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エストニアってどんな国?

エストニア共和国(エストニアきょうわこく)は、ヨーロッパの国。バルト三国の一つ。首都はタリン。ラトビア、ロシアと国境を接し、バルト海、フィンランド湾に面している。
ソビエト連邦から独立した。ソ連からの独立後、国内に残ったロシア人(残留ロシア人)の問題を抱える。

エストニアの地図

エストニアの写真・旅行記

社員旅行で訪れたヘルシンキ。1日自由行動がありましたので、隣国エストニアのタリン旧市街を観光。 リンダラインの高速船でヘルシンキ8:00発、タリン16:00発で日帰りですが、充分楽しめました。 いつか、子供が大きくなったら連れてきたい。

旧市街を見下ろせるポイントで撮影。 絵葉書そのものの景色です。

高速船を降り、人の流れに乗って歩くと10分位で、旧市街が見えて来ました。

カフェ後、広場に向かって歩きます。 大変雰囲気のある街並みで、タリンに来て良かった。

1864年創業だそうです。

タリン到着後、まずはお茶をすることに。 何気なく入ったカフェでしたが、タリンで一番古いカフェとの事。 ケーキもコーヒーも美味しかったのですが、セルフサービスは、ちょっとです。

このような建築物のあちこちあるなんて。

迷うことなく、広場に到着。

本当に綺麗です。 後、天気にも恵まれ、とても良いショートトリップになりました。

大変素晴らしい景色。他のバルトも行ってみようかな~。

リンダラインの高速船。

今日はチェックアウトもゆっくりなので、8時頃に食べた。 ヘルシンキからの飛行機まで食事するタイミングがないので大目に食べました。

ホテル・レストランからバーカウンター越えにロビーを

人通りの少ないヴィル門からの通りの朝の様子

旧市庁舎広場を抜けて

聖オレフ教会への路の途中のスエーデン大使館近くの小公園で一休み

桃の花がショーウインドーに飾られています。 春の装いです。

昨日、塔に昇った聖オレフ教会

昨晩のディナー会場の三姉妹ホテル

太っちょマルガリータ門の外の海難記念公園からの景色。 帰国日にやっと完璧な大空が見られました。もし次回来るならば、こんな天気が続いて欲しい。

トームペアの丘と下町の境の石畳の小路をゆっくりと歩いて登っていきます。

右の丘の上には、立派な建物が続いています。

同じくこの古びたさび色も素敵な建物

十字に真ん中にアクセントのある国旗?がはためいています。 どこの国かな?

アレキサンダーネヴスキ大聖堂まえに出てきました。

丘から階段小路を降りながら旧市庁舎広場にもどってきます。 階段小路では昨日の朝に立ち寄ったお店に立ち寄ってみると、もう開店していました。 働き者ですね。

タリン初日の夕食をいただいたレストランはまだ閉まっています。 さあ、ヴィル門のほうへ歩いて行って。ホテルへ戻りましょう。 途中で最後の買い物をショッピングモールでしましょう。

タリン空港ではこんなタラップを通って、地面に降りて小型機に乗り込みます。

この飛行機に乗り込みます。

ヘルシンキ空港。 これに乗って、日本へもどります。

夕食 お蕎麦がうれしいね。このほかにデザートのバニラアイスがついていました。

オーロラが見られるかもと、ひそかに期待するもダメでした。

朝食です。

新潟あたり上空。

間もなく成田に到着。 旅も終了。 楽しかったときはあっという間にすぎさってしまう。

チェックアウト時間が近づいてきました。スツケースを転がして、エレベータに向かいます。 部屋の階のエレベータホールの窓から、名残のタリン旧市街の美しい景色を撮っておきましょう。 左から、キークインデックスの紅い屋根の塔。「庶民の家の台所が覗けた」のでこの異名がついた。其の右奥の背の高い灰色の塔はトームペア城の「のっぽのヘルマン」。玉ねぎ頭の教会は「アレキサンダーネヴスキ大聖堂」。右橋の塔は「聖ニコライ教会」、「死の舞」の絵のある博物館でもあります。

エレベータホールの窓から右にふってみます。 左端の塔と赤い屋根は「聖霊教会」、右寄りの丸い屋根は「聖ニコライ正教会」。

右端の高い塔は「聖オレフ教会」。この塔に息せき切って、昇った。

部屋か海の方を望遠で見てみます。

港にはフェリーが停泊しています。

ホテルの8階に私たちの部屋があります。

タリン空港の待合

聖ニコライ教会は歴史概要は、タリン観光事業所発行のシティ・マップ(日本語版)によると以下のとおりです。 1230年頃、この頑丈な教会はまだ城壁ができる前に要塞として設計された構造物だったものを、ゴットランド島からのドイツ人移民により発見されました。建物は1523年に起こった宗教改革から以降残っていましたが、20世紀の第二次大戦での爆撃を受け破壊されてしまいました。その後、1980年に再建築され、教会の内部には教会絵画や中世の祭壇が展示されています。仲でも有名な画家Bernt Notkeの作品「死の舞」が展示されており、それを見る訪問者を、より神秘的な空間へと導くでしょう。 教会の機能もあるようですが、基本は博物館です。

上からみれば、教会は通常、十字架の形をしています。この縦棒に位置する主祭壇の入口から奥への全体の様子です。

一番奥に、金屏風の襖絵のようなものが展示されています。 この教会にかかわる伝承の二人の殉教聖人の物語が10枚程度のコマワリの絵で物語れています。昔は一部の階級身分の人を除いて、庶民は文字が読めなかったので絵で説明したものです。

十字の横棒にあたる位置の奥の窓のステンド・グラス。 美しいです。

建物の壁に漆喰レリーフでしょうか? 死神が不気味に立っています。 ヴィリュニウスの聖ペテロ・パウロ教会にもこの「死神」がおりました。 最初これが目に入ったときは、一瞬、誰かのお墓のふたかと思ってしまいました。

「死の舞」のオリジナルはもっと長大なものだったそうです。 各階級身分の姿をした生きている人間と死後の姿のペアが延々と続くものだったそうです。 現在は、この教会にあるものだけが、知られており、残余の部分の行方は知れないそうです。 いつか、どこかから発見されるかも知れませんね。 この教会の絵の人物たちは、最上流階級の大司教、皇帝、王、王妃などだそうです。

保護ガラスで光ってしまって、よくは見えません。 右半分

左半分

広角レンズに取り換えて先ほどの殉教聖人の襖絵を再度、撮ってみました。

中央祭壇のステンドグラスに焦点をあててみました。 広角レンズなので、たわんで写ります。

広角レンズでもう一度「死の舞」を

「死の舞」のコーナーのステンド・グラス

市庁舎広場にやってきました。 観光用の機関車トーマス号が丁度やってきました。

旧市庁舎を見上げますが、逆行でよく見えません。

広場を取り囲む建物をぐるっと、撮ってみました。

ぐるりと、一回りして旧市庁舎のまえで、現地の小学校の子供たちが先生と何やらやっています。

このタリン市の中心を示す「道路原標」のようなサークル。 ヴィルニウスの大聖堂前広場にもありましたね。 「ここはパワースポットで、グルグル回ってもふらふらしないよ。試してご覧。」と先生がこどもの何人かに試させていたのです。 先生は子供の背中をつかんでふらっとしないようにしていました。 多分ここがヴィルニウスからのバルト三国の市民の鎖の終点だったと思います。ここから太っちょマルガリータ門を通って、はるばるリトアニアのヴィルニウスまで無数の手と手で結ばれたのですね。

今度は、広場の、とある建物の前で説明を聞いています。私たちと同じ行動が続きます。 ここは「旧市庁舎薬局」。1422年以前から営業が続いている、ヨーロッパで唯一当初から休みなく営業し続けているもっとも古い薬局 とタリン観光事業所のマップに記されておりました。

1422の数字が誇らしく看板に書かれています。

急に子供たちが一斉に散りました。 何か探し物ゲームを先生が指示したようですが、詳細は分かりません。子供たちが嬉々として課外授業を楽しんでいるようです。

狭い小路から旧市庁舎の塔がのぞいています。

一般庶民の教会「聖霊教会」

私たちも子供たちと同じ方向の「聖オレフ教会」の方へと向かってあるいています。 「タリンで一番古いカフェ」との言葉がウィンドーにありました。この水車の模型のようなものはなんなんでしょうか?

別のお店の窓の上には、西洋のドラゴンがいました。 守り神なのでしょう。

バルト三国、特にエストニアに歴史的にかかわりの深いスエーデンの大使館がありました。

大使館のそばには小さな公園。エレベータ式の地下トイレも備えているようです。 翌日の散策では、ここのベンチで休憩しました。

聖オレフ教会の、このタリンで一番背の高い塔が見えます。 四角い白い部分の上部に幅40センチほどの金網を張った庇があり、そこが展望台です。 昼食後、ここに昇ってしまうことになりました。

聖オレフ教会の全体の姿 オレフとは、この教会の設計、建築責任者の名前だそうです。

展望台部分をアップしてみます。 3人ほどこちら側を歩いているのが見えます。

オレフの墓 骸骨が横たわったような浮彫があるので、ちょっと不気味。

今日のディナー会場の「三姉妹ホテル」 切妻屋根のすぐ下に滑車を取り付けて荷物を出し入れするための太い柱が出ています。

三姉妹ホテルから数十メートルのところに、 エストニア海洋博物館が右側にそれに接続して城門が見えます。

通称「太っちょマルガリータ」という、元々は街を守る大砲塔だったそうです。 海洋博物館はかっては監獄として使用されていたこともあるそうです。その頃、賄のおばさんに「マルガリータ」という人がいて、囚人が解放されるときに「もう、こんなところに戻ってくるんじゃないよ。」と諭したという伝承があり、その彼女が太っていたところから、名前が付いたということでした。

一つ一つの塔にはニックネームがつけられているようです。

太っちょマルガリータ門を出た右側は記念公園になっています。 一つは例の「バルト三国の人間の鎖」

そしてもう一つが海難事故 19994年9月28日フェリー海難事故で852人の犠牲者を悼む碑が立っています。 多くの高校生も犠牲者だったとのことです。

太っちょマルガリータ門をでて反時計周りに城壁の外側を歩いて見学します。

旧市庁舎広場でもであった子供たちと、また遭遇。

塔が並んでいるこのあたりは「塔の広場」と呼ばれています。

よく見ると、城壁と家が一体化しています。

蜘蛛のオブジェがありました。

あの子供たちとは、ここでお別れ。 迎えのスクール・バスが駐車場で待っているようです。

城壁が家になっています。

この「修道院門」からまた城内に入っていきます。

「修道院門」を内側から見ると、城壁の上部に人が歩けるようになっているようです。

門を入って右手は小高くなっています。 トームペアの丘の東の展望台のあたりのようですね。

庶民はこうやって上流階級の丘を見上げていたんですね。

丘の城壁の傾斜面にきれいで可憐な花が

咲いていました。

古い小道への門がありました。 今日はもう、ここを歩く時間はありません。 明日、できればここを歩いてみましょう。 旧市庁舎広場で、自由時間となります。

イタリア人経営のパスタ専門店でランチです。

イタリア製白ワイン

「今日のパスタ」を頼んだら、ペンネでした。 歯ごたえがあって、私には好みの味です。

私たちは7名で食事 向こうのテーブルでも観光客の一団がにぎやかにやっています。

ランチのお店を出るとクラシックな二頭立て観光馬車がとおっていきます。 いい雰囲気です。 このまま7人皆で聖オレフ教会の塔の展望台に行こうと衆議一決。

そして、息を切らせて、登って展望台にでてみると、鳥の目でみるタリンの街が広がっていました。 各方向で3,4枚撮ってみます。

時計周りがなんとなくルールのようですが、たまに逆まわりするする人がいて、すれ違うのが大変。

北の方向 旧火力発電所の煙突やバルト海が見渡せます。

自由行動時間ですが、結局7名でイタリアンでランチすることになる。

ホテルからバスで「太っちょマルガリータ」の近くまで連れて行ってもらって、門から城内に入り、「三姉妹ホテル」に向かいます。 まだ夕方の雰囲気ではありません。

大きな円形のテーブルで全員で。 全員の顔が見えて話が届くところで食べるのは初めて

みなさん、おしゃれしてきています。

中世の商家の様子を残している基本木造りの部屋でいただきます。

ビールを頼むと、オリジナル・バドワイザー(ブルガリア産)

テーブルに置いてあったメニュー・カードによれば サンダニエール産プロシュートの野菜包み トマトのソルベ、ラズベリーソース添え 

仔牛腰肉のグリル、ショロンフォームのせ

アスパラガス、トマトのコンカッセ  トリュフ入りマッシュポテト添え そして撮り忘れたが、デザートは 暖かいスポンジケーキ バニラアイスビスタチオ添え

食後に、宿泊客しか入れない部屋をみせていただいた。

レストランをあとにして、バスをまっていると、やっと夕焼け。 でも、時間的には9時ちょっと前なんです。

ロビーで集合

iPhoneでヤフーをなにげなくみていると、九州熊本県で大地震のニュース。 震度7という数字に驚愕。 大きな災害でないことを祈るが・・・ 結局、大災害になってしまいました。

チェックインして部屋へ。 窓から直ぐ近くはこんな感じです。新旧混在ですね。 ちょっとベッドに横になって、夕食集合まで休息。

ホテルの近くのとおりの風景 ここを横切って向こう側まで抜けます。

旧市街のヴィル門の近くには、このようなお花やさんが左側に何軒か並んでいます。 心が弾んできます。

太陽が低くなってきているので影が濃くなっています。 ヴィル門の姿です。

ヴィル門から200(100)メートルほど真っ直ぐ行くと右が市庁舎広場になります。 右がわに目指すレストランがあります。

レストランの近くの様子。 左の白っぽい建物に「旧ハンザ」の文字看板がみえます。

これがレストランの入口 胡椒を扱ったハンザ商人だったのでしょうか。ペッパーと読めます。 未だ準備中ということで、しばらくの間、近くの市庁舎広場で時間を潰します。

夕刻の広場 旅行中は天候に恵まれませんでしたが、今はピーカンになりました。

オープンテラスで厚着しながら、ビールを飲んでいる人がたくさんいます。

マトリョシカの格好の呼び込みが夕食の勧誘。 「今日は、もう予約が撮ってある。明日のランチに寄るよ!」と言って追い払う。

ようやくレストランに入れます。 一番奥の洞窟のようなへやに通されます。

長いテーブル席が我々の席です。 ローソクの淡い光の中でいただきます。

この御嬢さんが私たちの世話係です。

私はビール

相方はジュース

身体が温まるスープ

ビーフステーキ

ショーが始まりました。 私たち専用のようでした。 しばらくして、一組のお客さんが同じ部屋の別のテーブルにやってきましたので、彼はラッキーでした。 右のお兄さんがバンドネオンのような楽器でメロディーを流しています。

ダンサーはかなり年配の方々でした。

動画も撮りましたので http://youtu.be/_oQkM7Jv23Q http://youtu.be/VX0vMFMMckQ http://youtu.be/WwConx_wiNw http://youtu.be/QXR16nEBobE http://youtu.be/zNrbfDXgW-w http://youtu.be/nEpUSWPaLxM http://youtu.be/V3sKXX5I0dQ

ショーが終わったあと、デザートを運んできた係りの御嬢さんに一緒の写真をお願いしました。

食事を終えて出てみると、やっと夕方の雰囲気

月も中天に昇ってきました。

ヴィル門の右側

左側

まだお花やさんはお店を開いています。 もう午後八時は回っています。

2016年4月15日朝6時頃 ホテルの部屋の窓越しに見る、タリンの空は上々の天気のようです。 7時からの朝食を戴きにまいりましょう。

いつものように、軽い?食事。 飲み物はコーヒー。 主食は固いパン、クレープ、米せんべいのようなものに三種類のジャムを添えて。 野菜はサニーレタス、赤・黄ピーマン。 副食にゆで卵、半熟卵、カリカリ・ベーコン 果物はサイコロサラダ」とバナナと木の実

公園の左に「国立エストニアオペラ劇場」を見ながら、 *1913年の帝政ロシア時代にアール・ヌーボの建物として作られる

ホテルの前の「ESTONIA PST」通りに沿って左に1分ほど行き、この通りを横断し、「TAMMSAAREPRK」公園に入り、

「PÄRNU MNT」という通りを横断すると、左手奥に旧市街の代表的門「ヴィル」門につうずる路があります。

おりしも、大規模な道路の工事が始まっていました。 この工事はヴィル門から「旧市庁舎広場」の直前まで続いていました。 かなりの深さ(深いところで2メートルくらい)まで掘られていて、完工までには時間がかかりそうな雰囲気ですね。

門前の左側にはお花やさんが軒を連ねていて、とてもきれいです。 心もウキウキしてきます。

ヴィル門を通って、旧市街に入ってすぐ右へ城壁に沿った小道があります。 そこは、「手作りの編み物屋台」がずらりと並ぶはずの、ほっこり気分になるところです。さすがにまだ9時ちょっと過ぎなので、五、六軒しかオープンしていませんでしたが・・・

この通りは「MÜÜNAHE」ミュウーリヴァヘといって、赤い庇の手作り屋台が、せーたー、帽子、マフラー、手袋などをたくさん並べています。 みせでは、せっせと編み物をしているおばさんもいます。価格は個別交渉だということです。伝統的な模様からムーミン柄まで目移りします。 我々は先を急ぐので、ちょっと冷やかすだけで、次に向かいます。 午後の自由時間で興味のある方はゆっくりどうぞという次第です。

この屋台通りを少し進んで

左に抜ける石造りのトンネルがあります。

カトリーナ小路 カトリーナ教会方面の標識があります。 旧市街でも最も古いオールド・タウンということです。

ステンド・グラスの職人の店

中世の雰囲気のレストラン

そうなんです。この通りが、もっとも美しい小路の「聖カトリーナの小路」です。ここは当初からの工芸品の工房が集積していた場所で、今なお職人たちが伝統的手法でガラス製品、帽子、キルト、セラミック製品、アクセサリーなどなどの作品製品を作り続けています。

古い時代のかけらも大事に?保存されています。

「聖カトリーナの小路」を抜けると、「VENE」通りにでてきます。 右奥に「聖ニコライ正教会」が見えました。

これが記憶があいまいですが、「聖カトリーナ教会」の遺跡だったような気がします。

小路を歩いてきているので、「VENE」通りでは、かなりの交通がありますので、要注意です。

「聖カトリーナの小路」を抜けて左手にの、すぐ近くには郵便電話局がありました。 大勢の人がいますが、多分グループ旅行の人たちのようです。

この「VENE」通りからうっかりするととおりすぎてしまう石造りの入口があります。 看板に「MEISTERITE HOOV」とあります。 「マエストロたちの中庭」という意味です。

このトンネル状の入口を入っていくと、

そこには、こんな落ち着いた場所が佇んでいました。 凄く素敵な雰囲気です。シズンオフの上、朝も早い時間のため他の観光客はいないので、ゆっくり雰囲気に浸りました。 隠れた静かなオールドタウンの中庭はかって、名匠たちのための休憩場所でした。現在、ここでは手工芸品やジュエリーが購入でき、美術展が開かれたり、素敵なショコラカフェで一息つくこともできます。 ゲストハウスもあり、宿泊もできます。

ショップへの入口

中庭の様子をもう一度

ショコラカフェ 素敵でおいしいと大人気のお店だそうです。

次の見学予定は「聖ニコライ教会」の予定でしたが、見学可能時間までまだ、間があるということで、この前を右奥方向に抜けて、まず、現地ガイドのおすすめの「トーンペアの丘」への昇り階段道の途中にある「土産物店」に立ち寄って、トイレタイム。 さらに丘の近くまで来ているので、丘地区の見どころを見てしまってから降りてきて、ここをじっくり見学することに予定変更。

こんな細い小道を登っていきます。

路の半分が昔の儘の小石を敷き詰めたスロープになっていて半分が手すりの付いた階段と舞っています。 私たちは階段を使います。 紅い扉がめざすお店です。

店内は、可愛い手工芸品がたくさんあります。

民族色ゆたかお人形さんたち

彩豊かな小物たち

トーンペアの丘の中心部のヘレンタワーのある地区にやってきました。

背の高い城壁です。 ヘレンタワーの3回とに連絡する歩道が塀の上に200メートルほど続いています。 まだオープン前なのでそこには行きません。

ヘレンタワーが下町をにらんでいます。

中世の修道士の像が佇んでおります。

ヘレンタワーの近くの展望台からのタリンの風景

同じく展望台からの風景

同じく展望台からのタリンの風景

展望台を離れ、後ろにある「アレキサンダーネヴィスキー大聖堂」です。 ロシア正教の特徴的な玉ねぎ頭の華麗な姿。 塔のてっぺんの十字架も横棒が二本のものです。

キンピカのイコンも目をひきます。 エストニアの20数パーセントのロシア系住民のよりどころでしょう。

国会という重要な建物なので、パトカーも待機しています。

東側の展望台への小路にはカフェやこのような露店も出ています。 先ほどのしゅう同士のようなフードつきの格好をした売り子さんでした、

カフェの看板娘 表紙の写真の娘です。

先ほどはトーンペアの西側の展望台からタリンを俯瞰しましたが、今度は東側の展望台に向かいます。

聖オラヴ教会のひときわ高い塔が目立ちます。 東側の展望台からの眺めは雄大です。

城壁に点々と赤いとんがり屋根の塔が観えます。

望遠レンズに代えてズームしてみます。 港のフェリーも見えます。 はるかかなたにテレビ塔も 沖合には航行中の船も

城壁のとんがり帽子のズーム 煙突は旧火力発電所のものですね。

ヘルシンキからのフェリーのようです。 物価の格差を利用して多くのヘルシンキ市民がここタリンに買い出しに来るとのことです。

この東の展望台の塀にはカモメも鳩も人を恐れません。30センチくらいに近寄るとさすがに移動しますが飛んで行ったりはしません。

聖オラヴ教会の塔をバックにカモメくんはポーズです。゙

聖オラヴ教会の塔と聖霊教会の塔

聖霊教会の塔と聖ニコライ教会の塔 そしてその間の空間には仲良く並ぶ城壁の赤のとんがり頭の塔たち。 もう、まったくメルヘンです。

なごりおしいですが、東の展望台から聖ニコライ教会を見学するために、こんな素敵な路を降りていきます。

さあ、これから聖ニコライ教会の内部をじっくりと見学です。

ロシア正教と顔と顔を向かい合って、旧トームペア城、現在の国会の建物があります。

タリンカード、72時間有効のを52ユーロでゲットして、さっそく博物館めぐり まずは、旧市街にある二つのミュージアム アダムソン・エリック博物館

Nigulite 博物館 教会の中に、宗教美術の傑作が展示されています

観光客がもっとも多い時間帯に、民族衣装で音楽をかなでているレストラン

窓からの景色が最高です

旧市街のすぐ向こうが海なんですね。 クルーズ船が、出たり入ったりしています。

セーター屋さんが軒を並べる、ビル門のすぐそば。 旧市街の東側にある城壁

Helleman Towerと城壁

歩く範囲は狭く、同じ階段を登り、少し歩いて、またもとの階段から降ります。 でも、塔の窓から写した、この写真は気に入ってます。

カタリーナの道と呼ばれる、静かな抜け道です

ここに出てくるんやぁ~

歴史博物館。 オーディオガイドがセットでついてましたが、あまりゆっくりは聞かず、さっと見ていきました

典型的なこちらの家

おっ、探していたインド料理店 こんなとこにあったんや。 ちょうど、お腹もすいているので・・・

ベイガン・バルタ、焼きなすカレーがありました。 ちょっとスパイスがきつくて、焼き茄子の味は出ていませんでした。これ、お茄子をグリルするところに美味しさのコツがあるのですが、この味は、イタリアのパドヴァの店の勝ちです。 でも、十分に美味しかったです。

ここ、二品は注文しない文化のようなので、いつものタンドリーチキンは自粛して、そのかわり、ナンをふつうのではなく、アルーパラッタという、じゃがいも入りのにしました。

ヨーグルトの美味しい国ゆえ、これが絶品でした。 ライタという、ヨーグルトのサラダですが、トマトやキュウリが入ってます。まろやかで、美味しい。 ただ、飲み物にラッシーをとってしまったので、ヨーグルトを大量に摂取する結果となりました

タリン、ほんとにデザインが可愛いんですよね。 ショーウィンドウから

部屋で、夜景を楽しみます。 10時になっても、真っ黒にならない。

これは朝焼けです。

朝日が当たった旧市街

今日は、トラムに初挑戦。 オランダのように、乗る時出る時、両方でタッチするのは、やはりオランダだけのようです。 ここは、乗る時にタリン・カードをタッチすればオーケーでした。 一応、一番前だけに、停車駅の表示もありますが、ちょっとわかりにくいです。地図があるから、なんとかなります。

Kadriorgには、広大な公園があり、その中に、三つの美術館があります。

まずは、入り口に近い方の、Kadriorg Palace Art Museum 宮殿の建物の中の美術館

ヴィーナス誕生

特別展として、キューピッドとプシュケのテーマの絵が集められてました

そして、いよいよ、もっとも楽しみにしていた、クム美術館。 新しいそうで、建物のデザインから、凝ってます。

近代からコンテンポラリーまで。 コンテンポラリーは、苦手なのですが、ここには、けっこういい作品がありました。エストニアのひとつの特徴かなと感じています。

町にもどり、旧市街のすぐそばにある、ソラリス、ショビングモール

その最上階で、ランチ やはり、ここは、一品が多く、ひとつの品をいうと、パンは自由にとってくださいとのことで、12ユーロですが、 お腹いっぱい。 白身魚にエビが詰められてます。そして、下には、ポテトのミルフィーユ仕立て

おそらく、観光客はいません。 地元の人たちの、友人とのランチ、カフェ、おしゃべり、中には、一人で食べている人もいます。 この、一人で食べている人がいる、というのがイタリアとの差で、エストニアに入って、一人で食べる人が多いので、一人旅は気が楽になりました(笑)。

ビルの中には、老舗のレストランがあるようで、活気に満ちてました。 バイキングスタイルもありそうです 日本食店も入っているので、いつかトライします。

駐車場のバー。 指揮棒のデザイン?

建築博物館に行くため、ロッテルマンという新興開発地を歩きます。 ここが、今、おしゃれな地域として、昔の工場や廃屋などを、リニューアルして、最先端の店がどんどんできているそうです。 ここも、観光客のいないエリアです。

建築博物館内 電車の駅舎の写真が、可愛かったです。

これ、たぶん歌う革命の広場の模型と思います。

建築博物館の建物です。

インドみたいな、サイクルリキシャ。 ガイドツアーなのか、ただの乗り物なのか、まだ判明してませんが

太っちょマルガリータの塔の中の、海洋博物館。 中はイマイチですが、屋上にはカフェがあります。

Tallin Town Wall 西側の城壁の塔に登りました この日は二万歩コースで、足がガクガクしてきました(笑)。

パペット文化の博物館 けっこう人形が好きなのですが、ここのセンスはまた独特で、ちょっとこわいのもありますが、独創的な人形が並んでいます。

日本の文楽も、人形芸術として、写真がありました。

中央の広場は、いつも観光客で超満員

広場のレストラン。 モダン・エストニアン料理として写真が出ていました

日本の寿司のような盛り付け

スーパーで買った、人参ジュース、ソーダ(偽物じゃないよ。色は少なくフルーツ多い目、と書かれてます) ピンクグレープフルーツジュースは、大のお気に入りになりました。

自由広場

占領博物館

Maidon Tower

塔は避けているつもりですが、けっこう、なんやかやと登りました。 いい運動です。 ご褒美は、上からの眺め

Tallin Art Hall 新しい絵が中心ですが、その手は好きではない私ですが、ときどき、いいのがあるんですよね。

ショッピングモールの中にある、和食の店です。 イタリアでは、中国人経営ばかりでしたが、ここは、日本人経営でした。 久しぶりの日本の味です。

日本人なのに刺身が食べられないので、前菜で海老を食べて、メインの寿司は、野菜の寿司。 色合いはよくないですが、アボカドと豆腐を、味噌であえたものです。寿司は、きゅうりの裏巻き。 わさびが四角くまとめてあるので、間違えて、口に放り込みそうになりました(笑)。 美味しかったです。

スーパーの食材の豊富さにびっくりするのですが、タイのスイートチリソースだけでも、10種類ぐらいあったり、部分的には、日本をもしのぐバリエーションです。 で、今回、初めて、カップヌードを見つけました。 タイのやら、中国のやらにまじって、日清の焼きそばが頑張ってました。 ひとつ、試しに買いました。明日かあさっての夜食の予定

野外博物館です。 広大な森の中に、エストニアの家屋や、民俗学的なあれこれが展示されています。

週末だからか、中世の時代をイメージしたキャンプがありました。 中世の衣装を着たりして、テントを張ってます。

こちらは、豚の丸焼きを調理中

青空と新緑が、心地よいです

フィンランド文化圏にあり、木造の文化なんですね。 木の家をみると、懐かしくなり、心が優しくなります

それに、草葺の屋根って、日本の農家のとほとんど同じに見えました。

ラトビアの首都・リーガより、夜行バスで早朝タリンに到着しました。 http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10458408/

トラムで旧市街へむかいます。

タリンのトラム・市バスは、15クローン=135円です。

旧市街にやってきました。入口にある、ふとっちょマルガリータと呼ばれる砲塔です。

「ふとっちょ」などと言うと、お笑い好きの私などは「ふとっちょカウボーイ」というC級芸人を連想してしまいます(^^

旧市街を散策してみます。まずは、旧市庁舎をのぞむラエコヤ広場です。なお、タリンの旧市庁舎は、北ヨーロッパに残るゴシック様式の市庁舎として唯一残るものです。早朝なので、あまり人はいません。

聖ニコラス教会です。13世紀に建てられました。

アレクサンドル・ネフスキー聖堂です。玉ねぎ型のドームは、ロシア正教教会であることを表しています。

大聖堂です。エストニア本土では最古の教会です。

この地域をトームペア(山の手)と呼んでいます。

タリン旧市街も世界遺産に指定されています。

タリンのシンボル、トームペア城です。塔は「のっぽのヘルマン」と呼ばれています。

丘の上から望む旧市街の風景です。

左端にヘルシンキ行きのフェリーがちらりと見えます。

塔が立ち並ぶ下町の風景が広がっています。

風情がありますね~

旧市街は、周囲約2.5kmの城壁に囲まれています。バルト3国では最も狭い旧市街です。

タリン散策の後、ヘルシンキを往復してからタリンで宿泊しました。今回利用したレックスB&Bという宿です。

バスターミナルの近くにあり、シングル1泊300クローネ=2,700円です。

夜、街でこんなビラを配布していました。「夜のお遊び場」の案内です。割引券もついています。タリンにもこういう場所があるんですねえ。 さて、この後はフェリーで25年ぶりにフィンランドの首都ヘルシンキにむかいます。 http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10459111/

アムステルダムから、タリンに空路です。 アムステルダムのセキュリティは厳しかったですが、レーンがたくさんあるので、行列はせずに済みました。 そして、ビジネスクラスラウンジは、なんと、52番まであるんですね。 食事はあまり用意されてないけど、ゆったりと座れるキャパがあり、くつろいで過ごせました。手前の空港の、大衆食堂のような、座席がなく、行列して食べ物を求めるラウンジより、こちらの方がいいです。

アドリア航空でしたが、じっさいの飛行機は、別会社のもので、Carpatairのんでした。 以下は、機内から写した写真です。

半島や島がくっきり見えて、畑の黄色いのは何かなぁ、と思いながら、パッチワークのような畑に見入りました。

あ、あそこだけ雨が降っている、と思える雲の景色。 オランダでは、二度ほど雨に降られましたが、天気予報で降水確率0なのに、急に雲が広がり、雨がざーっと、けっこうきつく降り、ひとしきり降ると、太陽が出てました。 タリンではまだ、雨に降られてませんが、急に雲が黒くなり、降りそうに思えることはよくあります。 この手の雲が通るときに、雨がざーっと降るのでしょうか。

着陸間近になり、高度を落としていくと、こういう可愛い家がたくさんありました。かなりの敷地に、緑に包まれた、一軒家がぽつりと、でも庭が手入れされているのは、空からでもよくわかりました。

ホテルの近くに、花屋街がありますが、ほんとにきれいな花を咲かせていて、横を通るだけで、花の香りに癒されます。

ホテルの部屋は、屋根裏タイプで、最初は、町の景色が見えないよう、と思ったのですが、日差しがたっぷり入り、過ごしてみると、気に入りました。 この窓、開けることもできると、二日目に知りました。 二日目は天気がよく、窓を開けないと暑くなりすぎるので、メイドさんが開けてくれてました。 シェイドの開け閉めや、窓の開け閉めは、黄色い椅子の上にのぼると、ぎりぎり届きます。

何より気に入ったのが、このお風呂。すごく深くて、日本の風呂なみに、たっぷりとお湯を入れれます。そして、もたれてゆったりすると、ちょうど目のところに雲の景色が見えるんですよね。 ゆっくりと流れる雲を見ながらのバスタイムは至福のときです。

上のピンク色のはボディローションなんですが、バスタブのところにも、白いボディローションがあります。ふつう、バスのあとに使うけど、検索してみたら、ボディローションって、シャワー直後の濡れた身体につけて、シャワーでさっと洗い流す、という使い方もあるようです。 バスタブのは、乳液のようなタイプで、上のピンク色のは、こってりと保湿分がありそうなタイプです。

イタリアやスペインでは、めったにお目にかからないポットとコーヒーのセット。 今回は、クロアチア、オランダ、そしてエストニアと、ここまですべてのホテルについてます。 朝の冷え込みがきつくて、朝は、くしゃみの連発ですが、そんなときに、暖かい飲み物が欲しくなるのは、緯度の高い国なんでしょうね。

旧市街の景色

旧市街の中心広場

二階建てバスの中からの写真です。ガラスに反射するので、イマイチの写真ですが、タリンの風景をお伝えするために、入れます。 これ、旧市街のすぐ横に、クルーズ船のターミナル。 バルト海クルーズは大人気で、タリンは、かなり乗降客の多い港だそうです。

到着日は、夕刻着だったので、近くのマクドナルドで食べましたが、翌日は、タイ料理屋さん。 私の好きなメニュー、酢豚。 オランダもそうでしたが、あまり伝統料理を持たないお国ゆえか、各国料理のレストランがあります。 本格的だったり、フュージョンだったり・・・

ヤムウンセン、春雨サラダの味は、バッチリ本格的でした。ただ、エストニアはニンニクを多用するようで、ニンニクが苦手な私はちょっと辛いです。 ニンニクを抜いて、といいましたが、抜けないニンニクがたっぷりあったようです。 ま、でも美味しいから、我慢しますわ。

ジャスミンライス。 ライスはどうしますか、と聞かれて、じゃあ少しだけ、と答えると、ハーフサイズね、と言われて、伝票をみると、1ユーロがついてました。 でも、これ、タイで食べるライスより、ずっと日本的に美味しいです。もりもりと食べてしまいました。まわりをみると、一皿だけ注文している人がほとんどで、一皿の料理とライスだと、10ユーロで、ランチがとれます。 物価は、安いので、助かります。

そして、何より内装のセンスの良さ、かかっている音楽も、タイとは無関係ですが、すごくおしゃれで静かな音楽で、雰囲気バッチリです。

やっと観光案内所を見つけて、入りました。 受付やホテルでもらった地図は、イマイチでしたが、ここよくみると、いろんなタイプの地図が、あります。 とくにこれ、右端は日本語での施設説明があり、左の二つは中国語。 そうか、やっぱり、訪問客数の数では、中国2に対して、日本1なのね。負けたか。

こんなに目立つ案内所なのに、前日には、見つけられなかった、どんくさい私です。

その近くにある寿司屋さんのテーブル。 寿司の写真のテーブルも、けっこう面白い

ドブロヴニクには負けますが、けっこう城壁が残っていて、全部は繋がってませんが、城壁の上にもあがれるようです。 ドブロヴニクのように、入場料が高くもありません。

フィンランド人が、大量に飲み食いに訪れる町だそうで、たしか700万人とか言ってたかしら。そんなだから、町には大量のレストランがあります。 オランダやイタリアのように、すごく満員にはなっていないので、それぞれの店が、趣向をこらしています。 とにかく、飾り付けにせよ、料理の味にせよ、センスのいい国だという印象です。

トームペアという高台の方に登ります。

展望台の淵を散歩しているカモメさんと、目が合いました

展望台から、旧市街を見下ろします。

ガイドブックによると、展望台から駅の方に降りると、ヒトケのない公園があり、ここで強盗にあったケースがあるとか。 たしかに、駅の周辺にある公園は、イタリアの地方都市でも、移民のたまり場になっていて、ちょっと雰囲気が悪いこともありますが、私が通った午前中の時間帯などは、ひとどおりも多く、イタリアほど雰囲気は悪くなかったです。 クロアチアもエストニアも、イタリアより治安のいい国との感触です。

タリン駅です。

駅のカフェ。 チョップステッイクス、お箸という名前の店です。 よく映画でみるように、中華系のヌードルとかチャーハンを、四角い箱に入れて、テイクアウトする店かなあと思いつつ。

寒い国なので、アイスクリーム屋さんが少ないです。 スタンドのような店で買ってみました。 マンゴとイチゴ

案内所でもらったマップをじろじろ見ていると、あちこちにトイレマークがあり、その位置で見つけた、全自動式有料トイレです。 コインは20セントですから、安いです。 コインを投入すると、自動でドアが開き、中から、ドアをクローズすると、施錠されます。トイレを流すボタンがないので、ちょっと焦りましたが、ペーパーも、手を洗う石鹸や水、乾燥機まで、完璧です。 そして、終えて、出ると、自動でドアがしまり、全体を洗浄しているようでした。床とかまで、ふくめて全自動で清掃するようです。 VIRUのショッピングモールのトイレも20セントを入れると、トイレへの入り口のドアが開きました。そこには、1から5ユーロを両替する機械もあったので、トイレ用の20セントコインを、キープしてます。

旧市街の外にある、モダンな教会 ここからまた、二階建てバス車内からの写真になります。 今日は、青空のきれいな快晴だったので、たくさんの写真を写しました。 私が感じたセンスの良さを、皆さんも感じられるかどうか・・・

エストニアの「歌う革命」が有名で、彼らは、ロシアからの独立を、ここに集まって歌うことで、民族の自立意識を確認し、一眼となり、立ち向かったのです。それで、今も5年に一度だったか、ここで歌謡祭が行われるようです。 歌で独立、なんて、これまた、ものすごくカッコよく、センスのいい革命だな、と感じ入りました。

オランダでの観光客は、ゲルマン圏、北欧圏がほとんどでしたが、ここは、クルーズのお客がいるので、アジア系も多く、時々は、イタリア語やスペイン語も聞こえて懐かしいです。 国際観光都市の風格ある町です。

これもモダンな教会

図書館の建物もかっこいい。 教育に力を入れる、という正しい政策の拠点ですもんね。 本を読まなくなったような国は、ほろびの路線をまっしぐら・・・どこやそれ。

旧市街から、歩ける範囲の、新市街を、歩き回ろうと決意した、本日のバスツアーでした。

ここで、やっとバスを降りました。

モダンアートは、あまり好きではない私ですが、ここまでセンスがいいと、けっこう気に入りました。

これも、切られた線のような意味合いのでっかいオブジェ。

本日は、イタリア料理。 でも、「まず、スパゲティ、そしてシーフード」と注文すると、ウェイターが、「それは多すぎますよ」と言います(笑)。 パスタのハーフサイズもなかったので、シーフードだけにしました。14ユーロと高い目でしたが、それには、3ユーロのサラダもついていて、付け合せサラダのどれでも選んでいいとのことで、トマトとルッコラのサラダです。 イタリアより美味しいです。塩辛くなく、気配りも満点で、ニンニク抜きで作ってもらいました。

横で、イタリア語を話すおじさんがいたので、しばしイタリア語で話していたら、ウェイターは、ベネズエラ人とわかり、お客はほとんど帰ったタイミングだったので、スペイン語やイタリア語で遊びました。

イタリア人が、出しなに、ウェイターに、「セニョーラに、レモンチェッロをあげて」と言ったので、???となり、ウェイターに尋ねたら、「オーナー」でした。

イタリアでは、食事の量が多いので、ほとんど食べられなかったデザート。今日は、余裕があったので、大好きなパンナコッタを注文しました。 これ、イタリアで三度ほど食べた時には、パンナコッタがすでに甘いのに、そこにまた甘いソースをかけるから、苦しかったのですが、そして、ラズベリー味は、基本的に苦手なんですが、このソースは、甘くなく、酸味がちょうどいいので、全体的にバランスのいい味です。 日本のパンナコッタまでには達しない味でしたが、イタリアのドルチェよりは、美味しくいただきました。

ぐっすり眠って6:30に目が覚めました。相当汚れている部屋の窓越しには空が晴れているように見えましたが、7:30頃朝食に行ったら雨が降っていました。路上の水たまりを見るにそこそこ本降りのようだけど、こっちの人ってあんまり傘を差さないんだな。風もちょっと吹いてるっぽい。 がっかりしながら朝食。薄味のマカロニが妙に美味しかったです。ホクホクのジャガイモも。 バルトのソウルフードだという焦げ茶色のライ麦パンはほんのり酸味があり、しっとりしつつもボソボソボロボロしていて不思議な食感。個人的にはあんまり口に合いませんでした。 すぐに出掛けるつもりでしたが、タリンの見所は天気が良い時に行きたい所ばかりなので一旦部屋へ。空がちょっとずつ明るくなってきてる気もする。唯一内部を見たい聖ニコラス教会は10時オープンだし、食休み。

と思ったけど結局8:20には出掛けました。雨は降ったり止んだり、時折青空もチラリと見えます。

迷った末に、タリンではウヒスカールト(チャージ式プリペイドカード、私は交通機関乗り放題券として使うつもりだった)を買わずに徒歩で過ごすことにしました。明日の長距離バスターミナルへの移動時にトラムを使いたかったんですが、今日と明日の2日間利用(1日券×2)は3日券よりも高いし、そもそもキオスク自体がどこにも見当たらないし、ホテルからバスターミナルはまあ歩けない距離ではないですしね。 旧市街までも歩ける距離。一本道で頻繁にトラムやバスが行き交うので、わざわざ歩くのが億劫にはなりますが。1回乗車券1.60EURもあるけどまあ節約。

ホテルから歩くこと10分程で旧市街が見えてきました。

さらに5分程歩いて旧市街の端らしき部分に到達。鳩の形の車止め。 ここがどこだか分かりませんでしたが、今地図を確認するとヴィル門に行き当たる通りの一本北、Vana-Viru通りのようです。奥にヴィル門のとんがり屋根が見えている。

まっすぐ進むと旧市街らしい石畳の通りに出ました。ここはウース通り。とりあえずふとっちょマルガレータを目指して北へ向かいます。

朝なので人通りがなくお店も開店していませんが、観光客向けの土産物店や怪しい骨董品屋(黒魔術的なアイテムばっかり)等のショーケースを眺めながら歩きました。 こちらの写真館では、中世の衣装を着て写真が撮れるようです。

あれ?リトアニア国旗…と思ったらリトアニア大使館だ。可愛い建物! タリン旧市街には各国の大使館・領事館がやたら沢山ありました。首都だから当然なのかもしれませんが、私が歩き回った範囲だけで10軒くらい見た気がする。こんな密度で見たことない!

ウース通りを15分程のんびり北上すると、芝生の公園に辿り着きました。

階段で丘に上ると、芝生の先に新市街と市民ホール港らしき港が見えました。

丘の上には何やら石碑のようなものがありました。 1994年9月28日にバルト海で沈没したクルーズフェリー エストニア号のモニュメントで、犠牲となった852人の名前が刻まれているそうです。

左手に見えたこれがふとっちょマルガレータか、思ったよりは縦に長い。なんか闘技場くらいの平べったさを想像していました。 旧市街の海の玄関口を守るために1529年に建てられた砲塔で、高さ20m、直径24m、壁の厚さは4.7m。かつてはこの目の前までが海だったそうです。 バルト海からの脅威が去り砲塔として使われなくなった18世紀以降は倉庫、兵舎、監獄として使われ、監獄で囚人の食事を切り盛りしていた人気者のおかみさんの名前を由来としてこんな変わった名前が付いているらしい。 1917年のロシア革命の際に火災が起き、以降60年間廃墟として放置された後に修復され、現在は海洋博物館となっているそうです。

マルガレータ…ついマルゲリータと言ってしまう。 その横にあるこれがスール・ランナ門。太っちょマルガレータと同時に造られた門で、タリンに現存する唯一の城門です。 ちなみに門の向こう右側に旗だけ見えているのが三人姉妹(スリーシスターズ)という観光スポットでもあるホテル。私としたことが完全にスルーしてしまって写真がありません。

と思ったら脇の入口だけ撮ってた!(笑)いやー可愛い色使いなんだもん。

とにかくその時は何も気付かずにピック通りを南下していました。 間もなく右手に現れたのは、鉄柵に囲まれた聖オレフ(オレヴィステ)教会。旧市街で最も高い建物で、塔からの眺めが素晴らしいことで有名な教会です。 ピック通りに面しているのは裏手で入口は反対側にありますが、そういえばと思い鉄格子の向こうへ目を凝らすと、目当てのものがすぐに見つかりました。

石になったオレフ。この教会には胸糞の悪い伝説が残っています。 オレフというのはこの教会を建てた巨人です。オレフは教会の建設費用として莫大な報酬を市民に要求しましたが、もし教会を建て終わる前に彼の名前が分かったら報酬は1ペニーでいいと約束しました。市民達は手を尽くして彼の名を探り、ついに彼の家を突きとめて彼の妻が歌う子守唄から名前を聞き出します。 教会がほぼ完成し、あとは十字架を付けるのみという所で、市民達は塔の上で作業をするオレフに向かって名前を叫びました。ショックを受けたオレフは足を踏み外して塔から落ち、そのまま石になってしまいました。憐れんだ市民がこの教会にオレフの名前を付けました、おしまい。 敢えてそんなタイミングで名前を叫んだ市民は短慮で性格が悪い。自分達のしたことがそこまでの結果になるとは思わなかったんだろうな…。 しかし本当は、この教会に祀られているノルウェーの聖王オーラヴ2世が名前の由来らしい。あーフィクションで良かった。

可愛い看板。 ピック通りは『長い通り』という意味だそうです。その名の通り、港から旧市街の中心まで800mも続いているそう。

地図によるとこの通り沿いに『ブラックヘッドの会館』という建物があるらしい。ブラックヘッドの会館といえばリガにある建物が有名だけどタリンにもあるのか、全然知らなかったと思いつつ何度も往復して探しましたが、結局見つかりませんでした。 後から歩き方を見直したら、最初の頃に「わー可愛いドア!」と思って知らずに撮ったこの建物がそれでした。あるある。タリン唯一のルネッサンス建築だそうですが、はっきり言ってドア以外はあまり目立たない外観です。というか隣のスウェーデン大使館が目立っていてですね…存在感が…。 この会館を利用していたのは1399年に組織された『ブラックヘッドの友愛会』という社交団体。外国人や未婚の若い商人が、ギルド(商工業者の間で結成される各種の職業別組合)に加入するための準備期間を過ごしていた組織だそうです。ブラックヘッドの名前の由来は、守護聖人マリティウス(エチオピア人)の肌の色から。

歩いていると、ピンクのショーケースの中でおもちゃの機関車が走っているお店を発見!なんて可愛いんだろうと近付いてよく見てみると、ガラスに「タリン最古のカフェ、1864年」と英語で書いてある。ああここ他の方の旅行記で見た!もう一つのショーケースにはエストニア語の同じ文章と、ゴンドラの代わりにカップが乗った観覧車が回っています。 お店の名前はマイアスモック(Maiasmokk)。店内のショーケースには色とりどりのスイーツの他に軽食も摂れるらしくパン、サンドイッチ、サラダが陳列され、壁の棚にはお土産に良さそうな箱詰めのお菓子が並んでいます。ケーキはどれも3.50EURでした。 全くお腹は空いていませんが、コーヒー(2.50EUR)だけでは淋しいのでクリームパフ(1.20EUR)も注文、計3.70EUR(472円)。レジで注文会計して受け取り、セルフサービスのティースプーンや砂糖と一緒に席に運びます。 クリームパフ(シュークリーム)の中身のクリームは、軽い口溶けで酸味がありました。粉砂糖が舞って綺麗に食べるのは無理って感じ。どうしてこんな落ち着かないものを注文してしまったんだろう。 機関車の前のカウンター席に座りました。常に走っている訳ではなく、時折走り出してまた停まる機関車。よく見ると先頭に店名のロゴがあり、運転士も乗っています。貨物として積まれているのはメレンゲとマジパン人形。

マイアスモックを出ると晴れ間が見えていました。やった! 大きくて写真に入りきらない聖霊教会。14世紀の半ばにはほぼ現在の姿になっていたという古い教会です。画面中央下の大時計は1684年製、タリンで最初に取り付けられた公共の時計だそう。タリンの他の教会と違って聖霊教会は貧しい人々のための教会で、文字の読めない人にも分かるように聖書の内容を絵で教えていたそうです。

旧市街の中心、ラエコヤ広場へ。 上空の風が強くて雲の流れが速く、またすぐに曇ってしまいました。雨も降ったり止んだり。なのでラエコヤ広場の写真はまた後で、下の方で。

10時になったし聖オレフ教会の展望台に行きたかったんですが、天気が良くないと勿体ないので、入場料のいらないトームペア(旧市街の西にある丘)の展望台に行くことにしました。 その途中に大きな教会が。地図を見ると聖ニコラス教会。丁度良かった、『死のダンス』は見たかったんだ!

入口まで行って大ショック、月・火は休業!! あああ~マジですか…!私がこんなに、というか入場料を払ってまで美術品を見たいと思うことなんて滅多にないのに。 『死のダンス』は、タリン生まれのドイツ人画家・彫刻家バーント(ベルント)・ノトケによる15世紀後半の作品。法王、皇帝、皇女、枢機卿、国王が嫌そうな顔で「死」とダンスを繰り広げる様子が描かれています。何人たりとも死からは逃れられないという皮肉で、戦乱と疫病の時代だった中世に普及したモチーフ(だけど、本当にその只中の時代はそれどころじゃなくてそれから1世紀くらい経たないと絵に描かれる余裕も無かったらしい)ですが、現存しているものは殆ど無いそう。この絵も元々はもっと長い絵で、社会のあらゆる階層の人々が50以上も描かれていたそうですが、現存しているのは上記の職業の人物が描かれている7.5m分だけだそうです。

ピック・ヤルク通りを通って丘の上へ。通りの入口に塔がありますが、補修中らしく足場に囲まれていました。 ピック・ヤルクとは『長い足』という意味。その名の通り、石畳の長~い坂道です。 この坂を上っている時に、日本からのツアーらしき大所帯とすれ違いました。今旅で日本人ツアーを見たのはこことカウナスの杉原記念館の2回だけでした。 長く延びた集団の最後尾付近にいた女性達に「お一人で廻ってるの?凄い度胸ね~!」と褒められ(呆れられ?)てちょっと嬉しかったです。手を振って別れました。

坂の頂上にロシア風の教会が見えてきました。 左手前の茶色い建物は、歩き方にも載っているボガポットというカフェ。蜂蜜を入れた壺のような看板がとっても可愛い。その向かいにも可愛いレストランがありました。

ちょっと道に迷いましたが、中国人ツアー(珍しい。今回行ったエリアは圧倒的に西洋人ツアーが多かった)の団体がやってきた方向に行ってみたら東の展望台に辿り着きました。

さっき通ってきたピック・ヤルク通り入口の塔が目の前だ! その奥の塔がラエコヤ広場の旧市庁舎、左の塔は聖霊教会。

旧市庁舎の塔のてっぺんにはトーマスおじいさん(2代目)。 これが私のカメラのズームの限界。持ってる旗に1996って書いてある…2代目になったのが20年前なのかな? タリンにある教会等の塔のてっぺんには、このように年号が付けられていることが多かったです。

たまにスーッと日が差します。

カラス?日本のより小ぶり。

確かに私達には時間があるよ。この場合の「私達」は私とこのカモメね。 トームペアでは他にもこんな英語の格言を見ました。

タリンは中世の街並みに誇りを持っている印象が強かったので、ビュースポットから新市街の近代的なビルが見えるのが意外でした。別に邪魔とは思わないけどなんだか不思議な光景。 右は聖ニコラス教会。

周辺には土産物屋や琥珀の専門店が並んでいます。バルト三国+ポーランド辺りではそこかしこで琥珀のお店を見ました。 スポンジボブマトリョーシカ!

土産物屋のショーケースを眺めながら歩いていたら、北の展望台に辿り着きました。

ああこの角度、写真でよく見る! 奥の高い塔が聖オレフ教会、その手前に被って見えるのがキリスト変容教会、いくつもある三角屋根は城壁の塔。

強くなった雨脚を避けて、アレクサンドル・ネフスキー教会の横にある観光郵便局へ。「観光」郵便局って何だろう?中は普通の郵便局でした。 ポストカード0.50EUR(約64円)と切手1.50EUR(約192円)を買って、郵便局内の作業台で日記を書き、そのまま窓口に出してきました。 書いているうちに窓からサーッと日差しが。あーっ、今外に出たい!

また曇ってしまったアレクサンドル・ネフスキー聖堂正面。観光郵便局はこの写真でいう左手にあります。 教会は入場無料ですが、内部は撮影不可。ロシア正教会らしく、ヘルシンキのウスペンスキー寺院同様煌びやかな内装でした。 帝政ロシアによってエストニアが支配されていた1894年から1900年の間に、典型的なロシア復古主義のスタイルに設計され建設された教会。チュド湖(ペイプシ湖、エストニアとロシアの国境上にある)上の戦いでノヴゴロド公国(ロシア北部にあった都市国家)を率いてドイツ騎士団を破ったアレクサンドル・ネフスキーが名前の由来。 しかし多くのエストニア人からは、この教会はロシア支配を想起させるものとして嫌われているらしい。政府が破壊を検討したこともあったそうですが、実行に移されることはありませんでした。

教会の外装や周りの公園を見ているほんの十数分の間に、また青空が見えてきました。 気まぐれな青空、どうせまたすぐ曇るんでしょ。

案の定曇りつつ、近くに何やら城壁と入口を発見。

中には絵になる光景が。

心躍らせて門をくぐったら何かディメンターみたいなのがいるんですけどー!

タリン名物アーモンド菓子(砂糖やシナモンその他のスパイスでアーモンドがコーティングされている)の屋台の横にも!

さらには頭上にまで!(笑)

(困惑…)

すると空が、

さっと晴れてきました! シャッターを切った瞬間に日が差して景色がガラリと変わったので、慌ててもう一回撮りました。

ここはネイツィトルンという所でした。建物の中には博物館とカフェがあるらしい。 中世には売春婦の牢として使われたので、『乙女の塔』という皮肉な名前が付けられたんだそう。 全く気が付きませんでしたが、奥の塔がキーク・イン・デ・キョクだった。『台所を覗け』という変わった名前の塔で、15世紀末に町の防御のために造られた高さ49mの塔。高いので下町の家々の台所がよく見えたらしい。

折角なので城壁の上に行ってみようか。 階段は急で狭く、途中からは螺旋階段で壁に打ち込まれた鎖を頼りに登りました。

眺めは木々で遮られています。

奥にカフェ。

聖ニコラス教会がすぐそこ。

中庭の花壇を始め、色々な所にデンマーク国旗の十字があしらわれています。 ネイツィトルンの中庭は中世っぽいBGMが流れていてなんだか居心地が良く、つい長居してしまいました。

再びアレクサンドル・ネフスキー聖堂の前へ。 正面にあるこの建物がトームペア城だったんだ!結構近代的というか大統領府みたいなので気が付かなかった。実際政府の一部と国の議会が入っており、通常内部を見学することは出来ません。帝政ロシアの置き土産が目の前にあるので、エストニア人的にはますます嫌な感じらしい。 のっぽのヘルマン(塔)は左手奥の方に建っていますが、本当奥なのでいまいち上手く写真に収められませんでした。

アレクサンドル・ネフスキー聖堂の脇を通って北へ進んだ所にあるのがトームキリク(大聖堂)。1219年にデンマーク人がトームペアを占領してすぐ建てた、エストニア最古の教会です。 ちなみにタリンとは『デンマーク人の城』という意味ですが、1918年にエストニアが独立した時に付けられた新しい地名だそうで、支配当時にデンマーク人が名付けた訳ではないらしい。旧称はレバル、古い地方名が由来。 エストニアは13世紀以降デンマーク、ドイツ騎士団、スウェーデン、ロシア帝国と常にどこかに支配されている状況で、第一次世界大戦後のロシア革命によりロシア帝国が崩壊したことで自治への機運が高まり、なんとか1918年に独立したものの、第二次世界大戦中には再びソ連→ナチスドイツ→ソ連の順に取り合いをされ、そのまま1991年の再独立まではソ連の一部に…という苦難の歴史を辿っています。 ヨーロッパの歴史は複雑だ…。この歴史を経たエストニアが独立後の首都に「デンマーク人の城」と名付けたということは、デンマーク支配の時代が一番良かったと思っているということなのかな。

トームペアから下りたかったものの道に迷ってうろうろしていたら、また展望台を発見。トームキリクのすぐ西、ここから見えるのはトーム公園とシュネリ池。 人気がなく、これから帰還という雰囲気の軍人が一人で景色を眺めていました。

道が分からないので軍人が去った方向に行ってみましたが、すぐそこの路地を曲がったらもう姿が消えていました。もしや幽霊だったのかと思うくらいの消えっぷり。 地図をよく確認して、なんとか往きに通ったピック・ヤルク通りに出られました。 往きには無かったギャラリーが一つ。

天気が回復した旧市街を散策します。

ラエコヤ広場に戻ってきました。 右の建物が旧市庁舎。北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式の市庁舎だそうです。

ついに空がすっきり晴れました!嬉しくて、つい青空の面積が広い写真を撮ってしまいます。

広場の周囲にはオープンテラスのレストランやカフェが並んでいます。 昼時ですが、気温が低すぎるので外の席に座っている客はいません。

もう14時です。どこかで昼食を食べようと旧市街をうろうろ。 エストニアらしいものが食べたいけど、エストニア料理っていまいち歩き方を見てもよく分からないんだよな。紹介されてるのがクリスマス限定のソーセージとか前菜とかで。 結局、旧市庁舎1Fに入っている3ドラーコンに入ることにしました。看板メニューのエルクスープがどうしても気になって。

ラエコヤ広場周辺の道を歩き回っていたら、石畳が全部剥がされて工事中の道に出ました。奥まで行かずに引き返そう。 しかし後から気が付きましたが、ここが新市街とラエコヤ広場を東西に結ぶヴィル通りでした。よく見ると道の先にヴィル門が。

またラエコヤ広場に戻って見つけた看板。蛇ということは薬局かと思って近付いたら、壁にはレストランと書いてあるな。 腑に落ちないまま立ち去りましたが、ここは歩き方にも載っている市議会薬局でした。やっぱり薬局だったか。 現役で営業している薬局としては欧州最古のものの一つで、1422年に記録に現れた時には既に3人目の主人が経営していたそうです。日・月定休なのでこの日は休みでした。

ピック通りからラエコヤ広場に延びるMundi通り沿いにあるこのパニーニのお店、コーヒー0.99EURという看板が目立っていたので入店。 あー朝からずーっと歩いて疲れた。あとどこに行こう…一旦宿に戻ったらもう出掛けるの面倒になりそうだな…とつらつら考え日記を書きながらコーヒーを飲んでのんびり。 その後会計しようとレジで1EURを出したら、「外に書いてある0.99EURは持ち帰りの値段だ、店内で飲む場合は2EUR」と言われました。はあー?どこに書いてあんのそれ?詐欺じゃね。そもそも私は看板を指差しながら注文したのに、その時に言わない辺り明らかに悪意を感じる。 このEHE Maitseという店、外にデカデカと書いてある値段はどれも持ち帰り限定の値段かもしれないので要注意。 エストニア語の挨拶はテレ、ありがとうはアイタ。アイタと言うとびっくりして嬉しそうにバロン(「どういたしまして」かな)と返してくれる人が多かったんですが、ここの店員は見るからに移民のようで無反応でした。

入り組んだ建物がとっても可愛い! さあ天気が良くなったから聖オラフ教会に行こう!日光を浴びてますます綺麗になった街並みを眺めながら、今朝歩いたピック通りを戻りました。

ピック通りとライ通りを結ぶこの道はヴァイム通り。幽霊通りという意味で、この通りにある家でオランダ商人が妻を殺害する事件があり、それ以降夜になると不審な足音やノック、ひっかく音などがするようになったことから、17世紀に名前が正式に『幽霊通り』になったそうです。 というのは帰国してから知りましたが、こんなに天気が良いのにこの通りはなんとなく静かで不気味な雰囲気でした。この時は治安が悪い通りなのかなと思っていましたが…。

その雰囲気を何とかしようとしたのか、やたら明るいこんな店があったりします。 夜のお店かと思いきや、理髪店。

聖オラフ教会の塔の高さは123.7m、展望台は60mの所にあります。教会の入口に写真付きで書いてありました。 しかし中世の頃は159mもあり、1549年から1625年までの間は世界一高い建造物だったそうです。しかし高いだけによく雷が落ちて倒壊し、再建と修復を繰り返して今の高さになったそう。 その前にトイレ行っとこう。聖オラフ教会を通り過ぎ、ふとっちょマルガレータを回り込んで、エストニア号のモニュメントがある公園の丘の下にある公衆トイレに行ってきました。往きで見つけてた。ヨーロッパでたまに見る、お金を入れると自動で扉が開くトイレです。使用料は0.20EUR(約26円)。 なんというか、出入りする所を人に見られたくない妙な恥ずかしさがありました。扉がゆっくり開くのがなんか恥ずかしい。人通りが少ない所で良かった。しかしここも含めて、今旅で廻ったエリアの公衆トイレや仮設トイレは基本的に便座が汚く中腰必至でした。紙も水もあると思ったらいかん。水道らしきものがあっても水の出し方が分からないことも。手を洗えないのでウェットティッシュ必須です。

聖オレフ教会の内装は非常にシンプル。壁は白一色の漆喰で塗り固められていて、装飾はほぼありません。あちこちにモニターとスピーカーがあったので、凄くハイテクで実用的な教会なのかも。 塔の入場料は2EUR(約256円)。 狭い螺旋階段を5分程ぐるぐる上って展望台へ。あー目が回る、気持ち悪い…。とても狭くて下りてくる人とすれ違うのも一苦労です。螺旋中央の柱(すべすべした丸太)付近は足を置く部分が極端に狭いので、踏み外さないよう注意。

しかし上りきるとこの絶景!

地平線より上に見えているのは左から聖ニコラス教会、アレクサンドル・ネフスキー聖堂、のっぽのヘルマン、トームキリク。 高い所から見たら、トームペアが丘になっているというのがよく分かりました。土台が高い。

展望台はこんな感じ。こういう所って大体そうですが、屋根の上に足場とフェンスを付けただけですね。高い所なので風が強い! 通路は一方通行。無人ではないけど空いていて、常に4辺のうちの1辺を独占できました。

今日はバルト海も青いよ!

タリン港Dターミナルも見えました。大きなフェリー!

あっ、あれバルーン・タリン?120mの高さから景色を眺められるアトラクション。 バルーン全体がネットで覆われて地面に固定されてる。今日は稼働していないようです。

トームペアとはまた一味違った景色の素晴らしさでした。より高いし、360度余すところなく見渡せますし。上って良かった!

中世をとことん意識した店内は薄暗いを通り越して暗い。入口の近くにあり、外光でかろうじて明るいレジで料理を注文清算し、受け取って席へというシステム。中世感を出すためか、通貨単位を1ユーロ2ユーロじゃなくて1マネー2マネーと言っていました。歩き方によるとカードが使えるらしいけど、とてもそうは思えなかったなあ。 席はこのレジがある部屋に数テーブルと、その奥の小部屋にせいぜい6テーブルくらいだったのでそんなに広くないです。 中央下の大鍋がエルクスープ。その他ソーセージ、スペアリブと、ビールなどのドリンクがあり、奥の籠に入っているのは野菜や肉のパイ。中身が何かは絵で分かります。

エルクスープ(2EUR≒256円)、キャロットパイ(1EUR≒128円)、ホットティー(2EUR≒256円)を購入。謎の形状で持ち辛い素焼きの器は重く、お盆とか無いので運ぶのに苦労しながら奥の小部屋へ。 奥の小部屋はさらに暗い。写真では明るく見えるかもしれませんが、実際は真っ暗闇に蝋燭がいくつか灯っているだけです。かなり闇鍋状態で、自分が食べている物の色も分からない。 エルクスープはわりとあっさり。トロトロに煮込まれた何か…肉か玉ねぎ?の食感があったけど定かではない。このどこを持ったらいいのかよく分からない器に直接口を付けて飲みます。スプーンを使わないのが中世風らしい。キャロットパイはほんのり温かく、中身は滑らかな食感で美味しい。 狭い店内はかなり混んでいて落ち着かず、ホットティーまで頼んでしまったことを後悔しましたが、スープとパイを平らげた後に暗闇で一人紅茶を飲んでいると、中世の酒場で一人酒を飲む荒くれ者になったような気分で最終的には良かったです。ホットティーはコップの中が見えないのでどういう状態で淹れてあるのか分かりませんが、一度茶葉が口に入りました。底に沈んでるのかな?砂糖とかは無く中国茶みたいで美味しい。

回転が早く一旦空いた店内、奥にちょっと見えているのがレジ。英語で色々説明が書いてあります。当たり前だけど外国人観光客向けなんだな。 食べ終わった食器は部屋の出口付近の籠の中へ。トイレもあってこちらも中世風な感じでした。便座が濡れていて座れなかったけど。

どこかでゆっくりコーヒーでも飲みたいなあ。 真ん中の黄色い建物は大ギルドの会館。中はエストニア歴史博物館になっています。 左に座っている男性は、何やらスチールパンのような響きの楽器を素手で奏でていました。

聖霊教会の脇からラエコヤ広場に延びている通りには、可愛らしい外観のお店が並んでいました。

雨樋?がドラゴン!

昼間はかなり逆光でなかなか直視できなかった旧市庁舎。ちょっとマシになってきました。

これまで行っていなかった旧市街の南へ。ハルユ通りを歩き、聖ニコラス教会を通り過ぎてワバドゥセ広場に出ました。 エストニア独立戦争戦勝記念碑。ガラス?で出来ていて不思議な感じ。夜はどんなふうにライトアップされるんだろう。 後ろの壁に1918-1920という年号が書かれていました。 記念碑前の階段の下には広い地下通路が延びています。地下通路は17世紀のスウェーデン統治時代に造られたもので、非常時の避難所や敵地への秘密の通路として利用されていたそう。後ろに見えているキーク・イン・デ・キョクから地下通路ツアーに参加できるようです。

広いワバドゥセ広場で戦勝記念碑と向かい合っている、聖ヨハネ教会。

キーク・イン・デ・キョクの方に歩いて行くと、途中に国旗が建っているのが見えました。無風なので旗が見えないけど、白と赤。もしやと思って風が吹くのを待つと、やっぱり日本大使館だ!大使館が山ほどあるタリン旧市街、日本もあって嬉しい。

その前の石にはこのプレートが埋め込まれていました。斜面の木は桜だったのか。うわー咲いてるところが見てみたかったなあ~!ヤマザクラなら開花は早めかもしれませんが、それでも1カ月は先だと思います。

キーク・イン・デ・キョクを通り過ぎてさらに歩くとアレクサンドル・ネフスキー聖堂が、そしてのっぽのヘルマンが見えてきました。トームペアはこっちから来ると殆ど高低差が無いんだなあ。新市街から公共交通機関を使ってアクセスするなら、ワバドゥセ広場で降りると便利ですね。ラエコヤ広場も近いし。 トームペア城の正面からは殆ど見えないけど、裏から見ると確かにのっぽ!高さは50.2m。

私が見たかったのはこれです。泣き続けるリンダの像。トームペア城と道路を挟んで向かいの小高い丘の上にありました。 トームペアは高さ24mの石灰岩の丘。エストニアの神話では、トームペアはリンダが造ったものとされています。夫である古代の王カレフを埋葬した後に、彼女が巨大な石を集めて積み上げた墓標なのです。墓標が完成する最後の石をエプロンに包み丘を登っていたその時、エプロンの紐が切れて石が転げ落ちてしまいました。疲れ果てたリンダはその石に腰を下ろし、悲しみの涙に暮れました。その涙がウレミステ湖(タリン南の大きな湖、タリン空港の近く)になったと言われているそうです。 聖オレフ教会のものと違ってこちらのエピソードは好き。この像が見られて良かったです。

リンダとトームペア城。

再びラエコヤ広場に戻ってうろうろ。なぜこんなに何度もラエコヤ広場を徘徊しているのかというと、これを探していたからです!この上に立って周囲を見渡した時のみ、タリン旧市街の主要な5つの塔(旧市庁舎、聖霊教会、トームキリク、聖ニコラス教会、聖オレフ教会)が全て見えるという敷石!遂に見つけた! さっそく乗って見渡してみましたが、3つしか見えませんでした。えええ~…身長の問題?

時刻は17時前。見所はあらかた見たし、物凄く疲れたし宿に帰ろうか。夜景が見られる時間帯まで歩き回ってはいられない。朝から夜9時10時までぶっ続けで観光し続ける体力が私には無いことを、今回の旅で初めて実感しました。 一般に旅行中は連泊を組み込むと楽だと言われていますが、連泊だとこういう風に一つの街を丸一日歩き回ることになるので逆に大変かも。朝から晩まで歩き回るよりは、午前か午後の数時間を長距離移動に費やせる移動型の旅の方が楽なんだなあ。まあ程々に休めば済む話なんだけど、観光地で部屋に籠るのも勿体ないし。 地図を見てヴィル門を目指します。全面工事中のあの道がヴィル通りだったことはこの時に知りました。 門の手前でふと左を見ると、あっここセーターの壁じゃん!具体的な場所は知らないけど見当たらないなあと思ってたんですよ!

地元の人が手編みらしきセーターやマフラー、帽子、手袋や靴下を売っています。厚手で裏地もあって、私が日本で使うとたぶん冬でも暑いと思うので買うつもりはありませんでしたが、見たかった。雪の結晶みたいな一定のパターンが可愛いなあ~。 来た時間が遅かったので、片付けを始めているお店が殆どでした。

北に向かって城壁が続いています。この城壁の向こうが朝歩いたウース通りか。

あまり先まで行かず、引き返してヴィル門へ。戻る時にはセーターの壁はほぼ撤収されていました。 工事中のため中央は通れず、両サイドの小さいゲートから新市街へ。

ゲートを潜ると、右側の通路には延々と花屋さんが並んでいました。

あっキオスクだ!ここまで歩き回って初めて見ましたよ。もう今更用はないけど。

ホテルまでのナルヴァ街道沿いにはショッピングモールがいくつも並んでいますが、夕食を調達するべく中に入ってスーパーを探しても全然見つからない。そういえば旧市街でもスーパーを全く見てないな…。小売店すら見てない。 結局見つからずにホテルの前まで戻ると、さらにその先にスーパーらしき建物が見えました。体力の限界でこれ以上の無駄足は御免だったので、すぐ行かずレセプションで本当にスーパーかを確認。合ってた。

バルト三国はどこもそうでしたが、パンが驚愕の安さ!食パン1斤が0.30EURとか!小麦がよっぽど豊富に採れるんだなあ~!どのパンも安いのは嬉しいけど凄い大容量…0.40~0.50EURで1袋に4~5個以上が普通で、1個売りがない。これは食べ切れないぞ…今回の旅は殆ど朝食付きのホテルにしたからな。 迷った末に、できるだけ軽く食べられそうな柔らかいパンを選びました。全部で1.78EUR(約228円)。 上はスィエリンシュというお菓子。カッテージチーズをチョコレートでコーティングした物で、バルト三国を含めこの辺りではポピュラーな食べ物らしい。食べてみると…うん、カッテージチーズをチョコレートでコーティングした味だ。当たり前だ。カッテージチーズの酸味がそんなに好きじゃないので一口目は微妙でしたが、だんだん美味しくなり食べ終わる頃にはハマる予感がしていました。 明日は移動日で朝が早いので、今夜は部屋でのんびりします。ネットをしていたらうっかり夜更かししてしまい、その後なかなか寝付けなくなりました。ヨーロッパに来ると時差の関係か旅の前半はよく眠れるのに、2泊目で不眠は早すぎるぞ。 日付が変わる頃には寝付けたと思います。

フェリーに乗ってタリンへ

聖オラフ教会目指して歩きます。

オルデハンザ、トイレも中世。

ラトヴィアから国境を越えてエストニアへ。 この写真は国境を通過した後、エストニア側から撮った写真なので、国名の標示はラトヴィアになっています。

20時過ぎに、タリンのホテルに到着。 旅の締めくくりは、ラディソン・ブルに2連泊。 デラックスホテルなので、これまでのホテルと比べてレベルの違いを感じます。 広い808号室からは旧市街が見えました。

今日の夕食はホテルのレストランで、添乗員さんはもっと到着が遅くなると思って21時半に予約していましたが、20時半に前倒しとなりました。 食事までに多少時間があるので、最上階の24階に行ってみました。 ここは展望ラウンジになっており、若者グループやカップルで満席状態。 しかし、店内から外のテラスに出られるようになっています。

20時20分、ちょうどサンセットで、見事な夕日です。

テラスから見た、美しい旧市街。

こちらは新市街。

遠くにテレビ塔が見えます。

夕食はクリームスープに…

タラとジャガイモ。

ここのデザートにも、ほうずきが。

夕食後、再び24階のテラスに行ってみました。

サンセットとまた違った趣で、美しい夜景でした。

6日目。 これが、ラディソン・ブルの建物。 旧市街入口のヴィル門まで歩いて10分という絶好のロケーションです。

広々としたロビー。

ここがレストラン。

リッチな朝食。 残さず頂きましょう。

出発前に周辺を散策。 モダンなトラムが走っています。

近くの公園に行ってみると、ドッグランのコーナーがあります。

子供の落書きも日本と違ってエストニア風。

高齢者用のエクササイズの器具がいくつもあります。

ホテルに戻ってみると、パトカーが何台か止まっています。

ルーマニア、ウクライナと国境を接するモルドバ共和国のVIPが宿泊していたようです。

トームペアは、石灰岩の層で出来た高さ約24mの丘。 9世紀にトームペアの丘に木造の砦が出来、13世紀には本格的な要塞が建設されました。 18世紀末までの改修で現在の形になります。

これが建物の正面。 現在の建物はエカテリーナ2世の命令で改築されたもので、サンクトペテルブルグにある宮殿のようなパステルカラーの建物になっています。 ロシア帝国時代は知事官邸として使われ、現在は国会議事堂になっています。

これは午後のフリータイムで撮った、正面と反対側のトームペア城の写真です。

トームペア城の南側に、1370年代に建てられた 「 のっぽのヘルマン 」 の塔があります。 塔の高さは50.2mで、常に支配者の旗が掲げられてきました。 1989年からは、毎朝、日の出の時間に、エストニアの青・黒・白の国旗が掲揚されています。

トームペア城の真ん前には、ロシア正教のアレクサンドル・ネフスキー大聖堂が建っています。 この大聖堂は、1901年に当時エストニアを支配していた帝政ロシアによって建てられました。 エストニアはプロテスタントが多いのですが、ロシア人が25%も住んでいてロシア正教もかなりの人が信仰しているようです。 ここは、かつてマルティン・ルターの像があった場所でもあり、ロシア帝国のドイツに対する対抗意識が伺えます。

ロシア革命後、独立を果たしたエストニア人たちは 「 国の象徴であるトームペアにロシアの聖堂は不釣り合いだ 」 として聖堂を取り壊そうとしますが、ロシア系住民の反発で実現しませんでした。 この話はソ連からの独立後もくすぶりましたが、現在では建築としての価値を評価する声の方が強くなっています。 タマネギ型のドームには11の鐘があり、そのひとつは重さは15トンもあり、北欧最大級です。

内部は黄金に輝くイコノスタスやイコン、モザイク壁画で装飾されています。

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の北側にある観光郵便局。

エストニアの切手。

トームペアの丘の中心部にある 「 大聖堂 」 。 正式名称は聖母マリア大聖堂。 1219年にデンマーク人により建造されたエストニア最古の教会で、1684年の大火災で消失しましたが、その後100年かけて復元されました。 高さ69mの尖塔に登ることもできます。

ここをくぐって、タリンの旧市街がよく見える展望台へ。

途中の露店で売っていた、マクス・マンテルを試食。 タリン名物の砂糖とシナモンなどのスパイスでコーティングしたアーモンドのお菓子で、ちょっと硬いけどなかなか美味しい。

トームペアの北側には、見晴らしの良い展望台がいくつかあります。 ここはコフトゥ通りにあるコフトウッツァ展望台。 城壁や塔、教会、バルト海などを一望できる最高のスポットで、まるで絵本に登場する中世の街のような素晴らしい眺望に息を飲みます。

お土産屋の入り口にあった甲冑。

ガレージの扉の下にはブラシがついています。 ” 冬の間、ガレージを開け閉めするたびに除雪をするための工夫です ” とガイドの茜さん。

2番目の展望台はパットクリ展望台。 港には、バルト海クルーズのシリヤライン大型船が停泊中。

旧市街全体が城壁に囲まれ、そこに赤いとんがり屋根の塔が建っているタリンは、おとぎの世界のような景色。 右側の高い塔は、聖オレフ教会。 1267年に建てられ、16世紀には塔の高さが159mにもなり、当時は世界でもっとも高い建造物だったそうです。 灯台や避雷針を兼ねたこの塔は幾度も火災や落雷に遭い、3回も焼け落ちています。 現存する塔は16世紀に設計され、塔の高さは123.7mとなっています。

海が近いので、人馴れしたカモメが展望台に。

タリン旧市街には、15世紀末、街の防御のため建てられた城壁が綺麗に残っています。 バルト三国の他の街を見ても、これほど城壁の保存状態が良い所は他にありません。 トームペア城のそばにある、このネイツィトルンの周辺の城壁も見事です。

左側の丸い石造りの塔は 「 キーク イン デ キョク 」 。トームペアの南側にある城壁の塔で49mもあり、内部は防衛博物館になっています。 右の四角い搭は 「 ネイツィトルン 」 。 「 乙女の搭 」 とよばれ、町の娼婦を収容した牢獄に使われていたそうです。

1230年にドイツ商人が建てた聖ニコラス教会。 船乗りの守護聖人ニコラスに捧げられた教会です。 聖ニコラスは4世紀の修道士・大主教で、数々の奇跡が伝えられていることから、中世にはベルギーやオランダ、ドイツの商人や船乗りから守護聖人として崇められていました。 また、「 サンタクロース 」 の起源になった人と言われています。 聖ニコラス教会は、ナチス・ドイツの占領下だった1944年にソ連の爆撃によって破壊されましたが、戦後、残された外壁などを使って再建されました。 現在は博物館になっており、パイプオルガンのコンサートも開かれます。

この教会での必見は、ベルント・ノトケが描いた奇怪で神秘的な作品 「 死のダンス 」 。 この絵画はドイツ・リューベックの画家、ベルント・ノトケが15世紀後半に完成させた絵画で、リューベックの教会に収められ、複製が聖ニコラス教会にも納められました。 しかしリューベックの物は戦災で完全に消失し、タリンのものも爆撃を受けましたが全体の4分の1だけ何とか残りました。 現在残っているものは縦1.6m、横7.5mのものですが、元々は長さが30mもあったそうです。

生者と死者が共に踊るという奇怪なモチーフには、富める者も、貧しき者も、死が訪れれば身分や貧富の差がなくなって一つになるという死生観が込められています。 14世紀中盤にヨーロッパ全土で大流行したペスト(黒死病)や戦乱で恐怖にとりつかれた人々が狂乱状態になり、倒れるまで踊り続けるというモチーフで描かれています。

入り口を入ったところには、ステンドグラスがあり…

壁にはエンブレムが飾られています。

主祭壇の 「 聖人のギャラリー 」 。 15世紀のリューベックの職人、ヘルメン・ローデ作の木製祭壇。 二重の観音開きになっていて、聖ニコラスと聖ヴィクトルの生涯が描かれています。

死神のレリーフもありました。

タリンでは、雪が溶けると道路工事の季節です。

ハングドラムの演奏。 スイスで2001年に開発された楽器で、日本でも見たことがあります。 私の住んでる街の公園で時々男性が演奏していて、その音に魅了された夫は ” やってみたい ” と言っていました。(でも、難しそうなので諦めたようです。) 何故か、心に染み入る音色です。

ヴィル門を入って2つ目の小道を右に曲がると、城壁に沿ってセーターなどを売っている露店がズラリと並んでいます。 ここは 「 セーターの壁 」 という愛称がつけられています。

旧市街の正面に当たる ヴィル門。 昔はこの門の後ろには大きな四角い塔を含む城壁がありましたが、19世紀に交通整理が行われ、門の大部分が取り壊されました。 現在残っている2つの塔は、タリンのシンボルとなっています。 多くの観光客がこの門を通って旧市街に入ってくるので、朝早くからとても賑やかでした。

門を入ると、手前にお花屋さんが軒を連ねて華やかです。 お花を贈ることが日常的に行われているので、種類も豊富。 お値段もお安く、アレンジメントも素敵です。

お花を植えている風景は、これまでのバスの車窓から全く見ませんでしたが、どこでどのように栽培しているのでしょうか?

北欧らしいニット製品が並んでいます。

店で編んでいる人もいます。 動物の顔と手足がついているマフラーを孫達のお土産に買いました。 日本円で約4000円は高いのか安いのか、どうでしょう? 帰国して孫達にプレゼントしたら大喜びでした。 という事は、安いお買い物だったのでしょう。

トンネルをくぐって 「 カタリーナの通路 」 に出ます。 フリータイムの時に、2~3回往復しました。

カタリーナの通路には、伝統工芸職人の工房が並んでいます(ガラス製品、陶器、キルト、帽子など)。 中世の雰囲気を残すこの道は、1995年に再建されました。

ラエコヤ広場につながるヴェネ通り。 建物と石畳の雰囲気が素敵な通りです。

旧市街の真ん中にあるのが、タリン旧市庁舎の建つラエコヤ広場。 旧市庁舎は1404年にかけて建造され、北欧最古のゴシック建築と言われています。 塔の高さは65m。 1695年には広場で公開処刑が行われたという記録もあります(オムレツの味をめぐって僧侶とウェイトレスの間で論争になり、僧侶がウェイトレスを殺害してしまったとか)。

結婚式を挙げたカップルが出てきました。

ラコエヤ広場の再集合までに少し時間があったので、広場の近くにある精霊教会に入りました。(1.5ユーロ) 14世紀以前に礼拝堂として創設された古い教会。 大きな時計が印象的な建物です。 壁に埋め込まれたタリン最古の公共時計は、1684年に掛けられ今も正確な時を知らせています。

広場の一角にあるレストランで昼食。

マイクラフ(MAIKRAHV)は、15世紀の建物を利用した中世風のお洒落な店です。

今回のツアーでは、メインは魚か肉かチョイス出来ます。 これは、サーモンのクリームソース。

これは、ステーキ。 それぞれ注文して半分づつ分けましたが、どちらも美味しかった! ご夫婦で参加のメンバーは皆さん、そうしていました。

広場を囲む建物は、オープンカフェやレストランになっています。 毛布を羽織る人も … 寒くても太陽に当たりたいのよね。

タリンの旧市街を走る観光用ミニトレイン。

観光客相手に、昔の民族衣装を着た人がいます。

広場の南側でも、中世の格好をした売り子さんがマクス・マンテルの試食を勧めています。

広場の一角にある1422年開業の市議会薬局。 今も営業を続けており、現存するヨーロッパ最古の薬局と言われています。 入口両サイドの蛇のマークは、医療・医術の象徴として世界的に広く用いられているシンボルマークです。

店内の奥には、昔からの器具や薬品類を展示。 天井のワニは、単なる飾りか、薬の原料か?

店頭で薬品、ハーブティなどの買い物が出来ます。

タリンの 町全体を城壁で取り囲むようになったのは16世紀初め。 当時は全長2.7kmもありましたが、現在は1.7kmだそうです。 城壁に登れる場所は限られていますが、セーターの壁の露店が途切れたところに、城壁の上に登れるヘルマン・タワー・ギャラリーがあります。 ということで、3ユーロ払って城壁の上に登ってみました。

左は聖ニコラス教会、右は旧市庁舎の塔、その奥はアレクサンドル・ネフスキー大聖堂。 城壁からの景色は素晴らしい!

聖オレフ教会の塔。 上から見た旧市街の景色を十分に楽しめました。

聖ニコラス教会にある 「 死のダンス 」 を描いたベルント・ノトケが作った木製の主祭壇が壮観です。

ステンドグラスも見ごたえがありました。

タリン駅は旧市街の外、北東の緑の多いところにあります。 駅前からトロリーバスが発着し、駅裏にはトラムの停留所があり、乗り換えは便利です。 これは、2013年に導入された新型車両。

中心地に戻るため、トラムに乗ってみました。

車内はこんな感じ。

タリン旧市街に戻り、エストニアで有名な1806年創業の老舗チョコレート屋 「 KALEV 」 へ。 旧市街のヴィル門の近くにあります。

ちょうど、春のバーゲンセールをやっていて、とてもラッキー!

エストニアのチョコと言えばカレフです。 左側の円筒に入っている量り売りのチョコレートが安くて人気。

箱に入ったチョコが1ユーロ(130円)。信じられないほどの安さです。 もうチョコは、かなり買っていたのですが、お土産用に爆買い(?) 仲間の皆さん、疲れも吹っ飛んで大喜び。

夕食のレストランに向かいます。 これは、 「 太っちょマルガレータ 」 という愛称を持つ砲塔で、高さ20m、直径24m、壁の厚さは4.7m、銃眼は150以上。 1511年から1529年にかけて、タリンの海の玄関口を守る為に建てられました。 役目を失った砲塔は、牢獄として使われてた時期があり その頃から 「 太っちょマルガレータ 」 と呼ばれるようになりました。 囚人の世話をした太った女性の名前だという説と、3階部分に据えてあったずんぐりとした大砲のことだという説があります。 現在はエストニア海洋博物館となっています。

太っちょマルガレータ海洋博物館に隣接したスール・ランナ門。 城壁の一番北にあります。 ここから旧市街に入るとすぐに、ホテル・三人姉妹や124mの塔がある聖オレフ教会があります。

15世紀に建てられ、現在ホテルとして利用されている 「 三人姉妹 」 で今日の夕食。 この3軒は、商家の住宅として15世紀に建てられ、正面の壁が美しく飾られてることからこの名前が付いたそうです。 上部に突き出ているのはクレーンで、倉庫として作られた屋根裏に荷物を引き上げるために使用されてました。 5つ星ホテルの三人姉妹は、天皇皇后両陛下や英国のエリザベス女王がエストニアをご訪問された際にお泊りになったホテルで、内装はシンプルですが、優雅さが感じられます。

今夜はここで 「 エンペラーメニュー 」 をいただけるとあって、とても楽しみにしていました。 テーブルはキチンとセッティングされ、ナプキンの 「 3S ] マークなど、気品が漂っています。

オードブルは、サンダニエール産プロシュートの野菜包み、トマトのソルベ、ラズベリーソース添え。

メインは、仔牛腰肉のグリル、ショロンフォームのせアスパラガス、トマトのコンカッセとトリュフ入りマッシュポテト添え。

そしてデザートは、温かいスポンジケーキ、バニラアイス、イチゴとブルーベリー添えでした。

地下にあるトイレの入り口にはステンドグラスが…

食事が終わってバスまで歩いて行く途中の夕景(20時40分)。

ラディソン・ブルに戻り、再び最上階のテラスへ。 幻想的な美しさです(21時)。

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂もライトアップされ、タリンでの最後の夜が堪能出来ました。 明日は早朝に出発し、7時半のヘルシンキ行フェリーに乗ります。 スーツケースをパッキングし、早目にベッドに入りました。

タリンの観光はトームペア城からスタート。

タリン旧市街の下町と山の手を結ぶ道は2つあり、それぞれ 「 長い足 」 「 短い足 」 という名前がついています。 「 長い足 」 の通りは緩やかな坂道ですが、この 「 短い足 」 は急な坂道になっています。

地下にあるレストランは洞窟風。

1階にある落ち着いた雰囲気のレストランで夕食ですが、 ” 最後の晩餐 ” とあって、賑やかに盛り上がっています。

エストニアの文化・風俗・注意点

 民族、宗教
 エストニア共和国の人口は約135万人です。内訳はエストニア人67.9%、ロシア人25.6%、その他6.5%です。エストニア人は概して物静かな国民ですが、自国の歴史、独立達成に強い誇りを持っています。また、長年ロシア及びソ連の支配下にあったため、ロシア人に対する潜在的な敵対意識もあります。宗教はキリスト教で、エストニア人は主にルター派プロテスタントです。ロシア人はロシア正教を信仰しています。

 気候風土
 一般的に短い夏(6〜7月)の一時期を除き、天候は良くありません。曇りがちで雨が多く、冬は雪の日も多くなりますので、雨傘、外套は欠かせません。冬の間は、日中でも常時氷点下となるので、十分暖かい服装をしなければなりません。暖かい室内から急に戸外に出ると心臓に大きな負担がかかる可能性があります(エストニアの死亡原因の第一位は心臓病及び循環器系障害)。その他、雪が降っても除雪が十分に行われないこともあり、転倒による骨折等の事故が多く見られます。冬は、ゴム底で雪や氷をしっかりと捉えることのできる靴を履いたほうがよいでしょう。また、セーターなどの厚手の服装、手袋や帽子の準備も必要です。

 衛生・病気
 水道水は、一応そのまま飲めますが、念のため煮沸等をしてから使用したほうが良いでしょう。
 罹りやすい病気としては、冬季のインフルエンザ、4月から5月は花粉症がよく見られるようです。また、年間を通してサルモネラや赤痢による食中毒が散発的に見られます。
 その他注意を要する疾患には、(1)ダニ脳炎(春から夏にかけて、森林・草地で散発的に見られます。)、(2)ライム病(ダニ脳炎と同様)、(3)B型肝炎(血液及び感染症により発病。)がありますが、何れも予防接種で予防が可能です。

 医療事情
 医療機関は完全に整備されておらず、また、英語を解する医者も少ないので、応急措置程度しか期待できません。病気、事故等の場合は、取り敢えずエストニアにて応急措置を済ませ、速やかにフィンランド(但し、入院費は高額です)等の近隣国の医療機関へ移った方が良いでしょう。そのためにも十分な海外旅行傷害保険に加入しておくことをおすすめします。また、薬を入手するためには医師の処方箋が必要なので、日本の家庭用常備薬を持参することをおすすめします。