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モスクワ/ドモジェドボ空港ってどんなところ?

1147年にキエフ公国のユーリー・ドルゴーキー(手長公)によって初めて砦が築かれて以来、ロシア帝国の起源となったモスクワ大公国が興った。1712年にサンクトペテルブルクに首都の座を譲ったが、ソビエトによって1918年に首都に戻され、ソビエト連邦とロシア・ソビエト社会主義共和国(現在のロシア連邦)の首都となった。かつては冷戦による対立関係があったアメリカ合衆国 アメリカのワシントンD.C. ワシントンと共に、モスクワは世界の首都として二分した。ソ連崩壊後のロシア連邦においても引き続き首都であり、現在人口1000万を超えるロシアの政治経済の中心である。

モスクワ/ドモジェドボ空港の写真・旅行記

世界一周出張を何度も行っているが、一番つらいのは北半球が冬の時期で南半球に飛ばなければいけない時。一気に真夏の南半球から北半球の冬に行くのは体力的にも、精神的にもダメージが大きい。 11月初頭、ブラジルでの仕事を終え、一気にドイツ経由でモスクワまでフライトすることに。11月のモスクワというと初冬にあたるのだが、日本の初冬なんて生易しいものではなく、僕からしたら立派な厳冬期。 真夏の体に慣れ親しんだ僕の体は経由地ドイツで降りた瞬間に体の芯まで一気に冷え、モスクワに着いた瞬間、泣きたくなるくらいの頭痛。 よく耐えられたと自分でおもいます やっぱり海外営業は頭ではなく、体が資本です はい。

真夏のベロホリゾンテ空港。 T-シャツ一枚でこのころはまだ余裕でした

経済成長が著しいブラジル。地方空港でもアメリカ行きや欧州行きの便が増えている

離陸直後のA319型機を写す

南米第一の都市サンパウロを経由し、

A340に乗って

一路乗り換え地点のミュンヘンを目指します

ミュンヘン行きのA340は最新設備を搭載し、もちろんオンデマンドテレビ付き

あまり美味しくないルフトの機内食

12時間のフライト経て初冬のミュンヘンに到着。 到着したのはいいが沖止め。機内に出されると、寒い風が体につんざきます

ミュンヘンからウィーンを経由し、

なんとか震える体を我慢してモスクワに到着

ふとモスクワ空港に降り立ち外を見ると、子どもころ図鑑でみたアントノフが

寒々としたモスクワの空港

ゲートに到着する前機内の窓から見えた日航機。 海外で日本の飛行機を見ると何故かすべて投げ出して帰りたくなる時があります。。。

窓に濡れた先に見える日航機 これに乗ったら日本に帰れると思うと、この雨にぬれた窓が僕の胸中の気持ちを表しているようでした

巨大マトリョーシカをおくみやげ物や

名立たる高級ブティックがテナントとして入居

世界の

ここも新婚カップルの立ち寄り先

GUMを裏から、1階は高級スーパーマーケット。

噴水前での新婚カップル撮影模様

シャネルの女性

早朝到着したモスクワ・シェレメツェボ空港ターミナル2

シェレメツェボ空港からベラルーシ駅への直通鉄道、アエロエクスプレス。これは非常に便利、所要35分程度。

ベラルーシ駅

ベラルーシ駅から地下鉄へ乗り換え

地下鉄車内とモスクワ・メトロネットワーク、ホテルにとりあえずチェックイン。

1985年7月以来の赤の広場

赤の広場にたつ歴史博物館

クレムリンとその奥、ワシリー寺院

赤の広場のレーニン廟

ワシリー寺院

悪天候にモスクワ関わらず新婚カップルの赤の広場詣、これはソ連時代と変わらない。新婦がポーズを取ってくれた。

赤の広場の観光客

クレムリンとロシア国旗

赤の広場の観光客

ワシリー寺院

赤の広場

赤の広場とGUM(右側)

赤の広場へ向かう新婚カップル

同上、寒そうだ

クレムリンとロシア国旗

クレムリンと赤の広場

ワシリー寺院内部

ワシリー寺院

ワシリー寺院から赤の広場を望む

アエロフロート機。 エアバスなので、普通で、特色無い。

スチワーデス。 噂では、 怖い、 肥満、 機内食のリンゴを投げながら配るとか、 その他 もろもろの、ひどい、 とかの、うわさを聞いていたが、 噂と大きく異なり、とっても親切だった。 愛想も、一人を除いて、良かった。 悪かった一人は、まあ例外と考えたほうがいい。 きっと体調が良くなかったのではないか、と、思われる。 濃いみかん色のコスチュームがど派手で どこにいるかすぐわかる。 まっとうに公平に見て、JALより良い。

アエロフロートの尾翼。 結構モダンなデザインだと思う。 成田は雨、晴天よりも曇天とか雨に似合う尾翼のデザイン。 強いて言えば、 なんとなく頼りになりそうで、身を預けられる気にさせてくれた。。

座席番号13Eの 機内エンターテイメントシステムは壊れていた。 ローディング中にフリーズする。 よって、座席の移動を依頼。 スムーズに移動完了、窓側の席を確保できた。 しかし、エコノミーには2席しか空席が無かったぞ。 すごい乗車率だ。 料金は安かったが、きっと黒字だろうね。 じゃるは見習うべき。 映画、ロシア製が珍しかった。 ゲームまあまあ。 液晶密度が高いのでスクリーンは小さいが鮮明。 操作に対しマシンのレスポンスが悪い。

主翼と空。

機内食。 エコノミークラスです。 噂と違いました。 噂では、リンゴ一個のはずだ。 実際は、ケチの付け難い献立、まあまあの味付け、合格点は超えている。 最近は、毎回がっかりで、堂々落第点を取り続ける ユナイテッドに乗りなれてしまうと、 この食の内容に感心する。 すし、えびの握りとたくあん巻き。、 日本風味付けのシーフードライス。 ホタテ、たら、えびが入っていて甘しょうゆ味付け。 機体の揺れが激しく落ち着いて食べられなかったし、 写真もぶれたが、 おいしい と言える。 ユナイテッドさん、何とかならない?

コーヒー。 平均点は越えている機内でのコーヒー。 砂糖をたのんだら、6個もくれた。 スターバックよりも美味しい。

機内の読み物。 スウドクパズルを探したが無かった。 この点では、アメリカの勝ち。 いつもの暇つぶしができない。 仕方なく、 機内エンターテイメントのゲームでチェスをする。 ゲームの難度を最高にしても、 コンピューター側が、めちゃ弱くて、阿呆だった。 タッチストーンだとかポロ-ニアスの様な面白い阿呆だったら歓迎だが、ちょっと期待と違う。

ロシア上空に入ってから1時間位して 見えてきた外科医の風景。 外科医が好きそうな下界のふうけい? いつもPCの漢字変換には たのしませてもらえるなぁ。 きっとシェイクスピアも大喜びする。 五月末なのに、シベリアの川は氷と雪に埋まっている。

地図。

ロシアの真ん中付近の風景。 この辺には雪は残ってない。 くねる川が見えた。

現在位置と飛行路を示す地図。 ロシアにとって友好国であるはずの 例の危なっかしい国の上空をなぜか迂回して遠回りして飛んでるぞ。 これは燃料のロスである。 緊張関係が空路に影を落としているのか?

抹茶アイス。 グリコ製。 良いね。 冷えていて、コチコチに硬かった。 プラスチックのさじの歯が立たない。 解けるまで待つ。 この時外気温は華氏マイナス72度。 ともかく、 何はともあれ、 この件に関して、 アエロフロート機内食担当者の選択と その責任者の承認と決定を評価する。 あな、じゃる ではおせんべいが出てきそうだが、 おせんべいは臭うんでやめたほうがいい。

2度目の食事が出た。 マカロニ。  でかいイカが3つ入っていた。 くらげの、あえたもの。竜田揚げ。 メロンのゼリー。 日本人乗客をかなり意識している。 隣席のブカレストから来ているルーマニア人のおばさんがこの食事に満足するか疑問。

モスクワ到着、空港 着陸時に拍手がわきあがる。

モスクワの空。 なんとなく、暗雲漂う感じなので撮影した。 これがアエロフロートによる手荷物の取り残しにつながる、 暗示、黙示であった。 しかしながら、 アエロフロートの総合評価は高く評価することにする。 このくらいの失敗は誰にでもあるだろ。

空港内。 トランジット、乗換えで混乱。 アクシデント1. 南アジア系の乗客が列を無視して割り込み。 文化の相違。 列に並ぶという観念が頭の中に存在し無いタイプ。 アクシデント2、 ベトナム人、東南アジア系が順番の割り込み。 これは、他人を無視し自分のみの利益を追求する型。 アクシデント3、 乗り換えに必要な行動として 何をしなければならないのか、なにが必要か、どこでそれができるか、解らない。 あたふたしているうちに、他の乗客と共に列を成して、係員がいるカウンターにたどり着く。 有能なロシア人係員がすさまじい勢いで 数百人いる乗客をきれいにさばく様子を見る。 システムは、100%の能力ある労働者の労働に頼っている。 これでよいの? スゴクコンフューズシタ。

空港内 Fターミナル内のショップ。 たいしたこと無いな。

トイレは床置き式でなく、壁にかけたタイプ。 設置には垂直加重に配慮が必要。 経済的に見て不利。 工事施工的に見て楽か?

デユゥーティーフリー。 規模、楽しさは、成田と同じくらい退屈。

日暮里スカイアクセス(新スカイライナー) うたい文句は「日本の空港アクセスを世界クラスへ」

京成日暮里駅3階の成田方面出発ホーム

スカイアクセス9時発の列車の入場

先頭車両のデザインは黒で前衛的でカッコいいです。

車内の案内標識

アエロフロート SU576便  AIRBUS A330-200  撮影時刻11:00

出発は第1ターミナル25番ゲート

座席は左主翼の上の13A 見えるのはアリタリア機

機内のモニターは8インチぐらいの大きさだが前席が近く、長時間見るのは苦痛です。 エコノミー・クラスなので我慢します。

太陽がいったん沈みそうになるが、再び昇って10度ぐらいの高さになりました。

巡航高度35000フィート(10600m)上空から見た雲です。

窓ガラスには霜の細片が見えます。

シェレメチェヴォ空港のターミナルDの到着階通路です。

外はまだ暗くなり始めたところです。 現地時間17:54(日本との時差5時間)

入国審査場手前です。 入国審査はパスポート・チェックとかなり厳重な手荷物・身体検査があります。靴も全員が脱ぎます。

入国審査を終え、階段を下りて売店、カフェなどがあるフロアへ移動しますが、あまりにも広くて戸惑いました。 乗り継ぎ便の出発ゲート番号を確認しておけば大丈夫です。行き先によっては十分すぎる時間があります。

行き先を探してウロウロする人を見かけます。 私たちもその仲間ですが(笑)

バーで寛ぐ人も見かけます。   18:13

母親と幼児室(Mother and child room)、トイレ、喫煙室などの標識があります。 開設1年未満でまだ利用は少ないようですが「これでいいのだ!」でしょうね。

出発階の通路の柱の横の円筒状のものは穴あきメタルで出来ています。 中はよく見えませんでした。 メタルで思い出すのは井上陽水のリバーサイドホテル ”部屋のドアは金属のメタルで”♪

空港内のモニターはSAMSUNG製です。

このカフェで休みました。 ビール中ジョッキ2杯で470ルーブル(1400円)支払いはカードです。

カフェの席から写しました。

出発ゲート前のロンドン行き SU247便の案内表示です。 今日の日付、曜日、現在時刻まで表示されきわめて分かりやすいです。世界のTOPクラス間違いないです。

出発ロビーのイスは標準的です。

ヒースロー空港到着後、近くのRaddison Edwardian Heathrow Hotelへ一泊し、翌朝ヒースロー・コネクト(準急)でロンドン市内へ向かいました。7.9ポンド 25分。 ここは第1ターミナルにある出発駅です。 9:10 この列車はヒースロー空港からパディントン駅までの準急ですが、他に急行のヒースロー・エクスプレス(15分 18ポンド 実効レートで2500円)があります。

駅は地下にあるため地下鉄と同じ円筒状の壁面です。

ホームは都内の地下鉄ほど明るくはありませんが、乗り降りに困ることはありません。

ヒースロー・コネクトの停車駅 Southall この列車はヒースロー空港からパディントン駅までの準急で、他に急行のヒースロー・エクスプレス(15分 18ポンド)があります。 急行はノン・ストップで景色を見る暇はありませんが、コネクトは見る余裕があってよかったです。

最近のイギリスは監視カメラ大国です。列車内にも駅にも、いたるところにカメラ(CCTV)が設置され、車内放送でも繰り返しそれが案内されていました。

ようやくロンドンのパディントン駅に着きました。

広い駅構内も乗り降りの乗客などで混雑しています。

パディントン・ベアの本拠地のパディントン駅の売店。 私の土産はこの写真。

国際色豊かな駅のベンチ。さすがロンドンです。

スズメバチにそっくりのイメージの列車

こちらは普通の形をした3両編成の近距離列車でしょう。

First Great Western の列車が3両並んでいます。 これでようやく目的地ロンドン市内に到着しました。10:15 前日に所沢の自宅を出てから34時間経っています。 It's a long way!です。

アエロフロートの日本語機内誌「オーロラ」 アエロフロートAEROFLOTの日本語版機内誌「オーロラ」にはロマノフ王朝の特集記事の他、空港案内、空路図、フライト時刻表、AVリモコン使用法、簡単な会話、主要都市の地図、入国手続きなど載っています。

乗り継ぎ手続き等の案内 右下の写真が入国審査場で、丸いドーム状の天井が特徴。

乗り継ぎの通路

ロマノフ王朝の特集記事

アエロフロートの飛行機 今回利用したのは AIRBUS A330とA320

これも星の街への標識。 中央のロシア語は、やはり「星」とのこと

「星の街」入り口検問所で許可を得た後は、 前方の赤い車に先導され、訓練センターへ向かう。 非常に物々しい。

計二館(?)に入る度に、当然の事乍ら、コートを預ける。 一見学団体毎に使用するので、ニアミスは絶対無しの ようである。従って、安心! 因みに、左の男性が案内者。どうやら当センターへ 日本から女性一人見学にきた事が、珍しいらしく 非常に丁寧に案内され且つ、見事に自然なエスコート振りだった。 もっとも、当地の地下鉄内では、必ずといっても過言でない 位、男性はご婦人方に席を譲っていた。ごく自然に。 右の男性が通訳ガイド。しかし、宇宙関係の日本語を 不勉強で、上手く私に伝えられず忸怩たる思いだった。 残念この上ない!

訓練室の三分の二の写真。 一時間半という限られた時間でどれだけ見学出来るのか 気が焦る・・・?

ソユーズTMA訓練モジュールを 目の当たりにして脈拍が早くなった感あり。

宇宙飛行士達の訓練の様子の写真が、 掲示されていた。 これらの写真を見て、本当にここが訓練センターなのだと 妙に実感した。

彼が触れているのは、宇宙服。

宇宙に於ける 所謂 トイレ。

確か、不測の事態が起きた時、飛行士がどう対応すのか、 脳波?思考状態?を検査するようだ。

船外活動(宇宙遊泳)の訓練に使われる。 無重力状態をシミュレートする為のプール。 地域の人達の水利用に影響を与えない為に 夜中の一時頃から約四時間のみ水を溜めるので 満水まで一週間かかるそうだ。 満水の時、宇宙で着用するような宇宙服に錘をつけて プールに潜ることにより無重量環境をシミュレート(模擬) するという。 野口 聡一さんも当センターで基礎訓練を行ったそうだ。

遠心加速実験装置。巨大なアームだ。 ロケットを打ち上げる時の加速度に耐える訓練を するらしい。 私が説明を受け終わった頃、次なる見学者達が入ってきた。 それまで、このアームを独り占め??していた。

ソユーズの中から、外側の写真を撮る。 高所苦手な私が真っ直ぐに近い梯子を好奇心の力を借り ヨイショヨイショとのぼった成果??かな。

星の街の通り。 ロシアの宇宙飛行士の半数以上はこのセンターに所属し この街に住んでいるとか。

星の街の出口にあった男女の像。 両像とも空?宇宙を指している。 それぞれ意味があるらしいが・・・残念・・失念。

人類初の宇宙飛行を成功させたガガーリン宇宙飛行士。 帰還後に語った「地球は青かっ た」は有名な言葉。 彼はここ訓練センターでは、神様のような存在である。

モスクワ市中央にある宇宙飛行士記念博物館。 建物自体が写真のようにロケット型をしていて ビックリ。高さは60m。 「星の街」の案内書があるとか無いとかガイドから通訳氏が 聞いたと言うが・・・住所すら機密なのにと疑念を持ってついて行った。 案の定、無い!状況判断しないと・・・。 でも兎に角行ってみた。びっくり!あまりの混雑に慌てて退散。 下記写真。

1986年2月19日に打ち上げられた宇宙ステーション 「ミール」がゴロゴロと打ち捨て(?)られていた。 ミールは、ロシア語で「平和」「世界」を意味するとか。

モスクワはこの週は秋休み(初聞き・・日本に無し)で 何処に行っても子達の姿が彼方此方に見られた!

アエロフロート・ロシア航空ボーイング767-300ERの機内。日本からトルコのイスタンブールに行くための決定打がないので航空路線は多様。週に何日か飛んでいるトルコ航空の直行便が便利なのは言うまでもありませんが、これを利用するツアーは極端に料金が高くなることが難です。 ソウル経由、中央アジア経由、ヨーロッパ経由(戻るイメージが後ろ向きか?)、モスクワ経由と色々あるようです。 冷戦時代に西側スパイ映画を見て育った世代でもあり、「どうせトランジットで時間を潰すならば」と怖いもの見たさもあってアエロフロートでモスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港経由を迷わず選びました。どうせなら、飛行機の機体もイリューシンやツポレフであれば更に味わい深い行程になったかも知れません・・・

北朝鮮を避けるように日本海を北上し、中国国境をかすめるようにロシア領内を飛ぶアエロフロート機の航路。

シベリアの大地を蛇行する凍った大河。

ロシア連邦の首都モスクワにあるシェレメーチエヴォ国際空港(SVO)でのトランジットは何と5時間!! ちなみに、このエリアは撮影禁止、見つかるとファイル削除を強制されます。

ホテル「Barcelo Eresin Topkapi バルセロ・エレシン・トプカピ」玄関前の出発風景。

ホテル傍のバス停からは出勤の人々の行列、日本で見慣れた何時もの通勤風景・・、シルクロードの起点とは程遠い光景。 「フジヤマ」、「ゲイシャ」ではない事位は理性で十分に理解できますが、 子供の頃から聞き馴染んだ歌謡曲によって植えつけられたイメージは強烈・・・。 「オリエンタル・エキゾチックが無いぞ、久保田早紀!」

ガソリンスタンドに、有料トイレ、レストラン、喫茶、土産、コンビニなど満載した大規模なドライブインが目に付く。トイレは無料の店もあったが、入口で一人に付き0.5~0.75トルコリラを払。チップと言うより明確な料金所があり、釣銭も大丈夫なので簡単。 後で調べたら、最初に寄った「AYDIK RESTAURANT CAFE」には、専用ドメインを持ったウェブサイトまでありました。 http://www.aydik.com/index.html

海霧が地表付近を這うように覆う。フェリーの出発(遅延)が心配されていた原因。

ガリポリ半島(Gallipoli)も先端部に近いエジェアバット港(Eceabat)から、アナトリア半島(Anatolia、又は小アジア半島 Asia Minor)に位置するチャナッカレ港(Canakkale)へ向かうフェリーにバスと共に乗船した。 海上から見るエジェアバットの街並みは美しいモスクが一際目立つ。オリーブの木々に囲まれた周辺の雰囲気はトルコというよりギリシャの地中海沿いといった雰囲気。

「Canakkale チャナッカレ港」へ向かうフェリーの船中より、遠ざかる「Eceabat エジェアバット港」を撮影。

対向する同型のフェリー。 青い海に海鳥が飛び交う光景は「地中海」そのもののイメージ。 のどかで良いのですが、 並河萬里氏の写真集「シルクロード」や、庄野真代・久保田早紀さんの「オリエンタルエキゾチック」など、 これまでトルコに抱いていたイメージとは遠いものでした。

ガリポリ半島(Gallipoli)側のエジェアバット港(Eceabat)から出航したフェリーは、湖のように静かなボスボラス海を渡り40分ほどでアジア側のチャナッカレ港(Canakkale)に接岸。港の広場にはブラッド・ピット主演の映画「トロイ」で使われた「トロイの木馬像」が展示されていました。 この後訪れたトロイ遺跡入口に設置されているメルヘンチックな木馬に比べ、ここの木馬の方が時代感に溢れリアルでした。

トロイ遺跡の入口を飾るトロイの木馬。チャナッカレ(Canakkale)の港にある、ブラピ主演の映画に使われたリアルなトロイの木馬像に比べ、かなりメルヘン風なものでした。

トロイの遺跡からダーダネルス海峡を挟んでヨーロッパ側の風景。現在、手前に続くのは麦畑ですが、都市建造当時はすぐ傍まで海が迫っていたそうです。

有名なトロイ遺跡と言っても、当のシュリーマンを始め西洋列強に持ち去られ、ここには残骸が多かったような気がしました。

トロイ遺跡からアイワルクに向かう途中の不思議な看板。 意味不明ですが「ラクダの闘牛」でしょうか?

トロイ遺跡からアイワルク(Ayvalik)に向かう途中でトイレ休憩で寄ったドライブインの脇にいたロバの馬車。ロバのパン屋を思い出しました。

噂に反しアエロフロート・ロシア航空の機内食は良好でした。この後、トルコ国内のホテルで出される平均的なビュッフェ料理から比べると、どれも美味しと感じる内容で、完食することに努力する必要はありませんでした。

アエロフロート・ロシア航空「成田→モスクワ便」搭乗後の機内食は2食目も良好。

ロシア連邦の首都モスクワにあるシェレメーチエヴォ国際空港(SVO)で5時間待ちのトランジット。免税店、お土産店、喫茶、レストラン、WiFiなど沢山の施設がありました。トイレや喫煙場所は豊富な反面、通路は狭く移動は不便でした。

実演機能つき生オレンジジュースの自動販売機。ルーブル硬貨のみ使用だったので味は不明。

ロシア連邦の首都モスクワにあるシェレメーチエヴォ国際空港(SVO)で5時間待ちのトランジット後、モスクワ⇒イスタンブール間のフライトでも食事が出ました。事前に期待するものが何もありませんでしたので、予想に反して良好な内容でした。

翌日00:30にトルコ・イスタンブールのアタテュルク国際空港(IST)にやっと到着! やはり私の世代では、「飛んでイスタンブ~ル」と言いたい気分。 夜だから見えなかったですが「砂の砂漠」があるかも知れない! (あるわけないぞ、庄野真代!)

空港と市街の中間にあるホテル「Barcelo Eresin Topkapi バルセロ・エレシン・トプカピ」のツインルーム。広くは無いが寝るには十分。

海霧がギリシャに似ていると言うガリポリ半島(Gallipoli)の丘陵の表面を這うように覆う。フェリーの出発(遅延)が心配されていた原因。

アナトリア半島(Anatolia、又は小アジア半島 Asia Minor)に位置するチャナッカレ港(Canakkale)は、内海だけあって小さい漁船が多く、まさにヨーロッパの瀬戸内海といった風情でした。フェリーの接岸作業中という短い間でしたが、珍しい船型とサイズの個性的なボート見学を楽しむことが出来ました。

アナトリア半島(Anatolia、又は小アジア半島 Asia Minor)に上陸後、チャナッカレ近郊にある「KOLIN HOTEL」一階のレストランで昼食。このツアーの食事場所としては珍しく地元のお客さんも多い場所。 立て込んだ食堂内では喫煙者が多く、同席者が食事中にもかかわらずプカプカと煙草を吹かす姿は、もう日本では珍しくなってしまいました。 私達の座った大型テーブルの上にも灰皿が沢山置かれていたが、さずがに大勢の日本女性の前では「郷に入り手は郷に従う」ことは出来ませんでした。

観光地「トロイ遺跡」の写真。イリオス(イーリオス)、トロイ、トロヤ、トロイア(トローイア、トロイアー)、イリオン(イーリオン)などと様々な名称で呼ばれる。というのも、紀元前3000年頃とされる遺跡から、ギリシャ・ローマ時代のものまで9層程に入り乱れているためだとか。 ガイドさんの説明を幾ら熱心に聞いても、上質なガイドブック(日本語)を持っていかないと、どの遺跡が何時のどの年代区分のものか皆目わかりませんでした。

アイワルク(Ayvalik)の街はずれ、エーゲ海沿に建つ「グランド・テミゼル(GRAND TEMIZEL)」は夏のリゾートホテル。 18:30頃のチェックインでしたので、自室のベランダからエーゲ海に沈む夕陽を眺めることが出来、とても感激しました。

エーゲ海沿い建つ夏のリゾートホテル、グランド・テミゼル・ホテル(GRAND TEMIZEL)のツインルーム。 部屋の広さは十分、水回りも良好、エーゲ海に面したベランダも広く、周りに何も無いので静かな場所。生活感のある街並散策が出来ないのが残念。

エーゲ海沿い建つ夏のリゾートホテル、グランド・テミゼル・ホテル(GRAND TEMIZEL)でのビュッフェ・スタイルの夕食。 アイワルク(Ayvalik)の街外れに位置し、周りに何も無い静かな場所でした。

オリーブの産地として知られるエドゥレミット(Edremit)のドライブイン「KAPTAN TROi」で買ったオリーブ石鹸($4/個)と水(100円ほど)

オリーブの産地として知られるエドゥレミット(Edremit)のドライブイン「KAPTAN TROi」

HIS社がチャーターした小型バスに乗った日本からの団体。自家用車や小型バスに比べて大型バスは高い位置から写真撮影が出来るので好都合。

初日のホテル「バルセロ・エレシン・トプカピ(Barcelo Eresin Topkapi)」での朝食。モーニングコールは06:00、ビッフェスタイルの朝食後08:00にホテル玄関前から団体バスで出発。

エーゲ海に面したプライベートビーチが広がるグランド・テミゼル・ホテル(GRAND TEMIZEL)。この写真は、エーゲ海に昇る朝日を背景に海岸で戯れる他ツアーに参加していた卒業旅行の学生達。他にも、大勢の時差ぼけ早起き族が海岸を散策していましたが、見事に日本人ばかりでした。

アイワルク(Ayvalik)の街のはずれのエーゲ海沿い建つ夏のリゾートホテル「GRAND TEMIZEL」の朝。

格安ツアーではお約束の土産店、トルコ石「AGAD」の建物は3方が玄関。建物は中で3つに仕切られ、同時に3団体を相手にすることが出来るような構造になっていました。日本語堪能で容姿端麗なトルコ女性から、3万円以上~数十万円程度のトルコ石&宝石を執拗に勧めら、まるで我慢大会のような店内見学。 強行軍が続くツアーでは、この場所以外にトルコ石を買える店や時間はなく、最終のイスタンブール・ヒルトン・ホテルには館内に高級土産を扱うお店が何店舗か入っていましたが、いずれも営業時間外にウィンドを眺めるだけの時間しかありませんでした。 結果、さすがにトルコ石は買わなかったものの、細工の綺麗な海包石のパイプ(3万円弱)は買うこととなりました。

このお店はベルガマ(Bergama)郊外にあり、周囲はロバに乗った御爺さんがいるようなのどかな麦畑が広がる。

大都市イズミルの街を遠巻きに眺めながら、エフェス遺跡(Efes又はエフェソス)の観光拠点となるセルチュク市(Selcuk)を目指す。

アイワルク(Ayvalik)の街はずれ、エーゲ海沿に建つ「グランド・テミゼル(GRAND TEMIZEL)」の朝食はビュッフェスタイル。

イズミール郊外にはスウェーデン 家具のIKEAも進出していました。 何故か世界中のIKEAで販売されているスウェーデン風肉団子が、トルコの肉団子料理キョフテ(トルコ語:köfte)と似てて人気だそうです。イスタンブール市内にも2軒もあるとのことでした。

トイレ休憩で立ち寄った高速道路のサービスエリアで食べた蜂の巣付きの蜂蜜とチャイ。「蜂蜜+バター+蜂の巣」は想像通りの味がして美味しかったです。

アイランAyranは、トルコでポピュラーな飲み物のひとつ。ヨーグルトを水で薄め塩を少量加えてかき混ぜるだけなので、家でも簡単に作れる。

シシ・ケバブ(羊肉の串焼き)といわれたものの、どう見ても「焼鳥2本、バターライス、ナン」の昼食でした。

セルチュク要塞(旧アヤスルク Selcuk Castle)や聖ヨハネ教会(St. John Basilica)を見ずに閉じ込められた皮製品の店(レザーアート、LeatherArt)の外からは、遠くにアヤスクルの丘を望め、500mmの望遠レンズをもって撮影することに成功。

温泉保養地パムッカレ(Pamukkale)にあるスパ・ホテル・コロッセア・テルマル(又はコロッセア・サーマル SPA HOTEL COLOSSAE THERMAL)には19:30ごろ到着。

スパ・ホテル・コロッセア・テルマル(又はコロッセア・サーマル SPA HOTEL COLOSSAE THERMAL)のツインルーム(この旅で唯一の禁煙ルーム)。

スパ・ホテル・コロッセア・テルマル(又はコロッセア・サーマル SPA HOTEL COLOSSAE THERMAL)の夕食。トルコ料理を中心に色々選べるビッフェ方式でした。

スパ・ホテル・コロッセア・テルマル(又はコロッセア・サーマル SPA HOTEL COLOSSAE THERMAL)の夕食ビュッフェの甘いデザートのコーナー。色とりどりのトルコ風お菓子が選び放題。

エフェソス遺跡のみの観光を終え、ほんの10分程でキルシール(KIRCILAR)ブランドで皮製品を製造直売するお店レザーアート(LeatherArt)で革製品のファッションショーを見る。中にはモデルになってショー出演を体験された方もいました。(ご苦労様!) このショーの後は体育館の様な広い売場に通され、「フランスのパリなら50万円する皮コート、ここなら15万円!」と言われるだけで、決して嫌な目に逢うわけではありません。

エフェソス遺跡のみの観光を終え、ほんの10分程でキルシール(KIRCILAR)ブランドで皮製品を製造直売する「レザーアート(LeatherArt)」という店の表に到着。ここの高台なので、セルチュク要塞(旧アヤスルク Selcuk Castle)や聖ヨハネ教会(St. John Basilica)を遠くに望むことが出来ます。但しそれなりの望遠レンズが必要です。

エフェス遺跡(Efes又はエフェソス)の観光拠点となるセルチュク市(Selcuk)の「ULUSOYレストラン」で、シシケバブ(シシカバブ)料理で遅めの昼食。 このトルコ最大級のバス会社の名前の付いたレストランの名前は添乗員さんの資料からだが正確でないかも知れません。

エフェス遺跡観光の起点となるセルチュク市(Selcuk)の「ULUSOYレストラン」に設置されていたアイラン製造マシンの写真です。このアイラン(Ayran)とはトルコでポピュラーな飲み物のひとつ。ヨーグルトを水で薄め塩を少量加えてかき混ぜるだけなので家でも簡単に作れるそうです。

エフェス遺跡(Efes又はエフェソス)の観光拠点となるセルチュク市(Selcuk)の「ULUSOYレストラン」から見た、セルチュク要塞(旧アヤスルク Selcuk Castle)や聖ヨハネ教会(St. John Basilica)があるアヤスクルの丘。 この聖ヨハネ教会には歴代ローマ教皇も訪れる程の名所にもかかわらず、お約束の革製品のお店に行くため、バスの車窓から遥か遠くに望むだけで終わってしまいました。

メミウスの碑 ~ ヘラクレス門にかけて(エフェス遺跡 Memmius Monument -- Hercules Gate, Ephesos)

エフェソスにあるセルシウス図書館は、アレキサンドリアの図書館、ベルガモの図書館と並び、かつての世界三大図書館のひとつ。

獅子の毛皮をまとったヘラクレスの門(エフェソス遺跡 Hercules Gate, Ephesus)

エフェソス遺跡にある、セルシウス図書館の入口付近の天井の細工。アレキサンドリアの図書館、ベルガモの図書館と並び、かつての「世界三大図書館」のひとつ。また、古代ギリシャで言う所の「世界の七不思議」の一つに数えられたアルテミス神殿の遺構の一つとされるそうです。

エフェソス遺跡の円形大劇場は、古代ギリシャで言う所の「世界の七不思議」の一つに数えられたアルテミス神殿の遺構の一つですが、建物自体はローマ時代に再興されたものだそうです。

皮製品の店を早々に脱出、建物の外の庭にいた鳥。とまっている木はロウソクの原料となるハゼの実が採れるハゼの木か?

ロシアに到着。 苦労して、結局短期滞在にしたVisaを片手に… と、メールが。 「外で待ってるよ~」かな?と期待したて開けたら… 「渋滞にハマって迎えに行けないから、自力で中央駅まで来てね」  えーー!!! 慌ててバックをひっくり返して、「ガイドブック、どこ!?」 お迎えを当てにして何も調べてないよ… 税関の超無愛想でロシア語しか喋ってくれないお姉さんにもうやられて… Informationデスクの人も、これまた無愛想。 外には、客引きの騙されそうなおじちゃんがいっぱいで。 まだ明るいけど、今もう9時。恐いよー!!

なんとか電車で中央駅に辿りつき… 電車を降りたら、懐かしい顔が待っててくれた! 思わず抱きつちゃうよ~  知らなかったけど、モスクワの渋滞は半端じゃないらしい。 もうすっかり真っ暗。でも真っ赤なTOYOTAが光輝いてみえた☆

第1日目。 駅構内で。 綺麗な装飾の駅と、そうでない駅の差の激しさが印象的だった。 綺麗じゃない駅はまるで建設中みたいに、コンクリートだけ。 広告もなにもないんだもん。

広告がロシアン・カラーだね。

Red square に到着。 手のり聖ワシーリー ☆

実は思ったほど広くなかったRed Square. でもパレードの時なんかは迫力あるんだろうな。

寺院の中に聖歌隊?みたいな人たちが現れて歌ってました。 それにしても、まんなかの方、Harry Potter のMalfoyのお父さんみたいっ!

寺院の中のお土産やさん

ね、ロシアってこんなに暑いの?ってくらい暑かった。 日陰でごろーん。 いえ、異常気象でした。この1週間後には熱波で山火事が起きてこの広場も灰色の煙で覆われて、人々はマスクの生活を強いられるようになるなんて、想像もつかなかった!

国営百貨店、グム。 外からはお城にしか見えない。中に入ってびっくり

どこもかしこも… 

これ、Good idea! 歴代の大統領たち。

シベリアン・シャンパン をガンガン開けてく… 

ロシアだから飲まないとっ でも私は日本人の中でも弱いのよ。 とてもじゃないけど、ついてけません…

クレムリンへ

アルハンゲリスキー大聖堂。 ちょっとアラビックっぽい感じ?

ごはんはなんでも美味しかった。 それにしても、ロシアは地理のとおり、ヨーロッパとアジアの中間な印象だった。 ドイツのザワークラウト的なものがあるけど、野菜のサイズはアジアと同じく小さいから、ドイツで食べるのより繊細な味。 野菜も小さく切ってあるとこもアジアっぽい。 でもデザートの甘さはヨーロッパね。

出発の瞬間です。 大学の夏休みが突入し、いよいよ人生で最も暇な2か月が始まりました。 写真は成田空港第一ターミナル駅にて。

かの有名な?アエロフロートロシア航空の機内食。 意外においしかったです。

空港から鉄道に乗り換え、モスクワ市内中心部を目指します。 実は、この直前に親切な日本人の方に会い、結局ホステルまで送ってもらうことになりました。 写真はベラルーシ駅。 ロシアの駅は、そこから発着する列車の行先方面が名前になるというシステムをとっています。 よって、ここからはベラルーシ方面に向かう列車が出発することになります。 ちなみに、第二次世界大戦(ロシアでは大祖国戦争)が終了し、ベルリンから帰ってきたソ連兵たちが降り立ったのもこのベラルーシ駅となっています。 歴史に重みのある駅ですね。

上で紹介したベラルーシ駅に飾ってあったモニュメント。 これは対ドイツ戦頑張ろう!のモニュメント。 Вставай, страна огромная,Вставай на смертный бой という文字が見えるでしょうか? これはソビエト軍歌の中でも、最も有名なСвященная война(聖戦)という曲の冒頭部分の歌詞となっています。 名曲なのでyoutubeで聞いてみてください。

ベラルーシ駅に到着後、例の日本人に連れられて日本食レストランへ。 ロシアは現在、空前の日本食ブーム。 モスクワだけでも約2000の日本食レストランがあるというんだから驚きです。 僕はエビのから揚げをいただきました。 ここで知ったのですが、この日本人、どうやらロシアの声というラジオ放送局の日本人アナウンサーらしい・・・ ロシアの声というラジオ放送は、もともとソ連時代にはモスクワ放送という名称で広く知られていました。 しかも、コメンテーター的なものを募集しているそうで、なぜか一般人の僕がラジオに出演依頼されてしまいました。 個人的にはわざわざ市内まで連れてってくれたこの人に感謝の気持ちを伝えたいという気持ちや、「ラジオ出演とかマジぱないっすww」という気持ちがあったので、二つ返事で了承。 これについては後程。

「赤い月」 これが最初に僕の頭に浮かびました。 なかにし礼さんの「赤い月」という小説は、太平洋戦争中の満州を生き抜いた一人の女性の物語です。 満州一帯は、季節によっては本当に月が真っ赤に見えるそうです。 これは・・・ 「とうとう終わっちまうんだな・・・俺の人生・・・」 と思わず感じられるような空の色。 そうです、日本でも紹介されていたモスクワのスモッグです。 もともとモスクワ近郊には泥炭と呼ばれる、燃料の一種が埋まっています。 植物が死んで、それが堆積したものだって言うのだから、要は原理は石油と同じようなものです。 天然資源に困らないロシアですが、こんなのもあるんですね。 それで、これに今年の夏の猛暑の影響で火が付いたわけです。 いくら消火しても、消火しきれません。 ロシアではロシア語の練習を兼ねて新聞を読んでいたのですが、モスクワ滞在の前半はほとんど消火活動がトップに来てました。 この影響でかなりの人が亡くなり、家を失いました。 その時の煙がモスクワ中心地まで流れてきたというのが、このスモッグの原因です。 僕のロシア人の友人によると、この時に一日中外にいることは、タバコ七箱吸うことと変わらない、という。 ヘビースモーカーの多いロシアですが、さすがにこの煙には参ったようで煙の日には通りにほとんどだれもいませんでした。

煙。 そのまま今日はホテルに向かいました。 日本人と一緒にいたオセチア出身の少年がホテルまで案内してくれました。 助かった・・・

次の日です。 これはみなさんもご存じの赤の広場(レアな煙ヴァージョン笑) ソビエト時代は共産側の本拠地でしたからね。 その規模と言ったら異常でした。 昔からここに行きたくてしょうがなかった僕は、革命広場の駅を下車後、できるだけ下を向いて歩いて行きました。 赤の広場の中心でバァッと頭をあげ、すべてを見渡したかったからです。 そして門を通過、「ここらへんでいいだろう」ってところで頭を上げる・・・ 感動しました。 朝だったので人がほとんどいなかった赤の広場に、煙の中にぼんやりと赤いシルエットが浮かび上がる・・・ もう満足でした!!!

歴史博物館です。 007シリーズをみなさんは知っているでしょうか? そのゲームでエブリシング・オア・ナッシングというゲームがあったのですが、この博物館の横を通り過ぎるシーンがありましたね。

これはレーニン廟。 文字通り、レーニンのお墓です。 実は革命の指導者レーニンはこの部屋の中で「特殊保存」されています。 中での写真撮影は勿論のこと、カメラの持ち込みも厳禁とされています。 入場無料で、僕も入ったのですが・・・ すごかったですね・・・ レーニンと対面したわけですよ・・・ あのレーニンと・・・ 1961年まではレーニン・スターリン廟という形で、グルジア人ヨシフ・スターリンも一緒に「寝て」いました。 また、この建物の歴史的意義は建物内だけではありません。 ソ連時代には毎年戦勝記念日の5月9日と十月革命記念日(11月7日)に大規模なパレードをするのですが、その時にトップの政治家たちがこの建物の上に立つわけです。 その順番から、次の後継者を予想することができたんです。 これだからソ連研究はやめられません。

スパスカヤ塔。 クレムリンの周りには合計20の塔がたっています。 これはそのうちの一つですが、もっとも有名なものです。 イタリア人の建築家によって建てられていたようですが、ついこの前今まで行方不明だったイコンがこの塔で見つかったようです。

ロブナエメスタ。 このでっぱりに立って、皇帝がさまざまお触れを発表しました。 また、ステンカラージン(ロマノフ朝の最初のほうで反乱を起こした人)もここで処刑が言い渡されたそうです。

お気に入りの一枚^^

ロシア下院 ドゥーマと呼ばれています。 ちなみに上院はクレムリンの中にあります。

ジューコフ元帥。 ソ連の軍人で一番有名な人かもしれません。 ソ連軍と日本軍が衝突したノモンハン事件の際に指揮を執った軍人です。 また、スターリングラード攻防戦では、ドイツ軍を逆包囲する「天王星作戦」を立案しました。 ソ連崩壊後も銅像が赤の広場の真ん前という絶好のロケーション(笑)に飾ってあるとは・・・ ちなみに、ソ連時代の建物や銅像はかなりの数残っています。

ボリショイ劇場です。 ボリショイとはロシア語で大きいという意味。 ロシア芸術の中心地であるモスクワで最も有名な劇場です。

マルクスの胸像です。 ボリショイ劇場の真ん前に置いてありました。 文字は、 「万国の労働者よ、団結せよ」 これは1848年に出版されたマルクスとエンゲルスの大作、『共産党宣言』の最後のフレーズです。 共産主義とは何か? 資本主義はどうなるのか? 革命を通して何がなされるべきなのか? など非常に示唆に富んだ内容となっています。 ぜひ一読をおすすめします。

塔? ただ、ロシア共産主義に貢献した人々の名前が彫られています。 マルクス・エンゲルスは勿論のこと、プレハーノフやプルードンの名前まで。 設立理由などは次に行ったときに調べてみます。

ルビヤンカこと、旧KGB本部。 KGBは1956年に作られた、いわゆる秘密警察です。 秘密警察自体は、革命直後からチェカ、GPU、OGPU、NKVDなどと名前を変えて存在してきました。 ルビヤンカというのは場所の名前で、今でもルビヤンカ駅というメトロ駅があります。 ただ、ルビヤンカといえば大抵のロシア人がこの建物を想像するでしょう。 この地下で行われたといわれる拷問の数々はまだすべてが明らかになっているわけではありません。 あのモロトフの妻もここで拷問されたことがあるといいます。

パルチザンスカヤ駅。 モスクワの地下鉄駅は非常にきれいです。 清潔って意味でもそうですが、彫刻や絵画などがとても精巧なものが多いです。 しかも、駅によってそれぞれ独自色を出しています。 たとえば、このパルチザンスカヤ駅の由来は日本語で地下抵抗者?を示すパルチザン。 第二次大戦中、軍隊に入った者だけでなく、たくさんの一般市民が武器を手に取りました。 彼らは勇敢に戦い、そして死にました。 そんな彼らを称えたのがこの駅です。 別の駅は後程紹介しましょう。

きれいな駅。 パルチザンスカヤ駅構内。

これはロシアの外務省。 所謂スターリン建築の一つです。 モスクワにはスターリン建築の建物が7つ(厳密には8つ)あり、その中でも僕のお気に入りがこの外務省です。 スターリン建築を日本語で説明するのは難しいのですが、一番の特徴はそのシンメトリーにあると思います。 ほかにもいくつかあるので、それは後程紹介しましょう。

ここで僕が滞在していたホステルについて紹介したいと思います。 一泊千円。 最高級ホテルがひしめくモスクワ中心部では破格の値段といえるでしょう。 写真を見ていただければわかるように、さまざまな国からの旅行者でにぎわっています。 大体夜の9時くらいに飲み会が始まり、終わるのはいつも朝の3時くらい。 僕はたまにしか最後まで参加しなかったのですが、それでもきつかったです。 でも、にぎやかくらいの方が一人旅においては都合がいいものです。 一人で行動する時間も必要ですが、みんなと話すのもいい経験です。

彼はアゼルバイジャン人のスラヴィク。 日本語が話せるという謎の男(笑) 非常に親切な男で、毎日モスクワ市内観光に連れて行ってくれたり、一緒に飲んだり、騒いだり。 彼のおかげでモスクワ生活がだいぶ楽しくなりました。

トルクメニスタン人ことセルゲイ。 ウクライナ出身のトルクメニスタン人らしい。 こういうことは旧ソ連ではよくあるので驚きはしませんでした。 彼も非常に親切で、毎日僕のために料理を用意してくれるなど至れりつくせり。 僕のことを家族のように接してくれました。 現在はモスクワで仕事中。 モスクワはロシアの首都です。 しかし、状況は20年前とあまり変わっていません。 つまり、ソビエト連邦の首都でもあるということです。 当時はウクライナ人も、ウズベキスタン人も、アゼルバイジャン人も、トルクメニスタン人もみなモスクワに行くのにパスポートが要りませんでした。 もし給料がいい仕事がしたければ、みなモスクワに行くのが一番よかったのです。 これは現在もまったく同じだと思います。 さすがにパスポートは必要ですが、これらの国の人はいわゆるビザが要りません。 勿論、就労ビザは必要ですが、こんなの建前でしかない。 短期の入国にはビザがいらないのだから、入ってしまえばこちらのもんです。 というわけで主に中央アジアから大量のアジア人がモスクワに流れてきているわけです。 2030年までには、モスクワに住む第一勢力はロシア人ではなく中央アジアのイスラーム教徒だって聞けば、いかに大事かがわかるでしょう。 彼らが不法滞在者かどうかはわかりませんが、少なくとも彼らからすればモスクワはいい仕事場なのでしょう。

ちなみにこのとき朝の9時。 彼らはお酒が本当に好きです。 生きるためと言ってましたが、まさにその通りでしょう(笑)

ロシアの秋葉原こと、ガルブーシュカ。 電化製品やDVDなどが大量に売っています。 例のスラヴィクが連れてってくれました。 個人的には何か日本のアニメをお土産にしようと思ったのですが、なかなか見つかりません。 結局、この日はあきらめて別の日にすることに。 スラヴィク、ごめんね^^;

ロシア料理店にて。 これはMy-My(ムームー)というロシア料理店ですが、値段も手ごろでモスクビッチ(モスクワ市民)にも大人気です。 シャシリク(バーベキュー)やボルシチなどを頼んで1500円程度。 物価が東京並みに高いモスクワでは一息つける場です。

イタルタス通信。 ソビエト時代から有名な通信社で、現在はロシア連邦の国営企業となっています。 イタルはИнформационное телеграфное агентство России(ロシア情報伝達機関?)という意味で、タスはТелеграфное агентство связи и сообщенияの略です。 ただ、ソ連時代はТелеграфное агентство Советского Союза(ソビエト連邦伝達機関?)という名称でした。 当時はマスメディア(主に新聞)を牛耳っていたのはこの会社で、旧KGBやNKVDなどの諜報機関に情報を提供していたといいます。

ロシアのマクドナルド^^

スターリン建築の二つ目です。 たしかモスクワ大学?だった気がします。 ロシアの東大であるモスクワ大学は、ソビエト時代から有名な大学でした。 ゴルバチョフもこの大学の法学部出身です。 また、僕が尊敬している外交官、佐藤優さんもこの大学で教鞭をとりました。

どこかの駅で見かけたモニュメント。 ソ連を一つの大木にして、そこに15の民族(ソ連構成共和国)が暮らしているという図。 少数民族の存在をがん無視だったのですが、こういう展示が今でもあることが驚きです。

現代史博物館。 ソ連・ロシアに関する展示が中心となっていました。 ソビエト政治に興味のある僕にとっては非常にありがたかったです。

これはモスクワ内務省です。 内務省がモスクワ市専用にあるのだから・・・ ロシアはすごい国だと思います。 ちなみに、ロシア連邦の内務省は別にあるのであしからず。

このきれいな女性をご存知でしょうか? サプチャークという名前で、実はこの父親は昔サンクトペテルブルクの市長をやっていました。 この市長は、なんとプーチンの師匠。 プーチンが現在の位置にいるのは、この人のおかげといっても過言ではありません。 KGBに所属していたプーチンを市政に招いたわけです。 ちなみに、プーチンとメドヴェージェフの二人はサンクトペテルブルク出身(サンクトペテルブルク大学出身)。 出身地もロシア政治では重要なカギとなります。 あ、娘の方に話を戻します。 ロシア人の友人によると、奇行はあるけどデザイナーとしては一流らしい。 しかも、宇宙旅行に行こうとしていますからね。 面白い人です。

ルビヤンカの裏。 僕は上のソ連マークをとっていたのですが・・・ いきなりこんな怖いおじさんたちが出てきて、本当に焦りました。

カラオケ大会の告知。 でも、商品がペリメニ(ロシアの餃子)100万個(笑) いらないし、だれがそんなに食べるんですかね・・・

「シャワーのために心のために」 ロシアの看板は見ていて飽きません。 ロシア人のユーモアのセンスは本当に感心します。

聖ヴァシリー寺院 モスクワといえば、これか赤の広場でしょう! これは雷帝イヴァン4世の治世下で完成したものですが、あまりの美しさに皇帝が感激し、二度とこれ以上のものができないように作った建築家の目をくりぬいてしまったという。 恐ろしい話ですが、本当に美しかったです。

ヴァスクリセンスキー門 もともとは非常に由緒正しいものでしたが、「軍事パレードの邪魔になる」と言って、スターリンが破壊してしまいました。 ソ連崩壊後に再建されました。

友人たち。 実は監視カメラが取り付けてあって、タバコを吸ってるとばれてしまいます。 だから、監視カメラをよけるようにして窓際で吸っている彼ら。 どうしても外に出たくないようです(笑) 黄色いズボンをはいているのが、初登場のヴァレリー ウクライナ人なのですが、セルゲイの相棒としてモスクワまで出稼ぎにきたわけです。 妻子持ちの34歳なのに、仕事嫌いで大の酒好き。 しかも、売春にはまってしまい、みんなで夜中まで説教することもありました。 今のところ紹介した三人はみんなロシア語が母語です。 スラヴィク以外は英語も話せないので、いいロシア語の勉強になりました。

さて、日を新ため、友人たちと遠足に行くことに。 左からスワジランド人、コロンビア人、日本人と全員がそれぞれ別の大陸?代表となっています(笑)

ソ連の科学技術のすごさがわかる、宇宙飛行士の博物館。 モニュメントが明らかにソ連時代に作られたものばかり・・・

宇宙飛行士博物館で、僕と握手!

Всероссийский выставочный центр(全ロシア博覧センター) もともと、全ロシア農業博覧会という名前でソビエトの農業振興を目指す博覧会だったのですが、そのうち科学技術や各ソビエト構成共和国の文化を広める役目を担うことになりました。 その中にはウクライナやウズベキスタンパビリオンなどがあります。 ソ連崩壊後、現在の名前に改称されたのですが、社会主義テーマパークの名残をいまだに残しています。 とにかく建物がデカい&無駄! ロシア市民の憩いの場になっているようなので、無駄と言っては失礼かもしれませんが・・・ あと、ものすごく広いです。 先ほど紹介した宇宙飛行士博物館の隣にあるので、時間があればぜひ行ってみてください。

モスクワでは珍しいレーニン像。

よくわからない噴水。

ロシア式の水まき。 前に紹介しましたが、この時のモスクワは熱いわ、煙がひどいわの状態でした。 日本ではスプリンクラーが主流だと思いますが、ロシアではまき方が違う! トラックで、ぶわーっていくもんだから通りを歩く市民にかかりまくります。 男性はゲラゲラ笑ってますが、若いネーチャンあたりになると、運転手に向かってマジ切れ・・・ この写真は公園内ですが、赤の広場から歩いて1分のところにもこの水撒き機が登場し、派手に水をかけまくっていました。

愛国心丸出しのバス。

博覧会近くで見つけたラーダ。 ロシア車といえば昔から性能が悪く、「ウォッカをタンクに入れれば動く」という都市伝説があるくらいのものでした(笑) 最近は性能も安全性もアップしたようで、デザインも西欧のものと変わらないくらいになっているらしいです。 ラーダの中ではやはりニェーバが有名で、モスクワだけでなく後に訪れたナゴルノ=カラバフ共和国でも元気に走っていました(笑)

これは誰でしょう? そうです(笑)、マルクスの盟友であるフリードリヒ=エンゲルスです。 マルクスについては以前触れましたが、彼の銅像もまだまだ残っています。 しかも、場所はロシア正教会の教会前。 うーん・・・ 無神論者でガチガチの共産主義者であるエンゲルスの前にそびえるのがロシア正教でも有数の大聖堂とは・・・ この教会ですが、結局彼の弟子の弟子(間接的な)であるスターリンが1931年にぶっ壊してしまったのですが・・・ しかも、そののちにソビエト宮殿なるものを作ろうとした上、最終的に屋内プールにしてしまいました。 ちなみにこの聖堂はソ連崩壊後に再建されました。

入るな! という看板を無視して日向ぼっこをするモスクワ市民・・・

モスクワの日本レストランです。 名前はЯпоша(ヤポーシャ) 意味はなんと、ジャップ。 思わず日本人なら怒り出してしまうような名前なのですが、こんな店がいくらでもある。 ほかにもいくつか日本を揶揄した店がありましたが・・・ 意味を知ったときは、あまり気持ちのいいものではなかったですね・・・・ 日本だったら、露助っていうロシア料理屋があるようなもんですからね・・・・ ちょっと信じられないです(笑) そういえば、日本はロシア料理屋の数が極端に少ないと思います。 高田馬場駅の真ん前に一件ありまして、大学から駅まで歩いているときにいつも目に入るのですが・・・・ 今度ランチに行ってみます。

ロシアの面白看板。 祖国への愛は、家族から始まる。 う~ん・・・ 離婚率が高いロシアにとっては耳の痛い話ですね。

8月15日。 日本は終戦記念日の中、モスクワはまたもや煙が発生しました^^; この日はпарк победы(パルク・パベードゥイ ロシア語で勝利公園)に遊びに行きました。 日曜日だったので仕事が休みだったスラヴィクに連れて行ってもらいました。 勝利公園という名前が示すように、これは第二次世界大戦の対独戦争勝利を祝して1958年に完成したようです。

途中に寄ったビル街。 モスクワも中心部は歴史的に重要な建造物が多くあるため、このようなビルは景観をダメにするという理由から巨大なビルはほとんどありません。 しかし、電車に乗って少し行くだけでこのようなオフィス街があるわけです。 まあ、これらは今急ピッチで建設中のものなので、最寄駅もがらんとしていました。

そんなオフィス外近くで見つけたイクラの自動販売機(笑) 確かにおいしいけど、自販機で買うものではない気がするが・・・

そんなんで到着! この広さ、流石ロシアとしか言いようがない・・・ 煙で少し曇ってるのが残念。

この日はちょうど何かの式典が行われていました。 勲章をたくさんつけた将軍様や、行進しまくっている兵隊さんまで・・・