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リトアニアってどんな国?

リトアニア、正式名称リトアニア共和国は、ヨーロッパ北東部の国である。バルト海に面して並ぶバルト三国の内の一つであり、
北はラトビア、東はベラルーシ、南はポーランド、南西はロシア(カリーニングラード州)と接している。

リトアニアの地図

リトアニアのブログ旅行記

ブログテーマ[マレーシア土産]| 世界一周御披露目帳

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01a) プロローグ・出発まで - 2006年8月イタリア・フランス1ヶ月旅行の ...

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2010年8月2日 ... 目覚まし時計って、ブラウンがいいと思うんです! グリーン&ブルーの色が最高です! 一度使ってみたいリトアニア製のリネン・・・. 人気ブログランキングへ♪ a 応援 ヨロシクお願いします a. TOTAL 今日 昨日 ...

世界の人種・民族別血液型割合

リトアニア. 40. 34. 20. 6. Malaysians. マレーシア. 62. 18. 20. 0. Maoris. マオリ (ニュージーランド). 46. 54. 1. 0. Mayas. マヤ. 98. 1. 1. 1. Moros. モロ ( フィリピン). 64. 16. 20. 0. Navajo (N. Am. Indian). ナバホ (北米インディアン) ...

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リトアニアの森 - 地球浪漫紀行世界紀行スタッフの旅のお話し

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メリ~ クリスマス| 世界一周御披露目帳

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世界一周ブログ(略してセカブロ)が帰国後、社会復帰がんばるブログ

ってことで、. 2年前に世界一周を経験されMさんにも来ていただいた。 世界一周経験 者と会うのは初めてである。 やはりハードな旅行経験者は話が深い。 おすすめのルート はもちろん・美人が多い国(コロンビア・ラトビア・リトアニアらしい) ...

リトアニアの写真・旅行記

********************** 2010/07/09金 クライペダ経由でニダ日帰り観光 ********************** パランガからミニバス20分ほどでクライペダへ、そこからフェリーで対岸のスミルティネへ、そこから長距離バス1時間ほどでニダへ(片道4時間) <主にサイクリングにて街中散策> ・海岸沿いと桟橋 ・トーマス・マン博物館(外観のみ) ・民俗学的古墓地とルター派教会見学 ・パルニデス砂丘(トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ白い砂丘)散策 【パランガ泊:ホテル・プリエ・パルコ(Prie Parko)】 ********************** トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ、さらさらの白い砂丘。 世界遺産に登録されている動く砂丘。 サハラと世界遺産のキーワードが私を突き動かしました。 バルト3国旅行のプラン中に、カウナスからすぐにリガに行くのをやめ、カウナスの日程を縮めてまで海岸地方を日程に割り込ませたのも、その拠点として選んだパランガから片道4時間もかけてやってきたのも……! ニダにはいくつも魅力があったとはいえ、やっぱり筆頭はこの白い砂丘を歩きたい!という思いでした。 いくらサハラにたとえられたからといって、1997年に一人で出かけたチュニジアのサハラ砂漠の追体験ができるとまでは思っていませんでした。 でも、あのときの記憶を少しでも蘇らせるようなプチ疑似体験はできるでしょう。 遊歩道だけでなく、砂丘の中も散策したいと思ったので、いつも旅行中は運動靴ですが、今日に限ってサンダルでやって来ました。 海沿いの白樺もある松林の奥に、いきなり壁のように立ちはだかる白い砂丘。 それが目的の砂丘です。 砂丘のてっぺんを歩いている、虫のように小さな人のシルエットを見上げて、あそこに行くんだ、とワクワクしました。 乗ってきた自転車は松林の途中で木にチェーンをくくりつけて駐輪しました。 同じように駐輪している2台の自転車があったので、まねをしたのです。 その自転車の主の夫婦がちょうど砂丘から戻ってきたところだったので、砂丘への道を尋ねたら、この先の道を行って、突き当たったところにある木の階段を登ればいいのだと教えてくれました。 遊歩道から外れて歩くと、見渡す限り真っ白な景色が見られるよ、とも。 女性が目をきらきらさせてそう説明してくれたので、ますます期待が高まりました。 遊歩道を上りきると、日時計がありました。 そこはいわば展望台のようになっていて、砂丘とクルシュ潟を見渡すことができました。 そこで満足して帰ってしまう人たちもいるようですが、私はぜひとも砂丘を歩きたくて、柵を越えて急勾配の斜面をずるずると滑り下りました。 足がもぐってしまってサンダルを履いていても役に立たなかったので途中で脱いでしまいました。 太陽にさらされた砂は熱かったですが、いうなれば、やけどしない程度に熱いお風呂の湯加減程度くらいで、我慢できない熱さではなかったです。 サハラ砂漠にたとえられるといっても、あちらは砂漠で、こらちはあくまで砂丘。 でもチュニジアで歩いたサハラ砂漠も、足場が固いところもあれば、ずるずると真っ直ぐ立っていられないくらい砂が深いところもありました。 一面真っ白で、全く草が生えていないところもあれば、ラクダのエサになるくらいの草やたきぎをする潅木くらいは生えているところもありました。 ニダの砂丘で散策できるところは、足が砂の中にもぐりこんでも、歩けないほど深くなかったです。 ぱっと見て無精ひげ程度に草が生えているところもありました。 見渡す限り真っ白な景色も見られましたが、すぐ崖下が真っ青な海というコントラストの方が強烈で面白かったです。 砂丘はニダ観光のハイライトだと思いますが、私が砂丘を歩いているときには他に歩いている人はほとんどいなくて、孤独な世界に浸れました。 すぐそばに集落や観光客がいることが分かっている、一時的で安全パイのある孤独。 砂がやわらかいので足跡はただのくぼみにしかなりませんでしたが、砂の上はまるで手編みのセーターのようにそのくぼみだらけでした。 でも、誰も足を踏み入れなかったか、あるいは踏み入れたけどクルシュ潟を吹く風が吹きならしたと思われる真っさらなところもあって、雪が降った翌朝に、真っ白な雪の上に最初に足跡をつけるようなワクワクした気持ちになりました。 戻るときには、私はもちろん、最初に上った木の階段を下りたのですが、小学生くらいの男の子をつれた母子が、ほとんど絶壁の砂壁をするすると登ってくるのを見てびっくりしてしまいました。 ロッククライミングの要領でしょうか。 でも、道具も何もなしです。だいたい砂丘なので、ハーケンを打ち込めません。 男の子は登ったあと、母親が見守る中で、楽しそうな叫び声を上げながら、するすると滑り下りてしまいました。 50メートル以上あるのに……! 砂丘は30分くらい歩くことができました。 それとあわせ、町中から砂丘への往復にかかったのは1時間くらいでした。 13時40分に借りた自転車を返却したのは16時50分ととなってしまいましたが、10分オーバーはおまけしてもらえました。 そして予定していたとおり、17時発のバスでニダを出発しました。 自転車でニダを回れたのは3時間で、もっともっとゆっくりしたい未練は残ったものの、とても満足できたニダ日帰り旅行でした。 2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。 簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/ 詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」 http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html 「砂丘(Parnidzio Kopa)  高さ60mにもなる“動く砂の山”。18世紀にかつてのニダの村(現在の場所から約2km南西にあった)を呑み込み、現在も少しずつ動いている。20世紀始めから植林などによって、その動きを抑制する努力が続けられている。  湖畔沿いの松林の小道を歩いていくと階段があるので、注意して登ってみよう。トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ、荒涼とした景色が広がっている。現在は保護のため遊歩道が整備されているが、少しはずれて砂丘の上を歩くこともできる。でも崩れやすい砂丘斜面と、ロシアとの国境約1km手前から先は立入禁止。指示板の注意を守って、デリケートな自然を破壊しない心配りも大切に。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) クライペダからスミルティネへのフェリーの公式サイト(英語版) http://www.keltas.lt/eng 同サイトの役立つURL集のあるページ http://www.keltas.lt/eng/Useful-information ニダのあるネリンガ(クルシュ砂州)の公式サイト(英語版) http://www.visitneringa.com/en

あれがニダの砂丘……! 海岸に面白いものがあったので、写真を撮っておきました。

えーと、この巨大な風船はなんでしょ?

砂丘の手前に松林 地面がうっすら砂のじゅうたんとなっているので、自転車を走らせるのがだんだんと困難になってきました。 途中で2台の自転車がこの林の中に駐輪しているのを見かけたので、私も真似して、ここで自転車は置いていくことにしました。 そのときにちょうど、その自転車の主の夫婦が戻ってくるのと出会いました。

砂が深くなってきたので自転車を置いて歩く このあたりを歩いているときには、自転車を置いてきてしまったことをちょっぴり後悔しました。 できればあと30分余りで町の中心に戻り、自転車をレンタル屋に戻したかったからです。 少しでも自転車で進む方が、時間が稼げますもの。

砂丘が近付くにつれて砂がますます深くなってきて 彼方に砂丘が見えてきました。 足元がこれでは、やっぱりこれは自転車では進めないなぁと思い直しました。 もっとも、帰りに、あの砂丘のすぐ下まで自転車でやって来たつわものたちとすれ違いました。

砂丘のすぐ近くに白樺林もあり

砂丘の案内図 1番が現在位置という意味でしょう。 5番の日時計は砂丘の展望ポイントです。 緑の部分は松林です。

近付けば近付くほど砂丘の高さに圧倒される! 砂丘から戻ってくる人たちとすれ違いました。 「砂浜と林を南に歩くと1キロほどで木製の階段に行き着く。それを登るとリトアニアのサハラと呼ばれるネリンガで最も大きい52メートルの高さがあるウルバス砂丘の頂きに出る。ここには1999年にできた日時計があって、西にはバルト海が広がって見える。北には緑の森の中に1875年に建てられた1945年に再建されたという灯台が見える。そして、南は森や砂地が続き、その3キロ先がロシア連邦の飛び地のカリーニングラード州である。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

砂丘の植生や状態についての説明と写真 英文で簡単な補足がありますが、写真だけでも雄弁です。 「ネリンガ(Neringa)の由来  ユネスコの世界遺産にも登録されているクルシュ砂州の独特の風景は、どのように形成されたのか、人々の興味を引くようである。ここではふたつの説を挙げてみる。どちらの説を取るかは、もちろんみなさん次第! ・民間伝承  昔々、砂州がまだ島々の連なりだった頃、ある島にネリンガという女の子が生まれた。美しいネリンガは巨人に成長し、漁師たちの仕事を助けるのを常にしていた。しかしいつ頃か、海の波が荒くなり、1年以上漁に出られない日々が続いた。人々の窮状を見かねたネリンガはエプロンで砂を運び、島々の間を埋めていった。こうして砂州ができあがり、漁師たちは内海で安全に漁ができるようになった。 ・科学的説明  氷河期の終わり、後退する氷河がモレーン(氷堆石)を残し、後に島々となって海上に現れた。そこに南から海岸の砂が風で運ばれ、島々の間を埋めていった。短い砂州ができ、さらに波と潮流が海岸沿いに砂を運び、砂州はどんどん北へと延びていった。現在の砂州ができあがったのは、約5000年ほど前である。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

砂丘の展望ポイントに上る階段 3分の1くらい上ったところで、おお、この行程の写真も撮っておかなくちゃ、と思い出しました。

階段の途中の踊場にはベンチあり 50メートルほど上るので、途中で休憩するようにとの配慮かな。

こちらからすぐに砂丘に出てもよかったけど

歩きやすい方を選んで進む

日時計のある展望ポイントはもうすぐ あいにく日時計の写真は撮りませんでした。 砂丘に気を奪われていて、日時計のことにはほとんど注意を払っていなかったものですから(苦笑)。

日時計のある展望ポイントから港を望む

展望ポイントから砂丘を見下ろす・その1 ゆるやかな勾配に見えますが、違うんです、かなり急勾配です。

展望ポイントから砂丘を見下ろす・その2 一応柵がありますが、まるで下りるための足場みたいにぽつぽつと木の杭が見えます。 繰り返しますが、結構な急勾配なのです。

展望台から眺めるだけでは物足りないので、やはり下りることにしました! あの足場の柵を頼りに、ずりずりと滑り降りて行きました。 杭で足止めできたので、一気にずり落ちずにすみました@

ほぼ下りきったところから 砂丘と海のコントラストがすばらしいです。

サンダルを脱いで裸足になる@ 本日はサンダルにしておいてよかったです。 運動靴に靴下だったら、気持ち悪くて仕方がなかったでしょう。 サンダルでも砂が入って入って、履いている気がしなかったので、脱いでしまいました。 砂は暑かったですが、裸足で我慢できないほどではありませんでした。 足が砂にもぐり込んでしまうので、展望台から下りる前にズボンのすそを少し折りたたみました。

白と青の世界に、緑が少しだけ混ざる@

さっき下りてきたところ ゆるやかな勾配に見えますが、そんなことはないです。ずるずる下りるとき、ちょっと怖かったです。

このあたりは平ら

砂丘に生えている植物に注目

このあたりまで来ると足跡が少ない@

砂丘のはしっこ、海岸際に向かってみる

たぶん、Phragmites australisかHolcus lanatus ニダの砂丘の植生について書かれた看板を参考にしました。 詳しくは、こちらのハイライト旅行記にまとめました。 「2010年バルト3国旅行ハイライトその9:植物編<夏の野花>」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10487694/

足が沈むぅ~! ずっと裸足で歩いていたら足の裏が熱くなってきたので、やっぱりサンダルを履くことにしました。

向こうからやってくる人たちの影と 人の影との対比で砂丘の広さが分かりますでしょうか。

海岸際は杭があって少し歩きやすくなっているらしい

くぼんだところをえっちらおっちら歩く@

さっきまで自転車で走り回っていたニダの方角を望む 風向計の写真を撮るのに興じたり、トーマス・マン博物館の建物や古い墓地散策をしたりしたのは、あの船着場よりも向こうです。

港をズーム あのあたりの松林は、自転車で進めないと思って歩いてきたところです。

足跡の少ない砂地を歩く レンズは広角側に戻しました。

まるで雪の上に足跡を残したよう!? 雪ほどきれいな輪郭はできませんけどネ。

砂丘の切れ目はほとんど崖 覗き込むのはおっかないです。

まるで白い波のよう 崖のそばは危ないし怖いので、方向転換してこちらを進みます。 このあたりはたくさんの人が歩いたようです。

この柵から出ないようにしましょ@ 海は柵より右手です。

砂丘のカラス

崖をするする滑る子供 この男の子と母親が、この崖をするする登ってきたのでびっくりしてしまいました。 母親が見守る中、男の子は楽しそうに滑り降りていきました。。。

おそらく雨が造った芸術・その1

おそらく雨が造った芸術・その2

砂の道を振り返る 砂丘の展望ポイントに来るまでに上った木の階段のそばで撮影。 「この奇妙な形の砂州は、伝説によればネリンガという巨大な女神が、バルト海の嵐のような風から漁師を守り安全なクルシュイ潟を与えようと、エプロンで砂を運んで造った防波堤ということになっている。でも、本当の成り立ちは、氷河に押し出された礫や岩塊などの堆積物が、氷河が融けた後に点々と島状に残り、その島と島の間をバルト海の海底の強い流れで運ばれてきたカリーニングラード近辺の砂が埋めて土手状になったのだ。形成には氷河が消えた1万年前から5000年かかったというから、ほぼ5000年前にはいまの形にはなっていたことになる。  その砂州にやがて草や木が生え、3000年前にはプールシ人やクールシ人が住むようになり、やがて彼らが神聖視する菩提樹や松も繁るようになる。(つづく)」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

砂だらけ@ 「(つづき)だが、この森林はクライペダに侵攻してきたドイツ人が樹木を切り倒したのを手始めに、増加した住民が漁業のために伐採し、17世紀初頭からのスウェーデンとの繰り返された戦いでほとんどがなくなってしまう。樹木がなくなった砂州ではバルト海を常に吹く西からの風で砂は移動する。16世紀には砂の東への移動は年に20メートルにもなり村々が砂に埋もれていく。平坦であったところに一夜にして砂丘が出現し、家の戸が砂に押されて動かなくなる。村ごと10数回引っ越したりして14の村が消滅した。200年もこういった状態が続く。1768年にグダニスクの機関が森に戻す研究を始め、1825年には防砂林を設けるなどの対策が講じられた。個人の努力での植樹もなされる。こうした施策で20世紀初頭には効果がでるようになり、現在では全面積の12パーセントだけが砂丘という状態にまで回復して心配は薄らぎつつあるという。このネリンガは1991年にはほぼ全体が国立公園となった。そして、2000年にはユネスコの世界遺産に登録された。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

ニダの町を自転車で回ったルート 地球の歩き方の地図を編集しました。 インフォメーションの目の前のレンタル屋で自転車をレンタルしてから、可愛い風向計とクルシュ潟の撮影を楽しみながら、建物だけでも見るためにトーマス・マン博物館へ。 その際に、ネリンガ歴史博物館のある近郊をうろうろしましたが、結局、海沿いからでなくては見つけられませんでした。 その後、古い墓地で、独特な形の十字架とプロテスタント教会の写真を撮り、バスターミナルまで戻ってきて、船着場のところで再び海沿いに出ました。 民族博物館はすぐそばを通ったのに建物の写真すら撮らずにスルーしましたが、砂丘散策はゆっくりとできました。 そしてレンタルした自転車を返却し、予定どおり17時発のスミルティネ行きのバスに乗ることが出来ました。 翌日は、8時45分のパランガ発のバルト航空で、お隣のラトヴィアの首都リガへ飛びました。 そのフライト・レポートはこちらのハイライト旅行記にまとめました。 「2010年バルト3国旅行ハイライトその2:移動と市内交通編<ラトヴィア>」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483387/ リガ編につづく。

トーマス・マン博物館への案内看板 海岸沿いを走っているときに、拡声器でなにやら説明している声が響いてきたので、もしやと思って自転車を停めたら、この看板を見つけました。 リトアニア語でしか書かれていないので全部は読めませんが、THOMO MANNOというのはトーマス・マンで、MEMORIALIMIS MUZIEJUSというのは記念博物館というのは分かりました。そこまで読めれば十分@ 「トーマス・マン博物館  ドイツの作家トーマス・マンが1930年から2年間の夏を過ごした別荘。内海を望む高台にあり、室内には彼の草稿や写真などが展示されている。彼はネリンガの風景から多大なインスピレーションを受けたとのことだ。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

トーマス・マン博物館の目の前のクルシュ潟

高台へ上る木製の階段あり トーマス・マン博物館らしき建物が松林の間からちらりと見えました。

階段を上りながらクルシュ潟を見下ろす 確かにすばらしい景色です。

階段を上った先にあったトーマス・マン博物館 茅葺の屋根で青い窓枠のある、ニダの独特な家そのもの@ 「ニダから1キロほど北に戻るとクシュイ潟側の丘の上に数軒の家がある。かつてエリート階級が別荘をもち、ソ連時代には共産党の幹部が夏をすごしたという避暑地である。その一隅に屋根と窓枠を青と白に塗った一軒の焦げ茶色の2階建てがある。この家が『魔の山』や『ヴェニスに死す』で有名なドイツのノーベル文学賞作家トーマス・マンがかつて別荘として使った屋敷でいまは彼の博物館である。窓からのクルシュイ潟の眺めがすばらしい。すべてがドイツ語ばかりの説明資料で詳細は分からないが、トーマス・マンは『ヨセフとその兄弟』をこの別荘で書いたという。トーマス・マンは北ドイツのリューベックで生まれた代々、穀物商を営むユダヤ系の豪商の息子だが、父親の死んだ16歳のときにリューベックを離れている。彼はアメリカなどにも住んだが、ここにも足跡を残していた。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

トーマス・マン博物館の建物の回りをぐるっと回ってみる こちら側は海に面していない、さっきと反対側です。 屋根のせいで建物の印象が変わるのが面白いです。

トーマス・マン博物館の門から見たところ こちらから見てもまた建物の印象が替わります。 ゆったりとした前庭がありました。

屋根が可愛い、かつてトーマス・マンの別荘だった博物館 自転車が停まっているのは、きっとここを見学しに来た個人観光客のものだと思います。 海側からあの木の階段を上らず、町の方から正面ゲートにアクセスできるルートは、私が見つけられなかっただけで、もちろんありましたから。

なにやら奥に教会でもありそうなゲート 気になったけれど、一度は無視しようとしました。 自転車をレンタルして1時間半になるので、そろそろ砂丘の方に向かいたかったからです。 でも、ドイツ人観光客10人ほどが入って行くのを見て、ひょっとしたら私が探している「古い墓地」があるかもしれないと思い、行ってみることにしました。

木々の向こうに教会が

見つけた! きっとこれが「古い墓地」@ ゲートの上に書かれている文字は、ドイツ語とリトアニア語です。 戦前はドイツ領でしたからね。 「古い墓地  14世紀から使われている古い墓地。ネリンガに住んだプロテスタントのリトアニア人特有の木彫りの墓標(Krikstai)が数多く見られる。(後略)」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

誰か有名人の墓かな 墓標の台座のところにS. MIKELIS 2006とあります。 墓地の中ですぐ目立つところにありました。 この墓標はそれほど珍しいとは思わなかったけれど、ドイツ人観光客のガイドが説明していたので、一応撮影。

奇妙の形をした墓標 これぞ、私が探していたクリクシュタイでしょう! 左の墓標は、上の方は、十字架を両脇からとりが突付いている図柄に見えます。 「民族学的な墓地とクリクシュタイ(ニダ)  ニダの福音ルター教会の近くに、19~20世紀の民族学的墓地があります。クリクシュタイと呼ばれる、クルシュ潟において典型的な、独特な形をした木の墓標が、いまでもこの民族学的墓地に残されています。リトアニアにおける最も古い形の墓碑であるクリクシュタイは、装飾が施された、がっしりした板でできていました。そのシルエットは、両脇に鳥が彫られた木の形を思わせます。(つづく)」 (ネリンガ(クルシュ砂州)ツーリストインフォメーション公式サイトより私訳) http://www.visitneringa.com/en/main/places?id=43483

面白い形の墓標がぞくぞく! 左のタイプの墓標はやや多く見られた気がします。 どちらも、これが墓標と言われなければ、違うものかと勘違いしそうなくらい、ユニークな形をしています@ 「(つづき)クリクシュタイの役割は、死者が誰か特定するためだけでなく、非常に幅広いです。クリクシュタイは神話上の世界の木の象徴であり、宇宙の全ての部分とつながっていると考えられています。宗教上では、これらは死者の霊であり、あるいは天国への祈りの道であり、天の王国です。男性用のクリクシュタイを造るには、雄の木とされるオーク、西洋トネリコ、樺が、女性用には雌の木とされるモミ、アスペンまたはライムが使われました。(つづく)」 (ネリンガ(クルシュ砂州)ツーリストインフォメーション公式サイトより私訳) http://www.visitneringa.com/en/main/places?id=43483

十字架タイプと面白い墓標2つ 「(つづき)男性のクリクシュタイには、馬の頭、植物や鳥の形に彫られ、女性のクリクシュタイには鳥の他に植物やハートのモチーフが使われました。小リトアニアの人々は、「最後の審判の日に墓から出るのを手助けするために」クリクシュタイを常に死者の足下に立てます。クリクシュタイ復活計画の立案者は、Eduardas Jonusasです。新しく作られたクリクシュタイは墓地の一番奥にあります。」 (ネリンガ(クルシュ砂州)ツーリストインフォメーション公式サイトより私訳) http://www.visitneringa.com/en/main/places?id=43483

墓標がある方が死者の足元 日本のお墓は遺灰を入れた骨壷を納めるので、キリスト教徒の墓地を散策していても、墓石が頭側とか足元とかあまり考えたことはありませんでした。

十字架に光背があるような墓標と花が植えられた墓地 2007年にルーマニアを旅行した当時は、こういう墓は棺桶がなくて、死者が直接土の中に埋められているのかと勘違いしていました。 実は棺桶の上に土がかぶされている、と気付いたのは、翌年のブルガリア旅行のときの現地ガイドの言葉がきっかけだったかしら。 ハリウッド映画やアメリカのドラマなどでも確かに棺桶の上にみんなして土を被せますが、そのままこんもりと土が盛り上がったままだったり、こんな風にそこに花が植えられた墓は見かけませんでしたから。 墓標の下の石は、墓参りに来たことを死者に知らせるためにおかれたものだと思います。 日本でもそんな習慣はありましたよね。なかったかな。 あちこちでそういうのを見かけたことがありますが、最初に見て1番印象に残ったのは1998年のイスラエル旅行中かな。 エルサレムの新市街のみどころを回るツアーでケネディ・メモリアルに行ったときです。 旅行記をひっくり返してみたら、ちゃんと写真コメントに書かれてありました@ 関連の写真 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10623793/ 関連の旅行記 「1998年秋のイスラエル旅行11日間(8日目:エルサレム新市街地ツアーの一日)」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10046602/

まだ真新しい墓標たち こちらは現代復活版でしょう。 ハートの形とか、馬のとか、なんとなく分かる気がします。

まるで道しるべのような十字架タイプの墓標 すんぐりと背が低くて可愛らしかったです。

とりわけ複雑に見えたクリクシュタイ 真ん中の墓碑がハート型なので、女性の墓ということが分かります。 もっとも、それ以前に墓碑のエマという名前で、死者は女性だろうと見当つきますけどネ。 「クリクシュタイ(Krikstai)  クリクシュタイとは、1枚の板による木製の墓標です。史料によると、16世紀初頭から登場しています。17世紀まで、この種の墓標は小リトアニアだけでなく、西サモギティア地方でも普及しました。後に、この伝統の地区は狭まり、20世紀初頭までには海岸付近のみ、すなわちネムナス洲、ティルゼ近郊、そしてクルシュ潟だけでしか使われなくなりました。  クリクシュタイの形と装飾は地方によって異なります。ただし、クルシュ潟では、伝統そのものは20世紀中頃まで変化しませんでした。カトリックの伝統と異なり、クリクシュタイは足元に立てられます。板は墓の底まで届かなければなりません。十字架のそういった構造は、彼らの宗教によると、時満ちたときに死者が立ち上がる際の手助けになると信じられていました。(つづく)」 (クルシュ砂州(国立公園)の公式サイト(2010年7月の旅行プラン時にはアクセスできた英語ページ)より私訳) http://www.nerija.lt/eng

3つのタイプの墓標 真ん中の碑はなんでしょう。 紋章が2つ刻まれていて、なかなかステキです。 両脇の墓は男女のもので、夫婦だったかもしれませんが、じっくり確認している余裕はありませんでした。 「(つづき)男性用と女性用とでは違う種類の木が使われました。男性用には、雄の木(オーク、西洋トネリコ、樺など)が、そして雌の木(シナノキユ、ポプラ、トウヒ)が女性用に使われました。塗料の色と装飾も、性別によって異なりました。17世紀、男性の墓標には馬の頭、女性の墓標には鳥が彫られました。17世紀末までには、男性用の装飾は女性用のものと混ざり(植物と鳥)、女性のクリクシュタイにはハートや花のモチーフが見られるようになりました。」 (クルシュ砂州(国立公園)の公式サイト(2010年7月の旅行プラン時にはアクセスできた英語ページ)より私訳) http://www.nerija.lt/eng

次に、せっかくなのでルター教会も見学しましょう! ドイツ人観光客たちはこの中に入って行きました。 この際、これも、見逃すのがもったいなくなりました。 時間は気になるけど、大丈夫、まだ砂丘へ行く余裕はあります。 自転車を3時間レンタルして残り1時間を砂丘に向かうのに残すことにしましょう。 どうしてもそれで足りなくなったら、いざとなったらニダを去るのを一時間遅らせても構いません。 「ニダの福音ルター教会  ニダの教会は1888年10月10日に献堂されました。教会の古い建物は朽ち果ててしまったため、当時のルター派司祭Gustav Echternachがこの教会の建立に取り組みました。ニダの福音ルター教会の美しいゴシック様式の赤レンガの建物は、戦後の荒廃期を乗り越えて生き残りました。1966年から1988年において、ニダの教会の建物はクルシュ潟歴史博物館として機能していました。オルガンは1984年に組み立てられました。1988年末以来、教会で再び礼拝が行われるようになりました。木製の天井、ステンドグラスの窓、そしてE. Molenhauerの絵「沈むのを恐れた使徒ペテロに手をさしのべるキリスト」は、教会の内装に親密さを与えています。カリーニングラードのゲバウワー社によるすばらしいオルガンと皇后ヴィクトリアの贈り物のオルガン、そして3つのシャンデリア(現在、教会にあるのは、戦後も残ったオリジナルに従って造られた複製です。)も教会の自慢です。」 (ネリンガ(クルシュ砂州)ツーリストインフォメーション公式サイトより私訳) http://www.visitneringa.com/en/main/know/architecture/churches/nidasevangelic

教会のすぐ前の道で見つけたキリスト磔像

ユダヤ教のシナゴーグのような教会!? シナゴーグにはこのように両脇に女性信者席があるのがふつうだから。 イスラエル旅行した1998年はキリスト教会ばかり回っていてシナゴーグに入った覚えがないのですが、逆に東欧旅行では時々見学する機会がありました。 こちらのブカレストにある豪華のシナゴーグの構造などを連想したわけです。 関連の写真 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13944086/ 関連の旅行記 「2007年ルーマニア旅行第19日目(1):通算6日目のブカレストの教会とシナゴーグめぐり」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10245093/

教会の中にもあの風向計が@

ピアノの向こうの壁に、古い墓地のクリクシュタイの頭の部分が!

主祭壇

美しい幾何学模様のステンドグラス

クリクシュタイと絵

ニダのかつての漁師の家? 左手前に描かれているものは井戸かしら。柵かしら。

美しいステンドグラスとシャンデリア 今回のバルト3国旅行の教会めぐりでは、こうやってシャンデリアのシルエットとステンドグラスを組み合わせて撮るのがツボにはまってしまいました@

入口側にあるパイプオルガンと2階の手すり

主祭壇を背に、主廊の様子と木の天井 団体客の大半がいなくなったので撮りやすくなりました。

主祭壇とシャンデリア 団体客がいなくなったので、もう一度主祭壇を中心に撮りました。 教会の豪華さをざっくり比べると、たいてい正教会が1番豪華で、カトリック教会が真ん中、プロテスタントが1番シンプル……と思っています。 ここはプロテスタント教会で確かにシンプルでしたが美しい教会でした。 スルーせずに、ざっとでも見学しておいて良かったです。

町の中心に戻ってきて 琥珀博物館を見つけました。 その前に面白い像がありました。

オレンジの瓦屋根とカラフルで可愛い風向計

オレンジの瓦屋根と琥珀博物館の看板とカラフルで可愛い風向計

青空に映える風向計

これもなかなか可愛いと思った看板

風光計にちょうど小鳥がとまったところ・その1 この写真だとちょっとわかりにくいですが、1番高いところに停まっています。

風光計にちょうど小鳥がとまったところ・その2

砂丘に向かう途中に見えてきたボートと船着場

風向計がぎっしり@ 実はこのすぐ左に、郷土博物館があったんでした。 藁葺きのとんがり屋根で、ちらっと見て、休憩所か何かと勘違いして、スルーしてしまいました。 いくら先を急いでいたからといって、写真の一枚くらい、撮る時間゛かなかったわけでもなかったのに(泣)。

彼方に砂丘は……まだ見えない? いや、ちょっぴり白いこんもりが……!? 「2010年バルト3国旅行第6日目(4)ニダ:トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ世界遺産の白い砂丘」へとつづく。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10532028

植物公園の林の中の白い道 ここもサイクリングしやすくて、るんっ! 「(中略)街が復活するのは、19世紀初めにティシュケヴィチウス伯がここに土地を所有して別荘を建て、埠頭や海水浴場を作ってからだ。彼はフランス人の建築家を雇って海辺に1897年から1907年にかけてパリやベルリンから樹木をもちこんで植物園を造った。この植物園には6百種を超える植物が集められて、現在ではリトアニアで最もきれいな公園といわれるほどになっている。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

松が林立する公園 「(前略)今日、公園の面積は約100ヘクタールあります。林は60ヘクタール以上、花は0.5ヘクタールにわたって植えられ、池や小川は1.16ヘクタールあります。また、彫刻が7つ、その他の建築物が数多くあります。公園には、噴水と装飾照明システムがあります。  公園はパランガ市の費用でまかなわれています。」 (パランガ公式サイトの見どころより私訳) http://www.palangatic.lt/en.php/page.51

ビィルテの像 原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」に写真が掲載されていたのと違うバージョンです。 現代彫刻っぽくて、とても気に入りました。

さきほどのビィルテの像のそばにあったビィルテの丘のふもとにあるオブジェの説明と地図 リトアニア語と英語が併記されています。 「(前略)ビルーテの丘(Birutes Kalnas)は、琥珀博物館の裏側にある小さな丘。今は何の変哲もない丘になっているが、実は“リトアニアのストーンヘンジ”とも呼ばれるところだ。  その昔ここには異教の女神プラウリメの神殿が建ち、天体や太陽の運行の観測が行なわれていたらしい。この神殿の巫女であったビルーテは、ケストゥティス公と結婚し、その子ヴィタウタス大公はリトアニアの黄金時代を築くことになったという有名な伝説も伝わっている。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

ルルドの奇跡の岩場 子供が岩場に上り、カメラを構える私に向かって手を振ってきたので、そのまま撮りました@

ルルドに出現したマリアとマリアを目撃した少女の像

裏手から見た琥珀博物館の宮殿とバラ園 どうやら私は、いったん奥のビルーテの丘の方まで行ってから、ぐるっと戻ってきた来たしまったようです。 「この景観公園は、リトアニアの海岸地方で最も可愛らしく、最もよく保存され、最も手入れが行き届いた公園の一つです。1897年に、フェリクサス・ティシュケヴィチウス(Feliksas Tiskevicius)伯は、同年に建築された宮殿の周囲にこの公園を造園しました。公園は、有名なフランス人景観設計者兼植物学者エドゥアール・フランソワ・アンドレ(Eduard Fransua Andre/1840 – 1911)によって設計されました。彼は息子のルネ・エドゥアール・アンドレ(Rene Eduard Andre/1867 – 1942)と共にパランガで夏を3回過ごしました。その息子が公園建設を監督しました。ベルギー人の園芸家ビュッセン・ド・クーロン(Buyssen de Coulon)が彼らに手を貸しました。  景観は宮殿の左右対称の形態によって対比が強調されています。宮殿の北側にはすばらしいテラスがあり、階段を下りて公園に出られます。花や噴水がその効果を高めています。  宮殿の南側は、卵形のバラ園に囲まれています。バラ園は宮殿のテラスから階段でつながっています。  専門家は、公園創設者が植えた木々は約500種類だろうと推測しています。木はベルリン、カラリアナチウス(Karaliaucius)、その他のヨーロッパの植物公園から移植されました。(後略)」 (パランガ公式サイトの見どころより私訳) http://www.palangatic.lt/en.php/page.51

琥珀博物館の入口 「ビィルテの銅像の近くにティシュケヴィチウス伯の館だった1897年に建てられた二階建ての「琥珀博物館」がある。ここには4800点の琥珀が展示され、倉庫には2万8000点が保管されている。1000万年前の昆虫や木の種が入った琥珀、3キロ大の塊、シベリアやチベットなどで見つかった琥珀などがある琥珀が見つかった場所がリトアニアの地図に記されていて、かつて通貨として使われたとの説明があった。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

入ってすぐのロビー 入場料は8.00リトアニア・リタスでした。 撮影可。特に写真代をとられることもありませんでした。 「なお、ティシュケヴィチウス家はリトアニア文化の発展に大きく貢献した一家で、琥珀ばかりでなく美術品の収集家でもあった。リトアニアで最初の病院をつくったのもこの一家である。この一族はソ連の占領でポーランドに移住した。この宮殿と公園が国有化されたのはそれからである。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

階段を上がり、まずは絵画展から ここは撮影不可でした。 リトアニア各地の風景画があったことを覚えています。

貴重な虫入り琥珀の展示室

虫入り琥珀コレクションより、蜘蛛入りの琥珀 「この地域は氷河期以前の3500万年前には今よりも温かく、松など多くの樹木に覆われていた。樹木からは樹液がしみだしそれが地上で凝固する。その過程で虫や動物の毛が入る。そうした樹脂は地中に埋没して一種の化石となる。この化石化した樹脂を有する地層は氷河期末期に海底に押し出される。バルト海を吹く激しい風で生じた海流が海底に沈みこんで絶え間なく地層を削る。こうして流出してきたのがバルト海の琥珀である。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

蜘蛛入りの琥珀 このコレクションは閉じ込められた蜘蛛のシルエットがちょっと分かりにくいかな。 「ここには琥珀に関する伝説がある。海の女神ユラテ(Jurate)が猟師のカスティティス(Kastytis)に恋をして海中の自分の館に連れ帰った。人間を愛してはいけないとの決まりを破ったユラテに怒った最高神ディエヴァス(Dievas)は彼女を幽閉し、カスティティスを殺し、彼女の館を破壊した。大きな琥珀はその館の破片であり、小 さな琥珀は恋人を思って泣くユラテの涙だというのだ。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

蜘蛛入りの琥珀 蜘蛛のシルエットがきれいに出ている琥珀もあります。

とんぼ入りの琥珀の展示 このように展示されていました。

とんぼ入りの琥珀

バッタ入りの琥珀・その1

バッタ入りの琥珀・その2 他にもハエとかムカデとかハチとかアリとかチョウとか、様々な虫入り琥珀のコレクションがたくさんありましたが、写真を撮っていたらきりがないのと、虫のシルエットがリアルであまりじっくり見たくない虫のもあったので、虫入り琥珀の写真はここまで。

琥珀が使われた古代の装身具 オレンジの琥珀はビーズとして使われたのだと思います。

琥珀ビーズ入りの古代のネックレスなど 中央の上にあるのは、マントを肩よりちょっと下あたりで留めるピンです。 古代バルト民族特有の装身具かもしれません。あるいは北方バイキングの影響あり? 少なくとも、これまで旅行してきた東欧で、こういうのを見たのはバルト3国が初めてです。

琥珀がちりばめられた箱と琥珀ネックレス

宮殿らしいホール

琥珀ジュエリー・コレクション クラシカルなデザインもステキです。

大粒の琥珀を使ったペンダント 琥珀自体、とても軽いので、こんなに大粒のペンダントをかけていても、重く感じないだろうと思います。

このデザイン気に入った@

現代ジュエリー作家Alfredas Jonusasの作品 ペンダントです。 鳥の卵の部分に琥珀が仕込まれています。

アンティークっぽいようで現代的なセンスが感じられるデザイン これもAlfredas Jonusasの作品です。

黄色い大粒の琥珀を使ったジュエリー これもAlfredas Jonusasの作品です。

真ん中に透明な琥珀をあしらったブローチ これもAlfredas Jonusasの作品です。

素材は白い琥珀? これもAlfredas Jonusasの作品です。

いびつな形の琥珀がかえって味が出てる@

この2つもアンティークっぽいけど、現代ジュエリーかも

手にとってみたい……!

とろりとした質感にうっとり

やっぱりこういうアンティークっぽいけど現代センスが感じられるデザインに惹かれる@ 後半は垂涎の的のジュエリーがたくさんで、見ているだけで幸せな時間が過ごせました。 琥珀博物館の見学時間は、18時30分から19時25分でした。

琥珀博物館の宮殿の前庭

琥珀博物館の宮殿の裏手のバラ園

琥珀博物館の宮殿とキリスト像 「宮殿は1897年にドイツ人建築家フランツ・シュヴェヒテン(Franz Schwechten)の計画に従って建てられました。ネオ・ルネサンス様式の宮殿は、公園全体と切り離せないものです。1957年、宮殿はA. ブルソカス(Brusokas)によって復元されました。ティシュケヴィチウス伯一家は1941年までこの宮殿に住んでいました。」 (パランガ公式サイトの見どころより私訳) http://www.palangatic.lt/en.php/page.51

気持ちいい森林 午後の8時とは思えない明るさです。 夏のバルト3国の日照時間の長さにバンザイ!

公園の地図 自転車で回ったのは宮殿のある付近までなので、回れたのは半分くらいです。

原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」に写真が載っていたビィルテの像をやっと見つけた! 私が入ったのと違う入口の近くにありました。 「(前略)林の中にある丘の上に足元の蛇から逃げようとする中腰の女性の銅像がある。その銅像が有名なリトアニア大公ヴィータウタスの母親ビィルテである。この丘はパランガで最も高い「ビィルテの丘(Birtes Kalnas)」で、異教時代にはここに火の女神プラウリメの神殿があった。陸の中腹の祠があるところの石が積まれたところが、その神殿跡なのだそうだ。絶世の美女の噂がトゥラカイにも知られていたビィルテはその神殿の巫女の一人だった。噂を聞きつけたジェマイティヤを管轄する任にあるケーストゥティスはこの地にやってきて彼女に求婚するが断られた。そのため略奪してトゥラカイに連れて帰り、生まれたのがヴィータウタスである。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

公園の池に架かる橋 自転車レンタルは21時までなので、20時20分には返却しに行きました。 夕食は、Lonely Planetのアドバイスに従ってホテルでとりました。 そのへんのジャンクフードやアメリカン・イタリアンなどで食べるよりは、滞在ホテルのレストランの方が落ち着いてリトアニア料理を味わえるとあったので。 夕食の写真とレポートはこちらのハイライト旅行記にまとめました。 この旅行記の表紙に採用した写真が、ちょうどこの日の夕食の写真です。 「2010年バルト3国旅行ハイライトその6:食事とレストラン編<リトアニア>」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10485243/

本日自転車で回った経路 ホテル最寄の自転車レンタル屋で自転車をレンタルしたあと、まずは町の中心の教会へ目抜き通りのヴィタウト通りを走って向かいつつ、時々自転車を下りたり乗ったままで町中の撮影をしました。 そのあと、このときに移転だったインフォメーションの位置を確認するためバスターミナルへ行き、そこからちょっと静かなエリアへ寄り道した後、インフォメーションとATMに寄りました。 そのあと、歩行者天国の目抜き通りのバサナヴィチャウス通りを走って桟橋まで出て、最後に公園に向かい、琥珀博物館を見学しました。 翌日のクライペダ&ニダ編へとつづく。

スミルティネのフェリー・ターミナルの目の前の広場にバス・ターミナルあり スミルティネからニダまでの運賃は9.00リトアニア・リタスでした。 (旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円) 私が乗り込んだときには出発まで40分ほどもあったせいか、もっと人が少なくて閑散としてたのですが、出発時間が近付くにつれて、だんだんと乗客が増えました。

車窓からクルシュ潟の景色 松林と葦が生えるクルシュ潟に、なにやり木彫りの鳥が……! ちなみに、1時間のバスの道のりのほとんどは松林の中でした。 海が見えたのは時々でした。 車窓からクルシュ潟の景色が見られるかと楽しみにしていたので、その点はちょっと残念でした。

車窓から見たユォドクランテのバスターミナル 「ユォドゥクランテ「魔女の丘」 (スミルティネから)20キロほど走ると最初の村にでる。小さな漁港と小さな店がある休暇村で、ここがドイツ時代にはシュバルツオルトと呼ばれた漁村で現在のユォドゥクランテ(Juodkrante)である。教会やスポーツ施設が2キロの浜に点在するこの村のすぐ南に大きな樹の繁る「魔女の丘」がある。そこには雷神、伝説上の人物、魔女、悪魔、教会、頭でっかちの不思議な人形など丸太の一刀彫りが30~40体、小道に沿っておかれている。みな伝説や民話を題材にした彫刻である。ユーモラスな雷神やエプロンで砂を運ぶ女神ネリンガの側では、遠足の子供たちが行列をつくって一人ずつ順番に、願いをかなえる魔女の耳元に小声で囁いている。この丘は例外的に伐採をまぬがれたところだから樹木は大きい。19世紀に調査で訪れたドイツ人科学者がここで琥珀を見つけたそうだ。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

ユォドクランテの彫刻の森への案内看板かな?

帆船が停泊するユォドクランテの桟橋 あれは現役の船ではなかったかもしれません。

車窓から見たクルシュ潟沿いの松林 日本の森林と違って、下生えの草が大人しくて、ずっと明るいかんじがします。

4時間かけて、ついにニダに到着! バスターミナル前のこの三角屋根のインフォローションは、ちょうど昼休みでやっていませんでした。 トイレ、借りようと思ったのに。 「そして、到着したのがユォドゥクランテから24キロ南のやはり東岸にあるネリンガ最大の町ニダ(Nida)である。人口が2,600人のこの漁村も砂の影響で18世紀に3回も引っ越している。夏の一時期、観光客で賑わい、クラシックのコンサートやポップの音楽祭が開催されるこのリゾート地も初夏は静かである。茅葺き屋根の小さな漁師博物館には、かつてここに住んだ漁民の貧しい生活の写真や漁師が使ったクレーナイ(Kurenai)という小型帆船が展示されている。船には馬の頭の形をした風見鶏がついているが、それが家族によって異なるので種類が多い。貧しい漁民がカラスを食べている写真などもある。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

スーパーのとなりにもインフォメーションあり ニダの地図をもらいました。 インフォメーションのスタッフがお薦めの観光スポットを教えてもらおうと思ったのですが、「なんでそんなことを聞くの?」みたいな顔をされて、あまり乗り気がない様子で説明されました。 「自転車レンタルをしたいのだけど、どこにあるの?」と聞いたら、そのへんにいくらでも、と、ややなげやりに言われた気がしました(確かに自転車レンタルは、ちょっと歩いたら、はいて捨てるほどたくさんありました@)。 でも、トイレは快く貸してくれました。 ニダでレンタルした自転車については、このバルト3国旅行を通じて自転車レンタルでまとめたハイライト旅行記にまとめました。 「2010年バルト3国旅行ハイライトその12:自転車レンタル編」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488157/ この旅行記の表紙に採用したのが、ニダのクルシュ潟を背景にした、ニダで借りた自転車の写真です。 ニダには、バスの中でだいたい予測したとおり、13時25分に到着しました。 渋滞などない道を走っているから、ガイドブックどおりだったといえます。 インフォメーションに寄ったりトイレに寄ったりしたので、自転車レンタル開始は13時40分でした。 パランガのホテルから片道4時間かかったことを考えると、17時のバスでスミルティネに戻るのが理想。 となると、自転車レンタルができる時間は3時間です。 さて、3時間で、見たいところは見て回れるでしょうか。 ここでも首尾よく自転車を借りられたので、博物館をあきらめれば、町中の見たいものは見られるんじゃなていかと、楽観!

自転車でクルシュ潟沿いをめざしたら、念願の風光計がすぐに見つかった……! 「風向計(おんどりの形をしていないもの)  風向計はクレーナイ(船)、底引き網や密閉網のボートのマストのてっぺんに取り付けられました。1844年、漁場監督官は、漁師が他人の漁場に入り込むのを防ぐ目的で、他の識別の印とあわせて風向計を採り入れました。  当初、風向計は錫製で、しきたりで決められたとおりに白黒の装飾が描かれ、赤か白の小さな旗が後ろについていました。後に、漁師たちは風向計の前と上の部分を彫刻で飾るようになりました。それはたいてい国や宗教を象徴する典型的な図案や自然がモチーフでした。風向計から、その持ち主の家族や財力を知ることが可能でした。風向計の大きさは決まっていました。長さ114-116 cm(旗と合わせて218-220 cm)、高さ40-45 cmでした。第一次世界大戦後は、サイズが小さくなりました。19世紀末、クルシュ潟の人々はカラフルな風向計を造り出し、それを観光客におみやげとして売るようになりました。科学者はこの風向計に似ているものが他にないか探してきましたが、バルト海でも北海でも大西洋でも見つけることができませんでした。北クルシュ潟の象徴的な風向計は、ネリンガ市の紋章になりました。」 (クルシュ砂州(国立公園)の公式サイト(2010年7月の旅行プラン時にはアクセスできた英語ページ)より私訳) http://www.nerija.lt/eng

町の建物などがモチーフとなったカラフルな風向計 風が少し吹いていたので、カメラを向けている最中にくるっと方角を変えてしまうことがあって、複数の風向計をどれもちょうどよい向きで撮影するのはなかなか大変でした。

竜や家屋や帆船や教会がある風向計

カラフルな風光計3つ

風向計が並ぶクルシュ潟沿いの道 このような、とてもよく整備された気持ちのよい道がニダの町中にめぐらされていて、とても走りやすかったです。 ただしクルシュ潟より少し奥に行くと、やや起伏の激しい坂道が多かったです。

モチーフは、馬に乗った人と……なにかな? よく分からないけれど、とてもステキです@

碇のマークがあるので、港町でしょうか

風向景がいつくも立つ地点と、その下に店を構えていたレンタル屋

どれも町をかたどっているように見える@

ニダの明るい家屋の屋根と風向計

もとはニダ独特の伝統的な漁師の家だったと思われる建物

風向計のあるクルシュ潟沿いの道を行く 自転車にまたがりながらパチリ。

ボートがあって車輪がつり下げられているこれは何かしら 自転車なら、どこまでも続きそうなこの道をどんどん走れそうです。

いい具合に並んだ風向計がいくつも撮れた@

手前の風向計に、逆立ちしている白い服の黒人? サーカスの曲芸?

逆立ちしている黒人の子供がモチーフかと思ったけれど よく見たらこれは白い鳥ですね! コウノトリ? いや、カモメかな。

騎馬モチーフのある風向計は目を引きます@ 真ん中の赤いとんがり屋根の塔があるやつは、門のようです。

白黒と赤だけなので、どこかシックだけとやっぱりステキ@

いろんな風向計があって目移りしちゃう!

こちらもきっと、ニダ独特の漁師の伝統的な家だったもの 屋根の破風板のギザギザが可愛いです。

赤い瓦屋根の家

門のような遺跡のような不思議なものがある家 切れ込みが左右で違っています。

海岸沿いに生える葦と桟橋

海に延びる桟橋

水際に生える葦

桟橋から眺めた海岸沿いの赤い屋根の家々

船着場の燈台とヨット

海岸沿いを再び走り、いいなと思った家 赤い屋根に雨戸が青@

時間がなくてあきらめた博物館の一つ、ネリンガ歴史博物館 実は、トーマス・マン博物館を探しているときに見つけました。 行く前には、琥珀採集の様子に興味がありましたが、いまでは独特な風向計の分類というのを見たかったと切に思っています。 「ネリンガの人々の生活の歴史を集めた博物館。独特の風見の分類や、かつてニダでも行われていた琥珀採集の様子が興味ぶかい。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

海岸沿いの高台にある家と風向計 トーマス・マン博物館は、中を見学する時間はなかったので行くつもりはなかったのですが、自転車なら行動範囲が広がるので、建物だけでも見に行くことにしました。 ても、町中からでは見つからなかったので、もう一度海岸沿いに戻りかけました。 この段階では半分あきらめていました。 3時間の自転車レンタルのうち、1番のハイライトの砂丘と、海岸沿いの風向計やトーマス・マン博物館を探すのにかける時間を半分ずつにしようと思っていました。 もうすでに1時間経過。でもまだ大丈夫です。 でも、ここまで来たのでもう少しだけ探してみることにしました。 「2010年バルト3国旅行第6日目(3)ニダ:トーマス・マン博物館や独特な木の墓標のある古い墓地など」へとつづく。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10532027

なかなかお洒落なLietuvininky広場 パランガからのバスを下りた場所です。 Lonely Planetをにらめっこしていたときは、パランガからのクライペダに着いたら、まずバスターミナルで下りて、そこから少しでもフェリー乗り場に近い旧市街まで市内バスを乗り換えなければならないと思っていました。 でも、昨日のパランガのインフォメーションのスタッフは、この広場まで行ってしまえば、そこから20分ほど歩くだけだ、と教えてくれました。 パランガからクライペダへのミニバスは5.20リトアニア・リタスでした。 (旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円) パランガからクライペダ行きのバス停やバスの写真はこちらの旅行記にあります。 「2010年バルト3国旅行ハイライトその1:移動と市内交通編<リトアニア>」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483384/

Lietuvininky広場のMartynas Mazvydasの像とバラ花壇 ただ、いざこの広場に着いたら、どうやってパランガに戻るか、帰りが心配になりました。 てっきり往路と同じように帰ればいいかと思ったのですが、広場をぐるぐる回ってみても、バス停はあったことはあったのですが、あくまでクライペダ市内バスのものでした。 この広場からパランガ行きに戻るバスに乗れそうにありません。 なので、フェリー乗り場に行く途上にあるクライペダのインフォメーションで確認しておくことにしました。

ここからインフォメーションまで1.4キロ 10時30分にLietuvininky広場に到着し、バス停を探したり写真を撮ったりしていたので、歩き始めたのは10時35分です。 これは、マント通り(Manto gatve)にあった道しるべです。 運河にぶつかるまで、マント通りを真っ直ぐ行きます。 運河まで、私の足で25分ほどかかりました。

マント通りを歩いている途中で見つけた市内地図 このあたりは旧市街ということでしょうか。 クライペダはニダへ行く経由地としてしか考えていなかったので、下調べはあまりしてきませんでした。 「旧市街は城址からピリエス(Pilies)通りをまたいだ内陸にある。すぐ目につくのが広場にあるドラマ劇場である。1939年に軍艦で船酔いしながらやってきたヒトラーは、この1819年に建てられた劇場のバルコニーで、念願だったクライペダ奪回を宣言したという。広場の真ん中にある少女の銅像はクライペダ生まれのドイツの詩人サイモン・ダッハの民謡の主人公「タウラのアンネ」である。最初の像は1912年に建てられたがその後、何度も消失している。現在あるのは1989年に復元されたものである。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

インフォメーションまであと600メートル 半分ちょい進みました。 曇ってきてしまいました。 ニダ観光はほとんど野外なので、曇っちゃイヤです。 クライペダは本当に大きな町だと思いました。 もっとも、圧倒されるような建物が続く街並みの写真は、歩道を歩きながらでは撮れませんでした。 でも、マント通りに交差するこの通りの建物は、写真のようにそう威圧的な建物が並んでいたわけではありませんでした。 マント通りがとりわけ賑やかな通りだったのかもしれません。

船の形のオブジェ 運河の少し手前にありました。

運河のそばの広場の巨大なモニュメント

運河を渡る 欄干に鍵がかけられています。 この習慣はヴィリニュスでも見かけました。 関連の写真 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20917682/ 関連の旅行記 「2010年バルト3国旅行第3日目(3)ヴィリニュス:聖アンナ教会見学&いまひとつ良さの分からなかったウジュピス地区散策」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10526587/

運河のそばのお店の可愛い看板@

運河を渡った先にあった小さな公園の騎士の像 ヴィリニュスの大聖堂前広場にあったゲディミナスの像を思い出しました。 下から見上げると、兜がどこかバイキングチック!? 大聖堂前広場のゲディミナス像を正面から撮った写真はこれのみ。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/19967115/ 関連の旅行記 「2010年バルト3国旅行ハイライトその13:フェスティバルとセレモニー編<ヴィリニュスのヴィータウタス大公戴冠記念日>」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488159/

運河に架かる橋 「地球の歩き方」の地図には「愛の橋」とありました。 ウクライナのオデッサにあったように、例の欄干の鍵が、恋人たちが記念につけたものだったのかもしれません。 関連の写真 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18219821/ http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18219822/ http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18219824/ http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18219825/ http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18219826/ 関連の旅行記 「2009年ウクライナ旅行第9日目(3)オデッサ:プリモールスキー並木通りから愛の橋を渡って国立オデッサ美術館へ」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10411551/

インフォメーションのあるトゥルガス(Turgas)通り パステルカラーで昔の貴族の屋敷っぽい建物が並んでいました。 まさしく旧市街の趣があります。

インフォメーションで情報をゲットした後、フェリー・ターミナルに向かって再び歩き出す ドイツチックな木組みの家がある広場が見えてきました。 これがクライペダの旧市街の中心の劇場広場のはずです。 「17世紀中葉にできた小さな旧市街は広場に面してある。長方形の旧市街には細い道路が碁盤目に並んでいる。これは海風や飛砂を防ぐ目的で建物が配置されたからだ。道路には鍛冶屋通り、靴屋通り、ガラス屋通り、パン屋通りなどの名前がついている。旧市街は17世紀当時がそのまま残ったものではない。17世紀のスウェーデンや18世紀のロシアによる占領があったし、17世紀、18世紀、19世紀には大火にも見舞われた。そして、最後の破壊の仕上げをしたのが20世紀のソ連とドイツの戦いである。こうして旧い建物はことごとくクライペダからなくなった。現在の姿は1971年からの修復の成果である。  そのせいなのか、この旧市街には中世都市の特徴である教会がない。教会は1258年から1290年にかけていくつか建てられたが、その後の火災と戦争でなくなってしまった。かつてあった1696年に建てられた75メートルの塔のある聖ヨノ(ヨハネ)教会だけが旧市街の東のはずれに移設されている。」 (「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

劇場広場の木組みの家のあたりをズーム

劇場広場のドラマ劇場 「劇場広場  いつも観光客でにぎわう、クライペダの旧市街の中心地。  この広場を支配している建物は、1819年に建てられたドラマ劇場だ。1939年にはヒットラーが広場を望む劇場のバルコニーに立ち、ドイツ帝国のメーメル復活のアジテーションを発したこともあった。  劇場前には小さな泉があり、乙女の像が建っている。クライペダのシンボルにもなっているこの像は、この地で生まれたドイツの詩人、サイモン・ダッハ(Simon Dach)に捧げられたもの。彼が書いた有名な民謡「タラウのアンネちゃん(Annchen von Tharau)」の文字が台座に刻まれている。」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

タラウのアンネちゃん像とドラマ劇場 行きにこのアンネちゃんの像の写真を撮り損ねてしまいました。 この写真と次の写真はニダから戻ってきた帰りに撮ったものです。

ドラマ劇場を背景に、タラウのアンネちゃん像 アンネちゃんは手に何かを持っています。 ハスの実のようにも見えますが……笛でしょうか。

旧フェリー・ターミナルにやっと到着 クライペダに着いたのは10時30分、歩き始めたのは10時35分ですが、インフォメーションに寄ったりしたので、現在の時刻は11時20分すぎ。 パランガのインフォメーションの人には、Lietuvininky広場でミニバスを下りて徒歩で20分ほど、と言われましたが、その倍以上かかっていました、ガーン! クライペダにはスミルティネに行くフェリー・ターミナルが新旧2つありますが、新しい方は車両ごとフェリーに乗る人たちのためのものです。 新フェリー・ターミナルは、ハイシーズンはとても渋滞するみたいなので、ご用心。 徒歩の私は旧フェリー・ターミナルを利用します。

向こう岸に渡れず、人々が待っています カメラを構えている人もいたので、なにがあるのかなぁと私も準備して待ちました。

橋がやってきます! なるほど、これを撮影しようとしていたのですね。

手動で動かされる橋 レトロです@

2人がかりでくるくると

接続完了!

川向こうと、木組みの家チックなホテル

面白い彫刻を見つけた! なにやらターミナルにかかわる小説か伝説の登場人物という風情!? これは常駐している彫刻ではなかったのか、あとでもう一度撮りなおそうと思ったら、移動させるところでした。

フェリーに向かう人々のあとについて行く たくさんの船が停泊していますが、これだけフェリーに乗る人がいれば迷わずにすみます。 それにしても、30分に1本のフェリーの出航時間が迫っているので、乗り場はまだまだ先だと思うと、ちょっと焦ります。 それにみんな足が速くて、どんどん抜かされます。ひぇーっ。

目的のフェリーはあれかしら とはいえ、あのダニュー川に架かる橋は、出航10分前くらいにならないと接続されないので、みんな一種です。 ただし、ちょっと遠回りすれば、あの手動の橋を通らなくてもフェリー乗り場に行けることは、帰りに気付きました。

ターミナルに停泊している小型船の一つ これではないようです。

大型船も何隻も停泊中

フェリーの切符売り場にやっと到着 売り場は3つありました。 列が少ない奥の売り場で買いました。 切符代は2.90リトアニア・リタスでした。 クライペダのインフォメーションで値段を教わっていたので、列で順番を待っている間に小銭を用意できました。

切符もぎりの列に並ぶ

スミルティネとクライペダを往復する11時30分発のフェリー むむむっ、このフェリー乗り場からそのままニダに行けたのかしら。 でも、クライペダのインフォメーションの人も昨日のパランガのインフォメーションの人も、スミルティネに着いたらバスだ、と言っていました。 もしかしたらここからニダ行きは運行していないのかもしれないですし、あるいはこの時間帯にはないのかもしれません。

ターミナルに停泊している大型船をフェリーの中から撮撮影

フェリーの2階の甲板から、クライペダのフェリー・ターミナルを眺める 乗っているのはたった5分と分かっていても、一部の観光客が我先にと2階に上がるのにくっついて、私も2階の甲板に上がりました。

もうスミルティネが見えてきた! クライペダが離れたなぁと思ったら、すぐです。 あっという間です。 「クルシュ砂州スミィルティネ  長さ約100kmのクルシュ砂州(ネリンガ)の先端部分。ニダに行く場合も、まずこのスミルティネまで船で渡らなければならない。  船着場から海洋博物館までは、港を望む約1.5kmの遊歩道が続いている。道沿いには自然史や動植物などの展示を集めたネリンガ自然博物館(KNNP Gamtos Muziejus)、引退した船舶や19世紀の漁村の展示などがある。(後略)」 (「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

上の甲板から見下ろした下の甲板の様子と、スミルティネ側

フェリーの舳先とスミルティネ

どんどん近付くスミルティネのフェリー・ターミナル あのVの字のゴムは、万が一にも船が港に激突しないためでしょうか。

スミルティネのフェリー・ターミナルと、すぐに下りようと待ち構える人々

足場が下り始める

足場が下りた直後 スミルティネ到着、11時35分。

顔の黒いカモメと、スミルティネ側から見たクルシュ潟(内海)

クライペダから乗ってきたフェリー

スミルティネの町中を走る観光バス これで水族館に行くことができるはずです。 フェリーに乗っていた人たちはみんなニダに行くから私と行き先が同じでしょう、と思っていたら、観光客はどんどんこのバスに乗ってしまいました。 あるいは徒歩で向かう人たちもいました。 フェリー・ターミナルのすぐ外にあった小さなバス・ターミナルは、あっという間にひとけがなくなりました。 あれれ。 私はニダに行くことばかりを考えていたのですが、スミルティネもちょっとした日帰り観光地として人気スポットだったんでした。 それに、ニダ行きのバスは1時間に1本しかくなくて、バスが出発するまで40分ほど待ちました。 パランガのインフォメーションの人は、プライベート・バスがたくさん走っているからアクセスに不自由しないはずだと言ってくれたのですが、それっぽいバスは見当たりませんでした。 いや、ないこともなかったんですが、バスでなくプライベートな車かどうか、ちょっと分かりづらかったので、すぐ目の前に停車していた大型バスに乗ってしまったんでした。 「2010年バルト3国旅行第6日目(2)ニダ:スミルティネからニダへ&可愛い風光計のあるニダの町」へとつづく。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10532026

スミルティネからクライペダに戻る18時15分発のフェリー 行きに乗ったフェリーと同じですが、昼間は逆光になってしまったので、また撮りました。 昼間と夕方とでは光の加減が違うのが、比べるとよく分かります@

ホテル(Hotel Renno )まではバスターミナルから歩いていった。その手前にあったオブジェ 覚書 http://baltic.iio.org.uk/vilnius.html

Hotel Renno へ行く途中のシナゴーグ http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313717951/

ショップのエントランス、気になったデザイン。

EUですね、自転車専用路があります。

夜明けの門、現存するヴィリニュス城壁の一部(ここだけかな)、門の内側は教会

夜明けの門から旧市街を望む

夜明けの門の内側は教会となっている

教会あるたくさんある町です。

絵になるな・・・。

屋根の十字架と秋晴れの空

夜明けの門の教会

Minskという案内標識があった。それほど遠くないようだ。

旧市庁舎前広場のピラミッド

Vilnius Cathedral http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313717951/

Vilnius Cathedral

Vilnius Cathedoral前広場

Gediminas Hillから見た対岸の十字架

Gediminas Hill、博物館側にフニキュラ(ケーブルカー)がある。ここからの眺めは最高!

Gediminas Hillから新市街地ヴィリニュスを眺める、町の中心を流れるNeris川

Gediminas Hill、博物館側にフニキュラ(ケーブルカー)がある。ここからの眺めは最高!

Neris川沿いの路

Neris川にかかる鉄橋

Neris川と建築 http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313717951/

Europe Business Centre

Europe Business Centre内のショッピングセンター ほとんどなんでも揃います、1階にはスーパーマーケット、各階にレストランもあります。和食レストランもありましたね。

Europe Business Centre

Europe Business Centre内のショッピングセンター http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313717951/

ヴィリニュスからバスでカウナスへ移動 覚書 http://baltic.iio.org.uk/kaunas.html

快適な4車線道路

カウナスのバスターミナル、これはヴィリニュス行き時刻表

乗り心地のよいバス

スギハラ・ハウス http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438351256/show/

スギハラ・ハウス併設の大学の一部、ここで日本語学習が実施されている。

スギハラ・ハウス http://www.sugiharahouse.lt/

スギハラ・ハウス、庭から

杉原千畝執務机

杉原千畝執務机とタイプライター

杉原千畝執務机とタイプライター

スギハラ・ハウス(右側)

バスターミナルからスギハラ・ハウスへの途中のアールヌーヴォー住宅

ビザンチン様式のSt.Micael the Archangel's Church http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438351256/show/

Laisvės alėja(ヨーロッパで最長の一つ)、両側はショップが並ぶ。

街角でバイオリンを弾く少女、Laisvės alėja(ヨーロッパで最長の一つ)

St.Micael the Archangel's Churchから直線に伸びる並木道、Laisvės alėja(ヨーロッパで最長の一つ)、両側はショップが並ぶ。

St.Micael the Archangel's Churchから直線に伸びる並木道、Laisvės alėja(ヨーロッパで最長の一つ)、両側はショップが並ぶ。

爽やかな秋の週末、St.Micael the Archangel's Churchから直線に伸びる並木道、Laisvės alėja(ヨーロッパで最長の一つ)、両側はショップが並ぶ。

旧市街の入り口

旧市街の入り口、ロンプラの表紙となった古い建物と女性のポスター

カウナス旧市街

カウナス旧市街、St.Peter and St. Paul Cathederal

カウナス旧市街の石畳

カウナス旧市街、

カウナス旧市街、

カウナス旧市街、 http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438351256/show/

カウナス観光案内所の女性

旧市街の広場 http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313717951/

カウナス観光案内所

昼食を食べたレストラン、観光案内所で近くのレストランを紹介された

ロールキャベツとジャガイモ

バス停への途中

このバスでヴィリニュスへ戻った

バスターミナルのすぐとなりの一角にあった記念碑 碑文はリトアニア語とロシア語が併記されています。 第二次世界大戦の戦没者に捧げる碑のようです。1941-1945という年代と、ロシア語の単語はいくつか分かったので、そこから推測できました。

同じ碑をななめ横から見たところ

Kretingos通りの黄色い壁の家 バスターミナルからそう遠くないですが、このあたりの家はゲストハウスというより一般家庭という匂いがしました。

壁の色が2階が緑で1階が白@ 時々、このように上の階と下の階の壁の色が違う家も見かけました。なかなかお洒落です。

ヴィタウト通りに面した、バスターミナルのすぐそばの広場 このあたりも町の中心といえるでしょう。 奥にスーパーがあります。

8時から24時まで営業しているスーパー コンビニ並みに営業時間が長いし、必要な日用品はたいていそろうので便利です。 でも、翌日の金曜日、ニダの日帰り旅行から帰った夕方8時頃にミネラルウォーターを買おうとして寄ってみたら、ものすごい混雑していました。 クーラーなどないから暑くて、汗臭くて、夏は長居したくない、と思いました。

スーパーで見つけた、味付きのミネラルウォーター@ キューイ味とかフルーツ味とかストロベリー味とか、こんなミネラルウォーターは見たことがありません! でも、バルト3国ではこの後も時々見かけました。 味付きといってもミネラルウォーターはミネラルウォーターでしょ。 かすかにフルーツの味がするといっても、イチゴジュースとかをうんと薄めたようなものだとしたら、あまり美味しくなさそう! ───そう思ってこのときは手を出さなかったのですが、後日、エストニア旅行中に一度試してみました。 まだ冷えているうちにごくごくと飲んでしまったせいもありますが、意外に美味しかったです。 ジュースだと喉の渇きを潤すのは一時的で、その味の濃さからまた喉が渇きそうな気がしてしまいますが、これはうっすらフルーツの甘さを楽しめても、さっぱりとしていて、また喉が渇きそうな心配はありませんでした。

広場にあったパランガの町の地図 海岸に平行に延びるメインストリートがヴィタウト通りです。 桟橋に出る赤く記された通りが、もう一つのメインストリートである歩行者天国のバサナヴィチャウス通りです。 インフォメーションの「i」の記号があるあたりがバスターミナルですが、2010年7月現在、インフォメーションは改修中で一時移転していたので、この場所にはありませんでした。 左の緑の一角が琥珀博物館のある公園で、私が泊まったホテルPrie Parkoはこの公園に面した通りありました。 この地図にホテルを意味するHの記号がありますが、海岸側から数え4つ目くらいがそうだと思います。

インフォメーションの移転先の図書館の建物、ヴィタウト通り61番地 この3階に臨時移転中のインフォメーションがありました。 2階はカフェ。 1階はギャラリーになっていました。 ───ん? 図書館なんか、この建物の中にあったかしら? それともかつて図書館だった建物ということかしら。

図書館の1階ギャラリーの可愛い絵

白いトナカイさん!?

ぶくぶくのネコちゃん

ハンプティ・ダンプティ?

バサナヴィチャウス通りにて 面白いベンチです@ いや、座っていいのか不明。

ATMがこんなところに! 実は、自転車レンタルをするために、パスポートの代わりに200.00リトアニア・リタスも預けるハメになったので、財布の中がほとんどからっぽになってしまいました。 (旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円) なので、ATMを探していたんです。 はじめはなかなか見つからなくて、リトアニア随一のリゾート地なのに、どういうわけ?───と思ったのですが、やっと見つけてお金を下ろした後になって、今度はもう用がないのにやたらとATMを見かけるようになりました。 そういうもんですね。

キングコングのアトラクション キングコングは滑り台になっているようです。 避難訓練の救助袋みたいなスリルを味わえるわけですな。

バサナヴィチャウス通りの終点は海岸 パランガのシンボルの桟橋です。

輝くバルト海と砂浜でくつろぐ人々

海岸での楽しみ方はどこも同じ@ バランガの旗を掲げた小さな帆船と、イスが屋根についているみたいに見えるテントはちょっとだけ変わっているかしら。

桟橋の上を自転車で走る 「桟橋のないパランガを思い浮かべるのは困難です。砂浜、ビーチ、そして無限の海のすばらしい眺めが桟橋から開けています。そこでは、海のささやき、カモメの鳴き声を耳にし、毎回変化する日没を眺めることができます。  19世紀末、行楽客は馬車でリエパーヤやクライペダからパランガに来るのに、不便な思いをしました。船が停泊できる桟橋を建築しようと、ジョゼッパス・ティシュケヴィチウス(Juozapas Tiskevicius)伯は海に出る埠頭を建築しました。商業客船フェニックス号は、リエパーヤから行楽客や商品・食料を運んできました。ところが、嵐が来るたびに、桟橋は砂に覆われてしまい、数年後には航海に利用できなくなりました。やがて、桟橋はリゾート地パランガの最も重要なシンボルの一つとなりました。残念なことに、時と、波と、そして風が、この建築物を荒廃させました。1997年に、470メートルの長さのある新しい桟橋が建てられました。今日、この桟橋は、待ち合わせ場所、散策、そして1日にさよならを告げる場所として人気があります。」 (パランガ公式サイトの見どころより私訳) http://www.palangatic.lt/en.php/page.51

桟橋から波打ち際を見渡す・その1 波から逃げる子供の姿を捉えました@

桟橋から波打ち際を見渡す・その2

バルト海から次々と押し寄せる波

桟橋でめいめいくつろぐ人々と

何かの記念碑?

桟橋を散歩

来た道を振り返ると 海岸沿いに松林が広がっています。 防風のために植林された一角でしょう。 桟橋で記念写真を撮っている親子も見えます。

レンタルした自転車と光るバルト海・その1 日没時には、このあたりは恋人同士で夕日を眺めるスポットでしょうね。

レンタルした自転車と光るバルト海・その2

470メートルに及ぶ桟橋の一部 松林の向こうに見える観覧車は、歩行者天国のバサナヴィチャウス通りにあったアトラクションの一つです。

自転車でやってきたお仲間と長い長い桟橋 いや、別にお知り合いになったというわけではありません@ 自転車が3台ありますが、一番右のピンクのペットボトルケースがぶら下がっているのが、私がレンタルした自転車です。

桟橋を歩いたり自転車で走ったり海を眺めたり

光るバルト海 これが日没だと、さぞやロマンチックな景色に……。

砂浜から桟橋を見渡す 桟橋から戻って来ました。 今度は公園に向かって松林の中のコースを走ろうと思ったのですが……。

海岸沿いの松林の中のコース 板張りの遊歩道が砂だらけで、ゆっくり走らないとタイヤが滑りそうです。

砂が深くてアップダウンもあって、とても自転車で走れないと断念 ここは自転車で走るコースではなかったですワ。

去る前に、さらさらの砂浜から海の方をもう一度見渡す

こっちが地図にあったサイクリングコースかも@ さきほどの砂浜の道に比べたら、断然走りやすくなりました。るんっ! そろそろ琥珀博物館に向かわなくては。

ケストゥス通りの、たぶんゲストハウスかホテル とっても可愛らしい建物です。 私がここで2泊したホテル・プリエ・パルコーも可愛らしい建物ですが、ここもステキ! ホテル・プリエ・パルコーの写真は、今回の旅行のリトアニアのホテルについてまとめたこちらの旅行記にあります。 このハイライト旅行記の表紙としても採用しました。 「2010年バルト3国旅行ハイライトその4:ホテルと朝食編<リトアニア>」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10485075/ 「2010年バルト3国旅行第5日目(3)パランガ:ビィルテの丘の公園と琥珀博物館」へとつづく。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10530486

S. Dariaus ir S. Gireno通りのホテル まずは町の中心の聖マリア教会をめざして走りました。 自転車で街中をぶらぶら走っていると、おしゃれな建物がたくさん目に入るので、時々自転車を停めて撮影しました。

メインストリートのヴィタウト通りの薬局

ヴィタウト通りの黄色い壁の家

ヴィタウト通りの黄色い壁とオレンジの屋根の家

Baltijos Auksas、琥珀のジュエリー工房兼ショップ 情報源はLonely Planet。 寄ろうとしたら、どうも14時から15時の昼休みにバッティングしてしまったようです。残念!

ヴィタウト通りの彫刻のある公園 きれいな公園ですし、彫刻を見るのは面白そうなので、ちょっと寄ってみることにしました。

公園の様子と……座っている天使の彫刻?

V.K. JONYNAS作の彫刻群 まるでピカソの「ゲルニカ」をジャコメッティが彫刻にしたような!? タイトルはリトアニア語でした。分かるような分からないような。 作品のタイトルは、“MOTERIS SU KNYGA” “MOTERIS SU VEIDRODZIU” “MOTERS FIGURA” “PRAMONE I” “PRAMONE II”です。

Daliute MATULAITE作の「イヴ」 イヴというより、すでに母の貫禄あり!?

Zymante JANUSKAITE作の「SAULUTE」 海の女神に見えます@ タイトルの意味が分からないので勝手に想像。

センスがちょっとドギツイけど、可愛い遊園地

おや、どっかで見たことがあるようなイモ虫キャラクターの乗り物 デザインはなかなか凝っていると思います。

アヒル口のおとぼけ顔が可愛い!

ヴィタウト通りのホテルの前に自転車レンタルあり このホテルなら、ホテル内にレンタルサービスがあったのかしら、なんて、もう借りられたからこだわる必要はないんですけどネ。

廃墟と化した建物 あちこちから草が伸びているのが妙に風情が感じられました。

休館改装中の劇場

映画館は上演しているらしい もっとも、ここで敢えて、リトアニア語の吹替え、あるいは字幕があるハリウッド映画を見ても仕方がないですから、私には用はないですけどネ。

路上の絵画販売 背後の廃屋と妙にマッチ!?

路上の絵画販売は眺めるだけでも楽しい@ でもこんなに天気が良いと、絵が痛まないか、老婆心ながら心配してしまいます。

歩行者天国の通りそのものが観光の見どころとなっているバサナヴィチャウス通り まずは教会に向かうので、ここは後で通ることにしました。 「以前、この通りの名前はティシュケヴィチウス(Tiskevicius)通りあるいは大通りでした。1923年夏、J. バサナヴィチャウス(Basanavicius)博士がパランガを訪れました。総主教である彼に敬意を表して、パランガの住人はこの通りをJ. バサナヴィチャウス通りと名付けました。  この通りは行楽客がよく散策します。というのも、たくさんのカフェや色々なアトラクションがあるからです。この通りは桟橋へとつながるメインストリートです。」 (パランガ公式サイトの見どころより私訳) http://www.palangatic.lt/en.php/page.51

ヴィタウト通りの記念碑のある公園 自転車に乗ったまま、さくっと撮影。 近くまで行って撮影せずに、この距離で満足してしまうのが、自転車散策の強いていうならマイナス点かもしれません。 自転車は、徒歩より断然、移動スピードが速くなって、たくさんのものが見られる代わりに、一つ一つを眺める視界が、肉眼もそうですが頭の方でも狭くなってしまうと実感しました。 要するに、駐輪するのがめんどくさくなっちゃうんですネ。

町の中心にある聖マリア教会とゴシック様式のゲートと 「1897年から1906年において、ネオ・ゴシック様式のカトリック教会が、スウェーデン人建築家K. ストランドマン(Strandman)の計画に従って建てられました。この76メートルの高さの建物は、現在でも依然としてパランガで1番高い建物です。教会の建物は金90,000ルーブルとなりましたが、ティシュケヴィチウス伯爵がそのうちの30,000ルーブルを寄付しました。この教会はパランガで3番目の教会です。1番古い教会はホテル・メグヴァ(Meguva)にありました。教会の音響はすばらしいです。」 (パランガ公式サイトの見どころより私訳) http://www.palangatic.lt/en.php/page.51

聖マリア教会の入口

入口から主祭壇まで見渡す 外光がよく差し込んで、中は明るいです。

天井もゴシック様式の名残りあり

ゴシックらしい天井とシャンデリア

祭壇のシルエットと、シンプルながらも美しいステンドグラスの窓 上の丸窓には三角形の中に目の絵があります。 全知全能の神の目、あるいはフリーメイソンのシンボルだと思います。

王冠みたいな形の古風なシャンデリアとカラフルなステンドグラス

主祭壇とステンドグラス

主祭壇とその手前の美しい柵

天使に囲まれた聖母子画のある主祭壇の上半分 聖母子画を覆う銀製のものは、まるで正教会のイコンを覆うリザあるいはオクラトみたいです。

主祭壇の下半分

主廊と側廊を隔てるアーチの壁

白い大理石の説教台と、キリストの像がある側廊の祭壇

まだ少女のような祈るマリア像 リトアニアの聖母子像は、このように白い服の上に水色のガウンという清楚で初々しい少女のようなタイプが多いように思いました。 ヴィリニュスの聖ペテロ&パウロ教会で見たマリア像 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20897274/ 関連の旅行記 「2010年バルト3国旅行第3日目(1)ヴィリニュス:バロック彫刻の渦の聖ペテロ&パウロ教会」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10526584/ ヴイリニュスの聖アンナ教会で見たマリア像 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20917655/ 関連の旅行記 「2010年バルト3国旅行第3日目(3)ヴィリニュス:聖アンナ教会見学&いまひとつ良さの分からなかったウジュピス地区散策」 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10526587/

説教台と側廊方面

パイプオルガンとシャンデリア

ゴシック様式の門を出る 「2010年バルト3国旅行第5日目(2)パランガ:自転車で町中散策&バルト海岸へ」へとつづく。 http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10530485

宿泊したホテル「Hotel Latvija」の部屋からの眺め。 エスプラナーデ公園を見下ろす。 正面に見えるのが救世主生誕大聖堂。

朝食。 日頃の貧乏旅行とは違い、ちょっと豪華。 レストランのウェイトレスの足が長い! (写真を撮れなかったのが残念…)

レンタカーで出発。 リガの町中の一方通行の嵐に悩まされながらなんとか郊外へ。 リトアニアとの国境を超える。

ラトビアとリトアニアとの国境から十字架の丘まではのどかな風景が続く。

リガから約2時間、国境から約45分ほどで十字架の丘に到着。 (ラトビア側から向かうと、小さな十字架が道沿い左側にあるのでそこを左折。十字架は分かりにくいので注意) 駐車場に止めて丘まで、小雨と風の中を10分ほど歩く。 寒い。

大小無数の十字架が並ぶ。 壮観。

大きな十字架から、材木を交差させて釘で打ち付けただけの簡素な十字架までたくさん。

丘に登る階段。 他に誰も居ないのにどこからか音楽が流れてくる。 背筋が寒くなって辺りを見渡すと、道端にラジカセが置かれ、そこから音楽が流れていた。

ここにある十字架の数は、リトアニアの人口よりも多いらしい。

最初の十字架は1831年に建てられたとのこと。 十字架はたくさんあるが、墓地ではない。

ここの十字架は、抑圧された民族・宗教の象徴として建てられた。 KGBがたびたび十字架をなぎ倒したものの、そのたびに住民が新しい十字架を建てたとのこと。 今でも十字架は増え続けている。 十字架にかけられた鉄のロザリオが、風に揺れて金属的な音を立てる。

十字架の丘の遠景。 完全に体が冷えた。

インフォメーションセンターを(兼土産物屋)と、地元の人がやっている屋台のような土産物屋がある。 インフォメーションでシャウレイまでの道を訊き、いざ出発。 この十字架を目印に東へ入っていくと十字架の丘にたどり着く。

シャウレイに入り、とりあえず駅へ。 ちょうど列車が入ってきたところ。

シャウレイ駅の全景。

ここまで昼ご飯を食べていなかったので、さすがに空腹。 シャウレイ中心街のヴィリニアウス通りのインフォメーションで聞いた、おススメのレストラン『Juone pastuoge』へ。 リトアニアのビールらしい。

冷製スープ「シャルティバルシェ」(7Lts:約250円)とじゃがいもの付け合せ。 一見して食欲を減退させるようなこのピンクは、ビーツの赤とサワークリームの白。 ピクルスのような酸味が意外とクセになる。

続いて出てきたのがツェペリナイ(右)。ちなみに10Lts(約350円) ツェッペリナイの名の通り、飛行船の形をしたジャガイモ料理。 イモもちのような触感の中に挽肉が詰まっていた。 左はヴーナリ。 鶏肉のそぼろ入りのクレープのようなもの。

計33.5Lts(約1,000円)と、リーズナブルな価格。 腹もふくれて大満足。 通りから一本入った所にあり。しかもメインの通りに背中を向けるように入口が作られていることもあり、意外とわかりにくい。

ヴィリニアウス通り。

こんなものが屋根の上に。

聖ペテロ&パウロ教会。

国境まで戻ってきた。 リガの道は一方通行が多くて大変。

ホテルに戻り、近くのレストランへ。 ヴェールマニーティスという名のレストランで、ラトビア料理のカフェテリアを楽しむ。(2人で約10Ls:1,700円) ※後で調べたら、『歩き方』にも載っていた。

お腹いっぱいで店を出ると、あたりは真っ暗。

花屋が夜もやっているのは全世界共通なんだろうか?

通りの向こうに見えるのが、宿泊している『Hotel Latvija』。 今日は早めに就寝。 続きは↓ http://4travel.jp/traveler/isms/album/10531958/

リトアニアの文化・風俗・注意点

 宗教
 リトアニアは、ローマ・カトリックの国であり、信仰心の篤い国民性であることを常に念頭に置いて行動することが必要です。

 飲料水
 外国人旅行者向けのホテルにおいても水道水は飲料に適さないため、一度沸騰させたものを飲むか、ミネラルウォーターの利用をおすすめします。

 害虫
 森林に生息している森林ダニに咬まれると「ダニ脳炎」の危険性があるので、春から秋にかけて、森林や緑の多い場所では森林ダニに咬まれないよう注意する必要があります。長期滞在の場合には、予防接種をおすすめします。

 医療
 ・私立の病院では比較的高度な医療サービスが受けられます。
 ・救急車は、依頼しても到着までにかなり時間がかかることがあります。
  また、同乗している医者が、その場で治療することもあります。