オーストリアの写真・旅行記
2ヶ月間ヨーロッパ15カ国を鉄道でまわった一人旅の記録。
ウィーン散歩
http://ameblo.jp/mika450/entry-10081203519.html
ウィーンで美術館三昧
http://ameblo.jp/mika450/entry-10082386104.html
ウィーンからブダペストへ
http://ameblo.jp/mika450/entry-10082471059.html
名古屋、中部国際空港よりルフトハンザドイツ航空にて、フランクフルトへ。
機内ではドイツビールでカンパ〜イ
フランクフルトの空港にて。
約11時間半のフライトだった。(16時頃到着)
ちょうどドイツワールドカップの開催前だったのでルフトハンザ航空の飛行機の前がサッカーボールの絵になっていた
フランクフルト発(16時半)ブダペスト行(18時)の機内にて。
軽食もワールドカップの表示がしてあった。
約1時間20分のフライトだった。
<2日目>
ホテルの前で撮ったポスト
地下鉄の入口
切符の発券機
お札を入れようにも入っていかない・・・
気まぐれに1枚だけお札が入り、切符を1枚だけ買わせてくれた機械。
切符を持っていないと罰金というわりには・・・
機械も1つしかなかった。
切符が買えたら(笑)、切符をかざして、刻印する機械
駅のホーム。
ホームの中は暗かった。
英雄広場
建国1000年を記念して造られた。
英雄広場とこれに続くアンドラーシ大通は
2002年世界遺産になった
英雄広場に向かって、右側。
美術品を持たない美術館
国立美術館
英雄広場にむかって左側
ハンガリーの国旗
聖イシュトバーン大聖堂
ハンガリーで一番大きい大聖堂
大聖堂の正面
大聖堂の扉。
歴代の王の顔がついている
大聖堂の中
国会議事堂
くさり橋
旧王宮から見たペスト側
マーチャーシュ教会
13世紀半ば ベーラ4世が建てた。
改装中で中が見れなかったのが残念!!
漁夫の砦
1896年の建国1000年を記念して建造。
国会議事堂と同年の1902年完成。
漁夫の砦の上からみたペスト側
くさり橋
橋の向こうにはさっき観光した旧王宮
くさり橋から見た景色。
少し国会議事堂も見えている。
向こう岸(ブダ側)に到着。
旧王宮
下から見たくさり橋
かわいい電車
色とりどりのお菓子。
とってもかわいいけど、実際食べたいものはなし。
老舗のカフェ「セントラル」
120年続いているカフェ
最近まで改装していたらしい。
営業していてラッキー
地下鉄のホームに向かうエスカレーター。
とってもスピードが速くてビックリ!!
地下鉄に乗り込む。
ブダペストの地下鉄は、走り出したらすぐにスピードがあがる。
20時半頃、ドナウ河クルーズに出港!!
まだ外は明るい。
くさり橋と旧王宮
国会議事堂
くさり橋の名前の由来は ライトアップしたときに鎖がかかっているように見えるからだそうです。
約1時間のドナウ河クルーズ終了
2日目終了
<3日目>
センテンドレ観光
エステルゴム観光
1000年イシュトバーン国王が建てた
パイプオルガン
ドナウベント
エステルゴムの建物のすぐ裏。
ドナウ川の曲がっているところ。
世界遺産パンノンハルマのベネディクト修道院
修道院から見た景色
ウイーン到着。
ちょうどモーツアルト生誕250周年で街はどこもモーツアルトで溢れていた。
3日目終了
4日目
世界遺産 シェーンブルン宮殿
ハプスブルグ家の夏の離宮
部屋数が1400室以上
中庭はとても広かった。
シェーンブルンとは「美しい泉」という意味
ここにいくのは15分ぐらいかかるらしい ここにもう一つ 建物を作る予定で着工した跡。
建物の色(黄色)はマリーアントワネットの母マリアテレジアが愛した色で「テレジア色」とも言われる。
表と裏で微妙に色の濃さが違った。
ベリベデーレ宮殿の入口の門
ベルベデーレ宮殿
オイゲン公の夏の離宮。
「ベルベデーレ」とは美しい眺め」という意味
裏庭
大学
オペラ座
モーツアルトのおもしろい広告
スロバキアの首都 プラスチラバへ
プラスチラバ城
スロバキアの国旗
プラスチラバの街
パパラッチ
街のいたるところに銅像がある
土管の中から・・・
帽子の上のボッチを触ると幸せになるらしい
オペラ座
ウイーンの地下鉄のホーム
シュテファン寺院
モーツアルトもここで結婚式を挙げた。
また、マリア・テレジアもたくさんの宝を寄贈した寺院
シュテファン寺院の中。ゴシック様式
ペーター教会
教会の中
ペスト記念碑
いたるところにあるモーツアルトの看板
暗いけれど王宮公園の中にあるモーツアルト像
美術史博物館
自然史博物館
美術史博物館と自然史博物館の間にあるマリア・テレジア像
王宮
ホテル ザッハー
名前の由来にもなっている本場のザッハトルテ。
とても濃厚。全部食べると少しくどいかなァ。
全部食べたけど・・・(笑)
長い長い4日目終了
<5日目>
ウイーンの街のタイル絵
ウイーンの森
世界遺産 チェスキークロムロフ
とってもかわいい街でした
見晴らしがいい塔に登りました。
眺めは最高!!
プラハに到着
ダンスしている人をイメージして建てられたビル。
5日目終了
朝、散歩の出てみた。
ホテルの前がトラムの停留所になっていた。
プラハ城の入口にて
交代する様子
聖ヴィート大聖堂の正面
大聖堂の中
大聖堂の側面
黄金の小道
カフカの作業場
プラハ城からみたプラハの街
カレル橋
プラハ最古の石橋。全長516m 幅9.5m 30体の聖人像が飾られている。
カレル橋からみたプラハ城
旧市街 左は時計塔 奥はティーン聖母教会
時計塔
とても大きな広場だった
ヴァーツラフ広場
EUの旗とチェコの旗
ボヘミア古城(カールステイン城)
カレル4世か建設
プラハに戻ってきて 市民会館。
1911年 アールヌーボー様式
2006年ドイツワールドカップ開幕の日で広場はとても盛り上がっていた
ボヘミアン舞踏ディナーショー
夕日とカレル橋。
旅行の日程はすべて終了。夕焼けがなにかさびしい・・・
6日目終了
<7日目>
いよいよ、あとは帰るのみ。
あっというまに終わってしまった気がします。
今回の旅は一度も雨にあわずにとてもいい天気で、気候もよく、陽もとても長くすべてが最高でした。
ホテルで朝食後、ホテル近くの路面電車乗り場(地下鉄駅と直結)からシェーンブルン宮殿に向かいました。
あいにくの雨模様でしたが、路面電車の駅から宮殿までは雨が止んでいたので助かりました。
宮殿内は撮影不可でしたので、そとの庭園です。
前日ベルヴェデーレで出会った絵画お触り女がなんとここでも見かけました。宮殿前で出会ったので、その後彼女がどうなったかは知りませんけどね。
同じく庭園。
宮殿入口からの全景。
宮殿内は皇帝の住まいということで、かなり立派でした。 シシィミュージアム同様、ハプスブルグ家の歴史をお勉強することができました。
シシィミュージアムで購入したシシィチケットにより、グランドツアーを待ち時間なしで見て回れました。
路面電車の案内板。
逆向きの路面電車がきました。
あいにくの天気です。
路面電車の様子。
ステファン教会。
曇りだったのであまりきれいな写真をとれませんでした。
翌日に期待。
雨で気分がどんよりしていたので、この日はDEMELでケーキをいただきました。2階の禁煙席に行きましたが、こちらは結構並んでいて待ちました。観光客でいっぱいでした。
これは1階入り口入ったところのショーケース。ケーキがいっぱいならんでいます。
このショーケースでとなりで写真を撮っていた西洋人のおじさんのカメラはニコンD3でした。びっくり。
この旅行で意外に一眼レフの人がかなりいたことに驚きました。しかも女の子が持っているのが目立ちました。ニコンとキャノンは五分五分で、2社独占って感じ。アルファはごくたまって感じです。
同じくケーキのショーケース。
DEMELのザッハートルテ。
こちらはアンナトルテ。
こっちの方がかなり甘いです。
ザッハートルテ。
コーヒー。
普通のコーヒーとザッハートルテにつけた生クリーム。
ひつこいようですが、ザッハートルテの写真をもう一枚。
DEMEL2階の様子。
豪華なインテリアです。
1階の厨房。
厨房にはこんなオブジェもありました。
DEMELを後にして、Stephans教会の見物に。
ちょうど礼拝中でした。
夕食はフィグルミュラーでウィーナーシュニッツェルを食べました。シュテファン教会の裏の路地(路地入口は一見人の家の入口っぽいです)を入ったところに本店があり、路地を抜けて右に曲がってちょっとのところに支店があります。支店に入りましたが、ちょっとだけ待ちました。少し時間がずれるともっと待たないといけませんでした。
人気のお店のようです。
まずはビール。
でっかい人ですが、感じのとてもいいウェイターさん。
この店の店員はみんなでかかった気がします。
でっかいウィーナーシュニッツェル。
平べったいとんかつです。
単純な味ですが、おいしいです。
こちらは豚肉のグリルにさっぱりしたソースをかけたもの。それにパスタです。
ウィーン1日目、ブダペストから移動後、
1区の旧市街をちょこっと歩いて
世界遺産、シェーンブルン宮殿に再訪〜。
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10202401/
もう時間は街も夕陽に染まる頃、
シェーンブルン庭園の並木道を歩き抜け、
2005年12月以来の再訪となる
クリムトのお墓参りへ向かいました。。。
@ヒーツィング墓地 Friedhof Hietzing
(WIEN??, 15 Maxing Str.)
まずは、ここへ逢いに行かなければ、
私のウィーンは始まらない・・・というべき場所。
画家グスタフ・クリムトが眠っているところ。
@Friedhof Hietzing 5-194.195
GUSTAV KLIMT
1862.7.14 − 1918.2.6
2年振りに再訪・・・(こんな夕方に・・・)。
お墓は、ふつう日没まで開いているのですが、
もうこの日はギリギリでした・・・。
そう難しくないルートなのに道に迷ったから。
自分としてもなぜか予想外の焦りを感じながら到着。
私が到着すると、門の鍵を閉めようとする番人に
「ちょっとだけ待って!」と無理を言って入りました。
お墓の場所が分かっていたから、
2年前の記憶を辿り、ダッシュ・・・。
帰国後に聞いて驚いたのですが、
親しかった叔母さんがこの時間に他界。
予想外の焦りを感じた変な気持ちは、もしかしたら
叔母さんの魂が此処迄会いにきたのかもしれません。
因みに、地図上、このヒーツィング墓地は、
シェーンブルン宮殿から近いですが
歩くと距離があり(+上り坂あり)疲れます。
@ウィーン8区ヨーゼフシュタット Josefstadt
ウィーンでは珍しいかなぁ?と思う
ブルーのイルミネーションが・・・☆
クリムトのお墓参りを終え、地下鉄UBahnにて
Hietzing−(U4)−Karlsplatz−(U2)−Rathausと
乗換え、やって参りました♪
目的の行き先は、ちょうど市庁舎Rathausの西側、
アドレスは、Schmidgasse 18番地。
Bezirksmuseum Josefstadt
ウィーン8区ヨーゼフシュタットJosefstadtの
地区資料館へ、ある展示会Ausstellungを見に。
お題は、
「MIZZI Zimmermann,
GUSTAV Klimt und die Josefstadt」
・・・ヨーゼフシュタットでのミッツィとクリムト
表紙でHPの文を紹介していますが、
ミッツィという女性はクリムトの仲間として
知られていますが、今まで過去、
彼女とクリムトの関係、もしくは展示などは
あまり行われてこなかったそうですが、今回初めて、
こうした展覧会が開かれることになりました。
2007年10月、
ウィーン再訪の旅へ出ることに決まり、
いろいろとwebを調べていると、
WIEN Bezirksmuseum Josefstadt
=ウィーン8区の地区資料館のような場所で、
この写真の、展覧会があることを知った。
この展覧会の開催曜日は、
(2007/10/2〜2008/2/2)
水曜:18〜20時
金曜:15〜17時
土曜:10〜12時 と決まった時間のみ。
私の日程的にはこのうちの1つに調整するしかない。
でも、どうしても都合を合わせ見に行こうと決意。
大好きな、画家クリムトに関する
今しかない展覧会だから・・・。
HPで見ていたのと同じプレートも発見♪
GUSTAV Klimt in der Josefstadt 1892−1911
ヨーゼフシュタットでのクリムト 1892〜1911年
拡大して見て頂くと分かると思いますが、
スモック姿で立つクリムト、
この資料館もある8区ヨーゼフシュタットでの
アトリエ(下に掲載した写真※?クリムトのアトリエ
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/13469612/)
の庭の様子などの写真が紹介されています。
「GUSTAV KLIMT」 Ferenc FARKAS
Gustav Klimt
The large poplar II (Thunderstorm get up), 1903
Vienna, Collection Leopold
http://www.klimt.com/klimtmuseum/k069.html
ミッツィ・ツィンマーマン MIZZI Zimmermann
ミッツィは、2006年に公開された
映画「クリムト KLIMT」の中でも
少しだけ描かれていました。
http://www.klimt-movie.com/
(以下、映画「クリムト KLIMT」パンフレットより)
彼(クリムト)はモデルにとても好かれたという。
貧しい階級の出身の彼女たちに親切だったからと
いう。その何人かとつきあって、子どもが生まれて、
その面倒を見ている。 この映画に出てくる
ミッツィ(ツィンマーマン)はその一人である。・・・
◎ミディ(エミーリエ)のブティック
ミディ「ニュースがあるの。
また子どもが産まれたわ。女の子よ。」
クリムト「まさか・・・母親は?」
ミディ「ミッツィよ」
クリムト「僕に娘が?」
踊って喜ぶクリムト。ミディも踊る。
◎ミッツィのアパート
息子グスタフに赤ずきんの曾おばあさんのお話を
聞かせるミッツィ。クリムトが訪れ、娘に会おうと
するが考え直す。
クリムト「もう少し大きくなってから」
息子が見ている本に目を留める彼。
ロースにケーキを押し付けた時の連続写真集である。
ミッツィは息子を外に遊びに行かせる。
ミッツィ「父が訪ねて来て話し合ったの」
クリムト「金か?」
ミッツィ「違うわ。お金の事じゃないの。
子供にユダヤの教育を受けさせたいと」
クリムト「君が面倒を見るならいいさ」
ミッツィ「ショック?」
クリムト「なぜだ?」
ミッツィ「カトリックでしょ?」
クリムト「何も信仰していない。君の父親が信仰を
植え付けてもいいさ。君が賛成するなら」
ミッツィ「安心したわ。心配だったの、あなたの
反応が。心から感謝するわ」
ミッツィは、中庭で中国人少年たちと遊んでいる
グスタフを叱り、連れ戻す。
クリムト「なぜ禁じる?」
ミッツィ「だって・・・どこの馬の骨だか」
クリムト「中国だ」
ミッツィ「意地悪ね」
・・・ http://uk.youtube.com/watch?v=4KV-BryRrDU
クリムト直筆の手紙
(ミッツィへ宛てたもの、と思います)
クリムトの女性として広く知られているのは、
ファッション・ブティックも経営していた女性、
(WIEN MUSEUM KARLSPLATZでその面影が見れる http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/13472174/ )
エミーリエ・フレーゲですが、彼女とは官能的という
よりはプラトニックなものであったとされている。
彼女との交際がプラトニックなものであったとしたら
性的欲求の人一倍強かったクリムトには
当然その”ハケ口 ”が必要であった。
最も手っとり早かったのは(娼婦ではなく)
彼のモデルたちで、その一人の
ミッツィ・ツィンマーマンは
クリムトによって二人の子をもうけた。
(クリムト:世紀末の美 講談社文庫より)
KLIMT’S HOMES & STUDIOS @WIEN
クリムトのウィーンでの住居(アドレス)と、
アトリエにした場所の紹介展示板。
2005年12月のウィーン訪問で
この中で紹介されている
3つのアトリエの住所を探して歩いたので
下に?枚載せておきます。 〜※???
*この紹介展示写真の真ん中
(モノクロの庭の写真大とアトリエのある通り)
= 下に載せている写真※?
*この紹介展示写真の下の写真
= 下に載せている写真※?
クリムト最期のアトリエとして知れている場所です。
なお、今回の旅では、
この紹介展示板の一番上に見える写真
=「クリムトの生家」である住所を辿りました。
この旅行記内で写真を載せておきます〜♪
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/13471767/
猫を腕に抱くクリムトの写真と、
「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像?
Adele Bloch-Bauer I 」1907年
このアデーレ〜はモチロン、レプリカ。
ホンモノは1億3500万ドル(約157億5000万円)で、
2006年アメリカにいっちゃいましたから。。。
http://www.afpbb.com/article/755930
(2006年7月27日、afpbb news)
改めて今回オーストリア・ギャラリーに行って
〜これがないなんて・・・! さびしいゾー。。。
「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像?
Adele Bloch-Bauer I 」1907年
1918年1月脳卒中で倒れたクリムトは、
翌月55歳でこの世を去る。
彼の突然の死を嘆いたシーレは、
ある雑誌に追悼文を寄せた。
≪ 思いも及ばぬ円熟の画家
まれに見る奥深い人物
彼の仕事は聖なる宝 ≫
(週間美術館3 クリムト/シーレ 小学館より)
クリムトのデッサン
あぁ・・・・・これが読めない自分が哀しい。。。
きっと読めたらおもしろいのに。
(でもどこかの本で見たけれど・・・Klimtの筆跡は、
慣れた人でも読み取りづらいらしいんだけれど。笑)
筆跡を見るのは、好き♪
see also,
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10709119/
kopie des Malerkittels von Gustav Klimt
Leihgabe Georg Becker
グスタフ・クリムトの(画家)服のコピー
Georg Becker氏から貸与
(上の写真の説明プレート)
きゃー!ここで Georg の名前を発見!
このお方が、(2005年)私を、
クリムト最後のアトリエに入れてくれた人なのです♪
そのときのストーリーは、コチラで(苦笑)
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10709145/
スモック姿のクリムト
クリムトのこの写真は死の数年前のものであり、
ヨーゼフシュタッター通りの彼の愛したアトリエ
(下に掲載した写真※?クリムトのアトリエ
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/13469612/)
の外で、前身丈の青いスモック姿で写されている。
彼はいつもこの格好で制作し、客を迎えた。
あまり人付き合いをしなかったが、
友人のシーレはこう語っている。
「クリムトの心の広さは本物だった。
世捨て人ではなく、客を喜んで迎えもした。
ただ、彼は本当の友達がだれかをよく知っていた。」
(週間グレートアーティスト20 クリムトより)
Gustav Zimmermann, Sohn Klimts,
geb.1898, Aufnahme Weihnachten 1900
クリムトの息子グスタフ・ツィンマーマン(1898年生)
@クリスマスレセプション、1900年
クリムトのデッサン
金色のドームが印象的なセセッション分離派館にも
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/13254315/
クリムトのデッサンが展示されていたりしますが、
今回ここでも数点のデッサンの展示がありました。
これは、どう見ても、
「ベートーヴェン・フリーズ 1902」の
≪歓喜≫の部分ですよね〜。。。
BEETHOVEN FRIEZE
− This Kiss to the Whole World
http://www.secession.at/beethovenfries/e.html
これは「希望? Hope? 1903」
のための習作かな・・・。
希望?のモデル(妊婦)は、
ミッツィ−Marie (Mizzi) Zimmermann
と、云われています・・・。
↓見比べてみてください♪
http://cybermuse.gallery.ca/cybermuse/search/artwork_e.jsp?mkey=8614
(National Gallery of Canada)
ちなみに「希望? Hope? 1907-8」は、
http://www.moma.org/collection/browse_results.php?object_id=79792
(The Museum of Modern Art ,NYC)
デッサンなので写真の色も薄くて
みづらくって・・・ ごめんなさい。
でもデッサン見るのはおもしろいですよねぇ。
クリムトの有名な作品
「ベートーヴェン・フリーズ」が見れる
セセッション http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/13472685/ では、よく展示室の中央に
「ベートーヴェン・フリーズ」の”部分 detail ”の
デッサン drawingが置いてあり、
部屋全体(三面)の壁に描かれた
実際の「ベートーヴェン・フリーズ」と
デッサンを、見比べることができます。
よくデッサンだけがポツンと常設 collection
所蔵されていて「〜のための習作」なんて
展示されていたりしますが、セセッションのように、
実際の絵と比べることができる事は、
我々としては一番嬉しいことですよネ。
今回セセッションに見に行ったときは、
10名ほどの地元の美術学生たち?が
クリムトのデッサンを見てそれを模写していました。
前にWIEN MUSEUM KARLSPLATZへ行ったときも
そうだったし・・・ ウィーンの子たちは、
小さいときからフツーにこうした芸術に
たくさん触れられて羨ましいなぁと思います。
(特に、私の好きなクリムトの街だから♪)
クリムトとミッツィのストーリーは
ひとまず、ここで、 お し ま い。
ウィーン1日目、展覧会を見終えた後は歩いて
市庁舎前のクリスマスマーケットへ
この時期ならではのお楽しみです☆
クリスマスマーケットの模様は下記旅行記参照
市内編(Karlsplatz、Rathausplatz*Freyung、Am Hof、Maria-Theresien Platz、MQ)
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10202404/
郊外編(Schonbrunn、Belvedere)
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10202402/
アドヴェントの街並み〜Innere Stadt
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10202409/
※?クリムトのアトリエ@WIEN ?
1883 bis 1892(クリムト21〜30歳)
Wien VI, Sandwirtgasse 8, 4. Stock
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10895805/
※?クリムトのアトリエ@WIEN ?
1892 bis 1911/12(クリムト30〜50歳)
Wien VIII, Josefstadter Strasse 21
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10895805/
この写真でBIPAが写っているところが建物の玄関。
このアトリエが8区ヨーゼフシュタット地区にあり、
今回行われた8区資料館での展覧会もこの近く。
1892年〜1912年=20年近く
〜クリムトの55年の生涯のうち大部分の作品を
ここで創作したことになりますね。
「猫を腕に抱きながら、庭に佇むクリムトの姿」
・・・というよく見る写真は、
このアトリエのある建物の奥にあったみたい。。。
今はかわいらしい花屋さんも近くにあったり、
斜め前はヨーゼフシュタット劇場があり、
J線のトラムも走っていて、
雰囲気もいい感じの通り、に見えました♪
※?クリムト最後のアトリエ@WIEN ??
1911/12 bis 1918(クリムト50〜55歳)
Wien XIII, der Feldmuhlgasse 11 bzw. 15a
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10709088/
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10709088/
ウィーン2日目、U4Unter St Veit駅
今回も前回同様、
ク リ ム ト 最 期 の ア ト リ エ !
を『一目』見たくて、
この駅へ来てしまいました〜(苦笑)
WIEN ??
St. Veit gasse
アトリエの最寄り駅
上記の U4Unter St Veit駅 を出て
道なりに?南下しますと
この通り St. Veit gasse です・・・。
Auhofstrasse
ちょっとしたら右に曲がり・・・、
フェルドミュールガッセ
Feldmuhlgasse
クリムト最期のアトリエのある通り。
13., Feldmuhlgasse
左に曲がると・・・、ココ!
(私が通ってきた道順で歩くと)
フェルドミュールガッセを少し歩いていると
右手にちょっと奥まった場所があります。
ココが、最後のアトリエだった場所なんです♪
2年前のここでの嬉しい出来事を思い出し・・・
・・・ 嗚呼、なつかしい・・・・・ ウルウル。
(しばし、どっぷり感慨にふける私。)
★Klimt Atelier@Google Maps
http://maps.google.de/maps/ms?msa=0&msid=108865496584323811752.000434f9ecb32d049979a&hl=de&ie=UTF8&t=k&om=1&ll=48.191983,16.291265&spn=0.013847,0.028582&z=15&iwloc=000434fa50fdbb6edf95f
Klimt Villa
−Gustav Klimt -Letztes Atelier
(−Gustav Klimt -Last Studio)
Wien XIII, der Feldmuhlgasse 11 bzw. 15a
http://www.klimt.at/
クリムトの死(1918年2月6日)の直後に、
エゴン・シーレはこう語っている。
「彼の友人たちは、庭を含めたヒーツィングの家と、その家具調度全てを買い取るべきだ。 クリムトの家の組み立て構成それ自体がすでに≪総合芸術≫であり、これはもはや破壊されることがあってはならないから。」(1921年ウィーン、F.カルプフェン著「エゴン・シーレ」より)
Egon Schiele's dream to save Klimt studio close to realisation (1.11.07/THE ART NEWSPAPER) http://www.theartnewspaper.com/article.asp?id=6354
Villa’s Garten
辺りの自然や木々までもが
芸術的に見えてしまうのは偶然でしょうか・・・。
クリムトの魂が未だここに息づいているのかも。。。
G u s t a v K l i m t
Letztes Atelier 1912−1918
★グスタフ・クリムト最後のアトリエ
1860年代、かつてのザンクト・ヴァイト村に、北側に張り出し部分を持つ平屋の建物がすでに存在していた。 この場所にヴィラが建てられたのは、1923年になってからのことである。 建物は広い庭園に囲まれ、現在もその姿をとどめている。 クリムトは、後にその家主の娘婿となった画家のフェリックス・アルブレヒト・ハルタ(1884〜1967)との親交がきっかけで、ヨーゼフシュタットのアトリエを引き払った後、1911年から12年にかけてこの建物を借り受け、手を加えることになる。 角のヒーツィンガー大通りの101番と104番には、若い友人エゴン・シーレ(1890〜1918)がアトリエと住居を構えていた。
外面は白いしっくい、窓とドアは黒く塗られた簡素な建物が、彩り豊かな植物の繁る広大な庭にひっそりと建っていた。 当時、この夢のようなアンサンブルを奏でる空間の静寂に、時折、傍らの鉄路を走る列車の音が響きわたったことであろう。
この建物で、多数のデッサンとともに、女性肖像画、風景画(特にアッター湖とガルダ湖の)等からなる有名なクリムト後期の作品が生み出されたのである。 それらの画面はほとんど遠近法に依らず、はっきりそれと解る装飾や模様が一面にほどこされている。
★建物の歴史
クリムトの家主とその後継者は1922年から23年にかけて、平屋根と、両側にバロック風外階段を備えた2階を増築した。 http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10709088/src.html 後にこの建物は「クリムト・ヴィラ」と呼ばれるようになったが、国の文化財局は、この建物とクリムトとの関連を認めなかった。
しかし1998年夏、一つの市民運動グループの努力により、とりわけ「missing link」と呼ばれる建築設計図の再発見によって、アトリエとその複数の隣室の大部分は今日なお当時のまま残されていることが証明されている。
★建築様式
クリムトは若い頃の創作期に、ネオバロックの公共建造物(ブルク劇場や美術史美術館内の階段の間の天井画)を後期歴史主義様式で仕上げている。 彼は、自らも1897年の共同設立者となるウィーン分離派の建築家たちと親交を結ぶようになるが、彼ら(フリードリヒ・オーマン、ロベルト・オーレイ、ヨーゼフ・ホフマン、オットー・プルチャーら)は、クリムトのデッサンに顕著に表れているのと同様に、バロックの形式表現から多くのインスピレーションを与えられている。 ゆえに、この建物のネオバロック様式のヴィラへの建て替えも、「近代精神の偉業に対する反動的センスの勝利」といった誤った捉え方をされるべきではない。 もとより、クリムト自身が自らを「絵画の帝王」と自認するようなことは、毛頭なかったのである。
★クリムトの工芸美術への影響
ウィーン大学講堂の天井画の一件に例をみるように、クリムトの絵は激しい公の議論を巻き起こし、そうした騒動を後目に、彼は自らの避難所たる仕事場に戻り、「ますます孤独に、しかしそれ故に、押し寄せる世代の中心人物となっていった。 彼は、主に工芸美術分野において後身に直接的な感化を与えることになるが、その媒介となった工芸美術学校(現在の応用美術大学)とウィーン工房に今も根づく指導的個性は、クリムトがそれらに与えた影響抜きにして語ることはできないものだといえる。」 (1926年、ハンツ・ティーツェ著「新オーストリア史;1815年〜1918年」より)
芸術的、社会的な地位の確定と自己発見のこの時期(キーワード;ユーゲントシュティール、アーノルド・シェーンベルクの無調音楽に至るまでのウィーン分離派)に、クリムトはヨーロッパ以外の文化に強い関心を表し始めている。
★クリムトのアトリエの遺品
事実、彼のアトリエの隣室には、アジアの衣装、日本の赤黒色の鎧、2枚の中国画そして「土着の」アフリカ彫刻品が残されている。 クリムトが1912年、彼の50歳の誕生日に友人から贈られたヨーゼフ・ホフマン作の整理戸棚、机などとともに、そうした遺品の大部分が現在そのまま個人の所有となっている。
・・・see also! (>inside Klimt-Villa!)
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10052429/
( ■WIEN 2005/Quest for Gustav Klimt?)
★クリムトのモードへの影響
クリムトは6人兄弟姉妹、生涯独身で家族の面倒をよく看た。 女性のモデルには気前よく報酬を支払った。 また、彼の生涯の伴侶となったエミーリエ・フローゲ http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/11235994/src.html を通して、フローゲ姉妹のモード.サロン(1938年まで存在)に影響を与えた。 手の込んだ、床に届く長さの芸術的改革服を彼はファッション写真に収め、自ら署名している。 その改革服は、コルセットで締め付けるパリ・モードとは対照的に、日常生活全般に関わる総合芸術の一部として戸外でも着用された。 クリムトは、芸術的才能に恵まれた、新時代を切り拓く知的集団の一角を支える存在であり、また、彼のアトリエに集う仲間たちの中心人物でもあった。 なお、その一部は、今もなおヨーロッパないし海外でも広く名前が知られている。
★クリムト・ヴィラの保存に向けて
ウィーンのユーゲント・シュティールとウィーン.モードにとっての重要な刺激の源泉となっている、このヴィラと庭園のアンサンブル、その環境の大部分は、公共の所有物、すなわちオーストリア共和国の手に委ねられるべきである。 それによって「記念の場所」という概念を越えた、「ある一つの場所」を再現させることが可能になる。 そこでは、アトリエと庭園の様式を通して、生活と芸術活動からなるユーゲント・シュティールの必要不可欠の要請が、総合芸術として具現されることになる。
ウィーン川(注:現在は地下鉄U4の横を流れる運河になっている)に程近い対岸にあったクリムトの生家は、1966年に取り壊されている。 それだけに、最後に残されたクリムトのアトリエが、活発な文化的用途に供されることが切に望まれるところである。
2005/12 クリムト・ヴィラにて購入のパンフレットより
◆Das Belvedere wird ab 2008 eine Gustav Klimt Gedenk- und Forschungsstatte in der Liegenschaft Feldmuhlgasse 11 betreiben. Ein Teil des in Wien/Hietzing gelegenen Gebaudes diente dem Kunstler Gustav Klimt als letztes Atelier (1911/12 bis 1918). Ziel der im Fruhjahr 2008 beginnenden umfangreichen Bau- und Restaurierungsarbeiten ist es, das Haus und den umliegenden Garten in ihren historischen Zustand zurückzufuhren.
http://www.belvedere.at/jart/prj3/belvedere/main.jart?rel=de&content-id=1173991252603&reserve-mode=active
◆"GUSTAV KLIMT - LETZTES ATELIER"
derzeit geschlossen - voraussichtlich bis 2008
Der Prekariumvertrag zwischen Klimt-Verein und Burghauptmannschaft wurde per 30. Juni 2007 aufgelost.
Das Belvedere hat mit Juli 2007 die Zustandigkeit über die Klimt-Liegenschaft ubernommen.
http://www.klimt.at/de/aktuelles.asp#aktuell
◆VIRTUELLE TOUR durch Atelier und Villa
http://www.klimt.at/de/panorama.asp
(〜興味ある方はVilla内部や庭の動画ぜひ見てみて!)
ヒィーツィンガーハウプトシュトラーセ
Hietzinger Hauptstrasse
この通りの向こう側に、画家エゴン・シーレの
アトリエ兼住居 SCHIELE’s ATELIERがあります。
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10709065/
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10709084/
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10709085/
2年前はシーレのお墓参りと
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/10709064/
上記のアトリエの外観を見た後、
こちら(クリムト最期のアトリエ)に来ました。。。
この大きな通り、
ヒィーツィンガーハウプトシュトラーセは、
このまま東へ向かうと、
シェーンブルン宮殿に繋がります。
U4Unter St Veit駅へ戻る・・・。
クリムト最期のアトリエはこの駅の南側(13区)で、
これから向かうクリムトの生家のあった場所は
この駅の北側(14区)です♪
バウムガルテンシュトラーセ
よくクリムトの本には、
クリムトは、
「1862年ウィーン郊外に生まれる」だとか
「ウィーン郊外バウムガルテンに生まれる」だとか
書いてありますが・・・、
まさか郊外って、最期のアトリエのある場所の
(Unter St. Veit駅はさんで)北側だとは・・・
実は、我ながら見落としていたんですよねぇ(汗)
(郊外ってもっとウィーンの外側を指しているのかと)
分かったときはビックリでしたよ〜(笑)
これは今度行かなくっちゃ!と思っていました。。。
この日はこのあと、この辺りからバスに乗って
オットー・ヴァーグナー建築で有名な
アム・シュタインホーフ教会を見に行ったのですが、
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10202406/
途中バウムガルテン墓地なる場所も通りました。
バウムガルテンに生まれる・・・の、
バウムガルテンという土地名も
残っています、ちゃんと。
バウムガルテンシュトラーセ
14.,Baumgarten Strasse
ラインツァーシュトラーセ
Lintzer Strasse
247 Lintzer Strasse, WIEN ??
バカ?執念?狂気?
ファンなら当たり前ですよ?(笑)
ともかく!クリムトの生家のあった
ウィーン13区
ラインツァーシュトラーセ247番地
に、辿りつきました、イェイ♪
生家であった場所、
ラインツァー通り247番地で
記念のプレート、発見♪
GUSTAV KLIMT PARK(笑)
生家のあった247番地の向かいには
グスタフ・クリムト・パークなる場所が・・・。
**********************
この後、(2日目午前)旅行記でいうと、
「ウィーン世紀末建築巡り???」をした後、
旧市街方面へ戻り、オーソドックスに(笑)
クリムトが見れるところを中心に
美術館巡り、をしました♪
(因みに、クリムト作品が見れるウィーンの
美術館は、ほぼ撮影禁止ですので以下あしからず。)
「水蛇?」
Wasserschlangen I (Freundinnen I) 1904 - 1907
「ひまわりの咲く農家の庭」
Bauerngarten mit Sonnenblumen 1906
@Osterreichische Galerie Belvedere
http://www.belvedere.at/jart/prj3/belvedere/main.jart?rel=en&content-id=1169655781728&reserve-mode=active(12 paintings online)
we can see also...
「ソニヤ・クニプスの肖像」
Portrat der Sonja Knips 1898
「ユディト?」
Judith I 1901
「フリッツァ・リートラーの肖像」
Portrat der Fritza Riedler 1906
「けしの咲く野」
Mohnblumenwiese 1907
「アッター湖畔のカンマー城?」
Schloss Kammer am Attersee? 1910
Bauernhaus in Buchberg 1911-12
「りんごの木?」
Apfelbaum I 1912
「カンマー城公園の並木道」
Allee zum Schloss Kammer 1912
「アダムとイヴ(未完)」
Adam und Eva 1917-18
「花嫁(未完)」
Die Braut 1918
「接吻」
The Kiss/Der Kuss 1908
@OSTERREICHISCHE GALERIE BELVEDERE
ベートーヴェン・フリーズ@セセッション
Beethoven Frieze@Secession 1902
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
Bildnis Emilie Floge 1902
@WIEN MUSEUM KARLSPLATZ
/HISTORISCHES MUSEUM DER STADT WIEN
we can see also...
「寓話」Fabel 1883
「ウィーン旧ブルク劇場の観客席」
Zuschauerraum im alten Burgtheater, Wien 1888
「愛」Liebe 1895
「パラス・アテナ」Pallas Athene 1898
「死と生」
Dead and Life/Tod und Leben
@Leopold Museum 1910/15
http://www.leopoldmuseum.org/text_en.php?nav=1&id=1
「ストックレ邸フリーズ(のための下絵)
≪期待≫≪成就≫≪生命の樹≫」
Stoclet Frieze@The MAK 1905-12
http://www.mak.at/e/sammlung/schausammlung/raum05frame.htm
セセッション分離派館
Secession
http://www.secession.at
DER・ZEIT・IHRE・KUNST
時代には・その芸術を
DER・KUNST・IHRE・FREIHEIT
芸術には・その自由を
カール教会@カールスプラッツ
Karlskirche
http://www.karlskirche.at/
セセッションからカール広場を抜け、お隣、
クリムト作品所蔵のWIEN MUSEUM KARLSPLATZへ。
ここでもクリスマスマーケットが
開催されているのでちょっと覗いたり・・・。
教会のwebヴァーチャルツアーは中々楽しい。
マウスでクーポラのTOP部分をクリックすると
(2年前はたしか)入場料6€を払って見れた
ウィーンの景色パノラマを疑似体験できます♪
実際にクーポラに昇るとロットマイヤーが描いた
楕円のフレスコ画などは近くで見れて迫力あります。
シュテファン寺院の塔からはモチロンですが、
こちらからもプラター公園の大観覧車、見えます。
WIEN MUSEUM KARLSPLATZ@カールスプラッツ
HISTORISCHES MUSEUM DER STADT WIEN
http://www.museum.vienna.at
ベルヴェデーレ宮殿上宮オーストリア・ギャラリー
OSTERREICHISCHE GALERIE BELVEDERE
http://www.belvedere.at
ベルヴェデーレ宮殿上宮からウィーン市街方向の眺め
ピンクに染まる空が、
美しすぎる・・・☆
ベルヴェデーレとは”美しい眺め ”という意味。
まさに、そのとおり♪
ベルヴェデーレ宮殿上宮より庭園を眺める
・・・ NO WORDS
@オーストリア・ギャラリー エントランス
ベルヴェデーレ宮殿上宮・大理石の間
ベルヴェデーレ宮殿上宮・大理石の間から見る
ベルヴェデーレ宮殿下宮&ウィーンの眺め
2年前、ここへ訪れたときにここから見た眺めは
雪が舞う真っ白な雪景色でした・・・ヒュルリ〜(苦笑)
写真上や右に少しテカっている部分がありますが、
これは上の写真で見えるように・・・
クリスマスシーズンだからか? ピカピカ変な?
ライティングがありまして(笑)・・・反射しています。
(なぜ大理石の間にこのライティングなの??笑)
ほんとうは撮ってはいけません
・・・ごめんなさい、1枚だけ。。。
クリムトの「接吻」や「ユディット?」
「水蛇?」などがある展示室。
以前はこの部屋に
「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像?」
がありました。
ウィーン美術史美術館
Kunsthistorisches Museum Wien
http://www.khm.at/
レオポルト美術館
LEOPOLD-MUSEUM
http://www.leopoldmuseum.at
これは、前日撮影した夜のベルヴェデーレ宮殿☆
「ベルヴェデーレ上宮からのウィーンの眺め
Vienna Viewed from the Belvedere Palace」
Bernardo Bellotto, called Canaletto 1758/61
Kunsthistorisches Museum Wien
この絵は、ウィーン美術史美術館所蔵の
カナレットが描いたベルヴェデーレ宮殿から見た
ウィーンの風景で、好きな絵です。
今もまさにこの絵と同じような景色が
ベルヴェデーレから眺められることが
掲載した写真と対比できるのではないでしょうか。
おまけ:
ペンツィンガー・アウ(ペンツィングの湿地)の早春
ローベルト・ルス 136cm×186cm 1887年
ウィーン造形美術アカデミー絵画館
Gemaldegalerie der Akademie der bildenden Kunste Wien http://www.akademiegalerie.at/
2006年「ウィーン美術アカデミー名品展」で見た
この絵はサイズ的にもとても大きく非常に印象的で
とても気に入りPostcardを買っていました。
ここで描かれたペンツィングとは、
現在のウィーン14区ペンツィング Penzing辺りかと
思うのですが・・・、 このペンツィングは
まさに旅行記内で載せている
クリムトの『最期のアトリエ』や『生家』のある
Unter St Veit駅付近の風景(1887年)と思います。
クリムトが生まれたのは1862年。
ブルジョワとそうでない人と生まれる場所が違った
と云われ・・・、(クリムトは後者ですが、)
この絵が描かれた頃、この風景のような場所
(Pentzing地区)でクリムトも生まれ暮らしたのかなぁ
・・・なんて思いながら絵を見るのも楽しいですね・・・。
「私は絵やデッサンを描くことはできる。
私自身そう思うし、他人にも、
そう思うといってくれる人が何人かいる。
けれどもそれが真実であるかどうか確信はない。
ただ二つのことだけは確かである。
1.私の自画像はない。
絵の対象としては自分自身に興味がない。
むしろ他人、とくに女性、
そして他の色々な現象に興味があるのだ。
自分が別段面白みのある人間ではないことを、
私は確信している。
私には、これといって見るべきところもない。
私は画家であり、毎日毎日、朝から晩まで絵を描く。
人物像や風景画、ときには肖像画を。
2.語られた言葉、書かれた言葉には、
私はなじまない。
自分や自分の仕事について語る場合には
特にそうである。
簡単な手紙を書かなければならないときでさえ、
まるで船酔いがしそうで、不安で恐ろしいのだ。
こういうわけだから、私に関して
絵画や文字による自画像を求めるのはやめてほしい。
それは別段嘆かわしいことではない。
芸術家という点では注目すべき人物である
私に関して、何か知りたいと思うなら、
私の絵をじっくりと観察して、
そこに私の人となりと私の意図を
探し出してもらいたい。」
− GUSTAV KLIMT
(クリムト Klimt TASCHEN28より)
地下鉄U4西の終点ヒュッテルドルフ駅
ウィーンに来るとついつい物色してしまうパン屋さん
「ANKER」 @ヒュッテルドルフ駅構内
ANKERは現在ウィーンに164店あるそうです。
どこでもよく見かけますがコチラでご確認を。
http://www.ankerbrot.at/index.php?option=com_filialen&show=suche&bl=wien
クリスマスシーズン限定?
Gewurzkuchen(Spice Cake)を注文してみました。
1€しないものからあり、美味しい。
ヒュッテルドルフ駅からヴァーグナー・ヴィラまで
バスに乗ろうと思っていましたが、
次の発車時間まで少し時間が空いてしまうようなので
駅前のタクシーのドライバーに聞いたら
ヴィラまで5€だというので時間節約のため
タクシーに乗りました。実際は4.9€でした。
無事下車。 で、さっそく敷地内の門に入ると
エルンスト・フックスのものらしき芸術作品が出現!
サ イ ケ デ リ ッ ク !
ヴァーグナー・ヴィラ?
ついに!!
写真でよく見ていたこの構図に出逢えました!
早く、中が、見たい。
BIG ESTHER (bronze/Height 263 cm)1968-72
右手に見える女性像はスペイン・フィゲラスにある
ダリ美術館にもあります。 美術館内で
雨降るキャデラック”CAR-NAVAL ”という
インスタレーションがあるそうですが、
ここに立つ印象的な女性像は
エルンスト・フックス氏による作品です。
http://www.salvador-dali.org/museus/figueres/en_visita-virtual_2.html
フックス氏&ダリ氏の写真はコチラをどうぞ。
http://www.ernstfuchs-zentrum.com/html/bio3a.html
ヴィラの天井を見上げる。
ヴァーグナーのブルーが印象的だ!
ムムッ…なにやら妖しげなお顔が。
これから見るフックス氏の芸術品が楽しみ〜。
青空に金がよく映えているではありませんか!
それにしても、存在感のある作品です(笑)
BIG ESTHER・・・
ESTHERとは、
旧約聖書のエステルから
来ているのでしょうか・・・。
『エステル記』は旧約聖書の中の一書。
ペルシャ王の后となったユダヤ人女性
エステルの”知恵と活躍 ”を描くこの書は、
その主人公的役割を演ずるエステルの名をもって
『エステル記』と呼ばれる。
聖書中、女性の名が書名として用いられているのは、
『ルツ記』と『エステル記』のみである。
(wikipedia -エステル記 より)
あとで、ユダヤの帽子キッパーをかぶった
フックス氏を見るという偶然、を書いていますが・・・
彼は富裕なユダヤ系古物商を父に
ウィーンに生まれましたが(1930年)、
8歳の時(1938年)ナチスが侵攻、親族・縁者の
多くが監禁・虐殺される体験をもつそうです・・・。
http://www.akanegarou.com/profile/elnst_fucks.html(〜茜画廊HP) http://aokigallery.jp/new/exhibition/punkt/txt1.html(〜青木画廊HP)
※エルンストの父親マキシミリアンは
正統派のユダヤ教徒(母親はキリスト教徒)
・・・彼はパリや、アメリカ等にも滞在、
カトリックに改宗し、イスラエルの
シオン山の大修道院にも住み最後の晩餐
- The Last Supper を描いています。
彼のバイオグラフィを読んでみると、
それが現在ウィーン幻想派と云われる
彼の作品に大きく影響を与えているのだろうなぁと
しみじみ感じてしまいました・・・。
Ernst Fuchs Biography (Feb.13 1930 ,vienna− ) http://www.ernstfuchs-zentrum.com/html/bio2.html
お庭にはゴロンと壷が…(笑)
これもフックス氏の作品のはず、です。
NYMPHAEUM(Water Temple) 1976–2000
これも作品です。
このエルンスト・フックス個人博物館(ヴィラ)は
Weddingにも使えるそうですよ〜
http://www.ernstfuchs-zentrum.com/html/arrang4.html
キラキラ・・・ ギラギラ・・・
この眩さって、いかにも、ウィーン。
さて…、建物の廻りをウロウロしてしまいましたが、
結局エルンスト・フックス個人博物館の入口は
表紙の写真の”真裏 ”にありました!
ですが! 入口の「鍵」が閉まっていました(汗)
とりあえず「ねぇ?あそこは開いているのかしら?」
と、門の辺りにいた男性に付き添ってもらい(苦笑)
「ピンポ〜ン」とチャイムを鳴らしたてみたら
何のことはない、女性が鍵を開けてくれました(笑)
良かったー♪
それでもって、ここは中に入ってDINING ROOM。
http://www.ernstfuchs-zentrum.com/html/toureng7.html
向こう側に見える絵は、フックス氏の
「JOB AND THE JUDGEMENT OF PARIS 1965-66」
DINING ROOMから見たCHIMNEY SALON方向
このDINING ROOMはヴァーグナー・ヴィラ時代は
BATHROOMだったそうで、窓のガラスエッチングに
その名残りを見て取れます。
上の写真の方が見やすいですが
DINING ROOMにある家具はフックス氏によるデザインで
ハンドペイントされており、ドイツの陶磁器
ローゼンタールが使われているそうです。
@CHIMNEY SALON
この絵は、フックス15歳の時の作品
「CRUCIFICATION AND SELF-PORTRAIT,
WITH INGE BESIDE THE CROSS 1945 oil
傷ついたキリストは、終わらない戦争の
シンボルとして描かれているそうです。
左に彼のガールフレンドInge Paceが
描かれているが、これは未完成のようです。
そして、下に置いてある女性像は、
「Sphinx on a Hanger」 1991
ウィットに富んだスフィンクスシリーズの1つ。
フックスのスフィンクスはなんだかファンキ〜♪
@CHIMNEY SALON
http://www.ernstfuchs-zentrum.com/html/toureng2.html
CHIMNEY、 煙突…じゃなさそうだから(苦笑)
暖炉のお部屋ってところでしょうか。
この部屋はヴァーグナー時代はBEDROOMとして
使われていたようです。 またこの部屋にある
フックスの絵画は(正面の絵を除いて)
1960年代のもの。
左手に見える絵は、
「The Anti-Laokoon(Laokoon Victor)」1965
mixed technique
ADOLF BOHM SALON
http://www.ernstfuchs-zentrum.com/html/toureng3.html
この部屋の名前はADOLF BOHM氏による
ステンドグラスが製作された後から
こう呼ばれるようになった。
金のスタッコ装飾やフロアの隅の蛇のモザイクは
ヴァーグナー時代からのオリジナルだ。
GLAND SALON
http://www.ernstfuchs-zentrum.com/html/toureng4.html
ブロンズ像は、
「HYPNOSIA WITH MITHRA」 (bronze, 1995)
GRAND SALONから見たADOLF BOHN ROOM方向
左下に見える作品は、
「Adam Mystycus」 1977-82 mixed technique
アダムは、人類の木のように、星に届くかのように
腕を伸ばしている。 腕に絡みついた蛇は
人類の罪を表している。
MUSIC SALON
http://www.ernstfuchs-zentrum.com/html/toureng1.html
この部屋は、訪問客がエルンスト・フックスの
フィルム見れるようなスペースになっているそうで、
私がヴィラ(博物館)に入ってきたとき
この部屋に女性の約10人組がいらっしゃいました。
まだ椅子が残ったままの状態。
BLUE SALON
http://www.ernstfuchs-zentrum.com/html/toureng5.html
ブルーサロンという名前は、
天井の青いガラスタイル装飾に依るもの。
「Sphinx」 1975
テーブルの上にはエロティックなスフィンクス像が…
この白いスフィンクスはエジプト・ギザの砂で
作られているそうで、頭のヘルメット(苦笑)?は
24カラットの金(純金)で作られているそうだ。
ブダペスト建築探訪にひきつづき、
この日もラッキーにも晴天!だったので、
この天井のブルーも一層キラキラしていた時を
見られたような気がする…♪
1st Floor(日本式2階)に上がります
Romisches Bad(Roman Bath)
日本式2階は(小さいですが)
壁に絵が並べられたギャラリー
「DAEDALUS AND THE NYMPH」
「NYMPH GRAMMOPHONE (from the Lohengrin Cycle)」
1978
「DAVID AND BATSHEBAH」
ヴィラの中での鑑賞を終え、外に出てきました。
日本式2階のギャラリーで、ドイツから来たという
フックスファンの男性と遭遇〜。
(私はどっちかというとヴァーグナー目当てでしたが)
入るときに「鍵」がかかっていたことは書きましたが
なんと帰りも閉まっていました(汗)
それで、そのドイツ人男性と共に人の気配のする
地下へ行ってみたら、なんと!
ユダヤの帽子【キッパー Kippah】をかぶった
御年78歳フックス自身がそこにいた〜!
きゃ〜 ビ ッ ク リ awesome!!
そこでこのドイツ人男性から今夜のフックス氏の
スケジュールについて聞いたので、納得。
1区のギャラリーで今夜なにやら、あるそうだ。
きっと、今その打ち合わせをしていたのね…。
で、そのドイツ人男性は、
「Air BerlinでWienまで安かったよー
http://www.airberlin.com/
電車で来るより早いし、超お得!」とか、
「今夜1区のギャラリーでフックスのオークション?
あるから是非おいでよ〜!」とか、
私が、
「ところでドイツのクリスマスマーケットは
どこがお勧め?」 っと聞いたら
「ニュルンベルク!」などなどなどなど(笑)
なんやらかんやら色々話していたのですが…、
外に出てきて一緒に急遽?ザ・撮影大会(笑笑笑)
始まり始まり〜! おほほほほ…。。。
指先にズームアップしてみたり、
近づいてみたり、離れてみたり。
(一応お互い自分入りの記念写真撮ったり…笑)
「青空に映えているよねぇ〜サイコーだね!」
「noon(正午)過ぎたら陽が傾くし、
建物を撮るのにも今グッドタイミングだね!
これ以上ないブルースカ〜イ!!!」
っとお互いにナイスなウェザーに満足満足(笑)
大撮影大会も終え(笑)?!
お隣のヴァーグナー・ヴィラ?へ移動
エルンスト・フックス個人博物館、チケット
入場料は大人1人、11€
ヴィラ内MAP
ヴァーグナー・ヴィラへの地図
この地図の右上に見える47A・48Aバスルートの
てっぺん(写真上)がヴァーグナー・ヴィラに来る前
寄ってきたアム・シュタインホーフ教会のあたり。
ヴァーグナー・ヴィラへはU4ヒュッテルドルフ駅
〜148・152バスなどでアクセス。
行きはバス時間がイマイチだったので
タクシーに乗ってしまいましたが、
帰りはドイツ人男性と一緒にバスで
ヒュッテルドルフ駅へ戻りU4に乗って
そのまま市街方面へ戻りました。
(一旦U4上のホテルに戻り休憩〜
その後、※マジョリカハウス〜セセッション
〜カールスプラッツとまた世紀末建築巡りに
出掛けました ←この辺りは前も歩いているけれど!
今日は天気も良いので明るい写真が撮れそうで…笑)
※つづきは、中欧2007【10】にて。。。
何はともあれ・・・必需品!
(今回は長い滞在じゃなかったので・・・)
ウィーン24時間フリーパス
Netzkarte 24-Studen-Wien
今日は、建築巡りをするのに
公共交通機関に乗りまくります!
U4 Unter St.Veit駅
今朝は起きたら気分爽快な青空!
やったぁ〜 冬の1日に・・ちょっと郊外の
建築巡りをするには絶好の天気で嬉しい〜!!
ウフフ・・・この駅と云えば・・・私の寄り道先は決まり♪
2年前の同じ時期に訪問し偶然中に入れた、
感動しっぱなしの・・・画家クリムトの最後のアトリエへ
Hietzinger Hauptstrasse
ハイ! Unter St.Veit駅から歩いて、クリムトのアトリエ経由ヒーツィンガー大通りへやってきました〜(クリムト編は別旅行記【12】へどうぞ・・・)。 2年前は写真の向こう側に建つエゴン・シーレのアトリエ兼住居からこちら側へ歩いてきました。 今回はちょっとこの辺りにある建築物を2つ見てから(※シェーンブルン宮殿西側に広大に広がるウィーン13区のこの界隈にはアドルフ・ロース等の住宅建築が多く残っています)、Unter St.Veit駅方面へ戻り、そこから47Aバスに乗り、目的地アム・シュタインホーフ教会へ向かいます。 今日はその後、もっと西にあるヴァーグナー・ヴィラにも向かうので大忙しです!
St. Veit Gasse
シュタイナー邸 Haus Steiner
St. Veit Gasse10 ,Wien13
シュタイナー邸 Haus Steiner 1910年
王宮前ミヒャエル広場に建つロースハウスや
ケルントナー通りのアメリカン・バーで知られる
アドルフ・ロース Adolf Loosの住宅建築。
道路側が建築規定によって1層でマンサード屋根、それに対して、庭園側は3層構成で自由に設計できたことによって、前後(道路側と庭園側)で全く異なるファザードになった。 ロースは道路側を半ヴォールト屋根とし、全体を半地下階の基壇上に載せている。 内部は、階ごとに天井高が変化し、既にロース特有の「空間計画」を感じさせる。 (世界の建築・街並みガイド5より)
Beckgasse
ベックガッセの住宅 Wohnhaus Beckgasse
Beckgasse 30 ,Wien13 1900-01年
この郊外の戸建住宅でも、プレチュニクは、ゼムパー(ゼンパー)の「被覆理論」の具体化を試みている。満開のバラの花が前面を覆うファザードは、分離派の「聖なる春 VER SCRUM」の雰囲気、あるいは、具体的にいえば、師ヴァーグナーの「マジョリカハウス」を想起させる。 「マジョリカハウス」との差異は、そのファザードが柔らかい布の被覆のような点だろう。 (世界の建築・街並みガイド5より) (マジョリカハウス、セセッション分離派館は旅行記【10】へ)
※ゼムパーはウィーンのブルク劇場、美術史博物館、王宮や、ドレスデンのゼンパーオペラを設計したドイツ人建築家。
ファザードを覆うバラの花
私がここを見たいなぁと思ったのは、このベックガッセの住宅の外観写真はもちろん、(同じくヨージェ・プレチュニクの)ウィーン1区にあるツァッヒェルハウス Zacherhausの内部写真、あるいはチェコ・プラハの聖心教会 Kostel Nejsvetejsiho Srdce Paneの写真を見たからです。 とても印象的なものでした。
ヨージェ・プレチュニクは、現スロヴェニア領のリュブリャーナに生まれ、ウィーンでヴァーグナーに学び、1911年にプラハの応用芸術学校に、1920年には祖国リュブリャーナ大学建築学科の主任教授に招聘された。 プラハではプラハ城改修と聖心教会、またリュブリャーナにも名作を残したが、ウィーンでも、ベックガッセの住宅、ツァッヒェルハウスのような、彼の手による優れた建築を見ることができる。 (世界の建築・街並みガイド5より)
ウィーンでヴァーグナーに学んだ・・・なんて、
・・・これから向かう今日の第一の目的地、
O.ヴァーグナー建築の傑作
アム・シュタインホーフ教会を見る前、
気分を盛り上げるのには丁度良い寄り道です!
木がジャマだけれど・・・
建物から突き出るガーゴイル
U4 Unter St. Veit駅に戻ってきました・・・
ここから、47Aバスに乗って、
アム・シュタインホーフ教会に向かっても
良いのですが・・・ またまたちょいと寄り道(笑)
リンツァーシュトラーセ Lintzer Strasse
今まで寄ってきたクリムトのアトリエ、
シュタイナー邸、ベックガッセの住宅は
Unter St. Veit駅の南側、
このLintzer StrasseはUnter St. Veit駅の北側。
なぜここに寄ったかというと・・・この通りの
247番地でクリムトが生まれたからです。
よく「ウィーン郊外(バウムガルテン)に生まれ・・・」
と書いてありますが、このあたりに
バウムガルテンシュトラーセという道があったり、
47Aバスでアム・シュタインホーフ教会へ向かう
途中にはバウムガルテン墓地など、このあたりに
今も名前(バウムガルテン)が残っています。
クリムトの本に書いてあるとおり、
生家は解体され残っていませんが、
この写真のレンガ色の建物が247番地で、建物には
クリムトの名前入プレートが付けられていました。
さて・・・、ここまで見たら、ひとまず寄り道は終了・・。
Unter St. Veit駅からの47Aバス1つ目の停留所が
この近くにもあるので(Zehetnergasse)私はここから
バスに乗り、アム・シュタインホーフ教会へ。
Baumgartner Hohe ,Otto-Wagner-Spitalで下車
やっと、アム・シュタインホーフ教会のある
州立精神病院内の敷地、に到着!!
中央に見えるグリーン色の事務所?で、
Otto Wagner本(ドイツ語)が購入できます。
金色のドームが見え隠れする方へ上ります
これがけっこうな急斜面なんですよねぇ・・・
ビックリしました!
アム・シュタインホーフ教会って丘の上にある、
というのは分かっていましたが・・・
ほんとだぁ〜! っと、 実 感 (笑)!
この写真で見える道のずーっと奥にある
白い階段のてっぺんまでのぼらなくてはいけません。
辿り着くには、若干?脚力も必要です(苦笑)
わりと高い木々が多いので見えなくなったり
チラっと姿を現したり・・・。
おぉ! だいぶ近づいてきた!
2005年12月のウィーン訪問時は、
まだ改修中だったんですよねぇ〜
あのときは、残念だった。。。
改修前はドームからはすっかり金が消えていましたが
2006年10月1日に改修を終え、往時のままの
金のドームが復活しました。
外観は角ばった基盤の上に
優美な釣鐘状のドームが置かれたような形成
アム・シュタインホーフ教会(聖レオポルド教会)は、
世界で最も有名なアール・ヌーヴォー教会の1つ。
正式名称はかなり長々しく、
Niederosterreichische Landes-Heil-
und Pflegeanstalt fur Nerven- und Geisteskranke
'Am Steinhof'
(Lower Austrian State Healing
and Care Institution for the Neurologically
and Mentally Sick, 'Am Steinhof')
塔の上の2つの彫像は、
聖レオポルドLeopoldと聖セヴェリンSeverinで
(オーストリア・ニーダーエステライヒ州の守護聖人)
ウィーンの彫刻家Richard Luksch(1872 -1936)
によるものだそうです。
アム・シュタインホーフ教会は、1905年〜07年、
建築家オットー・ヴァーグナーによる設計で、
モザイクやステンドグラスは
コロ・モーザー(Kolo Moser)、
入口の上の4体の天使の彫刻は(写真)
シムコヴィッツ(Othmar Schimkowitz)による。
二重ドームなので、内部では適度な天井高と
音響が実現されている。
それにしても、青空に金が眩い!!
教会エントランス下
教会のすぐ脇には、ものすごい高さの木々が…
教会のエントランスから見たウィーンの風景
教会を写真におさめるにはちょうど良いのですが、
向こう側から(南)の陽が強烈なので
ちょっとこの写真では風景が分かりづらいですね。
Unter St.Veit駅からバスに乗ってきたときも
斜面を少しづつ上ってきたし、
バス停を降りてからも歩いて上ってきたけれど、
かなり上(丘の上)に上がってきたんだなぁ〜
ということが実感できる風景でした。
まさに「丘から見下ろしている」感じです。
教会のある位置から1段降りてきたところで
(実際には階段30段くらい?)建物全体の撮影
両脇に大きな木があって
どうしてもこのような構図になります。
向こうからウィーンの風景を撮ったけれど
逆光で見づらいですね、と書きましたが、
これは、そのときに写っていた木ですね…。
教会は東西の軸で作られておらず、
(普通、西方の教会は西が正門、
東が大祭壇=聖地エルサレムの方向)
南北の軸で作られています。
これは精神を病んでいる人が逆光の光に向かわない
ように、光の少ない北に向かうよう設計されました。
2006年の改修を終える前の教会の写真はコチラ↓
http://aeiou.iicm.tugraz.at/aeiou.encyclop.data.image.s/s821100a.jpg
教会内部見学は、
・土曜15:00〜ガイドツアー
もしくは土曜16:00〜個人で
・日曜礼拝
・教会コンサート?など… となっているようです。
http://www.wien.info/wtv2/book-e.asp?url=http%3A%2F%2Fwww%2Enethotels%2Ecom%2Fevents%2Fenglish%2FeventDetail%2Easp%3FGroup=7%26EventID=47668
http://www.wien.info/article.asp?IDArticle=3026
http://www.wienkav.at/kav/ows/texte_anzeigen.asp?id=2268
ここで少しお話を聞いたウィーン人によれば、
この週の土曜にクリスマスコンサートがあるから
入れるよ、というお話でした。
★Kirche am Steinhof
14., Baumgartner Hohe 1
(SMZ Baumgartner Hohe - Otto-Wagner-Spital)
BUS 47A, 48A : Psychiatrisches Zentrum
Tel. 910 60 - 11 204
Fuhrungen: Sa 15(独語ガイドツアー:土曜15時)
Besichtigung: Sa 16-17 (個人見学:土曜16時)
Messen: So, Ftg. 9 (ミサ:日曜・祝日9時)
クリスマスマーケットの準備が始まっていました!
病院内でもクリスマスを楽しめるっていいですよね。
これは入口から入ってすぐのところでした。
もうすぐ11時。
次は、もう少し西にあるヴァーグナー・ヴィラへ行き
建築巡りは午前で終わらせ、午後からは、
美術館巡りをする予定〜なので大忙しです!!
来た時降りた停留所から駅に戻ります・・・。
(※47Aバスはこの停留所 Baumgartner Hohe
,Otto-Wagner-Spitalで折り返し、駅に戻ります)
因みに、U4 Unter St.Veit駅から歩いてこよう〜
なんていうのはおそらく無茶です、やめましょう(苦笑)
はっきり言ってここで降りて、精神病院内敷地の丘を
アム・シュタインホーフ教会まで登っていくだけでも
けっこう息が切れます!(←私、苦笑)
私は、ここに来る前クリムトのアトリエに寄ったり
これからヴァーグナー・ヴィラへ向かうのでU4の
Unter St.Veit駅基点の47Aバスを利用しましたが、
Dr.Karl-Renner-Ringから
(自然史博物館と国会議事堂の間あたり)
48Aバスに乗り、折り返し地点のこの停留所
Baumgartner Hohe,Otto-Wagner-Spitalで
降りるのも簡単だと思います。 ただリンク辺りから
ずっとバスだと結構時間がかかるかも?
48Aの停留所は上の写真の前に(平行に)見える通り
(Baumgartner Hohe)にありました。
もしくは、U3 Ottakring駅から46B、146Bでも
アム・シュタインホーフ教会(丘の)裏手の通りに
降りれるみたいですが、いづれにせよ
運転手さんに「ここで降りたい!」ということを
言って頼んでおくのが確実ですね・・・
(私もそうしました)
U4 Unter St.Veit駅に戻ろうかと思ったけれど、
Unter St.Veit駅の1つ西Ober St.Veit駅を通ったので
Ober St.Veit駅で47Aバスから下車。
(そのまま乗っていればUnter St.Veit駅に戻ります)
Ober St.Veit駅は、2年前にエゴン・シーレのお墓に
行く時に利用した駅で、駅前の風景も見覚えがありました。
どっちみち、これから行くヴァーグナー・ヴィラは、
U4ヒュッテルドルフ Hutteldorf駅発着のバスに
乗らなければ行けないので、Unter St.Veit駅でも
Ober St.Veit駅でも良かったのです。
(Unter St.VeitからHutteldorfまでは2駅、
Ober St.VeitからHutteldorfまで1駅)
U4の車内
Ober St.Veit駅から1駅目のHutteldorfで降ります♪
レッツゴー! to ヴァーグナー・ヴィラ!!
教会内部とステンドグラス
内部は、精神を病んだ人のためにも
かなり細かい部分まで計算され設計されている。
その様々な特徴を。
・祭壇に自然に向かえるよう計算され(約26cm)緩い傾斜がつけられている。
・ほとんどの角が丸くされ鋭い角がない。
・聖職者のエリアは、患者と完全に離れている。
・説教壇へのアクセスは香具室からのみ。
・もしもの時、患者を迅速に運び出せるように、
非常口は教会の壁の側面に組み込まれている。
・衛生保持のため、聖水盤の水は流れ出るように作られている(普通は水は入ったまま)
・懺悔室は慣習的であるというよりオープン。
・教会内に容易にアクセス可能なトイレ設備がある。
教会内の祭壇と、教会から見たウィーンの風景
また教会内のパイプオルガンは
アール・ヌーヴォー様式の、大変めずらしいもので、
ウィーンには3台しかないものだそうです。
事務所で買った本
下の写真は、塔の上の聖レオポルドが
教会を手に持っている姿、と思います。
前旅行記で、ヒュッテルドルフ駅構内の
ANKER、で買ったスパイスケーキ。
アム・シュラインホーフ教会&
ヴァーグナー・ヴィラへの訪問を終え
とりあえず、一旦ホテルに戻り、
これで軽く、昼食を。
軽く昼食を終えたら、
ケッテンブリュッケンガッセ駅へ!
ウィーンののみの市ナッシュマルクトや
世紀末建築マジョルカハウス&メダイヨンマンション
の連なる建築物群を見ながらの散策も楽しいところ!
ケッテンブリュッケンガッセ駅の近くの建物
この建物の写真は2005年4月にも撮ったのですが、
今回もこの建物がどうも気になり1枚。
天気も良いし、写真撮りにはサイコーな1日だ!
陽の当たる”方向 ”もバッチリ!
@リンケ・ヴィーンツァイレ
マジョリカハウス
(リンケ・ヴィーンツァイレの集合住宅)
1898〜1899年にかけてオットー・ヴァーグナーの設計
によって造られたアール・ヌーヴォーの建築。
壁には、生命を象徴する赤いバラの木が、
イタリア産マジョルカ焼のタイルを用いて
描かれている。
メダイヨン・マンション
コロ・モーザーによって施された
金細工の装飾が眩しい。
細かい部分にまで、美しく装飾。
マジョリカハウスの玄関部分
この中のエレベーターの写真、
見たことありますでしょうか?
美しいですよねぇ〜!
是非、中に入ってみたいものです!
隣接するマジョリカハウス、メダイヨン・マンション
の2つの建物のつなぎ目、ひさしや手すりの模様
など、細部にも手の込んだ装飾が施されている。
さて、建築見聞もひと休みして
ナッシュ