エルサレムってどんなところ?

イスラエルの首都。標高800Mにある、ヘブライ語で「平和の都」を意味する町。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖地でもある。城壁の西、新市街には新生イスラエルの政治の中心としての顔もある。

エルサレムの地図

エルサレムのブログ旅行記

『沈黙を破る』|諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

上の方で書いている人がいましたが、エルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教 の3つの聖地があります。 ... でも、エルサレムに3つの聖地があるのは、僕は神の 配慮だと思うんです。なにかを神がおっしゃりたいのだと思うんです。 ...

イスラエルとパレスチナ|世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後 ...

以外の自治区は現在比較的平穏で壁を越えて. 入ることも問題ないとのことだったので 行ってきた。 パレスチナ自治区は首都エルサレム郊外にも. 点在してて公共のバスが エルサレムとパレス. チナ自治区を結んでいるので拍子抜けする. くらい簡単に行けた。 ...

書換えられていく歴史 イスラエル新歴史探訪 - 地球浪漫紀行世界紀行 ...

2008年11月12日 ... 今までエルサレムとは対立関係にあったクムランのエッセネ派に属していたとも言われる ヨハネが使用した洞窟が、エルサレム郊外で発見されたということは新たな驚きであり、 今後のキリスト教研究の活性化に繋がっていくことでしょう。 ...

地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

ヘラクリウス帝とホスロー王の戦いペルシャ王であるホスローがエルサレムへと攻め込み 、聖十字架を奪い去る事件が起こる。 ... ヘラクリウス帝のエルサレム入城皇帝 ヘラクリウスは聖十字架を元の場所へ戻すために、エルサレムに入城しようとすると、 城門 ...

2007年01月のブログ|世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後、社会 ...

エチオピアには4世紀ごろからキリスト教が伝わり. 国民のほとんどはキリスト教となっ たのだが、. 国の周りをイスラム国家に囲まれていたため. キリスト教の聖地である エルサレムの巡礼が. 困難なため、ここラリベラにエルサレムの聖地と ...

、トラベログ、トラベローグ、TRAVELOGはみんなの旅行情報の発信出来る ...

選択してください, エルサレム, テルアビブ, Acre, Arad, Ariel, Ashkelon, Beersheba , Bethlehem, Caesarea, Dead Sea-Ein Bokek, Eilat, Golan, Haifa, Haifa-Ness Ammim , Herzliya, Jericho, Mizpe-Ramon, Nahariyya, Nazareth, Netanya, Ramat Gan ...

2006年4月 - 奥様は海外添乗員

イースターの前の日曜日である今日は、イエス・キリストがエルサレムに入城した日。 この日人々はシュロの木を手にイエス・キリストを迎え入れたといわれる。キリスト教徒 たちにとっての祝日でもあるので、なんらかの儀式が行われるのかも? ...

2005年03月のブログ|食べて歩いて遊んでスペイン!

ユダヤ人の彼が、春分の日から数えて最初の満月の日を祝うPascuaを首都で迎えようと、 Pascua前の日曜日にエルサレム入り。 ... 救世主として崇められるよそ者イエスを見て 、面白くないのはエルサレムの聖職者たちでしょう。イエスを捕らえて刑にかける ...

世界一周旅物語(せかたび)- 聖地、エルサレムを歩く アーカイブ

宗教は異なっていても、聖地は同じエルサレムの地。端から端まで2キロに満たない城壁 に囲まれた旧市街には、三つの聖地が ... そんな自分がエルサレムを見たいと思ったの は、三つの宗派が同じ城壁の中に集まっている様子を感じてみたかったからです。 ...

shukran@world: 旅行・地域 中東各国

イスラエルのエルサレム旧市街地で、約1500年前の古い道の遺跡を発掘したと、 イスラエル考古庁が発表した。隣国ヨルダンの教会に保存されているモザイク地図を基に 実施した調査で見つかったもので、当時の硬貨や陶器なども発見された。 ...

shoの旅行記~気の向くままに歩いて行こう~: イスラエル・エルサレム ...

日帰り旅行から長期旅行、さらにテクテクと歩いて見つけた楽しそうなところも含め案内 します。目指せ世界制覇!

世界一周旅物語(せかたび)- 2006年04月 アーカイブ

宗教は異なっていても、聖地は同じエルサレムの地。端から端まで2キロに満たない城壁 に囲まれた旧市街には、三つの聖地が ... 偶然にも、エルサレムに滞在していた四月二 十二日から二十三日にかけて、イースター。年に一度の大切な日ということで、世界 ...

Happy Easter! - 奥様は海外添乗員

イエスが12人の弟子たちとともにエルサレムに入城した日で、この時地元の人々が棕櫚 の枝を持って歓迎したことからこの名がついた。聖週間のはじまりとなるこの日、信者 さんたちは棕櫚の枝、もしくはそれに見立てたオリーブの枝を持って教会に出かけ、 ...

ブログテーマ[世界一周(アラブ・中東)]|世界一周ブログ(略して ...

もちろん完全アラブ世界なので人も格段にフレンドリーになる。 エルサレムではあれ だけ見たイスラエル兵士 ... エルサレムは旧市街と新市街に別れてて 旧市街は城壁に 囲まれた城壁都市となっている。 その旧市街は大きくはなく、歩いても15分くらいで ...

エルサレムの写真・旅行記

➛世界遺産、エルサレムの旧市街とその城壁群などの史跡を投稿画像で訪ねてみます。 ➛エルサレムは、西部についてはイスラエルが実効支配し、東部についてはイスラエルが占領しているものの、パレスチナも領有を主張している内陸都市で、イスラエルが首都と主張している都市です。 ➛オリーブ山から望むエルサレム市街地 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jerusalem_from_mt_olives.jpg ➛名所・史跡を訪ねて http://joy555.blogspot.com/2010/02/blog-post_05.html

➛エルサレムは、古代イスラエル・ユダ王国の首都として、エルサレム神殿があった場所で、イエス・キリストが処刑された地でもあり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の聖地となっています。標高800メートルの小高い丘の上にあって、ユダヤ人が住む西エルサレムとアラブ人居住区である東エルサレムから成り立っています。 ➛嘆きの壁と岩のドーム http://www.panoramio.com/photo/690345

➛東エルサレムは、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地で、旧市街と呼ばれ、嘆きの壁、聖墳墓教会、岩のドームといった各宗教ゆかりの施設を訪れる人々が絶えません。 ➛岩のドーム http://www.panoramio.com/photo/1115690

➛嘆きの壁は、ヘロデ大王時代(紀元前20年)のエルサレム神殿の外壁の一部で、神殿はユダヤ教で最も神聖な建物でした。 ➛嘆きの壁 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:The_Western_Wall_in_Jerusalem_May_2009.jpg

➛嘆きの壁の上は神殿の丘と呼ばれる、かつてのエルサレム神殿の跡で、ここにはイスラム教の聖地アル=アクサー・モスクやイスラーム建築の傑作とされる岩のドームが建っています。 ➛アイ・アクサー・モスク http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Al-Aqsa_Mosque_by_David_Shankbone.jpg

➛聖墳墓教会とは、エルサレム旧市街(東エルサレム)にあるキリストの墓とされる場所に建つ教会です。 ➛聖墳墓教会 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sepulchrecenter.jpg ➛地図 http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1&hl=ja&t=h&msa=0&msid=113785669505802545042.00044cf47a5fbccdef857&ll=31.783013,35.234871&spn=0.023201,0.026307&z=15

➛世界遺産の「エルサレムの旧市街とその城壁群」は、周辺情勢の不安定さから保護が必要な物件である一方、エルサレムの帰属問題などのデリケートな問題をはらんでいることから、変則的な申請が認められた珍しい物件です。 ➛旧城壁を取り囲む7つのゲート ➛新門 New Gate http://en.wikipedia.org/wiki/File:Old_Jerusalem_New_Gate_Caper.JPG

➛現存する旧市街の市壁は、スレイマン1世によって1538年に建造されたもので、長さは約4.5 km、高さは5 - 15 m、厚さ3mになります。全体では、旧市街の市壁は43の見張り塔、11の門(うち7つは現在開放されている)を含んでいます。 ➛ダマスカス門 Damascus Gate http://en.wikipedia.org/wiki/File:Damascus_Gate.jpg

➛ヘロデ門 Herod's Gate http://en.wikipedia.org/wiki/File:Herods_Gate_Jerusalem.jpg

➛ライオン門 Lions' Gate http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:LionsGate_Jerusalem.JPG

➛糞門 Dung Gate http://en.wikipedia.org/wiki/File:Jerusalem_Dungtor_BW_1.JPG

➛シオン門 Zion Gate http://en.wikipedia.org/wiki/File:ZionGate.JPG

➛ジャッファ門 Jaffa Gate http://en.wikipedia.org/wiki/File:Jaffa_Gate_Jerusalem.jpg

➛ジャッファ門周辺 http://www.panoramio.com/photo/587090

➛西エルサレムは、新市街と呼ばれる近代的な都市で、ヘブライ大学、イスラエル博物館、ハイテク工業団地や国会、各省庁などが立地し、イスラエルの政治・文化の中心です。 ➛West enterance http://www.panoramio.com/photo/587299

10/21 6:30起床。 昨日、シリアよりアンマンに到着。ホテルマンスーラにて出会ったイスラエル入国組4人で、7:30にタクシーで出発☆ ホテルが呼んでくれたタクシー(4人で20JD)で、まず国境へ。 イスラエルへの入国は運が悪いとかなり待たされると噂を聞いていた。そして…うちらは「ほんのちょっとだけ」運が悪い組だったみたい。1時間ぐらい待たされた。 最初に入国審査カウンターで通常通りの質問を受けていたが、そのうち「クレジットカード見せろ」とか色々させられた挙句に、隣の待合所みたいな所で書類(っても簡単な自己申告書みたいなもんです)を書かされた。 一緒にいたのが男の子(後に出てくる「あまちゃん」)で、それが一体どういう関係なんだと判らなかったから、というのが理由らしい。 12:00頃にやっと入国完了☆大量の「ハエ」がお出迎え(笑)何でこんなにいっぱいいるんだ??ってぐらいブンブンしてて、私臭いのか?とちょっとショックな出来事でした…でも市内は全然いなかったけどね。

エルサレムのダマスカス門近くの「パームホテル」へチェックイン☆(料金忘れてしまいました…日本円で1000円/泊 ぐらいだったと思います) 一緒に入国した他の女の子2人は、別のホテルに泊まるって事で、「あまちゃん」と2人で。ここも日本人結構ステイしてましたよ。 私は期限があったので、限定2泊3日のイスラエルぶらり旅が始まった☆

とりあえず腹ごしらえ☆ あまちゃんが「チョコ食べたい」ってんで、チョコが入ってるらしきパンを購入☆ 食べてみると…んんん??チョコ??何か「アンコ」さんみたいなお味!!!でも美味しい!!! あまちゃんは更にリンゴもまくまく食べていました。

さーて、やってきました「ダマスカス門」!!旧市街の入口です!!ちなみにココの旧市街も世界遺産☆ ささ、行きましょう☆☆

んまぁ!!美味しそうですよっっ!!食べなかったけど。ギャルズ達の甘いもの好きは万国共通ですね☆ 旧市街の中はスークのように沢山お店が立ち並んでいました。 服屋の隣が肉屋…日本じゃ考えられない配置っす…女性用下着屋の店員は大体メンズですし(笑) しかし、迷路です中はっっ(汗)!!!

甘いお菓子を食べ食べ、道に迷いつつ、岩のドームをちょっと見て(今はムスリム以外立ち入り禁止になってしまってるんですねぇ…写真もダメと兵隊さんに止められてしまいました…)、テクテク歩く事しばし… あぁぁぁーーーーー!!!遂に来ましたよ!!! 「嘆きの壁」!!!

あまちゃんと「嘆きの壁」へ向かう途中、係員さんに止められる。 「女性はあっち」 分けられてるのね… しかも男性は、嘆きの壁の前では、紙で作った小さな帽子を被る事必須。あまちゃんも被ったのかな?? それにしても、嘆きの壁の前は兵隊さんがとにかくいっぱいいる!!

迷路のような旧市街の中には、ユダヤ人さんアルメニア人さん、パレスチナ人さんそれぞれの居住区があったりする。 居住区の区切りは、地図を見ないと判断できないけど、ただ何処を歩いても本当にきれいで…あまちゃんに至る所で「写真撮ってー撮ってぇぇーー」とテンション上がりっぱなしでした☆

結構歩いてクタクタになり、ホテルへ戻る。 イスラエルは物価が高いので、バックパッカー達はみんな自炊するんだそうです。例にもれずうちらも自炊。 「トマトとソーセージのパスタ」 まいうーーに仕上がりました。 夕飯後は、あまちゃんが「バックギャモン」を教えてくれた。ただ、全然勝てない…だんだんキレ始めた私を尻目に余裕のあまちゃん。 こんにゃろう…日本帰ってきた時にこてんぱんにしてやるっっ!!!

夜になると、続々とホテルに帰ってくる旅人達。 ここで仲良くなった邦人の皆様☆めっちゃいい人達…そしてみんな若かった…(愕) 三十路は私だけ…

10/22 ゆっくりな起床。 今日は宿で出会った「しゅん君」が教えてくれたユダヤ人地区「メアシェアリーム地区」へ。沢山のユダヤ人さんに出会えるという事で興味を持ったあまちゃんと私は、朝のすがすがしいうちに出発☆ 途中の公園でおっちゃんが爆睡してたので、うちらもちょいまったりタイム☆

ユダヤ人地区へ行く途中のオシャレな雰囲気のストリート。若者が集まっていて栄えていました☆

ヘブライ語のマクドナルド。 じぇーーんじぇん読めませんっ(汗) 海外のマクドナルドはよくその国特有のメニューがあったりするけど、イスラエルは特に「珍しいっ」ってメニューはありませんでした。

おや??

ややや???もしやココが…

わぁぁぁーーユダヤ人さんが沢山いらっしゃいます!! 遂に到着しました「メアシェアリーム地区」!!! あまちゃんは感激のあまり言葉を失っていました。

そして昼からビール休憩☆ 水色のラベルのビールは本当にフルーティな感じで、赤い方は日本のビールと同じお味でした☆ この小さなレストラン(地元の人しか来なそうな可愛らしいレストランです)にあった食事は本当に…本当に美味しそうでっっ…でも高くて食べられませんでした(泣)

メアシェアリーム地区を堪能したあまちゃんと私は、次に旧市街へ再び入り、「ヴィアドロローサ」を見学する事に。 「ヴィアドロローサ」は、毎週金曜日に、修道士達が、十字架を背負って歩いたキリストの道を、そのストーリーを読みながら歩くという定例行事です。 修道士が続々集まってきました。

一生懸命追いかけるんですけどっっ見物人が多すぎてなかなかいい写真が撮れず(泣) ここで「しゅん君」に遭遇。あまちゃんとしゅん君からはぐれないように、そればっかりに一生懸命になってた気がする。だってはぐれたら…この旧市街の迷路の中で私どうしたらいいのーーー!!??(笑) ※実際はちゃんと地図あるから大丈夫ですけどね☆

ヴィアドロローサの終点「聖墳墓教会」。 ここはキリストのお墓がある所で、その前はかなり行列!!空いていれば中に入ってみたかったんですが、その元気なく外から拝むだけで終わってしまいました。 キリストが死後香油を塗られたとされる場所もあって、そこもお祈りしている人達がたくさん。 人は多かったけど、厳粛な雰囲気は損なわれず、きれいな教会でした。

そして金曜日はユダヤの安息日なので、「嘆きの壁」の前は沢山のユダヤ教徒さんがお祈りに来ていました。この時は一般人は立ち入り禁止で、柵の上から覗き込む感じでしか観る事ができません。

夜はまた自炊☆今日は5人分!! あまちゃんがヨーロッパで手に入れたブイヨンを持っていたので、それを頂戴しての「洋風炊き込みご飯」☆ 最初、女だからってんで任されてしまったけど、「やす君」が実は包丁職人並みの腕前!!私よりずっと上手で…早く言え(笑)

サラダも加えて、頂きます!! よいお味でした☆ やす君、しゅん君、ショウタ君、あまちゃん、みんな面白いメンバーで、ご飯後はカードゲームで盛り上がっちゃいましたよ~~☆ 私はこれでイスラエルとお別れ…あまちゃんが記念に夜中にミサンガを作ってくれた!!器用だね~~…本当にありがとう!!また泣きそうでした…すぐキレるし(主にタクシー)、すぐ泣くし、いい加減大人にならなきゃいけませんねぇ。 次の日は土曜日で、国境が12:00にクローズしてしまうので、ヨルダン帰国組を集めて、朝9:00に出発。 ベツレヘムとかテルアビブとかクムランとか…行きたい所は山ほどあった… そして、イスラエル博物館の「死海写本(文書)」を観る事が出来なかったのが一番の心残り…リベンジ必須!! ※死海写本を観たい方へ!!イスラエル博物館は、オープン日でも14:00にはクローズしてしまいます。そして休館日が月・金・土曜だったかな??お休みも多いので、イスラエルに行く前にチェックすべし!!

ヨルダンとの国境から入国、 イスラエル入国審査で放置プレイ、 6時間ココで待たされたよ。 「何時間待たされるか?」 これもイスラエル観光の一つなんだね。

クリスマスイブ、 キリスト生誕の地に殺到する巡礼者が沢山いました。  パレスチナ自治区ヨルダン川西岸ベツレヘム

クリスマスの日にイエス生誕の地での挙式。 なんて最高な…  パレスチナ自治区ベツレヘム 生誕教会

クリスマスイブ、 サッカーゲームに興じる地元のチビッ子。 この後日本対パレスチナ戦が始まったよ。

パレスチナ自治区ヨルダン川西岸ラマラの中心部 結構更地が目立ったけれどイスラエル軍侵攻の時に破壊された跡かもしれない。

ヨルダン川西岸ラマラの街にあるアラファトの墓

エルサレム「嘆きの壁」 ユダヤ教徒がかつての神殿の跡で その悲劇に嘆くからその名が 付いてるのだと思っていたが違うのだそうです。

エルサレム旧市街にて 嘆きの壁へと礼拝に向かう正統派ユダヤ教徒。

エルサレム旧市街ダマスカス門付近。

結構見かける 扉が3枚のベンツタクシー、 客室は窮屈そうだった。   ヨルダン川西岸ラマラ

パレスチナ自治区の街ヘブロン の中心部にやってきました。 ヘブロンはねユダヤ、キリスト、イスラムの共通の預言者のイブラヒムの墓がある宗教的聖地。 長年アラブ人が住んできた場所だけど ここを占拠する為に入植してきた一部過激なユダヤ人と元の住民であるパレスチナ人との衝突が絶えない場所でもあるみたい。 この写真はユダヤ人居住区とアラブ人街の境目で 上に位置するユダヤ人居住区からの石やゴミを投げ入れる嫌がらせから下のアラブ人街を保護するために取り付けられたフェンスらしいんですよ。

ユダヤ人入植地との境界のゴーストタウンと化した町がありました。 パレスチナ人の若者たちがポスターを貼りながら歩いておりました。

パレスチナ自治区の街ヘブロンの中心部 長年アラブ人が住んでた場所らしいけどユダヤ人の入植のためこのフェンスの向こうは接収されてしまったみたい。立ち退きにあったんだろうけど保障とかあるのかなぁ? フェンスの向こうにはイスラエル兵が警備していたよ。

ガザ地区への空爆開始から一夜明けた日。 この写真は逆光で見にくいけど写っているのは 召集された予備兵役のイスラエル兵の集団。 彼らは出陣前の礼拝に来ていました。 皆マシンガンを持っていたけどその後 銃口を人に向け引き金を引いた人も 多いのかもしれないね。

死刑判決を受けたキリストが十字架を背負わされ歩いた「悲しみの道」ヴィア・ドロローサを歩いてきたよ。 多くのキリスト教徒が巡礼に訪れていたけど静かな場所だった。 突然、逆方向から十字架を背負った男?が現れ足早に過ぎ去っていったけど…一体、何者???            

アラブ人居住区を警戒警備するイスラエル兵、 おまわりさんじゃなく兵隊。 この街ではごく日常の風景。 常に2人以上で行動していたし、 右手は常にマシンガンのグリップを握っていた、 飾りじゃないんだ。                                 

イスラエル軍によるガザ地区への侵攻が始まり、 すでに千人以上の死者が出ているらしい。 日本と違いテレビでは砕けた遺体の映像なども 流れていたよ。 その現場はココから150㎞ほど、 攻撃に反対するデモを始めた人達。 そのデモだけど仕切りの人がいて キチンと統制が取れてた。 日本などではデモと云うと一部エキサイトし 警官隊と衝突したりするのだろうが、 この人たちはTVなどのメディアが取材する場所を しっかり確保しそのカメラに向かってだけ 冷静に行動してたよ。 確かにTVや新聞がその様子をh広く報道する事で 「デモ」本来の価値や力があるんだよね。 でも身内たちの悲劇に対し怒りを抑えて行動する姿に こっちが辛くなちゃたよ。

知らない人とも挨拶は 「メリークリスマス!」 だけど私はキリスト教徒ではないのだけれど…。 これで、、いいのだ!!

イブラヒムの墓のある建物内部、 写真のこっち側はイスラム教徒側のモスク、 別の半分は「マクペラの洞窟」と云われる聖域でユダヤ教徒の礼拝用のシナゴーグとなった場所。

オリーブ山からの夕景。 いきなりですが、1996年撮影のもの。 今までエルサレムに行った中でも、結局、この夕焼けのエルサレムが一番好きです。 まさに「輝く都」って感じがします。

こちらが2008年の時の写真。 オリーブ山からは、谷を挟んで、黄金ドームのある神殿の丘を手前にエルサレムが一望できます。

オリーブ山の斜面にはユダヤ人墓地が並んでいます。 これは旧約聖書の預言に、救い主がオリーブの山に立ち、聖徒とともに、エルサレムへやってくる…という記述があることから、ここにお墓を作り、待っているというわけです。 キリスト教では、その救い主をイエスと信じていますが、彼らは、今もなお救い主を待ち望んでいるというわけです。

オリーブ山を山頂から下っていくと中腹に主の泣かれた教会があります。 イエスは十字架を背負う直前、このオリーブ山を通って、エルサレムへと入ったわけですが、当時は神殿が建てられていたエルサレムの全景を見て、泣いたとされています。 「もし、お前が、この時に平和の道を知っていたのなら…」

主の泣かれた教会の中からの写真です。 キリスト教が平和をもたらしているのか… 決して、そうはいえないと思います。 日本にいると「平和」が当たり前のように思ってしまいますが、ここに来ると決して当たり前ではないことを思わされます。 イエスの言われた「平和」について、じっくり考えたいものです。

これは1996年の時の写真。 ダビデの塔がまだ修復中です。 オリーブ山とは反対側、黄金ドームのある神殿の丘をはさんで、手前西側が有名な嘆きの壁(西の壁)になります。

神殿の丘に立てられているイスラムのモスク、通称「黄金ドーム」です。 かつては、この場所に、ユダヤ教の神殿が立てられていました。 古くは、アブラハムがイサクを捧げようとしたモリヤの山でもあります。

神殿の丘の西側にあるのが通称「嘆きの壁」です。 下から7段目までがヘロデ王が改修工事をした際の壁で、その上は後の時代に積み重ねられたもの。すべて白色のエルサレムストーンでできていますが、詰まれた年代の違いによって層ができています。地面の下にも実は14段ほど壁が埋まっています。 詰まれた石の重さは、祖国を追われることになったユダヤの歴史の重さのようにも思えます。

ユダヤ人たちが、祖国復興、神殿再建を願い、この場所で祈る姿から「嘆きの壁」と呼ばれるようになりましたが、しかし、のユダヤ人たちは決して嘆いているばかりではありません。 本当は神殿の丘に神殿を建てて礼拝したいのでしょうが、この西側の壁で、神に礼拝を捧げ、時に喜び、感謝の祈りも捧げているわけです。

城壁の隙間から見た「ペテロの鶏鳴教会」 やはり1996年の写真。 このときは友達と二人での旅行だったので、自由に写真が撮れた。。。

こちらが鶏鳴教会。 大祭司カヤパの官邸跡です。 今では、旧市街の城壁の外に位置していますが、当時は南側に広がっており、この場所も城内でした。 イエスが捕らえられ、カヤパの元に来た時、ペテロが3度「彼を知らない」と否定した話から来ています。

カヤパ官邸跡の地下にある牢獄跡です。 ここにイエスも投獄されていたのは、ほぼ間違いないでしょう。

カヤパ官邸跡から旧市街に伸びている階段。 ここからイエスは、十字架刑の判決が下るピラト官邸へと向かっていくことになります。 手前にはポピーの赤い花が咲いていました。

ローマの総督ピラトの官邸跡に建てられた「エッケ・ホモ教会」です。 ピラトは、イエスに死罪にあたるような罪が見出せず、「エッケ・ホモ…この人を、見よ」とユダヤの祭司達に問いかけた場面から来ています。

エッケホモ教会の地下に残る2000年前の石畳です。 ピラトは、ユダヤ人の勢いに負け、ついに十字架刑の判決を下します。 ヴィア・ドロローサ~悲しみの道のはじまりです。

ヴィア・ドロローサには聖墳墓教会まで、伝承を含めた 各出来事の場所とされる14のステーションがあります。 ここは、第三ステーション前。 最初に、十字架の重みで倒れた場所とされています。

第五ステーション。 キレネ人シモンがイエスに替わって十字架を背負わされた(マルコ15:21)場所とされています。

これは同じく第五ステーション前。 1996年の時には、巡礼の旅行者が十字架を背負って歩いていました。

第7ステーション前。 イエスが2度目に倒れたとされる場所。 1996年の写真。 この日は安息日だったせいか、人通りは少なかったですが…

2008年はこんな感じ。 狭い道の両脇に商店が並んでいます。 2000年前の道は、2~3m下らしいですが、街作りや雰囲気は、当時もほぼ同じなんだとか。 時は、過越の祭りの直前。各地からユダヤ人が集まってきていたことを考えると、イエスは、多くの人ごみの中で揉まれる様にして十字架を背負っていったことがわかります。

こちらが聖墳墓教会です。 十字架が建てられたゴルゴダの丘と、主イエスが納められた聖墳墓からなっています。 旧市街の城壁内に位置していますが、キリスト時代には城壁の外となります。

ゴルゴダのあった場所。 第12ステーションになります。 この下の岩には、十字架の立てられた痕跡が多く見つかっています。

聖墳墓教会の入り口にある石の板。 ここにイエスが降ろされたとされています。

聖墳墓、イエスの修められた墓ということになります。 教会の建物の中に、さらに建物がある感じです。 多くの観光客が中に入っていきますが…

「彼はここにはおられません。よみがえられたのです…」 聖墳墓の上のドームも、おそらく復活をイメージしているのではないかと思います。

聖墳墓の内部です。

もう一つのカルバリの丘。 旧市街の外側にあるゴードンのカルバリです。 丘の形状がカルバリ(しゃれこうべ)のようにも見え、この裏にも新品同様の墓が見つかったことから(園の墓)、一時はこちらが本物のカルバリではないかとも言われました。現在では、考古学的に違うことが判明しているそうですが、私はこちらの方が好きです。 写真は1994年のもの。今回は行きませんでしたが、また行ってみたいです。

今回の旅行は、ちょうど過越祭の直前。 ホテルでは種無しのパンが出されていました。 パリパリの乾パンを平たくしたような感じです。 昔、エジプトを脱出する時の非常食です。 パサパサしていて、おいしいとはいえません。 いわゆる最後の晩餐の時も過越の食事ですから、このようなパンだったことになります。 主イエスは渡される夜、パン裂き、弟子たちに言われた… 「これは、あなたがたのために、裂かれるわたしの体です。取って、食べなさい。」 日本語訳では「裂く」になっていますが、実際には「割った」、英語で"broken"になります。

黄色の花をつけているのが、からし種の木です。 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。 「天の御国は、からし種のようなものです。  それを取って、畑に蒔くと、  どんな種よりも小さいのですが、生長すると、  どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、  その枝に巣を作るほどの木になります。」 マタイ 13:31~32

聖アンナ教会とベテスダの池 聖母マリアがここで生まれたとされる。

ここでキリストが、38年間病気に悩んでいる人を 癒したという記述が聖書にあり、 発掘したところ、聖書通り5つの柱廊が現れた。

聖ヤコブ大聖堂 見学できるのは、儀式が行われる 15時~15時半のみ。 アルメニア正教会の大聖堂で 修道士たちはみな スターウォーズに出てくる ジェダイの騎士のような格好をしていた。

聖マルコ教会 福音書の著書、マルコの家だと伝えられて いる場所に建てられた教会。 我々が到着したとき、管理人のシスターが 不在で少々待たされた。 戻ってきたシスターは悪いと思ったのか 我々に英語で詳しくこの教会の言われを 教えてくれた。 しかし何を言ってるのか全くわからない。 しかも、次に行く場所の時間が決まっているので こちらは気が気じゃなかった。 こんな罰あたりな事を考えていたら 教会を出てすぐの階段で滑って転んだ。

シスターからいただいたイコン。 このイコンは福音書の著書 ルカが描いたものだと伝えられている。

いよいよ嘆きの壁へ。 地球の歩き方によると24時間開いているとの 事だったが、我々が行った時は日曜日の 午前8時からじゃないと入れないと言われ 日曜日に行く。 飛行機搭乗するような、 セキュリティチェックがある。

嘆きの壁。 かつてユダヤ教の神殿が建っていたが 破壊され、部分的に残った神殿を囲む外壁。 写真左手が男性。 柵右手が女性の祈りの場。 男性は頭を隠さなくてはいけないので 入口にキッパという紙製の小さな帽子が おいてある。

熱心にお祈りしている人々

嘆きの壁から神殿の丘(イスラム教の聖地) に向かう。 出口は数か所あるが、入口は 嘆きの壁近くにあるモロッコ門のみ。 こちらの門でもセキュリティチェックあり。

神殿の丘到着。 この裏が嘆きの壁。

神殿の丘にある水場 ムスリム(イスラム教徒)は 寺院に入る前に手足を清める。

銃をもった警備が物々しい。

岩のドーム ドームの中心に、予言者ムハンマドが 昇天したと言われる岩がある。 ムスリム以外入場不可

カルドにある列柱

旧市街はこのような土産物屋がずらり。 新市街よりも物価は安い。

マリアの墓の教会 シオン丘から徒歩約20分 暑さの中、ここにたどり着くだけでも 一苦労。 夫婦ともに会話はない。

マリアの墓。 下方に最後の晩餐の絵がある。 その絵、右横の入り口から 内部に入る事ができる。

イコンと呼ばれる敬拝の対象とされるもの。 口づけしていく人が後を絶たない。

万国民の教会 最後の晩餐を終えたイエスと 弟子たちはここにやってきた場所。 ただし、裏切り者のユダだけはおらず イエスの場所を密告しに行っていた。

教会内部

ユダヤ人墓地 かなり広かった

主の泣かれた教会 イエスがエルサレムを眺め その滅亡を予言し涙したといわれる。 窓の後ろからエルサレムの旧市街 (岩のドーム)が見える。

教会内部 色んな国の説明パンフレットが売られていたが 日本語版はなかった。。

オリーブ山から旧市街を眺める。 この付近にはラクダもいて 記念撮影もできる (もちろん有料)

岩のドームのアップ この岩のドームの裏側が 嘆きの壁

主の祈りの教会

各国語の祈りが記されている。

日本語もある (教会祭壇のすぐ右横)

昇天教会 復活したイエスはここから昇天していった。 現在はイスラム教の礼拝所となっている。 我々が行った時、ちょうどイスラムの 礼拝中で門が閉ざされていて入れなかった。 近所の子供達が寄ってきて、 礼拝終わったら開けるように頼んであげると 言われ、その子供たちと一緒に待つ。 アラビア語の特訓等をさせられ楽しかった。 もちろん、バクシーシ(お恵み)を求められた。 まぁ、教会開けてもらったしと思い 少々のコインを渡す。

昇天教会内部にある、 昇天する際にイエスがつけたと いわれる足跡。 どういう風に見るんだろう・・・?

昇天教会内部

毎週金曜日の16時から始まる フランシスコ会の行進。 修道士が十字架を担ぎながら それぞれの留(ステーション)で お祈りしたり、讃美歌を歌いながら イエスが歩いた道をたどる。 留は全部で14ある。

始まりはここ、第1留 学校の校庭。 ここは、イエスが死刑判決を受けた所。

観光客も続々と修道士に続く

第2留 鞭打ちの教会 ここで、イエスは茨の冠をかぶせられ 十字架を背をわされる。 さらにローマ兵によって、 鞭で打たれる。

鞭打ちの教会内部 鞭で打たれる様子が ステンドグラスで表されている。

第3留 イエスが十字架の重みに耐えかね 最初に倒れた場所。

第4留 母マリアが十字架を背負ったイエスを 見たとされる場所。 以前教会の入り口に、その時の様子が 描かれていたが、現在は削り取られている。 目の前には露店が出されており、 危うく通りすぎる所だった・・・

第5留 クレネ人のシモンが イエスに代わり 十字架を背負わされた所。

ヴィア・ドロローサの看板。

第6留 ベロニカ教会。 ベロニカという女性がイエスの顔を ハンカチで拭ったとされる。 このハンカチにイエスの顔が浮かびあがり 現在、イタリアのサン・ピエトロ大聖堂に 非公開で保存されているという。

第7留 イエスが2度目に倒れた場所。 この門の上に、イエスの罪状が 貼り付けられたとされる。

第8留 イエスがエルサレムの娘達に 泣くなと言った場所。 下の方には十字架が刻まれている。

スーク(市場)から細い階段を上がっていく。

第9留 イエスが3度目に倒れた場所。

まずは旧市街を目指す。 旧市街の城壁には8つの門がある。 ホテルからはヤッフォ門が近かった。

こんな感じで 旧市街は城壁に覆われている。

ヤッフォ門。 インフォメーションセンターも近くにあり とても便利。 ここからヴィア・ドロローサの 第1留を目指す。

聖墳墓教会の外観。 教会らしくない建物に驚いた。 教会内部はキリスト教の 多くの会派によって分割管理されている。

教会入口左側にある裂け目。 ここに皆口づけをして入って行っていた。

第10留 教会の左側にある外階段を上がっていくとある。 ガラスで覆われていて 近づくことができなかった。 ここでイエスは衣を脱がされた。

第11留 ここでイエスは十字架に釘づけにされた。 釘を打たれた部分にすがりついている 信者がたくさんいた。

第12留 磔になったイエスの十字架が立てられ 息を引き取った場所。 祭壇になっており、祭壇の下の岩 (十字架が立てられたところ)が 触れるようになっている。

第13留 聖母マリアがイエスの亡骸を 受け取った場所。

ゴルゴダの階段を降りた所にある 大理石板。 イエスの亡骸に香油を塗った場所。 どこかの宗派が儀式を行っていた。

香油板のアップ。 触ったり、口づけをする人がたくさんいた。

大理石板後ろにあったモザイク。 イエスが十字架から降ろされるところ。

香油板に寝かされたイエス

聖骸布に包まれたイエス

第14留 ヴィア・ドロローサの終点 イエスのお墓。 墓石が納められており、触れることができる。 が、アトラクション並みに行列をなして 混んでいる。 疲れ果てた旦那は、並ぶのをためらっていたが ここまで来て、何故並ばないの!? とプチ切れの私。 旦那の体調も考えず、自己中心的な行動 及び、邪推な考えに罰があったたのか カメラが壊れる。 この写真は翌日もまたこの教会に来て撮影したもの。 結局、この聖墳墓教会には3日連続で通い続けた。

イエスの墓の天井部

聖墳墓教会中央にあるドーム

ベングリオン空港。深夜着だったので、ベンチでうたた寝しながら朝を待つ。5時過ぎまで空港内にいたが、ロビーには人がいっぱいだった。空港前でつかまえたシャトルタクシーでエルサレムまで向かった。

予約してあった、こじんまりとしたホテルに道に迷いながら、朝7時半に到着。何故か、その日から朝食を食べさせてくれた。チェックイン時間まで荷物を預かってもらって、まずは旧市街へ歩く。Wi-Fiも使え快適だった。滞在中、このホテルでアルバイトしていた、ロシアから留学中の大学生に話しかけられた。観光のお勧めを色々教えてくれたが、英語なので今ひとつ理解できず。奢ってくれたコーラのお返しに、タバコを一本。

早朝のエルサレムの街並み(1)。 新市街は想像していたより、近代的できれいだった。

早朝のエルサレムの街並み(2)。

ヤッフォ門付近。

映画「パッション」を観て、行けるのなら行ってみたいと思っていたヴィアドロローサ。イエスが十字架を背負って歩いたと言われる路。

聖墳墓教会の中。(1)

聖墳墓教会の中。(2) この中の写真を撮ろうと思ったが、涙を浮かべて床にキスしてる人や、完全に床に伏せた状態で熱心に祈りを捧げている人達がいて、とてもそんな気になれなかった。宗教自体には特に興味はなかったが、その人達の姿に心を打たれた。

牢?

旧市街を歩き回り、岩のドームに向かっているときに間違えてモスク前に出てしまい、武装した兵士に追い返されたりした。早朝は閑散としていた細い道も人で溢れ、そこを道幅いっぱいの大きさのトラクターが通ったりする。小道脇に並ぶ店の中の一軒。

嘆きの壁(1)。 広場入り口のセキュリティチェックを抜けて、壁の手前に置いてある紙の帽子を被り、壁に近づいた。

嘆きの壁(2)。 この後、ユダヤ人の若者が近づいてきて、「どうぞどうぞ」という感じで壁に向かって左側の室内に誘導される。更に、「祈ってやるから。」と言いながら祈り始め、最後に「アーメンと言え」と言われ、言われるままに人生初の「アーメン」。結局、その後の「ドネーション」の一言で納得。しらばっくれようかと思ったが、これも一つの経験だと思い直し1ドル紙幣を渡した。

ベツレヘムを囲う塀(1)。 糞門から出て、ヤッフォ門方向へ歩いている時、タクシードライバーに声を掛けられた。ベツレヘムへ行ってみたいと思っていたので、料金を聞いてみる。NIS200で手を打つ。

ベツレヘムを囲う塀(2)。 アラブ系ドライバーの為、行きは検問なし。塀の前で停めてくれ、写真を撮らせてくれた。

土産物屋で別の車に乗り換え、そこから別のドライバーに代わった。色々話しかけられたが、英語はあまり得意ではないので、適当に相槌を打っていると、「何で英語を話さない。」「アラブ語なら話せるのか。」等と突っ込まれた。教会に着くと、頼んでもないのに別のガイドが。しかも、解説は英語だった。一生懸命説明してくれたが、ほとんど理解できなかった。で、ここがイエスが産まれた場所らしい。

何だろう、これ。よく覚えていない。

同じ教会の中。頼んでなかったので、ガイド料は払わず。

ベツレヘムからの景観。この後、行きに乗り換えた土産物屋に戻り、特に欲しいものはなかったが、記念に5cm位の天使の木彫りを$8購入。ぼったくりだと思ったが、ベツレヘムと書いてあったので。帰りは、検問所でパスポートをチェックされ、女性兵士が同僚に色々言っていたが、特に問題なく通過。途中、ドライバーがバックパックを背負って歩いている二人組に声を掛けたが、運賃が折り合わなかったようだ。あそから徒歩だと、かなり距離があった筈だが…。そのあと最初に拾ったヤッフォ門近くで下ろされ、徒歩でホテルへ。

ホテルを見つけるのに苦労しながら、帰り着いたのは夕方5時過ぎ。フロントで、NIS10のビンビールを買い、一服。シャワーを浴びて、部屋でゴロゴロ。

夜7時頃起きだし、近所の酒屋で缶ビール500ml×2本とミネラルウォーター×2本を買い、NIS40。更に、ホテル隣のケバブ屋で夕食を買って、NIS19。ここでは、メニューがアラビア語だった。

ホテルの部屋。テレビは液晶で、近代的。ただ、冷蔵庫がないのが残念。ビールが冷やせなかった。

翌朝、とにかく死海で浮いてみたくて、エゲットバスセンターまで歩く。エクスペディアで適当に選んだホテルが、バスセンターまで1kmくらいと、結構近かった。スーパーの様な建物のセキュリティチェックを抜けて、銃を提げた兵士で一杯のチケットセンターのインフォメーションへ。死海へ行きたいと告げると、バスナンバーとゲートと時刻を教えてくれるが、早口すぎて11時しか聞き取れなかった。もう一度、別の窓口でメモを片手に聞くと、11時30分・ゲート3・RUN!の一言。既に、出発2分前。ゲートの係員に、デッドシー?と聞くと頷いた。往復、NIS40.8だったと思う。何とか乗り込み、道路脇に海抜-100mとか書いてある荒涼地帯を下り続け、運転手の「カリアビーチ!」の声で、伝えてあった場所に着いた事に気付いた。

何となくな看板と、幟を頼りに、それっぽい方向へ数百m歩いた。途中、廃墟化した、ウォータースライダーがあった。死海らしき風景が広がってきた。

早速、更衣室で海パンに着替え入る。思ったほどの浮遊感はなく、拍子抜け。ヒリヒリするし。売店で、ハイネケンNIS15を買い、一人リゾート気分に浸る。敷地内の土産物屋で、死海の泥成分を使った石鹸・ボディーソープ・泥パックを購入。店員に、どこから誰と来たのか聞かれる。観光客に、アジア人は皆無だったので。売店のおばちゃんに、バスが来る時間を聞いたら、2時と言われ、余裕を持って1時半にバス停に向かう。乗合タクシーが停まり、声を掛けられるが、言われたNIS40は高いし、往復チケット買ってあったので、断る。2時数分前に、それっぽいバスが停まり、歩きかけたが、ツアーバスの様だと思い直し、ベンチに戻る。2時丁度に、そのバスは、行ってしまった。その後、何度も観光バスは通るが、全て停まらず、タクシーに手を上げてみても、無視して行ってしまう。灼熱の中、ミネラルウォーターは無くなり、凄い数の蝿が体の周りを飛び回り、焦り始めた3時半、バスが停まり、運転手に「ジェルサレム?」と聞くと頷いた。チケットを渡し、席を探すが二人掛けに一人ずつ座り、誰も譲る気配なし。仕方なく、立ったままバスは休憩所へ。再度、発車したときに、運転手に座れといわれ、無理やり、近くのユダヤ系の兄ちゃんの席に相席。バス停から相乗りしたであろう蝿がブンブン飛び回っていた。今度、死海に行くなら、絶対大きなビーチ。

ヴィアドロローサのイエスが十字架を背負い、最初に躓いた場所の跡にあった、パンの露天。

ゴマパン?香ばしく、中はフワフワでなかなかだった。ただ、濃い味に慣れた口にには味が薄いかも。

午後の新市街。

夕暮れ時の新市街。工事中の道路。