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ウズベキスタンってどんな国?

ウズベキスタン共和国(―きょうわこく)、通称ウズベキスタン は中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国。首都はタシケント。
北にカザフスタン、南にトルクメニスタンとアフガニスタン、東でタジキスタン、キルギスタンと接する。国土の西部はカラカルパクスタン共和国として自治を行っており、東部のフェルガナ地方はタジキスタン、キルギスタンと国境が入り組んでいる。

ウズベキスタンの地図

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ウズベキスタンの写真・旅行記

帰国の便に乗るために、昨日の飛行機でヒヴァからウズベキスタンの首都「タシュケント」に戻ってきた。 今晩の便で帰国の途につくのだが、それまでにもうちょっとタシュケントの街を探検してみようかと思う。 ガイド本に載っている興味のある場所はだいたい行ってしまったので、今回はネット上に情報があった「古本市」に 行ってみようかと思う。しかし、ネットの情報だけあって本当にあるのか疑問。果たして「古本市」は本当にあったのか?! 本家ホームページ http://hornets.homeunix.org/ ここまでのウズベキスタン旅 Day1・2 タシュケントでは地下鉄もバスも25円で乗り放題だったぁ? http://4travel.jp/travelogue/11100441 Day3 ブハラは半日もあれば全部見れちゃうコンパクトな観光地だった! http://4travel.jp/travelogue/11105213 Day4 シルクロードの街サマルカンドを一日で回りきってみよう! http://4travel.jp/travelogue/11109338 Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは? http://4travel.jp/travelogue/11113306 Day8 「歩き方」にも載ってない「古本市」の情報を確かめに行ってみた! http://4travel.jp/travelogue/11124049

さて、今日は旅の最終日。夜の便で韓国経由で日本に帰国なのだ。 なんとなく、ウズベキスタンは見尽くしてしまった感があるのだが、とりあえず帰国の便までタシュケントの街をブラブラしようと思う。 まずは市内北の方にある、ハズラティ・イマーム広場付近のモスク郡に行ってみようと思う。宿からは地下鉄でとりあえず「ゴフル・グロム駅」へ移動。ここから歩きで行くと30分以上歩かなければならないようなので、バスを待ったのだが今日は日曜日。ウズベキスタンに到着した時に話した現地の兄ちゃんによれば、日曜はバスの本数が少ないようなことを言っていた。 そんな理由もあるのか?待てど暮らせどバスが来ないので、仕方なく歩いて行く事に。 確かに歩いたら結構な時間がかかる距離だったのだが、結構いい運動になって、逆によかった。

ハズラティ・イマーム広場付近にはハズラティ・イマーム・モスクや、バラク・ハン・メドレセ、カファリ・シャーシ廟なんかがある。 それぞれの位置関係はこんな感じ。

ハズラティ・イマーム広場に到着すると、とりあえず「歩き方」に載っているのと同じアングルで写真を撮ってみる。

これは別アングルでとったハズラティ・イマーム広場の写真なのだが、広場はこんな感じでかなり広い。

広場の一番西の方にあるのが、バラク・ハン・メドレセ。 このメドレセも今まで見てきたメドレセと見た目はほとんど同じ。正面の門みたいなのは、やはり綺麗な装飾がされている。

内部は派手さはなく、どちらかと言えば落ち着いた感じ。悪く言えば、あまり特徴が無いとも言える。 このメドレセは珍しく一階建てだったのだが、各教室は当たり前のように土産物屋になってしまっている所が、やはり残念なところ。

ハズラティ・イマーム広場の北側に位置するのが、カファリ・シャーシ廟。 入り口はモスクのような門なのだが、内部や外にも墓石と思われるものがある。

そして、広場の東側、道路に面した場所にあるのが、ハズラティ・イマーム・モスク。 入り口付近に強面(こわおもて)のオッサンが「ドン」と座っていたので、入っていいのかどうか不安だったが、入っても問題ないようだ。

建物の中に入ってみると、息を呑む光景が広がっていた。 今まで見てきた物と全く違う、現代的なモスクだった。そして結構な広さ。

このモスクの最大の見どころは、写真左の天井の模様だと思う。 サマルカンドにあった黄金の部屋のような豪華さは全体的に無いのだが、それに匹敵するような装飾だった。 思わず「おぉ~」と声を上げてしまうような感じ。 そして写真左のメッカの方向を示すくぼみは、結構シンプルだが貧弱さは全くナシ。

ハズラティ・イマーム広場付近のモスクやメドレセを見終わったら、この前にあるバス停からバスに乗ってここまで来る時に降りた「ゴフル・グロム」駅まで戻る。 「ゴフル・グロム」駅からは、地下鉄に乗って「コスモナウトラル」駅まで移動。

ウズベキスタンの地下鉄車内はこんな感じ。 ちなみに地下鉄で写真を撮るのは禁止。 ウズベキスタンの地下鉄はウクライナやロシアとほぼ同じだった。 車両も駅構内も薄暗いのだが、何故か駅の装飾や彫刻なんかはすごく豪華。

コスモナウトラル駅を降りて東側の方向へ少し進むと、そこには団地のような集合住宅が広がる住宅街だった。

コスモナウトラル駅に来たのは、この当たりに「古本市」があるという情報をゲットしたから。コスモナウトラル駅の北東方向にある公園の端っこに古本を売る屋台がある。

「本当に古本市なんかあるのか?」と、半信半疑で来たのだったが、本当に古本市があった。 日本で言ったらお祭りの出店(でみせ)のような屋台に古本が所狭しと並んでいる。 こんな感じの屋台が、公園の歩道に沿って何件も出ているのだ。

本は基本的に古本なのだが、並べられている本の種類は小説から雑誌、はたまた教科書的な本まで様々だった。もちろん地元の本ばかりなので、自分は読めないのだが、見ているだけでも楽しくなる。 以前、池上彰さんは「現在それほど発展していない国だとしても、街にどのぐらい本屋があるか?を見れば、その国は今後発展していくかどうか?というのがわかる」という類(たぐい)の事を言っていた。 独裁政権下では、国民が自由にいろいろな情報を得ることができると、知恵のある一部の人が政府に対して反抗する可能性が出てくる。 したがって、そのような社会体制のもとでは、情報統制を行うことが一般的。 結果的に本屋等も少なくなる という理論。 しかし、独裁政権もしくは軍事独裁政権のある国では、街に多少なりとも本屋があったらしい。 当時はまだ軍事独裁政権だったのだが、現在では民主化が進み国が大きく変わろうとしている。 しかしながら、その国のすぐ近くにある国では、現在でも数少ない社会主義国家。 この国では街を歩いていても、ほとんど本屋が見当たらなかったそうだ。 その国では現在でも社会主義体制に変わりが無い。 このような事例を考慮しても、ある程度その理論は合っていると思われる。 ウズベキスタンもかつてはソビエト連邦を構成する国の一つで当時は情報統制があったと想像できるが、現在ではこんな感じで気軽にいろいろな種類の本が手に入るということが、今後のこの国の発展に十分な期待が持てる。

この辺りはどうやら本屋街のようで、東京で言ったら神保町のような雰囲気。とはいえ神保町ほどの本屋の数では無いのだが、それでも先ほどの出店のような臨時本屋以外に、こんな感じの常設の本屋が何件かあった。

さて、この古本市から北側に向かってぶらぶらと歩いてみる。 すると、この辺に百貨店とバス停があって、そのバス停付近で簡易的なスタンド形式で惣菜パンが売られていた。

惣菜パンと言っても、日本のものほど凝ったものではなく、ソーセージを巻いた物のように非常にシンプルな物ばかりなのだが、それでも写真下のパンが1000スム(約25円程度)とかなり安くてお買い得。 ちょっとした小腹を満たすには十分なパンで、味も普通に美味い。

さて、この惣菜パンを購入した場所のすぐ北には、ナヴォイ劇場がある。 ナヴォイ劇場は、この旅の2日目にも一回訪れている。 しかし、その時は「抑留日本人がこの建物を建てた」ことを示すプレートを見忘れてしまったので、ついでにもう一度行って見てみようと思ったのだ。

ということで、この旅2回めのナヴォイ劇場。 相変わらず冬なので噴水は止まったまま。

どこにプレートがあるのか?わからなかったので、とりあえず南側から建物の回りをぐるっと回って探していたら、建物の北側にこんな感じでプレートが埋め込まれていた。 日本語でも書かれている。要は強制移住させられた日本人がこの劇場の建築に貢献しているという記載。

このプレートは建物北側のこの図の位置ぐらいにあるので、訪れた際は是非見て欲しい。

さてさて、ナヴォイ劇場からまたまた移動。 劇場の北側、すこし離れた場所にある地下鉄駅「ムスタキリク・マイダニ」駅から市街北側へ移動しようと思う。 ムスタキリク・マイダニ駅の入り口には立派な彫刻があるプレート(写真中央の黒いやつ)があったので、遠くから写真を撮ったら、こんだけ離れていても係員に怒られた。 地下鉄構内だけでなく、結構遠くからでも写真を撮っているのが見つかれば怒られるので注意が必要。

南北に走る地下鉄のライン(ユーヌサバット線)の北側終点駅「ハビブ・アブドゥラエフ駅」で地下鉄を降りる。 この駅はこれまた初日に訪れた「テレビ塔」の最寄り駅。

地下鉄構内から地上に出ると、少し離れた場所にテレビ塔(写真左)が見える。 そのまま徒歩で南側へ大通り沿いを歩いて行くと、写真右のようなモニュメントがある公園が見えてくる。

今回目指したのは「抑圧犠牲者の博物館」。駅からは少し歩くのだが、場所的にはテレビ塔と大通りを挟んで反対側にある。

抑圧犠牲者博物館の外観はこんな感じで、若干イスラム建築風。 ガイド本によれば「帝政ロシア時代とソ連時代の政策により抑圧されたウズベク人やウズベク文化を扱ったもの」と書かれていて、「英語による要約もあるので、解説も読み込んでみるとよいだろう」とも書かれていたが、確かに他の展示施設よりも英語の解説は充実していたが、そもそもこの辺の抑圧の歴史や状況に対しての基礎知識が自分には乏しい上に、解説の順番や展示内容も「人の写真」ばかりで、読んでみても「???」的な感じのものばかり(あくまでも自分の感想)。 というわけで、最終的には「さっぱりわからない」状態で終わってしまった。入場料も結構な金額を取られるので、個人的にはあまりオススメしない。 あと、この施設は13:00~14:00の間はお昼休憩のようで、自分はお昼休憩直前に行ってしまったもんだから、見始めてすぐに「早く出ろよ!」的なプレッシャーを強面(こわおもて)の係員のおばちゃん達から受ける羽目となってしまった。 お昼休憩直前の時間になりそうな場合は無理に入らず、お昼休憩後に行ったほうがゆっくり見ることができると思われる。

せっかくなので、この旅の2日目夜に「当然ライトアップされてるでしょ~」という予想のもとで行ったら、予想を見事に外し真っ暗で全然写真に写らなかったテレビ塔の写真を撮っておく。 もちろん、テレビ塔に登ることもできる。(登らなかったけど)

さて、帰国便の時間まではまだまだあるものの、この辺で会社へのばら撒き土産なんかを買うために地下鉄を乗り継いで「チョルスー・バザール」へ向う。

ちょうどお昼ごはんに良い時間だったので、チョルスー・バザール近くにある「歩き方」にも載っている「ビンケット」というレストランに行ってみたのだが、改装中で食べることができず。 仕方なく、チョルスー・バザール内でそこそこ賑わっている適当なレストランに入る。 んで、食べたのが、マンドゥとスープ。 もう、ウズベキスタンの食事の定番になりつつある。 マンドゥはどこで食べても、一人で食べたらお腹いっぱいになる量で出てくるのは当たり前。スープも野菜ゴロゴロで出てくる場合がほとんど。 しかし、どこで食べても味のバリエーションはほとんどなく、大体同じ味と言っても良いと思う。

そして、これも定番の串焼き「シャシリク」。 ここのシャシリクは表面にパン粉みたいなものが付いていて、食感が楽しく美味しいシャシリクだった。 単に自分が知らないだけなのかもしれないが、ウズベキスタンの食事はメニューがそれほどバリエーションに富んでいるわけではないので、長期滞在すると飽きてしまうんぢゃないかなぁ~?と思う。 また、高級なお店は別として、地元の一般人が食べるようないわゆる「大衆食堂」的な店では、メニュー表が無いのがほとんど。 なので、注文する時に苦戦することが予想されるので、ガイド本等のメニュー表みたいなやつは持って行っておいた方が良いと感じた。

ちなみに今回食べたレストランは、写真上のように薄暗い店内なのだが、チョルスー・バザール内にあるからか?結構ひっきりなしに客が入ってくる店だった。 店員のおばちゃんはパンチパーマで、日本で言ったら絵に描いたような「肝っ玉母さん」的な風格の人だったのだが、このおばちゃんがかなり優しく、ド観光客の外人(オレ)に臆することなく、丁寧に対応してくれて、しかもお金を払うときには「マンドゥがいくらで、シャシリクがいくらで…」と、ちゃんとそれぞれの金額を計算機で表示させて説明しながら勘定してくれた。

あと、ウズベキスタンのレストランでは、店名は全然分からない。 店名を書いた看板のようなものはほとんど見かけない。 一応店名はあるんだろうけど…。 ちなみに、今回食べたレストランの外観はこんな感じ。

チョルスー・バザールのような市場は、それこそ今の季節のような寒い時期で、街ではそれほど人がいない時でも、市場内だけは大賑わい。 地元の人達の買い物は、基本的に市場なんだろうというのがよくわかる。 とはいえ、街の中には一応スーパーマーケットも存在する。日本人の感覚ではスーパーマーケットの方が便利なように思えるが、スーパーマーケット内は市場のような混雑っぷりは全然無く、暇そうな感じだった。

そんなこんなで、そろそろ帰国便の時間になったので空港へ。 空港で若干嫌なことが…。 タシュケントの空港では、国際線の出国審査の手前に税関がある。入国時に申請して返された税関申告書と照らしあわせて、所持金が増えていないか?を比較的厳しくチェックするため。要はウズベキスタン国内で不法労働していないか?をチェックしたいのだ。 ウズベキスタン周辺の地域で言ったら、ウズベキスタンはかなり経済的にも発展している国なので、出稼ぎ的に働く人がいるのかもしれないが、正直、日本の経済力と比較したら、ウズベキスタンの経済力は比べ物にならないほど弱い。 なので、日本人がわざわざウズベキスタンでお金を稼ぐ必要性もメリットも無いのだ。 しかしながら、ここの空港職員はヒマなのか?日本人に対しても厳しくチェックする。 税関でチェックされたあと、自分は「あそこの小部屋に行け」と言われて、小部屋に行くハメに。 ちなみに金額については事前に確認して結構正確に書いた。 ところがどっこい、小部屋ではあれこれと「えっ?そんなの調べる必要がある?」というぐらいしつこく色々なものが調べられ、しかも係員はかなりムカつく態度の奴らだった。おかげで、街の中ではそこそこ良い印象を持っていたウズベキスタンの印象もこの空港で一気に悪化。 最悪な印象になってしまった。 自分は出国できなかったら面倒なので、結構真面目に対応していたのだが、後から考えたら、空港職員の奴らはヒマだから必要もないのにあれこれと調べている模様。ついでに遊び半分で観光客をからかっているみたいだ。 小部屋に行かされるのも、別に書類に不備があるからではなく、ランダムに「行け」と指示されるだけで、実際に行っているかどうかもチェックしている人間もいない。 したがって、今考えたら「小部屋に行け」と言われても正直行く必要は全然無く、そのまますぐ近くにある出国審査に行ってしまっても全然問題無いと思われる。 素直に小部屋に行くだけ時間の無駄なのだ。 こんな無責任なことを書いて申し訳ないが、もしこれからウズベキスタンに行こうと思っている人は、出国時に指示されても税関後の小部屋に行く必要は無いですよ。 というわけで、なんだか納得出来ないイライラ感を抱えつつも、帰国便はまず韓国を目指す。

韓国トランスファーの時間はかなり短いうえに、ウズベキスタン・タシュケントの空港では、トランスファー後の韓国→日本便のエアチケットが発行されなかったので、トランスファーで発券手続きをしなければならなかった。 「まあ、乗り継ぎ便も同じ大韓航空なので、いざとなったらなんとかなるだろう」と思いつつも不安を抱えたまま韓国に到着。しかしながら、さすがアジアのハブ空港となっている仁川国際空港だけあって、乗り継ぎの手続きはかなりスムーズ。 ということで時間はギリギリと予想されていた乗り継ぎも、予想外に時間に余裕ができ、ターミナル内でご飯を食べる時間すらあった。 そんな時間を利用して、辛いラーメンとわさびの効いた海苔巻きを食す。 韓国らしいインスタント的ラーメンは「あ~、韓国」という気持ちになるし、わさびの効いた海苔巻きも、唐辛子とは違った辛さで美味かった。

久々にアジア感あふれる食事を楽しんだ後は、韓国から日本へ飛ぶ。

と、ここで自分のようなド庶民にはありえない事件が発生。と言っても嬉しい事件なのだが…。 大韓航空なんて、今まで2回ぐらいしか利用したことがないのに、韓国から成田までの便は何故かビジネスクラスにアップグレード。 何を隠そう、恥ずかしながら自分は今までビジネスクラスなんかに座ったことは一度も無く、常に前の席に膝が当たる、あの狭い狭いエコノミーシートしか座ったことがなかったのだ。 アップグレードされていることに気づいていない自分は、チケットに書かれた座席番号の所に来て戸惑ってしまい、思わず客室乗務員に「この席で合ってますか?」と聞いてしまったぐらいなのだ。 韓国から日本までの超短時間でも、今まで座ったことのないビジネスクラスでは自分にとって驚きの連続。 まず「どこまで足が伸ばせるんだ?」と思っちゃうほど足が伸ばせることにビックリ。 しかもボタン一つで自由な角度に座席を倒せること。 そんなことぐらいで驚く田舎者ぶりを思う存分発揮した。 ネット上にある旅行記では、結構たくさんの人がビジネスクラスやファーストクラスに乗っているのを良く見かける。 自分は「飛行機=不快な時間」という認識しか無かったのだが、彼らにとっては「飛行機=快適な時間」だったのね と改めて感じた。 将来当たり前のようにビジネスクラスに乗る人間になってやる!と心に誓った瞬間だった。(とはいえ、そんなお金があったら、さらに別の場所に行く事に使いそうだが…)

小さな飛行機は別としても、大きな飛行機では、たいていエコノミークラスは機体後方に設置されているので、今まで飛んでいる最中に飛行機のエンジンを前から見るなんてことは無かった。別に何のメリットは無いが、それでもいつもと違う風景に感動。 さてさて、そんなことはともかく、これで今回のウズベキスタン旅も終了。 初めて行った「スタン」の国は、なかなか興味深い国だった。旅の最後に不快な思いをした以外は、概ね人も優しく楽しく旅することができた。 長い歴史と独特の文化が存在することを肌で感じることができる土地であったが、それを上手く表現することに対して、まだまだポテンシャルがあるような気がしたのも否めない国だった。 想像していたほどバリエーションに富んだ観光地でもなかったのだが、日本にいては感じることのできない独特の空気と文化に触れることができ、しかも日本からビックリするほど遠い場所でも無く、意外と気軽に行くことのできる国だなぁ~と感じた。 ということで「次、どこに行こうかなぁ~?」と次の行き先を考えている人は、ウズベキスタンをその候補の一つに入れるのも悪く無いですYo! 本家ホームページ http://hornets.homeunix.org/ ここまでのウズベキスタン旅 Day1・2 タシュケントでは地下鉄もバスも25円で乗り放題だったぁ? http://4travel.jp/travelogue/11100441 Day3 ブハラは半日もあれば全部見れちゃうコンパクトな観光地だった! http://4travel.jp/travelogue/11105213 Day4 シルクロードの街サマルカンドを一日で回りきってみよう! http://4travel.jp/travelogue/11109338 Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは? http://4travel.jp/travelogue/11113306 Day8 「歩き方」にも載ってない「古本市」の情報を確かめに行ってみた! http://4travel.jp/travelogue/11124049

昨晩、サマルカンドから乗った寝台列車は、今日の目的地「ヒヴァ」に向う。正確にはヒヴァの北東方向に位置する「ウルゲンチ」という街に向かっている。 昨日の夜12時ぐらいにサマルカンドを出発した列車のウルゲンチ到着予定時刻は昼の1時ぐらい。朝起きてもまだ列車に揺られなければならない。

自分が乗ったのは2等のコンパートメントなのだが、寝台の詳細については「Day4(サマルカンド編)」にて書いた通り。 4人部屋のコンパートメントに自分含め二人だけだったので、結構ゆったりすることができた。 朝になると各コンパートメントに朝食みたいなものを売りに来る人(車掌だったのかもしれない)が来たのだが、言葉が通じないしあまり腹も減っていなかったので買う気はなかったら、同室の兄ちゃんがおごってくれた。 おごってもらったのはこんな感じの「揚げパン」。 中に微妙に「イモ」っぽいものが入っている。 んで、写真をみても分かる通り、薄い生地を揚げたものなので、日本人が朝から食べるには重いかな?といった感想。 べつに不味くは無く、予想できる味で美味い。

そんな朝食をおごってくれた同室の兄ちゃんはこの人。 見た目はイケメンでも何でもないが、かなり優しい人で、部屋の各設備の使い方とかシーツのやり方なんかを教えてくれた。とはいえ、彼は英語をあまり理解しておらず、現地語やロシア語の分からない自分とでは、意志の疎通はかなり困難。 しかし、Google翻訳とかジェスチャ、その場の雰囲気とかをフル活用して意志の疎通を図った結果、彼について分かった事実は以下の通り。 ・彼の最終目的地は電車が到着するウルゲンチではなく、さらに西に行った「ヌクス」という場所で、ウルゲンチからはタクシーで移動する予定。 ・「Ucell」という日本で言ったらドコモみたいな現地では一般的な携帯会社に勤めている。 ・13時から会議がある予定で、この寝台列車に乗っているのだが、電車の到着が遅れており、会議に遅れてしまうため微妙に焦っていた。朝方から何本か電話を入れていて「遅れるよ~」みたいなことを連絡していたんぢゃないか?と思う。 ・娘が1人か2人居るみたいで、彼女の写真を見せてくれた。かわいい。 ざっくりとこんな感じ。ちなみにウズベキスタンの人たちと話すと、よく自分の子供の話になって、よく写真とかを見せてくれる。本当にかわいいんだろうなぁ~というのが、言葉は通じなくてもすごく伝わってくる。 あと、こちらでの寝台列車での時間つぶしは専ら(もっぱら)「クロスワードパズル」のようで、自分が出会った人たちは結構クロスワードパズルをやっていた。

そんなこんなで、列車は1時間か2時間ぐらい遅れて「ウルゲンチ」に到着。駅に到着したら同室の兄ちゃんは早速電話していた。急がないとっ! そんな優しい兄ちゃんと別れて、バスを探す。ちなみにウルゲンチの駅も外観はかなり立派だが、駅舎らしいものは殆ど無く、ただただホームがあるだけって感じだった。

と駅を出ると相変わらずのタクシーの客引き(ウルゲンチが一番多かった気がする)壁を突破して、人の流れに乗っていると、当たり前のようにバス乗り場に到着する。 「歩き方」にも19番のバスと書いてあるが、バス乗り場には19番のバス以外は見かけなかったので、ここに来るバスは19番のバスだけなのかもしれない。 バスは2~3台待機していたので、乗り逃す心配は無用だと思われる。 ウルゲンチに限ったことではないが、ウズベキスタンのバスで、特に駅から出発するようなバスは、かなりギュウギュウの状態で出発する。なので、大きなスーツケースなんか持っていると結構キツイかもしれない。 まあその時はタクシー移動かな。 バックパックも通常通り後ろに背負っていると、多分スリの危険性は低いが、大きなバックパックが後ろにあると周りに対して結構迷惑なので、前側にセットしてから乗ったほうが良いかもしれない。

19番のバスはこんな道順で走り、バザール近くの大通りを走る。

バザールの南東方向にはこんな感じの立派な建物(スーパーかな?)があって、この建物を目印にすると、スマホの地図とか無くてもバザールにたどり着ける。

さて、バザールはタシュケント・ブハラ・サマルカンドで見てきたので若干飽きてきたのだが、今回はバザールを見ることが目的ではなく、この辺でヒヴァ行きのトロリーバスが乗れるという情報を信じてやってきたのだ。 そのついでにバザールも見学することに。

ウズベキスタンの人たちは、冬の間は必要以上に外出しないようにしているのか?街は閑散としているにも関わらず、バザールは例外で結構な賑わい。 食料なんかはもちろんのこと、生活雑貨なんかの扱いも豊富。

バザールの東側の領域に、バスが何台も待機するバスターミナル的な場所があった。 ここにいるバスが近距離バスなのか?それとも長距離バスなのか?は不明。

ここでも、日本ではあまり見かけない物もある。 写真左はメロンなのか?スイカなのか?ちょっと良くわからない農作物があった。 タシュケントやサマルカンドでもあった気がするが、ここウルゲンチのバザールは扱いがすごく多かった気がする。 ウズベキスタンで最もメジャーな肉はラム(もしくはヤギ)だと思われるが、鶏とかも多少ある。しかし鶏については基本的に冷凍物。中国人が見たら許せないんぢゃないか?と思われる。(中国人は新鮮な鶏肉を食べる習慣がある)

んで、ここにもあったハンパない量のパン。 「絶対こんなに売れないよね?」と思うのだが、売れなかったら作る必要もないので、これだけの量が売れちゃうんだろう。 不謹慎だが、もうパンでジェンガとかできそうな勢いだ。

さすがにサマルカンドナンのようなナンは、ほとんど見かけなかったが、ごくごくオーソドックスなスタイルのナンはここでも豊富。 あと、写真のような厚さが無く、平たく大きなナンとかも多く売られていた。

そして衝撃的だったのがコレ(写真上)。サモサを焼く釜がリヤカーみたいな物の上に「ドンッ!」と乗っていてい移動式になっている。 当然釜なので、中には火(炭)が入っているのだが、火災とか大丈夫なのか?と心配になる。 んで釜の写真を、少し離れた所から写真を撮っていたら、この釜の持ち主であるおっちゃんが「お~!にいちゃん、もっと近くで撮れよ~。中も見せてやっからよ~!」的な感じで呼び込むもんだから(多分買わせたかっただけだと思うけど…)、お言葉に甘えて釜の中の写真を撮らせてもらうことに…。 おっちゃんがフタ代わりの毛布をバッと開けた瞬間にものすごい湯気がモウモウとでて、頑張って写真を撮ったが下の写真のように、湯気で何を写したんだか分からない写真になってしまった。 かすかに釜の内部の壁に規則正しくサモサが貼り付いているのがわかる。

ウズベキスタンらしく、店頭でプロフ用の大釜を使ってプロフが作られていた。 もうすでに午後なので、多分作られてからだいぶ時間が経ってしまい、脂たっぷりで美味そうには見えなかったが…。

さてさて、ここに来たのはバザールを見に来ることが目的ではなく、ヒヴァ行きのトロリーバスに乗ることが目的。 ということで、そこら辺にいた兄ちゃんたちにトロリーバス乗り場の場所を聞いたことろ、事前に予想していた場所と全然違い若干戸惑う。 兄ちゃんたちは観光客感丸出しの自分をニヤニヤしながら冷やかしそうな感じで、一見すると感じは悪そうだったのだが、トロリーバスの場所を聞くと「ここをまっすぐ行って右だよ。上にトロリーバスの架線が見えるから」と意外にも丁寧に教えてくれた。 ということで、トロリーバスの乗り場はバザールの西側を通る道路沿いにある。人も結構いるので多分すぐに見つかると思う。 ちなみに「歩き方」に載っていたバス乗り場についての説明が全然よくわからない。サッカー場なんかあったかな?

というわけで、ヒヴァまで行くトロリーバスはこんな感じで緑が美しい車体。 トロリーバスの良いところは、実際に走っているところを見なくても、上に電車のように架線があるので「あっ、ここをトロリーバスが走るんだな」ということがすぐに分かる点。 最悪バス停が見つからなくても、その架線に沿って歩いていけば、どこかに必ずバス停がある。 ちなみに「歩き方」にはヒヴァまで2時間と書かれていたが、実際に乗ってみたらヒヴァに行くときもヒヴァから戻ってくる時にも、どちらもちょうど1時間ぐらいだった。 タクシーで行くよりは、全然時間がかかっちゃうが、耐えられない時間でも無いと思う。

このトロリーバスはウルゲンチからヒヴァまでの一本だけ。 途中でどこか別の場所に行くような分岐は無いので安心して乗ることができる。 地図を見ると、ウルゲンチからヒヴァまでは結構な距離があるので、この距離全部にトロリーバス用の架線をかけているなんて、結構気合が入っていたんだなぁ~と思う。

意外にもトロリーバスの車体はかなり綺麗だし、車内も壊されたり落書きされたような跡は見られない。 後から気づいた事なのだが、ウルゲンチからヒヴァまでと、反対のヒヴァからウルゲンチ間を地元の人は結構利用していて、大きな車体なのだが、結構ギュウギュウの状態で出発することになった。 とはいえ車内のマナーは結構良く、お年寄り等にはちゃんと席を譲る習慣があるようだった。ウルゲンチからヒヴァまでは、およそ30kmぐらいあるのだが、この距離を1000スム(2016年1月現在 約25円)にて移動できるので、超お得。

2日後にヒヴァからウルゲンチに戻る時にも同じくトロリーバスを使ってみた。その時に「トロリーバスはどこまで行くのか?」を調べるために乗り続けてみたところ、トロリーバスはウルゲンチのバザールを超えてしばらく行った所が終点のようで、そこで折り返し運転となった。 空港まで行ってくれればすごい便利なのだが、空港までは行かない模様。架線もなかった。

今回、サマルカンドからウルゲンチは夜行列車で入ったが、計画段階では飛行機で行くことも考えていた(ウズベキスタン国内線の料金はそれほど高くない) その際、空港からヒヴァまでどうやっていくか?をいろいろ調べていたのだが、ほとんどの人が空港からタクシーで移動しているようだった。この時の相場は数十ドル程度のよう。 実際に自分でやってないので、こんなことを書くのは無責任かもしれないが、空港から最も安く行ける方法と思われるのが、空港からまずタクシーでウルゲンチのバザールまで行く。空港からはミニバスとかでも行けるとは思うが、都合よくミニバスが来るか不明だし、何番のバスがバザールまで行くのかが良くわからないので、タクシーを使った方が楽かもしれない(まあ、バスに乗る時に運転手に「バザール?」って聞けばいいんだけど…)。 個人的な感覚では、空港からウルゲンチのバザールまで10000スム(2016年1月現在 約2US$ぐらい)ぐらいあれば行けるんぢゃないか?と思う(←予想です)。 んで、バザールでトロリーバスに乗り換えれば、あとは25円でヒヴァまで行ける。 そうすれば空港から何十ドルも払わなくでもいいんぢゃない?というのが自分の提案。もちろん時間はかかるが…。 上手く行かなかったらゴメンナサイ。

トロリーバスのヒヴァ側の終点は、イチャン・カラの北東端の所。 「歩き方」の地図に乗っている場所が終点となり、そこからまた折り返し運転(正確には折り返しではなく、ぐるっと違う経路を通って戻る)でウルゲンチへ戻る。

この写真はヒヴァ側のトロリーバス終点の写真。 ウルゲンチのバザールの所にあるバス停は、人も多いし、待合用の椅子とかもあるのだが、ヒヴァ側の終点のバス停には待合所とかが無く、小さなバス停の看板がある程度。 ただ、トロリーバスが複数台停まっている場合が多い(トロリーバス同士は追い越しが出来ない)ので、それですぐに分かると思う。

トロリーバスのバス停は城壁のすぐ隣にあるので、バスを降りると目の前に城壁が現れて圧倒される。

トロリーバスのバス停は城壁の北東端にあるのだが、今日は西門近くの宿を確保していたので、早速向う。イチャン・カラの北側を回って西門方向に向う。

途中、北門の前を通る。それほど立派な門ではないが、この辺りにタクシーの運ちゃんがたむろっていて「タクシー?タクシー?」と声をかけられる。

まだまだ夕方ぐらいなので時間は早く、今日はただただ移動しかしていないのだが、今日はイチャン・カラ内部を観光せず宿でのんびりすることにする。宿の近くにスーパーマーケットがあったので、夕食の食材的なもの(できれば惣菜的なもの)が入手できないか?と思って行ってみた。上手く手に入れば部屋でゆっくり食べれば安くあがる。 スーパーは薄暗かったが、それなりに人はいた。しかし次の日に訪れるイチャン・カラ東側にあるバザールが大きいからか?ほとんどの人はそちらを利用するようで、スーパー自体の品揃えはすごく良いわけではなく、お菓子やインスタント食品、パスタ、乳製品等、バザールではあまり売っておらず、長期間保存できる系の物が多かった。バザールとの住み分けがそれなりにできているってことか? というわけで、残念ながらその日の晩にすぐ食べるような惣菜的なものは全然ナシ。そういえば2日前にタシュケントからブハラへの夜行列車の中で同室となった兄ちゃんは、味の濃い大きなソーセージをおかずにしてナンをバリバリ食べていたのを思い出した。確かにこちらでは大きなソーセージ的な物がたくさん売られていた。 郷に入っては郷に従えというし、自分も今晩の夕食はソーセージをおかずにしてナンをバリバリ食う事に決定。幸い、サマルカンドで買ったナンが大量に余っていた。ついでにチーズも購入。ソーセージは太くて長いのだが、スーパーでは係員に「このぐらい」と適当な量をアピールすれば、その分をカットして量り売りで売ってくれる。 ソーセージは味が濃く、正直ナンが無いと食べられないと言っても過言ではない感じ。脂たっぷりでちとクドいのだが、それなりに美味しい。チーズは普通。若干柔らかめだが食べやすい味だった。 そんなこんなで、移動だけだったが、5日目は終了。明日はイチャン・カラ内部をのんびり観光する予定。

日付は変わってこの旅は6日目。今日は丸一日時間があるのでゆっくりっとイチャン・カラを観光する。とはいえ、朝から行動してしまう。 ということで、宿からすぐのところにある西門へ。ここでチケットを買う。イチャン・カラの城壁内部は基本的にチケットが無くても見学することは可能。北門・東門・南門はチケットブースが無いので完全にスルーだが、西門にはチケットブースがあるので、そのまま通過しようとすると「チケット持ってんの?」と愛想悪く聞かれる(時もある)。とはいえ、基本的に内部は無料。 しかしながらイチャン・カラ内部にあるメドレセや宮殿、モスクなんかは西門で買うチケットが無いと見れない。しかも観光客が集まる幾つかのメイン的な観光ポイントは、各場所の入り口で別料金を払わなければならないので、若干納得がいかない。 自分のつたない英語で理解したところによると、チケットは当日限定かと思いきや、3日間見れるらしい。だったら、昨日ここに着いた夕方からでも見れば良かったと思うよ(結局時間は全然余ったけど…)。 ここで買うチケットの料金は忘れてしまったが、結構高かった。先に言ってしまうと、ここで買えるチケットで見れる部分は、全然大した事無いものばかりで、単に金銭的な数字が高かったというよりも「割高だった」と言ったほうが正しい。

城壁外の西門の隣(南側)には、ヒヴァ出身の数学者「ムハンマド・アル・ホレズミ」の像があった。ウズベキスタンではこういった像が多いが、単に王様や政治家ばかりではなく、学者や文化人の像も多く、そういう系の尊敬すべき人を大切にする文化があるのか?と思う。 この像のさらに南側には「THE SILK ROAD PROJECT」と書かれた、シルクロードを解説した看板がある。 シルクロードはヨーロッパや中東付近と中国東方までを結んでいた交易路。中央アジアはこのウズベキスタンを通っていて、ここヒヴァやサマルカンドは重要な交易拠点でもあったことが地図で解説されていた。しかし地図のクオリティーが若干低く「もうちょっと金かければいいのに…」と思ってしまうような看板だった。

寄り道をしてしまったが、チケットを買った西門から早速イチャン・カラ内部に入る。 イチャン・カラとはこの地方の昔の都市形態を示し、城壁内部に都市を形成したスタイル。このスタイルはこのヒヴァが有名なのだ。内部は居住区はもちろんのこと、宮殿、モスク、メドレセ、ミナレット等が集まっている。観光はすごく楽だ。 西門からイチャン・カラ内に入ったすぐのところには、こんな感じで内部の地図があった。ちなみに、この地図はタイルで作られていた。このぐらい金をかけたら「お~!」という感じはする。

西門からまっすぐ進むとまず見えてくるのが「カルタ・ミナル」

わざわざ探さなくても、こんな感じで「目に飛び込んでくる」といった感じだ。遠くから見てもその大きさに圧倒される。

カルタ・ミナルの「カルタ」とは「短い」と言う意味らしく「短い塔」ということになる。とはいえ実際は全然短くなく、結構な高さで26mもあるらしい。 本来は109m程度まで高くするつもりだったらしいが、いろいろな事情で結局中断。現在の高さに至るそうだ。 カルタ・ミナルは青が美しいが派手すぎず落ち着いた感じがする塔だった。噂によれば登ることもできるらしいのだが、自分はその事実を帰国後に知ったため、完全にスルー。

カルタ・ミナルは遠くから見ると青がとても美しいのだが、本当に近くに寄るとクオリティーは若干微妙。正直「作りこまれた」感はあまり無い。こうゆうものって、当時の「公共工事」みたいなものだろうから、そうなるとこんなもんなのかな?とも思う。

カルタ・ミナルの隣には「マトニャズ・ディヴァンベキ・メドレセ」がって、入り口の部分には世界遺産のマークもあったのだが、その上にはおもっきし「RESTAURANT」の文字が。若干「???」な感じだったのだが、早い時間すぎて中に入ることもできなかったので、どんな感じなのか?については若干不明。

カルタ・ミナルの北側には「キョフナ・アルク」があるので行ってみた。

キョフナ・アルクは当時の王様(権力者)の居城だった所。城壁に囲まれたイチャン・カラだが、キョフナ・アルクはその中にあってもさらに城壁で囲まれている。 入り口の門は、このスタイルが当時の門としての標準スタイルだったのか?西門・北門・南門と同じような造りで立派だった。

キョフナ・アルクは単に当時の権力者の家というわけではなく、内部には王様としての執事をする場所や、兵器庫・造幣所等もいろいろあったらしい。 そんな中、観光の目玉としてはこの写真の「クリヌッシュ・ハーンのアイヴァン(テラス)」。カルタ・ミナルとは格の違う美しい模様の青いタイルで覆われている。

この建物自体は17世紀に建てられたのだが、一度壊されてしまったために現在見られるものは19世紀に建て直された物。

建物の内部はこんな感じで当時のものを展示した博物館になっているのだが、細かい説明とかが無く、しかも英語表示しているものもほとんど無かったので常に「???」な感じだった。

キョフナ・アルク内には「アク・シェイフ・ババの高台」という見張り塔みたいなものがあって、そこからイチャン・カラ内が一望できるということで行ってみたが、ここに登るのには特別料金が取られる。しかも入り口のおばちゃんは「城壁をグルっと歩ける」的な事を言っていたような気がするが(英語が微妙だった)、実際は全然歩けず納得できない。 ネットでは賞賛している人も結構いたが、個人的には「別に登らなくてもよかったかな」というのが正直な感想。

クリヌッシュ・ハーンのアイヴァンと似たような感じだが、キョフナ・アルク内には「夏用モスク」というものもある。 夏用モスクもクリヌッシュ・ハーンのアイヴァンと同じく綺麗な模様の青いタイルで覆われていて美しい。こちらはモスクなので、多くの人がお祈りできるように広いスペースが備わっていた。

モスクなので、メッカの方向を示すくぼみもちゃんとある。この辺の装飾はかなり手が込んでいる感じがする。

壁の模様はこんな感じ。かなり精巧に作られている感じがする。 さすがに王の居城だけあって、少しの妥協も許されなかったんだろうなぁ~と思う。 (建て直されているので、当時はどうだったのかは分からないが…)

さて、キョフナ・アルクを見終わったら、これと対面するように建つ「ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセ」に行ってみた。

ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセは、その名の通りメドレセ(神学校)だったようなのだが、現在内部は歴史博物館で詩集や武器、当時の国旗などが展示されていた。

ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセからはイチャン・カラ内をふらふらと歩き、南側にある「バフラヴァン・マフムド廟」に向う。

バフラヴァン・マフムド廟はメドレセのような立派な門構えの奥の方にドームがチラ見する廟(お墓)。 混みいったイチャン・カラ内のさらに混みいった感じの地域に鎮座する。

バフラヴァン・マフムドは、毛皮職人・詩人・哲学者、そしてウズベキスタン武道の名手でもあったため、バフラヴァン(強者)と呼ばれていたそうだ。 敷地内への入り口の門は立派だったのに、敷地内に入ったら、正面にさらに立派な建物が見える。 他の施設にはそれほど観光客や地元の人がいなかったのだが、ココにはかなりの人がいた。 しかも地元の人っぽい人が多かった。 靴を脱いで中に入ると薄暗い空間が広がっていて、まず正面に見えるのがムハンマド・ラヒム・ハンの霊廟。 内部は全体が綺麗な模様の青いタイルで覆われていた。

中に入って左側には小部屋があって、そこに入ると正面にバフラヴァン・マフムド廟がある。 正面には格子状のドアがあってその奥に墓石らしきものがあるのだが、人々はその格子状のドアの手前でお祈りする。 結構真剣にお祈りしている人が多く、格子状のドアにはお金等が差し込まれていたりした。 かなり小さめの部屋に真剣にお祈りをする地元の人々。そんな中にド観光客丸出しの自分は「こんなとこに居ていいのか?」という感じで、かなり居心地が悪かった。

さてバフラヴァン・マフムド廟の敷地内には「飲むと男は強くなり、女は美しくなる」という泉がある。これだけ聞けば飲んでみたいところだが、「歩き方」によれば「衛生上飲用は勧めない」と書いてあり「こんなこと書かれたら絶対飲めないよね」ということで飲まず。 冷静に考えれば、水ぐらいで強くなんかなれないと思う。

バフラヴァン・マフムド廟から東側に進むと、一際高いミナレットが見えてくる。 このミナレットの横にあるのが、イスラーム・ホジャ・メドレセだ。

イスラーム・ホジャ・メドレセは、こんな感じで、これまた立派なメドレセ。 ヒヴァのイチャン・カラでも結構重要な観光ポイントだからか?このメドレセの前には何件かのお土産屋が並んでいた。

と、メドレセよりも目を引くのが、このミナレット。ヒヴァにあるミナレットの中で最も高いミナレットなのだ。

ミナレット単体の写真では、その高さが分かりにくいと思うが、こんな感じでメドレセと並べて撮ると、その高さがなんとなく分かると思う。 下の方に微妙に写っている人と見比べれば、その大きさは一目瞭然だ。

ということで、まずはメドレセの中を見学する。 ここでビックリしたのは、このメドレセの中は、かなりまともな博物館になっていたこと。 「どうせお土産屋だろ?」と思いながら入ったもんだから、かなり驚きだった。

メドレセの各部屋は写真右のように長い廊下でつながっていて、各部屋に展示物が展示されている。 残念ながら、各展示物の説明があまり無く、何かしらのコンセプトに従って順番に展示しているような感じでもなかったので「これ、なんだろう?」的に全然わからなかった。

このメドレセは他のメドレセと同様に中庭を備えている。 このメドレセは珍しく1階建ての造りになっていた。

メドレセの横にあるミナレットは別料金を支払えば登れるということだったので、登ってみた。 で、このミナレットを登る際の注意点だが、まず中が超暗いので懐中電灯必須ということ。 自分もこれについては事前情報で知っていたのだが「とはいえ、全然大丈夫ぢゃないの?」と思っていたが、最終的にはiPhoneの懐中電灯機能をフルに使って登っていた。 そして、内部は超狭い。幅方向に狭いことはもちろんだが、上下方向にも狭いので、頭をぶつけそうになるのはもちろんのこと、自分はこの時小さなリュックサック(トレイルランで使うような超ちんけなやつ)を背負っていたのだが、それですら上に当たるぐらいだった。通常のバックパックなんか背負っていたら絶対に登れないと思われる。 あまりにも狭いので、上りの人と下りの人は絶対にすれ違えないと思われる。 で、ミナレットの外観から分かる通り、上まで続くこの狭い空間は超長い。 自分が運動不足ということもあるが、かなり息があがるので、上に着いた時には、息を整えるのが大変で、景色を楽しむどころではない。 そして、これが一番の難関だが、下りが超恐いこと。 冬のジメッとした季節ということもあったのかもしれないが、階段が結構滑り、しかも暗いため、油断すると踏み外す。しかも階段がかなり急なので、踏み外すと命の危険すら感じる。 自分は途中で踏み外し、派手にすっコケて転落している最中「これ、マジで一番したまで転落して大怪我するんぢゃね?」と思いながら落ちた。幸い数段落ちただけで助かったが…。 というわけで、基本超危険なので、足腰に自身のない方にはあまりオススメできない。 しかも、次の写真を見れば一目瞭然だが、苦労して登ったところで確かに景色は良いのだが、目の前に広がる景色は、ただただ土色の景色が広がるだけだ。

というわけで、苦労したミナレットの頂上から見える景色はご覧のとおり。 あれだけの高さから見るだけあって、確かにその景色は素晴らしい。 しかしながら、見える景色の基本は「茶色ばかり」というのは正直な感想。

しかも、苦労しても頂上の展望台はこんな感じで閉塞感があって、窓には当然のごとく格子がしてあり開放感は全然無い。 景色の写真を撮るにも、この格子の外にカメラを出して撮らないといけないってことは、正直に書いておくことにする。

続いて向うのは「ジュマ・モスク」。 ミナレットから少し北に行ったところにある。

ジュマ・モスクに向う途中には、先ほど見たバフラヴァン・マフムド廟の裏手を通ることになるのだが、バフラヴァン・マフムド廟の周りには幾つかのお墓があった。 サマルカンドのシャーヒズィンダ廟群の周りにもたくさんのお墓があった(Day4・サマルカンド編参照)が、有名人の周りにお墓を建てるのが習慣なのかもしれない。

そんなこんなで、ジュマ・モスクに到着。ジュマ・モスクにもミナレットがあるが、先ほどのミナレット程の高さは無い。このミナレットにも登ることができるそうだが、別料金がかかるので、自分は登らず。

ジュマ・モスクはミナレットよりもモスク内部の方が印象的だ。 こんな感じで薄暗い空間に無数の柱が並んでいる。太陽の光は中央にしか当たらないので、神秘的な空気をかもしだしている。 これだけの柱が並んでいると、お祈りの時邪魔ぢゃないの?と心配になる。

この柱には一本一本に彫刻が施されているとガイド本には紹介されていて、実際、写真左のように、細かい彫刻が施された柱が多い。 しかしながら、写真右のように、いくつか「面倒なので、仕事サボりました」的な柱もあることは事実。

さて、続いては、ジュマ・モスクの北東に位置する「タシュ・ハウリ宮殿」に行くことに。

タシュ・ハウリ宮殿は1830年頃アラクリ・ハーンによって建てられた宮殿で、最初の方に見た「キョフナ・アルク」に匹敵する宮殿として建てられたもの。 公務を行う謁見の間やお客をもてなしたり、宴会を行う場所や、ハーレム等で構成されている。 中庭の中央には井戸もあったりする。

タシュ・ハウリ宮殿はキョフナ・アルク程広くはないのだが、その豪華さはキョフナ・アルクより上だと言われている。 というのが、ガイド本に書かれているような内容なのだが、実際、確かに天井等に装飾は素晴らしいが、写真下のようにところどころタイルが剥がれてしまっている所があるのは若干残念。 まあ、こんな近くで写真が撮れてしまうぐらい近づけるので(実際には触れる)、剥がれてしまうんだと思われるが…。

さて、ここでイチャン・カラの外にあるバザールも覗いてみようと思う。 ヒヴァのバザールはイチャン・カラの東側にある。

で、この後イチャン・カラの外側をちょっと散歩するのだが、やはり街中(まちなか)には人が少ない。 しかしながらバザールには「ヒヴァの住人が全員いるんぢゃね?」ってぐらいの人が居た。

何の前触れもなく、いきなりグロテスクな写真を載せて申し訳ないが、決して自分に変な趣味があるわけではない。 海外に行くとこうやって我々が普段口にしている肉には「命への感謝」があることを思い出させてくれる。 日本にいれば「うほほ~い! 肉だ!肉だ!」と言いながら、そういったことを都合よく忘れてしまっているが、実際にはこの写真のような犠牲に上に成り立っていることを忘れてはいけない。 そういった意味でも、こういった風景を見られることは海外旅行の醍醐味だと思うし、 今回あえておもいっきり載せてみることにした。

内陸に位置するウズベキスタンでは、市場でなかなか「海鮮」というのは見られない。 あって、こんな感じで多分淡水魚と思われる魚がひっそりとあるぐらい。 とはいえ、一応地面にビニールは敷いているものの、全然食べたくならない感じで魚が売られているのは、魚がメジャーじゃない国の文化なのだろうか?

ヒヴァのバザールで特に気になったのが、こんな感じで大量の綿花油が売られていたこと。 かつてのソビエト連邦政治体制下では、生産は基本的に計画生産なので「どこで何を作るか?」ということまで決められていた。 例えば、ウクライナでは武器や小麦を主に生産していた。 ソ連崩壊後にはそれぞれの商品を生産していた国が別々になってしまって、結果的にいろいろな問題が出てきてしまっているという一面もあるが…。 そんな生産の役割として、ウズベキスタンでは綿花の生産が盛んであって、現在でも主要産業の一つ。そんな流れもあって綿花油が豊富なようだ。 綿花油は価格が安いらしく、ウズベキスタンの料理として有名な「プロフ」も大量の油が使われているが、その油はこの綿花油が使われている場合が多いそうだ。 しかしながら、日本人の体内にはこの綿花油を消化する酵素が少ないらしく、日本人が大量に摂取すると、お腹を壊すことがあるそうなので、注意が必要。 しかもこの寒さでほとんどの油は明らかに固形化していた。

と、そんなプロフを作る専用鍋か?と思われるものも売られていた。

そして、ここでも見かける「移動式サモサ焼き釜」。さすがにコレを見るのは2度めなので、今回はそれほど驚かなかったが・・・。

何人か地元の人がこのおばちゃんのところでサモサを買い求めていたので、自分も買ってみることに。 ビックリするほどではないが、そこそこ美味い。 どうやらサモサはどこで食べても中身の構成は ほぼ変わらず、味のバリエーションもあまり無い模様。 外の皮が微妙にパイっぽくなっているのが不思議なところ。

さて、バザールを一通り見たら東門の前を通って南門を見に行くことに…。

ということで、まずはバザールのすぐ近くにある東門へ。 東門はそれなりに立派な門で、東門の周辺には特にお土産屋が多く出店していた。 この東門周辺では、かつて奴隷が売買されていたとこのこと。奴隷となった人は近隣の住人や南下してきたロシア人で、奴隷を買っていたのはトルコ部族や草原のカザフ族らしい。

東門から城壁に沿って南下していけば、自然と南門にたどり着ける。 南門もかなり立派な門。 門の両側には立派な塔が鎮座する。

と、南門からさらに南側を見ると、この南門と同じような門が見えたので「なんだ?ありゃ?」と思って行ってみることに。 歩いてほんの数分の距離。

ヒヴァのイチャン・カラは、かつては2重の城壁で囲まれていた。 現在では外側の城壁はほとんどなくなっているが、ここ南門のさらに南側に少しだけ残っている。 そんな外側の城壁付近に南門とそっくりな門があった。 おそらくここが外側の門だと思われる。

そんなこんなで、外側の南門から北上し、内側の南門からイチャン・カラ内部へ再び入る。 イチャン・カラ内をさらに北上していくと、先ほど登ったイスラーム・ホジャ・メドレセ付近に出た。

イスラーム・ホジャ・メドレセ前に出ると、周りがなんだか騒がしい。 なんだ?なんだ?と思って見たら、どうやら結婚式らしく、ウェディングドレスを着た新婦と新郎がこちらの方に歩いてきて、その後ろをぞろぞろとたくさんの親族、もしくは友人といった感じの人達が歩いてきた。 イチャン・カラ内のどこで結婚式をやったのかはよく分からないのだが、イチャン・カラ内を練り歩いて、各ポイントで記念写真を撮るんだと思われる。 そんなこんなで、イスラーム・ホジャ・メドレセ前でも少し立ち止まって記念写真を撮っていた。 新婦の方は晴れ姿の今の自分に自信満々といったオーラが出ていた。一方、新郎の方は全然オーラナシ。 どこの国でも同じなんだなぁ~と思う。

そんな新郎新婦にビッタリ付いて写真を撮る専属のカメラマンは結構大変そう・・・。

そんな予想外の光景を見たら、続いてイチャン・カラ内をさらに北上していくことにする。とりあえず一番北にある北門を目指す。

ここまで紹介してきたメドレセなんかは、ガイド本に載っているような超有名ポイントばかり(もちろんそうゆうところしか自分は書けないのだが…)。 しかしイチャン・カラ内はこれだけにとどまらず、ガイド本に詳細が載っていないようなメドレセなんかはそこらじゅうにある。 はっきり言おう。正直飽きる。 例えば、外国人が日本に観光旅行に来たとする。そして、有名だからといって、期間中ず~っと瓦屋根の日本家屋を見るようなものだ。もしくはお寺や神社を見続けるようなもので、詳細な部分で違いはあるかもしれないが、全体的な構成はどこも同じなのだ。 詳細な違いは日本人でも分かりにくいのに、外国人だったらもっとわからないだろう。 その逆がここで起こっているようなものだ。 というわけで、ウズベキスタンに来たら、あまり頑張ってメドレセ回りとかしなくても良いと思う。適度に感動しているぐらいで抑えておいた方が良い。と思うのは自分だけか?

というわけで、イチャン・カラ内を南門から北門まで歩いてみた。 ここで、北門からイチャン・カラの外に出て、ヒヴァの街を徒歩で歩ける範囲で散歩してみようかと思う。

と、北門から無駄に遠回りをして、とりあえずヌルッラバイ宮殿まで歩いてみた。

と、街ではこの寒い時期に営業しているんだかしてないんだかよくわからないような店がそこそこあって、その中でもウェディングドレスを売る店が何軒かあった。この寒い時期は結婚式シーズンなのか? ウェディングドレスのディスプレイ方法は至って単純。 外にじか置きだ。 この時期、ウズベキスタンは正直あまり天気がよろしくない。 そんな関係で地面(土)は結構ドロドロしていて、車なんかは超汚いのだ。 日本で言ったら雪解け時期の雪国地方といった感じ。 そんな感じなところに白いウェディングドレスをドン!と置いてしまっているので、微妙にウェディングドレスが汚くなっている。 多分何日も置いているんだろう。 こんなでいいのか?と心配になってしまう感じだった。

ヌルッラバイ宮殿へ行く途中に、こんな銅像を発見。 土台の部分に何も書いてなかった(気がする)ので、誰だか分からないのだが、ウルグベクさんかなぁ~?と勝手に想像する。ウズベキスタン銅像多し。

ヌルッラバイ宮殿は「宮殿」というよりも「立派な建物」と言ったほうが正しい感じ。 外観に派手さは無いので、すごく目立つような建物ではないのだが、よくよく見ると立派。

んで、中に入ると驚いた。 綺麗な絨毯が敷かれていて、壁も天井もまるでヨーロッパを思い浮かばせるような感じの美しい模様で飾られている。 ウズベキスタンでたくさん見てきた模様と全然違う。 観光客が一人も居なかったこともあって、静かなで荘厳な空気が流れていたのも、ここの印象を良くした一因かもしれない。

そして、大きなシャンデリアがあるのも、今までのウズベキスタン旅では全然見なかった物の一つ。これまた豪華。 ヨーロッパの宮殿のようだ。 今まで同じようなものばかり見てきて、少し飽きてきた自分にとっては、かなり新鮮に感じた観光ポイントでもあった。正直オススメ。

と、お腹も空いてきたので、ヌルッラバイ宮殿付近には数軒のチャイハナ(喫茶店のようなもの)があるそうなので、行ってみることに。

冬のウズベキスタンの難しいところは、店が開いているのかどうか?が非常に分かりにくいところ。確かに「歩き方」に書いてある場所に数軒のレストランぽい店があったのだが、どれも「これ、廃墟ぢゃね?」と思われるような感じで、ほぼほぼやっているような感じは無かった。 ところが一軒の店の前で、ねぇちゃんがシャシリクを焼いていたので「やってる?」とジェスチャーすると、どうやらやっているような感じだったので、中に入ってみた。 中に入ると、当たり前のように客が一人もおらず。不安になるわ。

んで、これまた当たり前のように出てくるパン。 ナンではなくてパンだった。 そう、市場で「これ、ジェンガとして遊べるんぢゃね?」と不謹慎にも思ってしまうほど大量に積まれていたのと同じパン。 で、一口食べてみると(食べなくても見た目ですぐに分かるのだが…)、これがビックリするほどパサパサのパンで、口の中の水分をみんな持ってかれる感じだった。 このパンをスープに浸して食べたら、すんごい汁を吸うんだろうなぁ~という感じ。 日本の食パンと全然違う。

続いて出てきたのはスープ。そしてモツ(?)の煮込み。 この日は結構な寒さだったし、この店の中はあまり日が入らない感じだったので、このスープの温かさが体に染みて美味かった。 基本ウズベキスタンのスープにハズレは無いと考えて良いと思う。 ただし、店によってに違いは ほとんど無く、どこで食べても同じという感想でもある。 そして、モツ(?)の煮込みは「いやぁ~、海外でモツはお腹的に危険かなぁ~?」とビビりながらもとりあえず食してみた。 結果的にこの後お腹を壊さずに済んだのでラッキー。 味の方はクセがあるか?と思いきや、全然クセもなく普通に美味い。 中央に乗っていた生のタマネギ(自分はあまり生のタマネギが好きではない)が、ちょっと「ぐにょ」っとしたモツの食感に対して「シャキシャキ」感を与えてくれて嬉しいところ。 スープも煮込みも、先ほどのパサパサのパンを浸して食べるといい感じだった。上手く考えれられているのかな?

スープには、こんな感じで麺みたいなものも入っている上に、野菜も結構入っているので、食べごたえは十分。

んで、この店での注文はかなり苦戦した。 というのも、英語は全く通じ無かったから。 結局のところ、店の前にこんな感じのメニューの写真が並んでいたので、これで注文。 これが無かったら、かなり厳しかったかもしれない。 この店のねぇちゃんはやたら鶏肉のグリルみたいな物を勧めてきたのだが「それって、値段が高いからでしょ」と思って結局頼まなかった。

食事が終わると、またあてもなくイチャン・カラの外をブラブラしてみた。

またまたこんな感じのモニュメントが置かれた公園を発見。 結構狭い範囲に何個もモニュメントがあって「そんなに必要か?」と思ってしまう。 ちなみにどのモニュメントにも「これは○○という人で、○○の理由で建てられています」的な説明は全然無いので、ド観光客には全然分からない。

イチャン・カラの北西側端の方へ向かってブラブラ歩いてみる。

ヒヴァはそこら辺に畑的な土地がたくさんあったのだが、この寒い時期では、さすがに農作物的な物は作っておらず、その代わり土壌改良をしているのか?そこら中で堆肥を撒く作業をしていた(おかげで街中はところどころ堆肥臭かったのだが…) で、その堆肥を撒く作業は公共工事なのかわからないが、同じ色のベストを着たおばちゃん達が行っていた。 この写真はその風景。 ちなみに、ウズベキスタンのおばちゃんは陽気で、こんな感じで遠くからおばちゃん達の様子の写真を撮っていても、手を振ってくれる。 「どこから来た?」的なことを聞かれるので「ヤポン!(日本だよ)」と答えると、「おーヤポン! おしん!」と、世界中で超有名な「おしん」を口にするおばちゃんが結構居た。すごいよNHK。

イチャン・カラの北西側端には、これまた銅像が。 ブハラでも同じような格好をした銅像があったので、戦争関係のモニュメントなんぢゃないか?と勝手に想像。

ヒヴァの主要な観光ポイントは、ほぼ見てしまったなぁ~と次に行く場所を探してガイド本を見ていたら、イチャン・カラの外に「アブダール・ボボ廟」という場所があるみたいなので、行ってみることに。 今いるイチャン・カラ北西端から、西門へ向かい、イチャン・カラ内を西から東へ突っ切って行く。

相変わらず「歩き方」には情報が載っているだけで、地図は載っていない。というわけで、イチャン・カラから遠いのかと勝手に思っていたら、イチャン・カラのすぐ近くで、バザールの敷地を超えたすぐのところだった。 「歩き方」に書かれていた期待を持たせるような文言(もんごん)とはかなり違ったので、最初は「えっ?これかな?」と思うほどだった。しかし、そこら辺のオッサンに「アブダール・ボボ廟」ってどこ?って聞いたら「ココだ」と。どうやら間違いないらしい。 敷地内には所狭しと墓石みたいなものがたくさんあって、「どれがアブダール・ボボのもの?」とよく分からない感じだった。

アブダール・ボボ廟からは、あてもなくふらふらと北東方向に歩いてみた。 すると大通りを超えた所にローカルなバザールを発見。

当然「歩き方」にも載っていないようなバザールなのだが、こちらは衣料品とかが多く揃ったバザールで、逆に食料品とかはほとんどなかった。 そんなこんなで、ヒヴァの見たい所はほぼ見終わってしまったので、この旅の6日目は終了。

日付は変わって、この旅の7日目に突入。今日はほぼヒヴァからタシュケントへの移動のみで終わる予定。 まずは、適当な時間にイチャン・カラ北東端にある「歩き方」にも載っている、トロリーバスのバス停に向う。 トロリーバスのバス停には常に1台か2台のトロリーバスが居るのでわかりやすい。 ちなみにバスの正面上には「ウルゲンチ」「ヒヴァ」「ウルゲンチ」と現地キリル文字で書かれているので安心。 写真の文字を参考にしていただきたい。

バスは時刻表通りに運行するタイプのようで(時刻表はどこにも掲示されてないんだけど)、ミニバスのようにギュウギュウになったら発車するわけではない模様。 自分が乗った時は発車までまだ時間があるようで、バスの中で座って待っていたら、バスの横でトロリーバスの架線と触れるパンタグラフ(?)の接触部分の消耗部品をドライバーのおっちゃんが交換していた。 メンテナンスはちゃんとしている模様。ちょっと苦戦してたけどね。

ということでヒヴァはから空港があるウルゲンチまでトロリーバスでのんびり移動。 ヒヴァからウルゲンチまでもちょうど1時間ぐらいで到着した。

ウルゲンチまでの道は、ほぼ一本道。 街はそこそこ栄えているが、街と街の間はこんな感じの田舎道的な、のどかな風景が広がる。 途中にちょいちょい住宅街があるぐらい。

さて、最初の方でも少し書いたが、現在目指しているのは空港。 トロリーバスが空港まで行ってくれればいいな と思いながら、とりあえずトロリーバスがどこまで行くのか?を確かめるために終点まで乗り続けてみたところ、ウルゲンチのバザールを超えてしばらく行ったところまでしか行かなかった。残念。 というわけで、トロリーバスの終点からは、てくてく歩いてい空港に向う。

空港までの道は、こんな感じでかなりの大通り。 しかしながら走っている車の数はあまり多くなかった。 道の両側には結構お店とかが並んでいるのだが、こちらもやはり冬だからか?全然空いておらず。 結局バザール付近以外は、結構寂しい雰囲気だったウルゲンチ。

大通りを空港に向かって歩いていたら、半分ぐらい歩いたところで、運よくバスが通りかかり、急いで乗る。 一応乗る時に「エアポート?」と聞いたら「お~、乗りな乗りな」的な感じだったので乗った。 回りの人達はみんなやさしく、席をわざわざ空けて座らせてくれた。 そんなこんなで、微妙に楽をしつつ空港に無事到着。 建物が2つあったので、「どちらかが国際線で、どちらかが国内線だろう」と思っていたら、結局のところ1ヶ所しか入る場所がなかったので、国際線も国内線も同じ建物から出る模様。 相変わらず空港の敷地内に入るにも警察官がセキュリティチェックをする。 しかし、ここのチェックはパスポートチェックだけで、荷物チェックが無いので楽。 当然建物内に入る時には荷物のX線チェックがあるけどね。 X線チェックなので、タシュケントの地下鉄に乗る時みたいに、バックパックの中身を全部出すような必要はナシ。

と、空港で予想の斜め上を行くトラブルがあったら面倒なので、国内線にも関わらず国際線ばりの余裕を持って空港に来てみたところ、全然人がおらず。

とまあ、空港の待ち時間でたっぷり本を読んだりして過ごしたら、とりあえず出発時間になる。 なんとなく手続きとかに時間がかかったりするかなぁ~?と、悪い予想ばかりしていたが、結局のところ何のトラブルも無くあっさり搭乗。 空港には搭乗橋とかあるわけでもなく、建物から飛行機まではわらわらと歩いて行く。 こうゆう感じは個人的にすごく好き。 普通、飛行機が空港に停まる時には建物に向かって停まっていたりするが、この飛行機はすごく中途半端な場所にすごく中途半端な向きで停まっていたので「なんでだろう?」と思ったのだけども、この空港から飛ぶ飛行機が少ないので、着陸したらターミナル近くの適当な場所で停まって乗客を下ろし、同じ場所でまた次の乗客を乗せ、飛行機を牽引することなく、そのまま飛行機の自走で滑走路へ行けるようにしているんだと思われる。 「あ~、地方の空港だったら、その方式、日本でもアリだね」と、ちょっと感心。

ということで、飛行機は時間通りにしっかり出発。 1時間ちょいでタシュケントに無事到着。 今回乗ったのはウズベキスタン航空で、ネット上にはいろいろな意見はあったのだが、全然問題ない感じだったよ。

タシュケントの空港は国内線と国際線はターミナルが分かれている。 国内線と国際線のターミナルをつなぐ通路とかシャトルとかは無く、おもいっきし滑走路を挟んでしまっているので、ターミナル同士の行き来はかなり困難。路線バスかタクシーを使うしか無い。 国内線のターミナルから宿までは、バスで移動するつもりで、国内線のターミナルを出てちょっと歩くとバス停らしきものが見えてくるので、バスを待つ。 バス停に書いてある案内によれば、このバス停にも「歩き方」に書いてある11番のバスが停まるようなので、バス停で待っていると、なかなか11番のバスが来ない。 んで、77番のバスが通りかかり、バスが自分の前で停まったのだが、自分は11番のバスに乗りたかったので、首を横に振ったのだが、運転手と車掌が「乗れ」と。「いや、オレは11番のバスに乗りたいんだよ」と言うと「ハムザ駅まで行って、そこから地下鉄だ」と言うので、とりあえず乗ってみることに。 んで、乗る時車掌に「ぢゃあ、ハムザ駅に着いたら教えてね」と頼みつつも、iPhoneのオフラインマップアプリ(maps.me)で現在位置を確認しながら乗車。 この辺かなぁ?と思っていたら、車掌がちゃんと「ハムザだよ」と教えてくれた。 その後は地下鉄の面倒なセキュリティーチェックを受けつつ、宿へ向う (地下鉄の超面倒なセキュリティーの件については、Day1・2を参照)

何も考えずそのまま宿に来てしまったが、そういえば夕飯を食べてなかった。 今日は移動だけで大して疲れてはいないのだが、もう気持ちは完全に帰国モードになっていて(明日の夜帰国予定)、そう遠くまで食べに行く気力も無いので、宿のおばちゃんに「この辺でオススメのレストラン無い?」と聞くと、「大通りを渡った向こう側に何件かあるわよ」と教えてもらった。 一応、念のため「何という名前の店か教えて」と言うと「えっ?店の名前なんか気にして見たこと無いわ。とりあえず大通りに出ればわかるわよ」と言われ、とりあえず行ってみると、確かに何件かのお店が並んでいた。 店に入ると 俺:「メニューある?」 店員のねぇちゃん:「メニュー? 無いわよ」 俺:「・・・(汗)」 またかよぉ~! といった感じで相変わらずメニュー無し。ウズベキスタンで地元の人しか行かないようなローカルのレストランに行くと、基本的にメニューが無いので注意が必要。 「歩き方」の食事メニューの写真が載っているページなんかは絶対に持って行った方が良いと思う。でないと注文時にさらに苦労する。

というわけで、メニュー表が無いなか、苦戦しながら注文したのがこちら。 といっても、ウズベキスタンでの食事メニューと行ったら、ラグマン・プロフ・シャシリク・スープがメジャーな所。とりあえずこれのどれかを言えば大抵ある。 あと、左上の「ノリン」という食べ物は、ベトナムフォーみたいな米(?)で出来たような麺にひき肉とスライス肉が混ざっていて、味はすごくしょっぱい。ノリンには自動的にコンソメ的なスープが付属されるので、このスープに浸しながら食べるとちょうど良い濃さとなる。 個人的にはあまりオススメのメニューでは無い。 とはいえ、物は試しなので、一度食べてみたらどうでしょう? さて、長かった今回のウズベキスタン旅も明日で終了。そして帰国。 明日は帰国便までの時間、タシュケント市街をブラブラとあてもなく歩いてみますよ。 本家ホームページ http://hornets.homeunix.org/ ここまでとこの先のウズベキスタン旅 Day1・2 タシュケントでは地下鉄もバスも25円で乗り放題だったぁ? http://4travel.jp/travelogue/11100441 Day3 ブハラは半日もあれば全部見れちゃうコンパクトな観光地だった! http://4travel.jp/travelogue/11105213 Day4 シルクロードの街サマルカンドを一日で回りきってみよう! http://4travel.jp/travelogue/11109338 Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは? http://4travel.jp/travelogue/11113306 Day8 「歩き方」にも載ってない「古本市」の情報を確かめに行ってみた! http://4travel.jp/travelogue/11124049

旅は4日目に突入。 今いる「ブハラ」から、今日は電車にて「サマルカンド」に移動。ブハラの駅は正確には近くの「カガン」という街にあるので、まずは早朝にブハラからカガンに移動する。 本当はミニバスで駅まで移動しようと思っていたのだが、早朝すぎてミニバスが動いておらず。仕方なしにタクシーで移動。まあ、それでも3US$ぐらいので安いのだが…(ちなみにミニバスだったら25円ぐらい)

そんなこんなで早朝のカガン駅に到着。さすがに1月の早朝なのでかなりの寒さ。 ホームには列車が停まっていたのだが、どう見ても自分が昨日タシュケントから乗ってきた寝台列車のように見える。今日乗る列車は特急列車のハズだから、もっとカッコいい特急っぽい車両だと思い込んでいて、ずっと外で待っていたが、発車時間が近づいてもなかなか電車が来ず。とりあえず停まっている電車の乗車口にいた係員に列車のチケットを見せると、さっきからずっと停まっていたこの列車だった模様。だったら寒いホームでずっと待ってる必要もなかった…。

列車は予定時刻にブハラを出発。ウズベキスタンの列車は到着時間は結構適当だが、出発時間は正確だ。 車両は寝台列車と同じような造りで、ベッドにはなっておらず6人がけの椅子になっている構造。んで、自分が乗ったその6人がけのコンパートメントには、4人のロシア人グループと1人のウズベキスタン人。そして、自分という構成で、その4人のロシア人グループと1人のウズベキスタン人はロシア語で大いに盛り上がっていたが、自分は全く分からずで、完全にアウェイ状態。かなりの孤独感を感じる旅となってしまった。 そんな孤独感を感じつつも列車は無事サマルカンド駅に到着。

さて、サマルカンド駅に到着したら、街まで出るバスに乗る。 サマルカンド駅の出口を出ると、相変わらずタクシー客引きの壁がいて、その壁を超えると、右側に公園っぽい空間がある。その公園沿いを1~2分歩くと、左側にバスが何台か停まっているので、そこで乗る。

ちなみに駅出口のタクシー客引きはこんな感じ。 彼らは駅の敷地内には入れないので、出入り口で待つことになる。当然のごとく出入り口を警備する警官もいる。そんな感じで出入口を塞ぐようにタクシードライバーがいるもんだから、当然ここを突破しなくてはならず、彼らを無視して突破すると大体の人は早々に諦めるが、2~3人はすごくしつこいのもいて、バス停近くまでずっと付いてくる奴もいるので注意が必要。

サマルカンド市内を走るバスはこんな感じのバス。 中心部にある「レギスタン広場」に行くには3番か73番のバスに乗る。ちなみに正確には3番のバスはレギスタン広場の前は通らないが、近くまでは行く。一方73番のバスはレギスタン広場の前を通る。 自分が駅に着いた時には3番も73番もどちらのバスも居たので、73番のバスに乗ることにした。

73番のバスはこんなルートを通ってレギスタン広場の前に行く。 ちなみに何番のバスがどのルートを通るか?を事前に調べたければ 「wiki routes( http://wikiroutes.info/en/samarkand )」のサイトを利用すると便利。

レギスタン広場は、この旅の観光ポイントでメインといっても過言ではない場所なのだ。 レギスタン広場には3つの大きなメドレセ(神学校)があって、中央には「ティラカラリメドレセ」、その左側には「ウルグベク・メドレセ」そして右側には「シェルドル・メドレセ」がある。 シェルドル・メドレセのすぐ横にチケットオフィスがある。チケットを買わなくても外観を見ることはできるのだが、決められたゾーンから中にさらに近づいてメドレセを見ようとすると、チケットを買わなくてはならない。

ということでレギスタン広場はこんな感じ。 3つのメドレセが「どど~ん!」とそれぞれ向かい合うように鎮座する。この旅でタシュケント・ブハラと幾つかのメドレセを見てきたが、ここのメドレセは3つともかなりの大きさ。写真内にたくさん写っている人の大きさと見比べてもらってもその大きさは一目瞭然だろう。

最初に中央にティラカリ・メドレセに向かう。正直3つのメドレセの中でもココがメイン。 まず、その大きさに圧倒される。このメドレセは3つのメドレセの中でも最も新しいメドレセ。 作られた当時は、この後訪れる「ビビハニム・モスク」が廃墟となってしまっていたので、このメドレセがサマルカンドの主要礼拝所として使われていた。

そんなティラカリ・メドレセを目近(まじか)で見ると、その豪華さにも圧倒される。 タシュケントやブハラで見てきたメドレセやモスクも十分豪華な部分はあったのだが、このメドレセの豪華さはちょっと格が違う。

早速中に入ってみると、中も十分な広さ。しかしながら、各部屋がどこも土産物屋になっているのが、かなりのがっかりポイント。 正直ここまで豪華なメドレセだったら、中は何もない状態にしてもらうか、博物館とかにしてもらわないと一気に品が落ちるように感じてしまうのは自分だけだろうか?

さらに、中央に向かって左側の建物に入ってみる。サマルカンドはこの旅のメインで、このレギスタン広場はサマルカンドの中でもメイン、そしてレギスタン広場の中でもティラカリ・メドレセはメインでティラカリ・メドレセで最も見たかったのはこの建物の内部なのだ。そう、今からこの旅の最もメインとなる観光場所を見ようとしているのだ。

「そう!これが見たかったのよ!」と思わず叫んでしまいそうになる黄金に輝く礼拝所。桁違いの豪華さだ。 この場所は礼拝所で、中央にはメッカの方向を示すくぼみがある。そして天井も言葉では表せない程の豪華な模様で飾られている。 天井はドーム型になっているように見えるが、実は平面で、遠近法を上手く使ってドーム型に見えるようにしているそうだ。

「ティラカリ」とは「金箔された」という意味らしく、その言葉通りの礼拝所だ。 ここを作る時は5kgもの金が使われ、修復する時にも3kgもの金が使われたそうだ。 やらしい話だが、このページの原稿を書いている2016年2月現在、金相場はおよそ5000円/gなので、5kgだったらおよそ2500万円ということになる。3kgだとおよそ1500万円なので、この部屋の金だけで現在の金額にして4000万円ぐらい使われたことになる。 建物の値段ではなく、この部屋の装飾だけでその価格なのだ。

さすがにそれだけの金をかけるだけあって、装飾も手を抜いた感じが全然無く美しい。 普通、日本の常識だったら、こういう所は観光客が絶対に触れないようにするところだが、ここは普通に壁とかが触れてしまう。 (さすがにメッカの方向を示すくぼみとかは触れないが)。こういった所が「文化の違いだなぁ~」と感じる点。 さて、さすがにこの部屋には感動だったのだが、せっかくなので正直な事も書いてしまおう。 ここに来る前にはテレビやネットなどで、この黄金の礼拝堂を何度も見て、「お~!どれだけ立派なんだ~?」と期待に胸を膨らませていた。 そして、勝手にすごい広い部屋でどこもかしこもみんな黄金で装飾されているものなんだと思ってしまっていた。 ところがどっこい、この黄金の礼拝堂は建物全体のうち、ほんの一部屋だけ。正直な感想を言えば「えっ?これだけ?」と思ってしまったことは否めない。もう隣の部屋は黄金なんかでは装飾されておらず、ごくごく普通の部屋になってしまっているのだ。 そういった面で言えば若干がっかりだったかな。 ただ、そういった感想も来てみて初めて分かることなので、決してネガティブな感想ではなく、これこそ実際に自分の目で見に来る醍醐味だと自分は思っている。 もし、これから見に行こう!と思っている方がいたら、アドバイスを・・・。 黄金の礼拝堂は写真で見る通りすごく豪華で綺麗です。しかし必要以上の期待は持たないほうがいいかもしれません。

さてさて、レギスタン広場の中央にある「ティラカリ・メドレセ」を見たら次は正面に向かって右側にある「シェルドル・メドレセ」を見る。 このメドレセは、レギスタン広場にある3つのメドレセの中で2番目に古いメドレセ。 向い合って建っている「ウルグベク・メドレセ」を模倣して作られたと言われている。

このメドレセの珍しいところは、正面にライオンと日輪の絵が書かれている点。 というのも、イスラム教では偶像崇拝が禁止されているにもかかわらず、その教義を破ってこのような物がかかれているのだ。 これは当時の支配者が自分の権力を誇示しようとした為らしい。 とはいえ、現在のイスラム教でもイランなどのシーア派では、偶像崇拝に対して厳格ではない(ゆるく考えている)派もあるので、実は当時のサマルカンドでもそれほど厳格に考えていなかったのかな?とも思う(あくまでも自分の感想だが・・・)

さて、そんなわけで中に入ってみても、他のメドレセと同じく豪華な模様で飾られているのが良く分かる。

メドレセの構造は他の物とほぼ同じ構造だが、自分が訪れた時には、このメドレセは内部が工事中だった。

シェルドル・メドレセの内部もティラカリ・メドレセと同じくお土産屋になってしまっているのが残念な所。お土産以外にはこんな感じで民族衣装を着させてもらって、写真が撮れるという、観光地にありがちな物もあった。

さて、続いてはウルグベク・メドレセに行ってみる。 ウルグベク・メドレセはレギスタン広場正面に向かって左側にあるメドレセ。 レギスタン広場にある3つのメドレセの中では最も古いメドレセだ。

こちらのメドレセも他のメドレセと構造は ほぼ同じ。 1階は教室となっていて2階は学生の宿舎。 もちろん現在では1階はお土産屋になってしまっているのは、他のメドレセと同じ。 当時はここに100名以上の学生が寄宿していて、数学や天文学、哲学なんかも学んでいたそうだ。 ココを作ったウルグベクさんは、ティムール氏の孫で、彼自身も教壇に立っていたそうだ。ウルグベクさんは、政治家よりもこのような学者としての功績の方が大きかったそうで、この後訪れる天文台にも彼の銅像が作られていた。

こちらのメドレセも他のメドレセと引けをとらない美しさ。 まあ、このメドレセが最も古いので、他のメドレセは「せめてウルグベク・メドレセには負けないようにしよう」と思って作ったんだろうけど…。

メドレセは「とにかく派手にしよう!」という感じではなく、よく見比べると、とても落ち着いた模様になっている場所もある。模様に緩急をつけることで、より豪華さを演出しているのかもしれない。

さて、レギスタン広場にあるメドレセを堪能したら、続いてはレギスタン広場から北東方向にある「ビビハニム・モスク」に行ってみることにする。 ちなみに余計な情報だが、レギスタン広場のシェルドル・メドレセと車通りの多い通りとの間ぐらいに公衆トイレ(有料)があるよ。

ビビハニム・モスクへ行く途中の、シェルドル・メドレセのちょうど裏手の場所には「チョルスー」がある。 ここはかつて市場だった所なのだが、現在はアートギャラリー的な物になっていた。

レギスタン広場からビビハニム・モスクまでの道はとても綺麗に整備された歩道になっている。 さすがウズベキスタンで最も力を入れているだろうと思われる観光地だけある。 この道の両側には数軒のお土産屋やレストランが並ぶ。観光客向けのインフォメーションもあって、自分は手持ちの現地通貨が少なくなってきていたので「どこか近くで両替できるところはないか?」とインフォメーションで聞いたら、インフォメーションのねぇちゃんが両替してくれた。2016年1月現在1US$=5000スムで両替。事前情報よりもさらにインフレが進んでいる模様。

さて、そんなこんなでレギスタン広場から10分弱ぐらい歩くと、進行方向左手方向に、ひときわ大きな建物が見えてくる。これがビビハニム・モスク。

ビビハニム・モスクの特徴は特にデカイことだ。写真に写っている人と見比べてもらっても、その大きさが想像できると思う。サマルカンドにあるメドレセやモスクは大きな物が多い。

ビビハニム・モスクの中に入ると、正面にはこれまた大きなモスクがそびえ立つ。 「どんだけ大きな物を作りたかったの?」という感じ。

そして、ビビハニム・モスクの敷地内中央の説教台には、コーランを置く台があった。 ちなみにこの台の周りを願い事をしながら3回まわると願い事が叶うという、こういった場所にはすごいありがちな言い伝えがあるそうなので、興味のある人はやってみてはどうでしょう?

先ほどの大モスクは入って正面。敷地の西側にそびえ立っているのだが、敷地の南北には小モスクがある。外観はとても綺麗なのだが、内部を覗いてみたらボロボロだった。 ビビハニム・モスクはティムールによって建てられたモスクなのだが、様々な理由でこれだけの大きさの物を短期間で完成させる必要があった。したがってたくさんの人員を動員して突貫工事が行われたのだが、それなりに建築時の問題点があって、いろんな場所に不具合が生じ、次第に壊れ始めてしまった。最後には地震によってミナレットが折れたりしてしまい、廃墟となってしまった。 現在の姿はソ連崩壊後にユネスコによって修復された姿とのこと。 外観は完璧に修復されているけれども、内部までは手が回らなかったってことかな? そういった経緯を知ると、現在でもちょっとした「廃墟感」が残っていても納得ができる。

さて、ビビハニム・モスクの歩道を挟んだ反対側には「ビビハニム廟」がある。 入場料が微妙に高く、結局入らず外から写真を撮っただけ。

ビビハニム・モスクとビビハニム廟との位置関係はこんな感じ。 ビビハニム・モスクの北側にはシヨブ・バザールがあったので寄ってみた。

観光シーズンから外れているってことも大きいとは思われるが、サマルカンドに限らず他の都市でも、この時期は観光ポイントにはそれほど人はおらず。しかしながら、バザールには「街の人がみんないるんぢゃね?」ってぐらい人が集まっている。 買い物以外やることが無いんだろうか?と失礼な事を思ってしまうぐらい。

シヨブ・バザールもかなりの広さ。ウズベキスタンのバザールはとにかく広い。 この写真に写っている場所以外にも市場のエリアがある。

この写真は「メロンのドライフルーツ」。 ウズベキスタンではドライフルーツが豊富で、このメロンのドライフルーツは以前「世界行ってみたら本当はこんなトコだった」という番組で紹介されていて、それを見た時に「どんな味なんだろう?」と、ウズベキスタンで絶対に食べたい物の一つだった。 そんなこともあり、買うのは無理なのだが、何とか人のよさそうな店員を探して味見させてもらった。メロンをぐるぐるっと巻いてあって中に干しぶどうをぶっ刺したものだ。 んで、肝心の味なのだが…。ん~、メロンと言われればメロンって感じ。 正直メロンって「ガブッ」と噛んだ時に溢れ出るジューシーさが美味しいわけであって、それが全く無いとなるとかなり微妙な感じ。 まぁ、ドライフルーツってどれでもそんな感じなのかもしれないが…。 お金を払ってまで買うもんぢゃないかな?というのが自分の感想。 不味くはないですよ。

ドライフルーツはけっこうあって、こんな感じで杏と思われる物や、「これなんだろう?」という物も結構多い。 そして、やはり干しぶどうが一番多かった。ちなみに日本で入手できる干しぶどうは柄の部分が完全に取られているので食べやすいが、ウズベキスタンの干しぶどうは微妙に柄の部分が残っているので「これ、食べにくくね?」って感じはする。

サマルカンドにもあった、山盛りのキムチ。 朝鮮民族系の文化がウズベキスタン等の中央アジアに存在する理由は、スターリン時代の政策による朝鮮民族の強制移住によるもの。 詳しくはDay1・2参照 そして、サマルカンドと言えば「ナン」と思われがちだが、お米もたくさん売られている。 こんな感じで台の上に直置きだが、量り売りで買うタイプ。

タシュケントで見たのと同じだが、やはりナッツ類や卵も豊富。 こんなに大量のナッツ類(写真はヒマワリの種)だが、こんなに売れるのか?とちょっと不思議。 この量に対して買っている人が結構少ない。 まあ、腐りにくいので、長い期間をかけて売るんだろうけど…。

んで、ちょっと驚きだったのだ、たくさんではないが、市場では一部「スープの素」的な「料理の手間を省く」系の物が売られていた。 やはり「普段の料理は手間ひまをかけず、簡単に済ませたい」と考えるのは世界共通なのだろう。 家庭菜園的な目的なのか?それとも自給自足的な目的か?はたまた本格的な農業収入の目的なのか?はわからないが、野菜の種が日本で売っているのと同じような形態で売っていた。 もちろんお土産に買って帰ることはできないが…。

そして、サマルカンドでも野菜は豊富。そしてちゃんと並べて売る。 美味そうな野菜に興味津々な自分だが、そんな野菜の写真を撮る日本人(オレ)に興味津々の現地人。 あと、日本では通常、スパイスコーナーで小さな瓶でしか売っているのを見ない「クミン」なんかも、大きな麻袋で大量に売られていた。 何故かクミンを売るのはおっちゃんばかりで、しかもちゃんとした売り場スペースを与えられておらず、通路のど真ん中で売っている人が何人かいた。 売り場スペースが与えられるかどうか?についても権力争い的なものがあるのだろうか?

もちろん日本では全然見かけないような野菜もある。 写真の野菜は少し味見させてもらったのだが食感も味も日本の大根のような感じだった。 日本の大根に比べて少し青臭い感じの味。 ちなみに、市場を観光する時に、最初は「買わないのに味見とか無理だろうなぁ~」とためらっていたのだが、ウズベキスタンの人々はみんな優しく、絶対買わないだろうド観光客でも、興味を持って見ていると意外と味見させてくれたりする。 自分は持っていなかったのだが、お礼として飴ちゃんなんかをあげればチャラになるんぢゃないかな?。(まあ、あげなくても何も要求してこないけど…)

そしてサマルカンドの定番といえば「サマルカンドナン」だろう。 こんな感じで他のナンと異なり、結構な厚みがある。 これを一気に何個も買っていく地元の人もいた。 サマルカンドナンは結構人気が高く、わざわざ遠くから買いに来る人もいるらしい。 市場にはサマルカンドナンを売る店がたくさんある。普通、日本だったら「あのおばちゃんのところのナンが美味い」とか口コミで、一部の店がすごい混んでしまったりするが、ウズベキスタンではそういった光景は ほとんど見られなかった。

わざわざ遠くから買いに来る人がいるぐらいなんだから、結構美味いのか?と思い、とりあえず1個買ってみた。 自分が買ったものはまだ内部が少し温かくなかなか美味かったが、わざわざ遠くから買いに来るほどか?と聞かれたら、正直ちょっと答えに困ってしまう。 ちなみに自分が買ったものには、ごく稀に「プラスチック片」みたいな物が入っていた事は、正直に書いておくことにする。まあ「ご愛嬌」ということで…(汗)。 予想の範囲内であるが、中身は「ふわふわ」ではなく、かなり「ずっしり」。というか「ギュウギュウ」。これ一個でかなりの重量があるので、バックパックとかでとにかく荷物を軽くしたいという人には不向き。 ただ、これを1個買っておけば、しばらく食べるものに困らないのも事実。旅の途中で1個ぐらい買ってみるのも正直アリなんぢゃないか?と思った。

さて、バザール内を一通り見終わったので、続いてバザールから東の方向に15分ぐらい歩いた所にあるシャーヒズィンダ廟群に行ってみた。 かなり余計な情報になってしまうが、このサマルカンドのバザール周辺とシャーヒズィンダ廟群へ行く道で、この旅初めての「物乞い」がいた。しかもそこそこの人数。 やはり観光客が集まる場所だからなのか? ただ、この時期(冬)に物乞いもなかなか見られないとは思うのだが…。 人によっては若干しつこい者もいるので、無視し続ける必要がある。

さて、話を戻してシャーヒズィンダ廟群について。 シャーヒズィンダ廟群とは一言で言えば「お墓」。もうちょっと細かく言うと「昔の権力者とその親戚や側近たちのお墓が集まった場所」。 大通りから伸びる一本の歩道の両側に様々な権力者やその妻・親戚、そして側近たちのお墓となる「廟」が並んでいるのだ。

チケットを買って入ると、正面にちょっとした階段が見えてくる。 この階段は天国の階段と呼ばれ、段数を数えながら上り、その数が行きも帰りも同じだったら天国へ行けるという「えっ、そんなの当たり前ぢゃん」と思ってしまうような言い伝えがある階段がある。 そんな天国の階段の横にあるのが「コシュ・グンバズ廟」。 ティムール(王様)の乳母のお墓と言われている。

「歩き方」には「ふたつのドームを冠した廟」と書かれていたのに、ドームは一つしか見えず「おかしいなぁ~?」と思っていたら、2つ目は裏側に隠れていた。

さて、このシャーヒズィンダ廟群で印象的なのは、この青い色ではないだろうか? サマルカンド=青 というイメージが少なからずあるのはこの建物の「青色」から来ていると思う。 残念ながらデジカメは「紫系」の色を上手く写すことが不得意な為、こうやって撮った写真も実際自分の目でみる色と何となく違う感じがある。 なので、実際に自分の目で見てみると「青のサマルカンド」を実感することができると思う。

そんな綺麗な青のタイルで覆われた建物の内部にも入ることができるが、内部は至ってシンプル。 細かいことはよくわからないが「多分これが墓石だろう」と思われるものが中央に鎮座している。 日本だったらこういった所にはなかなか入れないものだが、ウズベキスタンではバンバン入れてしまうのも「あぁ、文化の違いだなぁ~」と感じるところ。

先ほどの写真のように内部が全然装飾されていない廟もあるが、外壁と同じく内部も青いタイルで装飾されている廟もある(写真左)。 天井までちゃんと青で飾る徹底ぶり。 しかしながら、どうしても内部に入る光の量は少ないので、綺麗に写真を撮ろうとすると、なかなか難しい。 また、入口のドアも(ドアが無い廟もある)、こんな感じ(写真右)で、細かな彫刻を施された物もあったりする。

実際に行ってみないとなかなかイメージが湧きにくいと思うが、シャーヒズィンダ廟群は、中央にこのような歩道(通路)が一本通っている。 そして、その両側に先ほどの写真のような綺麗な青で装飾された外壁の廟がいくつも並んでいるのだ。 正直な所、廟自体はこの写真をみてもらうと分かるとおり、かなり大きい。 しかしながら、それほど広くない歩道の両側にこんな接近して建っているので、正直、正面から「ど~ん!」といった感じの豪快な写真を撮るのはなかなか難しいのだ。

外壁全体(とは言っても正面だけだが…)が綺麗な青で覆い尽くされた廟も、先ほどの写真のようにたくさんあるのだが、この写真のようにもうちょっと落ち着いた感じに飾られた廟もある。 日本でお墓と言ったら「◯◯家の墓」とか、誰が眠っているのか刻まれているのが普通だが、こちらの廟はそういった名前の記述が無いのか? 現在でも「誰の廟なのか不明」という廟も幾つかある。 ここに眠っている人にとってはちょっと悲しい事実なのかもしれないが…。

しかしながら問題点は、どれもだいたい同じ造りなので、帰国してから写真だけを見ても「この写真どの廟かな?」とわからなくなってしまうところ。 正直自分も旅行記に書く目的で順番に写真を撮ったつもりだったのだが、最終的によくわからなくなってしまったので、一つ一つ載せて説明することが困難になり、こんな感じでざっくり紹介している次第。

クサム・イブン・アッバースの廟というのが、シャーヒズィンダ廟群の一番奥の方にあって、通常は入口からすぐの所に墓石らしきものがあるのだが、この廟は廊下みたいな通路をかなり行った場所にあって特徴的。 通路を進んで一番奥のほうの部屋は一際内部が綺麗に装飾されており、その奥に墓石がある。

この写真にある格子の奥に墓石がある。 ここだけ少し空気が違うのを肌で感じた。

シャーヒズィンダ廟群の一番奥もこんな感じで青が美しい廟が目白押し。 こんな立派な廟なのに、誰のものか分からない「無名の廟」があったりする(右側)

それにしてもこれだけ大きな廟がこんなに接近して建っていると若干窮屈。 もうちょっと広い場所を確保できなかったのかなぁ~?と思う。

ガイド本には載っていないのだが、この辺り一帯は一般人のお墓がたくさんある場所だった。 もともとお墓だった土地に権力者の廟を建てたのか?逆に権力者のお墓があった為に、周りに一般人のお墓を建てるようになったのか?は不明。 以前テレビで見たこともあって、ここらへん(中央アジア)特有の文化だったか忘れてしまったが、こちらの墓石は、こんな感じで立派な墓石に点だけでその人物の像を掘ってあって、この技術がかなり素晴らしく、日本ではなかなか見ない文化だ。 これだったら、写真だとそのうち色あせてしまったりするが、墓石に直接掘ってあるので、ずっとここに眠っている人の像が残ることになる。 自分も生きている間に自分の像を掘ってもらった墓石を作ってもらおうか?とも思ったりする。(どうやって日本に運ぶか?が問題だが…)

さて、シャーヒズィンダ廟群を見終わったら、続いて「ウルグベク天文台跡」に行ってみることにする。 しかしながら、ここでもまた「歩き方」特有の「地図P.50C-1 外」の「外」の文字。地図に載っておらず「どこにあるのかわかんねぇ~よ!」とツッコみたくなる状況。 ということで、ウルグベク天文台跡は、シャーヒズィンダ廟群からバザールと反対の方向にしばらく行ったところにある。 「歩き方」にも書いてあるように、バザールから徒歩で30分はかかると思うし、かなりの登り坂なので、歩きで行くとかなり良い運動になる。 自分は大通りを走るバスを拾って行った。 「歩き方」にも書いてある通り45番か99番のバスに乗れば良いと思う(自分は99番のバスに乗った)

ということでバスはウルグベク天文台跡から少し行った所で止まった(というか、多分乗り過ごしたんだと思う)ので、ちょっと徒歩で戻ってウルグベク天文台に到着する。

正確な金額は忘れてしまったのだが、ウルグベク天文台のチケットは結構高かった。 自分はかなり迷った挙句買ったのだが、正直「買わなくてもよかったかな?」と今になって思う。 さて、そんなことはともかく、ウルグベク天文台跡は現在は一部しか残っていないのだが、こんな感じで「六分儀の遺構」がある。

んで、この「六分儀の遺構」に入ってみると、中にはこんな感じの滑り台みたいな物があって、天文学には詳しくない自分にとっては「ふ~ん」という感じ。

で、この「六分儀の遺構」と対面するように小さな博物館があって、その中にこの「六分儀の遺構」の模型があった。 この写真のように、実際に天体を観測する際には、写真左上のところから入ってくる光を先ほどの滑り台みたいなもので受け取り、光が当たった場所で観測・計算するようだ(たぶん)。 ちなみに、当時の観測結果と計算結果はかなり正確だったようで、1年間の時間は現在の精密計測と比較しても誤差は1分にも満たないそうだ。 なるほど、計算の理論は合っていて、あとは観測の精度による違いなんだろうなぁ~と思う。 当時の人はとても頭が良かったんだろうなぁ~と感心する。

そんな当時の頭が良かった人がこの像の「ウルグベク」さん。 六分儀の遺構の近くに銅像がある。 彼は当時の権力者「ティムール」の孫にあたる人で、彼は政治家・統治者としてよりも、このような学者としての功績が高く、後世に名を残した人物。 彼自身、頭が良かったこともあると思うが、教育に熱心だったようだ。

続いて向かったのはこれまたサマルカンド中心部よりかなり離れた場所にある「イマーム・アリ・ブハリ廟」。 「歩き方」では紹介されているるものの、当たり前のように地図は「外」になっていてどこにあるのかさっぱりわからない場所。 歩き方には一応バスでの行き方が書いてあり、事前に調べたネットの情報でもバスで行った人がいる感じだった。 ということで、そんな事前情報に頼って行こうとしたところ、バスは全然イマーム・アリ・ブハリ廟方向へは行かず。とりあえずそこら辺の人に聞きまくったところ「あそこまではバスは行かない。タクシーで行け」と。さらにバスの運転手にも尋ねたが「途中の大通りは走るが、イマーム・アリ・ブハリ廟は大通りから途中それた道にある。そちらの道の方へはバスは行かない」と言われた。 「となるとタクシーでしか行く方法がないかぁ~」と思いながら、そんなやり取りを繰り返していると、いつの間にか周りは乗り合いタクシーの運転手だらけに囲まれることになっていた。 日本語と片言の英語しか話せない日本人(オレ)と、現地ウズベク語しか話せないウズベキスタン人とのコミュニケーションは困難を極めプチカオス。そのうちウズベキスタン人達が、英語も話せるウズベキスタン人を探してきて、その人を通して交渉。 んで、随分紳士だったそのウズベキスタン人は彼らと交渉してくれて「片道10000~15000スムが相場で、これはボッタクってはないよ」と教えてくれた。今いるサマルカンド中心街からイマーム・アリ・ブハリ廟までの往復で25000スムでプライベートタクシーで行く交渉にまとまる。2016年1月現在およそ5US$ぐらいで往復することになった。 通訳してくれた英語が話せる現地人のことは全く疑っていなかったが、タクシーの運転手には警戒が必要と、かなり怪しんでいたが、結果的には直接コミュニケーションを取るのはかなり難しかったがいい人だった。ちゃんと事前交渉の値段で往復してくれた。 通訳してくれた現地人も言っていたが、「お金は最後に渡すんだよ」とか「でも、ウズベキスタン人は基本的にいい人ばかりだから大丈夫」とかアドバイスをくれたが、自分の時は運が良かったのか、彼の言うとおりだった。 話はかなりそれてしまったが、イマーム・アリ・ブハリ廟まではタクシーでおよそ20分ぐらいの道のり。結構距離はある。イマーム・アリ・ブハリ廟付近には確かにバス停らしきものは見当たらなかった(というか見落としただけかもしれないが…)。途中まで走る幹線道路的な道には幾つかのバス停を見かけた。バスの運転手が言っていた通り、幹線道路はバスが通っているが、イマーム・アリ・ブハリ廟まで直接走るバスはなさそうだった。まあ、シーズンオフってこともあるかもしれない。

というわけで、イマーム・アリ・ブハリ廟に到着。イマーム・アリ・ブハリ廟は結構立派な施設で比較的新しい聖地となっている。 入り口には当たり前のように警備員が居てセキュリティーチェックを受ける。これがタシュケントの地下鉄に乗るのと同じような感じでかなり面倒。自分の場合は今日はサマルカンドに泊まらず、そのまま夜行列車でヒヴァへ向う予定だったので、バックパックを背負ったまま。ということでイマーム・アリ・ブハリ廟のセキュリティーチェックでバックパックの中身を全部出さなくてはいけなかった。 話はそれるが、ウズベキスタンはまだまだ経済的には発展途上にある国と言える。国際的に見ても通貨はあまり強くない。 なので、現地の人が持っているスマホも見たこと無いようなスマホやSAMSUNGのスマホが主流で、価格が高めなiPhoneとかを持っている人は結構少なめ。 となるとやはりiPadを持っているような人は皆無のようで、セキュリティーの所にいた警官に自分のiPadを見せたら、かなり興味深そうにいじっていた。 そんな光景が結構面白かった。

そんなセキュリティーを抜けると、長い長い真っ直ぐな歩道があって、そこをズンズン進んでいくと一番奥にイマーム・アリ・ブハリ廟が見えてくる。 とにかく「あっ、あれだね」とすぐに分かるような姿。

イマーム・アリ・ブハリ自体は9世紀頃のイスラム法学者なのだが、新しい聖地になっているだけあって、かなり新しい施設に見えるし、かなり立派。外壁を覆うタイルも今まで見てきたタイルとちょっと違う技法を使っているんぢゃないか?と思われるような感じだった(あくまでも個人的見解)

廟自体はドアとか建物内にあるわけではなく、外からでも中が見えてしまう作りになっていた。こういった廟の造りはあまり見ない感じだった。 中央には棺らしきものが見えたのだが、この中に眠っているわけではなく、この下の地下に眠っているそうだ。

そこら辺の人が「あそこにミュージアムがあるよ」と教えてくれたので行ってみると、確かにミュージアムが併設されていたのだが、どうやらコーランの博物館のようで、展示されているものはコーランばかり。いろんな国のコーランとかが置かれていた。

タクシーの交渉とか結構苦労してすったもんだで行ったのだが「別にわざわざ苦労して行く必要もないかな」というのが正直な感想。 事前の情報だと、結構な人でごった返すのか?と予想していたのだが、人はいるもののごった返すほどではなく、チラッチラッといるぐらい。シーズンオフってこともあるのか? そんなこんなでイマーム・アリ・ブハリ廟見学は早々に終了。待たしていたタクシーの運ちゃんの所に戻り、サマルカンド中心街のレギスタン広場まで戻る。

さて、今日乗る夜行列車は結構遅い時間に出発するので、時間はまだまだある。 既に日は暮れかけていたが、とりあえず観光を続ける。 続いて向かったのは「ルハバッド廟」。 レギスタン広場からは南東方向に10分ぐらい歩いた場所にある。

ルハバット廟は14世紀頃のシェイヒ・ブルハヌッディンサガルジをいう神秘主義者を祀った廟で、イスラム教の預言者ムハンマドの遺髪を納めた箱が一緒に葬られたという言い伝えがあるため、信仰を深めた廟。 現在は伝統工芸の工房とお土産屋になっているとのことだったのだが、自分が行った時は、修復中なのか?どうかわからないが、廃墟のようになっていた。 ガイド本に載っているから行ってみたが「普通に通りかかっただけだったら、絶対足を止めないよね、こりゃ」って感じのものだった。

ルハバット廟の周辺はちょっとした公園のような造りになっていて、ルハバット廟から南に少し行った所にあるのが「アミール・ティムール廟」

アミール・ティムール廟は14世紀頃のこの辺の王様「ティムール」とその子孫の墓。 もともとはムハンマド・スルタンという人が建てたメドレセとハナカがあったのだが、彼が亡くなったことを偲んだティムールが隣に廟を建設した。 しかし、彼自身も1年後の中国遠征の途中で病死した為、彼もこの地に眠ることとなったという廟。もともと彼は生まれ故郷(シャフリサーブス)に葬られることを希望したのだが、結局サマルカンドに葬られ、しかも名前を刻んだ石だけを墓標としてもらうことを希望していたのだが、やはりこれも叶わず、こんな立派な廟になった。

すでに日が暮れ始めているので、その美しさはなかなか分かりにくい写真だが、奥にあるドームの青が美しく、立派で、入場料も立派なお値段だった。

ルハバット廟やアミール・ティムール廟がある公園のすぐ横にある大きな道の交差点中央には、ティムールの像があるので行ってみた。

ティムールの像を見るには車がビュンビュン走る道を渡らなければならないので、結構恐い。 そんな危険な思いをして間近に見る廟は立派。よく街中で宣伝用の看板みたいなものを見かけるのだが(文字が読めないので何の看板だかは不明)、そういった看板とかにもこの像の写真が使われていたりする。それだけ彼はこの土地の人に愛されているってことなのか?

ティムール像から大通りに沿って南西の方向に進み、途中を曲がった所に「ロシア正教の教会」があるようだったので行ってみることに。

「歩き方」には「ロシア正教教会」としか書かれていないのだが、正式名は「Alekseyevsky's Cathedral」と言うようだ。 ロシア正教の教会と言えば、タマネギ型の屋根が印象的な物が多い(モスクワの赤の広場にある教会のような)。この教会も一応タマネギ型の屋根にはなっているが、意外にもそれは小さく、普通に歩いていたら気づかないかも…ってぐらいだった。

日もとっぷり暮れてしまったので、どこかで夕飯を食べる場所を探しつつレギスタン広場の方に戻ってみることにする。

レギスタン広場はさすがにサマルカンドのメインの観光地だけあって、夜はライトアップされていた。 ライトアップされた3つのメドレセが全て入った写真は結構壮大だ。

個々のメドレセの写真を撮っても素敵。

夜行列車の時間まではまだまだあるので、とりあえず夕飯でも食べることに。 「歩き方」に載っていたレギスタン広場の前ぐらいにある店に行こうと思ったのだが、行ってみるとやっておらず…(汗)。 オンシーズンのウズベキスタンに来たことが無いので、正確なことは言えないが、オフシーズンのウズベキスタンでは、レストランがあまりやっていない感じがある。 街を歩いていても閉まっている店が多かった。 ということで、2件ぐらい隣の店が開いていたのでそこに入る。というか、本当は手持ちの現地通貨(スム)が少なくなってきており、両替してくれるかな?的な目的で入ったのだ。 店主が2人ぐらいいる感じの変な店で、そのうち1人はすごく安い値段で両替しようとしていたので、諦めて出ようとしたら、もう一人の店主がちょっといい人で、適正な値段で両替してくれた。 というわけで、ついでにその店で夕飯を食べることにしたという経緯。 食べたのはラグマンとシャシリク。もともとラグマンを食べるつもりはあまりなかったのだが、メニュー表が無く、店員が「ヌードルスープ」と行ったので「あっ、それいいな」と思ってたのんだら、何の事はないただの「ラグマン」だったというわけ。 シャシリクは、ブロック肉の串タイプではなくひき肉を串に付けたタイプだったのだが、食べてみたら中が若干赤くて「これ、大丈夫かな?腹壊さない?」と心配になりながらも結局全部食べてしまった。その後、運良くお腹を壊すことは無かったので一安心。 どちらも絶賛するほどでは無いが、普通に美味い。

さて、ラグマンとシャシリクを食べた店のさらに2件ぐらい隣に、光々と電気が点いたレストランがあって、店の前にメニューの写真があった。 ちょっと見ていたら、店員のおばちゃんが半ば強引にオレを店内に引き込んだ。 と、先ほどのメニューの写真で「マンドゥ」という物があって気になったので食べてみることに…。 マンドゥとは日本で言う「水餃子」みたいなもの。餃子って行ったら「中国」というイメージを日本人なら持ってしまうところだが、餃子(のようなもの)というのは世界中結構あって、特にアジア大陸でロシアも含む地域でメジャーな料理。 ということで、ウズベキスタンの餃子ってどんな感じかなぁ~?と思って食べてみた。 やはりこちらも肉はラムもしくはヤギの肉。とは言っても日本で食べるラム肉のように臭みは殆ど無い。「あっ、いつも食べてる肉とは違うな…」ってぐらいだ。サモサと「皮だけ変えた」感じで中身は一緒。やはり脂の部分もしっかり入っている点は個人的に苦手。 とは言え全然上手く、一つ一つが大きいのでお腹いっぱいになってしまう。 ロシアの餃子(ペリメニ)は、皮が結構厚くもっちりだったが、ウズベキスタンの餃子は皮は薄め。形も饅頭に近い。日本の「まんじゅう」というのは、はるか遠くの「マンドゥ」から来ているのかな?

夜行列車の時間までは、まだまだあったのだが、真っ暗だし寒いので駅に向うことにする。 レギスタン広場の前からバスに乗ろうと思って待っていたのだけれども、待てど暮らせど目的の番号のバスがなかなか来ない。「う~ん、タクシーは高いだろうからなぁ~」と思って粘ったのだが全然来ず。仕方なしにタクシーを拾うと、バスの5倍ぐらいの値段だった。 「えっ?5倍もするの?」と思うかもしれないが、バスの運賃が破格の安さで25円ぐらい(2016年1月現在)なので、5倍と言っても1US$ぐらい。 正直「だったら1時間もバスを待たなくても、さっさとタクシー拾ったほうが良かったかも…」と思った。 空港や駅の出口で客引きをしているタクシーは結構ふっかけてくるのは、日本以外のどこの国でも共通の事項。 んで、ちょっと離れた道路でタクシーを拾えば値段が一気に落ちるのは、ウズベキスタンでも同じ。 ただ、日本人の感覚からして、ウズベキスタンのタクシー代はかなり安い。 なので、ちょっと辺鄙な所や公共交通機関が整っていない場所なんかは、ためらいなくタクシーを使っても問題ないんぢゃないか?とも思う。

実は早めに駅に来た理由は「寒いのでさっさと電車に乗っちゃおう!」という魂胆だった。というのもタシュケントでもブハラでも、電車は割と早い時間からホームに停車していて乗り込むことができた。電車内はエアコンがちゃんと効いているので温かく過ごせるだろうという読みだったのだ。 ところがこの読みは見事に外れる。 タシュケントやブハラは、その電車の「始発駅」となる駅。しかしながらサマルカンドはいずれにしても「途中駅」になってしまう。ということで電車は出発時間ぐらいの時間にならないと駅に到着しないため、結局のところ駅構内で待つことになってしまう。 「駅構内だったら暖かいんぢゃない?」と思うかもしれないが、ウズベキスタンの駅は、通常の待合室ではエアコンが効いている所なんてほとんど無い。 ということで、超寒い待合室でかなりの時間待つことになってしまった。 この旅で持っている服を全部着込んでも結構な寒さで、かなりキツかった。

そんな恐ろしい寒さにも何とか耐え、やってきた夜行列車に急いで飛び乗る。 夜行(寝台)列車の中はこんな感じ。これは2等(Compartment)のクラスなのだが、1つの部屋に4つのベッドが用意されているタイプ。もちろん4人で行けば1つのコンパートメントは独占できるが、今回のように1人旅であれば、当然現地の人と相部屋になる。 自分はもともと予約されていた席はどうやらコンパートメントで同室となる現地人はおばちゃん1人だった模様。ということで、各車両に1人配備されている車掌が気を利かせて、隣の部屋(現地人男性1人。次の日記に写真が出てくるよ)に変更してくれた。

1つのコンパートメントにあるベッドの1つ1つはこんな感じ。これが一人分のスペース。 「お~、結構狭いね」と思うかもしれないが、別に狭いことはなく、「必要かつ十分」と言った感じ。足もしっかり伸ばせて快適。 「夜行列車ってあんまり寝れないんぢゃない?」と思うかもしれないが、確かに揺れは結構あるものの、それほど苦にならないレベル。 自分はいつも飛行機とかでは全然寝れないのだが、ウズベキスタンの寝台では、2回ともしっかり寝れた。 このスタイルの寝台列車はロシアも全く同じスタイル。 ソ連体制下で整えられたのかもしれないが…。 どの列車でも車掌はすごくフレンドリーで優しい。 あと、トイレは線路に直接垂れ流すタイプ(日本も高度成長期ぐらいまでは同じタイプだったらしい)なので、駅に近づくと多分使えない。 なので、列車がバンバン走っている最中に行っておいた方がよく「後で行こう」と思っていると、使えない場合もあるので注意が必要。 さて、心地良い揺れに身を任せて、明日ヒヴァに到着。 ここまでとこの先のウズベキスタン旅 Day1・2 タシュケントでは地下鉄もバスも25円で乗り放題だったぁ? http://4travel.jp/travelogue/11100441 Day3 ブハラは半日もあれば全部見れちゃうコンパクトな観光地だった! http://4travel.jp/travelogue/11105213 Day4 シルクロードの街サマルカンドを一日で回りきってみよう! http://4travel.jp/travelogue/11109338 Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは? http://4travel.jp/travelogue/11113306 Day8 「歩き方」にも載ってない「古本市」の情報を確かめに行ってみた! http://4travel.jp/travelogue/11124049

ウズベキスタンについてほとんど興味が無い人でも「サマルカンド」という地名を聞いたことがあるという人は多少いるんぢゃないか? そのぐらい「サマルカンド」というのは有名な地だが、タシュケントから寝台列車に乗った自分はそのサマルカンドをすっ飛ばしてブハラに向う。 タシュケントからブハラまではおよそ6時間の道のり。全然寝れないかと思ったが、ゴトゴト揺れる電車の揺れが逆に心地よく、結果的には結構寝ていた。途中コンパートメントの暖房が強くて「暑いなぁ~」と思って起きたぐらい。 お金の事を言えば、当然ピンキリだが、タシュケントでの宿泊代はそこそこ普通のホテルで2~30US$ぐらい。タシュケントからブハラまでの寝台列車の料金は自分が乗ったクラスでおよそ25US$で、結果的に宿泊代と乗車券が合体したようなものなので、一泊分の宿泊代が浮いたような気持ちになる。当然シャワーとかは浴びれないが、1泊ぐらいだったら我慢できるレベル。

列車は早朝にブハラに到着。と言っても列車の駅はブハラにあるわけではなく、ブハラから少し離れた街「カガン」という所に停まる。

まだ日が明けきらない時間に列車は到着。「まだもう少し寝たいなぁ~」という気持ちに見まわれつつも眠たい目をこすってホームを歩く。

列車にはかなりの人数が乗っていたようで、カガン駅ではかなりの人数が民族大移動のようにわらわらと出口に向かっていく。そんな人の波に乗っかってカガン駅を出る。 カガン駅の出口には恒例の「タクシーの客引き壁」が待っており、タシュケントよりは若干控えめだが、それでもしつこいタクシードライバーを無視してまっすぐ進むとバス乗り場が見えてくる。

駅とバス乗り場の位置関係はこんな感じ。人の流れに沿って歩いていけばバス乗り場が見えてくるし、列車に乗っていた人の半分ぐらいは迎えの車に乗って行ったが、残りの半分ぐらいはバスに乗るようで、バス停の方向に向かっていくので、その流れに乗っかったままでバス停にたどり着ける。

バス乗り場はこんな感じ。バスと言っても基本「ミニバス」だが。 ブハラ市街までは268番のバスに乗ってたどり着けるが、「ブハラ」というキリル文字(写真に書いた文字参照)が書かれたバスであれば、268番でなくても大丈夫と地球の歩き方には書いてあるが、自分が利用した時には268番のバスは何台も待機していたので、268番のバスに乗ればいいんぢゃない?と思う。

ミニバスってだいたい乗せれば乗せるだけ儲けになるので、定員いっぱいにならないと出発しないもの。ここのミニバスも同じで、定員いっぱいになって出発する。 夜行列車に乗っているような人たちなので、大きな荷物を抱えた人も結構いる。なので人数の割に車内はギュウギュウ感が高い。

カガン駅からブハラの市街まではおよそ15~20分ぐらい。料金は2016年1月現在1000スム(約25円)だった。

バスの中でiPhoneのオフラインマップアプリ(Maps.me)を駆使しながら現在地を確認し、もともと中心地である「ラビハウス」付近で降りようと思っていたのだが、中心から1つだけ少し離れた所にある観光ポイント「チョル・ミナル」の近くを通るようだったので、チョル・ミナル付近でバスを降りる。 バスが通る大通りからチョルミナルまでは住宅街の中の道を北に進めばたどり着ける。

さて、バスを降りた場所からiPhoneの地図とガイド本の地図を見比べ、方向とかを確認するために立ち止まっていたら、ちゃりんこを押して歩く現地のおっちゃんが通りかかり「どこ行きたいんだ?チョル・ミナルか?」と、当然現地語なので分からないが、雰囲気的にそんな感じの事を聞いてきたので頷く(うなずく)と、親切にも北の方向を指さして「プリャーマ」と言われた。プリャーマの意味がわからなかったが恐らく「ここをまっすぐ」という意味だと思う。この後、この旅の中では何度か現地人に「プリャーマ」と言われる機会があった。 大通りからチョル・ミナルまでの道は道と言うより「裏路地」もしくは「家と家の間」と言ったほうが正しいような道で「ここ、通っていいんだろうか?」と若干不安になるような道だった。

さて、そんな道を進んでいくと住宅街の中からいきなり現れる「チョル・ミナル」。 すごく小さな建物には似合わない極太の4本のミナレットがとても印象的。それほどデカイ施設ではなく、早朝の静かな住宅街にひっそりと佇む感じでとても雰囲気がよかった。

さて、チョル・ミナルからは再び歩いて中心地のラビハウス方向に向かっていく。 やはり「ここ、歩いていいんだろうか?」と不安になるような裏路地を歩いて行くのだが、ここに限らずブハラの街はこういった道がどうやらスタンダードのよう。

ガイド本にはチョル・ミナルが「他の観光ポイントから離れている」と書かれていたので「結構歩くんだろうなぁ~」と思っていたのだが、そんなことは無く、中心地のラビハウスまでは結構すぐだった。

これはブハラ街歩きのちょっとしたTipsなのだが、ラビハウスにあるナディール・ディヴァンベギ・メドレセ付近には公衆トイレがある。自分は利用してないので分からないが、外から見る限りそれほど汚そうな感じでもない。

のんびりとブラブラ歩いていたら、中心地であるラビハウスに到着。ここにはナディール・ディヴァンベギ・メドレセという立派なメドレセがある。 ナディール・ディヴァンベギ・メドレセの正面には鳳凰と太陽が書かれている。これはイスラム教の教義である偶像崇拝に反する行為。実は設計者はここを本当はキャラバン・サライ(行商の人々の為の宿)にするつもりで作っていた。ところが時の権力者が「お~!これは立派なメドレセ(神学校)だね」って言っちゃったもんだから、その設計者が「えっ?まぢで・・・(汗)」と、権力者に逆らうことはできず、しょうがなくメドレセにしたという逸話がある。

そんな設計者にとっては不運なメドレセだが、外観の模様はとても綺麗で見応えは十分だ。

中に入ると一般的なメドレセと構造は全く同じ。2階建ての建物で、現在は1階のほとんどがお土産屋になっていた。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセの前には、ユーモラスな格好をした「フッジャ・ナスレッディンの像」がある。 彼は立派なイスラム神学者なのだが、ユーモラスな授業をする一面もあり、人々の人気を得ていた。ということで、この像もユーモラスな格好をしている。「触ると幸せになれる」という言い伝えがあって、みんながこの銅像を触るもんだから、銅像の一部がピカピカになっていた。

フッジャ・ナスレッディンの像の前にはこんな像も置かれていた。多分当時の行商の姿だと思うが、こういった風景でシルクロードを歩いていたのかなぁ~と想像したりする。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセとちょうど反対側に位置する部分にナディール・ディヴァンベギ・ハナカがある。ハナカとは巡礼宿。こちらも正面の模様が綺麗だが、全体的に落ち着いた感じ。

ナディール・ディヴァンベギ・ハナカから西へほんの1分ぐらいのすぐ近くにマゴキ・アッタリ・モスクがある。

マゴキ・アッタリ・モスクは土の中に埋もれていたのを1936年に掘り出されたモスク。 もともと周囲を掘り下げて作られた為、その歴史の中で土に埋もれやすい状態だったと思われる。 その歴史は非常に長く、ひと目見ただけでも建物の古さから歴史を感じ取る事ができるモスクだ。現在は絨毯博物館になってしまっているが・・・。

ガイド本によれば、壁面は3層に分かれていると書かれている。 このモスクは破壊と再建を繰り返しているため、このような構造になった。 なんとなく日本人なら完全に壊してから再建しそうなものだが、ここではそうではないみたい。 壁面の3層は多分この写真のような感じなんだろうと想像される。 よく見ると層の堺となるラインから若干建物が傾いている感じもある。

マゴキ・アッタリ・モスクからほんの北西に歩いて30秒程の場所に「タキ・テルバクフルジャン」がある。

「タキ」とはもともとは「交差点」の意味。 んで、単に交差点だけではなく、そこにバザールを形成し賑わってきた。 現在でも装飾品や帽子の店、お土産屋等の店がある。 現在ブハラには主に3ヶ所のタキがある。 「タキ・テルバクフルジャン」「タキ・サルガロン」そして「タキ・サラフォン」だ。 それぞれのタキでは多少趣向の異なった店が集まるが、土産物店は必ずある。

んで、まだ早い時間だったからか?もしくは観光シーズンから外れているからか?は不明だが、全然店は空いておらず。

「タキ・テルバクフルジャン」にも土産物屋はあるが、そこから北に伸びる道沿いにも、こんな感じで「いかにも!ウズベキスタン土産ですっ!」て感じの土産物を置く店が何件か並んでいた。 ここら辺で初めて店員に日本語で話しかけられた。いろんな意味でちょっと驚き。 最近観光地に行くと思うことだが、かつて日本人が金持ちだった時代の名残で、今だに日本語で話しかけてくる土産物店の店員て結構いるが、今どき日本語を勉強しても将来は無いだろうなぁ~と思う。今勉強するなら中国語だろう。 逆に観光地等で大量の中国人観光客を先導するヨーロッパ人が流暢に中国語を喋っている姿を見ると「あ~、先見の明があるなぁ~」と思う。まあ、中国ブームもいつまで続くか分からないが、しばらく続くことは間違いないでしょ。

さて、タキ・テルバクフルジャンから北へ5分程歩いた所にあるのが「ウルグベク・メドレセ」と「アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ」。なかなか見応えのあるメドレセが2つ並ぶ。

まず北側に鎮座するのが、ウルグベク・メドレセ。 こちらのメドレセは非常に落ち着いた感があるメドレセだ。 オーソドックスなメドレセで教科書通りと行った感じ。

中央アジア独特の「青い」装飾はそれほど多くなく。模様も派手さは抑えつつも、決して貧相な感じはかもしだしていない感じ。人間で言えば「大人の」って感じ。

ウルグベク・メドレセと向き合うように南側に建つのが「アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ」

こちらはすごく派手な造りと色使い。ウルグベク・メドレセを見た後だと、思わず「お~!」っと言ってしまいそうになる感じ。 ほぼ全面が青で装飾され、模様も凝っている。色使いも派手だ。人間で言ったら「イケイケどんどんの20代!」って感じか? このメドレセはウルグベク・メドレセから200年も後に建てられたメドレセなので、ウルグベク・メドレセよりも派手な造りになるのは納得だが、それだけ社会状況も変化していったということも考えられる。

これらのメドレセから西の方角へ2~3分進んだ所に「カラーン・モスク」「カラーン・ミナレット」そして「ミル・アラブ・メドレセ」がある。

カラーン・ミナレットを最初に見た時に感想はとにかく「お~!高い!」の一言に尽きる。 写真ではその高さが全然伝わらないが、実際に見ると思わず声を上げてしまう程。

すぐ横にある「カラーン・モスク」と一緒に撮ると、その大きさがなんとなく分かるのではないだろうか? 「カラーン」とは現地語で「大きい」という意味らしく、その名に恥じぬ高さなのだが、ガイド本には「町のどこからでも見える」と書かれていたが、それほどどこからでも見えるわけではなかった。 「ミナレット」とは、人々に「お~い!お祈りの時間だよ~!」という意味の鐘をならず塔。しかしながらこんな高さにしたのは、昔キャラバンにとっての目印になるようにしたとの説もある。 この高さを保つ為なのか?地下には土台部分が10mももぐっているらしく、それもすごいなぁ~と感じた。

そんな感じで、カラーン・ミナレットのすぐ横にあるのが、カラーン・モスク。 これはモスクなのでメドレセ(神学校)とは違う、

ちなみに、このカラーン・モスクのと向かい合うように建つのが「ミル・アラブ・メドレセ」。んで、このモスクとメドレセを並べてみると、こんな感じでそっくり。写真を並べてみただけでは、どっちがどっちだか全然わからない。帰国後に写真を整理していた時、最初は同じものを撮っていたんだと勘違いしていたぐらいだ。

そんなこんなでカラーン・モスクに話は戻る。 こちらはモスクなので中央に広大な広場が広がるものの、周りの建物は1階建て。 この広い広場には1万人もの信者を収容することができたそうだ。

中央奥にはメッカの方向を示すくぼみもちゃんとある。 こんな立派なモスクなのだが、ソ連時代には倉庫だった。 というのも、ソビエト連邦の政治体制下では宗教は禁止だった。 宗教は麻薬と同じという考えで、「共産主義こそ素晴らしい」という考えを国民に広げた。 そのような考えを徹底した為、ソ連の体制下で活動していたあの「ガガーリン」も地球に帰還後には「宇宙には何も無かった」と言っている。 これは単に「何も無い」という意味で言ったのではなく、本当は「宗教で教えるような神様の存在は無かった」という意味。 要は「ソ連体制下が最も優れているんだよ」ということを言いたかった(言わされていた)のだ。 というわけで、話はちょっと脱線したが、そうやってソビエト連邦の政治体制下では、歴史的に価値ある宗教施設においても、宗教施設としてはほとんど使われず、倉庫等として使われているケースがすごく多い。

カラーン・モスクから出る時に、向かい側に建つミル・アラブ・メドレセがちょうどいい感じで見えたので写真を撮った。

カラーン・モスクからさらに西側に「アルク城」があるので行ってみた。

で、カラーン・ミナレットからアルク城までの間にちょっとしたバザール的な物があったので覗いてみたら、すんごいデカイ絨毯なんかが売られていた。写真では分かりにくいのだが、一緒に写っている人の大きさと見比べてもらうと、その大きさが何となくわかるんぢゃないだろうか? 建物の屋上から地面まで垂れ下がる大きさで「これ、どこに使うんだ?」ってぐらいの大きさ。 あまり興味深く近くで見てると「おぉ、兄ちゃん、絨毯買ってきたよ」と面倒臭い感じで声をかけられそうだったので、遠くから観察する。

アルク城はココブハラ発祥の地でもあって、ぐるっと高い城壁に囲まれて、周りに比べて少し高くなっている。 ここはかつての歴史の中で幾度も戦いの舞台になっていて、破壊と再建を繰り返している。 城壁の中で一つの町が出来上がっていたが、現在は博物館的な展示等がされている。その城壁の高さは写真下のように人間の大きさと比べれば一目瞭然だ。アルク城入り口の目の前はちょっと広い広場になっていた。 んで、実際にこのアルク城の中に入ってみたが、入場料がすんごい高い割に見どころは殆ど無く、何だか損した気分だ。

アルク城の前を走る車通りの多い通りを挟んで西側に「ボラハウズ・モスク」がある。

このモスクは王様専用のモスク。 アルク城のすぐ目の前にあるのは、王様がアルク城から直接歩いて行けるように立地を考えたもの。 建物の前には20本のクルミの木の柱があって印象的。 また他のモスクとは異なった様式で建てられているのも特徴だ。 地球の歩き方によれば、女性の見学は不可となっている。

ボラハウズ・モスクからさらに西へ5分ほど歩いた所に「チャシュマ・アイユブ」がある。

チャシュマ・アイユブは「ヨブの泉」という意味の名前。 昔「ヨブ」が水不足に苦しむ人々の為にココで杖を突いたら、水が湧きだして来たという伝説を持っていて、今でも中では水が(微妙に)湧きだしている。 ココはその歴史の中でどんどん立て増しされてきた建物なので、すごい歪(いびつ)な建物になってしまっている。 また、建物内は全然広くない空間なのだが、そんな観光スポットの中ですら、精力的にミサンガみたいな物を売ろうとする係員が居て結構がっかりする。

さて、このチャシュマ・アイユブ付近に来るとなんだか人が多くなって来るのだが、それもそのはず、チャシュマ・アイユブの北側には「デフコン・バザール」というバザールがある。ということで、またまたちょっと寄ってみた。

と、デフコン・バザールの敷地内に入ろうとしたら、いきなり最近の日本ではなかなか見ない形のトラックが、これまた最近の日本ではなかなか見ないぐらいの荷物の積み方でガッツリと荷物を積み、しかも「その車幅でココ通るには無理があるんぢゃね?」ってぐらい無理無理で通ろうとしていた。 最終的に通ることはできたのだが、写真左下の方に写っている肉屋の商品(これでも一応商品)とテーブルを脇に移動したりしていた。

さて、デフコン・バザールの北側に一瞬「ん?」と思ってしまうような「なんだか見たことあるような、ないような・・・」的なマークをいっぱい掲げた店があった。 とりあえず「バーガーの店なんだろう」ということは分かるのだが、このマークの使い方、色んな所から訴えられませんか?

そんなこんなで、デフコン・バザール内に入ってみると、こちらもかなりの広さ。

と、この類(たぐい)の光景は海外では良く見られるが、こんな感じでパンを車の後部に直置きで置いていた。それにしてもすごい量。

市場内で見かけた不思議な物体。 見た目はすんごく不味そう。 しかしながら、おばちゃんがちょっと試食させてくれたのだが、見た目ほど不味くない。表現が非常に難しいが蒸かした芋がすこしべっとりと水分を含んだ感じ。 何かの根っこかな?

そんなこんなで少しお腹が空いてきたので、そこら辺のお店で昼食。 そこそこ地元民で混んでいた店に突撃。 当たり前のように英語は通じないので、意思疎通に苦戦するが、何とか指さしとかで注文に成功。 まず食べたのが「サモサ」。 パイ生地のような(意外にも)サクサクの生地にお肉とかタマネギとかの具が詰まった食べ物。 こちらでは、肉の「脂」の部分もしっかり食べる文化のようで、中のお肉は赤身の部分だけではなく、細かく切った脂の部分もしっかり入っている。 味は若干濃い目なのだが、それほどクセも強くなく美味しい。

そしてサモサの他に頼んだのは、この「シャシリク」。 シャシリクとはこんな感じの「肉の串焼き」。 日本で言うなら焼き鳥の羊又はヤギ版と言ったところ。 ブロック肉を串に刺したタイプとミンチ状にした肉を串の周りに整形したタイプの2種類があって両方食べる。 想像通りの串焼きって感じでお肉感バッチリ。ブロック肉タイプのシャシリクは表面に強めに塩とかがかかっているので味が濃いが、一緒に食べる「ナン」がいくらでもいけちゃう感じだ。ちなみに店によっては表面にパン粉みたいな物をまぶしてある場合もあって、多少バリエーションがある。 日本で通常焼き鳥は、「肉・ネギ・肉・ネギ・肉」と言った感じで、お肉とお肉の間にネギがあるのが普通だが、こちらのシャシリクは「肉・脂・肉・脂・肉」と言った感じで、間にあるのが「脂」なのだ。 個人的にこれは若干苦手。しかしながら焼き加減によっては、表面がパリパリの脂だったりするので、脂好きにはいいかも・・・。

ちなみにこれだけ食べて8000スム。2016年1月現在2US$もしないぐらいの値段だった。安い。 「何という名前の店か?」っていうのをメモっときたかったが、表に看板も無く、何という名前の店か全然わからない。 あと、シャシリクは煙が出るからか?どうかは分からないが、殆どの店はこんな感じで店の前の外の部分で、煙モウモウで焼いている場合が多い。まあ、その方が通りかかった客も「うまそうだなぁ~」と思って入りやすいってところもあるんだろうけど・・・。

さて、お腹も満たされたところで、先ほど見たチャシュマ・アイユブ付近まで戻り、そこからさらに南西の方向に2分程歩いた所にイスマイール・サマニ廟があるので行ってみた。

イスマイール・サマニ廟は、中央アジアでも最も古いイスラム様式の建築物。 9世紀頃この地を治めていたイスマイール・サマニが彼の父親の為に建てた廟だが、後に彼も彼の息子もここに葬られた為に、結果的にサマン王族の霊廟となった。 この廟はモンゴル襲来の際には地中に埋もれていた為に、結果的に破壊されずに済んだ為、中央アジア最古の廟が今でも見れるってわけ。 現在では周りを見回してもこれが地中に埋まっていたなんて想像もつかない感じだ。

この廟の特徴はなんといってもレンガの積み方を工夫して建物を装飾している点。 派手な彫刻とかを施すわけでは無く、レンガの積み上げ方を工夫することで、こんな感じのすばらしい模様ができるのは、単純な方法だが良く考えられているなぁ~と思う。

イスマイール・サマニ廟から南の方向を見ると、観覧車が見えたので行ってみると、こんな感じの微妙な遊園地があった。 しかしながら、全然混みあった感じは無い。まあ冬だからってこともあるかもしれない。

さて、ガイド本に載っている見どころは、だいたい見てしまったので、町の中心部の方に戻ることにする。 ブラブラと歩いていると、なんだか良く整備されたモニュメント的なものがあったので寄ってみた。

先ほどの遊園地にまっすぐ向う歩道からそれるように、これまたしっかりと整備された歩道が伸びる。 どうやら一番奥に銅像みたいなものが見えるので進んでいくと…

こんな感じの女性の像が。 この像は、実在の人物なのかどうかは不明。 ネットで色々と調べてみたが、全然情報はヒットせず。 かろうじて見つけた情報によると、どうやら戦争関係のモニュメント(戦争で犠牲になった人を追悼する目的?)のようだった。

この銅像から南東方向には、アブドゥーラ・ハン・メドレセとモダリ・ハン・メドレセがある。

アブドゥーラ・ハン・メドレセとモダリ・ハン・メドレセは、それぞれが向かい合うように建てられたメドレセ。 2つ以上のメドレセが向い合って建てられるのは、ウズベキスタンでは普通のことなのかもしれない。 日本で言ったら、○○小学校と○○小学校を向かい合わせて立てるようなものなのかなぁ~?と思う。あまり日本ではやらないよね。小学校と中学校をすごく近くに建てることはあるから、もしかしたらそういった位置関係なのかもしれない。 これらのメドレセは、近くに同じようなメドレセが無いので、青色が綺麗に感じる。 目立たない場所にあるのに、えらく豪勢な建物にしたなぁ~というのが正直な感想。

ということで、中心街までブラブラと戻る。 正直、あちこちにガイド本にも載っていないようなモスクやメドレセがある。 そんな中、立派だったのが「Govkushon majmuasi」というメドレセ(もしくはモスク)。

Govkushon majmuasiの詳細はガイド本にも載っていないので不明だが、多分メドレセかモスク。 こんな感じで、もうあちこちにメドレセやモスクが目白押しなのだが、別の言い方をすれば「若干飽きる」と言っても過言ではない。

この旅の計画時には、ブハラの街の大きさが全然想像できなかったのだが、実際は結構小さくて、自分は早朝にブハラの街に到着して観光を始めてしまったので、ほぼほぼ午前中には見どころを見尽くしてしまった。 頑張ってゆっくり観光して、1日あれば十分。通常の(何が通常だかよくわからないが…)観光スピードだったら、半日あれば大抵の見ころは見れてしまうという感じだった。 そんなこんなで、昼過ぎぐらいから、宿でのんびり(お昼寝)してしまう(汗)。 と、気づいたら結構夕飯に良い時間だった。昼間宿の主人に「どこかオススメのレストランはないか?」と聞いたところ、「ラグマンだったらLagmannaya(ラグマンナヤ)という店がオススメだよ」と教えてもらっていたのだが、その店はお昼しかやっていないらしく「それだったらチナルというお店がオススメかな?」と言われた。チナルというお店は「歩き方」にも載っていたので行ってみることに。街の中心地でもあるラビハウスから東に5分程歩いた所にある。

ということで、チナルに入ってみると、「お~、確実に観光客向けの店だね」と言った感じで小洒落た感じのお店。 今のシーズンは観光シーズンから完全に外れているので、観光地でも観光客はほとんど見なかったが、それでもこの店には数組の観光客らしき外国人が居た。 地元の人らしき人もいたが「ちょっと金持ってます」的な感じの人ばかりだった(庶民は来ない感じ)

ということでまず注文したのがスープ。微妙に寒かったので温かい物が飲みたかった。 メニュー表には「Rice soup」と書いてあって、実際に来た物を見ると、普通のブイヨンスープにご飯が多少入っていた。意外に野菜もたくさん入っていて、体に染み入る美味さ。

「ウズベキスタンでは絶対にラグマンを食べたい」と思っていたのだが、まだラグマンを食べれていなかったので、ラグマンを注文。 ラグマンとは日本で言う「うどん」みたいなもので、生地を伸ばして麺状にする。もちろん「かつおだし味」とかではなく、トマトベースの味で、肉とかも入っている。野菜も肉も良く煮こまれていて、日本ではこういった味でうどんを食べることはほぼ無いけど、こういった味で食べるのもイイネって感じで美味い。(しかしながら、この後、嫌というほどラグマンを食べることになる…)

ラグマン以外でウズベキスタン旅行中に食べたいと思っていた物に「プロフ」がある。プロフとはチャーハンとピラフの掛けあわせと言った感じのご飯料理。 油をたっぷり使うようで、出来立ては美味しいが、作ってから時間が経過してしまった午後になると、あまり美味しくないという料理だ。 ブハラのプロフは千切りにしたニンジンや肉が上に乗っているのが特徴らしく、夜に食べたのだが、流石にレストランで食べたので、普通に美味かった。ただ、確かに脂っこい感じもある。肉も乗っているので、日本人にとってはちょっと重めかな?といった感じ。 ウズベキスタンと言えばナンだと思うが、意外や意外、ご飯も結構消費されていそうな感じで、市場とかには結構「米」も売られていた。米の種類も日本の米に近い感じで、インディカ米とちょっと違い、インディカ米と日本米の中間と言った感じで結構食べやすい。

ということで、お腹もいっぱいになったので、観光もすることなくそのまま宿へ。 途中ラビハウスにあるメドレセがライトアップされていた。これはこれで綺麗。今夜はブハラで一泊したら、明日は早朝からやはり電車でサマルカンドに移動。この旅のメインの場所へ… ここまでとこの先のウズベキスタン旅 Day1・2 タシュケントでは地下鉄もバスも25円で乗り放題だったぁ? http://4travel.jp/travelogue/11100441 Day3 ブハラは半日もあれば全部見れちゃうコンパクトな観光地だった! http://4travel.jp/travelogue/11105213 Day4 シルクロードの街サマルカンドを一日で回りきってみよう! http://4travel.jp/travelogue/11109338 Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは? http://4travel.jp/travelogue/11113306 Day8 「歩き方」にも載ってない「古本市」の情報を確かめに行ってみた! http://4travel.jp/travelogue/11124049

ウズベキスタンへは、ウズベキスタン航空が週に何便か直行便を運行しているんだけども、曜日が決まっていて、自分の行きたい時には飛んでおらず。 ネットの情報ではアシアナ航空が安いという噂もあったのだが、結局検索すると都合の良い便は大韓航空だったので、今回は大韓航空へ一路ウズベキスタンへ。 まずは、韓国・仁川国際空港でトランスファー。

韓国でのトランスファータイムがすごく微妙で「街まで出れないことは無いけど、出てもすぐに戻らなきゃいけない」ぐらいの時間。無駄に体力を消耗できるほど若くもないので、ここは素直に空港内でゆっくり過ごすことに。 ということで、空港内のフードコートで韓国らしい「冷麺」を食う。 「冷麺~冷麺~!」と若干小躍り的なテンションで食べ始めたのだが、そこで気づく「あ~、この国の食事は、ほとんどが辛いものばっかりだったんだ~」と。 自分は辛いものが結構苦手。冷麺は美味いんだけど、辛くしなくてもいいんぢゃないかな?と思っちゃったりする。まあ、現地の人はこの辛さが美味しいんだろうけど・・・。

そんなこんなで、微妙なトランスファータイムを経て、いよいよ韓国からウズベキスタン・タシュケントに向けて飛ぶ。飛行時間は6時間ぐらいなので「長くもなく、かと言って短くもなく」といったところ。

ウズベキスタン入国には観光であっても事前にビザの取得が必要だからなのか、入国書類は必要なし。しかしながら税関申告書は必要で機内で配られた。 (ちなみにココでビザの取り方を紹介したいところだが、詳しく解説してくれているネットのページがわんさかあるので、説明は割愛。ウズベキスタンのビザは結構簡単に取得でき、しかも都内に住んでいない場合は直接パスポートや申請書類を郵送すれば処理してくれるのでかなり親切。自分のような地方に住んでいる者にとっては非常にありがたい) 事前の情報では、この税関申告書が「キリル文字のみで書かれていて全く読めず、書くのに苦労する」らしくかなり不安だったが、機内で配られたものは、おもっきし英語でかなり拍子抜け。 税関申告書は2枚配られる。これ、重要。2枚とも内容は全く同じ。入国時、税関には2枚共提出する。んで、係員が記載内容を確認した上で一枚だけ返されるので、これは出国時まで失くさないよう、大事にとっておく必要がある。出国時にこれが無いと苦労するらしい。 「イミグレと税関ではかなりのカオスになり、抜けるのに何時間もかかる」という噂を聞いていたのだが、実際には全くカオスにならず、他の国の入国と全然変わらない感じだった。乗客のほとんどが韓国系の人だったからか?

機内食では「おにぎり」も配られた。 「お~!おにぎり、おにぎり~!」と、こちらも若干小躍り的なテンションで開けてみたら、中のご飯は少し辛めに味付けされており、テンションが下がる。さすが唐辛子の国だよ。韓国。

そんな感情の起伏を繰り返しながらも、飛行機は無事にウズベキスタンの首都「タシュケント」に到着。先ほど書いたように、特に問題も無くイミグレを抜けてターミナルを出ると、予想外の雨。かなり焦る。いつもの如く荷物を軽くしたいので、一か八かで傘を持ってきて無いのだ。 ちなみに、タシュケントの空港はターミナル2とターミナル3が通常使われており、ターミナル1は使われていない。国際線はターミナル2で国内線はターミナル3。しかしながら、ターミナル2と3では離れた場所(滑走路を挟んで反対側)にあって、連絡路や電車、シャトルバスすらも無い。唯一の交通手段は路線バスしか無く、歩くのはかなり難しい距離だ(あっ、タクシーはもちろんありますよ)。なので、国際線から短時間での国内線への乗り継ぎはかなり難しいと思う。

ターミナルの出口にはものすごい数のタクシーの客引きがいる。たまに2~3人すごくしつこいドライバーもいるので注意が必要。 そんなタクシードライバーの壁を突き進むと、正面には駐車場があり、その駐車場をさらに突き進むとバス停が見えてくる。

ターミナル2でのターミナルとバス停の位置関係はこんな感じ。

さて、しつこいタクシードライバーにず~っと付かれながら、バス停に到着。しかしながら現地通貨「スム」を全く持っていないので、バスに乗ることすらできない。しょうがないので、そこら辺にいたタクシードライバーに両替を頼む。 というのも、この国ではインフレがひどく、両替のレートも「正規レート」と「闇レート」が存在し(闇レートの方が全然有利)、その差が2倍近くもある。とにかく小額でも、バスが乗れるだけの現地通貨が必要なので、本当に小額(3ドルぐらい)を1ドル=4000スムで交換。 ちなみに事前情報等を総合的に判断して、自分の中で「このぐらいだろう」と思っていたレートは1ドル=4500スムぐらいだった。そこから考えればかなり悪いレートだが、タクシードライバーが両替してくれるレートはまぁ悪いだろうと思っていたし、金額も小額なので、はなから諦めて4000スムで両替する。ちなみに2016年1月現在の正規レートは1ドル=2800スムぐらい。銀行やATMのキャッシングなんかしてしまうと、問答無用でこのレートになってしまうので注意が必要。 そんなやり取りでなんとか現地通貨をゲットして、バスを待っていると、同じバス停に現地の兄ちゃんが一人いた。なんとなしに彼と話をする。日本にも仕事で何度か行ったことがあるエンジニアで、英語もそこそこ出来たので話は盛り上がる。 しかしながら、バスはなかなか来ない。彼曰く、今日は日曜日でバスは間引きされていて、本数が少ないそうなのだ。彼もずっと待っていたのだが、バスは来ない上に奥さんから電話で「いつ帰ってくるの?」的な催促があったようで、「タクシーをシェアしないか?」という話になり、彼がそこら辺にいたタクシードライバーと交渉してくれて、タクシーをシェアして市街まで出ることに。

彼は子供(娘)の話とか、トルコに家族で行った話や、「ここがチョルスー・バザールで、その先の向こう側に有名な神学校があるよ」とか、いろいろと教えてくれて、かなり良い人だった。 ちなみに、この図は自分が乗ろうと思っていた「11番」のバスの経路。結局帰国時にもこの11番のバスが来ず、違う番号のバスにのったが、地球の歩き方で紹介されている11番のバスはこの経路ですよ。

ホテルまでは俺がタクシー代7000スムを支払い、その後、彼が自分の家まで行くのに足りない分を彼自身が払うということになった。何となく事前の情報からしたら「7000スムって、自分が彼の分のタクシー代まで払うことになってるんだろうな~」と思っていたのだが、その後ホテルのフロントに「空港からここまでタクシーでいくらぐらいかかる?」と聞いたら「15000~20000スムぐらいかな~」と言っていたので、どうやら彼はボッタクっていなかったようだ。疑ってごめんよ。ちなみに7000スムと言っても、2US$もしないぐらいの値段。 そんなこんなで、ホテルに到着。宿は綺麗でおばちゃんもすごくいい人だった。Wi-Fiは虫の息で、繋がり方は完全に「気まぐれ」状態だったけど・・・。

さて、宿について落ち着いたところで、今日はもう遅いので外に出るつもりもない。しかも宿の周りには店とか見るべき場所もなさそうなので、今日はこのままゆっくりと休もうと思った。 しかし、気づけば空港からここまでいろいろあって、飲み物すら買い忘れていた。部屋にフリーの水とかも無いし困った。さすがに朝まで飲み物無しもキツイので、宿で売っているかどうかはかなり微妙だったが、「水かジュースか買えないか?」と聞いたところ、あっさりとジュースを売ってくれた。1.5Lぐらいのチェリージュースだったのだが、これで1US$もしなかった。なんだか物価がすごい安いぞ。ウズベキスタン。

ウズベキスタンでは72時間以上滞在する予定の人は、72時間以内に「滞在登録(レギストラーツィア)」をする必要がある。通常はホテルで自動的にやってくれるので、パスポートをしばし預ければ完了。 ちなみにロシアでも同じ制度があるのだが、自分がロシアに行った時はホテル側が「希望するならやるけど…」的な態度で、観光中もイミグレでも滞在登録なんか気にされている感じは全然無く、結局滞在登録はしなかった。 しかしウズベキスタンでは、地下鉄に乗る時にもパスポートを見せなければならない時があり、係官はパスポートの写真のページとビザ、そしてこの滞在登録の記録もしっかりチェックしていた。なので、ウズベキスタンでの滞在登録は重要みたい。 そんな重要な滞在登録なのだが、宿で返されたパスポートに付けられた滞在登録の記録は、単にどこにでもありそうな付箋紙にハンコと文字が書かれた簡単なもので「こんなの、いくらでも偽造できそうぢゃん・・・」と思ってしまうような感じで若干不安になる。まあ、これで大丈夫だったのだが・・・。 ちなみに、この滞在登録はこの後現地で買う「SIM」を買う時にも重要になってくるので、確実に滞在登録してもらう必要がある。あと、夜行列車などの移動で宿に泊まらない場合は、その夜行列車のチケットを大切に保管しておく必要がある。 そんなこんなで、ただの移動だけで終わってしまったが、この旅の1日目が終了。

日付は変わって旅は2日目。 ラッキーなことに、宿は朝食付きだったので、宿で朝食を食べる。写真はウズベキスタンの主食「ナン」。インドのナンとかとは違って「パン」に近い。しかしながら、日本の食パンとは違って「ふっくら」とはほど遠く「ギッシリ」もしくは「ずっしり」と言った方が正しい。 「しっとり」感も全然なく、ある程度の長期保存も視野に入れているんだろうなぁ~というのが正直な感想。

そして、これがおかずとデザート(的なもの)。 こちらの食事はどうやら「ナンをどう食べるか?」と考えられた食事のスタイルで、写真奥のソーセージやチーズは味が濃い目。これらは日本で言う「おかず」的な位置づけで、濃い目の味のものでナンを食べるスタイルのようだ。なので、パンにジャムやバターを塗って、パン単体だけで食べるのとはちょっと違ったスタイル。

さて、朝食も終わり、タシュケントの街を観光しようと思って窓から外をみると・・・ が~ん!予想外の雪。昨日の夜降っていた雨が朝には雪に変わっていた。そういえば昨日バス停で話が盛り上がった兄ちゃんが「何でこんな時期に来た?ウズベキスタンは夏と冬は来ない方がいいぞ。来るなら絶対に春か秋だ」と言っていたのも納得できる。 冬はこうして雪が降ったり天気が悪い日が多く、夏は耐えられないほど暑いらしい。 まあ、そんなこと覚悟の上で来たのだが・・・。「雪だったら雨よりマシ」ぐらいに前向きに考えて行動しないと、旅なんかやってられないのだ。

ということで、早速観光に出かける。 まずは、宿から近い位置にありそうだった「チョルスー・バザール」に行くことに。 地図では結構近い位置にありそうだったので、素直に地下鉄を使えばいいのに「街の雰囲気を感じたい」とか、訳のわからないことを考えて歩いちゃったもんだから、実は意外に距離があって、かなり疲れた。以後「タシュケントでは、なるべく素直に公共交通機関を使おう」と決めた。

チョルスー・バザールはかなりの広さで、今日は雪が降っており、かつまだ早い時間なので、それほど賑わってはいなかった。建てられていた案内図を見るとどうやらエリアごといろいろ分かれているようだ(実際には文字が全然読めなかったが…)

まずは、オープンエリアとなっている野菜エリアに行ってみる。野菜だけではなく、スパイスとか色んな物が売られている。ここだけでもかなりの広さ。

ウズベキスタンは砂漠に近いような環境というイメージがあって、野菜の種類は少ないのかと思いきや、種類も量も結構多い。どのお店も置いていある野菜はあまり変わらないのだが、それでも日本では見ることのできないような野菜も結構あった。

大量に売られる卵。こんな量売れるんだろうか?と心配になるぐらいだ。日本のスーパー1軒で1日に扱う卵の量を、このバザールの一軒一軒のお店が売っているような感じ。 こんだけ卵が豊富だったら、さぞ卵料理が多いんだろうなぁ~と思っていたが、レストランとかそこら辺の店で卵料理なんかほとんど見なかったし、宿の飯でも卵料理はほとんど出なかった。

ちょっと意外だったのが、野菜や果物を綺麗に並べて売っていたこと。 ヨーロッパの市場なんかでは綺麗に並べて売る場合が多いのだが、東南アジアや中東、南米なんかでは、並べずにそのまま置いている場合が多い。正直ウズベキスタンでも並べずに置いていると勝手に思ってしまっていたが、逆に並べて置いている店の方が多かった。 その並べっぷりは「仏壇の供え物かっ!」ってぐらい。

野菜も一部カットしたりして売っている店もあった。 こんな感じで何だかよくわからない野菜をひたすら千切りにしているおばちゃんのお店。お客がいなくて暇だからやっているのか?

ウズベキスタンで売られている砂糖は基本こんな「岩塩」みたいな形状だった。多分料理にも塊のまま入れるんだろうなぁ~と思う。あとチャイとかにも塊のままいれて溶かすんだと思う。

そしてウズベキスタンと言えばやはりナンだ。 大量のナンが並べられている。こんな量売れるんだろうか?と思うが、一気に何枚も買っている人も多く、売れちゃうんだろうなぁ~と思う。 自分は勝手にナンを各家庭で焼いて、各家庭の味みたいな物があるのかと思っていたが、実際には市場でナンを買い、家では焼かないのかもしれない。 あと、日本では「美味しい店」というのは口コミとかで伝わり、すごい混みようになったりするが、こちらでは特定の一軒の店に客が集中するような光景はほとんど見なかったので、正直どこで買ってもあまり変わらないのかもしれない。

チョルスー・バザールの中央にはでっかいドーム状の建物もあったので中に入ってみた。

ドーム内はかなりの広さ。基本的にここでは肉・乳製品・漬物・ナッツ類が売られていた。ジャンルごとに売るエリアがなんとなく分かれている。

ウズベキスタンでは、当然市場で肉はたくさん売られているが、それ意外に街中でも肉を売る店が結構見かけた。シャシリク(串焼き)とかが、こちらでは結構メジャーなおかずのようなので、肉をたくさん食べる文化なのかもしれない。 肉は基本ラムと思わる肉で、牛肉らしき肉はあまり見かけなかった(もちろんあると思うが)。イスラム教の国なので、豚肉はほとんど見かけず。

んで、意外だったのが大量にキムチを中心とした漬物が売られていた点。 でもよくよく考えると、この辺の地域には朝鮮系の民族の人が多いので納得もできる。確かに日本からウズベキスタンへの直行便はウズベキスタン航空のみが週に数便だけ飛ばしているが、韓国からの便は大韓航空とアシアナ航空が毎日飛ばしているしね。 何故この辺に朝鮮系の民族がたくさんいるのか?という理由は、自然発生的な理由でなく、人工的、というかスターリンの警戒心の強さから。詳細な点はネットで検索してもらうとして、ざっくり説明すると・・・。 日本がゆくゆくはアメリカとの戦争へとつながっていく日中戦争を始める頃、日本とソ連は仲が悪かった。 というのも日本は「ソ連がいつ攻めてくるかわからない。ソ連が攻めてきたらひとたまりもないので、ソ連と日本との間の土地に緩衝国を作ろう!」と考えて満州国を侵略によって作った。 逆にソ連にとっては日本は仮想敵国なので、日本と繋がる人は邪魔になる。 実はスターリンという人物は、懐疑心が非常に強い人物で、少しでも自分に反抗する人物(噂だけだったとしても)は側近であっても容赦なく静粛する人物だった。 飛行機に乗ったら落とされるかもしれないと考えていたスターリンは、移動に飛行機を使うことは決して無く、必ず防弾仕様の列車で移動する徹底ぶりだったのだ。 そんなスターリンは当時朝鮮に住んでいた民族が「日本のスパイになっている」と疑い、ソ連政権に対して反旗を翻す事を警戒した。そこで、朝鮮に住んでいた民族を丸ごと中央アジアに強制移住させたのだ。特にカザフスタン付近に連れてこられた。 そんな歴史を経て、このカザフスタンに限らず、その周辺のウズベキスタンのような国にも朝鮮系の民族が多く住んでいる。 ちなみに当時民族丸ごと強制移住させられた人々は主に漁師や農民だったそうだ。中央アジアの国は乾燥した土地で海も無い土地であったことから、もともと住んでいた朝鮮の環境とはまるきり違い、大変苦労したそうだ。 環境に上手く適応出来ず、亡くなってしまった人も大勢いるという悲しい歴史があったことを、頭の片隅にでも置いていただくと、この土地についての興味が湧くのではないだろうか? さて、そんなウズベキスタンのキムチの味を試してみたかったのだが、我々夫婦は以前中国の九寨溝・黄龍に行った時に現地の漬物を食べて、お腹が大変な事になった(特に妻は)。そんな経験を経て「海外の発酵食品には要注意」という頭があり、結局このキムチを試す勇気は出なかった。まだ旅は始まったばかりだし・・・。

キムチだけではなく、いろいろな漬物が売られていて、こんな感じでキャベツをまるごと酢漬け(酢かどうかは不明だけど…)にしている漬物もあった。こんなどぎつい色をしている漬物ばかりではなく、ほとんどは自然に美味そうな色の漬物ばかり。漬物のバリエーションは結構豊富。

ナッツ類やドライフルーツの類はかなり豊富だ。シルクロードの重要交易点でもあるし、行商とかが持ち歩くにもちょうど良かったんだろうなぁ~と思う。

ウズベキスタンで街歩きすると、トイレを探すのに結構苦労する。スーパーとかお店ではトイレを全然見かけない。公衆トイレも本当に稀(まれ)にしか見かけないし、基本的に有料。でもあるだけ助かるのだが・・・。料金はだいたい25円以下だ。 ウズベキスタンを街歩きする際には、出かける前にホテルで済ませておくか、公衆トイレの場所を予め把握しておく、もしくはそこら辺のホテルでちゃっかり借りるかになると思う。 トイレの中の状況はかなり厳しいのかと勝手に思っていたが、全然大丈夫なレベル。まあ日本のトイレ事情に比べれば比べ物にならないが…。

さて、チョルスー・バザール内を一通り楽しんだら、今度は西側の道路の反対側にある通りをぶらついてみた。

この通りには雑貨類や家具などを売る店が並ぶ。通りに雑然と売り物が置かれている。

日本ではなかなか見かけない雑貨。多分これはナンを作る際に模様をつける道具だと思われる。お土産に買っていこうか?とも思ったが、こんなもん貰ったところで、貰った方も困ると思うので買わず。

「いかにもこちらの民族衣装ですっ!」という服を売る店も見かけた。あまり多くは無かったが…。 「お~!是非とも買って着てみて街歩きをしようか?」とも思ったが、こんな服を着てる現地人はまずいない。日本で袴をはいて歩くようなもんなんだろう。

続いて向かったのはチョルスー・バザールの東側にある神学校「クカルダシュ・メドレセ」

クカルダシュメドレセは南側の大通りに面していて、立派な正面の姿が特徴。この旅で初めて見る神学校なので、その大きさと姿に圧倒される。(しかし、この後の旅を続けていくにつれ、嫌というほどこういったものを見ることとなる)

さて「神学校」とはなんぞや?ということだが、自分は「モスクみたいなもんだろぅ~」ぐらいにしか思っていなかった。 しかしながら、モスクは基本的にお祈りをしたり、憩いの場であったりする位置づけだ。一方神学校はその名の通り「学校なのだ」 神学校の敷地内に入ると、基本的にこんな風景が現れる。このような造りは、タシュケントに限らず、このあと訪れるサマルカンドやブハラ・ヒヴァといった場所でも皆同じ。 中央に広い中庭があり、この中庭をぐるっと囲むように建物が建つ。基本的に2階建てで、一回部分は教室。そして2階部分は生徒達の宿舎となっている。 このクカルダシュメドレセは、現在でも現役の神学校で、自分が訪れた時は冬休みでお休み中ということで生徒はおらず。このような造りの学校で生徒たちはイスラム教に関することだけではなく、数学や天文学等あらゆる学問を学ぶのだ。

係員に「ぐるっと回って見るのは構わないが、教室のドアは開けるな」と言われた建物の1階部分に並ぶ教室の入り口はこんな感じ。

クカルダシュメドレセの北側にはモスクもある。ガイド本にも載ってないし、入っていいもんだかどうだかもわからないので、とりあえず外から見るだけにしておく。

さて、ここから地下鉄で移動しようと思っていた。一番近い地下鉄の駅はチョルスー・バザール内にある「チョルスー駅」だったので、チョルスー・バザール内を通って駅に向う。 すると、レストランが数軒並ぶエリアの前を通りかかった。

んで、一軒のケバブ屋がそこそこ繁盛していて、美味そうだった。しかもケバブを作っているおっちゃんが気さくに声をかけてきたので、ケバブを食べることに…。 写真下が値段表なのだが、オーソドックスなケバブで5000スム。およそ1US$ぐらいで超安い。自分は一番高いピタのタイプを注文。それでもおよそ1.5US$ぐらいだ。

ケバブは店の前の外の部分で作っていたのだが、そこで受け取ったケバブは店内に持ち込んで食べることができる。もちろんそのままテイクアウトも可能だ。 雪が降るぐらい寒い日だったのだが、暖かい店内で食べることができてホッとする。店内はそこそこ賑わっていた。

んで注文したケバブがこちら。 温かくて冷えた体に染みる。味は濃い目なのだが、それはどうやらウズベキスタンのスタンダードのようだ。肉はラムもしくはヤギ肉で、それだけ聞けば臭そうもしくはクセがありそうに思えるが、全然クセは無い。思いのほか野菜も入っておりウマウマだった。 中東付近の国々で「肉」と言えば、基本「ラム」か「鶏」だ。宗教的な理由や育つ環境とかもあると思うけど。んで、日本で「ラム」というとクセがあったりして、若干苦手な人も多かったりする。逆に「クセのないラム」とかを謳い(うたい)文句にしているジンギスカンの店もあったりする。 ところが「肉=ラム」の国々では、これらの肉の使い方が上手いからなのか?はよくわからないのだが、日本で食べるものよりもクセが少ない場合が多い。なので、ラムが苦手な人であっても、挑戦してみる価値はあると思う。自分のようにラムのクセの部分が好きな人にとっては、少し物足りない気もする。

さて、お腹も満たされたところで、地下鉄にて移動。 チョルスー・バザール内にある「チョルスー駅」から「アイベック駅」まで移動する。

さて、ここでウズベキスタン・タシュケントの地下鉄における注意点について。 こういった国は多いのだが、地下鉄施設内で写真を撮るのは禁止。ちなみにこのホームの写真はこっそり撮った。地下鉄内を撮るのは禁止ということは知っていたのだが、これは地下鉄内に限らず、外から地下鉄の入り口を撮るのも禁止だ。自分は入り口にある彫刻が綺麗だったので、遠くから撮ったら警官に怒られた。 とまあ、そのぐらいは問題ないのだが、一番やっかい(というか面倒)なのは、セキュリティチェックだ。 まず地上から地下鉄駅に降りる階段の所に常に係員が居て、バックの中を見せなければならない。小さなバックとかだったらそれほど面倒でも無いが、バックパックとかを背負っていると、中を全部出さなくてはならず、かなり面倒。 んで、面倒なのはさらに続く。切符を買って改札に向うのだが、ここで面倒なのが、改札の手前にまた警官がいて、再び荷物チェックと、観光客はパスポートのチェックがある。地下鉄駅構内に入る時にバックパックの中身を全部出し、そしてバック内にしまい、そして再び同じように改札前でまた全部出さなくてはならないのが非常に面倒。バックパックなんか、荷物の詰め方が結構シビアなので、面倒っぷりMAXなのだ。 ということで、タシュケントで地下鉄に乗る時は、なるべく荷物を少なくして行ったほうが良い。しかもパスポートチェックが必ずあるので、街歩きをする時にはパスポートをお忘れなく。パスポートのチェックは通常の顔写真のページとビザと滞在登録の記録の部分なので、付箋紙なんかを貼ってビザのページに素早くアクセスできるようにしておくと便利。 通常の海外旅では地下鉄が便利なので主に地下鉄を使うが、タシュケントではこの荷物チェックがすごく面倒なので、自分は極力地下鉄を使わずにバスを使うようにした。(バスは荷物チェックなし) 地下鉄の切符は、改札の前に窓口があるので、そこで買う。地下鉄はどこまで乗っても一律1000スム(約25円)なので超お得だ。とにかく窓口に行って黙って1000スム札を出せば、プラスチック製のコインみたいなもの(トークン)を渡されるので、これが切符となる。 トークンを改札の機械に入れて通る。トークンはそこで回収される。地下鉄もあのセキュリティーチェックさえなければ、すごく便利なのだが・・・。

さて、そんなこんなで、地下鉄のアイベック駅に到着。ここからは徒歩で移動。 目的地は「Beeline」という携帯電話会社の本社。というのも、現地のSIMをゲットしようとしているのだ。 何故わざわざ携帯会社の本社に行くのか? 実は街なかに携帯電話のショップは結構たくさんある。日本で言うならドコモショップみたいなもの。もしくはそれよりもさらに小規模な店。ところが、これらの店でプリペイドSIMを購入しようとすると、拒否されるそうなのだ。 というのも、住所登録が必要らしく、観光客の場合は宿でやってもらった滞在登録(レギストラーツィア)がその代わりになり、その処理をするのがそこら辺のショップでは大変らしいのだ。 店によっては店員の兄ちゃんの住所を使って適当に処理してくれる良い店もあるそうなのだが、イチかバチかでそんないい店を探すぐらいだったら、本社に行ったほうが間違いないし早いという魂胆。 アイベック駅からBeelineの本社まではちょっと距離がある。ティムール広場からは結構近い。

さて、散歩がてらゆっくりと街を見ながら歩いていると、こんな店が・・・。 あれ?ウズベキスタンってイスラム教の国だよね?  この旅で「厳格なイスラム感」というのはほとんど感じられず。スーパーでは普通にお酒が売っているし、女性は髪を出しまくりだ。女性の服装はごくごく普通。そこら中にある神学校やモスクがなければ、ココがイスラム教の国っていうのが分からないかもしれない。

さて、さらに歩いていると、ちょっとした公園にこんな像があった。 Zulfiyaさんという雑誌のライター・詩人らしい。ネットで調べてみたがどんな功績をあげた人なのかはイマイチ良くわからず。きっと言論の自由とかそうゆう方面なんだろうか? ウズベキスタンに限らず、旧ソ連を構成していた国々ではこういった銅像的なものが街なかに結構ある。

Zulfiyaさんの像がある公園のすぐ隣は「ウズベキスタン美術館」だった。 この美術館はガイド本にも載っていて、帰国日に再度タシュケントに滞在する予定だったので、その時にでも来ようと思っていたが、その時にはこの美術館の存在をすっかり忘れてしまっていて、結局入らずじまい。 帰国してこの写真を見た時に「あっ!」と思い出したぐらいだった。

そんなこんなでBeelineの本社に到着。早速店内に入ってみると・・・ すごい人。海外で言葉もイマイチな状況でこの混雑っぷり。直感的に「これはSIMゲットは無理だな」と感じるぐらいだった。 とりあえず、そんな混雑した店内だったが、入口付近に店員っぽい人が居たので「観光客なんだけどプリペイドSIMって購入できる?」と聞くと「パスポートは持ってるか?」と。 パスポートを見せて、レギストラーツィアを見せると、彼は機械を操作して番号札を取り出し、俺に渡してきた。 どうやらこの番号札の番号が呼ばれるまで待てということらしい。 店の中央には現在呼んでいる番号が表示されているので、これと渡された番号札を見比べればなんとかなりそうだったので、待ってみることに。しかしながら、この人数だったら数時間待ちそうな感じ。とりあえず1時間以上待たなくてはいけない状況だったら諦めようと思って待っていたら、ちょうど1時間ちょいで自分の番号が呼ばれたのでカウンターに行く。 待っている人数は多く、カウンター付近でザワつく人もたくさんいたのだが、いかんせん番号札制になっているので、横入りしようとしても店員は相手にせず。したがって、カオス(混沌)になるほどではなかった。意外とシステマチック。タシュケント。 カウンターに行けば、あとは係員に「観光客なんだけど、プリペイドSIMって買えるか?」と聞くと、「パスポートはあるか?」と聞かれ、差し出すと中のレギストラーツィアを確認して処理を始めた。特に問題になるような事もなく「いくらのプランにする?」と聞かれ、渡された料金表にはUS$表示の料金が書かれてたので、「う~ん、ぢゃあ20$で。支払いはドルでいける?」と聞くと現地通貨スムでなければダメだと。「だったらドル表示するなよっ!」とツッコミたくなったのだが、昨日宿で20ドルしか両替していないので、20ドル使ったらすっからかんになるので、しょうがなく10ドルのプランにする。10ドルのプランは2016年1月現在45000スムだった。 ちなみにこの10ドルにはSIM本体の料金も含まれていると思われる。 ということで、あれよあれよという間にウズベキスタンの現地SIMをゲット。iPhoneで正常に作動したが、4G LTEではなく常に3Gもしくはそれ以下の速度だった。 店員の兄ちゃんは結構親切で、このSIMの電話番号と残金の確認の仕方を何も言わずとも適当な紙に書いて渡してくれた。英語は堪能ではないが、堪能ぢゃない同士が会話して問題なく意思疎通ができるレベルなので、ウズベキスタンでSIMをゲットしたい人は、このBeelineの本社に行くってのはアリだと思う。ただし、時間に余裕がないと厳しい。

さて、無事現地SIMをゲットして多少快適になったところで、街歩きを再開。 Beeline本社の近くに「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」があったので、ちょっと見に行くことに。Beeline本社からは歩いて5分ぐらい。

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場は結構立派な建物。 多分建て替えられているんだとは思うが、この建物はもともと第二次世界大戦後にタシュケントに抑留されていた旧日本兵等の抑留者が、強制労働によって建てた建物の一つだそうだ。 この劇場はその歴史の中で2度の大きな地震に見舞われている。他の建物がその地震によって倒壊する中、この劇場はびくともしなかったそうで、現地の人たちも日本人の仕事に感心するという建物なのだ。

劇場の前には立派な池と噴水があって、この噴水が見ものらしいのだが、いかんせん冬のこの時期。噴水なんて出るような気配は全く無かった。 タシュケントに限らず他の街でも噴水系の物は全く出る気配は無く、ひどい時は池の水すら抜かれていた。 そういった意味でも冬のウズベキスタンはあまりオススメできない。

さて、ここでタシュケント街歩きのちょっとしたTipsだが、この劇場の前ぐらいに公衆トイレがある。この場所を覚えておけば、多少安心して歩けるかも。自分は2回ほどお世話になった。もちろん有料だが、それほど汚くもない。

さて、ここからはバスで移動。 とりあえずBeeline本社近くでバス停を見かけたのでそこら辺まで歩いて戻る。 タシュケントのバス停はこんな感じの外観で、街なかに結構あるので簡単に見つけることができる。運が良ければこのバス停に止まるバスの路線番号が書かれている。ここらへんは他の国に比べて親切なところだ。 しかしながら、この番号もあまりあてにならずで、この番号以外のバスが止まったり、ここに書かれている番号のバスがいつまでたっても来ないという事態も結構ある。まあ、目安ぐらいにしておいたほうがいいかも・・・。

バスに乗って目指す場所は「ADVAN TOUR」という現地の旅行会社。 というのも、今夜乗る夜行列車やその後に乗る列車のチケットの手配をお願いしていたのだ。ADVAN TOURのサイト(http://www.advantour.com/jp/index.htm) は日本語のページもあり、夜行列車や特急列車の時刻表まで乗っている。 しかも列車のチケットだけの手配もOKで、それほどぼったくった値段でも無いらしいので、確実性をとってココで列車のチケットの手配をお願いした。実際にホームページのフォームから依頼すると、意外にもすぐに返事が来て、チケットが取れると(チケットの発売は1ヶ月前からなので、それ以前に依頼すると発売までしばし待つ)、「チケットが取れました」という連絡もちゃんと来る。 ネットの情報だと、日本からタシュケントの空港に到着した時にエクストラチャージを支払って持ってきてもらえるらしい(ついでにホテルまで載せてってくれるらしい)。また、宿泊予定のホテルで受け取ることもできるらしいが、自分はこの日はSIMのゲットと列車のチケットをゲットするためだけの日に当てていたので、直接ADVAN TOURまで取りにいくことにしたのだ。

さて、Beeline本社近くのバス停から38番のバスに乗る。 バスは結構綺麗な車体でボロボロのバスは少ない。バスはどこのドアから乗ってもOK。ロシアとかウクライナの旧ソ連の国でバスを乗った経験があるので、多分システムは同じだろうと思って乗り、とりあえず席に座る。ここでロシアやウクライナだったらわりとすぐに車掌が料金の徴収に来るのだが、ココではなかなか来ない。てか、ロシアやウクライナでは「私車掌です」的な色のベストを着てたりするので「あっ、あの人が車掌だな」とすぐわかるのだが、ウズベキスタンのバスは車掌も普通の服を着ているので、誰が車掌なのかがわかりにくい。 無賃乗車になって後でトラブルになると困るからどうしよう~? とドキドキしていたのだが、他の客も1000スム札を手に持ったままで、まだ払っていない模様。そのまま乗っていると、車両の先頭でドライバーと話をしていた兄ちゃんが料金の回収を始めた。 タシュケントのバスは地下鉄と同じく、どこまで乗っても1000スムだ。1000スムは2016年1月現在およそ25円ぐらいなので超安い。車掌に1000スムを渡すと代わりに小さな紙切れが渡される。これが支払証明なので、降りるまで捨てないで大事にとっておく必要がある。長く乗っていると車掌も料金を回収したかどうか?を忘れてしまい「お金払った?」みたいな事を聞かれる場合がある(ほとんど無いが・・・)ので、その時は渡された紙切れを提示すれば2重に徴収されることも無い。 海外でバスに乗れるようになると、かなり旅の幅が広がってくるのだが、いかんせん「このバスはどこを通ってどこにいくんだろう?」というのが分からない。ガイド本にはなかなか書いてないので、結局のところ地下鉄がメインとなってしまう。 しかしながらタシュケントに限らずウズベキスタンのバスは WikiRoutes( http://wikiroutes.info/en/tashkent ) というサイトで検索することが可能。地図上で「from here」から「to here」という風に選択すると自動的に何種類かのルートを出してくれるし、バスのルート番号を指定してどこを通るか?というのを確認することもできる。ミニバスとか全てのバスがヒットするわけではないのだが、かなり使えるサイトだ。 モバイルwifiや現地SIMをゲットして、歩きながらネットができる環境だったら調べながら旅を続けることができるし、もしそうゆう環境がなかったら、出発前に日本で確認するか、現地の宿などのWi-Fiが使える環境で事前に行きたい場所へのルートを確認しておいても良いと思う。 しかもこのサイトはウズベキスタン以外の国も検索できるのでかなり使える。

さて、そんなこんなで、ADVAN TOURに向かう。 バスに乗ったらiphoneのGPS機能とオフラインマップアプリ( Maps.me )を駆使して、ADVAN TOUR近くのバス停で下車。大通りから一本奥に入った通りにADVAN TOURのオフィスがある。

ADVAN TOURのオフィスは住宅街の中にあるので若干見逃しそうになるのだが、オフィスの前にはこんな感じで看板があるので注意深く歩いていれば見逃さないと思う。 オフィスに入るとすごく静かで5~6人のスタッフがパソコンに向かって仕事をしていた。正面の受付っぽいカウンターに女性がおり、自分がオフィスに入った途端にどこかに電話をし始めて「ちょっと待って」というしぐさをする。 ちと感じ悪いなぁ~と思いつつ、電話が終わったところで「電車のチケットを取りに来たんだけど・・・」と言うと「わかってるわよ」的なしぐさで横のソファーに通された。すぐにオフィスの2階から自分のチケットを持った男性が降りてきた。 受付の女性が電話をしたのは、チケットを取りに来た日本人(俺)が来たことを担当に連絡するためだった模様。ちゃんとチケットを取りに来る日本人が来るってことを受付の女性も把握しているなんて驚きだ。 男性の対応はすごく良く、用意されたチケットを説明してくれる。後で写真を示すが、チケットは全てロシア語で書かれているので、自分は全く読めず。かろうじて数字の所がわかるぐらい。そんなもんなので、そのチケットに英語で時刻と座席番号を書いた紙を一緒に添付してくれる親切っぷり。 しかも料金はココで現金(US$)払いだ。ネットで注文した時にクレジット落としとかではない。当然チケットを確保しておかなければならないので、客がちゃんとお金を払ってくれないと損になってしまう。そんな危険はありつつも現地で現金払いとは、日本人は相当信用されているんだなぁ~と思った。当然黙ってドタキャンとかすれば日本人の信用は落ちる。 チケットの他にもウズベキスタンのフリーマップをくれた。この地図はタシュケントだけではなく、サマルカンド・ヒヴァ・ブハラの地図も載っているのだが、こういったフリーマップってガイド本のマップには勝てないものだが、ここでもらったフリーマップは意外にも見やすくて使いやすかった。ガイド本(地球の歩き方)の若干不親切な地図と併用しつつこの旅で利用させてもらった。 そんなこんなで、自分が利用した限りの感想では、ADVAN TOURは信用できる現地旅行会社だと思う。

この日の大事な2つのミッションの2つ目である「この旅で3回乗る長距離列車のチケットを確保する」という目的は無事達成!(1つ目のミッションはSIMのゲット) この日の目的は全て達成したので後は完全にノープランでのんびり観光のみ。 というわけで次に向かったのは「日本人墓地」。地球の歩き方にも詳細は載っているのだが、いかんせん「地図P.42-2外」。その「外」はやめろよ~!といつも思うのだが、地球の歩き方は普通に地図外のものを紹介してくる。世のバックパッカーの強者(つわもの)の方々は「地球の歩き方がイチバン!」とかおっしゃっているが、正直自分はあまり「地球の歩き方」に馴染めないのは、こういった点があるから。 一応ネットで調べたりしたが、イマイチ場所がよく分からず。とりあえず「ここかな?」というアタリはつけていたのだが、せっかくなのでADVAN TOURを出る前にオフィスで聞いてみたら、自分がつけたアタリの場所は正しいようで、先ほど乗ったのと同じ38番のバスで向かう。

ADVAN TOURで教えてもらった場所はこのあたり。市街から見て空港と同じような方向にある。

んで、実際に行ってみると、確かにこの辺にはたくさんのお墓が並んでいた。その中で日本人墓地としてネットとかガイド本に載っている写真のような場所を探したが全然見当たらず。たまたま警察学校帰りの警察官の卵3人組がいたので「日本人墓地を知らないか?」とガイド本を見せながら尋ねたところ、「お~、それなら知ってるよ!」と言われて案内された場所も、やはりADVAN TOURで教えてもらった場所だった。 どうやらこの場所は記念公園的な造りになってるのだが、いかんせん入り口の門に鍵がかかっていて、中に入ることができない。ここ以外にあるんぢゃないか?とそこらじゅうを歩きまわったが、結局見当たらず。 というわけで、結局ここだったのかどうか?確信を得ることは出来ないまま終わるという悲しい結果に…。

そんなこんなで、とりあえず市街中心まで戻ることに。 日本人墓地近くのバス停から、適当なバスに乗ってティムール広場付近まで戻る。

「ティムール広場の真ん前ぐらいにバス停はあるだろう」と思って乗っていたのだが、ティムール広場の真ん前にはバス停は無く、かなり過ぎた所でバスは停まる。 というわけで、徒歩で戻りつつティムール広場へ向う。

ティムール広場の東側には一際(ひときわ)でかいホテルがある。ウズベキスタンホテルというホテルで、ガイド本にも載っている高級ホテルだ。 中はどんなんかなぁ~?と思って入ってみるとやはり高級感漂うホテル。ついでにトイレにも行きたかったので、ちゃっかりトイレも借りたが、そこはやはり高級ホテルだったので、トイレも綺麗だった。 普段の買い物でクレジットカードなんかは全然使えなさそうだったので、当然街中にATMとか全然見当たらないのだが、このホテルのトイレに繋がる通路にはATMが設置されていた。 自分は試していないのだが、多分キャッシングとかはできる模様。しかし正規レートでのキャッシングになってしまう可能性が高いので、闇両替で両替した方がいいと思う。

そんな寄り道をしつつ、ティムール広場に到着。中央には馬に乗ったティムール像が鎮座する。 ティムールとは昔この辺を治めた王様。と言っても「歴史」というものは正確には「勝者の歴史」なので、一応英雄扱いだが結構残酷な人でもあったらしい。

さて、すでに日はとっぷり暮れてしまった。今日は寝台特急に乗ってブハラへ行く予定。寝台列車までは、まだたっぷり時間があるので、それまでどうしようか?と悩む。 ティムール像の写真のように、そこそこライトアップされているものであれば写真を撮っても何とかなるが、ライトアップされていなかったら写真を撮っても「なんだ?こりゃ?」的なものになってしまう。 そういえば、街の北側には「登れば街中が見渡せるほど高い」という「テレビ棟」があることを思い出した。普通、そういった「街のシンボル」的な物って容赦なくライトアップされているものだろうから、ちょうど良いかもしれない。 ということで、テレビ棟に向う。

テレビ塔までは市街を南北に走る地下鉄で行くこともできるが、いかんせん先ほど述べた面倒くさい地下鉄なので、ここもやはりバスで行くことに。 先ほど紹介した「WikiRoutes」のサイトを使って、最適なバスルートを選択したつもりだったのだが、バスは予想外の場所で突然右折し、テレビ塔とは違う方向に行き始めたので慌てて降りる。 ちなみに、先ほどバス停にはそこに停まる路線番号が書かれている(場合がある)と述べたが、もっと親切なバス停だと「どの路線がどこへ行くか?」という、図が掲示されている場合もある。ただしこんなバス停に当たるのはかなりラッキーなことなんだけど・・・。 このルートに全てのバスルートが書かれていれば良いのだが、残念ながら「このバス停を通るバス」の路線図なので注意が必要。 そんなこんなで、結局のところ乗るバスを間違えるという失敗をしてしまったため、結局テレビ塔までは半分ぐらい歩く結果となった。 ちなみにテレビ塔がある市街北側へは緩やかな長い登り坂になっているので、歩くと結構疲れる。

さて、そんなこんなでやっとのことテレビ塔に到着したのだが・・・ が~ん! 予想に反して全然ライトアップされておらず(悲) 「普通こうゆうものってライトアップするもんでしょ~!」と嘆いたところでライトアップされるわけもなく。 悔しいのでとりあえず写真を撮ったが、やはり「なんだ?こりゃ?」的な真っ黒の写真になっただけ。(画像をよ~く見ると、テレビ塔のシルエットがぼんやり見えてきますYo!)

さてさて、苦労した割に得るものが無く、気持ちが萎(な)えてしまったので、寝台列車までの時間はまだまだあったのだが、とりあえず駅に向かおうかと。 宿にバックパックを預けていたので、取りに行くために91番バスでチョルスー・バザー方向に向う。

本当はチョルスー・バザールから北に行った所にモスクや神学校等の観光地があるので行こうかなぁ~とも思ったのだが、そこそこ遠い上に気持ちも萎えてしまっていたので断念。 とブラブラしていたら、蒸しトウモロコシの屋台を発見! かなり寒かったので温かそうだし美味そうだったので一本購入。 以前ロシアのサンクトペテルブルクでも屋台のトウモロコシを買ったことがある。その時は日本のトウモロコシとちょっと違った感じで少し「ねっとり」感のあるトウモロコシだったのだが、こちらのトウモロコシは日本の物とほぼ一緒。予想以上にアツアツ(持てないぐらい)で甘くて美味い。

そんな屋台付近の場所では「夜の遊園地」的にライトアップされた催し物が開催中。入ってみたが子供たくさんだった。こんな夜まで遊んでていいのか? ちなみにこの催し物会場に入るのにも、セキュリティーチェックが厳重。そこら辺が結構面倒だ。タシュケント。

そんなこんなで、ホテルまで戻りバックパックをピックアップ。 寝台列車が出発する「タシュケント駅」は地下鉄の「タシュケント駅」とほぼ直結なので、ここは地下鉄にてタシュケント駅に向う。 さすがにバックパックを持っての地下鉄だったので、入場がかなり面倒だ。せっかく綺麗にパッキングしたのだが台無しになった。

地下鉄一本で国鉄のタシュケント駅に到着。外観はかなり立派な駅で外から見ると思わず「お~!」と言ってしまいそうになるのだが、中に入るとかなり質素。この辺もロシアの鉄道駅とほぼ一緒。 ちなみに駅に入場する際には荷物のチェックとパスポートのチェックがある。最終的に列車に乗る時にもパスポートチェックがあるので、パスポートはすぐに出せるようにしておいたほうが良い。

そんなこんなで、駅の待合所で待っていたのだが、結構早い時間には列車がホームに入ってきた。寝台列車はこれまたロシアで乗った寝台列車とほぼほぼ一緒。車体の横には「ブハラ」の文字が書かれている。 ちなみにこういった鉄道駅の係員ってすごく感じ悪いと勝手に思っていたのだが、予想に反してどの人も基本的にいい人。どこに行ったら良いのかわからなかったら、持っているチケットを見せるだけで「あっちだよ」とか「3番ホームだよ」とか「君の座席がある車両は向こうだよ」とか親切に教えてくれる。 各車両には担当の車掌が1人ないしは2人付くのだが、彼らもかなりいい人ですごく気さくに「日本人か?」「コンニチワ」とか話しかけてくれる。こういったささいなことで、旅はグッと楽しくなる。

これがADVAN TOURで購入した列車のチケット。 書かれている文字は全てキリル文字なので、全然読めない。しかしながら出発時間とか車両の番号・自分の席の番号なんかは数字なのでさすがに分かる。 自分の席がどこか?とかわからないことがあったら、駅員とか車掌とかに聞けば、大抵の場合は親切に教えてくれる。 さて、ここから寝台特急でブハラまで。Day3に続く… この先のウズベキスタン旅 Day1・2 タシュケントでは地下鉄もバスも25円で乗り放題だったぁ? http://4travel.jp/travelogue/11100441 Day3 ブハラは半日もあれば全部見れちゃうコンパクトな観光地だった! http://4travel.jp/travelogue/11105213 Day4 シルクロードの街サマルカンドを一日で回りきってみよう! http://4travel.jp/travelogue/11109338 Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは? http://4travel.jp/travelogue/11113306 Day8 「歩き方」にも載ってない「古本市」の情報を確かめに行ってみた! http://4travel.jp/travelogue/11124049

ホテルそばの西門

西門を出るとマリカ・ヒヴァホテルが見えました。

西門へ入るとすぐ大きな案内板があります。

帽子屋。ロシアらしいお土産。でもかぶると暑い。

目抜き大通りを進みます。

クニャ・アルク。17世紀に建てられたハーンの居城。

先生が厳しく踊りを指導していました。

内部

メドレセから展望台へ向かいます。

イチャンカラを一望できます。

アラブ・ハン・メドレセ。

オリエントスターホテルとカルタ・ミナル。

中世にタイムスリップしたかのような街並です。

階段を登っていくとテラスがありました。

ムハンマド・ラヒム・ハーン・2世メドレセ。1876年完成の巨大メドレセ。

日差しがきつそうでした。

内部に入るとイベントの練習が行われてました。

内部は博物館になってました。

女性の装飾品。

歴代ハーンの写真もありました。

当時の写真。今と建物は変わってません。

内部で特別にショーを見学。

綱渡りショーでした。

この子もショーのメンバーの一人でした。

末恐ろしい女の子でした。

ここにいた小さい女の子。

音楽隊。

昨晩ライトアップを見たアラブ・ハン・メドレセへ。

再び目抜き大通りへ。だいぶ人が増えました。

総数212本の柱並び古くは10世紀の柱もあるそうです。

ヒヴァ最古のジュマ・モスクへ。

続いて東門へ出てみます。

東門の外にはバザールがありました。

朝と違ってにぎやかでした。

オリーブ石鹸かと思いきや、にせものの洗濯用せっけん。ウズベキスタンのあちこちで見かけました。

ジーンズ屋さん。

タシュハウリ宮殿へ。

宮殿内部。

青タイルがきれいです。

内部の寝室。

一部は博物館になってます。

歴代ハーンの宮殿です。

馬車。

秘書の間。

この宮殿には2階にテラスも見受けられ他にない独特な建築物でした。

外はだいぶ暑くなってきました。日影は涼しい。

昼食をとったレストラン。

このころにはだいぶ食欲もなくなってきました。

立ち寄った木彫り工房。

ここの名産らしくブックスタンドになります。

再び午後の観光へ。

イスラム・ホジャ・ミナレットが見えてきました。

1910年建造のヒヴァで一番高い45mの高さがあります。

ミナレットに向かう前に左手の建物へ。

パフラワーン・マフムド廟。

手前の泉の水を飲むと男は強くなり、女は美しくなるそうです。

内部はターコイズブルーのタイルで覆われていました。

ヒヴァの守護聖人だけあってたくさんの人がお参りに来てました。

ミナレットへ向かいます。

いよいよ登頂します。

先にイスラム・ホジャ・メドレセを見学。

内部は博物館でした。

入口は狭い。

階段も急です。しかも暗い。持参したヘッドランプが役立ちました。

ここもヒヴァ市内を一望できました

青空がとてもきれいでした。

登りも下りもこの階段のみです。

内部もせまい。

ヒヴァでも結婚するカップルがいました。ここで記念撮影を一緒に撮りました。

このあとフリータイムで街を散策するも暑いのでホテルで休憩をとりました。

門内部もお店になってます。

アル・ホレズミ像。ホラズム帝国時代の数学者。ヒヴァ出身。

ムハンマド・アミン・メドレセ(宿泊したオリエントスターホテル)

西門前は広場になってます。

イチャンカラを囲む城壁。

夕食は定番のソーメンがついてました。

夕日にそまるイチャンカラ。ウズベキスタンで一番印象的な街でした。

前回のウズベキスタン旅行が楽しかったので再訪です☆☆ 今回は韓国を経由して行ってきます!

ウズベキスタン空港到着☆ パスポートチェックはビックリするくらい時間がかかります。 スーツケース落ちそう…ってか落ちてます(笑)

ウズベキスタンはお金もビックリします(*_*) 100ドルくらいの両替でこの札束(笑)!!

本日はタシケントに宿泊♪ツアーで予約してみました♪(*^^*)

朝から移動です。本日はタシケント➡サマルカンドの約2時間の移動。

乗る電車♪ 地下鉄の撮影はNGですがこっちはオッケーみたい(*´ω`*)

世界の車窓から~♪

隣のおっちゃんとデタラメ英語でお喋り…してたら、車内でおやつ出た!!

サマルカンドに到着です♪ とりあえず宿に荷物をおいてきます!

サマルカンドといえばココ! レギスタン広場~♪

どーん!

どーん!!

さらにどーん!!!

ちょっと移動して、市場へ♪

サマルカンドのナンは一回食べてみて欲しいです!! うっっまいんです、これが!!

美味しいので旅のご飯として持っていくことに。 そのためにサランラップ持参(笑)!!

市場はこんな感じです♪ みんな観光客が珍しいのかお喋りしてくれる(*^^*)

ウズベキスタン名物、プロフ。 つまりはピラフなんですが、日本人の口にも合う♪ニンジンと肉のピラフです(о´∀`о)

さらに散策♪サマルカンドは徒歩県内にいろいろあるので便利(*^^*)

お次はシャーヒズィンダ廟 青い!!

こんな感じでとにかく青い( ゜o゜)

内装がまたキレイで!

さて、また散策です♪

次はグリ・アミールっていうとこです♪

ちょうど春だったので、ウズベキスタンにも桜が咲いていました♪

お次は戻ってライトアップされたレギスタン広場へ♪ このときの入場料は14000スムでした☆☆

なんか、行っちゃいけないお店みたいな…(笑)

こんな感じで、色が変化しました。 おしゃれだ…( ゜o゜)

そして翌朝、今日はウズベキスタンの工芸品のひとつ、スザニっていう布を売ってるウルグット村のバザールへ♪ 車で山景色を堪能☆☆

バザールの入り口です☆☆

こーんなかんじの布です。昔は嫁入り道具だったとか。 ここでも日本人は珍しいのか、いろんなひとに話しかけられる(//∇//) クッションカバーをゲットしてきました♪

全部ハンドメイドなのだとか… その集中力、分けて欲しい…(笑)

市場の朝ごはんを♪ 朝から揚げ物(笑)!! 揚げパンとコーヒー(*^^*)

サマルカンドに戻って、駅へ♪ 今日はサマルカンド➡ブハラへ移動します♪

ブハラ行きの車内。 ちびちゃんにカメラを奪われる(笑)

ブハラってゆーのはこんなとこです♪ ミナレットっていう高い塔が見所(*^^*)

なぜかラクダが…!!

天気がいいのでカフェ?でビール(*´ω`*) ウズベキスタンのビールも種類があって美味しいです♪

夕飯♪ おうちご飯を頂くことに(^^) ガスがあるのに換気扇のないキッチンに不安を覚える…(笑)

けっこう乾燥地帯なのでパックとかもあると幸せでした♪ ゴルゴ( ☆∀☆)

ブハラ2日目は朝市から♪ 香辛料の盛り付けに感動☆☆

ケーキもたくさん!

本日はナウルーズのお祭りの日☆☆ 春を祝うのだそうですが、その時限定の食べ物があるとのこと。 味見させてもらいました♪ 『スマラック』っていうとろみのある…甘い…なんだこりゃ??(笑)

祭り♪ 地元っこが民族衣装で集まる(*^^*) おしゃれー!!!

観光客も踊らさせるー!! 踊り方は自由です(笑) リズム感なくてもOK!!

小腹を満たすべく♪ シャシリクっていう塩コショウで味付けした肉です♪ ビーフ?ラム?って聞かれたのでバリエーションがあるようです。 ビールと合う!

土産物やさん巡り♪ ブハラはお土産屋さんどこでもある( ☆∀☆)

ハサミ♪ 芸が細かい((o(^∇^)o))

メドレセとかマドラサとかいう建物なんですが上のほうのデザインがステキ♪ 青メインが多い中、ここはカラフル(^^)

内装もステキです(σ≧▽≦)σ

暗くなってきました♪ 夕暮れも雰囲気あるー!

翌朝、ブハラ➡タシケントまで6時間ほど電車移動です(。>д<) このルート飛行機もあります。 以前乗ったときは、プロペラ機だった…

今回の電車はこれ♪

車内はこんな感じのコンパートメントです(^^)

車内で朝ごはん♪ メニューは日本から持ってきた野菜ジュース、現地の何か(笑) 宿で朝ごはん食べる時間ないのって話したら持たされました♪ 優しい…(;_;)

タシケントに到着♪ 一気に近代化。

タシケントの市場です。 とにかく広い!あと、この度で一番『俺の写真を撮ってくれ!!』っていう人が多かった♪ ウズベキスタンの人は『私の写真を(あなたの)カメラで撮ってー』って人がけっこういて面白い-(*^^*)

海外、市場メシ♪ ってまた肉です(笑)

地下鉄移動です。 ウズベキスタンは地下鉄の写真NGですが、ビックリするほどキレイ! デザインが凝ってるんです。 お見せできないので、代わりに切符がわりのコイン『トークン』

目的地のウズベキスタン工芸博物館へ♪

この博物館は内装がホントにステキでした♪

こんなで

こんなかんじで

こーゆーかんじです♪

工芸品もホントにキレイー!!

こんなのとか、

こんなのがあります。 …顔(笑)!!

カフェもあります♪

お茶したら帰国です。 ちょっと寂しい(;_;)

空港に向かいまーす♪

タシケント空港は他の国と比べると、免税店、カフェともに少ないですが、気にしなーい!

なぜならここでもビールが飲める♪ ところで、ウズベキスタンではさんざん、ドルを使う事を勧められたのに(ウズベキスタンのお金より価値が高いそうで) ココに来てまさかのユーロ推しきた(笑)

そして、帰国♪ 仁川で乗り換えて成田へ(*^^*)

ちなみに機内食はこんな感じでしたよ♪

お疲れさまでした(笑) 次はどこにいこうかなー((o(^∇^)o))

31日目(2014/9/7) 7:06 タシケント駅です。 ここからサマルカンドに向けて列車で移動します。

アフラシャブ号! タシケント~サマルカンド間の高速鉄道です。 切符はタシケントで購入済なので あとは乗り込むだけ~ ※ここで購入しています。 29-30日目 ウズベキスタン タシケント http://4travel.jp/travelogue/10922065 簡単なパスポートと切符のチェック後 X線で荷物と本人の検査をすませ、 切符に判子をもらってホームに出ます。 駅員にここは撮ってもいいと言われたのですが おっさん達がすごくジャマな位置に・・・(笑) この先ホームにある改札を通過して乗りますが 残念ながらそこは撮影禁止な模様。 列車(アフラシャブ号) タシケント~サマルカンド 2等片道 UZS 51,000

車内は綺麗! シートピッチも広めだし、快適そう。 バス移動の方が格段に安いんですが(UZS 約16,000) 6時間程かかるのと、 たぶんここまで快適じゃないと踏んで 列車にして正解だったかも。 中央アジアで高速鉄道っていうのも珍しいし。

モニターがついてました。 座席の前にはついていません。 東海道新幹線にはないぞ・・・

8:00、定刻どおり出発。 なかなか快適な走りっぷり。 走ってる車内からで 通路側の席だったこともあり かなり撮るのが難しい。。 これは綿花畑だと思います。 ウズベキスタンではあちこちで見られます。 (綿花畑の功罪はヌクス編で書く予定です)

電信柱が超ジャマなのですがw Jizzah駅周辺の風景です。 さっきまで農村のような風景だったのが 一変、山がちになりました。 ポプラが見えますが、ほぼ条件反射的に ウイグル自治区から続くシルクロードを旅している気分になります。

お菓子も出てきます。 味は。。(お察しください

10:05 サマルカンド駅に到着~ ほぼ定刻どおり! そしてタクシーの客引きや 自称ガイドが多すぎ!

日本語を話す自称ガイドにつかまり一度断ったんですが、 バスの運転手と話をしているところに再登場。 つけられてたのかな?(怖 20ドル+ガイドの交通費・入場料でどうだ、と言われ いらないと言うと 今度は30ドルでガイド分は負担しなくていいと言ってくる。 まあ、観光地のガイドだけではなく ウズベキスタンの話も聞けるかなと思い 交渉の結果、20ドルでガイド分の負担なしで決着。 決まったところで3番バスに乗り込んで市内へ。 一旦ホテルに寄って荷物をおきます。 バス 3 10:25 サマルカンド駅→10:45 母の像前 UZS 600

10:48 グランド・サマルカンドに到着~ なんか外観が思ってたのと違う・・・ まあいいかと気にせずフロントへ行ったら 予約がない?え? もしやと思い予約確認書を調べてみたら、 私が勘違いしていた模様。。 すいません。。 本当は旧市街にあるアジア・サマルカンドでした。。

11:25 歩くこと約30分。 ああ、これこれw アジア・サマルカンド スタンダード・シングル、朝食付 1泊 \8,151(USD 78.75、日本で決済) 手配協力:Uzbooking.com

予約のとき、立地だけで選んだ記憶があるので 部屋はだめだろうなと思ってたら 案の定、ヘドロのようなにおいが・・・ 夜戻ってきたら臭いが取れていましたが なんだったんだろう。。 バスローブはあるのですがスリッパはなし。 ティッシュもありません。 ペットボトルの水は初日に1本だけでした。 冷蔵庫はありましたが、あまり冷えない仕様です。

ヘドロ臭の原因はシャワールーム。 一見普通ですが、排水溝まわりがイマイチなのかな。 バスタブはありますが栓がなく お湯はためられませんでした。 シャワーもお湯は出ますが 熱いか冷たいかにしかならず、 ちょうどよくならないので諦めましたw

11:45 ホテルから歩いて5分。 レギスタン広場へやってきました。 立地のよさを実感w

レギスタン広場は、ちょっと前まで工事をしていたらしく 最近展望台みたいなのができたとのこと。 階段状になっている部分は なぜかロープがあって立入禁止。 展望台の部分に行ってみます。

おー!レギスタン広場だ! テンションあがっちゃいますね。 建物はパンフレットと同じですが(アタリマエ 植木がなくなっていて より建物の全景がわかるようになりました。 左からウルグベク・メドレセ、ティラカリ・メドレセ、 シェルドル・メドレセの順です。 ちなみに、展望台からの撮影は無料なのですが 広場の中側は有料部分になっています。 自称ガイドいわく、建物に近づいての撮影は 無料部分からであっても取締りの対象になっているらしいので 悪徳警官に絡まれないよう注意が必要です。

有料部分にやってきました。 まずはウルグベク・メドレセから行ってみます。 ウルグベクはティムールの孫。 彼が作ったメドレセ(神学校)なので ウルグベク・メドレセというそうです(そのまんま 左右のミナレット(塔)はちょっと傾いてるんですが そもそもこれらは「空を支えている」らしく、 「空の重みで」傾いたとかいうそうです。 手抜き工事だろ、とかツッコんだら野暮ですかねw レギスタン広場(内部) 3つの建物の入場料+写真・ビデオ撮影代 UZS 16,400

寄りだとこんな感じ。 大きい~! そして淡い色でまとまってて綺麗。

入口に柱の残骸みたいなのが置いてあるのですが これは当時の柱台なんだとか。 後で柱のある部屋を見に行きます。 何気に後ろの壁の模様が星の形になっていますね。 ウルグベクが天文学者だったことから 星の模様があちこちにあるみたいです。 なんかメルヘンw

内部に入ってきました。 中庭は手入れされててきれいですね。

壁の模様も豪華。 星っぽい模様もありますが 花のようにも見えます。 神学校だった頃は 1階が教室で、2階が寄宿舎だったそうです。

靴を脱いで中に入ると→

教師の部屋でした。 この柱の土台の部分が さっき入口にあったやつらしいです。 柱の部分は復元したものですが、本当はこの色ではなく→

こういう水色だったと考えられているそうです。 が、しかし。 なんとこの色の出し方がわからないんだとか。 21世紀にもなって色の出し方が分からないなんてことが あるんですかね。。不思議。

ウルグベクの展示もありました。 やっぱりどこかメルヘンな感じ。 これでウルグベク・メドレセはおしまい。

続いてウルグベク・メドレセの正面にある シェルドル・メドレセ。 シェルドルというのは 「ライオンが描かれた」の意味。 ライオンが描かれたメドレセということですね(またもそのままw

背中に顔のある太陽を背負った トラに見えるライオンが ヤギに見える小鹿を追いかけている、 というシュールな絵が描いてあります。 鹿は知識で、ライオンが学生で 学生が知識を得られるように、という意味だそうですが なんちゅう譬えなんでしょうか・・・ 偶像崇拝を禁じたイスラム教で たまに生き物の絵を描くとこうなっちゃうんですかね(失礼 キモい太陽(だから失礼w)は タシケントの国際会議場にもありましたが 何の意味なんでしょうね。。 キモいからやめてほしいんですけど(だから以下略 しかも偶像崇拝の禁を破ったとのことで 建築家が自殺したとか。 いろんな意味で生き物描くのはやめとけばよかったのに・・・

中は土産物屋になっていました。 壁面も十分に修復されておらず ウルグベク・メドレセの後だと 残念ながら見劣りしてしまいます。。 ちなみに写真左に見切れ気味なのは ブドウの木だそうですが、詳細不明です。

シェルドル・メドレセから広場に戻ると 目の前にお墓らしきものを発見。 ムハンマド・カタングという人のお墓とあります。 彼は、シェルドル・メドレセと ティラカリ・メドレセを建設中に 工員さんに食事を振舞った人らしいですが さすがにマニアックらしく 手持ちのガイドブックには彼のお墓の記述はありません・・・

最後はティラカリ・メドレセ。 ティラカリというのは 「金箔が貼られた」の意味。 外観は全然金箔が貼られていませんねぇ。

中庭はよく手入れされて綺麗ですが ここもまったく金箔はありません。

このイマひとつボロそうな建物に入ると→

わぁ!キンキラキーン! 紫に近い淡い青と、金色って こんなに綺麗に合うんですね!

天井も! この模様のセンスよすぎ! 恐ろしいくらいです。

ミフラーブ(メッカの方角を示すくぼみで 信者はこれに向かってお祈りする)自体は地味ですが 周りの装飾は豪華絢爛。

アラビア文字も神々しく見えてきます。

入口の裏にも金の模様が。

キンキラの部屋の奥は 展示室と土産屋になっていました。 サマルカンドの見所の修復前の写真などがあったのですが こんなに朽ち果てていたのかとちょっとびっくり。。

12:57 自称ガイドがお昼にしたいんだって。 しょうがねぇなあw

1階と2階で経営が違うのか 1階の人に客引きされるも 2階のほうが明るくてよさそうなので 無視して2階へ。 開放的だし、地元っぽい人もいるし なんだかよさげ。 こういうとき、自称ガイドって役に立つんですね。

ガイドが注文したのはラグマン(UZS 6,000)。 でも、見た目がウイグルのとは全然違う・・・ ウイグルのは汁もないし 野菜炒めが乗っていました。 ちなみにウイグルのラグメンはここで食べていました↓ 12日目 中国・ウイグル トルファン http://4travel.jp/travelogue/10797889 最後から3番目の写真です。 翌日の夕飯に食べてみたのですが スープは辛めで、麺はコシのないうどんのような感じでした。

私はマンティを注文。 これもシャシリク同様、 玉ねぎと「辛くないけどスパイシーな肉」のおかげで ペロリといけちゃいます。 サマルカンド・ナンも食べてみましたが 表面がやや油っぽいフランスパンみたいな感じかな。 ティムールのお気に入りだったということで 確かにおいしいけど、硬くて食べづらい・・・ 某歩き方には「光り輝くサマルカンド・ナン」 などと書いてありますが それは油でテカっているだけです。 (バザールで油を塗りなおしているところを見ました) ともあれ全体的においしかったです。 ごちそうさま。 昼食@チャイハナ ラビ・ゴール マンティ UZS 8,000 サマルカンド・ナン(1/4) UZS 1,000 ペプシ(500ml) UZS 5,000 サービス料(約15%) UZS 2,000 合計 UZS 16,000 なんか高い・・・

レギスタン広場の横のタシケント通りを進みます。 この写真をみて三越! と思ったそこのあなたは私の仲間w かつてここはレギスタン博物館というのがあったそうですが 公園になっています。 名前は調べてみても現地語のみで読み不明・・・ →Йўлбарслар Боги(イォルバルスラル公園?) 三越同様、ライオン像らしいのですが たてがみが目立たないのでトラっぽく見えます。。

そのままタシケント通りを北東方向に歩きます。 こぎれいにしてあって、 若干ヨーロピアンな通りに見えなくもないかも。

13:46 続いてシヨブ・バザール。 ショブじゃなくて、シ ヨ ブ。 シェルじゃなくて、シ エ ル と言っていたバンドを思い出します。 シヨブ・バザール 入場自由

おお、結構広め。 バザールという割には整理されていて ウィンドウ・ショッピングしやすいのはいいかも。

なんだこれ!? アヴォットというそうで 風邪や下痢のときにお湯に溶かして飲むんだとか。 おいしいのかなぁ?

サマルカンド・ナンを発見! この周辺は結構いい匂い。 焼き立てなのかな?そうは見えないけど・・・

果物とかは普通にたくさん売ってるので おやつとかに買ってもいいかも。

男性用の黒い帽子と 女性用の華やかな帽子。 どこか野暮ったく見えるのはなんでだろう・・・

似たようなブドウをウイグルで食べたなぁ。 あれは甘くておいしかったなぁ。

アーケードの外までいっぱい!

スイカとメロンはシルクロードでは必須ですよね。

14:15 シヨブ・バザールを抜けて シャーヒ・ズィンダ通りを越えたところに イマーム・アリ・ブハリ廟に行く マルシュルートカ(乗り合いワゴン)がいます。 Google mapだとこのへん →39.665301, 66.979828 (検索窓に入れるとでてきます) 数分待っただけでいっぱいになり、出発です。 マルシュルートカ シャーヒ・ズィンダ通り→イマーム・アリ・ブハリ廟 UZS 2,000

14:40 シヨブ・バザールから約20分。 イマーム・アリ・ブハリ廟に到着。 門の前でおろしてくれました。

長めの通路を通り抜けると噴水のある広場に出ます。 この奥がブハリ廟。 イマーム・アリ・ブハリは 「ハディース」(ムハンマドの伝記)の全集みたいなのを つくった人なんだとか。 ちなみにイマーム・アリ・ブハリは ブハラのチャシュマ・アイユーブでも出てきますが 本当に偉い人だったみたいです。 某歩き方には「新しい聖地として人々の信仰を集めている」 とありますが、パワースポット的な感じではなく、 ガイドによると、ウズベキスタン人にとっては メッカに次ぐくらいの聖地なんだそうです。 イマーム・アリ・ブハリ廟 入場料・カメラ撮影代 UZS 11,000

やはり中庭はよく手入れがされていますね。

まずは入って右の建物に行ってみます。

コーラン博物館になっていました。 上に飾ってあるのはキスワ。 1992年にサウジアラビアから贈られたものだそうで 本物だったらすごいですね。 キスワはカアバを覆う黒い布のことで 年に1回取り替えるそうですが これはその取り替えた後なのかも。

こちらはカアバのドア。 サウジアラビアの同胞からの贈り物とあります。 お土産屋さんでたまに置いてありますよね。 価値はちょっとよくわかりません。

続いて礼拝所。 単なる回廊に見えますが 礼拝のときは屋根の下の通路に絨毯を引いて お祈りするそうです。 自称ガイドいわく、その柱が注目ポイントだそうで、 ウズベキスタン各地から腕利きの技師を招いてつくったので その名前が彫ってあるんだとか。

小さな文字でいろいろ彫ってあるのが わかりますかね。。 かなり地味なポイント! ガイドがいなければこんなの気付きません。。

こちらがイマーム・アリ・ブハリ廟。 残念ながら工事中・・・

中には入れませんでしたが 一応チラ見できました。 得意の幾何学模様で 綺麗に設えられているようですね。

入口から向かって廟の左にはモスクがあります。

シンプルというのか何と言うのか 案外そっけない感じ。 ちなみに絨毯の赤い部分が 礼拝のときの一人分のスペースだそうで 結構な人数が収容できそうですね。 それでも足りなくて回廊にもでるということは やはりパワースポット程度の場所ではなさそうです。

モスク前には聖水ということで ご利益がある的な水がありました。 池の水かと思ったら どうやらホースの水が聖水らしく。。 みなさんホースの水で手を洗うとか 頭につけるとかしていました。

15:41 帰りもマルシュルートカです。 こちらも数分で満員に。 やはり信者が多いってことなんですかね。 マルシュルートカ イマーム・アリ・ブハリ廟→シャーヒ・ズィンダ通り UZS 2,000

16:24 ホテルに戻る途中、 ガイドが最後に寄ろうと言ったのがここ ビビハニム・モスク。 中央アジア最大「級」のモスクといわれます。 外観はやや修復が間に合っていない感じですかね。 ビビハニム・モスク 入場料・写真撮影代 UZS 10,000

入るとすぐに書見台が目に入ります。 タシケントのハズラティ・イマーム広場にある コーラン博物館で見た巨大なコーラン (オスマン・コーラン)を置くための台とされています。 この周りを願い事を唱えながらまわると叶うとか カップルがやると妊娠するとか 適当な言い伝えがあるそうです。

ビビハニム大モスク。 夕方は逆光になってしまいます。 すごい巨大で、フレームに入れるのが大変!

入口は封鎖されていて中には入れません。 のぞき穴みたいなのがあるので のぞいてみると→

崩壊・・・ このモスク、巨大なのと完成を急ぎすぎたせいで 完成直後から崩落があって おまけに地震があったりして 結局廃墟になってしまっていたんだとか。 こうしてみるとちょっと怖いですね。。

小モスクというのもありました。 「小」とありますが、これでもそれなりに大きいです。 すでに外壁に崩壊しそうな兆しが見えますね。

うわぁ、こっちの方がえぐいな。。

柱の跡がありますが これはさっきのイマーム・アリ・ブハリ廟でも見た 回廊の部分の跡なんだとか。 相当な信者数を見込んで作ったんでしょうね。 だんだん日が傾いてきたので 一旦ここでこの日は終了です。 ★☆★サマルカンド泊★☆★

これが六分儀。 これで1年が「365日6時間10分9.6秒」と観測したそうです。 現在のそれと誤差が1分以内とか、すごーい。 ウルグベク天文台跡 入場料 UZS 10,000 +写真撮影代 UZS ・・・3,000だっけ?うろ覚え。

天文台跡内部に入ると、なんとこれだけ! え!

ガラスの向こう側は六分儀になっていました。 これを使って測定したということですが、よくわからんです。。

ここは高台にあるので、 天文台跡がよくわからなくても 眺めのよさで楽しめるかも! ビビハニム・モスクの入口の門と 大モスクが並んで見えます。 ここから見ても巨大だというのがよくわかります。

反対側から見るとこのような感じ。 奥に見える建物はウルグベク関係の展示室になっていました。

32日目(2014/9/8) おはようございます。 気付けば掲載枚数がやばいことになっているので 重要じゃなさそうな場所はかっ飛ばして書いていこうと思います。 この日は、サマルカンドの北からレギスタン広場へ行き さらに西へ向かう行程で、残りの見所のほぼすべてを回ります。 最初はウルグベク天文台跡。 いきなり重要じゃなさそうな予感。(失礼 この人がウルグベクさん。 レギスタン広場のメドレセで登場した彼です。 バス 99 バス停名不明(39.653363, 66.970347)→ ウルグベク天文台跡前 UZS 700

9:47 ウルグベク天文台跡から徒歩12分。 最初公園かと思ったのですが なんとなく気になったので寄ってみたら ダニエル廟でした。 直感は大事にしないといけませんね。。 ダニエル廟 入場料 UZS 8,000

こちらがダニエル廟。 信者の方がお祈りしていたので ちょっと待ってから内部を見学。

今回は中には入れませんでしたが 信者の方は一周することもあるようです。 こんなに長いのは死後、体が伸びると考えられているからだとか。 18mもあるようで、十分長いのですが、 それ以上伸びたらどうするんだろう?

某歩き方には「霊廟のそばに聖水が湧いている」というのですが (2014版には”沸いている”とあるのですが、変換ミス?) どれ・・・? 霊廟の下(切符売り場の近く)に お祈り前に手足口を洗うところがあるのですが まさか、これ・・・?

これなの?そうなの・・・? どうもこれっぽいんですが。。 確かに水道ではなくて常に水が出続けています。

10:25 サクサクいきます。 このオブジェが見えてきたら アフラシャブ博物館に到着です。 このオブジェは記念撮影スポットみたいです。

博物館はこちら。 かつてのサマルカンドの町の中心はここで、 そのジオラマみたいなのがあったり 出土品の展示などがありました。 アフラシャブ博物館 入場料 UZS 8,000+写真撮影代 UZS 3,000

展示の中でも有名なのは たぶんこのソグド人の壁画。 見た感じ3割ぐらいしか残っておらず ボロボロの状態ですが。。

これは婚礼(または墓参り)の行進なんだとか。 行商かと思ってしまいました。。

私のようなよくわからない人向けに 綺麗な絵のパネルも用意しています。 これならわかりやすい!

船に乗っている人もいる! 某歩き方によると「中国の公女」らしいのですが どうやったらこの絵からそう解釈できるんだろう。。

博物館の横にゲートがあって ここからアフラシャブの丘へ行けます。 かつてのサマルカンドの都市の跡だそうです。 アフラシャブの丘 入場自由

”丘”の範囲は広大なのですが こんな感じでほとんど荒野です。。 Google mapの衛星写真で どのへんに都市の跡がありそうか目星を付けてから 行った方が楽しめるのかもしれません。

若干の土塊がありますね。 在りし日の何かなのでしょうが ちょっとさすがに厳しい・・・ ウイグルの故城系よりも難しいかも。。

11:25 アフラシャブ博物館から歩いて20分ほど。 博物館からだと下り坂になるので、 そこまできつくありません。 ハズラティ・ヒズル・モスクに到着です。 ハズラティ・ヒズル・モスク 入場料 UZS 10,000

テラスの壁のデザインが結構派手!w ちょっと変わった色合い。。

ただ、礼拝するところはそうでもないかも。。

上の写真で右側に人が並んでいますが その中はこんな感じで ちょっとよくわからず。。 カーペットが立てかけてあって、物置にしか見えません。。

そんなことより(ぇ テラスに出てみるといい眺め! ここは異教徒にとっては テラスで休憩するのがいいのかも。 入場料が必要だけど。。

こんな感じでいい眺めです。 ビビハニム・モスクがここでも圧倒的な存在感ですね。 ビビハニム・モスクの向かいにある 水色の玉ねぎ型の屋根はビビハニム廟。 後で寄ります。

モスクから降りてきたら あれ・・・ここからも同じような眺めが・・・ Google mapだとこのへんです →39.663206, 66.983331 モスクに興味がなくて 眺めを見るだけだったらここから見ればよいような気が・・・

屋根の模様はパソコンで描いたようなパターンですが 控えめというか、 どことなく繊細な雰囲気ですね。

11:47 続いてシャーヒ・ズィンダ廟群にやってきました。 ハズラティ・ヒズル・モスクから 歩いて6~7分程度。 この辺りは見所が連続していて 観光しやすくてありがたいです。 ここは、サマルカンドに来たら 寄っておきたいスポットの一つだと思います。 シャーヒ・ズィンダ廟群 入場料 UZS 7,000+写真撮影代 UZS 4,000

まず、某歩き方にも載っていますが 入ってすぐの階段を数えながら上ります。 降りるときも同じ数だと天国行きだそうで 「天国の階段」とか言われているんだとか。 何段が正解なのかはよくわかりませんが・・・ このときは42段でした。帰りも数えなきゃ!

シャーヒ・ズィンダ廟群は お墓の街道といったような場所で 一本道沿いにお墓が立ち並んでいます。 偉人のお墓が並び、ここをお参りすると メッカに行ったのと同じ効果があるとされ ウズベキスタンでは「第二のメッカ」とも呼ばれるんだとか。 # ちなみに「第三のメッカ」はヒヴァにあります。 まずはこれ。コシュ・グンバズ廟。 「天国の階段」の途中に入口があるので 入る際は何段だったか忘れないように注意ですw

中は、なんというかエレガントな感じ。 詳細不明ながらティムールの乳母の墓と考えられていて 言われてみると女性的なデザインかも。

壁のアップ! すごく素敵なデザインだと思います。

階段を登りきったところ。 独特の青が目にまぶしいです。 サマルカンド・ブルーってやつですね。

続いてトゥグル・テキン廟。 ティムールの部下の母親に捧げられたもので その部下も葬られているそうです。

あれ・・・ 中は真っ白・・・ 壁から屋根まで全部白でした。

同じような外観の建物が続きますが これはトゥグル・テキン廟の真向かいにある アミールゾダ廟。

ここも真っ白でした。。

4つ目はシリンベカ廟。 ティムールの妹のお墓だそうです。 もう大きすぎて写真に入らない・・・

ここは内装ありでした! 中もサマルカンド・ブルーのタイルと クリーム色をベースにした壁。 光の加減で、ちょっと薄い金にも見えます。

天井もきれいな色! こういうのって何色って言うんですかねー。

5つ目はシャーディムルク・アカ廟。 ティムールの妹の娘(ってことは姪)の墓だそう。 パネルには最も美しい建築物の一つと 書いてあります。 確かに外観はすごく装飾が細かい! 中はどうかな?

あれっ・・・ お墓は白いパターンでした。 壁は、、→

・・・そうですねぇ。。 見間違いだったらごめんなさい。 たぶん、ちょっと掃除した方がいいのかもしれない? ちょっとくすんでいるような気が・・・

天井の写真はというと 痛恨のピンボケw 休憩したほうがいいな。。

続いて名無しさんの墓。 名無しだけあって、全くデコれてません。 他の墓との扱いの差がひどいですねw 名無しとはいえ、この並びにあるんだから それなりの地位の人だと思いますが。。

お墓の方はデコってました。 今までの白いお墓も もとは綺麗な色の模様があったのかもしれませんね。

名無しさんのお墓の周辺は 広場っぽくなっていました。

続いてウスト・アリ・ナサフィ廟。 さっきのシャーティムルク・アカ廟と 一見見間違えそうなデザイン。

中も同じようなデザインでした。

天井はこっちの方がいいかな。 ピンボケもしてないしw

アミール・ブルンドゥク廟。 未完成に終わったらしく、 タイルが貼り切れなかったようです。 中はいたってシンプル。 壁の下のほうだけ水色のタイルがありますが お墓と壁紙は真っ白。 屋根は真っ白ながら タイルはめ込み用の模様はついていました。 長くなるので写真は割愛w

続いてはこのアーチに入って右にある入口から クサム・イブン・アッバース廟へ。 サマルカンドで一番古い建物らしいです。

廊下の行き止まりがこの部屋です。 この扉の奥に墓石があるのですが 残念ながら中は確認できず。。

天井はまさかの緑。 ずっとブルーだったので新鮮。

さっきのアーチをくぐると 3つの廟がコの字に並んでいます。 トゥマン・アカ廟。 閉店ガラガラでした。

一番行き止まりにあるのが フッジャ・アフマッド廟です。 この廟の形を、他の廟が真似たそうです。

お手本とはいえ、中は真っ白。 壁も天井も白くて何の模様もありませんでした。 これで廟群はおしまい。 この奥にも通路が続きますが、一般人のお墓のエリアです。 引き返して次の場所へ向かいますが 帰りも「天国の階段」を数えるのを忘れずに。 今回も42段。一致! 遅かれ早かれ天国に旅立たせていただこうと思います。

その向かいに立つのがクトゥルグ・アカ廟。

一応、天井に近い壁にはブルーのタイル貼りがあるものの 中は恐ろしいほど殺風景でした。 廟群では、平べったいお墓は初かも?

ご覧のように、これまでの廟とは違い かなり大きい廟です。 大きいため廊下があるのですが 廊下付のお墓とか、あんまりないですよね。

またまたタシケント通りに戻ってきました。 学生さんが暑い中、楽しそうに歩いています。 制服は西洋風なんですね。

その隣にあるのがビビハニム・モスク。 前の日に寄ってるし、遠景で散々登場しているので 割愛。

前の日に寄ったシヨブ・バザール。 この日は月曜日のためお休み。 定休日調べって結構大事ですね。

13:01 ビビハニム・モスクの向かいにあるのがビビハニム廟。 ビビハニム廟 入場料 UZS 8,000

屋根の柄はこんな感じで 結構凝ってます。

中はズバリこれだけ。 どれが誰の廟だかはメモったつもりでいたのですが 見当たらず。。 一番左の刺繍の豪華なやつがビビハニムの廟で あとは兄弟姉妹とかじゃなかったっけ・・・?

壁面はかなり綺麗に修復されていました。

天井は真っ白ですが、模様が細かく入っており これはこれで綺麗です。

よく思い出せないので、次行っちゃいます。 タシケント通りを進み、ライオンの公園を抜けて→

レギスタン通りを西へ。 レギスタン広場の前を通って→

きれいな噴水公園がでてきたらもうすぐ。 思いっきり逆光!

14:57 ルハバット廟に到着。 入口は建物の西側にあるので、 ちょっとわかりにくいかも。 ルハバット廟 入場料 UZS 8,000

かなり質素な廟で、中はこれだけです。 手前奥の墓石がシェイヒ・ブルハヌッディン・サガルジ という”神秘主義者”のお墓。 ムハンマドの髪が一緒に葬られたとかで 話題になったそうですが、 ガセっぽいですよね。。

15:10 すぐそばにグリ・アミール廟があります。 ここもサマルカンドでは寄っておきたい場所の一つ。 ティムールのお墓です。 グリ・アミール廟(アミール・ティムール廟) 入場料 UZS 10,000(2日有効)

パンフレットとかに載っている角度から。 こっちの方が全景がわかっていいですね。

壁をアップ! ここもサマルカンド・ブルーのタイル。 何度どこで見ても綺麗です。

手前の門をくぐるとこの建物があり この中にお墓があります。

なんだ、この異空間! これまでにはないほどの厳かな感じ。 それでいて色遣いがキレイすぎ!

墓石が並んでいます。 中央の黒いものがティムールのお墓。 右の大きなのがムハンマド・スルタン。 手前がウルグベク。 左の3つは息子2人とひ孫。 奥はティムールの先生とひ孫。 いずれもこの墓石の地下に実際の亡骸があるそうです。

ティムールは、シャフリサーブス出身なこともあり お墓はシャフリサーブスに作って欲しかったらしいんですが サマルカンドに作られてしまったわけで ちょっと気の毒かも。 しかも観光地化されてしまい(だって世界遺産だし) なかなか安らかには眠れそうにないですね。

天井も綺麗。 さっきからキレイ、キレイと言っていますが 「綺麗」以外に何て言ったらいいんですかね。 ”偉大なるティムールの墓”には興味がなくても 壁や天井を見にくるのも悪くないと思います。

15:31 グリ・アミール廟の奥に アク・サライ廟がありました。 なんか大したことなさそうな予感。。(失礼 アク・サライ廟 入場料 UZS 5,000

ところがどっこい 装飾が予想以上に綺麗w

床の隅に蓋みたいなのが開いているのを発見。 階段があったので下りてみます。

地下に降りると、墓石がありました。 だいたいどこも廟はこんな感じではありますが グリ・アミール廟を見た直後だと ちょっと印象には残らないかもしれません。。

15:58 まだ4時前なので、ちょっと外れにある博物館まで 歩いていってみます。 ウニヴェルスィチェチ(=Universityのこと)大通りの 交差点を横切るとティムール像があります。 観光客じゃなさそうな人も写真撮影をしていて ちょっとした撮影スポットになっているのかも。

16:19 グリ・アミール廟から徒歩約30分。 こんなにかかると思わなかった・・・ 郷土史博物館です。 郷土史博物館 入場料 UZS 10,000+写真撮影代 UZS 3,000

展示室は2箇所あるようなのですが 最初に係員に連れてこられたのはこちらでした。 考古学とか歴史の展示っぽいです。

ビビハニム・モスクの崩落時代の写真がありました。 家畜っぽい群れが真ん前を通っていて 歴史的に価値の高い建物だとは思えないですね。。

グリ・アミール廟の崩落時代の写真もありました。 修復されてティムールも喜んでいることでしょう。

その他スザニ的な展示など 民俗のコーナーもありました。

もう一つの展示室にきたら なんだかきれいな内装のお部屋! もともとユダヤ人貿易商の家だったらしいです。

ダビデの星を髣髴をさせるデザインの ステンドグラスもありました。 豪華すぎない感じがいいですね。 ピアノが置いてありますね。

2個上の写真の反対方向。 2階があるみたいなので、行ってみます。

2階にはまたピアノがありました。 というかピアノしかありません。。

2階からの眺めですが 1階からとあんまり変わらないかも・・・

居住スペースの方にも行ってみました。 実際に見たときは地味な感じがしたのですが 改めて写真で見ると、そうでもないかも。。 そしてここにもピアノがあります。 一体何台あるんだろうw

16:53 まだ明るいのでもう1箇所 寄っても寄らなくてもいいやと思っていた場所へ向かいますw 運良く正規っぽいタクシーが拾えました。 タクシー 郷土史博物館前→イシュラトハナ廟前 UZS 8,000(要交渉)

17:06 イシュラトハナ廟です。 残念ながら廃墟ですね。。 この崩れた様子を、某歩き方は 「かえって風情を感じさせる」と書いていますが さすがに嘘でしょそれ・・・ イシュラトハナ廟 入場料 ?(係員がいれば支払うらしいが、いなかった)

現在修復中だそうで 入口前にはすごい瓦礫の山が。

中は建築現場そのものw

地下への階段がありましたが 封鎖されていて入れません。 ティムール家の女性・子供のお墓があるそうです。

一部屋だけ、修復がそこそこ進んでそうな所がありました。 結構かわいいデザインだと思いますが 修復がはじまって数年経っていてこれだけって 全部出来上がるのはいつのことやら。。

17:12 道路を挟んで イシュラトハナ廟の向かい側にあるのは フッジャ・アブディダルン廟というそうです。 フッジャ・アブディダルン廟 入場無料(たぶん)

門をくぐったら廟があるのかと思いきや 駐車場でしたw この建物の中にあるらしいです。

中庭には大きな木と池があって 時間的に日陰になっていることもあり なんだか落ち着きます。 正面のが廟っぽいですね。 中をのぞいてみます。

あれ、何も無い・・・ 今になって思うと 正面の木の格子の向こうがあやしいのですが このときは気付かずに 終 了 でした。。

廟の隣にはモスクがありました。 お祈りしている人がいるので終わるまで待って 中をのぞいてみます。

モダンな感じのモスクでした。 こういうのが普通のモスクなのかな。

これも翌日の食事なのですがシャシリク(UZS 6,000)。 塩味が効いてややスパイシーですが 辛くはないです。 玉ねぎの食感がアクセントになって、 パクパクいけちゃいます。 これはおすすめ!

18:42 レギスタン広場に戻ってきました。 なんかいい感じの夕暮れに。 タクシー フッジャ・アブディダルン廟前→レギスタン広場 UZS 3,000(要交渉)

三越ライオン公園の方を見ると 月がでているのがわかります。 写真だとうまく色が出ませんが かなり綺麗な空でした。

徐々に日が暮れていきます。 このあたりをぶらぶらしていたら 日本人男性に声をかけられしばし歓談。 一週間の旅行でヒワとサマルカンドと タシケントをまわって帰るんだとか。 滋賀県の方だったのですが 琵琶湖がくさいという話で盛り上がっていると→

え、なになに!? 何かはじまった!?

ライトアップが始まったようです。 何の予告もなく始まったので あわてて写真を撮りだします。

しばし見とれます。

不思議な色・・・

しかし一瞬で濃厚になってしまい→

さらにグロい色に。。 カラーセンスが我々とは違うようです。。

この色はきれい!

ギャラリーも集まってきました。

19:54 そして何の予告もなく突然真っ暗に!w 終わる前にひと盛り上がりするとかはないのか・・・w

19:59 ライトアップが終わったところで宿に戻ります。 あー長かった。。 ★☆★サマルカンド泊★☆★ まとめです。 今回は量が多いので簡潔に。 <必ず行きたい> ・レギスタン広場 ・シャーヒ・ズィンダ廟群 ・グリ・アミール廟(アミール・ティムール廟) ・ビビハニム・モスク <行ってもいいかな> ・シヨブ・バザール ・イマーム・アリ・ブハリ廟 ・アフラシャブ博物館 ・郷土史博物館 <時間の無駄> ・ウルグベク天文台跡 ・ダニエル廟 ・アフラシャブの丘 ・ハズラティ・ヒズル・モスク ・ビビハニム廟 ・ルハバッド廟 ・アク・サライ廟 ・イシュラトハナ廟 ・フッジャ・アブディダウン廟 --------------------------- 33日目 ウズベキスタン シャフリサーブス http://4travel.jp/travelogue/10940025 へ続く→→→

レギスタン広場に面した歩行者通り。どーーーーんと大きな造りに圧倒されます。

サマルカンドと言えばこのレギスタン広場!左がウルグベグ・メドレセ、中央右がティラカリ・メドレセ。そして写真外右側にはバチ当たりメドレセのシェルドル・メドレセ。とにかく写真に収まりきらないほどの大きさを誇る建造物に圧倒。

上の地図のアドバイスに従い、タクシーで『キャピタルバンク、ホテルシャビスタン』と言うもなぜか下ろされた場所には銀行はなく(涙)。 仕方なく手持ちの別の地図を頼りに、バスに乗ってキャピタルバンクの表示が場所へ行くも、やはり銀行らしい建物はなく(涙)。ううっ…。 最終的には何度か目に乗ったタクシーが連れてってくれました。この辺りがウズベキスタンの旅行のしにくさになってるんだなあ…。

こちらは大学。とにかく計画都市らしく、大きな通りに大きな建物がドカーンと建っている。 散策はこれ位にして、バスに乗って近場の観光スポット・ティムール廟へ向かいます。

現金も調達できホッと一安心。そのまま巨大なサマルカンド郊外をブラブラ。 これは大きな公園か動物園か?よく分かりませんでした。

これもなんかそういった類の場所だとおもう。ウズ語はよく分からない…

ティムール廟入口。巨大な門に見事な装飾!作るのを想像しただけで気が遠くなりそうだ…。さすがは中央アジア随一の覇者。 ちなみにティムールは遊牧民だったので特定の居城は持たず、超!巨大なゲル(移動式の丸い遊牧民用テント。別名ユルタ)で支配地を移動していたらしい。だから墓だけが残っているのだ。

外観。ティムール王朝のカラーとも言える青色のドームが眩しい。 ここを歩いていると、ティムール廟の修復の手伝いをしているというウズベク人に日本語で声をかけられた。曰く彼のお兄さんが東京でSEの仕事をしているそうだ。 いろいろ話すうちに、明日観光に行くなら主要なスポットを車で回ってあげると言われる。うーん…別にいらんけどなぁとおもっていたが、そこはウズベク人。この人たち非常に商売上手なんです。みるみる彼のペースに巻き込まれ、結局色々交渉した結果、1日で26ドル+2000円で頼むことに。今から思い起こすと高いよな…。 しかし翌日は体調不良に襲われたため、結果的にこの選択は正しいことになるのだった。

アミール・ティムールの肖像画と、彼の治世の最大判図。西はトルコやカフカスから東はインド北西部まで。さすがチンギスハーンの後継者だと称しただけある。

内部。真ん中の黒い墓石がティムールのもの。 ティムールは故郷シャフリサーブスでの埋葬を望んでいたが、1405年に彼が中国遠征の途中で急死すると、元々は彼の孫ムハンマド・スルタンのお墓があったこの廟に葬られることとなった。ちなみに本物の墓室は地下にあるけれど現在は入場不可。 ムハンマド・スルタンの墓はティムールの隣にあり、奥にはもう1人のティムール朝の立役者であり、この廟を完成させたウルグ・ベクのお墓もある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%BB%9F

右手に見えるのは、ティムール廟入口から見て裏側にあるアクサライ廟。こじんまりとした裏通りに建っています。大した額ではないけれど別途入場料が必要でした。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%A4%E5%BB%9F

地味な外観とは対称的に、美しい幾何学模様の装飾に目を奪われる。八角形の屋根の造作も非常に繊細。

地下には不明者の墓地があった。 アクサライ廟はとても小さく、10分も経たずに見学は終了です。

ここで体調不良につき、宿の近くまで送ってもらう。最後の気力を振り絞って、レギスタン広場周辺の見どころへ。

最後はサマルカンドの代表的なスポット、レギスタン広場のメドレセ群へ。

通りには犬の散歩をする人たちも!かわいい…(^_^)

レギスタン広場の目の前にある、ラビ・ゴールというチャイハネ的な建物のレストランへ。

夕刻、いい時間になってきたので、レギスタン広場前のレギスタン通りに戻り夕食。

メニューがなく、ウエイターと色々相談しながら注文。ラグマン、サラダ、ここの名物の煮込みシチュー的なもの、チャイ。汁も具もたっぷりなラグマンはこれで小サイズ!食べ応えあったー。 そしてここでうっかり生野菜を口にしてしまった…これが翌日の体調不良の原因になったと思われる。最後の最後で食当たりとは(T_T)

30分ほど走って着いた最初の目的地は、手漉き紙の工房・コニギルメロス。街の喧騒が嘘のような田舎の住宅街にある、桃源郷みたいな雰囲気。 751年タラス河畔の戦いで、中国側の紙職人からイスラム側に製紙技術が伝わった後、ここサマルカンドでは中東一と呼ばれるほど製紙業が盛んになった。近代化に押され19世紀半ばには生産が一時途絶えてしまったものを、21世紀に入りJICAの支援もあり再びここで稼働をはじめたとのことです。

敷地内には川が流れており、水面が朝日に照らされてキラキラしている。せせらぎの音も相まって最高に気持ち良いです。 サマルカンドの大都会の喧騒を癒してくれる、かなりオススメのスポットです。

風通しの良い場所でマルベリーの木が干されている。

丘の上にあったダニエル廟と棺桶。彼は紀元前4~3世紀の人だそうで、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の聖人です。なんでもその遺骨は年々伸びるとの言い伝えがあり、ティムールがこのような長い棺桶を作ったらしい…。上にかけられた緑の布はサウジアラビアからの寄贈品だとのこと。

ダニエル廟のある丘は眺めが大変よく、一帯の公園を見渡すことができます。気持ちいいー!

東屋の中にある水汲み場。これは聖水と崇められており、絶えず人が訪れては水を組んでいきます。

お次の観光スポットはダニエル廟。18mもの長ーい棺桶で有名です。 入場料は外国人10000スム。ちなみにウズベク人は800スムでした…。凄い差額w

隣には博物館がありました。

巨大なスケールのこの天文台! 1400年前後に作られたこの天文台は、現在は11mの地下部分のみが残っていますが本当は地上部分もあわせ40mの大きさを誇ったそうです。ウルグベクはここでの観測を元に1年間の暦を測ったそうですが、なんと現在の暦と誤差は1分弱という素晴らしい正確さだそうです。

中には天文台を復元したミニチュアはじめ、ウルグベクの業績などを記した展示物などがあり。

ウルグベク天文台を出て西に進むと、見えてくる丘がアフロシャブの丘。ここにかつてのサマルカンドの街があったのですが、モンゴル帝国の襲来により壊滅させられ、今では茫漠とした荒涼たる丘にしか見えない。恐るべしモンゴル軍…。

最後はシャーヒズィンダ廟群へ。ここはティムールに関係ある親族などの霊廟が並んでいる。入場料8000スム。

中はどこまでも青・青・青の廟が建ち並び圧巻!

廟の中には墓石が安置されている。

外に墓石が安置されていた場所も。

入口。看板には誰が葬られているのか、名前とティムールとの関係性が記されている。

とにかくイスラム的文様が美しく、豊潤過ぎる空間でした。

とにかく1つ1つの装飾が非常に細かく繊細。それが何十個とも並んでいるのです。

ビビハニムモスク。ティムール妃の名前を冠されたこのモスクは、かつては最大規模を誇ったともいえる巨大モスクで、ティムールによって工事の進行を早められたせいもあり崩壊も早かったと言われている。入場料12000スム http://www.advantour.com/jp/uzbekistan/samarkand/bibi-hanim.htm

お向かいにあったビビハニム廟。

内部はシンプルな造り。現在もその大きな姿はそのままに、静かな様子で佇んでいる。

続いてお隣にあるシヨブ・バザールへ。帰国も近いのでここではお土産を買いました。

お次はティラカリ・メドレセ。正面にあるこのメドレゼは最も新しい造りで、1660年に建設完成した。

最初はウルグベク・メドレセから見学します。3つの中で最も古い1440年ごろに建てられた神学校。名前のとおりウルグ・ベクによって建設されました。

中はメドレセの面影はなく、お土産物屋になっていました。うーーーん。

内部は広く、かつては礼拝所としても使用されていたらしい。

黄金のミフラーブ(メッカの方向を指す凹)。これが非常に天井高く、かつ黄金使いが荘厳で目を奪われる。。。3kgもの金塊が使われたとか。このことからティラカリ=金箔のメドレセと呼ばれている。

中には展示コーナーがあり。展示物の前に土産物屋が居座っているのが中央アジアらしい光景である笑。

メドレセの昔の配置や修復時の破片など。

かつての様子の写真コーナー。

ここもブハラの罰当たりメドレセと同じく偶像崇拝厳禁のイスラーム建築なのに、ライオンの背中にくっきりと人の顔が…(汗)。なかなか豪快というか、恐れしらずな装飾である。

そして最後に罰当たりメドレゼのシェルドル・メドレセ。

ここも内部はお土産屋がズラリ。メドレセの面影はほとんどない。

広場内に入るにはボディチェック有。夏期で真ん中はステージとなるらしく、通行不可だった。また夕方にステージ練習などがあるらしく、14時までしか見学不可であった。

さて、観光はあとにしてまずは宿へとチェックイン。ここでの宿はレギスタン広場にほど近い住宅地にある『ジャホンギルB&B』。 レギスタン広場の対面にあったスーパー、その名も"レギスタン"(笑)。このスーパーの横の通りを進み、庶民的なエリアへ。

途中にあった貯水場的なプールでは、暑さに耐えかねた子供たちが泳いでいた。

子供たちが写真撮ってー、と言ってきたのでパチリ。良い表情やね!

さて気を取り直して昼食を。 ショルバ(スープ)&サマルカンドナン。しみじみとしたショルバに、むっちりもっちりなサマルカンドナンが大変美味!他地域のナンとは一線画してる感アリ。

そのうちの一軒でランチ。入ってみると、昼からウズベクオヤジがビールジョッキをガンガン開けているような酒場風な食堂だったw。ちょっと場違い感が…笑 しかし英語を話せる若いにーちゃん店員がとてもフレンドリーだったので救われる。彼曰く『数日前にも日本人の男性が来たんだよ~。名前は…えーと…』 ん…!? それってもしやブハラで一緒だったHさんじゃ?! 彼、サマルカンドの酒場でオヤジたち数人と一晩でウォッカ何本も空けたって言ってたよ! 『そうそうHだH!…えっ、君たち知り合いなの?!』 サマルカンド広しと言えどなぜか同じ店をチョイスしてしまう偶然ったら!この旅ベスト3に入るビックリ&笑えたエピソードだった。 店員さんはHさんのことを気に入っていたようで、Hさんがもうサマルカンドに居ないのを知ってとても寂しそうにしていた。

ついでに羊のシャシリーク(串焼き)。ここのは炭焼きで、癖が無くて大変美味。 この3品でお会計は2ドル以下だった。簡素だけどなかなかリーズナブルな昼食でした。

ちなみにこのレギスタンスーパーは、1階の食品売り場と2階の雑貨・衣料コーナーがある中規模な造り。ウズベクならではのお土産もあり、ちょっとしたお土産を買うのに助かりました:) お値段もそこそこ、バザールで買うよりも少々割高でしたが物はきちんとしていました。

ティムール廟前の広場。スケール大きな噴水が印象的です。 ここで気温を測ると…35度。ブハラの40度超えに比べれば涼しいけれど、それでもまだまだ暑い日々。

本日の宿『ジャホンギル』。レギスタンスーパーから5分ほど歩いて到着。近くて良い!

いかにもウズベク~な観光地的なレストラン。事前にクチコミ検索してたら別のレストランに入ってたと思う。

シチューは薄味なれど余計なものが入ってない優しいお味で○。 この店、全体的に会計がお高めみたいで全部で40000スムほどでした。メニューがないから値段が不明瞭な観光地プライスだった。窓際席でレギスタン広場の眺めは素晴らしかったからまあ許容範囲かな。

紙の原料となる木の皮を剥いでいるところ。これを煮込んでドロドロのパルプにします。日本の和紙ではコウゾを原料にしますが、ここはマルベリー(桑)の木を使っています。そのため和紙とは仕上がりが変わってくるのだ。

紙すき。先ほどの煮込んでドロドロになったパルプ液を適度にすくい上げ、紙すき枠で濾していく。この辺りの工程は和紙と同じ。

これを水取り紙に挟んだあと、網にのせて乾燥させる。乾いたら今度は磨き石を使って紙をこすっていく。するとあら不思議!紙に光沢が出てくるのだ。この輝きと滑らかさがサマルカンドペーパーの特徴なのだ。

手漉き紙で作られたお土産品の品々。手書きのイラストが素敵なポストカードのほかにも、カレンダーや袋、果てには紙で作られた洋服までありました!私事ですが、仕事でも手漉き紙を作る機会があるため、インスピレーションをたくさん貰いとても参考になったのでした。 入場料2500スムはお土産を買うとおまけして貰えました★最後にお茶とお菓子を頂き、大満足で工房を後に。

この紙すき工房はサマルカンド市内からさほど離れていないのに、とても入り組んだ田舎道の真ん中にあります。迷路のような村内の道でしたが、エルキンさんはここが地元らしくスイスイと市内へと戻っていった。

そして中央にいるのが我らがウルグベク。 ティムールの孫ながら学者肌の指導者で、イスラーム的なメドレゼやモスクをたくさん作った一方で、天文学や詩・音楽といった学問/芸術振興の鞭をとり、それがサマルカンドの都を大いに発展させたという。 彼は先ほどのティムール廟に埋葬されましたが、ソ連時代での発掘の結果、首を切り落とされて殺されたことが分かっている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%AF

続いてダニエル廟のほぼお向かいにある、ウルグベク天文台。左側の筒状になっているものが天文台として使われていました。

訪問客もとても多く、青の都サマルカンドならではの建物だと思った。

さて翌日。なんとなく身体がダルくてぐったり。あーこれは食当たりだ昨日のサラダだ…と気づくももう遅い。これまで何度も生野菜食べてたけど大丈夫だったんだけどな。旅の最後だから油断したな。宿の朝食は豪華だったけど、スイカとチャイだけしか頂けず悔しい…! さて昨日約束したエルキン氏、朝8時にレギスタンスーパー前に登場。グロッキー気味なので車で回ってくれたのはとても有難かったです。

スパイスやドライフルーツなどを扱うお店。ロシア語で相場を聞いて回って、最も安いところでウズベク名物のレーズン数種類をお買い上げ。100g1500スム也★

そのほかに見かけて楽しかった物。イチジクのクルミ詰め。見た目も陳列もとても洒落てる!100g6000スム位だった気が。

内陸部なのに海の魚が!う~~~ん、どこからやってきているのか…ナゾ。

サマルカンド1のバザールは庶民の市場という感じで大変賑わっていました。

そしてこちらにもありました、サマルカンドナン!こうしてみると非常に巨大です。

こんな風にリヤカーに載せられて売られているブースも多数。お値段は店によってまちまち。1000~3000スム。とても美味しそうで、日本まで持って帰るかどうか真剣に悩みましたが、日本の湿気に耐えられないと判断したのと、重量オーバーにより泣く泣く断念…今から考えれば手持ちにしてでも持って帰ってこればよかった!

椅子が並び、市民の憩いの場ともなっていたり、コンサートが開かれたりしている

こんなものまで!これで君もウズベク人だ!

天井も素晴らしい出来栄え!すーーーっと吸い込まれていくかのような、青と金のコントラストと文様が美しすぎる...。

これで一連のメドレセ群見学は終了。しかし残念だったのは、コンサートの会場設営のためこのような照明が建築物の前にばしばしと置かれていたこと…景観が台無しだよ…さすが理より実を取るウズ人である。

そして巨大なウズベク男女人形…これはマスコット?展示品?それとも売り物なのか…ゆるーい表情にまた味があります。

レギスタンスーパー横の通り。そこはすでにローカルのエリア。庶民的な食堂が並んでおり、サマルカンドナンを積んだリヤカーもズラリ。ここでの価格は1500スム(約40円)。かなり大きいのに安い!

宿からバスで再びサマルカンド駅へ。構内は街のテーマカラーである青色のステンドグラスの装飾が美しい造りだった。ただ豪華な造りの割には売店があまり芳しくないので市中調達が吉。

止まっていたアフロショブ号。ウズベク国内最速を誇る高速列車ですが、今回はこれには乗らず、ブハラ→サマルカンド間で乗車したシャルク号に再び乗ります。

8月23日 おはようございます。休んだ甲斐あって無事に復活!昨日は泣く泣く諦めた豪華な朝食も、今日は遠慮なくいただきまーーーす! 旅の最後で健康のありがたさを噛みしめつつ、みっしりモッチリなサマルカンドナンを噛みしめうつ、列車でタシケントへ戻って帰国便へ。

ブハラ→サマルカンド間は鉄道で移動。 8:40発シャルク号→12:03 サマルカンド到着。

2等車は6人掛けで、約3時間の乗車時間のあいだに同じコンパートメントのウズベク女子と仲良くなりいろいろ話す。曰くわたしが初めて話した外国人だったらしい…カタコトの英語とロシア語とで意思の疎通を図りニッコリ。 やっぱり列車の旅ってイイね!

サマルカンド駅外観。ウズベク国内にしては大き目の駅舎。

サマルカンドのホーム。ほぼ定刻通りの到着でした。 ホームにはご当地フードのサマルカンドナンの販売を見かけた。1つ3000スム也。バザールや街中の倍値だった。

駅前には広場とバスターミナルがあり、ここから市内中心部行きのバスに乗れます。最中心部のレギスタン広場行きの3番バスに乗り込む。 バスの行き先がアルファベット表記なので分かりやすくて◎。

サマルカンド鉄道駅と市内中心部は結構離れていた。計画都市らしく開発された大きな道路や建物を眺めながら、20分くらいでレギスタン広場前へ。これは車窓から見えたティムール像。

通りをさらに進む。店も無くなり完全にローカルの住宅街。

スタッフに両替をお願いするも、手持ちの資金が底を尽きかけている事実…。この札束!でもこれだけあっても50ドルあるかないかのだ…笑 クレジットのキャッシングで資金調達をと思うも、ここはウズベキスタン。国営銀行(キャピタルバンク)以外は海外のクレジットカードは受付不可なんです…!店でもほとんど使えません(涙)。 こうしてまずは銀行探しに奔走するハメになったのでした…(TT)

シングルの部屋も内装がウズベクらしい雰囲気でカワイイ!女性は気に入ると思います。

宿に戻ったころはもうフラフラ…朝まで飲まず食わずで大人しく宿でゴロゴロ…。明日は帰国日、なんとか体調が戻ってくれることを祈りつつ休養に専念。おやすみー。

ジャホンギルでもらった、主要な観光地や銀行や食堂などが示された地図。すごく頼りになりました。これを参考に国営銀行へ。

壁の中は葡萄棚に囲まれた中庭が印象的な、とても素敵な造りでした★ついついノンビリしてしまう…:) 家族経営らしい温かいおもてなしも心地よく、オススメの宿です!

タシケントに戻った後は、お土産と軽い市内散策をした後にタシケント空港へ。長かったシルクロード横断の旅も、いよいよ終わりに近づいてきた。

最後の関所であった税関審査とレギストリーツィアチェックを何とかパスし、いちいち行列のできる荷物チェックを3度くぐり抜け、ようやく機内へ。ふう。そして離陸。 さよならウズベキスタン、さよならシルクロード!

大韓航空の機内食。なかなか美味でエライ! 舌包みを打った後は、ブハラで別れたHさんと3たび奇跡の再開!同じ便だとは聞いていたけど、本当に会えるなんてビックリー! 一緒に仁川でのトランジット手続きを済ませた後はガッチリ握手し、彼は大阪へ、わたしは東京へ、それぞれの便でお互いの住む街へと帰っていったのでした。 最後の最後まで出会いと別れとが交錯する、とってもシルクロードの旅にふさわしい展開だったなあ! ★ 旅人たちはシルクロードで様々なものに出会い、そして別れる。古来からのそうやって人は往来を続けてきた。『シルクロード』という響きに期待とロマンを感じるのは、きっとそんな数えきれないいくつもの出会いと別れのドラマを感じさせるからであると思います。 そんなシルクロードの旅、とても楽しかったです。皆様も是非いつか彼の地を踏んでみてください...そこには予想以上のドラマが待っていることでしょう★ これにて2015年、シルクロード旅日記を〆させて頂きます。ここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。

到着したのはブハラ市街地ではなく、なんとブハラの町の東の郊外にあるバハウッディンナクシュバンド廟…;^_^A ブハラ市街地のバハウッディン通りだと連呼してたら、その通りの東の果てにある本物のバハウッディン廟行きのバスに乗せられたようでした…。まあタダだし、こういうハプニングも全然あり! そしてここがまた素晴らしいところだったので結果オーライで★こういうことがあるから旅はたのしいのだ!

バハウッディンのお墓。イスラム教の神秘主義教団ナクシュバンディー教団の創始者だそうで、この辺りでは人気を博したお人だとか。 トルキスタンのコジャもそうでしたが、中央アジアのイスラム化には神秘主義教団が大きな役割を果たしている。 https://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E5%BB%9F-673028

この廟の敷地内にある建物はどれも装飾が非常に美しく、とても見ごたえがありました。例えばこんな東屋の屋根一つとっても細かい色つけと文様。

記念撮影中の家族。この廟は、トルキスタンのコジャ廟と同じように中央アジアではメッカに次ぐ聖地だそうで、地元人に大人気。

彩色されていない部分も、気の遠くなるような細かい彫刻が施されています。

また園内は緑に溢れており、平和で穏やかな空気に満ちています。ちなみに入場料は取られませんでした。

奥の方にあった願いの木と呼ばれる桑の古木。触ると子宝に恵まれるということで、女性たちが集まってペタペタと触れていました。わたしも触ってみた。ご利益あるといいなぁ!

こういう人工池=ハウズのあるアプローチとか、いかにもイスラム的な庭園の造りだとおもう。灼熱の中の涼。

バハウッディン廟はさほど広くないため、ざっと見学するだけなら1時間もあれば十分です。 廟の対面には駐車場やバスターミナル、売店と食堂など集まった建物があります。ここでブハラ市街地行きのマルシュを探す。

入口の門上部のアップ。見事に顔が描かれています。偶像崇拝を禁じるイスラム建築の中でこんなバチ当たりな造りなのはこことサマルカンドのシェルドル・マドラサだけです。 いやーホント自由だな、中央アジアのムスリムは!こういうのダイスキ★

このラビハウズの周りにはモスクやメドレゼ(神学校)などが建っており、かの有名なバチ当たりメドレゼ、ナディール・ディヴァンベギ・マドラサもここにあります。 http://illumination.web.fc2.com/bukhoro/bukhoro_10.htm

そして中の建物は土産物屋として機能してるという…こんな光景をアラブのムスリムが見たら卒倒しそうです、いやはや。

ラビハウズの西にある、タキと呼ばれるドーム型の屋根で覆われたバザール。 http://illumination.web.fc2.com/bukhoro/bukhoro_15.htm

毛皮の帽子売り。この殺人的に暑い時期にどこの誰がこれを買うというのだ…と店主は考える気はないのだろうか。。。

タキ内部だけでなく、その周りの小道にも売店があって見てるだけでも楽しい。ここはまた職人街にもなっている。

ラビハウズから更に西へ、タキと呼ばれる屋根付きバザールの方へと進みます。この辺りから土産物屋の表示が増えてくる。

そしてイスラームの異国情緒たっぷりの店内の雰囲気がとても良く、小上がりの席でまったーりできて最高。時が経つのを忘れてしまうほどにリラックスできました。

町の中には運河が流れており、オアシス都市ならではの憩いの空間です。

宿の外に出てブハラの町をブラブラ。そこはすでに旧市街地でした。 人々の格好がイスラム教国とは思えないほど鮮やかで華やか。

ブハラでは暑い日中は宿で休み、涼しくなるときに町の散策に出ました。 とはいえこの町、日が沈むのが7時ごろとヨーロッパなどと比べて比較的早い。そして気温が夕方になってもなかなか下がらない…。体力に気を付けつつ、無理のない範囲で町歩き。 そんな中で憩いの場として機能していたのが、中心にあるラビハウズという人工池。この周りは気温も気持ち下がり気味。ソ連以前の時代にはこのハウズと呼ばれる池はもっとたくさん存在していたらしいが、埋め立てられてしまったらしい…。 http://illumination.web.fc2.com/bukhoro/bukhoro_14.htm

ラビハウズの周囲にはレストランやチャイハネ、露店が並んでおり、人々が集うには絶好のスポットとなっている。

そしてチャイハネ。チャイを嗜むイスラムおじーちゃんたちが可愛くみえます。

夜20時。 これくらいの時間になるとようやく日が落ちて涼しくなる(といってもまだまだ暑い)。町に人が闊歩しだし、昼とは違った賑わいを見せていた。

ここから観光スポットのない路地の方に足を向けると、そこはローカルの人々が住まうエリア。商店の客引きたちとは違って、とてもシャイででも温かい雰囲気で。ここでも子どもたちが走り回って遊んでいたなあ。のどかである。 ブハラの旧市街地はザ・観光地!という、ある種日光江戸村的ムードがあるけれど、一歩路地に入るとこういった姿があるのがスキです。 こんな風にして滞在時は毎日のように夜は散歩をして過ごしました。女性1人でも全く問題なかったです。さて、明日はいよいよギジュドゥヴァン行きだ。

少し足を伸ばしてカラーン・ミナレットまで。この辺りはお店も少ないせいかとても静か。信者のおじちゃんたちがモスク内でお祈りしていた。そして地元の子どもたちも走り回って遊んでおり、大変ピースフルな空気。

ラビハウズのまわりで集う家族連れ、カップル、友人などなど…。夜の団欒といった感じです。ライトアップもバンバンされていて危険な雰囲気は皆無。

ラビハウズ周りのレストランではDJ&カラオケショー!とっても賑やかでお祭り騒ぎ。滞在中は毎日こんな感じだったので、夏場は恒例なのかもしれない。 とにかく昼間より人が多くてビックリ。夜が本番と言わんばかりで、ヨーロッパの夏にも通じる光景だった。

壁には立派な作品が掲げられていました。どれも素敵!

またこんな手作り感あふれるどこかヌケてる動物?たちのオブジェも。表情とかがたまらなくカワイイ…!

さっそく工房の中を見学させて頂きました。まずは整形の部屋から。ろくろを使って器を生み出している様子です。形作ったあとは乾燥させていました、

中は緑濃いお庭が広がる静かな空間。突然の来訪にも快く対応してくれたのは、工房の6代目陶芸家アブドゥッロさん。18世紀から続く由緒ある工房です。 ちなみに案内してくれるアブドゥッロさんも奥様も英語が話せます。 HPはこちら http://folkceramic.uz/

そして地中に掘られた穴。これが焼成窯だということです。かなり伝統的な造りとみた。

外では器に釉薬をかけるおじさんが。手が真っ赤っかだよ!おじさんの手によって、器たちが見る見るうちに色づいていきます。

そして工房にはギャラリーが併設されており、主にウズベク国内から集められた陶器と布たちが飾られていました。

その他にも伝統布の展示もあり。

キッチンの壁には1枚1枚手焼きしたタイルがはめ込まれており、手仕事の温もりが残るあたたかい空間。あーーーー、ここの子になりたい!と心の底から思ったのでした笑。

ベッドルームその2 これまた静かで落ち着いた空間。壁のタイルが良いよね。もしここの存在を知ってたら、ブハラ旧市街よりもこちらの方に泊まってたよ~ってくらい、素敵なお部屋たちでした★

シャワーと洗面所は近代的で安心。とても居心地良さそうだー!

ベッドルーム1 とても可愛くて静かな空間、一目で気に入ってしまった。

そしてなんとこちらの工房はホームステイもできるらしい!2泊3日でここに泊まり、陶器造りやスザニメイキングの実習ができるとのこと。なんてステキなんだー! 部屋を見せて頂けるということで、喜んで見学させていただく。エントランスのキッチン兼リビング。窓の形が印象的だけど、絨毯やスザニ、お皿の展示も負けず劣らず素晴らしい、なんとも贅沢で豊かな空間!

そしてさらに先に進んだ所にあるポイー・カラーン広場。ブハラの象徴であるカラーン・ミナレットとカラーン・モスクがそびえ立つ。 http://illumination.web.fc2.com/bukhoro/bukhoro_2.htm

カラーン・モスクの対面にあるのはミル アラブ メドレセという現役の神学校。残念ながら内部は立入禁止。

カラーン・モスク。青空に負けないほどのイスラームブルーが美しく、そしてあまりに巨大な建築物。

カラーン・モスクの中庭。中もとても広く、約1万人が同時に礼拝できるとのこと。ムスリム以外は入場料がかかります。 http://illumination.web.fc2.com/bukhoro/bukhoro_3.htm

建物内は基本的に入れないので、中庭をぐるっと一周して終了。遠くに見える丸いブルーのドーム頭が目立ちます。

さらに先に進んだところにあるアルク城。歴代のブハラのハーン(王様)の居城で、その起源は少なくとも紀元前4世紀まで遡るらしい。 http://illumination.web.fc2.com/bukhoro/bukhoro_4.htm ここまで来てブハラ観光は終了。とにかく暑くて長時間歩きまわるのが辛かったなあ…。

そしてこの宿のステキなところは、4ドルの別料金で美味しい家庭料理を用意してくれることろ!レストラン系の外食続きに飽きてたところなのでうれしかったなぁー!しかも毎日メニューが変わるの。 この日はトマトサラダ、バクラジャン(ナス)の煮物、パンなど。

マントゥ。サワークリームがかかってロシア式のペリメニ。マントゥとペリメニ、両方の単語で通じたのが実にシルクロード的です。

ウズベキスタン航空 タシケント空港9:15発、ブハラ空港10:10到着。プロペラ機ながら予定より15分ほど早めの到着。エクスペディアから予約して7980円、快適なフライトでした。 ブハラ空港はまだ新しめで、小さな空港なのになんとターンテーブルがあってビックリ。あんまり必要性を感じないのだけどなぁ…。

ブハラ空港外観。立派で大きく見えるけど、実際はそんなでもない。売店などは見当たらず、発展途上国の地方空港の雰囲気。 さて、ここからマルシュ(乗り合いバス)でブハラ市街地まで向おうと思ったのですが、バスが何本か出てて迷う…。うーん。 そこで近くにいたおばさまに『ブハラのバハウッディン通りに行きたいんだけど』と尋ねると、1本のバスを止めてくれ、なんと代金を支払ってこれに乗れと言ってくれたのだった…! おおお、このホスピタリティ溢れる感じ、イスラム圏きたなぁって思いました。もー、本当に感謝です!

入口をくぐり廟へと続く道へ。たくさんの地元参拝客で賑わっていました。

近影。空の青に入口のタイルの青が映えて、とても美しい。大きさもあり、のっけから圧倒されます。

そして珍しいことに、女性専用の祈りの間がありました。同じ建物で男性と女性を分けるのは良くある形態だけど、全くの男子禁制なプレイヤーズルームはとてもレア。イスラム圏を旅していて初めて見ました。

中の建物は土産物屋として使われているところもあり、絵に描いたようなイスラムおじちゃんたちがたくさんいらっしゃいました。イスラムおじちゃんスキにはたまりません笑

マルシュ乗り場でブハラガラードとか言っていると、市街地行きと思しきマルシュの運ちゃんが。ん、でもマルシュの路線番号が違うみたいだけど… 運ちゃん『大丈夫大丈夫、これマルシュだけどタクシーにもなるから、目的地まで乗っけてやるよー』 ええええ、マルシュが路線無視して自由に走るのとか初めて遭遇w これがウズベクのスタンダードなのか…自由だなー! で、マルシュの番号表示をひっくり返って外から見えないようにして出発です笑

ロスタム&ズグラの中庭。 木と石で作られた建物にぐるりと囲まれて、とても心地よい空間。宿も家族経営でアットホームな雰囲気で、とっても居心地良く過ごせました。オススメです! 午後1時半、ここで試しに気温を測ってみると…まさかのエラー表示! なんと暑すぎて温度計が機能してないという( ;´Д`) 宿のおばちゃん曰く、これでもまだ気温は下がってきた方らしく、6月とかはもっともっと暑いらしい…ウソー、今でも灼熱感たっぷりなのに、参るなぁ…。

日中でも木陰と噴水のお陰で涼しげな雰囲気。それでも暑いんですけどね。

ウズベクのもう一つの特産布・アドラス。ウズベクといえばこちらの方が有名かな。シルクの絣織物で、現地の人は服やストールにして身に着けていました。この激しく暑い気候に、また派手目の色あいがとても似合うんだなー。

この通り沿いにあったオススメのチャイハネ、シルクロード・ティーハウス。ちょっと小高いところにあります。

数種類から選べるスパイスチャイとお茶請け4種類で15000ソム(約3ドル)。このお茶請けもお茶のブレンドもすべて手作りでとても美味!

ウズベクの名産刺繍布スザニ。こちらはマシンメイドの製品なので、安いものから1ドル程度で買うことができます。ハンドメイドのものに比べ質はそれなりですが雰囲気は出ます。にしても鮮やかだなあ。

中にはウズベクの特産品の刺繍布スザニや絣織のアトラスなどを使った商品や、絨毯などといった中央アジア的な品物が並ぶ。オリエントな異国情緒あふれる光景。

そしてスザニ屋の隣にひっそりとあった、ワインテイスティングの看板…。ここでも酒を飲めるらしいw。多分飲み放題ですね。 このほか某ホテルの地下にも同じような看板がありました。さすが酒飲みイスラム教国!そしてウズベクのワインはなかなかに美味だから困ったものです。

ラビハウズのほとりにある、みんなの人気者ナスレッディン・ホジャの像。ポーズがなんか妙でウケるw。彼は西アジアの一休さんとも呼べる、ユーモアあふれた坊さんだったそうな。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%B8%E3%83%A3

路地裏でも子供たちが遊んでいる、なんとも平和な光景。ブハラの町がのんびりほっと一息つけるのは、こういう路地と水辺のお蔭かもしれない。

そしてオヤジたちはというと、川っぺりでバックギャモンに興じている…この辺はアラブのムスリムと変わらなくて一安心(笑)。

20分ほどで真の目的地・ブハラ市街地のバハウッディン通りに到着。20000スムとかかかった記憶が。やはりマルシュよりお高め。 バハウッディン通りにある宿、ロスタム&ズクラ。ここに2泊お世話になりました。

そして、はいー出ましたビール! イスラム圏なのにこのユルさ!いやー、素晴らしいですね。リシュスコエ =リシュ風と書いてありますが、素性はナゾ。爽やかで美味でしたがアルコール度数が10.5度と地味に高い。

ウズベキスタンのお味噌汁的存在なショルバ、これは毎日でました。しみじみ美味しい。

ガルブッツィ=ロシア語でロールキャベツ。ロシアなどスラブ圏からの影響が伺えるメニューだ。キルギスやカザフよりもバリエーション豊かかも。

デザートは砂漠の命綱のスイカがたんまりと。これで日中に失われた水分とカリウムを補給するのだ。

8月21日 おはようございます。楽しかったブハラ滞在もあっという間に終わり、いよいよ最終目的地のサマルカンドへ出発です。 今日もまた豪華な朝食で、最後までブハラを堪能する。

8月20日、朝7時。 おはようございます。灼熱の町ブハラを制するには、早朝煮物起きて行動するのが良いよね、という話になり珍しく早起き。今日はギジュドゥヴァンという町にある陶器工房へ向かいます。 宿の朝食がまた豪華で、ノン(パン)にカーシャ(蕎麦の実のお粥)にオムレツにソーセージにお野菜に…朝からボリューム満点★

宿で再開したHさんと一緒に、まずはギジュドゥヴァン行きのバスが出るブハラのバスターミナルまで向かいます。バハウッディン通りからオートバグザールというロシア語表示のある61番マルシュに乗る。700スム。

キリル文字でギジュドゥヴァンと書かれたバス。Fの文字とかはウズベク語独特の文字です。片道約1時間、2000スム。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3

ブハラのバスターミナル。ここでバスを乗り換える。

バスの運転手に『ここで下してください』とお願いするも、何故かニェートというお答えが…!ど、どうして…。そのまま5分ほど走りギジュドゥヴァンのバスターミナルに到着してしまう。 仕方なしにその辺にいたおばちゃんに事情を話すと、どこからかタクシーを捕まえてきてくれ行き先を指示してくれたのであった。ここでもウズベクおばちゃん強し!ワンメーターの4000スムで無事に工房へたどり着く。

陶器工房の一室には、スザニの工房もありました。こちらは奥様が作られているとのこと。図案もオリジナルで、一針ずつ手縫い作業で仕上げています。

優しくも複雑な糸の色は、すべて植物を使って染色している自然の色だとのこと。バザールの市販品のものとはまた違った発色で、手がかけられたものだということが一目で分かるクオリティ。。

陶器たち。素朴なものが多く日常使いにはピッタリ。これで1つ3~4ドルだから買うしかない!ハンドメイド品なので、たまに欠けてるものとかが混ざってるのでよく見て決めよう。それもまた味だったりするのだけど。

最後はお買い物ターイム!ということで売店で陶器とスザニを見て回る。1点1点模様が違うので、2人して真剣に見て回りました。

スザニも1つ1つが違う模様に違うサイズで迷いまくり。スザニは25ドル~くらいから、高いもので100ドル越え!バザールの物よりお高め。その分モノはしっかりしており、長く愛用できそうなクオリティです。とても繊細な色使いです。 ウズベキスタンのお店の例にも漏れず、こちらもクレジットカード使用不可のため、多めの現金を予め用意されることをオススメします。

最後にお茶とお茶菓子まで頂き、そしてギジュドゥヴォンのバスターミナルまで送って下さいました!わー、本当に至れり尽くせりで、素敵なところでした。雰囲気も静かで落ち着いてて最高です。素敵な思い出を胸に、ブハラの町へと戻りました。 タシケントにも同工房の直営ミュージアムと売店があり、時間があればそちらも見てみたかったなぁ。

面白皿。人の顔とかを描いた作品ですが、どこかユーモラスなところに製作者のセンスが表れています。全体的にここの工房のはどこかカワイイ感じだなー。

水差しなど。竜のモチーフはシルクロードならではだ。でもやっぱりどこかユーモラスな表情。このセンス、嫌いじゃない。

そのショーケース内に、『地球の歩き方』と元外交官でウズベキスタン大使の中山恭子議員の『ウズベキスタンの桜』が一緒に展示されていた。よくよく聞いてみると、『ウズベキスタンの桜』の表紙のスザニを作られたのが、この工房のお母様だったそうです。とても細かい文様で美しい装丁なので見てみてください。 http://nakayamakyoko.net/modules/cherry/content0001.html

こちらの青い陶器は有名なリシタン焼のもの。ウズベクの陶器といえばこのリシタン焼を思い浮かべる人も多いと思います。リシタンの工房はフェルガナバレーにあります。

一番奥にはご家族の写真などが飾られています。

こちらの工房の特徴は、黄色を基調とした優しい色合いと、星などの素朴な味わいのある模様。そのなかでも珍しく複雑な模様を描いた大皿がありました。どこか素朴な雰囲気は残っています。

こちらはペルシャ由来だったかな?の細長い織物。文様に何か意味がありそうで、やはり織物や刺繍の文化は奥深いです。

立派な邸宅が見えてきました。これがギジュドゥヴァンの陶器工房です。

工房へと至る小路。本当にここにあるのかなあ…と不安になったその時...

住所は地球の歩き方に書いてあったのですが間違ってました。KARKIN55というのが正確な住所のよう。エントランスの住所表示。

ブハラから幹線道路をひたすら走ること約1時間、こんな青い看板が見えてきたら目的地の陶器工房はすぐそこ。この先を左に曲がる角にあります。

ウズベキスタン全土で頭を悩ますのが、お金の確保について。なんとこの国ではクレジット決済できる店が皆無に近く、外国のクレジットカードはキャピタルバンクのATMでしかキャッシングができないのであった。うわーん…。 やっとの思いでブハラの町で見つけたキャピタルバンクの対面型の窓口ですが、何故かここではキャッシング不可能だった…何故。ラビハウズから南側の路地の辺りにあった。 この後キャピタルバンクのATMを別に見つけて一安心。それにしてもお金に関しては不便すぎるなあ...。

ブハラの鉄道駅は10kmほど離れた離れたカガンという町にあります。予めヴァグザール(鉄道駅)行きの52番・263番マルシュの存在を確認しておいたのですが、時間が怪しかったためタクシーを利用。宿に呼んでもらって20000スム、約20分。ちなみにマルシュだと700スムで済みます。

通り沿いのバザール。絨毯売り場のスケールに圧倒される…。サイズ感が半端ないです。

ブハラ名物、コウノトリのはさみ。コウノトリはブハラの町のシンボル的存在で、巣が作られた家は幸福になるとの言い伝えがあるそうだ。ウズベク全土でもここでしか買えないお土産。写真のようなざっくりとした形を作ってから、磨き上げて徐々にハサミにしていきます。 形や大きさなどいろいろな種類があります。自分はオスメスのペア1対を買いましたが、25ドルで商談成立。ハサミ屋は何件かあるので交渉しましょう。職人さん直売のお店で買うのが信用出来て良いと思います。

お隣のメタルワーク屋さん。大小の金属の皿に細かい文様を掘って色を付けていく。とても美しいです。 このおにーさん、とてもフレンドリーで笑顔がステキなんですが、とっても商売上手でしたw。おにーさんにまんまとのせられて、コーランの経文の掘られたプレートを15ドルで購入。でも品物はとても良かった。

カラーン・ミナレット&モスクの前の通り。バザール等もあり、ローカルエリアと観光エリアが入り混じっています。こういったところもブハラの面白いところ。

そのほかにも、金銀細工・小物類を売る商店があり。時間が遅かったからか食品系は見かけませんでした。

★お役立ち情報★ この通りにあるシルクカーペット屋さん。この店の外壁にATMがあり、ブハラの旧市街地でお金をキャッシングできるのはここだけかと思われます。

キャピタルバンクのATM。クレカでドル札がキャッシングできるが、中にお金が入ってなくてできないこともあるらしい…。この辺はインシャアッラー(神のみぞ知る)。

メタルワーク実演中。下絵を描いたところに専用のノミと金槌で少しずつ模様を刻んでいく。目と神経を酷使するため、1日3時間くらいずつしか進めることができないらしい。ちょっと間違えただけでも失敗するので非常に気を遣う。

職人になるための修業ノートを見せてもらった。もちろん最初から掘るわけではなく、まずはこのような細かい文様をノートに正確に写していく作業から始めるそうだ。うわー、とっても細かくて目がしょぼしょぼする…。 そのほか実際にノミと金槌を握らせてくれたりとかして、とてもノリの良いお店でした。タキ内の出口辺りにあったお店です。

この土産物通りを歩くたびに聞こえてきた、『オネーサン、ドウゾミテイッテー!』と日本語で呼びかける女の子の声。よくよく探してみると、日本語勉強中の可愛いお嬢さんのお店でした。土産物屋なのに全くすれてなく、とても純真な女の子たちでビックリ。ちなみに日本語のほかにもウズ語英語タジク語が話せるらしい。多才やなー! 『わたしたち、地球の歩き方にも載ったんだよー!』と教えてくれたので探してみると、なんと扉ページの写真を飾ってました。とても素直で親切だったので、ここでお土産物を買うのもいいと思います。夏は20時くらいまで開いていました。

そしてなんと立ち飲みビアバーを発見!ウズベク凄いなあ。中をチラ見しましたが、客が若い男性のみだったため入店せずに退散。カップルとかなら大丈夫だと思います。

キッチンにはホウロウのたらい一杯のジャム。もちろん自家製、美味ったらありゃしない!

その中で一番びっくりしたのが、こちらのカザフ族のトゥスキーズ!カザフやキルギスではしばしば見かけたこの遊牧民の証ともいえる布が、どうしてここウズベクに~!? 驚いて尋ねてみると、これはカラカルパクスタン共和国のものだということでした。カラカラパクの方にもカザフ族が逃げていき定住したらしい。事実、カラカラパクスタンの25%はカザフ族が住んでいるとのこと。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%91%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

ブハラ鉄道駅。周りにお店はほぼ無いため、事前に食料や水などは準備しておいたほうが良いです。 ここで朝一のシャルク号に乗って約3時間、旅の最後の目的地サマルカンドへ。

なんか遺跡らしき場所もチラホラありましたが、表示が小さかったりしてよくわかりませんでした。観光地なのに結構テキトーでいい感じです。

シルクロードっぽい装飾品や金物製品を扱うお店。テントが素敵だったのでパチリ。

空港と市街地を結ぶと思しきバスの路線図。このままブハラの町へとひとっとび!と思ったが…

スザニを配したカバンは15ドル~。こちらもすべて一点もので、色使いも刺繍のモチーフも独特だけど淡い色調で普段使いしやすそうです。脇のアドラスがまたウズベクっぽい雰囲気で良いです。

ホームへの入口。まずここで荷物検査をする。

続いてチケットとパスポートチェックあり。

それが終わってようやくホームへと入れます。いざシャルク号へ!

車内。係員にチケットを見せると適切な車両を教えてくれます。

1等車。3人掛けでブハラを出た直後は空いていましたが、途中から満員に。有料でチャイサービスあり。

切符は日本からウズベクの旅行代理店アドバンツアーさんにお願いしました。1等切符で20ドル、現地で買うと10ドル弱です。 http://www.advantour.com/jp/uzbekistan/trains.htm HPには日本語表示がありますが、やり取りは基本的に英語かロシア語です。とても親切で仕事の早い旅行会社で信頼がおけました。 チケットはタシケント受け取りで、泊まっていたグルナラGHまで持ってきてもらいました。しかも不在だったため、グルナラさんが立て替えてくれてたという…多謝!

こんな感じの荒野を進みながら、一路サマルカンドへ。

ウズベキスタンの文化・風俗・注意点

 イスラム教が主な宗教です。言葉はウズベク語とロシア語が主要言語で、英語はタシケント空港と外国人向けホテル以外ではほとんど通じません。地方に行くとロシア語も通じない場合がありますので注意が必要です。

 観光地などで民族衣装を着た人を撮影する場合、同意を得ずに撮影した後でモデル代を請求された例がありますので、事前に確認が必要です。

 医療水準は低く、基本的な薬品でさえ揃っていない病院も多くあり、十分な治療を受けることは期待できません。持病のある人はもちろんのこと、健康な人であっても薬品類(特に下痢止めや胃腸薬)は多めに持参するようおすすめします。また、渡航前に健康診断や治療を行うようおすすめします。特に歯科医の治療水準は低いので、長期出張、滞在を予定されている方は渡航前に治療を済ませておくよう強くおすすめします。

 病気や事故などで緊急の際には、西ヨーロッパ諸国に移送して治療を受けることが必要となるので、日本を出発する前に、緊急救援アシスタントサービスが付加されている海外旅行傷害保険に加入するようおすすめします。

 外国人があまり行かないようなカフェ、レストラン、チャイハナ(大衆食堂)の利用は、衛生状態に問題があるため避けてください。飲料水については、市販のミネラルウォーターの飲用をおすすめします。水道水を飲用する場合はそのまま飲むことは避け、必ず十分に沸騰させてください。

 感染症については、特にジフテリア、肝炎(A、B型)、コレラ、狂犬病、破傷風、腸チフスに感染する可能性があるので、予防注射を出発前に受けておくことをおすすめします。特に地方都市ではA型肝炎などの感染症に感染する可能性が高くなりますので、生野菜、生水等の摂取には十分な注意が必要です。

 タシケント州、サマルカンド州以外の地域については、冬季には集中暖房用熱水供給が滞ることが多いため、耐寒用品を持参するなどの準備をされるようおすすめします。
 ウズベキスタンは大陸性気候で、夏暑く、冬寒い気候です。特に夏は長く、気温も摂氏40度を超えることも珍しくありません。また、乾燥しているため知らず知らずのうちに脱水症状を起こすこともあります。特に夏の旅行の際は事前の健康診断や旅行中の定期的な水分補給など健康の管理に注意が必要です。