リトアニアってどんな国?
リトアニア、正式名称リトアニア共和国は、ヨーロッパ北東部の国である。バルト海に面して並ぶバルト三国の内の一つであり、
北はラトビア、東はベラルーシ、南はポーランド、南西はロシア(カリーニングラード州)と接している。
旅行情報@ブログ > リトアニア(Lithuania)
リトアニア、正式名称リトアニア共和国は、ヨーロッパ北東部の国である。バルト海に面して並ぶバルト三国の内の一つであり、
北はラトビア、東はベラルーシ、南はポーランド、南西はロシア(カリーニングラード州)と接している。
リトアニア館で販売していたケバブ(500円)を食べたのは既に午後4時過ぎだった…。 写真はイギリス館内にある「ヤモリのように壁を這う人」の映像。自分で機具を動かして 体験できる装置がいくつか置いてある。 ロシア館では宇宙開拓やマンモスなどが展示 ...
バルト3国の一つ、リトアニアは1940年にソ連に併合されたのち、1980年代までソ連赤軍 とリトアニア独立軍は、リトアニアの森 ... ソ連国営旅行社インツーリストから、出発 直前に国内線がオーバーブッキングでリトアニアには行けないという連絡が入ること ...
第4ステージ走行データフランス、スイス、リヒテンシュタイン、ドイツ、チェコ、 オーストリア、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニア/42日間、6431キロ使用 ガソリン量/456.63リットル燃費14.1キロ/1リットルガソリン費用計/約75692円 ...
2006年9月16日 ... 世界一周旅行43ヵ国目となるリトアニア。バルト三国のうちもっとも南にある国です(北 に、ラトビア、エストニアと ... リトアニアの首都ビリニュス[Vilnius]は、世界遺産に 指定されている街。街の中心地は道路工事が頻繁で、発展している ...
2005年6月30日 ... バルト三国(エストニア、リトアニア、ラトヴィア)はこれからの国だと言えます! 旅 好き夫婦のオススメの国とオススメのお宿です! たかさん♀. カテゴリ: エストニア | コメント (0) | トラックバック ...
2006年9月20日 ... リトアニアからラトビアに入国したのは、バルト海側の国境でした。 なぜ、この国境を 選んだかというと、きょうさんの好きな灯台めぐりをしたかったから。せかたび号で自由 に行きたい場所へ行けるのはあとわずかです、、、 ...
私はリトアニアがいちばん気に入りました♪ 北欧とロシアが混ざったような雰囲気の、 素敵な国ですね~。 2006年イタリア・フランス旅行は、ホテルが決まっているぶん、 余裕を持って移動することができました。1日1日、バウチャーがリュックの中から少し ...
リトアニア. ウクライナ. スロバキア. モルドバ. ルーマニア. BACK. ロシア. グリーン ランド. フィンランド. アイスランド. スウェーデン. フェロー諸島. BACK. ノルウェー . イラン · エジプト · イラク. トルコ. シリア. イスラエル. レバノン. ヨルダン ...
2008年1月26日 ... ポルトガル語: オブリガードモンゴル語: バイルラーヨルバ語: オシェラトビア語: アル ディアスリトアニア語: アーチュ ルーマニア語: ムルツメスクロシア語: スパスィーバ. 投稿者 shukran 時刻 00時38分 アラビア語・各国語 | 固定 ...
ってことで、. 2年前に世界一周を経験されMさんにも来ていただいた。 世界一周経験 者と会うのは初めてである。 やはりハードな旅行経験者は話が深い。 おすすめのルート はもちろん・美人が多い国(コロンビア・ラトビア・リトアニアらしい) ...
バルト3国の一つ、リトアニアは1940年にソ連に併合されたのち、1980年代までソ連赤軍 とリトアニア独立軍は、リトアニアの森で内戦 ... リトアニアでは世界遺産のクルシュ 砂州へ行きました。砂漠とバルト海を一望できる展望台からは国境を越えてロシアの ...
リトアニアでは世界遺産のクルシュ砂州へ行きました。砂漠とバルト海を一望できる展望 台からは国境を越えてロシアのカリー ... リトアニアの大平原の中に十字架の丘が あります。大小無数の十字架が並び、その数はもはやリトアニアの人口をはるかに凌いで ...
東欧に入るまで、 正確にはロシア入国を考えるまで、 全くバルト3国なる言葉も知らなかった。 当然その中の LITHUANIA(リトアニア)という国なぞ全く興味も無かった。 しかし、ロシア入国の為にはこの国は最重要 KEY国 だった。
旅日記
「Where is here ?」
リトアニアのビリニス行きの列車は、昨日、俺と4人の白人旅行者を、ワルシャワ駅のホームに残したまま、こっそりと出発していた。
もともと時刻表など当てにならない東欧で、いつ来るか判らない列車が突然背後に現れ、そそくさとドアを閉めて発車したのを眺めて、俺ができる事はインドで覚えた「無抵抗主義」を実行する事だけだった。
そして、気を取り直してワルシャワのホテルを後にした今日、どうにか無事に列車には乗る事ができた。
さすが友好関係にある国同士、ポーランドの出国も、リトアニアへの入国も、何事も無く終了。
最後の難関は、今日の移動に乗り継ぎがある事だけだった。
太陽がだいぶ西に傾いた頃、列車が停車し、乗客が俺を残して全員降り始める。
嫌な予感がした。
ホームに出て、駅員らしきおばちゃんを捕まえて、俺の最終目的地「ビリニス」の名を告げると、おばちゃんは首を横に振った。
「じゃあ、ここは何処なんだ?」と尋ねると、巻き舌を使ったアクセントで始まるそのややこしい駅名は俺の持っている地図には載っていなかった。
つまり、俺は乗り過ごしてしまったという、とんでもない現実に直面しているわけか!
あらためて駅の周りを見渡すと、まともな建物が一つも見えない。
日本の田舎の無人駅の周辺もこんな感じだった。
まてよ、と、いう事は・・
「今日のビリニス行きの次の列車は?」
「この街にホテルは?」
「両替できる所は?」
やはり、全ての質問は「No」で返答された。
ひざから力が抜ける。
落ち着いて現状を把握してみると、俺は使える金を1円も待たないで、名も知らぬ駅に一人立っているという事になる。
明日、列車が来ても、無一文で、チケットをどうやって買えばいいんだろうか?
呆然と立ち尽くす俺の内部で、腹が「グゥ」と鳴いた。
腹が減った。
飯でも食って考えようか?
・・だめだ、俺は無一文だった。
「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉は、世界共通らしい。
俺は今、たった一人で東ヨーロッパの片隅の、そのまた片隅の名も知れぬ田舎駅の待合室にいる。
いくら季節が夏でも、東欧の夜は寒い!寝袋の中からも、ベンチが次第に冷たくなっていくのがわかる。
ホテルのベッドが恋しかった。
が、しかし、俺は使える金を持ってなかった。
暖かいベッドも、腹一杯食える飯も、全ては代価を支払う事で得る事ができる。
そこいらの東欧のサラリーマンの平均月収ぐらいのドルは、財布の中に眠っているが、ここで使える金ではなかった。
日本でも田舎のおばあちゃんに、いきなりドルを両替してとお願いしても、ドル札を知らないおばあちゃんにはただの紙切れにしか見えないだろう。
状況は、ここでも同じだった。
両替できる銀行は、首都「ビリニス」にあるらしい。
金はある。それを両替すればいいだけだ。
ただし、両替するにはビリニスに行かなければならない。
行く為には列車のチケットを買う金が要った。
やめた!堂堂巡りだ。
今日の所は俺の負けだ。
朝日が昇る頃には、運が向いてくるかもしれない。
眠りにつこうと瞳を閉じると、心の声が響いてくる。
・・「けっこう、ピンチなのかもしれない」
朝7時、寝ぼけまなこの太陽は、まだこんな東欧の田舎町まで手が廻らないらしい。
ため息混じりの俺のあくびは、白く浮かび上がった。
ベンチの形に固まった背骨を、ギシギシきしませながら起き上がると、1番ホームに俺の「希望」が立っていた。
でかいバックパックを背負った白人の若者、あれは、俺と同じバックパッカーに間違いない。
こんな早朝に、現れるという事は、この街に滞在していたという事になる。
つまり、この国のお金を持っているに違いない。
いや、持っていてくれ!
荷作りもそこのけに待合室を飛び出し、俺の「希望」目がけて猛ダッシュをかける。
必死の形相で5ドル札を振りかざし、走り寄ってきた薄汚れた東洋人、それが彼の目に映った俺の姿だっただろう。
胡散臭げに俺を見つめる青い瞳の中には、迷いがあった。
しかし、今の俺は、イランで刑務所に入れられそうになったあの時と同じ心境だった。
俺には後が無かった。
あの時同様、自分の交渉力と説得力をありったけ振り絞る。
その朝、俺は一生分のツキを使い果たしたかもしれない。
その代償は、握り締めた手の平の中でしわくちゃになったリトアニアの紙幣だった。
旅日記
宿探し
一生分のツキをつぎ込んだ俺の列車が、昼過ぎにリトアニアの首都「ビリニス」に滑り込んだ。
うれしい!飛び上がりたいほどに!
人間やはりあきらめちゃだめだ!
なかなか大きい駅だった。
なんと駅前には、Y・Hの案内板まである。
なんて親切な街なんだ!それとも俺はまだツイているんだろうか?
それから、3時間、街角にまるでからかうように現れる、Y・Hへの矢印に誘われるまま、俺は街を4周する事になった。
どうしてもY・Hが見つからない。
まるで宝捜しゲームだ。
やはり、俺のツキは使い果たされたんだろうか?と考え始めた頃、それらしきビルが出現した。
(この街は俺をからかっているんだろうか?)
喜び勇んで中に入ると、
・・そこは事務所だった。
肝心のY・Hは、ここから歩いて1時間かかると言う。
もはや駅前の看板に抗議する元気も無い。
素直に駅前のホテルに泊まる事にした。
東欧で2000円も払っただけあって、ホテルはなかなか広かった。
部屋のテレビが壊れているのは、東欧だから仕方が無い。
スーパーらしき所で、でかい黒パンとチーズ、ハム、ビールを買い込み空きっ腹に詰め込む。
これで250円、安い!
<ビリニスの中心、「ゲジミナス広場」にて>
「ゲジミノ・ツアー」、この名前だけをたどってここまで来た俺にとって、この広場の名前は、目的地がもうすぐだと知らせてくれた。
俺は、旧ソ連、現在ロシアに入国したかった。
しかし、その為にはVISAが必要だった。
俺のVISAは、ゲジミノ・ツアーという会社だけが発行できるらしかった。
さて、その会社はこのそばにあるはずだが。
旅日記
ロシアVISA
1995年8月の現在、東ヨーロッパ内で、日本人の俺がロシアVISAを入手する事は、白人に納豆を食わせるぐらい困難な事だった。
ロシアVISAには、ロシア政府のインビテーション(招待状)と、日本政府のレター(身元保証書)がいる。
それは、一人で放浪している俺にとって、「来るな!」と言っているのも同然の事だ。
旅を始めた頃の俺だったら、素直にあきらめていたかもしれない。
しかし、俺は既に知っていた。
物事には建前と本音がある事を。
法が定める事には必ず抜け道がある。
俺はまず、情報を入手する為に、ハンガリーの日本人宿「テレサの宿」に行った。
日本人宿には必ず、先人の旅人が書き残した「情報ノート」がある。
このノート、そこら辺のガイドブックなど足元に及ばない程の情報が書き記されている。
案の定、情報ノートには、ここリトアニアのビリニスにある「ゲジミノ・ツアー」という会社でのVISA入手方法が書かれていた。
モスクワの「赤の広場」を見るというゴールを目指し、始まったこのRPGゲームさながらの東欧の旅。
その山場が今日だ。
情報ノートに載っていた「ゲジミノ・ツアー」は、あの角を曲がった所にあるはずだ。
俺は、祈るような気持ちで角を曲がった。
俺は今から、「最高のガイドブックは?」と尋ねられたなら、絶対日本人宿にある情報ノートと答えるだろう。
ゲジミノ・ツアーは存在していた。
ガラス張りのオフィスには、貫禄のある小学校の校長先生みたいなおばちゃんまでいる。
実は、このおばちゃんが、ロシア政府に強力なコネを持っていた。
おばちゃんいわく、俺のロシアVISAは4日でできるらしい。
しかもたった30ドルで!
俺は、おばちゃんが望むなら1回ぐらいベッドを共にしてもいいとまで思った。
4日後、オフィスで俺はロシアVISAを受け取った。
なんと、ロシアVISAは、パスポートにスタンプされるわけではなく、別冊の冊子で渡された。
こんなVISAは見た事無かったが、長い間自由旅行を認めていなかった社会主義の総本山だから、VISAも特殊なのかもしれない。
いざ、モスクワへ!
午後2:00の列車でカウナスに向かう。
列車はとんでもない無人駅に到着。
そこからはトラムで乗り継ぐ。
街中の駅は工事中らしい。
その昔日本大使館があり、多くのユダヤ人がここから日本ビザの発給を受けシベリア経由で脱出したという。
カウナスの聖堂
ネットカフェに入る。
「24/july 17:00にシギショアラ、クロックタワー前に来られたし。もし叶わぬ場合は××にお電話頂きたく」
前から予定していたシギショアラのフェスティバルの具体的日時をルーマニアの女子高生が知らせてきた。
余裕を持って動くとすれば、今夜中にワルシャワに出発が望ましい。
インフォメーション・センターに聞いてみる。
カウナス発23:30があると言う。
それを買う。
市中心からバスセンターに向かう途中、中華レストラン発見。
熱々のスープをオーダー。
異国の地で本当に中華は有難い。
ワルシャワ駅の食堂での二度目の軽食。
例によってスープとコーヒー
ワルシャワの中心街。ショパンの像まで徒歩7-8分と散策には便利な場所で休憩させてもらった。個人宅だが、主人自ら客引きしている。80ズローチ
前夜23:30のカウナスからの夜行バスで朝7:30頃にワルシャワに到着した。
すぐウクライナのLivivu行きの列車の切符を買い求めたが、
何を勘違いしたか?ウィーン行きの切符をくれた。
やけに値段が高かったのと、表示にwienの文字があったから
「切符が違うんじゃないか?ウクライナのLivivuでWienではない。」
と言って問いただしたが、
それは2番線から11;30の出発だと言う。
ひょっとしてwienという文字がポーランド語の「経由」を意味しているのではないかと、他の人に聞いてみることにした。
インフォメーションで聞こうとすると、変な男が
「手伝いましょうか?」と寄ってくる。そして日本語版の地球の歩き方を取り出し、
「ここに私のゲストハウスが紹介されています」
と言い出す。俺は確認作業でそれどころではない。だがポーランド人らしいので切符を見せ、
「ウクライナのLivivuに行きたいんだが、この切符で合ってるか?」
と聞いてみる。
「これはウィーン行きだね、良くあるんだよこんなことが。切符のチェンジには手数料が発生するので、奴らはそれで小遣い稼ぎをするんだ」
なるほど・・そういうことか。妙に納得してしまった。
個人宅なのでキッチンがあり、持参のインスタントラーメンを作ってみる。
彼が言うにはLvivに行くならバスが良いとの事。
75plzでチケットが取れる。
21:30発 翌7:00着。
Lviv発 Cluji行きが 15;00くらいなので余裕だ。
ここの最上階がゲストハウス
ソッポ向くショパン
ポーランドとウクライナの国境は難なく抜ける。
ただ入国の申請書に滞在先のホテルを記入する欄があり、そこだけは嘘でも良いからそれらしい名前を書いておく必要があるようだ。
以前、ルーマニアで滞在延長許可の申請をしたとき、実際は知り合いの知人の両親のアパートを月200$ほどで借りていた。
これをそのまま申請すると、その両親の許可証やらサインやら大変面倒なことになる。その係官はこちらの苦労を理解する良い奴で、
「これは実際には許可証とかは貰えない。何故ならばその両親は海外にバカンスに行っているから」
「何でも良いから近所のホテル書いとけよw」
これが悪い奴に当たると、それを出汁に小銭をせびられることになる。
7:00過ぎにLivivu到着。ワルシャワ方面からだと最初に鉄道駅に着くみたいだ。
それがわからず、1/3くらいが降りるがそのまま乗って終点のバスセンターまで行ってしまった。
途中市街地を抜けるが、中々の街だ。
人々の顔付もポーランドに比べると遙かにのんびりしている。そして女性は美形だ。(美醜の判定は当然個人差、好悪差を内包している。俺の判定に不服もあるだろうが堪忍してくれw)
ひとりの米人旅行者風の若い女に聞いてみる。
「空港にはどう行くかわかる?」
どうやら話せないようだ。てっきり顔や恰好からそう思ったが地元の人間らしい。
金髪をポニーテールにしてヤンキーガールと想ったが違ったw
体格も良く黒のスパッツを穿いている。腰つきとか直視に耐えないほど健康的だw
すると隣の別の母親が10歳くらいの息子を嗾ける。
「さあ、あんた出番よ。日頃自慢の英語力を見せて頂戴」
息子に向かって丁寧に聞いてみるw
息子はそれを母親に通訳する。
母親はそれに回答する。
「ここからだとタクシーね」
不安なタクシーには乗りたくなかったが仕方ないか・・・
タクシーは何台も野犬のごとく屯している。
少し歩きバスセンターの出口に向かう。
肩を叩かれる。
振り向くとさっきのポニーテールだ。
「空港へはタクシーよ」
そう言うとカモシカのように去って行った。
想像だが、俺に気があったわけじゃなく、こちらでは人に親切にするのがデフォルトらしいw
それとLivivuの名物料理は多分・・・・雌のカモシカw
はずれのじいさんがタクシーの窓ふきをしている。
「おっちゃん、エアポートまで行ってくれるかい?」
「・・・ok ok 40だよ?」
確認する。
「400じゃなく40だよな?」
空港まで10分で着いた。何やら門構えが大袈裟な空港だw
中に入ると人でごった返していた。臨時のツアーデスクまである。
カラパチア・エアー発見。
中には客がひとりと係員がふたり。
「Cluji行き今日の便に空席はある?」
「あいにく、もう飛び立ったよ」
え? 確か15:00だかのティミショアラ経由があるだろ?と思い聞いてみる。
するとこれはティミショアラからの折り返し便だと言うw
それに翌朝6:45発の便に乗ったとしてもClujiに着くのは折り返しの16:00過ぎだと言う。これは明らかに俺のタイムテーブルの読み違えだw
「飛行機以外でクルージに行く方法はないかね」
泣きついてみる。
「バスか車だろうね」
やや途方に暮れる。どうしたもんだろうとw
仕方ない。バスセンターに戻ることにする。
運良くタクシーが一台、しかもじっちゃんw
「バスセンターね。いくら?」
「40だよ。」
どうやら相場らしい。
途中じっちゃんが、
「あ、あそこかぁ あそこなら45だな。45だぞ」
アホらしいと言うかw 俺は新喜劇を観るような気分で頷く。
バスセンターでルーマニア行きの便があるか聞いてみる。
通常窓口のおばちゃんは笑顔で(言葉も通じないのにリアルに笑顔だった)
「外国向けはここじゃなく、お向江さんね」
お向かいの個室デスクに行く。ん? 個室喫茶の社長秘書コスプレなのか?
若い女が電話をしている。Sも添加されてるようだ。
電話が終るまで待つことにする。
「何か御用?」
「Clujiに行きたいんだが、便はないかな?」
「にえっと」
やっぱりSが・・しかも強めに入っている。
これは困った。バスもないとすれば、そもそもカラパチアの山越えで国境を越えられるかどうかさへ怪しい。
そこへひとりの紳士が登場。(そんな、紙芝居じゃあるまいし。都合良く登場するもんかね? みんなそう想うよね。だがこれは実話で、ひょくり狙い澄まして困った俺に話しかけてきた。)人は見かけでかなり損得をすると思うが、彼は明らかに得をしていると思う。タクシードライバーだと言う。だがどう見ても高校教師だ。
「ワルシャワに行くなら250euroで行くよ」
「今そこから来たんだw クルージにこれから行くんだよw」
メジャーを持ち出し距離を地図上で計測し始める。
やっぱり教師風だw
「随分遠いな。・・・250euroで行くよ」
「航空便が150euroなのよw でも山越えのルートで行けるのか?」
「行けるよ」
タクシーでしかも500km近い道のりなんてあり得ないw
だが若干心が動くw
「本当に国境越えれるの?」
「越えれるさ・・・・きっと」
レンタカーの選択もあるが昨晩は夜行バスで寝ていない。しかも国越えで返却可能かどうかも疑問だ。多分標識のキリル文字もこの場合仇となるだろうw
そう考えると俄かにタクシーの選択肢も急浮上してくる。
具体的な交渉に入る。
「飛行機で150euroなんだ。それ以上は無理よ」
考えている。実際それじゃ割に合わないかも知れない。
「バイアマーレまでならどうだ? 国境越えて直ぐだ」
いつの間にか、こちらがその気になっているw
「いいだろう、行ってみよう」
「何時間くらいかかるんだ?」
「6時間くらいだろう」
今9時だから午後3時には到着するのか・・・魅力的だ。
休憩のレストランで隣の奴が食ってたボルシチをオーダー
うまかったー。
この紳士、最後まで紳士だった。
途中二度ほど野生の片鱗を見せただけで・・・・・w
一度目はその運転。これは荒いというよりも顔に似合わずうまい。
コーナーをタイヤを鳴らすことなく攻めてくる。
DEWOOの車がこんなに安定しているとは知らなかった。
抜き去った車の数も100じゃ下らない。しかも助手席に座っていて不安は感じなかった。俺はこんなに鋭くはコーナーは攻めれない。たいしたものだw
二度目は飯時、レストランで。
かわいいウクライナ美女のウェイトレスがオーダーを間違った時。
ステーキを2個注文のはずが、1個ともうひとつはじゃがいもとニンジンのソテーだけしか載ってなかった。このときばかりはこの紳士も色をなした。
ウェイトレスに「作り直せ」と命令する。
結局、彼にステーキを渡し、俺がじゃがいもとニンジンを食うことで収まった。
途中気が引けたのか?
「半分食うかい?」
とステーキを切り分ける素振りを見せる。
「あんたが食ってくれ」
紳士の人間味を見た気がして笑えた。
途中、携帯を渡され「話せ」と言う。
ルーマニアの帰り、彼の家に2-3日ホームステイ出来ないか?聞いてみた。
余り部屋があるかが問題だった。几帳面にも正確を期し、彼は英語の出来る23歳の娘に電話を掛けたようだった。そして俺の要望を確認したかったらしい。
「ところで、きみん家に余り部屋はあるかい?もし、あるようなら泊まりたいんだけど」
「残念だけど無いわ」
電話を代ると娘と打ち合わせたみたいだ。
「うちは無理だからホテルに泊まってくれ」
あ、何げに腕を回してるね
暫し長閑な西ウクライナの田園風景をお楽しみください。
国境検問に近ずく。
国境近くになるとさすがに彼も道が判らないらしく、何度も人に聞いていた。
そして1:30過ぎには国境の検問に到着。
バケーションシーズンなのだろう、検問には100台近くも車が列を成していた。
これには紳士もお手上げらしく、
「ミスター、これは恐ろしく時間がかかりそうだ。俺が最前列と交渉してやるから
それに乗って国境を抜けろ」
彼はパスポートも持っていたし、一応バイアマーレまでは行くつもりだった。
確かに、これじゃ半日かかるかも知れない。
前の車が見つかった。清算を済ませると、彼はきちんとその分から依頼した運転手に分け前を渡していた。極小額ではあったがw
次の運転手は若いスキンヘッドの兄ちゃんだった。
顔はベッカムと瓜、声までそっくりだった。
「お前もてるだろう?」
と聞くと笑っていた。言い忘れたが、先程の紳士もベッカムもウクライナ語しか話せない。英語は極わずかだ。何となくニュアンスでわかる程度だ。
この兄ちゃん実に係官と親しげだ。いつも得意の笑顔で話している。
あ! 金を渡した。ここの検問はそんなことしなくちゃいけないくらい厳しいのか?
炎天下、小一時間待たされる。
ウクライナ側無事通過。
ルーマニア側でも再び待たされる。
そして我々の番が廻って来る。
「どこ行くんだ?」
「シギショアラに行こうと思っている」
「何しに行くんだ?」
「フェスティパル観に」
「お前、ビザ持ってないな。ビザ要るんだよルーマニアに入るには」
「ははっ、悪い冗談だ。ルーマニアはEUの一員だ。日本人はEU諸国に入る時ノービザだよ。」
係官黙り込む。そして応援を呼ぶ。ジャポニアだ。と言って何かと粗探しをしようとする。当然こちらに隙は無いw
しばらくはパスポートを弄繰り回していたが、諦めたようだw
「ok 行っていいぞ」
当たり前だ。「パスポートとはなんぞや」を小一時間講釈たれたいくらいだ。
俺が時間を食ったのでベッカムに悪い気がした。
ところでベッカム、どこへ行くのかを俺は知らない。
国境を抜け5分も走ると一軒の民家の庭先に車を突っ込んだ。
どうやらここが目的地らしい。ベッカムは派手目のタンクトップを脱ぎ捨てると何やら作業に取り掛かる。最初がサンルーフ。100個近い煙草がばらばらと落ちてくる。次がシート。分解してクッションの隙間から200個近くが。次が前輪のサス周りから3カートンづつを取り出し、最後がトランク。300-400近く出てきた。
どうやら・・と言うより確実に密輸屋だ。
俺はベッカムのあどけない笑顔にすっかり騙されていた。まさかこいつが犯罪者だとは豪にも思わなかった。仲間は留守らしく、おばちゃんしかいない。作業を終えるとおばちゃんにキンキンに冷えたペプシを注いでもらい、例の子供のような笑顔で、
「お前もこっち来て飲めよ」
恐れ入ったよw
最初銀行に寄ってくれと言う。検問で随分待たされたせいでキャッシュカードが折れ曲がってしまっていた。それを修正しカードを差し込む。
出てきてくれたwカードは生きている。400lei下す。
次にここからバイヤマーレまで65km、サツマーレまで25km。左右に分岐する。
バイヤマーレの方が有難い。しかしガソリンが残り少ないらしい。
時間ももう17:00を回っている。この際、俺がガソリン代を出すしかない。
「ok お前には世話になったし、面白いもんも見せてもらった。折角だからfullにしとけw」
通じたかどうか?は別にしてスタンドに寄って給油。200lei分給油。これでも満タンにはならなかった。この時点で200leiが日本円でいくらなのか見当も付かなかった。およそだが街の両替屋表示が3lei=1$なので、300lei=9500\くらいな感じだろう。
この日街道には山ほどのパトカーが待ち伏せして歓迎してくれた。
見つけるたびにベッカムは、
「ポリツィア」
と言ってニヤニヤしながら顎をしゃくって見せた。
電話が来る。掲示を見せてくれる。嬉しそうに、
「ジョジョ ^^」
どうやら恋人か婚約者らしい。指に光るリングを見せてくれる。ひょっとして妻なのか?w
バイヤマーレでもひと騒動。
「お前、どこが良い?」
「そーだなー、今標識゛あったな。ガーラ(駅)にしよう」
途端に急ハンドルを切る。後続の車が急停車。タイヤがバーストしたらしい。もうもうと煙を上げている。そこにちょうど警官が来るw
「ここは邪魔だから曲がった直ぐのところで車を止めろ」
「了解」
ベッカム、停まる訳がない。そのまま遁走w
バスターミナルがある。
「ここでいいよ」
トランクから荷物を取り出し、ベッカムの電話番号を書いてもらう。
こいつ最後までさわやかな笑顔だった。
その後、警察に通報したかって? 密輸屋だろって?市民の義務だって?
そんなのするわきゃない。俺は常に俺に善良だった奴の味方さw
出発間際のバスが2台停まって、客の荷物を脇腹のトランクに投げ込んでいる。
行先を確かめると、ブカレスト。クルージを経由している。急いでセンターに駆け込むが全部閉まっている。運転手に聞く、
「クルージまで乗れるか?」
「5分待て」
ok ok その間にと、キオスクで水を買う2,5lei
運転手が呼ぶ。懐にポッポするのかと思ったら、ちゃんと切符を切ってくれる。
バイヤマーレークルージ23leiおよそ700\か。
荷物は車内に持ってけと言う。ok ok
何故か一番乗りで優先席を確保。
この頃は眠気で多少ぼーっとしていた。出発時間が18:30だったか、19;00だったかはっきりしない。起きた時は辺りは薄暗く時間は21:00を回っていた。
ルーマニア人の顔はウクライナに輪をかけてのんびりしているw
ひょうきんささへ感じられる程に。
10:00近くにクルージ到着。
ここで選択肢が3つ浮かぶ。
1 駅前旅館
2 センターの以前泊まったホテルかその周辺
3高台の高級ホテル
疲労度から1を選択。バス停から1分、取り敢えず空いてるか聞いてみる。
シングルで110lei、朝食付きで130lei。
飯付きを選ぶ。
部屋でシャワーを浴びる。シャワーがこれほど気持ち良いもんだとは今まで知らなかった。
「チョルバ・デ・ブルタ(豚の腸のスープ)食いたいんだが、この時間空いてるとこある?」
ホテルのフロントに聞いてみる。
「この時間だとセンターのアンドレーデなら確か24時までやってたと思うよ、行くなら地図を書いてあげよう」
「ムルツミーン」
途中二度ほど人に聞いて発見。
地下にあるフォルクローレ風レストラン。
ビールとチョルバと玉ねぎサラダとポークカツレツ風をオーダー。
ポークカツレツ風は品切れで、燻製ポークならあると言う。それにする。
チョルバとサラタ・デ・チャパが出てくる。大きくざく切りにされたパンも籠に盛られてくる。
このチョルバにはアルデーレ(青とうがらし)とサワークリームが付いてくる。
うまい。ここのチョルバは今までで一番かも。こくと深みがある。
ただ、誰かが言っていたが、確かにヨーロッパのスープはぬるい。やけど対策なのかも知れんが、熱々のスープが欲しい。
或るロムンカに聞いたら、
「チョルバはみんな朝飲むのよ。たらいみたいな皿でお腹一杯にするの」
玉ねぎのサラダは、・・生まれて初めて生の玉ねぎがこれほどうまいものかっと知ったのはここルーマニアだった。にんにくほどの子玉ねぎを剥いて、岩塩をつけて食べる。非常にうまい。
或る七月のモルドバ平原の農家の庭先で、カウチ風の長椅子に寝そべり、ママが炒れた朝一コーヒーを飲みながら、娘がたった今ひっこ抜いてきた子玉ねぎにナイフを入れる。小皿の岩塩を上手に押し付けて食う。
汁気があり、微妙に辛い。歯触りがよくサクサクいける。
「これは何て野菜だ?」
「チャパ」
「ほほう・・・これは初めて食った。これは日本には無いな」
「そうなの?」
そのチャパが気に入り、毎朝要求した。
そしてチャパが玉ねぎだと知ったのは半年後だった。
それほど、日頃の玉ねぎとは別物だった。
遅れて燻製ポーク登場。
だがもう腹八分状態。
添え物のたれはマスタードとラディッシュを擦ったものかと思った。
あ! りんごが擦ってある。確かにりんごとポークは合うかも。
ナイフを入れるとスパッと切れる。
豚も燻製にすればこんなに柔らかくなるんだw
うまいんだが、3切れも食べられない。
ここのシェフは腕ききとみた。
ごめんね 完食できなくて。
おやすみ
オールドタウン
オールドタウンの街並み、メイン通りもさることながら、一歩脇道に入るときがどきどきします
小さい通り、細い通りほどわくわくします
歩きづらいのですが、石畳は風情を醸し出しますね
オールドタウン
メイン通りは華やかで、なおかつかわいいながらも威厳を保っている場所だと思います
メイン通りを歩いて脇道があるたびに、楽しみが増えていく、そんな通りだと思います
トラカイ城
とにかく湖上の城というのは、童話の世界だけかとおもっていたら現実にあるのですね
生活ということを考えると悪条件ですが、シチュエーションはとにかくロマンティックですね
トラカイ市街
家もかわいいのですが、壁の色がとにかくキュート
レンガでないのが個人的には好きです
細いワインディングロードに並ぶ家に癒されます
Zeppelins(Cepelinai)
郷土料理のZeppelins
いろいろな味があるということですが、まずくないですがおいしいとも・・・
名物にうまいものなし・・・?
無数の十字架が・・・
その数、50.000とも60.000とも。
十字架だけではなく、
イエスの受難像やリトアニアの英雄の彫刻、聖母マリア像、肖像画、ロザリオなども。
リトアニアの伝統的な十字架は独特のもので、建築・彫刻・鍛冶、素朴な絵画などがモチーフになっています。十字架には、古くから伝わる植物、太陽、鳥、世界の樹木などが装飾模様として刻まれています。この装飾模様は当時の宗教、バルト教を表しています。十字架は故人の記念のため、魔除けのため、恵みを受けるため、感謝するために作られました。
リトアニア共和国大使館HPより抜粋
憂うキリスト
このポストは・・・?
この地に、
ヨハネ・パウロ2世も訪れたんですね。
ヨハネ・パウロ2世はダマスカスのウマイヤド・モスクを訪問し、「ムスリムとクリスチャンの相互理解を進め、共同体を強化し、神の許しを得てお互いが許し合うことが大切」と述べるなどイスラムにも理解がありとても好感がもてます。
一方、現教皇のベネディクト16世
エイズがまん延しているアフリカで
「コンドームの使用はHIV感染の状況を悪化させる」
とコメントし、
世界のNGOによるこれまでのエイズ予防活動への努力を危うくさせたり、
イスラム教では「信仰の強制はない」との見解は預言者ムハンマドが勢力を弱めた時代を反映するものだ、とか
東ローマ帝国皇帝マヌエル2世パレオロゴスの「私にムハンマドが新たにもたらしたものを見せてみるがいい。邪悪と非人間性しか見つからないだろう」
などと述べたとしている。
このイスラムを敵対視するような発言
好きになれるわけがない。
こんなところは世界中でここだけなのでは・・・
ラトビアのリガから往復しました。
リガからバスで(カリーニングラード行)行き、で途中で降りて行こうと思いましたが、帰路が面倒くさそうだったので、タクシーと交渉して往復してもらいました。
バスならシャウレイまでたしか4ラッツ(Ls)くらいだったかな。
湖に沿って、歩きます。
かわいらしいお店が。
時間があったら入りたかったなぁ・・。
お土産物屋さんも沢山並んでいました。
素朴な民芸品の中、ひときわ目を引いていたマトリョーシカ。
バルト三国では本当によく見かけます。
結婚式の一行に出会いました。
ボートレースの会場が近づいて来ました。
トラカイ名物のキビナイ(窯で焼いたパイ)のレストラン、
「キビニネ」
ああ、ここも入りたかった・・。
いよいよ会場入りしました。
各国からの選手達や応援の人で賑わっています。
長いボートにぶつからないように注意しなければ。
無事日本の参加者の方々と合流。
身内のスタート地点への見送りにも何とか間に合いました。
レース時間までに急いで食事。
会場内のカフェで選手たちと一緒に並んで注文しました。
レースは無事終了。
結果は・・・よくがんばったで賞ということで。
他の日本の参加者の方々も大健闘されていました。
お互いに応援し合いました。
ご高齢の方も多くいらっしゃいますが、
皆さん元気一杯です。
大会グッズも販売されていました。
この日の予定は終了。
明日以降も大会は続きます。
帰りは参加者の人たちと一緒のバスで
ヴィリニュスまで帰れることに。やったー。
無事ヴィリニュスまで帰って来ました。
大会参加者のホテルはネリス川の北側。
夕食を取りに旧市街へ向かいます。
ガイドブックに必ず載っているレストラン
「チリ・カイマス」へ。
ビックな水餃子といった感じのお料理。
美味しかったけど、できればポン酢で頂きたかったかも・・。
リトアニナ名物「ツェペリナイ」
名前の由来は飛行船とのこと。
もち米のような食感。ボリューム満点でした。
最後の晩餐も満腹にて修了。
明日はいよいよ帰国です。
ヴィリニュスで滞在した「パノラマホテル」からの眺望。
(残念ながら部屋ではなく、
上階のエレベーターフロアからの眺めですが)
昨日とうって変わり快晴。
いい大会日和になりそうです。
バスでトラカイに向かいます。
運転席で梨をむきながら食べていた運転手さんに
お金を払おうとすると、ナイフで「座れっ」という
動作をされ、怖いのでとりあえず席に着きました。
出発間近になって制服を着たオバサンが乗ってきて
乗客から料金を徴収。3.20リタスでした。
バスはとにかくよく停まり、
気がつけば地元の人達で満員になっていました。
窓際の席は日差しが強く、年季の入ったカーテンで
顔を死守しながら揺られること一時間。
トラカイに到着しました。
ターミナルは少々さびれた印象。
うす暗い待合室を覗くと、
地元の人達にジロジロ見られてしまいました。
バスターミナルの周囲は特に何もありません。
帰りのバスの時間をメモして、歩き始めます。
レース会場までは、湖に沿って1.5Kmほどの道のりです。
途中、教会がありました。
道なりにそってひたすら歩きます。
あまりに暑くて、上着を脱ぎました。半袖で十分です。
こちらは修復中のようです。
カメライ博物館のようです。
"MUSEUM"しか読めませんでした。
礼拝所がありました。
Kenesa(キエネサ)とあります。
ようやくトラカイ城への分岐点に出ました。
橋を渡ります。
お城が小さく見えます!
橋を渡るとこのようなものが出迎えてくれました。
対岸のボート大会の会場も見えました。
ええと、時間があるので、先にお城を見学しま~す・・。
トラカイ城です!
建設されたのは14世紀後半。
現在の姿は復元されたものですが、
ほぼ15世紀の頃の姿となっているそうです。
入場券(12リタス)を買って中へ入ります。
右の建物が本丸のようです。
階段を上って本丸へ入ります。
中は吹き抜けになっていました。
2階と3階をぐるっと一回りして順番に見学して行きます。
社会見学と思われる学生さんの団体と一緒になりました。
出土した武器などが展示されています。
3階へ上ります。
跳ね橋を渡って本丸を出ます。
本丸です。
本当にいいお天気です。
続いて向かい側の建物へ。
こちらも博物館になっています。
当時の部屋の様子などが再現されていました。
こちらも見ごたえ十分でした。
ギフトショップなどもあったようですが、
時間がないので断念。
お城を後にします。
ゲディミナス城を目指して歩きます。
右側の建物は民族博物館のようです。
お城へはリフトに乗って上がります。
丘の上ではゲディミナス塔が迎えてくれました。
塔の中は博物館になっていて、
鎧や当時のお城の模型などが展示されていました。
2階以上へ上るのは有料になっていました。
塔の屋上からの眺めです。
北側、ネリス川が見えます。
南西の方角。
足元に見えるのは再建中の王宮でしょうか。
その向こうに大聖堂の屋根とと鐘楼が見えます。
南側。
聖ヨハネ教会が見えます。
東側。
三つの十字架の丘です。
丘の上では、先ほどの結婚式の一行が
お城を背景に写真撮影をしていました。
お城(の一部)です。
観光は塔がメインになっているようです。
帰りは歩いて下ってみることに。
・・それがいけなかった。
石畳の歩道を下りていくと、出口に大きな鉄門が。
しかしその鉄門は施錠されていたため、
写真にある側溝のような所(もちろん柵の中)を延々と歩くはめに。
そして少し先では、前を歩いていた同じく海外からの観光客と思われるご夫婦が、崖をよじ登って元の歩道へ戻る姿が・・。
結局私達も同様にして戻り、大人しくリフトで下へ降りたのでした・・・。
そのご夫婦とは互いに笑い合ってしまいました。
中庭です。
何とか生還?して、再び街中へ。
ヴィリニュス大学へやって来ました。
入口がわからずウロウロしました。
食堂を探します。
食堂はお昼時を過ぎていたせいか、割合に空いていました。
学生の他に教授とおぼしき人たちも気軽に利用しているようでした。
トレイを持って並び、好きなものを指差しておばさんによそってもらいます。ボリューム満点。
ヴィリニュス大学(の図書館のようです)
小雨が降り出しました。
再びピリエス通りを歩いて、
街の南、夜明けの門を目指します。
これは途中の路地。
右手に聖三位一体教会の門が見えます。
反対側には、聖霊教会への入口がありました。
「夜明けの門」が見えました!
9つあった城門のうち、現存する唯一のものだそうです。
二階部分は礼拝所になっています。
聖母のイコンが見えました。
門の外側に出ました。
上部にリトアニアの紋章が見えます。
その後再び街の北側へ。
身内の泊まる高級ホテルを後に、また一人で歩き出しました。
ネリス川の向こうにゲディミナス塔が小さく見えます。
また雨がぱらついて来ました。
街の方へ渡って来ました。
川沿いの道を歩く途中、
お城のある丘の脇を流れる小さな川、
ヴィリニャ川を渡りました。
「聖ペテロ&パウロ教会」が見えました。
地元の人たちが続々と教会の中へ入って行きます。
中に入ると、何やらミサが行われているようです。
観光客の姿はなく、早々に引き上げることに。
内部を飾る「凍れる音楽」と言われる彫刻をゆっくり見たかったなぁ・・。
外へ出ました。
また雨です。
その後土砂降りの雨にみまわれ、
公園で雨宿りをしながら「ベルナルディン教会」まで
何とかやって来ました。
現在修復中という内部は、壁などが剥がれおちて寂れた感じでしたが、それはそれで返って歴史を感じることが出来ました。
こちらもミサがあるようで、人々が集まって来ていました。
お隣の「聖アンナ教会」
ナポレオンに「持ち帰りたい」と言わしめたゴシック建築の傑作。
残念ながらもう閉まっていて中には入れませんでした。
すぐ近くの「聖ミカエル教会」
17世紀初頭に、当時の最高位にあったサピエガ一族の廟として建てられたそうです。
雰囲気の良いMykolo通り。
雨の後のピリエス通り(この後も降ったけど・・・)
19時半。
レストランには明かりが灯り始めていました。
明日はいよいよトラカイでボートの大会です。
宿泊した「パノラマホテル」
ヴィリニュス駅の目の前と言ってよい立地。
3泊する予定です。
まず駅へ向かってみました。
駅前のロータリーには
トラムや車がひっきりなしに通っています。
ホームに出てみました。
思ったよりも広く、開放的です。
ロータリーの傍らには昨夜到着したバスステーションがありました。
旧市街へ向かってSodu通りを歩きます。
道路は舗装されてない部分もあったりしました。
市庁舎広場へ出てきました。
写真は旧市庁舎。
インフォメーションが入っていました。
「聖カジミエル教会」
聖カジミエルは、リトアニアの守護聖人だそうです。
1604年にイエズス教会によって建てられるも、
帝政ロシア時代には正教教会となり、
ドイツ占領下には無神論博物館になったとか。
背後に少しのぞくタマネギ頭が印象的です。
ディジョイ通りを進みます。
琥珀のお店もたくさん見かけます。
街にはいったい幾つ教会があるのでしょうか。
おしゃれなお店が多く、
ディスプレイを眺めるだけでも楽しくなります。
ピリエス通り。
正面にゲディミナス塔が見えます。
聖ヨハネ教会の鐘楼が見えました。
旧市街一高いそうです。
カフェでしょうか。
ピリエス通りを突き当たると
いよいよ広場が近づいてきました。
カテドュロス広場に出ました。
大迫力の大聖堂。
屋根の上には三聖人の像が見えます。
大聖堂では結婚式が行われていました。
大聖堂の中に入りました。
残念ながら祭壇は修復中のようで見れませんでした。
写真は後方のパイプオルガンです。
聖カジミエルの礼拝所
広場には高さ53mという鐘楼もありました。
基礎の部分には13世紀の城壁の塔が使われているそうです。
この広場で無事身内と合流。ほっ。
新市街から続くヴィリニアウス通りを歩きます。
途中の交差点で地下道をくぐって
旧市街へ入りました。
おもしろい標識が。
通りの両脇には、琥珀やかわいらしい民芸品を扱った
お土産屋さんなどが並びます。
いよいよ旧市街の中心部に近づきました。
「聖ペテロ&パウロ大聖堂」
15世紀の大聖堂。
現在リトアニアのカトリックの枢幾卿が本拠にしているそうです。
中に入ってみました。
両脇は工事中のようで幕がかかっていましたが、
祭壇は見ることが出来ました。
市庁舎広場へ出ました。
「旧市庁舎」
最初の墓石が置かれたのが1542年、
18世紀半ばに現在の姿になったそうです。
“白鳥”の例え通り、真っ白で凛とした佇まいには
気品を感じます。
現在は結婚登記所だそうです。
広場の北側へ出ました。
「ベルナンディン修道院」
だと思います・・。
同じく市庁舎広場に面して建つ「イエズス教会」
カウナス城を目指します。
城壁のようなものが見えて来ました。
塔が現れました。
正面へ回って来ました。
お城のすぐ前は川になっています。
ネリス川でしょうか。
13世紀にはこの川がドイツ騎士団との国境に
なっていたため、ここで戦闘が繰り返され、
お城も破壊されたそうです。
15世紀の再建後も、ネリス川の氾濫によって
大部分が流され、現在は修復された塔と
城壁の一部のみが残されているとのことです。
お城の周囲は遊歩道になっており、
地元の人の憩いの場になっているようでした。
新市街へ続く大通りもすぐ近くに見えます。
芝生を歩いて裏側へ戻って来ました。
すぐそばに古い教会がありました。
聖ゲオルギ教会でしょうか。
再び市庁舎広場を通って、旧市街の南側へ出ました。
「ヴィタウタス大公教会」
「ぺルクーナスの家」
この場所に雷神ぺルクーナスを祀る神殿が
あったという言い伝えがあるそう。
現在は図書館になってるそうです。
堤防の方へ上がってみました。
ネムナス川に沿って沢山の車が走っています。
また歩いてバスターミナルまで戻って来ました。
さすがにくたびれました・・。
19時発のバスで
いよいよ首都ヴィリニュスへ向かいます。
乗り場はインフォメーションのすぐ前でした。
チケットは直接乗車時に運転手さんから買います。
20リタスでした。
結構人が乗っていました。
20時30分ヴィリニュスに到着。
写真はバスターミナルの正面。
翌朝撮ったものです。
長距離バスはこの建物の裏手に発着します。
2階のスーパーで夕食用の惣菜を買って、
ターミナルから歩いて1分のホテルにチェックイン。
明日はようやく身内と合流です。
ちゃんと会えるかな・・?
14時15分、カウナスに到着。
バスの運転手さんは、約束どおり事務所でお金をくずしておつりをきちんとくれました。
荷物の預け場所を探してさっそくウロウロ。
結局インフォメーションの対角線上にある、
事務所だと思ったシンプルな建物内にありました。
19時には閉まってしまうそうです。
まずは杉原記念館を目指します。
荷物を預けた建物のすぐ横の門を出て、右へ。
突き当たりの白い門をくぐって階段を上ります。
階段をひたすら上ります・・。
ワンコに吠えられました。
階段の横は民家の菜園が続きます。
振り返ると、小さく街が見えました。
閑静な住宅地に出ました。
少し迷いながらも、番地を頼りに
何とか記念館を見つけられました。
「杉原記念館」の正面。旧日本領事館です。
第二次大戦当時、領事代理だった杉原氏が
日本の通過ビザを求めて押し寄せた大勢のユダヤ人達に、
人道的見地から、日本政府の指示に背いてまでも
ビザを発行した場所ですね・・。
入口は、正面から見て左手横にありました。
建物の裏手。
側面が入口です。
ベルを押すと、大柄な男性が「コンニチワ!」と
迎え入れてくれました。
中にはもう一人女性の職員の方がいて、
訪問者はこの時は私一人でした。
「決断の部屋」
この机で昼夜を問わずビザを書き続けられたのですね・・。
この記念館の修復や運営を支えるための資金が不足しているそうです。それを補うための関連書籍などの販売も行われていました。
8リタスの寄付で、写真撮影が自由に出来るとのことでしたが、募金箱と傍らの芳名帳からは、杉原氏の勇気ある行動に感銘を受けた人達の熱い気持ちが伝わって来ました。
当時の貴重な資料が展示されています。
そして一通り見学した後は、
杉原氏の軌跡をたどったスライドを上映してくれました。
カウナスマグヌス大学の日本学センターも同居しています。
記念館を後にして、
来た道とは別の道を下って新市街へと向かいます。
またワンコに吠えられました。
坂を下りて少し歩くと、突然大きな教会が。
「聖ミカエル教会」でした。
広場にあったゴミ箱。
分別が楽しくなりそうです。
ライスヴェス通りに出ました。
旧市街に向かって真っ直ぐ伸びる大通り。
並木道を挟んで両側にいろんなお店が立ち並び、
観光客の姿も多く見かけました。
振り返ると、さきほどのミカエル教会が
ひときわ目立ちます。
劇場のようです。
「ヴィタウタス大公像」
郵便局ですね。
振り返ると、教会が大分小さくなりました。
ここから道を左にそれて、「ヴィリニアウス通り」を
進みます。いよいよ旧市街に近づいて来ました。
宗教
リトアニアは、ローマ・カトリックの国であり、信仰心の篤い国民性であることを常に念頭に置いて行動することが必要です。
飲料水
外国人旅行者向けのホテルにおいても水道水は飲料に適さないため、一度沸騰させたものを飲むか、ミネラルウォーターの利用をおすすめします。
害虫
森林に生息している森林ダニに咬まれると「ダニ脳炎」の危険性があるので、春から秋にかけて、森林や緑の多い場所では森林ダニに咬まれないよう注意する必要があります。長期滞在の場合には、予防接種をおすすめします。
医療
・私立の病院では比較的高度な医療サービスが受けられます。
・救急車は、依頼しても到着までにかなり時間がかかることがあります。
また、同乗している医者が、その場で治療することもあります。