ハバロフスクってどんなところ?
中国との国境近く、アムール川とウスリ川との合流点右岸に位置する港町。ハバロフスク州の中心地で、極東における文化、行政、工業の中心地。17世紀の探険家ハバロフに因んで命名された。
旅行情報@ブログ > ロシア > ハバロフスク(KHABAROVSK)
中国との国境近く、アムール川とウスリ川との合流点右岸に位置する港町。ハバロフスク州の中心地で、極東における文化、行政、工業の中心地。17世紀の探険家ハバロフに因んで命名された。
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イギリスに行った時、窓からハバロフスク(シベリア)の町並みが見えて、私はイギリス よりもそっちの方に感動してしましましたこんな山の中にも人が住んでるんだなー、と 飛行機からの景色は見てて本当飽きませんよねウズベキスタンの写真すばらしい! ...
なんせスモークとハラショー、スパシーボ、ウォッカ、デボーチカ、ハバロフスクぐらい しか単語がつながりませんでした。世界って広いですね。 いち 2008-04-17 01:21:01 [ コメント記入欄を表示]. ■いいな☆. ガムランってものすごく癒されますよね。 ...
〜0010のつづき〜 ■シベリア鉄道リターンズ 以前、ウラジオストクからモスクワまでのシベリア鉄道に乗ってロシアの大地を這ったことがある。「卒業旅行でシベリア鉄道乗るんだ〜」と言ってた人を「スゲぇな」と思っていた頃。しかし「乗ってみたいな」と漠然とつぶやいていただけで「実際に乗ることは無い」と、全くイメージの描けないロシアという国に行くことなどないと思っていた。そんな特別なシベリア鉄道だったが仕事柄、最近なんとも思わなくなっていて「どうせなら往復だな」と、少し欲を出して考えている。 そのリターンズの一部、ハバロフスクからウラジオストクまで1泊2日の夜行寝台列車オケアン号に乗る。イルクーツク〜モスクワのバイカル号よりきれいで新しい車両だ。食堂車も「あー誰か来やがった。無視してんだから早く帰れ」みたいでなく、「いらっしゃい。どうぞどうぞ」とダブローパジャーラヴァチ(welcome)雰囲気いっぱいなのだ。 自分の4人用コンパートメントに戻ると、同室は3名。1人のおじさんは左頬を押さえて辛そうだ。虫歯がひどいらしく、少し腫れ上がっている。痛いだろうにガイジンの僕が同室であるために気を遣ってくれ、我慢して少し話をしてくれていた。しかし段々とひどくなってきてるようで、早めにシーツを敷いて床に就いた。夜中は痛くて眠れず本当に辛そうだった。もう一組は若いお母さんと赤ん坊。好奇心旺盛でガイジンに興味を示す男の子は、夜泣きもせず静かに眠っていた。
ハバロフスク
ハバロフスク郷土史博物館。
ハバロフスク空港
OZ571便。
機材はA321-200でした。
ハバロフスク
ハバロフスク郷土史博物館。
ハバロフスクを発つ日ですが、ハバロフスクではまだ何も見ていないと言えば、見ていないような状況だったので、朝から開館時刻を待って、ホテル近くの郷土史博物館へ出掛けました。
入場料120p、撮影代55p。
ハバロフスク
ハバロフスク郷土史博物館。
ハバロフスク
ハバロフスク郷土史博物館。
ハバロフスク
ハバロフスク郷土史博物館。
ハバロフスク
ハバロフスク郷土史博物館。
博物館の建物です。
赤軍博物館や地質学博物館も見てみたかったのですが、時間的に厳しかったので、止む無く断念します。
ホテルに戻り、お土産を少々購入し、トロリーバスで空港へ向かうことにしました。
市内==========空港
トロリーバスのチケットです。
7p。
ハバロフスク空港
空港利用料を支払います。
750p。
ハバロフスク→→→→→仁川
OZ571便。
行き先も、時刻も、名前もないシンプルな搭乗券でした。
ハバロフスク空港
写真に見える建物は、確か使わなかったと思うのですが、旧ターミナルでしょうか。古めかしい建物が見えました。
間もなく離陸です。
ハバロフスク→→→→→仁川
OZ571便。
眼下にハバロフスクの町が見えます。
泊まっていたインツーリスト、アムール川、そして撫遠に行く時に使った河港も見えます。すぐに雲に隠れてしまいました。
ハバロフスク→→→→→仁川
OZ571便。
まぁまぁの機内食です。韓国で積んで来たものでしょう。
日韓線でもこれぐらいの内容にしてもらいたいものです。
ハバロフスク→→→→→仁川
OZ571便。
間もなく、仁川に到着します。
どういう進入をしたのか分かりませんが、仁川上空を南下し、回りこんで来たのでしょうか?
眼下に城南飛行場が見えました。金浦でも仁川でもないソウルにある飛行場です。ソウル近郊(南西)の城南市壽井区にある軍用空港で、大統領専用機などのVIP機が利用するようです。
2004年に大量の脱北者受け入れた際に、アシアナのチャーター便が到着したのもこの空港です。ニュースでも流れました。
(参考)朝鮮日報のホームページ。
http://www.chosunonline.com/article/20040727000033
仁川空港==========金浦空港
バスのチケットです。
4,500KRW。
到着後、とりあえず金浦へ。金浦空港近くの空港莊旅館に泊まりました。30,000KRW。
夕食と買い出しは、空港内のEマートで済ませました。
明日は、KTXで大邱へ移動します。
ソウル駅
KTX、121列車。
地下鉄でソウル駅まで出て来ました。
KTXで大邱へ向かいます。
ソウル駅
KTX、121列車。
車内はこんな感じです。
座席の向きが変えられないのは、ちょっと…。
逆向きじゃないにしても、やはり座席間は狭いので、セマウル号と比べれば、快適さは落ちるような気がしました。
ソウル++++++++++東大邱
KTX、121列車。
運賃は、34,900KRWでした。
もちろん、クレジットカード払いです。
この日は、東大邱駅近くの定宿に泊まりました。
明日は、M先生を慶州にご案内します。
【その8】 韓国・慶州篇 につづく。
■途中下車「せざるを得ない」の旅
ウラジオストクから日本への帰国便メインルートは新潟空港だ。自分の便もそれだと勝手に思い込んでいたが勘違いとは恐ろしいもので、手持ちの航空券は「ウラジオストク〜富山」だった。
ちょっと問題がある。列車オケアン号が終点ウラジオストクに到着するのが8:00。新潟発のフライトは14:50。チェックイン12:50までには間に合う。しかし本日のフライトは富山行きなので10:20発。駅に到着してチェックイン開始まで20分。空港までは車で1時間かかる。「ヤバイな」。乗れない場合は1日2便も無いのでホテル宿泊、切符も買い直しでビザも切れる。
終点ひとつ前、ウゴーリナヤという駅で降りればより早い時間に列車を降りられるし空港にも近そうだ。7:12。ウゴーリナヤという何もない駅に降りてみた。日が昇らずまだ暗い。
■定員20名ジェット
ウラジオストク〜富山のフライト。その飛行機はおしりから乗る。ヤッターマンのビックリドッキリメカが出てくるような小さな階段を逆に上っていくのだ。両サイドに積まれた預け荷物の間を歩き、シートにつく。
狭い。隣が太っちょのロシア人でなくてよかったが、それでもキツイ。
2-2と横に1列4席、それが6列。キツキツ座席を横2席一人占めしてるヤツがいる。ビジネス席だろうか。航空会社関係者らしきオッサン1名と、ウラジオストク航空キャビンアテンダント(CA)の座席はそれぞれ2席占有である。
軽食時、おいしそうな匂いがしてきた。CAはまず湯気のたつ2トレイを運ぶ、前方に前方に。パイロット席ドアを開いてお届け。次にまた同じメニューのトレイを2席占めオッサンへ。最後にエコノミー席に配られるトレイにはアルミ皿が載っていなく、湯気は一切たっていない。おいしそうな匂いもない。
文字の通り、肩身の狭い思いで小さなトレイからちまちまと食べる。もう帰国なのだが、旅の目的はまだ日本に残っている。今回は東京〜富山〜ウラジオストク〜ハバロフスクの南北縦移動旅なのだ。
(つづく)
町では未だトロリーバスが戦力として活躍中です。トロリーバスは電線からはずれ、写真のように運転手が紐で引っ張り元に戻す姿を頻繁に見かけました。
配給に来たトラックに並んでいるわけではありません。トラックに移動パン屋がやってきて、みんな購入のために並んでいます。ロシア人はきちんと列にならないのが常ですが、この写真は非常に稀な光景です。パンはとても甘いのか、ミツバチがパンの匂いに誘われ、たくさん飛んできていました。右から二番目の男性が背負っている鉄製のバケツみたいなものに何が入っているのか、個人的に気になっ ていました。
正面の建物は図書館です。大変味わい深い建物です。
この電話なんか変だと思いませんか??受話器がありません。もちろん壊れています。
市内中心にあるオベリスク。周辺は市民の憩いの場となっています。
さすがにハバロフスクの共産党本部は立派な建物です。
ソ連が崩壊して暫く時間を経ていますが当時レーニン像がまだあることに驚かされました。
今も健在なのかわかりませんが、警備の薄い銀行です。大丈夫なのでしょうか?
ハバロフスクに流れる母なる川、アムール川。砂浜では海水浴ならぬ、川水浴を楽しんでいる人も多くいます。
アムール川の砂浜です。まるで海のように雄大です。
アムール川の観光船
ハバロフスク港です。ここに向こう岸までの船などが入船します。
川辺で佇む兵隊さん。故郷を思い出しているのでしょうか?
夕方ハバロフスクからウラジオストックまで列車で向かいました。正面に止まっているのはヴォストーク号。ロシアの車両にはサモワールが装備され、いつでもおいしいお茶を楽しめます。サモワールからはコークスの匂いが漂っています。
当時は既にロシアですが、国鉄のチケットは未だソ連時代のものを使っていました。一応英語が記入され、外人に気は使っているようです。
のんびりしたアムール川の風景
ハバロフスク市内
なんと無しにビザンチン様式を取り入れた建物がロシアティックで素敵。
シベリア上空(04年3月)
94年8月に新潟から向かった時のチケット。当時はアエロフロートが分社化する前だったので、SUと表示されています。座席は手書きで記入されますが、搭乗するとCAから席など探さず適当に座れと指示された。他の乗客も指定席に座ることなくばらばらに。。。一体何のための指定席なのヤラ・・・
さて、ロシア語アナウンスごにょごにょごにょと、時々ロシア人が呼び出されている。彼らは順にレセプションに顔を出し、車の税関手続き書類のようなものをチェックされていた。観光旅行のオレは「ふーん」と他人事だったが、キャビンで寝っ転がっていると電話がジリリリと鳴った。
「よしひこサン、イマ忙シイデスカ?受付ニ来テ下サイ」。
呼び出しをくらう理由は何もないはずなのでドキドキする。もう船は動き出して海の上なのに今更何を調べるというのだろう。毎回日本語アナウンスをオレだけのためにしてるのは多分この人だ。旅程を聞かれたので正直にルートを答えると
「ソレナラバイイデス」
と返された。手荷物として、車のタイヤを6本も8本も船内に持ち込んでそこらへんに放置している中古自動車ビジネスマン多数。
■優雅なクルーズ南米美人国3C的
「日本ノミナサマオハヨウゴザイマス」の「ミナサマ」はオレ。対ひとり日本人アナウンスは8:30。
「朝食ノ用意ガデキマシタ」9:00。
船に乗っているとイベントが食事のみになり、ロシアフルコースとロシアフルコースの間に腹が空くわけもない。メニュー多彩で飽きることはないのだが、毎回ウンザリする量を胃袋に詰めていく。
そんな2泊3日の運動不足を解消するためか「卓球室」という部屋がある。扉の向こう側から「カコーンカコーン」と楽しげな音。でも鍵が閉まっていて入れない。船員さんだけが楽しむためにあるのだろうか。
夜には、カラオケやディスコテックでカロリー消費できるが、もちろんバーもオープン、お酒もアリでカロリー摂取。
そうすると旅人のオレは海を眺めることくらいしかない。甲板に出て時々小雪舞う日本海の風に当たっていると、数少ないガイジン乗客に話し掛けられた。チリ大使館のララアさん。初めてdiplomat(外交官)のパスポートを見た。彼は結婚しているそうだが、旅行に連れてるのはワイフではない美人パートナー。
「チリ(Chile)」は南米美人国3「C」(Colombia、Costa Rica、Chile)のひとつである。その彼女を連れている彼なのに「ロシアの女性はきれいなので楽しみ」と。
旅で聞く「ロシアは美人」説が真実なのか、隣の芝生ということか。
しかしロシアとチリは全然「隣」国ではなく、ララア外交官の旅程は、ウラジオストクからロシアに入国し中国へ。烏魯木斉を抜け、キルギス〜タジク〜ウズベク〜カザフ〜ロシアに再入国し、サンクトペテルブルク。そこから西ヨーロッパへ抜け、ドイツ・フランクフルトからチリへ飛ぶ。
お家へ帰るのがこんなルートになるなんて、チリとは遥か遠い国なのだ。ハネムーンにはイースター島へ行ってしまうような南半球の空の下。
■恐怖したフライト
「ロシアの国内線飛行機は心配」とよく耳にするが、パキスタン航空PIAのPerhaps I Arrive(着くかも)という意味のコワサじゃないとオレは思った。
ウラジオストクからハバロフスクまでのフライトでは、待合室から既に5、6人のグルウプがアルコホルを浴びてできあがっており、ガイジン・オレひとりしかいない状況でそのガイジンにカラんでくる。少しでも反応すると後がコワかったので、全く言葉がわからないことにして目を合わせないようにじーっとしていた。48人乗り飛行機に搭乗後も、彼らは酒を呑み続ける。
後でわかった事だが、彼らはハバロフスクで有名なヤクザ。呑み過ぎていて何をしでかすかわからない。周りの人もおとなしい。機内では彼らの隣席「最悪」は免れたが、ひとつ斜め後ろの席からカラまれて硬直の120分。
(つづく)
今回はユジノ・サハリンスクからウラジオストックに移動する途中のtランジットでハバロフスクに一泊だけした。ユジノからウラジに直行便がない為の変則的な訪問となった。
今回のホテルはインツーリスト。
建物だけは立派だが前回泊まったホテル・パルスの法がずっと格が上だった。
夕方7時ころ到着して翌日朝8時ころのウラジオストック航空にのるので前回ほどウロウロする時間はない。よって散策範囲はアムール河とウスペンスキー教会とアムールスキー通りのレストラン・サッポロと狭かった。
もう夕方だがロシアはまだまだ明るい。
特別に前回の冬のアムール河の写真を特別に載せとくので比べてみて欲しい。
まるで天国と地獄だ。
この教会の美しさはロシアでもトップクラスだと思う。それに空気も澄んでいる。
夜は9時頃にならないと暗くならない。
今日は殆どホテルには居らず教会付近で暗くなるのを待っていた。
教会のお隣、アムールスキー通りの入り口にある戦勝記念碑。パッと見はパリのコンコルド広場似でもある。
さあ、ハラが減ってきたのでレストラン・サッポロでアサヒ・ビールを飲んでスシでも食べるか。
戦勝記念碑。
さて、どこに行くにしても自分の位置はどこか?を確かめないことには落ち着かない。それで必ず地図で事前に調べておく。知らないところを地図で調べている時がまた楽しいのだが。
今回、歩いたルートは図中の青点線に示してある。
どこの街でも地図を片手に先ず歩く。全体像が頭に浮かび、今自分がどこを歩いているのかを確認出来るのは素直に嬉しい。いつもの事だが、行き先の町のことを良く知っておくこと、街を歩いて地元の人々の生活を観察する、空気をすう、食べ物を食べる、面白いものを見ておく、これら全ては現地の人と商売をするのに役にたつのである。そこの文化を知る、ことは仕事上でのトークに厚みを付加するのだ。だからワタクシは街を歩く。言って置きますけど、仕事はキッチリします。
メインストリートのアムールスキー・ストリート。
非常に落ち着いたヨーロッパの通りだ。
アムールスキー通りを背を向けると、アムール河が見える。11月下旬。さすがガチガチに凍っている。ハンパな凍りかたでナイ。ガチガチなのです。
恐らくマイナス15度は有っただろう、と思う。
また河畔は風が強く体感温度はマイナス15どころかその倍の30度はあるんじゃないか?っとさえ思えるほどサブかった。耳が千切れそうになり、ホホはこわばって、長くは居られなかった。
アムール河を背にすると、白く青い美しいウスペンスキー教会が見える。
階段を上って行くとコムソモール広場に聳えるウスペンスキー教会、その右側に無名兵士の記念碑のオベリスクが立っている。
ここからアムールスキー通りが始まっている。この通りがメインストリートで日本食のレストラン・札幌、香港中華のホンコンが入り口付近にある。
アムールスキー通りに入らず、南のレーニン・ストリート方面に行くと、金色に輝く教会が見える。
すぐ近くに戦死兵士の記念碑もあった。
この教会には西教会という名前が付いていた。
レーニン通りを東(地図で云うと上側)に上っていく。広々として何も無いような通りだが、商店は結構あるのだ。外からみても商店に見えないだけ。特に冬はドアをピッタリ閉ざしているし暖房のために窓には厚いカーテンを降ろしているので余計分からない。
中は何屋さん?か見かけだけではサッパリ分からない。分からないのでドアをソロソロ開ける時はドキドキする。この写真のドアの向こうは自動車用品、部品のお店であった。
恐る恐るドア開けて中に入ったのは大正解だった。
とびっきり愛想の良い、とびっきりのロシアン・ビューティが暖かく迎えてくれた。
この兄ちゃん、なんと日本語ペラペラでした。
日本人ビジネスマンの通訳をしているそうだ。
道理でペラペラなのだ。ロシアには日本語ペラペラの人が結構居る。
井上靖の『おろしや国酔夢譚』の大黒屋光太夫の話のように昔からロシアは日本の漁師を抑留して日本語を教えさせていた。イルクーツクに日本語研究機関を持っていたのだ。この小説にも出てくるが日本に帰れない漁師がロシアの女性と結婚してロシア人に帰化してしまう話があるが、ロシアの若い女性は90%の確率で美人なので無理もない。もしワタクシが大黒屋光太夫だったらロシアの黒海沿岸の暖かい地方でロシア娘と永遠に住み着いて居ただろう。
こんな野外店舗もある。コンテナ店舗だ。
レーニン通りをドンドン歩いて行き線路沿いに行くと、ハバロフスク駅にでた。
当時はロシア語のロの字も知らず、あの妙な文字が読めなかった。だから駅の中に入って電光掲示板を見ても何が何やらサッパリで、コリャア、もしロシアでシベリア鉄道の切符を買おうとするのは無謀なことだなあ、っと思ってしまった。回りのだれも英語なんぞしゃべりません。ロシア語一本なのだから。
アムールスキー通りに平行した緑地帯のある並木道を下って市場にでた。
ロシアの市場はバカでかく、だだっ広い。肉、魚、野菜、果物、漬物、などのエリアに分かれて、ソリャア賑やかなのだ。寒いので皆毛皮のオーバーコートに毛皮の帽子をかぶってお買い物だ。
マーケットは庶民の活気があふれ、庶民の文化が見て取れるのでマーケット訪問は欠かすことの出来ないスポットです。
広々とした緑地帯からなる並木道を歩いていて、思わずオオーッと声を出しそうなモノに出あった。
北海道の雪印乳業が食中毒をだして死者がでてアホな社長が「ワシも夕べは寝とらんのじゃあ」っと言って大ヒンシュクを買った事件。あの事件の記憶がまだ新しいと言うのに、アソコの保冷車がここハバロフスクを闊歩しているのだ。日本の街角から消えてなくなってどこへ行ったのか?と思えば、こんなところに来ていたのです。
夜になるとお腹が空く。ホテルからまたウスペンスキー教会に行った。近く日本食レストラン・サッポロに行くためだ。この頃はまだロシア語もサッパリだし、ロシア料理でなにが美味しいのか?さえ知らなかったので安全な日本食が一番だ。
日本のビールでスシでも食べれば快適なのだ。
翌日、サハリン行きのサハリン航空の出発までに時間があったのでまたこの教会をみに行った。
この教会まえで結婚式を終えた連中が友人に囲まれてワーワー言っていた。
もうロシアの街角には共産主義の匂いは消えてしまっているようだ。
ホテルから見た風景
教会
教会
戦没者慰霊碑(第二次世界大戦)
教会
対岸が見えるアムール川
水質は相当汚染している。
コクマルガラス
毛革市場
同じ店が50〜60軒並んでいる。
ウォカ(40度)
これで私は1日死にました。
白い点がカラス
世界で5番目?に大きいといわれる、アムール川。
4月中旬のこの時期dも、まだ凍っています。
夏になると、ここで水浴びするようだけど、冬は寒くて誰もいません。。
岸に近いところから、とけている様子をみると春はもうすぐだな。。
この広場には、なにやらモニュメントがあります。
反対側には、青くきらきら光るロシア聖教会があります。
夕方になると、カップルが集まってきて沈む夕日を見ていたりします。
どこの国でもカップルが集まるスポットってありますよね。
ハバロフスクのおじいちゃん、おばあちゃん。
極東で一番の街なのかな?みんなおしゃれ★
イストミナ通りで出会った親子。
まだまだよちよち歩きの女の子、半分宙吊り感もありますが、危なくなくていいのかな?
朝の10時ごろのお散歩?出勤かな?
中央市場で出会った、新聞やレジ袋を売っていたおばあちゃん。
1袋5P(25円くらい)で購入しましたが、めちゃ高い。
緑のプラトークを巻いている姿で、許してあげよう。。
写真にも応じてもらえたしね。
中央市場内のお肉屋さん。
大きなお肉を前に、おばあちゃんはなにやら検討中。
この写真を撮った後、お肉屋さんのおじさん、すごくいい笑顔をしてくれました。
中央市場のお菓子やさん。
ロシアでは、ショーケースの中の物を「○gお願い」という買い方をします。
ロシア語が通じないから、とっても苦労しました。
あの「リスのチョコレート」「あのバレリーナのチョコレート、、」って、ジェスチャーしてなんとかゲット。。
市場に行って思ったこと。
ロシアはお菓子天国 ってこと。
日本人にもおいしい、甘すぎないやさしくて、なつかしい味のものばかりでした
ロシアといえば、、チェブラーシカ。
なかなか出会えなかったあなたに、ガイダル子供公園でやっと出会えた。
「ミリンキー★(かわいい!)」
かわいい男の子。
この日はとっても天気がよくて、気持ちのいい日でした。
ご機嫌だね!なにかいいことあったの?
ママに抱っこしてもらう、かわいい赤ちゃん。
カメラを向けたとたん、にこって。。。
おうちで大事にされているのがよくわかる。。いい家族なんだね。
広場で、いろいろな自動車に乗ってご機嫌だった女の子。
耳がついた服も、めちゃかわいい。
フルンゼ通りに去年できたばかりのウクライナ料理屋さんでディナー。
お店の内装も、ウクライナの農家をイメージしたようなこったつくりになっていました。
日本語が少しできる、、ということで、対応してくれた女の子。
民族衣装も似合って、すごくかわいかった。
お勧めしてくれた、ベリービールも、お魚もすっぱい野菜(ピクルス)も全部おいしかったよ。
ウクライナ料理屋さんでいただいた食事
なんて読むのかな?
ひまわりのマークがかわいい ウクライナ料理屋さんの看板
ムラヴィヨヴァ・アムールスカヴァ通りの夜景。
10時ごろ、、夜道は気をつけよう。
おみやげ物やさんで、プラトークを一緒に選んでくれたおばちゃん。
カメラを向けると笑顔が硬くなっちゃったけれど、すごく素敵な笑顔で「似合うわよ!」って選んでくれました。
ありがとうございました。
冬になったら使うね。
お母さんと一緒におでかけですか?
お母さんと一緒にバス停近くで花を売っていた男の子。お花のことを今から勉強して、いいお花屋さんになってください。
きれいな男の子に、おもわず見とれてしまいました
ハバロフスク2日目の夕飯を食べた、ロシア料理の店。
光が窓越しにきれいに差し込んでいます。
さて、3つ目のボルシチのお味は、、
ハバロフスクの地ビール。
ダーチャ村に行く途中にあった、あの工場のものかな?
鮭の間にかにをほぐしたものを巻いて、揚げたもの。
海の幸。
ロシアでの最後の食事。
きのこのマリネ、ウォッカ、サーモンのムニエル。。アーおなかいっぱい。大満足の晩餐
ハバロフスクからウラジオストックへの国内線の飛行機は、後ろから乗り込む小さな飛行機。座席も1列4席。
最後尾にあるトイレは、鉄板一枚で空との間にぎりぎりであった。壁が振動でゆれていて、どきどき。
スチュワーデスさんは、バスガイドさんのように説明をしてくれます。
初めての体験でした。
ハバロフスクから車で30分ほどのところにあるダーチャ村の一角に、アナトリアさんのダーチャはあります。
10年かけて、今の状態にしたそうです。
今日のダーチャ体験のために、会社を休んでボルシチを前の日から作ってくれていました。カレーみたいに煮込むほどおいしくなるんだって。
アナトリアさんのお買い物メモ。
ボルシチにシャシリク、お菓子にデザート。。などなど今日の日のために準備してくれました。
かわいいロシア文字をパチリ★
花柄のテーブルクロスに、幾何学模様がかわいいお皿。
テーブルセッティングもばっちり
シャシリク(マヨネーズ、しお、こしょうした鶏肉を玉ねぎと一緒に漬け込んだもの)は、炭火で焼くのがおいしい。
シャシリクを作ってくれるための道具。
アナトリアさんのお庭でとれたジャガイモ。
ジャガイモをゆでて、ベーコンとたまねぎをソテーしたものをあえたもの。
ジャガイモがホクホクで、ウイキョウ?フェンネルの葉がとてもいい香り。
ペチカ(薪ストーブ)でボルシチを温める。
冬はこのペチカのおかげで、あたたか。
リビングの上にあるベッドルームには煙突が通っていて、そこから暖気が行き渡るようになっています。
シャシリクの準備をするアナトリアさん
おいしそうな香り、、シャシリク。
香ばしい香りに、おもわずゴクリ。
準備が出来上がりました。
いただきまーす!
アナトリアさんのボルシチ。
マヨネーズがポイント。カロリー高いけれど、マヨネーズの酸味がいいアクセントに。
トマトも一緒に煮込んで、私のイメージどおりのボルシチでした。
食後には、紅茶とデザート。
サモワールには、お白湯が入っています。
今回お世話をしてくれた通訳さんと旅行代理店の方。
本当にロシアの方はきれい。
やさしい。
ほれそうです。
再びあがる火柱&火花&大音量の音楽とともに、闘志を内に秘めた選手が続々と登場。リング内に全員集合です。思わず巻き舌のレニーハートの選手コールが聞こえてきそうです。
地元ハバロフスク出身のファイターなどが登場する際はひときわ歓声があがります。ただでさえ体格の大きいロシア人が大勢集結するとそこは異様な雰囲気。ロシア以外からの参加者、グルジア・中国・日本、ほかからの選手も決して引けをとりません。全選手入場後、ロシア国旗掲揚です。
そしていよいよ、試合が始まります!各選手の入場シーンもいろんな演出があり、さらに会場を盛り上げます。
左の写真、よーく見て下さい。お分かりですか?ほとんどの選手がオープンフィンガーグローブを着けていません!つまり、素手&裸足!まさにリアルファイト。生の観戦は、殴打音がリアルに聞こえてきます。
ちなみに、試合の合間のショーも盛りだくさん。跳びすぎ叫びすぎはじけすぎ!!もうみんなやりたい放題に盛り上げます。
さあ、ここから先の白熱の試合の数々は、ぜひ皆さんの目で確かめてください!
次回の「パンクラチオン」トーナメントは5月。JIC旅行センターで観戦ツアーを企画中です。この機会にぜひ!詳細はHP掲載の予告をご覧ください!