スポンサードリンク

アイゼンシュタットってどんなところ?

ブルゲンラント州の州都。オーストリア東端に位置し、東欧的な文化や生活習慣が色濃く残っている。ハイドンが当時宮廷音楽家として活躍したゆかりの地。オーストリア有数のワイン産地として名高い。

アイゼンシュタットの地図

アイゼンシュタットの写真・旅行記

ブダペストからグラーツへ帰る途中、ウィーンに寄ってアイゼンシュタットとルストへ。

ウィーンの南東、ハンガリーとの国境にかけて広がる縦に細長いブルゲンラント州。 その州にあるアイゼンシュタットはハイドンゆかりの地。 私は車だったが、バスがウィーンから出ているようで、ウィーン・ズュートティローラープラッツ(Sudtiroler Platz)にあるバスターミナルからEusebstadt Domplatzまで所要約1時間20分。 アイゼンシュタットにあるエスターハーズィー城。 1672年にできたバロック様式のエスターハーズィー候の城で、候の部屋や食卓などが再現されているが、見どころは、今日ハイドンザール(Haydn-Saal)と呼ばれる大広間。 かつてはハイドンも自作を演奏した。 毎年ハイドン音楽祭や国際ハイドン週間が、この広間を中心に開催される。 行ったときはすでに閉まっていたので外側の写真のみ。

エスターハーズィー城の前。

日が落ちそうなので、慌てて移動。 実はルストにあるノイジートラー湖でサンセットを見ようと計画していたのである。 オーストリアの東の端に位置するノイジートラー湖(Neuseiedler See)は、中部ヨーロッパ唯一のステップ湖。 野鳥の保護地域でもあり、その自然の美しさでユネスコの世界遺産に登録されている。 湖の西岸の中心の街ルストには毎年コウノトリが地中海から渡って来て、煙突の上に巣を作る姿が見られる。 ルストはオーストリアでも有数のワインの産地。 漁業やワイン製造で栄え、1681年に自由都市となった。 街の中心ラートハウス広場(Rathausplatz)に建つ市庁舎(Rathaus)やハンガリー風の家々の多くは、外壁を美しいパステルカラーに塗り直されているが、17世紀頃のもの。 漁師の教会(Fischerkirche)のフレスコ画も必見。 市庁舎周辺には、名産のワインを飲ませてくれるケラーや直売所がある。 (上の説明は「地球の歩き方」による) 急いで走らせる車の窓からはワイン用のぶどう畑が見える。 

湖に近づいて来た。左に見えるのは葦。

サンセット、間に合った! 駐車場で。

湖でもぎりぎりセーフ。

犬を乗せたボートが。

葦が群生しているため、野生動物たちが守られる。

アイゼンシュタットに行くにはウィーン南駅近くにあるウィーン・ズュートティローラープラッツからポストバス(路線乗合いバス)に乗ります。 ここはチェコやスロヴェニアなどの国際バスの発着所でもあるので東欧系の人たちも大勢バスを待っていました。 広いので乗場がわからずあせりました。

バス停からウィーン南駅に止まっている電車を写したものです。 もうすぐ大規模工事が始まるからか、とにかく南駅は広くてどこまで駅が続いているのか判らないくらいでした。

さあ、バスの旅が始まります。 私はいつも詳しい地図を持っていきます。 そしてバスの中ではそれを広げて地図を辿りながら走るのが好きです。 路線バスはこんなかわいい停留所に止まります。

フランツヨーゼフ・プラッツ。 奥のほうに丸い教会の屋根が見えていますがあの前にラクセンブルク宮殿があります。 ここはエリザベートとフランツヨーゼフが新婚時代を送った宮殿で、1858年にはルドルフ皇太子が生まれています。 エリザベートにとっては一番幸せな時代を送った場所なのですね。

ミュンヘンドルフ近辺。 ドルフ(村)と言ってもこういうお洒落な店があったり、ステキなケーキ屋さんがあったり、なかなかステキな村でした。

と思うと一面の菜の花畑が広がるののどかな平原を走っていたり…。

こんな曰くありげな大きな建物が見えて来たり…。 この建物は調べたけど何かわかりませんでした。

この建物のすぐそばにはこのバス停、Ebreichdolfがありました。

路線バスはこういう住宅街のそばを通るので好きです。 バスの中から手に取るように人様のお庭や生活が覗けたりします…。

村の教会も現れました。 こういうところで生活すると、せっかちな私ものんびりとした性格になれるでしょうか。

バスは緩やかなブドウ畑の中を進みます。 そういえばここブルゲンラント州は良質なワインの産地だとか…。

アイゼンシュタットの街に入ってきました。

ほら、バス停にアイゼンシュタット・エステルハージー通りと書いてあるでしょ?

ドム(大聖堂)広場でバスを降ります。 このバスに乗ってきました。 バスのおなかに「POSTBUS」って書いてありますね。

ポストバスとは、昔、人と郵便物を一緒に運んだことから着いた名前。 ですからバス停は郵便局の近くにあります。 この建物も「POST・・」とありますので郵便関連の建物みたいです。

アイゼンシュタットはオーストリアのブルゲンラント州の州都でありエステルハージー家の城下町でもあります。 オーストリアの最東にありハンガリーと国境を接していますので昔からハンガリーの影響を色濃く受けてきました。 さて、中心に行くには右に行け、と矢印があります。 そちらに行くことに…。

この細い土産物屋さんの通りを通って…。

ハウプト通りに出たら、そこは歩行者天国になっています。 ここで女性だけの街頭演説をやっていました。 女性党ってあるのかな?

エステルハージー城のほうに向います。 ハイドン・イヤーの垂れ幕が何本もはためいています。 今年はハイドン一色に町の風景が彩られています。

マリアテレジアカラーのエステルハージー城です。 矢印のほうに行けばハイドン博物館があるそうです。 それは後回し!。

私達の目的はこれ! ハイドンコンサートが11時から始まるのです。 早くチケットをゲットしなければ…。

ところが大ショック! この窓口でチケットは売り切れてしまったと言われました。 「私達はこれを聞きたくて日本からやってきました、何とかなりませんか?」ってくいさがりましたが、 「残念だけど…。」と。

諦め切れなくて、コンサートが開かれるホールのほうを恨めしく眺めています。 エステルハージー城の中庭です。

と、中庭の一画に私達を慰めてくれる風景が…。 そこには日本の秋の野山を思わせるミニ日本庭園がありました。 ススキみたいのや、萩・おみなえしに似た花が。

気を取り直して、エステルハージー城を見学することにします。 エステルハージー家の紋章でしょうか、入口の仮想の動物が掲げている文字「KISMARTON」。 これはハンガリー語でアイゼンシュタットのこと。

ハイドンイヤーなので、通常のエステルハージーの展示のほかにハイドンの特別展もやっています。 コンサートは聴けなかったけど特別展が見れるからいいか…。

ハイドンの特別展の題名「Phaenomen Hydon」とは?  天才・ハイドンってことですね。 城の見学はガイドツアーで回ります。 ドイツ語と英語のガイドツアーですが日本語の説明書をくれますので心配いりません。

この紋はさっきの仮想の動物と同じなのでしょうか。 抱えているものが違うしちょっと違うような気もしますが似ていますね。

階段を登ってハイドン特別展を見ます。 上にある胸像はハイドンです。

ハイドンが演奏会用に履いていた真っ赤な靴。 とても印象に残ったのでピンボケ写真ですがアップします。 これをみると意外と小柄だったのですね。 この後は展示物の写真はありません。 他に自筆の楽譜だとか、楽器だとか、それにエステルハージー家のお宝だとかいろいろありましたが、暗くて私の写真技術では無理でした(泣)。

ハイドンザール見学の前にちょっと今日のコンサート会場を覗いてみました。 係員に写真を撮るだけだからって断って…。 残念だなー、コンサート聴きたかったなー(ウジウジ)

ここがハイドンザール。 ハイドンのためにエステルハージー公が食堂を改造して造ってくれたものとか。 壁にはハンガリー王の肖像画があります。 音響が素晴らしくいいホールだそうだ。

天井画も素晴らしい。 ギリシャ神話の絵だそうです。 ハイドンは13年間エステルハージー家のお抱え作曲家として仕えたそうです。

エステルハージー城を出ると、道路の向こうにリスト像がありました。 リストも同じくブルゲンラント州の生まれだそうです。

シュピタール教会。 ここにハイドンのオルガンがあります。

シュピタールとはドイツ語で病院のこと。 カトリック教会の病院のようです。 彫刻も慈悲深い修道士の像です。

入口にはハイドンさんが案内板を持って立っています。 ここに②ってありますが、ハイドンイヤーの今年、この数字を辿っていくとハイドン関連の施設に全部たどり着くことができるそうです。

ハイドンのオルガンってもっと小さなオルガンを想像していましたが、こんなに立派なパイプオルガンだったとは。 オルガンの下の壁にはハイドンの顔が飾ってあるのがわかりますか?

アイゼンシュタットはハイドンの町、ハイドンの名前があちこちにあります。 ここもハイドンホテルだし…。

ハイドンが眠っているブルク教会です。 教会の屋根の上に何体もの天使の像が立っているのが面白いですね。

教会を囲むように咲いているバラの花がきれいです。 こっちの方にも屋根に天使の像がたっています。

教会の中ではドイツ人の団体がガイドさんから説明を受けていました。 ハイドンイヤーなので、各国からの観光客も多かったです。

ハイドン廟。お棺は真っ白い大理石で出来ています。 ハイドンは1809年ウィーンでなくなりました。 1820年にベルク教会にハイドンの墓を移そうとしたら頭部がなかったのです。 骨相学者がハイドンの研究をするために盗み出したものだとか…。 その後いろんな人の手を経て最終的にはウィーンの楽友協会に渡っていました。 1932年にパウル・エステルハージー公がハイドン廟を建立して、1954年やっと楽友協会から提供を受け遺体は一体(シャレ?)となったとか。

再びエステルハージー城に戻ってきました。 観光用の案内板が立っています。

ここエステルハージー城にはおいしいワインで有名なワインケラーもあります。 ワインといえばハイドンもワイン畑を所有していたのですね。 日本でもハイドンワインはネットで販売しています。

エステルハージ城にお別れをして…。

ハウプト通りに出てきました。 とっても落ち着いた雰囲気のいい通り。 車が入って来ないので安心です。

広場には三位一体塔もあります。

ここはラートハウス(市庁舎)。 中には観光案内所もあります。 壁絵はギリシャ神話でしょうか?

ラートハウスの近くで昼食をとりました。 男性陣はまず(?)ビール。 私はもちろんブルゲンラント産のワインです。 顔が映っているのでワインの写真はここには出しません。

このレストランでした。マンゴーとか言うお店。 入口を入って中をずっと通り抜けて、その奥にある中庭で食事をしました。 結局ここでおいしいワインをいただいたのでルストには行かないことに…。 バスでウィーンに帰りました。 バス停にはちょうど下校時間の小学生が大勢いて、満員でしたが私には男の子が席を譲ってくれました。 やはりおバアちゃんってわかるのね。

朝出発したウィーン南駅のバス停に到着しました。 ここから地下鉄で旧市街に出て少しウィーン散策です。 *(シュトゥルムを飲もうオーストリア・ウィーン編)に続きます。

Schloss Esterhazy:エスターハジー城はアイゼンシュタットのシンボルであり、今日でもエスターハジー家の所有である。城の起源は13世紀遡る。西洪牙利の大規模な農場を所有していた Gutkeled家のものであった。1364年 城は  Kaniszai 家に依って取得され、大規模な改造が行われた。 洪牙利のルードビッヒ大王の許可に基づきアイゼンシュタットの城の周囲に城壁を造った。

1622年 城は質草としてエスターハジー家の管理となり、1672年 バロック様式に改造。

城の大時計

城門:カッフェもある。

この色合いはパステルカラーで 洪牙利風と云うのだろうか?

この銘板はラテン語のため和訳はアウト。

城の中庭

Haydn Saal:ハイドン・ホール ここでは時折コンサートが開かれる。訪問した時には ハイドンの曲が流れていた。

Fuerstliche Festtafel:侯爵の祝宴大テーブル どんな豪華な料理が出されたことか。

Brot des Lebens:祭壇には「生命のパン」 と書かれている。

門柱の装飾

Domkirche:ドーム教会

Franziskanerkirche:フランシスコ教会(修道院) 教区博物館となっている。

菩提樹の木陰のマリア像の井戸「飲料水」と書いてあって、「押せ」としてある。この付近は水が良いのかな?

Josef Hyrtl(1810〜1894):見たことのない顔 調べたらこの地の出身者の解剖学者であった。

Bergkirche の前にある塔

Spitalkirche:シュピタール教会(?) ハイドンのオルガンがある。

Josef Haydn(1732〜1809)古典派音楽の確立者。1761〜1790年迄 当地のエステルハージ侯爵の楽長。

Bergkirche:ベルク教会(山教会)ハイドンの墓所 18〜19世紀

ハイドンの棺

ベルク教会の庭の彫像 (由緒来歴不明)

昼食に立ち寄った ビア・レストラン「ハイドンブロイ」 創業は1990年とあるから歴史は古くない。 www.haydnbraeu.at 7000 Eisenstadt Pfargasse 22 Tel:02682/63945

レストランの庭を囲む壁は14世紀のもの。何処かに日本人の方の名前が刻まれている小さな銘板があったが、この方が修復の為、多額の寄付をされたらしい。

レストラン内部

昼だったので 従業員が少なく、この夫婦が働いていた。愛想が良く、一寸話しかけたら写真を所望、もちろん仲の良いポーズでパチリ、帰国後の写真送付の為 住所を書いて貰ったらどうも苗字からして独逸人ではなく、おそらく洪牙利人かスラブ系らしい。

学校がもうおしまいなのか(独逸では小学校は午前中)可愛い娘さんもついでにパチリ。

ところが2005年にこの親父さんから一通の手紙、次の日本語を訳してくれという。  「Hiki Tsuri Utu Mu Li Ki」 どうも意味が取れないので詳細を問い合わせたら、成長した娘さんの柔道着姿の写真が送られてきた。なんでも大会で優勝し、2級に合格したとの事。これで納得 柔道用語と解釈 早速 独和辞典と和独辞典の例文を書いて送ったらとても喜んで御礼の手紙がきた。このファミリーからは毎年クリスマス・カードが届く。あれから6年 さぞ娘さんもきれいになったであろう。ここにも親日家がいてくれてうれしい。機会があったら再訪してみたいもの。 (引・吊(釣)・打・無・理・気 と解釈)

エステルハージー城

エステルハージー城の内部(ガイドツアー)

エステルハージー城の内部(ガイドツアー)

ハイドンの墓所、ベルク教会

ハイドンの柩

アイゼンシュタットの街(2)

アイゼンシュタットの街(3)

アイゼンシュタットの街(1)

ハイドン博物館

博物館展示

アイゼンシュタットの街(4)

ハイドンが使っていたポジティヴ・オルガン

1732年に生まれたハイドンが7歳まで住んだハンガリーとスロヴァキアの国境に近いローラウの家の中庭(案内パンフレットより) ブルックライサ駅よりタクシー、バスもあるが少ない

ハイドンが生まれた部屋(案内パンフレットより)