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イランってどんな国?

正式名称はイラン・イスラム共和国。1979年のホメイニー師によるイラン・イスラム革命により、宗教上の最高指導者が国の最高権力を持つイスラム共和制を樹立しており、シーア派イスラームが国教である。

イランの地図

イランのブログ旅行記

イランの女性たち - 地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

2009年4月28日 ... こんにちは、西川です 添乗アシスタントで訪れて以来、約1年ぶりに イランの添乗へ行 かせてもらいました イスラム革命以来、女性はへジャブやチャドルを身に纏い生活をし ています。 日本からの行った私たちも、首都テヘランの空港から、 ...

イランのマネキン: shukran@world

2009年9月26日 ... イランのマネキン イランではマネキンにもヒジャーブをかぶせろということになったそうで す。これはこれでオモシロイ。 投稿者 shukran 時刻 22時57分 旅行・地域 中東各国 | 固定リンク · Tweet · « ドバイの超高額ホテル | トップページ | 砂漠へ ...

送ったワイン、取り置きワイン その15 | MSAT 幻のガイドからのメッセージ

2009年5月8日 ... イラン生まれのDarioush Khaledi氏が1997年に建てたワイナリー。 建物はペルシャ調 のデザインで、内部の装飾もほかのワイナリーとは一味違い、どことなく中近東の荘厳な 神殿を想像させる。 Darioush氏は、Shirazの生産で有名だった ...

マウント・ホイットニー登頂記 1 | MSAT 幻のガイドからのメッセージ

2006年7月10日 ... 目が覚めるとすぐ隣のサイトに、イラン人の親子(後で分かった)が来てテントを張って いる。 ... 隣のサイトのイラン人親子もそのテーブルにおり、飯くいながら雑談していると、 50代前半に見える親父の方はマウント・ホイットニーにこれまで何回も ...

本日、溶け気味。|諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

私は定番ですがイランイランが好きですねー! マンダラスパにも、セラピスト二人がかり で左右同時にマッサージというメニューがあります。最高! shogo 2008-03-09 11:51: 05 [コメントをする]. 12 □ネロリでトロリ. アロマでエステ・・・。素敵な響きです。(*^.

naranaraの食べある日記 - イラングルメ図鑑

naranaraの食べある日記 · メッセージを送る. どこに行っても食べまくり、美味しいもの 珍しいもの、いろいろ食べた記録です。 http://www.trave-l.com/blog/naranara/. イラン グルメ図鑑. 旅行先 :, イラン. 時期 :, 2006/7/30~8/8 ...

イランという国: shukran@world

2010年8月28日 ... その昔、カタールにいた頃は、イラン・イラク戦争末期。ペルシャ湾岸の国は歴史的に イランとの交流が深く、イラン人もたくさんいたし、もちろんイラン大使館もありました。 そんなある日、イラン大使館からオフィスに届いた1冊の写真集。表紙を ...

メルセ祭に食べた。。。|食べて歩いて遊んでスペイン!

2006年9月24日 ... スペインはやはりアラブ文化が時折見え隠れするのか。。と、妙に納得。中近東にいた ときは、レバノンはピータみたいなパンのもっと大きいので頭にかご載せたナンというパン 売りの人がよく売りにきてました。イランはうすーーい四角いちょっと ...

インド観光ビザの2ヵ月ルールと再入国許可 海外旅行Q&A(アジア)

2012年3月2日 ... 今晩は。4月からバリ島、タイ、インド、ネパール、パキスタン(可能なら)、イラン(. ... 再 入国許可を取れば最大3回(合計60日以内の滞在)まで再入国できるようですから、 インドを拠点にネパール、パキスタン・イランにそれぞれ行って戻ってきて ...

イラン - トラベログ

イラン/旅行情報の発信サイトのトラベローグ、トラベログ、TRAVELOG 。国内、海外の 旅行記、旅行日記、旅行体験記、トラベル日記、旅行写真集、旅行フォトアルバムを、 無料で作れる旅行専門のブログ、サイト.

Sbragiaにかんぱい | MSAT 幻のガイドからのメッセージ

2008年11月9日 ... これはHalf Price Opusと言われる、イラン人のおやじがオーナーのすばらしいワイン。 つまりOpus Oneの半額以下で、Opusよりおいしいワインとして、ワイン通には知れ渡っ ている。 料理はチキンの胸肉を低温でスロークックしたジューシーな ...

アルメニア料理がダウンタウンで楽しめる店の巻 (ユキノヒノシマウマ)

2006年5月16日 ... またこの地域はロシア、トルコ、イラン、アラブ、モンゴルなどの各民族の交差点となっ ていたために、長いこの国の歴史の中ではかなり悲惨な離散のストーリーを持ってい たりする。 そしてこの国の料理を語る上では、その民族の交差点という ...

2007.04 イスラエル: Shoの旅行記~気の向くままに歩いて行こう~

2007年4月27日 ... もし、イスラエルの入国スタンプをパスポートに押されてしまったら、今後のシリアや イラン入りに支障がでる。 朝、ホテルを出発し、黄色タクシーでアブダリバスステーション へ(Abdali bus station)。 さっそくセルビス運転手が声をかけて来た。

ブログテーマ[世界一周(カフカス・イラン)]|世界一周ブログ(略して ...

2007年7月5日 ... 世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後、社会復帰がんばるブログの□世界一周( カフカス・イラン)について書かれた記事です。

イランのなでしこ: shukran@world

2011年9月8日 ... イランのなでしこ. ニューズウィーク日本版より. 「服装の悲劇に泣いたイランのなでしこ」. (´;ω;`) コメントしづらい、、、. 319hijav. 投稿者 shukran 時刻 19時35分 イスラム文化 ・芸術 | 固定リンク · Tweet · « エチオピアン・アイドル!

2009年03月06日のブログ|リサのLOVEハワイ

2009年3月6日 ... お写真のタイプ(ラベンダー&イランイラン)は初めて見たので キラキラ矢印. カゴに入れ ちゃいました ♪. ミント オーブリーは、石油系合成化学成分を一切使用せず(防腐剤さえ も天然成分だとか!) 野生や有機栽培で育てられたハーブのチカラ ...

コテコテのペルシア料理店の巻 (ユキノヒノシマウマ)

2006年6月1日 ... イランから移住してきたオーナーが作る中東料理の数々は、値段も手頃でおいしいもの ばかりなのだが、やはりこのレストランでは内装があまりにどぎつ過ぎて、後から覚えて いるのはまるで60年代から70年代の実験映像の世界か、ヒッピーな ...

ユキノヒノシマウマ: レストラン関係 アーカイブ

2006年5月16日 ... またこの地域はロシア、トルコ、イラン、アラブ、モンゴルなどの各民族の交差点となっ ていたために、長いこの国の歴史の中ではかなり悲惨な離散のストーリーを持ってい たりする。 そしてこの国の料理を語る上では、その民族の交差点という ...

イラン料理: shukran@world

2009年1月9日 ... リヤドのタハリヤストリートを1本入ったところにある、Sheraz (シラーズ) というレストラン でイラン料理を食べました。といってもいわゆるアラブ料理なので、普段食べている トルコ料理やレバノン料理とくらべてもそんなに目新しいものはありません ...

シカゴの風~ユキノヒノシマウマ: 2006年06月 アーカイブ

2006年6月1日 ... イランから移住してきたオーナーが作る中東料理の数々は、値段も手頃でおいしいもの ばかりなのだが、やはりこのレストランでは内装があまりにどぎつ過ぎて、後から覚えて いるのはまるで60年代から70年代の実験映像の世界か、ヒッピーな ...

イランの写真・旅行記

年末年始に夫の実家、テヘランに行きました。 ちなみにイランはイラン暦(今は1391年10月)なので、年末年始は彼らにとって、普通の平日です。 行きたかったマシュハドがニュースによると-16℃で大雪なので、義両親と、仕事の休みを取った義妹一家と一緒に、カスピ海方面のギーラーン州(州都はラシュト)に出掛けて3泊しました。

テヘランを早朝に出発。 途中の休憩所で朝ごはんをとります。ブッフェスタイルなので取り過ぎました。

高速道路をひた走ります。 夫曰く、4~5時間ばかり走ったくらいで休憩するのは恥ずかしいそうです…。日本だったら2時間も走ればカーナビが「そろそろ休憩しましょう」とうるさいですよね。

マンジール。ここは常に風が強いエリアです。 やたらめったら風力発電機があります。 風が止むと毒蛇が出てきて、噛まれて人が死ぬと言われています。

セフィード・ルード(白い川)のダム湖。 昔に比べて随分水位が下がったようです。

周りにゴミは落ちていましたが水は綺麗です。

cute&lovelyな姪っこ

なんか酸っぱいおやつ、アルーチェ・パルヴァルデ。 アルーチェはイランの梅干みたいなものだ、と夫。本当かなぁ…。梅も20種類くらい種類があるそうです。 イラン人は酸っぱいものが大好きです。

お昼過ぎ、別荘があるフーマンに着きました。 あひるや牛が路上にいる、田舎町です。 イランでは夏休みが2ヶ月、3ヶ月あるので、別荘に滞在していたそうです。

庭の桜の木に2つ3つ、花が咲いていました。 バラの花も2輪咲いていました。

昨晩、義妹の夫君が仕込んでくれた味付きチキンをBBQ(鶏肉の串焼きはジュージェ・ケバブと言います)します。 ヘイリー・ホシュマゼ~ とっても美味しい(^▽^)b

ごはんの後、ちょっと町に出ました。 カスピ海で取れた魚、鳥、卵が売られています。超フレッシュな鶏肉です。

ギーラーン地方はクルーチェというお菓子が有名です。

クルーチェを焼いているところ。

周りがサクッとして、とっても美味しかったです。 マースーレではまた違ったタイプのクルーチェがありました。

今は、イランの国教であるシーア派十二イマーム派の、第3代目イマーム・ホセインが殺された月です。この時期、結婚式といったおめでたい行事はしません。イマーム・ホセインを追悼する行事が街のあちこちで行われ、無料のごはんが配られたりします。

翌朝、出掛ける時にタイヤの空気圧をチェックしました。その町工場にいた立派な闘鶏用の鳥。凛々しいです。 もちろん、ゲージに入ってます。

これからマースーレに行きます。

羊です!羊の群れの風景、久し振りだなぁ。

小さな村、マースーレに着きました!

お土産屋さんがずらりと並んでいます。

急斜面にへばりついているため、ある家の屋根が、その裏手の家の庭です。 屋根を行き来します。

水タバコ。

とっても優しい義妹と。

茶畑。 チャイ(紅茶)はイラン人の血液だと思います。

マースーレからフーマンへの帰り道。 七面鳥が走っていました!

小さいスペースで畑をしているようです。

この地方の衣装を着て記念撮影しました。色んなポーズで写真を撮り、PC上で確認して気に入ったものだけ印刷・購入しました。 が、買った写真が見当たらない!探さねば。

ナザール・ゴルバニ。

何故ここでマトリョーシカ。 手前とか上段のとか、顔が雑すぎるやろ!

夏は窓にお花が飾られ、山は緑でもっと綺麗だそうです。

ここのクルーチェは、揚げて粉砂糖がかかっています。

これはイマーム・ザーデ(イマームの子孫の霊廟)のような建物の窓で(正しくは違うそうですが説明が難しいらしい)、一般の人は願い事を念じながらリボンを結び、願いが叶ったらお金を払う(寄付先はイマーム・ザーデ孤児など、どこでも良い)そうです。

夜ご飯の後、ちょっと町に出ました。 「ジギャールだ!」とモツが大好きな夫が車を止めます。

レバーと腎臓。 香ばしい良い匂いはしますが、お腹が空いていない私は、ドゥク(塩とミントが入ったヨーグルトドリンク)にします。

道の真ん中にある大きなイマームザーデ。(イマームの子孫の聖廟)

道端で、いろんな物が売っています。 ここではヘーゼルナッツを買いました。 明日は、Ghale Rood Khanに行きます。

真ん中の人物は私です。

義妹の旦那様が買ってくれたクルーチェとともに。とっても美味しかったです!

チャイをいただきました。

(シラーズ) バザールに行く途中に通り掛かった。 ○キャリーム・ハーン城塞 ザンド朝時代、キャリーム・ハーンの居城として使われていた城塞。 ザンド朝後の一時期、牢獄として使われていた。 塔が傾いているが、お風呂場だったので沈んだらしい。

バザール入口

写真を撮っていいか尋ねると ポーズを取ってくれた☆

こんなセクシーな格好は いつするんでしょう? >左のマネキン

巨大なお菓子。甘そう・・・

各国の歴代の政治家たちの顔が織られた絨毯。 中央のが日本の天皇だそう。 誰!?アフロやん・・・

○イラン考古学博物館

社会科見学でしょうか? 子供たちが熱心に見ているのは、ハンムラビ法典(レプリカ)

昼食を取ったレストランにて

トマトベースのスープを他の器に移して、ナンをちぎって浸して食べる。 お好みで、じゃがいもやデーツ、豆などの具は潰してナンに載せて食べる。 見た目が悪くてすみません。でも美味しかった♪

おまけ。 道が混んでいる時、よくオートバイは歩道を走る。

マンホール。 ツアーの同行者の方が「これだけ曲線が多用されるイランで、なんでこれに限って四角なんだ・・・」 四角だと落ちるよな。

トイレの女性のマークも しっかりチャドルかぶってます。

街中、至る所で見掛けた おそらく募金箱

宝石に目が行くのは世界中どこでも一緒ですね。 女性はイヤリングはおろか、ネックレスもブレスレットをしているところは一度も見えなかったけれど。 見えないところでお洒落しているんだろうなぁ。

甘いものが好き。

小麦とハチミツでできたソウハーン。 サフランと薔薇水も入っている。 パリパリして、キャラメルみたいに甘くておいしい。

1時間飛行機が遅れて、シラーズを20:00に発ち21:10テヘラン着。

■7日目(テヘラン) ○絨毯博物館

○宝石博物館 まず、ものすごい警備に驚く。 鞄の持込みが禁止。近くに車を止めることができない。 セキュリティチェックを受けて中に入る。 ガラスケースに触れるとサイレント共にゲートが閉まる! 見学中にしょっちゅう閉まってたなぁ^^; 中はため息が出るような財宝ばかり。 ←世界最大のピンクダイヤモンド「光の海」は182カラット!! 大きさ、透明度に驚愕

2.5kgの王冠(重いので、紐で吊り下げてその下に王様が入った)とか、 馬用の金のネックレスとか、 王子のおもちゃ用のダイヤとルビーとエメラルドの手鞠とか、 トルコ石で飾られたエッグ・スタンドとか・・・・・・ 開いた口がふさがりません。 カメラの持ち込みも禁止なので、写真はお土産屋さんで買った小冊子より。 (日本語のものより、ペルシャ語で書かれた本の方が写真が多くて綺麗。1冊=1.5ドル)

壷の中で肉と野菜を煮込んだ伝統料理「アブ・グーシュト」 後ろにあるのはヨーグルトドリンク。 塩味で、ハーブで香り付けしている。 ・・・この味どこかで・・・。そうだ、歯磨き粉だ!

紀元前552年頃、アケメネス朝の第3代ダレイオス1世が建設に着工。 息子のクセルクセス1世、孫のアルタクセルクセス1世の代まで続き約60年かけて完成する。 しかし紀元前330年、マケドニア王国の弱冠26歳のアレクサンドロス大王がペルセポリス入城を果たし、あらゆる財宝を略奪した後、炎上させた。ペルシアの至宝は瓦礫の山と化した。

クセルクセス門の人面有翼獣神像

百柱の間

これは高官だったかな? ピアスをしている。

焼き討ちを命じた翌日、その愚行を悔いたのは、ほかならぬアレクサンドロス大王だったと伝えられる。

クセルクセス1世が建てた王妃の住居跡に建てられた博物館。

ラフマト山の岩肌にあるアルタクセルクセス2世の墓にも行く。(右)

そうめん? 違います。 アイスクリームです。 主成分は米粉でできているらしい。 ローズウォーターやレモン水が入っていて、甘くて冷たい。 変わった食感。クリームとはかけ離れているがおいしい。

ペルセポリスから約6km移動。 ○ナクシェ・ロスタム アケメネス朝歴代の大王の墓 崖に向かって左からアルタクセルクセス1世、クセルクセス1世、ダレイオス1世、ダレイオス2世の墓。(諸説有る)

右下の人を見ると、どれほど巨大かお分かりいただけると思います。 上部にはゾロアスター教の最高神アフラ・マズダのレリーフが残る。

レストラン 中庭には池があって鴨とあひるが泳いでいた。

チーズと野菜とヨーグルトをナンで包んで食べると美味しい。

大理石の墓石には彼の詩が彫られている。

建築の勉強をしている学生たちに会った。 一緒に写真が撮りたいという嬉しい申し出から、撮影会になる。 帰り際に改めて「オレを撮れよ」と言ってくるのでしょうがないので撮ってあげた。

○エラム庭園 ガージャール朝時代、モハンマド・ゴリー・ハーンによって造られた。 エラムとはペルシャ語で楽園を意味する。 その名の通り、色とりどりの花が咲き乱れたパラダイスだった。

19世紀に建てられたガージャール朝の代表傑作、エラム宮殿

(シラーズ) ○ハーフェズ廟 イランで最も敬愛されている詩人ハーフェズが眠る。

かわいい兄妹。

糸杉。 木陰には腰を下ろしてのんびりする人たちが。

■5日目(ヤズド→パサルガダエ→シラーズ) これはルート沙漠にあたるんでしょうか ひた走ります。

途中の街アバルクーフの糸杉 確かノア預言者の息子が植えたという噂

(パサルガダエ) 紀元前550年、イラン南西部のパールサ地方の有力武将だったアケメネス家のキュロス2世はアケメネス朝ペルシアを興した。 パサルガダエはシーラーズの北東130kmにあるアケメネス朝の最初の首都。

キュロス2世の宮殿 警備員がヒマそう

キャボジエ1世(キュロス2世の息子)の墓

見張り塔の丘

丘の上で会った親子

こりゃ~見晴らしいいわ

○キュロス2世の墓 キュロス2世は征服した諸民族に改宗を強要せず、個々の文化を尊重し、一定の自治権すら与えた。異民族に寛容なその統治政策は国土の拡大を加速させ、息子の代にはエジプトをも併合して、オリエント世界の統一を果たす。 素晴らしい王様! ←石と石は鉄と鉛で固めてあり、モルタルは使っていない。

(シラーズ) ○コーラン門 シラーズの玄関口。

ここもたくさんの人で賑わっていた。ピクニックに来た家族連れ、子供から老人まで。 女子学生に「シラーズ、グッド?」と話し掛けられた。

これは酸っぱい果物。(何だったか忘れました) 塩をかけるともっと美味しい、と言われかけてみたが、無いほうが好き。 シラーズは葡萄が52種類も取れる。 革命の前はワインが有名だったそう。

綿菓子売り。 女の子に一口もらった。 あまくておいしぃ~ ありがとう。

ホテルのお土産物屋さん

12kgもあるスイカ! とっても甘くてジューシーでおいしかった。 色んな種類があるらしく、今の時期は南の方で取れたもの。

かわいい女の子。 女性らしくなってきたらスカーフをかぶるそうです。

■4日目(イスファハン→ヤズド) ドライバーの寝坊で20分遅れ、8時20分にヤズドに向けて出発。 10時のトイレ休憩ではかなり寒かった(19℃)が 昼にはいつも通り30℃以上に。 途中、キャラバンサライに立ち寄る

メェメェ声が! 羊の群が水を飲みにきた。

子羊がまとわりつく。 愛いやつ。もそっとちこう。

かじられたッ 食べちゃいたいくらいかわいい、とはこのことかと。 抱き上げると1kgくらいだったかな。

ディーゼルはだいたいタダで、 今回はバスに470L入れて8ドルだった

ガソリンスタンドのお店にて。 これは何なんだろう

私たちがお世話になっているバス。 運転席のシートには、色っぽいおねぇさんの絵!

軍人さんたちがたくさん出ていた。 荷物を持っていて、ヒッチハイクをしようとしているところ。これから休暇なのかしら 軍の施設にカメラを向けてはいけないが、 丸腰のようだからいいかな?とシャッターを押す。

ヒッチハイク成功! 18歳になると(もしくは大学を卒業してから)2年間の徴兵制度がある。(女子の兵士はいない。)

スープが切れてるから、と代わりに出された 鶏とザクロとクルミの煮込み。 (予約してるのに何故 切れるのかは疑問だが) めちゃくちゃ美味しかった。 甘めのミートソースのような。 レストランで飲む缶のノンアルコール・ビールは1万リヤル(=116円)

(ヤズド) ○アミール・チャグマーグのタキイェ

○マスジェデ・ジャーメ(金曜モスク) サーサーン朝時代のゾロアスター教神殿の跡地に14~15世紀にかけて建てられた寺院

○ゾロアスター教寺院(アーテシュキャデ) 正面にはゾロアスター教の善の神、アフラ・マズダの像

ガラス越しには、1500年以上燃え続けていると言われる聖火が見える。 右は開祖ゾロアスターの肖像画。

○沈黙の塔 ゾロアスター教徒の遺体を葬る鳥葬の場として使用されていた岩山へ。

頂上。 ゾロアスター教は火、水、土、風を神聖なものとし、死体でそれらが汚されることを嫌った。 残った骨には薬品をかけて溶かしたそう。 (1930年代に鳥葬は禁止され、土葬となった。)

ここでロシア人とアメリカ人の観光客に会った。 アメリカの人は22日のツアーらしい。長! イランとアメリカって国交がないのかと思っていたけれど、政府が仲が悪いだけで国民には関係ないようだ。

ヤズドは乾燥して暑いので、生き返った。 メロンは10種類以上あるらしい。

SAFAYEH HOTEL

B1は素敵なスペースになっている。

夕食後、ホテルの周辺を散策。 お店やスーパーがあった。 人の顔もよく見えないほど暗いのに、日本人と分かるようで。車から「さよなら」「ありがとう」とか日本語で声を掛けられたりした。

消火器に手が届かなさそう

切り出してきた大きな石を運ぶトラックをたくさん見た。 建材にしたり、輸出したりする。(日本も輸入しているらしい)

■3日目(イスファハン) イスファハンは「イランの真珠」とも例えられる古都。(奈良市と姉妹都市らしい) 歴史は古いが栄華は1597年、サファヴィー朝の王アッバース1世がこの地を首都に定めたことから始まった。 「イスファハンは世界の半分」という言葉も生まれた。 ←ヴァーンク教会

○ヴァーンク教会 アルメニア教会の1つ。 大聖堂の内部は素晴らしい壁画があるが、撮影禁止。

Students's painting on the occasion of 93th anniversary of the Armenian genocide in 1915 と書いてある。 トルコによるアルメニア人虐殺の犠牲者の記念日は4月24日だった。 敷地内に併設されたアルメニア博物館では、聖書の言葉が書かれた髪の毛を顕微鏡で見ることができる。 どうやって書いたんだろう!?

ヴァーンク教会を出ると、目と口の大きなおばちゃんに頬を撫でられながら 「エスファハ~ン、グ~ッド?」 と聞かれました。 まだほとんど知らないけど 「イェス、グ~ッド」 と答えておきました。 ←制服を着た子どもたちがかわいい

花が綺麗。 写生しに来ている女子大生がたくさん居た。美術の学校かな?

○金曜モスク(マスジェデ・ジャーメ) エスファハン最古のマスジェド。

○ハージュ橋 1666年アッバース2世時代に完成。

橋の両端にライオン像が。 それにまたがるとたちどころに(!?)結婚できるらしい。 またがっておきました。

いよいよイマーム広場(510m×163m)へ! 観光用の馬車がすごい勢いで走っている・・・ もう少しゆっくり見せてあげて。 ○マスジェデ・エマーム 1612~1638年。アッバース1世の命により着工 サファヴィー朝時代の傑作!

1501年、イラン西北のタブリーズで、弱冠14歳の少年が即位した。彼の名はイスマーイール(在位1501~1524年)。この若き王は、イスラーム神秘主義教団の1つである「サファヴィー教団」の教主の出であることから、この王朝はサファヴィー朝とよばれる。 最盛期を迎えた第5代の王アッバース1世(在位1587~1629年)は、首都エスファハーンの開発に乗り出し、マスジェデ・エマームを擁する広場を造営した。

地震対策(免震)のために、柱には鉛を仕込んであるそうだ。

修復するためだろう、足場を組んでいた。 がんばれ~

○マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー アッバース1世の命によって建てられた王族専用のマスジェド。

差し込む光によって、孔雀の羽根ができる。(右上)

イマーム広場の周囲にあるバザール

更紗。 ペイズリー柄がとても多い。 糸杉が風に揺れるさまを描いたイラン発祥の模様だとか?(確かなことは知りません)

これは一体・・・ 急須の口が7本もある。 なんのメリットが・・・!?

夜のイマーム広場 たくさんの人々がピクニックに来ている! 22時半なのに、小さな子供もいっぱい。 (手前に写っているけど黒い服だから分かりにくい) バスが出るまで手を振ってくれた家族に心が温まる

夜のハージュ橋 こちらもたくさんの人!

○チェヘル・ソトゥーン(四十の柱)宮殿 1647年アッバース2世によって建てられた。 20本の柱が池に映り、40本に見えることから名付けられた。

隣の建物。 なぜ恐竜??

投網して一瞬でマスがたくさん獲れた!

橋の中。 風通しがとても良く、涼しい。

ドラマか映画の撮影をしていた。

内部はサファヴィー朝の栄華を語る絵が描かれている。

■1日目(成田→テヘラン) ソウル(仁川空港)で乗り継ぎ、 テヘラン(イマーム・ホメイニー国際空港)へ。 28日の14:40に成田を出発し、13時間後の29日の3:40にテヘランに着く。(現地時間23:10) 日本とイランとの時差4.5時間 (※現在はサマータイムなので本当の時差は5.5時間)

機内は通路側のライトが調子が悪いらしく、スイッチを入れても付かない。(いらん時にたまに付いたりする) CAに言うと懐中電灯を貸してくれた・・・ 飛行機を降りる時にスカーフを被る。 空港で両替 1万円=865,000リヤル(2008年4月28日現在)

地歩きには「イランではアメリカとの関係悪化などを受けて、クレジットカードでの決済は不可能」と書いてあるが カードOKのお店もよくあったし、ディズニーキャラクターの絵もたくさん出てきた。 ←これは『タイタニック』の絨毯

(テヘラン) ○イマーム・ホメイニーの霊廟 1979年イラン革命の指導者、ホメイニー師が眠る霊廟。(増築中) 街では至る所に、彼の肖像画が飾られていた。 イスラムは偶像崇拝禁止では?と思い現地ガイドさんに聞くと 彼は生前、自分の肖像画を飾ることや霊廟を造ることを嫌がったらしい。

(コム) テヘランの南135kmにある町コムは、シーア派の聖地。 ○ハズラテ・マアスーメ廟 第8代イマーム、レザーの妹で9世紀にコムで亡くなったファーテメの廟。サファヴィー朝時代にアッバース1世らによって造られた。 ※「イマーム」とは、ムハンマドの後継者として、アリー以下彼の直系の子孫12人を指す。神によって絶対に過ちをしないという無謬性を与えられており、ムスリムの絶対の指導者である。

イスラム教徒全体から見ると、シーア派は1割程度の少数派だが、イランでは圧倒的多数派である。 サファヴィー朝の創始者イスマーイール1世が十二イマーム・シーア派を国教としたことに始まる。 その他、スンニ派、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教徒もいる。

女性は入口でチャドル(っていうか、でーっかい布)を借りる。 前髪も出したらダメ。

レストランの玄関口に居た謎の物体

羊のひき肉のケバブ レモンを絞ってさっぱり。 サフランライス、ナンと。 塩辛い(味付けが濃い)、酸っぱい(ビタミンCが豊富そう)料理が多かった。

(カシャーン←『美しいタイル』という意味) ○ハーネイェ・ボルージェルディーハー カシャーンの商人の家。

先生が英語で話し掛けてきた。 この子達は高校生らしい。 隠し撮りをしてくるのでピースしてポーズをとってやった。

ノン・アルコールビールで乾杯 麦などの入ったスープは毎食出てきた。 野菜も豊富。メインは魚のフライだった。

う~ん、持つ手、反対じゃない? イラン革命後、女性の歌手は禁止された。 (グループならいいらしい。基準がよく分からない・・・)

トイレ休憩で中学生の集団に会った。

車窓から道中の風景

サンダルが片方だけ落ちているのが気になる

ロータリーや中央分離帯は綺麗に手入れが行き届いていて、よくピクニックやデートをしているのを見掛ける。(空気悪いと思うけど・・・) スプリンクラーも多用されていた。 水が豊富なんだなぁという印象。

■2日目(テヘラン→コム→カシャーン→イスファハン) バス乗り場。バスレーンがある。 男性は前側に、女性は後ろ側に乗る。 イランは街と街の間に長距離列車はあるが、市内は電車がないらしい。地下鉄はあるが少ないので、車社会だ。ガソリンも安いし。 しかし毎日2回くらいは車の事故現場を見た。交通ルール無さ過ぎ・・・

現地発のツアーに参加して観光することに。 ナグシェロスタムに到着。

ナグシェロスタム 拝火教神殿跡

ナグシェロスタム 壁画その1

ナグシェロスタム 壁画その2

つづいて、ペルセポリスに到着

ペルセポリス 空が青くてきれいでした。

ペルセポリス 貯水池

アルタクセルクセス2世の墓

アルタクセルクセス2世の墓

ペルセポリス全景

壁画

双頭鷲像

パサルガダエ

キュロス2世の墓

いよいよ日本を出発です。 ひさびさのエミレーツ。

機内食です。 こだわりのある方は、参考にしてください。 自分は、なんでも食べる派なんで、なにがでてきてもOKです。

ドバイで乗り換えます。

テヘランへ出発です。

テヘラン到着。 アサディータワー

昼食です。 鶏のケバブとごはん。 食べられなくはないくらいの味でした。

飛行機でテヘランからシーラーズへ。

地元サッカーチームのコーチだそうです。 選手よりも彼の方が人気者でした。

ホテルの部屋です。 1泊25$でした。 部屋は狭いですが、清潔で雰囲気のある宿でした。

シャーチェラーグ廟 イマーム・レザーの弟の廟

廟の中です。 キラキラ感に圧倒されました。

棺です。 多くの人が祈りをささげていました。

スーク

カブの煮込みです。 お店のお兄ちゃんが切り身をただで分けてくれました。 食べるまでは、何かわかりませんでしたが、食べてカブだと確信しました。

そら豆。 カブだけじゃなく、こっちもただでくれました。 イラン人は、人懐っこいので良く話しかけられます。 1日10回は、話かけられると思った方がいいでしょう。 土産物屋以外のお店の人に話しかけられた場合は、快く応じてあげるとただで何かくれることを学びました。

列車は一晩中走って、翌日の早朝6時ころにテヘラン駅に到着しました。 ワタクシたちは顔見知りの(ひと晩の難民生活で殆どの人たちと顔見知りになりました)人々とお別れをして、テヘラン駅前に立ちました。 どこをどう行けば良いのか? 分かりませんが、通りすがりの誰かが親切に教えてくれます。 黙ってても、メイ・アイ・ヘルプ・ユー?と声をかけてくれる人が出てくるのです。 お陰で、ワタクシたちは市内バスに乗り(運転手始めみんなが、金は払わんでも良い、と言ってくれます)南バスターミナルまで行き、そこから地下鉄に乗りました。

テヘランで地下鉄に乗るのは生まれて初めてです。 40年前にはメトロは無かったし、出張で訪問中は全て代理店の車かタクシーでしたから、メトロなんて知りませんでした。 チケットを買うところが分からないので、オロオロしていたら、知らないオバチャンが自分の定期をかざしてワタクシたちを通してくれた。 時間的にちょうどラッシュアワーだった。

ワタクシたちは、ラッシュアワーをやり過ごそうと、ホームのベンチで過ぎ行く人々を見ていました。 テヘランの人々はみんな真面目に働いているのです。

大体の女性はスカーフを被っています。 中には全身黒子の女性も居ます。 車両は前の2両くらいが女性専用車になっており、比較的空いているのです。 そう、ラッシュアワーで大変ですが、いつまでも終わらないので、ワタクシたちは思い切って女性専用車に乗り込みました。 日本語で「すいませ~ん」とお辞儀をしたら、みなさん優しく「OK、OKノープロブレム」と乗せてくれました。

かくして、ワタクシたちは無事にイマーム・ホメイニ広場駅までやって来ました。 ここのメトロはパリのメトロと同じく、出るときはジドウドアが開いて出られます。 ワレワレチケットがないのでヒヤヒヤしながら、2人一緒にドアが開いた瞬間にドドッと外に出ました。 無事、メトロから出られ、エレベーターで地上に上がりました。

イマーム・ホメイニ広場からアミール・カビール通りへ出ます。 まずはホテル探しからです。 バックパッカー御用達のホテル・マシャットを覗いてみたが、清潔度に問題あり。 アミール・カビール通りは、自動車用品、部品の店が一杯並んでおり、ゴチャゴチャしていて、よろしくない。 少し横丁に入ったハヤム・ホテルを見てみた。 ここは高い割にはトイレが様式が無かった。 それで、最初からフィルーゼ・ホテルが良かろうとめぼしをつけていたので、そこに行って見た。 ーつづくー

コンパートメントが一緒だったM・Lさんご夫妻です。 Lさんは奥さんのほうで、料理担当です。 旦那さんは配達担当です。 この2人は、日本の企業戦士である駐在員たちのランチボックスを提供している、ニッポンの貴重なサポーターなのです。 Lさんの説では「列車が一番安全で良い。飛行機はいつ落ちるか分からない。バスは事故が多いし疲れる。それでワタシたちはいつも列車でトルコに行く」というのです。 バスの事故、は分かるとしても、飛行機はどうかな?ああ、いつアメリカに撃ち落されるか分からない、ということか! ワタクシもかつては中近東を駆け巡る企業戦士でしたので、車内ではいろんなお話が出来ました。 彼らのような優しい人々と一緒に居られる、と言うのがイランの一番の魅力だと思います。 正直、イランは今、危険な橋を渡っています。 原子力疑惑で、いつイスラエルがイラン攻撃をするのか?が取り沙汰されているからです。 一般の人たちも、戦争になるかも知れない、と内心心配しているようです。 Lさんたちは、アメリカ大統領選で民主党のオバマさんに勝って欲しい、と願っていました。 オバマの方が戦争にならない、と思っているようです。 イラン人と一緒の列車は、ほんと、居心地が良いのです。 イランはちょっと怖いけど、イラン人の優しさ、親切さがあるので、随分と精神的に助けられるのです。 不通のイラン人庶民に幸あれ、と願うトランス・アジア・エクスプレスの旅でした。

イランの文化・風俗・注意点

 風俗、習慣、国民性に関する留意事項
 イランは宗教的に、イスラム教徒が99.5%を占めていますが、そのうち91%がシーア派であり、スンニー派は少数派です。その他、キリスト教徒(アルメニア正教、アッシリア系カトリック)、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒も合法的に存在し、彼らは教会やシナゴーグ、拝火神殿で儀式を行うことが許されています。
 イラン政府はシーア派(12イマーム派)イスラム教を国教とし、外国人、異教徒に対しても日常生活面で厳しい規律を課しているので、現地で生活するに当たっては相応の注意が必要です。また、イスラム教では金曜日が礼拝日となっているため、一般に金曜日が休日に当たります。
 習慣上忘れがちなこととして、イスラム教徒でない女性も頭髪を隠すためのスカーフや体のラインを消すためのコートの着用が義務づけられており、時として、治安当局は外国人といえども風紀取締りの対象としていることから、思いがけないトラブルに巻き込まれないよう、くれぐれも注意が必要です。

 衛生事情
 水道水は飲用可能です(テヘランの水はアルボルズ山脈の雪解け水)。しかし、石灰分が多く、いわゆる硬水なので、下痢をする場合があります。現地で製造されているミネラル・ウォーターを買うこともできますが、雑菌が検出されたとの報告もあります。
 特に夏期は、外食で生野菜を食べると下痢をする場合がある(注意深く洗浄されていないことが多い)ので、注意が必要です。到着後間もなく、下痢・発熱を伴う病気にかかる人が多いのですが、これは軽い細菌・ウイルス性感染症であると考えられており、数日から一週間で治ります。

 病気
 経口感染症(腸チフス、コレラ、病原性大腸菌、ウィルス性胃腸炎等):夏期には大都市で腸チフス、コレラが流行する場合があります(2005年8月には、テヘランも含め大規模なコレラ流行が発生しました)。
 生野菜、果物からA型肝炎に感染する場合があります。また、減菌が不十分なミルク、ヨーグルト等から感染するブルセラ症にも注意が必要です。マラリアについては、テヘランで感染することはありませんが、アフガニスタン及びパキスタンとの国境地帯や、イラン南部に行く際には注意すべきです。

 イラン政府側から接種を義務づけられている予防接種はありません。しかし、現地での生活で罹患する可能性があることから、長期間現地に滞在を予定する方は、A型肝炎、破傷風追加免疫(幼少時に接種した破傷風予防接種は成人時には抗体として機能していない)の予防接種を受けておくべきです。また、時間があればB型肝炎も接種しておけば安心です。
 安心して入院及び手術を受けることができる病院(これら病院の幾つかは24時間緊急患者を取り扱っている)の数は限られており、また、優良な病院に患者が殺到するため、いつでもそこに入院できるとは限りません。
 一般的に、医師は英語で会話できますが看護師は英語を解さない者がほとんどであり、また入院食はイラン料理が出るため、現地の病院での入院生活は日本人にとっては困難が伴います。なお、在イラン日本国大使館には医務官が配属されているため、相談をしたり、病状に応じて比較的信頼できる専門医を紹介してもらうことも可能です。

 その他
 大気汚染は年々深刻化しており、ぜんそく、心臓病を患っている人はこれらの持病に対処する医薬品等を準備すべきです。一応マスクらしきものは売ってはいますが、本邦で市販されているガーゼ付きマスクは現地では入手不可なので持参する必要があります。テヘランの大気汚染は、粉塵が多いのが特徴で、特に冬期は大気中のCO濃度がWHOの基準値の数倍にも達することがあり、呼吸器の弱い人や心臓病罹患者は生活に細心の注意が必要です。また、秋・冬季には光化学スモッグも発生することがあります。
 その他、花粉症の症例も見られますので、花粉症を患っている人は治療薬やマスク等を用意しておく必要があります。