ウクライナってどんな国?
ウクライナ(ウクライナ語:Україна、英:Ukraine)は東ヨーロッパの国家 国。東でロシア、南で黒海、西でハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北でベラルーシに接し、ウクライナのクリミア半島にはクリミア自治共和国がある。旧ソビエト連邦の中では比較的発展していた国。スラヴ人 スラヴ系の民族が住み、文化的にはポーランドなど東ヨーロッパの国々との関係が深い。なお旧ソ連時代から、ソ連とは別枠で国際連合(国連)の原加盟国であった。
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ウクライナ(ウクライナ語:Україна、英:Ukraine)は東ヨーロッパの国家 国。東でロシア、南で黒海、西でハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北でベラルーシに接し、ウクライナのクリミア半島にはクリミア自治共和国がある。旧ソビエト連邦の中では比較的発展していた国。スラヴ人 スラヴ系の民族が住み、文化的にはポーランドなど東ヨーロッパの国々との関係が深い。なお旧ソ連時代から、ソ連とは別枠で国際連合(国連)の原加盟国であった。
ウクライナ. 37. 40. 18. 6. United Kingdom (GB). イギリス. 47. 42. 8. 3. USA ( blacks). アメリカ (黒人). 49. 27. 20. 4. USA (whites). アメリカ (白人). 45. 40. 11. 4. Vietnamese. ベトナム ...
今年の巡礼者は300万人 ともいわれています。新型インフルの感染拡大は、なんとしても 防いでほ しいものです。ウクライナのニュースも気になるところです。 投稿者 shukran 時刻 22時04分 イスラム文化・芸術 | 固定リンク | コメント (0) ...
2008年1月26日 ... イディッシュ語: アルシェイナムダンクインドネシア語: トゥリマカシウクライナ語: ヤクユウズベク語: ラフマトゥウルドゥー語: シュクリヤ. 英語: サンキューオランダ語 : ダンキューウェルカザフ語: ラフメカスティリャ語: ドゥラスィ ...
東欧はチェコ、ポーランド(アウシュビッツ)、ウクライナ、ルーマニア、ハンガリー、 クロアチア、ブルガリア、ギリシャ、トルコを2ヶ月で回る予定なのですが ... あまりに も駆け足旅行になるようでしたら、ウクライナはカットしても良いと考えています。 ...
2006年2月2日 ... シカゴにはウクライナ人が多く住む地域があり、ダウンタウンの西にあるその地域は ユクレニアン・ビレッジと呼ばれているのだが、ここもやはりこれまに紹介してきた ネイバーフッドと呼ばれる各民族が固まって住む地域と同じく、英語よりも ...
東欧はチェコ、ポーランド(アウシュビッツ)、ウクライナ、ルーマニア、ハンガリー、 クロアチア、ブルガリア、ギリシャ、トルコを2ヶ月で回る予定なのですが ... あまりに も駆け足旅行になるようでしたら、ウクライナはカットしても良いと考えています。 ...
2008年12月25日 ... ウクライナのアクズール・トラベルさんから。 クロアチア政府観光局さんより。 アルメニアのファンツアーさんから。 セルビア共和国国会・内閣外務補佐官 ブラニスラフ・ポポヴィッチ氏より。 セルビアの世界遺産『ソポチャニ修道院と古 ...
女性用ドミトリー希望で予約していた私としては不満だったのですが、とても親切で紳士 的な彼等は、夜も騒ぐことなく静かに寝てくれたので、驚くほど熟睡できました。6/11の 滞在時は、宿泊客がウクライナ人男性のグループと私のみだったため、この ...
シカゴにはウクライナ人が多く住む地域があり、ダウンタウンの西にあるその地域は ユクレニアン・ビレッジと呼ばれているのだが、ここもやはりこれまに紹介してきた ネイバーフッドと呼ばれる各民族が固まって住む地域と同じく、英語よりも現地の言葉、 ...
ハンガリー. スロベニア. クロアチア. ボスニア・ヘルツェゴビナ. セルビア・ モンテネグロ. アルバニア. マケドニア. ブルガリア. リトアニア. ウクライナ. スロバキア. モルドバ. ルーマニア. BACK. ロシア. グリーンランド. フィンランド. アイスランド ...
さてこの写真ですが、シカゴのダウンタウン北西外れにあるウクライナ人街で撮影した ものです。 この辺りでは、もう住んでいる人の顔立ちから聞こえてくる言葉まで まったくの別世界、そしてその雰囲気をさらに高めてくれるのが町に建つ大きな東方系の 教会 ...
旧ロシア、現在ウクライナ共和国の港町、黒海に面したリゾート地です。 私は以前横浜 の支店に勤務していたことがあるのです ... そう言えば先週、このウクライナや ルーマニア、ブルガリヤ、ボスニアヘツェゴビナ、クロアチアなど南東欧諸国観光省の方 が ...
2006年2月4日 ... 焼きたてのウクライナパンをの巻. ann-bakery1.jpg 基本的にアメリカのパンは不味い。 その不味さはシカゴアンである家の奥さん ... だがこのAnn's Bakeryへ行けば、 いつでも焼きたてのおいしいウクライナパンが安い値段で手に入るのだ。 ...
2008年4月17日 ... ウクライナ (4/15) 4月第1週の小麦の出荷を停止。黒海からの大麦の輸出量を8400トンと 3月第1週の2万5620トンから削減。ヒマワリ油の輸出割当制度の適用期限を7月1日から9月 1日に延長することなどを検討。 ◎アルゼンチン (4/14) ...
2009/07/15水 リヴィブ近郊城めぐり(現地英語ガイド&車付) ・オレスク城(Olesk) ・ピドゴレツク城(Pidgoretsk)(まだ修復中)と付属教会 ・ゾロチフ城(Zolochiv) リヴィブに戻ってガイドと別れた後 ・アルメニア教会 【二等寝台泊:リヴィブからコロミーヤまで】 朝9時すぎにホテルを出て、ランチタイムなしに3つの城を見学し、再びリヴィブに戻ってきたのは16時半です。 私は海外旅行先ではいつも、ホテルのバイキングで昼の分までたっぷり朝食をとり、ランチタイムを惜しんで観光するのですが、リヴィブのホテルの朝食はバイキングではなく決まったメニューから選ぶことになっていて、朝食としては十分量はあるのですが、昼食分を食いだめできるほどではありません。 なので、リヴィブに戻ってきたときは、もうおなかぺこぺこでした。 本日一日だけ雇った現地ガイドのダイアナもおなかぺこぺこのはずですけどネ。 ドライバーは私たちが城見学に出かけている間にランチをとったようです。 ダイアナはホテルまで私を送るつもりでしたが、私は今晩21時半の寝台車でコロミーヤに行くつもりなので、とっくにチェックアウト済みです。 なので、ダイアナには、リヴィブのセントラルでお薦めのレストランに案内してもらい、そこでお別れしました。 実はリヴィブのセントラルは、おしゃれなカフェは多いのですが、レストランはあまりないのです。 カフェでも食事はできますが、やっぱり数限られた夕食のチャンスは、ウクライナ料理で決めたいです。 もっとも、ダイアナが薦めてくれたレストランは、おしゃれなウィーン風カフェの併設レストランでした。 どのテーブルにも糊のきいた白いテーブルクロスがかかり、ワイングラスやカトラリーがあらかじめそろえてあり、壁にはオリジナルの絵画がたくさん飾られている、すばらしくおしゃれなレストランです。 いつもの私なら気後れしてしまい、一人ではとても入れそうにないところです。 でも、考えてみたらリヴィブでの昨晩の夕食も、ホテル併設で割引がきくから入ってみただけですが、同じようなハイソなレストランでした。 ダイアナにしてみれば、たった1人でガイドと車をチャーターしちゃうような旅行スタイルをとる私だからこそ、安さより、話のタネになりそうな由緒あるところを紹介してくれたのでしょう。 それに由緒あるという彼女の説明で飛びついたのも私です。ハプスブルグ時代からの歴史あるところが、大衆レストランのわけはないですね。 そこの客としてふさわしい品格が私にあるか、と考えたら大いに迷ったのですが、別にドレスコードがあるほどの敷居の高さではなかったので(そのへんはダイアナもさすがに、私がたまに出かける海外旅行で少し贅沢できる程度の庶民だとわきまえていたと思います@)、せっかくだからそこで「ディナー」をいただきました。 ディナーの様子と食事の写真は、こちらの旅行記を参考。 「2009年ウクライナ・ハイライトその4:ウクライナの食べ物レポート」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361986/ 早めのディナーをすませた後、寝台車の発射時刻までまだ時間があるので、少しリヴィブ市内観光をすることにしました。 昨日、入りそびれたアルメニア教会を見学するのにちょうどよいです。 市内にいくつかあるアルメニア教会のうち、「地球の歩き方」で中の見学が可能だと紹介されているところです。 写真代を払えば内部の撮影もOKです(入るだけなら無料)。 「キリスト受難のレリーフがあるアルメニア教会 旧市街の真ん中に、14世紀から建っている古い教会。教会の塔はヴィルミェンスカ(アルメニア)通りに見えるが、教会入口は西側のクラキフスカ通りにある。 一般にアルメニア教会の内装は地味だが、この教会は別。中に入ると、鮮烈な色使いのフレスコ画とモザイク画に目が覚める思いがする。これらを描いたのは20世紀の画家ヨーゼフ・メホフェルら。これだけでも教会を訪れる価値は充分。 扉を抜けると、今度は一転してアルメニア教会らしいさびしげな中庭に続いている。ここではゴルゴダの丘を写した木彫りのキリスト受難のレリーフと、アルメニア墓地から移された多くの墓石を見ることができる。」 「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、コーサカスの国々」('08~’09年版)より アルメニア教会をまともに見学するのはこれが初めてです。 リヴィブとアルメニア教会の関係は、帰国後に「東方キリスト教の世界」(森安達也・著/山川出版社)を読んでいたときにちょっとだけでてきました。 リヴィブは12~14世紀、ハリーチ(ガリツィア)公国の首都でしたが、14世紀前半に半分がリトアニア大公国に併合され、リヴィブを含む残りは1348~1366年にかけて、ポーランドのカジミェーシュ大王によってポーランド王国に併合されました。 そのポーランド王国時代の14世紀後半、ガリツィア地方(*)から、セルジューク朝の圧迫から逃れてアルメニア人がリヴィブに多数移住したので、リヴィブにアルメニア教会の主教座が設けられました。 アルメニア人は移住地に同化しましたが、宗教は固有の形式のアルメニア派を守ったそうです。 *ガリツィア地方:現在のウクライナの西部イヴァノフランコフスク州、リヴィブ州、テルノポリ州とポーランドの最南部ジェシュフ県とクラクフ県にまたがる地方。 キリスト教をもっとも早く国教としたアルメニアの教会はカトリックやカルヴァン派、そして正教会ともずいぶん違っていそうで、前から興味はありました。 事前にネットで見つけた旅行記などである程度の情報は仕入れていたのですが、期待以上にステキな教会でした。 壁に描かれた絵画や装飾が、まるでアールーヴォー美術のようです。 内部は薄暗く、フラッシュなしで手ぶれの目立たない写真をゲットするのは苦労しましたが(確かフラッシュは特に禁止されていなかったのですが、フラッシュの光が当たった写真は好みから外れることが多いんです)、後日の記憶のよすがにしたくて何度もシャッターを切りました。 そして、もっと他にもアルメニア教会を見たいとますます興味がわきました。 ───もっとも、この教会だけが特別に華やかな可能性は大ですね。 アルメニア教会を見学した後、駅に行くのにトラムを利用しました。 手持ちのガイドブックにはトラムの情報はあまり詳しくないのですが、幸いホテルでもらった無料の市内マップにトラムの路線図がありました。 今晩、寝台車でコロミーヤに向かった後、明日の午後便でリヴィブに戻ってくるので、スーツケースはホテルに預けてあります。 だから、荷物は寝台で過ごす1泊分だけで、決して軽いとは言えませんが、身軽です。 こういうときにトラムを利用しなくてどうしましょう。 ましてや今回のウクライナ旅行では正味15日のうち5日間も現地ガイドと車をチャーターし、駅や空港とホテルの送迎はあらかじめ手配してあります。 便利でラクでいいのですが、公共交通機関を使って移動しないと、一人旅をしている気分が薄れます。 戸惑いながら公共交通機関に慣れていくのは楽しいものです。 はじめは心細くても、慣れてきたなという実感を持てるのが。 それに、トラムはすでにキエフとオデッサで利用していますから、同じ国の公共交通機関同士、だいたい要領は同じです。 それでもリヴィブでは初めて利用するので、行き先を確認したり、切符に入れるパンチを忘れそうになって注意してもらったりなど(パンチがないと切符を持っていても無賃乗車扱い)、他の乗客や運転手(女性が多いですねぇ)のお世話になりました。 オデッサで懲りたので、駅には余裕をもって向かったら、2時間以上前の19時には着いてしまいました。 でも身軽なのを幸い、少しうろうろと駅周辺や構内を散策しました。 なにしろ明日コロミーヤから戻ってくるのは22時です。 いくら日照時間が長いヨーロッパの夏でもその頃にはすっかり真っ暗になっているはずですから、明るいいまのうちに少なくとも帰りのトラムの乗り場や時刻表などは確認しておく必要があります。 タクシーという選択肢は……うーん。 今回の旅行でわざわざ送迎を手配しておいたのは、ウクライナには正規のタクシーがなくて(2009年7月現在)、みんな白タクのようなもので、外国人は、特に白人以外は、侮られやすいと聞いていたからです。 タクシーにボラれた経験がちらほらある私は、深夜のトラム利用の方がよっぽどマシって思えました。 深夜ったって22時くらいなら、リヴィブは都会なのでまだ人が十分出歩いていて、駅やホテル、トラムの乗り降りするあたりはまあ明るいエリアですしね。 ※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。 簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/ 詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より) http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
自転車に乗るライオンの看板
ヴィルミエンスカ通りにて。旅行代理店?
自転車に乗るライオンの看板、反対側から市庁舎の塔を背景に
市庁舎の塔と自転車に乗るライオンの看板
とても気に言ったので、3枚も撮ってしまいました。
ライオンの太腿もラブリーですが、自転車の車輪の軸がお花みたいになっています。
アルメニア教会、入口はこっち側でなく反対側
2009年7月現在、中庭は修復中だか工事中だかで閉鎖されていました。
閉鎖されていなくても入口はこちらではないようですが、今回は残念ながら建物から中庭へ出る通路はふさがれていました。
アルメニア教会のゲート、クラキフスカ通り側
厳かな雰囲気の教会内部
入ってすぐのドーム天井、十字架と子羊たち
入ってすぐのドーム天井、キリストと天使たち
側廊の礼拝堂と聖人を祀った祭壇
アールヌーヴォーチックなカラフルなフレスコ画
聖人の葬式の図。その上にはおそらく、聖人の生涯の信仰や奇跡にまつわるエピソード場面。
聖人の遺体を運ぶ人々
光輪のある聖人たち
主祭壇と、たぶん弟子たちに囲まれているイエスを描いたフレスコ
主祭壇のドーム天井に、アールヌーヴォーのファム・ファタル(運命の女)?
異国情緒たっぷりの豪華な図柄
主祭壇のドーム天井の華やかなデザイン
主祭壇の右隣の祭壇脇のフレスコ画
洗礼者ヨハネらしき人(?)の顔が光っているのは、フラッシュのせいではありません。
撮った後、私自身もギョッとしましたけどネ。
血を流す聖人は、ひょっとしたら十字架から下ろされたキリスト!?
そして背後の人たちの衣装の豪華なこと!
クリムトの絵を思い出させます。
主祭壇に向かって左隣の礼拝堂の祭壇、黄金の枠(リーザ)だけ煌びやかに残る古めかしい聖母子イコン
主祭壇に向かって右隣の礼拝堂の祭壇
ルネサンス式(?)の宮殿のような天井
主祭壇天井
主祭壇天井、ファム・ファタルの上
入口近くのドーム天井と2階のバルコニー
入口近くのドーム天井の中心のステンドグラス
前ラファエル派を思い出させる顔の、赤い羽の天使たちと中心。
教会の入口とキリスト磔像
リーノック広場の市庁舎のそば、静かにたたずむ女神像
面白い彫刻がさりげなくあちこちに@
お相撲するライオン2頭
リーノック広場に面したルスカ通りにて
※ちなみに、この散策中に他にも、こんな動物たちの写真を撮っています。
2階のベランダの手すりで昼寝していたラブリーな猫ちゃん
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16628505/
見世物?のブタさん
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16628506/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその1:ちょっとだけ動物たち」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10360936/
トラムに乗って駅に向かう
トラムの運転席の扉です。運転手さんは女性でした。
黒枠のところにお金を入れます。
検札のパンチ機、言われなきゃ分からない@
あのすきまに切符を差し込んで、取っ手を下ろしてパンチします。
そうしないと切符を持っていても無賃乗車になってしまいます。
気付かずに座席に座ろうとした私に、周辺の乗客が慌てて注意してくれました。
リヴィブ駅と、寝台車で目覚めた翌朝の車窓の外の写真はこちらにあります。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16667663/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその5:ウクライナの鉄道移動(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361988/
二等寝台車の写真は、同室者と同時に入ったので、遠慮しました。
ゾロチフ城の城壁の見張り塔
復元された、中世の雰囲気を偲ばせる木の吊り橋
ゲートを閉じるときは橋桁が上がるタイプの橋です。
渡ってきたゲートを振り返って見たところ
城の俯瞰図
函館の五稜郭を連想させる星型です。
長方形の建物が本館で、円筒ドームのある建物が中国館です。
唯一中の見学が可能だった、中国館(チャイニーズ・パレス)
でも2階のかつての部屋は、公開まであとちょっとというところでした……(泣)。
ルネサンス様式の本館とバラ花壇
川の擬人像と神社の朱塗りの門という面白い組み合わせ
庭の中央のキューピット像と中国館
噴水のある円形の堀の中のトリトン像と真っ赤な情熱のバラ
可愛らしいピンクの花と中国館
※ちなみに、この宮殿前では他にもこんな写真を撮っています。
ただし、ひととおり宮殿内を見学し終えた後で撮ったものです。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649904/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649905/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649906/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/
西洋アジサイが咲く、なんちゃって日本庭園!?
日本庭園と西欧風の柱というミスマッチが面白い
中国館のゲートの植えには、ポーランド王になった後のヤン・ソビエツキの紋章
盾の上に王冠が加わっています。
ポーランド王になる前のヤン・ソビエツキの紋章の写真はこちら。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18469141/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第11日目(1)リヴィブ近郊城めぐり:こぢんまりしてるけどなかなか味があったオレスク城」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10419199/
中国館を目の前に向かって左は、へんな柱のある中国風庭園かな
中国風の庭園にチューリップのような柱
2つの川の擬人像が見つめあう
男の川の擬人像と中国館
中国と日本のミスマッチ!?
それとも、中国にもこういう石灯篭ってありましたかしら?
噴水のある円形の堀と、その回りのバラ花壇
バラとほこら、キリストの磔あり
バラ花壇と中国館
※ちなみに、この庭園では他にもこんな写真を撮っています。
庭園より花中心の写真なので、ウクライナ旅行記ハイライトの植物を集めた旅行記で紹介しています。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649895/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649896/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649902/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649903/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649912/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649913/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/
ハンガリーのどこかから見つけてきたという謎に満ちた石
まるでパズルのようで、なんて書かれてあるかまだ解読されていない謎の石
下から見た木の吊り橋
今は堀に水がないので、堀の中を歩けてしまいます。
城のすぐ外にある美しいモザイクの礼拝堂
礼拝堂の全体
信者席は野外で、こちらから見ると野外劇場のような風情です。
礼拝堂を裏から見ると、ただの盛り土に芝生が生えたもの、あるいは古墳のようにしか見えません。
※ちなみに、ここでは他にもこんな写真を撮っています。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649914/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649915/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/
堀にかかる吊り橋を再び
※そして帰りの車窓からは写真を撮りました。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649916/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649917/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/
本日の3つの城めぐりのルートマップ
リヴィブ周辺の古城が集まったエリア「黄金の蹄鉄」の英語版パンフレットの地図にルーとを書き込んだものです。
リヴィブを出発して、まずはオレスコ城(Oles’ko)、それからピドゴレツク城(Pidhirtsi)、そしてゾロチフ城(Zolochiv)と時計回りにぐるっと回ってリヴィブに戻ってきました。
<ヤン・ソビエツキ3世の王妃マリア・カジミエラについて>
「マリー・カシミール・ルイーズ・ド・ラ・グランジェ・ダルキアン(Marie Casimire Luise de la Grange d'Arquien, 1641年6月28日─1716年1月1日)は、ポーランド王ヤン3世ソビエスキの王妃。ポーランド語名ではマリア・カジミエラ(Maria Kazimiera)と呼ばれ、マリシェンカ(Marysienka)の愛称で知られた。
[生涯]
フランスの貴族アンリ・ド・ラ・グランジェ・ダルキアンの二女として、ヌヴェールで生まれた。5歳の時、ポーランド王ヴワディスワフ4世へ輿入れするルドヴィーカ・マリア・ゴンザーガに侍女として同行し、ポーランドへやってきた。1656年(15才)に宮廷へやってきたヤン・ソビエスキ(当時27才)と出会うが、2年後マリーはヤン・ソビエパン・ザモイスキ(ポーランドのザモシチに一族の宮殿がある。)と結婚した。ザモイスキと1665年に死別すると、同年7月にヤン・ソビエスキと再婚した。1672年にヤン・ソビエスキはポーランド王に選出されるが、マリーの影響なしには叶わなかったといわれる。ポーランド王妃として、マリーはフランスの親族が特権を得られるようルイ14世に要求し、またフランスとの同盟関係締結に奔走した。ヤンとマリーは、1665年から1683年の間に交わした多くの恋文が知られている。ヤンの戦争による不在、マリーの私的パリ訪問などの間に書かれたもので、2人の死後に出版された。」
(ウィキペディア・フリー百科事典より引用・一部補足)
「2009年ウクライナ旅行第11日目(4)リヴィブ:リヴィブに戻った後、ちょっとだけ街散策とアルメニア教会」につづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10419209/
ホテルをあとにして、
「今日は一日市内をぶらりとしてみよう。」
18:00迄にバスターミナルに届けば良いのだから。
赤い屋根
赤い屋根の少女
俺を見る不安そうな顔が可愛らしい。
老人
びっこを曳いて歩き去る姿は、映画のようだった。
老婆
娑婆苦を物ともせず語らう。
男たち
浮世の憂さ晴らしに興じる。
最後の食事ははずさないように、昨日のウズベク料理屋に行く。
昨日と違ったオーダーをしてみる。
いきなりデザートから入る。
ガラスケースに入ったデザートで、昨日食べ損ねた。
初めて食べたのに懐かしい味。
甘過ぎるくらいに砂糖漬けされたクルミのパイ。
わざとなのか?
演出なのか?
トルコにいつた時、東ヨーロッパの料理の源流を見る思いがした。
今回、ウズベク料理に接してトルコ料理の源流を感じた。
「トルコからウズベクに流れたのでは?」
と思う方は調べるがよい。きっと面白いことがわかるかも知れないw
今日もスープは外さない俺だった。
天気晴朗
明朗会計
時間もある。折角だから、街のセンターからはずれのバスターミナルまでバスで行ってみることにする。
親切なリボフの住民は、俺が乗るバスが間違いないか2度も確認し、乗り込むまで待ってくれた。
ありがとうね。若い奥さん♪
1.5uaと2uaの料金設定らしい。
判らないので2ua払う。
バスは混んでいる。
運転手脇に立っていると、後部から乗車賃が回ってくる。
俺が平たい箱に投げ込む役をやらされた。
たまに、5ua来て、釣りを要求される。
箱から3ua取り出し後ろに回す。
実に平和的システムだw
一人の婦人が夫の見送りに来ていた。
婦人はバスが走り出すや否や、弾かれたように涙した。
青い目から飛び散る涙は、俺を感動させるに十分だった。
婦人は息子に支えられ車へと運ばれていった。
世界の片隅でいつもドラマは起っていてる。
今日もどこかで・・・
リボフの駅を経由し、街中を通ってワルシャワに向かう
キシナウのホステルで一緒になったオランダの青年も言っていた。
「キエフより断然リボフが良かった。」
なるほどねぇ~・・
街並み以前に、ここの住人は基本的に親切だ。
そりゃそっけない奴も居はするが、数えてみると・・
・バスターミナルのカモシカ的娘
・バスターミナルの母子
・国境越えのタクシードライバー
・密輸屋のベッカム
・駅で通訳サポートしてくれた母娘
・ウィーンホテルの面々
・バス停の若奥さん
直接会話し、親切だった人だけでもこんなに・・・
たった二日や三日でこんなに・・・
田舎なら未だしも、これだけの都会でこんなに・・・
リボフ・・ヒューマンウォッチャーの俺を唸らせた街。
国境には数百台の自家用車が列をなしていた。
バスは別のレーンへと進む。
ウクライナ、ポーランド合わせて2時間弱。
ワルシャワ空港第二ターミナル。
モスクワのトランジットではあっという間に時間が過ぎていった。
ポーランドを2週間ちかく廻ったというAさんとの会話が楽しかった。
ありがとうAさん。
ウラル山脈を初めて目視できた。
それは余りにも巨大な山塊だった。
地上では決して浴びることのない夕陽を指先に感じながら紅茶を啜る。
充実していたようで、それでいて何故か空虚な感慨に襲われる。
そう、あの天空の空気のように。
おまけ
蒲田駅前でやっていた中国雑技団のショー。
椅子回している娘が18歳と聞いて2度驚いた。
ピドゴレツク城付属の教会だった、今は村のギリシャ・カトリック教会
ぼろそうに見えますが、ちゃんと現役の教会です。帰りに見学しました。
中は小さなイコンや信者が寄贈したと思われる刺繍の布などで、アットホームに飾られていました。
ピドゴレツク城へ
見学し終えて戻ってくる人たちの中に尼僧がいます@
もと庭園の彫刻の一つ
草茫々の林が、かつてはきちんと手入れされた庭園だったことを示す数少ない証拠!?
ピドゴレツク城
きれいに修復された部分を中心に撮りました。
城壁の見張り塔と、かつては堀だった緑のじゅうたん
往時を偲ばせる美しい門
往時を偲ばせる美しい門
こちら側は閉ざされているので、城壁をぐるっと回って元・中庭側の城の正面に回ります。
※ちなみに、ここでは他にもこんな写真を撮っています。
かつての堀にたくさんの白い花が咲いているところに注目したので、ウクライナ旅行記ハイライトの植物を集めた旅行記で紹介しています。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649883/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/
また、こんな花の写真も撮りました。とても気になった青い野花です。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649884/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/
帰国後に名前が判明しました。Geranium pratenseではないかと。
英語ではMeadow Crane's-billが通り名だそうです。
参考URL
http://www.floralimages.co.uk/pgeranprate.htm
最盛期の城と庭園のあるスケッチ画
中庭に面した城の正面の今の姿
中庭に面したテラス
いま、修復中
こうしてみると、ほとんど廃屋
兵どもが夢の跡
【7631】
かつてスケッチ画のような豪華な庭園があったなんて、信じられない……。
※ちなみに、ここでは他にもこんな写真を撮っています。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649885/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649886/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649892/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649893/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649894/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/
城の写真はあまり撮影できなかった代わりに、いつもの花撮影への情熱がよみがえってしまいました。
庭園を飾っていた彫刻の一つ
つぼを支えるキューピットらしき面影がかすかに……。
教会へ
教会の鐘
重厚なバロック・スタイルの教会
ここからはダイアナが持っている本から写真を撮らせてもらった、往時のピドゴレツク城のスケッチ画の写真で、まずは、絵画がたくさん展示されていたギャラリー・ルーム
城のそばの売店に同じ本が販売されていたのですが、ウクライナ語だけなので、ダイアナがあとで写真を撮らせてくれました。
豪華なシャンデリアと天井画と絵画コレクションがすばらしかったホール
暖炉と天蓋つきのベッドがある近代スタイルのベッドルーム
鏡の間
窓のように見えるのが鏡だと思います。
昔は大きな姿見の鏡はなかなか作られなくて、このように区切られていました。
奥にはストーブがあります。
また、部屋と部屋は廊下でつながっているのでなく、続いています。
かつて内装に豪華に金が使われていたと思われる、黄金の間
手前にストーブがあるから、暖炉は飾りかな。
ビリヤード・ルーム
ここにも絵画コレクションがたくさん!
扉の両脇のショーケースにはガラスのコレクションがあったように見えます。
ベネチアンガラスとか、ボヘミアンガラスとかかな。
オリエンタル・ルーム
きっと、シノワズリ(ヨーロッパ近代に流行した中国趣味)の影響を受けた調度品と、中国風な絵が描かれた壁紙がとても印象的な部屋だったろうと思います。
城内の礼拝堂
窓にはステンドグラスが施されていたでしょうか。
武器コレクション・ルーム
<英語版ウィキペディアフリー百科事典から、城の略歴を抜粋・私訳>
http://en.wikipedia.org/wiki/Pidhirtsi_Castle
1635-1640年にポルトガル人ヘトマン(コサックの長)スタニスラフ・コニェツポルスキの命令により建築。彼はこの城を息抜きできる滞在地にしたかったが、場所柄、ウクライナ・コサックやタタール人の侵攻にさらされやすいところだった。だが、城はどの侵攻からも持ちこたえた。
1682年、城は、ヤコブ・ルドヴィク・ソビエツキに売却された。彼はオスマントルコとの戦いで勝利してポーランドの王に選挙されたヤン・ソビエツキ3世の息子。
1687年、ヤコブ・ルドヴック・ソビエツキは父のヤン・ソビエツキ3世とフランス人の母マリー・カジミール・ルイーズを城に招待する。そのときの王の従者が描いた城内外のスケッチが当時を偲ばせる貴重な資料として今に残る。
1725年、城は大ヘトマンのスタニスラフ・ルゼウスキーに売却される。彼の息子のワスラフ・ルゼウスキーはこの城を定住地とした。3階を増築し、城に教会や劇場も造らせた。
19世紀、ルゼウスキー一家はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を城に招待した。また、ここでポーランドの有名なロマンチック詩人ジュリウス・スウォワツキの父親が生まれた。
大戦中、破壊は免れたがソ連軍により略奪された。
第二次大戦後、ソ連のサナトリウムとして利用された。
1956年2月、3週間も続いた火災で焼失した。
1997年、リヴィブ美術館が買取り、博物館となった。
ウクライナ政府がソ連から独立したとき、この城を首相官邸にしようという計画もあったが実現ならず、城はリヴィブ美術館の所管となった。
ルゼウスキー一家が使用した品々の一部は、リヴィブ歴史博物館とリヴィブ美術館に収蔵されている。
「2009年ウクライナ旅行第11日目(3)リヴィブ近郊城めぐり:奇妙な日本風?中国風?庭園のあるゾロチフ城」につづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10419207/
車窓からオレスク城を望む
Lonely Planetの説明によると、丘の上にある18世紀のフランス様式の宮殿ですが、15世紀にタタール人の攻撃によって破壊された中世の要塞があったところに建てられた城だそうです。
城のある丘のふもとのカプチン修道院
現地ガイドのダイアナいわく、ソ連時代にたくさんのカトリック教会が閉鎖されて、これもその一つでしたが、最近やっと修道院として復活し、活動を開始したそうです。
坂道を上がって、オレスク城が目の前に現れる
天気がとても良かったのですが、この方角は逆光でした。
城の前のいわくありげなひょろなが群像
どことなく社会主義時代の作品っぽい雰囲気のある彫刻です。
どういういわれがあるのか、ダイアナに聞きそびれました、残念!
城へのゲート
ゲートの上には、歴代の領主の紋章、4家族分
4つに区切られた盾の中に、それぞれ城主となった家系のシンボルが盛り込まれて1つになった紋章です。
下半身魚の人魚がいる左右の円柱には、6人の城主の顔の浮彫があります。
そのうち王冠をつけた2名はポーランド王となりました。
向かって左の王冠のある肖像はカジミエール大王、右はヤン・ソビエツキ3世です。
ウクライナにある城ですが、歴史的にはポーランドとゆかりが深いわけです。
重い壁を支える重厚なバットレス(支えの壁)
1972とあるのは、最後の増築の年のことです。
電灯の下のパネルにあったのですが、この写真では確認できなくなってしまいました。
ゲートをくぐって中庭へ
中庭から見たゲート
城への入口と2階のルネサンス装飾のある窓
近代の改築の際にはイタリアの建築家をわざわざ招いて設計してもらったそうです。
城主の家族は2階に住みました。
2つの建物をつなぐ廊下
いかにも中世の城らしい風情です@
この廊下を隔てた両棟にはかつて別の2つの家族が住んでいましたが、幼馴染の子供たちが結婚して1つの家族となったという歴史があります。
昔の大きな井戸、深さ約40メートル!
まるでハツカネズミのように、車輪の中に人が立って回して、回る軸を利用して水を汲み上げました。
当時、このあたりの城によく見られたタイプの井戸のようです。
かつての井戸のしくみ
これは次に訪れたピドゴレツク城の最盛期のスケッチ画の一つです。
こうやって水を汲んでいたわけです。
ルネサンス装飾の城の入口
これから中に入ります。
城の模型と城の歴史の展示室
防御に都合のよい地形であったことが分かります。
当時、周りは沼だらけで、入口は石橋しかなく、ふもとはぐるりと木の柵で囲まれていました。
模型の木柵は図解のために手前が切れていますが、これがぐるっと城のある丘を囲っていたわけです。
城ゆかりの人々の肖像画写真
左は最後の城主となったイワン・ダニロヴィッチ(1570-1628)。
中央は、オスマントルコを撃退した英雄でポーランド王となったヤン・ソビエツキ(1929-1696)。この城の最後の城主だったイワン・ダニロヴィッチの孫でした。
右は、マリア・カジミエラ。ヤン・ソビエツキの奥さんで、フランス出身のポーランド王妃です。
ダイアナいわく、旦那の死後20年ほど長生きしましたが、彼女は外国人なのでポーランド国民には好かれず、この城からも追い出されてしまったそうです。
なので彼女は、旦那の死後は故郷のフランスに戻り、晩年をそこで過ごしました。
1819年当時の城と周辺
1950年の火災のあと
屋根が焼け落ちています。
1975年、改修後
1327年から1977年までの歴史を持つ城を象徴した現代のタペストリー
城の創建は1327年です。
その後、増改築が繰り返され、最後の増築は1977年でした。
ここからは特に城の歴史と関係ないコレクション
プロでない素人が制作したイエスの磔像。
素人であっても、解剖学をよく分かっている人が作ったらしく、解剖学上、かなり正しい彫刻だそうです。
静脈まできちんとあります。
身体は細長く不気味なまでにリアルなゴシック・スタイルですが、苦痛のない安らかな表情は次代のルネッサンス・スタイルだそうです。
鹿の角を使った面白いシャンデリア
これを反対側から見たのが、次の写真です。
鹿の角が聖女像とドッキングした面白いシャンデリア
聖母子のイコン
聖母子のイコンのパターンは決まっていますが、いろんなスタイルがあります。
赤ん坊のキリストが母に甘えるようによりそっているこのタイプも典型的なパターンです。
聖母子のイコン
赤ん坊のキリストがすでに神の子の威厳を見せているタイプのイコンで、これも典型的なパターンです。
竜を退治する聖ジョージのイコン
聖ジョージはリヴィブの守護聖人でもあるそうです。
イングランドの守護聖人であることは知っています。
引っ張りだこの聖人です。
一部金箔で色づけされた中世の婦人の大理石像
なかなか美しい彫刻で気に入りました。
城の窓から周辺の田園景色を眺める
壁に装飾が描かれた18世紀くらいの部屋
内装も修復され、調度品もそろった往時を偲ばせる部屋が確か2~3部屋ありました。ここはその一つです。
暖炉のヤン・ソビエツキの紋章
まだ王になる前のヤン・ソビエツキの紋章は、とてもシンプルに盾のみです。
中世のベッド
歴代の城主か城の住人が使ったというより、国有となる前の城主あたりがドイツあたりでオークションなどで手にいれたものだろう、とダイアナ。
ルーマニアのドラキュラ城(ブラン城)にあったステキな調度品を思い出します。
ドラキュラ城は、共産党政権になる前は20世紀初頭のルーマニア・ハプスブルグ王家のマリー王妃の城だったので、外観はもとより、調度品もとても可愛らしい中世のアンティークがそろえられています。
関連の旅行記
「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(2):ブラン城」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10132498/
その中のベッドルームの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11917550/
中世のイスと、鏡の枠として再利用された、もとイコンの銀製の枠
肖像画のある部屋
隣の部屋です。
この部屋の内装も修復が終わっていました。
肖像画のある部屋の壁の装飾画はだまし絵?
だまし絵としてはあまり成功していませんけどネ。
だまし絵風の装飾が描かれた壁
風景画の下の壁に描かれた模様の絵は、浮彫やストゥッコ装飾にするとコストがかさむので、ペイントで代わりにした装飾です。
ヨーロッパにはそんな風にコストを抑えたお城がよくありますよネ。
それはそれで、1つの装飾スタイルとして確立しているかもしれませんが、もとはコストダウンでしょう@
イコンやイコノスタシス・コレクション
廃屋となりかかっていた村の教会から保存のために収蔵された、もとイコノスタシスの一部です。
下の列のマリアとキリストのイコンは、イコノスタシスの枠が破損してしまったので、枠に入れたのでしょう。イコノスタシスのとき、黄金門の左右にあったはずです。
見たかんじはかなり豪華そうにみえますが、ダイアナいわく、それほどリッチでない村の教会のものなので、そんなに豪華ではないとのこと。
でも確かに、教会のために村のなけなしのお金をかけてせいいっぱい良いものを制作しようとした、というかんじを受けます。
それほど金持ちでない村の教会の木製のイコノスタシスの一部
マリア被昇天の図
ずっと疑問だったこの図像の意味を、ダイアナに説明してもらいました。
正教会の「マリア被昇天」の絵では、死の床のマリアとキリストが抱く赤ん坊の姿のマリアの魂と昇天した後のマリアの3つのイメージが描かれています。
カトリックでは、このテーマの絵には、昇天するマリアのみが描かれます。
ベッドの下には、マリアに触ろうとしたバチ当たりなユダヤ人が天使に手を切り落とされた場面が描かれています。これはなんだろうとずっと気になっていましたが、やっとナゾが解けました@
でも、切り落とされた手は、あとで奇跡的にくっついたそうです。
マリアかイエスの慈悲のおかげでしょうね。
ルネサンス・スタイルの祭壇
これも周辺の村の教会から保存のために集められたコレクションの一つです。
これは正教会ではなくカトリック教会のものでしょうね。
ルネサンス・スタイルの祭壇のその一部
いかにもカトリックらしい司祭さまの像です。
ヤン・ソビエツキがウイーンでオスマントルコに勝利した戦いを描いた巨大な絵(の複写)
オリジナルは修復中なので、代わりに複写が飾られていました。
オリジナルは高さ7メートルあって、これよりもさらに巨大なので、天井を吹き抜けに改造しない限り、この城の部屋には入らないそうです。
左側の目立つ騎士がヤン・ソビエツキで、逃げ惑っているのがトルコ兵です。
中央の黒い鎧の騎士はポーランド兵。
奥の赤やしましまのテントは、画家が意図したのはポーランド側の野営地のつもりだったはず。もちろん、実際にはこんなテントではなく、あくまでフィクションですが。
巨大な絵の一部、背中に羽のあるポーランドの鎧に注目
羽の音で的の馬を脅かすと同時に、首筋を守っているそうです。
背中に羽のある鎧は、ポーランド旅行中に軍事博物館やマルボルク城などの城の武器コレクションでよく目にしました。
オスマントルコと対立することが多かった近代のポーランドで編み出された、「フサリア」と呼ばれる重騎兵軍団のものです。
詳しくはこちらの写真コメントを参考に。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10992650/
関連の旅行記
「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その20 ワルシャワ軍事博物館(完)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032727/
巨大な絵の一部、ローマ兵のような衣装を来た姿で描かれたヤン・ソビエツキに注目
実際にはこんな姿で戦ったわけではないです。絵画のためのフィクションです。
ソビエツキを古代ローマの英雄に見立てているわけです。
ちなみに、その隣の白馬に乗った騎士は、彼の息子です。
バロック彫刻コレクション室にて、面白い顔つきのキューピット
踊っているみたい@
頭と羽だけの天使像
ヨーロッパの天使像に体がつくようになったのは、長い宗教美術の歴史の中ではかなり最近の話です。
でも、頭と羽だけの天使って、ときどき不気味です(笑)。
作者は、当時の有名なバロック彫刻家ヨハン・ピンセル(Johan Pinsel、生年不祥~1761年)です。
当時のウクライナでもっとも有名で、周辺諸国にも名前が知れ渡っていた彫刻家だったそうです。
ちなみにダイアナは絵画よりも彫刻が好きそうでした。
リヴィブにピンセルの作品のコレクションがある美術館があることを教えてくれました。
あいにくその美術館は回る時間はありませんでした。
破壊されかけた聖女像
ソ連時代にばらばらに切り分けられて、焼かれてしまうところだったそうです。
顔はすでに切り取られてしまっています。
そのことはとても残念ですが、逆に現代彫刻のような不思議な魅力が新たに加わった気がします。
城の窓から庭園を臨む
城壁の回りの水路
ここも、いかにも中世の城っぽい一角です。
城内のカフェのお洒落な鉄製の看板
城の前から、カプチン修道院の屋根
コウノトリが2羽います@
「2009年ウクライナ旅行第11日目(2)リヴィブ近郊城めぐり:栄華の跡が偲ばれる、痛々しかったピドゴレツク城」へとつづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10419202/
スポーツの殿堂?
オリンピックで活躍の人の写真でしょう!
スポーツの殿堂?に有ったマーク
港で甲羅干し!
スヴァボーディ通りのリヴィブ民俗・美術工芸品博物館の入口
ステキなポスター@
この方の作品ももちろん展示されていました。
博物館に入らなくてもアートショップでの買い物はできるようです。
民俗展示、荷車や農具
こういう荷車は、地方の農村ではまだまだ現役ではないかと思います。
壁の上の方の半円部分には、これらの道具を使っていたウクライナの農民の姿が描かれていました。これはその1つ。
チーズ作りの壷やミルク桶など
水車小屋の模型
漁の道具、魚とりの網やボート
常設展はこの一室のみでした。
えっ、もう終わり!?
ロビーの彫刻とモザイクの美しい床
あちらの扉の向こうにもきっと展示室があると思うのですが、閉鎖されていました。
哀しい~!
アートショップの絵の一つ
布に描かれている絵でした。
とても気に入ったけど、とても買えないので(かさ張るせいと、値段を確認しませんでしたが、旅先の記念の買い物としては値が張りすぎるため)、写真を撮りました。
2階への階段の踊り場
建物自体は、きっと昔の貴族の館だったのでしょう。
踊場から2階と天井を見上げる
欧米風のフロアの数え方だと、2階が1階ですね。
ストゥッコ装飾が美しい2階の天井
2階のロビーにさりげなく作品展示
美しい装飾のボックスとおもちゃ?
ポーランドで買ったおみやげの民芸品のボックスを思い出します。
でも、ポーランドの民芸品の花模様はどちらかというと細かいパターンが多くかったように思います。
大柄な花をデーンと描くのはウクライナ風?
2005年のポーランド旅行で買ったおみやげの写真はもう一つのブログにあります。
「旅先のおみやげシリーズその18──ポーランドで買ったもの」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2006/10/18_c64c.html
ピーサンキ・モチーフの絵
絵の表面に少し凹凸がありました。そういう絵の具が使われたのでしょうか。
奥の展示室にこういうタイプの絵がたくさん展示されていました。
美しい彫り込み装飾のある飾り皿
こちらもピーサンキ・モチーフの絵で、ピーサンキと教会かな
「キリスト生誕」と書かれてあるのかしら。
ロシア語からの類推。
展示室への入口脇の壁に展示されていた、彫り込み装飾のある飾り皿
家具や陶器のコレクションが続く
次に時計コレクション
街の絵の中の塔の時計がそのまま実用目的の時計でしょうか。
凝っていて遊び心のある時計です。
ガラスのフタ付のアンティークな時計
ロココなかわいらしい時計
フタ付の時計? 時計盤はどこ?
まわりの人形がとってもステキ!
長針しかなくて用がすんでいた時代の時計
企画展のポスター・その1
ナタルカ・オトゥコヴィッチさん、と読むのかしら。
キリル文字をふつうのアルファベットにすると、Natalka Otkovuchとなります。
絵は、晩年のゴッホをちょっと思い出させるタッチです。好み@
企画展のポスター・その2
下の3行に開催の日時と場所(この博物館)が書かれている以外、なんと書かれてあるのか、さっぱり分かりません。
1人のアーティストの作品なのか、そうでないのかすら分かりませんでした。
ウクライナらしいモチーフが浮彫されている木彫りプレート
真ん中にはウクライナの紋章に使われている「トリーズッブ」(三つの歯)です。
それから、ひまわりもあります。
東欧では、ルーマニアやブルガリアでも一面のひまわり畑がたくさんあるのですが、ウクライナとひまわりといえば、ソフィア・ローレン主演の映画「ひまわり」を思い出します。
あのひまわり畑のロケ地はウクライナといわれています。
本の想定のように見えますが?
聖書やピーサンキや箱などいろいろ
水入れのようなものは、ひょっとしてお酒入れだったりして@
民俗博物館や民芸品のおみやげ屋でときどき見かけます。
コサック・ママーイがモチーフの木彫りプレート
コサック・ママーイとは?
「コサック・ママーイは、ウクライナの伝統美術におけるコサックの理想像である。ウクライナの守り神、ウクライナ人のシンボルとされる。コサック・ママーイの絵画は、18世紀から20世紀にかけてウクライナの民家においてイコンと同様に扱われ、神聖視された。
(中略)
絵画におけるコサック・ママーイは、樫の林で愛馬の隣にあぐらをかき、ウクライナの楽器であるバンドゥーラを弾く姿で描かれることが多い。彼は東洋風な上着(ジュパーン)を着、広々としたズボン(シャロヴァールィ)と錦の長靴をはいている。頭にはコサックの前髪(オセレーデツィ)、顔には長い口髭、口には長いコサック・パイプ、周りには槍が据えられ、ウクライナ酒(ホリールカ)の酒瓶と酒杯が置かれている。
コサック・ママーイの絵画に描かれているものは、それぞれの意味を持っている。バンドゥーラはウクライナの歌、馬はウクライナの自由、樫はウクライナのしぶとさを象徴している。酒瓶・酒杯が埋葬品としてコサックの墓に入れられ、槍がコサックの墓の上に立たされることがあったので、槍・酒瓶・酒杯は人生の儚さと死の覚悟を表している。
(中略)
コサック・ママーイの絵画は、ウクライナ人の民家でのお守りのような役割を果たし、戸・壁・窓際・櫃・食器などの家庭品に描かれた。(後略)」
(ウィキペディアフリー百科事典より)
同じ引用はこちらのウクライナ現代アーティストの作品の写真コメントでもしています。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16937957/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(7)キエフ:ウクライナ歴史博物館(3)盛りだくさんで最後はバテた&その後」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10368092/
ピーサンキ・モチーフの絵
アーティスト名はドユーク・ナタリアと読むのでしょうか。
キリル文字をふつうのアルファベットにすると、Dyuk Natalyaあたりかな。
タイトルはそっけなく「ピーサンカ」だけです。ピーサンカはピーサンキの単数形です。
とても気に入ったので、展示されていたこのタイプの絵のほとんど、写真に撮ってしまいました。
撮らなかったのはほんの2~3枚くらい。
ピーサンキの花たち
燭台のようなピーサンキ立てとピーサンキ
花かごの中のピーサンキ
花吹雪の中のピーサンキとハト
花吹雪といったら、桜の別名という説もありますけどネ。
壷の中から花煙とともにピーサンキ
しあわせの木
箱の中のピーサンキとおもちゃ?
馬車のようなピーサンキ入れ、かな?
ピーサンキはお守りのような意味合いもあるので、このような箱に入れて大事に飾られることもあるでしょう。
ハトのカップルと花もようのピーサンキ
ピーサンキの花の刺繍
切り絵───ネコに魚にカラス!?
ここからは、ナタルカ・オトゥコヴィッチさんの作品。
なにか意味ありげ。それとも特になし?
切り絵───たくさんの鳥に好かれる木
切り絵───花瓶のある窓辺
切り絵───峡谷の村
水彩画───池のほとりの農家
草を食む牛がいるのどかな田園風景
太陽が潜り込んだ冬の路地裏?
山並みのある田舎
窓から街の建物が見えるキッチンテーブル
街を見下ろす窓辺の花瓶
作品のタイトルは私が写真コメントとして勝手につけたものですので、あしからず。
見学時間は、13時25分から14時15分でした。
「2009年ウクライナ旅行第10日目(4)リヴィブ:ウクライナの素朴派絵画に出会えた、リーノック広場の民俗・美術工芸品博物館」につづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414990/
オペラ座前のスヴァボーディ広場の時計塔のようなキオスク
ホテルはセントラルのど真ん中に取りましたので(ホテル・ウィーン)、一歩建物を出たら、すぐにリヴィブ観光開始も同然です。
目の前にスヴァボーディ広場があります。
リヴィブのホテル・レポートはこちらの旅行記にて。
「2009年ウクライナ・ハイライトその7:ウクライナのホテル・レポート」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361989/
オペラ座前広場でハトと戯れる母子
ひょっとしたら祖母と孫?
と思ったけれど、ここは母子にしておきましょう(笑)。
上手にハトを手に止まらせて娘に見せる女性
私も、私も、と好奇心いっぱいに手をのばす女の子
これらの写真をゲットするのに、何回シャッターを切ったことでしょう。
でも撮り甲斐のある微笑ましいシーンでした。
リヴィブのオペラ座
オペラ座でぜひ観劇したかったのですが、残念!
私がリヴィブで夜を過ごせる日は休演でした。
もともと夏はシーズンオフだからあまり期待はしていなかったものの、ニアミスだったのでちょっと悔しかったです。
「内装は見る価値あり オペラ・バレエ劇場
19世紀末はリヴィウが最も豊かだった時代で、上流階級はヨーロッパの流行を追うことに躍起になっていた。そこで劇場の建設が必要となり、市民の寄付で半分以上を賄って1900年に建てられたのが、このオペラ・バレエ劇場だ。
建物の正面ファサードは、演劇に関連したさまざまな彫刻で飾られている。右側円柱の間には、“悲劇”を象徴した像が、同様に左側には“喜劇”を象徴した像が飾られている。屋根の上には3体の銅像も置かれている。
もちろん外観も見事だが、内装はそれ以上。金色の帯が壁一面のフレスコと優美な彫刻を取り囲み、まばゆいばかりの輝きを放っている。“鏡の間”と呼ばれる休憩室は特に見事。その美しさは、オデッサやモスクワの劇場装飾と比べても見劣りしない。(後略)」
「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、コーサカスの国々」('08~’09年版)より
オペラ座の屋根の、脚本を書いている最中のような天使の像
PowerShot SX 200 ISの12倍ズームの威力、万歳!
芝居がかったしぐさの天使の像
ドラマチックな空模様とドラマチックなオペラ座
ソ連時代、この噴水があったところにはレーニン像が立っていたそうです。
独立後に撤去して噴水にしてしまったわけですね。
レーニン像なら構わないとそのまま残しておいたクリミア半島のヤルタと対照的です。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/17613498/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第6日目(6)ヤルタ:一人で散策した海岸沿いプロムナード」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10386249/
同じ広場を別の機会に撮った写真。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18003597/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第8日目(1)クリミア半島:ガイドのニーナとちょっとだけヤルタ観光」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10401561/
空中に浮かぶ噴水の滴とオペラ座のファサードを飾る彫刻
シャッタースピード優先モードで1/1000秒で、このように噴水の水が止まったように撮れました。ばんざーい!
強烈な日差しのおかげで、このスピードでも十分明るく撮れたわけです。
滴が彫刻の顔を隠さず、適度にきらめきながらいい具合に空中に停止した写真が撮れるまで、何度も何度もシャッターを切りました。でも、その甲斐がありました@
オペラ座の屋根のてっぺんを飾る天使の像
捧げ持つ黄金の植物はきっと月桂樹でしょう。
オペラ座のファサードを飾る浮彫彫刻群
祝祭の図でしょうか。ワインを楽しんでいるように見えます。
オペラ座前のオープンカフェとカフェのお嬢さん
花で美しく飾られる夏のヨーロッパの都市
こういうところも、オーストリアを思い出します。
街中をこのように花で飾るのはオーストリアに限らないし、必ずしも夏だけでないと思うのですが、私にとって、年に一度の海外旅行が夏にシフトした最初の年(2003年)の旅行先がオーストリアだったせいでしょう。
街中の花といい野原の花といい、日本ならむしろ春の雰囲気だと思ったものです。
スヴァボーディ通りのリヴィブ民族博物館
入場料は、常設展や企画展あわせて27.00フリヴニャでした。写真撮影不可。
(2009年7月現在、1フリヴニャ=約14円で換算)
チケット売り場では企画展込みのチケットしか販売してくれない勢いで問答無用で27.00フリヴニャといわれましたが、その企画展の一つは、ウクライナの素朴派マリア・プルマチェンコ展でした。
キエフの「ウクライナの心の宝博物館」で彼女の作品が見られるのをとても楽しみにしていたのになぜか閉館で入れずに哀しい思いをしたものですが、そのリベンジができました@
ウクライナの心の宝博物館の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16893657/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16893682/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(4)キエフ:ここもたぶんキエフで最も美しいところ───黄金ドームの聖ミハイル修道院とアンドレイ教会」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367611/
「民族芸術を集めたリヴィウ民族博物館
リヴィウ地方に伝わるイコンなど宗教芸術を集めた博物館。素朴なタッチのものが多く、微笑ましい。3階には一部近代絵画の展示もあり、やはり民族的なテーマのものが多い。」
「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、コーサカスの国々」('08~’09年版)より
スヴァボーディ通りのリヴィブ民族博物館の企画展の垂れ幕・その1
マリア・プルマチェンコの作品です。
残念ながらこの博物館では撮影は禁止でしたので、垂れ幕も貴重な彼女の作品例!
スヴァボーディ通りのリヴィブ民族博物館の企画展の垂れ幕・その2
これもマリア・プルマチェンコの作品です。
スヴァボーディ通りのリヴィブ民族博物館の企画展の垂れ幕・その3
マリア・プルマチェンコ生誕100周年と書かれているようです。
スヴァボーディ通りのリヴィブ民族博物館の企画展の垂れ幕と看板・その4
イコン・コレクションやこのようなセラミックの作品などありました。
とても気に入りました。
スヴァボーディ通りのリヴィブ民族博物館の企画展の垂れ幕・その5
もう一つの企画展の宣伝垂れ幕。
ガリーナなんとかさんの生誕80周年記念。
これらはセラミックの作品でした。
* * * * * *
リヴィブ民族博物館は、最初のイコン・コレクションやウクライナの18~20世紀絵画部門で、2.00フリヴニャのチケットがもぎられました。常設展だったのかしら。
回廊部分には、ミコラ・ツェルイコ(1937~2007)という現代画家の作品が展示されていまた。
次に、周辺の教会からオリジナルを集めて保護しているコレクションと思われるたくさんのイコンとイコノスタシスの展示セクションが続き、ここは5.00フリヴニャでした。
そして現代画家セクションとしてマリア・プルマチェンコの企画展は20.00フリヴニャでした。
企画展だけあって、彼女の作品がたくさん集められていました。
VTRもあって、マリア・プルマチェンコについての解説とインタビュー、それから彼女のオリジナルのキャラクターが使われたアニメが一部紹介されていました。
一部英語の字幕も出たし、アニメはとても興味深かったので、ひととおり見ました。
上映時間は15分くらいでした。
マリア・プルマチェンコ企画展のリーフレットより
リーフレット5.00フリヴニャ。
ウクライナ語オンリーですが、私の手元に残せた彼女の作品の貴重な資料です。
白黒写真がマリア・プルマチェンコ(Marya Primachenko)おばあさんです。
マリア・プルマチェンコは厳しい労働の日々を送っていたウクライナ農民で、学歴があったわけでも絵画の勉強をしたわけでもない人です。
グランマ・モーゼスを思い出しますが、VTRで見る限り、グランマ・モーゼスよりもずっと苛酷な環境で生きてきたように見えました。
マリア・プルマチェンコ企画展のリーフレットより
井戸のほとりで男女の出会い!?
グランマ・モーゼスを思わせるこういう華やかな村の場面の絵画もたくさんありました。
マリア・プルマチェンコ企画展のリーフレットより
彼女のオリジナル、体中に花模様の不思議な動物たち。
マリア・プルマチェンコ企画展のリーフレットより
この牛のような動物の体の模様はいったい……。
マリア・プルマチェンコ企画展のリーフレットより
森のみんながウサギさんの家を訪問。
童話の挿絵のよう。
マリア・プルマチェンコ企画展のリーフレットより
1980年代のイラスト。
マリア・プルマチェンコ企画展のリーフレットより
1960年代のイラスト。
スヴァボーディ広場の国民的詩人シェフチェンコ像
背景に見えている旗のある塔は市庁舎です。
シェフチェンコ記念碑のマリア部分
スヴァボーディ通りのお洒落な建物
左手の建物はリヴィブ民俗・美術工芸博物館です。
スヴァボーディ大通りのリヴィブ民俗・美術工芸品博物館の写真はつづきの旅行記にて。
「2009年ウクライナ旅行第10日目(3)リヴィブ:常設展は物足りなかったけど特別展が充実していた、スヴォボーディ通りの民俗・美術工芸品博物館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414987/
スヴァボーディ通りの民俗・美術工芸品博物館から見た、窓の外のおとなりさんの建物の彫刻装飾
エンジェルたちが抱えている魚のような生物の口は、ひょっとしたら排水口?
ローマ・カトリックの大聖堂
リーノック広場に向かう途中、この町の大聖堂であるローマ・カトリックの大聖堂を見学しました。
ポーランド時代に建てられたものです。
教会前広場はあまり広くなくて、大聖堂にしては目立たないところにあるなと思いました。
内部は当然ですが、もろにカトリックの教会でした。
ひと目で分かります、信者席があるし、イコノスタシスやイコンがないですから。
天井がとても高くて、イエス生誕場面の彫刻は古代の遺跡のようなものに囲まれていました。
色とりどりの大理石に、だまし絵のつもりであればあまり上手でないだまし絵風にペイントがなされていました。立体的な浮彫装飾がなされているように見せようとしているのでしょう。
礼拝堂とその脇のコーラス席は豪華で、天井は青地に金の星が描かれています。クラクフの聖マリア聖堂を思い出しました。
柱に美しい刺繍のようなペイントが施されているところも、ポーランドの教会をなんとなく思い出しました。
クラクフの聖マリア聖堂の建物の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10440885/
関連の旅行記
「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その7 クラクフ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032235/
教会内部には聖人たちの彫刻もたくさんありますし、宗教絵画もたくさん飾られていました。
主祭壇の絵はたぶん聖母マリアの被昇天、その上には楽園にいる聖母子のステンドグラスがありました。
説教台の上の彫刻装飾にはモーゼの十戒らしきものがありました。きっと旧約聖書を象徴しているのでしょう。
ここのところの正教会圏の旅行ですっかり正教会の内装の豪華さに見慣れてしまい、カトリック教会では物足りなく思うのではないかと心配していましたが、ここまで豪華なカトリック教会なら、正教会の豪華さに引けをとりません。
「ポーランド時代に建てられた大聖堂
ポーランドの時代、14~15世紀にかけて建てられたごしつく様式のローマ・カトリック教会。色とりどりの大理石を使った内装が美しく、また19世紀のオルガンもしばしば演奏される。まさに中世を思わせる厳かな礼拝が、今も行われている。(後略)」
「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、コーサカスの国々」('08~’09年版)より
「ウクライナ・カトリックについて
ギリシア・カトリック、あるいはユニエイトとも呼ばれるこの宗派は、ギリシア正教の典礼を実践しながらローマ法王に仕えるという一風変わったもの。正教徒の多かったこの地方をリトアニア・ポーランド連合国が支配下においた結果、宗教的、政治的妥協の産物として1596年に創立された。
ソ連時代に入り、1946年にスターリンによってウクライナ・カトリックは非合法化され、教会、財産ともにロシア正教に併合されたが、ソビエト政府のロシア化政策への反発もあって信仰は地下で続けられていた。ペレストロイカ以後再び活動が活発化し、1990年には教会も返還され、正式に復活した。ウクライナ・カトリックの信者は西部に多く、特にリヴィウはその牙城となり、ソ連崩壊時の独立運動、また最近のオレンジ革命でもリヴィウはその牽引役を果たしている。(後略)」
「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、コーサカスの国々」('08~’09年版)より
「この地方」という言葉には、現在はルーマニアのマラムレシュ地方も含まれます。
マラムレシュ地方はかつてもっと広大な地域だったのですが、いまやウクライナとルーマニアに分断されてしまいました。
2年前にルーマニアのマラムレシュ地方を旅行したあの当時、2年後に私が川向こうのウクライナを旅行するなんて、全く思いもしませんでした。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12942846/
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第10日目(6):マラムレシュ───コウノトリもやってくる桃源郷」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10192261/
リーノック広場に面した建物の改装工事中の幕
ブラシのしっぽの象、可愛い@
このサイトにアクセスしてみたら、2010年用の可愛いクリスマス・年始あいさつのカードがありました@
http://www.caparol.ua/news/news:happy_new_year_2010
トップページのURL
http://www.caparol.ua/
建物の間からパッと開ける、リーノック広場と市庁舎
真ん中に市庁舎があるのは、ポーランド風@
真ん中に市庁舎があるのがよく分かる、市庁舎の塔から眺めたポーランドのヴロツワフの広場
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10436561/
関連の旅行記
「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その10 ヴロツワフ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032281/
フィルム時代に撮った写真の中ではトルンの写真が一番リヴィブのリーノック広場のイメージに近いかも
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10414647/
関連の旅行記
「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その12 トルン」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032323/
トラムのあるリーノック広場の風景
背景の塔は、聖ミカエル教会のものです。坂の上にありました。
この9番トラムは鉄道駅とセントラルを結んでいます。
市庁舎とネプチューン像
塔へ向かう
市庁舎内部にあったこの案内の貼り紙です。
上から国旗デザインとともにウクライナ語・英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ロシア語・ポーランド語と勢揃い。
でも、ウクライナ人の続いて一番観光客が多そうなポーランド人のポーランド語は一番最後!?
塔の入場料は5.00フリヴニャでした。
塔の入口は市庁舎の4階にあったのですが、そこまでエレベーターを使えばよかったです。
途中までは上りやすかった塔の階段
塔の鐘のふりこ?
塔の鐘を鳴らす装置
塔を上る階段の途中の窓から
馬のイラストが描かれている屋根がある一列は、リーノック広場に面しています。
左手には大聖堂も見えます。
ついにこんな階段へ
「2003年5月16日、マーシャ、オーリャ、マリア、ナトゥーシャ(かな?)、ここにあり」なんて落書きがあります。
そして塔から見下ろした町の写真は、次の旅行記にて。
「2009年ウクライナ旅行第10日目(2)リヴィブ:ポーランドやハプスブルグ帝国支配時代を偲ばせる華やかな街並み・後編」につづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414986/
リーノック広場10番地の民俗学・美術工芸品博物館
派手な入口はギフトショップです。博物館はその隣のドアから。
ここも入場料は5.00フリヴニャで、写真代も5.00フリヴニャとオトク@
(2009年7月現在、1フリヴニャ=約14円で換算)
17時15分発の観光バスに乗ろうと思ったのですが、それまで1時間近く時間があったので、急いで回った博物館です。
でも、充実したコレクションとすばらしい素朴派絵画を鑑賞でき、写真もたくさんゲットができました。
イヴァン・スコロズドラ(Ivan Skolozdra)のポスター
これです、癒しの素朴派絵画。
まさかバイキング船?
まずは民俗コレクションから。
タペストリーや中世の家具
家具コレクションは、この屋敷のものだったかもしれません。
たぶん、ポーランド王国時代か、ハプスブルグ支配下の裕福な商人か貴族あたりのものではなかろうかと推測。
きっとたくさんの秘密の引き出しがある中世の家具
近代くらいの家具でしょうか
きっとオーク材とか、今では非常に貴重で高価な木材が使われているのだと思います。
タペストリーが見事!
中世から近代くらいのベッドやストーブのある部屋
さきほどのタペストリーのある部屋です。
このくらいの時代の貴族か裕福な商人の家で、一部屋が書斎もベッドルームも兼ねているのは、ちょっと珍しいかも、と思ってしまいました。
戸棚の上の王冠チェックな燭台
陶磁器コレクションより
朱色が鮮やか!
絵柄が東洋風ですが、日本の伊万里焼とかではないでしょう。中国製かな。
とっても気に入ったティーセット
2階では、まずは鉄製品のコレクション
ここからは、ウクライナ素朴派画家イヴァン・スコロズドラさんの絵を撮りまくりです。
室内ミニ・コンサートかな
この先の絵画の写真コメントはあくまで私のコメントで、絵画につけられた正式なタイトルではありませんので、あしからず。
タイトルはウクライナ語でしか書かれていなかったし、1枚1枚タイトルを確認して書き留めるよりも、ぱっと見て気に入った絵の写真をどんどん撮る方を優先させました。
フラッシュ禁止で、それほど明るい室内ではなかったし、ガラスの額に自分の映り込みが入るのを防ぐために離れた位置から望遠で撮りましたので、毎度、手ぶれ警報が出ました。
なのでタイマー撮影して、できるだけ手ぶれのない写真をゲットする努力をしました。
また、ガラスの額に入っている絵は室内の明かりが反射して白光りしてしまうので、斜めに撮ったりしました。
風車のある春の村
敵を倒したウクライナ・コサック
倒れている敵はモンゴル兵かな。
求愛するコサック、あるいは音楽を奏でるコサックとそれに合わせて踊るウクライナ美女
村を眺めながら飛ぶ
まるで童話の挿絵のようです。
正直者のウクライナ人のもとに水の精がやってくる!?
孔雀? 伝説の火の鳥?
モンスターたちの陽気な宴の夜
この世の美しいものをキャンバスに
赤いブドウのような実のなる木の下で、ウクライナの紋章「トリーズッブ」(三つの歯)を抱えて記念撮影!?
きっと画家の母か恩師か、愛する妻でしょう@
森で暮らすチョビ髭おやじと奥さんと息子
村の女性たちが井戸端で噂話に花を咲かせる
緑あふれる村の道を行く
───でも、女性に馬車を引かせる図って、どうよ?
カラフルな街の人々の憩いの花のあふれる……公園?
詩人の死
これはタイトルを確認したかも。
温かい家族との憩いのひととき
コサック・ママーイを囲んで
コサック・ママーイとは?
ウィキペディアフリー百科事典からの抜粋引用をもう一度掲載します。
「コサック・ママーイは、ウクライナの伝統美術におけるコサックの理想像である。ウクライナの守り神、ウクライナ人のシンボルとされる。コサック・ママーイの絵画は、18世紀から20世紀にかけてウクライナの民家においてイコンと同様に扱われ、神聖視された。
(中略)
絵画におけるコサック・ママーイは、樫の林で愛馬の隣にあぐらをかき、ウクライナの楽器であるバンドゥーラを弾く姿で描かれることが多い。彼は東洋風な上着(ジュパーン)を着、広々としたズボン(シャロヴァールィ)と錦の長靴をはいている。頭にはコサックの前髪(オセレーデツィ)、顔には長い口髭、口には長いコサック・パイプ、周りには槍が据えられ、ウクライナ酒(ホリールカ)の酒瓶と酒杯が置かれている。
コサック・ママーイの絵画に描かれているものは、それぞれの意味を持っている。バンドゥーラはウクライナの歌、馬はウクライナの自由、樫はウクライナのしぶとさを象徴している。酒瓶・酒杯が埋葬品としてコサックの墓に入れられ、槍がコサックの墓の上に立たされることがあったので、槍・酒瓶・酒杯は人生の儚さと死の覚悟を表している。
(中略)
コサック・ママーイの絵画は、ウクライナ人の民家でのお守りのような役割を果たし、戸・壁・窓際・櫃・食器などの家庭品に描かれた。(後略)」
(ウィキペディアフリー百科事典より)
同じ引用を他の写真コメントにも載せています。
ウクライナ・コサックは、外国人から見た日本のサムライのような存在ではないかと思います。
独自の服装や髪型、そして正義のために死を恐れない生き方や世界観など、ウクライナ研究者やウクライナ人の中で日本を知る人たちの間では、この両者に共通点があるといわれているそうです。
ウクライナ現代アーティストの陶器の絵の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16937957/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(7)キエフ:ウクライナ歴史博物館(3)盛りだくさんで最後はバテた&その後」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10368092/
コサック・ママーイがモチーフの木彫りプレートの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18408814/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第10日目(3)リヴィブ:常設展は物足りなかったけど特別展が充実していた、スヴォボーディ通りの民俗・美術工芸品博物館
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414987/
キリストの最後の晩餐
イエスの誕生
冬の女王のおでまし?
ピーサンキ(イースターエッグ)で飾られた木を囲んで
美しい笛の音に惹かれて
兵士の帰還?
空飛ぶ馬に乗って、愛の女神が恋人たちを祝福する
孔雀のお告げを拝聴!?
三日月の夜の恋人たちの逢瀬
働き者の娘さんに花を
たくさんの壷人間は、誰かさんのオマージュ?
楽園のような農家に守られた少女
門の柱には守り人の顔?
農作業の合間に、コサック・ダンス@
ウクライナ旅行中、ぜひコサック・ダンス・ショーのようなものが見たかったのですが、チャンスに恵まれませんでした。
そもそも、どこでそういうショーの情報が得られるか分からなかったので。
キエフに行けば分かるかと思って、下調べ不足でした。
町の結婚式
村の結婚式
村のカップルが池のボートでデート
町のカップルが池のボートでデート
求愛!?
歌って踊って飲んで@
博物館の出口にあった、ステキな鉄細工(一部)
見学時間は、16時25分から17時5分でした。
「2009年ウクライナ旅行第10日目(2)リヴィブ:ポーランドやハプスブルグ帝国支配時代を偲ばせる華やかな街並み・後編」の後半にもどる。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414986/
リーノック広場の市庁舎の塔から見下ろした景色
「高い砦」とドミニカン聖堂がまず目に付きます。
鉄塔の右手の旗あたりが「高い砦」の展望台でしょう。
「高い砦」にはぜひ行きたいと思っていましたが、一番楽しみなパノラマはこの市庁舎の上からの眺めでだいたい見当がついたので、行くのをやめることにしました。
旧市街の中に行きたいところがたくさんあるから@
「すばらしいパノラマが楽しめる高い砦
町の歴史は13世紀、ハリチ・ヴォリニ公ダニーロがこの丘に城を築いたことに始まる。城は彼の息子レフの名を採って、“リヴィウ”と呼ばれた。
丘は旧市街の北東500mほどのところにあり、14世紀の城壁跡が一部残っている。海抜413mの丘の頂上には展望台が設けられ、旧市街のすばらしいパノラマが楽しめる。黄色と青のウクライナ国旗と十字架が建ち、双眼鏡を貸し出すサービスをしている人たちもいる。」
「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、コーサカスの国々」('08~’09年版)より
緑屋根のこの教会は、アルメニア教会かなぁ
アルメニア教会といっても、ガイドブックに載っていない方です。
リヴィブにはアルメニア教会がいくつかあります。
というのも、リヴィブには、14世紀後半、リヴィブを含む西ウクライナ地方がポーランド王国に併合されていた時代、セルジューク朝の圧迫から逃れるため、ガリツィア地方(*)から多くのアルメニア人が移住してきた歴史があるのです。
奥の教会は坂の上にあった聖ミハイル教会だと思います。
*ガリツィア地方:現在のウクライナの西部イヴァノフランコフスク州、リヴィブ州、テルノポリ州とポーランドの最南部ジェシュフ県とクラクフ県にまたがる地方。
ローマ・カトリックの大聖堂を中心に
町一番の教会にしては、狭苦しいところに建っています。
下から眺めた写真はこちら。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18398531/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第10日目(1)リヴィブ:ポーランドやハプスブルグ帝国支配時代を偲ばせる華やかな街並み・前編」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414985/
堂々たるドミニカン聖堂を中心に
リーノック広場を見下ろす
赤と黄色のしましまの虫みたいなのは、セントラルを回る観光バスです。
スヴァボーディ広場の一角、シェフチェンコ記念碑のあるあたり
滞在ホテル(ホテル・ウィーン)の建物も見えます。
左手の緑屋根の建物がそうです。
屋根にポニー@
翻るウクライナ国旗
旗はちゃんと四角くたなびくところを撮りたかったのですが、風は一向に止みそうになくてあきらめました。
リーノック広場を行く人々を12倍ズームで捉える
おーっ、こうやって撮るのはなかなか新鮮です。
リーノック広場の団体さん
ウクライナ人の団体ツアーかな。あるいはポーランド人かな。
ポーランドの国民的詩人アダム・ミツケヴィッチの記念碑のある広場
こんなところからもリヴィブのポーランド時代の片鱗がうかがえます。
恋人たち
塔を囲む柵は昔の城壁風?
塔に上り始めたのは15時20分で、下りて外に出たのは16時10分です。
思ったよりゆっくりしてしまいました@
セントラルを回る観光バス
あとでこの観光バスに乗ります。2台交代で1時間おきに走っていました。
50.00フリヴニャと結構高いのに、今も、私が乗ったときも、満員でぎっしりでした。
(2009年7月現在、1フリヴニャ=約14円で換算)
かくいう私も、ちょっとラクしたいし、各国語でガイドが聞けるのはいいなと思って乗った一人です。
観光バス、正面から
走るスピードは、街中を見せるためと、セントラルの交通のものすごい渋滞のため、とてもゆっくりでした。
速足で歩く通行人に簡単に抜かされたくらいです。
次の発車が17時15分だというので、16時25分から17時5分まで、すぐ目の前の民俗・美術工芸品博物館を見学しました。
その写真はつづきの旅行記にて。
「2009年ウクライナ旅行第10日目(4)リヴィブ:ウクライナの素朴派絵画に出会えた、リーノック広場の民俗・美術工芸品博物館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414990/
観光バスの中から
17時15分に出発し、もとのリーノック広場に戻ってきたのはだいたい18時10分でした。
大半はすでに歩いたところを回りましたし、天井もガラス窓なので、見学はしやすくてよかったものの、蒸し風呂状態できつかったです。
徒歩の方がましかも、と思ったくらい。
ヘッドホンで英語のガイドが聞けましたが、まあ、ささっと流れてしまうので、キャッチできたのはごく一部。
でも、特に説明がないところで代わりに流れたこの地方の民族音楽は、とても気に入りました。
リーノック広場に面した家
観光バスを下りた後、18時すぎではもうどこの博物館も見学できませんが、昼間のように明るいので町歩きは続行可能です。
リーノック広場を中心に教会めぐりをすることにしました。
リーノック広場に面したリヴィブ歴史博物館
残念ながらもう閉館時間過ぎています。
町角のマリア像
美人です。
リーノック広場に面したルスカ通りにて
右側の浮彫は船だと思いますが、左側は船荷?
船舶業で成功した商人か貴族の館だったのでしょうか。
リーノック広場に面したルスカ通りにて
傾き出した太陽が作りだす長い影が、街角の景色に昼間とは違う彩りを添えています。
ルスカ通りの角の牛の看板と長い影
坂の上の聖ミハイル教会を見上げて
教会前にあまりスペースがなかったので、こんなアングルになってしまいました@
教会の名前を記したプレート
十字架の形はロシア正教の八端十字架と少し違いますね。
十字架の上は、ウクライナのギリシャ・カトリック教会と書かれてありますが、下は1行目が修道院と書かれてあるのと、3行目以下は大天使ミハイル教会と書かれてあることくらいしか分かりません。
ステンドグラスのせいで虹色に光る聖ミハイル教会の柱
聖ミハイル教会
正教会のイコノスタシスあります。
聖ミハイル教会
カトリック教会と正教会が合体したような内部です。
もともとカトリックの教会だったのを、イコノスタシスを設置して信者席を撤去して正教会っぽくしたように見えなくもないです。
天井画や壁や柱の絵は、イコンというよりも、カトリック教会にもよくあるフレスコ画や装飾でしょう。
リーノック広場のトラム乗り場の前のアルメニア教会の壁の司祭の浮彫
聖ミハイル教会の次にドミニカ聖堂へ向かう途中。
道に迷いそうになったのでいったんリーノック広場の方まで戻ることにしましたが、明日の夜のコロミーヤ行きのために、鉄道駅に向かうトラムの停留所を確かめることにしました。
ここはガイドブックに載っていないアルメニア教会です。見学は無理でしょう。
ここがアルメニア教会だと教えてくれたのは、トラムで待っていた人です。
私が興味深そうに眺めてこの写真を撮ったら、教えてくれました。
リーノック広場のトラム乗り場の前のアルメニア教会の壁の聖母子像
ちなみに、神とイエスと聖霊の三位一体を信じるカトリックは三次元の彫刻が多いのですが、そこから聖霊は除く正教徒の場合はイコンなどのように、聖像はみんな二次元です。
そのあたりで、カトリックか正教会かの区別がつきます。
リーノック広場のトラム乗り場の前のアルメニア教会の重厚で装飾的な扉
クリーム色がかったイタリアにあるような教会、ドミニカ聖堂
ドミニカ聖堂内の宗教博物館は18時までなので入れませんでしたが、教会内の見学はできました。
「世界の宗教に関する展示 ドミニカ聖堂
18世紀バロック様式の教会。ソ連時代は無神論と宗教の博物館となっていたが、今は無神論の部分が撤去されて公開されている。イスラーム、仏教、ユダヤ教や古代の埋葬方法など、世界の宗教に関する展示がある。」
「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、コーサカスの国々」('08~’09年版)より
夕方とは思えない真っ青な空とドミニカ聖堂
ドミニカ聖堂の聖女像
ローマにあるベルニーニの有名な彫刻「聖テレーサの恍惚」を思い出しました。
あそこまで恍惚とはしていないですけど@
ドミニカ聖堂内部
ふむ、確かにバロック様式の教会です。カトリック教会でしょうね。
ドミニカ聖堂内部、主祭壇にもう少し近づいて
ヴェルミンスカ通りにて、面白い落書き@
文字の意味は分かりません。
卑猥な言葉でなければいいんですけど。
ヴェルミンスカ通りにて、誰か著名人の彫像?
リヴィブのセントラルには、ところどころにこういうのがありました。
向かいのイスに座って記念写真を撮っている観光客が何人かたむろしていました。
ヴェルミンスカ通りにて、腕が欠けた天使像
ヴェルミンスカ通りのお洒落なカフェにて
ヴェルミンスカ通りのアートギャラリーの看板
アルメニア教会の中庭の木彫りのキリスト受難のレリーフ
門の外から撮りました。なので一部しか撮れませんでした。
実は、ヴィルミンスカ(アルメニア)通りからアクセスしてしまったので、この日は入口を見つけられず、見学できませんでした。
結構楽しみにしていたのに……。
でも、後で「地球の歩き方」をひっくりかえし、翌日はちゃんとクラキフスカ通りからアクセスしたので、リベンジできました。
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第11日目(4)リヴィブ:リヴィブに戻った後、ちょっとだけ街散策とアルメニア教会」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10419209/
再びリーノック広場の市庁舎
夕方7時近く、昼間のように明るいけれど、太陽光線は斜光の輝きを増して、空の青とのコントラストがきつくなっています。
リーノック広場近くの面白い看板
冠をかぶった半身馬のケンタウロスがマグカップいっぱいのぶどう酒を飲んでるところ?
鉄製のステキな看板───でも、意味不明@
なんのお店の看板でしょうか。
チューリップのようなものもあります。
おみやげ屋にて
19時は過ぎていましたので、さすがにお店は閉まっていました。
ガラスの写り込みを目立たなくするため、露出はアンダーにして撮りました。
そろそろ夕食を食べたくなったので、ホテルに戻ることにしました。
今晩はホテル隣接のレストランで食事をとるつもりなので。
ホテル客は割引がきくのです。
思った以上に高級レストラン風で、腰が引けてしまいましたけど@
そのレストランの写真と食事レポートはこちらです。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662448/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662449/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662449/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその4:ウクライナの食べ物レポート」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361986/
ホテルのレセプションで買ったリヴィブのイラストマップと、本日回ったルート
1:滞在ホテル「ホテル・ウィーン」
2:スヴァボーディ広場のオペラ座前で30分も写真撮影@
3:スヴァボーディ通りの民族博物館、特別展の素朴派画家マリア・プルマチェンコの作品に感激!
4:スヴァボーディ広場のシェフチェンコ像
5:スヴォボーディ通りの民俗・美術工芸品博物館
写真撮影可能な博物館でした。その写真は次の旅行記にて。
「2009年ウクライナ旅行第10日目(3)リヴィブ:常設展は物足りなかったけど特別展が充実していた、スヴォボーディ通りの民俗・美術工芸品博物館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414987/
6:ローマ・カトリックの大聖堂、内部を見学
7:リーノック広場の市庁舎の塔に上ってセントラルを見下ろす
8:リーノック広場10番地の民俗・美術工芸品博物館
ここも写真撮影可能な博物館でした。その写真は次の次の旅行記にて。
「2009年ウクライナ旅行第10日目(4)リヴィブ:ウクライナの素朴派絵画に出会えた、リーノック広場の民俗・美術工芸品博物館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414990/
9:トラム停留所のそばのアルメニア教会、外観の写真だけ撮る
10:坂の上の聖ミカエル教会
11:ドミニカン聖堂
11から12への移動の途中がヴェルミンスカ通り。
12:ガイドブックに載っているアルメニア教会、この日は入口を見つけられず、翌日リベンジ!
そしてぐるっと回り道してリーノック広場まで戻り(ATMでキャッシングの必要があったため)、そして大聖堂脇を通ってホテルに戻りました。
「2009年ウクライナ旅行第10日目(3)リヴィブ:常設展は物足りなかったけど特別展が充実していた、スヴォボーディ通りの民俗・美術工芸品博物館」につづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10414987/
近年、ウクライナにおいては、エイズや結核の流行の兆しがあり、医療機関も注意を呼びかけています。
また、夏期には食中毒の発生が多数報告されています。なま水、なま物の飲食は避け、飲料水は瓶詰の信頼のおけるミネラルウォーターか、信頼性の高い濾過器を通した水を利用し、料理は良く火の通ったものを食べることをお勧めします。
ウクライナ入国にあたって、外国からの旅行者はこれまでウクライナの医療保険への加入が義務付けられていましたが、現在この義務はなくなりました。しかし、医療機器、衛生材料、医薬品等の不足のため、ウクライナの医療環境は満足できるものではありませんので、緊急移送の可能性も念頭に、海外旅行傷害保険等に加入しておくと良いでしょう。
1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故の放射能汚染の状況については、事故発生直後、外務省より渡航情報の「渡航自粛勧告」(当時)が発出されましたが、その後、事故を起こした発電所施設から30キロ以内の立入禁止区域及びその周辺地域以外における大気中の放射能値が、自然値の範囲に収まる状況となったため、97年4月には、「渡航自粛勧告」は解除されています。しかし、大気中の放射能値は下がったものの、ウクライナ国立科学アカデミーの調査によれば、土壌や地下水等を通じた放射能汚染が、キエフ市地域へ浸透・拡散していることが認められています。このため、市場に出回る乳製品、野菜、果物、食肉または飲み水等が放射能に汚染されている可能性は否定できません。そのような野菜、食肉等を短期滞在中に摂取したからといって、健康に影響を与えることはないとされていますが、長期間滞在するような場合は、被曝量の増加、体内放射能の蓄積の可能性につき、予め留意しておく必要があります。