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カウナスってどんなところ?

カウナスの歴史は、少なくとも10世紀まで遡ることができ、最初に、現存する文書に登場するのは1361年のことである。13世紀にはチュートン騎士団の攻撃から街を守る為に城壁が造られたという。1408年、マグデブルク法による特許を得て以後、重要な川港を擁する交易の中心地として発展を始める。1441年、ハンザ同盟の都市となり、同盟の商業事務所が置かれた。16世紀、リトアニア大公国の元で街は大きく発展した。17世紀から18世紀に掛けて、ロシア、スウェーデン、ナポレオン・ボナパルト ナポレオン軍などの侵攻を受け、また疫病の流行などもあって街は荒廃した。1862年、ロシアとドイツを結ぶ鉄道が開通すると、カウナスは重要な中継地点となり、1892年には最初の発電所が稼働を始めた。1919年、それまで首都であったビルニュスがロシアに占領されると、リトアニア政府はこの街に移転して来た。そして翌1920年、ビルニュスがポーランドに併合されると、カウナスは正式に首都となった。

カウナスの写真・旅行記

********************** 2010/07/07水 カウナス(エストニア第二の都市) ********************** ・独立広場と聖ミカエル教会見学 <ここから自転車レンタル> ・悪魔の博物館見学&写真撮影 ・チュルリョーニョス美術館見学 ・聖ペテロ&パウロ大聖堂見学 ・カウナス城(廃墟なので外観のみ) ・サンタコス公園でネリス川とネムナス川が交わる地点まで行く ・ヴィータウタス教会見学 ・ペリクーナスの家(外観のみ) ・ネムナス川沿いから駅前まで自転車で散策 ・杉原千畝記念館(外観のみ) 【カウナス泊:ホテル・ネリス改め、ホテル・パーク・イン(Park Inn)】 ********************** 自転車での市内観光は、まずは自由を意味するライスヴェス通りから始まりました。 原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」によると、ライスヴェス通りはソ連時代にはスターリン通りと呼ばれていたそうです。 そして真っ先に、カウナスで1番楽しみにしていた悪魔の博物館に向かいました。 カウナスで自転車でつなげたいと思っていた博物館は4つありましたが、実際に回れたのは、悪魔の博物館と、チュルリョーニョス美術館だけでした。 回れなかったあとの2つは、これらのすぐ近くのヴィータウタス大公戦争博物館と、駅前に近い杉原千畝さんの博物館です。 ヴィータウタス大公戦争博物館を見学したいと思ったのは、悪魔の博物館やチュルリョーニョス美術館のすぐそばという好都合なロケーションと、「地球の歩き方」によると、中世から近代までのリトアニアの通史の博物館とあったからです。 中世から近代までのリトアニアの歴史は、ドイツ騎士団やロシア、ポーランドなどの当時の周辺列強国との戦いの歴史です。 だから、戦いに関する展示を通じて、興味あるけどまだまだ未知のリトアニアの中世から近代あたりの歴史を少しでも理解するのに役立つだろうと思いました。 ところが、チュルリョーニョス美術館を見学中、本日は1日曇天だと思っていたのに、外では思いがけず太陽が顔を出しました。 なので、首尾よく自転車レンタルができたせいもあり、自転車で市内観光したくてうずうずしてしまいました。 もともとヴィータウタス大公戦争博物館を候補にしたもう一つの理由として、撮影代を払えば撮影が可能という点もありました。 でも、博物館の写真ならもうすでに悪魔の博物館でたっぷり撮りましたから、同じくかなり割高な撮影代を払ってまで、戦争博物館の展示品の写真を撮らなくても、本日はもう十分でした。 というわけで、博物館よりも自転車での街散策を優先させてしまいました。 杉原千畝さんは、日本のシンドラーと呼ばれる人です。 カウナスに行くからには、この人の記念館は訪れなければならんでしょう、という使命感めいたものがありました。 でも、自転車で旧市街を先に回っているうちに、開館時間は終わってしまいました。 なので、建物だけ見に行きました。 閑静な住宅街の中にあって、探し当てるのになかなか苦労しました。 閉館時間をとっくに過ぎていたので、余裕をもって探すことができましたが、ぎりぎりでも開館時間に間に合わせようと思って向かったとしたら、かなり厳しかったと思います。 見たところ、まわりの住宅と大差ない、それほど大きくない建物だったので、当時の日本の領事館はこれで用が足りたのか、とちょっとびっくりしました。 日本の通行許可証を求めてユダヤ人が大挙してやってきたと思いますが、その人たちは全員が領事館の中に入りきらなくて、もしかしたら外までずらっと行列が続いていたかもしれません。 現在はヴィタウタス・マグヌス大学の日本語センターとなっていて、一部が杉原千畝さんの記念館として公開されているようです。 チュルリョーニョス美術館を見学後、早速、旧市街に向かいました。 新旧とも、カウナスは坂道が多かったのですが、勾配がきついところはそれほどなく、上り坂でもすいすいと走れました。 ふだん、坂道の多い森林公園のサイクリングコースで鍛えているせいでしょうか(笑)。 街中では、歩道にサイクリング用のコースが設けられているところもあり、石畳の道でも思ったより走りやすかったです。 自分が自転車に乗っているせいか、街中を自転車で走る人がよく目に付いて、意外と多いと感じました。 海外旅行先で事故を起こしたら───しかも自転車だと加害者側になりやすい───洒落になりませんし、初めて走るところなので、ふだんより慎重に自転車を走らせました。 それでも徒歩よりも断然スピードが出るので、徒歩だったら疲れ切ってなかなかここまで足を延ばせないだろうという距離まで、すいすいと移動できました。 ただ、街中でおやっと思った一角で写真を撮ろうと思うときが、若干面倒でした。 建物の中に入ったりしばらく自転車から離れるときには、きちんとチェーンで駐輪させなくてはいけないのは当然ですが、徒歩ならそのまま立ち止まってパチリとやれるところが、自転車だと徒歩ほど小回りがきかないので、写真アングルや構図を考えて撮るのに、若干、不自由を感じました。 そのため、旧市街のあちこちにあった中世の面影のある建物などを、目で見ていいなと思っても、あんまり写真に残せた気がしないです。 それよりも、人も歩いていてごちゃごちゃと走りにくいところより、自転車ですいすい回れる公園を回ってしまいました。 旧市街の奥には、町の発祥の地ともいえるニャムナス川とネムリス川が交差するところまでサンタコス公園が広がっていたので、川の交差地点まで自転車を走らせました。 実は、そんな方まで行っていたので、杉原千畝記念館の開館時間には間に合わなかったわけです。 また、夕方になるとまた、2度ほど雨に見舞われました。 一度目は、ウィンドブレーカーがレインコート代わりになったし、霧雨でしたので、そのままカサもささずに自転車を走らせていたら、しばらくして止みました。 6時すぎ、通常ならそろそろ観光を切り上げてもよいくらいでしたが、まだまだ自転車で街中を回りたかったので、レンタル屋の兄さんが薦めていた郊外のパジャイスリス修道院へ、建物を見るだけでもよいから足を延ばしてみることにしました。 街の中心を走るトラムで終点まで行って、さらに徒歩15分のところにある修道院です。 地図から推測する限り、自転車なら30分から1時間かな?───夕方6時から向かうには遅すぎますが、自転車は9時までレンタルできるので、夏のリトアニアは夜10時まで明るいので、行って行けないことはないだろうと思いました。 自転車でパジャイスリス修道院まで行ったなんて、よい話のタネにもなりそうです。 川沿いはサイクリングコースとしてもなかなかでした。 ところが、川沿いのコースは途中で工事中となり、通行できなくなりました。 地図を頼りに街中を突っ切るにしても、地図で確認できた大通りは歩道がないようなハイウェイで、それより細い道をちまちまと曲がりながら進まなくてはならないようです。 方向音痴の私には時間に余裕がないと無理です。 それに、それまではカサ要らずですんだ小雨も、だんだんひどくなってきたので、未練を残しつつも、街中に引き返しました。 引き返したら、雨は止みました。ありがちな皮肉です。 なので、パジャイスリス修道院がだめなら、せめて杉原千畝さんの記念館の建物だけでも見よう、と思って見に行きました。 そのあとも、バスターミナルのそばのロシア正教会を、建物だけ写真に収めたりできました。 レンタル屋さんの近くまで戻ってきても、まだもう少し自転車に乗っていたい気分が募り、もう一度ぐるぐると周辺を回ってしまいました。 自転車は7時すぎに返却しました。 本日は、カウナス観光は、ヴィリニュスから到着した昼頃から開始しましたが、たっぷり7時間は観光できただけでなく、自転車のおかげで徒歩では考えられないくらい行動範囲を広げることができました。 自転車だと徒歩ほど疲れないのですが、自転車を返却した後、歩いてホテルに戻ろうとしたとき、体は思ったより疲れていて、足がガタガタで真っ直ぐに歩けないくらいでした。 2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。 簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/ 詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」 http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html

ヴィータウタス大公の銅像 悪魔の博物館とチュルリョーニョス美術館の見学を終えて、ライスヴェス通りに戻って来ました。 さあ、今度は自転車で市内散策です。 「ヴィータウタス大公の銅像 (ライスヴェス)通りのほぼ中央に剣の切っ先を大地にさした「ヴィータウタス大公」の銅像がある。下の部分には彼の兵であったポーランド人、ロシア人、タタール兵と、折れた剣の惨敗したドイツ騎士団の騎士の像がある。タンネンベルクの戦いをイメージしたものである。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) 1410年の「タンネンベルクの戦い」(チュートン騎士団のドイツでの呼び方)あるいは「グリュンヴァルトの戦い」(ポーランドでの呼び方)あるいは「ジャルギリスの戦い」(リトアニアでの呼び方)は、ウィキペディアフリー百科事典からかいつまんで解説すると、1410年7月15日、ポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団(チュートン騎士団)の間で戦われた中世最大の戦闘です。 これによってドイツ騎士団はポーランドやリトアニアの地での影響力を失い、リトアニアとドイツ騎士団の長年の戦いにも一応の決着がつきました。 ちなみに、この戦いで勝利をおさめたポーランドはさらに勢力を拡大し、ロシアを除くヨーロッパで最大の版図をもつ強国として最盛期を迎えることになります。 ポーランド・リトアニア連合軍側の主力は、ポーランド人、リトアニア人(リトアニア人とルテニア人)、ドイツ人(のちに結成されることになるプロイセン連合加盟諸都市の市民)で、そこにボヘミア人(チェコ人)、ルーシ人(古代ロシア人)、リプカ・タタール人、オランダ人の援軍が加わりました。

ライスヴェス通りにある、もと議会の建物 情報源は原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」です。 ヴィータウタス大公の銅像のとなりにあったので、カウナスが首都であった1920年から1939年にかけて議会として使われた建物というのはこれだと思います。

カウナスだからカウ? もと議会の建物の上の方に注目。 まさか英語と同じく、リトアニア語でも雄牛のことをカウというのではないでしょうが……。 602という数字も意味深です。

旧大統領官邸のゲート 現在博物館として公開されているようです。 建物だけでも見たいので、自転車のままゲートの中に入りました。 中はちょっとした公園のようになっていました。

旧大統領官邸博物館の宣伝 どうやら企画展として、ここが旧大統領官邸として使われていた当時の写真展が、2010年5月21日から10月31日までの開催されているようです。

リトアニアの旗が翻る旧大統領官邸 カウナス滞在がたったの1日でなければ、博物館となっている中を見てみたかったです。 手前の銅像は、1919年に就任した初代大統領のアンタナス・スメトナ大統領でしょうか。 リトアニアがロシアから独立し、この翌年に成立したリトアニア民主主義共和国は、残念ながら第二次世界大戦勃発によりナチス・ドイツとソ連に占領されてしまいます。 「旧大統領官邸  リトアニアの最初の独立時代、1919~1940年の間に3人の大統領が住んだ官邸。1階は当時の資料や写真の展示室となっており、2階には集会室と大統領の執務室が再現されている。執務室の窓とその上部の装飾は、当時のままで保存されている。1940年6月15日、アンタナス・スメトナ大統領のもと、ここで最後の政府集会が行われ、その後ソ連の占領によりリトアニアの独立が失われた。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

パステルカラーの美しい建物が並ぶ石畳のヴィリニアウス通りから旧市街に突入 ライスヴェス通りからヴィリニアウス通りに出る途中、地下道を渡らなくてはならなかったのですが、自転車のためにきちんと階段の脇にレールがありました。

すばらしいゴシックの屋根のある建物 こういう苦しいアングルでしか撮影できないのが残念でした。

見ているだけでウキウキするアートグッズショップ このあと自転車を停めて大聖堂を見学しました。 その写真はこちらの旅行記の後半にあります。

ゲートの上の町のイラストがステキ! 「2010年バルト3国旅行第4日目(1)カウナス:内部撮影に萌えた2つのバロック教会、前身はロシア正教会の聖ミカエル教会とゴシックの香りも残す大聖堂」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10527468

旧市街の中心の市庁舎広場に面した建物

市庁舎広場に面したレンガの建物 現在は観光案内所となっています。 このすぐとなりに有料の公共トイレもありました。 「広場の周辺には16世紀に建築された商人の家など545軒ばかりが残っている。第二次大戦の戦禍をまぬがれたこの地域にソ連は八車線の道路の建設を考えたというから、それを阻止した人の功績は大きい。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用)

市庁舎広場にそびえるお城のような旧市庁舎 白鳥にたとえられているのもうなづける建物です。 広場の真ん中に市庁舎がある構造は、ポーランドの影響でしょう。 「旧市庁舎 “白鳥”に例えられる美しいバロック様式の建物。1542年に最初の基石が置かれ、18世紀半ばに現在の姿に建て直されている。リトアニアが帝政ロシア領になってからは政治犯の牢獄として、その後は皇帝の別宅としても使われた。現在は結婚登記所となっていて、週末には華やかな新婚の集団を見かけることも多い。  旧市庁舎を囲む市庁舎広場(Rotuses Aikste)は、中世には市場が立った場所。旧市庁舎前にあった15世紀のロウ製作所が発掘され、ガラスで覆われて公開されている。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) 旧市庁舎は結婚登記所のほかに、現在は陶器博物館としても使われています。 でももっともっと街散策の方がしたかったので、中には入りませんでした。

市庁舎広場に面したイエズス教会

カウナス城は修復中 これでもだいぶ復旧作業がすすんだろうと思われます。 その気になれば、ここで中世の映画のロケができるでしょう。 「カウナス城  13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られた城。ネムナス川は当時騎士団領とリトアニアとの国境となっていたため、何度もここで戦闘が行なわれた。1363年には騎士団に占領され破壊されたが、15世紀にヴィタウタス大公の時代になって再建された。騎士団との戦いに勝利した後は城としての重要性を失い、外賓を接客する際などに使われた。  城はもともと台形の城壁に4つの塔を持っていたが、現在残っているのは修復された塔と城壁の一部、城郭の名残りのみになっている。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

ネリス川とネムナス川が合流する地点をめざして、サンタコス公園へ カウナス城のすぐそばに、ネリス川とネムナス川沿いに広がっている公園です。 広々としていて自転車でも走りやすかったです。 途中でこんな石碑を見つけました。 丁寧に献花までされていて意味深です。

石碑の浮彫り なんて書かれてあるかさっぱりわからないですし、この浮彫りの人物のヒントは得られませんでした。 中世リトアニアの大公の誰かかもしれませんし、あるいは古代リトアニアの宗教の神さまかもしれません。 あるいは象徴的な人物であって、特に誰でもないのかもしれません。

サンタコス公園の案内 この公園、イヌは禁止なんですね。 木々の向こうに見え隠れしているのはネリス川です。

ネリス川(右)とネムナス川(左)の合流地点が見えてきた! このあたりから舗装された道はなくなり、ぼこぼこで、油断すると自転車のハンドルがとられそうになりました。

ネリス川とカウナス市を望む

合流地点にいた恋人たち

ネリス川(右)とネムナス川(左)の合流地点 「街は南から流れてくるリトアニア最大のニャムナス川と、北側からのネリス川が合流する地点にできた周囲が丘陵地に囲まれた三角形の平地の街である。カウナスという名称には「深い」という意味があるそうだが、これは丘陵の中の平地だからなのだろう。人は紀元前から住んでいたようで、5世紀か6世紀頃には集落ができて、カワニュ、カニィス、カブヌなどといろいろな名で呼ばれてきた。そこに小さな砦が築かれたのが1140年頃となる。この砦が後にはカウナス城となるが、この城が記録に登場するのが、「1362年にドイツ騎士団の攻撃で陥落した」というドイツ騎士団の年代記である。(中略)  ドイツ騎士団が1410年のタンネンベルクの戦いで大敗するときまで、カウナスはリトアニアの西の境界を守る要衝であったことだけは確かである。なお、ドイツ騎士団はここを13回も襲撃している。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用)

ネムナス川沿いに町にもどる

ネムナス川に架かる、ちょっと古めかしいアレクソト橋と、川沿いの遊歩道

ヴィータウタス大公教会 ちょうど小雨が降ってきて、カサなしだとつらくなってきたので、この教会を見学しながら、雨が止むのを祈ることにしました。

入口付近から主廊と主祭壇を眺める

レンガのヴォールトがおしゃれな主祭壇とシャンデリア

紋章がいっぱいのステンドグラス

「ねっ、お願い!」 手を合わせる可愛らしい天使と、マリア像のある、主祭壇の脇

主祭壇の奥の窓 窓のシルバーの部分はマリアや祈る人々のようです。 ラッキーなことに、教会を見学しているうちに、雨が止みました。 自転車での街散策を再開できます。

ゴシックの建物だけでも見たかったペルクーナスの家 正面ファサードの上の方は、まるでゴシック様式の教会の屋根のようです。 「ペルクーナスの家  15世紀に建てられたゴシックの傑作。言い伝えによると、この場所には雷神ペルクーナスを祀る神殿があったとのこと。19世紀に修築が行われた際30cm大のブロンズ像が見つかって、これこそペルクーナスという説とタタールによってもたらされたインドの神像だという説とで論争が起こったらしい。その像は残念ながら失われてしまったが、“ペルクーナスの家”の名前だけは定着したようだ。現在は図書館となっている。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

近くで見つけた面白い柱 ペルクーナスについて原翔さんの(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」から引用します。 「ペルクーナスはミンダウガスが崇拝した神だが、元々はウクライナ近辺にいた東スラヴ人か遊牧民の神だったようだ。キエフ・ルーシがキリスト教に改宗する以前の9世紀中頃にはペルクーナス信仰がウクライナ全域に広まっていた。ロシア人はこの神をペルーンと呼んで軍神として崇敬した。戦いに臨む戦士たちはペルーン像の足下に武器をおいて誓約したという。軍神であるペルーンは稲妻の創造主でもあり、稲妻を手にもって雷鳴とともに投げつけると考えられたのである。ペルーン崇拝がどこで発祥したかは知らない。北欧神話のトールも同じような神なので、ヴァイキングがもたらしたのかもしれない。ペルーン信仰はかなり広範な地域に広まったからリトアニアにも伝わってきたのだろう。リトアニアでのペルクーナスを信仰する人の組織は大変に厳格で、神官階級が力をもち、血の捧げ物の儀式などで民衆を厳しく統率した。これがリトアニア人が対外的な力をもてた所以だといわれている。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用)

カウナス旧市街の絵地図と回った経路 市庁舎広場の観光案内所で買った絵地図です。 2.00リトアニア・リタスでした。 (旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円) 黄色く囲った建物は、見学したり写真に撮った主なものです。 1:聖ペテロ&パウロ大聖堂 2:旧市庁舎 3:イエズス教会 4:カウナス城 5:ヴィータウタス大公教会 6:ペリクルーナスの家

ネムナス川沿いを走る このあとは、パジャイスリス修道院まで行ってみることにしました。

ネムナス川に架かる吊り橋の下を走る

川沿いの道が工事中でふさがっていたので、あきらめて戻ってきたところ 町中を途中までパジャイスリス修道院まで走りかけましたが、それもあきらめました。 なので、今度は建物だけでも見ようと、杉原千畝記念館に向かうことにしました。 途中で見かけたカウナス駅の写真 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/19720253/ 関連の旅行記 「2010年バルト3国旅行ハイライトその1:移動と市内交通編<リトアニア>」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483384/ ちなみに今回のバルト3国旅行では鉄道は一切利用しませんでした。 バルト3国はバス網が発達している代わりに、鉄道はあまり発達していないので(昔に比べると撤退した路線もあるらしい)、旅行のプラン作りの際に、鉄道利用はほとんど考えませんでした。 いつも海外旅行先では鉄道旅行なので、たまにはそういうのもいいものです。

バスターミナルのそばのRamybes公園のロシア正教会 杉原千畝記念館をめざしているときに見つけた教会です。 もう時間も遅いので教会は閉まっていて入れませんでした。

公園のもう一つのロシア正教会 公園に入るゲートも閉ざされていたので、これらの教会の写真は外から撮りました。 ファサードで隠れてしまっていますが、タマネギ型のドームがステキな教会でした。 奥にそのドームの一つがかろうじて見えています。

V. Mykolaicio-puino通りで杉原千畝記念館に行く道がなくなってしまってうろうろ

杉原千畝記念館に行くにはこの階段を上らねばならないとは! まさかこの階段が杉原千畝記念館の方へ行く道だとは思わなかったので、途方に暮れてあたりをうろうろしていたら、窓から私を見ていたらしい近くの住人が教えてくれました。 自転車はそばの電柱にチェーンでくくりつけ、ここからは歩きました。 階段の段数を数えませんでしたが、踊り場が5~6箇所くらいあって、かなり長い階段でした。

階段を上り切った後に見えてきた杉原千畝記念館のご近所 ふつうの閑静な住宅街です。 こんなところに元・領事館があるのかと心細くなってしまいます。

杉原千畝記念館の案内を見つけた! このまま100メートル先のようです。ほっ。

現在、ヴィタウタス・マグヌス大学の日本学センターにもなっている、杉原千畝記念館 建物だけでもなんとかこうやって写真を撮ることができました。 とりあえずミッション完了!?

バスターミナルのそばのRamybes公園で見つけたモスク 屋根の上の三日月がいかにもイスラム教の建物らしいです。 さきほどのロシア正教会と白一色で統一されているのは興味深いと思いました。 清楚なイメージでステキです。

独立広場の聖ミカエル教会、再び 礼拝堂のある後陣側です。 ここまでくれば自転車レンタル屋さんはすぐそばです。 ずっと自転車で町中を回れたおかげで、まだ体力は余っているし、曇天とはいえあたりは明るいので、なんだか自転車と離れがたくて、来た道を引き返して、もう少しだけぶらぶらと乗り回しました。

19時過ぎてもまだ営業していた、ライスヴェス通りのキオスク さすがに19時を過ぎるとほとんどのお店が閉まってしまう中、このキオスクは営業していました。 旧ソ連らしいキオスクです。 24時間営業ではないと思いますが、これぞ旧ソ連圏のコンビニといえるでしょう。 ここでミネラルウェーターを調達しておきました。 このあとはホテルの裏手のリトアニア料理のレストラで夕食をとりました。 そのレストランと夕食の写真はこちらの旅行記にまとめました。 「2010年バルト3国旅行ハイライトその6:食事とレストラン編<リトアニア>」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10485243/

自転車レンタル屋さんでもらったカウナスの広域地図と、自転車で回った経路 水色で囲んだあたりが新市街です。 赤く囲んだあたりが旧市街です。 1:悪魔の博物館とチュルリョーニョス美術館 2:旧市街の大聖堂や市庁舎広場やカウナス城があるあたり 3:通りかかっただけの、カウナス駅 4:建物だけ見に行った、杉原千畝記念館 5:一度はめざすも断念した、パジャイスリス修道院 独立広場から出発して、ライスヴェス通りを進み、まずは悪魔の博物館とチュルリョーニョス美術館を見学。 見学後、再びライスヴェス通りを進み、途中からヴィリニアウス通りとなって旧市街に突入。 旧市街では大聖堂前に自転車を停めて、大聖堂と市庁舎広場を見学したあと、再び自転車でカウナス城を回り、サンタコス公園を通ってネリス川とネムナス川の合流地点まで。 それからネムナス川沿いに走りながら、途中、ヴィタウタス大公教会に寄り道しつつ、パジャイスリス修道院をめざしましたが、雨が強くなってきたので中止。 カウナス駅の方に方向転換し、杉原千畝館の建物だけ見て、再び独立広場に戻りました。 「パジャイスリス修道院  18世紀バロック様式の修道院。シンメトリーの建築と、教会の内壁を埋めるフレスコ画が美しい。当時のイタリアから招かれた芸術家たちの手によるものだ。  リトアニアがソ連に占領されると修道僧たちは追い出され博物館になっていたが、現在再び修道院として活動を再開している。修復作業中だが敷地の一部を見学することは可能。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) 「カウナスは学園都市だが工業都市でもある。ソ連時代にタービン、モーター、無線機、暖房用ボイラーなど比較的、規模の大きな工場ができ、繊維、縫製、合成ゴム、木工製品などの軽工業や、食肉や酪農製品の食品工業など工場が30ばかり建設されている。これらは郊外にあるようだ。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) カウナス滞在を2日から1日に縮めたため、郊外のリトアニア民俗生活博物館には行けませんでした。 こういった野外博物館は他の国ラトヴィアかエストニアで行けばいい、と涙を呑んであきらめたのです。 ロシアやソ連に占領されていたリトアニアや、リトアニアのユダヤ人の暗い歴史を示す博物館として、カウナスには杉原記念館の他に、第9要塞博物館がありますが、どちらも行きそびれました。 パランガ編へとつづく。

展示室の真ん中のケースにあったアフリカの仮面的な彫刻 背後に天狗のお面が見えます。 あとであそこの展示もじっくり見ましょう。

展示室の真ん中のケースにあった、これもどこかアフリカ的なかんじがする彫刻 アフリカ的なかんじがするのは鼻のあたりかなぁ。

世界の悪魔はバラエティーに富む! この悪魔には角がないです。 広義で悪魔とくくられる人外の生きものだろうと思います。

こちらまでつられてニヤリと笑いそうになる悪魔 悪魔というより鬼といいたくなります。 ウクライナの悪魔です。

うずくまったり考えごとをしたり、いちゃいちゃしている(?)悪魔たち これもウクライナの悪魔です。

これはきっとコミックかアニメの悪魔では? 悪魔一家、可愛いです。 ペットのワンちゃんもいます。 これもウクライナの悪魔です。

可愛いと言っていいのやら カップルみたいです。 これもウクライナの悪魔です。

悪魔くん一家 角がなければ、悪魔というより、原始人というかんじがします。 毛で覆われた体が、毛皮を着ているように見えるからでしょうか。 これもウクライナの悪魔です。

小物入れとなっている、とぼけた顔の悪魔 これもウクライナの悪魔です。

花嫁さんは人間かな? 悪魔かな? 角があるかどうか微妙です。 これもウクライナの悪魔です。 リトアニアとウクライナは特に国境を接しているわけではないのに、ウクライナから寄贈された悪魔が多かったです。

とてもユニークで見ていて楽しくなる悪魔たち アルメニアの悪魔です。

緑と赤い芽をもつ悪魔 これもなかなかユニークです。 お隣のラトヴィアの悪魔です。

丸い顔のサルっぽい悪魔 これもラトヴィアの悪魔です。

楽しい悪魔@ これもラトヴィアの悪魔です。

ニワトリっぽい悪魔 これも悪魔というより人外の存在でしょう。 ひょっとしたら神の一人かもしれません。 キューバ/ボリビアのコーナーにあった悪魔です。どちら国の悪魔かまでは分かりませんでした。 どっちにしても、南米っぽいかんじがします。

赤い背広を着たミュージシャン悪魔 ブラジルの悪魔です。 派手な色使いがいかにもブラジルらしいです。

これはむしろ神さまでは? スリランカ・コーナーにて。

日本の天狗も悪魔の仲間入り@ アジア・コーナーの中にありました。

繊細なガラスでできた、悪魔のミュージシャンとダンサーたち ロシア/ベラルーシのコーナーにありました。どちら国の悪魔かまでは分かりませんでした。

舞台のカーテンの向こうから覗く悪魔 切り取った木を嵌めて制作した木象嵌です。 北欧の悪魔です。

女の子と仲良しの悪魔 北欧の悪魔です。 いわれてみるととても北欧的なキャラクターに思えてきます。

2つの顔を持つ悪魔 これも北欧の悪魔です。 悪魔の博物館の写真は以上です。 見学時間は12時20分から13時45分、約1時間半でした。 ふうんふうんと見るだけならゆっくり歩いても30分程度で見学が終わってしまうと思いますが、写真を撮ろうという目的のおかげで1つ1つじっくり観察できたのはよかったです。 そして写真を撮ったおかげで、こうして後から、こんな悪魔もあったなぁと記憶を温め、実物を見ているときには気付かなかった細部にも目がいくようになると同時に、こんな悪魔たちがいたんだよとこうやって紹介できて幸せです。

チュルリョーニョス美術館 入場料は6.00リトアニア・リタス。撮影不可。 (旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円) チュルリョーニョスについて簡潔に説明されたサイトを見つけました。 http://litabi.com/ciurlionis.html このサイトでは他にもリトアニアの基本情報や歴史、いくつかの主要都市と見どころなどを説明しています。

チュルリョーニョス美術館の中庭にあった彫刻 チュルリョーニョス美術館の見学時間は14時から14時35分です。 大急ぎで回ってしまいました。

チュルリョーニョスの作品のポストカード(1枚0.50リトアニア・リタス)と、カウナスのギャラリー&ミュージーアム案内の冊子(5.00リトアニア・リタス) 建物の展示室は若干入り組んでいました。 チュルリョーニョスの絵画だけでなく、現代リトアニアの画家の企画展のスペースもあり、Petras Kalpokas(1880~1945)という画家の作品が展示されていました。 地下には、チュルリョーニョスに関する物───彼の持ち物や写真、楽譜の原稿、旅先で描いたスケッチや絵はがき、彼の経歴の説明などがありました。 それらは残念ながらよく分からないので、さーっと歩いて見て回っただけです。 チュルリョーニョスの作品を見るのは初めてです。 音楽は残念ながら聴いたことがありません。 視聴できるブースがあったのですが、外はおもむろに天気になってきて、美術館の建物の中にもよく日が差し込んできたため、視聴するよりは街散策がしたくなってしまいました。 チュルリョーニョスの絵はポストカードのようにやわらかい雰囲気のやや幻想的な絵が多かったです。 彼の音楽と傾向と共通するのであれば、なんとなくドビュッシーのピアノ曲のような印象派的で情景的な音楽ではないかと想像できます。 何が描かれているなんとなく分かる絵が多かったですが、中には「ソナタ」と題された完全な抽象画もありました。 そこから画風は違うけれど、カンディンスキーを連想しました。 ポストカードの絵のタイトル 右上:「春」(1907年制作) 右下:「春」(1907年制作) 左上:「供物」(1909年制作) 左下:「冬II」 カウナスのギャラリー&ミュージーアム案内の冊子は、見ればみるほど、またカウナスに行きたくなります。 カウナス市内の10ヶ所、郊外のDRUSKININKAIの2ヶ所を作品のカラー写真入りで紹介しています。 ・チュルリョーニョス美術館 ・チュルリョーニョス新ギャラリー ・ジリンカス美術館 ・カウナス・ピクチャー・ギャラリー ・悪魔の博物館 ・リトアニア旧大統領官邸博物館 ・陶器美術館(旧市庁舎内) ・J. ZIKARASメモリアル・ミュージーアム ・L. TRUIKYS & M. RAKAUSKAITEメモリアル・ミュージーアム ・A. & P. GALAUNEハウス ・チュルリョーニョス・メモリアル・ミュージーアム(DRUSKININKAI) ・V. K. JONYNASギャラリー(DRUSKININKAI)

そばの公園にあった彫刻・その1 チュルリョーニョスに関係あるかどうかはわかりませんでしたが、なかなか惹かれたので写真を撮りました。

そばの公園にあった彫刻・その2

そばの公園にあった彫刻・その3 ラクガキが残念! 馬に乗っている……ナニかしら?

壁のラクガキとそばの公園にあった彫刻 このランガキは面白いと思いました。 右側はネコですね。 「2010年バルト3国旅行第4日目(5)カウナス:初の海外自転車レンタルですいすい市内観光」へとつづく。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10527472

風車小屋で手伝いをする悪魔たち 背景に展示室の様子を取り込んでみました。

迷える羊に化けた悪魔!?

独特な味のある悪魔

木彫りの悪魔群像

耳をすませる悪魔?

歯を見せてニヤリと笑う悪魔の仮面

悪魔たちの足元にたくさんの骸骨 「私のリトアニア、Kostas Dreskevicius作、1975年  この作品の歴史的な意味は、1939~1941年、リトアニアと他の東欧諸国がソ連に併合された出来事を指しています。歴史人物のスターリンとヒットラーは、何百億もの人々を苦しめ、命の危険にさらした悪魔に扮されています。」 (展示の悪魔解説を私訳)

魔法のほうきを持った魔法使いのおばあさん

ベロだしチョンマ

おとぎ話に出てきそうな魔法使いや魔女たち キリスト教からみると、悪魔にくくられてしまうのでしょう。 そういえばヨーロッパの暗い歴史に魔女狩りがありました。

ねずみ男のような服を着たおばあさん? おじいさん?

こてんぱんにやっつけられた悪魔!?

知恵比べ? こういうのってきっと小さい方が勝つんだと思います。

背負っているのは、おじいさんかと思ったけど、おばあさん? 「頑固者を背負う悪魔、Adomas Kvasas作、1924年  怒っている女性とおしゃべりな女性は、悪魔よりも上回ります。あるおとぎ話では、聖ペテロが女性の頭と悪魔を組み合わせ、悪魔、すなわち女性は悪魔の頭を持つようになったと語っています。悪魔自身も、女性のおしゃべりにそそのかされることがあります。」 (展示の悪魔解説を私訳)

女性を抱えてでれっとする悪魔!? 「若い女性が納屋の干し草置き場で寝ていました。悪魔が彼女をダンスに誘いました。女性は亜麻について話し始めました。どのように種がまかれるか、どのように土の中で眠るか、どのように芽が出て、成長するか、そしてどのように引き抜かれ、打たれ、くしがかけられ、そして編まれるか。彼女はニワトリが鳴くまで話して話して話し続け、悪魔は退散しました。 --------------  悪魔の甘言は、しばしば女性にとって致命的です。甘言に負けた女性は死に、勝った女性は生き残ります。多くの場合、悪魔には、たとえば川を干上がらせるといった、耐えがたい仕事が与えられます。時に、夫が口論好きの妻を悪魔に引き渡すことがありますが、悪魔ですら彼女をおとなしくさせることはできません。」 (展示の悪魔解説を私訳)

ユーモラスな悪魔の仮面

「なんか文句ある!?」 オノレ・ドーミエの風刺画を連想しました。 うーん、でもここまでひどくなかったかな。

なんともいえない顔の悪魔 みにくいというか、ユーモラスというか、愉快というか。

ゴブリン?

あまり見慣れぬこういう悪魔増はリトアニアらしいのかしら

小鳥を手でつつむ悪魔 動物に好かれる優しい悪魔像もあると思います。 日本の昔話の泣いた赤鬼の赤鬼・青鬼や、ギリシャ神話のパンなどを連想しました。 パンは牧神ですけどね。

悪魔の絵のある織物 しっぽのところがワンポイント@

悪魔のメダル

こりゃ可愛い@

鎌を熱する悪魔? カウナスの悪魔の博物館と書かれてあります。

これもカウナスの悪魔の博物館の記念メダルかも

ごはんの準備!? ではなくて、地獄の窯かもしれませんけどね。

イヌっころっぽくて、どこか可愛い悪魔@

風車小屋で風車を回す悪魔・その1 悪魔のイメージとしてリトアニアでポピュラーなものの一つのようです。 「悪魔は風車の羽や石臼を動かして粉屋を助けると信じられていました。なぜなら粉屋は金持ちだからです。音楽会社『悪魔の花嫁』がリトアニアの映画スタジオを建てた(K. Borutaによる『バルタラギスの風車』という短編(作曲家V. Ganelin)にちなんで)1974年以降、その話はとても有名になりました。1979年と2003年には、ミュージカル「悪魔の花嫁」が制作されました。」 (展示の悪魔解説を私訳)

風車小屋で風車を回す悪魔・その2 「『おれはなにをすればいいんだい?』悪魔はまるで夜に疲れたことがないようにそわそわしました。 『粉にしなければならない穀物がたくさんあるんだ』とバルタラギスは答えました。『でも、風がない。風に代わって風車の羽根を回してくれ』 『オーライ!』とピンチュカス(悪魔)は承諾し、たちまち風のように風車の羽根の上に座りました。  製粉機が次第に力強く動き始めました。バルタラギスが自分の召使いを支えていなければならないほどでした。ピンチュカスは風車の羽根を回すのがとても気に入ったので、彼は前の晩のいたずらをすべて忘れました。荒れ野に縮こまって座って綿を採るよりもずっと気持ちよく感じました。パンチュカスは、なぜもっと早くにこのことに気付かず、バルタラギスに手を貸さなかったのかと不思議に思いました。」 (展示の悪魔解説を私訳)

酒瓶を手にご機嫌!?

どんと腰を下ろし、歯を見せてニカッと笑う悪魔

「うまーいっ!」

悪魔のデュエット@

リフト成功、お見事!

ジャーンプ!

アコーディオンを弾く悪魔 背景の絵は風車小屋と悪魔たちかしら。

ギョロ目の白ひげじいさんの仮面

2人組みの小悪党!?

丸っこいワシ鼻と髪の毛が特徴的な仮面

悪魔と落雷?

たぶん、大晦日か、場所によっては新年の悪魔祓いの祭りに使われる悪魔役の人形

子供が扮している悪魔かな 「マレ・レドニチェの悪魔たち  スロヴァキアには、小さな悪魔と天使を従えた聖ニコラウスが、聖ニコラウスの日、すなわち12月5日に子供たちに贈り物をする習慣があります。聖ニコラウスは善人で、小さな悪魔は子供たちを怖がらせ、天使は子供たちをなだめて子供たちを幸せにします。  この村では、標準的な民間の習わしに比べてもっと奇妙なものがあります。聖ニコラウスが従えているのは一人の悪魔ではなく、13ダースの悪魔なのです。驚くべきことに、村には500人しか住人がいません。一方、小さな悪魔は羊かウサギの毛皮でできた長い仮面をかぶっています。仮面は大麦と小麦の茎で織り合わされています。悪魔たちは年老いた農夫の皮ジャケットか、羊かウサギの未処理の毛皮でできたジャケットを着ています。ベルトには、合金か錫のカウベルがぶらさがっています。小さな悪魔がたくさんいればいるほど、鐘は激しく鳴ります。」 (展示の悪魔解説を私訳) ちなみに、ホテルでもらったIn Your Pocketのカウナス版(2010年7~8月号)によると、レーニンを悪魔に見立てた作品もあったようです。ソ連時代のもののようです。全然気付きませんでした。 In Your Pocketには小さく写真も載っていましたが、ニタリと笑っている像でした。確かによく見ると、レーニンでしたが、そう思ってみないと気付かないと思います。 悪魔の博物館の写真は、あともう少し続きます。 「2010年バルト3国旅行第4日目(4)カウナス:ユニークな悪魔の博物館(3)世界の悪魔コレクション&チュルリョーニス美術館」へとつづく。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10527471/

Putvinskio通り64番にある悪魔の博物館 博物館の前の通りの歩道にチェーンで自転車を停めたら、それを見ていた館員のおじさんがクロークの中に入れた方が安全だといって、自転車ごとに中にいれてくれました。 1階はチケット売り場や事務室、展示室は2階から4階ですが、「地球の歩き方」では展示室の1階目ということで、日本方式で勘定した物理的な2階を1階と呼んでいるようです。 「悪魔の博物館  画家ジムイジナヴィチウスが収集した「悪魔」の博物館。フォークアートを通じて人間と悪魔の深いかかわりが伝わってくる。  今も世界中からプレゼントとして新しい悪魔たちが送られてくるそうだ。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

ジムイジナヴィチウスが手に入れた最初の悪魔 「サモギディアの悪魔、1906年 コレクションの第1体目です。ジムイジナヴィチウスはこれを、1906年の第1回リトアニア芸術展において贈り物として手に入れました。それから画家は悪魔をコレクションし始め、13ダース、すなわち169体は集めたいと思うようになりました。実際には、彼は20ダース、すなわち260体、集めました。」 (作品解説を私訳)

地獄に堕ちた人間を痛めつける悪魔

2体の悪魔 羽があって角があって、腰布を巻いただけの裸で、たれ目。

地獄の悪魔

アコーディオンを弾く悪魔 楽器を弾く悪魔というのは、私にとっては珍しかったですが、リトアニアではひょっとしたらポピュラーなイメージなのか、何体かありました。

アコーディオンを弾くこっちの悪魔はちょっと可愛い@

悪魔が吹く笛にとまる鳥と、悪魔の笛の音色に聞き入るウサギ 「神にはルシファーという名前の兄弟がいました。2人は天使の合唱団を持っていました。しかし、神は彼の兄弟より優っていました。ルシファーはそれをうらみに思うようになり、彼らの間で戦いが始まりました。神がルシファーとルシファーの天使すべてを天使から引きずり出したとき、彼らは3日3晩、雪のように転げ落ちました。 --------------  キリスト教の解釈では、悪魔は神に対する反逆者───あまりに高慢となったため、罰せられて地獄に堕とされた天使、とされています。悪魔はしばしば、サタン、ルシファー、べルゼベブ、悪霊、キリストの敵、ヘビ、誘惑者と呼ばれます。悪魔がエデンから追放されたことを暗喩しているのは、新約聖書の次の言葉です。『私はサタンが、空からの稲妻のように堕ちるのを見た』 民間伝承において、悪魔は神から与えられた任務を決して正しく遂行しません。悪魔は平地でなく山を、花でなく雑草を、鳥でなくコウモリを創造しています。」 (展示の悪魔解説を私訳)

何かをとりあって勝負している人間と悪魔? 「どちらの方が賢くて利口か、男と悪魔が議論しました。男は悪魔に、悪魔は壁の穴に入れるくらい賢いかどうか尋ねました。悪魔が穴に入ったとき、男は穴をナナカマドの木の一部で塞いでしまいました。 --------------  悪魔は人間の姿をとります。悪魔は、若い紳士、狩人、「ドイツ人」などになることができました。悪魔はしばしば黒くて、赤や緑の服を着ています。悪魔は外見を変えることができます。悪魔と人間との関係はさまざまでした。友好的なこともありましたが、誘惑したり、悪さをしようとします。たまに悪魔は人間の助けを必要とします。稲妻からかくまってくれるよう、あるいは乗り物に乗せてくれるよう頼むことがあります。逆に、悪魔が、日常の雑用をしたりお金を貸したりなど、人間を助けることもあります。悪魔は賢い場合もあり、バカな場合もあります。お伽噺の中には、バカな悪魔が人間に負ける話が2,000話以上あります。」 (展示の悪魔解説を私訳)

袋の中に獲物を持つ悪魔

月夜に踊る悪魔

ナイショ話する悪魔たち!?

その手に持つのはリンゴ? お花?

地獄の火の番をする悪魔かな

ヤギを盗むニヤケ顔の悪魔

募金?

ユーモラスな顔の悪魔たち

悪魔のパイプと、笛?

三ツ又の槍とグラスを持つ悪魔

まさか靴を作っている小人さんとはいわないよね? 角がなければ、瞑想するおじいさんの像みたいにも見えます。 この靴はひょっとしたら塩入れとか?

悪魔の塩コショウ入れ!?

悪魔の仮面と悪魔の塑像

毛のある悪魔の仮面 この仮面をかぶった悪魔役の人を追い払って福を呼ぶ新年の祭りがリトアニアにもありそうです。 ルーマニアやブルガリアにも、ありました。 ブルガリアの新年の祭りの悪魔役のクーケルの人形のいる写真 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14421104/ http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14421130/ 関連の旅行記 「2008年ブルガリア・ハイライトその14(完):ブルガリアでゲットしたもの」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10267157/ ルーマニアの場合 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13120496/ http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13120497/ http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13120508/ 関連の旅行記 「2007年ルーマニア旅行第12日目(2)シゲット・マルマッツィエイ:民俗博物館でマラムレシュ地方の復習を」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10201366/

笑う悪魔の仮面

飲み友達!? 「ルシファーはメスヤギのおしっこから酒を作りました。神は人間に酒をグラス2杯飲むことを許しました。1杯目は神の分、2杯目は人間自身の分、そして3杯目は悪魔の分として。人間が3杯目を飲むと、喉が燃えるようにひりひりしました。 -------------- 『悪魔の滴』を発明したのは悪魔だと信じられています。節度を欠いた飲酒は、人間を動物に変え、悪魔はたやすく人間をコントロールできるようになります。人間の弱さは悪魔にとって力となります。そのため、悪魔は人間をできるだけ誘惑します。人は酒を飲むと創造的になり想像力あふれるため、酒は『人を神に近づける』と信じられています。」 (展示の悪魔解説を私訳)

酔っ払いをとりこにする悪魔

悪魔の誘惑を忘れないお猪口@

ちょいとそこの兄さん、一杯やってかね?

じっと禁酒中の悪魔!?

悪魔の誘惑に乗せられて

踊る悪魔の絵付きの花瓶

ヤギにまたがっているところ?

双子を抱く悪魔@

3つの頭を持つ悪魔

大事になにかを抱く悪魔 なにを抱えているのかしら。

うっとり

物思いにふけるガーゴイル ガーゴイルとは、ゴシック建築で怪物の形に作られた屋根の水落とし口です。 有名なのでは、パリのノートルダム寺院のガーゴイルなど。 ホンモノではないけれど、パリのノートルダム寺院のガーゴイルの写真ならこんなのを撮ったことがあります。 関連の写真 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/17832274/ http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/17832275/ http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/17832276/ 関連の旅行記 「東武ワールドスクエアに行きたくて鬼怒川温泉1泊旅行(5)建物も人形もおっしゃれ!───Tobu World Square:フランスゾーン」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10407962/ ディズニーアニメの「ノートルダムのせむし男」(原作はヴィクトル・ユーゴー)では、これらのガーゴイルが動くキャラクターになっていました。

鳥を追いかける悪魔たち

月と一緒に乾杯

お友達の悪魔ちゃんを写生中・その1

お友達の悪魔ちゃんを写生中・その2

悪魔のイラストのあるティーセット

ポットの悪魔

お皿に丸くなった悪魔

ドラゴン姿の悪魔を倒す聖ゲオルグ(聖ジョージ)

悪魔コレクションするジムイジナヴィチウス 「50周年祝祭の狩りをするA・ジムイジナヴィチウス、アルフォンサス・カズラウスカス作、1966年  このユーモラスな作品は、A・ジムイジナヴィチウスが悪魔を追いかけているところです。このように画家の悪魔コレクション趣味が象徴的に表現されています。リトアニアのおとぎ話では、狩人はしばしば悪魔に出会います。狩人は悪魔が目覚めている夜に狩りに出かけるためです。悪魔は獲物の動物の姿に化け、狩人はそれを追いかけているうちに森の中で道に迷います。悪魔は、必ず的に当たる銃をくれることもあると信じられています。」 (展示の悪魔解説を私訳) 展示室1階目のジムイジナヴィチウスの悪魔コレクションからの写真は以上です。

階段の踊場にいた、ほぼ等身大の魔法使いのおばあさん人形

箒を持ってお掃除!? これらの人形は実際に祭りか、何か風習に使われたものだろうと思います。 小さなぶらさげられるような魔法使いのおばあさん人形なら、キッチンの守り神の可能性があります。 キッチンの守り神と思われる魔法使いのおばあさん人形はたとえばこんなのです。 ヴィリニュスで撮った写真 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20428964/ 関連の旅行記 「2010年バルト3国旅行第2日目(3)ヴィリニュス:旧市街散策(3)ピリエス通り~ベルナルディン教会」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10502263/ ウクライナのキエフの野外博物館で撮った写真 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/19428775/ 関連の旅行記 「2009年ウクライナ旅行第15日目(2)キエフ:最後のハイライト、ピロホヴォ村の野外博物館(後編)」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10469212/

2階のロビーで待ち構えていた、ほぼ等身大の悪魔の彫刻 「2010年バルト3国旅行第4日目(3)カウナス:ユニークな悪魔の博物館(2)リトアニア中から集められた悪魔のコレクション」へとつづく。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10527470

真っ先にやってきた独立広場の聖ミカエル教会 白亜の壁に水色ドームがステキな建物でびっくりです。 バスターミナルからタクシーでホテルに向かう途中、車窓から見たとき、これが大聖堂かと思ってしまったくらいです。 「聖ミコラス(ミカエル)大天使教会 (前略)この白い教会は1891年から1893年にかけてロシア正教の聖堂として建てられたが、旧ソ連時代には美術館として使われている。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) ホテルでもらったIn Your Pocketのカウナス版(2010年7~8月号)によると、聖ミカエル教会は1893年にロシア兵士のために建てられたロシア正教会でした。 第二次世界大戦後にリトアニア軍に引き渡されたときに、カトリック教会となりました。 ソ連時代には一時期、アートギャラリーとなりましたが、それを除くと聖ミカエル教会はずっと軍人のための教会だったそうです。

聖ミカエル教会の正面 剥げた塗装がちょっと残念ですが、迫力ありました。

主廊からドームの天井へ

ドームの天井とシャンデリア

側廊を望む

シンプルなステンドグラスと、花火みたいなシャンデリア

教会内に飾られていたキリストの十字架への道の絵の1枚 とても味わい深い絵でしたので、何枚かカメラに収めました。 順不同です。 これはシリーズ8番目の絵です。

閑静な主祭壇

悪魔(ドラゴン)を退治する大天使ミカエルの絵と、教会のシンボル 大天使ミカエルは、堕天使ルシファーとの戦いで天使側の指揮者だったので、そのエピソードに由来する絵だと思います。

受難の道の途中で転んだキリスト

十字架の上で血を流すキリスト

ドーム天井の窓と装飾に注目

シンプルで美しい聖母子像

犠牲者のための十字架 この十字架の前にあった簡単な説明の中に1989年と書かれてあったので(リトアニア語でしたので、数字しか分かりませんでした(涙))、ソ連からの独立がらみでしょうか。

美しい壁龕(=くぼみ) この部分だけこうやってファインダーの中に収めると、まるでイスラム教の礼拝の方向を示すミフラブにも見えてきました。

ドームの天井とシャンデリア このシャンデリアが本当に気に入りました。 ドームの天井の中心には、精霊のハトが見えます。

教会にあったファンタジックな絵

涙を流すキリスト

その像の全体は……考える人!?

キリストの十字架への道の絵の一枚、ベロニカのハンカチの奇跡

赤ん坊のキリストを優しく見守るヨハネとマリア

キリストの十字架磔刑像

美しい聖ミカエル教会の全貌 もとロシア正教会といわれて納得できる外観です。

旧市街にある聖ペテロ&パウロ大聖堂 独立広場から伸びるライスヴェス通りで自転車をレンタルし、悪魔の博物館とチュルリョーニョス美術館を見学した後です。 自転車で旧市街まで行き、この大聖堂の前に駐輪して見学しました。 「聖ペテロ&パウロ(ペトロ・イル・ポヴィロ)大聖堂  赤レンガの美しい15世紀の大聖堂。壁一面に描かれたフレスコ画と彫刻で飾られた祭壇が非常に印象的。現在リトアニアのカトリックの枢機卿がここを本拠にしている。  ヴィリニアス通り側の外壁には、有名な詩人であり教会の神父でもあったマイロニスの墓が添えられている。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) マイロニスの墓参りはしそこねました。

聖ペテロ&パウロ大聖堂の前にあった説明看板、全体像のスケッチ付 「カウナスの十二使徒・聖パウロと聖ペテロのバジリカ大聖堂  カウナスの大聖堂は、リトアニアにおいて唯一のバジリカ構造のゴシック教会です。リトアニア大公ヴィータウタスが創建者と信じられています。バジリカの記念碑的かつどこか禁欲的な建築を占めるのはゴシックとルネサンス様式であり、そのことは2つの様式の移行期であったことを反映しています。信者は、16世紀末から17世紀初頭までさかのぼる、すばらしい祭壇画ピエタ(哀しみの聖母)をとりわけ好んでいます。祭壇画の一つに慈悲の母マリアのすばらしい絵がありますが、その絵は受難者聖ゲオルグを祀るベルナルディン教会から移されたものです。バジリカの地下室、聖なる秘蹟の礼拝堂(Blessed Sacrament Chapel)、そして教会の中庭には、サモギディアの司教Motiejus Valancius、大司教Pranciskus KareviciusやJuozas Skvireckas、枢機卿Vincentas Sladkevicius、女性聖職者Jonas Maciulis-MaironisとAleksandras Dambrauskas-Adomas Jakstasなど、リトアニアの著名な聖職者たちの墓がたくさんあります。教皇パウロ2世は1993年9月6日にカウナスの大聖堂を訪れました。」 (看板の英語版の説明の私訳)

入口の方へ回る 大聖堂前が十分広くないので、建物の全貌の写真が撮れませんでした。

まず見えた側廊の方 おお、全体的な桃色の印象@ バロック教会にときどきある内装どおりです。

主廊から主祭壇まで見渡す 外観から想像つかないバロック様式です。

主祭壇とシャンデリアにぐっと迫る

どこかプレラファエロ風の絵の主祭壇のピエタ ピエタ=十字架から下ろされたキリストを抱いて嘆く聖母の図。

主祭壇の上の方は聖人らしき像がずらり 特撮のなんとか戦隊!───みたいに勢揃い!?

主祭壇のさらに上の方 バロック様式らしく動きのある彫刻です。 ウシのそばにいるのは聖ルカ、ライオンのそばは聖マルコ。4人の福音著者(エヴァンゲリスト)のうちの2人でしょう。 真ん中はキリストで、その左右はこの教会の名前に由来の聖パウロと聖ペテロだと思います。 向かって右の剣を持っている聖人が聖ペテロかな。 キリストがローマ兵に捕らえられそうになったとき、助けようとして剣を抜いて、ローマ兵の耳を切った、というエピソードがあるから。

パイプオルガンとシャンデリア

バロック様式にしてはすっきりと美しい天井

説教台のライオン 聖マルコのシンボルのライオンでしょう。

主祭壇の方を見て、向かって左の礼拝堂の祭壇

ブルーに金の装飾の美しい祭壇 祭壇画はマリアの被昇天(下)と聖母の戴冠(上)。

古めかしくて味のある聖母子画

さきほどの聖母子画のある側廊の柱のそばから主廊を望む

福音著者の4つのシンボルがある説教台 さきほどのライオンの像はここにありました。 さきほどのブルーの祭壇画はあの奥にあります。 「2010年バルト3国旅行第4日目(2)カウナス:ユニークな悪魔の博物館(1)画家ジムイジナヴィチウスのコレクション」へとつづく。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10527469

【新市街】 カウナス・ホテル 新市街のメイン通り(ライスヴェス通り)に面している。 ロケーションの良さで選びました。

カウナス・ホテル B館 客室

カウナス・ホテル B館 客室 客室内で、「Wi-Fi」が来ているが。Passが無いと繋がらない。 フロント聞いてみた、Passのメモを渡された。 Pass入力後。無事ネット接続OK。 チャージフリーです。

【新市街】 奥は「聖ミカエル教会」

【新市街】 ライスヴェス通り(メインストリート)の並木道。 歩行者専用道路。

【新市街】 「聖ミカエル教会」

【新市街】 シリンスカス美術館

【新市街】 街中にはオブジェがけっこう目につきます。

【新市街】 ヴィタウタス大公像

【新市街】 レストラン ミェスト・ソーダス

ミェスト・ソーダス ビールがおいしい。

ミェスト・ソーダス 鶏肉をオーダー 味は良かったです。

ミェスト・ソーダス デザート

Kosk ここでトロリーバスのチケットを買っておいた。

【旧市街】

【旧市街】

【旧市街】

【旧市街】

【旧市街】 聖ペテロ&パウロ大聖堂

【旧市街】 旧市庁舎、イエスズ教会

【旧市街】 イエスズ教会

【旧市街】 カウナス城

【旧市街】 聖ゲオルギ教会

【旧市街】

【新市街】 帰りは、杉原記念館へ向かうために、途中からトロリーバスに乗り、 モスクのある公園で下車した。

【新市街】 ライスヴェス通り ベンチになんやら書いてある。 「Wi-Fi」無線LANか使えるようです。

【新市街】 ベンチ拡大 「Wi-Fi」無線LANか使えるようです。 試してはいません。

トロリーバス内

トロリーバス内 チケットの打刻機

トロリーバス

地図を頼りに階段を見つけ上がっていく、 右手に周り歩くこと数分で 「杉原記念館」にたどり着く。 意外と小さな建物でした。 やはり日本の団体さんで賑わう。 彼らは北上するようでした。

「杉原記念館」 意外と小さな建物でした。

「杉原記念館」

「杉原記念館」 やはり日本の団体さんで賑わう。 彼らは北上するようでした。

「杉原記念館」

「杉原記念館」

カウナスバスターミナル No.1 ヴィリニュス行き 昼食を終え、ヴィリニュスに向かうため、 バスターミナルに行き、ドライバーに直接運賃を払い乗車した(予約不要)。 【Bus】Kaunas 1240 - Vilnius 1410(Kautra/1:40 / 101km)

地図を頼りに、階段を上がった先に、案内あり

希望の門です。

中に入るときは、チャイムを押して入ります。入口はカギがかかっています。

入口はこんな感じです。

ここが、ビザを書き続けた部屋と机です。

発給したユダヤ人のリストです。

この記念館に行くには、近くのバス停から市内マップに記載のない近道があり、路線バスターミナルのある通りの突き当りにこのような建物があり、この入口を入ります。

上の入口を入ると、丘を越えていくこのような階段がありますので上りきった所から5分くらいで着きます。

ビリニュスで最後の食事。 今日も満腹で出発。

ホテルからバスで2時間弱(写真は偶然通りかかった電車)でカウナスへ。

最初に杉原千畝ゆかりの「旧日本領事館」へ入ります。 住宅街の中にひっそりと佇んでいます。

建物の周りには桜が植えられています。 この日は散り始めでした。

ユダヤ人脱出のために、本国の指示に背いて発給し続けた「命のビザ」です。

執務机です。 座って写真も撮れます。 ここでは日本語の解説ビデオを15分ぐらい見ました。

次に、カウナスを見下ろすことができる小高い展望台へ。 ケーブルカーでも上がれますが、我々はバスで。

展望台から市街を眺めます。

こんな景色です。 橋の向こうにカウナスの旧市街が見えます。 天気が悪くて残念。

中心部をズームで。

川沿いでバスを降り、さっき上から見た橋をくぐって、 旧市街へ入ります。

ヴィタウタス教会。

市庁舎広場方面へ

旧市庁舎

左は広場の一角にある「イエズス教会」。 雨がパラパラと降ってきて寒い!

みなさんお土産屋さんで買い物中に外を散策。 「聖ペテロ&パウロ教会」。

旧市街のメイン、ヴィリニウス通りも閑散と・・・

人がいない・・・・。

バスに乗るためカウナス城付近へ。 城は工事中。

カウナスのレストラン「POMPEJA」にて昼食。

中はモダンな感じ。

野菜のスープ。 カリフラワー、にんじんなど。 コンソメ味で見た目より美味しかった。

次は「リトアニア風水餃子」。 ロシアの水餃子とほぼ同じ。

中はひき肉。

デザートはチーズケーキ。 これはうまい!

リトアニアらしからぬ(?)ゴミ箱。

カウナスからシャウレイを通過し、90分ほどで「十字架の丘」へ到着。 駐車場から5分ほど歩くとこんもりした丘が・・・。

これが十字架の丘。

ロシアにより処刑や流刑された人のために立てられたとか。 お墓ではないらしい。

駐車場の売店にも十字架が販売されているので、 自分で埋めることもできます。

上から振り返ると、駐車場に続く道が見えます。 まわりは草原。

上りきって終わりかと思ったら、まだ先がありました。

マリア像も。

来た道を戻り、次はリガへ向かいます。

国境は何もなく、知らないうちにラトビアへ入国。 道が空いているわりには舗装はあまり良くないので、 そんなにスピードは出せない。 2時間ちょっとでラトビアの首都リガへ。

リガ中央市場を車窓より。 行きたかったけど、今回はチャンスなし。

旧市街の東にある「レバルラトビア」に宿泊。

旧ソ連時代に立てられた高層ホテル。

部屋は豪華さはないが、機能的。

部屋は18階。 窓からの眺め。 旧市街とは反対側なのが残念。

ホテルのレストランで夕食。 これはポテトサラダ。 オリーブオイルで味付け。

白身魚のグリル? 真ん中の巻いてあるやつがそれです。

レアチーズケーキ。 ベリーソースが美味しかった。

休日で両替ができないため、 ホテル内のカジノで両替。 通貨はラッツ。 ユーロから両替。 円では1ラッツ180円ぐらいの感覚か。 カジノので少々遊んでから就寝。

Hostelの近くにいた猫。 カメラを向けると近づいて来ます。 撮りにくかった。笑

今日は、Kaunasへ向かいます。

駅で、列車を待つ人。

この列車で、Kaunasへ向かいます。

Kaunasへ到着です。 しかし、バルトもロシアも暑かった!

折り返し、Vilniusゆき

Kaunasについて最初にする事は、 Sugihara Hauseに行く事だった。 そこは、本当に住宅地の一角にあって、 第2次世界大戦迫る欧州の情報収集を目的に 設けられた事がよくわかる。 事務の方は、一人おられて、現地の方だった。 見学者も、日本人だけでなかった。 ここに、何百人というユダヤ人が迫ってきた 光景を思い浮かべると、その恐怖はいかばかりであったかを想像すると、言葉に詰まる。 また、 迫る、ナチスドイツ軍、ソ連軍の背後に、 通過VISAについて、 同盟を踏まえた上での回答せざるを得なかった 外務省からのわかりきった返答に、 苦悩の日々を過ごされたことに、 夜もねられなかったと思う。 VISAを出した際に、ナチスから危害が家族に及ぶ可能性があり、最後の最後まで苦しんだと、 手記には綴られている。 最後の決断を支えたのは、奥さんの決意であったに違いない。 この部屋に立ったとき、 日本人としての誇りを感じ、 自分も信念を持って決断できるように、 一歩一歩近づいて行きたいと感じた。

最後に、寄付をして、 色々案内をしてくれた、館長さんにお礼をいい、 記念館を出た。

いまでも、この付近は住宅地です。

この街でも、トローリーバスが、メインの交通手段。

聖ミカエル教会が青い空に映えます。

ライスヴェス通り。 ここを、進んで、旧市街に向かいます。 ここは、WiFiが自由に使えるんです! i-Pod Touchを利用させてもらいました。

オープン形式に出たカフェやレストランが並びます。

この日も、太陽がまぶしく、 本当に暑い日でした。

ここから、旧市街に入ります。 杉原記念館からかなり歩いてます。

さあ、旧市街に入りました。

ちょっと脇道に入ります。

ヴィリニアウス通り。 Vilniusとは、違って教会が少なく、 お店が多いのが印象的でした。

Vilniusとは違って建物の高さに統一感があります。

どことなく、 Polandの街並を彷彿とさせます。 おそらく、Poland領だった際の名残なんでしょうね。

まだ、奥に進みます。

ここまでくれば、旧市街広場まではもうすぐです。

聖ペテロ&パウロ大聖堂付近まで来ました。 さすがに疲れてしまって。 ここで一休みしました。

旧市街広場。 地元の人も熱いのか、 影で涼んでいます。

聖ペテロ&パウロ大聖堂が見えます。 この左側には、琥珀製品のお店があります。

昼食は、Berneliu Uzeigaで、 リトアニアのソーセージをいただく。 地元のビールも注文。 日本円で300円程度! 満足して、レストランをでた。

昼食後も、旧市街広場付近を散歩

ルネッサンス様式の建築

美術館などはあまり無いので、街歩きを楽しむ事が出来ました。 ネムナス川沿いも座って話をするのは楽しそうです。

この撮り方結構好きです。

17時代の列車に乗ろうと思っていたので、 そろそろ旧市街を出発する。

写真では、シャッター時間を変えられるので、 見た目と印象が変わりますが、 実際には、このように、 光の明暗が激しかったです。

駅に向かう際に、トローリーバスを乗ろうと思っていた。 Kioskで切符を買った時に「St・・・」と聞こえたので、 リトアニア語の「駅:Stotis」の事だと思っていた。 バスにのり、刻印機が無かったので、 そのまま乗っていると、 検札員がきて切符に刻印を押していく、 自分の番になった時、にやっとされる、 一緒に来なさいと言われる。 どうやら、買った切符の種類が違ったようだ。 別室の車で話をきかれ、 どうやら、Kioskのおばさんは、「Studentをリトアニア語なまり」で話したようで。自分が意味を取り違えたようだった。 それは、自分のミスなので40Ltの罰金を払い。 駅へ向かった。 正直、あまりにショックで、 バスに乗る気にはなれなかった。

Kaunas駅付近にあった、ロシア正教会。 タマネギ頭がインパクト大です。

17時代の列車は行ってしまったので、 18時代の列車に乗る事にした。

この列車は、オール3等の車両。 初体験です。

正直、列車に乗っていても気が晴れませんでした。笑

車窓をみながら、夕食の事ばかり考えていました。

午後2:00の列車でカウナスに向かう。

列車はとんでもない無人駅に到着。 そこからはトラムで乗り継ぐ。 街中の駅は工事中らしい。

その昔日本大使館があり、多くのユダヤ人がここから日本ビザの発給を受けシベリア経由で脱出したという。

カウナスの聖堂

ネットカフェに入る。 「24/july 17:00にシギショアラ、クロックタワー前に来られたし。もし叶わぬ場合は××にお電話頂きたく」 前から予定していたシギショアラのフェスティバルの具体的日時をルーマニアの女子高生が知らせてきた。 余裕を持って動くとすれば、今夜中にワルシャワに出発が望ましい。 インフォメーション・センターに聞いてみる。 カウナス発23:30があると言う。 それを買う。

市中心からバスセンターに向かう途中、中華レストラン発見。 熱々のスープをオーダー。

異国の地で本当に中華は有難い。

ワルシャワ駅の食堂での二度目の軽食。 例によってスープとコーヒー

ワルシャワの中心街。ショパンの像まで徒歩7-8分と散策には便利な場所で休憩させてもらった。個人宅だが、主人自ら客引きしている。80ズローチ 前夜23:30のカウナスからの夜行バスで朝7:30頃にワルシャワに到着した。 すぐウクライナのLivivu行きの列車の切符を買い求めたが、 何を勘違いしたか?ウィーン行きの切符をくれた。 やけに値段が高かったのと、表示にwienの文字があったから 「切符が違うんじゃないか?ウクライナのLivivuでWienではない。」 と言って問いただしたが、 それは2番線から11;30の出発だと言う。 ひょっとしてwienという文字がポーランド語の「経由」を意味しているのではないかと、他の人に聞いてみることにした。 インフォメーションで聞こうとすると、変な男が 「手伝いましょうか?」と寄ってくる。そして日本語版の地球の歩き方を取り出し、 「ここに私のゲストハウスが紹介されています」 と言い出す。俺は確認作業でそれどころではない。だがポーランド人らしいので切符を見せ、 「ウクライナのLivivuに行きたいんだが、この切符で合ってるか?」 と聞いてみる。 「これはウィーン行きだね、良くあるんだよこんなことが。切符のチェンジには手数料が発生するので、奴らはそれで小遣い稼ぎをするんだ」 なるほど・・そういうことか。妙に納得してしまった。

個人宅なのでキッチンがあり、持参のインスタントラーメンを作ってみる。

彼が言うにはLvivに行くならバスが良いとの事。 75plzでチケットが取れる。 21:30発 翌7:00着。 Lviv発 Cluji行きが 15;00くらいなので余裕だ。

ここの最上階がゲストハウス

ソッポ向くショパン

ポーランドとウクライナの国境は難なく抜ける。 ただ入国の申請書に滞在先のホテルを記入する欄があり、そこだけは嘘でも良いからそれらしい名前を書いておく必要があるようだ。 以前、ルーマニアで滞在延長許可の申請をしたとき、実際は知り合いの知人の両親のアパートを月200$ほどで借りていた。 これをそのまま申請すると、その両親の許可証やらサインやら大変面倒なことになる。その係官はこちらの苦労を理解する良い奴で、 「これは実際には許可証とかは貰えない。何故ならばその両親は海外にバカンスに行っているから」 「何でも良いから近所のホテル書いとけよw」 これが悪い奴に当たると、それを出汁に小銭をせびられることになる。 7:00過ぎにLivivu到着。ワルシャワ方面からだと最初に鉄道駅に着くみたいだ。 それがわからず、1/3くらいが降りるがそのまま乗って終点のバスセンターまで行ってしまった。

途中市街地を抜けるが、中々の街だ。 人々の顔付もポーランドに比べると遙かにのんびりしている。そして女性は美形だ。(美醜の判定は当然個人差、好悪差を内包している。俺の判定に不服もあるだろうが堪忍してくれw) ひとりの米人旅行者風の若い女に聞いてみる。 「空港にはどう行くかわかる?」 どうやら話せないようだ。てっきり顔や恰好からそう思ったが地元の人間らしい。 金髪をポニーテールにしてヤンキーガールと想ったが違ったw 体格も良く黒のスパッツを穿いている。腰つきとか直視に耐えないほど健康的だw すると隣の別の母親が10歳くらいの息子を嗾ける。 「さあ、あんた出番よ。日頃自慢の英語力を見せて頂戴」 息子に向かって丁寧に聞いてみるw 息子はそれを母親に通訳する。 母親はそれに回答する。 「ここからだとタクシーね」 不安なタクシーには乗りたくなかったが仕方ないか・・・ タクシーは何台も野犬のごとく屯している。 少し歩きバスセンターの出口に向かう。 肩を叩かれる。 振り向くとさっきのポニーテールだ。 「空港へはタクシーよ」 そう言うとカモシカのように去って行った。 想像だが、俺に気があったわけじゃなく、こちらでは人に親切にするのがデフォルトらしいw それとLivivuの名物料理は多分・・・・雌のカモシカw はずれのじいさんがタクシーの窓ふきをしている。 「おっちゃん、エアポートまで行ってくれるかい?」 「・・・ok ok 40だよ?」 確認する。 「400じゃなく40だよな?」 空港まで10分で着いた。何やら門構えが大袈裟な空港だw 中に入ると人でごった返していた。臨時のツアーデスクまである。 カラパチア・エアー発見。 中には客がひとりと係員がふたり。 「Cluji行き今日の便に空席はある?」 「あいにく、もう飛び立ったよ」 え? 確か15:00だかのティミショアラ経由があるだろ?と思い聞いてみる。 するとこれはティミショアラからの折り返し便だと言うw それに翌朝6:45発の便に乗ったとしてもClujiに着くのは折り返しの16:00過ぎだと言う。これは明らかに俺のタイムテーブルの読み違えだw 「飛行機以外でクルージに行く方法はないかね」 泣きついてみる。 「バスか車だろうね」 やや途方に暮れる。どうしたもんだろうとw 仕方ない。バスセンターに戻ることにする。 運良くタクシーが一台、しかもじっちゃんw 「バスセンターね。いくら?」 「40だよ。」 どうやら相場らしい。 途中じっちゃんが、 「あ、あそこかぁ あそこなら45だな。45だぞ」 アホらしいと言うかw 俺は新喜劇を観るような気分で頷く。 バスセンターでルーマニア行きの便があるか聞いてみる。 通常窓口のおばちゃんは笑顔で(言葉も通じないのにリアルに笑顔だった) 「外国向けはここじゃなく、お向江さんね」 お向かいの個室デスクに行く。ん? 個室喫茶の社長秘書コスプレなのか? 若い女が電話をしている。Sも添加されてるようだ。 電話が終るまで待つことにする。 「何か御用?」 「Clujiに行きたいんだが、便はないかな?」 「にえっと」 やっぱりSが・・しかも強めに入っている。 これは困った。バスもないとすれば、そもそもカラパチアの山越えで国境を越えられるかどうかさへ怪しい。

そこへひとりの紳士が登場。(そんな、紙芝居じゃあるまいし。都合良く登場するもんかね? みんなそう想うよね。だがこれは実話で、ひょくり狙い澄まして困った俺に話しかけてきた。)人は見かけでかなり損得をすると思うが、彼は明らかに得をしていると思う。タクシードライバーだと言う。だがどう見ても高校教師だ。 「ワルシャワに行くなら250euroで行くよ」 「今そこから来たんだw クルージにこれから行くんだよw」 メジャーを持ち出し距離を地図上で計測し始める。 やっぱり教師風だw 「随分遠いな。・・・250euroで行くよ」 「航空便が150euroなのよw でも山越えのルートで行けるのか?」 「行けるよ」 タクシーでしかも500km近い道のりなんてあり得ないw だが若干心が動くw 「本当に国境越えれるの?」 「越えれるさ・・・・きっと」 レンタカーの選択もあるが昨晩は夜行バスで寝ていない。しかも国越えで返却可能かどうかも疑問だ。多分標識のキリル文字もこの場合仇となるだろうw そう考えると俄かにタクシーの選択肢も急浮上してくる。 具体的な交渉に入る。 「飛行機で150euroなんだ。それ以上は無理よ」 考えている。実際それじゃ割に合わないかも知れない。 「バイアマーレまでならどうだ? 国境越えて直ぐだ」 いつの間にか、こちらがその気になっているw 「いいだろう、行ってみよう」 「何時間くらいかかるんだ?」 「6時間くらいだろう」 今9時だから午後3時には到着するのか・・・魅力的だ。

休憩のレストランで隣の奴が食ってたボルシチをオーダー うまかったー。

この紳士、最後まで紳士だった。 途中二度ほど野生の片鱗を見せただけで・・・・・w 一度目はその運転。これは荒いというよりも顔に似合わずうまい。 コーナーをタイヤを鳴らすことなく攻めてくる。 DEWOOの車がこんなに安定しているとは知らなかった。 抜き去った車の数も100じゃ下らない。しかも助手席に座っていて不安は感じなかった。俺はこんなに鋭くはコーナーは攻めれない。たいしたものだw 二度目は飯時、レストランで。 かわいいウクライナ美女のウェイトレスがオーダーを間違った時。 ステーキを2個注文のはずが、1個ともうひとつはじゃがいもとニンジンのソテーだけしか載ってなかった。このときばかりはこの紳士も色をなした。 ウェイトレスに「作り直せ」と命令する。 結局、彼にステーキを渡し、俺がじゃがいもとニンジンを食うことで収まった。 途中気が引けたのか? 「半分食うかい?」 とステーキを切り分ける素振りを見せる。 「あんたが食ってくれ」 紳士の人間味を見た気がして笑えた。 途中、携帯を渡され「話せ」と言う。 ルーマニアの帰り、彼の家に2-3日ホームステイ出来ないか?聞いてみた。 余り部屋があるかが問題だった。几帳面にも正確を期し、彼は英語の出来る23歳の娘に電話を掛けたようだった。そして俺の要望を確認したかったらしい。 「ところで、きみん家に余り部屋はあるかい?もし、あるようなら泊まりたいんだけど」 「残念だけど無いわ」 電話を代ると娘と打ち合わせたみたいだ。 「うちは無理だからホテルに泊まってくれ」

あ、何げに腕を回してるね

暫し長閑な西ウクライナの田園風景をお楽しみください。

国境検問に近ずく。 国境近くになるとさすがに彼も道が判らないらしく、何度も人に聞いていた。 そして1:30過ぎには国境の検問に到着。 バケーションシーズンなのだろう、検問には100台近くも車が列を成していた。 これには紳士もお手上げらしく、 「ミスター、これは恐ろしく時間がかかりそうだ。俺が最前列と交渉してやるから それに乗って国境を抜けろ」 彼はパスポートも持っていたし、一応バイアマーレまでは行くつもりだった。 確かに、これじゃ半日かかるかも知れない。 前の車が見つかった。清算を済ませると、彼はきちんとその分から依頼した運転手に分け前を渡していた。極小額ではあったがw

次の運転手は若いスキンヘッドの兄ちゃんだった。 顔はベッカムと瓜、声までそっくりだった。 「お前もてるだろう?」 と聞くと笑っていた。言い忘れたが、先程の紳士もベッカムもウクライナ語しか話せない。英語は極わずかだ。何となくニュアンスでわかる程度だ。 この兄ちゃん実に係官と親しげだ。いつも得意の笑顔で話している。 あ! 金を渡した。ここの検問はそんなことしなくちゃいけないくらい厳しいのか? 炎天下、小一時間待たされる。 ウクライナ側無事通過。 ルーマニア側でも再び待たされる。 そして我々の番が廻って来る。 「どこ行くんだ?」 「シギショアラに行こうと思っている」 「何しに行くんだ?」 「フェスティパル観に」 「お前、ビザ持ってないな。ビザ要るんだよルーマニアに入るには」 「ははっ、悪い冗談だ。ルーマニアはEUの一員だ。日本人はEU諸国に入る時ノービザだよ。」 係官黙り込む。そして応援を呼ぶ。ジャポニアだ。と言って何かと粗探しをしようとする。当然こちらに隙は無いw しばらくはパスポートを弄繰り回していたが、諦めたようだw 「ok 行っていいぞ」 当たり前だ。「パスポートとはなんぞや」を小一時間講釈たれたいくらいだ。 俺が時間を食ったのでベッカムに悪い気がした。 ところでベッカム、どこへ行くのかを俺は知らない。

国境を抜け5分も走ると一軒の民家の庭先に車を突っ込んだ。 どうやらここが目的地らしい。ベッカムは派手目のタンクトップを脱ぎ捨てると何やら作業に取り掛かる。最初がサンルーフ。100個近い煙草がばらばらと落ちてくる。次がシート。分解してクッションの隙間から200個近くが。次が前輪のサス周りから3カートンづつを取り出し、最後がトランク。300-400近く出てきた。 どうやら・・と言うより確実に密輸屋だ。 俺はベッカムのあどけない笑顔にすっかり騙されていた。まさかこいつが犯罪者だとは豪にも思わなかった。仲間は留守らしく、おばちゃんしかいない。作業を終えるとおばちゃんにキンキンに冷えたペプシを注いでもらい、例の子供のような笑顔で、 「お前もこっち来て飲めよ」 恐れ入ったよw 最初銀行に寄ってくれと言う。検問で随分待たされたせいでキャッシュカードが折れ曲がってしまっていた。それを修正しカードを差し込む。 出てきてくれたwカードは生きている。400lei下す。 次にここからバイヤマーレまで65km、サツマーレまで25km。左右に分岐する。 バイヤマーレの方が有難い。しかしガソリンが残り少ないらしい。 時間ももう17:00を回っている。この際、俺がガソリン代を出すしかない。 「ok お前には世話になったし、面白いもんも見せてもらった。折角だからfullにしとけw」 通じたかどうか?は別にしてスタンドに寄って給油。200lei分給油。これでも満タンにはならなかった。この時点で200leiが日本円でいくらなのか見当も付かなかった。およそだが街の両替屋表示が3lei=1$なので、300lei=9500\くらいな感じだろう。 この日街道には山ほどのパトカーが待ち伏せして歓迎してくれた。 見つけるたびにベッカムは、 「ポリツィア」 と言ってニヤニヤしながら顎をしゃくって見せた。 電話が来る。掲示を見せてくれる。嬉しそうに、 「ジョジョ ^^」 どうやら恋人か婚約者らしい。指に光るリングを見せてくれる。ひょっとして妻なのか?w

バイヤマーレでもひと騒動。 「お前、どこが良い?」 「そーだなー、今標識゛あったな。ガーラ(駅)にしよう」 途端に急ハンドルを切る。後続の車が急停車。タイヤがバーストしたらしい。もうもうと煙を上げている。そこにちょうど警官が来るw 「ここは邪魔だから曲がった直ぐのところで車を止めろ」 「了解」 ベッカム、停まる訳がない。そのまま遁走w バスターミナルがある。 「ここでいいよ」 トランクから荷物を取り出し、ベッカムの電話番号を書いてもらう。 こいつ最後までさわやかな笑顔だった。 その後、警察に通報したかって? 密輸屋だろって?市民の義務だって? そんなのするわきゃない。俺は常に俺に善良だった奴の味方さw

出発間際のバスが2台停まって、客の荷物を脇腹のトランクに投げ込んでいる。 行先を確かめると、ブカレスト。クルージを経由している。急いでセンターに駆け込むが全部閉まっている。運転手に聞く、 「クルージまで乗れるか?」 「5分待て」 ok ok その間にと、キオスクで水を買う2,5lei 運転手が呼ぶ。懐にポッポするのかと思ったら、ちゃんと切符を切ってくれる。 バイヤマーレークルージ23leiおよそ700\か。 荷物は車内に持ってけと言う。ok ok 何故か一番乗りで優先席を確保。 この頃は眠気で多少ぼーっとしていた。出発時間が18:30だったか、19;00だったかはっきりしない。起きた時は辺りは薄暗く時間は21:00を回っていた。 ルーマニア人の顔はウクライナに輪をかけてのんびりしているw ひょうきんささへ感じられる程に。

10:00近くにクルージ到着。 ここで選択肢が3つ浮かぶ。 1 駅前旅館 2 センターの以前泊まったホテルかその周辺 3高台の高級ホテル 疲労度から1を選択。バス停から1分、取り敢えず空いてるか聞いてみる。 シングルで110lei、朝食付きで130lei。 飯付きを選ぶ。 部屋でシャワーを浴びる。シャワーがこれほど気持ち良いもんだとは今まで知らなかった。 「チョルバ・デ・ブルタ(豚の腸のスープ)食いたいんだが、この時間空いてるとこある?」 ホテルのフロントに聞いてみる。 「この時間だとセンターのアンドレーデなら確か24時までやってたと思うよ、行くなら地図を書いてあげよう」 「ムルツミーン」 途中二度ほど人に聞いて発見。 地下にあるフォルクローレ風レストラン。 ビールとチョルバと玉ねぎサラダとポークカツレツ風をオーダー。 ポークカツレツ風は品切れで、燻製ポークならあると言う。それにする。 チョルバとサラタ・デ・チャパが出てくる。大きくざく切りにされたパンも籠に盛られてくる。 このチョルバにはアルデーレ(青とうがらし)とサワークリームが付いてくる。 うまい。ここのチョルバは今までで一番かも。こくと深みがある。 ただ、誰かが言っていたが、確かにヨーロッパのスープはぬるい。やけど対策なのかも知れんが、熱々のスープが欲しい。 或るロムンカに聞いたら、 「チョルバはみんな朝飲むのよ。たらいみたいな皿でお腹一杯にするの」 玉ねぎのサラダは、・・生まれて初めて生の玉ねぎがこれほどうまいものかっと知ったのはここルーマニアだった。にんにくほどの子玉ねぎを剥いて、岩塩をつけて食べる。非常にうまい。 或る七月のモルドバ平原の農家の庭先で、カウチ風の長椅子に寝そべり、ママが炒れた朝一コーヒーを飲みながら、娘がたった今ひっこ抜いてきた子玉ねぎにナイフを入れる。小皿の岩塩を上手に押し付けて食う。 汁気があり、微妙に辛い。歯触りがよくサクサクいける。 「これは何て野菜だ?」 「チャパ」 「ほほう・・・これは初めて食った。これは日本には無いな」 「そうなの?」 そのチャパが気に入り、毎朝要求した。 そしてチャパが玉ねぎだと知ったのは半年後だった。 それほど、日頃の玉ねぎとは別物だった。 遅れて燻製ポーク登場。 だがもう腹八分状態。 添え物のたれはマスタードとラディッシュを擦ったものかと思った。 あ! りんごが擦ってある。確かにりんごとポークは合うかも。 ナイフを入れるとスパッと切れる。 豚も燻製にすればこんなに柔らかくなるんだw うまいんだが、3切れも食べられない。 ここのシェフは腕ききとみた。 ごめんね 完食できなくて。

おやすみ 前 16 バルチックサマー⑦タリンービリニス http://4travel.jp/traveler/costin/album/10364835/ 後 18 ルーマニアサマー①クルージーシギショアラ http://4travel.jp/traveler/costin/album/10364983/