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ロシアってどんな国?

ロシア連邦(ロシアれんぽう、Росси́йская Федера́ция、Rossiyskaya Federatsiya)、別称ロシア(ロシア語:Росси́я /rossija/)は、ヨーロッパとアジアにまたがる世界最大の領土を持つ連邦制の共和国。ロシア連邦およびロシアは双方とも正式名称である[1]。首都はモスクワ。

ロシアの地図

ロシアの写真・旅行記

3/16(金)JAL421 成田→ドモジェドボ 夕方 地下鉄でプーシキン美術館へ 3/17(土) セルギエフ・ポサード 午後 モスクワ 赤の広場、グム百貨店 3/18(日) クレムリン 武器庫、ウスペンスキー寺院 午後 サプサン号にてサンクトペテルブルクへ移動 3/19(月) 午前 プーシキンへ エカテリーナ宮殿 午後 サンクトペテルブルク市内観光 3/20(火) 午前 ペテルゴフへ ピョートル大帝夏の宮殿と庭園 午後 エルミタージュ美術館 夜 バレエ観賞 3/21(水) サンクトペテルブルク→モスクワ モスクワ→成田(3/22朝帰国)

宮殿内部は土足厳禁。 このような紙のカバーを靴に被せて見学します。

宮殿の入口。 朝一番でも入場する列はなかなかのもの。

3月19日(月) 4日目 サンクトペテルブルク郊外のプーシキンへ。 エカテリーナ宮殿に到着。

サンクトペテルブルクの宿。 クラウンプラザ・サンクトペテルブルクエアポート。 新しいホテルで設備も素晴らしかったが、名前の通り空港近くで市内からはかなりの距離があります。 ツアーだからこその便利なホテルです。

最新の入口の階段から豪華な造りです。

壁も凄いよ。この先がどうなっているのかドキドキします。

広い黄金の間。写真は撮れないのですが、後に続く“琥珀の間”という部屋は、部屋全体の装飾が琥珀で出来ており世界唯一のものでまぶしい部屋でした。

この方はエリザヴェータ女帝だったっけ? 分かりません。

次から次へと凄い部屋が続く。

午後はサンクトペテルブルク市内観光。 車窓から見るマリインスキー劇場。 モスクワのボリショイと並ぶ権威ある劇場だ。

血の上の救世主教会。 残念ながら改修中で綺麗な写真にはならず。

教会前の有料トイレ。 両サイドの男女のトイレの扉の真ん中に料金を払うブースがあり係員がいました。利用しませんでしたが。

3月20日(火)5日目 午前はペテルゴフの大宮殿(ピョートル大帝の夏の宮殿と庭園)へ。写真の宮殿の庭の先はフィンランド湾。

夏場は噴水が高く上がり美しい庭園が見られるそうです。

宮殿内部へ入りました。キンキラキンの部屋です。

こんな豪華なベッドでは私は落ち着いて眠るません。

午後はサンクトペテルブルク市内へ戻り、この旅で一番行きたかった所へ。 宮殿広場のアレクサンドルの円柱がシンボル。 この広場の宮殿は世界遺産・サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群に含まれています。

エルミタージュ美術館。 ずっと行きたかった所でした。 ルーヴルやメトロポリタンは複数回訪れた事がありますが、世界三大美術館を遂に制覇だ。

エルミタージュ美術館で最も有名な場所と言える ?大使の階段? かつて宮殿として機能していた時代、各国の大使をここで出迎えた事からそう呼ばれています。

孔雀時計。 普段は動かしていないが、錆び付かないよう定期的に動かしているよう。思わぬ所が動きます。

一番観たかった作品のひとつ。 レオナルド・ダ・ヴィンチ『リッタの聖母』。 昨年のフィレンツェ・ミラノ旅行でダ・ヴィンチの4作品を観てきたが、ロシアでも彼の作品を目にする事が出来た。

同じくレオナルド・ダ・ヴィンチ『ブノワの聖母』。『リッタの聖母』と同じ部屋に並ぶように展示されているが、部屋に入っていきなり現れたのを観て大興奮しました。この『ブノワの聖母』と対をなす作品、『カーネーションの聖母』がドイツのミュンヘンにあるとの事で次の旅で訪れる事を決意する。

ラファエロの間。ヴァチカン市国にあるものを再現したもの。

ミケランジェロの『うずくまる少年』。 凄い作品が次々現れる。

レンブラントの『放蕩息子の帰還』

同じくレンブラントの『ダナエ』 かつて精神異常者がこの絵に酸を投げかけ切りつける事件があった。その後見事に修復されたが、その後、エルミタージュには液体の持ち込みが禁止となった。

本当に素晴らしい美術館だ。 規模もドデカい!とても3時間では足りない! 半日は欲しい。

まだまだ観たかったが、本館を出て印象派が収蔵された別館へ移動。

いきなりクロード・モネがお出迎え。

モスクワのプーシキン美術館でも観たルノワールの『ジャンヌ・サマリーの立像』。プーシキンは胸像でこちらは全身バージョン。

マティスの『音楽』と『ダンス』 『ダンス』はニューヨークのMoMAでも観た。 新館は1時間しかなくて本当にさっと観ただけ。 やっぱ本館合わせても半日は欲しい。 とても時間が足りません。

夜はオプショナルでバレエを観に行きました。 夕食を頂いてからまたエルミタージュに戻って来ました。エルミタージュ劇場。かつてエカテリーナ2世とごく身近な人たちが鑑賞するためだけに宮殿内に造った小劇場。 日本申込で演目・会場は出発直前に分かるという?お任せ?対応でしたが、日本で事前に各劇場の演目予定を調べていて、多分当劇場の『白鳥の湖』になるであろうと賭けていたが、その通りになった。3万円は高いがその価値はあった。

公演前にオーケストラが陣取る席を観てみました。一段下に位置するので、客席からはオーケストラはほぼ見えません。

バレエ『白鳥の湖』 皆が聴いたことがあるメロディー。 なんだか切ない気持ちになりました。

フィナーレ。最後だけ写真撮れます。 後で同行の方に聞いたのですが、日本人が出演していたそうです。 帰国後ネットで調べFBで連絡を取ってみたらご本人と連絡が取れました。異国の文化で活躍出来るなんてスゴすぎです。

3月21日(水) 6日目 楽しかった旅も終わり。今日は朝から移動のみ。サンクトペテルブルクの空港からロシアのS7航空という便でモスクワのドモジェドボ空港へ移動します。モスクワに着陸した瞬間、乗客が皆拍手したのが、奇異だった。 普段はキチンと着陸出来ないのか?と思ってしまいます。

お土産? マトリョーシカ どちらもモスクワのミランというホテルで 購入。

お土産?マトリョーシカ こちらはセルギエフ・ポサードで購入。 一目惚れでした。1万円以上したと思います。

お土産?キャビア ツアーで寄ったお土産屋さんで購入。 2万円位したと思う。ロシアの本物のキャビアは本当に高価だ。

途中の休憩時間に即席の演奏が始まりました。 曲名は判りませんが、聴いた事はある曲で本当に素晴らしいオーケストラでした。 ロシア最後の夜、素晴らしい一夜となった。本当に来て良かった。

実家で家族と食べました。 美味しかったと思うけど、あっという間に無くなり、味覚えてません。

お土産? でかくて分厚いエルミタージュの図録。 美術館出口集合時間前にお土産さんをぶらっと観てたら、売店のおばちゃんが出してきてくれたので即決で購入。なかなか国内では買えないと思う これ一冊でもスーツケースが重くなるのを実感出来ました。

余談ですが、成田空港到着後、第三ターミナルまでカートで移動し、ジェットスターで搭乗手続きをしようとしたら、去年フランクフルトで買ったばかりのRIMOWAのスーツケースの車輪が取れている事に気付く。すかさず第一ターミナルまで戻り車輪探すも見つからず。恐らくロシアの空港内で手荒く扱われた結果だと思われます。 またまたまだガイドさんが残ってくれていたので、海外旅行保険で証明書を書いてもらっていたが所、JALの手荷物扱いセンターへ行くことを教えてくれた方がいて行ってみると、JAL側が修理してくれる事になりました。JALの対応は素晴らしいが、デビュー戦のルフトハンザリモアを傷付けられてガッカリです。スーツケースは大切に扱って欲しい。

スパソ・ブレオブラジェンスキー大聖堂に行く途中に戦争慰霊碑がありました。反対側の慰霊碑には亡くなった方のお名前が書かれてあり、改めて戦争の酷さを感じました。 今は、空が青くて平和です。

こちらも慰霊碑近くでパシャリ。 なんて書いてあるんだろう…

船が出発! 港近くにもカラフル小遊園地がありました。

昨日見たウスペンスキー教会が見えます。

朝になりました。 昨日は写真を撮ってなかった朝の朝食会場をパシャリ。

昨日の午後から引き続いて、快晴です!空の青さが眩しいよ?

物思いに耽る方もいらっしゃいました。 絵になってしょうがない…自分がやったら絶対こんな風にならんだろうなぁと思いました(笑)

クルーズの折り返し地点まで来ると、面白い橋が渡っていました。 上に車、下に電車が走ってるみたいです。

寄り道しましたが、スパソ・ブレオブラジェンスキー大聖堂に到着! 神々しいです…!!やはり金の玉ねぎの中でも別格です。

大聖堂の後は、アムール川のクルーズに参加します。こちらの船に乗船します。

なんかオシャレな感じ。朝ごはんはソーセージなどお馴染みのメニューから、炒飯などアジアンテイストのものもありました。

私たちは、屋根ありの屋外部分に座って景色を眺めていました。 ガイドブックに載ってたせいか、日本人の方が多めです。 お隣の同世代の人たちともおしゃべりしたり、旅慣れしてそうなおじさんと喋ったりと、割とダラダラ過ごしました(笑)

日本は一つの島になっちゃってますね(笑)

犬がリードなしで走り回ってて気持ち良さそうでした。

これもまた、昨日見た遊園地の観覧車。 ちなみにのんきに景色を眺めていると、女の人(これも日本人)の叫び声が… どうやら蜂かアブに刺されてしまったようです… 船に乗られる方は念のため注意してくださいね!

本日の最初の目的地は、スパソ・ブレオブラジェンスキー大聖堂ということで、ホテルから坂道をおりていきます。 緑の道を歩いて行くのって気持ちいいですね!

川の上にいますね。レーニン広場と書いてあるところよりも南側から出発したので、結構進みましたね。黄色い橋が折り返し地点になります。

クルーズから帰ってきて、そろそろお腹が空いたということでお昼ご飯を食べに行きます。 メインストリートのところまで戻ってふらふら歩いていると、VDrovaというお店の店員さんが面白い格好をしてたので、入ってみることに。 海賊?ピエロ?のコンセプトレストランみたいな雰囲気でした。 メニューは普通のイタリアンでピザがオススメだそう。

何をオーダーするか迷ってると、店員さんによる寸劇がスタート(笑) 何を言ってるかは分からなかったけど、お客さんにハイタッチする流れになってたので、「うぇーい!」とノリよく返しました(笑)

とりあえずビールは欠かせないっしょ!ということで、ランビックをオーダー。 お店に入って席についたときに、店員さんから「ここのお店では、オーダーをするときに、マンマミーア!って言ってね!大きな声で言わないと、オーダー取りに来ないから!」と言われたため、大声で叫んでやりました(笑)

言わずもがなビールもオーダー。確かスペシャルラガーとかそんな名前のやつだった気がする。 グビグビ飲んでしまうぞ…料理来る前に1杯飲んでしまいました

レーニン広場を突き抜けて、ディアモ公園の方へ行きます。

食前酒が出てきました。いちごの甘ーいやつ。

適当に頼んだ前菜がまさかのイチゴてんこ盛りの一皿でした。日本だったら絶対頼んでない… でもクリームチーズやルッコラと一緒に食べると、そんなに甘さが気にならなかったです! まさかのインスタ映えするような前菜でしたが、それなりに満足。

店内はこんな感じ。お店自体は地下にあるのですが、木を使った家具で温かみのある印象でした。

建物とのコントラストも映える!

日本語メニューがあります!とガイドブックにも書いてあったので、最後の日くらい適当ではなくちゃんと選びたいということで、日本語メニューをもらいます。 ただ、この日本語メニュー、かなりの曲者でした。(オススメポイントです) 「毛皮のコートの下の手製のニシン」という想像もつかない料理を出してるみたいです(笑) Google翻訳にそのまま突っ込んじゃったのかな? 他にもいろいろ突っ込みどころがありすぎて、写真撮るのを忘れてしまったので、行ってみた方はメニューでも楽しんでみてください(笑)

天気もよし!

ディアモ公園を結構な感じで歩き回ったので、早くもお腹が空いてきました。 ハバロフスク最後の晩餐はこちら。 「レストランはロシア」さん(笑) ではなく、ルースキーさんです。ここの店、料理以外にも楽しめたので、かなりオススメです。

ピザ窯でちゃんと焼いた本格的なピザが来ました!美味しそうだったし、実際美味しかったです。 ロシア旅行最後の昼ごはんも満足でした!

お昼も食べたので、これまで行ってなかった北東方面に散歩しに行くことに。 レーニン広場には、お花がいっぱい咲いていました。 冬場は、氷のオブジェなども展示されるみたいなので、夏と違った雰囲気を楽しめるみたいです。 冬も来てみたいなぁ…

花にピントを合わせたのも撮っておきますw

早くも休憩してる友人w ただじっとしていると、どこからともなく虫が寄ってくるらしく、ひたすら手で払っていて、全然休憩になっていないという(笑)

スーパーにも寄って、お土産を物色。 やっぱりロシアに来たからにはウォッカだろ!と言って写真を撮りましたが、結局買わず…(笑) でも瓶がとってもおしゃれだったので、飲んだ後はインテリアとして飾っておくのもアリだったかも。

ディアモ公園を散策した後は、お土産を見に、メインストリートまで戻ります。 お店の日本語対応は素晴らしかったです(笑) 値引こうとする人なんているのかなぁ?

ここにもやっぱりカラフル遊具はあるんです。

偽ダンボ。

街灯にもお花が飾られています。

池が中心の公園みたいです。

結局お土産では、おそらくど定番のこのチョコレートを大量購入。 帰ってから自分も少し食べましたが、中にナッツとかレーズンが入ってたりと、あんまり日本にはない感じのチョコレートで美味しかったです!(写真のやつはナッツだけだったかも)

まずは一品目はこちら。ボルシチ! そういえば、まだロシアに来て食べてなかった! 夏でもこんなに美味しいんだから、極寒の中でも食べたら染みるんだろうなぁ… 結構量も多かったので、スメタナでしっかり味変させて完食いたしました。

最後の一品は、ビーフストロガノフ。 ちょっと濃いめの味でしたが、パンと一緒に頂くと、無限にビールが飲めそうでした。

飲み食いと散歩をし続けたら、1日が終わってしまいました。 明日はちゃんと帰れるように祈るばかりです。

昨日食べ損なったキエフ風カツレツ。 中にバターも挟まれており、肉汁感もたっぷり。 たまらん…!!

この日は全部で13kmを歩き回りました。 今日もよく歩いたなぁ… 次回の旅行記はハバロフスクから日本への帰国編です。

5月30日、ピョートル大帝夏の宮殿の庭園(下の庭園)の続きです。 いたずらの噴水を通り過ぎるとモン・プレジール宮殿の正面に出てきました。 モン・プレジール宮殿は公園の中で最も海に近い場所にあり、フィンランド湾を一望することができます。 夏の宮殿では一番最初に建てられた建物で、ピョートル大帝は豪華な大宮殿よりもこの小さな宮殿にいることを好んだそうです。 「モン・プレジール」とはフランス語で「お気に入り」と言う意味ですが、ピョートル大帝はお気に入りの場所で何に思いを馳せていたのでしょうか。 この宮殿は別料金で観光できますが、外からガラス越しに内部は覗けます。但し見えるのは大広間だけ、内部の照明が燈っていないため薄暗い印象でした。

次は太陽の噴水。中央の棒の先から噴き出る噴水が太陽を現しているそうで、さらに噴水全体が回る仕掛けになっていました。 どうでしょうか。太陽のように見えますか?

噴水は吹き出すと勢いをまして高く吹上げます。この飛沫を浴びるとびしょ濡れです。 我々のグループも左右に分かれてご夫婦で参加された方から挑戦が始まりました。 機敏な子供と違って熟年組や老年組は敏捷さが落ちているため、どうしてもトラップに引っ掛かってしまいます。ほとんどの方が噴水を被ってしまいました。 何度も走る姿を見ているとある地点を過ぎた時に噴水が噴き出すことが分かってきました。要はその地点を早く通り過ぎることが出来れば、噴水を浴びることはありません。 但し頭では分かっていても果たして体が反応してくれるかどうか。 ええい、ままよ。やるしかあるまい。添乗員さんと二人でスタート位置に着きました。添乗員さんから声がかかります。「用意はいいですか?」 「いいですよ。」と私が答えたのと「GO」と添乗員の掛け声がかかったのが同時。 添乗員さんは「GO」と同時にスタート。私は一呼吸遅れてスタート。この遅れがこの後の二人の運命を変えました。 私は頭から上半身もろに噴水を被って水もしたたるいい男になりましたが、添乗員さんは被害を最小限にとどめていました。 「○○さん、大丈夫。乾く乾く。」明るく笑う添乗員さんでした。 確かに上半身の濡れは乾くでしょうがそれよりも参ったのは走る時にあがった泥の混じった水はねです。 ご覧のように石畳は泥水状態、この中を全力で走るためかなりの量の水はねが上がります。むろん噴水の飛沫も浴びるためズボンの裾は濡れそぼっていました。 この後さらに庭園を歩いたのですが土ぼこりが濡れたズボンに付着し汚れてしまいました。 よって結論、夏の宮殿の庭園観光では汚れても構わないズボンを着用しましょう。

木の枝から水がほとばしっている噴水がありました。行きな趣向だなと思って通り過ぎましたが、ここも「いたずらの噴水」だと知ったのは通り過ぎた後。 写真には写っていませんが写真の右に白いベンチがあり、そのベンチの前を歩くと噴水が噴き出すそうです。 幸いにも我々はベンチの反対側を歩いたため仕掛けに引っ掛かからなかったという訳です。 ここまで歩いてくると「いたずらの噴水」にはあることが共通していることに気が付かれたのではないでしょうか。 「いたずらの噴水」には白いベンチが共通しています。これらのベンチの前に噴水の仕掛けがあり水が吹きだしていたんです。 くれぐれも白いベンチにはご注意あれ。ベンチの前に仕掛けがありますぞ。 遊び心のあるいたずらの噴水、子供には大受けでした。我々も童心に返ったように必死で走って「やられた。」と爆笑。皆の顔は満面の笑み。良い思い出になりました。 さて、この先の通路にもご注意下さい。通路を抜けるとローマの噴水と呼ばれる大きな噴水がある庭園に出ますが。庭園に出る手前には「水の道」と呼ばれる大掛かりな噴水があるそうです。 13時、14時、15時ジャストに道の両側から一斉に噴水が噴き出して水のトンネルができその中を傘をさして進むのだそうです。多分「いたずらの噴水」を水着を着てクリアした少女などは傘などささずに走り抜けるのでしょうけど。

筋肉隆々の像発見。こちらはサムソン像?サムソンと同じように噴水を高く噴き上げているんだけど背中なので分からない。

ローマの噴水がある庭園。フランス式の広い庭園でした。

ローマの噴水がある庭園。

ローマの噴水がある庭園を過ぎると下の庭園のチューリップがお出迎え。

再び登場したのが「いたずらの噴水」です。 水浴びが大好きな子供には面白い所でしょうが、いい大人には少し酷な噴水でした。何故って?それはですね、このいたずらの噴水は仕掛けに挑戦しない限り先には進めないようになっていたからです。 ここは大きく一周するように道が造ってあって、その道の左右に「いたずらの噴水」がありました。 写真は左側のいたずらの噴水。同じものが右側にもあって白いベンチの目にある石畳を踏むと仕掛けが作動し、ベンチの後ろから噴水が噴き上げて観光客に降りかかるという寸法でした。 先に進むには右にしろ左にしろ「いたずらの噴水」に緒戦するしかありません。 二人一組でペアを組み左右に分かれて走ることになりました。 私は一人参加だったのでご夫婦で参加された方々の後に走ることになりました。他に一人で参加された方が幾人もいらっしゃったので、組み合わせを決めようとしたところへ添乗員さんから「○○さん、一緒に走りましょう。」と声がかかりました。 「はい、頑張りましょう。」添乗員さんのお誘いですので有難くお受けしたのは言うまでもありません。 写真は見事仕掛けをクリアして濡れずに駆け抜けた男の子。 石畳を走ると左隅のベンチの奥から噴水が吹きあがります。写真手前に横一列に並んだ石がスタート地点です。

木立ちが茂った道を進んで行くと大きな噴水がある庭園に出てきました。これはローマの噴水、バチカン市国のサンピエトロ広場にある噴水がモデルだそうです。 庭園には2基の噴水がありますが、これもサンピエトロ広場には噴水が2基あるのでそれに習ったようです。

ローマの噴水。こちらはシャッター速度を変えて。

2基の噴水はこんな感じで並んでいました。

こちらはチェスの山の滝。 チェス盤の上には3頭のドラゴンがいて、その口から水が流れ落ちていました。 どうしてチェスの山と呼ぶんでしょうか?それは3枚の板がチェス盤の模様に似ているから。そして3枚のチェス盤を連ねて高く山なりにしているからと言う事でした。

ドラゴンはこちらの写真の方がはっきりしています。

ローマの噴水。

ローマの噴水、こちらは東側の噴水です。

ローマの噴水。

ローマの噴水、これは西側の噴水です。

この像はトリトン像。さしずめトリトンの噴水といったところです。。

海獣の口を引き裂くトリトン像でした。

フランスの噴水と庭園。チューリップは今が満開で進んです。

一斉に咲き誇ったチューリップ。オランダに比べると開花時期は1か月以上も遅いんですね。

ピョートル大帝夏の宮殿です。1710年、ここにピョートル大帝が小さな館を建てたのがペテルゴフの始まりです。ペテルゴフとは「ピョートルの宮殿」と言う意味だそうですよ。 1714年から現在の宮殿と庭園の建設が始まり1723年に完成しました。 独ソ戦のレニングラード攻防戦でドイツ軍に占領され、宮殿と庭園の給水システムが破壊されました。

夏の宮殿は第二次世界大戦の独ソ戦、レニングラード攻防戦で甚大な被害を受けましたが1995年に復元されました。 宮殿内部の宝物や絵画、美術品などは全てシベリアに疎開されていたためされ略奪を免れました。 でもこの宮殿の被害はまだいいほうです。建物の壁は残っているんですから。ポーランドにあるワルシャワ王宮はワルシャワ蜂起の時にドイツ軍に計画的に破壊されてしまい王宮跡には瓦礫しか残っていませんでした。 その写真は非常に衝撃的で、目が潤み涙がこぼれ落ちそうになったことを鮮烈に覚えています。 戦争はよくありませんね。全てのものを葬ってしまいます。この宮殿もエカテリーナ宮殿も復元されたもので、本物ではないんですから。

宮殿だけでなく庭園も被害を被りました。

こちらは庭園の修復の様子。

夏の宮殿と大滝。

待つこと暫し、やっと中国人の観光客が移動したので、その空きに大滝の写真を1枚ゲット。 大滝の階段は7段、金色の彫像はギリシア神話やローマの神々だそうです。

サムソン像を横から見た写真。

同じ場所から横構図で。

階段を上って上から眺めたフランスの噴水。左に見えるのはサムソン像の噴水です。

階段から降りて大滝の近くに移動。ここは沢山の人で溢れ大滝のみの写真がなかなか撮れません。

大滝の両側に階段があるため上り下りする人で一杯です。中国人が写真を撮る場合は一人が何ポーズも撮るため時間がかかり、しかも容易に移動してくれません。

大滝側の階段を上がって夏の宮殿前のテラスにやって来ました。 ここから見下ろす運河と下の公園の景色が素晴らしいのですが。 なお、夏の公園前のテラスは観光客、特に中国人観光客で大混雑でした。容易にテラスに近づけそうもありませんでしたが、ここでもガイドのオルガさんから声がかかりました。「皆さん、遠慮してはダメです。どんどん前に出て下さい。日本の皆さんは遠慮しすぎです。」と。 再びオフガさんの声に後押しされてテラスの最前列を確保。その後少しづつ中央に移動していきました。

テラスのど真ん中は複数の中国人観光客が代わり替わりに写真を撮り合っていて、いくら待っても彼らは移動しそうにありません。 いつまでもテラスに張り付いている訳にもいかず、中央辺りで写した2枚目の写真がこちら。

さらに左に移動して写したのが子の写真。ど真ん中ではありませんがバッチリ撮れていると思います。

下の庭園東側の景色。東側にはフランスの噴水があります。

そしてこちらは西側の景色。こちらにあるのはイタリアの噴水です。

下のテラス付近の彫像をアップで。

ピョートル大帝夏の宮殿。金の装飾が美しい。

奴の宮殿前を西に移動して眺めた下の公園の景色。

観光客はこの階段で下の公園と上にある夏の宮殿を行き来します。

サムソンの大噴水の周囲の様子。

夏の宮殿。屋根の金色の装飾が眩しい。

夏の宮殿(大宮殿)前は入場を待つ観光客で長蛇の列でした。写真右にさらに列が続いており、5月というのに早くもシーズン突入のようでした。 但し観光客の大部分が中国人観光客。ここではきちんと列を作っているから驚きです。 政府によるマナーの指導が少しは浸透してきているのかな。

夏の宮殿の西端からは下の公園が一望できます。その景色は正に圧巻。すばらしいです。

ここは大滝の部分。横から見るとその景色が一変します。

下の公園の景色は素晴らしかった。

この景色を写したくてしばらくカメラを構えていたが写真右下の中国人の男性がいくら待っても動いてくれなかった。 痺れを切らして写したのがこの写真。ツアーでなければ動くまで待っていたのに。

これもそうですし。

この写真もそうです。

ここは宮殿西側の出口。ここから駐車場までは歩いて約10分。この間の道沿いに沢山土産物店がありました。マトリョーシカしかなら1000円から2000円程度の人形が多数あります。なかには日本語で値段が書かれた店もありました。 品定めをする暇が無いので目で追って行くばかりでしたが、ゆっくり見たかったです。

前菜は油彩スープ。サワークリームがのせてありました。ロシア人はスメタナ(サワークリーム)が大好きでどんな料理にも付けてあるそうです。 飲み物は無料でコーヒーまたは紅茶とミネラルウォーターが1本付いていました。ロシアのレストランではどこもこれらの飲み物はサービスだったので、その内飲み物を注文する人が少なくなりました(笑)。

ロシア風餃子のペリメニ。東欧圏の国ではよく出てくる料理です。私はポーランドのクラクフでペリメニを食べましたが、そちらのペリメニはロシアの物よりも大きかったです。ロシアのペリメニの方にはサワークリームがのせてありました。 ペリメニはロシアが本場、こちらの方が断然美味しかったです。ここにきて美味しくないロシア料理伝説は完全に崩れ去りました(笑)。 ロシア料理は美味しくないと散々聞かされてきましたが、彼らは一体どこのレストランで食事をしたのでしょうか? さて、このレストランで食事をしたのは我々の他にもう一組の日本人ツアー客でした。それも偶然にも同じ阪急トラピックスのツアー客の方。 何処から参加されたのか伺うと関西とのことでした。我々は6日間のツアーですが関西発は8日間の充実ツアー、但し我々はバレエ鑑賞が組み込みのツアーでした。 オプショナルであれば2万5千円しますので我々のコースの方がお得かもしれません。 ところで料理ですが、もう一品あったと思うのですがどうしても思い出せません。このレストランでは食べきれないほどの料理が出たとしか記憶がないのです。 パンは黒パンを食べたのですが、写真を写していないのではっきりしません。デザートはクレープでしたがこれも美味しかったです。 さて、午後の観光はいよいよお待ちかねのエカテリーナ宮殿の観光でした。 予定ではここから約1時間、プーシキンという町まで行きます。

昼食のレストランはこの建物の1階、建物はまるでロケットかロボットの様でした(笑)。それを意識して建てたのでしょうか。

宮殿の観光の後はペテルゴフのレストランで昼食です。 ペテルゴフの町はこの様に緑に覆われた町でした。

さらにまた右側を写してみたり。 同じような写真ばかりですが、この景色が気に入って何枚も写真を撮りました。

ピョートル大帝夏の宮殿および上の庭園の入口です。

この交差点、左がピョートル大帝夏の宮殿の敷地で右の敷地には執事や召使い、御者など宮殿に仕える者たちの住まいや馬屋が残っています。

この建物もそういった物の一つです。緑の多いペテルゴフ、夏の宮殿の庭園は良かったですよ。特に「いたずらの噴水」はお勧めです。是非童心に帰って噴水の中を駆け巡って下さい。 以上でペテルゴフの旅行記は終わりです。次はエカテリーナ宮殿の旅行記ですので掲載まで今暫くお待ち下さいますようお願いいたします。

写真を撮る場所とシャッター速度を変えてもう一枚。

ペテルゴフに近づくと多数のダーチャが見えてきました。その多くは写真のような老朽化したものか掘っ立て小屋のようなダーチャでした。 写真の奥に見える建物は新しく建てられたアパートのようです。

車窓の風景。 モスクワとサンクトペテルブルグ間はほとんどこのような森や林や原野でした。僅かに一か所池がありましたが、それも美しい景色とは程遠いものでした。 町らしき景色はサプサン号が停車した3つの駅周辺しかありません。他にはいくつかの村とダーチャ(ロシアの別荘)が何棟も集まった場所が所々に見られるくらいでした。 欧州の列車の旅はこれが3回目で車窓の景色を楽しみにしていましたが、全く期待を裏切られました。

我々の乗車した列車は2等車です。車内の写真を撮り忘れましたが、座席は左右2座席づつです。座席の広さも座り心地も日本の新幹線と変わりません。日本の新幹線は左右で5座席ですから、日本の車両の方が幅広です。 一番感じたのは速度が遅い事。高速鉄道と言いながらも日本の新幹線と比べるとはるかにスピードが遅いです。 モスクワ、サンクトペテルブルグ間約700?を約4時間で運行するので時速は175?、遅いはずです。そのためか座席の揺れは少なかったです。

所々このようなダーチャが集まっているところが見受けました、

ダーチャにも色々あります。大きな建物があるかと思えば掘っ立て小屋のような建物もあります。

いつ果てるとも知れない森林。延々とこのような景色が続きます。 ロシアの大地は広大なり。森林資源は計り知れない。未開発の土地も数多く残っています。

サンクトペテルブルグには19時に到着するため今宵の夕食はレニングラード駅で受け取った弁当です。中身は純然たる日本のお弁当、弁当の納入先は「日本レストラン夢」と書いてありました。 早めに食べることにしましたが、味は日本で食べる弁当と変わりません。思っていた以上に美味しいです。お米も美味しい。海外の日本食レストランで食べるご飯は不味いことが多いのですが、このご飯は冷めていても美味しかったです。 帰国後ガイドブック「地○の歩き方」で調べて見ると、「レストラン夢」はモスクワの在留邦人にこよなく愛される日本料理店として紹介されていました。 店長は日本人の方で料理はモスクワ一との評判で日本で食べる味と変わらないそうです。 なるほどと納得しました。

19時10分過ぎに終点のモスクワ駅に到着しました。すでに夕方ですがこんなにも外は明るかったです。 そういえばここサンクトペテルブルグでは6月2日から白夜だそうです。確か6月20日までとガイドさんが言ってました。

モスクワ駅構内の様子、改札口を出た所です。

モスクワ駅構内の様子。半袖を着ている人が何人かいますが駅舎の中は暑かった。 モスクワよりもサンクトペテルブルグの方が北にあるのに、なぜかこちらの方が暑いのです。 我々は長袖だったので、まるで一気に常夏の国に来たかのようでした。

ここは待合室のようです。沢山の人でごった返していました。 駅舎らしからぬ装飾と、天井には大絵画。シャンデリア風の照明は宮殿を連想させます。駅舎とは思えぬほどに建物は豪華でした。 この部屋はさらに暑かった。外から熱風が吹き込んでいたんです。人混みと雑沓、熱風が吹き込むこの場所はいったいどこなんだろう。我々は本当にロシアに来ているんだろうか・・・?と、このような気持ちになりました。 外に出て見ると駅前広場(蜂起広場)には人が溢れ、駅舎内よりもさらに暑い熱風が吹いているではありませんか。本当に夏みたい。駅前は喧騒と人混みにまみれており、美しい古都のイメージが脆くも崩れ去ってしまいました。 我々はこの喧騒から逃れるように急ぎ足でその場を立ち去り、駐車場に駐車していたバスに乗り込んでホテルに向かいました。

浴室です。アメニティはありません。ボトルタイプのものを使用します。

バスタブも清潔でした。湯の出も問題ありません。バスタブの栓も問題なし。 私はバスタブの栓でトラブルが多いので、これが一番気に架かります。

ベッドの寝心地は良かったですよ。おかげで熟睡できました。

室内の様子です。掃除が行き届き清潔な印象を受けました。 TVはロシア語なのでさっぱり分かりません。向学のためにチャンネルを回してみましたが、天気予報以外は理解できないのでほとんど見ませんでした。 モスクワのホテル程には広くありませんでしたが、一人での宿泊なのでスーツケースを広げるスペースは確保できました。 眺望は良くありません。私の部屋からは目の前にあるビルが見えるだけでした。そのため写真は無しです。

このホテルも冷蔵庫、ポット、スリッパ、ミネラルウォーター2本サービス付き。中央に赤く見えるのがスリッパです。 WIFIは無料で、WIFI環境は良かったです。 本日はこれから旧市街のイサク聖堂あたりまで行き夜景を撮ってこようと予定しています。旅行記によると旧市街までは歩いて30分程度で行けると書かれてあったので徒歩で十分観光できる範囲です。 サンクトペテルブルクは6月2日から白夜なので現在21時前なのにまだ十分外は明るかったです。 用意した地図を持って出かけました。「地球の歩き方」は重いのでホテルに置いて行きましたが、これがそもそもの間違いでした。

現在21時5分、ホテルの近くの交差点ですがこんなに明るいです。このくらいの明るさなら街歩きに問題ありません。 ところでこのホテルの周囲にはスーパーがいくつもありました。スーパーの表示は「24」、24時間営業と言う意味だと思いますが22時頃には半数が閉まっていました。 写真右の交差点を奥に進めば大通りのモスコフスキー通りに出ますが、ホテルの前の道を右に進めばモスコフスキー通りの近道になるのでこの道を進むことに決めていました。ホテルからモスコフスキー通りに行くには一旦南に下るので遠回りになると思っていたのです。 ところが地図に書かれている道が無い。えっ、この地図間違っている?グーグルマップをコピーしてくればよかった。この時一旦引き返して時間がかかってもいいからモスコフスキー通りを進めばよかったのですが、地図を見ながら別のルートを選んで進むことにしました。突き当りのT字型の通りを左折するはずが、どういう訳か右折してしまったのでいつまでたっても大通りに出ません。 どうもおかしいと引き返したのですが、この辺りから方向感覚が狂っていたようです。ともかく進んで行くと大通りに出たので道なりに進んで行きました。私はこの道がモスコフスキー通りだと思い込んでいましたが、実際は全く違う道だったのでモスコフスキー通りからは遠ざかるばかりでした。 兎も角道なりに進むと右手に大きな宮殿のような建物が見えてきました。この建物はロシア国鉄ヴィテプスク駅、駅名はキリル文字で分かりませんでしたが、この駅の隣に地下鉄(メテロ)の駅があったのです。メテロの駅名はプーシキンスカヤ、英語が併記されていたのでメトロの駅名は判別できました。 分かった所で地図を確認すると、ここからも旧市街に行くことができると分かりました。但し時間はかかりそうです。 さて、ここから進路を変えて旧市街に行こうか、どうしようか。道を間違って歩き疲れたこともあり、心も折れてすでに夜景を見たいという気持ちは萎えていました。 じゃ、ホテルに帰るか。おっとその前にヴィテプス駅の写真を撮らなくては。後で知ったのですが宮殿のような立派な駅舎はアールヌーボー様式の有名な建物だそうです。残念なことに中には入りませんでした。 という事で数枚駅舎の写真を撮り、駅の前にある小公園の端に帝政ロシア時代の道標の石碑も一緒に写してホテルに戻りました。 ところが、帰国後この旅行記を作成するためにPCに写真を取り込むと写したはずのヴィテプス駅の写真が無い。無論道標の石碑の写真もありません。 写真の連番を確認しましたが欠番なし。確かにシャッターを切って写真を写したはずなのにCF(コンパクトフラッシュ)に記録されていません。 駅の写真は1枚はフラッシュを焚いて写しているので写真を撮ったことに間違いない。前もこんな事が起こった事がある。カメラの故障か不具合か、それとも記録媒体の不具合だろうか?はたまた摩訶不思議なことが起こったのか? 兎も角今後はシャッターを切った後に間違いなく写真がとれているかどうか確認してみることにした。

おはようございます。5月30日です。 今日の予定はペテルゴフのピョートル大帝夏の宮殿とプーシキンにあるエカテリーナ宮殿の観光です。おっと忘れてはいけない。夜はサンクトペテルブルグの劇場でバレエの観劇です。 どこの劇場なのか、まだバレエの演目も聞いていないのです。日本人によく知られている「白鳥の湖」かな、私は「ジゼル」も好きなんだけど。 あっ、朝食の話をしないといけませんね。朝食は朝7時30分からでした。 このホテルはツアー毎に入場時間を決めているようです。その方が混み合わなくて良かったです。 今日の朝食は写真のとおり。写真のパンはライ麦パンです。黒パンを取っていなかったのでこの後追加で黒パンとコーヒーをいただきました。 黒パンは美味しかった。昨日の朝も黒パンを食べましたよ。病みつきになりそうです。 昨夜は街を彷徨して目的地にたどり着けず心が折れてしまいましたが、日が変われば食欲は旺盛です。 朝地図を広げて昨夜歩いたところを再確認したのですが、どうして北に向かうはずがわざわざ北東に向かったのか訳が分からなくなりました。 普通に考えてもおかしいのです。私は方向音痴でもないし、勤務時代は地図を片手にお客様の工場や社屋をしょっちゅう訪れていたので、地図には慣れているはずなのに・・・。今考えると、あの時はどうかしていた。何かに取り付かれたように違う道を進んでいたとしか考えられません。

本日の宿泊先のホテル、「オリジナル・ソコス・オリンピアガーデン」です。建物の写真は翌朝写したもの。 サンクトペテルブルグ旧市内の中心地からは離れた所にありますが、周囲は住宅地で閑静な場所でした。

同じくモフコフスキー通り。こちらは南側の方向。ペテルゴフに行くにはこの道路を進んで行きます。 もし再びサンクトペテルブルクに来る機会がありホテルも同じであれば、今度こそはモフコフスキー通りを歩いて夜景を見に行こうと心に決めて、公園内を歩いてホテルに帰りました。 公園は緑の多い静かな公園でした。所々にベンチもおいてあるので散歩にはいいと思います。

モフコフスキー通りです。こちらの方向が旧市街、ここまで来るのにさほど時間はかかりませんでした。 道路沿いに設置されたプランターでは花が満開でした。 今日朝から快晴です。絶好の観光日和だ。

この道が昨夜歩いた道です。歩いたのはここでは無く、写真の先の方。今はモフコフスキー通り(モスクワ大通り)に向かっている所です。 昨夜来るべきだった通りを見ておこうと歩を進めているところです。今日の出発は9時なので食後の散歩には丁度いいかも。 写真左には公園にがあります。市民公園のようです。

ロビーの奥の部屋にあるバーカウンター。手前にあるのはサッカーゲームですね。 まだ時間が早いのかお客さんは誰もいませんでした。

レストランの様子です。

同じくレストランの様子です。 モスクワのホテルのようにごった返してはいませんでした。

ホテルのフロント。写真左奥がホテルのレストランでした。 このホテルは4つ星ホテルで大韓航空などいくつかの航空会社のCAさん達が宿泊していました。 日本人の団体客は我々の他に2グループ、うち1グループは我々と同じく阪急トラピックスのツアー客、関西から来られたそうです。この方達とは翌日の昼食会場のレストランでもお会いしました。 中国人ツアー客は少なかったです、多くは欧米の外国人の団体客の方でした。

ホテルに到着し8時45分にロビーに降りてバスを待ちましたが9時を過ぎてもバスが着ません。 結局30分遅れの9時半にホテル前を出発しました。これって多分ロシア時間なんでしょうね。今までは観光バスの到着遅れって欧州でも経験したことはなかったのですが・・・。・結局はこの30分の遅れがピョートル大帝夏の宮殿の公園で思わぬ事態を招くことになろうとは、この時は誰も想像できなかったと思います。 それはそれとして写真はホテル近くの公園のそばにあった教会です。 金ピカのネギ坊主ではありませんが、素朴な色合いの装飾が素敵でした。

今日からガイドさんはサンクトペテルブルグ生まれのオルガさんです。 オルガさんはロシアの名門サンクトペテルブルグ大学を卒業後、大学でロシアの歴史を教える教師をされていたそうで、大学を退官後は観光ガイドとして勤めているそうですよ。 我々は幸運にもロシアの歴史に詳しいガイドさんに案内していただくことになりました。非常に歴史に詳しい方なので、とても懇切丁寧に観光地を案内してくださいました。 但し私はメモが追い付かず、多くの説明が右から左へと流れてしまいました。 さて、写真はバルチースキ駅、この駅から列車でペテルゴフに行くことができます。

サンクトペテルブルグの町を出るとこのような林や森林、原野が続いています。 写真は白樺林、ロシアは手つかずの土地が本当に多い。羨ましい限りですね。

こちらは新しく建てられた個人住宅です。ロシアはソ連崩壊後貧富の格差が急速に広がりました。富裕層との差は歴然で、ここペテルゴフでも富裕層の人たちが住んでいる場所は広い庭園を有しており、豪邸がならんでいました。 そのため低所得者層はソ連時代に戻った方が良いとの意見が高まっているそうです。 富裕層になるためにはあるからくりがあるそうで、それは政府高官と親しくなることだそうです。そうすることで特別な利権や恩恵にあずかることができ、裕福になっていくんだそうですよ。 政府高官と親しくなるには当然賄賂が必要で、まるでC国と同じような歩みをしているんだそうです。

5月29日後半の旅行記です。本日モスクワは快晴、昼食を取った後にモスクワのレニングラード駅からロシア版新幹線サプサン号に乗車してサンクトペテルブルグに向かいました。 15時5分発でサンクトペテルブルグのモスクワ駅には19時着の予定、約4時間の列車の旅です。

延々と続く原野然とした大地。

運河に架かる橋の上から写した宮殿と噴水。

ピョートル大帝の2番目の妻エカテリーナ1世の胸像噴水。 夏の宮殿の庭園(下の庭園)には多数の噴水があるそうですが、我々はこの噴水から観光をスタートしました。 水が出る時間はまだとのことでどのような噴水かは分かりませんでした。

夏の宮殿の下庭園は芝生の他にこのような刈込された木立ちが続いていました。 写真は庭園内のマルリ宮殿。

マルリ宮殿の前を通り、次にガイドさんに案内されたのがエルミタージュ。 このエルミタージュが本家本元です。エルミタージュとは隠れ家と言う意味。ピョートル大帝が日常の喧騒を離れて一人思索する場所として建てた館です。

ピョートル大帝夏の宮殿に到着しました。 夏の宮殿付近にはバスは駐車できないため、宮殿の左側にある駐車場近くの入口から入場しました。 これは庭園入り口の案内板。

ピョートル大帝夏の離宮の庭園入口です。 入り口から入るとすぐになだらかな下り坂があり、そこを下ると左側に無料トイレがありました。 トイレ休憩の後、夏の宮殿の庭園(下の庭園)の観光がスタート。トイレの下には左に進む道があり、その先も庭園の一部だそうですが、そちらの観光はしませんでした。

エルミタージュ。フィンランド湾を臨む場所に建てられていましたが外観のみの観光でした。 背後の海がフィンランド湾。

11時ジャストに国歌の演奏が始まり一斉に噴水が始まりました。 噴水の近くではなかったけれど、これには大興奮、大感激。同行した女性の皆さんは興奮して「キャーキャー、ギャーギャー」喚いていました(笑)。 大噴水の向かって歩きながらガイドさんが手短に再集合の時間と場所を支持、そして大きな声で「皆さん、遠慮しないでください。遠慮してはダメです、一番前で見て下さい。沢山写真を撮って下さい。」と送り出されました。

皆さん一斉に噴水に向かって速足、私もガイドさんの声に背中を押されて前に出ようとするが中々たどり着けない(笑)。 噴水の周りは先に陣取った観光客にブロックされていて入り込む空きが無いのです。 人の頭越しに写真を写したが人が入らない方がいいだろうとしばらく噴水を眺めながら周囲の状況を見ていました。 写真はサムソンの大噴水と階段状の大滝。

場所を移動しつつ人の流れを見ていたら、噴水の一番前で見ていた人たちが一人、二人と動き出しました。これはチャンス、「ソーリ、ソーリ」と言いながら間に少しずつ進んでようやく一番前を確保。

逆光を気にしながら写真撮影開始。 中央の大噴水、金色のサムソンの像はライオンの口を引き裂いている姿の象でした。 さて、落ち着いたところでピョートル大帝夏の宮殿の庭園について簡単に紹介しましょう。 この宮殿と庭園は1710年に建設が始まり、1723年に完成しました。宮殿の下にある庭園は「下の庭園」と呼ばれていますが、多数の噴水があることで有名です。その数は何と150以上だとか。 驚くのはポンプなどの動力は一切使わずに、自然の高低差を利用して水を噴き上げていることです。 15m高い宮殿の南側から北の海側の低い庭園に下る水位差を利用しているそうです。噴水には大量な水が必要なため庭園に水を供給する貯水池がいくつも設けられ、そこから送水管で水を引いているそうです。例えばサムソンの大噴水は噴水より標高が20m高い位置にある貯水池から引かれています。大滝に使用する水は22km先にある貯水池から送水管で水を引き込んでいるそうです。 庭園の東側には多くの噴水があり、「いたずらの噴水」と呼ばれる仕掛け噴水もあります。これらが全てが自然の高低差だけで動いているというのですが、実際目にしてみると、とても信じられません。 いやはや、ロシアの技術恐るべしです。いたずらの噴水などは後で紹介しますね。

さて、ここの噴水だけで64、水の吹き出し口は142、金色の彫像は37体、夏の宮殿の庭園で最も華やかで美しい所です。 この庭園はテレビで何度も見たことがありますが「百聞は一見に如かず」、映像で見るのと実際に見たり体験(いたずらの噴水)したのでは大違い。 印象は全く違いました。本当に素晴らしいです。まずはここにいらして、自分の目で見て、いたずらの噴水も体験してください。

フィンランド湾です。沖に見える島がコトリン島、写真右に金色に見えるドームを頂くのは海の大聖堂。 ここはクロンシュタットと呼ばれる要塞の町でロシア軍の軍港があります。明治時代はるばる日本海の対馬海峡まで航海して来たロシアのバルチック艦隊の根拠地でした。

写真を拡大しましたが背後にピントが合っていなかったので聖堂の姿がばやけています。 ところで皆さん海の色といったらどんな色を思い浮かべますか?通常思い浮かべる色は青やエメラルドグリーンや群青色だと思いますが、バルト海に通じているこの湾の色は黒色なんです。 黒といっても真っ黒ではありませんが限りなく黒に近い色、オランダで見た北海の色もこれに似た色だったので北の国の人々が地中海に面した国々にバカンスで訪れ、綺麗な海を楽しみたいという気持ちが分かる気がします。 フィンランド湾の色は写真のような黒っぽい色でした。

これがそのライオンの彫像。建物の左右に2体ありますがそれぞれ噴水仕立てになっていました。

ライオンの滝です。ここに来る少し前に噴水が始まりました。今は10時53分、10時50分に噴水が噴出したのかな。 さて、ギリシア神殿のようなこの建物が何故ライオンの滝と呼ばれるかって? それはライオンの彫像があるからなんですよ。

ライオンの滝の前を通り過ぎて真っ直ぐ進むと、次に現れたのが「イヴの噴水」。 ガイドさんはイヴの前を通らずに後ろ側を歩いて行っちゃった。 そういう訳でイヴさんは後ろ姿のみです。長い髪と豊満なお尻が魅力的。前が見れなかったのが残念。

庭園の道に沿って木が植えられ綺麗に刈込がされています。 道にはゴミ一つ、落ち葉一枚もありません。これは開園前に多数のボランティアの人達が掃き清め、日中は公園の整備員(国家公務員)が巡回し清掃しているそうです。 夏休みになると各学校の生徒さんたちが交代で連泊し、ボランティアで清掃作業を行うそうです。これは今では学校の行事として定着しているそうですよ。 この様にして美しい庭園が維持され守られているんですね。感心しました。

午前11時1分前にギリギリ間に合うかのようにピョートル大帝夏の宮殿前の庭園に到着。 11時からロシア国歌の演奏と伴に大噴水の一斉放水がはじまるんです。ともかく間に合った。これでガイドさんが急いでいたんですね。 まだ大丈夫放水は始まっていません。

ピョートル大帝夏の宮殿と「イタリアの噴水」。 この噴水も11時に放水が開始されます。

ピョートル大帝夏の宮殿と下の庭園。

「イタリアの噴水」。訪れた時は丁度チューリップが満開の時期でした。

11時からの放水開始を見ようと大噴水の周りや宮殿前のテラスなどは観光客で溢れていました。それに我々がいる方向からだと太陽は真正面、完全に逆光です。デイシンクロで写しかありませんが色が悪くなります。 この時期は11時でも太陽は上がり切っていません。太陽が中点付近に差し掛かるのは真夏の時期ごろでしょう。 そのため逆光を避けるには早い時間から大噴水の東側(我々の反対側)に行って噴水の周りに陣取りベストポジションを確保しておくか、11時の噴水開始時間を避けて太陽が中点に差し掛かっているであろう昼過ぎに大噴水をみるか、あるいは観光じきを7、8月にするかだと思います。 これがあるからホテルの出発は9時だったのですね。今までの経験からガイドさんは良いポジションで大噴水の放水開始を見せるつもりだったのでしょうけれど、バスが30分も遅れたので予定が狂ってしまいました。 結局噴水の放水開始は離れた場所から見ることになり、しかも逆光で写真を撮ることになってしまいました。

夏の宮殿から眺める大噴水や大滝も美しいのですが、迫力は断然下の公園の方がいいです。

サムソンの像と階段を流れ落ちる大滝。 サムソンの大噴水が噴き上げる水の高さは20mを越えるそうです。サムソンから口を引き裂かれているライオンは1700年から1721年の間に行われた大北方戦争の強敵スウェーデンを、サムソンはロシアを現しており、バルト海の覇権を巡るスウェーデンとの戦勝を記念して作られました。

宮殿と噴水、大滝をアップで。

再び大噴水の写真。この日も快晴だったので逆光が強い。 噴水の周りを回って左(東側)に進めばいいようなものの、間に幅広の運河があるので左には行けません。行くにしても大滝の側にある階段を上がり宮殿のテラス前を進んで左の階段を下りないと左には行けないので時間がかかりすぎます。そのため西側で写真を撮りましたが始終逆光に悩まされました。 次に運河に架かる橋を渡って東側にある庭園を観光しました。

庭園の隅には独ソ戦の時にドイツ軍に破壊された夏の宮殿(上部の写真)と庭園の噴水の写真が掲示されています。

モン・プレジール宮殿。

女神の彫像。

もう一枚。

フィンランド湾に注ぎ込む運河。

アダムの噴水。

アダムの像をアップで。

ペテルゴフの船着き場。白い建物はヨット博物館。

フィンランド湾とサンクトペテルブルグ遠望。

下の庭園の中ではモン・プレジール宮殿前の庭園が一番綺麗でした。大きな噴水や黄金の彫像も彩を添えていました。

少年の後は水着を着た少女が走り抜けました。この少女は少年が走る時に服を脱いで水着姿になり、いたずらの噴水に挑戦するため準備万端整えていました。 写真は、少女がいたずらの噴水の仕掛けの上を走り去る瞬間ですが少女の姿がピンボケになってしまいました。 その訳は噴水を取る時にシャッター速度を1/20にしていたのですが、元に戻さずそのままのシャッター速度で写したためでした。完全な失敗写真です。

少女が走り去るとすぐに噴水が吹き出しました。

噴水はしばらく吹き出し続けてその後収まりました。この後何人もの大人の男女が仕掛けに挑戦していましたが、子供のように敏捷ではないため、試みた約半数の方がトリックに引っ掛かり噴水を浴びました。これで夏の宮殿の旅行記前編は終わります。 後編まで今しばらくお待ちくださるようお願いいたします。拙い旅行記ではありますがお寄りいただき有難う御座いました。

モン・プレージ宮殿前の庭園です。チューリップが盛りでした。

美しい庭園でした。

シャッター速度を落としてもう1枚。

モン・プレジール宮殿前の噴水。

次はお待ちかねの「いたずらの噴水」です。 写真は丁度右の少年がいたずらの噴水の仕掛けを踏んで噴水が噴出したところ。少年が走り抜けるとすぐに噴水が吹き出しました。

ベンチの前にある石畳を踏むと弁が開き、仕掛けが働いて噴水が吹きだすようになっています。 噴水はすぐに吹き出すので、石を踏んだら素早く走り抜けないと水浸しになります。 少年が走り抜けた後はこんなに高く噴水が上がりました。

行きはエコノミーです。 通路席にしていましたが、後方の窓席が空いていたので移動しました。 1回目の機内食が出ました。 何も聞かれる事なくフィッシュが出されました。 感想は非常にうまい! 金目鯛のような魚、イカおいしかったです。 機内食の前にドリンクサービスがありますが、ビールは無料ではなさそうでした。

凍った大地が見えます! 日が沈む間近のオレンジがとても綺麗でした。 2席を使用していたのですが、パンダのぬいぐるみを持った女の子が移動して来ました。 自分の席のモニターが映らないらしく来ました。 ロシア人なのかな? ホームアローン見ながら爆笑してたな。笑

今回の旅行は両親と3人。 嫁はまたお留守番。 大変な旅のスタートはまず成田から。 アエロフロートに乗ります。 チェックインの際にパスポートに貼ってあったロシアビザを確認され、入国する場合は荷物を一度取らなきゃ駄目だと言われてしまいました。 そこで、出ませんと返答し、急に出たくなったら出ても良いですよね?と聞いたら聞かなかったことにしますということで荷物はそのままドバイまで行く事になりました。ごめんなさい。 なんちゃってゴールドメダリオンなので優先チェックインが使用できました。 アメックスの改悪によりデルタのゴールドメダリオン資格も今年の11月で終了します。

聖ワシーリー寺院まではgoogleマップで移動しました。 途中、巨大な氷の滑り台。巨大なクリスマスツリー。壮大なイルミネーション! 綺麗でした。ロシアのイメージホントに変わりました。ビザが面倒だけどホントみんなに見てもらいたい 歩いていると聖ワシーリー寺院にたどり着きました。

ボルシチを頼みました。 赤くないね。笑 ただ、とりあえず美味い!

マトリョシカタンブラーは外せません。 帰路に買いました。

写真撮影をしていると両親の鼻から鼻水ちゃんがタラタラ。 寒いからグム百貨店に入りました。

こちらはクレムリン側になります。 なにか見たことあるなーと思っていたらスーパーマリオブラザーズに出てくるクッパの城壁に似てると感じましたね。

帰りは空港までスムーズに帰る事ができました。 お土産を空港で買おうと思っていたら超空港価格! 街で買ってけばよかった。結局スタバとキーホルダーしか買ってませんでした。涙 写真は空港のラウンジです。シャワーを借りてスッキリできました。

駅到着後、10番出口を目指しました。 外に出るとめちゃめちゃ綺麗なイルミネーションが広がっていました。

チケット代は往復で800ルーブルで買いました。 カードが使えます。 先ずベラルーシ駅に向かいます。

チケット売り場の前にお目当のスタバがありました。 とりあえずマグをチェック?

意外と大きいんですね。 ライトアップされていて可愛く綺麗でした。 ちょっこと雪が被ってました。 雪が降ってなくてよかったぁ。

無事に入国審査を通過してロシアトランジットの開始です。 滞在時間は7時間半。 先ずはアエロエクスプレス乗り場を目指します。 係のおばちゃんに聞くと乗り場まで15分かかるらしい。マジ? 看板に従いながら行けばなんとかたどり着きました。

35分程でベラルーシ駅に着きました。 早速お土産屋さんがあったので入ってみました。 マトリョシカのキーホルダー、両親は聖ワシーリー寺院の置物を購入しました。 私は後で買おうって思ってました。これが失敗。

大韓航空、デルタ航空ラウンジをはしごして酔っ払い状態で搭乗します。 アエロフロートにワクワクです。

定刻通り、無事到着です! まさかの沖留め。 さみー( ̄(工) ̄) 雪がサラサラでパウダースノーでしたね。

2回目の機内食です。 まぁまぁでしたね。 しかし、アエロフロートは効率が悪いですね。てか、CAさんが少ないんですね。 ドリンクもらうのに1時間。機内食に2時間。 アエロフロートに乗る際はペットボトル1本買っておいた方がいいですね。 ただ、なんとかフライトログは書いてもらいました。

中に入り、フードコートを目指しました。 目的は ボルシチとピロシキを食らう。 グム百貨店内も綺麗です

ラウンジ内にキャビアが売られてました。 高ー。

時間もないので、早々に地下鉄乗り場を目指します。 乗り場まで難しいと思ってましたが、以外と簡単でした。 ロシアの街があんなに綺麗だと思いませんでした! イルミネーションが綺麗で暗いイメージが変わりましたね。

地下鉄2号線に乗り、チェアトラーリナヤ駅を目指します。 チケットは自販機で2回券(行きと帰り分)を購入しました。 110ルーブルでした。英語表記にすればなんとか買えました。 とにかくキリル文字がわからないので、あらかじめ駅名を印刷してわからない時は文字を見せて聞く作戦にしました。 駅には2つの路線があるので、緑色で?と書いてある看板を目指しホームでは、どっちの方向かわからないので紙作戦を決行! ちゃんと教えてくれました。 スパシーバ 地下鉄は音がうるさい! 扉は指挟まれたら折れちゃうよっつうくらい勢いよく閉まります。

とりあえずモスクワトランジット編終了です。 ドバイ編に続きます。 写真はお土産なり

ホテルの朝食からスタートです。 オーソドックスな洋食だけど、何品かロシア料理も。 クレープ(ブリヌイ)とニシンの酢漬け。

Paveletskaya駅から赤の広場の最寄り駅のTeatraljnaya駅までは電車で2駅。 地上に出たけどどっちが赤の広場?状態です。 とりあえず立派な建物があったから写真撮ったけど、後で調べたらボリジョイ劇場だったみたいです。

何とか歩き回って赤の広場に到着! 想像以上に広くてびっくり。

国立歴史博物館の向かいにはジューコフ元帥の銅像もありました。

とりあえず赤の広場を歩いてみます。

クレムリン沿いにロシア国旗とスタンド席が。 もう戦勝記念日の準備が進んでるみたい、とこの時はかなり暢気に見てました。 それがあんなことになるなんて…

聖ワリシー寺院も見えて来た。 でも午前中は逆光だから写真撮れないね。

赤の広場を挟んでクレムリンの向かいには世界一豪華といわれるグム百貨店が。

クレムリンの時計台、スカスパヤ塔。 写真撮りたくなるよね。

そして赤の広場を横切ってやって来ました、聖ワリシー寺院。 まずはクレムリンに行かなきゃね、と中に入るのは後回しに。 それが後々、あんなことになるなんて、その2。

1945から2017へ。 この近くにレーニン廟があるみたいなんだけど、クレムリン側に近づけず。 近くに居た警備員的な人に聞いてみると今日はレーニン廟は閉館とのこと。 残念だ、レーニンの蝋付け見てみたかったのに。

とりあえず赤の広場を後にしてクレムリンに向かいます。

途中で噴水もあったりして。

事前にネットでチケットを買ってても、このチケットブースでチケットと交換しないといけないみたいで。 Reservedみたいなブースでパスポートと一緒にバウチャー見せたら交換してもらえました。 今回は武器庫はパスの単純なクレムリン入場だけのチケットです。

クレムリンのチケット売り場へ。 予想以上にポップで面食らう。

チケットを無事に交換して、入り口まで。 クレムリンの入り口とチケット売り場は離れてます。 遠くに見える茶色い橋がクレムリンへの入り口です。

手荷物検査とチケット確認を経て、いざクレムリンに。

早速現れたタマネギたち。 パトリーアーシェ宮殿のアーチをくぐって進みます。

遠くにはスパスカヤ塔。 赤の広場から見たのとは裏側からのショット。

そしてこれが有名な大砲の皇帝! 作られた当時は世界最大の大砲だったみたいだけど、一回も撃たれたことがないという残念な大砲です。

まずはウスペンスキー大聖堂へ。

入り口に既に聖人たちが。 中は撮影禁止なので写真は無いけど、中もイコンだらけで豪華でした。

外に出てパノラマ写真とか撮ってみる。

こちらは反対側。 広場を囲んで聖堂が乱立してます。

さて、隣にあるブラゴヴェしチェンスキー聖堂。 皇帝の個人礼拝聖堂みたいですが、個人用て…すごい。

こちらはたくさんのタマネギがそびえ立つリザパラジェーニャ教会。 こっちは皇帝の礼拝所。 ちょっと奥にあります。

聖堂広場はタマネギだらけで、どれがどの聖堂か分からなくなる…

奥まで行ってモスクワ川をのぞいてみたり。

いい天気で気持ちいい!

さて、メインの方へ戻ります。

遠くに大統領官邸が。 ここにプーチンがいると思うとちょっと怖い。 そういえば、お土産とかプーチングッズだらけで、 プーチンのTシャツとか磁石とか、マグカップとか。 ロシア人のプーチン愛が予想以上で驚きました。

クレムリン内にピクトグラムが。

ぐるっと一周して鐘の皇帝へ。 この鐘も完成前に火事が起きて、火を消そうと思って水をかけたら割れちゃったという残念な鐘。 みんなこの鐘の前で写真を撮ってて、人が居なくなるのを待つのが大変でした。

うーん、広い! そして空が青い!

最後にタマネギたちを堪能し、

クレムリン探索、これにて終了。

またトロイツカヤ塔から出口へ。

ここがクレムリンの入り口と出口。 この近くに荷物預け所もあるみたいです。

さて、おなかが空いたのでそろそろお昼に。 クレムリン周辺にはショッピングモールもあって、レストランもいっぱいあるけど 今回選んだのは・・・

マック! しかもタッチパネルで注文できる旅行客には非常に便利なタイプ。 このタッチパネル、英語表記もあって支払いもクレジットカードで出来るからすごく便利でした。 支払ったらレシートの番号がカウンターに表示されるから、それを見ながら受け取るだけ。 ロシアだけじゃなくて韓国や中国にもあったから、世界的に普及し始めてるっぽい。

特にロシア的なメニューは無く、普通のハンバーガーとポテト、コーラ。 マックは世界共通の味だから安定していますね。

さて、お腹も満たされたので赤の広場へ向かいます!

と思ったら、あれ? 軍人が通せんぼしております・・・

あれ、赤の広場入れない? 朝は入れたのにな、と思って別の入り口まで移動してみます。

グムの横から行こうとしても柵が! これが噂の終戦記念日の赤の広場閉鎖!? まさか午前は入れて午後から閉鎖されるなんて想定外!

仕方ないのでとりあえずグムへ。

おぉ、噂通り吹き抜けでキレイな百貨店! 建物内をぶらぶらして、ついでにトイレも借りました。

やっぱり赤の広場は封鎖されてる・・・ あれ、ってことはワシリー寺院も入れない?

うん、入れないっぽい… 軍人はどんどん増えていきます。

モスクワ川側にきてみたけど、やっぱり近づけない…

この辺までが限界です。 残念すぎるけど、中身は他の聖堂と同じでイコンだらけなんだろう、 そんなに大差はない!と自分に言い聞かせて気持ちを落ち着けます。

とりあえずモスクワ川へ。 穏やかな流れで気持ちがいい!

橋の辺りから赤の広場を臨む。

逆側にはスターリン建築が。

さて、赤の広場に戻って来たけど、 さっきまでワリシー寺院のすぐ下まで行けたけどこれ以上近づいちゃダメと言われる。 どんどん立ち入り禁止のエリアが広がってる! これは困った。 夜景写真撮りたいんだけど大丈夫かな?

とりあえあず立ち去るように促されて案内された地下道でグム方面へ。

グムまで戻って来たけど、みんな閉鎖されてる赤の広場を恨めしそうな顔で見てる。 折角来たのにがっかりだよね。

軍人もどんどん集まって来てて、リハーサル的なこともしてます。 残念だけどもう無理だねってことで今日は一旦ホテルに撤収です。

ホテルまで戻って来て、 そういえば近くにスーパーがあるって聞いたので行ってみることに。 ホテルの前の通りを渡って、真っすぐ行った所の地下にスーパーがありました。 夜も9時くらいまでやってて結構広かった! お水とホテルで飲むビール、ポテトチップスをお買い上げ。

明日は始発のアエロエクスプレスでドモジェドヴォ空港に行かなきゃいけないので早起きです。 なのでレストラン探す気力も無く、ホテルのレストランで晩ご飯。 そういえば未だ食べてなかったビーフストロガノフとカルボナーラ。 なかなかのお味で、やっぱりコートヤードの実力を思い知りました。 明日は4時起きなので早めにお休みなさーい!

写真右の建物は以前学習院と呼ばれていた建物で現在はプーシキン博物館、左はエカテリーナ宮殿の建物です。 宮殿入り口はアーチの手前を左に曲がりさらに右に曲がるとありますが、我々はその先をさらに左に曲がって琥珀博物館に入りました。名前は琥珀博物館でも内部は土産物店、一応博物館ですから珍しい琥珀の細工物などが多数展示されていました。琥珀の細工物は一部購入もできますが高いので見るだけです。 買う気が無かったので店の写真を撮りませんでしたが、結論から言うとこの店が一番良心的で安い店でした。 ガイドのオルガさんが懇意にしている店の様で、値引き交渉はオルガさんがしてくれていました。 ロシアの大多数の店では値札が付いていません。特に美術館や宮殿などの観光地のショップでは値札が付いないのでいちいち値段の確認が面倒です。 英語が通じない店もあります。この店は付けられていたので価格を把握し易かったです。 私はイースターエッグに絞っていたので安ければ買ってもいいかな程度の考えでした。 イースターエッグは通常販売している小型のものでは無く中型タイプ(かなり高い商品です。)の物が主でした。それでも小型タイプはモスクワの価格より3割程度安かったです。安かったのですが希望する赤色かピンク色の物がなかったのでここでは買いませんでした。 ちなみに内包物が多数入った琥珀のペンダントトップは3000円均一でしたから安い。琥珀を買いたい人はこの店がいいと思いますよ。 写真を撮っていないので店の名前が不明ですね、申し訳ありません。先ほどのように左、左と進めば見性あります。大きな店舗なので分かると思うのですが・・。

5月30日旅行4日目午後の観光はプーシキンにあるエカテリーナ宮殿の観光です。 エカテリーナ宮殿がある場所は帝政ロシア時代「ツァールスコエ・セロー」と呼ばれていました。「ツァールスコエ・セロー」とは「皇帝の村」と言う意味、この村がプーシキンに変更されたのはソ連時代になってからです。 ソ連時代に命名された「プーシキン」という名はもちろんロシアの国民的詩人プーシキンにあやかってですが、実はエカテリーナ宮殿の近くにある学習院という学校にプーシキンが在籍していたことから命名されたそうです。 プーシキンに到着するまでバスの車中ではピョートル大帝の以降のロマノフ王家の説明やエカテリーナ宮殿の説明をガイドのオルガさんがして下さいました。 高校時代に世界史を学習してからはや何十年も経っていて、ロマノフ王家といっても初代のピョートル大帝とエカテリーナ女帝(2世)、ナポレオンと戦ったアレクサンドル1世や最後の皇帝であるニコライ2世しか知りません。 ロシア史はあまり興味がなかったので事前の勉強もしませんでした。(ロシアは音楽家や小説家の方にしか興味がありませんでしたので・・・。) ロシアに来るまではエカテリーナ宮殿はエカテリーナ2世が建てたとばかり思っていたくらいですから、ガイドさんが説明される皇帝の名前がごちゃごちゃになって頭に入らない。エカテリーナ女帝って2世だけのことじゃなくて1世もいたんだ。 スウェーデンの洗濯女がエカテリーナ1世?ロシアの将軍の奴隷となりピョートル大帝に献上されて大帝の隠し妻になった?ピョートル大帝は相当惚れ込んだみたいだな。そんでもって大帝に王宮を造ってもらったのか?最後はロシアの第2代皇帝になった?無茶苦茶玉の輿の大出世物語や。ピョートル大帝さんもおもろいけどエカテリーナさんもうまいことやりおったな。なんて話が延々と続きまして、無知な私もおおよその筋書きが分かるようになりました。 ガイドのオルガさんはロシアの名門サンクトペテルブルク大学を卒業され、その大学でロシア国史を教えていらしたそうですから歴史にはとにかく詳しい。 でも余り詳しい話になると初心者の私には皇帝の名前がごっちゃになって分からなくなる。 そんなこんなであっという間にプーシキンの入口に着きましたわいなあ。 ペテルゴフを発ち、林の中や原野のような荒れ地を進んでプーシキンに到着しました。町の入口にはエジプトの門と呼ばれる門があります。 1829年にAdam Menelawsという人によって建てられた門で、当時はこの門を通って宮殿に進んだそうです。門は反対側の車窓だったので写真は撮り損ねました。 この門を潜るとすぐ宮殿があるわけでは無く、写真のような木立ちの中をかなり走りました。宮殿に近づくと写真の様な建物がいくつも見えてきて、やがて宮殿の近くの道路に駐車しました。 宮殿の入場は時間予約されていましたが早く着いたので待ち時間に宮殿の近くの土産物店で買い物タイムになりました。

ここはツアー客の入口門、宮殿の北側、建物の右袖口から入場します。個人の入場口はこことは別の場所にありました。 ツアー毎に入場時間が見眼られていて、時間になればそれぞれの団体のみに門が開かれます。 5月から観光シーズンなのか団体の入場口では多くのツアー客が入場を待っていました。 我々の入場時間は15時15分、門が開かれて中に入りました。

午後からは逆光になっていましたが、宮殿は美しかったです。 エカテリーナ宮殿はピョートル大帝が二番目の妻である第二代ロシア皇帝エカテリーナ1世のためにドイツ人建築家を雇って夏用の避暑の離宮として1717年に建てた宮殿で、宮殿の名前は彼女の名前に由来します。 その後第四代ロシア皇帝アンナがロシア人建築家に命じて増築されました。 そして、第六代ロシア皇帝となったエリザヴェータ女帝は母(エカテリーナ1世)の時代に建てられた宮殿に不便さを感じ、当時冬宮(現エルミタージュ美術館)の建設に携わっていた宮廷付建築家バルトロメオ・ラストレッリに壮大なロココ様式に大改築するよう命じました。彼女は100?以上の金をファザードの化粧漆喰と屋根の上に建てられた多くの彫像を飾るために使用しました。 1752年5月に工事に着手し1756年7月全長325mの現行規模の宮殿が完成しました。有名な琥珀の間もこの時期にエリザヴェータ女帝が冬宮からこの宮殿に移設しています。 冬宮から移設した琥珀の間はサイズが小さすぎてエカテリーナ宮殿の部屋では隙間が生じました。 この琥珀の間を完成させたのがエカテリーナ2世です。エカテリーナ女帝はスコットランドの建築家チャールズ・キャメロンを招聘して古風な新古典主義の内装を宮殿の一翼に施し、庭園側に新古典主義建築と言われる冷水浴室、キャメロン・ギャラリー、垂れ庭園を造らせました。また庭園内にはいくつかの浴室も建てられました。

こちらが正門入り口。ライトアップの照明があるので宮殿の夜景も見てみたいなー。 でも宮殿の観光が終わればサンクトペテルブルクへとんぼ返り。 又の機会にと思ってもどうも難しそう。

中央のキンキラキンのネギ坊主は宮廷礼拝堂,金色に輝き綺麗でした。宮殿左翼の建物が修復中だったのは残念でした。

しかしエカテリーナ2世の孫であるアレクサンドル1世が皇帝に即位すると、自分の避暑の宮殿として近隣にアレクサンドル宮殿を建設しました。 それ以降アレクサンドル1世はエカテリーナ宮殿を利用することは無く、その後の皇帝たちもアレクサンドル宮殿を利用したためエカテリーナ宮殿は空家然となってしまい増改築されることはありませんでした。 歴代皇帝から見向きもされなくなったエカテリーナ宮殿ですが、第二次世界大戦になると急に注目を集めるようになります。 ドイツ軍のバルバロッサ作戦が発動されるとドイツ軍の北方集団はレニングラードにむけて進撃を開始。当然進撃の途中にあるエカテリーナ宮殿は災禍を免れません。 そのためドイツ軍が国境を越えると宮殿内の宝物、陶磁器、絵画、調度品など全ての物が運び出されてシベリアに疎開したり、地中に埋められました。 唯一運び出せなかった宝物が琥珀の間の琥珀パネルでした。琥珀は石や鉱物ではないため環境の変化を受けやすく取り扱いがとてもデリケートだったのです。 ソ連政府は琥珀の持ち出しを諦めて琥珀を隠すために琥珀の隙間に綿を詰めダミーの壁を設けて隠しましたが、ドイツ軍に見破られてしまい琥珀のパネルは分割され持ち去られました。 その後は・・・。琥珀の間で説明したいと思います。 歴代ロシア皇帝に見向きもされ亡くなった宮殿が一躍脚光を浴びるようになったのはドイツ軍が持ち去った琥珀の間のお陰とも言えましょう。 復元されたエカテリーナ宮殿は世界遺産に組み込まれていますがアレクサンドル宮殿は世界遺産に指定されていませんし、観光ルートにも入っていません。 災い成して福となすとは正にエカテリーナ宮殿の事だと思います。

宮殿のファザード。 白い柱と薄いブルーが大変綺麗でした。プーシキンの天気も晴れて最高。この地域は晴れの日が年間で30日程度しか無いそうですから、晴れの日に観光できたなんて何と運が良いことか。 今回の旅行は毎日が晴天、一度も雨が降りません。本当にラッキーでした。

団体客は中央入り口を通り過ぎて宮殿入り口を目指します。

柱を支えているのはアトラス像。地球を抱えているのですがこの地球が殊の外小さい(笑)。

入り口を入るとまず手荷物検査がありました。A4版以上の大きさのカバンは持ち込めないためここでクリークに預けます。 1階にはトイレがあるので宮殿観光前に利用しておくといいでしょう。 1階の通路を移動し検札機を通って部屋の中に入りました。すると部屋に入る手前でニコライ2世の肖像画(写真)がお出迎え。 中の部屋では靴カバー(写真なし)を履きます。これは寄木造りが施された宮殿の床を傷めないためです。 白い階段を上って宮殿の観光開始です。荷物検査からここまでガイドさんの姿を見失わないように一同歩く、歩く。どこをどう歩いたのは全然記憶にありません。 この旅行記を記述するためどの部屋のどのあたりから観光が始まったのか理解できませんでしたが、エカテリーナ宮殿のホームページにある宮殿内の地図(plan of the palace)でやっと分かりました。 ニコライ2世の肖像画が出迎えてくれました。

宮殿は2階にある部屋を観光しました。まず階段を上がると庭園側の(南側の)通路を歩いて宮殿右袖の部屋から見学が始まりました。 写真は宮殿南のエカテリーナ公園側にある冷水浴室と垂れ庭園、キャメロン・ギャラリー。この部分はエカテリーナ2世の時代に造られました。

最初に観光したのがリヨンホール。音楽の間だそうです。 この部屋はまだ内部が修復されていません。エカテリーナ宮殿は建物の外装内装ともに復元され、最後まで未修復だった琥珀の間が2003年に復元されて完全復元されたとばかり思っていましたが、実際には未修復の部屋がまだ沢山ありました。

音楽の間に相応しく豪華な装飾が施されたグランドピアノ。弾くのも恐れ多いような、そんな印象でした。 琥珀の間の琥珀パネルを除いてこれらは全てドイツ軍が侵攻してくる前に持ち出され疎開していたため無事でした。 エカテリーナ宮殿は宮殿の躯体や内装などは復元された物ですが、中に展示されている絵画や磁器や彫像、宝飾品などは大部分が当時の物だという事です。

シャンデリアも当時の物です。

内装が施されていないため金色の調度品や群青色の壺類も地味に見えてしまいます。

アラベスクの部屋。水色が基調のため爽やかな印象の部屋でした。

これだけの柄を織り込むには相当な月日がかかったんでしょうね。

アラベスクの間、ロココ様式の装飾です。内装が修復されているのでこの部屋から豪華絢爛の幕が開きました。

絨毯も豪華ですよ。美しい、綺麗。この絨毯も疎開したのでしょうか? 新しく作ったように感じましたが。

エカテリーナ宮殿です。写真正面が本館、建物は本館の左右に建物が突き出したコの字型をしていました。 建物の中央が入場口です。

宮殿の中央ファザードを斜め横から眺めたところです。 この宮殿は夏の避暑の宮殿として建てられたので夏の宮殿と呼ばれています。ペテルゴフにもピョートル大帝が建てた夏の宮殿がありますが、エリザヴェート女帝がこの宮殿をロココ様式に大改修した後は、この宮殿が夏の宮殿として利用されるようになりました。

エカテリーナ宮殿の中央入口。 宮殿の入口はここでは無く宮殿右奥にありました。

通用口の金の装飾も豪華です。手抜き無しって感じ。

第三の間の様子。天気が良くて陽気がいいためか、とにかく観光客が多い。それも大部分が中国人観光客。中国人に世界中が席巻されているような感じに陥ります。

第三の控えの間。

部屋の壁には巨大なデルフト焼のペチカが2基あります。 この宮殿は元々夏の避暑のために建てられた宮殿です。その宮殿にペチカがあるってことは、夏でも寒い時があるってことですよね。それともたまには冬の時期に使われることもあるのでしょうか。

次の部屋は第二の控えの間。身分が少し高い人です。どの程度の爵位の方々かは説明が無かったので私の想像で・・・。貴族の伯爵か子爵かな。 晩餐会用のセッティングがされていました。 この間は常に宮廷晩餐会が催される間ではないそうですが、宮廷晩餐会を催した様子を見てもらうために再現しているそうです。

食卓に並べてある磁器はマイセンです。

大きなペチカ、これなら温かそう。

一部をアップにしましたがピンボケになってしまいました。

第二の控の間から人がいなくなったので振り返って写真を一枚。この宮殿の中は観光客だらけなのでこんな瞬間はめったに無いのです。

窓際の通用口を通って次の部屋に行けますが、皆さん真剣にガイドさんの話絵を聞いている。私は写真を撮っているので注意散漫。 話の中身は全く覚えていません。ってか聞いてもすぐ忘れて記憶に残らない(泣)。

寄木作り模様の床も見事。

控えの間の天井画。ギリシア・ローマの神々です。

次の部屋は第三の控えの間。 ここからはキンキラキンの世界です。美しい、綺麗、豪華、すごいなどの言葉が連発される部屋が続きました。 この部屋が何故第三の控えの間というのかと言うと、大広間に入るまでに控えの間が三室あるんです。そして大広間に近くなるにつれて身分が高くなるという、そのように区分けしてあるんです。

第三の間の天井画。ガイドさんから絵の説明があったと思うのですが覚えていません。 海外旅行は若いうちにすべきですね。年を取ってからだと記憶力が衰えてしまって、ガイドさんから説明を受けても記憶に残らない。これでは折角の海外旅行が勿体ない。

第三の控えの間。「皆さん次の部屋に行きますよ」と言うガイドさんの声で皆さん移動します。海外の団体さんもご一緒かな?

豪華な雰囲気が伝わってきます。

はい、つぎ第一の控の間です。この隣が大広間、ってことはこの部屋に入れるのは皇族か貴族の中の公爵、侯爵でしょう。 内装はさらに豪華なのかなと思いましたが、豪華さは変わりません。

第一の控えの間。

第一の控えの間の天井画。第二の控えの間と同じモチーフ。オリンポスの神々のようです。

5月28日、陸軍元帥ウォロンツォフから漂流人を連れて参るようキリルに命令が伝えられた。光太夫は天にも昇る心地でキリルに伴われ、白灰色のフランス仕立ての羅紗服で出かけた。 宮中の広間は35m四方ほどで、赤と緑の大理石で飾られ、皇帝の左右には侍女が50人程控えていた。さらに、執政以下の官人400人程が2列に分かれて威儀堂々と並んでおり、気後れして進みかねていると「御前まで進み出よ」と促された。 光太夫は毛織の笠を左わきにはさみ、おじぎしようとしたが「すぐに進み出よ」と命じられたため笠と杖を置いて皇帝の前ににじり寄り、かねてから教えられたとおり左足を折り、右足の膝を立て、手を重ねて差し出せば、女帝は右手を伸ばして指先を光太夫の手のひらの上にそっと乗せられた。 光太夫は3度皇帝の手に口をつけた。これが外国人としては初めての皇帝への拝謁の礼だったという。 光太夫が退くと、皇帝は願状を取り出させてご覧になり「ベンヤシコ(かわいそうに)」と声高に言われた。それから皇帝は、海上での艱苦や亡くなった者たちのこと等を質問され、詳しくお答え申し上げたところ「オホ、ジャルコ」と仰せになった。これは死者を悼む言葉だった。 こうして謁見は終わりましたが光太夫は再び皇帝にこの広間で謁見しています。 それは同年の10月20日のこと。すでに9月29日に帰国の許可が伝えられていましたが光太夫は再び宮中に召され、皇帝手ずから嗅煙草入れを与えられました。 さらに11月8日には純金製のメダル(表にはエカテリーナ2世の肖像、裏にはピョートル大帝の像が彫られ、天蓋色(そらいろ)の紐で首にかけるもの。特別勲功のあった平民に贈られるものです。)、フランスの職人を招いて作らせた特注品の時計と金か150枚が与えられました。 光太夫と一緒に帰国する2人の水主やロシアに残る2人の水主にもそれぞれ銀貨や贈り物がさずけられました。 こうして光太夫達は帰国するのですが、キリルに会うまでの艱難辛苦の末にエカテリーナ2世に謁見が叶うこの下りは実に感動的でドラマチックです。 大黒屋光太夫の物語を知ってこの広間を観光するのとそうでないのでは感動の度合いに大きな差が生じるのではないでしょうか。 なお、ガイドさんの話では、光太夫は女帝の贈り物の返礼に脇差や紋付羽織袴、裃などを献上していますが、これらの品々はサンクトペテルブルクの博物館に今も展示されているそうです。 さて、写真は大広間の全景。とても広いです。天井画は3場面に分かれて描かれているロシアの勝利。 光が反射して見にくいのですがスケールの大きな絵でした。

人が入らない写真を撮るのは難しい。この2人は我々のツアーのメンバーさん。 ガイドさんの話を聞かずに写真を撮りまくっているため、どうしても被写体に入ってしまう。

第一の控えの間。いづれ劣らず豪華絢爛です。

次の部屋は・・・ジャジャーン、ついにやって来ましたエカテリーナ宮殿の大広間。 パリのベルサイユ宮殿を参考にして造られた広間で、所々に鏡がはめ込まれて奥行きを長く見せるように工夫されています。 奥行というよりも鏡に金色の光を反射させ、煌びやかに見せる工夫と言った方が正しのではないかと思います。 日本人漂流者大黒屋光太夫が帰国の許可を願うためにはるばるやって来て、エカテリーナ女帝(2世)に謁見した場所です。また井上靖原作の「おろしや国酔夢譚」の映画のロケ現場でもあります。 但しオリジナルの宮殿で無いのが残念至極。オリジナルだったらもっと興奮したかもしれません。 大黒屋光太夫は井上靖の著書「おろしや国酔夢譚」を読まれて知った方が多いと思いますが、この小説では帰国後の生活が不明瞭で推測の域を出ません。 正確な描写がなされているのは吉村昭の「大黒屋光太夫」です。これはある意味仕方が無い事で井上靖が執筆した時は資料が少なすぎたのです。 私は吉村昭の「大黒屋光太夫」を読みましたが実にリアルで帰国後の生活が生き生きと伝わりました。 吉村昭の小説「大黒屋光太夫」のあとがきには、執筆中の僥倖として井上靖が資料とした蘭学者桂川甫周の著書「北槎聞略」などの資料の他に新たな資料が見つかった事。その中には光太夫と伴に帰国した水夫磯吉の口述書も含まれており二人の帰国後の生活が具体的に判明したことが書かれていました。 大黒屋光太夫の小説を執筆していることを知っている郷土史家から新たな発見があったと吉村氏に連絡があり、資料が持ち込まれたそうです。これこそ光太夫と磯吉の帰国後の生活が具体的に分かる新発見だったそうです。 話はそれましたが、光太夫が帰国を実現するための重要な役目を果たしたのがロシア人キリル・ラスクマンです。 ラスクマンというとどこかで聞いた名前だなと思われる方も多いと思いますが、高校の日本史に必ず出てくるロシア人です。この人こそ光太夫達を日本に送り届けてくれた人で、さらには日本に交易を求めてロシア皇帝の国書を携えてきた人物です。 アダム・ラスクマンと言い、キリル・ラスクマンの二男です。エカテリーナ号に光太夫たちを乗せて日本の小樽に来航しました。 それでは簡単に光太夫とキリル(吉村昭の小説ではキリロ・ラスクマン)について紹介します。 大黒屋光太夫は伊勢の国南若松村(現在の鈴鹿市)に生まれた船頭です。 1783年1月紀州藩の御用米や和紙他の積み荷を乗せた神昌丸の船頭として伊勢の白子浜の港を出港し駿河沖で暴風雨に遭い難破。漂流してアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着しました。出港時総勢17名いたに乗組員たちは飢えと過酷な環境下で次々と亡くなり10名に減少。この島にはロシアの毛皮商人たちが来ていました。帰国する彼らをロシア船が迎えに来たのですが船は難破して沈没してしまいました。 そこで迎えの船を待つよりも自分たちで船を作って脱出することを計画し、ロシア人を乗せてカムチャッカに上陸。その後は海を渡ってオホーツク、ヤクーツクと移動したもののその間に4名が死亡、残るは6名でした。凍てつく冬のシベリア、ヤクーツクの自然は過酷です。それでも雪の中をソリはひた走りやっとの思いでイルクーツクに到着したのです。この辺りの冬のシベリアの過酷な描写は実にリアルで身につまされます。 さて、ここイルクーツクは光太夫にとって運命の地、ここで運命の人キリル・ラスクマンに出会いました。。 キリル・ラスクマンは陸軍中佐で大学教授、高名な鉱物学者であり植物学者、幅広い人脈を持つ人物で内務・商務大臣や陸軍中将、宮廷内でエカテリーナ女帝に近しい人物や女帝にも知遇を得ていた人物です。清廉潔白な誠実な人柄で帰国を願う光太夫たちに同情するととも帰国が叶うよう惜しみなく尽力してれくれました。 また学者であるキリルは光太夫から日本の気候や風土、植物などの情報を入手しました。

光太夫はイルクーツクでキリルの人脈に触れることで多くの友人ができました。光太夫に同情したキリルは帰国の嘆願書をロシア語に翻訳してイルクーツク総督府を通じて政府に提出しますが、日本語学校の教師にし帰化させようと目論む政府により却下されます。 それでも帰国を強く願う光太夫は諦めません。再び嘆願書がキリルによって総督府に提出されましたが、政府の回答は「ノー」でした。 では直接エカテリーナ女帝にあてて嘆願書を渡そうと女帝に近しい人物あてにして嘆願書を出したのですが、これは2か月も3か月たっても返事がありません。 この手紙はイルクーツク総督が握りつぶしていたのですから届くはずがありません。 ついに業を煮やしたキリルが最後の手段に訴えます。直接女帝に直訴しようというのです。光太夫は驚きます。日本では訴えの中身がどうであろうと直訴は御法度、直訴しただけで打ち首です。 光太夫はキリルに訴えます。「私のことで貴方が死罪になるのは困る。直訴は取りやめよう。」と。笑ってキリルは答えます。「貴方のお国ではそうかもしれないがロシアでは直訴はいつもあること、何も心配することはない。」と。 キリルは自分のソリに光太夫を乗せて帝都ペテルブルグに向かいました。光太夫たちがペテルブルグに到着するとエカテリーナ女帝はツァールスコエ・セローへ出かけていました。 二人は再びツァールスコエ・セローに向かいました。そしてキリルは知己の商人宅に逗留し、女帝に拝謁するための根回しを行いました。。 そしてついに1791年5月28日この大広間でエカテリーナ2世に謁見が叶ったのでした。 謁見の様子は北槎聞略には次のように記述されています。

天井画ロシアの勝利の一部分。この天井画はだまし絵になっており、そのだまし絵というのは絵に描かれた柱の部分。 柱を描くことで天井をさらに高く見せようとしています。さらに近くに寄れば寄るほど柱が長く見えてくるから不思議。目の錯覚なのですがどうしてそう見えるのか分からない。

部屋に展示してあったエカテリーナ宮殿の全体模型。

大広間を出ると中央階段がありました。一階からこの階段を上がって先に大広間を見学するのが多いようですが、我々は宮殿の宮殿の南から北に歩いて見学するコースだったため、この階段は上りませんでした。 写真は東側回廊の様子。大広間が混雑しないように入る時間が制限されています。そのため入り口前で待っている人々。でも時間制限されても大広間は観光客だらけでした。 壁に飾ってある磁器は中国製と古伊万里の磁器。王室で購入された磁器なので鍋島藩用窯で焼かれた古伊万里の最高級品「色鍋島」だと思います。 もしそうならマニア垂涎物の逸品なのでスゲー値段が付く代物かも。

エカテリーナ2世の絵。 このブルーの壁紙の部屋はまだ未修復の部屋です。まだこのように未修復の部屋が全体の1/3残っているそうです。

中央はピョートル大帝の肖像画。服装は狩の衣装です。 寄木細工の家具がありますが食器の収納ケースかな?よく分かりません。

東側の窓際にあるのは「目覚める天使」像。これは上の写真をアップしたものです。写真を撮った側には「眠れる天使」像があったのですが有名な像とは露知らず写真には撮っていません。

中央階段を正面から写した写真です。ここからは北側の各部屋の観光です。

エリザヴェータ女帝の衣装(複製)です。

絵画の間の天井画。

反対側の壁に飾られた絵画。

次はアレクサンドル1世の書斎。

最後の観光客したのが緑の食卓の間です。写真では暗い感じですが実際はもっと明るくきれいでした。 この部屋はロココ様式です。

古代ローマ風のレリーフと壁画が美しかったです。

以下の長い通路の壁には宮殿の絵画がありました。 この絵は戦禍を受ける前の絵。

こちらは第二次世界大戦の戦禍を受け炎上する宮殿。

ドイツ軍が撤退した後の宮殿の写真。まだ燃えている部屋があります。 大黒屋光太夫がエカテリーナ2世と謁見した大広間も焼失してしまった。

戦争は何とも惨いものですね。 歴史的建造物の無残な姿。

作成中の琥珀パネルの様子。 1階の通路を進んで行くと何店ものショップが並ぶところに出てきました。その先が宮殿の入口でトイレもありました。ここで40分自由行動、買い物をしたい方はこの時間にどうぞとのこと。再集合の場所は入り口近くのソファーがある場所でした。 ショップは何店もありますがいずれも値札がないので金額が分かりません。 いちいち店員に商品を指差して金額を聞かないといけないので非常に面倒でした。 ロシアでは英語が通じないと聞いていましたが、ここのショップではカタコト英語で通じました。 私はイースターエッグに決めていたので大きさ毎の値段を確認しましたが、ここにのショップは田舎の割に高い。宮殿の観光の前に行った琥珀博物館(土産物店)の方がずっと安いです。琥珀博物館の土産物店では買おうかと随分迷ったのですが、気に入った色のイースターエッグがなかったので見送りましたが、こんなことなら買っておけば良かったかも。 それと色違いではありますが宿泊しているホテルのショップに同じサイズのものがありました。こちらの方が遥かに安いのでヒテルで買うのもありかなと、この時点で考えを変えました。 さて、集合時間10分前に集合場所に行くとトラブル発生。集合時間になっても2人組の男性客が現れないのです。 しばらくすると男性から添乗員さました。添乗員さんの携帯に連絡が入ったそうで、その後全員が揃いました。 聞けばタバコが吸いたくなったので宮殿の外に出たそうです。煙草を吸い終わって宮殿の中に入ろうとしたら鍵がかかっていて中に入れなくなったそうです。 外から窓ガラスをたたいても反応が無いので慌てたそうです。 この男性、今回のツアーで唯一お騒がせな社長さんでした。(同行の男性が から社長、社長とよばれていた。)同行の男性が色々と世話を焼きアドバイスをしていたのですが、今回は2人一緒に外に出てしまったので2人ともアウト。 行きの飛行機の中からトラブルが発生し添乗員さんがため息をついていた男性でしたが、これで懲りたのか以降は大人しくなりました(笑)。

次の間が絵画の間。南北の壁一面に絵画が飾られていました。このような部屋はイタリア、マッジョーレ湖のボッロメオ宮殿にもありましたが規模はこちらの宮殿の方が遥かに大きいです。 但し背景が黒い絵が多いので壁自体は暗い印象でした。

次の間からロマノフ朝皇帝の間。 ピョートル大帝からニコライ2世まで各皇帝の肖像画と愛用品。日常使用していた家具などが展示されていましてた。 各部屋は内部装飾が施されていません。写真はその内の一室。誰の部屋か分かりませんが、いずれもこのように殺風景な部屋でした。 このコーナーでオルガさんから「スウェーデンの洗濯娘」の話が始まったのです。ここにはロマノフ王家の人物が分かるように系図もありました。 オルガさんは系図も使用しながら各皇帝の説明をされましたが、ここまで宮殿の各部屋を見てくると男性の皇帝の名前がごっちゃになって、誰がどの後の皇帝か分からなくなりました。 オルガさんの説明も右耳から左耳へと心地いいように抜けて行きました。そのためここは全く記憶がありません。

アレクサンドル1世の書斎。

緑の食卓の間

宮殿内の各部屋を結ぶドアを明け放つとこんな素敵な景色になっていました。 2階の見学を終えて階段を降り1階へ。

次が有名な琥珀の間。(Wikipediaから借用しました。) この部屋のみ写真撮影は禁止です。隣の部屋から写した写真が結構ありますが我々は隣室からも写真は撮りませんでした。部屋の中央にある両開きの扉から入場したので、隣室から写したとしてもは琥珀の間に溢れる観光客ばかり写ったと思います。 この部屋は自由には入れません。入口に待機している係員に指示で中に入りました。と言うのもこの部屋は常時観光客で一杯になるため、入場者を係員が制限しているんです。なのでここは係員の指示に従いましょう。 この琥珀の間は2003年に完全復元されたと言われており、そのように書籍等にも記述されています。さらに全ての壁が琥珀で覆われていて豪華絢爛の部屋だとガイドブックや旅行記に書かれています。 確かに豪華絢爛で素晴らしい部屋です。でも全ての壁が琥珀で覆われているという記述は間違いです。現地に行かれて注意深く見られたらその通りだと納得されるはずです。 もしガイドさんがオルガさんでなかったら、全て「琥珀で覆われているんですよ。素晴らしいでしょうで終わっていたと思いますが、オルガさんはそうでは無く実に詳しい方でした。 ではまず琥珀の間の歴史から。 琥珀の間はプロイセン王フリードリヒ・ヴェルヘルムが好奇心旺盛なピョートル大帝を喜ばせようと贈った金と琥珀で装飾された部屋が元になっています。 贈られたピョートル大帝は組み立て方が分からず琥珀の部屋は放置されました。 時が過ぎ、冬宮の建築に取り掛かっていたエリザヴェータ女帝が謁見の間の装飾に使用することを思いつき冬宮に琥珀の間が設置されました。 その後琥珀の間はエリザヴェータがお気に入りのエカテリーナ宮殿に移され設置されましたがここで問題が発生、エカテリーナ宮殿の間取りが冬宮に設置されていたパネルよりも大きかったのです。 これを手掛けたのがエカテリーナ2世、金メッキの装飾や貴石や色大理石を琥珀に取り混ぜ、足りない部分には仮パネルを埋め込みました。仮パネルは逐次新たに作られたパネルと交換され琥珀の間が完成しました。 琥珀の間が殊の外お好きであったエカテリーナ女帝は、彼女の許しを得なければ誰も入れなかったという話も残されています。 時は流れて第二次世界大戦、バルバロッサ作戦が発動されて1941年9月エカテリーナ宮殿はドイツ北方軍集団に占領されました。ドイツ軍によって琥珀の間の装飾はパネルに分解され、運ばれて1941年10月14日にケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)に到着しました。分解された琥珀パネルはケーニヒスベルク城内で組み立てられて展示公開されました。 1944年8月イギリス戦略爆撃機隊大挙ケーニヒスベルグに来襲、この爆撃で市内の主だった建物はほとんど崩壊したと言われています。 ケーニヒスベルグ城も標的になり城は焼け落ちてしまい、その時に琥珀の間は消滅したと言われています。 一方ドイツ軍は琥珀の間を大切に保管し、上記の空襲に際しては司令部が解体した琥珀の間をケーニヒスベルグの地下に運び守ったという証言がドイツ美術史家のアルフレッド・ローデから出されている。 しかしソ連軍が1945年4月にケーニヒスベルグを占領した時琥珀の間は消えていました。 そのためソ連軍が占領前におこなった赤軍の砲撃で破壊されたとの説もあります。 いずれにしても忽然と消えた琥珀の間は今もどかに眠っていると宝探しをしているトレジャーハンターがいます。 彼らに光を与えたのが2000年4月にドイツから琥珀の間のモザイクの一部がロシアに返還されたことです。このモザイクは復元された琥珀の間の一部として使用されました。 この琥珀のモザイクは1997年以ドイツ当局がある公証人から没収したもので、琥珀の間の略奪に参加したドイツ将校の一人が公証人に一時的に預けた物だそうです。琥珀の間は何処かに今も確かに眠っている。誰がこのお宝を発見するのでしょうか。 次は琥珀の間で使用されている琥珀について。ロシアは琥珀の一大産地である飛び地のカリーニングラード(旧ケーニヒスブルグ)を領有しており、ここから産出される琥珀で復元をおこないました。 琥珀の間に使用された琥珀は乳白色と褐色、赤色で高価なのは乳白色の琥珀。赤色は天然ではほとんど産出量されないため熱を加えて加工した琥珀です。 琥珀の間は全て琥珀で埋められている訳では無く、パネルに空白の部分があります。その部分は貴石や色大理石で埋められていました。 その部分を指摘して教えてくれたのがガイドのオルガです。「皆さん、琥珀の間は全て琥珀で出来いるんじゃないですよ。皆さん、ここを見て下さい。ここは琥珀ではありません。色大理石でできています。ここもそうですよ。」と。 琥珀の間は全て琥珀で出来ているのではなく、3色の琥珀と貴石・色大理石と金で出来ているのです。

全員揃ったところで宮殿の外へ。 宮殿のに沿って進み、突き当りを左折。冷水浴室やキャメロン・ギャラリーの側を歩いてエカテリーナ公園に出てきました。

エカテリーナ宮殿とエカテリーナ公園内のフランス庭園。 西側入り口の方よりもこちら東側の宮殿の方が綺麗でした。多分フランス庭園がマッチしているからだと思います。

ガイドブックにはエカテリーナ宮殿はツアーで観光した方が入りやすいと書いてありましたがその通りです。 実はこの行列、こんなものではありません。フランス庭園を囲むように延々と続いていました。いったい何時間待てば入れることやら。

この様にフランス庭園の側には入場を待つ個人観光客の方々の列がもっと奥まで続いていました。 現在はまだ5月です。観光シーズンの6?8月ではどこまでこの行列はつづくのでしょうか? エカテリーナ宮殿の旅行記はこれで終了です。ご覧いただき有難うございました。次回はエカテリーナ庭園からサンクトペテルブルクの観光です。 アップまで今しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。

宮殿とフランス庭園。 観光客が並んでいる場所が個人観光客の入口。こちらは大行列でした。

次はロマノフ王朝の間。 中央にある肖像画は右がピョートル大帝、左は誰か分かりません。説明はありましたが覚えていない。 左の衣装はエリザベータ女帝の衣装。上の肖像画で描かれている衣装と同じ衣装です。 右端にはエカテリーナ2世の絵がありましたが写真には写っていません。

アラベスクの間の天井です。天井はシンプルですが美しい。

琥珀の間の写真、部屋自体は小さな部屋でした。(写真はホームページから借用) この部屋の入口は3か所、写真中央の開き扉と左右の扉。我々は中央の開き扉から入場しました。 上のオリジナルの琥珀の間の写真と比較すると復元された琥珀の間はオリジナルの部屋の写真を参考に造られたことが分かります。 しかし明らかにオリジナルと異なる部分があります。比較すればすぐ分かることですが、それは琥珀の色が違うことです。年数が経っているので写真は色あせしていると思いますがそれにしてもオリジナルは赤の琥珀が少ない。上の写真では赤は黒く映っていると思います。天然の赤い琥珀はとても珍しくそうそう簡単に産出されません。熱を加えて人工的に色を変化させるそうですが、琥珀の間が作られた時期ロシアではこの製法は伝わっていませんでした。 ドイツではすでにこの製法を習得していたそうですからプロイセン王から送られた琥珀には赤が含まれていたと考えられます。 エカテリーナ宮殿に琥珀の間が設置され、エカテリーナ女帝によって追加補修された部分は褐色か乳白色の琥珀のみで赤色の琥珀はなかったはず。 そう考えるとよりオリジナルに近付けるには対多数の琥珀を褐色の琥珀にして仕立てるべきではなかったかと思います。 オルガさんからはこの点に付いて何ら説明はありませんでした。復元の過程において赤色の琥珀の方が豪華だから赤に決められたのかもしれません。 琥珀の間の復元は琥珀のパネルそのものが紛失し、視覚的資料がほとんど残っていないため困難を極めたそうです。24年をかけた復元作業は2003年に完成しました。出来上がった琥珀の間は豪華絢爛で大変美しいものです。褐色の部屋より赤色の部屋の方が美しいかもしれません。 それにロシアでは「赤い」という言葉は「美しい」と言う意味。その言葉も反映させているのかもしれません。 ただ残念だったのは見学の時間が少なかった事。この部屋はとにかく混み合っていたので各ガイドは短時間で切り上げるように指示されているようでした。どの団体も手短に切り上げていましたから・・・。

上空からみたエカテリーナ宮殿の全景。(ホームページより借用しました。) 左下の建物がプーシキン博物館で、その上の入口が団体客の入口。個人客の入口は宮殿中央の庭園側にありました。

正面入り口上空から見た宮殿の全景。後ろの庭園を含めると規模の大きな宮殿です。 (写真はホームページから借用)

宮殿中央ファザードの上に掲げられているのはロマノフ王家の紋章「双頭の鷲」。

ニコライ1世の部屋 ニコライ1世の肖像画と4人の息子たち。一番右は後に皇帝となったアレクサンドル2世。 この部屋には武器と軍服と磁器が展示されていました。さらにその先にはアレクサンドル3世の部屋もあったのですが写真がないので次の部屋に進みます。

アレクサンドル1世の肖像画と彼が使用した家具。 アレクサンドル1世って剥げてたんですね。知りませんでした。 ソ連の大作映画「戦争と平和」では長身のイケメン俳優さんがアレクサンドル1世を演じていましたが、アウステルリッツ三帝会戦ではナポレオンに敗れ、ボロジノの会戦でも負け、ロシアの大地を蹂躙され、心ならずもモスクワをナポレオンに渡してしまったのでストレスで禿げたのかもしれませんね。

エカテリーナ1世の肖像画です。 この部屋は肖像画のみで見学は短時間に終わったのですが、宮殿観光の最後に説明された歴代ロシア皇帝の部屋の写真がないため、エカテリーナ1世はこの間で簡単に説明します。 エカテリーナ1世はスウェーデン領リヴォニアの貧しい農家の娘として生まれ、幼くして両親を失い地元のドイツ人牧師に養育されました。名前はマルタ・スカヴロンスカヤ、洗濯場で働く洗濯女でした。 リヴォニアとは現在のラトビアからエストニアに跨る地域。そのため彼女の出身地をラトビアとかエストニアとか記述されている文献が多いのですが、当時はいずれも北方の大国スウェーデンの領地でしたからガイドさんが「スウェーデンの洗濯女」と表現するのも間違いではありません。 ただ自国の皇帝にまでなった女性をそのように軽蔑したような言い回しで表現することに驚きました。 ガイドのオルガさんは「この女性はロマノフ王家によそからやってきた身分卑しい洗濯女、後々この女性が大きくロシアの歴史に関わって来るので皆さんこの女性をを忘れないように。スウェーデンの洗濯女と覚えておいて下さい。」と言われました。 インパクトのある言葉なので、全く予備知識の私にもすぐ記憶できました。バスの中でも予備知識としてオルガさんから説明があったはずですが、この時は全部忘れていました。 さて、このエカテリーナ1世の物語は究極の玉の輿物語なんです。当時の常識として皇后が皇帝になることはありません。ましてや欧州全域の王家でも農民の娘が皇后になるなんて「アリエヘン」話なんです。 当時ロシアはスウェーデンと戦闘状態にあり北方戦争の真っ只中、マルタの住む場所はロシア軍占領されました。マルタは捕虜として連れ去られ司令官の妾にされます。次に軍団司令官のシェレメーチェフ元帥の妾となり、その次はピョートル大帝の寵臣メーンシコフの召使いとして連れて行かれます。ここでも妾としての生活が続きますが、ある時ピョートル大帝の目にとまり見初められました。そこでメーンシコフはマルタをピョートル大帝に献上、マルタは大帝に大変気に入られました。正教会に改宗し名前もエカテリーナと改名して秘密結婚、後に正式に結婚して2番目の妻に、その後皇后になりました。 1番目の妻は大帝に嫌われてすでに修道院に送られていました。1番目の妻との間にはアレクセイという皇太子がいましたが、反逆罪で死刑判決を受け獄死しています。過酷な拷問が影響したそうです。 こうしてエカテリーナが皇帝になる環境が整った所でピョートル大帝が崩御しました。皇太子アレクセイには男子の子(後のピョートル2世)がいましたが、エカテリーナと近しいメーンシコフや軍人の一部が後継者にはエカテリーナを支持。 エカテリーナ側についた近衛連隊が元老院を抑えている間にエカテリーナ1世として即位、ここにロシアで初めての女帝が誕生しました。 しかし所詮はメーンシコフらが実権を握る傀儡政権に過ぎず、自身は酒と愛人に溺れる日々を過ごして2年後に崩御しました。 ロマノフ王朝はそれまで100パーセントロシア人の血が引き継がれてきました。 エカテリーナ1世がピョートル大帝の妻になることによって初めて外国人の血が混じりました。その事もロシア人には衝撃だったようです。 エカテリーナ1世は肖像画を見て頂くと分かるように決して美人ではありません。スマートでも無く、むしろ骨太で太っていて色も黒かったそうです。しかし健康でたくましく野営地の生活も苦にしない姿に大帝は惹かれたそうです。また再三激昂するピョートル大帝をなだめることができたのもエカテリーナ1世だったので大帝の臣下から認められていたようです。 中年以降は深酒が影響してか美貌も衰え大帝に疎まれることも多くなったそうで、その頃から大帝の寝所には若い娘が夜毎はべるようになりましたが念願の男子は生まれませんでした。 エカテリーナ1世が皇位を継ぐようにすべてが動いていたとしか思えませんが、こうして玉の輿に乗ったロシア初の女帝が誕生しました。 (写真はホームページより借用)

第6代ロシア皇帝エリザヴェータの肖像です。 エカテリ―ナ1世の次女として生まれ皇帝に即位しました。国政には興味がない皇帝でしたが文化事業には熱心でモスクワ大学を創設したのもこの皇帝です。 エカテリーナ宮殿をロココ調の建物に建て替えたのもこの皇帝です。 (写真はホームページより借用)

次は肖像画の間。写真はホームページから引用しました。 南側の各部屋はとても豪華でした。それに比べると北側の部屋は質素な印象を受けて拍子抜けしてしまったのかあまり写真を撮っていません。 そのためホームページに写真が掲載されている部屋はその写真を引用して説明していきます。 なお、「白の主食堂」という部屋は皇帝一家が食事をする部屋だそうですが、この部屋には死んだ鳥の絵がいくつも飾ってありました。余りにグロテスクで私の趣味に合わないため写真は撮っていません。他の方の旅行記には必ずと言っていいほど載せてありますので興味がある方はそちらを見られるか、ホームページで見て下さい。 なお他に2、3室とロマノフ王家の方々の肖像画がある部屋は未修復の部屋なので写真は撮りませんでした。部屋自体が小さいため多くの観光客が写真に入り込むので写さなかったというのも理由の一つです。 さて、この肖像画の部屋にはエカテリーナ1世(スウェーデンの洗濯女とロシアのガイドさんからは呼ばれていました。)と彼女の娘エリザヴェータの肖像画がありました。(写真はホームページから借用)

この写真は1月1931年に撮影した琥珀の間のカラー写真です。これがドイツ軍に略奪される前のオリジナルの写真。(写真はWikipediaから借用しました。)

百貨店の裏入口にある撮影スポット。

壁に至る所にペイントがされてます。これは絶対に狙ってます。

窓から和装したお姉さんが。どういう意味なのか。

グム百貨店の裏にあるこの建物の中には色々なショップが。

路地を抜けるとちょっとした広場が現れる。

お互いの撮影の邪魔にならないよう等間隔にペイント。

壁に描かれているお姉さんと撮る人多数。

ベンチに座って何組か写真撮ってました。ベンチが傾斜で歪んでるのが残念。

グム百貨店裏の路地。

これはグム百貨店の建物の壁。赤色なので非常時に何か使うものだと思われ。

さきほどの路地を抜けたところにあるお店の壁。 ライトの光を黄色のペンキで表現してます。

路地の奥を進んでいきます。

噴水通りからいくつか枝わけれするように路地があります。

進んだ先には20年くらい前の20年後の様なペイントが。

さきほどの隣には三色で描かれた街の様子。

この路地は宇宙人にさらわれる何かをテーマにしているのか?

お次に噴水通り。

こちらは別の路地へ続くトンネル。鳥の進む方へ足が進んでしまう。

路地によっては一気に生活感のある所に突入してしまう。

これも別の路地。 怪しいモノや普通の土産物など、不明な店が多数。

これはまた別の路地。星のマークの旗が並んでいるだけで、雰囲気がアジアの共産圏ぽく感じる。

お店は閉まってましたが壁一面に書かれた海の様子。

凄い興味がわいたけどお店には入ってない。

路地裏にあった崩れそうな倉庫?カラフルで何か良い感じ。

落書きでよくある意味不明の生物。

オタクショップ発見!

これも噴水通りの路地裏。緑に覆われた緑のドアとポスト。

実際見るとオレンジが強烈に視界に入ってくる。 レンタサイクルあるけど、坂が強烈過ぎてウラジオストクでは役に立たない。

どういう意味なのか。

噴水通りの路地裏にあるゲストハウス。

路地裏の奥にあるアパートの一角。そろそろポスト交換したほうが良いよね。

通りには噴水があり終日歩行者天国。

いかにもというお店。当然ここは写真撮るのに並ばないといけません。

噴水通りと交わる南北の通りの壁にあったペイント。

落書きの意味の書いてあるパンフレットでも作れば、観光客にとってありがたいと思った。見てて意味がわからん。

ロシアの文化・風俗・注意点

 風土病的な特殊な病気は都市部にはほとんどありませんが、冬期は、気温の変動が大きいので鼻咽喉部の異常をきたしやすく、また、外出の際に帽子を着用しないと冷気で頭痛をおこしやすくなります。4〜5月頃には花粉が舞い、アレルギー性鼻炎、結膜炎が多発します。
 極東・シベリアでは、春先から夏期の繁殖期にかけて森林・草原に入ってダニに刺された場合に、非常に危険なダニ脳炎にかかるおそれがあるので、そのようなことが予想される場合にはダニ脳炎の予防接種を受けておくことが賢明です。ダニ100匹中5〜10匹の割合で同ウィルスを持っていると言われ、同時期の森林浴等は避けた方が良いでしょう。春から夏にかけて郊外に出掛ける際には、長袖や長ズボン、長靴を着用して肌を露出しないようにし、草むらなどダニが生息しているところには近づかないように心がけてください。
 ロシアでは、エイズの感染拡大が危惧されています。従来は、薬物使用に伴う注射針の使い回しから感染する例が多かったのに対し、最近は性行為による感染者数の増加が指摘されています。
 また、ウラジオストクではマムシに似た毒蛇も生息し、毒蛇による被害が年間約60件ほど報告されており、河原や森林を歩く際には注意が必要です。

 病気に罹患した場合には、欧米系のクリニックが利用できますが、入院や手術の場合は、日本で受ける医療と同等のものを期待することはできないでしょう。

 海外旅行傷害保険
 欧米系のクリニックでの治療費や移送費は極めて高額なので、補償範囲の広い海外旅行傷害保険に加入しておくことをおすすめします。また、本邦への転院や緊急移送の際には、煩雑な手続きや高額な費用を請求されることが予想されますので、手続きの代行や病気、傷害等に対する金銭面での対応が可能な保険に加入していれば、緊急の事態にも対処出来ます。なお、最近、既往症の再発により入院した旅行者が、保険に加入していながら適用を受けられず、入院費を自己負担した例がありました。保険をかけておられても、既往症やケンカなどの危険行為に起因する場合は、保険約款の「免責条項」に該当して、保険金が支払われないこともありますので、十分注意してください。

 医薬品
 薬の入手は医師の処方箋がないと難しく、また品不足のため処方どおり入手できるとは限らないので、風邪薬、胃腸薬、下痢止め等の常備薬は持参するべきでしょう。

 予防接種
 成人の場合、ジフテリア、破傷風、A型及びB型肝炎の予防接種が必要と思われます。これらのワクチンは現地でも接種は可能ですが、衛生上の問題や万が一副作用が生じた場合の補償も不明確なことから、予防接種は日本国内で済ましておくことをおすすめします。

 飲料水
 水道水は大陸性河川の水を利用しているため、色度、総硬度等が若干高値ですが、大腸菌群等は検出されていません。しかし混濁している場合が多く、生水のまま飲用するのは不適当ですので、ミネラル・ウォーターを利用することをおすすめします。なお、生水を飲料とする場合は5分以上煮沸すると良いでしょう。モスクワ以外の地域における水道水は硬度、混濁等が強く、飲料には適しません。最も安全な飲料水は市販されているミネラル・ウォーターです。

 食料品
 肉類や魚類、卵類、乳製品、野菜類等は品質管理が決して良いとは言えませんので、十分加熱してから食べてください。果物は、傷の無いものを購入し、きれいな水でよく洗浄して皮をむいて食べてください。生野菜も衛生的な水で充分洗浄してから食べてください。