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キルギスってどんな国?

キルギス共和国、略称キルギスについては、キルギスタンを参照。
キルギスは、主に中央アジアに分布するテュルク系民族。自称はクルグズ。キルギス共和国(キルギスタン)の約260万人を中心に旧ソビエト連邦に居住する他、中華人民共和国 中国の新疆ウイグル自治区などにも住み、中国の少数民族 中国55少数民族のひとつに数えられる。
日本語で一般的に用いられる民族名キルギスは、ロシア語による民族名Киргиз(Kirgiz)に由来する。これに対し、キルギス語による自称はクルグズ(Кыргыз, Kyrgyz)という。帝政時代のロシア人はカザフ人のことを誤ってキルギスと呼んでいたため、本来のキルギスはカラ・キルギス(「黒いキルギス人」の意)と呼ばれていた。

キルギスの写真・旅行記

ビシュケクの南30kmのところにアルアラチャという渓谷がある。 毎日GHのバルコニーから見えている、あの雪山のふもとです。 先日、キーウィ娘(ニュージーランド娘)のレイチェルが全部自力で2泊3日の渓谷歩きをしてきた。 その顛末を英語の全く分からないパートナーに一生懸命に説明していた。 その時、ワタクシは「こんな小娘でも自力で行ける山なんだ!」と感じ入り、ワレワレも行ってみよう!となった。 彼女の情報では「バザールから265番のマルシュルートカで入り口まで行ける」そうだ。 ワレワレもそのマルシュに乗って、とりあえず入り口から山のふもとまで行ってみよう。 近くまで行けたら、さぞかし雪山が近くに見えて、美しかろう。 前回の旅では、ネパールでトレッキングするから、と登山靴を持参した。 結果は、パートナーが南インドでギブアップして、ネパールには行かずに登山靴をぶら下げて帰った。 今回はどこもトレッキングはしないから登山靴は不要と思い、持ってこなかった。 アルアラチャの最高峰は4600m級の山で、その渓谷と言っても登山靴でないと危ない。 それにワタクシたちテントもないので縦走は無理なのです。 まあ、ちょっとだけかじりに行くか、、、、

マルシュルートカ265番を探すのにはちょっと苦労しました。 オシュ・バザールから出ていると言っても、バザールのどこから出ているのかが分からない。 走ってくるヤツを停めないと、、、でもどこを走っているのか? 前調べを先日やったのだが、人ごみがひどく、どこで265番を見たか記憶がはっきりしなかった。 苦労したが、兎に角、見つけて乗り込む。 最初モスクワ通り、それから南方に伸びているマナス大通りを一直線に南へ。

周りの景色がドンドン田舎になってきます。

降りて、辺りを歩いてみる。 側溝コンクリートに囲まれた川がゴーゴーと流れています。 雪解け水を街に運ぶようにと、人工的にガイドされた川です。 これがアルアラチャ川でしょう。

小1時間ほど乗りました。 途中の村々に寄って客を乗せたり、おろしたりするので、時間がかかる。 途中で公園入り口のアーチが見えたが、そこから20kmは歩かないとダメらしい。 それで、もう一つの入り口=カスカスー村まで行くことにした。 ソコからならば17kmだとロンリープラネットに書いてあった。 着いた終点、カスカスー村のデッドエンドです。 マルシュルートカもここでお仕舞いです。

ここは街と違って空気がおいしい。 広々としてて気持ちが良い。 この暑い季節に雪を頂いた山々が見えるのも良い。

アルアラチャ自然公園のあるところ。 まあ、天山山脈の西の端辺りにあると言える。

重装備のサイクリスト3人がゆっくりと山に向かっています。

牛さんもさぞかし、幸せだろう。

野に咲く花たち。 基本的には乾燥地帯なので、アザミ類が多い。

あれがアルアラチャ公園の最高峰か?

大きな側溝ではゴーゴーと新鮮な水が剛速球のように飛んでいきます。 もし、ここに落ちたら、助からないだろう。 町まで流されるだろう。 それほど流れは強い。

自然な状態で水を流せば良いものを、、、 と思うが、もしそうすれば相当暴れるだろうナア。 非常に効率的なやり方だ。 逆に言えば、水の神をも無視した水の流し方ではある。

水がチョロチョロもれている鉄管のところで水を掬って飲んでみる。 冷たくて美味しい!

ワレワレを運んできたマルシュルートカの溜まり場。

小さな鉄橋があったので、その上からこの水道をパチリ。 落ちたら最後、日本に帰れないだろう、、、

今日は、ちょっと歩いただけで、引き上げです。 マルシュルートカがどこまで行くかをチェック出来たので、今日の予定は終了です。

これが、265番マルシュ。 コレに乗って町に帰ります。

マルシュの中に張ってあったルートマップ。

料金表。 マックス25ソム/1人(約46円)。

265番で帰ります。

遠くに馬さんが草を食んでいます。

草原の中のモスク。

アイベックスみたいな野ヤギ。

モスクワ通りで下ろしてもらって、グリーンベルト歩道を歩いて帰りました。 サクラGHに帰ると、今日はどんなスゴイ旅人に会えるのか、楽しみです。

朝からビシュケク駅を目指して歩きます。

ジベックジョリ通りから始まる緑地帯付き通りを選んで南に進む。

ホント、緑豊かな中に時々こうしたモニュメント。

側溝には山からの雪解け水が勢い良く流れます。

せせらぎの音が耳に心地よい。

だれかの騎馬像。 この像の前に、

ドーンとビシュケク駅がありました。 中々ソビエチックな建物です。

表示からしてここはビシュケクⅡ駅のようです。 Ⅰはもっと西にあるようです。 街に近いのはこのⅡのようです。

さて、中に入ります。 警備員は居ますが、ノーチェックです。 チケット窓口があります。 余談ですが、お仕事時代、ロシア極東のウラジオストックで国内線に乗る為に初めてウラジオストック空港に行った。 そのときのウラジアストック空港とそっくりな光景です。 通常の空港のチェックイン・カウンターを想像していたワタクシは、この光景を見て、目がテンになりました。 だって、これじゃあチェックイン・カウンターがどこか分からないからです。 あの「グランドスタッフが座っていて、横に荷物重量秤&ベルトコンベヤーがある」のが飛行機のチェックイン・カウンターだ、という先入観があったので、空港でコレがチェックインカウンターだということが分からなかったのでした。 チケット売り場としか見えません。 それでアチコチ探し回ったが、想像通りの場所がないのです。 ヒトに聞こうにも、ロシア語だけの世界ですから、、、、 結局、このような窓口がチェックイン・カウンターだったと分かったのは随分後になってからでした。 よって、この風景を見て、「アア、鉄道駅のチケットカウンターが空港にも応用されていたんだナア」っと今にしてやっと納得できました。 でも、あの時のウラジオストックと同じく、ここも言葉は全く通じません。

「ステーション・マネジャー」の窓口があって、中で太ったヒトの良さそうなオッチャンがニコニコしていたので、ちょっとお邪魔させてもらいました。 大変親切で、ちょっとだけ英語の出来るインフォメーションのオバチャンを呼んでくれました。

マネージャーのオッチャンが出してきた時刻表。 確かにビシュケク発モスクワ行き列車がありました。 ビシュケクⅡ発09:55です。 今日はネットだけではなく実際に駅で列車があることが確認できたので、これで今日のチェックは終わりです。 それ以上のことを知ろうにも、言葉の問題で前に進まないからです。

ここが待合室です。

運賃を聞こうにも、インフォメーションで英語のちょっと分かるオバチャンに聞こうにも、分かってもらえない。 構内ウロウロしてると、こんな看板が。 どうも運賃表らしい。 ビシュケクーノボシビルスク(ロシア、シベリアの大都市)の運賃が2等寝台で5477ソム(約9,900円)です。 それからすると、シムケントはずっと手前だから4000ソム(7,200円)くらいカナ?

プラットホーム内にも自由に入れます。 でもどっかから注意されたら困るので、そっとパチリ。 日本のように、列車の入り口と同じ高さまでのプラットホームはありません。 何も無いところに列車があり、列車に乗るには入り口の梯子を登らなくてはなりません。 背の低いパートナーなどは、荷物を持って列車によじ登らなくてはならなく、結構苦労するのです。 まあ、シベリア鉄道もおなじですが、、、

列車チェックが終わって、今度はオシュ・バザールのチェックです。 モスクワ通りを西進。

木々の緑のあるブールバードはこのような感じです。

ホント、すごいですネエ。

南を望めば、雪山が見通せます。 途中からトロリーバス4番に乗って、バザール近くまで行きます。

バザール付近の電信柱に、目を背けたくなるような写真が多く貼られていました。 想像するに、2008年の暴動があった時に殺害された人たちの身元確認呼びかけのビラではないだろうか? その写真が示すには、いかに暴力が激しかったか、を物語っています。 こんな写真を見ると、やっぱりキルギスは危険なのかナア? まわりの平和な様子からは全く想像が付きませんが、、、

オシュ・バザールの入り口。 入り口に関係なく、マーケットは周辺一帯に広がっています。

バザールの中へドンドン入っていきます。

今日のバザール行きは買い物でなく、265番のマルシュルートカの乗り場を探しに来ました。 アチコチ行きましたが、チューイ通りからバザールに入る入り口付近に265番を発見しました。 帰りはまたトロリーバス4番に乗って終点までトリップ。 今度は北の郊外まで行って、小さな市場で買い物して、また4番に乗ってサクラGH付近で下りる。

サクラGHの駐車場にはサイクリストたちの自転車がどっさりあります。 マアー、みんな普通のサイクリストではありません。 世界一周するのが当たり前のような世界なのです。 それに、今日になって気が付いたのですが、紹介せずにはいられない超個性派旅行者がいます。 1.時々サイクリストで京都高尾茶屋経営者、同年代のTさん。 2.世界一周2/3終わってるロンドンからのMr.バリー40才。 3.カザフのアクタウ⇒アルマティまでの寝台列車に乗って「アレには絶対 乗るな!」とアドバイスくれた72才のキーウィ(NZ人で元英語教師で素晴らしいクイーンズ・イングリッシュをしゃべる世界一周老人) 4.犬を連れて世界一周中のドイツ人カップル(アイリーン&ヨハン&ルチア) 5.ワタル君30才。世界一周中のサイクリスト兼料理人。190cm。 6.200カ国旅行を目指して3年もバックパック(BP)するエリちゃん20才台半ばで若い。16才にしてBPを始めた。情熱紀行連載中。 7.ハルちゃん23才、水産大生。オシュ⇒ビシュケク ロードを2週間で走破してまだ飽き足らずパミール高原も走破したいという元気ムスメ。 日本人サイクリストの中で紅一点。 8.ユーカイコン取材のノリコさん。アメリカのメディアとの契約でキルギスタンに今も残る悪習「誘拐婚」の実態にセマル。 (2013年、誘拐婚の写真でフランスの報道写真金賞をとって一躍脚光を浴びた林典子さんがこのヒトでした。) 9.タケシ君。看護士。サイクリスト。世界一周にチャレンジ中。胃が弱くいつも下痢気味だが、世界一周できればしたいケド組。 10.BP旅行プロ級のオージー中年カップル。ビール大好き、旅談義大好き。 特別出演:サクラGHのオーナー、疋田さんと愛娘さくらチャン&そらチャン。 コレだけではナイ!次々と新手の超個性派&旅スタイルの人たちが飛び込んでくるのです。 今のところ、上記ベストテンです。

鉄道でカザフスタンのシムケントに行き、そこからはバスでウズベキスタンの国境に行こうと思い立った。 ドイツのサイト、DB Bahnの情報をみてそう思うようになった。 日本でこのルート研究をしていて、ロンリープラネットのソーントゥリーの中であるトラベラーがこのサイトを紹介しているのを見つけたのでした。 このサイトはスグレモノで、中央アジアや世界で辺鄙なところの鉄道タイムスケジュールまで出てきたりするのです。 DB Bahnのサイト: http://www.bahn.de/p/view/index.shtml

今日は元気に朝6時には起きだして、ラジオ体操をして、バルコニーに出る。 バルコニーから見える南の山々がくっきり見えます。 本日は晴天なり。

周りの家並みを見てみると、トタン屋根が多いなあ。 息子とマゴ達にスカイプ電話で山を見せると、「な~んかトタン屋根しか見えへんデ~!」でした。 スカイプに写る映像ではちょっと、雪山が見えんか。。。

3階のスペースにはマットレスがあります。 普通、ここにはワイファイ・ネットをやりにみんなが集まるところだが、朝早いのでだれも居ません。 夕べ夜中か早朝にやって来て、部屋やベッドが満杯でなかった連中がここに寝ているのです。 つまり、夜中にやってきて、「部屋がないからヨソに行ってくれ」では可哀相なので特別価格でここに寝かせてあげている、オーナーの親切です。 ワレワレ、ゆっくり朝食を食べて、9時に出発です。

ソビエツカヤ通りを真っ直ぐ南に向かいます。 南に行けば線路にブチ当たる。 そこまで行けば駅は見つかるだろう、という計画で進みます。 勿論、歩きです。 年よりは歩かねばなりません。 年を取るとへたりは、足からクル。 将来、寝たきりにはなりたくナイ! それで、ワタクシたちは必要以上にどこでも歩くのです。

トロリーバスが走っています。 南の方に走っていきます。 コレに乗れば、南のほうに行ける。

どうです、 広い道路、大きな並木。

チューイ通りと交差する辺り、おシャレなお店もあります。

とにかく木が多い。 しかも木が大きい。 プラタナスの実がなっています。 実はまだ小さいようです。

線路に近づくにつれ、両替商の看板が。 これで1ドルが47ソム位であることが分かります。 つまり、1ソム=1.8円くらいとなります。 ワレワレはオシュで日本円を両替したソムがまだ手元に豊富にあるので、両替は必要アリマセン。

マルシュルートカの番号も調べたいが、種類が多すぎてヨウ分からん。

歩道の並木道。 とにかく緑が多い。 ウオーキングが楽しい。

街のアチコチにあるクバスやコーラ、チャイのお店。 *クバスとはロシア圏の飲み物で、麦から造ったちょっとスッパイ?飲み物で、よく皆さん飲んでいます。 ビールまで行かない、ビールの原液カナ? ロシアで一度口にしたことあるケド、まずかった記憶がある。

なにやらミニ・エッフェル・タワーもあります。

ずいぶんと歩いていますが、まだ線路が見えません。 周りの景観はドンドン郊外っぽくなるのですが。。。 思い切ってベンチに座るオバチャンに聞いてみた。 「ヴォクザール、ヴォクザール」(ロシア語で駅という意味) すると、ナント、歩いてきた方向を指差すではアリマセンカ! しかも身振り手振りで、高架の下を潜れ、と。 どうも、線路を知らぬ間に越してきてしまったようです。 大きな高架下を潜ったのは覚えていますので、その上に線路があったのでしょう。 ワタクシたちにはよくあることです。 多少、アワテンボーなんです~。 引き返さねばならない。

そこで考えた。 そう、トロリー・バス10番に乗れば北の方向に行きます。 ワン・ライド4ソム(7円強)です。 トロリーは大好きです。 トロトロと走り、車輪がタイヤなので乗り心地も良いし、なにより車窓の景色を楽しめる。 ところが、降りるところが分からない。 めんどくさいので、今日は駅チェックは止めて、トロリー・バス観光をすることにしました。 終点まで乗ってみます。 どこまで行くのか? ワクワクします。 すると、オシュ・バザール近くを通って、西バスターミナルまで行きました。 そこで再度10番に乗って、今度は南のほうはどこまで行くか?チェックです。

トロリー三昧で着いた南の果て。

町の南の果てまで行けば、バルコニーから見えてる雪山が雄大に見えるだろう、っと思ったのがシロウトの浅知恵。 雪山の手前に低い山があるのだけど、その山が邪魔で肝心の雪山が見えないのです。 ナルホド、近すぎてもアカンのだ。

南の果ての郊外は新興地区らしく、新しいモスクにキリスト教会は建設中でした。

バス停付近に小さなマーケットがあったので、トマトとアンズを買った。 最近は野菜不足なので、気をつけて果物やトマト・キュウリを良く食べます。 トマト・キュウリはよくあるのですが、青物野菜がさすがに少ない。 基本的には乾燥気候なので、青物野菜は育ちにくいのでしょう。

再度10番バスに乗って北に上る。 今度はちゃんとモスクワ通りで降りて、あとは歩きで帰ります。 (モスクワ=MOCKBAと書かれてあるので、パートナーはモクバ、モクバと言っていました。) それにしても、緑の並木道は歩きがイイ。

途中のメッカ巡礼の特別旅行企画の横断幕を見た。 ああ、そうだ。 ここの人たちは基本的にはイスラム教徒なんだ、と改めて気がつきました。 生活していて、宗教色が非常に薄いキルギスタンです。

もうソビエツカヤ通りもチューイ大通り近くです。 誰かの銅像。 多分、詩人バーブル?

オペラ劇場。

ハヤット・リージェンシー・ホテル。

ホテルの建物は茂る木々で殆ど見えません。 こうして今日のツアーは終わりました。 宿に帰って3階のバルコニーで休んでいると、外人の若い女の子がパートナーにしきりに話しかけています。 英語サッパリのパートナーは適当に相槌を打ってるのですが、女の子のしゃべりが止まりません。 パートナーがワタクシを見つけて、手招きをします。 行って聞いてみると、27才のニュージーランドの女の子で名前はレイチェル。 一人でアルアラチャ渓谷のトレッキングに2泊3日で行ってきたそうです。 始めから終わりまで全部自力で行ってきたと言うのです。 まずバザールでマルシュルートカに乗り、アルアラチャ渓谷入り口まで行き、そこからヒッチハイクで渓谷のぼり口まで行く。 そこから一人で歩いて山に入り、山の中でテントで寝て、今さっき帰って来た、と言うのです。 マア、スゴイですネエ。 カワイイ顔して、白人の女性はヤリますナア。 渓谷の素晴らしさにコーフンしたのか、そのコーフンをパートナーにしきりに話しをしていたわけです。 よりによって英語のわからないパートナーに話しをするなんて、よっぽど誰かにいち早く自分の興奮を伝えたかったのでしょう。 そのときにアルアラチャ渓谷トレッキングの必要な情報を教えてもらいました。 イヤーッ、この宿にはいろんな猛者がいます。

本日のルートマップです。 明日こそ駅に行こう。

サクラGHに移ってきて、ぐっすり眠れるようになりました。 早朝、屋上のバルコニーにでてビシュケク西方をのぞむ。 すがすがしい朝です。

プールには水が入っていて、涼しそうです。

中庭では朝食組(基本的に自炊)が集まって、おしゃべりです。

ココがオーナー一家の住むコーナーです。 ご主人は日本人、奥さんはキルギス人、ムスメさん2人はそのハーフ。 つい最近、男の子が新しく生まれたらしい。

昨日朝早くから待ってたお陰か? オーナーの気遣いか? ワタクシたちの部屋は、最上階の3階に2つしかないツイン・ルームの一つです。 明るく、外気の取り入れも自由な、恐らくこのGHでベストの部屋だと思う。

ドアを開けると、皆がパソコンを持ってきてワイファイ・ネットする広間になっています。 みんなと顔見知りになるのもベスト・ポジションです。

近くにスーパーがあるので、そこで材料など買い込んできて、自炊してランチ。 やっと安住の地を得たような気分で、同宿の人たちとお友達になることに専念します。 まず、京都からおいでの同世代のおっちゃん、Tさん。 この方、中々仁徳のある人で、出会った瞬間から昔から知っているヒトと思えるほど親しみのあるヒトでした。 ちょうど、ウズベキスタン・ビザ申請書をネットで作っていたところでした。 (正確には、相部屋の若いニイチャンのパソコンで作ってもらっていた) 当方は申請して来たばっかりなので、その方面には詳しいので、早くできるように助言しました。 聞くところによると、このおっちゃん、ナント自転車でやって来たと言うではナイカ! (正確には自転車と一緒にやって来た。中国⇒カザフスタン・アルマティ⇒キルギス・ビシュケクと時々自転車に乗ってやってきたらしい) 自転車で街を走ったり、気に入ったところを部分的に走ったりするそうです。 ワタクシと同じくリタイア組で時間はたっぷりあるそうです。 でも、京都の高雄でお茶屋さんをやっていて、毎年11月はかき入れ時なので日本に居てうどんを作るという。 年間でこの11月だけ働いて、あとは自分の好きな時間に当ててるそうです。 話しを聞くと、世界中をいろんな方法で旅をしており、話せば話すほど味のあるお方でした。

さらにすごいヒトもう1人、 ロンドンからアメリカ大陸にわたり縦断してオーストラリアに入って回り、アジアを抜けてやってきた、サイクリング世界一周中のMr.バリー40才。 これからビシュケクを出て、⇒タジキスタン⇒ウズベキスタン⇒トルクメニスタン⇒イラン⇒トルコ⇒ヨーロッパを走破して今年の10月ころにはロンドンに帰る予定だと言う。 そのペースが非常に速く、他の2~30才台サイクリストもうらやむほどです。 40才でそれほどのことが出来るとは! 感服です。 話せば、子供の如くナイーブで可愛らしいトコのある40才ジェントルマンでした。 彼もここではタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランのビザ取りで滞在しています。

次に、サイクリスト・カップル+犬一匹 from ドイッチラント。 アイリーンとヨハン+ルチア(ヨークシャーテリア?)です。 つい最近、タジキスタンのパミール高原を越えて、オシュからやって来たといいます。 こちらはドイツからずっと自転車でやって来ており、世界一周中です。 さらに、さらに、日本からはワタル君(30才)という世界一周中のサイクリストが居ました。 ウズベキスタン大使館で鉄格子の扉を無断で開けてくれた、あの背の高い男の子だったのです。 彼は日本⇒中国ウルムチ⇒カザフスタン・アルマティ⇒ビシュケクとやって来ており、これからタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンを通ってイランに入り、トルコに抜けるコースを走るそうです。 勿論、世界一周ですからその後も中近東あり、アフリカあり、アメリカありetc.なんです。 背が高くちょうどロンドンからのバリーと同じ位の身長があり、中々馬力のありそうな体格です。 性格極めて良く、ユーモアに溢れていて、サクラGHのさくらチャン、そらチャンの二人が大好きなおニイチャンです。 自転車で世界一周と言う稀有壮大なスケールに圧倒されて、そんな人たちと身近に話しが出来ることに、神様に感謝です。

さて、ワレワレは日本から持参したお米をまだ持っていたので、今日の晩御飯はごはんです。 中央アジアで日本の米が食べられるとは、アリガタイことです。 ここキルギスは水も良いので、おいしいご飯が炊けました。 毎日ラグメンは、もう飽きました。 もうあのラグメンを見るのもイヤになりました。 それに午後からちょっと、疲れがでたのか?、調子がわるくなり、宿でゆっくりします。

暮れなずむ西の空。 すぐ近くのモスクのミナレットが映えています。

翌朝、北のほうをのぞむと、雪を頂いた連峰が見えます。 天山山脈です。 元気があれば、あんな山のふもとでも歩いてみたい。 でも今日も夫婦ともども調子がもう一つで、宿でお休みです。 でも、いいのです。 ここにはオモシロイ人々が沢山いるので、退屈することはアリマセン。

ここからは、アイリーンとヨハン+犬一匹ルチアのパミール高原サイクリングの写真です。 彼らがパソコンで写真整理をしていたのを覗き込んで、いろいろと話しをしました。 どうしても彼らのパミール越えの写真をゆっくり見たい、というと、特別にメールしてくれました。 ルチアもワタクシに良くなついてくれました。 よく教育された犬で飼い主の言うことを良く聞きます。

この犬、非常に小さい。 片手でひょいと持てるほど軽い。 でも大変元気なかわいい犬でした。

ちょっと写真がボケてますが、コレはルチアのパスポートです。 犬にもパスポートがあることを初めて知りました。

あとで日本人のサイクリストのブログを見て、このパミール高原の道は大変な道であることが分かった。 普通では走れないほどの道なのです。 それをこんなに楽しく明るくやってのける、ヨーロッパ人の底力を見せ付けられた一日でした。

昨日、一昨日とウズベキスタン・ビザとりで疲れた上に、全財産入りのバッグ置き忘れ騒動まであって、心身ともにツカレマシタ。 それで、今日は午前中はオフとして、ビシュケクGHの部屋でゆっくり。 午後は夕方になってから、サクラGHを見に出かけた。 ビシュケクGHの前の大通りを北方面に歩いていき、ジベックジョリ通りに出ます。 ジベックジョリ通りを東寄り、写真のようなロケットみたいなモノが見えます。 ここらで114番のマルシュルートカを待って、手を上げて停めます。

マルシュルートカとは、ロシア圏一帯の街を走っている半ば公共交通機関で、大抵がイタリアのイヴェコ(IVECO)ミニバスです。 ちょっと大き目のベンツのミニバスもある。 乗り合いバスで、大型の市内バスのだいたい2倍の運賃。 (市内バスが4ソムなので、マルシュは8ソム/1人、*1ソム=約1.82円) コレに乗りたいならば、ヒッチハイクさながら、親指を突き出して停めるor手を上げて停める、のです。 お金は降りる時に運転手か助手に渡す。 フロントガラスに番号が書いてあるので確認必要。 行き先もかいてあるが、キリル文字のみなので、ワレワレには判読困難。 小銭を用意しておくのが必要デス。

さて、マルシュに乗って、ソビエツカヤ通り過ぎたところで降ります。 降りるときは、日本語でも良いから「降ります!」と叫んでください。 それか、周りの乗客に「ソビエツカヤ、ソビエツカヤ」と連呼しておくと、教えてくれます。 本日のルート・マップ。

マルシュを降りて、歩いて指示通りにわき道に入っていきます。 今は初夏の6月ですが、もうドングリが道ばたに転がっています。

大きなドングリの木。

緑豊かな通り。 たくさんの木があるところはどこでも大好きです。 ワタクシたちが住んでいる三重県の山奥もそうなんです。

さて、指示通りに(サクラGHのホームページに行きかた書いてあります)、小さな袋小路に入ると、このような建物が見えます。 これがサクラ・ゲスト・ハウスです。 最初、この看板の建物の右側に入り口がある、と思って、右側の家に入り込んだ。 すると、ランニングシャツ一丁のオッチャンが出てきてサラマレーコムのご挨拶。そして「ココチガウ!サクラはムコウ!」と指差した。

左よりのこの鉄の扉がサクラの入り口です。 鉄の扉を開けて入ります。 パスワード番号が要りますが、ワレワレまだ番号を知りませんので、ブザーを押して開けてもらう。

扉を入ると、自転車やらオートバイやらが置かれた物置風駐車場スペースがあり、そこを通って奥に進むと、右手にオーナーの居住区、その先にこのような宿泊棟が見えます。 プールも見えます。 *これから4枚の写真はサクラGHのHPからです。

オーナーの日本人の疋田さん(30才台?)という方がおられて、話しをします。 「明日からここに泊まりたいのですが、ツインの部屋ありますか?」 「ああ、ありますよ。今はみんな詰まっちゃっているケド」 「部屋をちょっと見せてくれますか」 「アア良いですよ」 となって、部屋をチェック。 ヒトの入ってる部屋でしたが、ドアの開いていたヤツを見た。 *この写真はサクラGHのHPからです。

こんな具合。 施設が新しそうで、部屋もきれいだ。 窓もあり明るい。 共同シャワー・トイレもチェック。 合格! 「ここに明日から、とりあえず1週間くらい滞在したいんですが、予約お願いします。」 と言うと、 「うちは予約は取りません。来たヒト優先です。でも明日午前中に来れば、大丈夫ですよ。誰か出て行きますカラ」 かなり強気な発言ととられますが、コレには一理あります。 ここは「来たヒトだれでも拒まず」主義らしいのです。 いつも満室だが、毎日誰か彼か出ます。

ツインが無ければドミトリーにでも寝れば良い。 「明日朝8時ころに来れば、大丈夫カナ」 「アア、絶対大丈夫ですよ。荷物も持ってくれば良いですヨ。」 と仰るのでそうする事にした。

メールアドレスもありますが、あまり毎日はチェックしていない様子。 現にワタクシがメールしたのも「アッ、メールは最近見てないなあ」との返事でしたから。 ツイン一泊900ソム(約1,640円) *ビシュケクGHが790ソムだった。大差ないしサクラの方が随分と居心地良さそう。 キッチンも使えるし、冷蔵庫はオーナー家庭のものを頼めば使える。 洗濯もナント、オーナー家にある洗濯機でタダでやってくれる、とのこと。 非常に良心的な宿です。 それに、日本人で「関西の同世代のちょっと時々サイクル・オッチャン」や「世界一周中の新婚さん」、「ロンドンからの世界一周中のサイクリスト」、「ニュージーランドからは72歳のユーラシア旅人」など、興味深い人たちが一杯居ます。 気に入りました。

大使館までのウオーキング・マップです。 今日は道を知っているアメリカ人女性と一緒で、午前9時半出発となった。 彼女がそれでOKと言ったので30分くらいのウオーキングだろうナアと思った。

GHを出てすぐにチューイ大通りに出た。 真っ直ぐ東方に歩く。 道中、この東洋系アメリカ人とお話しをした。 フィリピン系アメリカ人であること。 ニューヨーク在住で、休暇を取ってキルギスタンに来ていること。 休暇は3ヶ月あるとのこと。 お仕事は、服飾ファッション関係で、プロのパタンナー。 (服飾のデザイナーがデザインしたものの製図を書き、実際に服を仕上げるヒト) 各個別契約の合間にこうした休暇が取れるらしい。 仕事の契約は全て自力でやるとのこと。 (つまりプロ中のプロ、といえる) パートナーが元プロのパタンナーだったし、ムスメが現役の服飾デザイナーの我が家なので、話が弾んだ。 (ワタクシ自身は全くそのセンスはなく、いつも母娘にバカにされている(TmT)ウゥゥ・・・) 何やかや話しが弾んだので、途中の景色なんか何を見たのか忘れてしまった。 でもこんなハデな場所にはさすが、足を止めた。

「マナス王像」 *マナスとはキルギス族の伝説的英雄。  その伝説は口承で、その長さはギネス級らしい。  どこでも伝説的英雄は居るものです。 その前で一枚。 ニューヨークのプロのパタンナーのライサさん。

さて、随分と歩いてきました。 チューイ大通りを右に折れて、キエフ通りに出ました。 少し歩いて、さらに右に折れます。

この読めない&発音できない、難しい名前の通りを奥に入っていきます。 この時ですでに10時を回っていました。 ヤバイです。 大使館のオープンは10時で、アポイントした人たちの名前は10時少し前に呼ばれるそうだ。 急いで歩きます。

今度ビザを受け取りに来るとき、迷わないために曲がる場所を写真に取っておきました。 こんなお店がある。

そのお店の反対側にはこんな看板がある。

で、小走りで大使館に着いたときはもう10時半ころになっていました。 写真の建物がウズベキスタン大使館。 大使館の前には3人ほどヒトが立っていました。 背の高い日本人の男の子が居たので聞きました。 アリヤン「もう名前は読み上げた?」 ノッポ君「ハイ、もう読み上げました」 アリヤン「アチャー、どうしよう?どうしよう?」 大使館の前の鉄格子の門は閉ざされたままです。 背の高い日本人の男の子がこう言った。 ノッポ君「今、中に日本人が入っていて、もうすぐ出てきます。 その彼が出てくるとき、入れ替わりに入ればどうですか?」 アリヤン「どうやってこの鉄格子の門を開けるの?」 門扉は硬く閉ざされ、びくともしない。 そのうち建物のドアが開いて、中から日本人の男の子が出てきた。 すかさず、背の高い日本人の男の子が、 ノッポ君「ココをこう押せばこの鉄格子が開きます。今がチャンスです!」 と言って、鉄格子の門扉の内側に手を入れてボタンを押した。 すると、門扉が「ブー」となって「カチャ」っと開いたではアリマセンカ! すかさず、ワタクシたちはライサを誘って門扉の中に飛び込み、今まさにドアから外に出ようとしている日本人の男の子と入れ替わりに、ワレワレは部屋の中に入った。

部屋の中はこのような感じで、ガラス窓の中にキレイなおネエさんが一人立っていました。 (この写真はあとでキレイなおネエさんが横に行ったスキに撮った) そのキレイなおネエさんが驚いて「ノー、ノー、ノー!」 ワタクシたちは日本のパスポートを振りかざし、ライサはアメリカのパスポートを振りかざしています。 おネエさんの制止を聞かず、日米3人は窓口に殺到して「アポイント、アリマス。今日がアポイントです!」 と言いながらパスポートを窓口に入れようとする。 おネエさん、慌てて誰かを呼んだ。 すると、屈強なガードマンが中から出てきて、ワレワレ、強制排除されました。 不思議と、アメリカ人のライサだけは受付をされたのでした。 ワタクシたち夫婦は強制排除されて、鉄格子の外へ追いやられました。 ガードマンはロシア語しか話さない。 でも、ココでマテ!と言っている様子です。 外でノッポ君に「なんでアメリカ人は良くて、日本人はダメナンやろか?」と聞くと、彼は連れの外人を指差して、 ノッポ君「彼も受け付けてくれてくれないんデス。理由はサッパリ分からないのです」 そして、彼はこうとも言った。 ノッポ君「ボクのは受け付けてくれたのですが、この友達フィンランド人ですが、彼が受け付け拒否されたので、ここでこうして、どうしようか、ひょっとしてまた受け付けてくれるカモ、と待っているんですが、、、」 中々、この日本人は友達がいのある子だノウ、と感心しました。 そうこうするうちにライサが笑顔で出てきた。 入れ替わりに、鉄格子の門扉が「ブー」っと開いた。 ワタクシたち2人の名前が呼ばれて中に入った。 今度は、キレイなおネエさんにニッコリ笑いかけ(アチラもニッコリ)、申請用紙とパスポートを渡した。 無事受け付けられ、来週の火曜日に電話ちょうだい、となった。 エッ!? たったソレダケ? 余りの簡単さにビックリです。 ともあれ、申請用紙作るのに昨日一日苦労しただけに、受け付けられた喜びもヒトシオです。 外に出て、ライサと抱き合って喜んだ。 「でも何故アメリカ人が先なんだろう?」 ライサの説明で納得。 ライサはあの窓口で開口一番、「ビザ代は160ドルです。払えますか?」と言われたそうな。 勿論、イエスと応えて支払い、申請書が受理された、とのこと。 なるほど、日本人はたったの15ドルなので、後回しにした、ということだろう。 それにしてもアメリカ人はビザ代が高いのだ。 聞いてみると、キルギスのビザも何十ドルも支払い、カザフスタンなんかは200ドルとか言っていた。 日本人はキルギスのビザは不要で2ヶ月は滞在できる。 カザフスタンのビザはタダ! 日本人であることのラッキーさを実感した瞬間でした。

他に用があると言うライサと別れ、ワタクシたちはブラリブラリとビシュケクの街を歩きながら帰ります。 帰りは大通りを歩くのをやめて、こうした緑多い通りを選んで歩いた。 ビシュケクの街にはこんなに多くの木があるのだ、と驚いた。 このような公園のような道がアチコチにあるようです。 いっぺんにこの街が大好きになりました。 森に生えている木々は一本一本がかなり大きなものまであります。 一朝一夕で出来るものではアリマセン。 この国の人たちが如何に森を大切にしてきたか、が良く分かります。 キルギスタンはいい国です。

公園の遊具。

マナス像と大きな建物。

こちらも何かの博物館?

またマナス王の像のところを通って、GHに帰りました。 今日の出来事はここまでで終わらなかった。 GHに帰って、ビザも申請できたので今日はゆっくりお昼ごはんを食べようか、と話しをしていて、ふと、エライことに気がついたのでした。 小脇に抱えていた小さなバッグが無いのです! どこにも見当たらないのです! 全財産が入っている「大切な大切な」バッグなのです! 「どこに置いてきた??どこで落とした??」と必死で考えました。 あまりのショックで気が折れそうになるのを必死に押しとどめ、ヒタイに冷やあせをにじませて必死で考えたのであります。 そして、「ウズベク大使館に置き忘れて来たに違いない!!」という結論に行き着いた。 申請受理された喜びで、宙に舞ってしまって、窓口の前のテーブルにバッグを置いたまま帰ってきたのです。 アワテテ、GHのアブドラハマンに頼んで電話をしてもらった。 しばらくウズベク語の会話があって、受話器を置いたアブドラハマン曰く、 「バッグはあった。今日の4時に取りに来い」とのことだった。 ワレワレ、ホントにホッとしてランチを食べに出かけたのでした。 でも中身は大丈夫?とパートナーは心配顔でワタクシに聞く。 ワタクシ「大使館やから大丈夫やろ。あのキレイなおネエさん、金持ちそうやから、お金をとったりせんヤロ!」 などとのんきなことを言って、今日の4時に賭けました。 で、4時前に大使館に行きました。 でも鉄格子は閉まったまま。 キルギス側の警備の警官に聞いたが、ココに電話しろ、と大使館の看板に書いてある電話番号を指差すだけで、何もしてくれない。 当方、鉄格子の開け方を知っているので、中に手を入れてボタンを押した。 警官がアワテテワタクシを阻止しようとしたが、ワタクシたちは開いた鉄格子扉の中にチャッと入ってしまったので、警官も外でどうしようもなかった。 「ヘヘ、ここはキルギスでなく、ウズベクだよ」と言いたかったが、独り言にして建物のドアまで行った。 すると、ドアがブーっと鳴って開いた。 あのキレイなおネエさんと大使館の警務官がワタクシのバッグを持って窓の中に居た。 おネエさんとはすでに知り合いなので、おネエさんはニッコリ笑い、当方もサンキュー、サンキューっと言いながら近づいた。 「気をつけてくださいネ」と言いながらバッグを窓口から出してくれた。 ぱっと見た目、バッグを開けた様子はなかった。 それで、サンキュー・ベリー・マッチと言って、バッグを抱えておいとましました。 パートナーは「中身を見ないで、良いの?」 ワタクシ「親切なヒトの前で失礼なこと出来ない」 で外に出てすぐ中身を見た。 なにも変わっていなかった。 そして、やっとワタクシたちに平和が訪れたのでした。 ーオワリー

ビシュケクGHはオシュ・バザールの近くにあった。

GHのホームページ;http://bishkekhouse.ucoz.com/ にのっていた地図のコピーです。 GHビルの前の大通りは緑地帯があって、中々雰囲気の良いところです。

これがビシュケクGHの入っているアパートビル。

表通りのモロダヤ・グバルディヤ ブルバードからアパートの裏側に入ってみると、このような小さな入り口がある。 部屋のICカードがないと入れません。 もしくはパスワード番号が必要です。

中に入ってもエレベータもICカードが無いと乗れません。 つまりGHにチェックインしないとICカードをゲット出来ないので、まずチェックインしないと何も出来ないのです。 外見に似ずIT化の進んだGHです。

でも7階にあるGHの入り口はこんなにボロです。 こんなドアでも開けるにはICカードが必要です。

ビシュケクGHは要するに、団地アパ-トの1室を改造してGHにしているわけです。 オシュGHもそうでした。 男女別ドミトリー部屋(各5人ほど入る)2部屋とツイン1部屋。 それに居間にキッチン流し、冷蔵庫、事務机、ソファ、TVが置いてあります。 バスルームは共同で、バスタブもありますが、みなシャワーを使っています。 洗濯機がバスルームの中にある。 スタッフはヒゲもじゃのアブドラハマンと若いニイチャンだけで、掃除は行き届いていない。

さて、ウズベキスタンのビザです。 まずインターネットで申請書を作成します。 GHにはフリーWI-FIが飛んでるので、Wireless LAN内臓PCを持っていればOK。 ウズベキスタン大使館(在日大使館でもOK)のホームページに行けば、e-visa申請書のページにアクセスできます。 すると、写真のような申請書が画面にでてきます。 英語版しかアリマセン。 各必要事項を画面上で英語で入れていけば良いのです。 非常に簡単です。

ところが、実は正直者?のワタクシにとって、簡単ではナカッタのです。 戸惑った点を下記に列記します。 1.滞在期間の設定です。   何月何日から何日までをインプットするのですが、いつ発給されるか分からんビザだし、いつウズベキスタンに入れるのかも特定が難しい。 2.Inviting Party.でつまづいた。   だれにもインバイトされていないので、何を書き込めば良いか分からな   い。 3.ウズベキの住所?これはガイド本でもみて適当なホテルとその住所を入れる。 4.Occupationの欄、現在無職ですので無職と書く。   すると次にPlace of work, Work Address と書き入れる欄が出てくる。   「無職」なら働く場所も、住所も無いワナ。   困ったことに、この欄は必須欄となっているので、必ず書き込まなけれ   ばならない。 ここでGHに泊まっていた日本人男登場。 自称:ここらの~スタンに何年も住んでいて、ロシア語ペラペラ(独学したらしい)。どんなことでも良く知っている(自称)。ウズベキスタンのe-visaの申請書のコピーも持っている。40才代、独身。自称M。 この謎のMさんが良く知ってるのだろうと、上記2.についてどうすべきなのかを聞いた。 M曰く「そんなことはブランクでいいんデス。大使館のほうでもヤツラそんなこと気にしてませんカラ」 正直なワタクシ、ブランクにしたまま、最後に出てくる「プリント形式に移行」のタブを押す。 ところが、「プリント移行不能」という意味の言葉が出てくる。 1,3,4を何とか入れて(最初Mはこの1,3,4もブランクで問題ない、と言っていた)、再度「プリント形式に移行」しようとしてもダメ。 ああ、プリンターがないからか?と思い、近くのネット屋に走る。

ハラが減ったので途中のシャワルマ屋でシャワルマを注文。 かなりボリュームあるヤツでした。

シャワルマ・サンド。

部屋に帰って、またパソコン作業。 画像にした申請書をUSB memoryにいれて、再度ネット屋へ走る。 そしてついに申請書をプリントアウトした。 時すでに夕方。 そいつをアメリカ人のお姉ちゃんにみせたら「私のと形式が違うワネ」だって。(彼女はこの時点でまだプリントアウトしていなかった) エエッ!?どんなものなの? Inviting Partyはどう書いたの? アメリカ人「そんなの適当に、泊まるゲストハウスの名前を書いたワヨ」とノタマウ。 な~んだ。適当で良いのか。 即またパソコンに向かって、ホテルの名前を書き込んで「プリント形式に移行」をクリックしたら、まさに「プリント形式」に移行した。 それまでのpdf形式の申請書とは違った様式のフォームになった。 これをUSB memoryに入れてネット屋に走ったのは、もう夜の9時ころでした。 やっと無事、申請書が出来上がった、のでした。 *要するに設問すべてに答えると、順調に次の「プリント形式に移行」するのだったのだ。 中央アジア諸国住みつき男=Mの言うようにブランクにしていては、次の「プリント形式に移行」しないシステムになっていたのだった。 つまりアノ男Mは、ウズベク・ビザ(e-visa)の作成方法はなにも知ってはいなかったのだった。

ネット屋の帰りにちょっとオシュ・バザール見学。 まだウズベキ・ビザ申請書が出来上がってないので、ちょっとだけ。 気が気でなかった。

いつもいつも味の濃いラグメンばかしは胃にもたれる。 野菜が少ないので果物を購入。

バザールの外側だけで帰る。

それにしても、あのMはナンテやつなんだろう! パートナーが「ウチのダンナが申請書がプリントアウトできなくて苦労している」とMに言うと、彼は「ボクはウズベキスタンのビザは今までに取ったことがナイ」とパートナーに言ったそうだ。 「ワタシは何年もこの辺りに住んでいて、ロシア語も分かるので、だいたいのこと何でも知ってますよ」と言ってたのに。。。 知りもしないこと、やった経験もないこと、をあたかも知ってるフリしてヒトにアドバイスするナンテ! それを信用したワタクシがバカだった!!

まあ、なにはトモアレ、出来上がったのでヤレヤレだ。 明日、大使館に持って行って、ビザ申請をしよう。 あの親切なアメリカ人女性も明日行くと言ってたので、彼女と一緒に行くことにしました。 今日は、ウズベキスタン・ビザのe-visa申請書騒動で、頭も体もボロボロです。 ぐっすり眠りましょう。

シルクロードの基本はポプラ並木。

ヒツジ飼い。

突然に荒々しい小川が出てきました。

まわりは山だらけ。 道路のワキを白っぽい子牛らしき動物が走っていました。 走るといっても、トロッティングという位のスピードでです。 車がその動物のソバを通り過ぎるときに、ワタクシは動物の顔を見た。 ナントッ!!! オオカミです! かなりデカイ犬ヨウで、振り向きざまに見えた顔はオオカミだ! 同乗のオッチャンもニイチャンも「ウルフ、ウルフ」と言っています。 生きた野性のオオカミなんて、しかもすぐソバを走っているオオカミは「生まれて初めて見ました。」 しかもヒョコヒョコと道を走っているのです。 もう、興奮と感動で、胸が高まりました。

それ以来、オオカミの姿は見えませんでした。 同乗のオッチャンもニイチャンも「ワシもあんなの初めて見た」と言ってました。 写真が撮れなかったのが返す返すも残念です。 山々にチラホラ残雪が見え隠れしています。 (6月の初夏ですから、雪は今年はじめのものと思われます)

オオ! 高い雪山が繰り広げる大パノラマ。

道路の側は山々のすそ野の平原となっています。 そこには牛や馬や羊が放牧されており、ノマッズ・ピープルが住むユルタ(円形テント)も見えてきました。

道路のすぐそばにまでユルタがあります。

こうしたコンテナ様のトレーラーで何かを売っています。

ユルタの数が進むごとに増えてきました。

馬を連れたヒト。 その昔、2000年ちょい前、ここらの馬を求めて漢の皇帝が通商を望んだ、とも言われています。 たしか誰かが密使として使わされたと思います。 その彼は匈奴につかまり13年暮らし、逃げてこの辺りにやってきて過ごし、帰国して漢の皇帝にはるか西域の向こうに素晴らしい国があって、そこの馬が汗血馬で優秀であるとの事情を皇帝に奏上した、との話しが思い出されます。 2000年以上前から中華帝国のヒトはここが素晴らしい国であることを知っていたようです。

たしかに馬が多い。

残雪が溶けて谷を流れています。

だから、ここの小川には豊富な水が流れているのです。

馬に乗る姿、サマになってますネエ。

ここらくらいから運転手のオッチャンが何かを求めてユルタ販売店に立ち寄ります。 そして商品をチェックして、買わずに去ります。 後ろの丸顔のニイチャンに聞くと、「コムス、コムス」といいます。 どうやら、馬のチーズ玉=コムスを求めているようです。

それ以来、何度もユルタのノマッズに声をかけます。 オッチャンの求める良質で適正な価格の「コムス」は中々見つかりません。

この風景は「残雪が溶けて水になり、川を造る」そのものの図です。 川すじの向こうには雪がまだあります。

ユルタを何軒もハシゴして、やっとお気に入りのユルタ販売店にたどり着いたようです。 ここで全員、車を降りて、ユルタのほうに近づきます。

ユルタの向こうには、ここの住人が乗る車=ウマがつながれていました。

こんな野っぱらで元気の良いウマにお近づきになれるなんて、感動ものです。

どのユルタにも番犬がいます。 遠くから見た感じでは、オオカミを飼っているのか? と思っていましたが、シェパードとオオカミの混血種かナ? 恐る恐る近づいて見ましたが、相手にされず。 迷惑そうにこっちを見ています。 でもこれ以上近づけば、オオカミみたいに飛びつかれそうです。

オッチャン夫婦がユルタの中から、「さあ入れ」と手招きしてくれたので、ワタクシたちも入りました。 早速、出ました! 「馬乳酒」です。 飲んでみました。 確かに、ちょっと発酵アルコールの味がしますが、しつこくなく、意外にもあっさりした飲み物でした。

これがこのユルタのアルジです。 目がキラキラしていました。

ユルタの天井部分。

その家族。 上はもう高校生くらいから下は膝にのったこんな小さな子供まで、子沢山のようです。 みんな目がキラキラしていました。 *写真には写ってない子供あり。 *膝の上に乗ってる女の子、ウチのマゴに良く似て、なんともカワイイ!

奥さんはカタワラで粉を練ってパン作りに励んでいました。

これはウマの乳のバター。 パンにつけて食べてみます。 味はあんまり無くて、クセがありません。 パートナーは「ワタシこれ好き」と言っていました。

みんなそろってパチリ。

奥にあったフェルト布に包まれた木製のタルを見つけて、コレ・ナニ?って聞くと、この家族の一番娘がわざわざフェルトを取って中を見せてくれました。 「こうやって中の馬乳を攪拌するのよ」とばかしに実際やって見せてくれました。 ナルホド、と納得。

時間はもう夜の8時です。 そとは薄暗くなり始めています。 オッチャンはここでコムスを大量に買い、奥さんはバターと蜂蜜を買いました。 ビシケクの親戚にお土産とするのでしょう。

長男です。

末ムスメです。

トクトグル湖からの後半マップです。

車の横を走るオオカミは写真に撮れませんでしたが、イメージ図としてはこのようでした。

本日のルートマップです。 オシュ⇒ビシケク 距離:約620km(実際はもっとあったように感じました) 時間:13時間(休憩とランチとお買い物と水浴び時間含めて) 高低差:1000mはあったと思います。 世界でもマレなる大自然美とノマッズ(遊牧民)の生活を覗かせてもらいました。 キルギスタン=森と泉に囲まれたブルー・マウンテンの国です。

オシュ・ゲストハウスのオーナー、ルスランさん。 日本語が少し出来ます。 「ワタシのナマエはルスランです」 と挨拶してくる気のいいオッチャンです。 かねてよりルスランさんに「ビシケク行きの車は日本車かドイツ車でないとダメ」と注文をつけていた。

すると、このような二重丸のベンズ車が来ました。 所有者はルスランさんの友人で、運転手が車のオーナー。 奥さんが助手席。 客は、オーナー知り合いのポッチャリ丸顔のオニイチャン。 それにワタクシたち夫婦です。

後部座席に丸顔ニイチャンとワレワレの3人が座っています。 車内は広いので、窮屈なことはナイ。 朝8時半にビシケクに向かってスタートです。 ベンツの少し硬めの乗り心地良し、同乗者も女性同伴なので、良し。

オシュをでてスグにこのような大平原が出てきます。 中央アジアはカラカラで砂漠&土漠&ハゲ山ばかり、と思っていたのが、ここキルギスタンでは見事に裏切られました。 とにかく緑が豊かです。 *ここフェルガナ盆地は紀元前の昔、漢の武帝の時代、匈奴を挟撃するために張騫を派遣した大月氏国があったところです。古代から緑豊かな地で遊牧民族の住むところでした。

車道上を移動しているものは、近すぎてカメラで捉えきれません。 その中で一瞬だけど捉えたシーンです。 荷車を引くロバとその御者。

緑の大地。

緑の大地。

今日の料理に使う? 柴を見つけて、家に引きずって持って帰ってる子供。

ウズゲンあたりの大きな川。

光の具合で川の色が変わります。 見事なアオ色(緑がかった蒼色)の川。

なにやら大きな町に着いたようです。 オシュをでて3時間くらい経っています。 どうも、ジャララバードのようです。

この町は全体が市場なのか? それともワレワレが市場だけを訪問したのか?

穀物の売買。

トマト売り。

ナッツ売り。

たいした人出です。

中央でカオが丸くて笑ってる男性、彼が運転手のお友達で、ワレワレと同じく後ろの席に座る客。 その彼に話しかけている、後姿のオッチャン、彼がベンツの持ち主で今日の運転手。 ここでは市場を30分ほど見て回って、運転手夫婦がスイカを買った。 そして再スタート。

ひまわり畑。

ひまわり畑が続きます。

平原に馬。

馬に乗った少年たちとすれ違った。

黄色いのは菜の花ではなく、ひまわり。

湖の端っこ?

険しい道に入って、運転手交代。 ベンツのオーナーのオッチャンは運転が荒っぽくて、後部座席でまあるい顔のニイチャンと「運転手がクレージだ」と言い合っていた。 そのまあるい顔のニイチャンに運転交代する。 このニイチャンのほうが断然、運転がウマイ。 穏やかな運転をして、衝撃箇所はうまく処理する。

険しい表情の山もあります。

少し渇いた大地。

入植地のようなバラックが散見される。

平坦地でまた運転手交代。 荒クタイオッチャンが運転。 ただスピードを出すのみ。 カーブは右へ左へ体が傾く。 でも景色は相変わらず素晴らしい。

少し乾燥地帯らしく、渇いた大地が続く。

だんだんと緑が多くなってきました。 ということは、水が近くにある、ということだろう。

大きなポプラの防砂・防風林。

広い舗装道路。

あんまりの無茶な運転のせいか? 後輪左のタイヤがパンク。 タイヤ交換休憩。 パンクしたときは「これで最後か?」と覚悟したほど、バーストの音がすごかった。 車がひっくり返る像がイメージされた。 でも、「コレはベンツだ!」という安心感はあった。

山がちになってきました。

山々も緑に覆われています。

オオッ! ついにトクトグル湖に着いたようです。 ここまで来れば、もう半分くらい来たようなものです。

オッチャン、「ここで泳ごう!」っと車を湖のほとりに寄せて、

ホントに泳ぎだした。 奥さんはスカートのすそをまくって水に入るワ、

オッチャンは穿いてきた海パンになって、ホントに湖の中に入っていきます。 *最初から今日はココで泳ぐツモリだったのだろう。 ワタクシたちは岸辺を散歩したり写真を撮って回った。 だって、水着がない。

家族連れの子供たちが水遊びしていました。

車は浜辺に駐車。

このトクトグル湖、意外ときれいでなかった。 すでにちょっとゴミで汚染されていた。 こんな山の中の湖でさえ、人間の生活ゴミが見られるくらいだから、観光化されたイシククル湖も?、、、、、

トクトグル湖畔で約1時間休憩。 ベンツは再スタート。

大きな魚を釣り上げて、自慢げに見せていた地元民に出会う。 魚の形からしてサケやマスではなさそう。 バイカル湖にもいたオムールという魚かな? とにかく大きい獲物だ。

しばらくしてパートナーがトイレ休憩。 ちょっとしたチャイ・ハナの裏山にて。 ホント、こんなところにジャングルが、、、、

小川も勢い良く流れていました。

しばらく走り出して、運チャンのオッチャン「アチャーッ!」と自分の頭を抱える。 ガソリンが無い、という。 GSはさっきのチャイハナの近くにあったハズ? で、ユー・ターン20分。 無事、ガソリン注入。 *それにしても中央アジア最貧の部類の生活水準なのに、ガソリンの値段だけはグローバル・スタンダードだ。

ワタクシたちは毎朝6時には起きる。 顔を洗いに部屋を出たら外人男女4人が床でゴロ寝していた。 多分真夜中か早朝に着いて、ここにたどり着いたのだろう。 しかし、暗い中、よくこのGHが見つかったものだ。 朝食を部屋ですませ、ワイファイでパソコンいじり。 4トラ仲間のがまだすさんとスカイプ電話した。 中々ネット状況が良い。 9時半ころから世界遺産のアラ・トー山(スレイマン山=ソロモン山)に行ってみようと出発。 南に向かえばバザールを通ることになるので、逆の北方面経由で山に近づこうとなった。 (バザールはアノ両替商とハチ合わせになると困るので、避けている) 北方面の公園を抜けて行きます。 公園の中にユルタ(遊牧民のテント)がありました。

10時になると小腹が空くので、ペプシとパンで腹ごしらえ。

公園の中を通る。 どこも緑いっぱいだ。

キルギスタンの旗を模したモニュメント。

ワタクシたちの大好きな裏通りを行きます。 裏通りのほうが緑豊かで静かなんです。

ここオシュは緑が多いので、日陰が見つかり易く、暑さも和らぎます。

変わった木の実があった。 見たとたんに「この実はどこか日本で見たことがある」とピンときた。 「マルメロの実」である。 たしか、長野県のどっかの道の駅で見たものです。 そのときの旅行記: http://4travel.jp/traveler/ariyan-eurasia/album/10078975/ に、マルメロって何?が詳しく載っていなす。  そのとき、「マルメロ」は中央アジア原産のバラ科の植物。と調べたことがある。 そう、ここは中央アジアです。 このあたり原産のマルメロの木です。

裏通りをドンドン進みます。

日干しレンガを作っていました。 シルクロードに点在する世界遺産級の遺跡に行けば必ず見る「日干しレンガ」。(交河故城遺跡がそうです⇒http://4travel.jp/traveler/ariyan-eurasia/album/10683950/) 今もこうして作られています。 家の建設に使うのです。 おそらく数千年来使われてきたと思われます。

路傍に山からの冷たい水が出ていました。 お昼近くになると、確実に30度以上になり、大変暑い。 乾燥気候でカラカラです。 冷たい水で顔を洗い、水を飲むと生き返ります。

水路で水遊びしている子供たち。

ハロー、ハローと子供たちはどこでもカワイイものです。 写真を撮らせてくれた、はにかむ女の子。

男の子。 どちらもアジア系でもなく、トルコ系でもない、ハーフな顔をしています。 そう、ここはモンゴル系とトルコ系とペルシャ系人種が混ざっている中央アジアなのです。 言葉は中国のカシュガルのウイグル人と同じように、「ヤクシマー?」「ヤクシャ、ヤクシャ」が通じます。 (ウイグル語で、「元気?」 「ウン、元気、元気」というあいさつ)

堂々たる桑の木。 おカイコさんが紡ぐシルク糸。 そのおカイコさんのエサが桑の葉です。 まさにここは「シルクロード」。

天日干しレンガの塀。

アチコチで子供たちが遊んでいます。 こうした子供だけの光景は、今の日本ではもう見られません。 近所の子供たちが集まって、大きいのも小さいのも一緒に遊ぶのです。

小さいのも大きいのも一緒に遊んでいます。

子供たちの上には、大きなりんごの木が日陰を作っています。

ぶどう棚もあります。

白い桑の実。 甘そうです。

住宅街を流れる小川。 水は少し濁っていますが、冷たい。

ホント、水と森の町、オシュです。

日干しレンガの狭い路地を歩く。

アラ・トー山が近くに見えます。 モスクも見えます。

後ろを向けば、アラ・トー山。

えらくホコリっぽいエリアに迷い込んでしまいました。 どうもここらもバザールの一角のようです。

歩いているうちに迷い込んでしまい、アッチ、コッチ歩き回るばかりで、一向に山に登る道が分かりません。 キリがないので、来た道をたどって、元に戻ることにしました。

これは町を二分する川です。 川がすぐそばにある、ということはバザールの川向こうに来ている、ということです。

来るときに遊んでいた子供たちがまだ遊んでいました。

どうです、この無邪気なこと。 神様がくれた天使たち、そのものです。 ジャポーン、ジャポーンと宣伝しときました。

まるで緑地公園の中を歩いているようです。

こちらではみんな輪になって、なにやらゲームをやっていました。 中央アジアやシベリアでも良く見かける光景ですが、東西の人種が一緒に仲良くしているのです。 これにロシア人が混じることもあります。 なんとも微笑ましいものです。

アパートの壁にはキルギス模様。

こんな道なき道を戻って、ゲストハウスの近くまで帰ってきました。

お昼過ぎで、お腹が空いたのでまたラグメンの看板がある食堂で、

ラグメンを食す。

キルギス餃子も食す。 (マントー、で通じます)

今日のウオーキング・マップです。

コレのほうが分かりやすいカナ?

キルギスの文化・風俗・注意点

 米ドル、ドイツ・マルク以外の通貨の交換は困難と考えた方が無難です。また、トラベラーズ・チェックの利用は不可能です。クレジット・カードでの支払いが可能なホテルやレストランは増えていますが、機械読み取りによる電算処理をするところが未だに少なく、取り扱い表示があっても使用できないところも多くあります。なお、銀行も十分に機能していないので、必要な場合に日本から迅速に送金を受ける方法がないことにも留意が必要です。

 郵便事情は極めて悪く、時間がかかるか届かない場合が多いようです。日本からだと1ケ月程かかることもあります。

 残念ながら、現地語(ロシア語またはキルギス語)を知らないばかりにトラブルに巻き込まれることが多いのが実状で、また、外国人専用ホテルであっても、英語のわからない従業員が大勢を占めるので、なるべく現地語を理解する人と行動するようにした方が良いでしょう。

 風邪薬、胃腸薬、下痢止めなどの常備薬は持参することが必要です。

 衛生状態が良くないので、下痢、食あたりは良くあります。水道水は飲料水には適さないので、一度煮沸させることが必要です。ミネラルウォーターが流通しているので、それを飲むのが良いでしょう。

 衛生的に満足できる水準にある病院はありません。短期の滞在であっても、緊急移送サービスの付加された海外旅行傷害保険に加入することは不可欠です。