アイルランドってどんな国?
アイルランドまたはアイルランド共和国は大西洋 北大西洋のアイルランド島に存在する立憲共和制国家である。独立時の経緯によりアイルランド島の北東部北アイルランド6州はイギリスの統治下にあるが、アイルランドは全島の領有権を主張している。首都はアイルランド島中東部の都市ダブリンである。2005年の英エコノミスト誌の調査では最も住みやすい国に選出されている。
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アイルランドまたはアイルランド共和国は大西洋 北大西洋のアイルランド島に存在する立憲共和制国家である。独立時の経緯によりアイルランド島の北東部北アイルランド6州はイギリスの統治下にあるが、アイルランドは全島の領有権を主張している。首都はアイルランド島中東部の都市ダブリンである。2005年の英エコノミスト誌の調査では最も住みやすい国に選出されている。
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2014年6月1日 ... アイルランドのコーヒークリームリキュール、 ベイリーズ ラブラブ カクテルグラス コーヒー ・・の、アイスを とうとう買ってしまいました。 いつも食料買い出し中に、 横目で 見ては 目 「その一箱が命取り」byダイエッター・ウルコ。 と、力を振り絞って ...
アイルランド・旅行情報の発信サイトのトラベログ、トラベローグ、TRAVELOG 。国内、 海外の旅行記、旅行日記、旅行体験記、トラベル日記、旅行写真集、旅行フォト アルバムを、無料で作れる旅行専門のブログ、サイト.
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2005年9月13日 ... う~ん、どうしよう?)。ボクは答えに困りました。そして答える代わりに、彼に質問をし ていました。 「アイルランドを周ってきたのかい?」「どれくらい旅していたの?」 なんで 質問をしたんでしょう?だって彼から質問されているのに、答えずに別の ...
2010年2月20日 ... 昨夏アイルランドから荷物を送ろうとした際には驚きました。 先に伝票を貰っておこうと 思い、郵便局に行きましたが全く話が通じず、自分の英語が堪能ではないこともあり、 あきらめて次の日荷物を持って改めて郵便局へ行きました。
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2005年3月14日 ... アイリッシュのヨーロッパでの歴史、新大陸での活躍を2回に分けて紹介してきたが、 今回はここシカゴでのアイリッシュについて紹介したいと思う。 19世紀から20世紀初頭 にかけて、イギリスによる過酷なアイルランド統治と、ジャガイモ ...
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2009年3月5日 ... 突然ですが アイルランドです。昨日の図書館繋がりです. 「今日の一枚」はありません。 ちょっと寄り道です。 昨日の豪華な図書館のテーマで思い出しましたが、こことは又違っ た雰囲気の「知の殿堂」があります。 私の中で今一番行ってみたい ...
2006年9月27日 ... ヨーロッパのバターを置いてある所に行くと、アイルランド製、デンマーク製、イギリス製、 フランス製、ベルギー製と、様々なバターが有塩、無塩、それぞれ取り揃えてある。 余談 だけれどヨーロッパに行くと私が必ず買う物にあちらのヨーグルトが ...
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2004年12月14日 ... ポルトガルに訪れる外国人観光客の内訳(1997年)は、以下のようになっています。 スペイン 493万人 (48.5%) イギリス 153万人 (15.1%) ドイツ 91.9万人 (9.0%) フランス 67.4万人 (6.6%) ノルウェー 43.7万人 (4.3%) アイルランド 23.8万人 ...
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2006年4月19日 ... アイルランドのトリニティ図書館に、ケルトの素晴らしい本があるのでは無かったですか ? 私のお知り合いの先生が、それを見にわざわざ行かれたと ... でも全コイン、同じ柄 なのですよ、アイルランドは。 イタリアは全部違いますが!! (エヘン)
2006年2月23日 ... どうもイギリスやアイルランドの美味しいビールを飲み過ぎて顔がむくんでいるらしいこと だの。 きゃぁぁぁぁ。 皆さんからの感想 ... というわけで、オックスフォードの次に訪れた 場所は、ルイスの故郷、北アイルランド。 アイルランドの風景は、雄大 ...
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2013年8月11日 ... 今回ご案内するのはパリで10月6日に開催される凱旋門賞観戦の旅です。 凱旋門賞と は、パリのロンシャン競馬場で行われる競馬の大レースなんです。 イギリス、 アイルランド、フランス、ドイツ、イタリアといった各国のチャンピオンが集う世界 ...
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訳あってのアイルランド~イギリスの駆け足旅行へ。 まずはアイルランドの首都、ダブリンから。
【セント・スティーブンス・グリーン】
とにかく時間がないので、ホテル前の公園、セント・スティーブンス・グリーンへ。
【セント・スティーブンス・グリーン】
ダブリン市民の憩いの場なのでしょうか。
【セント・スティーブンス・グリーン】
のどかな雰囲気です。
この後、二階建てのバスに乗って、駆け足市内観光です。
【ダブリン城】
さて、やはり城と言われると行かないわけには行かないので。
【ダブリン城】
【ダブリン城】
【ダブリン城】
【ダブリン城】
アイルランドってあまりイメージなかったですが、やっぱりヨーロッパの街並みですよね。
【ギネス・ストアハウス】
さて、お次は一番人気?の観光地、ギネス・ストアハウスです。
【ギネス・ストアハウス】
【ギネス・ストアハウス】
【トリニティ・カレッジ】
ケルズの書、を目当てにトリニティ・カレッジへやって来ました。
【トリニティ・カレッジ】
【トリニティ・カレッジ】
【トリニティ・カレッジ】
ケルズの書は撮影不可なので、書庫の写真でご勘弁を。
【トリニティ・カレッジ】
最後はパブでギネスビールを飲みながら、アイリッシュミュージックを楽しむ。
駆け足のダブリンでした。
【ダブリン城】
【フェニックス公園】
バスの車窓から。
前日ロンドンに到着後、ホーリーヘッドへ。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10426788/
早朝、ホーリーヘッドからのフェリーでダブリンに到着。早速、街歩きを開始します。リフィー川沿いに建つカスタムハウス(税関)です。気温は10℃を下回っていて寒いです。。。
ダブリンで1番おしゃれな通りといわれるグラフトン・ストリート。朝早いので人通りは少ないです。
アイルランド最大の教会、聖パトリック大聖堂です。塔の部分を修復中でした。
ダブリン城です。円柱型の石造りの塔に特徴があります。
アイルランドといえば、ギネスビール。ギネス・ストアハウスでは、工場見学と試飲ができます。あまり飲めない私はビールの味もよくわからないので、写真を撮っただけで館内には入りませんでした^^
ダブリン市内を走るトラム。
市内中心部に建つ、カトリック解放法成立を成し遂げたダニエル・オコンネルの像です。
「オコンネル」という名のアイルランド料理の店が日本にもあるくらい、著名な人物です。
午後、イギリスのホーリーヘッドへアイリッシュフェリーで戻ります。あっという間のダブリン滞在でした。
次はエディンバラ&リバプール編に続きます。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10427290/
5月6日(水)
アイルランド西海岸の中心都市ゴールウェイの朝。
この日は予めネットで申し込んでおいた、“モハーの断崖”などアイルランド南西部の見どころを巡るバスツアーに参加。
まずは8時30分、宿泊したB&B、カッパービーチゲストハウス(Copper Beech Guest House)にて、前日と同様、もてなしの心のこもった朝食で腹ごしらえです。
バスツアーの出発時刻は10時なので、余裕をもって9時45分にはゴールウェイの鉄道駅の近くにある集合場所のコーチステーションに到着。
建物の中に入ると、ツアーの種類ごとに担当の係員が待ち受けていて、メールで送られてきた予約確認票をプリントアウトしたものを見せて無事チェックイン完了。
搭乗まで少し待つよう指示されます。
9時50分になりゲートが開いていよいよ搭乗開始。
すでにチェックインを済ませた他の参加者たちとともに、駐車場で待機していたツアー専用の大型バスに乗り込みます。
ちなみに今回利用したのは“LALLY tours”というゴールウェイ近郊の周遊ツアーを扱っている旅行会社。
この“モハーの断崖ツアー”は大人1人25ユーロ(約3,500円)で、余計なガイドはなく、移動時以外は拘束されることもなく自由度が高いことから、集団行動が苦手な方でも参加しやすいものとなっています。
時間も正確で、この料金で一日楽しめると考えると、非常にオトクと言えるのではないでしょうか。
【LALLY tours】
http://lallytours.com/
平日にもかかわらずほぼ満席となったツアーバスは、定刻通り10時にゴールウェイのコーチステーションを出発。
乗客は前日のイニシュモア島行きのフェリーと同様、シニア層は少なく、学生と思しき若い方が多い印象です。
車内には陽気なアイルランドミュージックがかけられ、バスは南のマンスター州に向けて緑の野の間を駆っていきます。
出発から30分ほどすると、ゴールウェイ湾沿いにこのツアーの見学ポイントにも組み込まれている“ダンゴーラ城”(Dunguaire Castle)が見えてきました。
ゴールウェイ湾を見下ろすようにそびえる1520年代に造られた当時の領主の城で、バスを降りて見学かと思いきや、ここで時間をつぶしていると肝心のモハーの断崖で天気が悪くなりそうだとのことで、ひとまずスルー。
ダンゴーラ城は帰りに立ち寄ることになりました。
車窓には、こんなのんびりとした緑いっぱいの春の野の景色が続きます。
ところどころ石造りの教会跡のような廃墟となっている建物も見えますね。
草が剥かれ、岩盤が露出しているところも。
アイルランド西部は、前日訪れたイニシュモア島のように、土を少し掘ればこんな岩盤にぶち当たってしまうほど痩せた土地が多いのでしょうね。
このあたりは“バレン地方”(Burren)と呼ばれますが、語源となった“Bhoireann”とは、ゲール語で“石の多い場所”という意味。
石は水による浸食を受けやすい石灰岩で、約2億6,000千年前に起こった地殻変動により海底から押し上げられてこのような地形ができあがったのだそうです。
灰色の屋根、2本の煙突の典型的なアイルランドの家屋もぽつりぽつりと見えます。
11時。出発して1時間になりました。
こちらの川沿いにはアイルランドの現代家屋と並んで砦のような石造りの古い建物がそびえていますね。
こちらの石垣で囲まれた牧草地では、牛たちがのんびり昼寝。
朝の出発時は曇り空だった天気も、青空が見えて少し回復してきました。
11時15分、すっかり天気が良くなったところで、小高い丘の上にある“アーウィーの洞窟”(Aillwee Cave)の入口に到着です。
みんなバスからぞろぞろ降りてきて、青空の下で深呼吸。
高台の駐車場からはバレン地方のこんな雄大な眺めが。
いいタイミングで晴れてきて、なんだかツイてますね(笑)。
そしてこちらの公衆トイレのような駐車場に出っ張っている石組みの建物がアーウィーの洞窟への入口。
運転手兼ガイドに促されるまま他の乗客とともに入っていくと・・・。
案外と中は広く、洞窟への入口の前に土産物屋が出現。
グループごとに順番に洞窟へ案内されるらしく、時間まで土産物を物色しながら店内をウロウロ。
ちなみに洞窟への入場料はツアー代には含まれておらず、別料金になっているのですが、ツアー参加者については通常20ユーロ(約2,800円)のところ5ユーロ(約700円)とオトクになっています。
まあ、もとの20ユーロというのがボッタクリ並みの料金ですが(笑)。
案内時間近くなったので、土産物屋の一角にある洞窟への入口に並んで待機。
こうしてみると今回のツアー参加者は若い方ばかりですね。
11時30分、バスツアーの運転手兼ガイドとは別のガイドによる洞窟ツアースタート。
列になってちょっとひんやりするこんな濡れた道を通っていきます。
まず最初に現れたのは、柵の中にある、苔とともに何か生物の骨のようなもの。
もしや洞窟で暮らしていた昔の人の骨?と思ったら、熊の骨なのだそうです。
洞窟内は年間を通して気温が12度前後と一定で、ここはかつて熊が冬眠に使っていた“熊の天国”(Bear Heaven)と呼ばれる場所なんだとか。
洞窟内にはこんな複雑な地形のところも。
このアーウィーの洞窟、アラン諸島や先ほど見たバレン地方の岩盤と同様、石炭紀(約3億5,900万年前~約2億9,900万年前)に海底にあった石灰岩の基盤が、約2億6,000万年前に起こった地殻変動により隆起したものが元になっています。
その後、約7万年前から約1万年前にかけての氷河期中に地中の氷によって浸食がなされ、このような形の洞窟になったとされています。
ちなみに、この洞窟が発見されたのは1940年、地元の羊飼いによるもので、それほど古くはありません。
1970年から英国人らの研究グループによりバレン地方一帯の洞窟探検調査がなされ、1976年に観光施設としてオープン。
バレン地方にある数多くの洞窟の中で唯一見学ができる施設として、現在も多くの観光客を集めています。
暗い洞窟内の道を進んでいくと、雨水などの浸食により長い年月をかけて形成されたこんな鍾乳石も姿を現しました。
日本の鍾乳洞でもよく見る光景ですね。
洞窟内にはこんなしぶきをあげるちょっとした滝も。
そして12時、出発地点に戻ってきて洞窟ツアーは終了。
30分、約1kmほどの地底探検でした。
写真を撮るのに手間取っていると置いて行かれ、真っ暗な中を手探りで進むことになり、ちょっと慌ただしかったかも。
置いて行かれた場合のため、ペンライトのようなものを用意して参加するとよいでしょう。
まあ、自国内の鍾乳洞を見慣れている日本人からすれば、洞窟の規模も鍾乳石のバリエーションも大したことはなかったかな・・・。
明るい青空の下に戻ってきてツアーバスに再搭乗し、いよいよメインのモハーの断崖に向けて出発です。
窓の外は相変わらずこんな麗らかな春の野の景色。
遠くの方には荒涼たる石灰岩の丘が見えますが・・・。
こちらの教会の敷地内には、前日イニシュモア島で見たケルト十字(*)のお墓も。
*ラテン十字と十字の交差部分を囲む環からなるシンボル。
あちこちに散在する灰色屋根のアイルランドの家屋。
マンスター州のこの辺りの農村は日本の砺波平野などと同様、散村なのですね。
真っ青な大西洋が見えてきました。
モハーの断崖までもう少しです。
そして13時、アーウィーの洞窟から1時間ほど走り続け、バスは大西洋近くのなだらかな丘の見える駐車場に到着。
よく見ると丘の麓には防空壕の入口のような穴が。
バスを降りて向かってみると・・・。
そこは大勢の観光客で賑わうモハーの断崖ビジターセンター。
ここでツアーバスの運転手兼ガイドから入場チケット(無料)を渡され、1時間半の自由時間を与えられます。
展示に夢中になって時間が足りなくなるとまずいので、ビジターセンターは後回しにしてまずはモハーの断崖へ向かうことにします。
海から押し寄せる強い風の中、大勢の観光客たちとともにビジターセンターからゆっくり歩いて行くと・・・見えてきました。
写真などで何度も目にした、大西洋に面して黒い崖が幾重にも連なる大絶壁。
“モハーの断崖”(Cliffs of Moher)です。
一般に“モハーの断崖”と呼ばれる断崖絶壁のエリアは、大西洋に沿って南北8kmにも渡って続いています。
崖沿いには観光客向けに遊歩道が整備されているので、まずは北に見える塔に向かって歩いてみることにします。
断崖絶壁の丘の上にはこんな珍しい花が。
モハーの断崖は文字通りの崖だけでなく、こんな草花観察をしてみるのも楽しいです。
かわいらしい白い花々とともに、幾重にも連なる厳めしい断崖絶壁をパチリ。
雨の多いアイルランドですが、前日のイニシュモア島訪問時と同様、ここモハーの断崖でも天気に恵まれ、ここまでの旅程は本当にラッキー続きですね。
乗継地のミュンヘンで大量の雨を浴びたのが良かったかな(笑)。
5分ほど歩いて絶壁の端にたたずむ中世っぽい石造りの塔に到着。
ここはさすがに崖の先端だけあって、大西洋から吹きつける風がものすごいです。
海から吹いてくるので、吹き飛ばされて海に落ちるということはないのですが、それでも海に近いだけに恐怖してしまいますね。
ちなみにこの塔の名は“オブライアンの塔”(O'Brien's Tower)。
中世の塔のように見えますが、造られたのはこの辺りにあった要塞が破壊されたナポレオン戦争後の1835年で、この地方の領主オブライアンが観光客を楽しませるために建てたんだとか。
ついでながら、“モハーの断崖”というゲール語の“廃墟になった崖”という意味の名称も、ナポレオン戦争でこの辺りの要塞が破壊されたことから付けられたようです。
塔の周りには強風にあおられて落ちないようにするためか、こんなふうにいくつもの石板を並べた柵が設けられています。
そのため塔からの景観がややイマイチになってしまっていますね・・・。
こちらは風に向かって突進ゲームをしている学生たち。
時折ものすごく強く吹き付ける時は、真っ直ぐ立っていることができないほどです。
さて、時計を見ると13時30分、いつの間にか30分が経過していました・・・。
あまりのんびりもしていられないので、ペースを速めてオブライアンの塔の北側へ行くことにします。
・・・そして見えてきたのが、この海に向かって垂直に落ちる断崖絶壁の大絶景。
遊歩道はあの絶壁の上まで続いており、少し距離があるのですが行ってみることに。
人一人がようやく擦れ違えるくらいのこんな細い遊歩道を伝っていきます。
遊歩道の右側(陸側)はこんな緑の穏やかな丘が広がっています。
厳しい崖側に行かずにこちらでのんびり過ごすのもいいかなと思ってしまいますね。
10分ほど歩いて後ろを振り返ると、オブライアンの塔があんなに向こうに。
遊歩道の散策は思ったより時間がかかります。
のんびり写真を撮っているとバスの時間に間に合わなくなってしまう・・・。
そしてようやく黒壁の崖の近くまでやってきました。
少し前を歩いている観光客と比べてこの大きさ。
う~ん、ど迫力です。
崖の上の高台に登ってさらに北側をパチリ。
遊歩道はアップダウンを繰り返しながらまだまだ先へと続いています。
左前方にはうっすらとアラン諸島が見えますね。
崖から海上に突き出た岩盤の上にたたずんでいる観光客も。
眺めが良さそうですが、ポキッと折れたらコワいよなあ・・・。
・・・と言いつつ、わたしも三角に突き出た岩盤の上に乗って元来た崖の方向をパチリ。
岩盤ギリギリでたたずむ強者もいますね。
このときはちょうど風が弱まっていたから乗れましたが、オブライアンの塔周辺のように強風が吹きすさんでいたらコワくて乗れなかったかも。
そして反対側はこんな景色。
美しいアイルランドの緑の野が一望のもとに見渡せます。
・・・さて、時刻はちょうど14時。
この辺りで引き返して、次の目的地、ドゥーランの村へとツアーを進めていきます!
(ドイツ・アイルランド旅行5日目後半~モハーの断崖観光後編へ続く。)
5月5日(火)
13時30分、アイルランド西部、ゴールウェイ湾に浮かぶアラン諸島最大の島、イニシュモア島のドン・エンガスの断崖。
ゴールウェイへの帰りのフェリーの出発時刻は17時。まだまだ時間はあるので、このまま島内の観光を続けます。
ドン・エンガスの断崖を後にし、麓のビジターセンターまでの石の道を下っていきます。
この荒涼とした景色・・・まさしく賽の河原といったところでしょうか。
風の吹きすさぶ断崖の方を見ると、一本の木さえ生えない、より荒涼としたこんな景色。
少し下りて行くと、岩盤の上にわずかに生える緑の草とオレンジ色の花を咲かせる低木が。
緑・白・オレンジの色で構成されるアイルランド国旗はこういう風景からとられたんじゃないかと思ってしまうような風景ですね。
*アイルランド首相府の公式見解によると、緑はケルトの伝統(カトリック)、オレンジは英国王ウィリアム3世(オレンジ公ウィリアム)の支持者(=国教徒)、白はその両者の平和を表しているとのこと。
【アイルランド首相府(Department of the Taoisearch)~National Flag】
http://www.taoiseach.gov.ie/eng/Historical_Information/The_National_Flag/
14時10分、レンタサイクルを20分ほどこぎ続けていくと、海の見える小高い丘の上に、何やら屋根の朽ち落ちた石の壁だけの廃墟然とした建物が見えてきました。
・・・これが“7つの教会”(Seven Churches)という意味の“ナ・ショフト・ジャンピル”(Na Seacht dTeampall)。
ビジターセンターからは再びレンタサイクルに乗り、トラクターが走るのどかな道を通って島の北側を目指していきます。
海に面している正面にまわって遺跡群をパチリ。
この“ナ・ショフト・ジャンピル”、9世紀から15世紀にかけて建てられた中世の教会跡で、“7つの教会”と呼ばれていますが、実際に教会であったのは2つほどで、残りは修道士たちの住居と考えられているそうです。
その建物も、現在も壁が残っているのは3つほど・・・あとは辺り一面がこの島に暮らしていた人々のお墓となっています。
このようにお墓はすべて海の方を向いています。
その先にあるアイルランド本島に望郷の念でもあるのか、それとも本人や家族が海で亡くなったなど、海そのものに想いがあるのか・・・。
ちなみに、お墓の中にはケルト十字(*)のものもありますが、墓石にかかれている年号をみると、1990年代のものなど最近のものも。
この場所は単なる遺跡ではなく、現在もこの島の住民のお墓として使われているのですね・・・。
*ラテン十字と十字の交差部分を囲む環からなるシンボル。
ほかの十字架とは明らかに違う、古い時代のものと思われる墓石もありました。
こちらは海の方を向いてはいないですね・・・。
屋根のない石造りの教会の遺跡を、ケルトの呪術的な模様を刻んだ柱とともにパチリ。
なんだか昔プレイしたドラゴンクエストシリーズに出てくる“最果ての教会”という感じ。
最後に高台に建つ島民の家々を守るように立ち並ぶ墓石群をパチリ。
最近の墓石にも使われるほどケルト十字はこの島では今も大切に使われているんですね。
14時30分、今度は南へ向かってレンタサイクルをこぎ進めます。
晴れていて自転車をこぐのにちょうどいい気候ですね。
イニシュモア島の楽しさも天気次第といったところでしょうか。
行きとは違い、海岸沿いではなく島の中央の道を通って南下を続けます。
15時、少し空が陰ってきましたが、左手を見ると、海に向かって石垣で囲まれた草地が幾重にも連なる棚田のような風景が。
こちらでは様々な種類の牛たちが放牧されていますね。
道の反対側も石垣で囲まれた草地が。
こちらでも牛たちが草を食み食みです。
まるで迷路のような石垣の先には集落が。
こんな痩せた土地でもそれなりの数の家があるんですね。
もしかしたら本島の方々の別荘だったりして・・・。
こんな荒涼としながらものどかな風景を見ながら南下を続け・・・。
15時40分、港のあるキルナロン村の南、こんな静かな海岸のあるあたりまでやってきました。
しかし、イニシュモア島は小さな島とはいえ、北西から南東まで道路の長さだけでも約25kmあり、さらには意外に道路のアップダウンも激しくて、自転車での移動も思ったより時間がかかります・・・。
ここより南へ行くと、クロムウェルのアイルランド征服の際建てられたというアーキン城(Arkin Castle)や、中世の教会跡、チャンピル・バニン(Tempall Bheanan)などがあるのですが、そこまで行っていたら帰りのフェリーの時間に間に合わなくなると思い、断念して港に引き返すことにしました・・・。
・・・そんなこんなで16時、港のあるキルナロン村に戻ってきました。
その一角で見つけたのが、有名なアランセーターを扱う土産物屋、“アランセーターマーケット”。
さすがに知名度のある土産物だけあって、店内はサイクリングを終えてフェリーを待つ観光客たちでいっぱいです。
わたしはというと、日本ではこれから暑くなる季節ということもあって、食指が伸びませんでした・・・。
真夏か秋に訪れていたなら何か買っていたかもしれませんね。
さて、港の方を見ると、すでにフェリーが到着している様子。
まだ出発時間には早いですが、レンタサイクルを返して、フェリーの中でゆっくり休むことにします。
そして16時30分、乗客がけっこう集まったところで、定刻より30分も早いのに、フェリーはイニシュモア島を出港。
もしかして島の南東のドゥーラン行きのフェリーに間違えて乗ってしまったかとあせりましたが、周囲の人に聞いてみると、このフェリーは間違いなくロッサヴィル行きで、フェリーは2隻あるから1隻目はある程度乗客が集まったところで早めに出発したのだろうとのこと。
そんなことあるのかと思いましたが、これでドゥーランからゴールウェイへのタクシー帰りは免れたようです・・・ふう。
17時30分、フェリーは無事、ゴールウェイ西のロッサヴィル港に到着。
ここで待機していたゴールウェイ行きの2階建てのシャトルバスに乗り込みますが、遅れてやってくるフェリーの乗客を待って発車する模様。
これならさっきのフェリーもイニシュモア港を早く出発する意味がないよなあ・・・。
そんなこんなで2階の最前席に座って外を眺めていたら、前方にきれいな虹が。
アイルランド西部は天気の変化が激しい地方だけに、こんな虹が頻繁に見られるのでしょうね。
シャトルバスは結局、後続のフェリーが到着した後、18時になってから出発。
まあ、きれいな虹を見られたから良かったとしますか。
車内では現地在住の日本人ガイドを連れた、一人旅のシニアの日本人男性と一緒に。
日本人に出会うのは、今回の旅の初日にミュンヘン中央駅で一人旅の日本人の奥様と別れて以来で、久しぶりに日本語を話しました(笑)。
アイルランド本島の方でも、こんな石垣で囲まれた草地が続く、荒涼とした景色の中を走っていき・・・。
しばらくすると、灰色屋根の似たような建物が建ち並ぶ新興住宅エリアのようなところに入ってきました。
18時40分、そのエリアを抜けると、向こうに大きな街が見えてきました。
ゴールウェイはもうすぐです。
18時45分、ゴールウェイの鉄道駅前の広場、エア・スクエアに到着。
トータル9時間のアラン諸島への日帰りの旅、おつかれさまでした!
バスを降りると路面は濡れており、雨が降ったばかりの様子。
そして空を見上げると、ここでも虹が。
帰りのバスをご一緒した日本人の男性と別れて、広場に隣接するショッピングセンター、“エア・スクエア・センター”(Eyre Spuare Centre)へ。
ここはただのショッピングセンターではなく、建物の一部に中世の城壁の跡が残る、過去と現在が共存した珍しい施設。
建物の中央付近にあるのがこの石造りの城壁の跡。
普通にショッピングセンターの一店舗のテラス席の一部となっています。
・・・かつて寒村に過ぎなかったゴールウェイは、イングランド(=アングロ・ノルマン人)によるアイルランド侵略が進められていた13世紀、ノルマン人貴族リチャード・デ・バーゴによって制圧されます。
この城壁は、彼が土着の諸侯、オフラハティ一族の脅威から身を守るために建設されたもの。
当時、城壁は港のあるコリブ川の東岸からこのエア・スクエアに至るまで続いており、この壁の中でゴールウェイは港町としての発展を遂げていくこととなります。
【Ewe Tours Ireland~ゴールウェイの歴史】
http://www.ewe.ie/ゴールウェイ/ゴールウェイの歴史
壁の一角には17世紀にゴールウェイを襲った悲しい出来事を伝える解説文が。
これによると、イングランドにおいて清教徒革命(1642年)を成功させ、アイルランド再征服を進めていた護国卿オリヴァー・クロムウェルは、1651年、国王派の立て籠るゴールウェイの街を海陸両側から包囲。
当時人口約6,000人のゴールウェイは、クロムウェル軍の進軍から逃れてきた難民で膨れ上がり、食糧不足と反乱分子の結成で混乱。9か月の籠城戦の末、ついに降服します。
裕福だった街の指導者たちは自身の領地に逃亡しますが、貧しい町民らは、戦後処理として西インド諸島に奴隷として売り飛ばされてしまいます・・・。
これだけでも悲惨な物語なのに、解説には続きがあり、40年後の1691年、今度は名誉革命(1688年)を成功させた新王ウィリアム3世の軍によって、ゴールウェイの街は再び攻撃を受け、またもやイングランドに降伏。
300年以上経った現在も、商業施設のど真ん中にこんな過去の悲劇を伝える解説版が掲示されるほど、ゴールウェイの人々はイングランドに対する恨みが深いということなのでしょうかね・・・。
エア・スクエア・センターは19時で閉店となってしまったので、前日の夜も歩いたゴールウェイのメインストリート、ショップ・ストリートからキー・ストリートの辺りをぶらぶら。
緯度の高いアイルランドはこの時間でもまだまだ明るいです。
通りの一角にはこんな色鮮やかな店舗群が。
空に架かる虹と同様、通りの建物も七色で彩られていて、ゴールウェイはまさに“虹の街”ですね。
こちらは現在はAIB銀行の支店として使われている“リンチ家の城”(Lynch's Castle)。
14世紀に建てられた、石灰岩製の堅牢な建物で、ゴールウェイの街を治めていた“14部族”の邸宅のうち、唯一現存するもの。
19世紀初頭に改修されてかなり姿が変わってしまったそうですが、タワーハウスを備えたこの城は、アイルランド・ゴシック建築の典型例と言われているそうです。
メインストリートを5分ほど歩いて、ゴールウェイ中心街の西端、コリブ川(River Corrib)沿いまでやってきました。
川沿いを歩いている人は少なく、なんだか寂しげな印象です。
そのコリブ川沿いには、ゴールウェイの街を取り囲んでいた城壁の一部が。
2つのアーチを持つこの城壁は、埠頭を守るために1584年に建てられた“スペイン門”(Spanish Arch)と呼ばれるもの。
ゴールウェイの街がスペインと交易があったことから名付けられ、建設された当時は全部で4つのアーチがあったとのこと。
寂しげな川沿いのエリアを後にし、再びメインストリートへ。
イニシュモア島を駆け巡っていたせいで昼食も食べ損なっていたし、かなりお腹が空いていたので、どこかお店に入ることにします。
“地球の歩き方”を開きながら見つけたのがこの“マクドーノズ”(Mc Donagh's)というシーフードレストラン。
“地球の歩き方”には何度も騙されていますが、今度はどうでしょう。
中に入ってみると、地元の人と思われる方々がカウンターに並んでいて、けっこう人気店の模様。
順番が来て注文したのは名物の“フィッシュ&チップス”(Fish & Chips)。
揚げる魚は8種類(絵入り)から選べるようになっていて、とりあえずいちばん高かった“Smoked Fish”(5.75ユーロ=約650円)というのを選びます(ほかにレギュラーサイズのチップス2.7ユーロとコカ・コーラ1.4ユーロとで、合計9.85ユーロ=約1,380円)。
空いている席を見つけて早速食べてみると・・・揚げたてで衣がパリパリとしていて香ばしいし、中身もほくほくとした感じでなかなかの美味!
“フィッシュ&チップス”って、英語圏での不味い食事の代名詞のように思っていましたが、この“マクドーノズ”のものを食べて、だいぶ認識が改まりました。
美味しいフィッシュ&チップスに大満足で店を後にし、再びメインストリートへ。
20時近くなっていましたが、外はまだまだ明るく、ストリートミュージシャンの演奏も始まって、ゴールウェイの夜の楽しみはこれからのようです。
通りの一角に厳めしい姿でそびえていたのは“聖ニコラス教会”(St.Nicholas' Collegiate Church)。
ゴールウェイ最古とも言われるこの教会は、聖ニコラスに捧げるために14世紀初頭に建てられ、15、16世紀と拡張が行われたもの。
“聖ニコラス”とは4世紀前半に活躍した小アジア・ミラの街の大主教で、海運・旅人・子ども・商人・学者などの守護聖人とされる人物。
西インド諸島を発見したあのクリストファー・コロンブスも、1477年、大西洋航海に先立ちアイスランドに向かう際、ゴールウェイに立ち寄り、この教会で祈りを奉げていったとのこと。
コロンブスがアイルランドにも来ていたなんて、この教会のことを調べていて初めて知りました・・・。
ちなみにこの聖ニコラス教会、ダブリンで訪れた聖パトリック大聖堂やクライスト・チャーチ大聖堂と同様、最初はカトリックの教会でしたが、1534年のヘンリー8世による英国国教会創設時に国教会に宗旨替えをします。
その後スコットランド出身の英国王チャールズ1世とジェームズ2世の統治時代にカトリックへの揺り戻しが行われますが、1691年、名誉革命後の王ウィリアム3世によるアイルランド平定後、この教会は再び国教会のものとなり、そのまま現在に至っています。
宝石店の前の街灯の下に腰かけているのは、英国の耽美派の詩人、オスカー・ワイルド(左、Oscar Wilde、1854-1900年)とエストニア人の作家、エドゥアルド・ワイルド(右、Eduard Wilde、1865-1933年)の“二人のワイルド”。
オスカー・ワイルドが英国人だということは知っていましたが、アイルランド出身だったとはこの時初めて知りました・・・。
調べてみると、“ガリヴァー旅行記”を書いた“ジョナサン・スウィフト”(1667-1745年)や“ユリシーズ”の“ジェイムズ・ジョイス”(1882-1941年)、また、“バーナード・ショー”(1856-1950年)や小泉八雲こと“ラフカディオ・ハーン”(1850-1904年)などは皆アイルランドの出身で、アイルランドは世界に冠たる文学の国なのですね。
しかし右のワイルドさんはエストニア人なのに、なぜこの場所にいるのでしょう??
単に名前が同じなだけ?
20時を過ぎ、風も強くなってだいぶ肌寒くなってきましたが、まだ明るく宿へ帰るには早過ぎることから、この街の大聖堂、“ゴールウェイ大聖堂”(Galway Cathedral)を見に行くべく、コリブ川沿いの小路を北へ進んで行きます。
コリブ川に架かるサーモン・ウェア橋に差しかかったところで対岸を見ると、壮麗な石造りの大聖堂が。
あれがゴールウェイ大聖堂・・・。
ゴールウェイ大聖堂を橋の上からパチリ。
街の中心部から外へ出るところに位置しており、自動車を運転していても思わず拝んでしまいそうな大聖堂ですね。
このゴールウェイ大聖堂、1957年に刑務所の跡地だった場所に建てられ、1965年に完成したルネサンス様式の大聖堂。
アイルランド独立後に建てられただけあって、国教会ではなくカトリックの大聖堂となっています。
内部はバラ窓や壁画が美しいそうなのですが、さすがにこの時間は閉まっていて、外から眺めるだけ・・・。
1963年にゴールウェイを訪れたあのジョン・F・ケネディ(米国におけるアイルランド系初の大統領)のモザイクもあるそうです。
内部を見られなかった無念を抱きつつ、西の空に落ちゆく夕日とともに大聖堂の雄姿をパチリ。
風が一層強くなって、春の格好ではかなり寒さを感じるようになってきたので、そろそろ宿へ引き返すことにします。
コリブ川の上流にはダムのようなものも。
橋の上からだと風が一層強く感じられますね。
帰り道、偶然にも墓石店を発見。
店内にはイニシュモア島のナ・ショフト・ジャンピル(7つの教会)でも見た、ケルト十字の墓石が置かれています。
ケルト色の濃いアラン諸島だけでなく、アイルランド本島のゴールウェイでもいまだにケルト十字のお墓が使われているのですね。
途中、道を間違えたりしてゴールウェイの駅前に戻ってきたのは20時50分。
まだ少し明るかったですが、この日は島でサイクリングをしたり、街の中を散々歩き回ったりして疲れていたことから、このまま宿に戻って早めに就寝。
翌日のアイルランド西部のもうひとつの見どころ、モハーの断崖へのツアーに備えます。
(ドイツ・アイルランド旅行5日目~モハーの断崖観光へ続く。)
今日は国境を越えアイルランドへ。チェスターから西へ走りホーリーヘッドの港へ到着。
アイリッシュフェリーに乗って、いざダブリンへ。楽しみだな~。
これが船の中。こんなに豪華なのに一人当たり往復で£22.5という安さ。
乗船時間は2時間弱です。
アイルランドに到着!まずはチェック・イン。
ホテルの外観はよかったのですが部屋の中や設備はイマイチでした。
いよいよ『ダブリン』の街へ繰り出しま~す。
市内には2路線の路面電車があり、こちらはレッドライン。
これに乗って“ギネス・ストアハウス”へ向かいます。
ここがエントランス。
最上階の展望室。ビールを一杯いただけるのです。
ここでは最高のビールを注いでくれると言われています。
半分ちょっと注いだろころで「2分お待ち下さい」と待たされます。
ん?!どうして???と思っていると・・。
おわかりでしょうか?一番左が注いでから2分くらい経ったビール。
色が濃い琥珀色に変化してくるのです。そしてまたビールを注ぎ足します。
独特の苦味、ホップの香り、クリーミーな泡立ち、これぞ世界のギネスビール!
でも日本のビールを飲み慣れていると炭酸が弱く感じてしまうかもしれません。
食べ物もなくビールだけというのは私には過酷でした。
すぐに酔っ払ってしまい半分も飲めませんでした。もったいなかったなぁ~。
ギネス・ストアハウスへ到着。これが外観。立派な建物です。
アイルランド料理はどれもこれも魅力的。
迷いに迷って“フィッシュケーキ”と“シーフードチャウダー”を注文。
よくわからず注文したフィッシュケーキはカニクリームコロッケみたいなもの。味は◎。
シーフードチャウダーはサーモンがごっそり入っていて、これまた美味でした。
アイルランド料理は最高!!
オットが一番楽しみにしていたのはパブで生の“アイリッシュ音楽”を聴くこと。
この派手な佇まいのお店に入りました。
アイリッシュ音楽をどう表現したらよいのでしょう?
パブでふいに気づくと、誰かがにわかに楽器を手にし音楽を演奏し始める。
そうすると他の人も交じって賑やかで軽快なセッションが始まる。
ポップな曲調もあればムードあるバラードもある。
パブのBGMとして心地の良い皆が馴染みやすい音楽でした。
個人的にはディズニーランドのウェスタンランドで聴いたことのあるような音楽。
いずれにせよ生演奏はとても素晴らしかったです。
周りが楽しんでいると、それだけで自分まで楽しい気分になりますね。
翌朝。もうアイルランドを経ちます。フェリーの時間が早いので7時にチェックアウト。
宿の朝食がとれなかったのでキヨスクでサンドウィッチとサラダとコーヒーを購入。
フェリー乗り場の待合場所で食べました。これがまたとっても美味しい。
アイルランドでハズレの食事なし!!
ギネスストアでのはお土産。マグネット栓抜きとキーホルダーとゴルフのピン。
展望室からはダブリンの街が一望できます。
酔っぱらいながら街歩き。
良い音楽を聴きながら夜が更けてゆくのでした。
今日の宿「Sleepzone」に着きました。
朝、ドウーリンの安宿「Aille River Hostel」を出発。
【25日目】
ドゥーリンから船でアラン諸島のイニシュモア島へ。
イニシュモア島を観光後、17時の船でロッサヴィール港に渡り、連絡バスでゴールウェイへ向かいます。
ゴールウェイの安宿「Sleepzone」
【価格】ドミ 19.99ユーロ(約2,770円)、朝食付き。カード払い。※Hostel Wordで予約。
【設備】ファン無し。室内ホットシャワー・洋式トイレ。Wifi無料、充電可(BFタイプ)。
キッチン有り。セキュリティBox無し。物干し場有り。庭有り。
【場所】駅&バスステーションから500m。※地図は宿Web又はHostel Wordでご参照下さい。
Add:Bothar na mBan, Wood Quay, Galway, Galway
Tel:+353 (0)91 566999
Email: info@sleepzone.ie
URL:http://www.sleepzone.ie/
【評価】★★★★★ (2泊)
コメント
・スーパーは徒歩4分にあり便利。
宿近くに、ドゥーリン・ピアまで2kmの表示。
この時間、バスはないので、歩いて向かう。30分強か。
同様の人も前を行く。
遠くに昨日の「モハーの断崖」が見える。
ドゥーリン港に到着
ここの小屋でWeb購入した予約票を切符に交換。
ドゥーリン港
結構小さな船だ。
昨日、宿で逢ったカナダ人が、「ドゥーリンからの船は小さくて波が高い時だったので、殆ど全員が船酔いして、そこらじゅうでゲーゲーやってた」と言ってた。
ロッサヴィール港(ゴールウェイ)の船は大きいので、波があっても揺れないらしい。
ドゥーリン港
岸壁は5mほどの自然の「断崖」になってた。
10:15、ドゥーリン出発
大勢のお客さんがいて、船も臨時便が何隻も出ていた。
定刻は10時発だけど、順番がきて出航したのは15分遅れ。
アラン諸島の1つ目の島を通過中。
2つ目の島には寄港。
3つ目の島=アラン諸島のイニシュモア島が見えてきた。
1時間半ほどでイニシュモア島に到着。
・ドゥーリン1015~アラン諸島・イニシュモア島1154(フェリー,20ユーロ/Web購入)
さて、
夕方までたっぷり時間があるので、下船後メイン道路を歩いて行く。
貸し自転車屋や、観光案内所あり、ミニバス・ツアーの呼び込みもあり、ひやかしに値段やルートを聞いてみた。
google mapでスーパー・SPARがあったので、そこで朝食にしよう。
スーパー・SPAR
各国にある大手のスーパー。アフリカにも沢山あったなー。
店の前にはテーブルがあり、沢山の旅行者がここで食事していた。
ミニバス・ツアー
島の知識が無いまま。何も無ければハイキングでもして島を散策しようと考えていたが、イニシュモア島は結構大きな島で広い。
ミニバス・ツアーは10ユーロで所要3時間。島内の見所をグルッと廻ってくれる。値段も高くないので、これにすることにした。
見どころの写真を見せて頂くと、興味のあるのは「ドン・エンガスの断崖」くらいしかないが。
荷物もあるので、どこかに預ける手間もいらないので丁度いい。
ミニバス・ツアー
前を行く島を自転車で巡る人たち。
空は曇っているが、天気は何とか持ちそうな感じ。
土地は石を積み上げて区切られてた。
おお、馬車で巡ることもできるんだ。馬じゃなくポニーかな。
うぬ、歩いてる人もいた。
車が停まった。
初期のキリスト教会の遺跡らしい。
見るからに興味が湧かないが。。。
教会跡
墓も建っていた。十字に丸い形。多分初めてみる墓石の形。
13:50、次の見どころ「ドン・エンガスの断崖」の入口に着いた♪
ここでの見学時間は2時間。
入場料は4ユーロ。シニアは3ユーロ。
・イニシュモア島ミニBusツアー(1258~ドン・エンガスの断崖1352-1557(2H)~1626、所要3H→3.5H,10ユーロ)
古代の要塞「ドン・エンガスの断崖」へ
あの丘のてっぺんまで道が続いてる。
まもなくてっぺん。
着いた。
崖の方へ歩いて行く、
真下まで覗き込むのはちょっとコワイ。
おおっ! これが「ドン・エンガスの断崖」かー!
寝転んで覗くのが正解みたい。
ここの海面高さは約90メートルだそう。
横もちょっと見てみた。
寝転がって真下を覗いてみた!
寝転がっていても、ちょっと身体が前に出たら落っこちそうで超コワイ。
やっぱりコワイので、直ぐに起き上がって崖から離れた。
ドン・エンガスの断崖のその先は、ぐんと低くなってるが、低くても崖状で、形状もこんな感じに。
やっぱり崖から1mほど離れて見るのが一番落ち着く。
誰もが一度は覗き込む。
下のほうはオーバーハングだ
上から眺める人
堪能したので戻ります。
入口の建物で
岩だれけを撮った昔の写真があった。
山のガレ場でもこんなの見たこと無いなー。
昔は、こんな帆船で対岸まで運んだ様子。
アイルランドはもとより、イギリスやスペインへも積み替えて運ばれていったのかな?
野鳥がいた。ロビンのようだ。
ツアーバス再出発
この“ツアーバス”は、各見どころにお客さんを送るだけのシステム。
特に、ガイドらしいガイドはないが、足の不便な島内なので、リーズナブルな費用で送り届けてくれるだけで有り難いシステムです。
ドン・エンガスの断崖からドライブして、島の南東端まで来ました。
特に下車観光はなく、景色を少し眺めて港に戻る。
イニシュモア島の港に戻ってきた。
終日曇り空だったけど、雨が降らなくてよかった♪
・イニシュモア島ミニBusツアー(1258~ドン・エンガスの断崖1352-1557(2H)~1626、所要3H→3.5H,10ユーロ)
港付近には、数軒の貸し自転車屋があった。
イニシュモア島の廻り方は・・・
(1)自転車(変速付き)10ユーロ
(2)ミニBusツアー、10ユーロ,所要3時間。
(3)馬車、費用は?
(4)歩き。
※入場料=ドン・エンガスの断崖4ユーロ、シニア3ユーロ。
自転車で廻った人の話しでは「道中は結構坂が多く、距離も長い。いくら変速機付きでも無茶しんどかった! ツアーバスにすりゃ良かった」と言っていた。
現実的には、 イニシュモア島の廻り方=ツアーバスが良さそうです。
ロッサヴィール港行きの船。結構大きな船、300人乗りだった。
切符は?
Web予約=予約Noの記されたE-mailのみ。船会社のオフィスは見当たらず。
「切符は乗る時だよー」と港にいる人が教えてくれた。
E-mailをみせると「はい、中へどうぞ」と。乗船券もなかった。
※船の予約は必要か?
事前にメールで問い合わせすると、「トップシーズンなので当日だと満席の可能性あり。2~3日前迄にNetか電話で予約をお勧めします」との回答を頂いた。
当日雨だとイヤなので、本当は2~3日前にしたかったが、宿のWifiでカード情報は出来るだけ使用したくないので、まあいいやと出発前に予約した。
こんな時には携帯電話があればいいなーと思う。
1700に出航した船は、対岸のロッサヴィール港へ向かう。
1時間ほどでロッサヴィール港に到着。
・イニシュモア島1700~ロッサヴィール港1753/1820~ゴールウェイ(1840)→1924
(フェリー+Bus,17ユーロ≒2,360円/Web購入)
ここから連絡バスで、ゴールウェイへ向かうが、1台目のバスは満員で乗れずに積み残しに遇った。
30分後にやっと追加のBusが来た。ここでも予約メール見せて&説明してやっと乗車。
初めから2~3台待機してたらすぐ乗れたのに。
ロッサヴィール港からゴールウェイの町までは、ずぅ~っと海岸線を走り、景色がすごく綺麗!。
バスは1時間ほどで、ゴールウェイの中心部に到着した。
・イニシュモア島1700~ロッサヴィール港1753/1820~ゴールウェイ(1840)→1924
(フェリー+Bus,17ユーロ≒2,360円/Web購入)
mapを見ると、宿は歩いて10分ほど。
20:20 ゴールウェイの空。
※明日は、旅の休養を兼ねてゴールウェイにもう一泊します。
ドン・エンガスの断崖の空撮写真があった。
石で半円形に囲まれている。
ドン・エンガスの断崖は、要塞として紀元前から利用されたらしい。
確かに半分守れば、半分は自然が守ってくれるが。
逃げ出すことも出来なさそう。。
イニシュモア島の簡易地図
イニシュモア島フェリー・ターミナル付近の簡易地図
【21日目夕方~】
コーク駅16:55の列車でキラーニーへ
キラーニーへ
1時間半ほどでキラーニーに到着。
・コーク1655~キラーニー1818(列車,9.99ユーロ≒1,390円/Web購入)
今日の宿は駅から歩いて3分、無茶便利な宿「Killarney Railway Hostel」です。
キラーニーの安宿「Killarney Railway Hostel」
【価格】ドミ 14ユーロ(約1,940円)、朝食付き。カード払い。※Hostel Wordで予約。
【設備】ファン無し。共同ホットシャワー・洋式トイレ。Wifi無料、充電可(BFタイプ)。
キッチン有り。セキュリティBox無し。庭有り。
【場所】駅およびバス・ターミナルから150m。地球の歩き方に載っています。
Add:Fair Hill, Co. Kerry, Killarney
Tel:00353 (0)64 6635299
Email : info@killarneyhostel.com
URL:http://www.killarneyhostel.com/
【評価】★★★★★ (2泊)
コメント
・スタッフは並みだが、他は全て完璧に良かった。
・スーパーは宿から200mにあり。
21:35
黒い雨雲の下がちょっと神秘的な光景になっていた。
【22日目】
今日はキラーニー国立公園のダンロー渓谷へ1日ハイキングへ行ってみます。
と言っても、下調べでは町からダンロー渓谷へのバスは無く、国道から渓谷入口までヒッチでも狙おうと考えていたが。
幸運な事に、日本出発直前に“killarney Shuttle Bus”と言うのが、キラーニー国立公園へ2ルートを運行開始してるのがネットで見つかった♪
朝、現地の人に聞いても、新しく運行開始した様子で、誰も正確な乗場を知らない。幸いに鉄道駅近くで走ってくるバスを見つけたので、手を振って飛び乗った。
ダンロー渓谷へ
ダンロー渓谷に無事到着。バス停も“Gap of Dunloe”と言う名前。
・キラーニー0845~Gap of Dunloe0900→0904(Bus,5ユーロ≒690円)
バス停付近は1軒の食堂があるだけで、他には何もなかった。
09:10、ダンロー渓谷のハイキングに出発♪
ただ、今は青空が見えるけど、天気予報は曇り時々雨と良くない。。。
馬車は何台もいた。馬車で巡る人たちも居るんだろう。
ダンロー渓谷
馬車が通る道。自動車も通れそうだ。
小鳥がいた。
後で判ったが「ロビン」と言う名前。
帰国後に調べると、
スズメ目ヒタキ科の鳥で、正式名はヨーロッパコマドリ(英名:European Robin)
と言う、コマドリの仲間だった。
イギリスでは、正式には制定されてはいないが一般に国鳥とされている。
(wikipediaより)
池があった。一つ目の池。
オフライン地図「MAPS ME」で、google mapを見ると、5つの池が連なったようにある。
ハイキング道もこの地図で見れるので、GPSをオンすれば今居る位置も判るので、道に迷うこともなく安心です。
ダンロー渓谷
普通の山あいの道が続く。
“渓谷”と言うからには、もっと両方の山が迫ってるスゴイ所を想像して、期待してたんだけど。
日本人の渓谷とヨーロッパ人の言う渓谷は、ちょっと範囲が違うのかも。
先入観が強すぎたのかな。
二つ目の池
それでも、山あいの道を歩くのは気持ちがいい♪
ゆっくりした登りが続く。
カラスもちょこちょこいた。
ヨーロッパのカラスは、ハトと似た大きさで、家の近所にいるデカイカラスに比べるとふた回りほど小さかった。
後ろから馬車がやってきた。
ヤギがいた。
自然に溶け込んでるが、多分家畜。
三つ目だったか、の池
次々と馬車がやってくる。
馬車は先の少し坂が急になってる所で、お客さんは降りた。
馬車ではこの坂は無理なんだろう。
ここからみんなハイキング。
どうも団体さんのようで、7-8台の馬車に分乗してやってきたんだ。
四つ目?の池
車も通れそうな道だけど、殆ど通らない。
ハイキング客は・・・
さっきの団体さん以外には、数人ほど。
団体さんが前を行く。
こちらは今日中に宿に戻ればいいので、道草しながら進んでいます。
五つ目の池だったか。
あれが峠のようです。
歩き出してから、天気は超曇り、時折り小雨に見舞われてます。
峠
ここかららはブラック・バレーと名前が変わるみたい。
峠からの眺め。
どん天で、遠くは霞んでいた。
晴天だとすごく良さげな感じの所なんだけど。
あれれ?峠を越えて馬車が追い越して行った。
と言うことは、さっきのあの坂も馬車は登ってきたんだ。
ダンロー渓谷を馬車で走破することもできるんだ。
こんな所にユースホステルがあった。
勢いよく走ってくる馬車と馬。
馬には若いお嬢さんが乗っていた。馬好きって感じ。
分岐点があった。
google mapを見ると、どちらに行ってもまた合流する。
細そうな右側の道を進んでみる。
馬車は実によくやってくる。
選んだやや細そうな道は、川が近くにあり、時折り川沿いになる。
馬を蹴立てて進むお嬢さんたち。
森の中の道を進む。横には川が流れている最高にいいハイキング・ルートです。
前方からは次々とハイキング客がやってきた。
みんな荷物無しなので、この最高ルートだけを歩いてるみたい。
この先にはボート発着場があるので、みんなボートでやってきたんだろう。
橋があった。
バス停Gap of?Dunloeから馬車で来た人たちは、ここが終点のようだ。
この橋を渡ると、
13:10、ボート乗り場のレストランがあった。
レストランから、この道を50mほど進むとボート乗り場。
ここから大きな湖を渡り、ロス城までを結んでいる。
ボートが出発した。
ボートには行かず、直進して更にハイキング。
細い道になった。ちょこちょこ歩いてる人に出くわすようになってきた。
湖へ行くボート。
だんだんと大きな湖が見えてくる。
さっきのボート、風が出るとちょっと怖い大きさだなー。
森に入った。すごくいい感じ。
休憩すると・・・至極の時間♪
やっと車道に着いたようです。 途中休憩を挟みながら、5時間半のハイキングでした。
0910-1440国道 12km
バスは・・・14:25!! ありゃ!!最終バスは出た後だ!!
(バス停は数キロ奥にあり、それをここで捕まえようと考えてた)
街寄りのマクロス・ハウスからはまだバスがあるが8kmほどもある。。
ヒッチしよう!
丁度ハイキングを終えて森からでてきた人がいた。地元の家族連れだった。
ヒッチ成功♪
国道=ケリーウェイ(=ケリー周遊路)を下りていく。
「マクロス・ハウスは国道から入った所なので、手前のトルクの滝でいいですか?」
と尋ねられ、願ったり叶ったり!Torc Waterfallの入口で下車、滝への道を歩く。
・国道1455~1511Torc Waterfall1531(ヒッチ,無料)
トルク滝へ、バグパイプを吹いてるおじさんがいた。
5分ほどでトルク滝に着いた。結構人がいる。
綺麗な滝。ちょっとショボイけど。
トルクの滝から、マクロス・ハウスへ向かいます。
国道を渡り、マクロス・ハウスのバス乗り場へ。距離は2kmほど。
この辺りの観光スポット間を走る馬車。
足元がふさふさした毛の馬が半数以上いた。
珍しい馬。ヨーロッパでもこの辺りでは普通なのかな。
トルク滝を含めて、マクロス・ハウス周辺は一番の観光スポットなのか、沢山の観光客がいた。
木で遊ぶ子供たち
Muckross Houseが見えた。
※マクロス・ハウス
1843年に建てられた元私邸で、1861年にはビクトリア女王も滞在。
内装や家具、寝室など恐ろしく豪華らしい。
また、広大な敷地があり、公園や農場などを巡るバスも運行されているらしい。
・参考URL:http://www.thedunloe.com/ja/muckross-house
Muckross Houseの正面に到着。
・Torc Waterfall1531~1600Muckross House
豪華な内部も公開されているが、このままキラーニーに戻ります。
バスは1時間ほど待ち時間があるので、案内所に他の手段を聞きに行くと「トレインがありますよ、まもなくです」と。トレイン!?
やってきたのはおもちゃの汽車だった。これでキラーニーへ。
トレインは、ロス城にも立ち寄った。
明日はここに来ようかとも考えていたが、一瞬見えた感じでは興味が無くなった。
明日は別のところへ行こう。
17:50
キラーニーに戻ってきました。
・マクロス・ハウス1650~キラーニー1750(汽車Bus,4ユーロ≒550円)
21日目夕方、列車でコークからキラーニーへ移動。
ダンロー渓谷&キラーニー国立公園の簡易地図。
※参考URL
・キラーニー国立公園:http://www.killarneynationalpark.ie/
・Killarney Shuttle Busのルートマップ:http://www.killarneyshuttlebus.com/route-map/
・Killarney Shuttle Bus、gap-of-dunloeルートの時刻表&値段表:http://www.killarneyshuttlebus.com/gap-of-dunloe-route/
・Killarney Shuttle Bus、muckrossルートの時刻表&値段表:http://www.killarneyshuttlebus.com/muckross-route-2/
※明日は、ケリー周遊路にあるグレンベイと言う村へ行ってから、夕方にエニスと言う町へ移動します。
【17日目】
スイス・グリンデルワルトからチューリヒ空港へ列車で移動。
飛行機で次の目的地アイルランドへ向かいます。
※アイルランド周遊のルート
アイルランドでは、ダブリンからコーク~キラーニー~モハーの断崖~
~アラン諸島のイニシュモア島~ゴールウェイと周遊。
ゴールウェイから英国領・北アイルランドのロンドンデリー~ポートラッシュ~
~ジャイアンツ・コーズウェーとロープブリッジを観光してベルファストヘ。
ベルファストからはフェリーでイギリス・スコットランドへ向かいます。
スイス・グリンデルワルトの安宿「Youthhostel Grindelwald」から、名残りのアイガー北壁。
今日は曇り、既にアイガーにも少し雲がかかっている。
今日は山は余り見えなさそうだ。昨日は快晴で幸運だったんだ。
朝、スイス・グリンデルワルトの宿「Youthhostel Grindelwald」を出発。
宿近くのバス停から駅へ
・宿Bus停0834~グリンデルワルト0838(Bus,無料バウチャー)
グリンデルワルト駅
朝、念のため一本早いBusで到着。グリンデルワルトでも1本早い列車に乗れたが、Interlaken Ostでは当初予定の列車になった。
切符:右がグリンデルワルト~チューリヒ空港駅の切符。
チューリヒ空港までは、ベルン経由とルツェルン経由の2種類あり。
ルツェルン経由は、1時間ほど遅いが安い。景色は多分こちらの方がいい。
ダブリン行き飛行機は夕方発なので、時間はたっぷりなのでルツェルン経由で購入。
※スイス国鉄の切符は、
・時刻表示なし。その日のどの列車に乗ってもよい。
・ストップ・オーバーは何回でも可能。
・席は自由席。トップシーズンでも殆どの列車は空いていた。
グリンデルワルトの村々ともお別れ。
Interlaken Ost駅 乗り換え、Luzernへ
・Interlaken Ost1004-Luzern1155
ルツェルンLuzernへ
列車は湖に沿って走っていく。
車内の様子。
消火器が備えられていた。勿論窓ガラス破壊用ハンマーも窓にあり。
これがスイス仕様ってとこなんだ。
30分ほど走ると、列車はスイッチバックして山間に入っていった。
だいぶ曇ってきた。これじゃ今日はアルプスの山々は見えなさそうだ。
スイスは至る所に湖がある感じだ。
山間部でも低い所は、池や湖になってる感じ。
田舎の家々を眺めてるだけでも楽しいもんだ。
また大き目の湖畔を通過。
家々
ルツエルンLuzern駅に到着。
・Interlaken Ost1004-Luzern1155
Luzern駅前
ルツエルンも旧市街があり歴史ある街で、それなりに見応えがあるらしい。
当初は、早起きしてルツエルン旧市街に2時間ほど立ち寄る計画をしたが、
朝はグリンデルワルトの宿でゆっくりしようと気分が変った。
ルツエルンLuzern駅
スイスの列車ホームには、昔の日本のように2~30m置きに灰皿があった。
※ベネルクス(オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)の列車ホームも同様だった。
チューリヒ空港駅へ
テニスコートが見えた。どこも全部アンツーカーだった。
多くのキャンピングカー。今が一番のシーズンだもんね。
チューリヒの街
チューリヒ空港
そう言えばここのX線検査でケチャップを没収された。
ロンドン・ヒュースロー空港
・チューリヒ1545~1630ロンドン・ヒュースロー乗換1850~ダブリン2005(ブリティッシュ・エアー,AAマイレージ)
ロンドン・ヒュースロー空港
出発前50分を切っても搭乗口が表示されない。
こんな空港は珍しいな。関連システムが相当陳腐化したまま使われてるんだろうな~。
※鉄道駅ではアメリカだったか? 定刻10前にならないと出発ホームが表示されない駅はあったな~。
ヒュースロー空港では地球の歩き方記載の通り、アイルランド行きはここで入国カード記載・提出。
(カナダ・トロントでもアメリカの入国審査はトロント空港で行っていた。)
ダブリン空港
ダブリン空港ではイミグレ数人待ちだけですぐに済んだ。
・チューリヒ1545~1630ロンドン・ヒュースロー乗換1850~ダブリン2005(ブリティッシュ・エアー,AAマイレージ)
ダブリン空港バス停
空港リムジンバスより30m先にある市バスが断然安いので、市バスで市内へ。
歩き方に「市内へは16番と41番」と記載あったが、市内へは41番Bus,3.3ユーロ。16番Busは遠回りになり無茶遅いよと現地の人にアドバイス頂いた。
30分弱で到着。リムジンバスと所要時間は大差なかった。
下車する停留所は、MAPS MEを見ながらで簡単。
・ダブリン空港~宿付近(市バス#41, 3.3ユーロ≒460円)
ダブリン市内へ
アイルランドのダブリンで~す♪
市バスは、ダブリンの中心付近のオコンネル・ストリートを通る。
中心のTalbot.stとの交差点付近で下車。予定通り日没前に着きました。
・ダブリン空港2020~宿付近2045(市バス#44,3.3ユーロ≒460円)
オコンネル・ストリートからTalbot.stを通って宿へ向かう。
真っ直ぐ行けば突き当りがコノリー駅。
宿はその少し手前にあります。
20:55
ダブリンの安宿「Jacobs Inn Hostel」に着きました。
ダブリンの安宿「Jacobs Inn Hostel」
大型のスーパーも近所に何軒かあり便利。さっそくビールタイム♪
ダブリンの安宿「Jacobs Inn Hostel」
【価格】ドミ 12.6ユーロ(約1,750円)、朝食付き。
支払いは申し込み時に全額引き落としされる。
※Booking comで予約。変更不可。
【設備】ファン無し。室内ホットシャワー・洋式トイレ。Wifi無料、充電可(BFタイプ)。
キッチン有り。セキュリティBox無し。屋上テラス有るも椅子も何も無し。
【場所】コノリー駅や中央バスターミナルからすぐ近く。
※地図は宿Web又はBooking comでご参照下さい。
Add:21 - 28 Talbot Place D1 Dublin
Phone:+35318555660
Email: info@jacobsinn.com
URL:http://www.jacobsinn.com/
【評価】★★★★★ (3泊)
コメント
・スーパーは宿から100mに2軒あり便利。
【18日目】
BFコンセントを買った。今まで多数の国々を訪問したがC型コンセント1個で全てOKだったんだけど。
アイルランドと英国はBFタイプのみなので必須だった。宿近くの店で4ユーロで調達。
今日は完全休養日でーす♪
朝目を覚ましてからゆっくりと朝食。
その後はこの旅で第3回目の大洗濯。日記やメール&ネットチェック。
その後、Connollyコノリー駅とBus_Éireann社のバスターミナルへ出向いて、事前にネット購入した切符を受取り。
天候は曇りだったが、15時頃からは小雨。買物したり夕食作ったり。
宿から歩いて2-3分のConnollyコノリー駅へ
Connollyコノリー駅
Web購入した列車切符の入手。
この自販機で下を選び、Noを入力するだけで切符が印刷されて出てくる。
※出発前にWeb購入したアイルランドの列車、バス、フェリーは、
(3)アイルランド、ダブリン~コーク(列車) 19.99ユーロ=2,822円
(4)アイルランド、コーク~キラーニー(列車) 9.99ユーロ=1,410円
(5)アイルランド、BusEireann社OPEN-ROAD・PASS 3日券 60ユーロ=8,481円
(6)アイルランド、ドウーリン~イニシュ・モア島(Ferry) 20ユーロ=2,793円
(7)アイルランド、イニシュ・モア島~ゴールウェイ(Ferry+Bus) 17ユーロ=2,374円
(8)北アイルランド、iLink Travel Card 1日券 £ 16.5=3,266円
(9)北アイルランド・ベルファスト~グラスゴー(Ferry+Bus)£32==6,160円
・列車(3)(4)は、事前web購入が激安だった。
・バス(5)は、都度購入より35ユーロ程安かった。
・フェリー(6)(7)は、トップシーズンは当日券は売り切れの可能性あり。
遅くとも2-3日前には購入すべきとフェリー会社からアドバイス頂いた。割引はない。
・バス&鉄道(9)は、都度購入より5~7ポンド程安かった。
・フェリー(9)は、当日購入場所が探せなく、不安だったので購入。
Connollyコノリー駅
自販機から予約分の切符が出てきた。
入手したBus_Eireann社のバス3日間乗り放題のパス「OPEN-ROAD・PASS(3日券)」
この後、美術館でもと思ったが、生憎小雨が振り出したので止めた。
※明日は、ダブリンの町を終日散策してみます♪
Bus_Eireann社ターミナル
切符売り場(空いていた)で予約用紙提出、使用開始日回答、3日券を発行してくれた。手書き。
Bus_Eireann社のターミナル
ここも宿「Jacobs Inn Hostel」から歩いて1-2分。
宿の入り口から見える白っぽい建物が、Bus_Eireann社のターミナルです。
チューリヒ空港駅に到着
・(1)グリンデルワルト0849~インターラーケンOst0924(列車)、
・(2)Interlaken Ost1004~Luzern1155(列車)
・(3)Luzern1210~Zürich空港駅1313(列車)
(1)~(3)通し切符,CHF33≒4,310円/スイスカードで)
5月5日(火)
この日はアイルランド西海岸のゴールウェイから今回の旅のメイン、アラン諸島のイニシュモア島へ、この世の果てのような荒涼たる世界を見に行く日。
天気が良ければと思いますが、7時30分、起床して部屋からゲストハウス(Copper Beech Guest House)の中庭を見やると、いつ降り始めたのかけっこう強い雨がザーザー・・・。
雨の多いアイルランドだけにこういった事態は覚悟していたものの、やはり落ち込んでしまいますね・・・。
ゴールウェイからのバスの出発時間は、フェリー出発1時間前の9時30分とあまり余裕がない中でしたが、せっかくのB&Bスタイルの朝食を味わおうと、いったんゲストハウスに戻ります。
8時45分、ゲストハウスの本館に入ると、テーブルの上にはお皿やカップなどが置かれ、宿泊客のもてなしの準備が。
ゲストハウスのおかみさんは見慣れない一人旅の東洋人に戸惑っているような感じでしたが、間もなく席に案内してくれ、卵かソーセージかとパンの焼き方を聞いて、厨房に戻っていきました。
こちらもB&Bスタイルの朝食をとるのは初めてで(以前ロンドンを旅したときはB&Bではなく普通のホテルでした。)、なんだかぎこちない感じがしますね(笑)。
さて、まずはネットで予約していたイニシュモア島へのフェリーのチェックイン&チケット引換えのため、8時30分の開店と同時に鉄道駅近くのAran Island Ferries社のオフィスへ。
朝一番でやってきた東洋人に驚いた様子の(笑)若い女性店員に予約番号をプリントアウトした紙を見せると、後はテキパキと処理してくれ、無事チェックイン&チケットの発行完了。
ちなみにイニシュモア島へのフェリーのお値段は、往復10%割引にゴールウェイからフェリーの発着するロッサヴィル港までの往復バスがついて、29.5ユーロ(約4,130円、フェリー往復25ユーロの10%割引+バス往復7ユーロ)でした。
【Aran Island Ferries】
http://www.aranislandferries.com/times_mor.php#prices
最初にブラックコーヒーが出された後(優しい味で美味!)、バスの時間に間に合うかあせりながら待っていると、ようやく9時にメインの料理が。
ロンドン、アイルランド旅行通じての初めてのB&Bでの朝食の味は・・・これがなかなか美味いこと!
写真を見れば分かるとおり、どこにでもある大したことのない食材ですが、朝起きたばかりで空腹状態にあるということと、宿のおかみさんが直接料理してくれる英国伝来の伝統あるもてなしのスタイルが、普通のものを美味しく感じさせるのでしょうね。
・・・アイルランドは旧宗主国の英国と並んで食事最貧国といわれていますが、B&Bの朝食だけは英国同様、満足できるものですね。
【ギネスと雨の国アイルランド(3) ゴールウェイのレストランでの夕食】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=41110150
と、B&Bの朝食に感動しながらも慌ただしく食事を済ませ、雨の中、傘を差しながら(道行く人は撥水製のスポーツウェアを羽織っている方が多く、傘を差している人はほとんどいない・・・。)ダッシュでゴールウェイ駅南側、ヴィクトリアホテルの前に位置するバス停へ。
すでに到着していたロッサヴィル港行きのバスに往復チケットを提示して乗車し、落ち着いてから時計を見ると9時20分。
定時前でも乗客がいっぱいになれば出発してしまうという口コミもあり、かなりあせりましたが、何とか出発に間に合いました。
こんな天気ですが、バスは満席近くなり、9時30分、定刻通りゴールウェイを出発。
日本人、というかアジア系の観光客はどうやらわたし一人だけのようです・・・。
やはりアラン諸島は東洋ではマイナーな観光スポットか。
バスは不揃いの石垣に囲まれた草地の見える海岸線に沿って西へ進んで行き・・・。
10時20分、ロッサヴィル港(Rossaveal)に到着。
ここでバスを降り、アラン諸島のイニシュモア島行きのフェリーに乗り換えです。
バスを降りるとゴールウェイの街なかではあんなに強く降っていた雨は止んでいて、空には青々とした晴れ間が。
これはまさしく天の恵み!
イニシュモア島ではいい天気が期待できそうです!
船内から外を眺めると・・・いよいよ空が明るくなってきました。
イニシュモア島は今回の旅のメインスポットと考えていただけに、本当に嬉しいですね。
天からの恵みに心を踊らせて乗り込んだフェリーの船内はこんな感じ。
こちらもけっこう満席になっていますね。
そして10時30分、イニシュモア島行きのフェリーは定刻通りロッサヴィル港を出発。
後部デッキからは、どんどん遠ざかっていく港の景色が。
後部デッキには学生っぽい若者たちも飛び出してきて、仲間うちできゃーきゃー言いながら写真を撮り合ったりしています。
・・・前年(2014年)9月に訪れたフランスのアルザス・ロレーヌ地方は、サマーバケーションの反動なのか出会う観光客は近隣国の高齢者ばかりでしたが、今回のアイルランド旅行はダブリンでもゴールウェイ近郊の観光地でも学生っぽい団体客が多かったです。
ゴールウェイが“学生の街”ということもあるのでしょうが、“ヨーロッパの最果ての地”ということや、原ヨーロッパのケルト文化が感じられるところということで、他のヨーロッパ諸国の学生にも人気があるのでしょうかね・・・。
ロッサヴィル港は氷河の浸食によって形成された入り組んだ湾の奥深くにある港。
港を出てアラン諸島に向かって南下している最中も、進行方向右側にはしばらく陸地が見え続け・・・。
30分後の11時、広々としたゴールウェイ湾に出たと思ったら、今度はフェリーの進む先に平らで緑の少ない荒涼とした感じの島が見えてきました。
あれが目指すイニシュモア島・・・。
アラン諸島はゴールウェイ湾に浮かぶイニシュモア島、イニシュマーン島、イニシィア島の3島を中心とする島々から成り、3島の中でいちばん西側に位置するイニシュモア島は面積39km2、人口約1,100人と、アラン諸島で最大の島(“Inis Mor”はゲール語で“大きな島”の意)。
石灰岩質の荒涼とした大地と最果ての地ののんびりとした雰囲気が魅力で、年間25万人もの観光客が訪れる観光の島ともなっています。
さて、上陸後の交通手段としては島内を走るバスと自転車とがあるのですが、天気が回復してきたので自転車を選択することにして、まずはレンタサイクル店を探します。
そして11時25分、ロッサヴィル港から1時間弱でイニシュモア島に到着。
直前に天気が回復したからか、フェリーは揺れも少なく、大西洋から吹きつける偏西風を浴びながら気持ち良く乗船を楽しむことができました。
風は暖流であるメキシコ湾流に乗っているため冷たくなく、アイルランドや英国が高緯度でもそれほど寒くないのがよく分かりますね。
・・・と、もうひとつ、馬車もありました。
カップルで来ているなら馬車でカッポカッポと島内を回るのもいいかもしれませんね。
レンタサイクル店(Aran Bike Hire)はフェリー発着場を出てすぐ右に曲がったところにありました。
若い観光客はほとんどがバスを無視してレンタサイクルを選択しています。
やはり自分で荒涼とした大地の上を駆りながら観光するのは、アクティヴィティの要素もあって楽しいですよね。
ガラス窓を通さず直接景色を眺められますし。
ということでわたしが借りた自転車がこれ。
左右のハンドルに変速ギアが付いたアクティヴィティ向けのもので、日本のメーカーのSIMANOの部品も使われています。
レンタル料は1日10ユーロ(約1,400円)で、デポジットとして別に10ユーロが必要。
前回のラオス旅行で利用したレンタサイクルの10倍のお値段ですね・・・。
【ラオス紀行(7) シーパンドンのデット島のレンタサイクル】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39019288
自転車を借りて準備は完了。11時35分、イニシュモア島巡りに出発です!
呪術的とも言える独特の意匠が特色の“ケルト十字”の石碑を出発点に、まずは島の北側へ自転車を駆っていきます。
【ギネスと雨の国アイルランド(2) ダブリンの聖パトリック大聖堂のケルト十字の石版】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=40813215
港の近くはこのように道路の両側に家々が建ち並んでちょっとした集落を形成していますが・・・。
少し行くとこんな石垣で囲まれた草地の中に、屋根が朽ち落ちた寂しげな教会の跡が。
朽ちた建物の前にぽつんと一頭馬がいるのは観光客を楽しませる仕掛けでしょうか。
さらに5分ほど自転車を駆り、下り坂の狭い道を抜けると、こんな開けた景色が。
・・・イニシュモア島北側の海岸沿いの地にやってきました。
ここで自転車を降りて海の方へ向かって歩いて行きます。
辺り一面には、不揃いの石を積み上げた石垣で囲われた、四角い草地が。
司馬遼太郎の“愛蘭土紀行”によると、イニシュモア島は一枚の石灰岩の岩盤でできていて、作物を育てる“畑”を作るため、岩路の砂ほこりや砂利、そして海藻を集めてきて“土”とし、それが大西洋から吹きつける風で飛ばされないよう石垣で囲ったことによりこんな奇妙な景観ができたんだとか・・・。
大西洋から吹きつける偏西風の陰になる島の中央線から北側は、海に至るまですべてこんな景観。
岩盤一枚でほとんど土のない過酷な自然環境の中、なんとか生き抜こうとしてこんな景色を作り上げたかと思うと、人間の環境適応能力ってすごいなと思いますね。
こんな景色を見て感心していたら、いつの間にか時刻は12時を周り、天気もかなり回復して日射しが強く感じられるようになってきました。
再び自転車に乗り、イニシュモア島北部の海岸沿いを、今度は西へと進んで行きます。
途中、坂道がところどころにあって、ギアを切り替えたりこいだりするのが大変で、上着を脱ぎたいほど暑くなってきましたが、360度視界が開けていて素晴らしい景観が楽しめるし、ちょっとしたアクティヴィティにもなるしで、バスではなくレンタサイクルにして正解でした。
海岸沿いの景色はどこも素晴らしいものでしたが、いちいち自転車を止めて写真を撮っていると時間がなくなってしまうので、余裕ができたら帰りに撮ることにしてひとまず先を急ぎます。
・・・そんな感じで10分ほどノンストップで自転車をこぎ進めていたら、いつの間にか内陸部に入り、目の前には小高い丘が。
もしやあれが有名な古代遺跡、“ドン・エンガス”が残る丘・・・。
丘に向かう途中、島の狭隘部に差しかかると、こんな美しい砂浜の海岸が。
さすがに泳いでいる人は一人もいませんでしたが、多くの観光客がここで自転車を止めて記念写真を撮っていました。
12時40分、島巡りに出発してから1時間ほどで、ドン・エンガスの丘へと続くビジターセンターに到着。
ここで自転車を置いて(駐輪場があります。)、丘の上までは自力で歩いて行かなければなりません。
丘へ登るにはセンターの建物内を通らねばならず、そこで入場料として4ユーロ(約560円)を徴収されます。
建物内にはドン・エンガスの遺跡についてのパネル展示や土産物屋もあって、それなりに観光地としての設備は整えられているのですが、こんな最果ての地で入場料を徴収されるとは思ってもみなかったですね・・・。
ビジターセンターを後にし、沖縄の離島にもありそうなこんな狭い砂利の路を歩いて行くと・・・。
辺りは突然開けて、石灰質の岩盤がむき出しになったこんな荒涼とした大地が出現!
これぞ、イニシュモア島本来の姿!
こんなところどころ岩盤むき出しの痩せた大地でも、わずかながら草のあるところには放牧された牛たちが。
観光客向けの仕掛けなのでしょうか、これではすぐに草など食いつくされてしまいそうですよね・・・。
その牛たちの背後にはごつごつとした岩だらけのこの世の終わりのような景色が・・・。
美しい青空との対比がまた何とも言えません。
牛たちもこんな賽の河原のようなところには住みたくはないよな・・・。
こうしてみると、司馬遼太郎の言うとおり、島全体が真っ平らな一枚の岩盤という感じ。
こんな荒涼とした石ころの道を登っていくと、てっぺんに石垣で囲まれた砦のようなところが。
あそこがドン・エンガスに違いない。
石垣の中の一点、人一人が通れるほどの四角くくり抜かれた門をくぐると、こんな景色が。
目の前の大西洋に面した要塞のような建造物こそ、“ドン・エンガス”(Dun Aonghasa、“エンガスの砦”の意)。
時刻は13時、ビジターセンターから10分ほど歩き続けて、ようやくアラン諸島一の観光スポットに到着です。
せっかくなので、大西洋の見える島の端まで行ってみます。
・・・海から吹きつける偏西風を浴びながら恐る恐る端まで行ってみると、そこから見える景色は、こんなふうに断崖絶壁。
ギザギザしているところから今にも崩れていきそうですね・・・。
ドン・エンガスの遺跡近く、少し高くなったところから崖沿いをパチリ。
“地球の歩き方”にも写真が掲載されている絶景・・・。
崖から海面までは約90mあるといい、崖がまさに直角にストンと落ちているのがよく分かりますね。
こんなふうに撮ってみると、この島が平らな巨人のまな板のような島にも見えてきます。
崖の先端から恐る恐る大西洋を望みます。
強風に土まで飛ばされそうなこんなところでも、ごつごつした岩の陰ではピンク色の小さな花がたくましく咲いていますね。
よく見るとピンク色の小さな花は崖沿いのあちこちに。
この島で強いのは、人間だけでなく、植物も同じようです。
さて、高台から見るこの島の圧倒的な景観にしばらく目を奪われていましたが、この場所の名前にもなっている、石垣で囲まれたドン・エンガスの遺跡の中にも入ってみます。
そんなこんなで煮え切らない思いのままドン・エンガスを後にし、時計を見ると13時30分。
イニシュモア島上陸から早2時間が経過してしまいましたが、ゴールウェイへ戻るフェリーの時間まであと3時間半ほど。
思ったより島内は広く、移動に意外に時間がかかってしまったので、これから先は少しスピードアップして観光を続けます!
(ドイツ・アイルランド旅行4日目後半~引き続きイニシュモア島観光へ続く。)
中に入ってみると、円形の石垣で囲まれたスポットには現在は何もなく、わずかばかりの緑の草で覆われているだけのがらんどうの空間。
砦のように見晴らしが良いことから、島の北側の荒涼とした景色が見えるだけです。
現在はそんな展望だけの空間ですが、麓のビジターセンターに展示してあったパネルによると、この石垣は紀元前800年頃、この島に住んでいた人々がこの場所に住居をつくるのに、強風を避ける必要から建設されたとか・・・。
しかし実際のところ、この遺跡は紀元10世紀頃に放棄され、由来を伝える人がいなくなってしまったため、いつ何のために造られたかは諸説あってよく分かっていないそうです。
大西洋に面した崖から左、島の中央部から北側に目を移すと、こんな大絶景が。
島に並行してローラーのようなかたちとなって流れる雲の動きと相俟って、世界のどこにもない景色となっていますね。
宗教
カトリック信者が多いこともあり、日曜日は教会に行く等静かに過ごす人も多くいます。
習慣
禁煙法の施行により公共施設や乗物などは禁煙となっています。
水道水
水道水は普通に飲めます(利用に際して煮沸や濾過等をする人もいます)。
衛生
食中毒、肝炎等の発症例もあり、生ものには十分気をつける必要があります。
医療事情
(1)アイルランドの医療水準は比較的高いといえます。医療制度の特徴は、ホ−ムドクタ−制をとっていることです。病気になった場合には、先ずホ−ムドクタ−に診察してもらい、その紹介状をもって専門医に行くことになります。ホ−ムドクタ−にかからないで直接行ける専門医は急患を除き歯科医のみです。
(2)緊急医療体制は比較的整備されていますが、医師不足、病院ベッド数不足の影響も深刻で、Public Hospital(無料または低料金)の場合、入院が必要な場合であっても直ちに入院できない場合が多くあります。Private Hospitalは高料金ですがPublic Hospitalに比べ、より良い医療サービスを受けることができます。
その他
(1)現在、アイルランドに日本人会はありませんが、日系企業の団体「日本企業懇話会」(在アイルランド日本国大使館領事班に照会してください。)及び主に個人を対象とした「日本人サークル」(電話:(代表)01-8600122)があります。
(2)アイルランド政府の公共サービス案内サイト「Oasis」では、生活関連情をを掲載していますのでこちらも御参考ください。
ホームページアドレス http://www.oasis.gov.ie/