっていない。
なのになぜか寝起きの気分は最高!
不思議だ、
これが日常生活でも続けばいいのだが....
7時にケアーが迎えに来てホテルの近くにあるヌードルショップで朝食をとることに。
朝からそんな重いもん食べるのか?とびっくりしたけどラオスじゃ普通みたい。
まだ7時過ぎなのにこのお店はけっこう人気らしく人がいっぱい。
メニューはケアーに任せて席に着くと塩、コショウ、砂糖、刻み唐辛子のボックス、そしてチリソースが。
これらの調味料を好みに合わせて足していくというのはベトナム料理のフォーにそっくり。
運ばれてきたのはカオピヤという麺でさっぱりとしたスープにお肉がいっぱいの食欲をそそる一品。
これにフォーを食べる時みたく大量の刻み唐辛子を入れて食べてみる。
これにはケアーも唖然!!
結果はというとこのスープに過剰な辛味はミスマッチかなというのが正直な感想....
味をみながら少しずつ足していけばよかった(苦笑)。
− フランスパンのサンドウィッチ屋台 −
フランス植民地時代の名残りかフランスパンのサンドイッチが売られている。
ラオス語でカオチーパテー。
中の具は青パパイヤとにんじんのせんぎり、ペースト状にしたレバー、細かくきった豚肉、ねぎ、チリソースなどから好きなものをチョイス。
チョイスに困ったら定番のバーターだけってのもありかもね。
− ラオスコーヒー −
パクセーから車で南に一時間くらいの所にあるパクソンという町はコーヒーの生産地として知られていて、
そこのコーヒーの豆や粉をメインロードである13号線の道沿いで売られている。
この日記を読んでくれた方は、味はどうなの?
って、思ってるかもしれないね。
実はかなり美味、
本当です!
保障します!!
写真の店では腸詰ソーセージの姿も....
食べなかったので味について何も語れないけど興味のある方はぜひ挑戦してみては!?
- Ask myself -
旅に出るとやらきゃいけないことから解放され時間はいくらでもあるから自然と自分と向き合う時間が多くなる。
世界にはさまざまなタレントを持った人がいて、
別にそれは著名人のことだけを言ってんじゃなくて、
身近にもたくさんいていつもそのような人から何かを学びたいって考えてるんだ。
なぜかって?
それは光り輝く人から学ぶことは、人生ってものを切り開く上で彼らから学んだことがきっと活きてくると思うし、人間の成長には欠かせないものだと思うから。
でも思うんだ、じゃあ自分の個性ってなんなのって.....
何かこれだけは誰にも負けないというか、
自分自身のスタイルを確立したいって強く思うよ.......
ここ最近。
−国際人−
朝食をとった後、ケアーの家へ。彼女の家族と親父さんの部下の方数人といっしょに中華様式のお寺に参るためおそなえ物の準備のお手伝い。
思わず聞いてしまった......
「なぜラオスで中国のお寺に行くんだ?」
「そりゃ私のお父さんの家系が中国の血を引いてるからだよ。私はラオス人と中国人のハーフなんだ。」
ラオスはタイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、中国と国境を接しているからハーフのひとも多いみたい。昨日一緒に焼肉屋で飲んだイェンもミャンマー人と中国人のハーフだしね。
日常的に他国の文化や物の考えにふれる環境にいるからだろうか、ラオス人って外国人に対して変な壁がなくすごくフレンドリーな人が多いな。
−尊重−
で、何がいいたいかって日本の社会って、閉鎖的だよね。
いろいろな個性があっていいと思うのになんか...
自分達とは違うスタイル、物の考え方がなかなか受け入れられないっていうか、
周りと違ってたら排除されるっていうか、
没個性で型にとりあえずはまってりゃいいんだって感じがするよ。
俺が思うになんかそれってもったいないよね。
世界には万と創造性に満ち溢れた
個性的な人々がいて、
文化や考え方があり、
それに触れているだけですごくワクワクするし、ああこうゆうのもありだなってすごく心を揺れ動かされるのになって。
それによって自分自身どんなふうに変化が起こるなんてまったく想像できないし、
それはお金では買うことのできない自分自身の大きな財産、
もしかしてたまたま会った人が自分に何かとてつもないエネルギーをくれるかもしれないし、人に何か与えれば必ず何か返ってくると思うんだよね。
異質な物を排除するのではなく尊重して、
これからももっともっといろいろな世界を見てそれに触れていければなってあらためて考えちゃった。
− 現地に触れる旅 −
でも、
行く先が世界文化遺産の観光ではなく
そこらへんのチャイニーズテンプルで現地の人と一緒にお参りする、
そのほうが俺にとってはよっぽど魅力的だった。
そもそも遺跡の観光ももちろん魅力的だけど、
人に会って自分の知らないその人の世界を観せてもらうことのほうがよっぽど興味があるから。
- What do I want? -
あの人が身につけているからとか
ここでしか手に入らないとか
有名だからとか
みんなが行ってるからとかそんなことどうでもいい
俺にとって大事なこと
それは今俺が一番やりたい事を追い続けること
自分の中で大事な物に対して妥協なんて絶対したくない
たとえその選択に失敗はあっても
後悔なんて絶対したくないから
− お寺参り −
日本でお寺に日常的に
しかも家族そろって
参ってる人はどれくらいいるのだろうか?
少なくとも俺は何か特別なことがでもないかぎり(法事など)
家族とお寺に行った記憶がない。
しかも、俺が最後に日本で寺に参ったのいつだったけ?
たしか三年前の大晦日だったような...
除夜の鐘をならしにいくあれね、
って全然日本に帰っても寺にいってないね〜俺。
そんな俺がラオスで観光じゃなくて参るというカタチでお寺にいくことになるとは....
しかも世界文化遺産の寺じゃなくそこらへんのチャイニーズテンプルに!
- Prayer -
日本でもお寺に参るときはお供え物を持って行くと思うけど
ここパクセーのとあるチャイニーズテンプルに、ケアー一家が持って行ったお供え物のバリエーションはマジですごい。
これらのお供え物を仏壇の周りにケアーの家族と一緒に並べていったわけだけど
何がすごいかって?
まずお酒、お菓子、そして果物でしょ
ここらあたりは日本でも定番だけど
鶏の丸焼き、ゆで卵にもち米のカオニャオ
この写真の俺が持ってる紙製の飾り物
にせ物の花々
そして極めつけは子豚の丸焼きを用意していたこと
しかも二頭も!!!!豚の丸焼きは日本じゃ絶対にありえんね〜。
線香も日本のみたいに細くて短いやつじゃなくて長くて太いまるでアジアン雑貨の店においてありそうなやつで
蝋燭も大根みたいに太っちょ、
いや〜なんか貴重なモノを見せてもらったねぇ!
− おみくじ パート ? −
なんと
そのおみくじが
ここパクセーのチャイニーズテンプルにもあったのです!
おみくじ箱を両手で持ってケアーのおばあちゃんが何やらおまじないを始めだして
で、そのおまじないがながいのなんの
(その間おれはその様子がおかしくてケアーとアニーと笑い転げていた)
数分後やっと串を一本取り出したんだけど
凶だったらしく
なんとなんともう一回箱を振り出した。
えっ〜もう一回やっていいの!?
びっくりする俺をよそに
どうやらおばあちゃんはいい串が出るまで何度もちょうせんするらしい、
しかもおまじないのプロセスつきで!!!
幸運にも二回目は吉だったらしくかなり上機嫌〜
何はともあれよかったねおばあちゃん!!
− 寄贈碑 −
お祈りを済ませた後はケアーがお寺の園内を連れて回ってくれた。その園内の中でも一番印象に残ったのがこの写真の寄贈碑。
日本のお寺でもよく見かける寄贈碑がこのチャイニーズテンプルにもあってそこに刻まれている人たちの出身地がラオスはもちろん周辺のアジア各国にまたがっていた。
こんな内陸部の田舎にあるちっちゃい町にチャイニーズテンプルがあるの自体驚きだが、中国人のネットワーク、絆の強さにはただただ脱帽だ。
− メコン河とパクセー橋 −
俺が訪ねたこのお寺はセドン川とメコン河の合流地点のほとりにあってメコン河畔の雄大な景色が楽しめる。
それで向こうにみえる橋は日本の政府開発援助によって建設されたパクセー橋。
かなり長い橋だ〜
もしかしたら尾道水道に架かる西瀬戸自動車道の尾道大橋(広島県尾道市 − 全長546m)より長大かも。
いったいこの河の幅はどれくらいあるんだろうか?
この橋が建設されたことにより、
パクセーとタイの交易などが増大し、
パクセー周辺の経済発展に大きく貢献しているんだそう、
日本やるじゃん!!!
何かパクセーの人たちもこの橋のことでほんとうに日本に感謝してるみたいで
なんか日本人として誇らしいな〜。(俺は何もやってないけどね)
− セドン川 −
このチャイニーズテンプルの目の前でメコン河は支流と合流するんだけどその名前はケアーに聞くと....
「なんだったけ、忘れえちゃったよ。」
「おいおい、お前ここ地元だろ(笑)。」
「毎年、年末しか帰ってこないからね。」
てな感じで川の名前が分からなかった、だから親父さんに聞いてみる。
さすがに親父さんは知っていてその川の名前がセドン川だと知る。
川岸は日本の川みたいにコンクリートで固められてなく自然な状態を保っている。
何もせずに、その景色を見ながらぼーっとしているだけで、俺も癒されたし、
実際自然がラオスの魅力のひとつなはず、
だからたとえラオスが将来発展しようともこの自然が残ったままの状態でいてほしいなと思う。
ちなみにこの川もメコン川もミルクコーヒー色、なぜ?
紀元前5世紀にインドのガンジス川中流域に興って長い年月をかけて東アジア、東南アジア、そしてチベットに広がっていった仏教、
自分の故郷から遠く離れたラオスでもこの宗教は根付き信仰されていた
私達とは違うスタイルで!
なんか不思議な感じ
それだけで俺はラオスという国を知るはるか前からラオスともつながっていたんだなって
もしかしたらここの仏様がおれをパクセーに導いてくれたのかもしれないね。
− おみくじ −
日本でもおなじみの神仏に祈願して、
事の凶吉をうらなうあれである。
みなさんも新年に神社を参ったときに購入されたことがあるのでは。
ありゃ、日本ではおみくじといえば神社で寺ではそんなもの扱ってなかったけ?
寺か神社か.....そんなことすらちぐはぐにしか覚えてない俺だけど
もちろん毎年のように初詣の折に購入してたね〜
で、凶が出たら友達に「交換してや」
とか言ってヘコんでた(笑)。
− 祈り −
仏壇に線香をあげて、祈った
今日より明日
明日よりあさって
自分の夢に一歩でも近づけるように...
例の太いお線香をいっぱいもらいケアー達の見よう見まねで祈りをささげる。(日本とは拝み方が全然ちがう)
で、何を願ったのかって? 今はまだ内緒!
− 家族の絆 −
これまで訪問した旅先や留学先でさまざまな家族を見てきた。
家族の数だけ色があり
仲のよい幸せそうな家族もあれば
反対に
家庭崩壊しているような家族を目にしてしまった時もあった。
そんないままで見てきた家族と比較してもケアーの家族はすごく仲がいい。
家族全体としての仲もよいのだけど、ひとりひとり同士の仲もよいのだ。
そう、こういう姿こそが理想の家族のあり方なんだろうな〜!!
困難は人どうしの結束を強める、と言うけれど、それがこの家族の絆を強めたんだな〜とお互いの家族について話をした時に強く感じずにはいれなかった。
実際、彼女と話していてさりげない思いやりややさしさ、家族思いなんだなってことがすごい伝わってくるし
何よりもいろんなことを乗り越えていける気持ちの強さが半端じゃない。
それはおそらくケアーは7歳で親元を離れ、俺なんかが想像も出来ないようなつらい経験をたくさんしてきたからだろう。
「私の意思とは関係なく海外に送り出した親が昔は嫌いだったけど、今は家族が好きだよ。どんなに遠い国で暮らそうと、私が傷ついた時には、いつも家族が支えになってくれる。だから私は家族を信じていられる。それは、どんなに切っても切れない絆だから。」
と言ったケアーから後ろめたさなんてものはこれぽっちもない。
理由はひとえに嬉しい理由じゃなかったかもしれないけれど、
逆に苦労の数だけ心配してもらっている、家族に愛されている、
ってことに気づかされ家族との絆が強くなっていった
ケアーの話を聞いて俺の中でさらに家族を大事にしなきゃっていう気持ちが強まった。
- Back Street in Pakse -
メインロードの13号線から一歩はずれると車も人も少なくのんびりした雰囲気がただよっている。
ゆったりしていて本当に居心地のいい町。
何もかもが何か日本ともハワイとも違う、
だから今は何もかもが新鮮で楽しくてしかたがない!!
だけど、きっとずーっとここに住むとなると刺激がほしくなってどこか外の世界を求めるようになるんだろうな〜。
ラオチャルンホテルの部屋からのワンショット。
車も人も少なく、夜も酒をメインにしている店が数件しかありませんでした。必然的に健康的な滞在となります。
初めて来た街なのでそれでいいのかもしれません。
メコン河。
人も船もマバラです。
喜んでいるのは、私だけなのでしょうか?
少し寂しい気がします。・・・移動します。
デット島のファデットです。ファデットの船着場から500メートルほど両サイドにバンガローが並びます。(サンライズ側)
今回お世話になった、Mr,nois bungalow です。
船着場から視ていって、ココにしました。
決め手は、木造のバンガローと清潔なトイレとシャワーでした。バスタオルも貸してくれます。
しかも屋根が瓦なので雨が降ってもうるさくありません。(乾季だったので雨は降りませんでしたが・・・、日照り続きらしく心配そうでした。)
8000キープのお粥がおいしかったです。
ここなら一日5ドルで滞在できます。
私は多少酒をたしなむのでその分かさみましたが・・・。
部屋のバルコニーでラオビールです。
夜はここでハンモックに揺られながら酔いました。
満天の星空がとてもきれいでした。
デット島とコーン島を結ぶ橋からメコン河を眺めます。手前の建物はセーンアルーンというレストランです。
橋を挟んで反対側に管理事務所があります。
そこで8000キープを払ってコーン島に入島します。
ソムパミットの滝です。
バンガローでママチャリ1ドル/dayを借りて滝へと向かいました。つり橋を渡ると滝の音が聞こえてきますが、道路というより獣道にちかく、滝まで数回自転車を担ぎました。
滝からの帰り道、橋でちょうどサンセットの時間になりました。
この日はハーフムーンですが、とても明るい月でした。バンガローに帰って、夕食をとりハンモックで酒を飲み酔います。夜は8時過ぎると電気も消えますが、夜空が明るいので気になりません。
気になる方は、ランプかキャンドルを持参するといいと思います。(キャンプ用品がとても役に立つところだと思います)
夜明け前から「コケーコッコー!」と始まり、否が応でも起こされます。朝日が昇るのを待って、朝食前にファデットのサンセット側を散歩しました。
スチッター ゲストハウスのレストランからメコン河です。一息ついて、ワット・プーに向かいます。
ワット・プーの歩廊階段からプルメリアが咲き乱れます。
本殿があり、ひっそりとした佇まいを感じさせます。
子宝に恵まれるというだけあって女性が多かったように思います。
遺跡を守るお婆ちゃんの後姿。
眼下に平原が広がり、その先にメコン河が横たわっています。
ナーカサン
ここからテッド島のファデットに向かいます。
渡し舟、3ドル。
ナーカサン
ワット・プー
宮殿
ワット・プー。
バライがずれているように見えますが、バライのセンターを直線状に上がって行くと(道はありませんでした)ヘビの石、ワニの石、象の石です。
時代のズレがあるのかもしれません・・・?
想像ですが、昔からの寺ではなくて、ワット・プー以前は集会場だったのでは?・・・と北欧の叔父さんと片言の英語で談義になりました。
チャムパーサックの朝
チャンパーサック
パクセのバスターミナルです。ここからナーカサン(シーパンドン)に向かいます。
このピックアップトラックで2時間30分です。
後で確認しましたが(mr,nois)、パクセのツアー会社からVIPバス(ハイエース ワゴン ac付)が出ています。
pakse travel co,ltd tel:(856-20)2277277
70000キープ(ファデットまでの舟代込み)
mr,nois(ファデット)からチャムパーサックまでこのミニバスで行きました。
パクセの市場。
食材が山ほどつんでありましたが、買いに来てる人があまりいませんでした。日本のスーパーマーケットのように見切売りはあるのでしょうか?
今夜の夕食が心配です。
チャムパーサックの船着場です。
ワット・プー参道。
スチッター・ホテル(ゲストハウス)
コテージ風の比較的きれいなゲストハウスだと思います。レストランは、メコン河に接しています。エアコン、テレビ、ホットシャワー付で12ドルでした。
ビエンチャン到着後、メコン川周辺を歩き回る。
川沿いの屋台レストラン街
道路をはさんだ向かいはズラッとレストラン街。
メコンは乾季のせいか、極端に川幅が狭く、干上がっていた。
ホテルの斜め向かいの新しいレストランで食事。
パスタが美味しい!
ホテルはポーンバスート。隣のマリーナンプに泊まろうとしたが満室。人気があるようだ。ポーンバスートは部屋のわりに一泊600バーツで高い。
10000キープは120円。
屋台のクレープ屋さんを沢山見かける。上手につくるもんだ。 美味しそう!
朝 角のサンドイッチ屋さんへ。卵サンドとシーチキン。とても美味しい。サンドイッチ二個とコーヒー三杯で42000キープ。
10000キープは120円。
遠くからパトゥーサイ
ビエンチャンからルアンパルバーンに直接バスだと10時間以上かかりそうだったので、途中の村バンビエンに向かう。景色が良く、楽しそうな情報もwebで得られた。 これが大正解。
ただバスがバンビエンに到着一時間ほど手前で大渋滞。なぜかと歩いて調べたら、小さな橋で大型バスとトラックが正面衝突。1時間以上停滞。でも無事5時間でバンビエン到着。
バンビエンは川沿いの山々が美しい。
宿、レストランが充実している。
ホテルはバスが止まった所で4ドルと言われ勧誘されたホテルに、結局5ドルの部屋にしたが、快適できれい。「thavisouk gest house」。部屋の前のバルコニー。
部屋から見える景色。
一日カヌーツアーを申し込んだ。
10キロの川下りと洞窟2つ見学と昼食つき。一人16ドル。これが楽しかった!!
洞窟も変化に富み、日本では決して味わえない、ちょっとハードで、危険。で楽しい。
カヌーも不安定だが、だんだんなれてくる。16人くらいのグループ。ドイツ、デンマーク、マレーシア、オランダ人で構成。皆和気藹々とカヌーをこいでいく。
洞窟の入り口から水没して腰まで浸かりながら歩く。冷たい水。洞窟内は一人一人明かりは小さな蝋燭だけ。手にぽたぽた蝋が溶けて、明かりが乏しく、探検ムードを増す。かなり狭く不安定なな場所が続出。日本では絶対許可はおりない。だから楽しい。
洞窟に出掛けてる間に、スタッフが河原でバーベキューや野菜やチャーハンを作ってくれていた。
町から川の途中。
川にかかる手作りの橋。
川沿いにハンモックカフェ、が続く。
のんびり本を読みながら、ビールを飲み、川を流れていくカヌーやチューブに乗った人々を見送る。
小さなハンモックだけど、いい気分。
タイヤのチューブにのり川の流れにみを任せて、3キロほど下るコースもある。3ドル。途中にバーやカフェ、ターザン的な川へジャンプもある。橋ではビールを売っている子供もいる。
夕暮れ流れていくチューブのアベック
ナムソン川はメコン川に比べとても透明度もあり美しい。
ビエンチャンからツアー会社のVIPバス(6ドル)でバンビエンに向かいました。
途中、トイレ休憩をへて3時間半ほどでバンビエンに到着。
バンビエンで滞在したリバーサイド・バンガロー
ファンにホットシャワー、トイレ付で5,5ドルでした。
バンガローに置いてある地図
バンガローの中庭の先の土手からヒザほどの深さの川を渡って毎夜、毎夜、スマイルバーで飲みふけってしまいました。
坂の上からだとこの橋を渡ってカフェバーに行けます。スマイルバーには、親切で温厚な日本人スタッフがいます。
この中州には、いくつもサンセット・カフェバーが並んでいます。
川の水は冷たくてきれい、岩山からの湧き水も含まれているのでしょうか?
飲みはしませんでしたが、気持ちのいい水でした。
乾季がいいと思います。
静かで、のどかな川沿いです。
街中を歩いて夕方は中州のカフェバーに向かいます。
バーにある川沿いの小屋をキープして、ビアラオ(10000キップ)をあおりながら夕日を楽しみます。
酔って夜風にあたりながら小屋で寝転ぶとすごく気持ちがいいです。
昼間は暑さを感じますが、日が暮れてくると涼しくなり、風がとても気持ちいい・・・。
冷えるときもあるので長袖を持参するといいと思います。
私はジャージを持参しました。
夜8時を過ぎると12時頃まで焚き火を囲みながらのクラブに変わります。ロックありテクノありアシッドありの星空の下でのクラブです。
リバーサイド・バンガローに宿泊すると、このカフェの音が流れてきます。
静かな夜を過ごしたい方は、敬遠したほうがよいかと・・・。
私はこの音に誘われるがままに毎夜通ってしまいました。
さんざん昨夜に飲みまくったくせに朝からまた頂きます。
少し休んで近くのラグーンに向かいます。
橋を歩いて渡って、トラクターのトゥクトゥク(50000キップ)でラグーンに向かいます。
車輪のバタツキを調整して・・・。
橋の近くから15分ほどでラグーンに着きます。
体が熱くなったら水浴びをします。
ラグーンの崖の中腹にある洞窟です。
洞窟の中はとても涼しくて、中で涼んでいる人もちらほら・・・。でも崖を上るのがちょっと大変かもしれません・・・?
ラグーンで少し休んで、この後はバンガローでレンタルバイク(4ドル)を借りてバンビエンの近くを走ってみました。
バンビエンからビエンチャンに向かって20kmほどの村落です。この辺はラオスの田舎の村を体感できると思います。
ゲストハウスもありました。
干物屋さんが並んでいました。
雑貨屋さんもあります。
少し前のラオスの看板。
その夜も川を渡って中洲のスマイルバーで酒盛りをしてしまいました。
おはようございます。
朝のバンビエンは、岩山にもやが掛かって、またいい感じです。
バスは食堂前を出発して30分ばかりしてから、緑ゆたかな山間を走る。
車窓から見える雨に煙る三角に切り立った山々は、刻々と変化していく。
時折大雨が窓ガラスを激しく打ち続ける。
バスは粘りつよく走り続けながら、ゆるやかな峠を走りきると、次第に喉かない田園風景へと変化していった。
到着の予定時間から考えると、バンビエンの町はもう近いだろう。
午後2時。
ビエンチャンを経って約4時間。
国道13号線に沿って場違いにさえ思えるような、長々と続く広場のある集落に着いた。
乗客が網棚からっこ荷物を降ろし始めた。
どうやらここのあたりが、バンビエンらしい。
想像していた以上に小さな町、バンビエン。
バス停から町中に入るには、広場から見える鉄塔方向へ少し歩かなけえばならないらしい。
小さな町だけど、日本語対応のネットカフェもある。
少し変わったようなレストランも、もっと怪しそうなパブだってある。
小さな山間の町バンビエンだけど、ネットカフェのスピードは遅くはない。
雨が本格的に降り出した。
大急ぎで宿を取らなければならない。
ナムソン川沿いから歩いて、鉄塔の真下に小奇麗ゲストハウスが何軒かある。
その最も豪華そうなゲストハウスに立ち寄ってみた。
まずは料金が気がかりだけど、シングル部屋で4ドル。ホットシャワー・トイレ、ファン付。
条件はいい。部屋を見せてもらって、一発で気に入った。
目抜き通りから少し外れているからして、静かな環境であることが、ことさら良い。
部屋は最上階の3階。すぐ横にテーブルと長椅子があって、見晴らしもベリーグッドだ。
目前に刻々と変化していく奇峰が、よく見える。
宿の前には、共産党研修施設がある。
何か会議があっているらしいが、トヨタの真新しい四輪駆動車が、何台も止まっていた。
バンビエンの欠点を一つだけ挙げるなら、食事が今ひとつだと言える。
どのレストランでも、なぜかハッピーと名の付く物が多い。
この手はやばいと聞いていたので、注文はしないことにした。
バンビエンで唯一のお勧めが、これ。
パクチーを外すなら、日本のうどんの味に似ているので旨い。
明日はナムソン川をカヤックで下りながら、奇峰の連山を眺めてみるか。
やはり、この宿に決めてよかった。
宿の名は、Vieng SavanhGH。スタッフの対応も笑顔も、ビエンチャンで泊まった宿よりも遥かに良い。
バスで知り合ったM君と、ナムソン川沿いを歩きながら、ゲストハウスを探すことにした。
すぐに目に付いたのは、川辺からすぐに切り立った奇岩の山の絶景に、しばらく言葉が出ない。
AM10:00 ビエンチャンからバンビエンのローカルバスは、なぜだかメコン川の河川敷付近に停まっており、「バンビエン、バンビエン」と、運転手が声を張り上げている。
車内はすでに満員に近い状態だ。
乗客のほとんどが西洋人、クーラーの無い車内は彼らの体臭でよどんでいた。
出発寸前になって日本人らしい青年が、乗り込んできた。
しばらくお互いに会話もしなく、それよりも車窓の外の景色を眺めながら写真を撮ることにした。
正午を少し廻った頃、大型バスが何台も停車している小さな集落の食道横に、停車した。
ラオスのどこであるような、ハエが飛び交う小汚い食堂だが、細長いテーブルは旅行者でほぼ満員状態。
メニューはない。
おばさんが作る料理の中から、「これとこれ」と指で何品かを注文する。
このような長距離バスのドライブインのオーダーシステムは、おそらく中国の雲南から流れてきたと思うが、カンボジアでも同様であった。
同乗だった日本人青年は初めての経験だろう、少し戸惑っているので、注文の仕方を教えてやった。
青梗菜似た野菜と鶏肉を炒めたもの、麺を炒めたものなどありふれたものだったが、思った以上に旨い。
「朝から何も食っていないので、格別です」。
青年は貪りつくように箸を動かしていた。
留意すべき習慣
ラオス人は敬虔な仏教徒です。身体の中で精霊が宿るとされている頭部に触れたり、相手の身体にむやみに触れることは避ける必要があります。
保健・衛生事情
(1)高温多湿の熱帯モンスーン気候と衛生状態の悪さから、様々な熱帯病や感染症が年間を通じて蔓延しています。マラリアは都市部では見られなくなりましたが、デング熱は都市部でも雨季にかけて流行しますので、蚊に刺されない対策が必要です。下痢性疾患は飲食物に起因することが多いので、
(イ)生水は飲まない。
(ロ)食事は信頼のおける飲食店を利用する。
(ハ)生もの、生煮え、生焼けの物は避ける。
(ニ)手洗いを励行する。
等の対策が必要です。
(2)ラオスで問題となる寄生虫は、淡水魚を生で食べることによって感染する肝吸虫や、便に汚染された水を使用することによって感染する鉤虫(こうちゅう)など様々です。また、ラオス南部の河川ではメコン住血吸虫感染がみられますので、ラオスの河川での遊泳は避けてください。
(3)ラオスでは2007年に入り、家禽へのH5N1型鳥インフルエンザの感染が確認され、首都ビエンチャンではラオスで初めてヒトへの感染も確認されラオス人2人が死亡しています。ニワトリやアヒル等の家禽類や養鶏場等感染の可能性のある場所にはできるだけ近づかないよう注意してください。
(4)ラオスでは1992年に初めてHIV患者の存在が確認されて以来、2004年11月時点までに、670人のAIDS発症例が報告されています。また、国内のHIV患者は約1,700人と推定されています。感染経路については、ラオス国外での異性間性交渉によるものが大部分とされており、地域的には、サバナケートやビエンチャン等、国境にある都市部での感染例が多いとされています。
(5)長期滞在者はA型肝炎・B型肝炎、破傷風、及び狂犬病、また同伴する乳幼児についてはできる限り基本的な予防接種(BCG、ポリオ、三種混合等)を済ませておいてください。
(6)基本的にはどの医療機関でも自由に受診できますが、首都ビエンチャンにおいても、衛生状態などの問題から日本人が安心して受診できる病院は無いに等しいのが現状です。また、入院しても食事の提供は無く、日本と同様の看護は期待できませんので、付添いが必要です。
こうした状況から、ラオスにおいて日本人が事故等に巻き込まれ、検査や治療が必要となった場合には、速やかにタイ等国外の医療設備の整った病院へ移送することが必要となりますが、緊急移送を要する場合には航空機(医療用チャーター機)を使わざるを得ない場合もあり、その際には高額の費用がかかることになります。ラオスに渡航・滞在される方は、緊急移送特約付きで、十分な補償額が付保された海外旅行保険に加入されるようお勧めします。
首都ビエンチャン市内の主要病院
[マホーソット病院]
ラオスで最も大きい中核病院です。ICU(集中治療室)は新築棟に設置され、レスピレーター(人工呼吸器)なども新しいものが使われていますが、患者管理においては日本の一般病院よりも低レベルです。一方、外国人を対象にしたインターナショナル・クリニックも設置されており、英語での受診が可能です。外国人向けの病室には冷蔵庫、クーラー等が設置されていますが、衛生状況は良くありません。
[セタティラート病院]
1999年から日本の医療技術スタッフが技術協力を開始しています(但し、日本人スタッフが治療行為等に当たることはありません)。建物は近代的で医療機器も最新のものが設置されていますが、英語を解する医師、看護師の数は多くありません。
[友好(ミッタパープ)病院]
総合病院ですが、脳神経外科及び整形外科を得意としています。ラオスで唯一脳神経外科医が勤務しています。
地方旅行の際の留意事項
都市部にはインターネットや携帯電話が普及しつつあるものの、通信事情は非常に悪く、いまだ十分とは言えません。医療事情も劣悪な状況のために、日本人旅行者等が地方を旅行中、事件・事故に巻き込まれたり、緊急に医療措置を必要とする疾病を患った場合、必要な医療措置及び援護措置が受けられないことが考えられます。特に、高齢者や持病のある方の地方旅行はリスクが高いため、極力避けるようお勧めします。
また、地方を旅行する際は、単独での旅行を避け、複数人での旅行を心掛けるとともに、出発前に詳細な旅行日程・連絡先等を家族等関係者に伝えておく等の配慮が必要です。