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ルーマニアってどんな国?

ルーマニアは、東ヨーロッパの国家 国。セルビア、ハンガリー、ウクライナ、モルドバ、ブルガリアと国境を接し、黒海に面している。首都はブカレスト。国旗は公式の縦横比も含めてチャドの国旗と酷似しているが、ル-マニアの国旗のほうが、青色が若干薄い。1989年の民主化までは国旗の中央に共産党政権時代の国章があしらわれており、両国の国旗は容易に区別できた。

ルーマニアの地図

ルーマニアの写真・旅行記

2018年の夏休みは、ほぼ初めての海外1人旅。東欧で行っていなかったルーマニア、ブルガリアとモルドバに行ってみました。 5日目。朝、ブラショフから鉄道で移動し、ブカレストに到着。40℃近い気温の中、国民の館を見学し、旧市街の古い建物を見てまわりました。  8/17 羽田→ドーハ→ブカレスト→キシナウ  8/18 キシナウ→ティラスポリ→キシナウ→  8/19 →ブカレスト→ブラショフ  8/20 ブラショフ→シナイア→ブラショフ ★8/21 ブラショフ→ブカレスト→サニービーチ  8/22 サニービーチ→ネセバル→ブルガス→カザンラク→ソフィア  8/23 ソフィア→リラ→ソフィア  8/24 ソフィア→  8/25 →ドーハ→羽田

朝10時過ぎ、ブカレスト北駅に到着。 この日は夕方までブカレストを観光して、バスでブルガリアへ向かう予定。 北駅にコインロッカーがあるようですが、ここまで戻ってくるのが面倒だったので、バックパックを背負ったまま街に出ました。

地下鉄を乗り継いで、統一広場へ。

統一広場に到着。 そこそこ離れているけど、国民の館がはっきり見えます。かなり大きそう。

統一大通りを10分程歩いて、だいぶ近くまで来ました。 ちょうど建物全体を写すことができました。公共の建物では、ペンタゴンに続いて世界で2番目に大きな建物なので、かなり大きい!

さらに10分程歩いて、建物横にある入口へ。 建物が大きいので横に回るのにも時間がかかる・・・。

ツアーの時間になるまで待合所で休憩。

内部の見学はツアーでしか見れないので、スタンダードツアーのチケットを購入。 11:30の英語ツアーを申し込みました。1人40RON。 ツアーは事前予約していないとダメだという情報をネットで見ていたので不安でしたが、事前予約なしでも参加することが出来ました。

入ってすぐの回廊にかけてあるタペストリー。かなり豪華。

時間になったので入場。パスポートチェックと、荷物のX線検査を受け、ようやく中へ。かなり厳重です。ビジター用のパスを首にかけ、ようやく内部へ。 事前の情報では写真撮影は別料金のようでしたが、今は入場料自体が値上がりしたせいなのか、写真は自由に取ることが出来ました。

最初の部屋は国会の議場として今も使われているようです。

回廊自体もとても長い! 横には民族衣装が展示されていました。

どの部屋も大きくて、シャンデリアが付いています。

こちらの部屋は壁の装飾がきれいでした。

天井もかなり高い。 下に写ってる人と比べると、どれだけ大きな建物なのかがよく分かります。

この部屋も豪華。

国際会議場のような部屋。 後ろには通訳ブースがありました。

中庭もあります。

大理石で作られた階段。細かい装飾がされています。

こちらのホールには小さなシャンデリアがたくさんついていました。

一番大きなホール(Union Hall)。

写真に上手く収まりきらないくらいの大きさでした。

Alexandru Ioan Cuza Hall。 ここにはシャンデリアがついていませんでした。

テラスに出ました。 正面に統一大通りが一望できます。 いい眺め。 ここでガイドツアー終了。1時間程度でしたが、どの部屋も広くて豪華で、当時の国民が苦しんでいる中、どれだけ贅をつくしたのかがよく分かりました。

チャウシェスクが1500億円を投じて作らせただけあって、近くで見るとかなり大きい。

地下鉄の1日券を購入。8レイでした。

国民の館を出た後、Izvor駅から地下鉄を乗り継いで、Aviatorilorで下車。 歩いて凱旋門を見に行きました。 先日見たキシナウの凱旋門とは比べ物にならないくらい大きい。 凱旋門のあたり、日陰があまりなくて、暑さがかなりきつい・・・。

再び地下鉄に乗って、Universitate(大学広場)で下車。旧市街方面へ向かいます。 国立劇場前にはおおきなモニュメントがありました。

大学広場。 像がたくさん建っていました。

旧市街に入りました。 大きな建物はルーマニア国立銀行。こっちは裏側です。

国立銀行の下には中世の市場の跡が残されています。

こちらが国立銀行の正面。

ヴィクトリエイ通り沿いにあるズラタリ教会(Biserica Zlătari)。

小さな教会ですが、きれいな祭壇がありました。

このきれいな形の建物はCEC Palace。 今は銀行のようです。

こちらの大きな建物はルーマニア国立歴史博物館。

聖ディミトル教会(Saint Demetrius Church)。

壁のフレスコ画が素晴らしいです。

スタヴロポレオス修道院。

内部は壁面全てがイコンで覆われています。

こちらの建物は政府関係の建物。

聖ニコラエ教会。

路地の奥のほうにあったのは、聖イリエ教会(Saint Elias Church)。

ブラティアヌ大通りのほう出ました。 ブラショフでも見た豚のお乳を飲む子供の像。どういう意味があるのかとても気になる。

通りの向かいにあった教会(Bucharest Bără?ia)。

クルテア・ヴェケ教会。 ここはブカレスト最古の教会で、1559年に作られたようです。

内部は荘厳な感じ。

隣にあるのは旧王宮跡。 今は工事中でフェンスに覆われていたので、その隙間から撮影。

お腹が空いたので、昼食を食べようと旧市街の調べていたお店を見て周ったのですが、手持ちのルーマニアレイが足りず、もう少しで出国するのでいまから両替するのも微妙なので諦めて、大きなショッピングセンター(Unirea Shopping Center)のほうへ行ってみました。

それで注文したのがこちら。 ビッグマックのセットに、クーポンで無料になったチーズバーガーとソフトクリーム。代金も無事に手持ち内で納まり、大満足。 この後、長時間バスに乗るのでチーズバーガーはテイクアウト。

ショッピングセンターの前でマクドナルドのクーポンをもらったので、行ってみました。 全部ルーマニア語で書かれていたのでよく分からなかったけど、写真や数字のイメージで何とか使えました。

バスの時間が近づいてきたので、乗車場所のHoroscop Hotelの前にやって来ました。

定刻より少し早くに出発。 16:30時点で気温がまだ36℃もある・・・。 街歩きしてるとき、かなり辛かったので40℃近くあったのかも。

出発10分前くらいにバスが到着。 日本からネットで予約していたPegasusというバス会社のバスで、ブカレストからブルガリアのルセ、ヴァルナを経由して、黒海沿いのサニービーチまで行きます。 始発がアンリ・コアンダ空港なので、既に数名乗車していました。

出発してから1時間半ほどで国境に到着。 これからブルガリアに入国して、終点のサニービーチまで4時間半乗車します。

バスの車内。シートの幅が少し狭いですが、きれいでトイレも付いていて快適でした。

4日目。この日はブラショフからシギショアラまで日帰り観光をしようと思っていたのですが、鉄道のチケットが取れず、バスもよく分からなかったので諦めて、午前中はブラショフの旧市街を観光した後、午後からシナイアに行くことにしました。 13:10発の列車でシナイアへ。

10分程歩いて、シナイア僧院に到着。 この頃にはだいぶ雨が弱くなりました。

入ってすぐの所にある新しい方の僧院。

壁面の絵がきれい。

こちらは古いほうの教会。

入口の上にあるフレスコ画がきれいでした。

シナイア僧院を出て、ペレシュ城の方へ。 坂道がずっと続いています。

20分ほど坂道を登ったり降りたりして、ようやくペレシュ城に到着。

とても美しい外観。晴れてたらもっときれいだったのに。

この日は月曜で、休館日だったのでお城の中には入れませんでしたが、中庭までは入ることが出来ました。

壁面に描かれていた絵。

中にも入ってみたかったな。

城内は見れなかったけど、中庭だけでも見ごたえがありました。 この後、また雨が強くなってきたので、屋根のある場所でしばらく雨宿り。

窓ガラスの装飾も細かくて美しい。

雨が弱くなったので再びお城の外観を見て周ります。

このお城を建てたカロル1世の像。

どの角度から見ても美しいので見ていて飽きません。 ブラン城よりも断然見ごたえがありました。

次は、歩いて5分程のところにあるペリショル城へ。 こちらもカロル1世が建てたお城。 ペレシュ城よりも落ち着いた感じの外観でした。 こちらも休館日のため中には入れませんでした。

ホテルの横にあった門も古くて立派。

お城の辺りは別荘地だったせいか、今でも豪華そうなホテルがたくさんありました。

途中にあった駐車場の横では民族衣装が売られていました。 雨でぬれなかったのかな。

ペレシュ城を見終えたので、駅の方へ戻ります。 お城は山の中なので、帰りはほぼ下り坂でした。

坂の途中にあったかわいらしい家。

列車の時間まで少し時間があったので、ショッピングセンターに入ってみました。 建物の割にあまりお店が入っていなくて閑散としてました。

観光地でよく見かける機関車形のバス。 1度くらい乗ってみたいな。

シナイアに到着する少し前から雨が降り出してきて、列車を降りた頃には大雨。 止みそうにないので、意を決してウインドブレーカーを着て、観光に出かけます。

列車はかなり混んでいて、ずっと立ちっぱなしでした。 1時間ほどでシナイアに到着。

駅に戻って来ました。 雨で体が冷えていたので、コーヒーの自販機で温かいコーヒーを購入。 体が温まりました。

車窓からみえた十字架。 帰りは1時間ちょっとかかってブラショフに到着。 鉄道のチケットが取れなくて急遽シナイアに行ったけど、その割には満喫できました。

ホームには犬が2匹いました。 列車がホームに入ってくると、そのうちの1匹が列車と併走し始めました。

列車は2階建て車両で、1階は3列でシートが広め、2階は4列シートでした。 空いていた2階のシートに座りました。

モルドバのキシナウからの寝台列車でルーマニアのブカレスト北駅に到着。

ATMでルーマニアのお金を入手し、窓口でブラショフ行きの切符を購入しようとしたのですが、立席券しかないと言われ、仕方なく購入。

朝7時発の列車に乗ります。

車内に入ると、席がかなり空いている車両があったので、とりあえず座ってみました。検札でも特に何も言われず、人も来なかったので、結局ブラショフまでの3時間ずっと座っていられました。

9:40にブラショフ到着。 駅の壁がルーマニアの国旗カラー。 歩いて宿泊するホテルまで行き、チェックインまでフロントで荷物を預かってもらいました。

ホテルに戻って来ました。 宿泊したのは「CASA SAMURAI」。オーナーさんが日本人の宿です。 ちょうどホテルの前でオーナーさんにお会いしました。分からないことがあれば聞いてくださいとのことだったので、夜にシギショアラの行き方などを教えていただきました。

ホテルでブラン城行きのバスが出るターミナル(アウトガラ・ドイ)までの行き方(16番のバスに乗る)を聞いたのですが、バスの待ち時間が30分近くあったので、歩いていくことに。地図アプリを見ながら20分ちょっとで到着。 11時発のバスに乗車。ここで知り合ったを世界一周中のかたと一緒にブラン城を見ることにしました。世界一周のルートなんかを聞きながら移動。

1時間弱でブラン城に到着。 ここはドラキュラのモデルとなったお城だけど、モデルとなったヴラド・ツェペシュは住んでいなかったようす。

チケット売り場には長蛇の列。30分ほど待ってようやく入場。 チケットはネットでも購入可能なようで、その場合は並ばずにすんなり入れるようですが、現地で購入するよりもちょっと割高でした。 チケット売り場の手前にはおばけ屋敷のようなもの(写真)もありました。

坂道を登ってブラン城へ。

チケット売り場から2,3分ほど登り、お城の下に到着。

お城に入りました。建物に囲まれて中庭があります。

室内。

ナイフの展示。

ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュの肖像画も展示されていました。

マント。

別の部屋。そこまで豪華な感じではなかったです。

ドラキュラっぽいマントもありました。

こんなに小さい大砲、威力あるのかな?

拷問用?のトゲのついた椅子もありました。

30分弱で内部を見終えました。 展示している物もそれほど多くなく、見ごたえはあんまりないかな…。

最後にお城全体の写真。

池のそばではウェディングフォトの撮影が行われていました。 海外のお城や宮殿に行くとかなりの頻度で見る気がします。海外のお城、画になるのでいいな。

バスでブラショフ市内に戻ってきました。ここで世界一周中の方とお別れし、一人で別のバスターミナル(Autogara Vest)へ。かなり小さなバスターミナルです。 バスターミナルの目印は横にある教会(Biserica Stantul Bartolomeu)。

最初、写真の時刻表を見つけられず、バスターミナルのおじさんにバスの時間を聞いたのですが、ルーマニア語しか話せないようで理解できず、時計の文字盤を指さしで教えてもらいました。 この日は日曜だったので、下の方の時刻のようです。1時間に2本くらいはあるようです。 15:10発のバスに乗りました。

30分ちょっとでプレジュメルに到着。 バス停には紋章が描かれていました。

バス停は要塞教会の目の前。 要塞っぽい城壁があるので、すぐわかります。

要塞の正面から入場します。

中に入りました。 入ってすぐの場所にはカフェやお土産屋さんがありました。

通路を通って、教会の建物が建っているほうへ行ってみます。

円形の建物に囲まれた中にこじんまりとした教会が建っていました。

中に入ってみます。

中はシンプルなつくりでした。 コンサートが開かれるのか、ちょうど練習中でした。

防壁内を歩いてみます。

教会の外観。防壁内に入らないとこの姿を見ることができません。

入れる部分があったので、行ってみます。 通路部分の板が弱そうで少し怖い。

高い防壁にはたくさんの部屋があるようで、壁一面にドアと階段がついています。 全部で250室もあるようです。

教室のような部屋。

こちらの部屋は家具類。 普通に暮らしていたのかな。

布を織っていた部屋もあったようです。 この要塞教会内ですべてを賄えるようにしていたようです。

最後に建物内の通路を1周。 暗くてひんやりしてました。

ここは、世界遺産「トランシルヴァニアの要塞教会群」のうちの1つです。

要塞教会を上から見るとこんな感じ。 中心の教会を守るように外壁に囲まれています。

要塞教会から出ると、横の屋台でクルトゥーシ・カラーチが売られていたので、買ってみました。 バームクーヘンのルーツと言われているお菓子。味が何種類かあったけど、スタンダードな砂糖味にしました。これでハーフサイズ。大きい。 ほんのり柑橘系の風味があるけど、砂糖のコーティングがあるのでかなり甘かったです。

バスタブつきでした。

部屋。シンプルだけど、結構広く、ソファーもついていました。

まずはビールとチキンのスープ。 さっぱりしてて美味しい。付けあわせがなぜか生の青唐辛子。かなり辛かった。

メインはルーマニア風カツレツ。 お肉屋さん経営だからか、肉が柔らかく、ジューシーでした。衣は天ぷらぽかったです。 この旅の中で一番美味しかった!

夕食はホテルから徒歩2?3分の所にある「チャス・ラウ(CEASU' RAU)」。 お肉屋さんが経営しているレストランです。

4日目。この日はブラショフから日帰りで世界遺産の街、シギショアラに行こうとブラショフ駅へ。 前日に宿のオーナーさんから今の時期はルーマニアの公務員の休暇期間なので鉄道のチケットが取りにくいというお話を聞いていたので、不安をかかえて窓口で聞いて見ると、やはり満席とのことで切符を購入できませんでした。 ネットで調べた所、10時過ぎにバスがあるようだったので、それまで旧市街のほうに行ってみることにしました。

バスで旧市街までやって来ました。 この辺りからだと山に書かれている「BRASOV」の文字がよく見える。

旧市街を歩いてみます。 市庁舎。

市庁舎前にあった豚の像?どんな由来があるものなんだろう。

旧市街のメインストリート、レプブリチ通り。 まだ早い時間だったので、そこまでお店が開いてませんでした。

スファトゥルイ広場に出ました。 何かイベントが行われるようで、ステージ組み立て中でした。

旧市街のさらに奥へ。 シナゴーグがありました。

旧市街の端のスケイ門までやって来ました。

スケイ門の横にあるエカテリーナ門。

黒の教会。月曜が休館日だったので、中に入れなかったのが残念。

緑色のきれいな建物。

カトリック教会。 シギショアラ行きのバスがあると思われる時間が近づいてきたので、再びブラショフ駅へ。隣にあるバスターミナル(アウトガラ・ウヌ)でバスを待って、何台かの運転手にも聞いてみたのですが、シギショアラ行きは来ませんでした・・・。ホテルのオーナーさんがバスは当てにならないと言ってたのですが、その通りでした。 で、シギショアラを諦めて、近くのシナイアへ行くことにしました。 駅でシナイア行きの切符を購入しました。

シナイア行きの列車まで1時間半ほどあるので、まだ見ていなかった旧市街の奥のほうへ。 統一広場までやって来ました。

聖ニコラエ教会。

隣に建っているのは学校博物館。 ルーマニアで初めて教育が行われた国内最古の学校のようです。

食べたのは、トキトゥラという豚肉の煮込みとサラダ。付け合せにママリガが付いてました。煮込みは少しスパイシーで美味しかったです。そして、今回食べたママリガは煮込みによく合っていて悪くなかった。

お店に入ってすぐに、強めの雨が降ってきました。 猫も雨宿りでテラス席に入って来ました。

18時過ぎにブラショフに戻って来ました。 バスで統一広場横にある「カサ・ロムネアスカ(Casa Romameasca)」というレストランへ。

列車の時間が近づいてきたので、この日3度目のブラショフ駅へ。 シナイアを半日で観光して来ました。 シナイア編は別の旅行記( https://4travel.jp/travelogue/11435373 )で。

5日目。この日は大移動。まずは朝早い列車でブカレストまで移動。

出発時間の少し前に電車が入って来ました。 ブラショフは始発ではないようで、既にたくさん乗客が乗っていました。

乗ったのは2等車。1部屋8人のボックスシートでした。 1列に4人並んで座るので、かなり圧迫感があり、長時間乗るのは少しきついかな・・。 ブカレストまで3時間弱、ちょっと辛かったです。

今回の宿泊ルート: 2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田 上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。

4泊お世話になったオクナ・シュガタグ村の民宿に別れをし、10:15発バイアマーレ行きバスに乗るため、村の中心地へ。 小中学校の脇を通ると、校庭から子供が日本アニメで知ったのか日本語で「こんにちは」と声を掛けてくれた。

定刻通り、学校正門前のバス停から出発(10レイ、\300)。 シンガポールからのパッカーが既に待っていて、彼もバイアマーレ経由でクルージ・ナポカへ行くという。

10分程して席が空く。 隣のおばさんが私が撮る度にカーテンを押さえていてくれた。

見晴らしの良い景色が続きながら、どんどん下る。

あっという間に囲まれ、しばらく停車。 覚えたての「フルモース(素晴らしい)!」を連発すると、乗客がクスクス。 降りてみたかったが、車内は人でぎゅうぎゅうで降りられず。

(下)また停車、今度は運転手がボトルに湧き水を汲みに小走り。 

いくつもの山間の集落を通る。

乗り合わせたばかりの客同士で気軽におしゃべり。 降りる時は、周囲と運転手に「ラレベレーデ(さようなら)」と言って去って行く。

1時間45分後の12:00、先月27日にも来たバイアマーレのバスターミナル着。 気さくな運転手が荷物を担ぐのを手伝ってくれた。 (01:17)https://youtu.be/V6WpmbaviVw

クルージ・ナポカ行き、次は14:00(30レイ、\900)。 1時間おきにどんどん出てるよう。 トイレ番のおじさんが、前回オレを撮ったね、と手振りして挨拶。http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39688736

(上)隣は鉄道駅。 (下)駅前もトローリーバスが行き交う。 先月は雨だったが今日は晴天で街が明るく、別の街のよう。

前回と同じこのスタンドでパイを意味するプラチンテ(2レイ、\60)。 もちもちの生地に塩味のきいたチーズ味。

おお、ヤギの群れ!

偶然にもここで、4日前オクナ村でヒッチで乗せてくれた道路工事の技術者一行の姿。 手を振るも気づかれず。

14:00、クルージ・ナポカ行き出発。 (下)運転手、見覚えがあると思ったら、前回と同じ人だった。 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39688352

連日30度越え、冷房無し、窓もほとんど開かずで、すごく暑くてぐったり。 一回休憩があったものの3時間後の17:00、クルージ・ナポカ到着。 バスターミナル横のホテルBETA(写真下の右)は満室。 オクナ村から一緒だった東欧周遊中のシンガポール人は、一つ手前で降車。 アルバニア人が一番親切だったと言う。

17:30、そこから徒歩5分、中心街から少し外れた Lucy Star ホテルへ。 90レイ/泊を5泊する事で81レイ(\2,430)/泊に。 フロント女性はすごく親切。 でもここで使ったカード(海外で初使用)は帰国後、同じ81レイ相当分2回不正利用。 カード会社に問い合わせたら、中国のショッピングサイトで使われたとの事で、再発行してもらった。 別のフロント係がスキミングしたのか、データがハッキングされたのか。

18:40、先程のバスでの暑さで調子が少し悪かったが、まだ日が明るいので駅まで散歩。 先程のバスターミナル近くの土手を下り、線路を渡って駅へ。 

あれから車がだいぶ増えたものの、周辺も余り変わらず。

駅前の建物も改装されたり看板が増えているが、建物はそのまま。 (上)ホテルPAX。 当時はここを拠点に周辺の村々を回った。 1泊100レイを80レイ(\2,400)に割引との事だが、フロントはとても感じがいいものの、非常に狭く監獄のようで諦める。 こんなに狭かっただろうか。 (下)行きつけだった食堂は、今はスーパーに。

(上)ホテルへ戻る途中にこのスーパーへ。 この裏が先程のバスターミナル、左が満室だったホテルBETA。  買い物中、突然女性店員2名が金切り声。 振り返ると、さっきまでゴソゴソヒソヒソしていた少年2名が万引き、裏口から逃走。 さっきからどうもおかしい感じだった。 (下)翌日には店作成の指名手配。 この国も皆が皆いい人ばかりでは無く、最低限の用心は必要と肝に銘ず。

(上)滞在中の果物や野菜はここで調達。 野菜・果物は計10レイ(\300)、その他のパン・ヨーグルト・肉缶詰は計11レイ(\330)。

22年前と変わらない正面玄関。 後日行く周辺の村々への鉄道時刻を聞く。 この駅は国鉄と私鉄が入っていて、プラットホームを共有。

(上)部屋も清潔、清掃係のおばさん達も感じのいい人ばかり。 いくつか見せてもらい、テラス付き部屋は狭く、この部屋に。  (下)天窓から。 ここの液晶TVも、この国で良く見る中国CHANGCHONG(長虹)製。 破損時の弁償代400レイ(\12,000)とあった。

=翌6月9日(火)= 一晩寝れば大丈夫と思ったが、目覚めると激しい頭痛に目まい、倦怠感。 努めて水分は摂っていたが熱中症の様。 フロントに相談、10以上の病院が集まる「病院通り」から1か所当たりをつけ、タクシーを呼んでもらう。 9:50、到着。 外観は古いが中は近代的。

(上)門を入り、一番近い入口へ。 拙い英語で症状を伝え、体重身長など問診票記入。 緊急病棟だったみたいで、その間タンカで人が運ばれてくる。 皆英語堪能で親切。 (下)昨日のバスでの暑さを話すと、優しい女医さんが、まだ暑さに慣れていなかったのですね、とブドウ糖(?)の点滴。 2時間で終了、すっかり寝込んでしまった。

この病院はアメリカの団体から支援、緊急患者に限り無料とのこと。 私は緊急扱いにしてくれた様。 お礼を言い、後にする。 (上)別のドクターがタクシーを呼んでくれた。

図らずもタクシー内からこの街を最初に見て回る事に。

車同士、譲り合い、譲られた方は手を挙げてお礼。 渡ろうとしたらスッと停まってくれたりと、垢抜けた印象。 今までインド亜大陸が多かったので、新鮮。

13:10、ホテル着。 行きは渋滞で16レイ(\480)、帰りは約10分で12レイ(\360)。 この日はこのまま横になる事に。

19:00、目が覚め、近くのスーパーへ。 帰りは裏のバスターミナルに寄り、4日後(13日)の帰りのブカレスト行きバスの時間を聞く。 写真は親切なインフォの女性と通訳してくれた学生さん。

問診票兼カルテ

今回の宿泊ルート: 2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田 上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。

(下)クルージ・ナポカ駅で昨日と同じ07:45発に。 これを逃したら次は7時間後。

ハンガリー国境近くの町行き4両編成。 (下)発車後5分でこういう光景に。

(上)08:05、ハンガリー人村メラ村駅。 車窓から手を振ろうと昨日のフローリン駅長を探すも、今日は別の人が旗振り。  (下)08:15、ルーマニア人村グルバウ村駅。 明日訪れる。

08:20、今日の目的地ハンガリー人村マカウ村駅着。 ポツンとある無人駅で、乗り降りは私だけ。 (下)静かに去って行った。

(上)向こうから男性が一人。 前回世話になった一家の写真(上の写真ではない)を見せると、一人除いて健在との事。 家の場所も持参地図に印を付けてくれた。 こちらの人は「この人は亡くなったよ」と言う時、両脇を締め、両手を胸で交差し、首を傾け目をつぶる。

360度、駅以外に人家は見当たらず。  (上)幹線道路を渡り、(下)マカウ村への一本道。 実際は村まで3キロ。

09:00、マカウ村入口(上)

09:20、ようやく家が並び始めた。

駅からの一本道、ずっと脇を流れていた小川。 (上)左の家には「1920年」の文字。

遠くに教会が見えてきた。 日差しが強烈、人影もほとんど無し。 今日も30度越え。 また熱中症にならない様、折り畳傘を日傘に。

丘の谷間にある村。 どの庭にも山と積まれた薪。

ひときわ古そうな伝統家屋がこの先に。

(上)人名と1910年の文字、(下)頭に後光が差した聖人と、刀を磨いている軍人。

通り掛かりのおじさんと。 トタン屋根になったものの、木造部分は彫り物がびっしり。 金属門も昔は上まで届く透かし彫り門だったのだろう。

(下)天使の透かし彫りとクジャクか。 胴体には羊のらせん状の角。  昨日のメラ村同様、段々と取り壊される中、ハンガリー人村独特の木彫り門や伝統家屋を発見するのは宝探しの気分。

(上)熱心に撮っていると通りがかりの男性が、この先にもこんな家があるよと教えてくれた。 (下)三叉路の標識。

ここでボトルに湧き水を補充。 

前回はヒマワリ畑・トウモロコシ畑だったのに、今はどこも牧草に。 

心地よいせせらぎが聞こえてくる。

この家の出身者だろうか、サーベルを持った古風な軍人。

あちこちで鶏の叫び声。

ここだっかな・・・。 お店の雰囲気も随分変わってしまった。 (下)青シャツのおじさんに写真を見せると、それを手に小走りで中に入って行った。

中からウワーという大声。 私も店内へ入ってみると、レジ打ち中のエリザベータさん。

突然来たにもかかわらず、良く来てくれたわね~という感じで笑顔でハグ。 店の商品をいっぱいテーブルに並べて、あれも食べろ、これも食べろと。 また店内に案内してくれて、どれでも欲しい物があればと、ジュースは、肉は、アイスはと言ってくれる。 すっかり恐縮してしまった。 

村の集会所。

小高い丘の上にある村の教会に到着。 ちっとも変っていない。

鍵が閉まって敷地へ入れず。

教会への途中。 

左から夫のヤノシュさん(初対面)、エリザベータさん、親戚のおじさん。 二人ともほとんど変わらない。 たまたま居たお客に、突然来た事の詫びなど通訳してもらった。

荷物を置かせてもらい、当時村祭りでお世話になった教会へ。 夫の母エカテリーナさんが、写真の神父を撫でながら、神父は2002年に亡くなったと涙声で手振りで教えてくれた。

ここからも綺麗に見えた。

入口へ。

入口の天井も、この地方独特の花模様。

前回と違って、この日はとても広く感じた。

呪文のような長文が彫り込まれた門のある隣の神父宅へ。

ちょうど娘婿さんが庭に。 ここでも互いに言葉が分からず、携帯で英語の出来る人を探してくれて会話。

やはり神父(トース・ヤノシュ・ラキパストゥル氏)は亡くなったとの事。 この娘婿さんでは無く、長男が継いでいるらしい。 写真は当時はカメラを持っている人がほとんどおらず、この村の歴史が写っていると喜んでもらえた。

あちこち改装されるも1866年築。

額縁や募金箱まで同じ花模様

女の子があちこち走り回って大変。 最後は神父宅をバックに。

教会内を案内してもらえる事に。

13:30、お礼を言って、丘を下りエリザベータさん宅へ。 戻ると、お母さんが手作りのビーズ刺繍を持って待ってくれていた。

一つ選ばせてもらう。 伝統衣装にも使われたビーズ刺繍。

エリザベータさんが昼食まで用意してくれていた。 さっと引き上げるつもりだったので、チョコ一袋(左上)しか土産に持って来ておらず大変恐縮(村唯一の店がここなので、ここで買い足しする訳にもいかなかった・・・)。  この後、娘のエメシュさんが、早朝の乳搾りを終え、今は昼寝中、夕方16:00にまた始めるので、羊牧場に連れて行ってくれるという。

その時間まで村散策する事に。 午前中に村人が教えてくれた、もう一軒の1918年とある透かし彫り宅発見。 何かの物語だろうか、人魚の鱗やクジャクの胴体まで繊細。

目の前をガチョウの子供の群れがヨチヨチ。 興奮して撮っていると、そんなに珍しいかい?と、おばさん(下)。

ウチに来たらもっと見られるよと。 車を出そうにも、群れがウロウロ、出られず、おばさんが追い払おうと追いかけっこ。 息子さんも笑っている。

離れの台所には箱に入った沢山のヒヨコ。 裏の畑で採ったというイチゴをご馳走に。

覗きに来た子猫

ゆで卵を砕いて、ピッピリータ、ピッピリータと言いながら餌やり。

家畜小屋へ。 (上)右が先程の台所。 (下)この春に産まれた子豚だそう。https://youtu.be/UuaSeq8_EyA

ピヨピヨ

お礼を言って、通りへ(上)、 愛犬と外出中(下)

(上)村の小川にあちこち掛かる小さな橋

ビーズを手にどこかに向かっていたおばさん。 エリザベータのお母さんが手首に巻いてくれた輪と同じ色。 

すれ違いざま、「コンピュータ!、コンピュータ!」と声を掛けてくれたコティシュおばさん。 事前にこの村の事を調べていて、SNSで知り合った方。 今年の村祭りの日時はまだ分からないが、この村に泊まりたいならウチに来ていいよとまで言ってくれた。 偶然、こうやってお会いでき感激。

16::00、再びエリザベータさん宅。 娘のエメシュさんがちょうど空の乳缶を積み込んでいた。  挨拶後、彼女の運転で、どんどん山奥へ。

羊に阻まれ、小休止。 だいぶ来たので、ここかなと思ったが 「まだウチの羊ではないわよ」。

アップダウンの激しい道を更に山奥へ。 どこまで行くんだろうと思っていると、ようやく坂下に牧柵が見えて来た(下)。

出発して15分後の16:20、「着きましたよ」とエメシュさん。 他の柵も合わせて360頭と。 ここだけちょっと盆地の様。

「ただし牧羊犬があなたに噛みつくかもしれないので、まだ車内に居て」と一人残される。 確かに迫力ある大型犬が何匹か車の回りをグルグル。 車窓からはトレーラーハウス一家の姿。 エメシュさんが食料品や水、雑貨の入った籠を渡している。

春夏の放牧シーズンは一家でここで寝泊まり、搾乳を請け負っているらしい。 牧羊犬とどう話を付けてくれたのか?、「もう降りていいわよ」と。 幼稚園くらいの姉弟が近寄って来てくれた。

請負夫婦との三人体制、一日朝夕の2回、一回3人で230頭行うとの事。 実はエメシュさん、まだ2週間目だそう。 見事な手さばきに驚いていると、「これでもまだまだと言われるのよ」。  https://youtu.be/oOyICaKZ2sY

(上)搾乳小屋を真ん中に二つに分けた牧柵。 右柵の羊が小屋で搾乳され、左柵へ。 (下)エメシュさんが車から降ろした乳缶。

(上)「おーい、羊が入ってこないぞ~」と中から言われ、(下)姉弟が棒切れで羊を追い込みに。

(上)懸命に棒切れで尻を叩いて小屋へ追い込む。 とにかく子供達が元気。

バケツ一杯になり布でこしながら乳缶へ。 この後、急に雷雨、私は車に避難させてもらった。 

いつまにか牧童のお兄さん。 搾乳がそろそろ終わる頃を見計い、別の群れを近くに連れて来た。 この後、空になった右柵に移し、翌早朝、左柵の搾乳済の群れを放牧に出発。

18:30、最後の一頭が終了。 彼だけはルーマニア系。 羊を追い立てながらルーマニア語で延々と話しかけてくれるので、私も分からずもニコニコ、時折「フルモース、フルモース(素晴らしい)」と相槌。 乳搾りしながらエメシュさんが時々通訳、「東京はすごく人口が多いのだろう?」等と話しかけてくれているらしい。  https://youtu.be/g5wg18PR4Ko

最後の一杯を乳缶に移し、車へ積み込む。 

これだけの頭数を2時間で終了、後片付けへ。 (下)奥の赤い盥で皆で石鹸で手洗い。

さっき連れて来た別の群れ。 サービス精神旺盛で、あれこれポーズを取ってくれる。 牧羊犬に芸を仕込ませているようだが、今日はなぜか何度やっても不発。 最後は彼の携帯で一緒に記念撮影。

エメシュさんも今日のお勤めを終え、寛いでいる。

18:50、皆さんに別れをし出発。 (下)坂道を登ったところで、眼下に小さくさっきの牧童さんが。 車窓から乗り出して手を振る。

雨後で、往時に比べてずっと緑鮮やか。

途中で左に教会が見え、マカウ村が一望(上)。 19:10、エリザベータさん宅着。 (下)家前には杖を持った赤シャツの牧童と牛の群れ。 預かった牛が各戸に帰るところ。

22年前に持参したアルバムをまだ保管しておいてくれていた。 夫のヤノシュさんが次の21:30の列車に間に合う様、車で送ってくれる事に。 それまでまた村散策へ。

(上)お宅前の坂上で、男の子がアンズを差し出してくれた。 皮ごとかじってみると、すごく甘い。

隣に座れと、ポンポンと席を叩いてくれるので、乗せてもらうことに。 

20:30、日没は21時頃なので、まだ明るい。 暑さもだいぶ和らぎ、あちこちの家のベンチでは夕涼み。  https://youtu.be/d7adr974biM

おじさん宅へ。

250キロあるという豚。

(上)通りに面した自宅ベンチで、おばさんと一休み。 ちょうどいいサイズ。 (下)20:45、この時間は農作業を終えた帰宅途中の馬車のラッシュ。

21:00、ヤノシュさんの運転で駅へ。次は村祭りの日においでと言ってくれる。 ここまで来たのに、前回見せてもらった花模様でびっしりの、頭がクラクラしてきそうなハンガリー装飾の家具で埋まった部屋を見せてもらうのを忘れてしまった。

ルノーグループのルーマニアの自動車メーカー、ダチア車。 

もうマカウ駅の列車は終わったので、急行が停まる7キロ先のアギレシュ駅まで送ってくれて21:20着。 本当に感謝、握手してお別れ。

アギレシュ駅。 28キロ先のクルージ・ナポカ駅まで13.5レイ(\405)。 今日もとても暑かった。 日傘を差し、努めて水分を摂ったが、まだ完全復帰で無く軽く頭痛。 また軽い熱中症の様だった。

21:31到着、クルージ・ナポカ駅21:59着。 向かいにはハンガリー系の高校生(下)。 ベルギーでの国際学生会議への出席で、首都ブカレスト行きのこの夜行列車に乗っているという。 私も明後日に行くので聞いてみると、クルージ・ナポカ22:15発ブカレスト翌08:14着、二等寝台125レイ(\3,750)。 30回以上乗ったがノートラブル、いつもガラガラで快適と。 流石に22時は外も真っ暗、 無事に駅とホテルに到着。

17:30、10分で止む。 今度は急に晴れ渡り、緑が一段と鮮やかに。

エリザベータさんのお母さんが持たせてくれた自家製ハンガリー装飾の木箱と、後日、郵送費もばかにならないだろうに、送ってくれた伝統衣装の人形。

豪華絢爛な伝統衣装の娘さん達

1992年に訪れた際、村ではちょうど祭りの前夜祭。 この集会所では村の青年や娘、子供達による演劇や民族舞踊などが。 子供がセリフを間違えるとどっと笑いが起こったりと、まさに雰囲気は学芸会風でとても楽しかった。

以下は1992年のここの村祭りの様子。 前夜祭が終わった翌朝11時、教会へ続く道の脇に伝統衣装の人々が並び、神父一行をお出迎え。

村人は誰彼となく私に手を差し出してきたり、ポンと肩を叩いていく。 わざわざ追いかけて来て、ビールや焼き肉を差し出してくれた。 お金は決して受け取ろうとしない。 よほど東洋人が珍しかったのだろう、好奇心丸出しの子供達が集まって来て、まじまじと私の顔を覗き込む。 

ミサ終了後も去りがたく教会にいる人々。 男の子は模造真珠で飾られた緑色の帽子。

一日3本の最終列車に間に合うよう、駅まで送ってくれた。

その1993年当時の写真。 後列右からエリザベータさんと母、夫の母。 前列は親戚の人。 改装したが上の写真と同じ入口とのこと。 手には持参した前年に撮った写真のアルバム。

既に人々の熱気で一杯。

(上)まだ前回と同じ駅舎が使われていて感激。 (下)列車で偶然向かいに座った白髪のお婆さんがこの村で降りるとの事で、私もここで降りてみる事に。 後ろからガタガタと音を立てながらやって来た馬車に皆で乗せてもらい、砂利道で舌を噛んでしまうほど激しく揺れ、時折振り落とされそうになりながらマカウ村へ。 幸運にもその日は村祭りの前夜祭だった。

ミサは放し飼いのヤギの鈴の音がのどかに聞こえてくる中、13時に終了。 否が応でも目立つ私は神父(上の写真中央)に声を掛けられ、神父宅へ。 ミサ終了後も村人が次々と神父宅に挨拶へ。  1960年からこの村で神父をしており、旧体制下では別の仕事を持ちながら兼ねていたそう。 ルーマニア同化政策下の少数民族として、また宗教が認められない体制下での神父として、二重の苦しみがあったそうだ。 そういった体制下でもそれに屈せずこの教会が営まれていた証として、沢山の過去のミサの写真が壁一面に張ってあった。

二階のオルガン奏者の隣へ。 ミサが進むにつれ神父は感極まった様子で熱心に説教、オルガン奏者が引きながら大声で歌い始めた。 村一番の使い手なのであろう十代半ばの少年が少し息継ぎが上手くいかなかったがフルートを演奏。  1989年以前の旧体制下では当局の目を気にして目立たぬよう、もっとささやかに行われていたという。 

模造の真珠で出来た髪飾り、頭から地に着く程の長い幅広リボン、びっしりとビーズの刺繍がなされた前掛け。 色鮮やかでそれはそれは美しく、みやこうせい著『ルーマニアの赤い薔薇』そのままの世界だった。

ハンガリー人村はルーマニアのただ中にある正に異国の中の異国であると感じながら、この村を後に。

14時の列車で帰るつもりが、丸一日お世話になってしまい、夕食まで準備してくれていた。

今回の宿泊ルート: 2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田 上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。

3両編成。 22年前はまだ旧体制の名残で、夜でも車内は節電、乗客のタバコの火だけが真っ暗闇に浮かび上がっていた。

20分でメラ駅着、降りたのは私だけ。 電車はハンガリー国境近くの町へ去って行った。

こんな駅だったかなあと懐かしく撮っていると、何かお手伝いする事は、と駅長のフローリンさん。  首都ブカレストから赴任して1年、私と同い年という。 私は古式ゆかしいところが好きなのだが、構内は余りに古いので撮らないでと。 鉄道インフラが悪く、革命前より落ちたとも。

私の拙い英語の会話中にも、頻繁に専用回線で他所と連絡、通過列車がある度に駅帽被り、表に飛び出し緑色の◎印の棒をかざして合図。 話に夢中になり過ぎて一回間に合わず、あ~~あ~~と嘆いていた。 帰りの列車時刻を教えてもらい、再会を約束。 入れ替わりに、大きな鎌を持った草刈り員がやって来て、線路の草刈り。

07:45発になんとか間に合う。 これを逃したら次は7時間後。 運転手が窓から顔を出し、日本人かと。 もう出発間際、つま先立ってムルツメスク(ありがとう)と握手、急いで乗り込む。

丘向こうに目指すハンガリー人村メラ村。 丘を迂回する車道もあるが、22年前と同様、あの丘を越えてみる事に。

今旅では仕方なく駅前に戻り、丘を迂回する車道へ。

耕運機が通り過ぎた後、車が停まり村へ連れて行ってくれることに。 サイモンさん(下)は、この村出身ではないが同じハンガリー系。 この地方で主にロマ(ジプシー)らの恵まれない子供を助ける基金で働いているという。

10分でメラ村、教会前を抜けて施設に到着。 この村に最初の施設を造り(2002年)、現在各地に15ヶ所。 少し案内してくれるよう。 もっと 腹モフして~と、ここで保護しているという片目が不自由なワンちゃん(下)。

11:10、お礼を言って外へ出ると、雷と少雨。 駅前で送ってあげるよと手振りしてくれたさっきの草刈りの男性が大急ぎで馬車を走らせ、駆け抜けて行った。

ハンガリー語で「こんにちは(ヨーナポト)」と声を掛けてみると、返ってきた。 メラ村の人らしい。 作業が終わったら馬車で送ってあげるよと手振りしてくれるが、まだ相当時間が掛かりそうなので、お礼を言って自力で丘へ。 案の定、小川が流れていて向こうに渡れない。 当時の日記には人がやっと渡れる小さな橋を見つけたとあったが、草深くて見つからず。

Diakonia基金 http://www.diakonia.ro/cj/en.html。 現在、メラ村のロマの子56人が放課後、ここで勉強を教わったり、食事を出して貰ったり。 ロマの家庭は、家が劣悪、両親もほとんど読み書き不可で、とても「普通の生活」がおくれる状態ではない。 子供も学校では酷い扱いだという。 ここで「普通の生活」を体験してもらい、代々の負の連鎖から抜け出してもらいたいとの事。 現在はここの卒業生が助ける側にまでになったという。  また、ここの援助で彼らの家も改築、水道も通り、冬も寒さがしのげる様になったとの事。それまでは、冬も共同井戸まで水汲みに(後で行ってみる)。 PCで活動の様子を見せてくれた。

買い置きの朝食をかき込み、土手を下りてクルージ・ナポカ駅へ。 メラ駅までの切符4レイ(\120)。

(上)ここで22年前の写真を見せると、このハンガリー装飾家ヌシさんは現在も活躍中とのこと。 (下右)は『ルーマニアの赤い薔薇』に登場したアマンダさん宅のハンガリー装飾の鏡台と、(下左)教会礼拝からの帰りの伝統衣装の女性。

施設を振り返る(上)。 脇道(下)。

22年前と対比。 道もすっかり舗装。 本当は6月に盛大に行われる「メラ村の日」祭りに訪れたかったが、旅行出発間際まで調べてみるも開催日不明。 結局、今年は行われなかったよう。

通りにあった小さなスーパー。 ヌシおばさんが戻る16時まで散策。

坂の途中からの眺め。 ルーマニア人村とは瓦の色が違う感じ。

この辺りが「ジプシー・ヒル」のよう。 右の坂道(上)を上ってみる。

(上)坊やに「ヨーナポト(こんにちは)」と挨拶してみると、上の家のおばさんが「この子はツィガン(ロマ)だから通じないよ」と手振り(下)。

この辺りから伝統家屋。 (上)門柱には草花や文章、小門の上には家人の名前が彫られた木彫り門、(下)一輪挿しが描かれた1910年築とあるお宅。

左側の門(上)の透かし彫りには、家人の名前とハンガリー王国時代(~1946年)の国章(下)。

木彫り門に回ってみると、家屋より後に出来たらしくまだハンガリー領だった1941年築。 人影が見えたので、入っていいですかと手振りすると、いいよとのこと。

いい感じの伝統家屋、築91年で結構大きい。 古タイヤで作った家畜用水飲み場、井戸、後ろにはブドウ棚。

覚えたての簡単なハンガリー語で挨拶。

ブドウ棚のテラスに上らせてくれた。 

入って来た木彫り門をバックに。

おじさんが見て行きなさいと開けてくれた部屋は、かつてハンガリー装飾の工芸品で埋め尽くされていたであろう大広間。 工芸品は娘さんが持参金代わりに持って行ってしまったよう。

真ん中が娘さんで、右がおじさんだろうか(上)。

(下)ルーマニア語で「メラ村 小中学校卒業生」。 1969年と1970年入学、1980年卒業。

(下)ひとつだけ残っていたハンガリー装飾の長持ち。

1924年築とあるバトミントンのハネが左右に描かれた伝統家屋。

素朴な額縁もいい感じ。

おじさんにお礼を言って外へ。

更に道を進んで、来た道を振り返る。 隣宅(右端)にはまた別の木彫り門。 

ここも古そうな木彫り門。 築年は無かったが、家主の名前。

坂から降りて、大通りに戻る。 「ジプシー・ヒル」側にあった1930年築とある、ここカロタセグ地方に特徴的な屋根に透かし彫りがあるお宅。

ちょうど人が出て来て掃除中だったが、入れて頂いた。 ここもロマのお宅のよう。

サイモンさんが、「冬の凍える中でも、ここまで水汲みに来ていたロマ達を想像してみて」と言っていた共同井戸。

(上)馬車にもちゃんとカーナンバー、(下)小さな坊やが水鉄砲を持って飛び出して来た。

13:15、村の北外れに。 村の中心へ戻ることに。

おじさんに話しかけられ、この村にトモさんという日本人男性が住んでいるという。 他の方のブログで語学学習でここに滞在されていた事は知っていたが、もう退去したと思っていた。 案内してくれる事に。

なんとさっきの「ジプシー・ヒル」のお宅にホームステイされていたという(上)。 通りすがりの女性も交え、やはりトモさんは既に退去されたことが判明。 お礼を言って、村の中心へ。

(下)駅前で馬車で村まで送ってあげるよと手振りしてくれた男性と再会。 ここがお宅だったらしい。

(上) Diakonia基金は診療所も造っていた。 14:10、村の教会前広場に到着。

広場にて、来た道を振り返る。 左にも透かし彫りの屋根。

ここにもこの地方に特徴的な屋根の透かし彫り。 マジャール(ハンガリー)・ダンス中だろうか。 人物の横顔まで細かい。https://www.youtube.com/watch?v=aiJQIvRW0BA&list=FLVGPS80L9gDkhz6Wb7-sfhQ&index=19

そのお宅の1947年築とある木彫り門。

小中学校にて。

小中学校。 この広場で「メラ村の日」祭り等、伝統衣装で村人が集まりマジャール・ダンス等が行われるらしい。

2009年にできた水牛博物館。 せっかく来たのに、鍵の管理人が外出中で入れず。 http://www.welcometoromania.ro/DN1f_Zalau_Cluj/DN1f_Zalau_Cluj_Mera_Muzeul_Bivoli_e.htm https://www.youtube.com/watch?v=ZhohEdasFug&feature=share

この女性も赤・白・緑。 ハンガリー人村では「ありがとう」をルーマニア語で言われる事も多かった。 22年前、「我々にとって外国語はルーマニア語なんだよ」と言われた事を思い出す。 

15:10、広場に戻ると、

今朝はこの辺りでサイモンさんに車で拾ってもらった。

気を取り直して、1945年築の家屋を改造したメラ村博物館へ。 http://www.welcometoromania.ro/DN1f_Zalau_Cluj/DN1f_Zalau_Cluj_Mera_Muzeul_Etnografie_e.htm

敷地には入れたが、隣宅に聞いて管理人宅に行くも、ここも外出中で入れず。

ちょうどクルージ・ナポカ駅まで行くバス。 あと1時間でヌシおばさんが帰宅するが、まだ昨日の熱中症からの病み上がりで体調悪くなり乗って帰る事に(5レイ、\150)。

15:40、クルージ・ナポカ駅前着。 近くの食堂で、遅い昼食(サラダ・カツレツ・フライドポテト・パン)17レイ(\510)。 今日はせっかく再訪したのに体調が本調子で無く、あまり歩き回れなかった。 次回は祭りの日に再訪したい。

犬が吠えるのでなだめてくれた。

【 上下ともメラ村HPより 】 もう一か月早い5月であれば、村中の羊を預かった牧童を送り出す儀式を見る事ができた。

急に簡素な感じの家が並び始めた。 サイモンさんのPCでは以前はここにバラックのような家が並んでいた。 皆穏やかな顔。 撮らせてもらうと「ありがとう」と手振りしてくれた。

【みや こうせい写真集 ルーマニアの赤い薔薇(1991年)】 ここメラ村を訪れるきっかけとなった、強烈な印象を受けた写真集。 こんな、時代から取り残された様な所が現代ヨーロッパに存在する事に驚き、魅せられ、1992年と1993年にルーマニア行きを決意。 氏のポイエニ村が舞台の『羊の地平線』と共に旅のバイブルだった。 『ルーマニアのトランシルバニア地方のハンガリー人村の人々は回りをルーマニア人村に囲まれている為、自分たちの古い伝統、風俗を厳しく守ろうとする。 古い風俗、習慣、言い伝え、歌、踊りまで含めてフォークロアと呼んでいるが、ここはヨーロッパでも有数の古い農民文化のメッカで、しこも人々はその事を意識していない。 生活そのものが文化であり、人々にとってはその日々の生き方は当たり前、自然な事として受け取られている』。 この説明書きと共に、古式ゆかしい格好の老若男女が村を行き交う様子や、独特の模様をあしらった伝統衣装で輪を描いて踊っている男女等の写真。 週末はにそれぞれの村でこういった光景が繰り広げられているという。 すっかり魅せられ、当時はるばるこんな片田舎にまで来てしまった。

びっしりと模造真珠やビーズの刺繍の髪飾りや前掛け。 みやこうせい著『ルーマニアの赤い薔薇』そのままの世界だった。

1993年、丘からのメラ村。 点在するハンガリー人村の中でも特に伝統的なダンスや工芸品、文化、風俗が残っているという。 

1993年にこの教会前で会った伝統衣装の女性。 ハンガリー国旗と同じ赤・白・緑。

サイモンさんが見せてくれた現在のそのヌシおばさんの写真。 わざわざ電話してくれて、今日は16時に帰宅という。 自宅と作業所の地図を書いてくれた。 また先程のロマの家庭が集まったジプシー・ヒルと呼ばれる地域や、共同井戸の場所も書き込んでくれて、是非行ってみてと。

教会に到着。 http://www.welcometoromania.ro/DN1f_Zalau_Cluj/DN1f_Zalau_Cluj_Mera_e.htm

アマンダさん宅も他のお宅同様、あちこちにハンガリー国旗と同じ赤・緑・白の三色の花模様で、頭がクラクラしそうな程びっしり。 

今回の宿泊ルート: 2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田 上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。

「ラプテ(牛乳)、ラトゥーラ」と説明してくれながら、ちょうど同じイザ川流域のドラゴミレシュティ村から回収中との事。  これも みやこうせいさんの本の通り。 また同じ本によると、村の朝は早く、5時には農機具を積んで畑に向かう馬車が行き交うという。 その頃毎日ぐっすり寝ていて蹄の音に気付かなかった。

前日分の売り上げは100レイ札が10枚で、約3万円。

06:35、お願いしてみると、快く乗せてもらえることに。 荷台には色々な農機具。 (52秒)https://youtu.be/gHIcN5N78Vo

(上)どんどん中心地から離れて行く。 (下)このお宅には後ほど伺うことに。 

隣のボティザ村まで5キロの標識の先へ。 ここからは未舗装。 本当は前日、丘の上での宗教行事が無ければ、ピクニックを兼ねこの隣村へ行く予定だった。

06:50、これ以上行くと戻れなくなりそうで、お礼を言い、ここで降ろしてもらう。

(上)さっきの男性に再会。 村の挨拶「神に祈りましょう (ラウダンパ・イエソース)」と声を掛けると、「そうしましょう (ブノベチ・アーミン)」。 握手しにわざわざここまでやって来てくれた。 (下)日本人だと知ると、オレもコウセイ・ミヤに撮ってもらったぜ、と手振り。

今は多くの家庭に自家用車があるが、22年前はシゲットに繋がる遠い幹線道路に出るのに一日一往復のバス以外に馬車しか無く、この牛乳回収車も村人にとって貴重な足だった。 当時私の場合は一日一往復の朝4:30のバスはなぜかもう行ってしまっていて、またなぜかバイア・マーレ行きバスが5:30発にあると言われ(荷台にベンチが付いて、幌で覆われたトラック改造バス)、それで Vadu Izei村まで行き、乗り継いでシゲットへ辿り着いた。

こんな朝早くからもう牧草刈。 このおじさんとは後で再会。

宿に戻る途中で、また畑仕事に向かう馬車。

朝6時に目が覚めると、外からパカパカパカと馬車の蹄の音。 カメラだけ持ってサンダルのまま追いかけてみる。 畑仕事に向かうよう。 一緒に村の中心地に下りてみると、集乳所になっている家の前へ。

てくてく、もと来た道へ。 サンダルのままだったので足元が少し寒い。

薪を使うレンジに沢山の鍋。 今では見かけなくなったリングラ(木のスプーン)も。 このお宅は蛇口は無く、井戸から汲み上げているよう。 22年前に泊まった神父宅を思い出す。

壁には沢山の写真。 息子さんだろうか、共産政権時代の星印が入った軍服姿。 結婚式の写真には1990年に事故で亡くなった先代のイリエシュ神父も。

07:10、その隣にはさっき馬車で前を通った、古いいい感じの伝統家屋。 お邪魔してみる。 ここでも村の挨拶。

(上)階段を上ると朝日に輝くヴァラテク山。 (下)さっきの男性は草を荷台に積み始めた。

(上)ポーチではおばさんが編み物中。 (下)中を案内してもらえることに。 ここのご夫婦からもコウセイ・ミヤの名前を聞く。 この村でも、大抵まず「ジャポネ?」と聞かれ、「ダー(そうです。)」、「ミヤ、ミヤ・・・」と続く。

その向かいにあったベッドとテーブル。 壁上には額縁に入った神様が並ぶ。 窓は、冬はかなり冷えるのであろう二重窓。 奥の部屋には昔の娘さんの写真。 フルモース(素晴らしい、美しい)と連呼していると、ちょうど畑仕事から帰って来たご本人が。  恥ずかしがって写真は固辞されてしまった。

(上)やはりこの地方の伝統的な麦わら帽子はいいなあ。 軍役でトウモロコシ畑の刈入れもやっていたよう。 (下)お礼を言って外へ。 別れの挨拶「サナターテ!(ご健康に!)」と声を掛けてくれた。 再度振り返って見る板葺きの伝統家屋。 宿のある中心地へ歩いて行こうとすると、ちょうどさっきの男性も同じ方向へ帰るよう。 お~い、待てよと声を掛けてくれた。

(上)お願いして乗せてもらえることに。 車は1895年創業のチェコのメーカー、シュコダ。 (下)07:40、村の中心地到着。 奥の大きな門は神父宅。

農具を担いで行き交う人々。

その後は宿のテラスで日記(上)。 11:00頃、横の坂道には一か月かけてルーマニアをテントとヒッチで旅をしている昨日のニコラ君。   おおっと、声を掛けると、昨日教えてくれたオクナ・シュガタク村での動物市に行く為、これから幹線道路に出てシゲットまでヒッチという。 私に、バスに乗り損ねたらヒッチすればいいのに、という。 明日、オクナ・シュガタク村での動物市で会いましょうと再会を約束。

08:20、宿で朝食。 おじさんとおばさんがやって来て、シゲット行バスはもう行ってしまったよ、と心配して手振り。  昨日、16:00頃にシゲット行バスが停まっていたので、今日はそれに乗ろうと思っていたが、今日は本来の一日一往復の07:15発しか無いらしい。 英語ができるアニーとコンスタンチンがいないと、こういう時は少し辛い。 今晩アニーは明日この村で授業をするのでシゲットから戻るらしい。 もう一泊、この村に滞在することに。

09:40、再び中心地へ。 これから棚に牧草を掛け、干しに行くよう。

教会と学校が見えて来た。 運動場ベンチ前には宿のダーリュース君。 昨日で聖霊降臨祭(ルーマニア語でルサーリ)の休日が他の村より一日遅れで終わり、今日から学校も再開。 近くの酒場も静か。

(上)ちょうど休憩中のダーリュース君3歳(右)。 道にいる私を直ぐに見つけ、手を引いて校庭に連れて来てくれた。 ここは幼稚園、小中学校が同じ校舎。 (下)先生が厚意で教室を見せてくれた。 壁に掛かった写真によると、行事日には民族衣装を着て、村の伝統を受け継ぐ授業もやっているよう。

15:30、ダーリュース君も幼稚園から帰宅。 マリアおばさんが一緒に牧草干し場に行かないかと誘ってくれるので行ってみることに。 宿の裏手では76歳ユアナお婆さんがイチゴ畑で農作業中。

この材木の橋を渡って、向こう側へ。

(上)先日、コンスタンチンと来た草刈り場。 今度は柵に掛けて干す作業。 フォークで持ち上げる度、風で細かい藁が全身に掛かってくる。 向かい側にはヴァラテク山。  (下)さっきのユアナお婆さんが機織りした自作袋から哺乳瓶。 3歳のダーリュース君も奇声を上げて走り回り、とても元気。

この後はマリアおばさんに、村のツイカ酒醸造小屋の場所を手振りで教えてもらい、行ってみることに。 シエウ村方面へ中心地から500m、クローチェ(十字架)前にあるという。

(上)先日雨宿りしたベンチ。 この路地先に見える大コアスタ丘へ少し寄り道。

細い路地を通り、

大コアスタ丘に到着。 背丈程もある藪の人ひとり通れる道を上って行くと、視界がぱっと開けた。 この村とも明朝でお別れ。 目に焼け付けておく。

遠くで家族で農作業。

(上)再び通りに出てシエウ村方面へ。 (下)17:00、だいぶ村の中心地から離れた道沿いに、マリアおばさんに言われた通りクローチェ(十字架)発見。

お邪魔すると、今日はこの御夫婦が借りている様子。 ほとんどの家で10本や20本のプラムの木を持っていて、9月の収穫後、3~4ヶ月寝かせて発酵。 2月半ば頃から各家庭が交代でこの小屋を借り、1年間分の30~40リットルの自宅分のツイカ(プラム酒)を作るという。

『発酵したプラムを布でこして蒸留釜に入れ、一昼夜煮たてる。 蒸留は二度行われる。プラムの持ち主の一家の者はここに寝泊まりして交代で火の番をすることになっているし、そこにふらりと立ち寄る人は絶えない。 醸造小屋にはいつも村人がたむろしている。』(みやこうせい著1988年『羊とモミの木の歌』P.78) 薪をどんどんくべて、常に火の勢いを最高に保っている様。 緑色ホースで裏の小川から冷水。

3器並んだ一番奥の樽からは、冷水で冷やされた出来立てが。 一杯ご馳走して頂くと、まだ少し濁りはあるが、今まで飲んできた中で一番香りが良い。 芳醇な香りが口一杯に広がり、とてもフルーティー。 『ポイエニ、いやマラムレシュの人間にとってツイカは切っても切れない関係にある。 プラムは太陽と土の産物でツイカを飲むのは神の恵みにあずかり祝福されている事だと人々はいい、悲しいにつけ嬉しいにつけ、良く飲む』(同) 『度数は低くて40~45度、一番強いのは65~70度といい、豚の脂身やケーキをつまみにして少量を一気に飲む。』(同)

お礼を言って、再び村の中心地へ。 このお宅入口への橋には、ここで事故があったのか「1925-1985 7月27日」と刻まれた十字架。 他にも道中、いたるところに、小さな十字架。 村では通り過ぎる車からは、ほとんど互いに手を振り合っていた。

その向かい側に、今まで村のあちこちで振舞ってもらったツイカ酒(プラムのブランデー)醸造小屋。 地酒作りが盛んなこの国では、どの村にも一つはあるという。 辺りは、材料の発酵させたプルーンの甘い香りが強烈。 みやこうせい著『羊とモミの木の歌』(1988年)にある場所とは、移設したのか、全然違う場所。  本には所有者の校長先生の人間模様も書かれていて面白かった。 (下): 22年前は各家庭で何度も修理、大切に使っていた巨大な桶。 今は寂しく放置され、役目はプラスチック容器に取って変わったよう。

(上)その正面にあったお宅。  (下) 屋根には「1981」建築の文字。

男性がちょうど野菜やパンを刻んで豚のエサ作り。 お礼を言って再び表へ。

更にこの坂道で丘を登ってみると(上)、村が一望(下)。 正面にはヴァラテク山。 いい風が吹く。

(上)まだ坂道に続きがあったが、ここまでにする。  後で みや本によると、この先には第二次世界大戦まで住んでいたユダヤ人の墓地があったようだ。(今はこの村はルーマニア人のみ。)

(上)19:15、村へ下りる途中で見かけた、農作業帰りの女性。

18:45、昨日、十字架の儀式があった教会近くのオプレジャ丘へ再び来てみた。

なんだかいい感じの古い家屋。

(上)村の挨拶「ラウダンパ・イエソース(神に祈りましょう)」と大声で声を掛けてみると、ご夫婦が出て来てくれた。  (下)足元は伝統的な一枚皮のオピンチ。 オピンチの下は、これまた伝統にこだわった羊毛を巻き付けた靴下。

向かいの家畜小屋

日常の生活でもネックレス、伝統的なオピンチ姿の素敵な女性。 最後、見送って頂いた。 いつまでもお元気で。

昨日のムンティーン君(緑色Tシャツ)ら中学生が集まっている。 手にはルーマニアの黒海に注ぐドナウ川河口の宿題プリント。 宿泊先の嫁、アニーの地理の授業だろうか。

宿でも見かけた野菜の酢漬け等、保存食を作っておく大量のビン。

お爺さんは足が悪いらしく、座り込んでしまった。

19:50、教会前のこの橋を渡って、中心地(チェントラル)へ。

20:10、宿に無事戻り、この村最後の夕食。 肉と野菜のチョルバ・スープ、ジャガイモ等野菜と肉の煮物、青唐辛子の酢漬け、デザートにケーキと羊肉のパイ。 明日木曜日はこの村で授業なので、地理の先生で嫁のアニーが帰って来ていた。 ツイカ酒ホリンカ(プラムのブランデー)も頂いたが、これもさっき私が訪れた醸造小屋で造ったものだという。 グリゴーレおじさんからは、この村のいくつかある宿の中でここを選んでくれて有難うの言葉。 又、ブカレストだけでなく、シゲットやクルージュでも盗難には気を付けろ、路上での両替は特に、と話してくれる。 明日は07:40のシゲット行バスで6泊したこの村を離れ、オクナ・シュガタク村の動物市へ。

お婆さんが手を振ってくれた。

公民館隣宅のすっかり懐いたワンちゃんにもお別れ。

(上)木造教会を見納めに再訪。 (下)しばらくこの椅子に座り、この22年間を振り返る。

夫婦で健在でも、お墓だけ用意している様。

1993年

1993年

ラクレイさん宅

ラクレイさん宅。 全員元気とのこと。

村から離れたところで会った粋な羊飼い

皆、伝統の麦わら帽子に花を挿した洒落た姿だった。

そのムンティーンさん宅にあった、ポイエニレ・イゼイ村入口の看板。

(左)偶然泊まった宿に嫁いでいたアニー(左)とその妹 (右)右端がこの写真のお宅ムンティーンさん宅の娘さん

当時25歳のユワンヌ神父

1993年

最後に、ここからは1993年に撮った教会行事以外のこの村の様子。 (一部、掲載済みのものもあり)。

ラクレイさん宅。 この女性もお元気だった。

1993年

果実蒸留酒ツイカ(ホリンカ)の下ごしらえだろうか、プルーンを砕いていた。 小中学校の隣にあり、現在は更地。 手前の男性の甥だという若い男性に会い、写真を手渡した。

左はラグ・ロード(人口滝)。 ここに織り上げたベッドカバー等を水に投げ込み、攪拌して目を詰めるという。 もう既に使われている形跡は無かった。

村の中心地(チェントラル)

(左)村の中心地(チェントラル)

酒場。 日曜日には民謡レコードをボリューム一杯にして、所狭しと座って皆飲んだくれていた。

お婆さんが健在。 娘はアメリカに嫁いで独りぼっちで暮らしているようだった。

村の中心地(チェントラル)

村の中心地(チェントラル)

1993年

1993年

1993年

1993年

あと1時間早ければ、その手前の自分のおじさんに会えたのにと。 聖霊降臨祭で、わざわざバイア・マーレから来ていたという。

今回の宿泊ルート: 2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田 上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。

(上)私を追い越し、やや乱暴に教会前に駐車したのはユワンヌ神父。 今日はこの10:00からのミサ後、特別な儀式があると手振りして教えてくれた。 (下)肩から掛けているのは、昨日訪れたお宅でも機織りしていた同じ柄の生地。 ここで神父から、実はこの教会の歴史HPを作成していて、儀式中もどんどん撮っていいから、後日送ってくれるようにと手振り。

入口では私もロウソク2本(1L、\30)購入。

聖人二人を祭った献灯台へ。

再び教会へ入ると、もう始まっていた。 年配者が牧師の祭服の下で跪いている。 宿の76歳ユアナお婆さんも、祭服の下から出て来た。

一段落したところで、私も村人と同じく寄進してイコンに接吻。

神父が、チェーンの付いた振り香炉を回しながら、いったん玄関外へ、その後戻って来た。 女性は通路に出て、目の前の神父に触れたり十字を切ったり。 (教会HP作成に提供するよう神父より事前に依頼され、かなり近づいて撮る。 3分3秒)https://youtu.be/HReG98vQ0J4

前列が男性席、後列が女性席。

(上)再び振り香炉を持って同じ道へ。 (下)神父が戻ってくると、補佐係が傍らで預かった。

イコンで覆われた壁(イコノスタシス)の向こう側から、次々と儀式道具を手に説教。

(上)参拝者は全員 跪き目の高さで両手を握っている。 (下)その後、神父はイコノスタシスの向こうに入り、十字架前で跪き深々と礼拝。  2階からはタイミングを見計らって讃美歌が聞こえてくる。

(上)再び2階へ。 鐘を鳴らすは、先程のロウソクを売ってくれた女性。 この後、ファインダーを覗きに来て、苦笑い。 (下)みやさんの30年くらい前に撮った写真しか見た事がないが、確かに面影ある指揮者ジュージュさん、まだまだ現役。

今度は母に連れられた小さな子供が前へ。 神父の話を聞いた後、ロウソクを灯し、

聖水を口に入れてもらい、祭られたパンの欠片を貰って行った。

(上)その後は年配の女性が再び前に出て来て、子供達と同じ儀式。  (下)男性席との境目ギリギリまで出て来て、神父の話に聞き入る。 写真下の右端は、宿のユアナお婆さん。

朝はいつものに、たっぷりチーズが入ったクレープ。 今日のクルーチェ(十字架)の祭礼の事は昨晩マリアおばさんが教えてくれた。

聖霊降臨祭の休日は、この村では3日間続き今日まで。 しかしシゲットでは昨日で終了、宿の嫁の地理教師アニーさんと夫の数学教師コンスタンチンさんは、今朝早く発ち、シゲットの学校へ泊りがけに。 教会へ行く途中、宿題を相談中(?)の女の子が、歴史の教科書を見せてくれた。

神父横では、男性が楽譜が四方に置かれた回転台を時折回しながら延々とアカペラで讃美歌。 マイクを通して教会に静かに響く。

今日の聖歌隊の指揮者は、 みやこうせいさん1988年著「羊とモミの木の歌」に写真入りで良く登場する獣医ジュージュさんだった。 

本の登場人物はほとんどが亡くなっている中、出会えて嬉しい。 時折、十字を切りながら、聖歌隊の歌声。(57秒)https://youtu.be/7YckH2j0TGM

2階へ

そろそろ終盤

イコノスタシスを背に、最後のお説教。

11:50に終了。

後で会うムンティーン君のお父さんらが、旗を持って外へ。

皆で正門前へ

正門前に集合

後で道案内をしてくれるムンティーン君らが旗を持って先頭に立つ。

女性群。 

12:00 丘の上の十字架前に到着。 予め準備されていた祭壇を前に儀式開始。

ここでも振り香炉。 祭壇横には、人々が持ち寄った祝福を受ける水入りの容器。 終了後、各自大切に持ち帰っていた。

遠くで雷鳴が聞こえ出した。

段々と熱を帯びる。

13:00、無事に終了。 麦の束で皆に聖水を振り掛け、受ける方は十字を切る。

神父も会心の笑顔。 行きと同じく、さっきの子供にイコンを持たせ神父と先頭に立ち、丘下へ。

皆も家路へ。

いつの間にか晴れ渡っていた。

すぐ側には、木造教会の入口があり、ここを通って帰る人も。

少雨も直ぐに止む。

経典を読み上げる。 (1分29秒)https://youtu.be/BNKvMs0wrsc

経典が読み上がった後、神父による説教が始まった。

さっきの儀式で祝福を受けた子供に、皆が接吻をしていたイコンを持たせ、神父と共に丘の上の十字架へ出発。

角度を変えて。(37秒)https://youtu.be/cqOrGAG6fmA

新教会では神父が祭服から着替えて帰るところだった。

私も木造教会を通り、新教会へ。

13:30、遅い昼食。 今回も食べきれない程出たが、美味しく完食。

右から3番目がマツモトさん。 この村ではあちこちで、オレもワタシも撮ってもらったよとこの方の名前を聞く。 一度お会いしてみたい。

(上)その後、神父宅へ。 こちらが新居。 (下)入って右が旧宅。 大きな「はね釣瓶(つるべ)」の井戸。 22年前に泊まった家は撤去されたようだが、あの当時はまだ蛇口も無く、逐一井戸から水を汲んでいた。

旧宅前では見覚えのあるお顔のカリーナさんが鶏の世話をしていた。 22年前泊めてくれた今のユワンヌ神父のお母さん。 言葉は通じないが、当時の写真を見せると察してくれたよう。

その後、新居の神父宅へ。 さっきの十字架の儀式でイコンを持った子供達が招かれていて、入れ違い入る。 奥さんと義理父とで迎えてくれた。 1993年当時は3年前に父のイリエシュ神父が事故で無くなり、息子のユワンヌさんが神父を継いで間もない頃だった。 

まだ昼食を済ませていなかったよう。 食べていくよう声を掛けてくれ、お言葉に甘えて、スープに肉料理、サルマーレ(ルーマニアのロールキャベツ)。 さすが神父宅、食事前に目を閉じて十字を切り、お祈りがあった。

ここでもプラムの蒸留酒ツイカ(別名ホリンカ、「村の誇り」の意味)を振舞って頂いた。 神父は瓶ごと激しく揺すり、素早く消えていく泡を見せ、上等のツイカだと示してくれた。 『いいツイカは瓶ごと激しく揺すって、ものの数十秒で出来た泡が消えて行く。 この透明な泡をペルラ(真珠)とモロシェニ(マラムレシュ地方の人)は自慢げな顔をする。』(みやこうせい著「ルーマニアの小さな村から」) 『良く出来たツイカはヴェルデ(縁の意味)やアクル(火が着きやすいの意味)という。 またツイカをフォク(火)やモリナ(ガソリン)とも言ったりする。』

バラン爺さん宅。 やはりもう亡くなっていた。 (上)このお宅にも、みやこうせい さん以外に日本人のマツモト ススムさんという方が撮った写真。 なんと先週、私がハンガリー人村シク村で泊めてもらったノイジ家にも泊まった人だ。 すごい偶然。

神父と奥さんと義理父と。

(上)昨日通った家の前。 ベンチには同じおばさんが井戸端会議。 (下)この後は、別の写真を手に。 丘の上に家があるらしい。 

(上)22年前、こんなところまで歩いて来たんだと自分でも驚きながら歩く。 (下)午前中、先頭で旗を掲げていたムンティーン君に再会。 持参の写真の人を知っているという。

(定点観測)門を開けると、確かに写真と同じお宅。 この村でもどんどん姿を消しているモミ製の伝統家屋も取り壊されず残っていて良かった。 (下)イリアーナ・ラクレイさん(当時62歳)が、樽の修理中。

(上)後ろは家畜小屋だったよう。 (下)住居棟

この扉を開け、ノックしてみるが留守。 

16:30、このお宅らしい。 すっかり忘れていた。

当時まだ25歳だった頃のユワンヌ神父。 教会の仕事を終えれば、村人と同じように畑を耕したり、薪作りをしていた。 「羊とモミの木の歌」によると、ルーマニア人の人生はモミの木から始まってモミの木で終わる。揺りかごから始まって家、そして棺桶。 樹脂もリンゴや梨の接ぎ木や、火傷の特効薬、教会でのお香にも使うとの事。

(上)窓の外から見えるように飾ってあった写真。 (下)案内のムンティーン君が、近くのお宅にいたイリアーナおばさんを探し出してくれて、やっと再会。 あの時の息子ヴァシーレさんはバイア・マーレ在住。 おばさんは84歳になったが一人暮らしと。 いつまでもお元気で。

(左)当時の住居棟。 息子のヴァシーレさん(当時19歳)も母の手伝い。 後ろの小さい子供の二人の男の子はシゲット、女の子はロンドンにいるという。 みやさんの本によると、当時の村人はこの地方から出たことが無い人が大半だったらしいが、すごい変わり様だ。 (右)当時のお宅にあった写真立て。

ムンティーン君にツイカ醸造所へ案内してもらう途中、彼のお宅の前へ来た。  家の前には祖父母、少し上がっていきなさいと声を掛けられ、お言葉に甘えることに。

ここでもお婆さんが自家製54度あるというツイカを。 さっきの鐘撞のバラン爺さん宅でも頂いたばかりなので、ジュースにして頂いた。

(上)17:50、お宅を出ると眼下には新教会。 とても見晴らしがいい。 (下)目の前をアヒルが横切った。

木造教会の入口を覗くと、お墓に人が集まっている。 旗を持った男性陣が、こっちに来い来いと手振り。 なんとムンティーン君の先々月に85歳で亡くなった ひいお婆さんのお墓だった。 どうやら葬式のようだ。

祭壇が用意され、パンと白ワイン。 聖書の上には、説教中に読み上げる村人数名の名前が書かれたメモ用紙。

18:00、再びユワンヌ神父登場。 ムンティーン君も私の案内どころでは無くなり、図らずも先に来ていた父母と葬式の手伝いをする事に。 本当は今日は留守番だったらしい。

下で見ていると、しきりに手招きしてくれて、上へ上がってみることに(上)。 ムンティーン君が振り香炉を持っている(下)。

式の終盤には、昨日シエウ村の教会で見た同じ儀式。 神父がワインやロウソクを円形パンの穴に入れ、何かを唱えながら上下に振り、それを葬列者全員が手を伸ばして支えている。

(上)18:10、わずか10分であっという間に葬式終了。 (下)後ろには木造教会。

墓碑を見ると、4月24日に亡くなって今日で38日目。

(上)22年前には無かった、この あずまや で葬式の食事会。 一緒にどうぞと家族が声を掛けてくれた。 こういう造りは、みや氏著作ではチュペルカ(通称きのこ)と呼ぶらしい。 (下)手には山盛りのサルマーレ(ルーマニアのロールキャベツ)。

(上)いつの間にか神父と同じ並びの特等席に座ることになり、緊張気味のムンティーン君。 (下)彼のお父さん。

この村の みや著写真集によると、ここが出来る前は寒空の下、素朴な長テーブルを並べ村人が身を寄せ合い葬式の食事会をやっていたらしい。

大量に用意されたサルマーレやお菓子。

たくさんの自家製ケーキも。 

さっきの儀式で使われた円形パン。 小さなロウソクと共に皆へ。

(上)右の手前はムンティーン君のお母さん。 (下)胸に手を置いてくれた。

皆に行き渡ったところで、神父の締めの挨拶。

(上)18:40、食事会も30分で、あっという間に終了。 (下)フランスからのニコラさんもご相伴に。 二人はキャンプとヒッチでルーマニアを一か月旅行。 昨日、ボグダン・ボーダ村の動物市を逃した事を話すと、明後日にオクナ・シュガタク村で別の動物市がある事を教えてくれた。 当日、再会する事に。 村人にはフランス語を話せる人が何人かいるらしく、またニコラもルーマニア語を勉強してきたとの事で、互いに会話。 フランス語とルーマニア語は別に近い言語でも無いという。

(上)ムンティーン君始め親族らが机や椅子を新教会に返す後片付け。 チュペルカ(あずまや)は空っぽに。 (下)前を通り過ぎてしまい、皆が爆笑。

葬式中、墓の上部に上がって来いと手振りしてくれた旗を持っていたおじさん。 すっかりできあがった様子。 この後、村のバーに入って行った。

リクエストに応えて一家で。 もう19:20。 醸造所は遠いところにあるらしく、行くのは諦める。 ムンティーン君一家に感謝し、ここでお別れ。

私にも祭礼用パンを持って帰るよう手渡してくれた。 宿のユアナお婆さんも故人と友人だったらしく、この葬式に参列。 荷物になるからと預かってくれて、宿で渡してくれた。

ツイカで乾杯

そろそろ宿へ。 一枚皮のオピンチを履いた女性。

(上)まだ明るいので、少し歩いてみることに。 (下)さっきまで居た木造教会とチュペルカ。 もうすっかり人が居なくなっていた。

(上)屋根の先端には1977年築の文字。 (下)そのお宅の庭。 中央は井戸だろうか。 出窓には十字架と生命力のシンボルの彫透かしの花。

長椅子に座って通りを眺めていた男性。 挨拶して中庭を少し見させてもらった。

20:10、宿に到着。 グリゴーレおじさんが搾乳中だった。 夕飯は、野菜スープ(チョルバ・シャラーテ)、ポテト(カルト・ナトゥール)、肉料理(カルネ・デ・ポルク)、みじん切りキャベツの酢漬け、デザートにいつものケーキ。 今回も結構ボリュームがあり、美味しく完食。 明日からシゲットで学校が始まるので、アニー夫妻は不在。 言葉は通じずもマリアおばさんが料理名を。 明日はシゲットに戻る予定が1日1往復のバスに乗り損ね、もう一日この村に滞在。 のんびり村を散策して過ごす。

当時、足元には時間を計るためのロウソクがあった。

直ぐ近くに、40年以上この村で鐘撞きをしている このバラン爺さん宅があるという。 神父に礼を言い、後にする。

今回の宿泊ルート: 2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田 上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。

おじさん(右)の後ろを付いていく。

このコウノトリの巣の角を曲がると、

(上)壺入りの牛乳、味が濃くて美味しく、毎朝飲み干していた。 朝から果実蒸留酒ホリンカを勧めてくれるが、搾りたての濃い牛乳が最高。 (下)9:20、息子のコンスタンチンさんの運転でグリゴーレおじさんとその友人とで出発。

(下)隣村のシエウ村に入った。

(上)皆教会に行くのか、伝統衣装の人々が段々増えてくる。  (下)この地方独特の羊毛のベスト

15分後の 9:35、シエウ村の木造教会前に到着。 息子さんが車で迎えに来てくれるので、ここに13:00に集合とのこと。 1760年築のルーマニア正教木造教会。 これから行く新教会が1998年に出来るまでの約240年間、村で大事に使われていたという。 この地方共通のモミの木製。 https://ro.wikipedia.org/wiki/Biserica_de_lemn_din_%C8%98ieu

村の小中学校前

新教会(1998年築)が見えて来た。

教会前ではイコンに接吻して寄進する姿やロウソクを買い求める姿。

(上)広場では十字架をかざしながら説教中の神父。 (下)その隣では昨日会った我がポイエニ村の神学校生ユワンヌ君がアカペラで讃美歌。  今日はハラム(HRAM、守護聖人の一人らしい)という行事とのこと。 近隣の村々からも大勢が集まっているよう。

神父のエプロンの下に、人々が跪き始めた。

同上

2つ先のストルムトゥラ村からという兄弟。 腕回りも見せてくれた。 後ろのお婆さんに住所を渡され孫の写真を送るよう頼まれる。

(上)ここにもユワンヌ君(右から3人目)ら、ポイエニ村からの加勢の人々。 (下)両手を組んで祈りのポーズ。 パキスタンのモスクで、人々が両手でお椀を持つ祈りのポーズを取ってくれた事を思い出す。

側では伝統衣装で決めた聖歌隊がアカペラで歌い上げている。

ビーズ刺繍のズガルダン姿のユワンヌ君が何かを宣誓。

足下も「オピンチ(一枚皮の靴)」で決めたお婆さん。

神父たちの朗々とした声が周囲に響く。 世話役の人がもっと近づいて撮るよう促してくれた。

お言葉に甘えて、無音設定でそっと望遠で。

玄関テラスでは神父が集まって儀式、右には聖歌隊。 近隣の村々の神父も参加しているよう。

シエウ村が見渡せて気持ちいい。

積み藁の前で。

墓場になっている丘の中腹から見守っている人々。 登ってみることに。

結構日差しが厳しい。

(下)右の奥さんはまだ健在のよう。

お婆さんに連れられて。

ここも、みやこうせい著本にもあったマラムレシュの人々が最も好む青色が基調。 静けさ、平和、神のまします天空を象徴しているという。 無音設定でそっと撮らせてもらう。

まだ正面玄関からは神父の朗々とした声が辺りに響き、儀式中。 そっと裏口から教会へ。

荘厳な雰囲気。 お爺さんお婆さんに連れられた孫、が多い感じ。

遠くには正教会独特のイコノスタシス(イコンの壁)。 奥が主祭壇を安置する聖職者専用の「至聖所」、手前が信者が祈祷する「聖所」。

11:30、佳境に入ったよう。 ここでもお言葉に甘えて、無音設定でそっと撮らせてもらう。

同上

玄関ロビー

玄関ロビー。 神父の言葉に皆一斉に 立ち上がったり、跪いたり。

唱和しながらテーブルの回りを回り出した。

同上

玄関ホールから儀式を見守る。

壁にも様々な聖人の姿

聖書の一説だろうか。 どっちを向いてもキラキラ輝いている。

棒の先に吊るされた「のぼり」もあちこちに。

儀式は終わったよう。  広場に下りて来た神父の前に、親に連れられた子供が集まっている。

先程まで儀式が行われていた玄関にて。

沢山の聖人と天使に囲まれたルーマニア正教の神様

正教会独特の四角い被り物

(上)人々が接吻するイコンと十字架。 (下)「素晴らしい聖水。 畏敬の念と共に、空腹時に飲んで下さい。」(グーグル翻訳)。 私も一杯頂く。

何か相談中。

今度はあちらに人垣が。

(下)グリゴーレおじさん(中央)見つけた。 帽子を取って聞き入っている。 左は今夕、ポイエニ村でお邪魔したムンティーンさん。

次々と運ばれるパンの欠片の盥。 一つ二つ取り出しては戻す儀式。

またまた世話役の人が、もっと前に出て撮りなさいと気遣ってくれる。 こんな至近距離でと恐縮しながら、身を屈めてそっと撮らせてもらう。 朗読者と聖歌隊が呼応して美しいハーモニー(2分34秒)https://youtu.be/UKLL1624l9Q

同上

仕舞っては戻るを繰り返している。

終盤に入ったよう。 様々な聖器物に一つ一つ儀式をして、教会奥へ仕舞いに行くよう。

今度は何かを唱えながら、順番にスプーンで何かを口に入れてあげている。 私もしゃがんで大口を開けて横で待っていたが、小さな子供限定とのこと。

儀式も無事終了。

神父の朗々とした声が響き渡る中、ワインを挟んでロウソクを立てたドーナツ状のパンを皆で一緒に持ち、上下に揺らしている。  これは翌日の葬式でも見かけた。 何の意味があるんだろう。

聖水と書かれた容器から、一杯すくって差し出してくれた。

神父の手にはスティック状のバラの香りの聖水。 2L(\60)入れて私も額に付けてもらった。

サルマーレ(ルーマニア風ロールキャベツ)をご馳走して頂いた。 家庭料理は美味しい。 

路地に並んだイコンの数々

表通りへ。 テーブルでは粋にこの地方伝統のベストを半分にして肩に引っ掛けている。

礼拝を終えた人で一杯。 いい雰囲気。

表通りにて

13:40、グリゴーレおじさんと無事合流し、コンスタンチンさんの運転で宿へ。 ルーマニア語とはこんな感じ。(1分25秒) https://youtu.be/gfIN9GYbh8U

(上)左からグリゴーレおじさん、マリアおばさん、同乗した同じ村の人。 おじさんの手には孫のダーリュース君への土産。 (下)昼食。 ここでもサルマーレ(ルーマニア風ロールキャベツ)。

これで全ての儀式が終了したよう。 

再び玄関ロビーへ。

門の外では地元の人がお祝いの昼食中。

店番をつとめる修道女。 礼拝者が真剣な表情で、どの聖人の表紙の冊子にするか選んでいる。

1998年までの約240年間使われた、1760年築のモミの木で造られた教会。

ベンチには同じ宿の女性4人組。 いつの間にか来ていたよう。

皆、礼拝からの帰りの様。

(下)神父が何かを唱えながら振り回していた、チェーン付き振り香炉。 お香を炭で焚き、いい香りがそこら中に漂う。

午前中にも通った学校と木造教会

ビーズ刺繍が施されたカマーシャ(シャツ)とパラリエ(麦わら帽子)、たすき掛けのバックで正装した少年と、その家族。

午後は、22年振りにこの村のルーマニア正教木造教会へ。 

『 ルーマニア正教、ルーマニアゴシックのポイエニの教会は、全体の形がモミの木を象徴。 土台はナラで、それ以外は全てモミの木製。 教会の東の奥は至聖所で、イコンの壁(イコノスタシス、華やか。)で教会本堂(祈りを捧げる聖堂)と区別している。 教会本堂は更に二つに分かれていて、男は前方(ナオス)、女は後方(プロナオス)で祈りを捧げる。 2階には合唱隊の席。 収容人数は200人。 入りきれない時は、教会のぐるりを壁に沿って取り囲み祈る。 信者は日曜ごとに1レイ(13円)か3レイのコインを喜捨し、説教台に近づいて片膝を落とし、台の上の年代物の木の聖画像(イコン)に口づけをする。 そして傍らの金属の手持ちの十字架にも唇を当てる。』(みやこうせい著「羊とモミの木の歌」より)

木の温もりを感じる。

あれから墓が増え、空き地が狭くなっていた。 石畳もまだ無く、あの日は朝もやで道もぬかるみ大変だった。

結構な急勾配。 当時は一枚皮靴のオピンチ姿のお年寄りも沢山集まっていた。

1700年築。 今や1999年に「マラムレシュの木造聖堂群」として登録された世界遺産。

早速くぐってみる。

定点観測(2015年)。 当時はどこも未舗装で、雨が降るとあちこちに大きな水溜り。

鍵が掛かっているので、窓から。  翌日は鍵が開いていて見学できたが、顔馴染みになった案内係もどうしても写真だけはX。 神父に厳しく叱られると手振り。 https://ro.wikipedia.org/wiki/Biserica_de_lemn_din_Poienile_Izei

定点観測 (上)この教会だけは当時と変わらず。 通りには舗装用砂利。 村もまだ一番大きな通り以外はまだ未舗装。 (下)1993年。 前列、私から左へ3人目に宿のマリアおばさんが写っていた。

(上)この右の”一等地”には1989年に49歳で急死した先代イリエシュ神父の墓があったが、新教会に移されたという。 (下)ぐるりに掲げられた絵もそのまま。

定点観測。 (上)当時には無かった「あづまや」。 翌日は葬式の食事会会場に。 (下)1993年当時はまだ新教会も建設中。

良く見かける 1718年創業国産 Timisoara ビール

この年はこの教会最後の聖母被昇天祭だった。

10:00開始で12:30頃まで続いた。

地獄絵や悪魔に誘惑される人間の絵など。

最初の1時間くらいは教会内で、後半は屋外。

昨日の聖霊降臨祭でのイオアン神父も若い。 当時25歳、先代が亡くなって急きょ跡を継いで3年目の頃。

上手く撮れていないが、天井の木壁までにも聖書の場面がびっしりと描かれていた。

こちらは女性礼拝室。 この男性も亡くなっていた。

祭壇のある奥の部屋は男性礼拝室

12:30頃、閉会。 新教会はまだ工事中。

三々五々、帰路へ。

ここからは、1993年8月29日 聖母被昇天祭の様子

定点観測(1993年)

同じく木葺の入口にて。 以上、当時の写真終わり。

(上)入口テラス前。 (下)テラスには儀式で使われる、ロウソクを立てた大きなパンが並び、スタンバイ。  間もなく、入口前の木の板を木槌でポコポコ鳴らして、儀式開始。

今はこの辺りも墓で埋まり、空き地で無くなっていた。

聖母被昇天祭のクライマックス

『教会の収容人数は詰めて200人だが、こうなると人いきれ、蝋燭、香の匂いが混じって熱気にむせそうになる。 中に入りきれなかった人々は教会のぐるりを壁に沿って取り囲み、思い思いのスタイルで立って祈りを捧げることになる、 なお人々の聖堂で祈りを捧げる場所は各々先祖代々決まっている。 教会の外でもそれは変わらない。』( みやこうせい著「羊と樅の木の歌」P.114 ) 下 : 後ろは聖歌隊。

木造教会ではポーランドからの旅行者(ナンバープレート左端にPL)から、興味深い話を聞く。 この地方には、ハンガリー人村、ウクライナ人村の他に3つのポーランド人村があるという。 あのビエリチカ岩塩坑から技術者が住み着いた村。 現在のウクライナとの国境は以前はポーランドとの国境だった。 戦後、ウクライナ領となったポーランド人村の人はスターリンによりカザフスタンへ強制移住させられたが、ぎりぎりルーマニア領となった所はそれから逃れる事ができ、現在のポーランドよりポーランドらしいフォークロアが良く残った地域になっているという。 次回は是非訪れてみたい。

道祖神

18:30。 まだ日が高いので、当時まだ神父宅にも無かった貴重なシャワーを貸してくれたムンティーンさん宅へ行ってみることに。 (上)「神に祈りましょう」「そうしましょう」の挨拶後、少し座っていきなさい、と手振り。 (下)どんどん村外れになっていく。

伝統的な板葺きの、いい感じのお宅。

(上)声を掛けてみると、お宅を見せてくれるという。 このお宅でも「コウセイ ミヤ」の名前を聞く。 「ススム マツモト」さんに続き、私は3人目の日本人とのこと。 (下)ここも青色の壁に神様の絵や飾り皿、刺繍が施された壁掛け。

(上)機織り機! この地方伝統の柄。 翌日の神父もこの柄のバッグを肩に。 織っている現場を見ることができ、感激。 (下)お婆さんといつまでもお元気で。

(上)更に進むと、昨日バーで会った村人。 近道をしたのか、横の山の中から出て来た。 (下)幸せが舞い込んでくると信じられている、食器が差された賑やかな木。

ムンティーンさん宅は村外れでエラク遠かったことは覚えているが、まだまだ先という。

(上)村の入口の看板がある、ホントに村外れまで出て来た。 (下)聞くと、このお宅という! 寄り道しながら来たのでテクテク歩いて1時間後の19:30。

(上)当時既に郵送済みだが、お礼に撮った写真を再度渡す。 誰とも言葉は通じないが、この写真で全てを理解してもらえ、まずは歓迎のホリンカ(52度!)。 (下)左がムンティーンさん夫婦、右端は午前中シエウ村の教会で会ったおじさんで、向かいに住む彼の兄弟だった。

(上)当時撮った娘さんが外出先から帰って来た。 今は二人の娘のお母さん。 (下)向かいの兄弟の方の家が、当時撮った場所。  私と村のバーでたまたま同席、快く助けてくれたのはムンティーンさんの兄弟のどちらだったのか分からなくなってきたが、今となってはお二人に感謝。 でもせめて少しでも言葉が通じれば。。。

(上)そこに行って再び定点観測。 家族が大笑い。 (下)左がこの娘さん。 右は私の宿のアニーさん姉妹と。 アニーさんの実家はこの近くで、仲良しだったらしい。  当時は8月なのに毎日吐く息も白くなる程寒かった。 おじさんがわざわざ神父宅まで当時は珍しい自家用車(ダチア製)で迎えに来てくれて、井戸からバケツでタンクを満杯にし、薪をくべて湯を沸かしシャワーを用意してくれた。 帰りは四頭立て馬車をヒッチして神父宅へ帰宅。 日記を振り返ると、ずうずうしくも2日後にも使わせてもらっていた。

皆さんとお別れし、帰路へ。 

そこへ畑仕事を終えて帰宅準備中のおばさん。 中心地まで同乗させてもらえる事に。

21:00、宿に到着。 夕食ではグリゴーレおじさんがホリンカを振舞ってくれた。 明日は隣村へ散策予定だったが、マリアおばさんが、丘の上でクローチェ(十字架)の祭礼がある事を教えてくれる。 勧めてくれるのでそちらに行ってみることにした。

(上)入口。 摩擦で剥げ掛けた絵に、ここで村人が跪いて熱心に手や額を当て祈った姿が伺える。  1994年に役割が新教会に移るまでの約300年間、村人の心のよりどころ。 (下)当時はまだ現役だった、小槌でポコポコ鳴らしていた木の板。

今回の宿泊ルート: 2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田 上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。

8:00に朝食、今朝も食べ切れない程。 昨日の朝食に加え、チーズたっぷりの卵焼き、野菜入りのパンに付けるもの(美味)など。 こちらの人はパンに山のようにバターやジャムを乗せて食べる。

教会到着。 前回来た1993年時はまだ建設中で、隣の1700年築の小さな木造教会(今や世界遺産)が現役だった。

以前の教会とは比べものにならない程、ピカピカで天井が高くて広くなってる。。。

まずは皆、前に進んで十字を切りお賽銭を入れてイコンに接吻。

振り返ると、2階には聖歌隊。

10:30、神父が出てきて式が始まった。 前方が男性席、後方が女性席。

ぽつぽつ人が教会へ。

(上)二人の聖人が祭られている祠。  (下)入り口前でお供えの花を持ったおばさん。 足下も伝統的なオピンチ(一枚皮の靴)。

(上)男性用イコン。 後方右に見えるのが女性用。 (下)接吻の順番は、最初に向かって右、その次に横にすべって左のイコンに、のよう。

階段横にぶら下がった鐘ひも。 さっきからの教会の鐘の音は、この子供たちが上下に揺らして鳴らしていたよう。

女性はこちらのイコンにも。

女性用

10:00からの聖霊降臨祭(ルサーリ)に合わせ、おじさんが村の伝統衣装「カマーシャ」と帽子を貸してくれた。 予約の際、貸してもらえるよう頼んだ事を覚えてくれていたよう。 マリアおばさんに着せてもらい、9:30に一人で出発。 教会では帽子を取るんだよ、と手振り。 一家は後で行くよう。

2階へ。 ポーズを取ってくれた。

聖歌隊。 指揮者は みやこうせい著本に良く出て来る獣医ジュージュさんではなかった。 2日後の別の式典で指揮をしている姿を見る。

厳かな雰囲気

2階男性席

ルーマニア正教会

11:10、外にも人が溢れるほどに。

表で伝統衣装の娘さん達と。 みや著本によると昔は村ごとに色など少しずつ違ったが、今では既成生地を使う事が多く、どの村もあまり違いは無くなってしまったとの事。 足元はオピンチの方が似合うのだけれどなあ。

こちらはちゃんとオピンチ。 前掛けのサディエも。 みや本によると、この村のサディエの本来の色の組み合わせは、くすんだ赤と黒。 最近ではこうした組み合わせの決まりも崩れてきて、安手で派手やかな化学染料の普及で、色彩選択の幅が広がったのだろうとある。 各村から人が集まる定期市では、この色の組み合わせでどの村から来たかが知れたという。

2階への階段入口の絵。 悪魔が大口を開けて、人を飲み込んでる。

12:30、終了。 かつての円舞(ジョク)もこの後に行われず、解散。

すっかりひと気の無くなった教会入口

2階女性席

ユワンヌ神父。 22年前は25歳、その2年前に父イリエシュ神父が突然の事故死で跡を継いで間もなかったが、すっかり貫禄。

そろそろ終盤

(上)神学校在籍中でさっきも神父手伝いをしていた神父見習いユワンヌ君(神父と同名)を真ん中に。 私も着ているカマーシャの上に更にビーズ刺繍とボンボンの付いた「ズガルダン」。 (下)教会前の十字架。

お客達が爆笑しながらアルバムを回し見、なかなか返してくれず。 やっと受け取り、バーとは対照的な伝統家屋(右)と神父宅(奥)前を通って、宿へ。

ここでも、これは私だ、父だ母だ、親戚だとゲラゲラ笑いながら盛り上がる。

おばさんの若かりし頃。

隣のおじさんがタバコを勧めてくれる。  18:30、雨も止みそうに無く、皆諦めて帰宅し始める。 私も走って宿へ。

ユワンヌ君が、バー前でちょうど車から出て来たあの男性が、当時私が肩に手を乗せた男の子だよと。 確かに面影が。 周囲は写真と見比べて爆笑。

(定点観測) すっかり変わった内装。

(定点観測) 当時は日曜は民謡レコードをボリューム一杯にして、所狭しと座って皆飲んだくれていた。

(上)来た道とは違う道で帰ることに。 (下)幼稚園も入った小中学校。 宿の嫁アニーはここで地理、夫は数学の先生。

少し遅い昼食、どれも美味しい。 こちらではサラダの代わりか野菜の酢漬けが毎回出る。 ブカレストからの2カップルは午前に発ったらしい。

そのベンチ前の風景

ここでもアルバムを見せると盛り上がる。 今は誰でもスマホを持っているが、当時は皆カメラを持っていなかった。 雨が降り出したので、詰めてもらい しばらく様子見。

宿に戻ると、新たに4人の国内からのお客。 他に2、3品あったが撮り忘れ、今晩も美味しく頂く。 明日はボグダン・ボーダ村の動物市に行く予定だったが、聖霊降臨祭は明日(ポイエニ村だけは明後日)まで続き、その間、労働はしないので市は開かれないだろうという。  その代わり、明日は隣のシエウ村の教会でハラムという行事があり、宿のおじさんが参加するので、一緒に連れて行ってくれる事になった。

(定点観測) 当時撮った木造門がまだあった。

(定点観測) チェントルと呼ばれる村の中心、右は郵便局と警察署。

(定点観測) 村の散策へ。 ちょうど当時と同じところから。 あの先の人が集まっているベンチまで行ってみる。

(上)さっきの神父見習いユワンヌ君(左から二人目)も。 (下)当時の右から二人目の顔を上げた女性は、彼の母だという。

その中心地にある昔からのバー。 外観もあれからすっかり変わってしまった。 ほとんどの人が家で着替えて来ていた。

ルーマニアの文化・風俗・注意点

 ルーマニアは、都市部、農村部ともに上下水道等のインフラの整備、管理が不十分で、古い配管から流れる上水道水は褐色のことが多く、大雨の後に混濁する地域もあります。水道水は、飲料に適しません。

 首都ブカレストをはじめ、都市部では車の増加に伴い、有鉛ガソリンに起因する大気汚染が深刻化しています。

 医療施設面では、西欧的な民間の外来専門病院も徐々に増えてきていますが、手術等は西側先進国での実施が望まれます。緊急の場合は、旧来の病院での治療を受けざるを得ない場合があり、術後感染や院内感染のリスクは否定出来ません。渡航前には、緊急輸送特約付き海外旅行傷害保険の加入が必須です。

 けが、病気の注意

     交通事故

     インフラ整備状況、運転技術、マナー等に問題があり、交通事故は非常に多く、交差点での横断歩行中に車が突っ込んでくることもありますので、十分注意が必要です。

     肝炎

     食べ物を介して起こるA、E型肝炎、血液、体液経由のB、C型肝炎の発生が確認されています。A、E型肝炎の予防には生もの、生水を避けることが大切です。A、B型肝炎には予防ワクチンがありますので、入国前に接種することをお勧めします。

     感染症による胃腸炎

     食品衛生面の問題から、サルモネラ菌、大腸菌等に起因する食中毒、胃腸炎、腸チフスが発生しています。特に衛生状態の良くない地方では、十分な注意が必要であり、手洗いの励行となるべく火を通した食物、ミネラルウォーターを食することをお勧めします。

     狂犬病

     ここ数年でブカレスト市内の野犬の数が減ったとされていますが、現実には未だ多くの野犬がおり、歩行中に噛まれるなどの被害が多く発生しています。

     ルーマニアでの狂犬病の発生報告は過去10年間ありませんが、犬に噛まれた場合、あらかじめ予防接種を受けていても発症後狂犬病ワクチンを接種することが必要です。特に地方では野犬の数も多く、狂犬病ワクチンを備蓄している医療施設も限られておりますので、十分な注意が必要です。

     破傷風

     特にルーマニアに多いという疾患ではありませんが、事前に破傷風ワクチンの接種をお勧めします。40代以上の日本人は基礎免疫を獲得していない人が多いので要注意です。外傷を受けた場合は早めに医療機関での受診、指示を受けてください。

     性感染症

     AIDSの感染様式は異性間接触によるものが半数以上を占めています。梅毒、クラミジアなども増加傾向にあります。これらの感染症は、性行動により感染する確率が高く、不用意な関係を持たないようお勧めします。