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スロバキアってどんな国?

スロバキアは、正式名称スロヴァキア共和国で、東ヨーロッパの国。首都はブラチスラヴァ。古代にはサモ王国・モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、スロバキアの地とスロバキア人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スロバキア系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリーからチェコと合併するかたちで独立し、その後幾らかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。

スロバキアの地図

スロバキアの写真・旅行記

チェコのキヨフから列車でブルノとOstrava-Svinovで乗り換えて所要時間 8時間12分でスロバキアのコシツェに到着。 車窓から菜の花と草原の景色を楽しみながらの移動で退屈する事はありませんでした。 コシツェからスピシュ城までの移動は路線バス、乗客は皆地元の人達でスロバキアの雰囲気をたっぷり味わう事も出来ました。 コシツェ市街も散策、5月初旬のスロバキアは暑くも寒くも無く歩くのにはぴったり、草原と菜の花のコントラストが素晴らしかったです。

早朝のチェコのキヨフ駅 キヨフ駅ではスロバキアのコシツェまでのチケットは買えずブルノまでのチケットしか買えない キヨフからブルノまで99Kc

キヨフから列車で先ずはブルノまで乗車

キヨフ駅を出発時は列車内はがらがら状態、ブルノ駅に近づくにつれて通勤の人が乗車して来て込み合ってくる

オストラヴァ・スヴィノ駅に到着、コシツェ行きの列車に乗り換える

列車車内では座席の下でシェパ?ド犬がぐっすりお昼寝中

今日の宿泊はコシツェ駅から徒歩10分のダブルツリ?・ヒルトン 室内も広くて綺麗、部屋からの眺めもいいのに意外と宿泊料金は高くない便利で素敵なホテル

ホテルの辺りには昔ながらの印象的な建物が見られる

ホテルから歩いて直ぐのショッピングセンタ-・オ-パ-クはス-パ-や衣料品店がありショッピングが楽しめる

翌日は早速コシツェバスターミナルからバスでスピシュ城に向かう バスは途中のプレショフで乗り換える バス料金はプレショフまで?1.9 プレショフからスピシュスケ-・ポドフラディまで?3

バスが走り出して暫くすると雨が降り出し今日の空模様が心配になる

スピシュ城のあるスピシュスケ-・ポドフラディの町に到着する頃には雨も止み青空も見られてホッとする 正面にスピシュ城が見えてくる

スピシュスケ-・ポドフラディのバス停に到着 バス停は帰りのバスも同じバス停から出発

バスを降りてスピシュ城を目指して歩いて行く

広々とした草原は気持ちがいい

あらら、2匹の猫ちゃんと遭遇 猫って見てるだけで癒される

ちょっと振り返って町を見る

人っ子一人いないスピシュ城までの草原 朝の空気がとても爽やか

20分ぐらい上がると町並みが眼下に綺麗に見渡せる

草原もとっても綺麗

あと少し上がればスピシュ城 振り返ると街並みとその奥の草原が見渡せる

思い存スピシュ城内を見学して坂道を歩いて街に向かう 足元の黄色いタンポポの花が可愛い

やっとスピシュ城門の坂の手前に到着 この近くには駐車場がありツア-客はバスでここまで乗り付ける

ここからは眼下に草原と菜の花畑が見渡せ素晴らしい景色に見惚れてしまう

スピシュ城門まであと少しの坂を上がれば到着

スピシュ城内の見張り台からは町並みが見渡せる

お土産物屋さんは準備中 ん?この旗は何

スピシュ城内の城壁は歴史を感じられる

城から眼下を見渡すと太陽の光線が町を照らし何とも神秘的な光景を作り出す

城内の教会はガラス窓から見下ろせるようになっている 教会は趣があります

ここから敵を一網打尽にするのかな

下まで下りて振り返ってスピシュ城の全容を堪能 来て良かった!

スピシュスケ-・ポドフラディの町から城は一望出来る

道路は工事中で地面がむき出しで歩きづらい

教会の尖塔が青空に映える 町には郵便局や小さなス-パ-もある

コシツェに戻りコシツェ空港に行くまでの3時間を市内見学に当てる 聖アルジュベタ大聖堂は荘厳

フラヴナ-通りには中央に水路があるのが珍しい

コシツェの旧市街をゆっくり散策

フラヴナ-通りのレストランで遅めのランチ このレストランはメニュ-にお寿司があるのでエビサラダをオ-ダ-すると日本人だと分かったのかお箸も付けてくれた 中々美味しいエビサラダに満足

ピエロのパフォ-マンスも面白い

綺麗なコシツェの街並み

コシツェ空港まではダブルツリ-・ヒルトン前のバス停から空港まで行くバスに乗車

小さなコシツェ空港 国内線なのでチェックインも1時間15前から受け付け

プラハまでブラチスラヴァ経由のチェコ航空に搭乗 満席でしたが快適なフライトでした

ブルノ駅でオストラヴァ・スヴィノ行の列車に乗り換える ブルノ駅での乗り継ぎ時間が12分しかなくチケットも買わなくてはいけないのでス?ツケ?スを抱えて大急ぎでチケット売り場へ ブルノからコシツェまでは1066Kc ぎりぎりセ?フでほっとする

この日は暑かった。 日陰を求めたほど、街並みは綺麗で、物価も非常に安かったです。

プラチスラバは、入場観光が無く、   町の散策のみです。 それでも、十分楽しめました。

プラチスラバのオペラ座前。 ヨーロッパはどこの国も立派なオペラ座がありますね。 一度オペラを観てみたい。 その前にオペラのイロハぐらい、勉強しないとね・・・・   ミュージカルが大好きな私には、敷居が高い?

長いバス移動でやっとプラハのホテルに到着しました。   この旅で一番豪華なホテルでした。 はじめてです。 部屋に、アイロンとアイロン台が設置してるなんて、 お部屋も重厚感がありますよ。 無垢材の仕様で、味わいが出てます。 大きなホテルで、エレベーターも4か所にあり、便利でした。 食事の後、近くのスーパーに、買い物に出かけました。

■5日目 本日は移動日です。 チェコからスロバキアへバス移動、スロバキア観光を終えユーロシティにてハンガリーまで行きます。

昼食は魚料理でした。

ブラチスラバに到着しました。ドナウ川の眺め。

ブラチスラバ城。 城の4隅に塔が立っているので「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれているそうです。

ブラチスラバ城の門。

ブラチスラバ城のある丘からの眺め。 ドナウ川に架かる新橋の南の主塔にある展望台はUFOの塔と言うそうです。

どう撮っても4隅全体をアングルに入れる事が出来ません。

気になった置物。

市内にはかわいい車が走っていました。どうやら観光用の車のようです。

旧市街に向かって街歩き。

トリニタリアン教会。

旧市街の街並みが見えてきました。中央あたりに見える像は、聖ヤン・ネポムツキー像。

ミハエル門。 塔はもともとゴシック様式でしたが、18世紀に玉葱型の屋根を持つバロック様式に改築されたそうです。

日本までは9142?。この時ふと次はワルシャワに行きたいな~なんて思っていました。(まさか数カ月後に実現するとは)

ミハエル門の下にはブラチスラバのゼロ地点があり世界の都市までの距離が刻まれています。

旧市街の街並み。

旧市街側から見たミハエル門。

広場では民芸品などの露店が出ていました。

ブラチスラバはブロンズ像が点在しています。 旧市街広場のベンチに、ナポレオン像があります。これは、ナポレオンが1805年と1809年にブラチスラバを掌握したことを記念して建てられたそうです。

日本大使館前に立つ衛兵の像。背景に菊の紋章が見えます。

シルクハットを持った男性のブロンズ像。 実在した人物で、1897年生まれで本名はイグナーツ・ラマルというそうです。彼は街の通りを歩きまわり、帽子をとって女性に花や歌をささげていたようです。

広場にはロランド噴水があります。

ブラチスラバ旧市街の中心にあるフラヴネー広場。 正面には旧市庁舎があります。

アイス屋さんの前にいたキャラクター。

マンホールから顔を出した男性のブロンズ像。 スロバキア語で“のぞきや”を意味する「チュミル」と呼ばれているそうです。 この像は、ブラチスラバ市長がブラチスラバに観光客を惹きつける何かを作りたいということから建設されたそうです。

像の近くには、注意を呼びかける標識が建てられています。

聖マルティン教会。

市内観光を終え、ブラチスラバ中央駅に来ました。 ここからユーロシティに乗りブダペストまで行きます。

駅構内。

駅のホーム。

こちらの青い列車に乗ります!

車内はオリエント急行を彷彿させる雰囲気です。

食堂車の色合いが素敵でした。

“世界の車窓から”の気分に浸ります♪

ハンガリーのブダペスト東駅に到着しました。

ブダペスト東駅正面。素敵な駅舎です。

夕食。先ずグヤーシュ(ハンガリー起源のシチュー料理)が出ました。

メインは肉料理。お米が添えてありました。

デザートはアイス。

本日の宿泊するアクインカム ホテル ブダペストです。 中心部からは離れています。

5つ星ホテルとのことですが、チェコで泊ったホテルの方が部屋は広く良かったように感じました。温水プール完備でしたが、入る時間が無く残念でした。

ブルー・チャーチから、聖マルティン大聖堂へ向かおうと思ったのですが、時間あるのでドナウ川の川辺に行ってみることにしました。

左手に見えるのがスロヴァキア国立劇場です。近くにトラムの線路が走っています。

彫刻のモニュメントがある広場へ。。。

真っ赤なトラムがやってきました!

正面から。

ドナウ川の川辺へ。対岸に向かって上流側を望みます。

対岸に向かって下流側を望みます。

スーパーマーケットに寄ってみました。 サンドイッチなど食料品が安いです!

ビールなどアルコール飲料も安いです。 やっぱ、スロヴァキアは物価安いんですね!

さて、聖マルティン大聖堂へ向かいますか。

コカ・コーラの広告。

一応、首都の市街地なんですが、人が疎らですね。 暖かい時季なら、もっと賑わっているかもしれませんが・・・

これが聖マルティン大聖堂ですね。 入り口は反対側のようです。

大聖堂前には大きな幹線道路があって、反対側には住宅のような建物が犇めくように立っています。

大聖堂の壁面。 イラストが気になりました。

その幹線道路は、ドナウ川を渡る橋につながっていて、対岸側にUFOの塔が見えます。

大聖堂前の建物と階段。。。気になって

大聖堂の中に入ったのですが、撮影禁止だったのか、内部の写真がありません(^_^;)

さて幹線道路の下を潜って、ブラチスラヴァ城に向かいます!

途中の景色も楽しめました。 対岸側、UFOの塔もよく見えました。

先ほど行った大聖堂側。

ランプが見えますが、幹線道路のジャンクション?

ある程度の高さまで上ったので、旧市街を望みます。

そして、ブラチスラヴァ城に到着。 4隅に塔が立っているので「ひっくり返ったテーブル」と言われているそうです。

アングルを変えて。。。

庭も立派ですね?

一段下りて・・・こちらも見応えあります。

ここが正面ですね。

そして、先ほどとは反対側に来ました。

レトロな赤いバス! おそらく観光用でしょうね。

1周したので、来た道と反対側へ下りてみました。

なんか暗いなぁ?

幹線道路の上を行く、跨道橋から大聖堂側を望みます。

ウィーンに戻るには、まだ早すぎるので暫く散策することに♪

あっ! トラムの駅が見えます。 あとで乗ろうっと(^_^)v

途中の町並みを見ながら、しらばく歩きます。。。

トラムがやってきたので、さっそく乗車!

車内の様子です。 椅子といい、床といい、天井といい・・・質素だなぁ。。。 やはり社会主義国の影響かな(^_^;)

トラムに乗って、あてのない旅を。。。

どこかの教会らしい。

違う電車にも乗ってみました。

トラムの終点に着いたはいいのですが・・・ペトルジャイカ駅まで結構な距離があるし、まだ乗っていたかったので中央駅まで戻ることに(^_^;)

行きに使った中央駅からではなく、ペトルジャイカ駅からウィーンへ帰ろうと思って、ペトルジャイカ行きのトラムに乗車しました。 さすがに、メイン路線は最新鋭の車両なんですね!

中央駅に戻る途中に発見したビル! スロヴァキアにこんな建物があったとは・・・

中央駅前のバスのりば。 ペトルジャイカ駅方面のバスを待ちます。

ペトルジャイカ駅に到着。 こちらも中は寂しい駅でした(^_^;)

こちらが2階席です。 クロスシートですが、リクライニングはできません。 まぁ、2等車ですから文句は言えませんね(^_^;)

車内・階段付近の様子です。

こちらが1階席です。 2階席より天井に圧迫感は少ないですね。 行きと同じく1時間ほどでウィーン中央駅に到着。宿に向かいました。 5日目につづく http://4travel.jp/travelogue/11214379

プラットホームの様子です。 貨物線もありました。

ウィーン行きの電車です。 これも機関車+客車の編成です。

17:15発REX Wien Hbf 行き 行きとは違い、ダブルデッカー車でした。

93番バスに乗り込みます。

ホームに上がり、ブラチスラヴァ中央駅(Bratislava hlavná stanica)行きの列車に乗ります。 こちらは先頭車。運転台付きの非動力車(日本の電車で云えばクハ?)です。

最後尾が機関車となり、客車を押して走行します。

客車内の様子です。発車間際なのにガラガラです(^_^;) でも、ちゃんとしたクロスシートです。 JR某日本みたく、ローカル電車にロングシートなんて採用しません!

まずはウィーン中央駅で「ブラチスラヴァチケット」を購入します。 16ユーロ(1,994円)で、ウィーン?ブラチスラヴァ間を往復でき、ブラチスラヴァ到着日の市内交通が乗り放題となります。普通に切符買うよりトクですね(*^_^*) 自動券売機でも買えるようですが、OEBBの窓口で購入すると案内冊子がもらえます。

ブラチスラヴァチケットの券面 日本のように、自動改札機に通す…なんて発想はないのでしょうね。

発車して間もなく原野が広がります。 ウィーン都市圏は意外と小さいようです。 車窓はのどかです。風力発電が盛んなんですかね。

スロヴァキアに入ると、オーストリアとは違って…(失礼ですが)貧しさが…車窓から感じられました。

1時間ほどで、ブラチスラヴァ中央駅に到着。

反対側のホームに停まっていた列車

ブラチスラヴァ中央駅構内 改札がないのは、日本人的に違和感あります。

「WELCOME TO SLOVAKIA」とありますが・・・

コーヒーの自販機です。 やっぱ安いですね?

そして、路面電車(トラム)のりばがあります。

駅前の風景。

さっそく乗車し、ミハエル門の最寄り駅 Postova へ向かいます。

車窓から、ブラチスラヴァを町並みを...

Postova 駅に到着。

トラムから降りる乗客。

寿司屋を発見! スロヴァキア人も寿司食べるのかなぁ(^_^;)

途中の広場付近の風景。

おっ! ミハエル門の頭が見えてきました(^_^;)

この佇まい。なんかいいかも(*^_^*)

付きました、これがミハエル門です。 中は武器博物館になっています。

近くの地面に、世界都市への方向と距離が書かれていました。 ブラチスラヴァから東京へは9,142kmだそうです。

ここが武器博物館の入口です。 入って階段を上っていくと、チケット売り場になります。

チケットは大人4.3ユーロ。 スロヴァキアにしては安くない値段ですね。 それにしても、チェコやハンガリーがユーロ導入できなかったのに、なぜスロヴァキアがユーロOKになったのか気になりました(^_^;)

最初、目にした展示物が鎧です。

日本の刀を発見!

こっちにも・・・

軍服から鉄砲など、いろいろ展示されていました。

4.3ユーロに似あった展示内容だったかと言えば疑問・・・(^_^;)

窓から、外の町並みを眺めることができます。

さすがに、この内容で4.3ユーロ取っては申し訳ないと思ったのか、近くのクスリ博物館も入場できるとのことでした。 中は撮影禁止で写真はありませんが・・・正直こちらも微妙でした(^_^;)

ミハエル門(武器博物館など)を後にし、フラヴネー広場に向かいます。

裏路地を発見! 見つけると通ってみたくなるんですよね?

石畳の古い町並み・・・いいですね? こういう路地では、そこで暮らす人々の生活を垣間見れたりするんですよね。

軌道修正! フラヴネー広場へ・・・ こちらはお土産屋さんのようです。

来た道を振り返り・・・

こういうウィンドウディスプレイも見ていて楽しいですね(*^_^*)

フラヴネー広場に着きましたが、クリスマスマーケットの残骸らしきものが・・・

カトリック教会のようですね。

これが旧市庁舎です。中央の塔がメインに見えますが。。。 内部は歴史博物館だそうです。

フラヴネー広場に、なんと日本大使館がありました(^^;

近くにあったお土産屋さん。

こういうオブジェも、なんか趣あります

街歩きは続きます。。。

これは何なんでしょう(謎)

ここでもトラムを発見。

壁面アート!

こういう建物は趣ありますよね。

このトラムも独特な顔つきをしていますね。

ここでは、名所のブラチスラヴァ城とは逆方向の東側へ進んでいました。 ガイドブックにも載っていない、見所が・・・

淡いブルーが映える聖エリザベス教会「ブルー・チャーチ」です。

ブルー・チャーチの前にあった石碑

ブルー・チャーチ正面? うーん、ここからだと塔の頭が収まりません(^_^;)

こちらは横側の・・・

中に入れました(*^_^*)

天井も素敵です!

椅子も机もドア付近も・・・淡いブルーなんですね(*^_^*)

教会の前にあった学校らしき建物。 ブルーチャーチを後にし、聖マルティン大聖堂方面に向かいます。 4日目後半につづく http://4travel.jp/travelogue/11212839

2013年元日の早朝、ベネチアからウィーンに到着後、 http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10747571/ 列車でスロバキアの首都ブラチスラヴァにやってきました。

ブラチスラヴァ中央駅の内部です。

中央駅の外観です。「中央駅」にしては、かなり小じんまりとしています。

中央駅より市内中心部へはトラムを利用する予定でしたが、ターミナルは廃墟と化していました。これはこれで趣きはあるのですが、トラムが廃止されたことは明確です。

ということで、歩いて中心部へむかうことにします。距離にして約2kmです。

途中には、このような公園がありました。

こちらは、大統領官邸です。

丘の上に見える「ひっくり返したテーブル」のような建物が、ブラチスラヴァ城です。

市内中心部に入ってきました。

トラムの線路と街並みがマッチしています。

遠くにブラチスラヴァ城も見えます。

元日の朝とあって、人通りはあまりありません。

アップにしてみました。

さらに旧市街の方に進んでゆきます。

旧市街の入口となるミハイル門です。

現在残っている、唯一の門です。

旧市街をぶらぶら歩いてみます。

旧市街の中心、フラヴネー広場です。

旧市街には、このようなオブジェがたくさんあります。

オブジェめぐりも、ブラチスラヴァ散策の楽しみのひとつです。

落ち着いた佇まいです。

ここにもひとつありました。

最も有名かもしれない、「マンホールからのぞく男」です。

高台からは、ドナウ川を望むことができます。

ブラチスラヴァ城にもやってきました。

橋をわたり、対岸を10kmほどいくとオーストリアです。

時間もないので、高台を降りバスターミナルにむかうことにします。 短い時間でしたが、楽しいブラチスラヴァのひとときでした。

聖マルティン教会です。

スケートリンクもありました。

トラムも走っています。

この後は、ウイーン空港へむかい、LCCでフランクフルトに移動します。

旧市街より30分程歩いて、バスターミナルに到着しました。

ブラチスラヴァ空港~ブラチスラヴァ~ウイーン空港~ウイーン間には、1時間に1本程度バスが運行されています。

ドナウ川を渡り、ウイーン空港にむかいます。

運賃7.7ユーロ(約885円)、別途荷物代として1ユーロとられました。

1時間でウイーン空港に到着。 この後は、この旅3度めのLCCでフランクフルトに移動します。 http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10750674

エステルゴム行のバスは、メトロÁrpád híd駅そばのバスターミナルから出ています。

バスターミナルというから大きな建物があると思いきや、バス停が並んでいるだけでした。

エステルゴム行の時刻表です。

あらかじめ券売機でチケットを買います。 現金専用とクレカ専用両方あってこちらは現金専用。

800番のバスです。こちらがエステルゴム直行便。

結構並んでて混んでました。連結バスだったのに座席が埋まってます。

終点のエステルゴムに着きました。

土曜の朝です。

写真左側の橋を渡るとスロヴァキアです。

8月とは思えない涼しげな街並みに見えますねえ。 実際、北海道より涼しかったような。

あの橋を渡るとスロヴァキア!

あれが国境でしょうか。

スロヴァキアに渡りました。 しかし、ハンガリーとの違いがイマイチよくわかりません…

このあたりが中心部へのゲートウェイのようです。

徒歩で回れそうなコンパクトな町です。 「シュトゥロヴォ」と読むのでしょうか???

商業エリア…というか、商店街かな。 思ったより居心地が良かったです。

スロヴァキア踏破! ということでハンガリー側に戻ります。

帰りはセンテンドレ経由で戻ることにしました。 880番のバスはセンテンドレ経由でブダペストへ行きます。 直行便の800番とは違うので注意しましょう。 なお、ブダペストとは違って運賃はバスの中で払うそうです。

センテンドレに着きました。 1時間以上かかったような…距離の割に時間がかかります。

ハンガリーでは人気の観光地なのでしょうか。 東洋人の姿もちらほら。日本人も見かけました。

あまり期待していなかったのですが、僕好みの街並みでしたわ。

帰りのバス停です。時刻表撮ったつもりが、ちゃんと写ってませんね…

バスを待っているところ。

終点はバスターミナルっぽいところでした。 行きとは全然違う場所にあるように見えて、最寄り駅はおんなじ。 一体何だったのだろう…?

ウィーンでスキー道具一式を日本へ送ることに失敗してスキーヤーにしか見えない荷物で移動中、ブラチスラバの駅でスロバキアの観光について取材受け。 ごめんなさい、ただの列車乗り換えのトランジットです。。。 この時買いそびれたものがあったこともあり、ゆっくりできるいい街なのでブラチスラバは後日改めて訪れました (またもや日帰りですけれど)。

バスに乗り込みブラチスラヴァ城へ。 「ひっくり返したテーブル」と呼ばれた城は丘の上にあります。

坂道を登って入り口の門にやってきました。ここでバスを下車、城内に入ってさらに坂道を上って行くと城の全景が見えてきました。

ブラチスラヴァ城です。城は小高い丘の上に建てられていました。 ここはローマ時代に砦が築かれ、9世紀のモラビア王国時代には宮殿と教会が築かれて行政機関の中心として使われました。 15世紀には当時のハンガリー王(ドイツ王も兼務した神聖ローマ帝国の皇帝)、シギスムンド王が後期ゴシックスタイルに改築し、16世紀には四隅に塔を持つ現在の城の原形となるルネサンス様式に建て替えられました。 18世紀にはマリア・テレジアが宮廷に相応しいようにバロック様式に改築し、義理の息子のアルベルト・テッシェンにハンガリー総督の地位とこの住まいを与え、彼女自身も居城として1760年から20年間この城に居住しました。 しかしウイーンにシェーンブルン宮殿が完成するとそちらに移住し、以後ブラチスラヴァ城に戻ることはありませんでした。 マリア・テレジアが立ち去って以降急速にこの城は勢いを失います。マリア・テレジアがウイーンに移転して以降、この城は神学校の宿舎として使われたり兵士の宿舎や軍馬の厩舎として使用されますが、年を経る毎に汚れ、傷んでいきました。 その後1809年にフランスのナポレオン軍が侵攻し、ブラスチラヴァ城はフランス軍の駐屯地として接収されました。 そして1811年。駐屯していたフランス軍の失火により大火災が発生して焼失してしまいました。 第2次世界大戦後共産主義政権によって修復されましたが、現在も修復が続いています。 現地ガイドさんの説明によると・・・。 共産主義政権下での修復は単に建物を作り上げただけで、建築資材にはコンクリートを使用したそうです。これでは本来の城を修復したことにはならず、自由主義国家となってからは、本来の石材や大理石を使用してコンクリートて建てられた建物をさらに修復し続けているんだそうです。 しかし、同じ共産圏の国なのにポーランドでは王宮の再建を1980年まで旧ソ連政府に認められませんでした。 王宮の再建はポーランド国民の悲願でした。王宮はポーランド国民の結束を固める象徴だったため容易にはソ連政府は認めなかったのです。 たぶんハンガリー暴動やプラハの春の二の舞になることを恐れてのことでしょう。 ポーランドを観光されると分かると思いますが、ポーランド国民は大変愛国心が強く、自国に誇りを待っている国です。 そして旧ソ連、旧ロシア帝国に対する恨みや敵愾心は非常に根深いものがあります。ワルシャワを徹底的に破壊したドイツにではなく、旧ソ連の共産主義政権に対してです。カチンの森事件を引き起こした旧ソ連に対する恨みは終生拭われることはないでしょう。 そして国を滅ぼされ、長きに渡って弾圧され、搾取し続けた旧ロシア帝国に対する恨みも同様です。 話が脱線しましたが、このことと比較すると、チェコスロバキア共産主義政府は旧ソ連政府とはあまり衝突がなかったようですね。 以下、話を元に戻します。

右が城内にはいる最後の門です。

城の後ろ側では現在も修復がされていました。

城門とブラチスラヴァ城。

城のすぐ側にはドナウ川が流れていました。 スロバキアのドナウ川も濁っています。この時はブダペストもこのようにドナウ川が濁っていたので、直近に大雨でも降って川が濁っているのかと思いましたが、この後訪れたチェスキー・クルムロフのヴルダヴァ川は全く濁っていませんでした。 このことから、ドナウ川はもはや濁って汚れた川になってしまったようです。 ブラチスラヴァはオーストリアと国境を接しており、写真の森の奥はオーストリア領です。

ドナウ川にかかる斜張橋とUFOの塔、新市街。

左に降ると旧市街と聖マルティン大聖堂があったんですが、この写真を撮った場所からは分かりませんでした。

ブラチスラヴァ城の入り口側です。 屋根にはスロバキアの国旗、二重十字架が翻っていました。 二重十字架はハンガリーにおいては国章、スロバキアでは国旗なっています。

城の入り口の騎馬像は大モラビア王国スヴァトプルク国王です。 ブラチスラヴァにはEUや国連の機関があり、この城はこれらの機関の会議場として使用されています。 では入り口から中庭に入り城内と国立博物館を観光しましょう。

入り口を抜けるとそこは広い中庭でした。 最初に地下にある井戸を見学しました。なお、城の内部の説明はこの城の学芸員がしてくれました。スロバキア語での説明をガイドさんが日本語に通訳してくれるという方法によってです。

中庭に戻りました。右の建物の1階から城内に入ります。

地下に通じているレンガ造りのトンネルです。 この部分から先の井戸の周辺までが、この城の最も古い部分なんだそうです。

このような所を下りていきます。

井戸を覆っている頑丈な鉄製の柵の間からカメラを差し入れて内部を撮ると、水の水面が点のように見えます。 深さがどのくらいかは覚えていませんが、数十メートルはあると思います。

そして降りた先に大きな井戸がありました。 この井戸は今から800年以上も前に彫られた井戸で、井戸の周囲も同時代のレンガでつくられているそうです。 写真では井戸の口径が分かりづらいと思いますが、かなり大きな井戸です。そして深い。 覗き込むとはるか深い所に水が見えます。

とにかく深い。800年も前によくこんな深い井戸を掘ったものだと感心しました。

ユーモラスな表情をした石像。

1階は城の修復状況を紹介するコーナーでした。 修復の過程で発掘された古い城に使われた石材などが展示されていました。 ここで城内の学芸員から発掘の様子や進行状況城の再建についての簡単な説明がありました。       

ブラチスラヴァ城の立体復元模型です。 城に入場した方向と同じ正面から写真を撮りました。この模型で城の原形が作られた時の教会も示されていましたが、どこだったか覚えていません。 城の裏だったような気もしますが。

城内の天井や柱などの様子。金箔が施されていました。ここは2階にあがる階段の途中ですが、白色に金色が映えて綺麗です。

階段と天井の様子。さらに3階に上がります。

振り返るとこんな感じです。床は赤色の敷物が敷き詰められていました。

3階の一室にあった彩色されたブラチスラヴァ城。

3階には城をモチーフにした絵が沢山展示してありました。 写真はその一部。

同じく城の風景です。

3階のガラス越しに下の通路を覗くとこのような絵画がありました。 2階が美術館のようです。 ここで現地の女性ガイドさんが再び、「ここに展示してあるスロバキアの素晴らしい宝物と絵画、美しく素晴らしい部屋や文物。急なことではありますが、いわばスロバキアの誇りともいえる物を皆さんに見ていただくことができなくなり大変申し訳ありません。私としてはとても残念です。もしまたブラチスラヴァに来られる機会がありましたら、城に立ち寄って是非中の物を見てください。」と流暢な日本語で挨拶がありました。 ハンガリー王国の王冠などもここにあるそうです。

再び1階に戻って発掘や城の修復状況のパネル展示を見ました。 これは部屋の入り口にあった博物館の紹介パネル。 左が城の見取り図。写真が切れていますが、この時は中央の宝物展示室を写真に収めたためです。 今思えばこの城の見取り図の方を写真に撮っておけばよかったです。

城の発掘と修復のパネル展示です。 説明はスロバキア語と英語です。英語が苦手な私は何が書いてあるのかさっぱり分かりません。 写真だけ見て回りました。

写真と図面でなんとなく分かるような気がしました。いや気がしただけです。 写真には古い物もありました。

こちらは発掘された状況の写真。

発掘された柱の装飾部分。

壁に描かれていた壁画。

城本体の修復作業の説明パネル。

国立歴史博物館の案内板です。 国立歴史博物館は美術館とその他の展示、宝物館と騎士の部屋(どんな部屋か不明)、常設展示があるそうです。 本来ならこの全てを観光する予定でしたが、急遽EUの会議が開催されることになり、本日は常設展示以外は観光できなくなったとガイドさんから説明がありました。 「宝物館にはハンガリー王国の王冠をはじめ多数の宝飾品が展示されており、美術館にも名画が展示されています。是非これを皆様方に見ていただきたかったのですが、見れなくてとても残念です。」と言われました。 欧州ではテロが頻発しておこっており、このテロ対策のため会議の日程は事前に知らされなくなったそうです。 大体前日に急に連絡が入るため、連絡が間に合わず日程の調整ができなかったということでした。 こういうご時世ですから、これは仕方ありません。 残念ですが今日は常設展示のみ観光することになりました。

城の入り口にあるスヴァトプルク国王の騎馬像まで戻ってきました。 ドナウ川の向こうは新市街です。 曇天ですが今日は7月16日、欧州でも真夏なんですよ。なのにこの装いを見てください。一人の外国人の男性が半袖以外は皆さん上着やジャンパーを着込んでまるで秋の装いです。 この日も寒いんです。中央ヨーロッパは晴れないと夏でも寒い。いい経験になりました。 実はこの日ブダペストではエアレースの予選が行われていたのですが、雨天のため2フライトの予定が1フライトになったそうです。

騎馬前の広場。騎馬像の前後の写真では分かり難いですが、実際は騎馬像前の広場はこんなにも広いんです。

城の側にたてられた館(?)でしょうか。

ウィーン門。ブラチスラヴァ城の正門です。 入場するときに撮れなかったので、出るときに撮りました。 再びバスに乗って市内のレストランで昼食です。今日はスロヴァキアの料理ハルスキーだそうです。

旧市街を走ると趣きのある建物が次々と車窓に現れます。

建物の壁の装飾がいいですね。

ベランダ付きの黄色い建物。凝った装飾が目を引きました。

ブラチスラヴァ城を、真っすぐ降りてくると大統領官邸の前の交差点に出てきました。 官邸の屋根には二重十字架の国章が掲げられていました。国章はハンガリーと同じです。

大統領官邸の前を右折して聖マルティン大聖堂方面に向かいました。

この周辺の電柱や照明塔の柱には花が飾られています。花は綺麗なんですが柱には落書きがされていて、花の美しさを打ち消しています。

城壁が見えてきました。

道路沿いに城壁が続いています。

城壁の先には聖マルテティン大聖堂が見えてきました。

聖マルティン大聖堂の前で城壁は切れていました。 右は聖マルティン大聖堂。

ドナウ川沿いに進んで行くと川沿いのレストランに着きました。

国立自然史博物館の向側、オソブニー桟橋にあるレストラン「Danubius」です。 建物の2階がレストランでした。

道路側から見たレストランの全景。

スロバキアの郷土料理「ハルスキー」です。パスタに似ていて茹で方はアルデンテ。 ソースは割と淡泊でした。

白身魚のフライにポテトと野菜サラダ添え。 この料理は美味しかったのかどうか全く記憶がない。白身魚と思っていたけど、写真を見ると肉のようにも見えるし、自信がなくなりました。 記憶にないのだから、味はそこそこだったのでしょう。

レストランかろ見えた素敵な塔のある建物。その奥の建物も丸い屋根が面白いですね。

市内を回る観光用のバス。

レストランの向かいにある国立自然史博物館。 鉱物や化石、動物や鳥のはく製、標本などが展示されているそうです。 この博物館には入場しませんでした。

博物館の前に立っている銅像は初代大統領トマーシュ・マサリクです。

先程見た素敵な塔の建物の全景です。色合いがとても素敵な建物でした。 この建物、帰国して調べたら工業学校の校舎でした。学校の校舎にしては勿体無いほどに素敵な建物です。

半日の観光でしたが、ハンガリー王国の首都は歴史的な面影を今に残す静かで素敵な町でした。 車窓からブラチスラヴァ城の姿が見えて来ました。 もう一度訪れて今度は博物館のお宝を見たいものです。

そして聖マルティン大聖堂の姿。この後旧市街を後にして、チェコのチェスキー・クルムロフに向かいました。 所要時間約5時間、長いバスの旅です。

郊外に出ると欧州らしい大草原が続いていましたが、この大草原に無数の風力発電の風車が立ち並んでいました。 日本で見るのとは規模が違います。この程度行わないと自然エネルギーは確保できそうもありませんね。

写真で見ると分かり難いですが、はるか遠くまで風車が立ち並んでいます。 バスが走る間、左車窓には風車が引っ切り無しに現れては消え去っていきます。 その規模は本当にすごい。多分ここに限らずあちこちの場所に風力発電の風車が設けてあるのでしょう。 日本もここまで自然エネルギーの確保ができれば、原発問題も進展するのかもしれません。 スロヴァキアに比べると日本の風力発電は赤ん坊みたいな物です。

風力発電の風車群を抜けると再び欧州らしい大平原が続きます。 明かりが差し込んできましたが全体的に鈍よりしています。 真夏のはずなのに何故天気が悪いのでしょう。わざわざ天気がいいはずの夏を選んだのに・・・。 最強の晴れ男は最近神通力が無くなったみたいです。 でもまだ雨には降られていないからいいか。

どこまでも続くスロヴァキアの大地。それともチェコに入ったかな?

ホテルブラチスラヴァのレストラン。1?2階に分かれており、2階は室内とテラス席でした。 一人参加の皆さんとご一緒して朝食です。今回の一人参加は女性が5人、男性は私一人でしたので、クロアチアの旅行と全く逆でした。 その内特に親しくしていただいた3人さんと自然にグループが出来上がってしまい食事はいつも一緒でしたy。 但し観光する時や大きいテーブルでの食事は6人一緒にさせていただきましたので、一人参加の旅行が大変楽しい旅行として思い出に残りました。

2階のテラス席です。 このホテルのレストランは雰囲気が良かったです。

このレストランの朝食は野菜もあって種類が多かったですよ。 生ジュースは確か3種類、ヨーグルトも3?4種類あったと思います。 今日は歩きが多いので、朝食をしっかり取っておきましょう。

バスに乗車し。旧市街に向かいます。左手車窓はドナウ川沿いに立っているUFOの塔。 レストランと展望所があるそうです。

ドナウ川に架かる斜張橋の上に展望所とレストランはあります。見晴らしがいいでしょうね。

ブラチスラヴァ城が見えてきました。一名「ひっくり返したテーブル」とも言うそうです。 そう言われれば素直に納得してしまいますね。

旧市街ミハエル門に近い所でバスを下車して歩きです。 今日はこちらでも真夏だというのに冬の装いです。天気予報では今日は雨。朝から鈍よりしていました。 バスを降りると寒い。出発前に添乗員さんから連絡を貰って「天候が不順なようです。雨の日は夏でも寒いので必ず上着か防寒用の羽織る物を準備してください。」というナイスなアドバイスをいただき助かりました。オーストリアを除く中央ヨーロッパは真夏でも寒い日があるそうです。 さていよいよ観光の開始です。 マリア・テレジアイエローの建物はトリニティ教会。

トラムが走る道路を超えて路地に入り、そこを抜けるとミハエル門が見えました。 ミハエル門は城壁に取り付けられた四つの門の一つで、唯一現存している門です。 残りの三ツの門はマリア・テレジアが取り払ったそうです。

塔の先端の像は大天使ミカエルです。

では外門から内部に入りましょう。

外門の右の壁には万国共通誰でも分かる注意のマークがありました。「スリに注意」です。 この標識はここブラチスラヴァで初めて見ました。他の国ではまだ見た事がありません。 こうして注意を促さないといけないほどスリが多いという事でしょうか。 気を付けることに越したことはないですからね。皆さん注意しましょう。

アーチを潜た小広場の先にミハエル門がありました。 この左の建物もマリア・テレジア、イエローです。 この建物は何かな?

薬学博物館ですね。それにしても博物館の入り口の看板がエビですよ。 エビで医薬品は想像できませんよね。 この建物は「赤いザリガニ」と言う屋号の薬局でした。それで看板がエビ(ザリガニ)なんです。 その後この建物は薬学博物館になっていましたが、数年前に閉鎖されたそうです。

これはブラスチラヴァで最も間口が狭いことで有名な店です。現在は深夜営業のレストランになっています。

ミハエル門を潜り抜けると小さな路地がありました。 路地の上にはホテルの表示がありました。 この路地の奥にミハルスカーブラーナというホテルがあるんです。 こんな路地の奥にホテルがあるとはだれも思わないですよね。そのための表示でしょう。 それよりも目に留まったのが右の赤いマスクです。

どう見ても死刑執行人が被るマスクですよね。 実はこの場所は処刑が行われていた場所なんです。だから誰が見ても分かるような表示をして場所を示しているんですね。 そう聞くと、この路地を歩くのはちょっと怖いです。特に夜は。

ミハルスカー通りです。奥の黄色い建物はリストが幼年時代に過ごした家で現在は大学の図書館になっています。

ミハエル門の前に置かれていた大砲の模型(?) ミハエル門は武器博物館になっていて、こちらがその入り口です。

ミハルスカー通り。 この通りは旧市街の中の大通りの一つです。この少し先の通りに石のオブジェがありますが、その手前からミハエル門を撮ると綺麗に撮れるそうです。 いつもは写真を撮らない時は電源を切るんですが、この時はいつでも写真が撮れるように電源を入れっぱなしにしていました。 レンズはズームにしていたので飛び出していました。 ふり返ってミハエル門を撮ろうとするとシャッターが下りない。というか電源が切れない。MENUもMODEもストロボの切り替えも、スイッチというスイッチが全て作動しない。 突然動作不能になってしまいました。 昨日も教会の中で動作不良になりましたが、今日は完全に動かなくなりました。 「ギエー、動かない。さっきまでまともに動いていたのに、なんで?」 突然の出来事で正直パニクリました。 ガイドさんの説明も周囲の景色も吹き飛んでしまい、この間何も記憶がありません。 ただ添乗員さんにカメラの故障を確認してもらったのは覚えています。 その後少し冷静になると、一つの考えが閃きました。電源が入ったままだがカメラからバッテリーを抜いてみるということです。 でもリスクはあります。バッテリーの出し入れは電源を切った状態でしないとカメラ本体もしくはバッテリーの故障の原因になるからです。 でもすでに故障しているんで、動く可能性があるのならとバッテリーを一旦抜いて再度入れ直してみることにしました。すると幸いにも動く出したではないですか。 何とか今日はこのまま写真がたれそうです。但し再稼働するまでの間の景色は写真が撮れませんでした。 ちなみに、その後の出来事を書いておきましょう。 帰国まで一応カメラは動いて写真は撮れました。帰国後、購入した電気店を通してメーカーに修理を依頼しました。勿論故障に至った2日分の状況の詳しいメモを添えて。 メーカーからの回答は「検査しましたが、指摘されたような動作不良は見当たらず、正常に作動しているため修理する必要はありません。」でした。 でも事実故障した訳ですから、必ずどこかに異常があるはずです。そのため詳しいメモを添えたんです。 またいつ故障するかもしれませんのに問題なしですか。ちゃんと検査をしてくれたのかな?。電気店からは、今度故障したら故障したままの状態で持ってくるようにと言われました。 ちなみに、カメラはカ〇オです。

ミハエル門とミハルスカー通り。 夏の空とは思えない程どんよりしています。私はジャンバーを羽織っていましたが、結構寒かったですよ。

さて、カメラの故障により空白の時間が過ぎてフラヴネー広場にやって来ました。 広場にある噴水は中心に立っている皇帝マクシミリアン2世の命により1572年に建てられたロランドの噴水で、ブラチスラヴァでは最も古い公共の水汲み場です。 中心に立つ騎士像は皇帝マクシミリアンですが、中世の騎士ローラントという風説もあります。ローラント(ロランド)はクロアチアのドブロヴニクやドイツのブレーメンにも像がある中世の英雄です。 噴水の周りではフェンシングなどのパフーマンスをおこなっていました。

広場に面して旧市庁舎が建っています。現在旧市庁舎は市歴史博物館になっていました。 旧市庁舎の左隣の建物は教会(KostolNajsvatrjsieho Spasitel'a スロバキア語なので読み方は不明)です。

フラヴネー広場に面して日本大使館も建っていました。この建物の1階は土産物店です。この後20分の自由時間がありましたが、ツアーに参加された多くの皆さんはここで買い物をされていました。 強風にあおられて日章旗はポールにからまっていましたが、入り口の上にある「菊の御紋章」が燦然とかがやいていました。 ここだと町の中心の観光地に大使館があるので、駆け込む時に分かり易くていいですね。 大使館の前では青銅の衛兵が直立不動で警護してくれています。この衛兵さん、もっとアップで撮ってあげればよかった。

日本大使館周辺の様子です。

旧市庁舎の塔の外壁に設置されていた聖母子像。 この右横の黒い穴(写真の角度により、黒く丸い出っ張りのように見えますが、これは穴です。)はナポレオン軍が侵攻してきた際に砲撃を受けて砲弾が着弾した跡なんだそうです。 本当かなあ?砲撃を受けたなら方々に穴が開いたんじゃないのかな?他は修復したけどここだけ残したのかな? 疑問は残りますが、そういうことでした。ここで自由時間です。ガイドさんからは市庁舎の中(中庭)や博物館を見てほしいと言われましたが、時間が20分では駆け足でも見切れません。 先にピンク色の外壁が美しい大司教宮殿を見て、中庭を見ることにしました。

旧市庁舎の横の路地を真っすぐ歩くとそこに現れた建物が大司教宮殿です。 薄いピンク色の建物で風格があり、華麗です。 ハンガリーのエステルゴムの大司教の冬の宮殿として建てられ、王族の戴冠式の時、ここで晩餐会を催したそうです。 またこの宮殿において、1805年のアウステルリッツ三帝会戦でオーストリア皇帝に勝利したナポレオンが、この宮殿の「鏡の間」でプレスブルク平和条約(フランスとの講和条約)に署名しました。

大司教宮殿のすぐ隣の建物が旧市庁舎(緑色の屋根瓦の建物)です。

大司教宮殿と旧市庁舎。 フラウヴネー広場の裏になりますが大変静かな場所です。 この静かな空間をほぼ独り占め。

大司教宮殿広場と市庁舎。 この方向からの市庁舎は綺麗でした。特に緑色の屋根瓦が素敵です。 晴れていれば光に映えてキラキラ輝いたでしょう。 大司教宮殿の真向かい、写真右の建物が現在の市庁舎です。

大司教宮殿の中庭には立派な彫像の噴水がありました。 入ってみましょう。

中庭にあるのはこの噴水だけのようです。 時が止まったように静かな中庭。この一瞬が私のためだけのような不思議な感覚。 扉を開けるとそこには別世界が待っているような、そんな静かな不思議な一時を感じさせてくれた宮殿の中庭でした。

ルネッサンス様式の「聖ジョージの噴水」です。 この噴水を調べたら、大天使ミカエルが龍を退治するところいう記述を見かけましたが、馬に乗っている人物の姿ががどう見ても騎士です。 ミカエルではないので「聖ジョージ」の噴水が正しいようです。

次は市庁舎の中庭に入りました。 ここは大司教宮殿とは全く趣が変わった中庭でした。 中庭を囲んでいる建物はそれぞれ様式が違うようです。外観はどこにでもある代り映えのしない建物ですが、中庭を囲んでいる建物は特徴があって素敵です。 知識が無いので何様式なのか分からないのが残念でした。 しかし、今から建物の様式の勉強をする気にはありません。

特にこのアーチ式の回廊が素敵でした。

城郭を想像させるような重厚な造りでした。(あくまで私見です。) ここが博物館の入り口。

こちらも素敵ですよ。

外国のツアーの皆さんが中庭に入ってきました。 このツアーのガイドさんは建物を一つ一つ詳しく説明していました。 言葉が分かれば聞き耳を立てるのですが、聞いてもチンプンカンプンで分かないので止めました。

旧市庁舎の隣にある教会です。

旧市庁舎側から見たフラヴネー広場と周辺の建物。 日本大使館の二つ右はギリシア大使館です。

旧市庁舎の塔。

ロランドの噴水と広場の建物。 こちらの建物も素敵です。

入り口を進むと、中庭には醸造博物館に併設されていると思われるレストランがありました。 朝9時45分のためレストランはまだオープンしていません。

市歴史博物館の隣にあるワイン醸造博物館です。博物館は右にある建物ですが、貼り紙がしてあって開いていませんでした。 スロバキア語なので何が書いてあるのか全く分かりません。 それで醸造博物館の前に展示してあるワイン樽を写真に撮ったしだいです。

再び日本大使館の前です。 ここが集合場所、少し早すぎたみたい。

大使館1階にある土産物店。 広場で待つ間、店に入ればよかったかな。今からだとあまり時間が無い。 自由時間が終り街歩きが再開されました。 20分の自由時間は短いですね。集合時間の5分前に着いておくとしたら15分しかありませんから。

町を歩いているとこんなおじさんがお出迎え。「日本のツアーの皆様いらっしゃい。今日はゆっくりブラチスラヴァの町を楽しんで下さい。」と言っているかのような印象でした。

さらに歩くと通りの交差点に有名な「マンホールおじさん」がいました! 遠いと表情が分かり難い。じゃ近寄りましょう。

丁度マンホールから出てきたところなの? 疲れた顔しているね。おじさん、今すごい人気だよ。ブラスチラヴァを訪れた観光客は皆おじさんに会いたいんだってさ。 むろんオイラも日本という遠いくにからはるばる海を越えておじさんに会いに来たんだぜ!

パンスカー通りを歩いています。今日は土曜日、しかも夏休み期間中なのに町を歩いている人が少ないんです。不思議だな。天気が悪いからでしょうか。

この通りは貴族の館が集まっているんだとか。 入り口に紋章を掲げた館とか、ファザードをレリーフで飾った建物が軒を連ねています。

そんな中、なんとも似つかわしくない建物がありました。真ん中のなんの変哲もないコンクリートの建物です。 共産主義時代に建てられた建物で、ブラチスラヴァの人達は恥と思っているそうです。 本当に素敵な風景がぶち壊しです。壊して建て替えたらいいのに。

一方この建物、豪華なレリーフや装飾で飾られた豪華な入り口がある建物です。 一見して貴族の館と推測できます。

ほんとに豪華です。すばらしい。

こちらは黄金の鷲。 イエメンの国旗が掲げてあるので、イエメンの大使館でしょう。

通りにあるこれは確かマリア・テレジアが作らせた噴水で、2基作ったんだけど残っているのはこの1基というガイドさんの説明だったような気がするが、どう見ても噴水のようには見えない。 私の記憶違いかもしれません。水飲み場だったかな。記憶が曖昧でうろ覚えになり申し訳ありません。 ガイドさんが熱心に説明されたので、そんなに大切な物なのかと思い写真を撮ったのは覚えているんです。 どなたかはっきりご記憶の方はどうぞ教えてください。

こちらは紋章が掲げてありました。

尖塔の先にはハンガリー王冠のレプリカが飾られています。

教会の尖塔は緑色の瓦で葺かれ、金色に縁取りられて美しい物でした。

小公園から聖マルティン大聖堂の塔と屋根がみえました。 ここは丁度教会の裏側に当たります。 聖マルティン大聖堂は14世紀初頭から約200年かけて造られ、1563年から1830年まで歴代ハンガリー王の戴冠式が行われた由緒ある教会です。1741年、マリア・テレジアの戴冠式もここで行われました。 教会の尖塔には金色のハンガリー王冠のレプリカが飾られています。

パンスカー通りを真っすぐ進み、聖マルティン大聖堂の裏側にやってきました。 ここは大聖堂の裏側にある小公園(写真が無くすみません。)の片隅にあるリストの胸像です。 胸像を囲むフェンスは音符でできていました。 リストはハンガリー王国の出身でピアニスト、作曲家として有名な音楽家です。 ピアノの魔術師と呼ばれてどんな難解な楽曲でも初見で弾きこなしたそうです。超絶技法の達人、ピアニストとしては当時のアイドルで、彼の演奏中女性ファンの失神が続出したとの逸話もあります。 彼はブラスチラヴァで幼少を過ごしており、いわばこの町が彼の故郷かもしれませんね。 私はリストの曲では「ラ・カンパネラ」が大好きです。 ただピアニストとしては何と言ってもショパンが一番好きです。

教会の外壁は激しく痛み、窓は子供たちの絵で覆われていました。 いずれ修復される予定ですがまだ修復の手が入っていないそうです。 共産主義政権時代宗教は否定されていたため、修復の手は一切入らず荒れ果ててしまったんだそうです。

教会本体の外壁は一部修復が始まっているようです。

聖マルティン大聖堂を裏側から回ると通りからブラチスラヴァ城が見えました。

聖マルティン大聖堂から伸びるカピツルスカ通りです。ここからはクラリスク教会の塔が見えました。

旧市街を取り巻いていた城壁。

教会の入り口です。教会との距離が近いのでここから教会の全景を写真に撮ることは不可能でした。 入り口の右には、ロマの人と思われるお婆さんが物乞いをしていました。

聖堂内の様子。主祭壇と左右の聖歌隊席。

主祭壇と天井の様子。 元々はロマネスク様式で建てられましたが、19世紀にネオ・ゴシック様式に改築されました。

内陣の壁にはこの教会で戴冠した王とその妻の名前が記されています。

左側の聖歌隊席。

ステンドグラス。とても美しいです。

主祭壇と背後のステンドグラス。ステンドグラスは外からの光が強く、白んでいました。 もっと主祭壇に近づいてステンドグラスを撮ればよかったと後から思いましたが、この時はあまりに荘厳すぎて近づくのが恐れ多いような、そんな感じがして前に進めませんでした。 ズームにして撮れば良かったんですが、この時はそんな考えは思い浮かびませんでした。

右側の聖歌隊席。

内陣の様子です。

聖マルティン騎馬像。 バロックの彫刻家ドネルの作です。壁には古い時代のフレスコ画の断片が残されていました。

騎馬像の下の穴には古い時代の地下遺構と髑髏が三つありました。 この髑髏は何なのだ。ガイドさんの説明ではこのことに触れていたのかどうか、記憶が定かではありません。

教会の側壁にある祭壇。 キリストの生涯で祭壇の中心はピエタです。これは凝った作りでした。

最後の晩餐からゴルゴダの丘で磔刑に所作られるまでが描かれており、主題はキリストの磔刑です。

道路を挟んで大司教宮殿の向かい側にはインフォメーションセンターがありました。 この建物は19世紀の音楽家ヨハン・ネポムク・フンメルの生家で、ここには「フンメル記念館」があるそうです。

聖マルティン大聖堂の全体写真がないので、この町を去る時にバスの車窓から撮った写真を、それをここに載せておきます。

同じく車窓から写した大聖堂です。

スロバキアの文化・風俗・注意点

 観光などの目的で査証(ビザ)なしで短期滞在する場合でも、外国人は法令上、週末及び祝日を除いて入国後3日以内に所轄の警察署に滞在開始日、場所及び滞在予定期間について届け出る必要があります。ホテルに宿泊した場合は、ホテル側がこれを代行してくれますので問題は生じませんが、個人宅に泊まった場合はこれが行われないため、別途届け出る必要があります。この届出を怠った場合には、規定違反として罰金を支払わされる場合があり得ますので、注意が必要です。
 なお、ホテルに宿泊した際には、宿泊した事実を証する領収書等を必ず受け取った上、国外に出るまで所持するようにしてください。

 美術館の中での写真撮影は、普通禁止されています。教会の中も一般的に撮影を禁止しているところが多いようです。一部の美術館では、有料でビデオ・写真撮影を許可するところもあります。なお、軍事施設の写真撮影は禁止されています。

 麻薬の持ち込みは一切禁止されています。
 最近、若年層の間で麻薬服用者が増加し、警察当局は麻薬の路上売買等に対し取締りを強化しています。

 就労は正規の手続きによらない限り、一切認められません。

 旅券等の身分証明書は常に携帯するようにしてください。

 銃器所持については許可制で、厳しく制限されています。

 交通事情

     道路の状況は概ね良好ですが、場所によっては路面の状態がよくないところもあります。また、ブラチスラバ市以外は照明が不十分なところも多いため、夜間の運転は特に注意が必要です。

     市街地の道路が交差する箇所では、優先道路、非優先道路の標識のあるところがあります。これらがあるところは信号がないため、標識をよく確認しなければなりません。

     ドライバーの中には、無意味な車線変更や危険な追い越し等、交通ルールを無視した無謀な運転をする者がしばしば見られるので、日本国内で運転するときより特に注意する必要があります。

     高速道路を使用する場合は、事前にガソリンスタンド・郵便局等で高速道路利用許可証を購入しなければなりません。

     11月から3月頃にかけて降雪がみられますので、冬の間はスノータイヤを使用する必要があります。また、山間地域にスキー等に出かける場合は、タイヤチェーンを持参されることをおすすめします。ただし、法律による装着義務はありません。

     スロバキアにおける制限速度は以下のとおりです(別途規制される場合もあります)。
    (1)高速道路:時速130?
    (2)一般道路(市外):時速90?
    (3)市街地:時速60?(※時速40?制限の区域あり)

     飲酒運転は禁じられており、運転中の血中アルコール濃度も考慮し、酒気帯び運転等と判断された場合、罰金刑及び1年又は2年の運転禁止の罰則もあります。

     乗員は、前部及び後部座席ともにシートベルト着用の義務があります(違反者は2,000スロバキア・コルナ以下の罰金)。

     運転中の携帯電話の操作は禁止されています(違反者は2,000スロバキア・コルナ以下の罰金)。

     10月15日から3月15日までの期間は、日中も含めて運転中常にライトを点灯させておくことが義務付けられています。

     交通違反には罰金を科せられますが、警察官によっては、外国人に対し必要以上の罰金を要求してくる場合があるようです。もしそのおそれがあると判断される場合には、罰金を支払う際に領収書を受け取り、担当警察官のID番号を控えておくことをおすすめします。