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エジプトってどんな国?

エジプト・アラブ共和国(エジプト・アラブきょうわこく)、通称エジプトは、中東・アフリカの国家 国。首都はカイロ (エジプト) カイロ。西にリビア、南にスーダン、北東にイスラエルがあり、北に地中海、東は紅海に面している。南北に流れるナイル川の河谷と三角州 デルタ地帯のほかは大部分が砂漠である。ナイル河口の東に紅海と地中海を結ぶスエズ運河がある。

エジプトの地図

エジプトのブログ旅行記

ひとつの旅の終わりに向かって|諸岡なほ子の『旅の途中のスウィート ...

私もインド、ネパール、エジプトを訪れた時に、生き方、生き様について色々と振り返り ました。 ”煙”のキーワードがネパールのパシュパティナート=ヒンズー教を連想させるの ですが、やっぱりブータンでいきます! キャンベル 2010-11-27 00:08:52 [コメントを する] ...

ラスベガス・ホテル探検vol.②「ルクソール」|リサのLOVEハワイ

2005年8月28日 ... 1 □エジプト. 昔は、こんな感じ(当時の技術で)だったのかも。4000年後には、遺跡に なってたりして! benimato 2005-08-28 01:10:43 >>このコメントに返信 ... エジプトっ て行ってみたいと思ってたけど、ラスベガスにも行ってみたい!(アレ ...

セマナ・サンタ|食べて歩いて遊んでスペイン!

Pascuaって、ユダヤ人がエジプトから自由を求めて脱出した時にちなんで、羊肉を食べ て祝う日のようですね。イエスよりさらに昔、モーゼの頃の話です・・。 一夜明けて金曜日 、銀貨30枚と引き換えに売られたイエスは捕らえられて鞭打たれ、町中引き回しの後、 ...

アビエーターの時代に世界を舞台に活躍した義祖母の巻 その2 (ユキノ ...

2005年1月13日 ... 中でも、彼女がパリで滞在中に突然パイロットがストに入り、1月近くもフランスで遊んだ 頃のロマンスとか、その後のTWA側のごたごたで半年ほどローマ→カイロ(エジプト)間 のフライトに変更された頃のエジプトでの話しなどは、今のように誰 ...

アラビアン・ショップの巻 (ユキノヒノシマウマ)

2005年5月1日 ... 以前住んでいたリッチモンド時代にエジプト出身の男がいて、彼とは本当にこれ以上 ないくらいに認め合い助け合って、今では義理の兄弟として、私のアメリカでの オフィッシャルなミドルネームにも正式に彼の名が入っているくらいだ。 人当たり ...

2007.04 エジプト: Shoの旅行記~気の向くままに歩いて行こう~

2007年3月30日 ... 2007.04 エジプト,日帰り旅行から長期旅行、さらにテクテクと歩いて見つけた楽しそうな ところも含め案内します。目指せ世界制覇!

♯Palazzi e Musei Vaticani GO AROUND THE WORLD/ウェブリブログ

2007年4月28日 ... なのにわたしは最初に見た古代エジプトの展示物に大分時間を使ってしまった。紀元前 5000年前の生活用具や装飾品を見て、7000年も前にこんなに素晴らしい文化があった のかと一つずつじっくり見ずにはいられなかった。エジプトを出て ...

2010年05月31日のブログ|諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

2010年5月31日 ... なんと4世紀頃のエジプトで生まれた図柄なのだとか。しかも、その帯を織ったと思わ れる機屋さんまで特定されていまし ... それにしてもロシアとエジプトという地理的な離れ 様(汗。私ももっともっと世界を旅して勉強せねば! 着物や帯の図柄に ...

海外の情景 今日の一枚: ・エジプト - ココログ

2005年10月15日 ... メナハオウス・オベロイ・カイロ/エジプト. ホテルからの写真はありませんが、まさにこの ピラミッドが部屋から見えるホテルがあります。5000年前の建造物が部屋から見える ホテルというのもなんともすごいホテルです。上記のホテル名を ...

shukran@world: 旅行・地域 エジプト

2011年11月7日 ... エジプト人は、まだガラビーヤを着ているのかな。 あいかわらず街角に水瓶は置いて あるのかな。 (不衛生だけど) 井戸端会議はやっているかな。 「懐かしいなぁ!」 とは まだちょっと思えませんが、. (実はまだ嫌悪感のほうが勝っている感じで…) ...

ユキノヒノシマウマ: シカゴダウンタウン観光案内 アーカイブ

2005年8月23日 ... 先に挙げたスーの完全標本をはじめとした恐竜化石、世界各地からの文化標本、岩石 や動植物標本などなど、数えだしたら切がないほどの展示内容なのだが、なかでも エジプトのピラミッド内部を再現したインサイド・エンシェント・エジプト・ ...

情報満載!元ツアコンの海外旅行れぽーと エジプトの一般情報

2007年9月21日 ... エジプトの一般情報. エジプトの正式国名はエジプトアラブ共和国、首都はカイロになり ます 面積は約100万1450km2で日本の約3倍弱 人口は約7071万人2345人(2002年) イスラーム教スンナ派90%のいわゆるイスラム教国です ...

エジプトでお役所参り|世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後、社会 ...

2006年12月16日 ... adventure2006の□世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後、社会復帰がんばる ブログの記事、エジプトでお役所参りです。

愛すメルル2|諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

2007年9月24日 ... 日テレのエジプト番組鑑賞中。。ピラミッドの ... あ、実は私もエジプトの番組を見ながら カントメルル飲んでました。そして、カッパドキアを密かに思い出しながら。いや~、 面白い!! 一緒に飲みながらエジプトの歴史を旅しましょ~!! しかし ...

添乗後記~エジプトの古都ルクソール - 奥様は海外添乗員

2008年10月31日 ... カイロからナイルを南下すること約600Km。かつてエジプト王国の首都テーベが置かれ ていた街がここルクソール。河沿いには緑が見られるもののそのすぐ先には白茶けた 砂漠が広がる古都は、カイロとは比べものにならないくらいひっそりし ...

聖母の出現地巡礼のための文献資料 - エジプトのゼイトウン

エジプトのカイロ市郊外のゼイトウン(Zeitun)では、1968年から1971年にかけてコプト 正教会の丸屋根の上で聖母マリアの光り輝く霊体のご出現がありました。この現象は、 ほとんど毎夜、10万人以上の人々に目撃され、多くの病気の人が瞬時に癒されるという ...

エジプト考古学博物館 | 世界一周オンナ一人旅 & その後の日々

2006年5月13日 ... 世界一周オンナ一人旅 & その後の日々. 【世界一周旅行記】として始めたこのブログ ですが、最近は私「ユミコ」の日々の日記と化しています。 ちなみに世界一周旅行をし ていたのは2006年3月~10月の7ヶ月間です。 旅行について読みたい方 ...

エジプト、トラベログ、トラベローグ、TRAVELOGはみんなの旅行情報の ...

エジプト・旅行情報の発信サイトのトラベログ、トラベローグ、TRAVELOG 。国内、海外 の旅行記、旅行日記、旅行体験記、トラベル日記、旅行写真集、旅行フォトアルバムを、 無料で作れる旅行専門のブログ、サイト.

ルーヴル美術館 ~管理人的ルーヴル(2)~ salut!~パリを楽しもう ...

2006年1月22日 ... 3度目のパリ訪問にして、念願かなって初対面したエジプトのミイラ。 混雑の少ない ... 薄暗くて少し不気味な印象のエジプトゾーンに入る勇気が無かったのです(^^;) ... テーマ別展示「ファラオ時代のエジプト美術」の第10室・・・だったと思う。

神戸市立博物館|ママと子供のパン教室Peek a boo!武庫之荘・西宮市 ...

2010年5月10日 ... 特に、エジプトに特化したのがこのトリノ博物館だそうです。 (イタリア人 ... うちの 赤ちゃんにもエジプト美術にふれてほしかったのですが、 薄暗いので ... 皆様も是非、 沢村一樹さんと一緒にエジプト博物館を体感して下さいませ 音譜 ペタしてね ...

エジプトスタートの画像 | 世界一周御披露目帳 - Ameba

世界一周御披露目帳 ☆の「エジプトスタート♪」に投稿された画像です。

MY TREASURE DAYS 夕暮れ時の白い砂漠

2007年5月7日 ... エジプトの砂漠は、警察官もラクダに乗っていまいしたよ~。 私が乗った観光用ラクダは 街中を歩きましたが。 上の写真、夕陽って難しいですよね!! とくに太陽が近い国って 沈むのが早い気がします!!でも、さすがNorisさんですね。 写真を ...

世界一周旅物語(せかたび)- エジプト(Egypt) アーカイブ

エジプト人のだんな様。彼のお母さん、ご兄弟。エジプトの生活習慣と触れながら、 とても仲良く楽しく暮らしておられるように感じます。monaさんの想いも伝え、彼らの想い も受け入れる。自然体でつき合う様子から、monaさんの強さがうかがえました。

フィールドミュージアムは展示率1%の巻 (ユキノヒノシマウマ)

2005年8月23日 ... 先に挙げたスーの完全標本をはじめとした恐竜化石、世界各地からの文化標本、岩石 や動植物標本などなど、数えだしたら切がないほどの展示内容なのだが、なかでも エジプトのピラミッド内部を再現したインサイド・エンシェント・エジプト・ ...

リアルアフリカ スーダン入国|世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後 ...

2007年1月6日 ... エジプトから船でスーダン北部に入国してから 6日目の夕方やっと中部にある首都 ... エジプト人、スーダン人ともここでも親切で夜ごはんにまぜてくれたり、話しかけてきて くれたりと退屈することはなかった。 この船には僕のほかに7人の旅行者 ...

エジプト・トルコ・ギリシャ周遊航空券を安値で入手したい 海外旅行Q&A ...

来年の1〓3月の間に1人でエジプト・トルコ・ギリシャの3か国を15日くらいの日数...

07a) 船中泊 → パレルモ - いつもこころにヨーロッパ

2008年10月28日 ... うまくは言い表せませんが、熱帯植物と、ほこりっぽさと、さまざまな建築様式と…。『 文明の交差点』とは、なんと上手にパレルモを言い表した言葉でしょう。トルコやエジプト に居るのではと錯覚するような感じもあり、中近東(行ったことありません ...

アフリカ行きのチケット|世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後、社会 ...

2006年11月8日 ... 北米□アメリカ→メキシコ→カナダ→アメリカ□ヨーロッパ1□ドイツ→フランス→ イギリス→ドイツ□南米□ペルー→ボリビア→アルゼンチン→パラグアイ→ブラジル→ アメリカ□アフリカ□エジプト→スーダン→エチオピア→ケニア→ ...

エジプトの西方砂漠 - 地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

2011年2月28日 ... (白砂漠) 先日、昨年の夏に発表されたニュースで、とても興味深い記事を目にしました 。 古代マケドニアのアレキサンダー大王の墓と見られる遺跡が、 ギリシャ考古学調査隊 の手でエジプト西部の砂漠にあるシーワ・オアシス近くから 見つかっ ...

エジプトの写真・旅行記

エジプト旅行 5日目です。 今日は ギザのホテル近くのスークとハンハリーリバザールを散策です。 街のあちこちに 肩から銃を担いだ警察官がいます。 道がわからなくなり 道を聞いたら親切に教えてくれました。 が、・・・・お金を要求されました。 皆がそうではないと思いますが、 銃を持ってて怖いので 皆さん気をつけてください。

ホテル近くのスークに行ってみました。 たくさんお店がありました。スーパーマーケットもあります。 スーパーマーケットはいろいろな物が置いてあるので 便利です。 ここでお菓子やジュースなど買いました。

ほとんどの店が外に食べ物を置いてあります。 路上販売もたくさんありました。 大きなタライに果物をいれて 量り売りをしてましたが、果物などは 暑さで甘い匂いがぷーーんとしてます。 蜂やハエがブンブンしてました。

洋服屋さんや 時計屋さんなどのありました。 アクセサリーショップもあり、ショールを購入。 アラブ女性はおしゃれです。 頭にかぶるストールをたくさんもっているようです。 素敵なものたくさんありました。

夜は ハンハリーリバザールに行きました。 通路を歩くたび、日本語で「やまもとやま~やまもともな~」と聞こえます。 「ボールペンください」と言われます。 日本のボールペンは大人気です。交渉に使えます。 「1ダラー1ダラー」とすごいです。 「いらっしゃいませ」って意味らしいです。

食べ物屋さんは大人気です。とても混んでいました。 外のテーブルで食べました。 どこの店かわからないけど、メニューを持ってきて、オーダーを取ってくれます。 ピザを頼みました。

とっても 賑やかです。 お土産などここで買いました。 値札はついてない事が多いです。 交渉して買い物をするのは最初は楽しいけど、だんだん面倒になってきます。 日本人だと高く値段を言われるけど、それでOKなら購入しました。 でもさすがにこれは・・・ってのは、最初に希望額のちょっと下の額を提示し、応じてくれなければ買わない態度を取ると、提示金額よりちょっと高い値段でOKと言ってくれる場合もあります。こちらの希望額くらいになるので 購入しました。 買い物をする時は、袋に入れて渡されるまで、しっかり見ておいたほうがいいです。 お金は 商品を渡されたあと払うほうがトラブルがないと思います。 日本語が通じるお店もありました。

(3)『考古学博物館』 14:30 早速エジプト考古学博物館へと向かった。 「エジプトを見るには、イギリスの大英博物館へ行け。」とは、エジプトの歴史的遺産の大半がイギリスに持っていかれたという皮肉である。 そんな事を忘れるほどのボリュームがあった。この博物館の目玉は2階右回廊にある「ツタンカーメンの遺品」である。黄金のマスクやほぼ盗掘されることなく発見された副葬品がほぼ完全の状態で見つかっている。

(5)『名物ハト料理』 ハーン・ハリーリ地区のレストランとして本に取り上げられていた「ファラハト」で夕食をとることにした。 雑誌の写真を指差し、ハトの丸焼きを注文した。結構なボリュームの割りに25£E(=450円)と予想外の安さであった。 ハトは筋肉質で味はチキンそのものであり、中にはライスが詰めてあった。向かいに座ったエジプト人は2匹注文し、ペロリと食べていた。 「右側にあるドリンクは何ですか?」と同席の人に尋ねると、「ハトのエキスだ。」と言われ、さすがにそれ以上飲むことを戸惑ってしまった。

(7)『ギザ市内』 4/10 7:00にピラミッドに向けて歩いていると、タラアト・ハルプ広場で「どちらに向かっているんだ?」と年配のエジプト人に声をかけられた。 「今からギザのピラミッドへ行くんだ。」と応えると、「私も夜勤を終えて、ギザの自宅へ帰るところだから、ギザまで案内するよ。」と道案内をしてくれた。 30分ほどバスを待つ間、手書きのピラミッドの地図を描いてくれて、3つのピラミッドが見えるポイントやサッカーラもお薦めですよ。と色々なことを教えてくれた。 「Welcome to my town!」とギザの街に入ると、笑顔でサイードは言った。 バスを途中下車し、ピラミッドが見える地元ならではポイントから、近づいてきたピラミッドの大きさに少しずつ感動が大きくなってきた。

(8)『パピルス博物館の罠』 サイードの薦めでパピルス博物館に入ることにした。 ペイパーの語源となったパピルスは、ナイル川の湿地帯に多く繁殖するパピルス草の茎をもとに作られた世界最古の紙である。 その作り方を店員が一通り説明し、実演して見せてくれた。 店内の作品を見ていると店員の接客が始まった。「最後の審判が人気だ。」と言うので、200£E(=3600円)で1枚おみやげに買うことにした。 とここまでは納得の上であった。ところがその後店員が「ヒエログリフで名前を入れるか?」と尋ねてきたので、サービスと思い込み、入れてもらうことにした。 請求書を見ると350£E(=6300円)と倍近くになっていた。「おかしいではないか。」と言うが、マジックで自分の名前が入っているため無駄な抵抗となった。 他にも店内に名前のスペースのあるパピルスが多数あり、入口に日本語で「パピルス博物館」とある訳がようやく理解できたが、後の祭りだった。

(9)『ギザの街並み』 「少しお茶をしていこう。」とピラミッドの裏側でバスを降りた。「この辺りはベドウィンが住んでいて、お茶やご飯をサービスしてくれるんだ。」とのことであった。 チャイとコシャリが出てきた後、サイードが「ピラミッドはどうやって廻る予定ですか?」と尋ねてきた。 特に考えてはいなかったが、その店の別のツアーガイドが「400£E(=7200円)で、ラクダ・ガイド・入場料・ピラミッド内部をすべて込みでどう?」との提案があった。 カイロのホテルを出発してから2時間が過ぎ10:00近くになっており、3時間で効率的に廻れるので、そのツアーに参加することにした。 サイードは、「サッカーラもいいですよ。」と熱く薦めてくれたが、朝のバス待ちやパピルス博物館に加え、お茶をのんびり飲んで2時間も無駄にしており、夕方に飛行機に乗るため、サッカーラは断念した。 10:00にラクダに乗って西入口より入場した。

(11)『ピラミッドの謎』 ピラミッドは王の墓と思われがちであるが、クフ王のピラミッド内に「クフ王の名と統治17年目」という記述が発見された以外は、ミイラも装飾品も見つからなかった。 ギザの3つのピラミッドは、それぞれの対角線がきれいに一直線を描くように配置され、スフィンクスを合わせると巨大な直角三角形となる。 ピラミッドを含む巨大な空間は、天上の楽園である疑似来世を現していたのではないかということが推測される。

(13)『ピラミッド内部ツアー』 ピラミッド内部ツアーの入口は、9世紀にアッバース朝のカリフが内部に侵入するために強引に開けた穴である。 行列の少なかったカフラー王のピラミッド(30£E=540円)に入ることにした。高さが1mほどの狭い通路を降り、階段を上がった先の部屋に石棺が1つ置いてあった。他の通路は進入禁止となっており、10分ほどで内部ツアーは終了した。噂通りの微妙なツアーであった。

(16)『ナイル川』 タクシーを途中で停めてもらい、「ナイルの賜物」で有名なナイル川を間近で見ることにした。雨自体が少ないため、名前の割に小さい印象であった。 わずか30時間足らずのエジプト滞在であったが、古王国からイスラム王朝を経て現代へと、4500年間生き続けたカイロという街の様々な表情を見ることができた。

(14)『スフィンクス』 スフィンクスはピラミッドが建てられる以前に作られたという説が有力である。顔を東側に向け、日の出とともに太陽の光を浴び、太陽神ラーの化身として太陽信仰の象徴としてその威光を人々に示していた。 太陽の光を浴びたスフィンクスからパワーを得て、ピラミッド建設に従事したと言われている。 そのスフィンクスは、大量の砂嵐によって砂の中に埋もれ、長い歴史の間その存在を忘れられていた。 19世紀の後半になり、首まで砂に埋まったスフィンクスを掘り出し、ようやくその全貌を現した。しかしその一方で、大量の砂嵐によって破損の危機にさらされていることはとても皮肉に思われた。

(4)『ハーン・ハリーリ』 17:20考古学博物館からタクシーを拾い、ハーン・ハリーリへと向かった。両地区を結ぶ高架はかなり渋滞し、30分ほどかかった。道路が混雑したが、乗る時に約束した5£E(=80円)でいいよ。と親切な運転手であった。 ハーン・ハリーリは、14世紀から続くマーケットである。雑貨や服やおみやげ屋などが雑然と並んでいる。 ここでも、小学生ほどの子供が台車を押したり、売り子を日常の一部としてこなしている姿を見ると、気の毒に思うことさえあった。

(10)『ビューポイント』 1時間ほど歩き、ピラミッドが3つ見えるビューポイントに到着した。 一番奥がクフ王で、高さは136mあり、巨石を約230万個を使用した最大のピラミッドである。1つ約2.5tの巨石は13km離れたカイロから30年かけて運び、さらに15年かけて積み上げた。 真ん中がカフラー王で、数百km離れたルクソールからナイル川の氾濫を利用して25年かけて巨石を運んだ。積み上げは15年と変わらないが、クフ王のものより工程を5年短縮した。 手前がメンカウラー王で、財政難のため高さは他のピラミッドの4割ほどの65.5mであり、工程は計30年といわれている。

(12)『ピラミッドに接近』 どのピラミッドも表面を覆っていた化粧石は、イスラム王朝の建造物に使用されたり、住民の家の一部として持ち去られてしまった。 ピラミッドは登頂禁止となっているが、その日の朝刊に「カフラー王のピラミッドに登ったエジプト人が、降りられなくなった。」という記事が掲載されていた。高さ136mのピラミッドが高すぎて降りられなくなったというのが原因であった。結局、登頂してから2日後にヘリコプターで救出されたとのことであった。

(15)『労働者の住居跡』 ピラミッド建設は、ナイル川の氾濫期に仕事ができない農民を建築作業に従事させ、衣料や食糧を配給するという失業対策であった。 ピラミッドの石を運んだアスワンの石切り場では、建設作業に関わった労働者の落書きが発見された。「家に帰ったらパンをいっぱい食べよう。」といった楽しく働いている様子が推察されるものであった。 奴隷のように鞭打たれて働かされたわけではなく、王への奉仕活動であり、ピラミッドのすぐそばに労働者たちの住居跡が今も残されていた。

(6)『マーケット』 ハーン・ハリーリを散歩していると、金属細工や革製品に水たばこ、さらに迷路のような細い道が複雑に曲がっており、イスラームの街に来たことを実感した。

(2)『タラアト・ハルブ広場』 13:00にタフリール広場に到着した。1泊目だけタフリール広場から近くで、「周りが静か」との表現に魅かれホテルルナをネットで予約した。 タフリール広場から英語表記の看板を目印にしようとしたが、アラビア語表記の看板のあまりの多さに戸惑い、タクシーを拾うことにした。 そのタクシーもねぎったためか、昔のカーナビ並みに「この近くだ。」との場所で降りたが、さらに迷った末、奥まったところにあるホテルルナをようやく発見した。

(1)『カイロ到着』 4/9 12:00カイロ国際空港に到着した。エアコンバスで市街地のタフリール広場へ向かった。1時間バスに乗っても、2£E(=36円)と格安アフリカプライスであった。

エジプト4日目です。 ナイルエクスプレスでギザ駅に到着したのですが、一度ホテルに荷物を置きにいきました。 ギザのホテルからタクシーでギザ駅にきました。 地下鉄に乗ります。 切符の買い方や乗り方がわからなかったので 近くにいた サラリーマン風な紳士に教えてもらいました。

地下鉄のります。 エジプトは男女別々の車両にのらなければいけないようです。 知らなかった為、夫と同じ車両に乗ってしまいました。 冷ややかな視線を感じつつ 電車に揺られた。 途中の駅で バクシーシを頂く女性がこの車両に乗り込んできた。 子供連れだ。 みんな この女性にお金を渡している。 エジプトってすごい習慣だね。 この女性お金払って電車乗ってるんだよね?そして 各車両でバクシーシ頂くって・・・。

地下鉄カイロ駅に到着です。 ここから 街散策開始です。

とりあえず、カイロタワーを目指します。

近くまできました。

中に入って エレベータを待ちます。 全然降りてこない・・・・1つの階でずーーと止まっている。 壊れてるのかと思いました。エジプト人の方も待ってるので、一緒に待っていました。20分程待ってたら来たよ。 日本じゃ考えられないね。

カイロタワーからの眺め。 ナイル川がみえます。 夜にディナークルーズにくるんだけど、その船もみえます。

こちらの景色も絶景です。

カイロタワーを降りて 再び歩きます。 ハードロックカフェを発見!! カイロ店なのね。

店内の展示物

マイケルジャクソンも来たんだね。 この辺りのホテルは高級なホテルがたくさん並んでいます。 高級そうなホテルを見学に行ったのですが、セキュリティチェックが厳しいです。 バックの中やボディチェックもありました。

タクシーでホテルへ帰ります。 車にはメーターがついてないので 金額交渉をします。 英語がしゃべれない運転手さんも多いので 少々困難。 ホテルに帰るタクシーからの街並み。

何屋さんかわかりません。 ラマダン中なので 大抵のお店は昼間はしまっています。 夜のナイル川ディナークルーズに備え 準備をします。

ホテルにお迎えが来きました。 川には何隻も船がありましたが、私たちはこちらの船にのるようです。 ちょっとオシャレして参加。

ラマダン中しかこのランプを出さないそうです。 街中でもいろんなお店の前にこのランプがおいてありました。 船の前にも出すんだね。

写真ブレてますけど 船内はバイキング式です。 好きなものを取れます。 スイーツなど すぐなくなっちゃいます。 プリンがおいしかった。

食事こんな感じです。 席から食事の所まで結構遠かったので 山盛りにとってきます。 でも 味付けはどこの店や ホテルでも同じだね・・・ スイーツやくだものばかり食べてました。 アイスがあった事に感動。

食事の途中で 歌があります。 エジプト音楽が流れます。

踊りがあります。

ベリーダンスがあります。 ちょっとやる気のない お姉さん。 衣装が地味でした。 ラマダン中は 肌の露出を控えるそうです。 ダンスも30%オフなのかしら?

男性も 踊ります。 

回します。 少々 飽きてきたので デッキにでました。 川風が気持ちいいです。 船をちょっと探検。 あっ!! さっきのベリーダンスのお姉さんがいました。 ジーンズにTシャツ姿。スタイルいいです。クルーズが終わるまで 衣装でいないんだね。 出番が終わったらお仕事終わりって感じです。 クールだなぁ。 夜9時頃ホテルに帰りました。

EGYPTAIR 成田 20:50発 → カイロへ出発です。 ボーイング777/300ER

こんな感じで、14時間がんばりました~。 シートピッチなど詳細は、EgyptAirのウェブサイト 『サービス』のページに載っています。

こんな軽食が出ました。

バスでギザへ。 朝食をとったホテル『ムーベンピック・リゾート』内の レストラン。 機内食の朝食から間が無く、あまり入りませんでした。

スフィンクス クラブツーリズム一押しの『特別エリアから見学』 4,500年前の人々の手が触れていたんですね… 思いを馳せ触れながら、ぐるっと一周しました。

らくだ観光。 結構揺れるのですが、慣れてくると優雅な気分になって きました。 3頭くらいずつつなげてひいてくれるのですが、 後ろのラクダが半身くらい前に出てくるのです。 可愛いかったな。

このツアーの売り2つ目。 『ピラミッドの見えるお部屋』確約 感激です!部屋に入ったとたん目に飛び込んできました。 (バルコニーに出ないと見えない部屋もあるようで、  ラッキーでした) メナハウス・オベロイ ただ…部屋に入ったのは5時頃ですぐ暗くなり、 (ライトアップのピラミッドが見えましたが…) 翌朝は3:30出発で見えず… もう1泊、いえ、せめて明るくなるまでいたかった…(T_T)

メナハウス・オベロイ  エントランス

メナハウス・オベロイ  息子の部屋からの眺め  一人部屋ですが、キングサイズベッドでした。  …贅沢過ぎますよね…将来ちょっと心配

夕食  チキンカレー ま、美味しかったです。

朝食 フィッシュを選んだら、幕の内弁当風でした。

RamesesⅡ世 男前ですね…

ジョセル王の階段ピラミッド こんなに大きいとは思っていませんでした。 下から2段目にいる人が小さいでしょう?

『アエーシ』というパンと、パンにつけるペースト。 あと、チャーハンのようなご飯と、魚やイカのフリッターが 出ました。 全てのレストランで、水も有料でした。 ペットボトルの大か小を頼みます。

3つのなかで1番大きい『クフ王のピラミッド』内に入りました。 ちょうどピラミッドについての番組を見たばかりだったので、 『大回廊』や『王の間』に入れた事は大感激。 王の間の天井は、60tもある石がいくつも積み上げられているそうです。

『ラクダに乗って9つのピラミッドが見られる絶景ポイント』 絶景ポイント、素敵な風景でした。 ただ、すでに崩れていたり、この日は霞んでいて 5~6個かな。 (カメラに写っていない手前左にあったかどうか、  ちょっと忘れてしまいました)

閉所恐怖症の夫はかなり心配しておりましたが、 大丈夫でした。 夫の症状は、ベトナムの洞窟や、顔面近くまで入る MRIがダメでした。 エレベーターは平気です。

ここでピラミッド観光まで3時間くらいすごしました。 ^^; 前の道から、しだいにピラミッドが見えてきて、わくわく。

メナハウス・オベロイ レセプション これも添乗員さんが案内してくれますが、 夕食後、1エジプトポンド(チップ用)を入手するため 日本円をホテル内銀行で両替。

この『1エジプトポンドコイン』が必需品。 殆どのトイレでチップがいるので。 必ず2~3枚ポケットに入れてました。

スフィンクス

アラビア語だ~

北京の真上を通過して、こんな感じ。 窓側にいた息子によると、 北京の夜景はかなり輝いていて、 なかなかすごかったそうです。

カイロ3:50分着 添乗員さんから案内がありますが 空港で両替をしました。

お昼もバスでお弁当。 (朝は空港へ行くまでのバスで同じようなお弁当) 食べる気がしないな~と思っていたら、 近くの方がハンバーガーにされました。 真似する事に。美味しく頂けました♪ 『きゅうり』はだいたい新鮮で美味しかったです。

アスワンからアブシンベルまで、バスで片道3時間。 アブシンベル行きのバスが集まり、コンボイ方式で往復します。 窓から見えた蜃気楼。 さまよった人が、水だ!と勘違いするのも無理ありませんよね…

アブシンベル神殿 壮大で美しかった。 手で触れる事が出来て感動でした。

さて、アスワンに戻り、クルーズの始まりです。 この写真は翌日撮ったものですが、 ナイル・スタイル号…『5つ星』は言い過ぎかなぁ…

窓からナイル川が見えるのは、やっぱりいいですね~。 明日、朝7時出航です。 フェイスタオル・バスタオル各2枚、石鹸1個、 シャンプー1個(2名なのに)、ドライヤーがありました。 写真の目覚ましは、自前です。

ディナーブッフェ。 食事は、ほぼ美味しかったと思います。 3日目のお昼の『マンゴーアイス』は特に。

夜は、ベリーダンス、タンヌーラのショーだけ見ました。 (夫と息子は部屋で寝てました) その後も、年越しパーティーをやっていたようです。 その大音響が、部屋にかなり聞こえてきます。 嫌だなと思いきや、私も物ともせず寝てしまいました(笑)

1月1日 6時30分 初日の出 エジプトで見る事ができるなんて 穏やかな1年を願いましたが…

コムオンボで下船『コムオンボ神殿』見学 ここも大きな柱がそびえる神殿、 わぁ~と感心しながら見上げました。

7:00ルクソールに向け出航。 デッキに出て、風に当たる。 3泊のうち航行するのはこの日のみ。 あとは停泊なので、風を感じるこの日は貴重です。

一旦船に戻り昼食、休憩。 エドフ到着。『ホルス神殿』まではこれに乗車。 息子が「馬車ってこれかいっ?!」想像と違うと。 まだまだ青いな。 帰りは、行きと違う路地を通ったので、恐怖を感じた方もいたようです。 まさかぁ…ドキドキ感もだいご味と楽しみました。

ホルス神殿 はやぶさの姿をしたホルス神を祭っています。

1月1日の夜は『ガラベイヤ・パーティー』(写真は前日) ガラベイヤを着たい人は着て、ゲーム等をしてワイワイします。 面白かったですよ。 同じツアーでは、若い方2名が着て、ご年配の方1名はお着物で。 大阪からの方々は、男性の方もアラブの格好など、結構ノリノリ。 ドイツ(多分)からの方々は全員が。 私はこましなチュニックブラウス+スキニー。

アスワンハイダム

香水瓶ショップ

ナセル湖 アスワンハイダムによってできた人造湖。 ほんとに大きく、海を眺めているような気分になりました。 すみませんこんな写真で。 風景だけの写真を撮らなかったもので…。

アブシンベル神殿

未完のオベリスク 途中でひびが入って放棄されたとの事。 約41m、完成していたら最大だったとか。 当時のファラオ、ちょっと欲張りすぎましたか。

ナイル・スタイル号 アメニティの無さやドアの鍵も開けにくかったし…。 少し古い感じがしました。 まぁ、船内の雰囲気は悪くはないですが…。

アスワンの初日の出鑑賞 小さな船でホテル最上階のラウンジに行きました。 夜が明けてきました。

ナイル川 左は島のような中洲です。 このまた左に川が流れているようですが、 窓からは見えませんでした。

午後からは暖かくなるので、デッキチェアーに寝転がって。 至福の時間でした。

コムオンボ神殿 きれいなレリーフ ガイドのナセルさん

コムオンボ神殿

ホルス神殿 大きな塔門が印象的でした。

ホルス神殿

アブシンベル神殿が見えてきました。

コムオンボ神殿 ワニの神様を祭っています。 ワニのミイラも見る事ができます。

気球を降りて、バスで王家の谷へ向かいます。 その入口に建つ『メムノンの巨像』

ただ、ゴンドラの向きも全く変わらなかったので、 ナイル川方向を向いていた方は、霞がかかり、 ルクソール神殿などは見えなかったようで、 残念がられる声が聞こえました。

ハトシェプスト葬祭殿 ここで事件があったのですね…

王家の谷のお墓は撮影禁止、ガイドさんが『カメラはバスへ置いてって』とのことで、チケットの写真で。 華やかな色が残ったままのレリーフを見たり、ツタンカーメンのミイラを前にした時は、やっぱり感慨深いものがありました…

船に戻り昼食。 この写真は昨日ですが、そうめんが出ました。 『ロズ』と言われるエジプトのライスはイマイチですが、全体的に美味しかったと思うのだけど…。

カルナック神殿 と言えばの、羊のスフィンクスが並んでいました。 観光客が多かった。

カルナック神殿 柱の大きさには、ほんとに感嘆の声を何度もあげてしまいました。

ルクソール神殿

ルクソール神殿 ライトアップで美しかった。

ハトシェプスト葬祭殿

ルクソール神殿

1月3日、ルクソールからカイロへ  1時間くらい。

カイロ市内へ向かうバスから見えた、イスラム寺院。  きれいで立派だった。

渋滞になると、車線も、交通ルールもありません。 日本なら3車線のところ、突っ込んで突っ込んで5列、クラクションの嵐。

ハン・ハリーリ市場 朝早かったので、あまり店が開いてません。 それでも、意を決してマグネットを交渉してみましたが、 交渉大好きな夫が助け舟。 我が家の冷蔵庫に付いてます。

ハン・ハリーリ

ハン・ハリーリ ホセイン寺院 尖塔(ミナレット)が美しかった。

しょっちゅう、こんな人に出会います。 こんなにアエーシ(パン)を乗せて(@_@) カフェから撮ったのですが、このカフェの『マンゴージュース』は最高! 果肉がたくさん残ったままで冷たくて。

お昼は、『フェルフェラ』 ジミー・カーター元米大統領も来た事があり、サインと写真がありました。 エジプト料理、コフタ。 牛か羊肉でひき肉をまいてある。 美味しいです。

エジプト考古学博物館 あの『ツタンカーメンの黄金のマスク』がある。 その他にも、金棺、木棺、それらが入っていた厨子など、 こんなにたくさんの宝物の1番下(入れ子状態=マトリョーシカのよう)に、 ミイラが納まっていた事を知って、ため息とともに驚き。

国民民主党本部(とガイドさんが言っていた)だった建物。 2年前の革命で、このようになったままでした。 ちょっと驚きの光景。 (もちろん観光場所ではないです、項目がそれしかなかったので)

さて、カイロから→アレキサンドリアまでバスで4時間半かかりました。 明日、観光終了後、またカイロに4時間かかって戻ります。 アレキサンドリアには行って良かったのですが、この移動時間…、 もう少し何とかならなかったのかなぁ…と感じました。

ヘルナン・パレスティン ホテル 部屋も広く、きれいなホテルでした。

クルーズ船「ナイル・スタイル号」とは打って変わって、 アメニティがこんなにありました。 次の日、朝が少しゆっくりで、このツアーで初めて散策ができました。

朝6:30頃、気球乗船。 この時間は冷えたので、ダウンやジャケットを着て。 非常に簡素ですがトイレはありました。

方向は風任せ。 私たちの気球は、あまり『王家の谷』の間近まで行かなかったのですが、 ハトシェプスト葬祭殿や、メムノンの巨像も見えて、気持良かったです。

ハトシェプスト女王 貿易などでエジプトの国力を強化した唯一の女性ファラオ、だそうな。

カルナック神殿 オベリスク

翌朝、テラスからの眺め。 モンタザ宮殿が見えました。

正面から右に、地中海が見えました。 地中海を見る事が出来て感激(^.^)

モンタザ宮殿 1892年に建てられた王家の夏の別荘と地球の歩き方に。 この敷地内に、宿泊したホテルを始め、いくつかホテルが 建っています。

宿泊は『ヘルナン・パレスティン』 きれいなホテルでしたが、中心部から離れているので、 アレキサンドリアに着いてから渋滞もあり、 カイロから4時間半かかりました。

ロビーも素敵でした。 どのホテルもクリスマスのデコレーションがあったのですが、 キリスト教の一つ『コプト教』のクリスマスが1月7日だったからでした。

あの有名なアレキサンダー大王によって建設された街。 クレオパトラがいた街。 帰国後、BS番組でアレキサンダー大王を取り上げていた。 行った場所がたくさん映り、とても楽しめた。

午前中1時間ほど雨が降りました。

カイトベイ要塞 15世紀、ここを治めていた王、 カイトベイによって建てられたとのこと。 バスを降りて10分ほど外から見学。

ポンペイの柱 入場して、希望者は柱まで行きました。 30m近くあるそうで、そばに行くと高かった。 エジプトは、クレオパトラの死後、ローマ帝国時代に入り、 ローマ皇帝が建てた建物の柱の1本との事。

昼食に向かう途中 広場の風景

明るいきれいなレストラン。 珍しいビーツのサラダなど、食事もおいしかった。

イスラムの人はお酒を飲まない事は有名ですが、 ホテル・レストランでは売っています。 ビールは『サッカラ』や『ステラ』がありました。 夫、息子によると「あっさり」「さっぱり」だそうです。

レストランがあるこのホテルには、 古い素敵なエレベーターがありました。 現役で、動いています。

カイロへ戻るバスから見えた寺院。 合同礼拝の日との事で、たくさんの人が集まっていました。

午後から国立博物館を入場見学。 ファラオ時代の物もありますが、近代の煌びやかな宝物も見ごたえがありました。 館内撮影禁止で写真無しのため、晴れたアレキサンドリアの景色を。

ギザまで戻ってきました…。

はい、連れていかれました、パピルスの店。

買ってしまいましたパピルス。(額は日本で) 息子が言うには「空港の方が安かった。結構売ってたし。」 でも…「全て本物のパピルス、他ではバナナの皮の場合もある」 と言うので…。 それに、ラムセスとネフェルタリのデザインで気に入っています。

さて、エジプト旅行終了。良かったな~。 とにかく遺跡や神殿は素晴らしい。 観光地で「ワンダラ~」「全部でセンエン」としつこく寄ってくるのは苦手だけど、それもエジプトらしさ。 空港の移動バスに2回乗ったけど、イスラムの女性が年配の日本人女性を見ると、席を詰めて「座って」と手招きするのを毎回見てほんわかしたし。 クルーズ3泊のうち、航行するのは中1日のみであとは停泊だけど、『ナイル・スタイル号』は5つ星は言い過ぎと思ったけれど、それでも良かった。 ハトシェプストと、アブシンベルで、もう少し観光時間がほしかった。 8日間でアレキサンドリアもだとちょっとキチキチかな…。 9日間か、10日間あればゆったりできるのだろうな。 夫が買ったお土産。 ガラスのピラミッドは「ワンダラ~」の人と交渉して。 安く買ったようだけど、いい感じで輝いてます。

ルクソールのホテルです。 なかなか良いホテルのようでした。 昨日も夜に到着だったから 朝、初めて見た感じです。 寝に来ただけだったような・・・。

夜カイロ10時過ぎの飛行機だったので、ホテルに着いたのは 12時近く。 それからお風呂に入って支度して、朝7時頃出発。 めちゃくちゃ弾丸です。 3日目朝にして かなり疲れてます。 朝からホント熱いです。

バスでウトウトしながらも 今日のツアーは始まります。 ナイル川を渡ります。 ほんと長いんだね。

バスからみえました。 ルクソール西岸 王家の谷へと向かいます。

まだまだ 先は長いです。 途中トイレ休憩もかねて お土産物屋さんに入ります。

お店だとは思えない概観。 でも お店です。

こっちはちょっとオシャレな概観です。

中の壁画もエジプトっぽい。

お店の方が説明してくれてます。 置物とかが多かったです。 花瓶とかオシャレなものありましたが、値段が結構しました。観光客価格なのですね。

やっと 到着しました。 王家の谷です。ここから歩きます。 結構長い時間歩くのです。 とにかく熱い。飲み物は絶対忘れちゃダメです。 添乗員さんから 「体力を考えて行動してください。全部回らなくてもいいです。」と案内がありました。 また、入り口に立っている 現地の方の写真を撮るとお金を請求されるので 気をつけてくださいと。

現地案内でずっとお世話になっている シャバーンさん。 ラマダン中なので こんなに熱くても 水1滴飲んでいません。 でも お仕事なので 一生懸命 ガイドしてくれてます。 お墓までは カートに乗って移動します。

ハトシェプスト女王葬祭殿

いろいろお墓を見ました。 ほとんど 撮影禁止です。 ラムセス何世だか覚えてないくらい 日差しにやられました。

メムノンの巨像 本当に大きいです。 すごい離れないと 2体写真に納まりません。

お昼ごはんです。 オシャレなお店に入ります。

いい雰囲気です。

やはり エジプト料理です。当たり前ですが。 正直 エジプト料理 口に合いませんでした。 素材の味をそのまま生かすって感じなので 汗も半端なくかき、体力もかなり消耗している私は もう少し塩分が欲しかった。

同じツアーのおば様に 「塩飴」 を頂いた。 エジプト旅行に行く方は これ絶対必須持ち物にして頂きたい。 添乗員さんから 「レストランはトイレは自由に使えます」と案内があったのだが、こちらでは トイレの前でチップ回収係りの女性がいた。 ただ、ペーパーが必要な方はお金をください、って感じだったので、みんな ポケットティッシュを持ってトイレへ。 誰も 彼女にお金を払う人はいなかった為、彼女は泣いてしまった。 生活の為のお仕事だもんね。でも ごめんね。

食事の後は ルクソール 東岸です。 ルクソール神殿とカルナック神殿を見学します。 ここもとても広いので かなり歩きます。 最初はルクソール神殿から。

オベリスク

ラムセス2世の座像

ラムセス2世の立像

ツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃

皇帝崇拝の場 ローマ風の人々を描いたフレスコ画

エジプトの人達が描かれてます。

次はカルナック神殿へ。 スフィンクス参道

オリシス神のポーズをとるラムセス2世。 足の間にいるのはベント・アナト妃とされる。

大列柱室

壁画がすごいね!

神殿見学の後は 香水瓶屋さんへ。 実は 神殿見学を早めに切り上げた人だけ連れてってもらいました。 もう、歩くの疲れちゃった・・・。とバスに戻る人かなりいました。

香水瓶を作る所を見学。 お店も綺麗で素敵な瓶が沢山おいてありました。 お土産に何点か購入。

マクドナルド ルクソール店の斜め前の公園。 なんか かわいかったです。 エジプトのカイロギザでは見なかったですが、ルクソールには信号機と横断歩道がありました。その脇には馬車が何台もありました。 この公園前から 横断歩道を渡ってマクドナルドへ行きました。

マクドナルド ルクソール店に入店です。 おぉ!エジプト仕様の大判タオルが。 赤色購入です。 これ3色と思いきや 赤の裏側が黄色でした。 日本円で1000円くらいだったかな?

エジプトオリジナル商品 アラビアータ購入。寝台列車の中で食べます。 ルクソール駅に向かいます。

長かったルクソールでの1日がやっと終わります。 寝台列車でギザへ向かいます。 ナイルエクスプレス到着です。

列車の中

夕食がでました。 チキンかビーフか選べると聞いたのですが、どちらもでました。 パンもライスもつきます。 赤い実はナツメヤシの実のようです。すごい渋かった。 赤いけど 硬くて 渋柿のような味でした。熟れていればおいしいらしい。

二人並んで 食事を取ります。 この 席の前に 洗面台があります。

食事が終わると 座席をベッドにしてくれます。 2段ベッドです。 トイレは 部屋の外にあるのですが、列車が動いているときしか使えません。 疲れすぎてすぐに寝てしまいました。 食堂車もあったようですが、見学に行くのを忘れてしまい ちょっと残念。

朝、ノックで起こしてくれます。 その後 ベッドと座席に直してくれます。 とっても良く眠れました。爆睡だった。 朝食が出ました。 パンをおかずにパンを食べる・・・不思議な組み合わせ。

ギザ駅に到着です。 荷物を降ろすのを手伝ってくれます。

ギザ駅改札をでました。 そしてまたここから1日が始まります。

再び、私たちは蟻の巣の断面のようなギザの旧市街地区=ナズラット・サマーン村の路地をモーセスの子分に続く。(ここは、モーセスの息がかかった村なのだろ うか?)突然だが、子分2号がエディーマーフィーというか彼が役者として売れる前のチンピラ小僧であると思い至った。ギザのマーフィー、覚えておこう。モーセス、忘れたい。   もう彷徨うこともないこの路地から見上げると、密集した家に阻まれ夜空が見えない。  しかし気にはすまい、今夜は月はでていない。宴の喧騒とは無縁の何もない村だ。 角を何度曲がるか数えることは、もうしなかった。マーフィーについて歩けばよいのだ。  ようやく道が開けた向こうにはすみかす街灯と、街路樹が見えてきた。      大通りにでた。どこか遠い異星に着陸したような感覚だった。          なおも一緒に歩こうとするマーフィーに、                   「もうここでいいから私たちだけで大丈夫」と、握手を求めた。         彼はモーセス以上に英語が通じない。ニタニタしながら付いて来る。       「ショクラン(ありがとう)」にやっと反応して、ニタニタしながら大通りから村の中へ消えて行った。 ついに最後の一人も消えた。「そして誰もいなくなった」。      全てが幻だった気がする。二人だけになった。いったい、なにを話せばよいのだろう?柔らかい街灯の光に包まれた二人の陰は朧げだった。            「どこにいるんやろ?」                           妻の反応はなかった-------。                                                           ここが、シャーリア・アハラム通りであればこの道を左にとれば良いはずだ。  ジャングルのような村へ入った所と出た所が全く別だったので、方角がわからなかったが、「持ち前の勘」は、左へ行けばホテルに行き着く、と発信していた。   けれども、私は「土地勘」が全くなかった。                  

彼女はラクダに乗っている! なんたるちーや!あれだけ警戒してたのに・・・・敵は本能寺にあり!! 「バカバカバカバカぁ~・・あれだけっ!ラクダには乗らんっ!言うたのにっ」 「えっ????だって【乗せてくれた】んよぅ~♪」 ・・・・・・・あのなぁ・・・・空は先ほどまでの霧がウソのように、雲ひとつなく晴れ渡っている。 しかし、その空は何故か黄色がかっている。 妻は付け加える。 「それにね、このおじさん、ノーマネー・・・って言うんよ」と、くったくなく応える。 彼女が乗ったラクダのヌボッ~~とした顔と彼女の顔が重って見える。 私は、この国を旅する旅人として最低の「マナー」を身に付けていたつもりなので「ノーマネー」がナニを意味するかは、心得ているつもりだ。微塵足りとも信じてはなりませぬ!・・・・・・ が、すでに飄々とラクダに乗り行く、三流女坊主の後姿に心細くなり、仕方なくついて行くことにした。 呪いの言葉をめーいっぱい浴びせ掛ける孫悟空のごとく・・・。 何故か、手下が引く馬に乗って・・・・・・・・・・・・・

ラクダ使いは観光客相手に「観光」とは無縁とばかりに、あれよあれよと先へ進んだ。ラクダの一歩を追う馬は滑稽に見えることだろう。 その馬上の私はもっと滑稽だ、トホホホッホ・・・・。 なんで、私は馬なんだ? ラクダ1頭と馬3頭のご一行様は、あっという間にギザ地区最大(つまり、世界最大)のクフ王のピラミッドを過ぎてしまい、続いて神秘のカフラー王のピラミッドまで遥か後方にしてしまった。 そして、こうして近づいてみると、崩れかかっており、1基だけだとなんだかうら寂しいメンカウラー王のピラミッドの前で、 「入るか?」と、ラクダ使いの男は自慢ゲに尋ねてきた。 ――なんで、ここで止まるねん―― 恨めしそうにクフ王のピラミッドを見上げた背景の空は蒼に黄色い粒子を散りばめたように、妙に黄色っぽい・・・・。 「いいや、クフ王の、だったら入る!」 「クフ王は、ほら、もう過ぎたよ・・」 「過ぎたのは、あんたのせいだろっ!!」 このやりとりの、ほんの少し前、二人は前方を悠々と行くラクダの後方で馬上でネチネネチと口論していたのだった。 このすれっからしの、ラクダ屋モーセスと、―-名前なんか知りたくもなかったが 妻は旅中出遭ったお友だち欄のメモ帳にしっかりサインしてもらい、つけ加えていたのだった――、金を払うの払わないのとかんかんがくがくやりあった挙句の果てに温厚な稲作民族は百戦錬磨の騎馬民族に折れていたのだった。 払った額は実に20$・・・・・・・・・! なんだか、ガイドブックの諌め、どおりの行動だった、トホホホ・・・・・・。

「ここ、入るのどうする??」と、旅も後半を過ぎ、決してご機嫌も麗しいとは言いがたい少々疲れ気味の姫にお伺いをたてる。 姫は私の意など解する風もなく、あっさりと、 「入ろうよ」とのたまう。 ふーん・・・それならそれで、この五月蝿い彼らをとっとと追っ払って、 「後からゆっくりと、二人で入ろうか?」という、かのナポレオンも兵士を檄したときに使った「5千年の歴史にあやかる」、ロマンチック・ジーャニーな、私の提案を、 「ん?なんの意味あるん?今、入ればいいことじゃない」と、軽く一蹴した。 ・・・・・返す言葉もないが、この剛毅な女なら、さっきの20$も取り返してくれるの違いないと、根拠もなく淡い期待をこめて、先刻のいきさつを告げた。 「なんで、そんなに払うの!!『ノーマネー』って言うから乗ったのに、お金払えと請求されれば、降りればいいことでしょ!!」 「ほんなん、言うたって、ラクダから降りるのタイヘンよぉ~~。2階から飛び降りるくらい、なんにょぉお~~」 「じゃあ、2階から飛び降りればいいんですっ!」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 ああ、そうですかっ!私は剛毅な女の力を発揮する【矛先】を、すっかり読み違えていたのだ。 それに、・・・・・私は馬からもよう降りん・・・。 渋々、私はモモタローなる主の後をキジだかイヌだかサルだか知らぬがお供するがごとくついて行くはめになった。  しかし、このメンカウラー王の内部の通路はロマンもマロンもない世界だった。 そこは、終始尿などの異臭ただよう換気のない誠に不衛生な場所だった。 二人は終始無言で、幾つかの空間も感慨もなく過ぎていった。 めざすは太陽の下、それだけだった。 しかし、ピラミッドの場外は眩しい太陽の元へ、というより忌まわしいモーセスの 元へ帰った、というほうが正しいのが癪だ。

「グッド???」黒づんだ肌で痩せぎすのモーセスは白い歯を向けて満足げに尋ねてきた。 「はいはい、グッド~~」―ぜんぜん、ノー・グッド!!!―  再び、憎きモーセスの従僕となった私たちは――とはいえ、妻は全然そんな気配はなく、かなりモーセスと仲良くしてたが・・――、現代の墓地を横切り、河岸神殿やスフィンクスというギザ地区のもう一方の雄たちをも、全く無視して場外へ出てしまった。 もう、わやくちゃや! そして、案の定というか、馬上のまま連れていかれたのは、ラクダ使いたちとグルであるに違いない土産物屋だった。 私たち生贄は、ラクダ屋から、パピルスの女店主にバトンタッチされたのだ。 「マイフレンド!」黒人店主が勢いよく微笑む。あんたもかいっ(笑)。 抱きついてこんばかりの、馴れ馴れしい女性店主を無視して、 2階の階段をあがった。 それが、そもそも間違い、の始まりだった―――――。  2階は所狭しと、香水入れのガラス瓶が棚に陳列されていた。 私背の高い店員に供されたカシス茶を飲みつつ、カモになるであろう生贄の役を先刻の復讐のつもりで、その役を妻に負わせた。  ベティーチャンが「中年になってグレたような」女主人が「クリスタル!」と主張する2本の「夫婦茶碗」ならぬ「2本の香水瓶」(笑)を手にするまで、先ほどまで馬に乗って揺られていたのと同じくらいの時間を要した――――。

「そんな安値では、ボスに首になるわ・・」と首をたれながらげんなりして言う店主の言動から「ゴッドファーザー」を彷彿させられ、ややビビッタが、 「嘘や、嘘や、。目の前におるのが、そのボスや。交渉せえよ!」 彼女に押し付け、カシス茶のまずさに眩暈を覚え、口直しにと、彼女の生ぬるいコーラなんぞを飲んでいたら、 「・・・・・・えーと、あのー、えーーーと・・・・・・・」 ・・・・・・・・こっちまで句読点だらけの、かくも彼女の時間は優雅に流れているのであった。 結局、1本1万2000円だったクリスタルなるグラスを8000円で両者が折れることになった。 めでたい結末かどうかは、定かではない。 しかし、まぎれもなく我が家の家宝になるべく、手に入れたものだ。 が、・・・・・今だもって、食器棚の奥深く眠っているままだ。 一緒に買った、クレオパトラとアレキサンドリアという怪しげな香水とともに。 この店の名前を明かすことはできない・・。 が、スフィンクス正面のチケット売り場を出たところすぐにある。 誰でもすぐわかる。通りかかれば、間違いなく「マイフレンド~~~」とにこやかに、ベティちゃん(?)が手を引っ張っていってくれるだろう。 私たちにとって忌々しいのは、モーセスだ。 いったいいくらのマージンを手に入れたのだろう・・・私たちの20$と合わせても、今日明日仕事なさらずともよいでのはなくて??  ピラミッド側の入り口まで馬で行こうと促すモーセスに断った。 モーセスは、名残おしい・・・・・なんて素振りは露にもださず、妻に不敵な微笑みを投げかけ、あっさり子分とラクダと馬3頭を従え、去っていった。

また、私たちのような上カモを求めるのか、今日はもうあがり!とドンチャンやらかすのかは、定かではない・・・・。 しかし、なさけないことに、鼻の欠けたスフィンクスにさして興味も湧かず、結局彼らの後を追うような格好で、ホテルへ戻ることにした。 その名を冠する香水をベティにつけられ、すっかりその気になってる我が相棒「クレオパトラ様」はこう仰った・・・。 「クフ王のピラミッド、入ろうよ」という強い要求であったが、機嫌が悪い私は、 「そんなん、ただの尿臭い、石のなかや!もう、なしなし!」 と、砂漠に埋もれかけていた私の威厳を(そもそも最初からあったっけ?)探し当てたかのごとく、断固として受け付けなかった。 「なんでよぉ~~~~。。。」 「目には目をじゃ!」 ―ここはメソポタミアではなくて、エジプトです!― と、突っ込んで欲しかったのだが、彼女は余裕がないんか、はたまた薄学なのかは存ぜぬが、しばらく無口になってしまった。 ―やっぱ、無知なだけや―と、ほくそえんでいたら、すごい切り替えしがあった。 彼女の一言は、しばらく呆然とさせられ、やがてその意味が飲み込んだときこの地に吹き荒れる熱砂の嵐のなかへ巻き込まれたような気分になった―――。 クフ王のピラミッドを見上げて横切りながら、 「たかが、こんなもんかーと、思うとっても、やっぱり近くで見上げたらすごいの ぉ~~。ほれ、見てみなや!・・」と暢気な私にこう告げたのだ。 「今晩ね、ダンスパーティーがあるからって、さっきのラクダのおじさんに誘われた」 え?? 頭が少し、クラクラしてきた――――。

ダンスパーティー・・・・・・・・・・・。 零コンマ、数秒の間、走馬灯のように駆け巡る・・・・。 ―――怪しげな、ベリィーダンスを見せる、看板もないような地下の暴力バー。 二人は金などなく、、、身包み剥がされて、翌日、、、黒く澱んだナイル川に浮かぶ・・・・・・・・・・。 「ば、ばかばかばかばか!!どこまでお人よしなんだ!!あっ、、だからアタシと一緒になれたんだけど、、テヘ♪・・・ちゅうちゃう!!・・。カモがネギしょって、こちらで鍋まで用意してどぉ~~すんのっ?!ここは、エジプトなんだよ。 エ・ジ・プ・ト!!わかる?わかるでしょっ!!??」 「ん?でもね・・・」 「でもね、もへちゃこもないっ!夜誘われて、のこのこついて行くご婦人の顛末はさっきみたいに、40$なんかでは、もぉ~~、すまんのよっ!明日からミコノスの白い家見たくないの??一生、あのラクダ野郎と暮らしてろっ!」 まぁ・・・・・・自分でも感心するくらい、矢次早に、呪いの言葉で罵った。

で、・・・・やれやれ、、単純な彼女のオツムを改悛するには、労力を使い切るもんやと、ほとほと疲れきったところへ・・・。 「でも、ファミリーのパーティー、、って言うとったよぉ~~」 ・・・・・・・・・・・・・・。 ファ、ファミリィ~~?・・・・。 「ファミリィーのパーティー・・」 ゆっくりと、空耳のような言葉を記号のように暗誦した・・・。 ファミリーといえば、マフィア! 拉致され、翌日には・・・・二人はナイル川の・・・・・・・・・。 私の頭の中は、彼女と異なり、逞しい想像力と予知能力と、美しい詩的言語力が備わっていた。 「行こうよ・・」 彼女は、あいも変わらず、状況判断、の素振りもみせず、お気軽にのたまう。 「あのねぇ~~・・・・・」 「君も、一緒に、って言うとったよ」 「ふぅ~~・・・・・・・・・・・・・」 頭は、かなりクラクラしてきた・・・。

舞台前は踊りに興じる若い女たちや、私たちとあまり係わなかった子供達。    新郎新婦の前に陣取るのは雰囲気からして親戚まわりの人々と察せられる。    その何処にもシャイマーやシーワを筆頭にして、妻と朗らかに戯れていた天使たちの姿がなかった。 宴もたけなわの最中に消えた子どもたち・・が、消えたのは一瞬だった。   やがて、シャイマーがシーワが白のドレスの子が舞い戻って来た。妻の周りはいつもの人だかりとなった。女の子達は手に手に何か持っている。          そして、一列に並んで次々に妻へ渡しだした。花らしかった。          もちろん、最初に妻の手に渡ったのはシャイマーの花だった。          シャイマーは続いて我先に渡そうとする年下の女の子たちの順番を仕切り、女の子たちを一人ずつ紹介しだした。                        妻に渡されている花はピンクや赤のバラの花だった。              それらのバラは、まだ蕾であったり若々しいものだった。            私がその光景を真摯に見つめながら、だんだん目頭が熱くなってきたのは、-----バラを巡ぐる、ある小さな物語--を思い出していたからだった----- 「またバラか・・・」                            溢れだすものをこらえながら、目の前の光景を数日前のアスワンの心象風景とダブらせていたのだ。                              4日前、アスワンのカタラクトホテルでの出来事だった-------。     フィラエ島見学からの帰り、送迎のガイドたち3人組(よっぽど暇な奴らなのかセ キュリティーの問題なのかは知らないが、私たち二人の客に3人も付いて来なくて もよさそうなものを・・)がかけてくれたヌビア音楽のテープは浪速音頭そっくり で、私の琴線に触れた。♪チャラリライッラリランタタンタン-----     「おーい、アジが今日は安いよ、安いよ安いよ安いよ」(わけわかんないけど)ふ ざけ、手拍子を続け、3人組も思わぬ私の反応に大喜びで、箱バンの車中は大騒ぎに。     「もういいかげんにしたら」妻にたしなめられてもなおはしゃぎ続けた。     宿へ帰った夕食時、今度はヌビア人の民族音楽とダンス。その夜は興奮絶頂であった。   食事を済ましダンスショーも終わった頃、 私と妻はささいな事で口論になり、いざ となれば口数で勝る私は妻を泣かせてしまった。絶頂の夜は急速に冷え込んだ。  その時初めて妻の涙を見た。道中、さんざんー泣かされてーきたのは私の方なの に・・・・・。  彼女に気づいた私たちの給仕をしてくれていた大柄なヌビア人のウェイターが慰めの言葉をあれこれ英語やアラブ語やヌビア語で声かけてくれたがいっこうにやまりそうもない。 私の立場はますます苦境に立たされた。     

ウェイター氏はそのうち諦めたのか、奥へ引っ込んでいってしまった。      攻撃の鉾先をとっくに収め、改悛した私もほとほと困り果てていた時だ。     「ユア、ノープレブレム、スマイルスマイル、ライクアローズ」         ウエイターが舞い戻って来て、やさしく語りかけるように言った。        同時に、妻の背後から真鍮の小さな盆に乗せた一輪の花を差し出した。       バラの花だった。                                  その花はついさっきまで息吹があったような新鮮さで、おまけに手でちぎったよ うな茎の折れかただった。この男が今しがたホテルの庭ででもちぎってきたものに 違いない。  真鍮のお盆がシャンデリアの明かりで光っている。そこに涙が一雫落ち反射した。 彼の心憎い演出に、さっきまでとはあきらかに違う涙を妻は流しはじめた。    そしてかわいらしい嗚咽をあげた。                      眼の前にいるのは小さく儚げで、朧な存在の小さな女の子だった。         カイロのホテルにもカイロのレストランのテーブルにもアレキサンドリアの海辺 のレストランにもガラス瓶にさされた可憐な一輪のバラがあった。いつもバラがあった。    「薔薇を巡る旅だね」とある時、私は言ったかと思う。             そう、バラを巡るような旅だった。                      アスワンのレストラン「1888」のテーブルに花ざしはなかったが、今晩こんな素敵で粋なバラとの出会いがあった。                     「まるで映画のシーンみたいだ」                       すっかり彼女の涙の原因をつくった責任の所在を棚上げして私はのぼせ上がっていいた。  「やさしいヌビア人のウェイターさん、忘れないでいようね」          曖昧にうなずいた妻の顔は手にしているバラのように桃色がかっていた。     そのバラは部屋へ持ち帰り、持参した航空機のガイドマガジンに大事にはさんだ。 持ち帰ったときには押し花になっているはずだ-----。

そして今日もバラだった。                          私が熱くなったのは、アスワンの邂逅と、シャイマーをはじめとする女の子たちと の出会いの円舞曲と別れの序曲の融合だったのかもしれない。          シャイマーは女王様の風吹かし、女の子のいろんな名前を繰り返していた。    妻は満面の笑みでその名を復唱していた。                   名を呼ばれた女の子たちの嬉しそうなこと、嬉しそうなこと。          私の霞んだ眼の先にはバラの数だけ笑顔があった。               「スマイル・ライク・ア・ローズ」--薔薇のように笑って・・・--      カタラクトホテルのウェイターの言葉が重なるように蘇った----。                                           このような汚れを知らぬ美しい光景を私はみたことがない。           そして、私にはもう一つ心底こみあげてくる喜びと幸福感があった。       妻その人は、そのきらめくような空気でまわりを包み込み輝く光を当てる人だ。  彼女は刹那を素直に喜び、また分かちあい感動できる人なのだった。       こんなに邪心のない無垢な人を私は知らない。モーセスをもその無垢さで包んだのだ。  この気持ちを旅立つ前、駅まで見送って貰った義父に伝えるつもりだったが、どの ように伝えたらよいのか、うまい言葉が見当たらずそのままになっていた。    今はっきりと心の芯に言の葉となって、たち現れているのに・・・。        義父に伝える機会は永遠に奪われてしまっていた-----。                                               3才くらいの小さな女の子が恥ずかしそうに、蕾から今まさに開かんとしている バラを幼いながらも精一杯の歓迎の意を表していた。              女の子たちの手から次々と妻の手にバラは渡り、やがて両手一杯のバラの束となった。  渡されたバラの香りを運ぶように声をかけ合っている。             バラの数だけ笑顔があった。                     

私はビデオを撮りながらこの光景を美しく捉えていたものの、邪心だらけの私は俗 っぽい憂鬱がもたげていた。                         「チェッ、何であいつだけなん・・・」バラの数だけ嫉妬があった(笑)。    私はビデオに専念する素振りをみせながら内心うらやましがっていたのを隠し、気 後れする性格に自らを咎めてみた(嘘)。--おいしいとこばっかりもっきやがっ て--   その時、背後に視線を感じ振り返った。                    大きな目でロンパリ気味のキザ屋君がいた。                  彼の口にはバラの花があった。                        「ヤパンヤパン、アラーム。」と言って口にくわえていたバラを私に差し出してき た。  なんとまあ、やっぱりキザなやつだった。                   うそぶく私は修行が足りない、いや習性か。--「世界中にアイ・ラブ・ユー」だ --  間近で見ると、このバラが先ほどまでどういう状態であったのかがよくわかる。  茎の先は刃物で寸断されたのではなくいびつで、明らかに先ほどまで息づいていた生命を、手でちぎるかどうにかして、施されたものだった。アスワンと同じだ。  私は自分のバラと、妻をまた独占しようとしているシャイマーを見比べた。    シーワや白のドレスや目と鼻の大きな女の子その他の女の子たちの顔をぐるりと見回した。ひと廻りし、キザ屋君を見つめた。もちろん私の「目」はビデオだ。   彼の眼はみるからにひきこまれそうなくらい大きい。睫毛も以上に長い。     彼の大きな瞳に映った自分の鈍感さを呪った。                 彼、彼女らが闇にまぎれて広場から姿を隠した一時はバラをどこかで調達するためだったのだ。ナズラットサマーン村中が彼女たちの広場であり庭なのだ。      その時、走馬灯のように思い巡らしたことがある。              私は、あるいは私たちはいかに朧で危うく、儚い「情報」の上を綱渡りのように怯 えて渡っていたことかを。しなやかに暮らす人々をいかに軽蔑の視線で追っていたかを。 

ルクソール東岸へファルーカで西岸に渡り、ハトシェプスト葬祭殿などがある中 期エジプトの首都であったテーベの遺跡巡りは、テーイップという男にまんまと嵌 められ、目を覆うばかりのオンボロタクシーに乗せられた。カイロを旅立つ前、ヤ スルが言った。  「ルクソールではどんなことがあっても西岸の遺跡巡りのタクシーの上限は50ポ ンドです。それ以上は絶対払う必要は有りませんよ」助言も虚しく、何と全然風が 吹かずに二人の少年の手漕ぎとなったアンチ優雅な船上にて、私はテーイップにやり込められ60ポンド払ってしまい、一人茅の外だったくせに私を責め立てる妻を横目にしつつ、何故か心地よい「風」が私にだけ吹いていたような気がしたのは、テーイップの明るくどこか憎めない役者のような人柄だったせいかもしれない。   

街の全てが静寂に包まれ、太古の深い海でたゆたっているクラゲのようだった。 二人はそれぞれのー余韻ーに浸っていたのか、闇に紛れていくように無口に戻った。   祝祭の余韻に浸りながら道行くと、やがて通りはTの字に交差した所に行き着き、どちらを選択するかを、またいつものように迫られるのだった。現実はキツイわ。 「たぶんこっち」言うや否や、                        「あっ、人がこっちに来るよ。聞いて見ようよ、聞いてみようよ」と、せかす妻。 聞いてみようよ、じゃなくて、聞いてみてよ、のくせに。            聞くのも、選択気力も、虚脱感で萎えていたが、しかたなく前者を選択した。   たまたま通りかかった男に、すれ違う手前で息殺して声かけようとしたら、    「どこへいくのか?道に迷ったのか?」と先に声かけられた。          暗くて顔ははっきりとわからなかったが、初老の男は山高帽を被っており紳士然とした身なりだった。ホッとした。                       「オベロイホテルへ行きたいんですが」                    「ああ、それならこの道を真っ直ぐ行き、しばらくするとたどり着けるよ」    彼はエジプト人ではないぞと思えるくらい流暢な英語で教えてくれた。     

バラの花だった。                                  その花はついさっきまで息吹があったような新鮮さで、おまけに手でちぎったよ うな茎の折れかただった。この男が今しがたホテルの庭ででもちぎってきたものに 違いない。  真鍮のお盆がシャンデリアの明かりで光っている。そこに涙が一雫落ち反射した。 彼の心憎い演出に、さっきまでとはあきらかに違う涙を妻は流しはじめた。    そしてかわいらしい嗚咽をあげた。                      眼の前にいるのは小さく儚げで、朧な存在の小さな女の子だった。         カイロのホテルにもカイロのレストランのテーブルにもアレキサンドリアの海辺 のレストランにもガラス瓶にさされた可憐な一輪のバラがあった。いつもバラがあ った。    「薔薇を巡る旅だね」とある時、私は言ったかと思う。             そう、バラを巡るような旅だった。                      アスワンのレストラン「1888」のテーブルに花ざしはなかったが、今晩こんな素敵で粋なバラとの出会いがあった。                     「まるで映画のシーンみたいだ」                       すっかり彼女の涙の原因をつくった責任の所在を棚上げして私はのぼせ上がっていいた。  「やさしいヌビア人のウェイターさん、忘れないでいようね」          曖昧にうなずいた妻の顔は手にしているバラのように桃色がかっていた。     そのバラは部屋へ持ち帰り、持参した航空機のガイドマガジンに大事にはさんだ。 持ち帰ったときには押し花になっているはずだ-----。

 今日一日、彼と、彼の甥、のために60$(プラス香水瓶代が275ポンド)が消えた。  しかし、 金では買えまい、 いやきっとそうであろう。摩訶不思議なご縁だった。   もし、ピラミッド入場口でモーセスと出会っていなかったら・・・・。   もし、ルクソールでふと魔がさしてアレキサンドリアへの一日観光をバヨミ君に手配していなかったら昨日ピラミッドを観光し終え、今日はカイロで買い物であったろう。  もし、今朝、霧がでてなかったら、もし、妻の胃の調子が悪くなかったら、もし、夕刻、妻の胃の調子が直ってなかったら、もし、何度も警告したとおりに妻がラクダに乗らなかったら、もし、ダンスパーティーへ行くことを拒んでいたら---今夜、シャイマーやシーワ、白のドレスの女の子、キザ屋君、オババたちと出会う機会は永遠に失われてれていたに違いない。モーセスと出会ったタイミングの何千万光年分の1にも満たない「偶然性」を想った。(ところで、何故彼はラクダ1頭と馬3頭を連れていたのか?)   そして、出会いは、もちろん全て偶然に訪れる-------。           もし、指輪は鞄にあると気づいてたら、もし、夜行列車を待つラムセス中央駅のプラットホームでキオスク近くのテラス席に座らなかったら、 もし、予定どおり地元のボートでナイル川渡りしていたら、もし、アスワンのフィラエ島イシス神殿の観光を断っていたら、もし、予定どおりアブシンベルへの飛行機が飛び立っていたら、もし、バスマホ テルで待つ間をレストランで過ごさなかったら、 もし、アレキサンドリアへ一日観光を思いつかなかったら、 もしももしも・・・。 この世はもしもで構成される脚本いらず―――。  

-------- 旅の最後の一日、エーゲ海に面した人工の湾であるミクロリマーノへ向かった時もそうだった-----。                 ホテルからオモニア広場まで歩き、ピレウス港が終着の地下鉄に乗って、いつのまにか地上に出た電車をミクロリマーノに一番近い駅で下車したまでは良かった。  そこは、潮風すらとどかない準工業地帯のような殺伐とした風景が広がり、 私たちの存在を無視するかのような趣だった。どっちへ行けば良いのか全然見当もつかなかった。  「ちょっと、聞いてみようか?」駅で働くバイキングの末裔のような大男に聞くと、駅の地下通路をあっちに抜けて、丘を越えた向こうだ」と言う。       「えー全然違ってた。もう役立たずのガイドブック持ってきて」と妻を攻めたが、「このガイドブックは君が私のバッグに入れたんでしょ」と訂正してくれる。  通路を抜けて地上に出たものの、まだ判らない。太陽をみて方角はわかるが進むべき方向がまったくわからなかったのだ。                     さてさて-----                            「さてさて、ちょっと聞いてみようね」と、たまたま通りかかった、赤のポロシャツとジーンズに黒のサングラスをかけた、ちょっと見はトム・クルーズといった感じのお兄さんに(よくもまあ、外人さんを例えるのに映画俳優はなんて都合が良いいもんだろ)、   「カリメーラ。ミクロリマーノウンボ・ポテ?」わけのわからないギリシア語で尋ねた。  すると予期せぬことに、彼は待ってましたとベラベラ英語でまくしたててきたの だ。  

この道の反対方向は真っ直ぐアレキサンドリアへ向かう、アレキサンドリア通りだ。   とても夢のある通りだと思う。 200キロ離れた地中海と砂漠のギザの台地が直結しているのだから。 そして夜になると海風はギザの台地の空気と交わり朝靄を生む ----。  登り坂にさしかかる頃、 肌に感じるものがあった。手で拭うと砂だった。 砂・・・??  なんで、砂が・・・?砂!!今朝、空に舞っていた砂塵が、今宵、 降っているのだ!   坂を登りきる前に道は大きく勾配し、うねるようなカーブになった。       街灯も途絶えて、 あたりは闇に覆いつくされていた。大昔からそうであるように。  二人は並んで歩いていた。霧といい砂といい、空が織りなす不思議なドラマの下を。   今日一日落ち着いて話すことはなかったし、そういう機会もなかった。また、こうして二人並んで歩くことすら出来なかっためまぐるしい一日だった。 ホントにホント!    話すことは一杯あったはずなのに、相変わらず二人は無口だった。       

モーセスばかりか、ここに至るまでに愉快な人々との「偶然」の出会いがあった。 そして、わずかなエジプト滞在中に起こった思いもかけずおもしろうてやがてトホホホながらも、やっぱり愉快で愉快でたまらない出来事とカタルシスに遭遇してきた。     「偶然」、それは世界がどこかでどこかに繋がっている「奇跡の」道しるべだ。  ヤスルからモーセスに至るまでの出会いを解きつつ、妻の横顔をまじまじ見つめ た。 そして――――。                                            もしも、彼女と出会ってなかったら-----------。                                                今日一日の出来事がめくりめくって、蘇っては消えていく。           今夜、 私は妻と心象風景を媒介にして、心の奥に潜む「言の葉」で紡がれた気がした。  じっと見つづける私に気づいた彼女はふいに口を開けた。彼女は微笑んだ。    「ねえ、おなかすいたー」                            

あの、ナズラットサマーン村の祝祭の方舟にまだ乗っている軌跡を引きずっ て・・・。  カーブを曲がりきるとホテルが分かった。それは、すでに馴染み深い「目印」であった。  最初に目に飛び込んだのが、ホテルの窓から溢れる薄明かりにぼんやりと照らし出された、「ピラミッド・ビュー」を見事に封じ込めた、あの、ポプラの木だった- ---。 

結局、私たちは男が言うところの4つめのバスストップで、そこに佇んでいた漁師の男に何度も何度も「ミクロリマーノに行くの?」と念を押して、ようやく来たバスに乗り込んだ。キップは先に購入することを知らずに、臨時ストップしてもらっ たあげくに、漁師さんの世話になった。男は売店へ飛び込み、私たちの切符を買ってくれた。     男は運転手や他の4、5人いた乗客に私たちを指差し「彼らをミクロリマーノで降ろしてやってくれ」と、告げて降車していった。それから、降りる客は必ず「彼らはミクロリマーノだよ」と、残った客に言い残し、乗り込んできた客には先客が 口々に「彼らはミクロリマーノだからね」と、確認しあう奇妙なバスの中の伝達ゲームが繰り広げられるのだった。                       「まるで、はじめてのお使いの保育園児やなー」とモジモジ恥ずかしがる私に、  「だって、似たりよったりでしょ」と、妻は瀕死の兵士にとどめをさすのだった。バスは郊外を行き、やがて皆この瞬間を息を飲んで待っていたかのように一斉に、「ここだ、ここだ。ここがミクロリマーノだよ」と促されて下車した。      下車して、意気揚揚と私が歩き始めた坂の反対側が海だった・・・。      

そういえば、気になってしょうがなかった、空が黄色い原因がわかった。 空高く、砂塵が舞いつづけているようだった―――――。 「ふぅ!」 妻に聞こえよがしに、もう一度、深いため息をついた。 なんら、効果はないようだった。。。  今晩の「悪夢」を思いつめながら、一人、気だるい、憂鬱な午後3時のプールサイドである・・・。 妻は今朝の朝食に続き、昼食にもほとんど手をつけず、部屋へ帰った。 「胃の調子が悪い・・・・・そうだ」 ミコノスの宝石店「ブルガリ」で、またまたギザの香水屋での再現かのように、 「えーと、どうしようか?買おうか?ねえ・・・母さんとか姉さんのお土産、これはええとねえ、どれにしようかちょっと、うーん、はやくあなた決めてよぉ」私ばかりか、ギザの妖怪店主とは似ても似つかぬ根のやさしそうなサファイヤブルーのしい瞳の持ち主にして、日本語が上手な老マダムを困らせ続けた。       私がすでに彼女へのプレゼントとして買ってあげていた指輪と同じドルフィンのタピストリのブローチを購入するのにたどりつくまでには、三者三様の立場で疲労していた。  日本人の祖父をもち、5ケ国語をあやつるというドイツ系老マダムが、      「食事をするならこの店の通りを真っ直ぐ行った場所にある海辺近くの「ニコス」という店のお魚料理がおいしくてお勧めですよ」                と、日本では遠い昔に忘却されたような美しく流暢な日本語で教えてくれた店へ行ったが、彼女は仕切り直しとばかりに蛸のマリネやイカリング、タラモサラダ、イ サキのような魚のグリル、羊のチーズが乗ったギリシア風サラダ、ポークスブラ キ、と供される皿を次々と片づけていった。目の前で展開されるのはスプラッシュ映画よりタチ悪い。  目の当たりにして-明日はまた休胃腸日になるぞ-という私の予感は見事に外れた。    

翌日はベネチアポートの海辺にテラスがある「アルフカンドラ」で、暑い日差しを逃れてテーブルの下にもぐり込んできた熊のようにでかくて黒々した犬に怯える私を尻目に3人前でも充分ありそうな魚のスープ、魚のグリル、鶏のオリーブ炒め、私が注文した何とも不味かったキノコのスパゲッティ、そしてサラダを片っ端から片づけた。     それらの食事は1リットルはあろうかという大きなボトルの白ワインとともに供されるのであった。 何か鬼にでもとり憑かれたというより、平然そのもので。さらにさらに、思い出すのもおぞましいが、アテネで帰国直前の昼食をマクドナルドで採った2時間後に は、私がギリシア紙幣を処分するつもりでエリニコン空港前のビュッフェスタイルの軽食屋で買い求めたライス状のパスタてんこ盛りと地酒ウゾを「このお酒おいしくない。  「口直し、口直し」と自分に言い聞かせているのか、暗に私を牽制しているのかは知らないが、結局彼女が全部平らげてしまった。私には「おいしくない」ウゾだけが残った。  「日本に帰ったらこーんなデブコちゃんになってたらどうしましょう。さぁ帰った減食、減食」自らに誓った後、2時間もせぬフライト直後の早い夕食に瞳を輝かせ た。  彫りが深くエキゾチックな顔だちのスチュワーデスにメインデッシュの選択を尋ねられる。   「ユア、チョイス?」と微笑まれ、                      「ビーフ!」と力強く言い返すのだった----。              

お礼を行って去ろうとする私たちは彼に呼び止められた。            「もしよかったら」間を於かず彼は一気にまくし立てた。エジプシャンに変身だ。 「明日、サッカラやメンフィスの砂漠への一日ツアーはどうだい?オベロイに泊まっているんだろう?7時に迎えに行くよ。4WDでな、日本製だよ。どうだい?いいかい。ワンダフル、ベリィナイス間違いなしよ。絶対お得だよ、いいね?よし決めた!」   「あのー、残念だけど明日の早朝私たちはギリシアへ向かわねばならない。今晩でエジプトにいるは最後なんだ。ほんと残念(嘘)だけど」            「エジプト最後の日」と告げられた彼は急にしゃっくりが出始めたかのようにびっくりして慌ててまた紳士に戻り、帽子に手をかけて丁重に謝り去っていった。   エジプト最後の日---自分で唱えながら何故か実感がなかった。        二人は山高帽に教えられた通りを左へ曲がり、ますます無言で歩いた。      今、紳士に出会って、「今晩の出来事」、最中は気づかなかったことを思い巡らした。  ナズラット・サマーン村の中を馬に乗りまた自分の足で歩き見た住宅のどれをとってもそこの住民たちが決して裕福といえるような経済状態ではないことを示唆して いた。   それなのに、この国で過ごした一週間何度も声かけられた挨拶がわりのような文 句、---「バクシーシ(恵んで)」と声かける者が一人もいなかった---ことに。                                    爽やかな一陣の風が吹いた---舟を漕ぐ、 テーイップの子分たちの顔が蘇る---  いつも素敵な風に包まれていた。魅惑のハーモニーの出会いと別れとともに----。  

完全に動揺した私は耳障りな音楽でも聞いてるかのように上の空だった。自分が蒔いた種とはいえ、台風がはやく過ぎるのを手を合わして祈っている善良な農夫の気ごこちでいたのだ。しかし、嵐は一向に止む気配はなく、男の説明を一方的に遮断し、       「エフハリースト(どうも)」と知っている数少ないギリシア語を、ここだけは力強く言い切って、男と無理矢理別れた。                    「さあ、行こうか」と恰好つけて妻を振り返る。-質問するなよ、するなよ-   「なんて言いよったん?」                          「・・・・・・・・・・」                          「だからどう行けばいいかって聞きよんよ?」                 「さあ、あっちの方行けば、まあなんとかなるんやないん?」          「なにしよったんよ!モー聞いた意味ないじゃない信じられん」         攻める、攻める。彼女はいつもお気軽な役まわりのくせにいつもこうなのだった。 「あんたビデオまわしよったやろ?演技するのに必死だった」          「演技って何よ?」そして急に顔をすまして、                 「あっちの丘の4つめのバスッストップからバスが出てるって言いよらんかっ た?」  -知っとるやないか!!-                         

アレキサンドリア郊外を海沿いに走り、宮殿近くの海水浴場で地中海の風にあたった。  ミスル社のアルバイトガイド、カイロ大学生のオーラはフランス語のガイドを伴っていたが、なんと二人とも海を見るのが初めてと言う。私たち以上に海にはしゃいでいた。  オーラはリビア国境に近い砂漠の中のオアシスの出身だという。村の名は初めて聞く。  持参していた地図で彼女に「村はどこ?」と聞くが、「わからない」と困惑する。 パーキングエリアの売店で彼女に買ってあげた飲料水はたまたまダイエット・コーラであった。 彼女は、ぼそっと、「ダイエット?必要ないのに」彼女は潮風に吹き飛ばされそうなくらいほっそりしていた。 地中海の風が彼女のスカートにいたずらした---。       

一時が万事そうであった。観光初日のカイロでもそうだった。         ゲジラ島では、眼前に聳え建つカイロタワーでさえ、周辺をぐるぐるまわって「注文の多い料理店」の主人公のごとくなかなか辿り着けないのだった--------。    「まっ、たぶんこっちだろ」といつもの口上を吐き、村から出た大通りを左へ進んだ。  彼女を不安がらせないように、というか自分が不安一杯で口を開いた。      「ねっ、来てよかったでしょ。ダンスパーティー」               「不安がってたくせにー。来てよかたでしょ」とやり返され藪蛇だった。     「そんなん、最初からわかっとったよ」                    「嘘ばっかりー。どうしようかってオロオロしとった癖に」           「反応みよっただけよ。ラクダ使いなんかちょろいもんよ」と、なお喰い下がっ た。   「フーン・・幸せなひとだね・・・何か良いことありました?」         「そりゃそうでしょう。だって、ねえ?」戻った指輪を見、高らかにカラカラ笑っ た。   「そうとったか」                              「だってねえ?」と、スキップしたりした。人は何かに癒されなければ救われない。   「ほんと幸せなやっちゃ」                          私は鼻唄を吹いていたりした。今にも舞い上がっていきそうだった。ホントにホント。                                    そう、魅惑的な天使が現れてきそうなフワフワした居心地だった。        通りには車の往来が全くなく、人っこ一人みかけない。看板のネオンも消燈していた。  ここも、広場の祝宴とは無縁で深い眠りについている。

それなのに、この国で過ごした一週間何度も声かけられた挨拶がわりのような文 句、---「バクシーシ(恵んで)」と声かける者が一人もいなかった---ことに。                                    爽やかな一陣の風が吹いた---舟を漕ぐ、 テーイップの子分たちの顔が蘇る---  いつも素敵な風に包まれていた。魅惑のハーモニーの出会いと別れとともに--- そんなことは露とも知らず二人はシャーリア・アハラム通り(たぶん)を歩いている。 

写真を撮っただけで、5$―――ちょっと乗るだけただよ・・で降りるのに有料(笑)――金を払わないと、大勢の男たちに囲まれ、追いはぎの目に遭う――・・・・・どのガイドブックにも「ラクダ業者さん、素敵!」・・などという記述はなかったはずだ。人類の偉大な遺産であるロマンは迫り来る砂漠化のごとく侵食されているのだ。ここはバクシーシ(小銭恵んで)の国なのだ。さて、善良な私たち夫婦の運命やいかに――――。  ピラミッド地区への入場料を払い、ゲートをくぐったとたん、肌の黒いラクダ使いが、 「ハァロゥ~~~~♪マァイ~~フレンドゥ~~~♪」と、まるで10年来の旧友との再会のように声かけてきた。男は手下を従え、彼らはラクダ1匹と何故かアラブ馬3匹の手綱を持っている。折からの霧のせいか観光ぞ!主義で私は素通りした。 正面に迫るクフ王のピラミッドを「近くに行くまで見上げまい!」と心に決めて、まっすぐ正面を見据えて歩き進んだ。 ん?連れ合いの気配がないな・・・。 と、後を振り返った――――――。 「!!!????」 なんと、妻ははるか高みから私を見下ろしているではないかっ!!

ヤスルが同年同誕生日なんて知る由もなかった。コムオンボの商人モハメド・シャハト(彼は本当に堂々と臆面もなくメモ帳に住所を「コムオンボ神殿」と記した)と、夜風に包まれ楽しく過ごすことはなかった。モーセスと瓜二つのテーイップと出会うことはなかった。三人組が河内音頭ならぬヌビア音頭を聞かせてくれることはなかった。エジプト・エアーのスタッフ=サミアやタハやハッサンと砂漠横断などしなかった。親切なチーフウェイター、ムワンディやウェイター、エルガメルと心なごむひとときを過ごすことはなかった。オーラが予約した念願のフェルフェラへ行くこともなかった。  

この地を訪れることがナイル川巡りの最大の目的でもあったのだが、メムノン神像は顔が欠け歪で、 草原のなかにポツンと佇んでいるのみだったし、ラムセス4世の神殿跡も「ああそうなんですか」とばかりに、隣接した丘の上からロバで農耕する年老いた女と子供たちのやりとりを眺めていたし、有名なあまりにも有名なツタンカーメンの墓の見学は狭い通路を降りて、そこには落書きのような壁画があるのみで早々に抜け出したし、入場料を払った引換えの5枚のチケットは、岩山にへばりつき点在している王家の墓は風化した死者の町と、 ミイラにロマンもなく、「どこもかしこも同じやん」で、結局、2枚を残したまま、王家の谷を後にした。     そして、一番楽しみにしていたハトシェプスト葬祭殿。そこへの階段を半分もそこそこにして座り込み、デル・エル・バハリという音の響きにのみ充分余韻に浸っ たとして、「せっかく来たんだから中を見ようよ」にも、何処吹く「風ととも去り ぬ」ばかりに、「ここにおる」と妻一人を行かし、トンビが舞うのを口を開いて眺 めたりしていた。結局、「死せる町」巡りの一番の思い出といえば、テーイップに つきるのだった。    がめつい商売人であるはずの彼も、パピルス売りの店へ押し込もうとする彼の思惑にそうは乗るまいという私の「妻の調子が悪い。とても疲れているようなんだ」という方便に、「それはいけない。はやくホテルで休養しなくちゃ」と受け取るはず の店のマージンをあっさり逃してまで船着場までタクシーを飛ばすのだった。さっ きまで元気だった妻に訝りもせず・・・・・・。60ポンドはナイル川往復も含ま れていた・・・・。得したのは我々だ。 

エジプトを離れる時間は刻一刻と近づいている。 もうすぐ明け方前のアッザーンが聞こえてくるはずだ。 静かに窓を開いた。闇のなかにポプラの木が浮かんでいる。     静寂ななかにも激しい音がどこからともなく流れてくる。寄せては返す波のように--。  今からでも、あの広場に舞い戻りたい激しい衝動にかき立てられた。       誰かが体を揺り動かすかのように----。                    しかし、そのとき目にしたもので自重した。もう一つの「物語」はいらない。  目で見やったのは妻が眠っているベッドのシーツだった。            真っ白なシーツの上には、もうすでにしおれかけたバラがあった。          もうひとつの物語―― 真っ白なシーツの上には、鮮やかなバラがあった。 「いっつもバラね・・・・・・・」 いつだったか妻が呟いた 言葉が蘇ったー――。

ホテルの重厚な扉を押し開いたとき、 私たちの夢のおもちゃ箱の蓋は閉じられ る。   遅く迄ロビーに張り付いているフロントマンに鍵を受取り、見慣れた階段を登る。 増築を重ねた造りの旧館へ向かうエントランスには真っ赤な絨毯が敷かれている。 絨毯は深く、 足音一つしない。回廊の天井のシャンデリアは絢爛豪華だ。     一つ一つの造りが、その昔オスマンのシャー(王)の別荘地であった当時の栄華を 忍ばせられるが、今の私たちにはどこか空々しかった。ここで一体何をしようか? 何度もドアノブを取って出入りした1006号室も同じことだった。       部屋のベッドで地図を広げて、あの広場がどのあたりか探してみた。       ホテルを出発してからのゴルフコースとラクダ市場に挟まれた道はすぐに分かっ た。   山高帽の男に出会ったのがシャーリア・アハラム通りであることに間違いはなかっ た。  しかし、迷路のような道なりは記憶の糸を紐解いても、また地図の上で戯れても、 結局分からず、どのあたりだったかは見当もつかなかった。          

成田からエジプト航空でカイロへ到着です。 空港には怪しげな女性の写真がお出迎えでした。 外に出ると夜でも暑い。異国の匂い。 エジプト旅行のスタートです。 日本円1万円をエジプトポンドに両替します。 エジプト紙幣・・・・なんかばっちいです。 油っぽくてベトベトしてます。 ホテルに向かい12時間の旅の疲れを取ります。

ホテルからバスにのって出発です。 部屋からも見えてましたが、ピラミッドが近くなってくると。 もうドキドキ。 クフ王の墓にも入っちゃいます。テンションMAXです。

ピラミッドに向かう途中、らくださん達の出勤風景に出会いました。 ぞろぞろ列を組んで砂漠に迎います。

スフィンクスもまじかに見れました。 もう感動。 私の中ではこの旅の70%は達成です。 らくだに乗りたかった。でも添乗員さんの話では辞めたほうが良いと。え~なんでぇ~・・・・ やはり現地を見て、辞めて正解と思います。 どうしても乗りたい方は、鳥取砂丘の方が良いと思います。

ピラミッドの石ってこんなに大きいんだね。 乗るのに大変でした。 ピラミッドの中は階段だらけで狭くて暗くて迷路です。 懐中電灯とゴムつき軍手があると良いと思った。とにかく 蒸し風呂なので、首にタオルをかけて 汗と戦います。 トイレ情報 ピラミッドに入る前に必ずトイレにいった方がいいです。 外に比較的綺麗で広いトイレがあります。 女性が座っていて、2ポンド請求されます。紙ももらえます。 お釣りもでます。 1ポンドに値切ってたおばちゃんがいたけど、入れてもらえませんでした。

ピラミッド前に ケンタッキーがありました。 ギザの町中でお昼に食べましたが、ラマダン中なのでお店はガラガラでした。値段は日本とあまり変わらないような気もしました。

ナイル川を渡ります。 イメージと違った。なにか壮大なものを期待していたが、濁った川だった。 川幅もそんなに広くなかった。 カイロに向かいます。

カイロの街中を走ります。 車がすごいです。 びっくりしたこと! 信号機と横断歩道がありません。高速は馬車も走ります。そのまま糞もしちゃいます。 片道2車線だか 3車線だかわかりません。そこを4台が車幅スレスレではしります。クラクションがすごいのなんの。 右折するときには、Uターン地点まで行きます。 人が横断する時には、車に気をつけてダッシュでわたります。 すごい難しいです。渡れなかったので、現地の人と一緒に渡ってもらいました。

考古学博物館に到着しました。 ここで ミイラ数体とご対面です。 ツタンカーメンもみました。感動でした。厳重な警備でした。 旅行の目的100%達成です。館内は写真禁止なのが残念。貴重な文化財みれました。子供のミイラを見て言葉がありませんでした。 しかし、旅はまだまだ続きます。 庭は、とても綺麗で広いです。芝生で寝てる人もいました。 ここのショップでお土産を見ていました。値段がわからなかったので、お姉さんに聞いてみました。 ちょっと高かったのでやめました。 そしたら・・・チェッって舌打ちされたよ・・ ちょっと 残念な出来事。

お昼はこちらでいただきます。オシャレなレストランです。

ナイル川沿いです。

政府直営貴金属店の後は パピルスショップへ。 高価なパピルスがたくさんおいてあります。日本円で50万とか100万とかありました。 パピルスの絵の説明をしてくれてます。 物語があります。

作り方も実演。

エジプト初日に泊まったホテルです。 なかなかキレイでよかったです。シャワーも浴槽もあったしお湯もちゃんとでました。 トイレは使った紙をゴミ箱に入れるのがまだ慣れませんけど・・・水は流れます。 夜 うるさすぎて眠れませんでした・・・。クラクションの音や人が騒ぐ声。疲れていてもなれないと厳しいです。ラマダン中だからなおさらなのかな? 朝、窓からピラミッドが見えて 「エジプトに来たんだー!」と実感しました。ホテル内のショップで絵葉書と切手を買い、家族や友人に手紙をおくりました。 絵葉書の到着は帰国後1ヶ月経ってからだったので。忘れた頃突然送られてきました。

パピルスショップのバスマさん。 かわいい女子大生です。 英語と中国語がしゃべれます。英語と、紙に漢字を書いて会話をしました。 将来は中国で仕事がしたいと言っていました。 この後、国内線でルクソールに向かいます。 今日は寝不足の上 ものすごく歩いたので疲れました。 飛行機ではCAさんの目の前の席だったんですが、寝てしまってました。 離陸から着陸までずっとシートベルトしっぱなしだったようです。 ルクソール編に続く。

モハメドアリモスクです。 とにかくすばらしい!

中に入っってお話を聞きます。 靴下を履いてないとダメのようです。

カイロ市内が見えます。 この後は お土産物屋さんです。ツアーだからね。 そして 買っちゃうんだな これが・・・

エジプトの文化・風俗・注意点

 宗教的・社会的慣習を尊重し、過度に肌を露出した服装での外出や人目に触れる場所での飲酒は避けましょう。また、むやみに特定の人物にカメラを向けることも慎む必要があります。

 「バクシーシ(富める者が貧しい者に施しを与えるという意味)」という習慣があります。観光客の訪れるところには必ずバクシーシを要求するエジプト人がいますが、チップとして渡すときは別として、与える意思のないときは「ラー(NOの意味)」と言って態度をはっきりすることが大切です。

 生水は避け、煮沸するか、ミネラル・ウォーターを飲用することが必要です。また、生野菜や生魚にも注意が必要です。

 A型肝炎が流行することがあるので、ワクチンの接種をおすすめします。

 ナイル川やその支流には住血吸虫がいるので、注意が必要です。マラリアについては、6月〜10月の間、ファイユーム地区で感染の危険があるとされています。

 毎年4〜5月頃と9〜10月頃には、ダニやノミが多く発生します。

 盛夏時には気温が40度以上になることもあるので、屋外では肌を露出しないなど服装に注意してください。また、十分な水分の補給を心掛け、無理な旅行は避けることが大切です。疲労を感じた時は無理をせず、休息をとってください。

 冬季には、過ごしやすくなりますが、昼夜の気温差が大きく、特に朝晩は冷え込むため注意が必要です。

 エジプト人男性の中には、日本に渡航する手段として利用するために、日本人女性に対して積極的に声を掛けたり、親切に振る舞ったりする者がいるので注意してください。