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ラバウルってどんなところ?

1910年にドイツが建設した町である。第一次世界大戦までドイツの統治下にあったが、1914年9月、オーストラリア軍が占領。その後オーストラリアにより統治される。第二次世界大戦中の1942年には日本軍が占領し、今村均陸軍大将などの指揮によって東南方面への一大拠点が築かれる。陸海軍合わせて9万余の日本軍が配置された。連合軍は、反攻にあたり頑強な抵抗が予想されるラバウルを占領せず包囲するにとどめたため、終戦時まで日本軍が保持することとなった。なお、食料は自活により豊富であった。

ラバウルの地図

ラバウルのブログ旅行記

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ラバウルの写真・旅行記

14年前に、いろいろ縁あって、パプアニューギニアのラバウルに1年以上おりました。 今は、どうなっているのやら・・・ 記憶と写真が無くなる前に、記録として残したいと思います。 少しづつ追加予定です。

ダウイ岬のビーチ

パイロットのボート

パイロット後方

ビーチ

ビーチ

マーケットにならぶ野菜

マーケットにならぶ野菜

マーケット

マシンガン

マーケット

ラバウル到着

ロマン号転覆

意味不明の農作物

崖っぷち

歓迎の子供達 歌を歌ってくれました http://www.youtube.com/watch?v=HfPc3WXEFCI

見晴らし基地からの風景

基地のあった所

掘ったでかい穴

穴に向かって登っています。現地の数人の子供達と親らしき男性に案内してもらいました。

覗き穴からの風景です。この時凄く緊張しました。 なぜなら、『もしかしたらこの子達は日本人を恨んでいて、後ろから突き落とされるんじゃないだろうか・・?』との想いが馳せったからです。

大砲跡

日本軍の痕跡。日本新聞の跡が読み取れます。 ラバウルに駐屯し、遠くはなれた日本の情報を少しでも求め、大事に、そして生き甲斐にしていたんだろうなと想像しました。

日本軍の痕跡2

波打ち際

波打ち際での苦労

波打ち際の洞穴 現地の少年が見晴し台と洞窟を案内してくれました。 でもその後、凄く高いガイド料を請求されました。 お金は船にほとんどおいて来ているので、請求された金額なんてとてもなかったのですが、ポケットに少しだけもっていたのが、少年にばれていて、『彼女のポケットにお金がある。』といつの間にかチェックされていまいた。ちょっと怖かったです。 結局、2人分のバス代程度のチップを払いました。 そしたら相場だったのか、受け取り去って行きました。

夕日と私たちの船、オリビア号

噴火を続ける火山

もやもやしててよくわかりませんが 火山研究所の前の丘かあながめたラバウルの町。 右手前に見えるのも火山だそうです。 街の中心地からすぐの場所に火山があるんですね。

ここは市場です! 市民の台所! あいにくの雨ですが結構たくさんの人がいます。 まぁ雨季だったので雨だからって買い物しなかったら 生きていけないかw

店番中の方々。

にぎわってますねー。 食料品から日用品やアクセサリーや伝統工芸と いろいろありました。

あら。 お店番ですかー? 偉いねー☆ な2人。 はにかみ王子だな!

舗装されていない道路ではしばしばこういう光景が。 この日産車タイヤがはまっちゃって走れません。 地元の人がみんな協力して助け出してました。

村に到着。

おっと! お兄ちゃんズボンおっこちそうだぞ!!!

この子はナイナイ岡村か?w おてんば君♪

私達のような外国人が珍しいのでしょうか? すっごくはしゃいで歓迎してくれた子達。

こちらがランチで出てきたタロイモ。 太平洋の島々では主食なんですよねー。 私はやっぱ米か小麦がいいかなーw

「村を案内してあげるよ!」 と言ってくれた子。 コミュニケーションは一切取れず名前すらわからなかったw

あまりよく見えないですが、みんなこういうところで 暮らしているらしいです。

うーん、シャイボーイだなぁw

ん? このポーズはやってるのかな?

こちらが村一番の長老さん。 なんだか一生懸命村のこととか 自分のことを話してくれました。

かーわーいー☆ おかあさんが抱っこさせてくれました。

見送りに着てくれた子たち。 短い時間だったけど、楽しい滞在でした☆

船を下りてすぐのゲート。

温泉と言っても まぁ海なんで、水着で入ります。 更衣室(?)・・・屋根だけあります(笑) 地元の子供が様子を見にきました。

白塗りの男性と黒塗りの男性。 何十本もの木のムチみたいな物で身体を本気で打ちます。 これで男の強さを証明するものらしいのですが、バチーン、バチーンと凄い音! 正直、見てる方が恐怖・・・。

煙をあげているのがダブルブル火山。 火山の近くの海は地熱で温泉になっています。 ちょうど良い湯加減の場所を探してのんびり・・・。 海だし、せっかくなのでちょっと泳いでみる。 場所によって熱いところと冷たいところがあって何だか不思議な感じ! 時々、火山のゴーゴーという音にビビッたりして(笑)

シンシンショー。 「シンシン」というのはダンスの事らしいです。

夜中の出港を見送りに来てくれた地元の人たち。 テープが切れてもずっと手を振っていてくれました。 最後の寄港地だった事もあって、けっこう皆、泣いてました。 見送りありがとう!

マーケットです。

ココポとラバウルの間にあるトンネルの中にある大戦当時の戦艦です。 ハイウエー沿いなのでわかりやすいです。

ラバウル温泉の近くに落ちている飛行機です。

ココポからボートで30分くらいの無人島です。 ビックルースター下の海岸に行くとボートがいっぱい泊まっているので交渉してみてください。 相場は20K~30K(800円~1200円)くらいでしょうか?

最初にやってきたのは、バージトンネル 旧日本軍の大型発動機艇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%99%BA を、連合軍の空爆から守るために掘られたトンネル。

中は真っ暗で正直怖い! なんと延々と5隻も並んでいる。 ラバウルにはたくさん、至る所にトンネルがあって 全部を合わせるとなんと600㌔にもなるらしい。

この人たちがこのトンネルを見張っている!? 管理している!?

トンネルを後にして、 車で走っていたらあっという間に真っ白に。 これ、火山灰。 って私たちは車の中にいるからいいけど、 後ろの荷台に一人乗ってるお兄ちゃん大丈夫か?? 後ろを見るとスカーフ見たいので 顔覆ってるけど・・・

火山とラバウルの町が一望できる。 でも、まだ火山には遠い。

とってもさわやかなお天気。

そう、ここは地震観測所なのです。 その看板岩を入れて。

次にやってきたのは、とある桟橋。

今、私が立っている桟橋、 実は元は船でした。 といっても、どうやって写真を撮ったら よいのやら・・・

桟橋にいた人たち。

さっきっから、何かすごく嫌なにおいが・・・

これ、桟橋の端っこが 船の先頭になっている。 この桟橋は小牧丸桟橋という。 小牧丸は、昭和17年ラバウルにて爆撃を受け 大破した輸送船だった。

これは、カカオの実 昨日食べたあのまず~い実が これから違う国へ運ばれて、 おいしいチョコに変身するのねぇ! さっきからするいや~なにおいは、 隣でこういう大きな袋に入れられた 椰子のオイルにする原料らしい。

また車を走らせ、 ついに火山の側までやってきた!

すごい! 写真ではとても伝わらないけど ゴォオオオ!! っていう音が聞こえていて、 火山が生きている!ということを 思い知らされる。

1994年に火山が噴火し、ラバウルは多大な 被害を受けた。 今でも辺りを火山灰が覆い尽くしている。

ここも元は空港だった場所だ。

遠くに湯気が見える。 温泉だぁ! 小屋もあって管理している人もいるのかしら。 こんなところで商売するなんて!

火山からまた車を走らせ、 南太平洋戦没者慰霊碑へ。 眺めの良い、静かなところだ。

私が生まれるよりずっと前に、 おじいちゃんがここへ来て、戦争をしていたなんて。 戦争を知らない私にとって、とても想像できない。 この日本から遠く離れた異国の地に おじいちゃんがいたんだ。 なんだかとても不思議な気持ち。 おじいちゃんは、ニューギニアから無事に 帰ってきた。 それから遺骨収集のために何度かこちらを 訪れていた。 そして、2年前に亡くなった。

大きく穴が開いている場所がラバウルを示している。 お線香をあげてしばし黙祷。

次にやってきたのは、山本バンカー 海軍の指令本部として使われたと言われる場所。 小さな入り口から狭い階段を下りていくと コンクリートのトンネルでいくつかの部屋みたいに なっていた。 壁には地図らしきものも書かれていた。

これが実際に使われていたなんて、 本当に信じられない。

昼食を取る為にやってきたラバウルホテル。 中華料理のレストランだったけど、 なぜか、トマトソースのパスタを食べた。 オーストラリア人の観光客がたくさんいた。

ホテルの側にいた子供たち。

ガイドさんにスーパーに行きたい! と行ったら連れて行ってくれた。 でも・・・

やっぱりちょっと視線が痛いかも。 品揃えは思ったより豊富。 お酒のところは鉄格子で別になっていた。 買うのには結構勇気が必要。 値段は思ったよりだいぶ高い! お菓子とか日本と同じかそれ以上かも。 スーパーではお水とお菓子を買って、 ホテルへ帰る。 水1.5㍑4.8キナ。約216円

最初は、男の子と女の子がよく分からなかったけど やっぱり女の子は、女の子らしいことが 分かってきた。

まずは、ガソリンスタンドへ。 60㍑160キナ ってことは1㍑約120円。 えぇぇぇ~、日本も今すごく高いけど こっちで考えたらめちゃめちゃ高い!!!

またちょっとお昼寝してから ホテルのレストランへ。 今日は、シーフードやきそば! って麺がほとんどない・・・ でもえびが大量でおいしかった。

そして、チャーハン これもなかなかおいしかった。 これなら全然食事も飽きないなぁ でもこのホテルでは最後の夕食。

この火山を見るのもこれで最後。

飛行機まで時間がちょっとあるので、 ちょっと散歩でもしてみることにした。 地図とか何もないから近くだけ。

PMVと呼ばれるバス。 こちらではどこの都市でも頻繁に見かけた。 時刻表とかはなくて、満員になったら出発する。 向こうの人はのんびりだから いつ来るか分からないバスでもいつまでも 待つらしい。 観光客は絶対乗ってはいけないと言われた。 実は、最後に行く都市、ゴロカでこのバスの とんでもない大惨事に 巻き込まれることになるとは… やっぱり周りを歩いても何もなく、 しかもちょっと怖かったので、 もうホテルに戻ることにした。

国内線にてラバウルからマダンへ向かう。

憎き、エアリンク。 この航空会社が私が出発する10日前に 突然、廃業したせいで、 私の予定はすっかり狂ってしまった・・・ しかし、後から聞いた話 もともとこの会社は飛行停止処分を食らっていて やっと業務再開って時に、もう一度飛行許可を もらうためのお金が出せなかったそう。 そしてそのまま廃業した。 飛行停止処分を食らうような危険な飛行機には 乗らなくて良かったかな… そして、何よりも困っているのは 現地の人だそうだ。 ニューギニアは道路の整備もままならないので 飛行機が一番の交通手段となる。 急病になって病院に行くにも飛行機だったりする。 このエアリンクがなくなったせいで、 急な移動が困難になり、病気が手遅れになって 亡くなる人も少なくないと聞いた。 そんなに重要な路線がたくさんあるなら、 国がなんとかできればいいのに。 なかなか資金面で難しいのか…

またまたゲートから飛行機まで 結構歩く。

このロゴ好き!

あー海がきれい! ビーチでも遊びたかったなぁ~ 次のマダンでは海に入りたい! けど、予定は未定。

ちょこっとだけ虹が見えた! なんとな~く、天国のおじいちゃんが見せてくれたような気がした。 ~つづく~

成田では、18時35分からチェックイン開始だった。 今回の旅では、偶然にもトラベラーのいとっちさん と一緒のフライトであることが分かっていたので ぴったりの時間に行ったらお会いできるかな。と 思い、カウンターへ行ったら ものすごい行列にびっくり! ニューギニアに行く人ってこんなにいるの?? これではいとっちさんを見つけられないかもしれない。 並んでいる人たちの荷物を見る限り、 ダイビングの人が圧倒的に多いようだ。 列が進み始めて、何やら前のほうでフラッシュが ぴかっと光った。 もしや!! うふふ!やっぱり!いとっちさん発見!! さすが、細かいところまで撮影している ベテラントラベラーさんだ! この写真は成田から一気にニューギニアの首都 ポートモレスビーの空港。

成田を21時過ぎに飛び立って、 ポートモレスビーに着くのは早朝というか、 夜中の4時過ぎ。 眠い・・・ そう、この飛行機に乗っている人みんなが ニューギニアへ行くわけではなかった。 私の後ろの人も、隣の人もオーストラリアに 行くと言っていた。 週一便でもこれでは、やっぱりニューギニアに 行く人は少ないんだなぁ。 ポートモレスビーの空港から車で2分くらいの ゲートウェイホテルで早すぎる朝食を食べた。 それでまた空港に戻ってきた。 この壁はポートモレスビーの国内線の ところ。

私は、まずこのポートモレスビーから ラバウルへ向かう。

どうやらプロペラ機ではないらしい。 ちょっと安心。 8時ちょうどラバウルへ出発!

途中に停まったホスキンスで一緒に乗っていた 日本人はみんな降りてしまった… 後で聞いた話、どうやらここはダイビングで メジャーな所だそうな。 やっぱラバウルに行く人って マニアックなんだろうか? ここはラバウルに降り、 スーツケースが出てくるところ。 ここにも鮮やかな絵が描かれていた。

時間は10時30分ごろ。 ホテルのバスで宿泊先へ向かう。

おお! 誰もいないと思っていた日本人が私たちを含め 6人いた。

ホテルに到着。 まだ11時前だけど、昼食。

そう、ご一緒した日本人の6人の方とは。 私たち夫婦。 私たちと同じくらいの世代のご夫婦Sさん。 こちらは、旦那様が数年前海外青年協力隊として 2年間このラバウルに住んでいたそう。 現地のピジン語がペラペラ!さすが。 もう一人の女性はやはり海外青年協力隊でこちらに 来られている方の彼女(多分) この女性とは空港からホテルの間でお別れした。 もう一人、中年男性Mさん。 最初はちょっと恐かったけど、実はとっても 気さくな男性で、今回の旅でとってもお世話になりました。英語がペラペラ! この写真はホテルのレストランからの眺め。

昼食と言われたけど、 飲み物しかなくて、食事が出てくる気配が 全くないので、ちょっと回りをお散歩。 この遠くに見える火山は年中このように、 噴火し続けているらしい。 このせいで、本当はここのビーチもキレイなはずなのに 下が真っ黒。

結局、メニューが出てくるまで30分。 注文から食事が出るまで1時間。 私が注文したのは ステーキハンバーガーwithサラダ 旦那が注文したのは ハンバーガー でも、二つの見た目は一緒! 聞いてみても、これはステーキバーガーだって 言われた。 サラダはどこ~ そして、Sさんもハンバーガーを頼んでいた。 やってきたのは、これまた中の具が違う。 そしてちゃんとポテト用のケチャップがついてる。 とってもアバウト。 これもお国柄w

はぁ。 初めての食事がこれではこの先が 思いやられる。 きっと日本食が恋しくなるだろうな。 でも、こののんびりした感じ。 日本では決して味わえない一番の贅沢かも。

このあとココポの町を観光する予定だけど、 時間とかぜんぜん分からない。 何時からですか? って聞いたら、逆に 何時がいいですか?と聞き返された。 じゃあ、そろそろ。 ってことでSさんご夫婦、Mさんと別れて 私たち夫婦は観光へ出発。

ココポ博物館。 ここラバウルは、 60年ほど前日本軍の基地があった。 ここではその当時の戦車や武器、 がそのままたくさん、残っていた。

無造作に並んでいる爆弾。

戦闘機のエンジンがごろごろと転がっている。

ゼロ戦。 ここに何人の人が乗ったのだろう。 思ったより小さいと感じた。 でも、これが60年も前に実際に 使われていたなんて。

たくさんのヘルメットが直に置かれている。 痛々しい気持ちになる。

室内の展示では、アメリカの物が多かった。 中でも、私の印象に残ったのは、 日本の古ぼけた小さな水筒と アメリカのカラフルなコカコーラのビン。 なんだかこの二つの対照的なものが、 勝敗を物語っている気がした。 私にとって一番インパクトがあったのに 写真を撮るのを忘れている。 それだけ、なんかショックだった。

場違いな気がするけれど、 博物館の隅っこにワニが大きな口を開け 獲物を狙っていた。 いや、日光浴かなw ニセモノかと思ったけど、 本物です! コワイ!

博物館を後にして、それからいろいろ回ったけど 期待していた教会も今は壊されて工事中。残念。 次にやってきたのはココポの村。 かわいい子供たちが出迎えてくれた。

私たちの為に、彼が今から木に登って 椰子の実を採って来てくれるんだって~ ワクワク!

どんどん上っていく。 結構高いよな~この木。

上まで到着。 ちゃんとこっち向いてピースしてくれた!

なにやらみんなが騒ぎ出した。 最初は楽しくてはしゃいでるのかと思ったけど。 どうやら、違うみたい。 何だ?何だ??

椰子の木からヘビが落っこちてくるなんて。 あーイヤだ。 一段楽して、やっと椰子の実が到着。

尖がった竹を地面に突き刺して、 さらにそこに椰子の実を叩きつけ皮をむく。

椰子のジュースはとってもさっぱりしていて スポーツドリンクがちょっと薄味になった感じ。

何あれ??? 椰子を採ってくれたんじゃないの??

うげぇ~ ヘビだぁーーーーー みんなと一緒に私も逃げた。 でも写真だけはと思って 遠くからズームでパチリ こっちの人もヘビは恐いんだなぁw この彼もすごい顔している。 いいショット!

ジャーン。 この実は何の実でしょう??

食べろと言われたので、恐る恐る・・・ ネバネバしていてちょっとドリアンみたい (ニオイはしません) 中の種がメチャメチャ苦い!! はっきり言って、まずい~!! この実はチョコレートの元となるカカオでした。 どう考えても、これがチョコになるとは 思えない!

この子モテそうw

こっちの人たちはみんな大家族。 そしてとっても仲がいい!

写真撮ろうヨ!っていうと 喜んで集まってくれるのに、 いざシャッターを押そうとすると、 恥ずかしがってみんな目を背けちゃう。 それがまたカワイイんだな。

やっとちゃんとした写真が撮れた。

左の子が手に持っているのはパチンコ。 これで、鳥を捕るんだって! ちゃんとやって見せてくれました。 すごい原始的だけど、実用的なのねぇ。

ホテルに帰ってちょっとお昼寝して、 レストランへ。 夜はマラリアの蚊が出るかもしれないから 長袖長ズボン。 暑いかと思ったけど、実は涼しくて、 これくらいで丁度よかった。 食べるとこはココしかないから、 またMさん、Sさんご夫婦とご一緒。 途中からは海外青年協力隊の方大勢がSさんの 元へやって来た。 昼はあんなだったから、 夜ご飯はすごく心配だった。 またハンバーガーとかしかないメニューが 来たらどうしようと。 そしたら、夜のメニューは種類がすごくたくさん あってビックリした。 私はチキンカレーを頼んだ。(左22キナ1000円くらい) 右はえびカレー。28キナ(1300円くらい) ホテルにしては安い!? こっちにしては高い。 そして、待つこと1時間以上。 やっと出てきたのが、これ。 えぇ~、これカレーかぁ?? 恐る恐る食べてみたら とてもカレーとは言えないけど、 実はすごくおいしかった。 カレー風味のチキンと大量のピーマン・・・ そして何よりも白いご飯が食べれたことは 私にとって大きい! 思ったよりパサパサしてなくておいしかったし。

初日の夜だったし、蚊は本当に心配で スプレーを何度も掛けて、 腕にはベープも付けていたけど、 蚊は見なかった。 しかし、 写真では分かりにくいかもしれませんが、 とっても小さなハエ??虫が無数に寄ってくる。 最初は不快だったけど、 だんだん慣れてきて、潰すのが楽しくなって来た(爆) 仕舞には、白のテーブルクロスは 黒の水玉模様となりました。 水はニュージーランド産だった。 今思うと、この虫がたくさんいたのは ラバウルだけだったなぁ。 夜も出歩けないし、することがないので、 すごく早く寝た。 明日もラバウル。 ~つづく~

Vulcanology Observatory ラバウルの火山観測所からの眺め。 ラバウルが一望できる。

アスファルトに降り積もった火山灰。 車が通ると舞い上がって濃霧のように 周りが見えなくなる。

お昼の食事と休憩をとった、 名前が思い出せない、リゾート。 場所はPila Pilaという場所だったと思う。

ロンプラには海水浴出来ると書いてあったが、 とても静かでのんびりとしたビーチだった。

地元の子供達も桟橋で遊んでいる。

Pila Pilaからラバウルに戻り、火山スポットに行く。 Hamamas Hotelの前の道を旧ラバウル空港の方へ走ると、周りの風景が、火山灰で埋もれた道に姿をかえる。

手前が1994年に噴火したMt.Tuvurvur。 奥が、Mt.Turangunan。 周りは火山灰が積もって出来た大地だった。

この小屋に住んでいるおじいさんは、日本軍がラバウルにいた頃もこの近くに住んでいたようで、 「もしもし亀よ亀さんよ♪」と聞き覚えのある日本の歌を歌っていました。 火山の近くなので温泉があり、日本軍が居た頃は 日本兵達はお湯に浸かっていたとも、 そのおじいさんから聞きました。

緑がなく、灰色の風景が周りを囲んでいます。

水際まで行くと、温泉が湧いています。 熱いので触ると危険。

Malmaluan Lookoutからの景色。 TuvurvurとTurangunanの山々がよく見える。

宿泊先のHamamas Hotelの前にある巨木。 枯れてしまったのでしょう。

ホテルの玄関

ホテルの中庭のオブジェ。 写真には写ってませんが、 恐らく日本軍の地下基地(バンカー)の入り口も あります。中には入れませんが。

ホテルのフロントです。

木彫りの置物。

PORT MORESBYからフォッカー機に乗り込み一路RABAULへ。

途中、HOSKINSを経由し、再びRABAULへ向けて飛び立つ。PAPUA NEW GUINEAの地方空港はとても小さい。

PAPUA NEW GUINEAのニューブリテン島の最東端、ガゼル半島の町RABAULが見えてきた。シンプソン湾を囲むように半島が出来ているこの地形は、大戦中の日本軍の拠点としてとても重要でした。

RABAULから少し離れたTOKUAにある、NEW RABAUL AIRPORT。1994年にRABAULの火山が噴火してから、RABAULの町と空港も隣のKOKOPOに移り、町の中心となっている。

RABAUL滞在にお世話になったHAMAMAS HOTEL RABAULの中心から少し離れている静かな所にある。

ホテルの脇の道路。 火山灰が毎日のように降り辺り一面灰色になっている。車が通ると灰が舞い上がり、凄い事になる。

戦跡めぐりのはじまり。 空港の先にあるKOKOPOという町に向けて、RABAULから車を走らすと、道の脇にトンネルが無数に見られる場所がある。トンネルの用途は、敵から船や戦車などを隠すために使われていた。

先ほどのトンネルの向かいは、深い海がある。 昔は船などもこのトンネルにしまっていたのだろう。

BITAPAKA ALLIED WAR CEMETRY ビタパカ戦争墓地 連合国軍の兵士達の墓地 主にオーストラリア人の兵士が眠っている。

KOKOPO WAR MUSEUM AND RALUM CLUB ココポ戦争博物館 ここには日本軍が持ち込んだ戦車、戦闘機、魚雷、ジープなどが展示されている。

このプレート、よーく見ると 零式艦上戦闘機 って書いてある。 ゼロ戦です。

JAPANESE BARGE TUNNELS 大発洞窟 旧日本軍の大型発動機艇(通称大発)が眠るトンネル。海からはレールか何かを敷いて船を引き上げて、このトンネルに運び入れたようです。 ひとつのトンネルに5隻の船が入っていたようですが、現在は地震でトンネルが崩れてしまい、奥までいけませんでした。暗いながらも、3隻は肉眼でも見れました。

TUNNEL HILL トンネルヒル 旧日本軍が掘ったトンネルは無数にあり、連合軍の空爆から逃れるために、兵士達はこれらのトンネルの中での生活を強いられていました。

YAMAMOTO\'S BUNKER ヤマモトバンカー 海軍司令部の地下壕の入り口。 中には、火山灰や雨水が入り込んでしまっているため、入ることが出来なかった。

JAPANESE PEACE MEMORIAL 平和記念碑 1980年に作られた南太平洋で犠牲になられた兵士達のために建立された記念碑。RABAULの町のはずれの丘の上にある。

OLD RABAUL AIRPORT 旧ラバウル空港跡 写真中央に木の生えていない緑の部分があるが、そこが滑走路になっていた。1994年の噴火前まで空港として使用されていました。