テヘランってどんなところ?

イランの首都。行政、経済の中心。エルブルズ山脈の南のふもとにある平均標高1,232Mの高原都市。テヘラン考古博物館にはイラン全土からの出土品が集められ、古代ペルシャの文化に触れることができる。

テヘランの地図

テヘランのブログ旅行記

2009年5月 - 地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

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イランの女性たち - 地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

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エルトゥールル号遭難事件 - 地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

2009年5月31日 ... 万事休すかと思われたその時、空襲警報が鳴り止まないテヘラン・メヘラバード空港に、 トルコの特別機二機が到着し、日本人215名全員 ... しかし、NHKが「プロジェクトX 」でテヘラン日本人救出劇を放送してから話がややこしくなった。 ...

2009年4月 - 地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

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ブログテーマ[世界一周(カフカス・イラン)]|世界一周ブログ(略して ...

状況次第で今後を決めるか(テヘランでは10日待ちだった)。 あるいはいっそうのこと イランの首都テヘランに逆戻りして一気に飛行機で ... そうと決まったらすぐバス 乗り継いでテヘランまで. もどって来て即効航空券も取った! 飛び先はタイのバンコク ! ...

naranaraの食べある日記 - イラングルメ図鑑

テヘランのマーケッ... No.1, クービーデ クービーデ. No.2, サブズィー・ホルダ... サブズィー・ホルダ... No.3. ゴルメ・サブズィ ゴルメ・サブズィ. No.4, チェロウ チェロウ. No.5, アーブ・グーシュト アーブ・グーシュト. No.6. アーブ・グーシュト ...

テヘランの写真・旅行記

14年ぶりにイランを再訪した。 久しぶりに会った友人たちは、それぞれに変貌を遂げていました。 驚きと感動の旅となりました。  

ホテルの窓から見たテヘラン市内。遠くにエルボルズ山脈の雪景色が見えます。あー、テヘランに来たなあ。

友人のサイードには連絡がついたが、あいにく地方へ出張中。翌日の夜に帰ってくるとのことで、今日もう1日ホテルに宿泊。 朝から懐かしいテヘランの街の散策に。 典型的なイランの殺風景な建物です。

テヘランの街は歩くのが疲れます。 馬鹿デカすぎる街に、殺風景すぎる街並みが続きます。 一歩家の中へ入ると、そこには別世界が広がっているのですが、一旅行者にはあまり面白みのない街と写るだろうと思います。

パン屋さん。

懐かしいハフテ・ティール広場。少しだけキレイになってるかな。

Morvarid Hotel(真珠ホテル) でも、このコックさんは何ですか!?

初めてのイラン飯は何にしようか! そう、ディーズィーにしよう! (※ディーズィー:羊の肉と豆などをトマトベースのスープで煮込んだ食べ物。ちょっとだけ肉じゃがっぽい!?) ということで、ホテル近くのディーズィー屋さんへ。 でも、あれだけよく食べてたディーズィーなのに、食べ方を忘れた!!! ということで、隣のイラン人3人組に教えてもらう。 アーそうだった、そうだった。最初にスープだけボールに空けてパンをちぎっていれて食べ、それから具をすりこぎ状の棒でつぶしてペースト状にして、それをまたパンにつけて食べる。 いやはや、これを忘れていたなんて、14年の月日はやはり長かったのだな…。

ディーズィーを前にご機嫌。

テヘランの地下鉄も、もう10年そこそこの歴史があるようですが、僕はまだ乗ったことがなかったのでした。以外とキレイです。

そうこうするうち、夜も更けていきました。

ホテルのレストラン。

翌日2/25 今日は夜に出張から戻るサイードと会う。 その前にもう一人の親友、マヌーチェフルの息子と今日は昼過ぎに待ち合わせ。 マヌーチェフル自身はこれまたトルコへ出張中。僕が来たことにたいそうびっくりし、また非常に喜んで、トルコから仕事を切り上げて急遽イランへ帰る!と言い出すが、それは申し訳ないので、こちらがイラン滞在を延ばすことにした。 マヌーチェフルがトルコから戻ってくるまで、息子のアリーが会いたいと言ってきた。本人が会いたがったのか、父親から会え!と言われたのかは定かでないが、ともかくもアリーがホテルまで来るという。 当時まだ5歳の少年というか幼児だったアリーは一体どんな青年になっているのだろう!?

僕にとって驚愕の事実は、そのアリーがすでに結婚したと聞いたからだ。21歳だという。 ほぉう~。歳月の流れはあまりに速い…。

イラン滞在を延ばすため、テヘラン-バハレーン-サナア(イエメン)のガルフ航空のチケットの日程変更と、アリーの結婚祝いを買いに、午前中は忙しく歩き回る。

街を北上し、山が迫ってきます。

ヴァナック広場。ここもかなり変わってました。

街角のザクロジュース屋さん。 イランはザクロがたくさん取れ、安くおいしいザクロが食べられます。

このザクロのロウ細工はなんだかちょっとグロテスク…。

さて、アリーと再会しました。 あらー。まあみごとに成長したこと! 5歳だった彼に「俺のこと覚えているかい?」と聞くと、「覚えてるよ!」とのことだけど、本当かなあ~。

ちなみに、僕の知ってるアリーはこの写真の子供です(笑)

アリーと昼食の後、アリーがテヘランの北にそびえるエルボルズ山脈のトーチャールへ連れていってくれるという。テヘランを一望できるからいいんではないか、と。 他のダマーバンドや、ダラケなどのポイントは行ったことがあるが、トーチャールは行ったことがなかった。 アリーの車で一路テヘランを北へ走る。

アリーと。

トーチャールからテヘランの街を見下ろします。 どこがどこなのかさっぱりわからないくらい、小さくなっていました。 さて、この後にアリーと別れ、サイードと待ち合わせ。 サイードも変わっているだろうか。 彼とは6年ぶりに会うことになる。彼とはイランの外、タイやイギリスで会ったことがあるから。 彼はやはり少しオヤジになってました。 自分も人のことを言えないのだけど。 そしてサイードも、ようやく年貢の納め時だったのか、1年前に入籍をして、この夏にも結婚しきをするとのこと。彼は44歳。晩婚である。 お嫁さんとともにホテルへ迎えにきた。キレイな人。 写真はこのとき撮ってないのでまだサイード君は登場しない。 この日はよくよく知っているサイードの家へ。ご両親も元気そう。それほど老け込んでなかったので安心し、嬉しかった。とても暖かく歓迎してくれた。 (テヘラン編2へ続く)

2/26(金) さて、サイードの家に泊めてもらい朝を迎えた。 サイードの家。典型的なイラン中・上流階級の家です。 イランの街並みは殺風景ですが、一歩家の中に入ると豪華絢爛、煌びやかだったり調度品が素晴らしかったり、そういう家も多いです。 今日は金曜で休み。サイードの兄弟姉妹たちが僕がイランに来たので集まってくるそう。 久しぶりにイランのホームパーティだ。

泊めてもらった部屋。

プール。冬だから水は入ってないけど。 僕が住んでたところにもプールがありました。今は昔…。

僕が以前住んでいた家がある通り。

イランの花屋さん。かなり高い、高級な花ばかりでした。 この日、昼食はサイードのお嫁さんの家に招待されたので、花を買いに行きました。

サイード君登場。

サイードのお嫁さん、エルミラの家の食卓。 エルミラが自分で、僕がイランで食べたいと言った「キャシュク・バーデンジャーン」(ナスとキャシュクという乳(発酵)製品のうま煮のようなもの。大好き!)を作ってくれた。

サイードとエルミラ。

エルミラの家族と一緒に。

AV機器も立派です。

サイードとエルミラの婚約式のDVDを鑑賞(笑)。 さながらハリウッドスターばりのビデオに仕上がっておりました。

しかし、この婚約式でかなりの大金を出費し、さらに今度は結婚式でさらに大きな出費が要ると言って、サイードは頭を抱えておりました…。

サイードやエルミラの親戚たち。イランの上流階級のパーティはこんな感じ。

さて、エルミラの家から戻り、今度はサイードの兄弟姉妹たちが集まっての夕食会。みんなあまり変わってなかった。子供たちが大きくなっていたのはやはり同じだったけど。 みんな懐かしかったー。

男どうしの語らい(笑) イランにはないはずの○○で話しも弾みます。

エルミラももちろん夕食会にも来ました。 さて、明日はサイードと一緒にイスファハーンへ行きます。 サイードはテヘラン生まれだけど、ご両親はイスファハーン生まれで、サイードも家の中ではイスファハーン方言でしゃべる。 サイード自身もイスファハーンに強い愛着があり、このイランが誇る古都に自分の別荘を持っている。 仕事の関係でちょっとした用事もあるし、せっかくだからテヘランのゴミゴミしたところから離れてイスファハーンへ行こう!ということになりました。 (イスファハーン編に続く)

3/1(月) さて、いよいよもう一人の親友のマヌーチェフルと会う日が来た。いろんなことがあって、長い間連絡が取れずにいた。でも僕はずっと彼のことが気になっていたし、よく思い出していてもいたし、それは向こうも同じだろうと思っていたけれど、まあまだ会うべきじゃなかったんだろう、会わないでいるまま、もう時は14年も過ぎていた…。 電話で彼がもはや経済的困窮から脱却し、それなりの生活をしていることがわかったが、どんな生活をしているのかを実際に見てみて、それはそれはビックリした。 彼は家具輸入販売&製造の会社を興し、従業員何十人もを抱えた会社の社長さんになっていた。 ものすごく忙しそうだが、今日1日はすべて僕のために空けてくれているという。 まずは彼の会社、工場などに連れていってくれる。みんなに僕を紹介してくれるが、みんなマヌーチェフルが部屋に入ってくるとスッと立ち上がり多少緊張気味な面持ちで、あー彼は社長さんなんだなーと実感。 彼も以前の貧しかった彼のことを知っている僕に、こうしていま自分の会社を誇らしげに紹介できることを誇りに思っていることだろう。本当にお互い感慨深い思いだった。 ここは会社の会議室。

会社のマヌーチェフルの執務室。 でも聞くと、10年くらい1日3、4時間の睡眠で、会社に寝泊り、家には週に1度くらいしか帰れなかったという。もともととても努力家な彼だけど、まあ僕にはそんな努力はできそうにない。 彼はでも控えめな性格だから、あまり多くは語らないし、自慢をするわけでもなく、淡々と今の仕事や生活を僕に見せてくれた。

これはマヌーチェフルのお店(ショールーム)。 立派な店だった。大きなコンプレックスに3つもブースを持っていた。

こちらも店の写真。

その後昼食を取り、午後は僕のお土産を買いに付き合ってくれる。 以前イランから持ち帰ったチョウザメの肉の燻製が姉が気に入ったので買ってきてくれと言われていたのだ。 どうやらそれはロシアから入ってきていたものらし、今はどこを探してももうそれはなかった。 その代わりに別の魚の燻製を買った。イランのお土産としては普通買わないものだけど(笑)。

マヌーチェフルの家。立派でしたよ。

さて、イラン最後の夜は、マヌーチェフル夫妻がテヘランでも最高級のレストランの一つに招待してくれました。 このレストラン、僕も以前は何度も来たことがあったけど、その頃は生の音楽などは上演しておらず、暗い感じの店だったけど、内装もキレイになっており、なかなかレベルの高いイラン音楽の楽団による演奏で、気分は高潮。

マヌーチェフル夫妻。 この二人は、僕が知っているイラン人の中でも本当に心がキレイな人で、社長さんになって偉くなった今でも同じように彼らが全然変わってないことが何よりも嬉しかった。

これは15年くらい前に僕と彼らとで旅行に行った際に取った写真。 僕のこれまで撮ったポートレート写真の中で、最も大好きで人からもいい写真といわれる1枚。 二人の深い愛情と、そして撮影者である僕への信頼があってこその写真。 お互い歳はとったけど、でもそこには変わらないものがあった。

イラン最後の夜は、ここで楽団の奏でる音色に酔いしれ、時が経つのを忘れて過ごした。 最後にサイードの家によって彼らに挨拶をすまし、荷物をとって空港へ。 みんなみんなありがとう! サイードはこの夏に結婚式を挙げるし、マヌーチェフルの息子アリーの結婚式も夏だという。みんなまた夏に来い!というが、それはたぶん無理だろう…。 イランは他の国に比べて観光資源が特に恵まれた国じゃないけれど、イラン人は本当に心豊かで暖かな人ばかり。 旅行者として訪れても、きっと素敵な出会い、ふれあいがあるはず。多くの人にイランに行ってみてほしい。

最終日はテヘラン市内観光です。 まず朝からバザールを見に行きました。 役場の無料のトレーラーバスでバザールの入口へ。 まずは、いい匂いに誘われケバブ屋さんへ。

バザールの入口です。 中は巨大な迷路になっており奥に入ってしまうと1人では出られなくなるかもしれません。 イラン人は比較的安全ですが、今アフガニスタンからの難民が200万人もイラン国内に流れ込んでおりこれらが非常に危険なようです。 イランでも国内問題となっています。

アーケードが続くバザールの所々に中庭のような広い空間が現われます。明り取りの窓とアラベスクの模様がモスクの内部のようです。

現在このバザールは、生活関連用品がすべて揃う商店が軒を並べています。 日本で言うところの問屋街のようなもので市価より安くいろんなものが手に入ります。 テヘランの人が結婚するときは、ここに来て新生活に必要な品々を全部揃えるそうです。 印象的だったのが女性が纏う黒いチャードルの素材生地ですが、一番人気で高級なのが日本の三菱レイヨン製だったことです。

エマーム・ホメイニ広場を通過して官庁街に向かいます。 ここからはバス等からの写真撮影が禁止されています。

旧郵政省の建物を利用した郵便博物館。

テヘラン市内にある国立公園。

国立公園の門です。

続いてテヘラン北部にあるイラン最後の王朝、パーレビ国王一族の夏の離宮サアダーバード宮殿へ。 広い敷地を進んで行くと白い宮殿が見えてきました。 これはパーレビ2世の王妃が住んだメラット宮殿。 王妃の名前がつけられています。 中にはパーレビ2世の執務室等もあり贅の限りが尽くされています。

ここはメラット王妃の寝室です。 横にメラット王妃の写真が飾られていましたが、なかなかの別嬪さんでした。

パーレビ国王が使用したクラシックカーが敷地内移動用の観光自動車として使われています。

メラット宮殿の前には、革命の時に破壊されたパーレビ2世のブーツだけの銅像の残骸と矢を射る戦士の銅像が建っています。 いつの頃かわかりませんが、昔矢を射って届いたところまでを領土とした時代をあらわしたものだそうです。

イランの企業の入口には必ずホメイニ師とハメイニ師の肖像画か写真が飾られています。

テヘラン市内で有名なペルシャ絨毯店を訪問しました。 今、広げている絨毯は日本で買うと4千万円だそうです。製作に10年かかった代物です。 使えば使うほど値打ちが上がっていくのだそうな。

シルクの手織りは裏を見れば、その違いが一目瞭然だそうです。 日本を出る前、知り合いにペルシャ絨毯の玄関マットでも土産に買ってくるわ!と簡単に約束してきましたが、それくらいの大きさのものでも25万円と聞き眼ん玉が飛び出そうでした。

アッと言う間のイラン旅行でした。 テレビ塔の横を通り高速道路を一路エマーム・ホメイニ空港へ。 再び、中国新疆ウイグル自治区のウルムチと北京を経由して日本に帰国です。 もし出来ることなら、再度訪問しペルセポリスやシラーズに行ってみたいものである。

花嫁さんとみられる。

でたーっ ってかんじか。 アフガニスタンの女性のよう。

テヘランの民族衣装のよう。

ここからは人形。

キラキラ。オサレ。

ロシアっぽくもあり、、、なんなんだ。

この肩!かなり邪魔そうだけれど。 これを見てひとりでニヤニヤしていたら、隣にいた女子学生も噴き出していて、目が合ってしまった。

花柄の渋いベール

イスラム圏において目立つこのスカートの短い衣装はゾロアスターの名残だとか。

花柄のベール おわり

テヘラン市内は大渋滞。車だらけ。 排気ガスがすごい。 そのせいで市内にもやがかかっています。 ほんとに空気が悪い。 埃もすごい。 気持ち悪くて窓開けられない。 インド並みです。 ぐったり・・・うう、気分悪い・・・ さっきのオムレツ出そう・・・ 最初の観光地、アダーバード宮殿へ。

宮殿内はフラヴィー王様の奥さんがフランス風にしたいといったらしくシャンデリアや調度品はフランスから輸入。

あれぇ、イランに着たのに西洋風?

これはチェコのシャンデリアだったかな。 ゴージャスです。

お次は絨毯博物館。 ペルシャといえば、そうですペルシャ絨毯ですよね。 でもさー絨毯の博物館なんてどうせちゃっちいんでしょーとなめまくり。興味ねえなぁー。 ところが。 建物ででーん。 中にはいっても、絨毯がででーん。

ちょおおおおおおお広い。 すぺて絨毯。

絨毯以外展示品なし! そうさ、ここは絨毯博物館。 これでもかと絨毯。 地方によって絨毯の模様や色や糸が違いなかなか面白い。 めっきり絨毯のとりこ。 この絨毯なんてすんごいのよ。 大きさもすごいけど、模様がすごい。 こまっかぁいの。 模様いっこいっこが結び目で、それが合わさってこんな模様になるのです。 細かな模様になると大人の手では大きすぎるので子供の手で織っていくのです。 芸術品ですよ。 お値段つけられない絨毯ばかりですって。 イランの人は嫁入り道具には絨毯。 おうちにあがってまずその人の家の絨毯チェック。 絨毯でその家のランクがわかるというもの。 地震が来たら真っ先に絨毯もって逃げるんだろうなぁ、きっと。

その後は待ってました、初、イラン飯。 クピデ。

羊のハンバーグみたいなものですね

そして、大きすぎるオリーブ。 梅かと思いましたわ。 オリーブだぁいすき。 すっごい大きいの。 中東のオリーブってスペインやイタリアより比較的大きいんだけどいやはや、それでもこの大きさはただものではないぞと。 鼻血が出そうなほど食べました。

食後は考古学博物館へ。 土器がメインでした。 なんせ紀元前3000年メソポタミア文明あり。ですから。 年代ごとに発掘された土器たちが展示されてました。

これは、ペルセポリスの一部ではないのかい? フライングしちゃったかな。

首がないね。 どこいっちゃったんだろう。

祭壇かな。 こんなんで一日目終了!

ドバイまでは10時間ぐらい。 到着したら、あれれ?いつものターミナルと違う?? そうです、ターミナル3がオープンしてましたぁぁっ ジャングルっぽく緑があったり、 ショップもたくさん。 ますます大きくなったドバイ空港。 やっぱりすごいねぇ、ドバイ。 2時間ほどのトランジットでドバイ~テヘランへ。 機内からうわさの、例の、ブルジュドバイが見えた! すごい高い。 ハンパないです。 ただでさえビルがにょにょきあるドバイ市内に ぴょこんとビルがあるんだもの。

テヘランまでは3時間ぐらい。 ちょっと海を渡ったらもうイランなんですよ。

ここには世界最大のピンクダイヤ(182カラット)があります。 表紙、この写真とも撮影禁止だったため、パンフレットをUPしました。 ちなみに、日本語のガイドブックも売っています。(9000リアル) このパンフレットは英語版のみしかなく、15000リアルでした。 ピンクダイヤ以外も見ごたえがあり、キラキラしすぎて目が痛いほどでした(笑)

イラン航空の機内食 何とキャビアが出るんです~ リッチな気分を十分満喫しました

マシュハドから夜行列車でテヘランに向かいます。

車窓風景。

同じコンパートメントに乗り合わせた人々。

このお兄さんからは、何枚も写真を撮らされました。

明け方テヘランに到着しました。夕方テヘランを発つので、日中の宿としてアミール・キャビール通りにあるホテルマシュハドにチェックインして荷物を預けました。

まずはバザールに向かいます。バザールにあるマスジェデ・イマーム・ホメイニ。

バザールは都会だけあって熱気に渦巻いていました。

バザールの一角。

バザールの一角。

絨毯バザール。

絨毯を運ぶ人夫。

絨毯屋。

大通り沿い沿いにペルシア文字で埋め尽くされたペナントを売る店が並んでいました。

ペナント屋。この店で三角形のアーシュラーの旗と、イスファハンで見かけて欲しかった旗が置いてあったので購入しました。

店内の様子。

ご主人は縫製作業の最中でした。

大通り沿いの伝統的な建物。

イラン最後の食事は、シャフル公園内にあるサンゲラジ・レストランでコース料理を堪能しました。夕刻イラン航空で帰国の途に着きました。